HOME書庫心を癒す7つの習慣

                 心を癒す7つの習慣 心を癒すとは

 心を癒すとは
「癒す」というからには、癒されていないものがあることを示しています。癒されていない、すなわち、病んでいる、傷ついている状態にあるわけです。では、心が病んでいる、傷ついている状態とは、どのような状態なのでしょうか。
 それは、ひとことでいえば、「人間らしい心」が阻害されているということです。幼少期や過去において、人間らしい心の営みを阻害してしまう外的影響を受けたのです。とりわけ、強い心的ショックによって生じた心の傷が、さまざまな支障を招く症状を、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と呼んで、精神的治療を必要とする疾患としてあげられています。私たちは、これほど激烈な心の傷を受けることは稀であるとしても、さまざまな心の傷、たとえば幼少期に両親からいわれたささいな言葉だとか、多感な時期におけるちょっとした失敗などによっても、心は傷つき、自信喪失や劣等感、苦悩や恐怖などの原因になってしまうものです。これは人間の弱さというよりも、それだけ繊細であるという評価を与えるべきでしょう。
 心を傷つける要因は、もちろん過去の歴史のどの時代にもありましたが、現代においては、その要因は微妙で複雑になっており、それだけ心も複雑に傷つけられ、なかなか単純には治癒されない傾向があるようです。いわゆる「複雑骨折」と似たようなものが、心の傷にも当てはまるのです。
 たとえば、文明が今日ほど発展していなかった時代においては、心の傷は肉体的な生存に関係するものがウエイトを占めていました。たとえば戦争による心の傷などです。やがて、文明が進歩して人々が物質や名声の獲得へと熱を帯びてくると、今度は「自我(エゴ)」が大きく関係してきました。プライドや自己重要感が否定されることで心が傷ついてしまうのです。
 そして今日では、もうひとつ大きな要因がクローズアップされてきました。それは「霊的な存在意味」に関することです。すなわち、自分は存在していても無意味ではないのか、といった、実存的な問題から生じる心の傷です。エゴの場合は、人よりも優位に立つことが目的ですが、こちらの場合、人や社会のために自分の存在は有用なのかどうかといった、利他的なニュアンスが濃厚であるのが特徴です。食べるのに精一杯だった時代には、あまり見られなかった心の傷のパターンです。以上をまとめてみるとこうなります。
 1・肉体的生存の否定による心の傷
 2・自我の否定による心の傷
 3・実存的意味の否定による心の傷
 そこで、具体的に心を癒すには、以上の3要因を考慮に入れ、満たされなかった欲求を満たすような生き方を、日常生活において実践していく必要があります。いわば「心のリハビリテーション」です。
 1の「肉体的生存の否定による心の傷」の場合、満たされていないのは「安全」です。自分の身が安全であることを、傷ついた心に向かって根気よく訴えていくわけです。
 2の「自我の否定による心の傷」で満たされていないのは、「自信」です。別の言葉を使うと「状況をコントロールする力」ということになります。「無力感」が心を傷つけているので、自分には運命や状況を自分の力で克服し、思うようにできる力があるのだと納得させていくのです。
 3の「実存的意味の否定による心の傷」で満たされていないのは、「一体感」であり、「全体への帰属欲求」です。自分は何か大きな全体(会社や国家といったものよりもずっと大きなもの)のひとつであり、その全体にとって、自分は必要とされる存在であるといった欲求です。
 一番目の欲求は肉体的、二番目の欲求は心理的、そして三番目の欲求は「霊的」とも呼べる魂のレベルから生じているものと思われます。したがいまして、「人間らしく生きる」とは、肉体的には(衣食住においては)安全で、「平安な気持ち」をもち、心的には自己信頼、すなわち「自信」があり、霊的には、人のために役に立っているという「愛」をもっていること、これを回復させることが「心の癒し」であると考えられるのです。

このページのトップへ