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 2019年2月の独想録



 2月23日 情報過多から身を守る方法
 
例によって報告とお知らせから。
 イデア ライフ アカデミー瞑想教室第4回が2月16日と17日に行われました。テーマは「心(潜在意識)の浄化」で、心を浄化することがいかに重要であるか、そして、そのためにはどうすればいいかを紹介しました。そのさわりの部分をダイジェスト版として動画にアップしましたので、ぜひご覧になってください。
https://www.youtube.com/watch?v=dxTZZVt1w74
 瞑想というものは、すぐに効果が出るというわけではありませんが、自分を変え、人生を変える上でもっとも重要なものなのです。というのは、瞑想は潜在意識を変容させていく作業だからです。潜在意識こそが、自分のあり方を規定し、運命を定めているわけですから、自分を変え人生を変えるためには、瞑想は避けて通れません。いくら頭で知識を詰め込んだだけでは、人間は本質的には変わらないのです。ですから皆さん、どうぞ、瞑想をする習慣をもってください。そして、よろしければ、ぜひイデア ライフ アカデミーにいらしてください。あるいは、動画(完全版)をご覧になってください。
 なお、次回のイデア ライフ アカデミーは、3月2日と3日に哲学教室を開きます。「禅問答(公案)」について、脳科学の方面からアプローチしていきます。禅問答もまたひとつの瞑想であり、非常に強力に脳に刺激を与え、短期間で変革をもたらす力を持っています。

 では、本題に移ります。
今日、インターネットの普及で、私たちはさまざまな情報を瞬時に入手することができます。これは非常に便利である反面、情報過多といってもいいくらいです。当然ですが、そのすべての情報が正しいわけではありません。なかには意図的に間違った情報が流されていることもあります。そうなると、私たちは、どの情報が正しくどの情報が正しくないか、どの情報を受け入れ、どの情報を受け入れないか、いわば、情報選択の能力を持たなければならなくなります。さもないと、あまりにも多くの情報を前に、かえって混乱してしまうでしょう。情報に振り回されることになります。実際、すでにそのような状態にあるのではないでしょうか。
 たとえば、「肉食はからだに悪い」という情報もあれば、「肉食はからだによい」という情報もあります。私たちは、いったいどちらが本当なのか迷ってしまいます。どちらもそれなりの根拠があり、説得力があるからです。いったいどうすればいいでしょうか?
 それには、実際に自分で試してみるしかありません。しばらく肉食をしない生活を送って体調を確かめ、今度はしばらく肉食をする生活を送って体調を確かめ、どちらがからだによいか調べてみることです。そうすれば、自分にとってどちらがよいのか、だいたいわかるでしょう。
 しかし、このように、すべての情報を自分で確かめてみることは、実際には不可能です。そのような時間はありません。かといって、いわゆる専門家だとか権威者とか学者と呼ばれる人たちの情報なら大丈夫かというと、必ずしもそうではないことは、あえて言うまでもありません。また、大多数の意見が正しいかというと、そうとも限りません。
 では、いったいどうしたらいいでしょうか?

 そのために、おそらくもっとも有効と思われるのは、生活をシンプルにして、なるべく情報を必要としない生き方をすることです。生活が複雑であれば、それだけ多くの情報が必要となり、情報の洪水に見舞われて身動きができなくなります。自分にとって本当に重要なことだけに焦点を当てた生活をしていれば、それとは関係のない情報を入手する必要はなくなります。言い換えれば、私たちは情報の氾濫によって、自分の人生にとってもっとも大切なことを見失っているようにも思われます。
 そのためには、自分にとって何がもっとも大切なことなのか、これをまずしっかりと定める必要があるでしょう。「これも大切、あれも大切」などと欲張ると、情報に飲み込まれてしまいます。可能な限り、最小限にとどめるべきです。タレントが結婚したとか離婚したとか、どんな生活をしているかといったことなど、重要でしょうか? 自分には関係のない情報はいっさい遮断するべきです。
 それから、情報に飲み込まれない方法としては、情報が正しいかどうかを見抜く、ある種の直観力を養うことです。そのためには、欲望と恐怖心を心から追い出して心を浄化することです。なぜなら、人の判断力や直観力を鈍らせる最大の要因は、欲と恐怖だからです。欲と恐怖がなく、心が澄んでいると、正確な判断力と直観力が得られます。
 そのために有効な手段が、瞑想です。瞑想とは、ある意味で、一時的にいっさいの情報を遮断して内面に意識を向ける行為です。「情報の断食」と表現してもいいでしょう。情報の断食をすることで、誰もが持っている、物事の真偽を見極める直観力がよみがえってくるのです。


 2月10日  覚醒することの大切さ
 まずはご報告とお知らせから。
 イデア ライフ アカデミーの哲学教室第4回を、2月2日と3日に行いました。テーマは「ヨーガの解脱理論」。
 ヨーガ(ヨガ)というと、ストレッチのような運動と思われているふしがありますが、実は「解脱」を目的とした宗教なのです。ヨーガのすぐれている点は、心を浄化するための肉体の修練法があることです。というのも、肉体と心とは不可分の関係があるからです。ヨーガの教えは合理的で理性的であり、いわゆる「宗教臭さ」がありません。そのため、おそらく現代人(とりわけ日本人)にとって、もっとも適した「宗教」と言えるのではないかと思います。
 そんなヨーガが説く「解脱の哲学」を解説しましたので、その一部をダイジェスト版でぜひご覧になってください。やや難しく感じられるかもしれませんが、非常に興味深い理論が展開されています。
https://www.youtube.com/watch?v=DF3lAlGt6r4&feature=youtu.be
 イデア ライフ アカデミーの瞑想教室は、基本的にヨーガと禅の瞑想法を主軸にしています(次回の瞑想教室は2月16日と17日です)。毎日コツコツと瞑想を続けることで、自分自身と人生に変革をもたらすことができます。そして、効果的に瞑想を行ううえで、ヨーガの肉体的修練が非常に役立つのです。健康や美容、若々しさといった面においても、絶大な効力を発揮します。毎日ほんのわずかな時間でもいいので、ヨーガの行を実践することをお勧めします。
 瞑想を段階的に楽しく学びたい方は、ぜひイデア ライフ アカデミーにいらしてください。

 それからもうひとつのお知らせですが、ツイッターを始めました!
 ペンネームは「ファウスト博士」です。
 https://twitter.com/faust_academy
 今日の私の活動の原点となった、今から30年以上も前の本『ファウスト博士の超人覚醒法』(学研)、およびその後の『真実への旅』(サンマーク出版)に登場する謎の指導者「ファウスト博士」の言葉として、霊的求道のヒントになるような言葉を、おりにふれて発信していきたいと思っています。

 では、本題に入りたいと思います。
 皆さんもご存じと思いますが、最近、児童虐待のニュースが注目を浴びています。10歳の女の子が、父親による暴力を受けて死んでしまいました。ニュースによると、父親が娘を虐待する様子をスマホで撮影した記録が残っていたそうです。いったいなぜそのような光景を撮影したのかはわかりませんが、何か猟奇的な異常性が感じられます。だいたい、無力な少女に対し、死に至らせるほど執拗な暴力をふるうこと自体が、まともではありません。父親は「しつけ」だと主張しているようですが、自身の暴力的衝動をごまかすための言い訳にすぎないと思います。この父親は妻に対しても暴力(DV)をしていたといいます。
 今回の事件は、決して例外的な特殊なものではありません。統計によれば、およそ二週間に一人の割合で、親による虐待によって子供が殺されているのです。
 自分の子供を殺した親は、いつか自分の犯した罪深さに気づき、慄然として後悔し、恐ろしい良心の呵責に苦しむ日が訪れるのでしょうか。
 そのとき、親はこう思うに違いありません。「自分はどうかしていた」と。攻撃性という衝動のせいで、精神状態がまともではなかったのです。

 以上の例は極端ではあるとしても、私たちは無意識のうちに、衝動によってあやつられ、ときにそれがまともではない行為に走らせています。
 後になってそのことに気づき、後悔して「自分はどうかしていた」と感じます。そのとき人は「我にかえった」という感覚を持ちます。
 この「我にかえった」という感覚、状態こそが、「覚醒」ということになります。今までは(本当の)我ではなかったということです。
 ですから、私たち人間は、とにかく覚醒するということが、非常に重要になってくるのであり、人生の最優先事項であると、私は思っているのです。覚醒とは本来の自分にかえることです。覚醒をめざさなければ、子供が虐待によって殺されるという悲劇はなくならないでしょう。

 覚醒の段階は、おそらく無限にあります。覚醒した、すなわち「(本来の)我にかえった」と思っても、しばらくすると、さらなる本来の我が存在していることに気づくのです。そうして人は、何回も何回も繰り返して「我にかえる」という経験をしていきます。そうしておそらく究極的には、魂と呼ばれる意識に立ち返っていくのではないでしょうか。
 しかし、意識的に覚醒をめざしていない人の場合、その「我にかえる」というペースが、あまりにも遅くなってしまいます。輪廻転生の思想が本当だと仮定するなら、それこそ今後、何生も、何十生も、もしかしたら、何百生も、繰り返し繰り返し地上に生まれ変わってこなければなりません。つまり、それだけ罪深い行いをしたり、悲劇を招いたりして、後悔の苦しみを味わわなければならないということです。
 果たして、そのような「偽りの自己」の人生を、何回も何回も送ることが、幸せだと言えるでしょうか?
 私は幸せだとは思いません。
 そのことを、身に染みて感じた人が、覚醒への道を歩むようになるわけです。
 この地上世界は「強制収容所」のようなものだと私は思っていますので、そのような不自由な束縛された状態から「脱走」するために、覚醒の研究をしながら、同じ志を抱く人に、多少なりともお役に立てればと思って、こうして文章を書いたり、教室で教えたりしているのです。
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