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vol.27

<雨の木の下で>

 沼めぐりホラー・ハイク 2003.9.19 関 富士子
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 福島県土湯温泉の男沼女沼ハイキングコースは、町の背後の三つの沼をめぐる十キロほどの道程である。沼は、地質的に池や湖とは異なる。森の中の薄暗い湿地帯にある大きな水溜りで、泥や腐食した植物が厚く積もっている。深さがわかりにくく、うっかり踏みこむとずぶずぶと沈んでいきそうだ。
 熊野神社の脇の舗装された道路を行く。展望台や野草園に立ち寄りながら、道端のなどを眺めて歩く。向こうの藪から、カモシカの親子がこちらを見ていたりする。一つめの沼、女沼は静かな森の中にあり、四枚の羽根を交互に羽ばたいて羽黒蜻蛉が飛んでいる。苔むした樹木の下に、金水引山路不如帰うつぼぐさなどの花盛り。茶屋に寄ると、おばさんが熟れた桃をご馳走してくれた。男沼まで行くのなら急がないと、三時ごろには雨になるよと言う。
 女沼から先は徒歩でしか行けない。「思いの滝」を過ぎたあたりから、森は鬱蒼として道もやや険しくなり、ハイカーはカウベルを鳴らしている。熊が出るとは聞いていたが本当らしい。胴体の緑の縞を輝かせて、羽黒蜻蛉がついてくる。幹に獣の爪の研ぎ跡らしいものもある。勇気を奮って歌いながら歩く。「あるう日、森のなかあ、熊さんに、出ああったあ。花咲く森のなかあ、熊さんに出ああったあ」。辺りは薄暗く湿って花はほとんどなく、行き交う人もいない。草陰に真っ白なキノコばかりが光っている。小人の家のような真っ赤なものもある。白雪姫を殺すには毒キノコが確実だろう。二つめの沼、仁田沼(にだぬま)は林の中の浅い沼沢で、湿地帯に高床の木道が渡され、水芭蕉の異様に大きく広がった葉が水面を覆っている。ジュラシックパークのような風情。
 ここから男沼までは下りだが、霧が濃くなって前方が見えない。細かい雨がからだ全体をしっとりと濡らす。ミルク色の中に大きな木立が見えてくる。ブナの森である。その太い幹の間に男沼が現れる。水面から霧がもくもくと立ち昇っている。沼の岸は少し開けて、いちめん小葉擬帽子の野原である。薄紫の花が風に柔らかく揺れている。見上げると、霧の中にブナの巨木の真っ黒な幹がくねりながらそびえている。森の守り神に出会ったようで畏れ多い。ふと沼を見ると、白い水面から恐竜の首のようなものがにょっきり突き出ている。
 男沼のオッシーに追われるように沼を離れる。それはただの朽木だったが、自動車道に出るとなんとなくほっとする。しばらく歩いて不動湯温泉に到着する。古くからハイカーが立ち寄り、汗を流す湯で知られる。山の中腹の崖っぷちにへばりつくように建ち、崖の側に古びた木造の狭くて急勾配の階段が付いている。ぎしぎしするのをおっかなびっくり降りていく。階段からさらに張り出すようにしてわずか二坪ほどの露天風呂がある。
 風呂の真下は深い谷で、ざあざあと水が流れている。湯船に浸かると、木の浴槽は肌がささくれ、木屑がいっぱい浮かんでいる。湯は硫黄質でぬるぬる濁る。尻の辺りに響き渡る川水の音を聞いていると、腐った浴槽が崩れて、素っ裸のまま真っ逆さまに落ちていく自分を想像してしまう。そそくさと湯から上がって、さらに三〇分ほど山道を下ると、終点の土湯温泉街に戻る。
 熊には遭わなかったが、かなりスリリングなハイキングであった。土湯温泉へは福島駅からバスで四十五分。あなたもこんなひやっとする夏をいかが? 


 
紙版"rain tree"no.27掲載2003.9.19
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