心を癒す7つの習慣 2.表現する
2.表現する
1.人は偽りの自分で生きている
表現するというのは、他でもなく自分自身のことを表現することだ。人は、ありのままの自分自身を素直に表現すると、とても心が癒される。
私たちはたいてい、「偽りの自分」を装って生きている。それはいわば、社会用の、対人用の性格であり顔である。「よそいきの服」ならぬ、「よそいきのパーソナリティ」によって生きている。ひらたくいえば、私たちは大部分の時間を「演技」しながら生きているのだ。もちろん、会社に行って仕事をしているときは、程度の差はあれ「偽りの自分」を演技しなければならないだろう。社会で働いているとき、人は「個性」よりは「役割」を重視しなければならない。そのかわり、家庭に帰れば、多くの人は自分らしさをそこで発揮する。ところが、人間の心は自分が想像するよりずっと深いものであって、注意深く内面を見つめると、家庭の中にあってもなお、偽りの自分を演技している場合が多い。厳格な家庭だとか、特定の価値観に染まった家庭の中で育てられたりすると、家の中にいても、本来のありのままの自分を表現できないということになりやすい。「こうしたい」という自然な欲求よりも「こうあらねばならない」が先行してしまうのだ。そして、本来の自分を表現できないでいると、いつしか「自分自身」は窒息してしまうのである。
2.心の傷は表現して意識したときに癒される
心の傷は、ある程度、それを表面化させ意識化させることによって治療の方向にむかうというのが、精神療法の基本的な見解である。換言すれば、それは自分自身の心の痛みを表現するということだ。
何らかの表現手段を明確にもっている人たち、とりわけ芸術家や作家といった人たちは、意識的にしろ無意識的にしろ、自らの心の痛みを表現することで、つまり、そうして作品を完成させることを通して、心の傷を癒しているものである。
もちろん、自分の心の傷を表現するのに、高度な芸術や文学の表現テクニックが必ずしも必要とされるわけではない。単純で身近な例をあげるならば、ただ自分の苦しみをだれかに聴いてもらうだけでもいい。嫌なこと、愚痴や不満を話せばスッキリするというのは、私たちが日常的に経験していることである。要するに、言葉で表現しているわけだ。作家といった人たちは、これを文学的に表現しているというだけのことである。
したがって、自分の心の傷をじっくりと聴いてくれる人、批判も説教もなしに、ただその痛みを理解し、受け入れてくれる人に対して、思いのうちを表現することは、心の傷を癒すのに大きな効果を発揮する。
しかしながら、だれもがそのような人に恵まれているとは限らないだろう。現実には、心の傷を抱えている人というのは、だれにも打ち明けられずに、ひとりその苦悩に耐えているものである。
3.文章を書いたり絵を描いたりする
傷ついた心をもち、なおかつそれに向き合う勇気や自制心や知性に欠けていると、人はそれを社会的に有害な形で発散(表現)してしまいやすい。非常に歪んだ性格や行動を起こしてしまう根本には、何らかの心の傷が作用していると考えられる。
そこで、私は文章を書いたり絵を描いたりする表現スタイルをもつ習慣をお勧めしたい。人に見せる必要はないのであるから、上手下手や、内容のことなどを気にする必要はない。たとえば日記などに、自分の心のあり方を正直に書き留めるとよい。書いた文章は、普通は再び読み返すことになるだろうから、そこで心の傷を表面的に意識化することになり、それが治癒の効果をもたらしてくれる。
絵画などは、文章よりも無意識的かつ象徴的に、心の状態を反映しているものである。その絵画は当然、写生ではなく、イマジネーションによって自由に描かれたものがいいだろう。もちろん、描く対象が、何らかの理由で自分の気持ちを代弁してくれているようなものであれば、写生であっても治癒的な効果はある。たとえば、枯れた秋の林などにに、孤独な自分自身を投影し、共感を覚えるのであれば、写生によって心は癒されるかもしれない。
いずれにしろ、傷ついた心は、それを社会的に無害な形で表現するような工夫を習慣としてもつとよい。
4.あくまでも自分自身の個性を発揮する
大切なのは、あくまでも「自分自身」であり続けるということだ。人まねでもなく、社会や周囲から強要された性格でもない自分自身を。もちろん、その性格が、あまりにも反社会的であれば考え物であるが、人に迷惑をかけなければ、自分の生き方やライフスタイルを遠慮なく発揮して生きた方が、心の健康にとってはずっとよい。変わり者と思われたり、それによって何人かの友人は離れてしまうかもしれないが、あなたのそういう個性が好きだという人も現れるだろう。周囲の状況に支配されて、自分らしさ、自分の個性が発揮されない生活では、心はなかなか癒されるチャンスをもつことができない。人によっては、自分自身の個性を発揮することが、状況的に難しい場合もあるかもしれない。だが、それでも何とか道を開いて、たとえ24時間でなくてもいいから、一日に一定の時間だけは、ありのままの自分自身を表現できるように工夫していただきたいと思うのだ。
人間は、だれもが「演奏家」である。ある人はトランペットが自分にもっとも合っていると思う。別の人はバイオリン、別の人はフルートかもしれない。人は自分にもっとも合った音色を響かせるべきである。全員がフルートだけのオーケストラなんて面白くもない。世の中は、いろいろな音色を奏でることですばらしいシンフォニーのようになる。
5.人間の本質を表現して生きる
最後に、こうして個性を発揮して生きるだけではなく、さらにもっと深いレベルでの「自分自身」を発揮して生きることが、心の癒しには必要である。それはすなわち、「人間性の本質」ともいうべきものだ。
人間性の本質とは何であろうか。孔子はそれを「仁」という言葉で表現した。ひとことでいえば、人を思いやる優しい気持ち、すなわち「愛」のことである。
したがって、あなたが「自分自身」の本質をどこまでも深く掘り下げていったら、やがては愛に遭遇するだろう。あなたが、「自分自身」の究極的なライフスタイルを追求し続けていったら、それはいつの日か「愛に生きること」という結論に達するだろう。
心の傷を完全に癒すには、どこまでもどこまでも自分自身の本質を表現して生きる道を歩み続けることである。そしてその究極の到達点が、思いやりと優しさに満ちた愛の生き方なのだ。つまり、愛を表現して生きるということである。