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                 心を癒す7つの習慣 6.ハートに従う

 6.ハートに従う

 1.自分自身の価値観を決めよう
 人間は、自らの個性を抑圧されたり、その個性を否定されてしまうときに、傷つけられ、そこから回復する力も沸いてこなくなる。つまり、自分自身でいられないときに、傷ついた心の回復力は著しく阻害されてしまう。一方、自分自身で生きるときには、鳥が空を飛ぶように、魚が水の中を泳ぐように、活き活きとして、いわば「心の自然治癒力」ともいうべきものが活発になる。
 ところで、社会の中で生きる限り、それなりのルールは守らなければならない。最低限の決まりやマナーは必要だ。
 けれども、社会のルールに従い、人に迷惑をかけない限り、自分の本当にやりたいことをする権利はある。
 たとえば、親が子供の意向を無視して、「大人になったら何になれ」などと、職業を決めつけることはできない。身勝手な親は「そうしないとおまえは親不孝だぞ」などといい、純粋な子供はその言葉を聞いて胸を痛めるかもしれないが、それはむしろ「子不幸」ともいうべきものである。子供は親の奴隷ではないのだから。いかに親心からであっても、子供の人生は自分自身で決める権利がある。だれもそれに干渉することはできない。 

 2.無意味な人間関係のつき合いを断ち切る
 こういうことは、もちろん親子の関係ばかりではなく、さまざまな人間関係の中に見いだされる。とりわけ、みんなが同じでなければダメだという風潮のある組織では、目立った人や自分独自のアクションを起こす人に対して、露骨に、あるいは暗黙のうちに、「自分自身」であることに対して圧力をかけるように働く。上司の機嫌を取るために、飲みたくもない酒をつきあわされ、行きたくもないカラオケについていかなければならなかったりする。もっとも世の中には、このようなことを、それほど苦もなくできる人もいる。周囲に調子を合わせ、したたかにうまくできるのである。しかしながら、そのようなことは大変に苦痛であるという人も少なくない。すると、それがもとで大きなストレスをこうむることになる。しかも悲惨なのは、こうして上司の機嫌を我慢して取ったとしても、それで何らかの報いが得られるとは限らず、さんざん我慢して貴重な時間と金を費やしたにもかかわらず、裏切られる結果になることもあるということだ。「裏切ったな」と文句をいうこともできない。「別に俺は強制した覚えはないよ」といわれておしまいである。
 ならば、さんざん嫌な思いをして、踏んだり蹴ったりの結果になるよりは、最初から、このようなつき合いは一切やらないと、最初から堅く決めておく方がよい。 

 3.自分らしく生きた方がものごとはうまくいく
 もちろん、それによって上司との感情的な関係が悪くなるかもしれない。ボーナスや出世の査定に響くことは避けられないかもしれない。
 しかし少なくても、心の平安と時間と金を犠牲にしなくてすんだという恩恵は保証されている。そうした恩恵も、また出世の見返りも、両方失われる結果となるよりはマシである。
 それに、つき合いを断ったからといって、必ずしも成功できないわけでもない。人が無益な酒飲みに興じている間に勉強して能力を身につければ、いくら感情的に気に入らないからといって、辞めさせるわけにはいかないし、会社の利益のために、それなりのポジションを与えずはおけないだろう。能力があれば転職だってできる。むしろ上司の機嫌を取るだけしか能がない「お調子者」の方が、この不況な時代にあっては簡単に首を切られてしまうだろう。自分の生き方を貫いた方が、人生は案外、うまくいくものだと私は思っている。
 しかし、仮に百歩譲って、社会的に悲惨な状態になったとしても、人生というのは「時間」であり、幸福とは「内的な満足度」にあるのだから、いくら退職時に大きな財産と地位を得たとしても、それまでの人生の大半を無意味で苦しい時間を過ごしたのであれば、その人生は決して幸せとはいえないと思うのだ。 

 4.ハートの欲求に従って生きる
 そのような、内面の自分を抑圧して外的状況にばかり追随してきた人が、いざ定年となり、自分の生きざまを内面に問いかけなければならないようになると、困惑と絶望にかられ、ノイローゼやうつ病となったり、自殺に追い込まれるなど、いよいよこれから人生を楽しもうというときに、案外、早く死んでしまうとことにもなりかねない。
 しかし、自分の内面の声に正直に生きた人は、少なくても心の平安があり、人生を楽しむことを心得ており、それゆえに健康でいられることが多い。それに繰り返すが、そのような生き方をしたからといって社会的に不利になるとは限らず、むしろうまくいって成功することだって多いのだ。
 であるから、心の癒しのためには、内面の声、私はそれを「ハート」からの声と呼びたいのだが、そのハートの声にしたがって生きる習慣をお勧めしたい。たとえ、その声に完全に従うのは難しいとしても、なるべくハートの欲求に従う方向に生きた方がいい。
 もちろんその「声」は、単なる表面的な願望や欲望ではない。そうしたものはその場限りでスッと消えてしまうことが多いが、ハートの欲求は、自分自身のアイデンティティにかかわるもっと深い欲求であり、そう簡単に消えて冷めるようなものではない。 

 5.ハートに従うと活き活きとしてくる
 ハートというのは、魂のことである。ハートに従うとは、魂の欲求に従うということだ。そして魂は、自分自身が何者で、どのように生きればいいのかを、時間も空間も超越した英知によって何もかもわかっている。
 であるから、ハートに従って生きた方が、外的な束縛に追随して生きるよりも、実は安全であり、成功と幸福への近道なのである。たとえそのために一時的には苦難に陥ったとしても(事実、そうなることは多いのだが)、それは一時的なもので、その先には本当に自分らしく生きられるすばらしい状況が待ち受けている。
 ハートの欲求に従うときは勇気がいる場合が多いけれども、それを果たした後には、何か晴れ晴れとした解放感、自由、活き活きとした気持ちになるものである。
 この活き活きとした気持ちこそが、生命本来のあり方であり、それが心を癒してくれる。そして何事も、活き活きとした気持ちで前向きに取り組むことで、うまくいくようになる。
 だから、ハートに従って生きる習慣を身につけよう。

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