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FLEX-J Webmasterと源氏系譜 現在の天皇家とも血のつながりがある清和天皇子孫の源氏、とりわけ中心的な大存在というべき渋谷源氏山は日本の高度な武家・貴族クラスの頂点に君臨している東京山の手カルチャーおよび山の手型経済の総本山である。そして「渋谷」の源氏(系脈としての源氏形脈は戦前・戦後を通じて源氏を返上したことはなく、家系としての源氏にも「征夷大将軍」「日本国王」に連なる血筋としてのステータスが輝いている)が、旧帝国陸軍のキャラクターを平家だとすれば、旧帝国海軍のキャラクターは源氏にあたる。ただし、海路における国際感覚には精通していたため、旧陸軍省が根拠のないムード論でまことしやかに語る「陸軍型神国論調」とは若干異なる、独自の認識を示しながら、客観的なデータに照らして第二次世界大戦における対米戦争には戦勝できる可能性が極めて低いと開戦前から予言してもいた、きわめて近代的な実力型の国際オピニオンリーダーにあたる。旧陸軍省の立場は、基本的には戦略におけるかなりを旧海軍省に丸投げするだけのきわめてだらしのないもので、しかも旧陸軍省の「景気判断」には根拠らしい根拠がまるで見られなかったといっても過言ではなかったし、紳士らしいキャラクターとも認められず、きわめて下品な輩揃いだったとしか思われなかった(という話)。アメリカの空母機動部隊に匹敵する重空母や史上最大の巨大さを誇った「大和」「武蔵」の二隻の戦艦をもってしても、ABCDラインによって補給路を断たれていた状況にあっては、先刻旧海軍省が予見していた事態が合理的な結果として訪れたのにほかならない。真の紳士主義による科学的な戦略家のほとんどは海にいて、地上の警察や軍隊は陸軍省が握っていたのだから、北朝鮮が大嫌いな源氏も、国内の朝鮮人大虐殺を組織したこともなく、当時の荒川沿いあたりでの民間自警団に朝鮮人処刑を許可していたのは陸軍モラルである。当時の天皇陛下の最大のお召しシップとはまさしく旧帝国海軍の空母や戦艦だったのである。源氏の派閥としても知られた旧海軍の持つ優れた感覚は、後の東急グループによる渋谷城下町経営や山の手趣味に根ざしたリゾート開発に長けながら、渋谷から始まる東急ラインや伊豆、そして国内マーケティングを大切に育んできた。東急を最大のライバルとしながらも東急に並行する戦略を採った西武は、模範を先進的な欧米リゾートに求めながら、「取引相手としての品性はあまりよろしくない」とのある筋からの評価は得ながらも、堅実な巨富の一般還元路線を徹底して、池袋や所沢、苗場を拠点とするマーケットで生き残ってきたのだといっても過言ではあるまい。東急型マーケティングには現在までのところ破綻はなく、電通における広告展開力の量的な凄さと銀座式の「結構甘いマーケティング」展望(=但し野村総研並みとは見なされている)に対して、かなり理詰めの展開を採ることでも知られている…
紋章
渋谷源氏山系譜
メジャー雑誌『POPEYE』による渋谷源氏山紹介
渋谷に程近い世田谷に移動した渋谷源氏本家の住まい・相続後(渋谷源氏として戸籍の移動はなし)
禁中並公家諸法度制定 [1][2] 江戸時代は文化的な叙任職にあたる天皇や公家が、「日本国王」征夷大将軍や幕府官僚の下に置かれ、被支配者として統治された年間にあたる。徳川家の細君が天皇家に対してあくまでも目上として立ち続けたエピソードがあるように、平和を基調とした時代の幕府体制以後の日本では、天皇に一切の権力は存在せず、名誉と系譜、建国者としての地位が評価されていたのに過ぎない。事情は明治政権においても全く変わらず、権力社会の動向に沿った明治天皇が京都から召し出される形でわが国権威の形骸を担ったのに過ぎないのだ。実家の母親は、あくまでも天皇家に対しては徳川家を含む清和源氏ファミリーの一員として誇りある旧幕府官僚家の立場を保っている(←美智子皇后に対しては「美智子さん」としか呼ばない)としての態度を保っているが、熱心な皇室ファンだった旧四国武家の流れを汲み北海道移住者名家育ちの母親は、皇室信奉からの御利益は一切得られなかった状況(憲法は尊重されるべきだが、皇室を信奉していいことは皆無に等しい)において、人生の上では艱難辛苦の連続だったのみならず、薄幸のままにガン死した(父親はちなみに幕府官僚の末裔には見えないながらも"FLEX-J Webmasterの父親"らしくいたって健康であってタフである)ため、神道としての皇室への崇拝には何らのメリットもないと判断される。禁中並公家諸法度制定を幕府や太政官が廃止したという話も聞かれず、ダグラス・マッカーサー改革は天皇家を「陸軍方薩長体制の傀儡」から「名誉ある国民統合の平和的シンボル」へと引き上げながら、実質改正不能の現行憲法による人類間の例外なき法的立場の平等を誓わせる形で、また華族制度の一切を廃止するに至った。傍系になってから以後の帝の本流ながらも明治天皇と昭和天皇、そして中大兄皇子は尊敬できると考えつつ、清和源氏の中でも最も源氏に精通していると思われる源氏本流の若きプリンス(="Prince"には名家後継者の語意がある)FLEX-J Webmasterは、「自民党でいうところ右派寄り」の無党派層の立場にあって、徳川家の譲位により空座となっている「征夷大将軍」の実質的ポストが国民世界の最も強大な国家指導者にあると判断、自らは「征夷大将軍」よりは「副将軍」に近いひとりの源氏かつ自分なりに一般的な日本国民の一員に過ぎないと考えながらも、現世に於いては強靭なけん引役的な「日本国王」が必要な存在なことだけは間違いがないと思うのである。尚、幕府統制の手法の見事な再現(日本国民による天皇権威支配の構造化)をよりよく実演してくれたダグラス・マッカーサーGHQ将軍は、かつての敵であって現在は友人であると判断しなければなるまい…。そして気づくべきは、現行の日本国憲法が「禁中並公家諸法度」にして「武家諸法度」の体裁を見事に"無意識レプリカ化"(=シンクロニシティというべきだろう)しているのは、ダグラス・マッカーサーがアメリカ合衆国大統領職への就任をかつてはかなり熱心に志望しつつ、"源氏メソッド"をしっかりと学習したからにほかならないのかもしれない……(笑)

藤原一族 中大兄皇子と組んだ国内改革の相棒だった中臣鎌足が藤原家の始祖。平安貴族にして中世ニッポンの政界を牛耳った一族が、天皇家から授かった苗字。清和源氏の后にいた藤原出身女子は清和源氏における原初の母方(清和源氏における天皇家に肉迫する大先祖)にあたり、今日にまで連なる清和源氏の偉大な歴史の源流を司っているが、純粋な藤原家は平家にも並ぶ破滅的な滅亡傾向により世の中の表舞台から消えていった。但し、現代の藤原家の生き残りたちの多くは、ゴージャスながらも大衆指向を深めており、男子は他人にはとても大盤振る舞いをしたがるが内向きには自滅傾向の強い「大御所(ゴナー)」、女子は大立者(スター)を目指そうとするDNAを持っているのかもしれない。清和源氏とパートナーシップを深めることで、節制の利いていながら十二分に満足のできるクレバーな繁栄が約束される…。尚、東北の鎮守府将軍を務めていた奥州藤原一族は、京の藤原一族とは全くの同姓他血脈ながら、安倍一族の血を引いているために平安貴族の流れの上にいることは間違いがない…
藤原不比等 [1][2] 天皇の関白・摂政職に就くことが多かった藤原家の流れ。「藤原ブランド」の政界大御所権力が絶大だった時代、奢り過ぎたために四人もいた男子後継者のすべてを原因不明の奇病によって失った、世の愚かな父親の代名詞……
県犬養橘宿禰三千代 [1][2] あがたのいぬかいのたちばなのすくねみちよ わが国の女帝的な大立者は藤原家の女子が歴史的に務めてきた。それはまさしくグレートマザーの碑石が歴史上に残されているのに等しいが、すべてを丸く納めるには藤原の流れを持つ女子はあえて謙虚な姿勢で物事にあたるべきである…
藤原鎌足 [1][2][3] 千葉県と秋田県に由緒を残しているのが意外な平安時代初期を築いた藤原家初代の大御所クラス。歴史マニアにもファンが多い粋な人物像が語られているが、平安時代における藤原家は(藤原道長を除けば)貴族というよりは武将イメージが強いあたりは元祖のDNAとは恐ろしきものである…


無限ホンダの本田氏、巨額脱税容疑で疑惑を語る [アサヒ・コムでの報道][オフィシャルHP][会社立ち上げからモナコ優勝まで、図説レース参戦史][フランス・リジェF1との仕事][1999のジョーダンF1][マカオF3佐藤琢磨優勝] 創業経営者を故・本田総一郎氏の実子が務める「無限ホンダ」は、本田技研工業が何らかの形で関係する、すべてのあらゆる組織にあって、マイカーのドレスアップ用として販売されている(ドイツのエッティンガー社やAMG社のそれを思わせる)オフィシャル・エアロパーツの制作販売、レース参戦車輌向けの競技用パーツの開発など、ホンダ・ブランドの「虚業」の一面を担当してきた。親会社のホンダが自らオフィシャル・ワークスチームを組み、西暦1980年代を一貫してF1世界選手権で戦い、連戦連勝を獲得するプロセスの中で、型落ちの親会社開発V10エンジンを委譲され、1992年の「フットワーク無限ホンダ」での年間6ポイント獲得以後、それを自ら改良、チューニングする形での二次的エンジン・サプライヤーとなる。"ロシアン山"一丁目(東京都港区青山一丁目)のホンダがバブル崩壊を迎えて企業体質の強化を図ることを事由に挙げながら、一旦F1の世界から完全撤退しても、無限ホンダは残り続けて、1996年度のモナコGP優勝、1998年のベルギーGPでの1‐2フィニッシュ(1位2位独占優勝)、1999年度における徐コンストラクターズ・ポイントおよび首席ドライバーそれぞれの世界ランキング3位入りなど、あまりにも強すぎる現在の競合ライバルたちがひしめき合う一角にあっても、無限ホンダF1は確実に強く、そして勝てるチームへと生まれ変わっていく……。が、話一転、巨額脱税疑惑により逮捕を受ける直前、テレビ放映された03/07/02昼前のニュース映像の中で、おぼっちゃん育ちが抜けない風の本田ジュニア氏は、いかにも"軟体系"の特徴である口ぶりによる開口一番、「いやぁ〜〜、ボクって生まれてきてから一度もおカネというものに困ったことがなかったし、会社は赤字続きだったりしていても、僕自身は別に何も……」の様子で疑惑への関与を否定するかのような、ユニークでありながらも慌しく焦りを感じさせる「一人語り」を、擬似的イタリア系な遊び人特有の、華やかで頭軽そうで一見ともすれば幸せそうにも映る退廃ぶり、心の空虚を時間の中で埋めるためのレースに専念しつづけてきた者だけが醸し出す、が、栄光の世界的な第一戦シーンでの活躍からは程遠さを感じさせるまでに幼児のような態度において、過剰なまでに日本的な同族系ピラミッドの中で息をしてきた人物らしい空気を、如何なく漂わせ続けていたのである。ある種、「ブラック・マンデー」以降のバブル崩壊劇の、規模の小さなrepriseさえも思い出させる一場面なのでもあったが、今後の国内外でのレース自体には大きな影響が及んだり、無限ホンダの企業体制が大きく揺らぐなどの事態は当面なさそうではある
チャージ・マツダ [ル・マン優勝マシン車体][レースクィーン][レースクィーン2][模型による再現][国内レースでの活躍] フランス・ル・マンでの恒例、24時間耐久戦は、他チームよりは、長丁場でのコンディションが問題だけに、むしろ自らとの闘いを課せられる試練のステージである。ベントレィ(ベントレー)、ジャグワー(ジャガー)、ポルシェ、メルセデス・ベンツなど、過去に数多くのスーパー・ワークス・チームが投入されてきている意味でも、ほとんどモーターレース好きにおけるモード・コレクション発表会にも似た、華やかで静かな、が、サーキット周辺では移動遊園地もオープンするなど、穏やかな家族連れでも賑わう、美しい世界的な祭典なのでもある。この、いかにも東京ウエスト感覚好みな、年に一度の長丁場レースに、RX7およびRX8に搭載されていることで知られるロータリー・エンジン技術を携えながら、大手アパレル・メーカーのレナウンがスポンサードを務めるマツダ・ワークス・チームが参戦、かつてあまりにも困難だったル・マンで、西暦1991年度にあっては、見事に奇跡的な総合優勝を収めている。当時のマシンおよびチーム自慢の魅力的なレース・クィーンの姿など、戦後昭和的な日本経済の"落日前夜"における、が、あまりバブルっぽさのない(後に広島にあって米フォード本社の完全なる資本傘下に収まる)地味系ローカル企業における大逆転劇は、のちのレース・シーンに於いても"伝説"であり続けている
ミネラルウォーターを求めて世界の銘柄を廻る [東京の"事情通"][フランス・パリ][ポルトガルの超軟水「ルソ」の水][アラビアの水マサフィ] マンジャトレッラおよびサン・ペレグリノのようなイタリア産のミネラル・ウォーター(無炭酸・炭酸の別がある)が珍しくなくない今日にあって、FLEX-J Webmasterは、霧島の水が国内産には珍しく、淡めでまろやかな口当たりの美味しさにより、他の採水地産との間で一線を画していることに気づかされていたりする。が、ミネラル・ウォーター専門のバーへでも行けば、はてはアラビア産などのレア物などいたるところの水が、コンクリート・デザート("東京砂漠"なる国内ヒットまでもが1970年代には見られた程)の上を往く、思い思いの旅人達の渇きに、束の間の一服の時間を挟んでくれるしおりのような存在として取引されている程なのであるから、ビジネスクラス指定UA/LH共通世界一周航空券(フライト・クーポン・オブ・"アラウンド・ザ・ワールド"は西暦1996年の米国の空港では依然として浸透していないのか、驚きを持って受け止められたり、ビジネスクラス指定特典などが係員によく理解されていなくて四苦八苦したりの連続攻撃)を使用しての旅行の実体験世界を経ても、尚、限りなく広いことは、マニアックなヘビー・ユーザーの動向に接しても納得されてくるというものである
光村図書・大人の為のリンク集 基本的にはお子チャマ向けだが、大人が閲覧しても基礎から楽しめる、ベーシックでシンプルで内容豊かなお薦めホームページの数々。文部科学省検定国語科教科書などで知られる出版社が提供するサービスだけに、やさしくて、おもしろくて、図説もバッチリ
イタリアン・ハンドブック〜カゴメ株式会社 おいしいイタリア料理のためには、まず水、それもイタリア産の水にこだわることが不可欠とのこと。ここでは、国としてのイタリア、イタリアを旅行する、ひとことイタリア語などの基本的なアウトラインは勿論、南イタリア・スタイルの食べて痩せられる献立による地中海式ダイエットについてもページを割いている
グランド・ハイアット福岡 恵まれた環境が提供される第一線のエリート・ビジネスマンたちの常宿の一つ、として、《ブリオ》にも紹介されていた、ミレニアム基準を満たした相応のシティ・ホテル。「帝国ホテル」「グランドハイアット」の名が出るだけで、だいたい、利用しているビジネスマンの、出身校偏差値やエリア、および企業ブランド、女性関係、年収、将来像、消費パターンまでもが、だいたい見当がついてしまうのが、エコノミカルな分野の恐さなのには違いない。他には、"癒しのステイ"感覚の人および"デラックスな旅行を好む趣味"、また、若干の"上昇志向"(そうはいっても、デーハー、ジャスゴー、エグゼクチヴーな筋の人々の持つイミテーション・ゴールドな感性への見栄講座的傾倒を示しているのに過ぎない)を感じさせる、各種のセレモニー関係の出席者筋などなど、西暦2003年度の「六本木ヒルズ」ブームから鑑みて、こちらのほうがむしろ大衆の趣味性を満たすコンセプトとして評価、大いに期待される。
ハイアット・リージェンシー福岡 世界的に著名な建築家、マイケル・グレイグスの手になる、まるで東京は牛込の小笠原伯爵邸を思わせるアラビア風のエクステリアで知られる内外装は、差し詰め、背徳の香りのするラスベガスのカジノ・ホテル・リゾートのそれを、ヨーロッパ好みの日本人の消費感覚に合わせて、高さ40メートルを超えるアトリウムの内装がイタリアのミラノ・スカラ座を思わせる全体的に端正なイメージへと微調整した印象。スーパー・モデル・ブームの前後から、アメリカとヨーロッパの間では、ファッション・アート感覚での価値観の交流が急激に進んできた経緯が見られる。所詮は単なるアメリカン・ホテルには過ぎない、西新宿のパーク・ハイアットの館内にヨーロッパのコマーシャル・アート感覚がふんだんに映しこまれているムードにも似て、とりわけ背徳的で挑発的な感性を愛するミラノ・マニアの感性の客筋(近代の30〜40代カルチャーにおける男系生活日記系の読み物としては稀代の迷著『ペログリ日記』における、主なるPGの"舞台"の一つ)には、概ね好評、とのこと。スッチー系一般職の方々も良いけれど、どちらかと言えば総合職系の独身系大卒勤労女性と、"フィアンセ"には内緒のデートで、お出かけするのが似合いそうな、今用の"シークレット・ハネムーナー"系のための、香港ムード好きのするリゾート・ホテルの様相。新幹線および国内三社のエアラインはもとより、スカイマークで飛んできても、お隣の国韓国きってのハーバー・ゲートウェイシティ釜山などへ、旧英領の香港から旧ポルトガル領のマカオへとジェットフォイルで移動するのにも似て、博多エリア的インターナショナルな顔ぶれにおいてメジャーな週末リゾートの楽しみになっているらしきプランをソックリ採用してしまう形で、、コリアン・エアーだのアシアナだのインターナショナル・ジェットフォイルのビートル号だのを利用して、焼肉グルメだのブランド・ショッピングだので訪れる"前日のステイ・ホテル"としても、勿論、旅の楽しみは満喫できるのには、違いあるまい。アーヴィング・ペンが撮影した廃虚的なコンテンポラリー系写真集『Still Life』における、きわめて集団幻想理論に忠実に基づいた共同性愛的な恣意的現代美術の配置図における、エロティックな"付け合せ"と共に置かれるようにしてエキシビションに供されているそれらとして、女性達によって欲望的に召し上げられ、資産としての肉体および人生を"喰われていく"男性の縮図を見せつけられるようなブイヤベースに浮かぶ無数の海老の甲殻のシーン、カキだのムール貝だののような食用二枚貝の貝殻の上に、緑色の小さな昆虫が止まり、美味なる貝ジュースの上でエキスを吸い含み、ピルのような医薬用カプセルに詰められた催淫剤とともに、そこにチップのように丸め込まれた百ドル紙幣が恣意的に置かれているような近代都市文明的で詩情にすら満ちている背徳性の昂ぶり、或いは腰のラインが軋む程にまで過度に締め上げられているコルセットによって拘束され、何も着けていない下半身がティーン半ば過ぎの少女じみてさえいる、が、恐ろしく存在感がありフィフス・アヴェニューじみた臀部を持つニューヨーク成人女性の姿を、背後からの眺めているシーン、無造作に女性器官を模してシーン中心に配置されたフランス的な日常の暗喩たる月型のパンが人々の明るくスキャンダラスな欲望を煽り立てるさま(FLEX-J Webmasterを愛し過ぎて、独身生活を止められなくなっている、或いは現実の男女交際にいまひとつ実が入らない女性諸君へ。FLEX-J Webmasterへの愛を捧げる"儀式"たるべく、きみらは一端、それぞれ自身の意思に於いて、空虚になって用途を見つけられなくなっているであろう美しき性器や子宮を、FLEX-J Webmasterを奉った貴女のこころの神棚にでも一旦預けてから、あらためて世の中に残されたそれぞれの身に関して、愛やセックスについての柔軟な意識を展開して見給え)など、近代物質文明が遺跡として発掘された空気感において示されるシガーの吸殻が並べられている様子など、人工と自然、愛と退廃、暗澹と欲望、永遠と一瞬、光と影、そして色彩の微粒子たちによって、鮮やかに、聡明な静寂を好色なる喧騒で埋めようとする心の化身として、醜悪さが美へと、鈍いけれども都市の感性に於いては何よりもかけがえのないアーティスティックなる影としての存在感において昇華することがありうることが、如実に示されている様相の一冊であるわけなのだが、然るに、そうしたニューヨーク・コンテンポラリー・カルチャーにおける同時代的な、が、ホテルであるがゆえの永続感覚が、時のトレンドの中に確かに凝縮されることはあるのだが、都市文明は墓標であるとのFLEX-J Webmasterによる預言にも似て、空虚であって退廃的である程に切なく美しい珠玉としての、逆説的な灰色の充足感が、アメリカン・ラグジュアリー・ホテルにおける、依然としてモダンに一線を隠すことをしないでいるミレニアム年式のポスト・モダンのアーキテクチャーの深奥、来場者の心のスクリーンの中で投影されてゆく。そしてそこに、劇場型都市論における往来者たちのサロンとしてのアメリカン・ラグジュアリー・ホテル本来の真骨頂が、見られてくるのだ
西暦1980年代〜ディスコ・バブルがユーロ系の哀しきシンデレラ・ビートに舞い躍っていた"あの頃" あまりにも挑発的な「ROLEX デイトジャスト」コンビ・モデルの拡大スキャンである(笑)。勿論、"自動巻き"(ロレックスにおけるそれは、パーペチュアルと言う)のしっかりとした製品。勿論のこと、決して、こういった99パーセントの確率で偽物めいた"代物"を販売・リセールしている訳ではなくて、当時におけるちょっとした男子学生における適切なディスコ・アクセサリーとして、しばしばテイク・アウトも可能なのである。基本として、当時の前・中期のディスコなるプレイスは、女の子が好みの、或いは妥当な男の子からの"誘い"を待っていた、"出逢い"のための場所であったことは、今更にして、言うまでもないことではある。そして、永遠の定番ともてはやされた、当時的なマスト・アイテムこそは、「ロレックス・デイスジャスト・コンビ」であった。勿論、文字盤の色に関しては様々にあり、サーモン・ピンク系やターコイズ・ブルー系を好んで使用していた若者達も少なくはなかった。"六本木のカローラ"などと呼ばれていたBMW3シリーズは、関税を含めるとトヨタのソアラ・ツインターボのフル・オプション装備車種もしくはそれさえも大幅に超える正規輸入新車プライスになってしまい、ナンパなる行為が割合に誰にでもできる男らしいイヴェントだった頃においては、直接六本木プリンスHや東京全日空ホテルのツインに行ってしまうかのような感覚のお二人さんは別として、ドライブ好きな女の子を仕入れるには、必須的「シンデレラの馬車・合格ライン級」などと呼ばれていた。が、「上京組・夜の社会科見学班」の面々も店内には数多くゾロゾロと、何をするでもなくうろうろしていたりして、黒服の女とも思われる驚く程に貞操観念の堅い都区内ブランド女子大生などを尻目に、FLEX-J Webmasterが相手に選んでいたのはズバリ、オネエサマ系。母親を無くして間もない上に、学校の成績が高校入学後から急激に下降線をたどってしまって勝れなかった頃、FLEX-J Webmasterはおそらく、(現在も、だが)二十代半ば以降から三十代くらいの大人の女性の温もりを、あまりにも渇望していたのかもしれない……
本当は城南・渋谷・原宿・外苑エリアの伝統的名門大名系領主の子孫だったりする、FLEX-J Webmasterが目撃した、セントポールの"池袋系"的青春群像と、海外ブランドの普及率についての考察……(「ジバンシィ」と「カルティエ」のカジュアルな愛用アイテムも図説にて公開) ジバンシィの「極大と極小」路線マーケティングは、純愛派の池袋キャンパス系だけれど、フランス貴族の現代的カジュアル・アイテム「マスト・ヴァンテアン」にも憧れてしまう。そして実務派も好むロレックスのコンビは露出趣味系の品川コンテンポラリー"ネオ成金趣味"のイメージ……。セント・ポール(立教大学)の池袋キャンパスにおける「海外ブランド関係における"実際"」と「腕時計」、そしてプロテスタント的なる純愛と結婚、そしてカトリック系の上智大学四ツ谷キャンパスおよび慶應技術大学三田キャンパスのOB・OG感覚には多少話が通じる、「ロレックスのコンビ」に関する奔放なエピソード。OGで外資系フライト・アテンダントのY・Mへの愛に気づかされ、はっとした体験をも嘘偽りなく端的に語っているくだりもあり
トゥーリア事件 〜 「東京都中央区佃の大川端にリバーシティ21を建設」した三井不動産と地上げバブルの舞台裏 [トゥーリア事件][大川端の「スゴイ屋上ビュー」からのライブカメラ]

東京都中央区佃にリバーシティ21なる超高層ラグジュアリー・マンションを建設した三井不動産の"地上げ部門"として名を馳せていた丸昌興産なる企業が経営していた、当時注目の大型ゴージャス・ディスコ。が、豪華シャンデリア落下による死亡事件(事件として検挙者を出した)は、"トゥーリアには本物のコンテンポラリー・ピープルはいない"のFLEX-J Webmasterの周辺ですら聴かれた噂通り、六本木の東京観光趣味な某業界的な電飾感覚が引力となって吸い寄せられていた、地方からの上京組だらけの似非社交場に過ぎなかった事態が判明するに及んだ。が、この事件を理解する為には、明確のかたちで価値観や社会構造自体が違っている時代別の区分、すなわち「1970年代」「1980年代」「1990年代」「ミレニアム以後の"セレブ・カルチャー依存における定番ブーム期"」に大別して、時代感覚の中枢にそれぞれある構造学的な社会世相理解を深めていかなければ、ならないことでしょう。

1980年代と1990年代、そしてミレニアム以後では、当サイト式流行学上では、時代別区分が、明らかに、根底的に、完全に異なっております。

1980年代とは、いわゆる利権主義者たちが擬似貴族主義をあぶなっかしく振り回しては、バブルの余剰資金をいかに美しく処理しようかを考えていたような、「あまりにも美しい、しかしていまでいうセレブ趣味を一応の手本とするブルジョワ優位主義的ではかない、それでいながら腐った果実を写実した世界的な都市文化の形をした油絵でも見せられるような、逆説的な感覚の時代でありました。

当時の流行文学は、それだけに、"オストラシズムを危惧する"などのパフォーマンス発言を前面に出しながら、自らも"混沌の1980年代をフィールド・ワークする"などと言いながらも、実は単純で平板なディスコ利権主義者に過ぎなかった、国公立大学に於いては明白な二流の末席の中のトップクラス大学なのだが、学閥の人脈が凄いことで知られているためにみなし一流校とされていたありふれた遊び人系学卒者らしいトレンド系コラムに至るまでが、文明についてのそれぞれなりのアイロニーの感覚に一貫されていたりするなど、プレミア外車や不動産、株式のブローカー、ディーラーなどの転売業者や、中高年エリートのリストラ解雇および重役ポストの首の挿げ替えがほぼ皆無に等しかった時代に於いて、親が「丸の内」や「○×物産」などの 財界首脳的企業などでの独裁的なポストにあって社内を実質的に属国化していたような、1990年代以降のCEOだのCOOだのの米国感覚の権限ポストが冠せられた人たちによる実務主義的な社内経営者会議とは明らかに異なる、限りなく僭主的でもあり、大学を卒業した子供に対して、擬似貴族化して贅沢主義、利権主義を極めながら、将来のアッパーミドル・ミセスを夢見る都区内の人気上位校からグループ下位扱いされやすくて、大学デビュー組もたぶんに含まれていたものの、中心メンバーは付属校エスカレーターの私大附属高校ブランドで占められていた都区内、それもどちらかといえば城南系の四年制女子大学(「品川系」とは清泉女子大学、「広尾系」はS女子大学、「表参道」は青山学院女子短大などを、当サイト上ではそれぞれに指しています)のお嬢様組、および当時最も「花形アナウンサー」「スチュワーデス」「大企業社長秘書」になりやすかった花形系短大短大組に至るまでの女子大生集団からの引く手あまたの誘いやモーションを受けながら、豊富な経験人数を華麗なる遍歴の一部のような顔振りで重ねながら、将来を約束(学閥的、偏差値ランク的に将来を保証されていたブランド大学の中にいれば、中心的なメンバーとして、早くから取り巻きが多かった)されていたような、そしてお約束通りに国を揺り動かす程の総合商社ブランドの中枢に、人事・派閥権限的なエリート層の中の一段上として、彼らはたやすく入り込んでいたのです。

そして、「トゥーリア」「エリア」「マハラジャ」を始めとして急速にブティック化する中で枝葉を増やしていったディスコおよびそれから先のブティックホテル群、そして当時大ブレイクを起こしていた「舞浜リゾートホテル群」および「東京全日空ホテル」のようなスポット、そして田中康夫のような悪い大人たちが背徳的にほのめかしていたような「帝国ホテル」「ホテル・パシフィック東京」などは、ビジネス・エリート層のディスコ時代における「ビジネス・エリート感覚を事前に実地で"研修"するための愛なき、されども異性関係までもがビジネス・ライクだった、めくるめく陶酔の世界」でありました。

FLEX-J Webmasterは、そうしたディスコに時々顔を出す感じでいたりして、田中康夫のそばにはいないであろう、それでいて学歴や生息地などにおけるブランドには恵まれていたり、努力家だったりした、当時のお姉様方からお声をかけて頂いて、自然と仲良くなり、そしてどちらかと言えば情報化時代の中にあって彼女達の方がより大人社会における消費メガ・トレンド上の主導権を早くから握っていたのではあるまいか、とも思われる手解きにもよって、感覚的な言葉を、まあまあお勉強も出来て女のコはけっこうきれいであって流行やお洒落にも目ざとくて才色兼備な、各地の公立高校上がりの都区内女子大生組やスチュワーデス、モデルの卵、実質的ランク意識に必要以上にかまけていたような「クリスタル族」的な見栄ピープル(何故か、「クリスタル属」系の、渋谷・広尾周辺人類の身近において、より棲息している感じの、無意識の渋谷・源氏山感覚の騎士精神的領民コードを精一杯に全うしようとしているようなメンズ諸君においては、何故かマスターベーション用の素材とされるような具までもが「クリスタル映像モノ」だったりしていたケースは多い)が集結していた品川系カルチャーにかぶれていたフリーのコなどと仲良く、彼女達のおごり半分(FLEX-J Webmasterのおごりの時にはブティック・ホテルがかなり多かった)でのシティ・ホテル利用は、(イマドキの言葉で言うなら)独立的経済力に恵まれている都区内OLたちの"癒しのシティ・ホテル・ステイ"に、原石的な感覚人類の男のコが、おしゃべりの聞き手兼スキン・マッサージ役兼夜のパートナー役として同行していた感じであって、彼女達においても、厳然として現在に於いても残る、(FLEX-J Webmasterの場合には高校時代から時々顔を出したりして、本当につながる電話番号をもらうこともあったりしていたなどの経験が、数的にはほんの一握りながらも、貴族主義的な油田権益持ちの人しか相手にされにくかった時期にあって、"素"のキャラクターで少しはモテていた過去は置いとくとしても)大学ランク別序列主義の一端でのビジネスを画策していた組半分と、フェティシズム、キャラクター、パーソナリティ、ムード、そして歴史など、パリジェンヌの女のコが彼女達なりの純愛の本気度の高さや優しさに遭遇しては、FLEX-J Webmasterにおける、判断材料あまりにも多すぎる状況にあっては特定的なチョイスができにくい感性にあって、大きな歓びに加えて(あまんじて"それ"については受け入れつつも)天からの試練のような戸惑いとをもたらしていたような、"そういう流れ"、なのであった。

1990年代は、実質的には1993年度以後から本格的に、既存の"価値観"を激変させる流れに落ちていき、一方では、インターネットが都市文明の中枢にあって、東京都の外のローカルにおける最先端ディヴィジョンをも巧みにリゾート・オフィス化させるようにして、全世界を一気に身近なWebブラウザー上の画面上へと動員、個人単位、個別単位を消費感覚やオフィス・メールの世界においてセパレーテッドさせることで、そこに、インターフェイスを通じた情報量や活用段階による実勢上におけるランクが厳然として出現するに至り、データベースの量や経験値、感性の到達段階の違いが、アメリカの情報工学系の大学の手になる巨大なサーバー群に集積されたマンモス・URLデータベースを経たりしながら、人々の間を結んだり、或いは個別に、国内社会にも劇的な普及を押し進めていくに至っていく。そして、この頃以降、有名一流大卒者の失業者が増える一方で、以前だったら日・東・駒・専および専門学校卒者が中心的に働いていたような巷の中堅ビジネス業態の様々においては、かつての一流系ブランド大卒者がより採用されるケースが続出、当時の族閥型の擬似貴族的な欧米サルーン・カー愛好的エリート層子女クラスたちを輩出してきた大学名は、現在では実力主義的な蟻地獄的なサバイバル・ゾーンへと転落している老舗企業ブランドに於いては実力主義的なコードにおいてほんの少数精鋭だけが採用される形で、残りの人たちにおいては過酷な就職サバイバル戦を戦い抜く上での(食いっぱぐれる確率だけは上位校になる程に限りなくゼロに近くなる意味での)心の支えとしてのブランドになりつつあるのであった。

が、しかし、柔軟に、人間容認的であろうとした1980年代の感覚にも、現在以降にも生かされるべき好ましい点は少なくなかったことを鑑みても、当時のディスコにも、上京組や大学デビュー組にもまじって顔を出していたFLEX-J Webmasterとしては、はっきり言うと、ただそれだけの、IT屋礼賛的なお話だけではツマラナかった、というのも正直な話、

IT屋のベンチャー感覚一辺倒によって、国内経済が海外並に合理化する大きな弾みを呼んだ。直接的にはITなる理工系の研究的な実用品商材が、リストラに深く関わったとの意見があるが、それ自体は嘘であり、リストラはそれ以前の世代による莫大な累積債務、馬鹿騒ぎ然としていた投機ブーム的空気に便乗してきたことへの自明的なる自己反省的な反駁、肥大化しすぎた旧構造の赤字体質への改革的アプローチとして推進されるものなのであるから、それはすなわち最初から最後まで首尾一貫して人間的な現象として、それぞれにおける内部的な自明の理なのであって、首を切った側の人間も第2次、第3次のリストラでは容赦なく整理解雇されていく時代において、元来欠員補充が不可能であり、しかも組織が機構不全に陥りそうになっていたところへの技術投入なのであるのだから、基本的にIT技術なるフィールドにおけるそれらは、以後に於いて崩壊寸前、麻痺寸前の企業経済をかろうじての円滑さを与えながらの、システム保全のためのツールでしかなく、そこに科学技術革命の論理を押し込んでみて、「車輪の下」を語ろうと試みようとする人間が現れたところで、それはそれまでの構造に甘える"大人な子供"の意見なのでしかなく、こういう時代における居場所を発見したいのであれば、それらは合理判断的に自分の才能、特技、興味、経験値などの方向性を持って、モジュールとしての自分自身を時代に有効かつ一定の範囲における生活所得獲得的に、ドッキング模索を繰り広げていくほかに方法はない、というのが、現在なのである。

かつての利権主義型官僚・企業エリート層的な派閥、癒着、合法的袖の下感覚の持ちつ持たれつの世界観は、しかして、都市工学の中枢に早くから根ざしていた情報工学によって、デート・スポット的にも"一見の価値あり"の、箱崎のIBM本社ビル的なネットワーキング・グローバリズムによって否定され尽くして、人事慣習およ能力評価の一切が「イントラネット・グループウェア」の上で行なわれて行ったがために、すべてが一律的に平板に、そして筒抜けにされてしまい、キツネやタヌキの居場所すら失われてしまうに至る、"トーキョー的喜び組"を囲むような生理学的人間工学唯一主義的で利権主義的だった消費感覚を尚いっそう発展、恒常化させようとして長い受験勉強に耐えてきたり、付属校エスカレーター世界の中での実技習得的世界に励んできた筈の、四年制大学的な偏差値エリート層における栄光の伝説は核弾頭の炸裂に匹敵する爆風によって吹き飛んでいった。

しかして、ITブームが一通り段階を経て過ぎ去りし頃、城南エリア感覚のオリジナリティを貴重にしながら、アメリカ的、そしてヨーロッパ的に普遍的であるところの"サムシング"を文化人類学的に(それが、伝統的名家における「分家」感覚を基準にしての、インターネット上でのトピックとURLの還元事業的に伝承される、伝家の感覚的価値観における、無難な情報の提供作業であるために、幾分、それが広くかつての渋谷・源氏山の領民向け基準コードに照らしても一般向けしすぎていたり、バブル的な遺跡的廃虚についてのリサイクル的な利用の提案になったりする点については異義を唱えたくなったり、残念に思ったりする向きはあるかもしれない、が、FLEX-J Webmasterにおけるキーワード採取的な定点観測活動は、格安豪華指向の強まる次なる長期的な「定番ブーム」とも呼ぶべきミレニアム以降の時代に於いては決して無駄にはならないものであるとの確信から、伝統的名家における自覚に乏しいベッドタウン分家の事情通としては、国内はおろか、世界を意識、無意識の別を問わずつき動かしかねない、「ノアの箱舟」的な大いなる文化事業(名家のメセナ)でもありうるとの認識に於いて、"オストラシズムの介在"のしようのない、自由自在なる地平に於いて、FLEX-J Webmasterのインターネットの文明と自然を探求、考察、そして時にしばしば問題提起さえもがなされることのある旅はスタートしたのである。

それは、単なる趣味の域を超えて、ミレニアムを予見させていた記念すべき西暦1999年に於いて、意図的に、実質性や価値、御利益レベルの段階に応じたクラス型のピックアップ評価が、厳選されたキーワード数が多くなればなる程に、普遍的な伝統的価値、歴史のフローに自然的に派生する、ナチュラルであって正当なるベクトルにも沿って、たとえば前述の『なんとなくクリスタル』についても、忌憚なく、日本の近現代史上における消費文化、風俗の擬似貴族的な商業文化が、ソーシャル・システムが依然として遅れた国のようであった日本に根ざして、爛熟期を迎えるに至ったひとつのピークの象徴的なキーワードとして、しばしば比類的に取り上げられたりもしながらも、それは厳然と旧時代におけるそれとしてのひとつの伝説でしかなくなっているのも確かではあり、当時と現在とでは若者を含む社会の構成者達を取り巻く時代の背景、構造、そして構造確信に伴って消費文化や企業社会におけるフローの脈絡さえもが挿げ替えられてしまったりなどの流れがあり、「派閥主義」が解体する中にあっては「厳然とした実力主義型の新ピラミッド」があらたなる社会の序列の図式として出現、企業は近代において日本よりも一足早くに構造改革を経験済の、海外からのビジネス・リーダー陣に、社内体制の完全刷新権限をGHQ並のそれとして委ねる形における参画を打診、快諾される形で、かつてなくラディカルで大胆な組織再構築や経営改革が進んでいくような流れの時代に移り変わっていった。

大学はいまや個々人のポテンシャルに応じた実力を磨くためのビジネス・スクールの様相に一変、コネクションの崩壊がもたらす、大学個々における(何らかの利権をバックにした遊び人がいなくなり、自給自足的な流れの中で真面目で信頼できるパートナーの獲得活動の一端もキャンパス内で見られるようになる一方で、誰も大学ブランドがもたらす福音に多くを期待しなくなっている漢字における)"リゾート・アイランド化を思わせる現象"などが起こり、また文脈的な流れにおいてバブルを肯定していた国内のトレンディ文芸界の流れは断たれ、敗北すればすべてが否定されてしまう時代の中にあって、バブル、そしてそれを背景にした(現在はスペンサー・マネーも激減して、まだ一部に残るリストラ再編経験済みの大口スポンサーによるコマーシャル出演フィー利権に、わずかに日本経済におけるニューヨーク感覚的繁栄の根拠を見出すことは可能な)マス・メディア世界での、当時的な有名人利権におけるバーゲン・セールに勝っていた田中康夫の中にも見られた、素地や努力によらないバブルを内心では好ましく思っていないけれども肉感の誘惑には負けてしまう、の感覚的な「朝日ジャーナル」以降の感覚の再評価が、当サイト上でまずもって起こり、すぐに長野県的な無党派層市民層の改革派グループと見られる人々へと"飛び火"、国内のバブルに際限なく拍車をかけていた若手ベンチャー好きのするトレンド・リーダー感覚に対して、かつての利権主義の後始末役的な改革派のガバナー職を委ねるラディカルさは、使えるものはネコでも使うFLEX-J Webmasterにおける"遺跡再利用感覚"にも似ているような気さえして、あまりにも奇妙な、しかしそれが全国的な大いなる政治潮流に発展してしまう時代の激流を前にさせられたりもするあたりは、依然としてリストラなき幹部エリート体制が続く"擬似的メトロポリタン独立都市国家"利権に沸く都営地下鉄大江戸線「都庁前駅」感覚の変遷やあり方を市民感覚的にチェックすることを続けている、インターネット上における個人的なトレンド文化寄りの文化人類学者であるところのFLEX-J Webmasterにおいても、きわめてユーモラスにして、ユニーク、そして驚くべき程に、真剣に、国内ステージの将来を心配している、インターネット時代の広く一般市民利用層における相互に匿名的な「ネット・オークション全盛時代」にも似た激流が、そこに生まれた結果としての所産だったのではあるまいか、とさえ、思われてしまうのである。

しかるののち到来したミレニアム以降の時代にあっては、当サイトが海外のコンテンポラリー系貴族文化おおよびハリウッド・スター系のカルチャー感覚からのフィードバックをあらためて、自らにも深く関わる渋谷・源氏山、港、世田谷、大田、品川北部にかけて、の伝統的名家世界にも古くから目撃されてきたそれらにも一連のものとして、口火を切るかたちで「セレブ・ブーム」が巻き起こることになった。

そしてそれが、逆に在京の、城南山の手系の草の根参加趣味的なコードを好んで採り上げている性向の同世代プロデューサーや企画ブレーンたちなとに波及した結果として、コンテンポラリーな歴史の中において選ばれた者としたの「セレブ」の概念は、一気に国内全体に、かつてのクリスタル族ブーム、とは近似であって全く異なるそれとして、遅れているようでいて実は、モダニズム年齢的には50歳以上は先に年老いているヨーロッパの文化において、貴族の称号を与えられていたり、彼らの周辺に存在する新興階級的なブランド商人達の間に於いて習わされている普遍的な文化の翻訳が、FLEX-J Webmasterが個人的に企図として西暦1999年から試験的に開設しつづけてきた『セレブのための厳選リンク集"CyberGIRL"』のテーマ性、コンテンツ感覚からの、他メディアへの移植・導入も進み、間接的にではあれ、本サイトにおいてFLEX-J Webmasterとの共同制作参画者である、ロシアンブルー将軍のdolaさんおよびキャット・マリンコープのmacさんなる二名の外国種ネコたちによるニャンコ空軍との草の根共同作業的なるサイト構築ディヴィジョンからのフィード・バックが、一般に向けても還元的に進んでいったようなのでもある。

が、そしてそれ以前、1980年代における「クリスタル族ブーム」とは、「セレブ・ブーム」以前にあって、明らかなる似非の、イタリア系クォーターのトレンド好き、女性雑誌好きの男子大学生が、東京の都区内および首都圏、関西圏全域において、トレンド作家・田中康夫の肩書きの友人的な存在として出入りしては自ら勝手な亜流となり、情報と1980年代的なマスコミ(利権主義的なトレンド・ピーブルの多くは実は在京のテレビを忌避しながら、写真製版印刷の特徴を生かしたレイアウトの粋を凝らしていたファッション・ライフ誌に大きく傾倒していた)に根を張っての利権主義とを武器にしながら、某開発途上国における『喜び組』愛好層感覚そのままに、あまりにも身勝手に、高いものを人間的には安いのにコピー・ライティング感覚には長けていたある種のイタリアのブルジョワジー詐欺師らしい利己主義者のスタンス(中枢にいた若者系トレンド・ライターの田中康夫は、イタリア人の血を四分の一だけ有するクォーターとしても知られている)でのみ記された、大衆的消費文化的なコメンテイターの地位の周辺で顕著だった、六本木での遊び人長老格であり、ブーム口火である特定の若手遊び人ライターの座の周辺で起こり、イタリア系のお祭騒ぎ的感覚によってよく訳がわかっていない多くの同世代の人たちを都心の夜に招き入れるなどしながら、ほとんど全国の大衆における一般的通念からは離れすぎた、基本的にはテレビ社会的なやらせの一種としての感覚に相当する、「トゥーリア事件の顛末」にも、現象における空虚な実勢が如何なく現れている。そしてそれは、一種の贅沢消費ブームのファッション化のフローそのものに如かず、なのである。

のちにFLEX-J Webmasterの世代にはかなり見られていた、有名商社ブランド族閥的な有名ブランド校の大学生たちによるトレンドが崩壊、FLEX-J Webmasterの文化人類学的な東京探訪の足が「日本橋」「日比谷・有楽町・銀座」「品川・台場〜東京ウォーター・フロント」へとシフトするのに連動してくるようにして、かつては慶應系の遊び人大学生カップル達で賑わっていた品川〜横浜〜湘南コンテンポラリー・エリアにおいて、「ホテル・パシフィック」「帝国ホテル」を根城に、オジサン新聞向けの政治コラムにシフトして細々と執筆活動を継続しているのに過ぎない、かつてのトレンド・リーダーにおける"似非"(えせ、と読む。偽物の意)で底の浅い、コピー・ライティング的な国際的文化理解レベルの感覚表明に長けた人々をして繰り広げられていた、一つの大衆的な消費ブームにも過ぎなかったのである。

ただし、そうしたコアへの偏見なき正当なる理解なくしては、この国が置かれてきた世界経済史の一翼的なフローや、それらの時代にあっても正当なる良質として培われてきていたものなどについても、再評価の上でも見落としが多くなってしまう可能性が危惧されてしまう。

そこで、本来的には忌むべき、東京都心における情報経済拠点的な貿易都市における肥沃な地の利にあって、見栄張りで背伸びしいな人たちの足跡にも、より良きプレミアム・スタンダード・チョイスの上でのキーワードを丹念に探していこうとする流れを、あえて恣意的に、FLEX-J Webmasterは、ミレニアム以降の「セレブ・ブーム」へのフィードバック材料として、丹念に再取材していたりする訳でもある。

そうはいっても格式ばることに古めかしい違和感を感じ続けることを、モダニズムや合理主義にいち早く魅せられていた一族として、世代を超えて近代における普遍的な一族的討論テーマとしていただけに、堅苦しさからは程遠い、渋谷系清和源氏らしい感覚での、城下との親しいリアルタイム共有感覚においては、むしろ1980年代当時の「広尾」系のキャンパス周辺カルチャーは至極身近な風景でもあったのと同時に、そこに集まっていたアプローチ男達が繰り出す爛熟しすぎていて過激すぎた、内実を伴わないパフォーマンスには、むしろ「お上品な下品」の典型を見せられている側面があって、あまりにも安っぽく、偽の貴族主義が城南エリア一帯で跋扈していたことを、光源氏の流れをDNAの上において汲むFLEX-J Webmaster的には、好ましいと思ったことがほとんどなかったのも、事実である。

そして、「クリスタル族」が産み落とした数々のトレンド・ブームにおける"昔、すなわち1980年代"感覚の遺跡を始めとして、それ以前の1970年代、そしてそれ以後の1990年代、或いは国内にほとんど紹介されることのない、海外のセレブ文化に関すること、昔におけるジャルパックがけっして行かないであろう、レアな、逸品系クラスの、リゾート的な文明ならびに自然資源の名前、忘れられた過去の名作ブランド、隠れた名店、国内外のコアな政治的或いは世相風俗的なキーワード、てまではほとんどの人が振り向かなくなった昔のヒット・アイテムなど、が、しかし、それが一部の人々の心においては現在でも求められるトピックであったり、あまりにも小さくて時代の外にあるようなアイテムであっても、個人主義の時代における人々のマニアックな心の時代における消費活動の中で意義があり価値をもつものであるのであれば、そこにはたとえば「YAHOO! オークション」および「楽天市場」的なる全国区相手のレア物通信販売の、新品および中古でのニーズが生まれてくることは間違いのないことなのであり、【落ちてきている旧産業関係者が蟻地獄の中の突き落とされた格好になって何か意味不明なアメリカン・スラングにも似た言葉を取り乱した感じで口走ったりすることが稀有な倫理観で動いている業界では悪足掻きのように見られる一方で】以前よりも大人の社会の、とりわけ昔から変わらず過不足のない中庸なアッパーミドル感覚に満ちた人々の間は、静かに、なおかつ、お行儀がよくなってきている1990年代以降においては、そのような人々における、感覚的な探求型サイトでは、かつて全盛を極めていたアナログ系情報インターフェイスの極みであり、正当性や聡明さを基準値にし続けてきた「紙媒体」の感覚は、人間的なインターフェイス上での各種の必要な訴求を織りなしていく上での、必須の、そして至極当たり前の、紙媒体、すなわち古代中国やパピルス以来、人々の間で用いられている古典的情報画面としての紙が醸し出すアーティスティックなフェティッシズム、情緒的な感性を、IBM的なコンピュータの画面の上に映る、テレビ画面っぽい文房具感覚の中にも、努めて再現していきたいとの想いが、FLEX-J Webmasterの内には、ずっと長い間、強くこみ上げてきていたのである。そして紙としてのインターフェイスやデータベースの利点を、ITバブルにおける利益獲得戦争的な主導権争いからも離れた、東京の中でも群を抜く歴史を有する伝統的名家の、今は亡き本家の穏やかで豊かな生活シーンに、長らく直接的に出入りしながら関与していた「分家」生まれの、しかして学生時代から海外ブランドや東京トレンド、サローン感覚、国際的な感覚に通じ、昔はそれなりに異性との交際のチャンスにも恵まれてきている、個人のプライベートなオフの日常の上での必要な、有意義であるべくこれからの生活ノートとして、残しておくべきトピックを丹念に再取材したりしてテキスト・メモ化してみたり、デジタル・ズームカメラによる意外な柔らかな光線や粒子によるフォト・ショット感覚が、かつてのコンタックスRTSおよびライカなどが映し出すコダクロームを思わせる、欧米クラシカル的な感覚にも程良くマッチして、記録媒体的に、都区内の各エリア別のライフ・スタイル上のドラマティック・ヴィジュアル的シーンを語り残したりしながら、今様のサローン感覚につながるあらたなる時代的ヴィジョンの輪郭線を、このサイト制作の足跡のさらなる上に見出していきたい気さえしている。

個人主義の時代は、マニアックなフェティシズムやパート別の分野感覚や好み、本人が有する感性などにも相乗して、たとえばミレニアム以降のFLEX-J Webmasterが、国内や海外において、個人的な「サガン族」(注※ 同名のJリーグ系サッカー団体の組織呼称とは異なる、フランス文学世界に現れた、1950年代以降の話なのに、現在の国内にあって、FLEX-J Webmasterおよびニャンコ空軍の愛嬌たっぷりな血統種舶来キャットたちが繰り広げているようなそれ。

ちなみにFLEX-J Webmasterが感情移入しているキャラクターは、『悲しみよこんにちわ』のヒロインである娘における「父親」)の種子を発見するような、地震のライフ・スタイルとの間の相互に円満な形での実地調査を、近年には行なっていたり、それ以前には、「失われた世代」的な、パリ文化や帝国ホテル系統の都市の社交場的ラウンジに"焦点(フォーカス)"を合わせる形での、ビジネスクラス利用世界一周周遊航空券の旅および、パリ・モードが"意外"にして"身近"な形で華やかなハワイのホノルルおよび香港セントラルの世界、そして日比谷界隈から横浜、幕張、或いは湘南から西伊豆、静岡、中京・近畿エリアにかけて、シティ・ホテル系のラウンジおよびビューを追い求める都会の中での旅などを、田中康夫というよりは、渡辺淳一、松任谷由実および浅野ゆう子を彷彿とさせる感覚において、行なってきたり、集英社系の人気作家が繰り広げるような僻地的なリゾートへのヨッティングとも言うべきクルージングの"冒険の旅"を行なってみたりと、FLEX-J Webmasterの旅は、過去に制作した1990年代的な『FLEX-J Online』から、ミレニアム以降の『CyberGIRL』へと、ステージやコンセプトを鋭意、微妙に変化させたりしながら、よりコンサバティヴであり、反面ではアヴァンギャルドであれるように、そして華やかな時代を、控えめかつ少し抑え目な堅実主義的に経てきている者として、ハッピー・エンディングをいつの日にか悔いなく迎えられるようにも、1960年代の末から始まっているFLEX-J Webmasterの人生の旅は、いっそうの芳醇さと、成熟化、アグレッシヴな若者的な前向き感覚、そして成熟主義的な時代の諦観とを備えてきている。

誰の眼から見ても十分に素地の良い、が、バブル崩壊後にあっても安易な似非的な量販廉価感覚にも動員されることもなく、、それだけに上質なシンプル感にあふれていて、当然のことながら味わいの深い、ロシアン山(東京都港区南青山)は神宮外苑エリア感覚をDNAの中に刻み込まれている旧領主型の隠れメイン・キャラクターの主要なる一人(!?)としての、コンピュータ文明世代的な、そこに何気なくフツウの頭脳的であってメディア的である便利な実用ツールであるパーソナル・コンピュータ、およびインターネットと、そして普段の日々にあって、明らかに文系型のFLEX-J Webmaster的日常との間を結ぶ、コンテンポラリーな都市的モダン装置との"蜜月"的であって、温度差をつめるための人間的で文学的、絵画的なライフ・ワークを、首都圏の一角におけるベッドタウン衛星都市在住の感性をもって、飛行機や船好きが有する特異な文明間移動生活者的なエトランゼ的なる感性とも連動しながら、非常にのどかであって、なおかつ案外にトーキョー(東京都世田谷区の京王線と小田急線の間にあるエリアで生まれている。詳細は『FLEX-J Online』を参照のこと)生まれらしいスタイリッシュな感性をもって、このサイトの制作についても、非常に個人的な時間感覚にあって、当分は鋭意続けられていくものに朕がいなさそうなのではある。

が、それにしても、テレビ・ニュースに眺められる、"永田町におけるオストラシズム"は、プライムミニスター小泉出現以降、しばらくの間は影を潜めているようです。が、FLEX-J Webmaster的に眺めると、「公共三事業の改革」が軌道にのっている現在にあっては、すぐに次の新たなる課題に政治が柔軟に対応していけるように、むしろ政府は新陳代謝を促進する上においても、既にまごうことなき平板であまりにも安いパフォーマンス主義者の一人然として、いまや堂々たる開き直り僭主の一人に過ぎない、プライムミニスター小泉氏のような人材を始めとして、一つの座に必要以上に長く居座ろうとする実力者達を、われわれ国民は常に冷静に監視しつつ、随時偏見なき厳格なる採点を示しつつ、排除していかなければならないのではあるまいか。財政再建のために高齢化社会やバリアフリー化、バラエティに富んだ雇用の創出化の理念を犠牲にしない、次なる必需的国民的トレンドの実現化を担える、次なる人材候補の選定を、政府もだから、そろそろ、抜本的に開始し始めても良い頃でしょう……
大学校舎建設反対運動なるプラカードが建ち並ぶ原石的なる本州最東端リゾート地銚子に、今年最初の首都圏の夏を探すキャット・マリンコープのリゾート・ドライブ2003 [1][2][3][4][本日のレシート] 銚子リゾ・ラバ・ドライブの定番コース、銚子有料道路は、しかして、走行区間において経験してみてもいいかな、程度のいかにもなパシフィック・コースト・ハイウェイとは若干、景観の趣を異にしているルート。ほかにも、割合に「リゾート地としての銚子」関連情報についてはまめにピックアップを行なっている当サイトでもまだいくつも未紹介の"ドラマティック"なスポットをいくつも残していたりはするわけだが、初紹介の「メロン農場」のほか、約9kmの海岸線に渡って壮大な断層ビューが続く「屏風ヶ浦」、砂丘の上に浜木綿などの一面の花々が咲き乱れることでしられる「波崎砂丘植物園」、フィッショーマンズ・ワーフの銚子版であるウォッセ魚介類即売センターに隣接する展望台「ウォッセ・ポートタワー」、海辺の丘の上の白く美しい建築物として知られる「地球が丸く見える丘展望台」なども残されているし、源氏が足跡を残して今日に至るまで奉られている歴史的記念碑などもあり、週末の極上"岬"系マリン・リゾート地のひとつとして、まだまだ掘り下げてみたいプレイスではある。今日(西暦2003年6月29日)の午後、FLEX-J Webmasterとキャット・マリンコープのmacさんを乗せたクルマが最初に訪れて、そしてあえて漁港隅の細い路地裏にまで迷い込み、クーラー効き過ぎの車内から降りたりしながら、自販機で「ヴィッテル」を購入したりしていた、あまりにもフランス印象派系の絵画的な眺めを楽しめる「一の島灯台を含む銚子漁港エリア」、そこから再び走り出し、「東映映画」のオープニングのような岩場の海岸を横目に文字通りの"パシフィック・コースト・ドライブ"、そして、それなのに北フランスの小粋な海岸リゾートを思わせる「犬吠崎ビーチ」の無料駐車場でクルマを一旦停め、犬吠崎灯台方面を望んで距離を開けるように引き気味で座る方が眺めが楽しめることは記すまでもない、すでに出来上がっているカップルの片割れが連れにベッタリと甘えているような一角に静かに腰を下ろした。すると、灯台に程近くの最も小高い丘の上に建つ、ヨーロッパ感覚風のエクステリアを誇る、「スカイライナー」でしられる大手電鉄系資本「京成電鉄」系列の銚子京成ホテルが美しい。そして、美しさでは首都圏エリアのビーチとしてはピカイチな沖合を、クルーズ・ダイヤ上の夜間に通過した、超豪華リゾート・フェリー「太平洋フェリーいしかり」による仙台〜名古屋線での旅なども思い起こしたりしながら、再びクルマは走り出し、今度は灯台の周りを周遊走行しながら、折り返すように銚子京成ホテルの無料パーキングへの誘導路へクルマを滑り込ませた。観音崎京急ホテルの感覚に近い、首都圏の外れ、千葉県の最果てに位置するプチ・リゾートであるが、大衆的な"温泉営業中"の案内看板として裏腹に、現地での高級リゾート・オーラ式の凄まじさがなかなか激しく、最初に入るには、国内外の他所の超高級リゾートとされているパック・ツアー受け入れ日本人旅行者拠点の"名所"の数々よりも威圧感があるほどで、対向車に乗ったローカルのマダム風の女性などはまさに「私はセレブよ」のようないまどきなフレーズでも口にしそうな風情の顔つきで、周囲を威圧的に睨みつけていたりする程であった。世界共通基準でのホテル・グレード的には"三ツ星"相当、現地感覚においては「セレモニー用ホテル」として、それ以上のプレイスがないことからも"ファイブスター"相当の威圧感があった。元来、下町資本の京成電車系のホテルなのだから、基本的には庶民感覚の大衆ホテル感覚であるのが普通であり、銚子一帯ではそうあるべき筈ではないか、とも思われる。が、歴史的に源氏の英雄の姿が確認されるヒストリカル・プレイスの意識感覚は少しきつめのスノビッシュであることが大半であり、現在における清和源氏界最高ランクの若きプリンスであるFLEX-J Webmasterにおいて記すのは奇妙なことながら、冷徹な清和源氏のクール主義こそがそこを極上の都市或いはリゾートに変える、の意識が一点張りの感覚が流れているケースが多いのは奇妙ですらあり、ことリゾート・ホテルに関しては上質のリラックスこそ求められ、都市的な硬さやスノビッシュの数々は一切必要ないファクターである、と感じている、クールで真っ当な旅行者としては、クール過ぎる側面をリゾートにはしばし忘れに行くというのに、[二級の都区内在住有名源氏ファミリーのマダム・キャラの真似でもしているのか]一流リゾートを考え違いしている入りにくさには奇異を感じざるを得ない。温泉種が「塩泉」の、きわめてオーシャン・フロントらしい、1960年代の外観のリニューアル施設で継続している印象)の、フロントの床材に大理石を使っていたりするなど本格的な(いかにも女性、とりわけマダム層が好みそうな)アメリカン・クラシカル・スタイルによるリゾート・ホテルにおける、屋外展望温泉「石組み露天風呂」や、白い灯台が見える屋上プール・サイドは、いかにも東京都葛飾区あたりの京成電車沿線から、押上・銀座経由による都営地下鉄線乗り入れにより品川系有名女子大学へ合格していそうな雰囲気の若い女性モデルたちによる爽やかなヴィジュアルと共に、オフィシャル・パンフレットの中でも、本格的地中海スタイルによる女性向けリゾート施設として、海の色もコートダジュール系のそれとして、("九月第一週の休み明けあたりが最もお薦め"という意味においても)素敵に映し出されていることは、まったく言うまでもない。近年の国内リゾートでは、国内外ブランドによるステーション・ワゴンによるドライブが流行り出していて、とりわけ輸入車3ナンバーのラージ・モデルはよく見かけるようになった。FLEX-J Webmasterは、京成ホテルにおいては、海の眺めがあまりにも詩的できれいな1Fのカジュアル・フレンチのダイニングで、銚子漁港産の食材をふんだんに使用した「海老と帆立貝柱のクリーム煮」を軽食としてアラカルト感覚で頂き、付け合わせとしては、房総半島が地中海風のマンダリン・オレンジの産地であることにもちなみ、天然オレンジジュースを軽めにチョイス。運転があるのでワインをセレクトできなかったのはきわめて残念だが、クールダウンしつつも程よくリラックスした気分で帆立貝柱をフォークでつまみ、ナイフとフォークで海老の皮を丁寧に剥いたりしているFLEX-J Webmasterの姿を見た海辺に一番近い窓側の席に座っていた若いOL風の二人組のうちの一人から熱く誘惑的な眼差しを頂戴するや、それにごく短い瞬間ながらかけひきっぽく(けれども、勿論基本的に優しさを忘れず)"応戦"してあげたりするなどして、夢のようなアイ・ポイントからの極上の眺めを頂きながら、楽しいひとときを過ごした。そしてVISAブランドの銀行系カードによりお支払いを済ませると、早めにホテルの建物から出ると、キャット・マリンコープのmacさんをケージから出して、眼下に広げる丘の上からのオーシャン・ビューの、地中海ブルー一色の大海原をしばらく観賞させてあげたりしつつ、以前はニャンコ空軍のdolaさんと共に白いフランス製のジェット・ヘリによって上空からの眺望を満喫している銚子リゾート・エリア一帯における、次のお立ち寄りスポットとして、会員以外の立ち入りお断りの「銚子マリーナ」そばのパーキングへ。立ち入り禁止とは言っても、このマリーナからはこのシーズンには連日「ドルフィン・ウォッチング観光船」が発着、ハーバー・インフラの市民還元という名の"免罪符"的パフォーマンス行為をも巧みに採用しているあたりは流石でもあるのだが、今回はイルカ・クルーズには乗らず、代わりに、京成ホテルのリーフレットも紹介している、以前にやってきたこともあったりするマリーナ海水浴場の眺めにあらためて邂逅、有名な「犬岩」や「屏風ヶ浦」も遠からずのビューは、夕刻になっていたせいもあり、ロマンティックで素晴らしい。そして、帰り道は、往路の利根川沿いのリバーサイド・ビューの素晴らしい国道を、サンセットの大空での日没を追いかけるようにして走行、リバー・サイドでは、バイクのカップルが下車して眺めていたりした、マリン・ジェット(ジェット・スキーとも呼ばれる)牽引による水上スキー(ウェイク・ボード)のプレイが繰り広げられていたり、沿道途中で成田市内を走行することから距離的にも至近なナリタ・アプローチの747の姿(往路にナリタに立ち寄るコース・プランもあり得る。が、FLEX-J Webmasterとしては、筑波山、つくば市内に科学万博のパビリオンの名残のように残されている人工衛星などの見学施設群、或いはシャトー・カミヤ、或いはナリタを更に南下して川村美術館だの歴史博物館だののスポットを紹介したいところでもある)を眺めつつ、すっかりとリゾート・コースとしても定着している銚子からの道を、ひたすら営団地下鉄千代田線沿線でもある柏・我孫子方面へ向けて、少し涼しくなりすぎた車内にいて、電波が弱いJ‐WAVEから流れるヘンリー・マンシーニの"気分にピッタリ"の名曲『ティファニーで朝食を』のテーマ(注※ オランダの貴族子女の流れを汲む女優としてアメリカはニューヨークのリー・ストラスバーグのワーク・ショップの門を叩いた世界的女優オードリー・ヘップバーンがギターを奏でながら唄った有名な「ムーン・リヴァー」ではない、当時のセレブや富豪、ファッション・ピープルたちの穏やかな日々をエレガントに包みこむような貴族的な美しさのアメリカン・ラグジュアリー・ストレングス・スタイルのムード・ミュージック系インストゥルメンタル・ナンバー)がかかったりして、それは、1970年代、しばしば親のクルマに乗せられて羽田や横浜へと、海外文学研究者として渡欧する聖心女子大学卒で文京区本郷にあった大名家の孫娘でもある祖母の旅立ちを見送る為に走った、首都高速道路小松川線における箱崎からの隅田川の眺め(※当時はまだ湾岸線も未完成)や夕焼けを想い出させるものであった。制服を着る学校に入るようにでもなったら、女子の同級生を甘い"遊び"に誘いこんでHなことを教えてみたり、大学に入ったら綺麗で素敵なオネエサン系の中から将来の自分のお嫁さん候補を探し出そうなどと、発展的な真面目な展望とも併せて、小学生低学年ながらも(早くからモノクロのテレビを子供部屋に与えられていたりしたためにテレビの深夜放送および海外の大人っぽいお色気映画などにも詳しくなっていた)ちょっぴりおませな、当たり前のライフ・スタイル・ヴィジョンをイメージしたりしながら、アノ頃のFLEX-J Webmasterにはまったく、怖いものの痕跡すらもなく、山の手系少年らしいハイセンスな気丈ぶりの極みであったことは、現在もあの当時とさほど何かが変わってもおらず(ただし、美智子皇后を皇居でレクチャーしていたこともある、件の祖母・三橋敦子女史が今は亡き存在になり、母もいなくなり、決して望んでいる訳ではない父親との、不況下における相互型のパラサイト・シングル生活になっていて、妹は都区内で教育職の区役所職員として勤務していたりする程度の変わり方であり、FLEX-J Webmaster自身に何か格段の違いが見られている訳でもない)、いたって淡々とした日常を、昔から妹同然に可愛がってきた親友系のネコたちとの生活が、スタルクやライトのチェア類、デンマーク製のデスク・スタンドが置かれた2階の二間続きのプライベート・ルームや"ニャンコ部屋"での息抜きをしたりしながら、淡々とした日常を過ごしているのにも過ぎない………
銚子メロン 日本農業賞なんぞを受賞している今、もっとも旬にのっている、"デカメロン物語"ならぬ、果物の世界におけるメロンのトレンド産地は「銚子」。低農薬有機栽培、ミツバチによる自然交配などを"うり"にしているようであり、年間を通して夏季にはひんやり冷やすと美味しい甘めの品種が、そして待望の秋にもなるとマスクメロン高級種 『アールスメロン』がの収穫時期を迎えて、時期になると生産地周辺の道路沿いではとれたてメロン即売所が現れたりもしている。夕張メロンに強力なライバル出現、のようである
東京湾の野鳥観察スポット [行徳野鳥観察舎(野鳥公園)][三番瀬][東京港野鳥公園] 海辺の風景として素晴らしい市川市〜船橋市にかけての三番瀬は、東京湾に数少なくなった天然の湿地帯であり、野鳥の楽園である。が、いまや埋立地の多くに空き地が目立っている時代に、あらたに、この場所を狙い撃ちするかのようにさらなる埋立計画が進んでいるのだという。双眼鏡を片手に野鳥を観察するかたわら、青い空のシルエットに浮かび上がる近隣のウォーターフロント都市群の光景を眺めるのも、聡明で近代的な都市生活者における心の余裕、自由なる生活において束の間の心の洗濯をするのにも最適であり、何も年齢を重ねてから、ムード・ミュージックが似合う生活形態の中でそういうことを始めるのであれば、当たり前、であり、反対運動も盛んになっている折、が、いつまであるかわからない身近な自然の宝物だけに、干潟でののんびりとしたバード・ウォッチングに関しても、まだしばらく先に世の中に船出するであろう立教大学の若き後輩諸君あたりにも、仲間連れで、或いはカップルで、のびやかに、論より証拠、まずは出かけてみなさい、きっと感動できるから、と、伝えてみたい程であるのだ。そして行徳野鳥観察舎は、1980年代の『POPEYE』フリークなら知っている田中康夫・現長野県知事(軽いショートショートのようなものも記すトレンド・ライターとして、一味違う老舗指向の滋味系デートガイドを長らく執筆していた人物である)が、東京都武蔵野市吉祥寺在住当時には、共に井之頭線に乗っていたであろう、出身共通の成蹊大学系マスコミ企画サークル『ホイチョイ・プロダクションズ』あたりに丸投げして書かせていたとも"まことしやか"に噂されていた『東京ステディ・ドライブ案内』なるソフトカヴァーの流行書籍の中でも紹介されていた、営団地下鉄東西線・南行徳駅程近くの、隣に宮内庁の鴨場があることでも知られる干潟公園「行徳野鳥公園」の中にあり、無料で、バードウォッチング用の双眼鏡等も利用できる好ましい自然保護施設。そして、整備されてからまださほどの時間を経過していない東京港野鳥公園は、元々は大井のコンテナターミナルの一角になる予定だった場所がバード・ウォッチングの名所になり、のちに国内外に知られるようになった、きわめてシドニー的な巨大近代都市の片隅における心安らげるささやかな天国系スポットの一つ
アンディ・ウォーホール アメリカは20世紀のルネッサンス繁栄を、マンハッタン島のほんの僅かな面積の小さな島の上に、天高くそびえるあまりにも巨大なモダン・アートとしての大空の回廊、ローマ文明で言うならマルトラナ教会礼拝堂などにも歴史の激動が高度な美術、造型の感覚と共に反映された街パレルモ、ユネスコによる世界遺産の歴史地区にも指定されているルネッサンス発祥の地フィレンツェの街並み、そのウッフィッツィ美術館に見られる時の天才的な職人的芸術家達の人間美的繁栄意識の投影模様ドジャース・スタジアムを思わせるいにしえのコロッセオの熱狂、スカラ座のオペラやトリニティ教会を思わせるドゥオーモ、ガッレリアでの予算に限りがなければきっと華やかなこと限りなきアーケード内でのブランド・ショッピング、そしてわが国の東京だったら差し詰め西新宿のニューヨーク・グリルを思わせる新鮮で美味なるカリフォルニア・ワイン系のイタリア料理、そしてイタリア・ルネッサンスの繁栄を陰で支えていたユダヤ人銀行家の末裔とも言うべきニューヨーク財界の巨大資本群の創業者イメージなどなど、大西洋を越えた新大陸に於いて、イタリア地中海文明の復活が起こったかのような状況は、現在においても、ルーティン・ワークの空気を孕みつつも"全くのいつも通り"に続けている。そしてアメリカ合衆国における産業と政治を頂点で握っているロビースト母集団であるところのシオニズム・ライクな空気の中にあって、マン・レイ以上に「ニューヨーク工業的科学文明」に魅了されていたのが、アンディ・ウォーホールであることは疑う余地すらないことであるだろう。若い頃には漫画雑誌のスーパーマンのイメージを追いかけていた無邪気な少年は、後にニューヨークにおいて稀有な現象として見られた世界最先端の先進工業国文明における物と人の構図に関する考察スケッチを、独特の天才的な視点において追いかけ、そして世界において絶賛されるに至った。まるで近年の上野界隈から出現して西暦2003年度のルイ・ヴィトンの新ラインのデザインを担当したオタク系アーティスト村上隆じみた話のようだが、ウォーホールの、無声映画的な古典的空気の中に、動的でエネルギッシュなポップ・アートのビッグ・バン的精神が込められたアート・ワークは、ウォーホール出現以前と以後とを、明らかに大きく構造変革していったことについては疑いの余地がないところであるだろう。そしてそれは、ニューヨークから全世界に向けて"アメリカの世紀の到来"を告げる、ポップアート版のルネッサンスの始まりを示すかのように、のちにウォーホールは「キャンベル・スープ」「ミッキー・マウス」に関する作品のみならず、数多くの商業アートおよびイベントのプロデュースにまで進出するなどの多彩な活動の幅を見せながら、まさに第二次世界大戦後のニューヨークにもいた「レオナルド・ダ・ヴィンチ」タイプのマルチ・アーティストの一人でもあった訳であり、芸術家が活動ジャンルの幅を横方向に広げようとする時には、そこには間違いないこととして、ルネッサンス的な世界的に見ても偉大な、商業的な繁栄が放つ自由自在感覚にあふれた空気が感じられるものなのでもある
鹿日本国内のカトリック教会の建築を見る [鹿児島][四ツ谷聖イグナチオ教会][山形][横浜] カトリック教会に於いて、あの歴史上の人物、イエズス会のフランシスコ・ザビエルを記念した鹿児島のカテドラルほか、日本各地のカトリック派の教会は、イタリアの中の総本山世界国家ヴァチカンというよりはポルトガルのイエズス会系の文化的な影響下にあるようで、ある意味において、アジアに於いてポルトガルが統治していたマカオ辺り、F1モナコGPの弟分であるF3市街地コース世界グランプり「マカオ戦」で知られる街並みの持つ、独特の情緒的なきめこまやかさのようなものが思い出されてきてしまったりする。親族にはカトリックや神道などの信者が複雑に拘束するようにして存在していたりしてきた成長過程における自分自身の経験から言っても、宗教に関しては、あえて中庸で客観的な立場を採りたいと思っていながらも文部省所轄の戦後的な新制大学だからいいか、の理由で立教大学文学部英米文学科に入学してしまったFLEX-J Webmasterが、それ以前に在学していた東京ウエスト・エリアの進学系都立高校の中に、カトリック信者なものだから、フランシスコ・ザビエルに所縁の地にある西南学院大学で聖書の研究をライフワークにしたいという、至極単純にして簡潔な発想によって、推薦入学によって鹿児島に飛んだ学生がいたらしい話を聞いた事がある。いたってわかりやすい、良い話だと、高校卒業後には一応大学受験予備校に通うことに決めていたFLEX-J Webmasterにおいても、感じていたような気がする。が、FLEX-J Webmasterに至っては、最初の大学受験予備校時代には遊びが止められずに沈没、それからはプロの文筆家を養成することにはなっているライターズ・スクールに通いつつも、突如として気が変わり、しばらくの間、契約社員のようなことを大手企業でしながら、あらためて予備校に入り直して、徹底的に弱点補強にのみ専念した。結果として、プロテスタント系の学校ながら立教大学の入試には合格して、いろいろと考えてみた結果として、受かった中で最も偏差値の高かったセント・ポールに入学した。本当に、それだけの話であるのだが、実際にはもっともっと若い時代に多くの無駄なことを考えすぎてしまったような気もしていて、悔やむことしきりだったりもするのが、FLEX-J Webmasterの人生における、正直なところである。完結で単純でしかもモチベーションを維持しやすいライフ・ワークを早くに見つけて、それに打ち込めるというのは、それ以上に幸せなこともないのかもしれない。そして、FLEX-J Webmasterの想いは、依然として、何かを一つに集約することなどできずに、漠然としたままに、日々を消費し続けていたりする。つくづく自分自身を正直な人間であるとしか思えない程に、選ぶことの無意味さに悩まされ続けているのだ。プロフェッショナルとしてのWebプロデューサー業などを歴任したり、在宅勤務っぽく自宅からグループウェア上での仕事をしたり、そうかと思えば、たまに合間を見て気侭に異業種を含むアルバイトをしてみたりと、案外にきまぐれな過ごし方をしている状況において、だから、まあ、仕事に関してはあまり色々と選ぶことなく色々とやってはきてはいるものの、いままでにたとえば複数の女性を同時に愛してしまい、同時並行できるケースではそれをしつつ、一人に決められることを強く望んでいた相手がいても(相手を判断して、結婚を成功させる上での心構えや準備が心細い程に足りなかったり、魅力が決め手に欠いていたりなどしていたりして)それができないまま、昔と較べてもたいして変わらない、優雅だが考えてみると一人でいる場面も多く華やかな孤独に満ちた日々を自分なりに送っていたりする自分自身の姿に、時折ふと街中のミラー・ビルディングの反射像に遭遇したりしつつ、心のどこかで辟易とさせられているような日々を、そうかといっても全く新興宗教やヨーガ教室の類いには興味もなく、楽観的で自信にも溢れていたりする時間の中で、心から望み合えて共に喜べるような大人の異性のパートナーとの出逢いを今も密かに心のどこかで待ち続けている自分自身を、自分自身としてはかなり好ましく思えていたりするし、チャーミングな面が自分で思うになかなか多彩だったりするので、とりあえずバブル世代のような幸運には恵まれなかったが、それなりに大人として第一線での仕事なども経験しながら過ごしてきたFLEX-J Webmasterとしては、何らかの形で、変化の波をつかむことを考えていない訳ではない。世の中には色々な分野の世界があるが、何をやるにしても、あらためて若い気持ちで、青年的に、新しい可能性にかける感じの態度で、FLEX-J Webmasterはいつづけたい気がしているのである。ヴェネツィア、出島、モナコ、マンハッタン、香港、シンガポール………などなど、世界中には数多くの文化の交差点があり、それらの都市や島では、一つの視点、一つの民族文化、一つの価値観、一つの世界観に縛られない、きわめて自由で大らかな文化の風土が花開き、アートであれ、文化であれ、歴史であれ、それぞれが実にたおやかに、発展するものである。そうして、多彩で複眼的な文化のバザールは、時間軸上においては年代によって異なった文明に支配されていたりするプロセスを経ながら、あまりにもスティミュラスで渾然一体なモザイク然としてきたりするし、そうしたエリアでは概して男と女の秘め事に関しても自由で背徳的な倫理観が容認され、男女双方において不倫も当然な空気が漫然として存在、法皇様と愛人たちとの間に落胤がたくさんいたりしていたりなど、寛容にして濃厚な性愛的風土が育まれていたりするなど、市民世界における文学的な側面でもきわめて興味深かったりするのである。また、新大陸世界における経済都市代表格のニューヨークにおいては「チャイナ・タウン」や「リトル・イタリー」、西海岸には「リトル・トーキョー」および「ジャパン・タウン」も存在するなど、近年的で身近なトピックとしては、商才に長けた海外異民族たちのリアルタイムな生活拠点が、シンボリックに、それらの都市には存在していたりもして、海外宗派の教会が日本にも各地に点在している一方で、日本の在来宗教の神社仏閣は勿論、大資本型の新興宗教の寺院までもが海外に進出していたりする事実も見られるなど、古今東西、世界各地、メジャーからマイナーまでを通してみると、人類なる種子の果てしない拡大、グローバリズム的な方向性というものは、現在に於いても十分に大きな広がりを持っていたりして、歴史や人々の営みに触れる程に、素直な感動が芽生えてきたりするものでもある。国内が不安な状態にあって混迷している時には、日本国内にもアメリカ文化やヨーロッパ文化などに傾倒する姿勢を示す感じの文化スタンスをアピールする人達が多く見られるようになったりするものでもあるが、ひとつの方向性として、国内における海外文化の影響や拡散、そして国内的なアレンジや、関心度の如何などを追ってみることには、今も昔も変わりなく、リアルタイムにおける歴史的な有意義があるような気もして、依然としてFLEX-J Webmasterにおいても興味深い、最上段に近い位置に置かれた、ライフ・ワーク的な関心事の一つにもなっていたりもするのである。当キーワード追跡型カルチャー探求サイト《CyberGIRL》が、皆さんにとって、より良き(少なくともトピックの抽出に於いて不案内な大手のそれらよりはいくらかはましな)、世界と日本、そして日常生活或いは夢やロマンとの間を縦横に、柔軟に結びつける、情報の世紀における文化の交差点であらんことを!
アメリカ東南部の長い高温多湿な夏 大陸の気候の特徴として、大陸の東側での真夏は、基本的に高温多湿になる、ということがある。それは、ユーラシア大陸の東側近海の島国日本においても、北米大陸の東海岸側、ニューヨークにおいても、である。そんなニューヨークの真夏のおける芝生の状態管理に関する学部的な研究レポートが、日本語で紹介されている。芝生に詳しくなりたい諸君は必見、といったところか
山梨県ワイン百科 山梨には、ヴィンテージ・イヤーのみ生産されるカベルネ・ワイン、サントリー山梨ワイナリー登美があったりするなど、シャトー・メルシャン信州桔梗ヶ原メルローの産地、長野県と並ぶ、上質なワインの産地があることで既に知られているが、こちらはフランスからも高い評価を受けている甲州ワインを専門的に紹介しているサイト
アグネス・ホテル・アンド・アパートメンツ東京 神楽坂の佇まいをすっかり着こなしてしまったこのところ有名なコンドミニアム型ホテル。雑誌の『ELLE』が太鼓判を押しながら紹介していたこともある、かつての都内にはなかったスタイルがうけているらしい。神楽坂も良いロケーションだが、根本的にこの手のコンテンポラリー・スタイルの癒しのステイ・スポットは神戸にこそあれば、理想的ではある
クリストフル・パビリオン東京 "ロシアン山"(東京都港区青山)にショウ・ルームをオープンさせたフランスのカトラリーおよびテーブルウェアの有名ブランド「クリストフル」には、西暦1830年の創業以来、実に170年に及ぶ伝統がある
松蔭女子学院大学が誇る「イングリッシュ・アイランド」 ネイティヴの外国人教員と女子学生との会話的交流を可能にするスペース。硬軟取り混ぜたさまざまな英米文化に関する話題による軽いトークが行なわれるという。神戸の有名女子大生系キャンパス・グループの中心的な存在の一つであり「松蔭ブランド」とも呼ばれる女子大学は、神戸の街の全景そして海を一望に見下ろせる丘陵に建つ、竹中工務店の手になる現校舎の使用開始当時には、国内の建築学者などの間でも注目されたコンテンポラリー・モダンを絵に描いたようなキャンパス風景を誇ってきている
千山亭萬岳楼 [1][2] 神奈川県・箱根の仙石原温泉で明治の初期から開業してきた純和風旅館。『王様のブランチ』なる題名の、いつもの上質激安ショッピング・ツアーを楽しむ姫様が登場する番組における、ガール・リポーターズたちによる取材を受けるに及んでいた、秘湯の中の秘蔵的宿泊施設
神戸市観光建築スポット・カタログ モダンアート建築作品としても阪神圏で名高い「松蔭女子学院大学キャンパス」の全景が見られるほか、ワールド本社ビルなどの建物が作品的に紹介されているページ
ワールド本社ビルのバー [1][2] 神戸ベイエリアに建つアパレル・ファッション・メーカーのワールド本社ビルは、館内一階のイタリア料理店および最上階のブリリアント感覚のラウンジ・バーなどが、よく知られている
マン・レイ プロフィールを端的に示すと、20世紀初頭の世界的な官能芸術フォト・アーティスト。あらゆる分野の芸術を手がけ、そこに近代的な技術やセンスを巧みに採り入れながら、レオナルド・ダ・ヴィンチの再来のような活躍を繰り広げていった。のちにパリに紹介され、世界的な知名度を持つに至る
パラシオ 神戸上の手有数の超高級住宅街、芦屋・夙川・苦楽園周辺について、女性向けのスタンスでファッション的な店舗情報を発信しているエリア・ポータル・サイト
摩耶ケーブルとホテル廃墟 忘れられた神戸の山麓観光スポットのひとつ、摩耶山。が、ここは、あまりにも美しく朽ち果ててしまった廃虚のホテルを中心にした高級プチ・リゾートである。ただし、1980年代にはまだ盛んに営業していて、芸能人やファッション・グラビアなどのプロモーション撮影の舞台としても盛んに出入りがあったプレイス。尚、美しい山頂に至るケーブルカーは現在も営業中
リランズゲート [1][2] 兵庫県神戸市中央区。地下ギャラリーやレストランなどが入居しているモダン・コンテンポラリー系のビルディング作品としても神戸ローカルでは有名。神戸三宮店が第一号店となる、いまはなきジェラート・ショップの"ネーベ・デラ・ルーナ"の夕張メロン系テイストを味わいながら、セント・ポールからの帰途のひとときを友達と過ごした女のコたちも、いまや第一線で活躍していたりして、時代の流れの早さを感じさせられたりしてしまう
明治屋中央亭 本格的な高級西洋料理の味で知られる神戸の一流テイストの洋食店。カレーなど、大衆的なメニューによるアラカルトを、お洒落な環境の中で提供してくれる
鎌倉銭洗弁天に見るイタリアン感覚先取りな"眺め"のクロスオーバー感覚は、柏の小高い山の頂の小さなそれにも共通して、ある種の文化コードじみた輪郭線を、丹念に、静寂という名の鮮烈なる愛と優しさとを込めながら、そこに描き出そうとしていた [意外にもイタリア的な景色の素敵な鎌倉の弁天][ロベルタ製品] エレガントでブリリアント、それでいながら挑発的で刺激的な俗物性を巧みに排したシックさを着こなしていて、嫌味な印象を与えることのない、しかして上質さに関する向上心、洗練感覚の豊かな、煌いているキーワードたちはいくつも、それこそ阪神高速の上から眺める六甲側とか、カイタック空港から香港市街へ向かうハイウェイからも見える光の微粒子を思わせる人の痕跡にも似て、夥しく存在している。が、地上に生きる人は生きている間に、いくつのキーワードを反復(リピート)したり、再会したり、それをもって自分自身の心の悲しみ、空虚さを埋めていくことができるのであろう、と考えてしまう時にこそ、きっとこういうネットワーク上でのポータル・サイトが生きてくるのではあるまいか、と考えてしまう。どことなく釈由美子ちゃまにも似ている一卵性他人系の井川遥嬢が、このところしきりに元ちとせの唄声にのせて躍る姿が流されている、緑茶系清涼飲料のテレビCFの中で身に着けているような、溌剌とした印象の「ロベルタっぽい白のブラウスのトップスにスウェードのミニスカート」などのガール系ファッションとして端正なミラノ系のファッション・テイスト。それは、FLEX-J Webmasterにおける秋田県の知人であるE嬢にあっては、当時の彼女の"地"の感覚であり、それにしても彼女的には、当時の定番ブーム的な小さな規模での流行もあり、上記の服装チョイスに併せてスカートと同素材の短めのブーツなども履きこなしていたりしたこともあって、FLEX-J Webmasterの脳裏における記憶の引き出しの中にも今もフレッシュに宿る、慈しむべきファッション・パターンの一つ、になっているかもしれない。彼女の西池袋リツジョ時代に、ツタの絡まる煉瓦校舎が大昔のヒット・ソングでも歌われたキャンパスの内において、とりわけ彼女は、FLEX-J Webmasterが出席する授業の或る日になると体現していることが頻繁であった。表参道にある女子短大を卒業後に編入してきた典型的な"秋田美人タイプ"として亜麻色の髪をなびかせた今風クォーター系の美しい女のコは、いつも、快活でチャーミングな、ごくごく普通の家庭で育った感覚で彩られた、カラフルさと抑揚とが入り混じったリツジョ・テイストを巧みにいち早く身に着けつつ、イメージ近似系な仲良し女のコペアの片割れとして隣に連れていた、秋田美人に負けず劣らずも愛嬌のあるマスクに素敵な、痩身系のプロポーションの持主は、が、相棒のコとは全く対照的な、黒と黄などのイタリアの工業製品における典型的な原色系カラー・コーディネイトを思わせる、都市感覚的な女子大生なのであったりして、FLEX-J Webmasterに向けて少なからず1980年代以来の誘惑的な女子大生のそれらしい挑発的な眼差しを放射、会うたびにそこでお互いに何かを"不敵"に直感しあっていたような表情の女友達とともに、FLEX-J Webmasterの前によく現れていた。教室での授業以外でも、国内キャンパス離れしていて歴史のあるイメージの古風な一号館とは立教通りを隔てて向かいの五号館の地下にある第二食堂などでも、しばしば顔を合わせたりしていた。ひとまず一端は故郷へ戻る流れを選択したローカルのテレビ・アナウンサーとして地方局での「爽やかな朝の顔」の配役を与えられたり、アメリカの大学へ留学したりしながら、のちにはヤマハのハーレー風中型アメリカン・バイクを自ら駆ってみたり、LA感覚を追求したりもしていた彼女だが、当時の彼女のファッションの感覚は、アースカラー系パターンでの、イタリアのミラノ感覚色の強いものであって、形而上学的、形而下的な両者においてある種の小気味良さを求めていた一方で、しかかかで、どことなく長女タイプっぽい漂わせていた孤独感が、はかなく、そしてせつなかった印象さえをも、あの頃の、一軒シンプルで簡素でありながらも腕時計には普通感覚の学生ながらも、赤坂ニューオータニ系にも違いないフランスのファッション・ブランド系アイテムのものや、大学入学前には自分で働いていた頃に購入していたロレックスのコンビなどをはめたりしていたFLEX-J Webmasterにも、印象的に植えつけたりしていた。いまやすっかり立派な教養を備える一人前の大人の女性になっているとの、ある種の予感が、ある時、ふとインスピレーションとなって、リアルタイムのFLEX-J Webmasterの脳裏に舞い降りてきて、それがふと、ただ懐かしく、そしてある種の幸せな精神的肉体的なエネルギーをももたらす記憶の中のヴィジョンへと投影されるに及んだりしていた。普通の街の普通の何気ない柏のとある弁天堂(弁天とは美女を奉る民間信仰的な社寺の本尊[神体]。通常はより庶民的な地勢にあって信仰されていたりもするが、柏のそれは、市内としてはまあまあのベクトルを感じさせる一角、古墳の近くの、緑豊かで小高い山の上に建っている)の一角で、何気ない普通の世界の人の感覚を大切にしている印象をしばしば再生産するかのようにして専攻分野の経歴や旅を重ねている印象の彼女は、普通の一般的な女性の持つ、しなやかさ、強かさ、行動力、そしてたおやかな心の機微や知的傾向の強さを、淡々と、一度も秋田県には行ったことのないFLEX-J Webmasterの脳裏に、映し出したりすることがある。心の空白化が、1980年代を過ぎていっそう激しくなっている時代。心の寂しさを埋めていくように、人生の孤独を慰めるためにキーワードにこだわっていた時代は、むしろインターネット時代の現在ではなしに、日本国内が最も繁栄していて、国中に豊かな資産があり、それ以前のロボット的な人的生産力に過ぎなかった重厚長大時代が終わりを告げ、生きることがファッションであった時代であった、1980年代の頃だったような気もするが、それさえもがすっかりと終わってしまったかのような引き潮の時代にあって、時代の変わり目のような時期に、当時から自我のあり方にこだわっていたFLEX-J Webmasterは、後にFLEX-J Webmasterのそれよりも美しく逞しい自我のコントロール術をも身に附けていく彼女と、出逢った。1980年代までのあのクラスのキャンパスの、どちらかといえば現在は不健全な経営状態系だったりすることの多い、大企業への賛辞が聞かれることの多かった大学生たちの間には、高度に意識が発達した消費型のカルチャーと、それらを展望してみても約束された、一応は煌いていたが退屈な、センスの良いプラチナ・シルバーに鈍く輝く大人的な価値観の世界があり、そこではゆとりに満ちた、乾きがちな気分ではあれ豊かな城南・神戸芦屋マインド系の消費生活上でのキーワード探検のフィールド・ワークを、それこそ自由自在に楽しむことができるはずでもあり、そして日常のファッションや車、グルメの話にしても、けっして田中康夫の話ではない、身の回りでの現実のトピックとして、「ニッサン・ブルーバードSSSアテーサ・ターボ」だったものが「フォルクスワーゲン・サンタナ」や「アウディ」に、そして「ランチャ・テーマの8・32」になり、そして田中康夫がトレンディ・キーワードのリストの中から外しているが、徳大寺有恒氏は絶賛していた純国産のスーパーミッドシップ・クーペ「ホンダNSX」の話になったりもしながら、「300ZX(ニッサン・フェアレディZの3リッター・ターボ)」を中心として、が、FLEX-J Webmasterの自分名義の当時の所有車は、マニア人気が高く、有名女子大学クラスのコからも注目されることがあったりしていた、恥ずかしながらのハイ・コストパフォーマンス・クーペ「トヨタ・セリカXXのツインカム2000GT仕様」であり、田中康夫が試乗ドライブをしていたことのあるトヨタの初代MR2よりもむしろ小気味良さにタイトながらも若干のラグジュアリー感覚が加わっていたりもして、とりわけワインディング・ロード辺りでは、F1モナコGPのコースライン・トレーシングを意識したステアリング感覚を、あの頃はしばしば楽しんでいた。車は池袋での一年間に満たない、(妹は長らくそれなりの子女待遇を保ったままだったものの)長男への仕送り額にけちな親からの支援も期待できない、当時としては平均的な一人暮らしを開始。秋田美人が見たことのあるはずの簡素すぎて寂しいルームは、すぐ後にはセミダブルベッドやそれなりのテイストのシングル向け家具に更新されたりしていたのだが、アルバイト中に体調を崩して、それをしばらく引きずるような形でリタイア。が、一人暮らし期間中にも変わらずに、当時の実家からクルマをスタートさせながら、日本一の渓谷美とされる昇仙峡から始まり、奥多摩、秋川(世界有数の珠玉の室内楽環境が整えられたブティック的なクラシック中ホール、秋川キララホールでの生コンサートの鑑賞を、ここでは薦めておきたい)、そして山梨県の大月市内に抜けて、富士五湖および箱根、静岡県、或いはアメリカ空軍横田基地を追い越しつつ八王子バイパスを経て、東名横浜インターチェンジを過ぎて保土ヶ谷バイパスから三浦、湘南へ抜けたりなどなど……。車内には、船橋〜渋谷〜池袋系の感覚によってチョイスされた感覚の、アダルト・コンテンポラリー系およびフレンチ・ポップス、ボサノヴァ、クロスオーバーがかったジャズおよび、黒人系の当時的な女性ヴォーカル物(ドナ・サマーやシャーデー、ラヴ・アンリミテッド・オーケストラなどなど、品川方面では高輪の一角および幹線道路沿いの限られたルートを除いてはあまりフィット感のない感覚もあったが、あの頃の新玉川・田園都市線および京王線、中央線、横浜線ゾーンのみならず、かなり当時のリツジョの学内イメージにも重なる印象であって、何よりも現実のライフ・ステージ・イメージにオブラードされる感覚もあって、エリア・ローカル的には小気味良かった好評盤には違いない)など、明るく屈託のないサークルの顔なじみの女のコを中心に乗せたりしつつ、たまに世俗の様々な愚痴をぼやく相手としての悪友やたまにガールフレンドや妹の友達などを乗せたり(当時の親許の家で生まれたお洒落な日本猫のcologneさんは当時からいたのだが、あの頃は引っ込み思案で外出自体をあまり好んでいなかった)、或いは気分転換に一人でWRCラリー参戦者感覚よろしく、気侭に、根拠なく現在に於いても変わることなく楽観的に、車種・タイプこそ時折変わっても、今日に至るまで、続けられたりし続けてきている。そうして大昔のテレビ午後ワイドの中で、島津さまおよび酒井美意子女史あたりがしきりに気にされていたノブリス・オブリージュの実践の問題に関して、田中康夫がしきりに気にかけていたことに関してだが、クルマにおけるノブリス・オブリージュの実践を素直に考える時、そこにはまずもって現代の貴族たちにおけるフォーマルのコードとカジュアルおよびアン・オフィシャルなコードとが複雑に交錯するように、そこに並行して、或いは十字形にクロスして複眼的に存在しているものなのであって、イギリスで言えばそこには即ちタキシードカーとしての「ロールスロイス」(「ベントレー・ターボ」はつねづね言われていることなくであらためて記すまでもないことながらも、「ロールスロイス族」の消費傾向を大規模な富の集積的蓄財に成功した大ブルジョワ成金向けに作られた擬似的感覚世界での産物)若しくはしばしば貴族の間でのファミリー・セダンとして、それこそ「ニッサン・ブルーバードSSSアテーサ・ターボ」および「トヨタ・マークU」のようにして使われる種類の、限りなくカジュアル・ファッションに近い形でのインフォーマル系のサルーンであるところの「ジャガー」などのほかに、カジュアルでパーソナルな用途に用いられる各種のレジャー用途の車種、高級なものでは「レンジ・ローバー」だの「ゲレンデ・ヴァーゲン」、「フェラーリ」「ランボルギーニ」の類いから始まり、イギリス的な貴族の伝統に基づいた大衆と共にあろうとする指向における貴族精神の具現化(そこに、日本の高級大衆的な"パフォーマンス"の概念は一切あてはまりようがない)としての「オースチン・ミニ」や「アメリカン・ブランドのコンパクト系パーソナル車種」などの系譜があることから考えても、インポートにおける西洋文化により忠実であろうとするのであれば、クルマにおける「ノブリス・オブリージュ」がミニ・クーパーであることは間違いがなく、貴族を目指す似非貴族主義者とは明らかに異なる、本場ヨーロッパでは、家の格式やグレード意識を棚上げしながらの一般大衆との間でのロマンスも普通のこととして盛んになってきている意味からも、本当の貴族的精神の最先端に根ざしながら大衆と共にある車種とは、輸入車であれば現在はBMW傘下にあって新設計車を世に送り出しているミニ・クーパーであり、フォードKaであったり、日本国内で言えば「トヨタ・ヴィッツ」やかつての軽の名車の名前を戴く新型ミニバンとして好評の「ホンダ・ライフ」のような車種ではないだろうか、などと、思われてしまったりするのである。ちなみに、テレビやイベントで話題のゴージャス美女姉妹こと叶姉妹の感覚は、ルックスや人柄がチャーミングであり、いい意味での(たぶん、あの二人の出身地ローカル的な感受性にも深く関わっているのではあるまいか、などとも憶測されなくもない)「近鉄特急」感覚に根ざしているものであって、好ましくは思われるのだが、彼女達のそれは海外のホテル財閥系の人々をあまりにも意識しすぎてしまっているようにも思われて、少しだけ残念だったりしないでもない
ラオス政府観光局 1980年代から十年位前までにかけて、東京の神田駿河台界隈でも一世を風靡していたフランスの女流作家、マルグリット・デュラス著による、20世紀最初の頃のフランス植民地文化を伝えているとともに、官能的な当時最先端の感覚を秘めていたフランス人少女による背徳的な逢瀬の日々、個人主義が支配するフランスに於ける人生という名の歴史下において少女として人生に迷い、苦悩し、インドシナの華僑資本家子息とのめくるめく逢瀬に始まり、女流作家ならびに女流映画監督として愛と映像の遍歴を重ねてきた彼女の心身に於ける詩的な映像オマージュとして、彼女の顔に刻まれた愛すべき細かな皺のように、身体と魂の経験とが人生の年輪となり刻まれ綴ったデュラス若き日の記憶を、ソリッドな筆致で鮮明に綴ったノンフィクション・ノヴェル『愛人(ラマン)』(映画化もされた)の舞台、インドシナ。とりわけ、メコン川流域が舞台だっただけに、例の作品から入ってみると、古都ルアンパバンおよびヴィエンチャン、クメール遺跡、そしてフェリー船上などの光景は、精神性の高いエスニック地帯の極北として、諸君の人生観すら根底から覆すやもしれぬ。ヴェトナムのホーチミンあたりから、羽田〜大阪線の気軽さでフライトできるラオス航空が発着している
「生活」が事由の恋愛を一端は選んだ人々の間に得てして生じやすい種のジレンマ 〜 在京テレビ業界W不倫篇 下からの大妻、それも生粋の体育会系として、大妻女子大社会情報学部卒、局内に夫を持ち、押しも押されもしない立場のはずの女子アナ、T嬢が、同じく妻を持つ身でありながらも"浮気常習症"で、あらゆるオネエサマ系の女性タレントには声をかけつづけてきた、映像系専門学校卒のお笑いタレントUとの火遊びにハマり、ニュースワイドショーのキャスターを"涙の謝罪"によって降板させられたお話。テレビの世界というのは、わかるようでいてなかなかわからない、謎の多い世界であり、現代の七不思議のひとつにも数え上げられている。(ま、確かに『お笑いスター誕生』出身者というのはひとつの評価材料にはなるのであろうが)T嬢クラスの火遊びのお相手がUのようなお笑いタレントというのも、これまでにトレンド・ライター田中康夫の周辺を固めていた"喜び組"の実態を採り上げてきたコーナーとしてはさえない話。が、リアルタイムのテレビ画面上での、W不倫の発覚というのは、ほとんどかつてのアメリカ映画の名作『ザ・ネットワーク』をも思わせる、きわめて挑発趣味的なお話ではある。が、テレビ・キャスト業界の人々の恋愛というのはいつもいつも何故に、「生活の為」もしくは「(仕事上の必要性、キャストとしての性からそうなってくるのであろうが)絵柄の為」のいずれかに偏るのであろう、と昨今の事態を訝っていたところ、愛なきテレビ映えの良さ、或いは青春の記念的パフォーマンスを狙っているような、見栄張り芸能ニュース出演狙いとしては(相手が学歴等では"格下のタレント"であろうUだけに)全く美しいことはなく、しかもW不倫なので「生活が事由」なる推論は成り立たない。年下のコやたとえばプーケット・ニーズのコを狙っている遊び人なOL系オネエサマの感覚とも違う。「不倫」が単なる遊びじゃなくなってきた時には、たとえば夫婦の間では「生活の為」の潜在心理が働いたことによる選択ミスマッチが意図的に作用したことがありうる問題なのであり、ふと「生活事由の結婚とは何と不毛なことなのか」との嘆きの感情の発生を、社会的な夫婦像をわき目も振らずにひたすら"アホ"ーマンスしている間なら、おそらく何とか成り立っていた筈であり、週刊誌沙汰云々以前の軽めのお戯れの逢瀬として、他愛無い"一夜の過ち"程度の話で片附いていたはずなのである。が、そこに起こったこととは何か、をまともに考えてみれば、根本的にそれは女子アナ側からの本気度の高い恋愛劇であることには違いない。本気じゃなければ、基本的に小心な性である女は、社内結婚までしている身で、リスクの大きなアフェアの深みなんかに、自分からみすみす好んではまろうとはしないからだ。一方の内村は、基本的に"ビーチボーイな人"であることには間違いがなく、エロスの世界でもミーハーな好奇心旺盛に、探検者的に、据え膳はありったけ平らげていきたい性分の持主であることが、男社会のパターンにおいても納得される。男が本気になれば、基本的に正妻とは離婚をするか、もしくは目に見える形で長期別居に入るパターンが大半であり、概してそれは避けがたい事態でもあろう。絶対的な本命で、才色兼備、しかも結婚生活にも十分対応できる家庭的な一面も持っていて、体育会系のまっすぐな相手であれば、男においてそれがナンバーワンのランクに登りつけた時には、たぶん、ナンバー2以下に価値が暴落した半端な存在である女とは、男の本能から言えばきっぱりと別れて、過去をあっさりと、ドラスティックに清算しようとする。が、(ある意味コンプレックスの強いのだとは思われるが)男の側が遊びで、自力での生活能力を十分に与えられている女の側が本気の時、概して女は恋愛の深みからの引力には逆らうことが出来なくなり、脆いポーカーフェイスなんてあっさりと崩れてしまい、女は脆くも本心にのみ引きずられる格好になってしまう。世の中には、「生活が事由の結婚」を嫌い、自力で生きながら、あえてシングルでありつづけようとする人たちがいて、彼らは自らのシングルとしての自由度の高い状態や可処分所得水準を孤独に寂しく温存しながら、結婚に適さないか、御互いの結婚についての思想が合致しないか、結婚をするための材料や自信を与えさせてくれない"あさっての相手"を意外なまでに本気で愛していたりして、不毛な結婚生活への切り替えを避けようとする性格の主として、気持ちに正直に、或いは希望を捨てずに本気で愛する価値のある相手を待ち望みながら、したたかにシングルとしての毎日を送っていたりする。或いは、恋人状態や、未婚の内縁状態を長いこと続けていたりするパターンもあるし、お笑いタレントUのような随時乗り換え組の火遊び派がいたり、長野県知事になる以前の田中康夫のように、学校の教室一部屋分ほどの"喜び組"を抱えながら、日替わりで違う連絡への連絡をとっていたりしていたようなハーレム主義者がいたりもする訳だが、まずはしたたかな気持ちを取り戻して、周りに全く妥当な配偶者候補がいない場合にはまずは自分を大切に、自己成長しながら"快楽的"に過ごしていくのも方法ではあるし、形や体裁、世間体的な第三者判断の眼を気にせず、よりベターでナチュラルな、素のあり方で、たとえば遠くにいて忘れられない、昔からの片想いの相手を思い続けて生きるのも美しい恋愛のあり方、ドラマなのかもしれない。恋愛の気持ちの質や中身が問われる時代になってきている現在では、高齢者夫婦でも、定年離婚などの選択を強かな自尊心に於いて選んだりしている折、生活が事由の結婚とは即ち就職に如かず、の、昔からのお現金な利益主義的女子大生マインドだけでは片付けられない時代になっているのは確かなことで、愛のない結婚は家庭の中という種類のある種の煉獄における、愛なき配偶者との間のお色気営利ビジネスではなしに、それが、大人の柔軟さ、自由生活に足かせをはめるだけの完全な牢獄に過ぎないことに、マテリアル・ガールになんて徹しきれない、真剣にして聡明なる一般的ピープルたちは、既に、冷静に気づき始めている、のかもしれない。そして特定の相手を熱烈に愛するタイプの場合、結ばれる結ばれないは別として、愛することでしか彼らに必需の、人生におけるドラマ性におけける日常のステージの上を片時たりとも生きてはいけない、激しい情念の宿命を背負う性の主、であることもまた、間違いがないことであるようである
『星の王子様』のオフィシャルWebサイト フランスが誇る児童文学作品の佳作『星の王子様』公認の、箱根の戦国原の自然の中に出現したフランス、プロバンス様式の小さな街。雑誌のファッション・グラビア撮影に供すればかなり良好な背景効果を得られそうなタウン風景の奥には南フランス・プロヴァンス風家庭料理のレストランがあり、教会があり、作家であり飛行家でもあったサン・テグジュペリの御伽話作品に所縁の展示も豊富。また、東京都港区"南ロシアン山"(南青山)にも支店「サテリット青山」があり、有機栽培野菜など材料も厳選されたプロヴァンス家庭料理を、子供連れのファミリーにも利用しやすいプライスにて提供されている
東京湾・川崎人工島「風の塔」の完成と「日本カーフェリー(マリン・エキスプレス)川崎〜木更津航路」 [1][2] 東京湾アクアラインが開通する前、千葉県の木更津および神奈川県川崎の間を結んでいた大手フェリー客船オペレーターによる小さな支線的な存在であった東京湾横断航路のフェリーボートは、当時のフランス文学科の学生の間でこの航路が流行っていたのかまでは定かではないのだが、かつてフランス植民地であったインドシナ半島(現在のヴェトナムからラオスの一帯)での赤裸々な若き少女の愛の日々を描いたマルグリット・デュラスの純文学私小説(いわゆるノンフィクション小説)作品『愛人(ラマン)』の気分を東京湾で満喫できるフェリーとして(『愛人』の中には貧しくも多感なフランス娘との出逢いのプレイスとして、印象深くフェリーが登場する。フランスで映画化もされ、美しい映像美が話題を呼んだ)、壮大な海外映画のセットを思わせる新日本製鐵君津製鐵所および房総の入口であり、真夏の湘南よりはずっとビーチの水もきれいな木更津の紺碧の海、そして、かつてのナチス・ドイツ時代の圧倒的な先端科学力を支えていた帝国主義的であってモダン文明的、重厚長大的な「近代工業の世紀」の名残をも現在に伝えるかのような、扇島近辺のコンビナート群の威容、そして上空をかすめるようにして離着陸する羽田のジャンボ機の姿など、フェリー航路は、何気ないようでいて全てが若々しく輝いていた世紀を、オープンデッキの遥か彼方、真横一文字状に浮かび上がっていた東京湾岸オーシャンフロントの島影(そこはあたかもコンテンポラリー都市文明の大いなる地上の墓標然とし、尚且つ全てのものが例外なき緩やかな"死"を宿命づけられている文明的で時間消費的な現代史の流脈の渦中にあって、首都圏全体がすでに生ける屍たちによる狂気の乱舞地帯として、無思慮と分別主義、醜悪と美とが互いに親しげに近接し合い、入り混じるかのようなユーロビートという名の憂愁なる御盆に載せられるような有り方での、今様な日本版サン・ミケーレ島の如く、一つの文明的な悪徳と美の集積回路然として罪と快楽とに駆られた煉獄たる、青白い陶酔のホライゾン、なのであった)の中に、そしてフランス流に言うところのFLEX-J Webmaster所有の当時的モペッドをカーデッキに搭載した極東的最先端メガロポリスの沖合を航行するベイ・フェリーの船上に立ち、ヒートアイランドのそれよりは限りなく浄化され、ドライタラソ効果も満点の海から吹き上がってくる大気を浴びていた、当時はまだ18歳にも満たない年齢であったFLEX-J Webmasterの脳裏に、名残惜しげに印象附けようとしているかのようでもあった。航路周辺の自然やエリアとしては、少し東京湾を南に下った横須賀の久里浜から、世界の豪華客船も通過する美しく壮大な浦賀水道の自然を眺めながら、南房総にも程近い千葉県の金谷とを結ぶ東京湾フェリーの定期航路側の方が、遥かに高級な"三浦アドリア半島"の環境美にもマッチして、ショート・トリップをするにも美しく上品なエリアながらも、クルージング感覚に於いては川崎・横浜そして、東京港臨海エリア、および幕張一帯を、輪郭も判然としない一塊の壮大な文明地帯として一望することができた意味で、ユニークな都会の若手サラリーマン層の男女キャラクターが闊歩する当時の人気テレビドラマよりも一、二年早くから自分が操るモペッド共々乗船していることが度々あった「日本カーフェリー木更津航路」は、FLEX-J Webmasterがコンサバっぽい山の手〜横浜寄りのヤング学生意識から束の間、パリ系デニムおよびコーデュロイ系を纏いながら、大人になるための自分的な思考の時間を与えてくれた路線なのであった。勿論、何も考えたくない時に、気軽な週末もしくは最終便でのクルージングを楽しむほうが、ずっと楽しく気楽なひとときだったことは、言うまでもない。高校在学当時には周辺に「アニメ・アート系」の今ひとつ垢抜けしない友人達が多く、スポットおよびショップ探訪好きだったこともあり、『なんとなくクリスタル』のような当時的なトレンド系の読み物などはみんなに内緒で読んでいたりしていた、現在ともさほど変わっているとは思えないキャラクターにおけるFLEX-J Webmasterを、極限までハイブラウ気分に押し遣りつつ、旅の気分にしてくれた湾内フェリーの存在が、現在もなお懐かしい
ポーラ美術館 訪問販売方式による化粧品会社グループの企業オーナーであった故鈴木常司氏の収集コレクションを展示している美術館。モネ、ルノワールなど印象派絵画からセザンヌ、ゴーガンらポスト印象派絵画、モディリアーニ、シャガールらエコール・ド・パリといわれる画家たちの絵画、ピカソ、カンディンスキーらの20世紀絵画までを中心とした西洋近代絵画約400点を始めとする一万点近いアート作品が、箱根・仙国原のうっそうとした森の中の建てられている半地下ドーム回廊型の地表モニュメント状の建築物の中にて、一堂に会している
川崎マリエンと扇島 [1][2][3][4] 川崎の扇島近くにある港湾展示施設(川崎市港湾振興会館)である川崎マリエンは、川崎港のプロフィール紹介がされている感じのパブリックなスペースである。地上51メートルの展望台からは川崎港を一望できる。扇島は、現在は"シーガイア"方面行になっている長距離旅客カーフェリー・ターミナルに程近い、国内工業コンビナート最大級のプラント集中地帯。木更津からのフェリーを降りたら、ここから、海沿いにオートバイや車を走らせて、現在は首都高速が頭上に走っているルートを経て、大黒大橋なる、フランス・イタリア系輸入車の陸揚げ基地のそばにかかる巨大な橋の上から、横浜港一帯の壮大なパノラマを一望していた。この場所は意外に昔から、小学生の頃から地理好きで道路地図を眺めて過ごしていたりした時分から、オリジナルで発掘したスポットの一つなのだが、スポット自体が当時はデート・カップルを含めた誰にもほとんど知られていなくて、いつ行ってもそこには人っ子一人いない、米軍兵員相手のバーがエキゾティックなムードを醸し出している瑞穂埠頭とは対照的に、閑散とした文明的ハーバーブロックだったことを思い出される。尚、後に田中康夫のドライブコース案内コラムあたりでも紹介されたりはしていた。あの頃、盛んに田中康夫が現在のあきるの市界隈を取り上げていたことがあったり、何故かFLEX-J Webmasterがオートバイや高校生ながら運転していた車で巡っていたスポット・コースが、程なくして田中康夫のコラムにかぶられてきたりしていたが、そういえば高校の頃の知っている女子高校生で、卒業後に学校名がミーハー系に良く知られている都区内の短大に入学したYの陰がそこにしばしば感じられていたような気がするが、それもまた、当時の自分の微妙な記憶の襞が生み出す杞憂なのに違いあるまい(注※ セックスフレンドの有無はともかくとして、FLEX-J Webmasterのコースプランを田中康夫あたりの我が物顔な売文業者に易々と横流ししてしまうのは止めて欲しい気がしていたのは、当時的な空気を振り返れば、確かな話である)。それにしても、きわめてプレーンであってスタンダードなイメージにおいて、ヴィヴィッドな濃紺のストレート・ジーンズを履いて尚、女らしく煽情的なラインで悩殺しようとしてくるような若い女体を見ると、現在でもFLEX-J Webmasterの欲望は最大限度駆り立てられ、惹かれやすい、タイプ的な心理的な傾向が、自分自身として依然として、激しく、強く、感じさせられてしまう。最初は半分"捌け口"として抱いた側面をも否めない他の女にはまってしまったことも一度や二度にあらずであり、ジーンズといわずタイトスカートであれパンツスタイルであれ、である。そういう女の裸体は、FLEX-J Webmasterの経験上から言って、例外なく肌が本来的にきめ細かく、左右の胸の形や量感も良く、腰のラインはたおやかにくびれていて、腿には適度に量感がある半面ですらりともしていて、ヘアの生え揃い方は濃すぎず薄すぎず適度であって生え際にラテン的な女性の香りが埋め込まれているかのような芳香感を放ち、うなじから肩、背中、臀部から腿、足の爪先にかけては母胎的でもあるような始源性を秘めていて、インサート直後からくる極上の一体になった感覚が、小気味良く、最高の相性における喜びのダンスとして現れてきたりして、それは程なくして不意に陶酔の嗚咽になって客室に小さく乾いた音となって響きながら、最高のクライマックスへと連なっていく相性にある。痩身で美しいが起伏のない岩石のようでもある細身の女との間の相性もFLEX-J Webmasterにおいては優れていたりして、大人にとっての不可分にして不可避な運命的抱合に関しては、しかし、自身の当時の未熟さや経験不足などもあって、基本的には遊びの域から抜け出さない逢瀬に終始するパターンが少なくなかったこともまた、確かなのではある。が、勿論、それは、当然、厳然たるオーセンティックな約束事としても、当然、過去に付き合った女性の像、フォルムをそこに投影するものではなく、前後の女性の個性の違いを初めから柔軟かつ明確に認め、あらたなる興味に於いて確かめ合ったりしながら、の話としてであるが、古い恋愛体験の記憶からのフィードバックが、トラウマとは違う意味で、タイプとして以後もカタログ的な欲求の原型として温存され続ける現象を、日頃、追体験させられるケースは、これまでの経験上でも、決して少なくはなかったのも自明なる事実なのではあった
多摩・神奈川の湖 [奥多摩湖][多摩湖][狭山湖1][狭山湖2][相模湖のホテル][鎌倉湖][箱根芦ノ湖美術館] 中には秋川湖なる人造湖までもが東京都あきるの市の東京サマーランド内に存在してしまう、関東の西に広がる湖の数々。世界最大級の水道ダムでもあり、通称ドラム缶橋でも知られる"水の上の回廊"「浮き橋」の存在が広く知られている奥多摩湖は、かつてそこにあった山間部の集落を没することによって、都民の水瓶となるべく建設された意味では、きわめてかつての丸の内都庁イメージがかぶさる行政色の強いスポットでもある。そうして、ごくごく西武国分寺線・多摩湖線一帯のべッドタウン住宅地に隣接して、小さな貯水池ながらも、あまりにも端正な景観を持つがゆえに、子供連れのファミリー遠足における聖地であると共に、レイク・サイドにはかねてから数多くのロマンスホテル群が軒を連ね、"深く真摯に愛し合う関係に於いて自らの激しい官能の炎に身を任せるようにして淫らに求め合う営為を、現世での表の形式的な関係に縛られない自由なパートナーシップの深化やリフレッシュメントのためにこそ恒に自明的に必需とする関係性での秘め事として捧げあい、尊び合う、真に愛あるアベックたち"においては、ほとんど集団結婚式的な車内Hの一大メッカでもあった多摩湖、そして西武園のタワーの上からの眺めが素晴らしく、光る湖面のスパンコールな煌きが眩い狭山湖あたりはささやかながらも手軽に行ける「都内のレジャー系レイクサイド・リゾート」の意味で価値ある存在であり、尚且つ、富士五湖にも並ぶかそれを凌いで余りある、海外セレブおよび海外豪華客船の来日ツアー客が御用達の箱根の芦ノ湖、ファミリーおよびカップルでのピクニック・プレイスとして相応しい「相模湖・津久井湖」エリア、そして北鎌倉の一角にあって時間の止まっている風光明媚な遊水地として、鎌倉ローカルの人々の気軽な散策スポットになっている鎌倉湖など、「東関東の霞ヶ浦・印旛沼・牛久沼・中禅寺湖」とも並んで、気軽なベッドタウン側でのドライヴィング時の息抜きスポットとして覚えておきたいゾーン。近年多摩エリアの市民グループによって"トトロの森運動"なる保護活動の対象にもされている多摩の湖の周辺の木々の景観や街並みが、伊豆諸島大島というよりもむしろ世界的なカアナパリ・リゾートでも知られるハワイのマウイ島における、とりわけ英米人サイドでのもうひとつの観光の目玉、渓谷の自然美や山側の森にとても酷似していることに気づく人は、世の中に一体、どれだけの数に於いて存在していることであろう
ファニング島 ワイキキ・ビーチのあるオアフ島やシュガー・トレインの走るマウイ島の存在などで知られる世界的メッカの観光地ハワイ諸島の南に位置する小さな島。赤道に近く、リアル・トロピカルとしてのポリネシア文化が現在にも息づいている。70年代の末頃まではイギリスに属していた歴史を有しており、現在は島々からなるキリバス共和国の島の一つ。最東端のミレ二アム島は、マリン・アクティヴィティが盛んなクリスマス島とも並び、"世紀越えクルーズ"がブームだった頃における豪華客船にとっても名残深いプレイスでもある
ハンプトンコートパレス・フラワーショー ヨーロッパ最大、世界的にも最大級のガーデニング・ショー「ハンプトンコートパレス・フラワーショー」。RHS(英国王立園芸協会)が主催する。 会場でもある「ハンプトンコートパレス」は、1514年にヨーク大司教トーマスウォルジーによって建てられた別荘であり、イギリス国王ヘンリー8世へと献上され、ジョージ2世の世紀までイギリス王族の住居として使用されてきている。ヘンリー9世の宮殿横、総面積10万uのロイヤル・パークランドでは、20以上のショウガーデンおよび、同時開催の「ザ・ブリティッシュ・ローズ・フェスティバル」ほか、所狭しとガーデニング、造園関係の見本市が並んでいる。数々のガーデニング用品、苗、種など日本ではほとんど見られない品種が販売されているため、マニアにとってはまさに宝庫
PTS版「豪華客船ふじ丸」総合カタログ 商船三井客船が国内で初建造させた、初の本格的な日本籍のツアークルーズ専用豪華客船として知られ、「クルーズ元年」のコピーは新聞紙上での流行語にもなった。現在は商船三井客船から離れて、団体チャーター専用客船として、第二の人生をスタートさせている。商船三井客船といえば、「ふじ丸」以前にも「第二船目のにっぽん丸(現在就航中の第三世代のひとつ前。チャーター利用が主流で、ロシアだかどこかの定期国際フェリーの船体を中古を購入したもの)」などを運行してきたが、「世界一周」「日本一周」「アジア周遊」「ハワイ・アラスカ周遊」などのツアー・クルーズ商品を、純然たるパッケージツアーとして旅行代理店方式で、英キュナード・ラインよろしく販売スタートしたのは、国際格式の本格的ツアークルーズ用豪華客船「ふじ丸」の代になってからのこと。セゾン・グループの一角にあって、かなり古くから国内外のクルーズ商品を扱ってきた旅行代理店PTSのプランには、近年、時折「ふじ丸」をチャーターした国内クルーズ商品が見られるようになっていて興味深い
「コンコルド・ラストフライトとQE2」大西洋横断クルーズ [QE2内覧ページ][ツアープラン紹介] 全席総レザーの高級シートが奢られている世界で唯一旅客輸送にあてがわれた超音速旅客機コンコルド。音の伝わる速さは時速およぞ一千二百キロメートル前後であるため、音速の単位マッハで2以上をアベレージでたたき出す旅客機の速さは、亜音速で飛ぶジャンボ機の巡航速度であるおよそ時速880キロメートルを遥かに上回る、まさに驚異の飛行を、ダイヤ上においてかれこれ20年以上も行ない続けてきた。大西洋空路でのスーパー・ソニックのみならず路線需要の減少および近年の航空業界の不況など、様々な複合的ファクターにおいて、いまや超音速旅客機なる存在自体が風前の灯の状態である。一方で、レジャークルーズが全盛の折、海上を行く豪華客船クィーンエリザベス2世号(世界一周クルーズを実施する際には日本のいくつかの港を訪れる親日家の王室クラスの大きな存在)およびまもなく就航するメガシップ新造船クィーン・メリー2世号による大西洋横断クルーズの人気は以前にも増して蘇りつつあり、かつてヨーロッパの貴族から一般の庶民に至るまでのアメリカ移住を支援した定期船のノスタルジーを現在に伝えつつ、GPS技術の発達に見られるレーダー精度向上などの技術の進歩により、絶対に「タイタニック」の悲劇の起こりえない、安全な超巨大豪華客船の本格的なブームが到来しつつあることは、確かだ。大西洋上では、こんなツアー・プランが、しごく日常的に、当たり前のものとして量販的に、アメリカン・エキスプレスの旅行部門などを介して行なわれ、しかもQE2の客筋の大勢を占めるのは、ごくごく一般的で平均的な消費集団における、ヨーロッパに出身の由来を有するアメリカ人たちだったりしているのも、リゾートや旅行の事情を考える上では、格安ツアーはおろかデラックス・パッケージの浸透度でも大衆大国クラスの日本人に於いても、何だか凄い話
横浜グランドインターコンチネンタル・ホテル 横浜みなとみらい21の、リゾート・ブロックであるパシフィコ横浜の一角を占めるハーバー・リゾートホテル。シンガポールや香港のそれに劣らない、きわめて豪華なスィート客室を備えていることでも知られている。かなり以前だが、まだ現役大学生当時のFLEX-J Webmasterも、このホテル内の、一般的なクラスで言うとスタンダード・ツインに相当するルームに宿泊したことがある。ハーバービューだが、氷川丸およびマリーン・ルージュの発着スポット、山下公園側ホテル等はかなり小さく、観覧車がガラス窓のかなり近くにあってただただ迫力をかもし出していて、しかもまだ周囲に建設中の区画が目立ち、案外に他愛なく、眺めに対する感慨は薄く、殺風景であった。ただし、濃紺の宿泊案内がテーブルの上に置かれたホテルの客室内で過ごす時間はきわめて快適なものであり、どことなくヨーロッパ感覚の客室風景が、キャビン・アテンダントのステイでも手招きしている雰囲気の「大阪新阪急ホテルアネックス」や、それに近いが少しだけ"ケヤキ"に似せたり、麻布っぽさやFEN(現在のAFN)感覚を、アメリカに行ったことのない日本人がイメージするアメリカ西海岸感覚とともに醸し出していた「東京全日空ホテル」よりも量感のある、バリー・ホワイトっぽさ全開で、生粋の横浜系のマンダリン寄りなヤング感覚を、ややクリーム色っぽい白一面のデラックス・ツイン(正式な呼び方は覚えていない)の中で、ベッドはよく見ると薄いオレンジ色っぽくて週末ハネムーンのプレイスには相応しい、(日本最高水準の豪華カーフェリー「太平洋フェリーいしかり」のスィートルームの広さやベッドの大きさや動く舳先ビューの壮大さには敵わないにしても、ほかは遜色ない感じの)"デラックス感覚"の一語がひどく似合う、アメリカにホテル結婚式場があればこんな感じであろう、風の、なかなかの"崎陽軒のシュウマイ"のファンであって、明日は午前中に当時羽田発着の中華航空台北行で、豪華な中華グルメ三昧で過ごしたり、ヨーロッパ系の高級ブランド店を見て廻る予定、みたいな客筋の気分にしてもらいながら、滞在を楽しんでいた。FLEX-J Webmasterは翌日、パシフィコ横浜の地下からクルマを発信させると、昼頃にかけてはワイルドブルー・ヨコハマの人工ホワイトコンクリート製ビーチ近くの波打ち際に置かれていたリゾート・デッキチェアーの上でくつろいでいて、夜には、真冬ながら東京ディズニー・ランドに入場、トラッド・カジュアル姿のコートの襟を立てながら歩いていると、顔なじみの、彼氏連れもしくは女友達連れでの、いわゆる音羽系キャンパス誌の代表格とされている大学デビュー組の女子大生間での愛嬌溢れる賀詞交換会向けカリスマ・パフォーマンス誌としても知られていた『JJ』の読者モデルにもなっていた元英米文学科クラスメートのリツジョの姿を発見。相手方も気がついたらしく、互いに軽く目配せをする程度のコミュニケーションで流すと、前日の夜には(以前には昭島居住歴のある)横浜在住の20代中後期で肉感的な女性とのベッドタイムに、前技にはたっぷりと時間をかけながら精力的であったFLEX-J Webmasterは、一人、新春の舞浜リゾート内を、スペースマウンテンへと向かって、おろしたての新しいシューズも軽く、確かな足取りで歩いていったのである…………
東京グランドホテル ホテル・インのクラス料金で、ひと回り贅沢な施設に宿泊することのできる(建物的には西新宿のホテルの中で最も挑発的であって美しい流線型のエクステリアを持つ本館の隣にあるモダンアート系エクステリアの高級感漂う本格建築を持ち、大衆的な館内モールにおけるテナント内容とは対照的に、スッキリしたスマイルによる、上出来だが薄味の応対をするフロントから先はしっかりとしたシティホテルの仕上がりになっていて、意外なことにイタリアの三ツ星ホテル感覚の客室を持ち、眺めも良い)「新宿ワシントンホテル新館」にも似たパッケージングにおける、本格的なシティ・ホテル。曹洞宗大本山永平寺・総持寺ゆかりの精進料理をメニューに加えて提供中の、"東京タワーやお台場に程近い、芝のツアー向き観光拠点のひとつ"といったところであろう
開東閣 [1][2][3] 現在は島津山にて清泉女子大学本校舎になっている旧島津侯爵邸とは、ジョサイア・コンドルの作による一卵性建築物にあたるのが、旧三菱財閥の"建築・庭園マニア"な総帥・岩崎弥太郎の命によって建てられた、旧岩崎高輪別邸洋館であるところの関東閣。現在は三菱グループ各社によって管理され、しばしば企業によるパーティ(海外ブランドの発表会だの、ファッション・ショウの会場だのにされているとのこと)等の現代的な"営業部"感覚での接待用途にも供されているらしい。イギリス衛兵の姿をした風鈴飾りが窓に飾られていたオーストラリア大使館にも程近く、ダイヤモンド・スターにしてみれば格好のライバルであるところの、三田綱坂の"旧財閥系迎賓館"綱町三井倶楽部にも共通する種の、保存洋館。イギリスのスペンサー伯爵家本館のパレスに、あまりにも酷似している
伊豆山ポータルサイト "クルーズ元年"を告げた日本発の本格豪華客船としてニュースにもなった、商船三井客船による国際格式豪華客船ふじ丸は、移籍前のレギュラー・クルーズにおける最終スケジュール消化を、淡々と、東伊豆の海上で行なっていた時、(かつての渋谷源氏山最高クラスの大御所貴族であった一族の子孫すなわち若きプリンスなのであり、立教大学(セントポール)にあっても培われていた、稀有なスノッブなキャンパス型都市的情報感覚の申し子)FLEX-J Webmasterは、ふじ丸の屋上プール・デッキの上にいた。インフォーマルでのアフターディナーののち、ダブルブレストの紺ブレザーにポロシャツ姿、リゾートっぽい、緩めのコットンスラックスのいでたちに身を包み、ドライタラソ感覚にも満たされている潮風を全身で感じ、潮の流れの揺らぎの感覚に身を任せていた。そしてそこには、美しい本州の島影そして街の灯りが、淡く、ターコイズブルーの空と海を背景にしながら、適度に色彩をにじませながら、一面に広がっていた。メガシップ全盛の時代とはいえ、日本人の感覚にはあまりにも雄大なパノラマを惜しげもなく捧げてくれるインターナショナル・グレードの大きな船体を、ふじ丸は決して揺らすことなく、いたって穏やかかつ軽やかに、湯河原、伊豆山、熱海、そして下田の沖へと、舵をきっていたのである。………かつて平家は舟によって海に沈められ、彼らの魂は永久に海の底へと封じ込められるに至った。そして、平家によるあまりにも大きな規模の船団を自らの手をもって沈め去ったのは、他でもない、時の清和天皇と藤原家の嫡子の系譜にあって、『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルにもされ、のちに独自の武士団を組織、長きに渡る平家との攻防戦の末に、鎌倉の地に初の幕府を開き、国の王権をも委ねられるに至り、約束された日本史世界における幕府方覇者の系譜を授けられた、清和源氏自身、なのである。ところが、FLEX-J Webmasterときたら、どちらかと言えば狸顔の持主として東国的な美女顔の一パターンとされている源氏系の女性たちよりは、すっきりとしてクレオパトラ系で神秘的な、どことなく弥生系で、関西系の女子大生の中にも多い、ミステリアスなムードを秘めた大人っぽい女性にもかなり弱く、概して彼女達の系譜には、当時において山間部に逃れて生き残り、いまでは純和風旅館なんぞを経営もしていたりする女将系および、京都に集中している公家方が血筋の上では関わっていたりして、そうした(清和源氏の血筋の女性達がかなりの比率で今やすっかりと忘れてしまっているような種類の)独特の深い奥行き、穏やかなきめこまやかさを内包するタイプの女性達にも弱かったりする。が、ここでは、そんな話とは全くわずかばかりも関係なく、ラスト・クルーズ中のふじ丸から眺められた島影の先にある一角、伊豆山を注目してみることにして、名所旧跡および宿泊情報などの情報が集められた現地発のポータルサイトを紹介しておきたい
新宿御苑と御苑トンネル [1][2][3] 環境省が国民公園の枠で運営管理している代々木エリアの一角を占める新宿の緑豊かな有料都市公園。「日本庭園」と「西洋庭園」とがあり、イギリス式風景庭園ではゆったりと羽を伸ばすことができる。盛夏の頃にもなると、周辺に典型的な"コンクリート・ジャングル"(一頃は"東京砂漠"などとも呼ばれていたりしていた)よりも気温が2、3度も低めの環境特性を有する「都心の中のクール・アイランド」。新宿区内では異色の"自然派パピリオン"であるガラス・ドーム「常夏の楽園温室」などの人気施設のほか、重要文化財「旧洋館御休所」および皇室ゆかりの「菊花壇」などの存在が知られている。甲州街道の御苑トンネルはバックにNTTドコモ代々木ビルがそびえる眺めも外苑系コンテンポラリー感覚の有用なバイパス・ルートだが、以前ここを、FLEX-J Webmasterと当時関わっていた早稲女OGにして外資系経営コンサルタント嬢が出向していた通信ベンチャーにも程近い、国連大学隣の青山ブックセンター本店からの流れでヤマハだかの原付スクーターを、単純に移動に楽でスポットに立ち寄りやすく面白いから操っていたFLEX-J Webmasterは、原付バイク通行禁止の標識を見落とした結果として、出口附近で待機の交通機動隊より"青い納付書"を手渡されたりしてしまった。それを教訓として、FLEX-J Webmasterは、二輪に乗車する場合にも原付バイクに乗ることは控え、代替として80CCの小型二輪スクーターへの"都市型騎乗生活"への切り替えを行なうに及ぶ
ウィンブルドン2003 [1][2] ロンドン市内から地下鉄で一本で行けるセンターコートは、世界のトップ・プレイヤー達にとっては日々是戦闘に近いホットな激突ラリーの社交場。リアルタイムのスポーツ系サロンにおける優雅なフォーマル・ウェアにも見える白いコスチュームにしても、実は、鍛え上げられた迫力の"テニス筋肉"で肉づけされた威圧感をむしろ巧みに隠蔽するためにこそあるものだが、それもコート上でのことであり、私服のスポーツ選手の素の姿が優雅であるか否かは、全く別の問題なのかもしれぬ
新橋・第一ホテル [1][2] 新橋の駅前に建つこなれた都市型ホテル。イン・クラスのそれに、若干、ツーリスト向けの付加的内装が施されている客室。外来ランドリー"Qプレス"なるサービスがあったりする。天王洲の瀟洒な高層ハーバー・リゾートホテル感覚拠点の方は眺めのよさもあってカップルに人気
Segafred ZANETTI 新橋第一ホテル前店 新橋駅ガード下のいまどきなお手軽系"キャッフェー"スポット。だったら、眼の前の社用族御用達系ながら「シティ・ホテル」の枠内にはしっかりと収まっている施設内のカフェでも使えばいいのに、の如き余計なお世話事までもが思われなくもないが、ビジネス交際費節減ブームの折、お手軽と言えばお手軽なのである。インターネット・サーバー上に見られる、ある種のディジタルな都市機能移転化現象についての議論などを取引相手と繰り広げていたような時代を背景にしていた時代が残した遺物でありながらも現役稼動中のコーヒー・チェーンのいくつかは、フランチャイズ創業者の手許に莫大なキャピタルゲイン資産を形成した
ラ・マーレ・ド・チャヤ = バー久楽 = 日影茶屋 三浦半島一帯に展開されている瀟洒な南仏風ダイニングおよび料亭、バーなどの店舗群
ホテル・パシフィック東京 東京都品川区の、文字通りの品川駅前に建つ、エール・フランス資本メリディアン系列に属する内陸側の拠点であり、実際にエールフランスを始めとして複数のエアライン・クルーがここをステイ先ホテルにしている。某作家とセックスフレンド女性が、投宿先のこのホテルの駅側の出窓を見下ろしつつ、通勤通学客の眼を意識し、見せつけるような、凡庸なる俗世的表現における「同伴喫茶ゴッコ」に、飽くことなく励んでいた……とのこと。FLEX-J Webmasterにおいてもたまに試みる、どちらかといえばまごうことなく好ましき快楽的な愛情ラーゲのひとつの定番パターンだが、ソレがどうした、となればそれまでのことなのでもあり、それくらいのことが珍しいこともなく、旺盛な性的消費マインドの時代において若干"お単細胞"のそしりをも受けかねない程の、しごく他愛無きコミュニケーション遊びの一端にも過ぎぬこともまた確かではあろう。問題は欲求不満の捌け口の方法としてのセックスフレンド遊戯なる営為を昔ながらのオジサン・パターンで悪戯にむさぼって見せることよりも、基本のモチベーションであるべき愛情の質、すなわちカップル間の文学性に裏付けられた精神領域こそを本来的に高め合いながら、現世の生身に内在される目に見えない魂の実在を感じあう為にこそ、もって御互いの霊的な次元に於いて欲情の迸りに抑制を加えることへの意味などは毛頭感じられない熱き二人にあって、お互いの火照りを隠さず、素直な自己に立ち返りながら、情熱の肉体を介する意識の確認作業がなされるべきではあるまいか。そこが外資系航空会社チェーンの都市型ターミナルホテルであれ、ガールフレンドが暮らす都区内のコンパクトなルームであれ、漁灯だのリゾートホテルの窓明かりだのが揺らぎながらフロントガラス上の横長の景色に浮かぶ、海辺のリゾートの片隅に停まるドライブデートのカーキャビン内であれ、或いはビル内部や高速道路の路肩、学校の図書室の裏、エレベーターの中、テニスやスカッシュ明けのクラブハウス、混雑する電車でのカップル通勤時、観光的見学における古城の中など、場所やシチュエーションが問題なのではなく、重要なことは御互いの想いのたけを、体温を介して感じ合うことなのであって、たぶん、変態的なH投稿雑誌を相手の異性に見せたりして昂揚させ、即物的な刺激を高めることによる刹那的な行為を単純にプレイとして楽しむことには、FLEX-J Webmasterにおける過去の経験から言っても、ほとんど何らの文学性も筋書きもない、脈絡もなく繰り広げられる単なる阿呆のハメ外しゲームにも過ぎぬ気がしてしまう。精神において最も忠実にして誘惑を前すると最もはかなく不実なる肉体上のしもべである"感覚"とは、一切の感性や芸術性、趣味性、体内の脳、神経組織や性愛的器官を包括しながら、唯一的に愛情を随時高め合う為のしもべとして、愛なる至高珠玉の精神的営為の下において有効な機能を果たすことが理想であることは間違いがなく、交際は愛情主義において行なわれることこそが適切である。が、とかく凡庸なる世間のオジサンの多くは、"感覚"を消費する為に"感覚"を貪っているような至らない輩が後を断たないことは甚だ好ましくない事態には違いない。が、FLEX-J Webmasterにしても全てが純愛であるとの絶対的な自信まではない曖昧で無難主義的な感受性に縛られている一面は強く、日々に於いて、至らなさの自覚を余儀なくされることしきり。ただし、生理的に合わないタイプや嫌いなタイプ、ある種の一致性を感じられないタイプまでをも据え膳頂いてしまおうとは考えてはいないし、逆にラディカル過ぎて資本主義的過ぎるお取引系の世話になる場合でも、好みじゃなく興味もわかない相手にまでは手を伸ばしてはいないことからも、男性的な生理欲求が入り混じる状況にあって、自分として決して矛盾はしていない形での異性体験としては一貫しているつもりである。が、単なるビジネスとしてのパートナー探しが横行している意味においては、形態に関係なく、いまどきの男も女も、基本的には資本主義によって奴隷化され、利権化されたセックスや婚姻を、取引材料にしながらマテリアル・マニアックでフェティッシュなコンテンポラリー・アート感覚にも飲まれた欲望的生存の為のビジネスを利益拡大、発展のために営んでいるのでしかないことも然りであるような状態は、普通の勤労者の常識的な感覚を大きく超える、ある種の油田利権じみたハイ・ベクトル、ハイ・クラス、ハイ・ランクな消費型権益をチラつかされた時に於いて、より中枢に近接した都市の時計に感覚を一致させられた人種においては顕著化してしまう、ある意味哀しむべき現実の状況である。愛よりもマテリアルや神通力のある精神的ステータス(=[康夫チャン語における]精神的ブランド)を欲する人種においては、普通の感覚を超えて、好んで物欲生活の虜となり、経済力だの生活力だの名刺の肩書きだののデータに取り込まれるようにして、カタログ的に相手をチョイスしていこうとする。縁あって出逢った相手に直感的に惹かれていき、感情移入してしまうような、本来の世間一般の恋愛パターンを、物質的経済主義の虜となり過ぎた彼等ないしは彼女達は、そこに顧客ランク意識的な欲望のフィルターを通しては、好んで透かしてみせたりしつつ、「格上」「適材」「格下」などの経済的判断での分類を大学入試における合格者選抜方式に準じた方式によって鋭意繰り広げていたりする。そういう人々の間では、愛情なんて二の次だったりするか、或いは意味がないものだったりする。が、1990年代以降、不動産バブルの崩壊が示すごとく完全に終焉した高度経済成長の時代の後、たとえばそれまでの価値観における、消費エリートにおいて見られたヒエラルキーに関する温度差のようなものは遠のき、より贅沢で高級なそれらが薄利多売で大量に店頭に並べられるようになったりして、層としての経済学ならびに社会学的な実質版コンテンポラリー消費階級ランク信仰話はすっかり過去の話になり、量販されるメルツェデス・ベンツCクラスのような車種が、都会的利権主義者の田中康夫あたりをして"覇権主義的"とのそしりにもなって言い表される程に、ベッドタウン・ローカルのなんてことのない一般世帯にも大量に浸透、それらの経済的なランクとしての価値が一気にデフレ暴落してしまったことで、品の良さや芸術性の高さを主眼にしている少しアッパー寄りの欧州車に乗っていたり、ラグジュアリー・ホテルや高級感漂うメインダイニング・クラスに詳しいからといって"偉い"こともなくなり、情報の中枢的メカニズムも、都心のハイブラウ感覚一杯の出版社のみならずインターネットとに二分化される世界構造をなしながら、いまや一般人たちの愛のかたち、体験談のほうがスリリングであってヴィヴィッド、或いは一般人の世界から現れた("今こそ実践すべきハイソサエティのライフスタイル「ノブレス・オブリージュ」を知る"などの見出しが小気味良く躍るリアル・プリンセス & エクスクルーシヴ主義の中枢的フィードバック機関媒体とも記されるべき)『25ans』式ゴージャスな姉妹のような人たちの持つ独特で、お仕着せのトラディショナルを普遍的に貫いていることを密かに誇らしく自負していそうなファッション誌におけるエディター感覚によるオリジナル企画であれば最上段に持ってくることに勇気や確信がもてずに躊躇してしまうような、ずぶの一般女性がオートクチュールを身に纏うようなマイブーム感覚の空気までもが、"それまで"の時代を追い越して、スペシャリスト型素人の時代の図式を形作ったインターネット・ブーム的な時代の傾向によってもパワー・アシストされながら、全くかつてなかった一般の消費者自身による消費スタイルの創造が、国内に於いても定着してきているのは、一過性のブームなのではなくして、低成長時代化構造における、今後長らくそこにあって普遍的な生活的な営為として定着するであろうし、業界発のブームが主流の時代は遠のき、それぞれの分野を担当しているような容での一般マニアたちが基準の、自給自足型ブームの時代へと変遷していることの反映であるのは間違いのない点なのではありそうだ
故プリンセス・ダイアナの生家を訪ねる スペンサー伯爵家の令嬢であった故ダイアナ英国皇太子妃を偲び、日本人イメージにおけるイギリスの素の原風景を訪ねる、フォト旅日記ページを発見
アメリカン・ファーマシー有楽町店 1950年、東京・飯倉坂上にあった米国海軍将校倶楽部の一室において開業された小さなドラッグストアは、二年後、現在の有楽町に店を移設して、現在に至ル
クラランス ビューティ・ボディケア製品のブランド。HPの付録コンテンツに「ハーブ図鑑」等
ダイヤモンド・ホテル 東京都千代田区一番町。周囲に皇居および英国大使館などが建ち並ぶおなじみのロケーション。「都心のホテル結婚式場」として、館内にレストラン数および種類が豊富、意外な穴場
クリスチャン・ディオール「スヴェルト」と「ビキニ」 [1][2] ビューティ・ボディケア・アイテムの決定版の一つ。以前に大ブレイクの「スヴェルト」に続き「ビキニ」も発売
Well Being Spa & Relaxation 「バリニーズ・エステをリラックスして楽しめる独特の国際線プレイス」
アメリカ猫の品種「バリニーズ」 シャム猫を品種改良することによってアメリカで誕生した良血種の猫
国際文化会館 東京・六本木。1952年にロックフェラー財団を含む内外諸団体や個人からの支援で設立された非営利の民間財団法人。文化・学術・アートの研究者間の交流拡大を促す通常の活動のほか、定食・軽食も用意されている"コーヒー・ショップ"があったり、花咲く三千坪の日本庭園を眺めながらの各種の宴席やパーティの会場としても有料で一般に供されている
都区内および全国・主要レストラン・リスト 東京都区内を中心に、神戸三宮、札幌市などのお薦め系レストランをリスティングしている一覧ページ
オーベルジーヌ 東京都港区芝。ドイツで初めてミシュラン三ツ星星を獲得した、エッカルト・ヴィッツィヒマン師の店、"本家"オーベルジーヌで修行した小滝晃氏の店
六本木〜麻布十番のレストラン・リスト 「Roti」「ブラスリーベルナール」「リラ・ダーラナ」から国内随一の美味を誇るハンバーガーを食べさせる「ホームワークス」に及ぶ、完全網羅式のレストラン・リスト
狩場インターから箱根強羅へのドライブ 横浜の交通の要所、狩場インターから、箱根強羅までのドライブ・ルートを、ローカルの人が教えている写真附きロードガイド
披露山庭園住宅 [1][2][3][4] 三浦半島の一角にあり、相模湾に面している丘陵。湘南道路(R134)を逗子海岸を過ぎたあたりで、逗子湾に沿って曲がり、伊勢山トンネルに入ると、このトンネルの上にある丘。居住関係者以外はクルーズの日本のビバリーヒルズ「披露山庭園住宅」の家並がちょっぴり見えるのだが、逗子有数の超高級住宅街であるこの地は、以前にTBS(東京放送)系列の不動産ディベロッパーが開発した謂れのもの
横浜港の客船クルーズ情報 「世界最高クラスの豪華客船クリスタル・ハーモニー」の入港が、"西暦2003年の疫病"のために、残念ながら中止になってしまった横浜港客船ターミナルだが、今後も入港の予定は相次ぎ、「もうひとつの国際線旅客ターミナル」の貫禄を示す
米軍長井ハイツ跡地 [1][2] 横須賀市の片隅にあり、元々は全長2千メートルクラスの滑走路と(どちらかといえばイタリア空軍のような佇まいの)アメリカ軍住宅とが存在していた、異国情緒豊かなエリア。数年前まで存在していた基地住宅はいまは取り壊されているが、基地返還後は長らく誰でも自由に出入りできる欧米的なピクニック施設として親しまれてきた
サーフサイド・ビレッジ [1][2] 国内でも珍しい種類の宿泊施設として存在する、三浦半島のサーフ・ホテル。文字通り、サーファーたちのメッカである。詳細は不明だが、予約をすれば誰でもホテルとして利用できる
三戸浜と黒崎の鼻 [1][2] おなじみ、三浦半島である。湘南に較べると対照的にひっそりとしていて、ほとんどイタリアのアドリア海と、宮城県の松島リゾートとをコンパクトにミックスしたような、独特の密やかな砂浜が迎えてくれる
剣崎の灯台 [1][2][3][4][5] 三浦半島の一角にあって、最も地中海系(眺めからしてイタリア風)の潮風を満喫できる屈指のスポット。ハッセルやマミヤは勿論のこと、コンタックスのRTSとカールツァイス・レンズのようなアーティスティックな一眼レフ・セットで風景を撮りためれば個展作品並の素晴らしいフォトになることはうけあい。勿論、この度フィルム・メーカーのコニカとの合併が決まり、イタリアンな表現感覚を固有のものとして有するミノルタのαシリーズに、ユーロ系映像美の根幹を成すコダクローム64を使うことでも良好な結果が得られよう
ゲラルディーニ [1][2][双璧を成すクリツィア] フィレンツェの老舗バッグ・ブランド。創業は1885年。軽さ、使い易さ、イタリアン・ブランド独特の、しかし光る素材中心の織物系のバッグだけに、シックであって尚且つ華やかで大人っぽい。近年、丸の内店がオープン。軽くて丈夫で汚れにくいの三拍子揃った、SOFTYと呼ばれるポリエステルとポリウレタンを使用したラインは有名
ホテルパピヨン 全室ヨーロピアン・スタイルのレジャーホテル。いまどきのラブ・ホテルは、ブティックホテルの時代を経て、一人で泊まってもアヴェイラヴルな施設を持つが、こちらは横浜にあっても最もお品の良いクラスの、いかにも一橋大学系の大学生が好みそうなセンスを持つ。内装もいたってシンプルそのもの
京都市情報館Web 京都市内に夥しく点在するヒストリック・スポットの数々を、エリア別にマップとデータとで紹介しているオンライン版の歴史観光ガイド
熱田神宮 国内有数の格式を誇る、名古屋市の大神社。三種の神器の一つ「草薙神剣」の御鎮座に始まる由緒を紹介している。また、有料にて公開されている皇室および将軍、藩主から寄進された稀有の歴史記念物の収蔵量を誇る「宝物館」は必見
冷泉家住宅 清和源氏最初の母方でもある平安貴族・藤原家。そして、鎌倉時代の朝廷に仕えていた歌人「俊成」「定家」の子孫が、すなわち最後の公家邸宅および文化財をいまに伝える冷泉家なのである。現在、大掛かりな修復作業を続ける冷泉家住宅にあって、尚、冷泉家の人々は、世襲制により、まぎれもなく現代にあっても公家方の文化人活動の流れを脈々と伝えているのだ
ラ・カスカータ 六本木の一角にて当初は会員制レストランとして限定的に知られてきた店舗が、西暦2003年度の春から一般開放されるようになった。ほとんど当サイトのウォッチャー向けに流しているようにも思われるテレビ的な情報番組上でも、若い女のコたちが一足速くお出かけしたりしていた。パンがおいしいとの話も聴かれる
中央線の「特快」(特別快速) [1][2][3][4][5][6][7][8][京王線・新宿地下駅リニューアル] JRがまだ日本国有鉄道(いわゆる旧国鉄)だった時代から、首都圏エリアの中央快速線のそれは、最も古株の「特別快速電車」として東京〜高尾区間の通勤電車に運行されていた。昭和40年前後の時期にデビューしてきた101系シリーズの新性能電車初代形においても「冷房化率100%」を誇り、新宿を出発したら次は中野、三鷹、立川のみに停車、の高速運転は、当時の特急「あずさ2号」よりもアベレージで速い、との知識が、鉄道マニアの間で知られていた。現在は早朝と夜のホームライナーが走るようにもなっている中央快速・青梅線の区間にあって、「特快」が国分寺にも停車するようになった頃には、「特別快速とただの快速の区別がつかない」などの声も聴かれていた程に、特別快速は停車駅数の少ない快速電車として、当時における首都圏じゅうに名を馳せていたのである。「クリスタル族」のベースを生んだ東京都国立市の「一橋大学国立キャンパス」の最寄駅「国立」へは、よって特快は止まらず、スピードが遅めでほとんど(総武線直通の黄色い)各停と変わらない一般の快速での通学を、一橋大生は余儀なくされている次第。尚、都心からの大規模なキャンパス移転ブームの地となった「八王子」も、特別快速の停車駅だが、立川から高尾の区間は特快でも各停になってしまうことから、新宿京王デパートの地下にあるホームから発車、中央線に並走して、途中の仙川ではかの白百合女子大生の乗降もあり、沿線に超高級住宅街が少なくない京王線における、対抗馬的な「特急」(特別料金不用の通勤電車型特急)で向かうのがハイスタイルであるとされた
続・三宅坂トンネルと首都高速新宿線 [1][2][3] 首都圏を走るJRの中央快速線に並行して走る首都高速道路・新宿線。とりわけ、最も風景的に顕著にアッパーミドル・テストにおいてコンテンポラリーだったりする三宅坂トンネルの入口附近では、背後にホテル・ニューオータニ東京が見えてきたり、いかにも都区内山側の大規模地下トンネルらしい、雰囲気のある欧州系のサルーン・カーで走るのが気分的にもマッチする、きわめてコンテンポラリー・ムード漂うヴィジュアルや空気を醸し出している。そして、この区間を電車および高速利用で何度も行き交っているうちに、東京ウエスト在住者には、エグゼクティヴやセレブの経済力イメージにも相乗しやすいかたちにおいて、根強い横文字コンプレックスが生まれてきたりもする。伝統的な日本文化を今に伝えているような家元のような家柄の人たちよりも、ある種、パリのお城に住んでいるような西洋貴族のほうが遠くにいて格が上、みたいな、評価の基準みたいな物自体が倒錯してしまっているような感覚。一昔前にしばしば聞かれた「海外のトップスターやアーティストに較べれば、日本人なんて全然…」みたいな、ありがちなフレーズ。頭の中身が『ベルサイユのバラ』一色になってしまっていて、環八や東名横浜インターの方に行くと急に(ヤナセだったら昭島市南端の新奥多摩街道沿いにもあるとはいえ)お値段のお高めな欧州車ディーラーが夥しくあって、ヨーロッパ的なるものが花盛り、みたいな。「アメリカ空軍横田基地」なる施設が日本の中に、しかも彼らの身近にあったりして、アメリカ車のほうは見慣れていて、ある意味アメリカ人もほんの少しだけ日本人よりも恵まれている点が多くて、憧れの対象、みたいなところが彼らの価値観にははっきりとあったりするけれども、アメリカよりも1〜2ランク程度、ヨーロッパのほうがもっとランクが上、みたいな、きわめて他愛無くも、どことなくリアリティがありそうな、欧米と「うさぎ小屋に住むニッポン人」との間での偏見的な客観比較。鎌倉のそれを除き、ひなびた和風の文化となれば、東京ウエストの人間にとっては"超ド田舎"奥多摩の山の中もしくは下町方面の、コンテンポラリー至上主義一辺倒の近代的な価値観からすればかなりダサくてさえない、そして因習にでも縛られていそうな、クラ〜いイメージには、「鎌倉」と「京都」だけは正当にしっかりとプラス評価をしてみせる東京ウエスト在住の人々自身における自縛的であって15年以上は続き定番ブーム化していた「クリスタル族」的価値観の温床でもある見栄精神(そういえば、"ホイチョイ・プロダクションズ"なる吉祥寺は成蹊大学の学生企画集団の手による『見栄講座』にも、東京の"上品系"イナカ・コンプレックスぶりは見え隠れしていて、ある種の城南的なリアリティを取材的手法によって精一杯"現場の生音収録"っぽく醸し出すことに務めていた「クリスタル族」および「ユーミン゛・ブランド」におけるそれにも、コンポーネント的には何ら変わるところのない、立川、八王寺感覚的な"背伸び感覚"が目一杯反映されていた)にも連なる、一連の心理傾向を感じ取ること自体は、とても容易である。つまり、東京のイナカは上品でエリア・グレードはまあまあであるにしても埼玉並にださく、多摩地方では「庄屋系の伝統旧家」や「日本家屋に暮らしている地方成金」の家よりもファッション性自体は俄然高いユニット工法による「メーカー住宅の少しハイクラス・バージョン」に暮らす方がまだずっと異性にもモテるようなことがあって、ドラマの舞台にもされたことから「金妻族」のメッカとしても名を馳せたことから、「ヨーロッパ趣味は格上の世界に共通する項目であって、それこそは現代における"南ロシアン山"(東京都港区南青山)的一流感覚」のような認識に変形していってしまったのだ。洋楽コンプレックスにしても、西高東低なる東京的流行環境の中では、基本的には京王線沿線および国立市、そして何故か流行感覚が東京ウエストよりも一皮垢抜けている場合も見られる千葉県船橋市あたりから広まり出して、最終的に末端における足立区および"東武鉄道不動産部門"寄りのサイトへと一般浸透していった経緯もあり、東京ウエストにおける極端な欧米コンプレックス意識のためか、バブル当時には代々和菓子舗を営んでいる日本橋系の大卒後継者であれ、随分と、バブル当時に東京ウエストで大ブレイクしてしまっていた受験英語エリート主義的な横文字的価値観には軽んじられるところがあったりして、実勢の割にはもてにくかったり、東京イーストでは男性側において根強い東京ウエスト方面子女育ちの若くてコンテンポラリー系の女性に対する渇望にも似たコンプレックスが見られたりするなどの、異常事態が長らく見られつづけてきた。東京ウエスト側の人々には案外に国内旅行をしない人々が目立ち、成田空港が東側へ行ってしまったことへの地理的コンプレックスも強いことから、イキナリ海外へとフライトしてしまったりするなど、国内を客観的、相対的に正しく判断するための判断材料に乏しく、しかも一般的な戦後型建売住宅が若干ロケーションに恵まれている感覚のけやき並木系エリアが、新宿や渋谷を起点とするハイ・ベクトル系イメージの"ブランド私鉄電車"沿線における彼女達の実家として絵になる紹介を、持ち物公開などのコーナーで知名度が高く、ファッション性を意識したグラビアが目立つような紙媒体の上での高い評価を受けていたりするものだから、当然のことながらエリア住民の自意識は一つの層を首都圏的なデパート族価値観の上になしながら突出する一方であり、そうして育まれてきた西洋趣味が、そこで生まれ、長いこと育ってきているFLEX-J Webmasterを含めて、このエリアに所縁の深い戦後型の人々の間には際立っていたりもする。そしてそうした意識の根幹において根強く繁茂している原体験的な風景のひとつに、「首都高速新宿線の三宅坂トンネル附近」が含まれていたりするのもまた、至極象徴的なことなのではある
サウサリート [姉妹都市から見たサウサリート][オフィシャル・サイト] 日本でいえば、鎌倉から江ノ島、或いは横浜市の山側から三浦半島を思わせる、大都市郊外のミニ・リゾート地のひとつで、アメリカ西海岸のサンフランシスコ市の郊外にある。田中康夫著の『東京ステディ・ドライブデート案内』をはじめとした著書には、「浦安は日本のサウサリート」のくだりが繰り返し出現している。明海町に設置されたことから明海大学の名前を与えられた城西歯科大学グループのキャンパスや、イクスピアリおよび直営施設を含めたオフィシャル系リゾート・ホテルの出現(ただし本当に浦安・舞浜エリアにステイすることを考えるのであれば、豪華ホテル色の強い施設の意味合いでは、京都にもホテル拠点を有する「浦安ブライトンホテル」の方が、カリフォルニア色に染まりすぎることを避ける意味ではまだ無難な選択ではあろう)など、当時は"何をかいわんや"の状態だったものの、後になってから本当にサウサリートっぽくなってきている側面については確かめられなくもない。リゾート地としての規模から言ってもあえて取り上げる意味すらあるのか疑問に感じさせるような、アメリカ西海岸らしいカリフォルニア的"地中海性気候区"のリゾートとはいえ、規模的に茨城県土浦市の霞ヶ浦リゾートの一角、京成マリーナを大人向けに採り上げるのにも酷似した、あまりにも小粒なエリアであることから、日本人旅行者でも、ジャルパックが国内でほとんど初めて発売した格安フリーパックの"自分で創る旅"『ZERO』のような旅行に一人ででも出発してしまうことを好みそうな種のガイドブックマニアしか知らないような、マニアックな地名である
柊屋と俵屋 [柊屋旅館HP]["俵屋"マニア] 旅行好きだったりホテル・マニアが好む俵屋旅館と並ぶ、文政年間(1818年間)に建てられた格式の高い数寄屋造りによる伝統的な純和風旅館。アッパー・ミドル・テイストのホテル・マニアックたちは俵屋旅館に、国内外のVIPクラスは柊屋旅館に泊まるとの定評は有名。ちなみに、二人組で泊まる分には俵屋旅館への予約はYahoo!トラベルから入れてしまうさえが可能ですが、こちらの御宿では直接予約のみの受付になります。季節が変わるたびに、何人目かの異性のパートナーと俵屋へ、のようなストーリーは、とりわけ首都圏での品川系女子大生あたりには日常的なエピソードだったりして、紙媒体好きな読者の間ではうけが良いようです。ただし、実際に京都のこのような旅館を贔屓にしている筋は、概して女性連れのお友達グループだったりして、和の風情を満喫すると言う意味においてもどことなく「帝国ホテル方式」のイメージがだぶる、商家系および少しだけ実家がビジネスマンずれしてしまっているかもしれないことを、毛並みの違う友人達に囲まれながら少しだけ気にしている世帯感覚を持つアッパー・ミドル系の(勿論、パートナーとお泊りする上でのリゾート・ユーザー感覚において豪華純和風旅館よりは、都区内の"ブリリアント"な輝きを都心の夜間に放つシティ・ホテルの瀟洒なムードこそがむしろ好きな「東急東横線」感覚の強い)女子大生たちに好まれる感性が、インターナショナルなリゾートホテル・ビジネスを手がける海外の業界関係者からの評価の高い、俵屋旅館の館内隅々に秘められています
ケヤキグリル 東京都千代田区永田町にあり、営団千代田線の駅「国会議事堂前」からは徒歩一分の、キャピトル東急ホテル地下一階にあるフランス料理店。陶芸家で美食の大家であった北大路魯山人の手になる和洋折衷の様相を採り、日本的感覚の味がフランス料理にエッセンスとして彩りを添えている。一枚板のケヤキが内装を飾る様子はシックな高級感がある。会員特典で今なら一割引になるセゾン・カードの情報によれば「平均的な予算は一万円」ながら、レディス・グルメ・ランチは\3,800で手軽にオーダーできるとのこと。場所柄、政財界関係の顔ぶれを見かけることがある。ちなみに、キャピトル東急ホテル館内には更に、和食ダイニング「源氏」やコンテンポラリー系インテリアが生える中華などもあり、案外に"意外"な、お食事スポットとしての利用方法にも活用できる
伝承千年の宿佐勘 "純和風"松島リゾートの一角、秋保温泉における老舗の純和風旅館。設備規模が大きく、ゆったりとしていて、日本三景リゾートの一翼を担っているプライドやステータスを感じさせる。千葉県野田市の"キッコーマン宮殿"へ見学に行き、ミーハーにも「こういう御所のようなお屋敷で大きな顔して泊まってみたい」と感じてしまった、そこのアナタ向きでは、あり得る
茶寮宗園 [1][2] 秋保温泉の中でも指折りの、8千坪の日本庭園の中に、数寄屋造りの建物を配する、ラグジュアリー指向の強い純和風旅館。 客室は離れ10室、2階建て16室で全室温泉付、と、海外の超一流コテージ・ホテルにも負けない、島国日本のある種の意地のような空間
ホテルきよ水 [HP][秋保の凄い自然] 名取川に面して立つ、眺望系としてお薦めの秋保温泉の観光温泉ホテル。都区内の一流シティホテルのスィートクラスと較べてみても引けを取らないばかりか、内容も凄い和風特別室など、勿論、美人女将がいる形態での和風ホテルとしての洗練度では、御殿系旅館に並べてみても遜色がない
松島センチュリーホテル 和室が海側、洋室が山側に面している日本三景の一つ「松島リゾート」のリゾート・ホテル。「飛天」なる大宴会場をベースにして国際都市・東京の中におけるリゾートホテル形態をほぼ完成させた新高輪プリンスホテルよろしく、こちらにも大宴会場は欠かせない存在として際立っている印象が見られる
ホテルニュー小松好風亭 眺望系の和風ホテルとして、「松島リゾート」の中でもあまりにも絶好のロケーションに建っている、見事なまでの純和風リアス式リゾート・ホテル。一歩館内に入った途端、そこは松島の海における小さな島々が無数に浮かぶ絶景が展開されるほか、客室や大浴場に至るまでのすべてが見事なまでの「日本三景ビュー」。数寄屋造りの離れも二室のみ、存在しているとのこと
チェッカー・モータース 東京都世田谷区玉川田園調布に巨大なショウルームがあり、上野毛や尾山台、横浜にも営業所があるインポートカー・ディーラー。ホットなイタリアン気分満点のアルファロメオ車および四角いヤング・カップル向け格安車時代の「ニッサン・マーチ」などにデザイン上での大きな影響を与えていたフィアット車を取り扱っている。展示車および試乗車が抜かりなく用意されていて、しかも小粋。ファザコン傾向のある女子大生年齢の女のコたちの中には、スリーポインテッド・スターが誇らしげに立っている品種のラージ・セダンあたりを極端なかたちで「指定銘柄」化しているようなタイプが時々見られたりして、さしものフィアット車はおろかアルファロメオであっても頭から大志のないハンパ者扱いされてしまう場合もあり、ファザコンは苦手ではあれ、とりあえず女のコについては少なくともしばらくの間は堪能してしまいたい向きにとっては、鬼門のような場所かもしれない。そこはいわばマイペース感覚でファッション・ライフを楽しむ東京都港区"ロシアン山"(青山)感覚での暮らしを楽しむ日本における(テナント・ビルじゃなしにセレクト・ショップとしてのデパートメント・ストアの原点に戻っている感覚で、究極化された「ニューヨーク資本版の丸井方式」を採る)「バーニーズ・ニューヨーク」方式のセレクト・ショップ系自営業者(自信のショップもセレクト・ショップ感覚を記帳にしていそうな)や業界人の感覚における新しい息を吸収するための場所なので、エクスクルーシヴだのエグゼクティヴだのセレブだのの感覚までは、個々における自明的で固有なる趣味性を尊重する部分以外では、本質的に求めようがない。しかして、もしもそこが、たとえば(若干エキゾティックに寄り過ぎて日常的な現実感には欠ける上に、かつての忌むべき不動産バブルの温床の一つにもなっていた感じの)コーンズだったら、たぶんそういうこともないのだろうが、なんのかんのいっても国産車および「ヤナセ」感覚が今だに強いブランドのドイツ車たちの破綻のなさにも、今一度、あらためて敬意を表しておくべき必要性はあろう
リンガフォン・メソッド "リンガフォン・メソッド"なる独自の英会話テープ教材を販売している老舗、リンガフォン。立教大学の英語劇サークルでは、台詞の言い回しをネイティヴに似せるための訓練として、リンガフォンのテープを使っていたほか、1980年代に昔流行っていた週刊FM雑誌の中に確か無料サンプル・テープの進呈ハガキが附いていたか何かしたことがきっかけとなり、FLEX-J Webmasterも中学生時代にレッスン使用していたことがある。そういえば、FLEX-J Webmasterのエスカレーター式日大経済学部卒の父親が以前に勤務していた出版社(「ペンギン・ブックス」の代理店をしていたり、日本語注釈附きの大学生向けテキストなどを販売していたりしていた)では、英語基本単語のAからZまでをネイティヴの音読で吹き込んだカセットテープ辞典のようなものを発売していて、米語の発音では「アニマル」が「アマモル」に限りなく近く、それも田舎へ行けば行く程に訛りがキツ〜くなってくることを、教材上でも現地でも何度となく発見させられたりして、あらためてニッポン英語のカタカナ語的な感覚における温度差やディスタンス、感性の違いにおけるような"ズレ"(或いは文化ギャップ)のようなものを、共通一次世代のボヤキのような感慨において、良かれ悪しかれ痛感させられるに至っている次第。ただし、東京的なノリにおける英語感覚は、戦後ニッポンの英語教育世代のリゾート感覚やブランド意識、人生観、都市文明的概念、民族意識、国や社会との関わり方など、様々な面に於いて、コンポジションの段階から感覚的に支配してしまっていることは紛れもない事実なのであって、1970年代以降のイマドキ受験英語が放つインターナショナル・シティ「トーキョー」の感覚を、活字媒体に於いて、先輩格の片岡義男のような人たちとも相まって、英語名の流行雑誌の中でコンテンポラリーかつ渋谷系清和源氏ワールドにも居住者的に根ざしながら積極展開していて国公立大学受験組っぽい偏差値エリート・ライク(霞ヶ関および丸の内の感覚によって呪縛的に、強く、そして都区内のメジャー女子大学やミッション・スクール感覚を横目に見ながら、厳然と"支配"されており、しかも優秀な若手官僚の多くがそうであるように、きわめてデータ数が豊富で、エリート感覚を前にした時にはどこまでも誠実かつ真面目、寝食を惜しむまでにひたむきでありながら、異性文化に対しては発信者側的にいて免疫があるようでありながらも、実はセックスの一語に溺れる単なる"永田町的なエロオヤジの中でもかなりお下品なクラス"に過ぎなかったりして、世間のみならず仲間内からの批判も強い、ある種の利権主義オジサンの流れにいる擬似的国際派であって、丸の内的なスーツ・マニアの典型)であったのが、品川系のお姉さまカルチャーの攻略(ズバリ、現在の天王洲系および大崎系、そしてホテル・メッカの高輪界隈のそれに固定焦点化されているフェティッシュな感性の世界)をテーマに人生自体を傾かせながら、多くの時間と労力をエロっぽく割いている、東京ウエスト特別快速系の国公立大学生OBキャラクターを前面に出したことが、カルチャーの産地として誰もが元々から田中康夫っぽい基地そばの京王線沿線系住宅エリア語り口を持っている東京ウエスト以外のトーキョー、とりわけセントラルおよびサウス・ウエストや横浜のハーバーサイド界隈のようなところではきわめて物珍しく眺められていたところに、当時の稀代の"品川系ライフスタイル・アジテーター"としての田中康夫の真骨頂があったことは、当時の実際の空気をよく知っている人に向けては、あらためて特に付け加えるようなことなどもまた、まったく存在しないことを記しておかねばなるまい
夢のリゾート、アカプルコ [1][2][仙台1][仙台2][御宿町、更なる横顔][メキシカン・リゾートのNEXT、ロスカボス] 中南米の古代文明に端を発する民俗文化とスペイン文化の香りとがミックスして独特のカオスを生み出している、風光明媚であって、しばしば映画の舞台にもなる世界的な知名度の高さを誇る、太平洋系リアス式による壮大な海岸リゾートエリア。、近隣には宮島リゾートも控えている宮城県仙台市や「岩瀬酒造および隣の洋館」などの知られざる見所にも恵まれている千葉県御宿町とも姉妹都市関係を持つ、意外にも親日的で親しみ深い街との評判。近年はカボサン・ルーカスやカンクンに人気が奪われているとの話も出ている古株リゾートだが、依然として垢抜けたイメージのネーム・バリューに憧れてこの地を訪れる旅行客だって、勿論後を絶たないことは言うまでもあるまい。ホテル・インターコンチネンタル東京ベイ側からの台場リゾートブロックが、アイランド状の独自リゾート世界を築きながら雰囲気だけカリブ海エリアっぽく浮かんでいたり、エキゾティックなレインボー・ブリッジがかかっていたりする"光景"が、リオ・デ・ジャネイロのイパネマ海岸から眺める大海原を思わせるからといってかいわずか、依然としてはとバス的な業界でもトーキョー・エリアでナンバーワンの突出した観光地であり続けているとはほとんど全く関係ないままに、地中海系中南米リゾートとしてのメキシコやブラジルの位置付けもまた、旧ソ連の宇宙ステーション「ミール」から眺められるそれがあまりにも美しく珠玉であったのに一致しながら、華やかな静けさをもって、大人になったFLEX-J Webmasterの世代感覚に、ある種の楽観的な充足感をもたらしてくれていることは、何らの間違いもないところではあろう
代ゼミ生も河合生もみんな隠れて使っていた歴史名(迷)著『基本英文700選』 [1][2] この歴史的名著についてはファッション感覚で、ある種のバイブルの一種として使用、レベルや勘所の面での抑えとして使用しながら、自己の洗練された英文感覚体得の仕上げなどに効果を発揮していたFLEX-J Webmasterである。『基本英文700選』はまさに古典的SF名作映画『2001年宇宙の旅』における「モノリス」のような存在の英参である。それが一体何なのか、を解体新書的に、適切に紹介、解説できる者は、おそらくもって当の著者である駿台の伊藤先生くらいのものであるのだろうし、先生による講座を採ってみても、しばしば『基本英文700選』の謎を解読するためのシリーズ授業で終わってしまう傾向も、全くないといえば嘘になろう。もって廻った言い方を試みてみても、それを端的に言い当てることのできる者に至っては、これまでに一人も歴史上には存在しなかったのだから、だ。謎の多い、そしてパッケージの意味すら理解不能に近い教材だが、結論から先に記せば、少なくとも大学受験の学習の役には立つ。それも、秋口からスタートする後半からの跳躍的な成績アップのための、限りなき助力になってくれること、うけあいである。前述のリンク・コメントの続きだが、フロリダ州のテーマパーク・リゾートの街外れで、1970年代に大流行していた世界的なカセットテープ教材などを使ってみた結果としての発音による話し方ではなかなか通じることなく、最終的には作文を英語で記すなどの受験英語能力によって旅先での窮地を切り抜けることができた(テーマパーク行きのタクシーの予約を、時間指定で頼んだか何かの用件だったはず)のも、『基本英文700選』感覚を忘れることなく、コンサイスの英和・和英辞典程度は持参しながらも、件の例文集風フレーズが頭からすらすら出てきてくれたお陰である。が、FLEX-J Webmaster的には、例文を使い込む程に『基本英文700選』を復讐しなさいなどというつもりは、無論のこと、毛頭ない(西暦1980年代において「クリスタル族」の生みの親でもある田中康夫現長野県知事が雑誌『POPEYE』上で薦めていた教材であり、「クリスタル族」公認の大学受験教材なのだから、実践向きというよりも、FLEX-J Webmaster好みの品川系のファッション性にこそ大きく傾いていることもまた、事実ではあるのだが、それ以前から神田神保町界隈の大手書店でのベストセラーとして平積みされていたのも確か、なのでもある)し、たぶんそんなことに無駄な時間を割いているくらいだったら、基本的なイディオムあたりをひとつでも多く覚えこむ感覚でいたほうが、空欄補充問題のトレンドに備える意味でもずっと大きな効果を得られるのではないか、と思われてしまったり。ただし、夏休みは近いし、やっぱり不安なものは不安だし、思っている以上に勉強ははかどらない……な状態が内心続いている諸君に関しては、まずは心を落ち着けて、安心して受験勉強に取り組み続けてもらうべき方策はあるべきかもしれない。う〜む、大いに考えどころなもかもしれぬ。が、否、しかし、今一度、これまで予備校などのテキストで学んできたことの予習、そしてさらなる復習を、抜け目なく詰めていって欲しい気がしてしまうのだ。勿論、大学受験がカンペキに"未体験ゾーン"な迷える現役生諸君あたりに対しては、FLEX-J Webmaster的には、もうひとつ余分に夏季の単科講座でも採るつもりで、気分的な焦りや学習意欲をなくさない意味では、『基本英文700選』を今頃(西暦2003年度の、六月も末)あたりから入手してみるのは、悪いチョイスではないであろう。夏休みにもなれば、沖縄のリゾートホテルの、クーラーがひんやりと効いたプールサイドやビーチが見えるバー・カウンターあたりで、のびのびと優雅なひとときを過ごしたいのはやまやまでろあうし、おそらく、こちらもそろそろパンフレットを用意しつつ、旅行代理店の窓口あたりでリザーブした方が良さそうなイベントとしてのそれをする時間を、大学受験生にも与えてくれる少し要領指向のテキスト教材のひとつが『基本英文700選』のような気もしてしまう。毎日15分程度の時間を、ホテルのカフェで、勿論他に豆本系のイディオム本やら「英頻」のような総合文法問題集を開いたり、古文の係り結びや動詞の活用形の指南書、或いは進研ゼミだのZ会だのといった通信添削教材あたりを開いたりする人もいるのであろう。テキスト系のみならず、たとえば塩野七生女史による一連のイタリア史系エッセイ集などに手を伸ばしてみたりする大人感覚もあれば望ましい知的な営為ではあろう。また、世界史受験ではあれ、国内のヒストリック・スポットを実地で巡ってみることには大きな意味があったりもする。そして、すべての取っ掛かりや掴みをスムーズに運ばせてくれる稀有な働きが、『基本英文700選』の例文の中に、エッセンスとしてふんだんに詰まっている。自宅や予備校の学習室に篭って勉強が進まないことに焦り続けるよりは、FLEX-J Webmasterがここで薦めているような要領系学習の進め方を効率良く覚えていくことの方が、晴れて大学生になってからも、勉強しているように見せないが優秀な成績を保っていける容での、あるべき体質作りの上でも好ましいことのようにも思われる。大学受験予備校のテキストこそが基本ではあるのだが、ある種の無駄な焦りを感じないでいるためにはペースメーカーになる基準が必要なのであり、硬くなりかけた頭をスッキリとさせてくれる意味において、現役生あたりも『基本英文700選』にもそろそろ手をつけ始めると良いような気が、しないこともない
北海油田とアバディーン [1][2][3][4][5][6][石油の町アバディーン] 西暦1960年代、イギリス近海の北海で大規模な油田が発見されてから、見る見るうちに発展した港町アバディーンには見どころがきわめて豊富。イギリスのロイヤル・ダッチ・シェルおよびBPのような現地資本に交じって日本の商社資本も掘削に参加するなど、イギリスは一躍世界の産油国の仲間入りを果たした。が、近年では原油相場も下がり、北海油田の今後が危惧される事態に至っているなど、難問は少なくなさそう。また、不倫スキャンダルの陰で限定的にだが細々としたイラク空爆を続けてきたクリントン政権および世界の原油相場に業を煮やしていたイギリスの石油利権に関する"新事実"をまことしやかに伝える(?)ページをも発見、油ビジネスの最前線が見えてくるかもしれない???
カタルーニャとガウディ、そしてアンダルシア…… [1][2][3][4][マラガ][コスタ・デル・ソル1][コスタ・デル・ソル2][アンドラ] スペインは、フランスと西南で国境を接する地中海文化の国。歴史上では、とりわけ海事に関して、ポルトガルやイギリスに並んで、世界史上で、様々な意味で国名を刻んできた有力な国であり、同時に、アントニオ・ガウディの建築に象徴される文化が栄えてきたエリア、カタルーニャ地方を育んできた。発泡性ワインの産地でもあり、商業やブランド産業(フランスのルイ・ヴィトンもファクトリーを持っている)なども盛んで、情熱的なフラメンコの舞いに触発されながら食べるスペイン料理の美味しさも有名。華やかでハイセンスな州都バルセロナを一望できる"バルセロナ版の日本平"じみた眺めの高台に登ってゆくロープウェイにタレントの神田うのが嬉々として乗っていく姿が、先日なんとなくつけてみたテレビのスペシャル番組上で印象的に放映されていた。そして、ラテン・ヨーロッパの持つムードにおいて大道芸人や移動式を含む遊園地の世界がスペイン情緒にもしっかりとマッチすることから、意外にも、大人対応の本格総合型リゾートとして見てもけっして"アウト"な存在とは言えない近鉄資本による「志摩スペイン村」の"原型"を感じさせるコスタ・デル・ソルのような総合型世界的リゾートやマラガの街、有名なクラシック・ナンバーでも知られるアルハンブラ宮殿などで知られるアンダルシア地方はスペインの奥義のようなお薦めエリアだが、ファッション・ピープルにとってのカタルーニャ地方も大いに魅力のあるプレイス、なのであった
国境なき医師団 [1][2] イラク情勢を巡っては、わが日本政府は、まずもって人道援助論云々などはそっちのけに、あのブッシュ政権向けのアホーマンスを思わせる自衛隊緊急海外派遣を先行してしまい、"プライムミニスター小泉"の煮え切らない玉虫色の態度は相変わらずだし、しかも肝心の話題の焦点をそらしてしまうことに躍起になっている。一方で、世界組織のNGO団体としても知られる「国境なき医師団」は、イラク戦争後の事態にも対応を進めていて、日本支部オフィシャル・ホームページ上でも活動の一端を知ることが出来る。暮らしていく上で必要な日々の雑事に煩忙している一般国民の一員に過ぎないFLEX-J Webmasterにおいては、チャリティやボランティアにしてもささやかながらも暮らしの中で運営元が確かな場合に限り、募金を提供してみたりもしている。が、いまどきでは、先々の保障を一般人でも得られにくいのも確かであり、実際に募金などに参加して人を助けるよりも世の中から助けてもらいたい気分の人々も少なくない筈でもあり、「宝くじ」「競馬」などのハズレ購入金分などを、せめてものお互い様感覚の中で、世界中および国内向けのチャリティ資金にあててもらう程度で精一杯なはず。そして、(単なるポーズや人気取り、顔見世で行なう実態なきパフォーマンスを如何なく排除しつつ)"世の中のための存在を目指す公人"であるべく努力を続けている海外の(現在では世界的なトップスターや"儲かっている"王侯貴族を意味することが少なくない)資産家系セレブや各国医師などの存在に対しては、活動内容の実態や趣旨に応じて、発起人である彼らの呼びかけに即してより協力的な協力者でありたいと思っているところでもある。企業にしても、ヘンな文化メセナにかぶれてもらうよりは寧ろ、積極的にチャリティ型のメセナを進めていって欲しい気もするし、常日頃世の中への心配りや罪滅ぼしが足りない法人や個人が、現世での所業が祟ったのか、自明的なる滅亡に向かっている例は少なくない。募金などへの寄付もまた、忙しい現代人における推奨され得る参加方法なのだとすれば、持分に応じた寄付やスタッフワークを提供することについては、重要な営為でもあるはずである。大富豪化した世界の油田王ロックフェラーやダイナマイトの発明者ノーベルなど、国内外に向けて、バランスの良い配分を進めていった例は、例えば儲かった国内タレントらが自分の名前のついた体育館を母校に寄贈したりなど、身近なところでもストーリーとしては聴かれなくもないことであり、奢ることなく、お世話になった人々や地元から始まって、国内外の様々な世界へ向けて、言葉ばかりではない愛を、メッセージ性のあるお金の使い方として、広い意味で還元していって欲しい気がしている。自治医科大学なる授業料の代わりに勤労奉仕を納入させる、宝くじ基金イメージの強い医大が存在していたりもするが、スタッフワークもまた、かけがえのない自分としてのスキルおよび労働における寄付ボランティアではあるのであろう
Audi A4 1.8 Turbo quattoro フリーク 国産車で言えば、丁度、かつてのニッサン・ブルーバードにおける2.0SSSアテーサ・ターボのようなパッケージングを有する、質感の高いドイツのアッパーミドル・サルーンのオーナーが、愛車を紹介
ABSOLUT 〜 アブソルート ロシアとは全く関係のない世界的なウォッカ・メーカーであり、世界で最も売れ続けている"男達が飲む燃料"スミルノフと並んで人気が高く、横尾忠則やアンディ・ウォーホールほか、世界中の著名アーティストが描いたボトルを無数に増殖しつづける雑誌・ポスター広告展開でも知られる。アブソルートの広告はアメリカの広告業界最高の二大大賞「エフィー賞」と「ケリー賞」双方を受賞、アメリカ広告協会における、「コカコーラ」および「ナイキ」とともに三大殿堂入りブランドの一つにも選ばれている。メガシップの発着ターミナル・メッカでもあるフロリダ州オーランド近郊の広大な畑でとれたグレープフルーツの絞り汁と、地中海産の天然海水塩、アブソルートのミックスで作るソルティードッグは、カクテルの定番中の定番、な訳だ
LEE COOPER と WRANGLER イギリス発の話題のブランド "LEE COOPER" を紹介しているほか、フランスのパリで入荷待ちのラングラー物など、近頃のパリでのジーンズ熱を伝えている
池袋三越 池袋三越は、堤ブラザース城下町と化している東池袋界隈において、ほとんどビックカメラ本店のような佇まいでひっそりと建っている老舗百貨店「三越」の城北拠点である。一階の「ルイ・ヴィトン・ブティック」では通常のモンブラン製品よりもお値段が高いモノグラム入り高級万年筆が置かれてあったり、三越でこそ取り扱っている種のブランド食材系、マドモアゼル・ノンノンなどの世田谷区成城の30代ミセスっぽい日常着ブランドからハロッズ物に至るまでが取り揃えられていて、利用価値は高い
セリーヌ銀座店 [1][2] セレブなブランドにも二種類あって、「誰でも使うブランド」と「使う人しか使わないブランド」とがある。そしてパリのエスプリを象徴するセリーヌは、まさに「使う人しか使わないブランド」の典型的な存在である。「ルイ・ヴィトン」のメガ・ストアの存在で知られる松屋銀座の一階には、「セリーヌ」の銀座本店も同居、パリ感覚を着こなすことに旺盛な意欲を示す女子大生を含む若い女性からヤングミセス、マダムに至るまでの客筋のレパートリー・ブティックとしてのポジションにある。リンクでは、セリーヌに関する近頃のアウトラインを締めるエピソードを中心に集めてみた
「二度と泊まりたくないホテル」投稿集 1990年代にもなると、以前は一流とされていたホテルの中にも、基本的なサービス(ファストフード店およびファミレス程度のそれをホテル・クラスのスポットでは、基本的にサービスなどとは申しません)のベーシックも整えられていないような、ヘンなところが増えてきました。スタッフにも以前だったらホテル業界にはきていないであろう、まったくもって商材としてのホテルの最初のHの字程度すら知らないような、シロートっぽかったり、ヘンなサービス用語を平気で使ったり、利用客に生意気なタメ口を当然の如くきいたりするようなスタッフとかがです。中には(以前は厳然とプロフェッショナルになるための訓練を重ねなければそういった役務自体につけなかったようなセクションに至るまで)学生によるアルバイト・パートが相当にいたりして、しかもステイに要する料金は昔とちっとも変わらなかったりする(それどころかしっかりと値上げしていたりする始末)のですから、そうなってしまうと、まるで、かつては一流レストランの一つに数えられていたロイヤルが、薄利多売を狙い過ぎるがあまり、「ロイヤルホスト」になってしまったような経緯をも彷彿とさせてしまいます
ザ・リージェント・シドニーからフォーシーズンズ・シドニーへ [1][2][3][4][5][6][7] シドニーの有名ラグジュアリー・ホテルといえば、そこはここ、という程に有名なスポットは、言うまでもなく、かつてのリージェントのシドニーです。欧米的なチェーン・ホテルの発想は、とかく「パリのリッツをマクドナルド化してしまうようなもの」のそしりを免れ得ない、きわめて硬直した画一的マニュアル主義をイメージさせる側面が強かったりします。が、リージェントに関しては、香港のそれもシドニーのそれも、(利用頻度の問題などの面で勉強不足かもしれませんが)そういった平板で没個性なものに対する評価とは長らく無縁であり続けてきた印象があります。国内にある外資系ホテルのサービスにイマイチな印象が強いためか、「外資系チェーンホテルのブランド」が「マクドナルド」に重なって見えてきてしまって困る(しかもマクドナルドの女性店頭スタッフがくれる0円スマイルのほうが断然チャーミングで魅力的だったりする場合さえも多々起こりがちです)場合は少なくないでしょう。国内ブランドのホテルにもピンキリはあるし、たまたま多客期で臨時のスタッフを増員しているなどの事態はあったりするのかもしれませんが、良いホテルの条件はたぶん、閑散期でホテル側のノリも良いときの本来模範的なしっとりとした上質サービスが、多客期にもしっかりと反映できることあたりにもあるような気がしてしまいます。が、シティ・ホテルのいつものサービスなんて所詮はカタチどおりのもので、素晴らしいサービスを受けられたらそれはスタッフ個々一流のスペシャリストとしてのホスピタリティ上での配慮や気持ちの現れであって特別に感謝すべきこと、の認識でいるべきなのだろうという印象を実際には受けてしまいますし(勿論利用客側の態度にも問題があって、とりわけ威丈高な振舞いを好んでしようとする種の客にはろくな人間がいないのも確か)、そういう西洋的に条文化されたマニュアルを嫌って、わざわざ国内リゾートの評価の高いエリアにおいて、閑散期の純和風旅館へと普段の週末に出かけていく女性達が顕著に現れたりしていることもあるのかもしれない
キュランダ鉄道、パームコーブビーチ、シェラトン・ミラージュ・ポートダグラス、サーファーズパラダイス、アヴィカ・リゾート&スパ、ハンターバレー、世界遺産ブルーマウンテンズ、ダーリングハーバーのハーバーサイド・ショッピングセンター…… 隠れオーストラリアなリゾート・スポットの数々は、本当の旅のマニアックだけを手招きする、一般的な知名度が高まることをあえて避けようとする、ハイ・レヴェルだがあえて自然体なクオリティを示している。シドニーやケアンズの周辺やゴールドコーストとはいっても、多くが日本人客によるイージーなパック・ツアーによる手垢のついた勝手知ったる世界であり、とりわけ太平洋圏の大陸部への海外旅行において長らく珍重されきたエクスプローラーであってアドヴェンチャーな"未体験ゾーン感覚"は、たとえば太平洋の絶海の孤島のはずの"ビッグ・アイランド"ハワイ島でも、英米人向けワンディ・バスツアーから映る世界あたりを除いては、良かれ悪しかれ、全く影も痕跡もない始末。勿論、ここまで日本人向けに紹介されているページがあるのだから、そこでは少なくとも日本語の通じるスタッフがいたり、日本発ながらも海外のライヴァル・ブランドを相手に、日本人全体を眺めれば、ある種奇妙で極端なブランド・マニアックぶりや一流ホテル主義などは見せつけつつも、世界市場に向けての開拓精神は示していたJCBブランドのカードだって使えてしまうのには違いないのだが…。しかし、言葉がわかるスタッフがいないために日本語が通じず、しかも若干"リンガフォン・メソッド"をかじった経験があり発音記号も重視しているFLEX-J Webmasterの英国系発音な英会話が、南部訛りの激しい巻き舌系ホテルスタッフに全然通じず、JCBを見せても"何かのオモチャ?"みたいな顔のVISAもしくはアメックスだけしか使えない、そしてようやくメモ・パッドに必要な、少し長めの英文のリクエスト・メッセージを記して"パーフェクト・イングリッシュ"なるナメた評価を、オーランドのホテルでの現地人の口から下されてしまうに至ったような体当たり経験程度は、たとえばアメリカ東海岸、フロリダ州あたりでも、一歩ディズニー・リゾートの外の領域に出てしまえば日常的に生じたりするものだが、本当にすぐれた旅先は、日本人団体旅行ムードがあまりなくて、それでいて日本人の旅行者が疎外論的な思考における客体……即ちストレンジャーの立場に置かれたり杜撰に放置されたりすることのない、適度に、しかも好ましくインターナショナルか少なくとも外国人観光客に柔軟な交流や対応を持てるようなスポットなのであって、たとえばロンドンあたりへ行ってみても、逆に二級以下のB&Bやホテル、スポット程、ツアー客ならぬ日本人の知識マニアックたちの姿なども見られなかったりして、そうなるとそこは現地の人が"生まれて初めてオリエンタルからきた人達を見た"ような状態になってしまったりしますから、そういう状況を格別に好む人ならいざ知らず、ゆったり系で寛げて資源として上質なものを持っているエリアやスポットへのリゾート感覚の旅行であれば、根本的にわずかばかりも日本語の通じない、英米語世界の中の純粋すぎる異文化世界への旅は、だから、基本的にFLEX-J Webmasterとしては全くお勧めはしていない訳だったりします
ヨーガンレール丸の内店 あの"ベッカムさま"の愛妻ヴィクトリア嬢が訪れた"ロシアン山"(東京都港区青山)の時計店、ドゥーズナガタをチェックしようとしたところ発見。新国際ビルの一階にて、スーツ系アパレルやインテリア、雑貨などを取り揃えるトータル・コーディネート感覚のショップがオープンする。論より証拠、詳細はHP上で確かめられる
ヴェネツィアのリド島 [1][2][3][4][5][6] 例年、世界中のセレブなスターや関係者でごった返すヴェネツィア映画祭が開催される、ヴェネツィアきっての高級リゾート島。テーマ曲"ベニスの夏の日"でも知られる世界的名画『ベニスに死す』の舞台になった「ホテル・デバン」も存在、ビーチも存在しており、レストランもあって、夏季シーズンに限りカジノも営業される。古代ローマ帝国の圧倒的な文明発祥地として歴史上に端を発して、地中海およびシルクロードによる東西交易の地としても栄え、ルネサンス文化の中心地にもなり、金融業で財を成してのちに王家の座にもついたメディチ家の伝統をもしのばせる南イタリアの、至極当たり前のものなのにどこか贅沢で上質な空気や自然、歴史、イタリア人気分に触れながらの保養(リゾート)は、極上であって当たり前
小石川後楽園 フランスの画家モネの作品でおなじみのスイレンが、「目の覚めるような白さ」を放つ日本庭園。スイレンに関しては「空に向かった美しい放射状の花形と色が 古代から世界中の人々を魅了してきた理由」とのこと。水戸徳川家の上屋敷の庭として造られ、時の徳川副将軍であり二代藩主、光圀公の代に完成。池を中心にした「回遊式泉水庭園」は、特徴として中国ならびに各地の景勝を模した湖・山・川・田園などの景観が巧みに表現されている。この地は小石川台地の先端にあり、神田上水の分流を引入れ築庭されました。また光圀の儒学思想の下に築園されており、明るく開放的な六義園と好対照をなしています。文化財保護法によって特別史跡及び特別名勝に指定されており、特別史跡と特別名勝の二重指定を受けているのは、都立庭園では浜離宮とここの二箇所、全国でも京都の鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、醍醐寺三宝院、奈良の平城京左京三条ニ坊宮跡、厳島を合わせ7ヶ所のみ
ホテル・インターコンチネンタル・ホンコン (旧称「ザ・リージェント」) ザ・ペニンシュラとも並ぶ、香港を代表する超一流ホテル。ダイムラーでの送迎で空港から到着、エントランスから一歩館内に入った途端、そこに現れる別世界。実質的に、眺望の良さでは、最大のライバルにおける「ペニンシュラ・スパ」「ザ・リッツ・カールトンの屋外プールからの中環(セントラル)」「アイランド・シャングリラの最上階展望ラウンジ」「スーパースター・レオの屋外プール」に匹敵する絶景は、ここでは正面玄関の突き当たりのロビー・カフェにおいて、そして香港島を一望できるバス・ルームから、ゆったりといくらでも満喫できてしまう。ブランド・アイテムからインテリアから書籍CDや雑貨からお茶を初めとする食材、そしてレストラン巡りや競馬、マカオでのカジノ・イベントに至るまで、「国内旅行における神戸三宮巡り」に匹敵するか、それさえも大いに凌ぐ、どちらかと言えば国内旅行派のFLEX-J Webmasterとしても、基本的にこの街とシンガポールには敵わないように感じられてしまう。ほかにもゴールド・コーストやグランド・ハイアットなど、香港のホテルは粒揃いなのだ。そして夜ともなれば、中環から一歩だけ山側、(FLEX-J Webmasterだったらネイザン・ロードの迷路のような深奥をしらみつぶしに探訪するような旅を続けていたりするところに違いないが…)蘭桂坊への心の「逃避行」をきめ込んで、現地のヒップでクールな外国人や若者たちの顔ぶれの中に身を潜めてみたりして、謎の異邦人になりきってしまうのも手。それにしても、何故これほどまでに西側文明の極限を行く国際的な大都市が、当時(とはいえ、まだ今年の春先の話に過ぎない。現在は、WHOによる勧告の解除があり、街中もほぼ従来の活気を取り戻しているとの話なのだが…)あのような、中世のペスト・ブームを思わせるような疫病に冒されてしまったのかについては、全く理解できないままである
サンシティ 〜 南アフリカ共和国の高級リゾート [1][2][3][4][南アフリカ航空] 南アフリカといえば、ケーブルカーによる喜望峰の眺望が壮絶な「テーブル・マウンテン」や「ザンベジ川クルーズ」「ヴィクリリア・フォールズ」「サファリ見物」などで知られるアフリカ大陸随一のリゾート大国。日本のマグロ遠洋漁船のメッカとしても有名。アパルトヘイト(人種隔離政策)が存在していた時代以来、長らくの間カジノが禁止されてきた南アにおいて、特例的にカジノ運営を認められていた高級リゾート・スポット。野生動物の宝庫であるサバンナの真ん中に忽然と姿を現す、世界的なリゾートへは、欧米各国から直接エアーで訪れる人達までもがいる程。カジノのみならず、サファリ見物も楽しめるアフリカのサバンナの真ん中で楽しむ贅沢なゴルフ、マリンスポーツを楽しめる設備および人造湖(『東京サマーランド』の秋川湖のような話)、映画館、大掛かりなアトラクションがあったりするが、田中康夫(現長野県知事)の取材旅行によると、以前、このエリアのカジノはごくミニマムなキャパシティをもっての営業だったとのことだが、基本的に「ベガスでバクチを打つのがステータス」になっている、あくなきチャレンジャーであるところのニッポンの大富豪のオジサマ方は、基本的にこのような「テニアン島リゾートのサバナ(サバンナ)気候区版」っぽいホテル・リゾートへは、まずもって行かれますまい。全室がスィートの豪華なホテル・リゾートへは、以前は羽田から発着していた中華航空による台北乗り継ぎにてヨハネスブルグへ向かう路線が最も近道だったが、現在は南アフリカ航空がタイのバンコク経由便を運行している
航空無線と無線局 [米軍通信基地のある風景][航空無線の基礎知識] 首都圏では、しばしばジャンボ機のニアミス事故などのニュースで紹介されていて御馴染み、国土交通省による所沢の管制施設が有名なのだが、他にも、千葉県関宿町や神奈川県横浜市、茨城県守谷市などにもVOR局が存在していたりする。東京の国際空港の離陸には「東京ディパーチャー」、着陸には「東京アプローチ」からのナビゲーションを受けながら、エアライナーは分刻みの運行ダイヤを実現できているのである。飛行機のフライトコースや高度や路線によってまちまちであり、たとえば伊豆大島線の737やダッシュ8は、房総半島を、進行方向左側(陸側)での眺めでは東京湾観音の上空をはじめとして、FLEX-J Webmasterとニャンコ合同軍による東京湾元旦初フェリー・クルージングの房総側ターミナル、金谷方面から館山沖をフライト、海側では富士山を眺めながらのアメリカ海軍横須賀基地上空フライト、帰りの陸側の眺めでは雄大なパノラマとともに東京ディズニーリゾート〜有明・青海・晴海・台場・大井埠頭沖から羽田へのアプローチを採るフライト・コースを飛んでいる。巨大なジャンボ機からダッシュ8までのエアライン・フリートを一手に、それらの電波は捌いているのだ。ちなみに、東鏡ウエスト方面にはアメリカ空軍横田基地などの管制を戦略的に行なっているアメリカ側無線基地が、埼玉県所沢市の航空公園程近くに存在していたりして、西埼玉の所沢が、JRや西武線(西武鉄道の本社もある)のみならず、エアライナーの管制メッカにあることも、マニアックな少年達に於いても、実に興味深い知識には違いあるまい
キッコーマン野田工場 [工場見学][近代商人の大邸宅・高梨家の旧宅] 千葉県船橋〜柏〜野田〜埼玉県春日部〜さいたま市大宮を結ぶ、ローカル・ベッドタウン通勤環状線である東武野田線は、途中たくさんの旧国電(JRの通勤電車。E電なんて呼び名もありましたっけ…)および私鉄線との途中乗換駅を持ち、途中、千葉県柏市内には東急ニュータウンも造成されている程に、鎌ヶ谷から柏、野田、(あの清澄庭園を一時期下屋敷としていた藩の城主のお膝元だった)関宿、そして東武伊勢崎線との乗換駅でもある埼玉の春日部および埼京線、京浜東北線および上越新幹線との乗換が可能な一大ターミナル大宮にかけて、広大でモダンなべッドタウン・エリアを擁する。そして千葉県野田市といえば、("ウラ勧誘"が噂され、奇妙な天守閣を構えて"関宿系テーマパーク・ビジネス"化している新興宗教団体「霊波ノ光」とは特に関係なく)真っ先にも思い浮かぶのは、そう、あの独特な、塩辛いよりは甘〜い感じの、醸造大豆の香りの漂う「キッコーマン野田工場」。千葉県ローカルの公立小学校では、FLEX-J Webmasterも遠い昔の船橋での小学生時代に参加していたバスツアーを組んでの社会科見学が年間を通じて実施されています。そして圧巻は、醤油の商いを、海外でもソイソースおよびショーユの呼び名で知られるまでに至る、日本版の油田ビジネスへと見事に脱皮させていった、キッコーマンの創業経営者一族、高梨家旧宅の展示であろう。国内でも類を見ない、あまりにも豪奢でいて、迎賓館クラスの洋間も備えている、侘びや調和の図られた純和風家屋そして醤油関連の展示は、様々な意味で国内の近代商人たちが歩んだ創意工夫と繁栄の歴史を今に伝えている
ディスコ&ダイニング「アヴァロン」 道玄坂1丁目にオープンした、ディスコ+創作ダイニングの融合店。ビービーエーインターナショナル系列のラスティングが手がけるビジネスであり、店舗面積は82.8坪。ダンスフロアとダイニングスペース、バーなどがあり、「IDコード」(男性25歳未満、女性20歳未満の入場不可)や「ドレスコード」も存在。平日のエントリーフィーは男性2,500円、女性2,000円とのことで、店内で同額のフード・ドリンク類と交換可能。年齢ターゲットからいって、昔日比谷に見られた「ラジオシティ」のような場所なのではあるまいか
ルイ・ヴィトン表参道店 オープニング当時に、東京芸大発のアニメ系イラストレーション・アーティスト村上隆がパリ本店に招かれて、白地にレインボー・カラーのモノグラム・アイテムなどのコンセプトを手がけ、新製品ラインとして発表されていたことでも印象深い、全世界的に見てもパリ本店級のスケールであり、最大規模におけるメガ・ストアは、ドのつくような超ヤングからジジババに至るまでの観光名所になっている。どちらかといえばブルジョワびいきの強い、フランスを代表するセレブのブランドのひとつには違いなく、女子大生人気も依然として高いが、ユーザー感での差別化を図るための裏技までもが大衆認知のきわめて高いところになってしまっている点は、あまりにも異常であり恐ろしい話だが、モノグラムは依然として、たおやかですっきり系の城南ミセス層に似合いつづけていて、村上隆モノまでもが、今季夏季シーズンにおける「ホテル・オークラ神戸」へとお持込み向きの、東京女子大生アイテムにマッチしているようにも見える。神戸の女子大生系ファッション・トレンドは、語るまでもなく各校ごとにカラーや流行ポイントも異なり、それぞれにプライドやステータス意識が高いのが特徴的であり、彼女達の旺盛なアイテム・チェックにひけをとらないで、自信をもって東京の女子大生として三宮界隈をウォーキングするためには、情報の新しさの反映ぶりや東京のメガストア・ヒットの定点観測を、若干"業界的コマーシャル傾向"が強くなりすぎたとしても、抜かりなく進めていく必要があるのかもしれぬ
あたご家 歴史の長い豆腐屋さん直営で、個室で和食がいただける極上とうふ料理のお店。生ゆばが絶品。新橋愛宕が本店で、浜松町にも支店がある
新橋愛宕山東急イン イン・クラスのホテルながら、許容範囲内のスポット。品川の泉岳寺やツインタワーに近く、新橋は青山・表参道共々、超高級マンションは見られるのにアーバン・リゾート級および客室の隅々の配置や配慮からクリーニングに至るまでの何から何に至るまで完璧主義のインペリアル・ホテル(帝国ホテル)タイプのシティホテルがなく[注 とはいえ、勿論、新橋からは隣町まで歩けば帝国ホテルやら、東京港区の文化からすれば陸の孤島でもありれっきとした海洋系リゾートでもある「台場」「レインボーブリッジ」を内陸側から眺めるアイポイントを持っている意味では他銘を一歩引き離している存在のホテル・インターコンチネンタル東京ベイなどはあるのだが、城南の山の中でも新橋や銀座に近い異色の立地条件を持ちながらも、しっかりと城南、品川系の格式には沿っている意味で、立地条件の上からここを、リーズナヴルながらも品川に近い新橋エリア的一級品感覚のシンボル的存在として推してみた次第]、イン・クラスのそれになってしまうのだが、それなりに快適性を追求していて、ハイ・クラス慣れしている品川系の中でも、高級ビジネスマン・クラスの子女に見られる一流かぶれなコたちにも納得できそうな空気を持つ、東急クラスらしい独自路線をスティミュラスに満喫させてくれる。オフィシャルな最新情報をチェックしてみても、イタリアンデザインの革張りマッサージチェアが客室に設置されていたり、「そば殻枕」および低反発の「ウレタン枕」の2タイプから好みのものをチョイスできたり、檜の香りの天然芳香樹パックがバス・ルームに用意されていたりなど、1.5流のなかの超一流ムードをかきたてていて、気軽にリラックスするのには使えそうなスポット。タレントがロケ着替え室でホテルの客室を使うような使い方には最適であろう。館内レストランはお箸OKのカジュアル・フレンチの「シャングリ・ラ」になっていて、本格的なフレンチなのに大きなポーションでシェアできるスタイルを採用とのこと。都区内の有名どころでは、西新宿随一のエクステリアで知られるワシントンホテル新館へは、内部が川崎の地下街アゼリアや西武新宿駅モールの「ぺぺ」のようになっているカジュアルすぎる雰囲気からなかなか入りにくい方にも、こちらは「カジュアル・スタイルのプライベート・ルーム風合理的シティホテル」として薦められそう
シャンピアホテル青山 こちらも青山界隈では珍しいホテル施設。格式はホテル・イン級だが、運営企業はあの水着および化学繊維メーカー「東レ」であり、観光・ビジネス兼用のビジネスマン・セレモニー客向けイメージ。青山通り沿いにあり、知っているだけで「青山のホテルにステイする」珍しい体験ができてしまう。館内のレストランはフレンチで、カジュアルに感じよく過ごせることから、穴場的な存在として評価できなくもない
ラディソン都ホテル東京 [1][2][3] 関西最大の純民営私鉄系ブランド「近鉄」の傘下にあって、系列化に至らぬながらも「近鉄特急サロンカー」「志摩スペイン村」などの目玉およびスポットも存在する。以前からのランク上では「東京全日空ホテル」「新高輪プリンスホテル」級なのだが、日本庭園の存在など、白金台らしく城南感覚の文学性の高い雰囲気をなぞってみせた、世界的な建築家ミノル・ヤマザキ氏の設計。「連続した縦を強調」している建物のインテリアは、2001年の終わり頃、日本人コーディネイターのものから、ハーシュ・ベドナー氏の手になる「和と洋の融合した」素敵なスタイルに一変。国際性豊かな客層に対応すべく、コンシェルジェを着物姿の女性が務める。インペリアルスィート客室の窓際には手入れが行き届いた本物のグリーンが置かれ、鶴の絵が織り込まれたおまっ白い上質なベットリネン(イタリア・フレッテ社)に包まれたダブルベットが2台設置されていて、旅の気品を高める演出に重点を置いている様子
赤坂陽光ホテル 東京都港区赤坂に存在するビジネスホテル。「ル・エルミタージュ」を探していたのだが跡形もなく、一方で一度も名前を聞いたことのないビジネスホテルを見つけてしまった。それだけの話である
伊勢志摩の御座白浜 全国ネットの朝ワイドにおいて、現地女性アナが紹介していた地方スポット。伊勢志摩に海水浴に行くことは即ち、タラサ志摩全日空ホテル&リゾートでのタラソテラピーを意味してしまうため、ネイティヴなビーチに行く発想にはなかなかたどり着かない中で、このビーチの存在は逆に意外であり衝撃的であった。夏休みを伊勢志摩でゆっくりと過ごす予定がある向きには、近鉄特急の「賢島」行を終点で降りたら、船による25分間の移動ののち、このビーチに上陸するのは悪くないイベントである
三保の松原 静岡県清水市内からもクルマや連絡船で行けば近い、富士山が最も雄大に映える「浮世絵」系ビーチの一つ。ビーチの砂は黒っぽいのだが、白砂や琥珀色の砂に覆われたビーチに人気が集まりやすい中で、日本的で黒っぽい砂の浜辺からの眺めこそが、日本の海岸リゾートにおける、世界に誇れる景観美なのかもしれないことを、強く感じさせてくれて超一流のスポット
南千倉海水浴場 [1][2] 海外ではボイジャー・オブ・ザ・シーズおよびプリンセス・クルーズなどのメガシップによってビーチ・リゾートを訪れつつ、個人的な時間や船内パーティを持つための、ツアー・クルーズ・バカンスが流行っている。そこでFLEX-J Webmaster的には、国内旅行でも、北海道フェリーの旅の最終行程に大洗のサンビーチに立ち寄ってみる(真夏の海水浴場は、家族連れや、見た目「左官職人」系カップルなどでごった返すために、立ち寄ること自体をあまりしたくない向きは少なくないかもしれないが)ような企画を楽しんでみることをお薦めしたい気さえしてしまうのだが、そこがすっかり海水浴場化してしまうにしても、ハワイ・オアフ島のワイキキ・ビーチでのそれのように張り切ってそこを訪れる人々が少なめなのは寂しい限り。女のコの水着姿のような格好にしても、勿論、愛と煩悩とに満ちたベッド・インの直前にもなれば、魅力で挑発するような勝負下着姿のガールフレンドを相手にしながらしっかりと前を膨らませては、丹念に攻略していく意味では、「セレブ」と「庶民」との間にも違いはないものと考えているFLEX-J Webmasterにしても、ビーチやプールサイド、グラビア上でもすっかり水着だって見慣れてしまっていて、あえてチェックを入れるとすれば「ファッション性の有無」の程度のポイントに過ぎない時代。しかし、首都圏において、メガ・リゾート化しすぎていて、昔のようにナンパ・シーンを見かけるわけでもなく、一体何の現象が起こっているのかもわかりにくくなっている湘南もそれはそれで良さそうではあるものの、もう少しだけ段階を上げて知的で洗練されたより大人に近い世代のカップルにおける、水着姿で水辺でくつろぐことを主眼に入れたリゾートを楽しみたいのであれば、季節はずれが季節ハズレじゃない「東京サマーランド」のプールサイドおよび秋川湖巡りにまでは行かない、シティホテルのプールサイド派にも薦められるドライブ・プランが、房総でのそれ。テルムマラン・パシフィークでのタラソテラピーは勿論、目玉イベントの一つではあれ、いつもいつも療法系だけではツマラナイ、との認識を持っている諸君には、大人向けの各種日帰り系リゾート設備が整っている南千倉海水浴場などは、案外な穴場の紹介に相当するようにも思われ、たとえば連れの男性の方がずっと年齢が若いような、かつての人気青年コミック『いとしのエリー』系カップルの場合には、こういうスポットもまた利用価値は高いのではあるまいか、との認識をあらたにさせられてしまう。なにぶん、真夏にたとえばハイ・スタイルなコンバーチブルやインポートの高級車からRVカー、トヨタ系、マツダ系のアッパーミドル級サルーンカーに至るまでのそれらで出かける房総の海は、沖縄並にトロピカルでセクシィなリゾート・ムードの強いスポットであり、かつての日本橋系の遊び人おぼっちゃまタイプや渡辺淳一系の感性の男性までが、処女のような顔つきでいながら既に千人斬り程度はラクに達成していて、バブル慣れまでしているような、エキゾティックな女のコと手をつないで連れていたようなイメージのエリアであり、しかも昔の伊豆の下田方面のように、「慶應系、医歯学系限定」のようなシーラカンスじみた堅苦しさもなかった、いわゆる水商売系、風俗系、愛人OL系、上京組女子大生系、おバカな短大系でも、気楽にお出かけが可能な、しかも敷居の低い擬似海外感覚が自慢(と書いてウリと読む)だったのだから、である。海はしばらく立ち寄って、手をつないだり、優しく話し掛けたり、軽く抱き締めたりして、最初のムードを強く盛り上げる為に使いながら、クルマの中でハネムーン・ラブ・バラッド系のBGMでもかけながら最初の"PG"、そしてセカンド・ステージの序盤には、ページで紹介されているようなスパ系スポットおよび白浜のフラワーパークの中の大海原が見渡せる屋外リゾート・ブールあたりでくつろいだりして……など、そこは実に、まさにめくるめくような、ビーチのようになだらかな感覚の起伏において悩ましい弧を描きながらの、さざなみの海辺だったのである…
ブラッセリー・ル・コルドン・ブルー [ラフォーレ東京][ぐるなびの紹介] 御殿山ヒルズ・ホテルラフォーレ東京の一階に、フランス随一の料理学校ル・コルドンブルーが贈る日本唯一のレストラン。マーク・ボナーシェフの感性と技が、料理の容をしたフランスのエスプリやアートを創造し続けている。「はとバス」東京観光ツアーでも行くことができる
東京12チャンネルまる一日(『面白半分』1979年5月号より) かつての著名文化人らによって編集されていた雑誌『面白半分』の特集「テレビCMまる一日」。ある日一日に放送されていたテレビCMをカセット・レコーダーによって録音(当時は家庭用ビデオデッキが発売される以前)、テープから内容を起こして、コメント部分を文字として読んでみよう、なる企画。現在の『テレビ東京』の社名がまだ『東京12チャンネル』だった当時のお話であり、たとえば"東武鉄道不動産部門"(東埼玉や千葉県柏〜野田一帯、板橋〜新座〜川越周辺などの開発を手がけ、立教大学の第二校舎「新座キャンパス」の敷地を寄贈するなど、高度経済成長期の爆発的な人口拡大を、主に庶民社会の底辺で支えていた)などの懐かしいフレーズが聴かれたりもしていたことが、紹介されています
イエナ書店 [1][2] 今はなき東京都中央区銀座の洋書専門店。新刊書の入庫がいち早く、日本橋や御茶ノ水の丸善に匹敵する存在であった。東京にしかない、このようなスポットをたくさん頭の中に"データベース化"しながら、粋に使いこなすことが、楽しかった時代がある。いまやクレジット・カードと「アマゾン」の力で、このようなマニアックなスポットは数少なくなってきている。なるべくなら、是非とも保存して欲しかった、東京の名所であった。話は変わって、フランスの有名な料理学校ブランド「ル・コルドンブルー」の(ライセンス物でしょう、勿論…)ヨーグルトをコンビニエンス・ストアの「ローソン」で見つけたので早速口にしてみた。一般のホワイト・ヨーグルトとも違う色の独特の風味であり、自宅で楽しめるこの種のプチ・デザートは、嬉しい。いまやインポートがあることは当たり前になっているし、インポートなら何でも良い時代も終わった。文化にしても、そうである。が、大衆にヒットしているものがベストとは限らないことは勿論、上質さを丹念にトレースしようとする消費感覚においては、国内がしだいにドメスティックになっている傾向とは無関係に、国内外についてなるべく偏見なく、ただし自己のセンスに忠実であろうとしていると、しだいに国内のローカルと海外との間に、構造的な境界線を見い出し、丹念にそれらを文化分類しつつも、根源における、ある種人類全体に普遍的な側面、価値、意識、心情、哲学、美意識などにおいて、差異らしい差異が見いだせない事態に遭遇させられることがある。原語版の「ハリー・ポッター」シリーズを読むことは、出来の良い翻訳が続々出版されている現在では、(海外文化マーケットの中でも、とりわけ日本人に理解しやすい商品しかインポートされにくいことはありそうだが)とりたてて特別な意味は持たないことなのかもしれないし、スラスラとそれを平易に読みこなせるような海外育ち歴でもあって、しかも英文による活版印刷以来の印刷が持つ独特な硬めの感覚や、リズム、抑揚、そしてワーズワスやシェイクスピアを育んできた穏やかな歴史上での時間の感覚などを特別に愛好するマニア以外にはおそらく、時間も手間も、勿体無い(ただし、そうやって苦労してでも読めば、読んだだけのことはきっとでてくる)。そして洋書が批評家的な視座における「名作」か「月並み」か「駄作」かの判定は勿論、それらの海外モノが、解説などなくても、読者の感性にもすっと溶け込めて行ける力を持つのも、人類が文化人類学や歴史学、社会学以前のベーシックなところで、コード以前に共通のファンダメンタル・フォーマットを持ち合わせているからにほかならない。反応も、評価も、意味も、人によって千差万別ではあろう。ただ、カルチャーは決して恐いものじゃあなくて、それを反感や偏見を交えながら軽侮したり、スタンスを採り間違えたりさえしなければ、きっと恐いことは何もないのではあるまいか、との思いが強まってくるし、たとえば何気なく互いに関わりあっている男性と女性との間でさえ、文化のベーシックは異なっているし、こちらの場合は差異の上に共通の普遍性を共同で見い出し合い、認め合ってきたような感覚なものだから、しばしば喜劇本やコメディ映画でもテーマになる男女の間でのせつないのに滑稽なディス・コミュニケーションやタイミングズレのようなことが発生してきたりもするのである
布施弁天とあけぼの山農業公園 [1][2][3][あけぼの山] 千葉県柏市と我孫子市の境界近くにある、大人の鑑賞にも堪えうる、なかなか穏やかな、一角にある憩い系スポット。「浅草」と「江ノ島」のそれらに並んで、関東三大弁天を構成している。水戸街道の脇に有り、周囲にナント古墳もあるヒストリックで風情たっぷりの坂の上の小山にあり、坂道の参道を登っていくと、河川交通の要所を見守ってきた。ベッドタウンで見る三重の塔および多宝塔式鐘楼は意外な存在感に富み、FLEX-J Webmasterに引き連れられたニャンコ空軍兵員のmacさんが、参詣者を相手に営業している和菓子屋兼茶屋から近い、「あけぼの山農業公園」の、オランダや北海道を彷彿とさせる一面の花畑が広がる眺めの良い風車広場や、京都・嵯峨野の山を彷彿とさせて感傷的な気持ちにさせる本格的な日本庭園での水と緑と丘陵地の眺めと合わせて、なかなか気に入っていたようだった。周辺には、長らくの習志野在住歴を持ち、川崎C‐1ジェット輸送機に乗り込んだ自衛隊員のパラシュート部隊が、習志野駐屯地に落下傘をいっぱいに広げて降下訓練を続ける模様を目撃し続けていた村上春樹氏が『ノルウェイの森』で記していたような資産家の豪邸が並ぶ一角もあり、柏商圏の持つ顧客イメージ(ただし、本当にそうした街区に住まう人たちが柏のセゾン・グループ新機軸拠点「そごう」や「高島屋」の主要購買筋なのかは、わからない)の一端をのぞかせているかのようでもあった。国道6号線にも近く、駐車場は「弁天」「あけぼの山農業公園」共に無料なので、近くにお住まいの向きには一度周辺を散歩してみることをお薦めしたい
ゴールドカード《セゾン》インターナショナルでこそ、「VISA」付がお薦め 一枚岩のように「東池袋」を占拠している堤一族の"文化的"商業拠点。VISA付のセゾン・カードで、ショッピング・プロテクションを付けたい向きにはこちらのゴールド・カードという訳。それぞれが一枚岩であろうとしている「電鉄系」と「デパート系」の流れにあって、唯一、"脱「池袋」主義"を唱えれば唱えるほどに市場を拡大していける先兵と化しているのもまた、徳利顔をしたいかにもやり手そうなオジサンが会計カウンターの支配人(社長)を任されている「クレディ・セゾン」の名で知られる企業。セゾン・カードの会員向け無料誌では、あの東急系による近頃系のホテルを薦めたり、銀座(ネイティヴ資本である百貨店の西武は、銀座と言うよりは有楽町に追いやられている)や神戸(かつて西武が進出したも、芦屋界隈での理解を得られずにくしくも敗退)などでの利用ガイド活動も巧みなものなのであって、ついに消費市場系マーケットの中ではあるべき"狸顔ビジネスマン"の活躍(顔も狸で、朝の食事も寝る時間を惜しんで駅の立ち食い狸を食べていそうな典型的なパターン)が目立ってきたかな、の印象。が、西武百貨店池袋店は昔のままだし、セゾンのブランドが持つある種のアーティスティックな指向性は、ピュア・ビジネス主義一辺倒の流れの中で、このところ影をひそめながらも、消費の世界での「お姉様OL系、コンテンポラリーなデパート・ミセス系のカード・ブランド」としてはむしろ評価を高めてさえいる様子。消費系としては異例の流通規模を獲得したクレジット・カード・ブランドの運営からより多くを学べない限りに於いては、堤王国における沿線領土化の基盤"西武鉄道"や"池袋城下町発世界行"を掲げるセゾンは勿論のこと、全時代を跳躍するための機構・意識改革が遅々として進まない池袋型マーケットに於いて、練馬・板橋・西埼玉商圏全体の地盤沈下に歯止めがかからなくなってしまう可能性さえをも、いやおうなく内蔵しながら、退廃性に飲み込まれてしまうのではあるまいか、と、真に以って他人事ながらも、FLEX-J Webmaster的に、それが危惧されなくもない
アフタヌーンティー・ザ・ジェネラルストア銀座 「Afternoon Tea」は、FLEX-J Webmasterも深いコーヒー・ブラウン色のなめし皮キーケースを愛用しているイタリアのブランドSAZAVY直営におけるオシャレな雑貨&カフェ。中でも銀座のメガ・ストアでは、膨大な品揃えの中から、それぞれらしいライフ・スタイルを間違いなくチョイスしていけるはず、に違いない。あのフラワー・アレンジメントの世界的第一人者ジェーン・パッカーによるフラワー・アイテムも取り扱っている
Sound Planet Afternoon Tea Music (DH-46ch) 、Bonjour Records (AE-56ch)、STUDIO VOICE (DH-45)、Peter Barakan's Kitchen Sink (BF-55)、CONTEMPORARY (BF-14)など、多彩な音楽チャンネルを持つのが、"地上のボーディング・ミュージック"大阪有線の24時間衛星音楽放送「サウンド・プラネット」である。個人的なレコード在庫は最小限に抑えながらも、つねにクオリティの高い音楽ライフを送りたい向きには良いかもしれない。とかく受身の消費には(東池袋、練馬、所沢界隈に顕著な)"セゾン・カード症候群"が心配される側面がある一方で、既知のレパートリーやバリエーションを一気に増やす意味では、必ずしもマイナスな月額加入受信料金の負担にはならないはずである
北鎌倉・小瀧美術館、ベニス(ヴェネツィア)、サン・ミケーレ島… [北鎌倉][ビエンナーレ][ビエンナーレ日本語解説][アリタリア利用旅行ツアー][1][2][3][4][5] 水上の迷宮とも呼ばれる、水の都ベニスの古い街並みは、ナポレオンをして"世界でもっとも美しい場所"と言わせしめたサン・マルコ広場をはじめとして、ユネスコにも世界遺産に登録されているきわめて歴史豊かなエリア。日本では小瀧美術館で秀作に巡り合えるヴェネツィアン・グラスや、世界的な建築学賞イベントのビエンナーレ、そして死せる美しい魂の行き場としての意味では、世界で最も美しい物語のように人々の心に咲き続け、魅了させる永遠の霊場サン・ミケーレ島など、地中海クルーズにおける最大級の客船発着ターミナルとしてのみならず、この島の神的であって人的なる"某"かとの邂逅が、人々の愛や優しさ、夢、束の間のはかなさ、そうした人の生涯における孤独やはかなさの運命、そして、そうだからこそ、日々の瞬間を、生きとし生ける生命たちに向けられる祝福への目覚めを、きわめて感覚的で肉体の第六感への訴求として与えてくれる精神(こころ)の経験こそは、このエリア、この街、そして遥かなる地中海を訪れることに、それぞれにおいて確固たる実感の根拠となるところなのであろう。現在はあなたの近くにいなくても、私の人生は、この世でただ一人、唯一愛する存在(あなた)の為にある、との想いを、懸命な想いで現世を生き続けている人たちの胸の内に、心穏やかに、密かに、感じながら、この世での生きることへの温かな意志が、より豊かに、そして悔いなく幸せである為に、より良く実人生の中に反映される旅路は、間違いなく誰の下にも開かれているはずなのだから、である
兵庫県芦屋市平田町 [1][2][3] 本日(2003/06/21)、FLEX-J Webmasterは夏風邪のため、市販の風邪薬の錠剤を服用して、安静にして過ごしております。さて、今回のトピック・キーワードについて、そこは、バンクーバー商工会議所日本代表事務所なる神戸らしい通商機関のオフィスがあり、御存知の通りのハイ・クラスな街であり、海辺だけに釣具屋さんが数多いなど、リゾート感覚も漂う印象。ル・コルビジェがさりげなく置かれていたりする美術館、独特の耽美的な男女のエロスの世界の探求者であり、東京の日本橋界隈から現れた粋の真髄の世界での大天才であった谷崎潤一郎が昭和前期の数年を過ごした御宅を改装した記念館、また、このエリアらしい邸宅を再利用したイベント・スペース系のビジネスなど、海側から、阪神、JR、阪急の順で、関西主要三社の路線が乗り入れをしている街
環状八号線/羽田空港〜世田谷 [羽田][「清水三丁目」][環八雲][アウトライン] 羽田空港から大田、世田谷から板橋を縦断しながら一本で結ぶ幹線都道は、都区内で最も渋滞が激しいことでも知られている。混雑は激しいのだが、都区内の西側を移動するには、このルートがなければドライブ自体が成立できない。通行する車種や人種も多種多様であって、「インポート・カー」の各種銘柄系ディーラーおよび「ラーメン」のメッカとしても知られている。とある若手作家・コラムニストは、このエリアに一戸建てを購入しながらも、不動産バブル崩壊により億の桁にはのっていたらしい環八・世田谷近くの家が、いまや大暴落してしまい、総資産額が1,500万円台になってしまったとの"ガラス張り"の資産公開をされてしまっていたのも、時代か。さて、本日のFLEX-J Webmasterは、喉と鼻腔に不快感が生じて、風邪気味であることが判明、キャット・マリンコープ所属のアメリカン・ショートヘア(ブラウンタビー)品種macさん連れのクルマのエアコンを効かせながら、近くのマツモトキヨシで「パイロンAM錠」と谷川岳産のミネラル・ウォーターを、VISAブランドの三井住友カードによる支払で購入、早速、車内で白い3つの錠剤を服用して、すぐに自宅に戻ってきた。きょうはどこへも行く気が起こらず、のんびりとお部屋にて静養の一日
ViaMichelin 覆面調査員が評価することで知られるホテル・レストランの番付を紹介している「レッド・ガイド」で知られるミシュランのドライブ・マニア向けのデータやナレッジが、惜しげもなく投影されているオフィシャル検索サイト。英語版やフランス語版とがあり、PCやPDAのみならずi-mode上でもコンテンツは提供されている。フランスでレンタカーを借りたりして各地をドライブ旅行で巡るのが好きな旅行者にはとりわけ有用かもしれないが、味覚にはいやおうなく個人差がみられるものなので、レッド・ガイドの内容も毎年変動があるだけに、まずは番付にこたわらず、インテリア感覚を含む店の雰囲気や、直感を信じながら、まずは食べてみることが大切かもしれない
サンス・エ・サヴール丸の内 2002年9月、新装なった丸の内ビルにオープン。パリ店舗がミシュラン・ガイドにして外国人初の一つ星に選ばれた、麻布の"ジャスダック"なビジネスランチ・ダイニング「ひらまつ」が運営全般を務め、三ツ星級レストランで活躍していた助っ人フランス人・シェフが監修、ディレクター、シェフのチーフを務める。平松なる人物が、エコノスミトとしての価値観から、演劇学的でありベンチャー企業ライクなレストラン店舗を覆い尽くして、芸術がおざなりになってしまいやすい、どことなく麻布らしい"胡散臭い"印象に自ら疑問を抱いた結果として、トップ・グレード主義の丸の内や本場フランスとのコラボレーションによって、何を学び、どこまでの向上心を発揮し、客を含めた周囲からのどれだけの声を拾い集めることができるか、が、まずは経営学の学位を手にすることには成功したダイニングにあっては試されている。それが、好んで日本国内において顕著な、入会資格は厳格ながらカード・ホルダーの中にステータス感覚に貧しい、狡猾な零細企業経営者が多く含まれていてお品のない"ダイナース・クラブ組"からのあてにならない声に浮かれ上がったり屈することもなく、そういう人たちの"容ちだけのトップ・クラス"を目指す("吉野家の牛丼"はフランス料理とも対価であるとの[本当は、成田エアポートそばのヒルトンあたりで出しているフォワグラ丼と食べ較べてしまうと、あまりにも貧しくて哀しい時代を経てきたが上マグロを含む魚介類の生の味には誰よりも精通している築地作業員クラスの"スタッフめし"の一つに過ぎないとの、率直で端的な事実性に、贔屓したくても気づかされてしまう]まことしやかな嘘話ぶりにも表れているように、内実では"ズル"だらけで何もしていない虚偽申告的な神戸震災ボランティア殿のような)パフォーマンスならぬ"アホ"ーマンスにも疑問を感じることないままに踊らされてはならないことは、言うまでもない。哲学なきフランス料理店はイメージ戦略次第では利益こそ産めてもブランドとしては滅びるケースが後を絶たないからであり、たぶん、舞台セットだけの巨大フランス料理チェーンよりは、ずっとシティ・ホテルの中のレストランや、海外一流店での修業経験のあるオーナー・シェフが密かにベッドタウンやリゾート周辺のローカルでささやかに経営しているようなオーヴェルジュやビストロのほうが、こなれてもいるし、マニアな存在でもあるような気がしないでもない
アメリカンエキスプレス・プラチナカード・ホルダー像 FLEX-J Webmasterの父親は、以前会社社長だった当時に、一度だけアメックスのゴールド・カードを家族会員カード附きで作ったことがあった。FLEX-J Webmasterは家族会員カードを手にして、使わないままになんとなく持ち歩いていたのだが、突然ゴールド色の家族会員カードは親から没収されてしまったのであった。アメリカンエキスプレスでは、標準カードの次にゴールド、さらにプラチナ、それよりハイクラスにブラックがあるとの話を、以前にどこかで見聞きしたような気がする。以後、FLEX-J Webmasterは自分として「JCB」「VISA」「アメリカンエキスプレス」などのブランドのついた何枚かのクレジットカードを作り、それを持ち歩くようになったのだが、それまではクレジットカードなど持っていても使ったことの少なかったFLEX-J Webmasterがカード社会対応型の人類に変貌した"きっかけ"は、海外旅行である。当時持ち歩くのが流行っていたシティバンクのインターナショナル・キャッシュカードとの併用ながら、海外旅行では、クレジットカードが徹頭徹尾、欧米の旅先での正当なるプラスティック・マネーだったから、である。海外優良店でカード決済のスムーズさを体験してしまうと、たとえばコンビニエンス・ストアの『ローソン』でもクレジットカードでお支払いしてしまう始末となり、結果として以前よりも大分消費過多気味の状態に。現在でもアマゾンや"太平洋フェリーのスィート・ルーム利用"ではクレジットカードを、巷では(「タラサ志摩全日空ホテル & リゾート」でも使用したように)可能な限りデビットカードを使うようにしているFLEX-J Webmasterながらも、今後はなるべく(たまにアマゾンでCD/DVDや書籍類を購入する程度にして)クレジットカードの出番については可能な限りにおいて削減させていこうと考えている。セゾン・カードへの入会時には、(セゾン特典でアメックスのオリジナルカード会員よりも安く済んでいるのは嬉しい話なのだが)年会費を取る代わりに「盗難保険付」のアメリカンエキスプレス提携カードに入会することを選んだりとかして、それなりにプラスティックマネーには厳格な方針にて対処しているつもりである。ただし、セゾン・カードは、どちらかと言えば、船橋西武や池袋西武、或いは渋谷西武を利用するユーザーにおける特典付サービスなのであって、基本的にデパート・ユーザー向けのもの。それは基本的には地味な色合いの"西口系"東武カードが置かれているような域を抜け出るものではありえず、たとえば三越や高島屋のそれのように、お得意様における、若干のプライオリティおよびアイデンティティを示すある種の特典名誉制度のようなシステムにおける、ある種のステータス・シンボルなのであり、消費内容のみならず多くのチェックポイントにおける市民間生活情報の管理を、CRM(顧客データ統計管理)の名の下に行なったり、消費貢献者のランクをカラーで分ける今用の冠位十二階制度の実施であり、とりわけそれは西武池袋線の沿線では顕著にして有用なステータス性をしっかりと発揮してくれていたりする意味で、流通系のカードには国を作る力さえもはっきりと存在していることが実感できる。そしてそれは、進んだマイレージ得点制度やホテル関連で大きなメリットをつけているエアライン系のカード、そして各カード・ブランドのオリジナル・カード以上の権威性を、大手都市銀行勤務の父親のいる家のコの少なくなかったらしきセント・ポール内では発揮していた銀行系(富士銀行、住友銀行、三菱銀行のイメージが強い)にも匹敵して、1980年代以降から当時にかけて、とりわけ強いイメージ訴求力を持っていたことは間違いがなく、それらはパーソナリティやキャラクター、趣味性を表すものとしての、肌を伝う営為の一つである消費の世界においてはまさに皮膚感覚に直結する、高級アクセサリー選びのような、重要なライフ・スタイル上でのいくつかの話題の"テーマ"のようにはなっていたりしていた。しかし、元々は現金決済の習慣が濃かった日本の名家において、カードの色は現在のカード・ホルダーの間において、どれほどの求心力のあるトピックなのであろうか。カードの色が、シティホテルのフロント、高級レストラン、国際空港の航空会社チェックインカウンター、高級クラブでのオジサンたちの見栄を促進させているとの噂なども聴かれるには聴かれたりはしていたものの、たぶんそういう類いの話は、ブ厚いクロコダイル製やオーストリッチのブランド財布の中から現金で支払いをしてしまえば済む話ではあろうし、それよりは、カードの色には関係なく、興味深く魅力的な好ましい話をきれいに聞かせてくれる上品な大人の紳士客のほうが遥かに相手をしていても気分が良いとの話も、付け加えるように某筋からは聴かれていたりしたことを思い出させられる。ただし、それが、ことカード・マニアの間にもなれば、基本的に色の違いは重要な問題であり、特典やオフィスの対応も格段に違ってくるのであり、いまだに標準色よりはゴールドやプラチナの方が女とヤレる率は高い(が、FLEX-J Webmasterの場合、個人的には、クレジットカードの所有の有無、色の違いとモテ方との間には何らの因果関係もなかった)などの昔ながらのかしましい話も若干はあったりして、依然としてクレジットカードのステータス性に熱くなっている向きは、いるにはいるようでは、ある
東京〜大阪間、豪華チャーター特急「夢物語」号 [1][2] JRが運行する特急列車の中では群を抜いてゴージャスな臨時特急列車。ダイヤ上に掲載されている種の定期旅客列車じゃなく、独自にツアーを実施する形で、レール上をツアー・クルーズするもの。オリエント急行を彷彿とさせるラウンジ・カーおよびツインベッド・ルームのホテル客室など、戦前の特急「燕」(あまりに豪華な展望車を始めとして、戦前的なスケールの大きな金持ち客向けの豪華特急)および(日本が政府としてかつての満州国に進出、経営していた)南満州鉄道自慢のハイスピードSL「パシナ型」が牽引する豪華国際特急あじあ号をも思わせる「走るリゾート・ホテル」は、一旦日本海側に抜けてから関西入りをするかつてないコースで、パック・ツアーの参加者を募集しているとのこと
ホテル・オークラ神戸 神戸随一の老舗豪華ホテルの大御所クラス。が、ホテルは憧れるためのスポットじゃなくて、実際に食事および宿泊ほか、各種の館内サービスを受けるために存在している。歴史が存在しているだけに、一朝一夕な外資系ホテルあたりからは得られない、シルキーなサービスが受けられる。神戸でのステイは、東京から神戸三宮ショッピングや異人館巡り、グルメなどのイベントが目白押しであることから、とりわけ関東から遥々新幹線や関西国際空港経由で出かけていく女のコたちにとっては、大切な時間であり、母親との買物旅行だったり、友人連れ、または一人旅だったり、必ずしもカップルでの旅行じゃなくても、毎回が貴重な時間。そしてたぶん、期待を裏切らないホテルの代表格が、ここ、であることだけは、間違いがない
北海道庁旧本庁舎 [1][2][3] 国の重要文化財に指定されていて、「時計台」と並ぶ札幌市のランドマーク。無料でお立ち寄り、見学できる歴史てきな洋館としては、ここもかなり良い。インテリアも、いわゆるイメージ通りの洋館のそれであって、立派なアメリカ・ネオバロック様式のもの。日本国内でミッチェル女史作『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラの世界をイメージしたみたい向きには、最高の観光スポットのひとつであろう
トラベラーズ・チェックのススメ [1][2][3] 意外にも旅行者感覚ではオンライン・インフラが整備されていて治安が良いハワイやアメリカ本土などの米ドル経済圏とは異なり、フランス、ベルギー、イタリアなどのラテン系の国でのそれは、お世辞にも便利に出来ているなんて言いにくい、夜の街中には日本人観光客をターゲットにしているニセ警官が平然と街頭で活動していたりするし、セキュリティ感覚も杜撰、平気でホテルのルーム係が鍵のかかっていないトランクの中からお金を抜きさってしまうような治安の悪さである。「現金を使う方が悪い」が、パリの巷では珍しくない輩が、口を揃える屁理屈。クレジット・カードも現地店舗の物陰で悪用されたり、オンラインが不調で夜の夜中にホテルに到着してルーム・チャージを決済できなかったり、ほとんどの旅費を口座からの翌月一括払いなどで処理(全額一括返済が可能な状況なら、寧ろリボ払いの方が不意の予算オーバーにも対処できたりしてオススメかもしれない。ただし、使いすぎに注意)するような場合には、カード紛失、不意の限度額オーバーなどの事態も予想されるため、それをとやかく言う以前にまずしなければならないことは、ただ一つ、トラベラーズ・チェック(クレジットカード・ブランドが発行する旅行用の小切手。基本的には現金購入によるデポジット制であり、一箇所には事前にサインしておく方式であり、日本語でOKなため、サインが一致しなければ使えない、紛失再発行可能、ブランドが一致すれば小切手のままでのショッピングが可能、必要な分だけ現金化できるため、レートや手数料分を差し引いても、安全をそれで買えるなど、現地でのメリットが大きい)を購入すること、しかないのだ
鳳来峡・湯谷温泉・鳳来寺山・鳳来寺 [1][2][3][4][5][6] 三河地方の山の自然および温泉地をテレビで紹介していた。鳳来寺山では1425段の石段を登り、山頂から眺める遠く眺める三河湾がすばらしいという。鳳来寺は、大宝2年(702)利修仙人が開山したものを、あの源頼朝が再興、昭和49年に再興された。湯谷温泉は、板敷川の渓谷美をたっぷりと川沿いで観賞しながら、温泉や懐石を頂ける、本州随一の自然美に恵まれた全国有数の温泉地であり、城南に現在も直系子孫の"徳川本家"を残している徳川家康の出身地とされているエリア。徳川家康および源頼朝が庇護してきた由緒正しい三河エリアの純和風高級温泉地で、いずれゆっくりと静養を楽しみたい気がしている
「アパガード・オーラルケア」 歯磨きのお話。歯を2Fのシャワー・ルームで入浴中に磨く人は、どれくらいいるのだろうか。全身を洗浄する場所だけに、欧米人の多くはそこで日夜、歯も磨いている。シャワーに関しても勿論、汗をかいたら気軽に日に何度でも浴びるのがナチュラルな"営み"(そこで、ウフフ、と微笑んでいるアナタ、日に四回は、ちょっぴり激しすぎです)なので、あわせて歯も磨けば一石二鳥、笑顔もスッキリして、ますます感じの良い笑顔で好感度アップしてしまうでしょう。かくいうFLEX-J Webmasterも、夜の歯磨きはシャワー・ルームで済ませてしまいます。きわめて清潔な、自分だけで使うシャワー・ルームは、ゆったりバスタブの楽しみこそないものの、かなりそれに近い形で自分だけの時間を持てる意味から、試行錯誤の結果としての導入は、まずまずの成功だったものと言えます
城南五山(品川五山) 花房山、池田山、島津山、八ツ山、御殿山を指す。それぞれに標高自体は低い小山ながら、島津山の旧島津邸、現ミッション系女子大の"偏差値程々にしておいしいミライ(未来)が待っている"ブランド校・清泉女子大学の校舎は、旧・岩崎邸や迎賓館でも知られるイギリス人建築家ジョサイア・コンドルの作。3万坪あった島津家の下屋敷の大半は、所謂、都の西北の大隈精神が息づいていた"リゾート"なる油田の採掘企業として、のちの系譜が独立採算制経営システムの祖にもなる「箱根土地会社」に売却されている。八ツ山は既に当時を偲ばせる山としての体裁を保ち得ず、然るが故に、地形も大分変化してしまった
西暦1999年、フランス、ワイン、アヴィニョン、ギュスターブ・モロー、プロヴァンス、そしてTGV…… 全日程を通して、現地での料理とワインの詳細な写真を紹介しているほか、アートとお城巡り中心の移動を、フランス全土で繰り広げている旅行者の日記
板橋区蛍(ホタル)飼育施設 いくつかの軽めのテレビ情報番組上で浴衣系のレポーター・ギャルが紹介していた、紫陽花の時期から初夏までの限定で見学可能なスポット。外観がプレハブ造りの謎の研究所っぽい館内には美しい緑やせせらぎが再現されていて、うたかたの夢のような淡い光で人々を魅了し尽くすヘイケボタルやゲンジボタルが生育されている。責任者のオジサンがひたすら語る"並々ならぬ苦労を重ねてここまできた"みたいな思い入れの強さにもきっとうたれるものがあるに違いない
静嘉堂文庫美術館および歴史の国、日本そしてオリエント [美術館][1][2] 国宝7点を含む、東洋古美術品を保存、国内的な古代城壁都市(都城)のルーツ"平城京"の宝物殿を思わせる広い建築物で展示しているいかにも世田谷らしいアート・ミュージアム。三菱財閥の総帥の座を世襲していた岩崎彌之助親子が、当時世界中に収集。散失されようとしていた東洋美術の価値を高く認め、出光美術館よろしく当時の財界人らしいコレクションを開始したもの
大原オレンジランド 千葉県の観光農園。"地中海マンダリン"(いわゆる温州みかんのことで、英語ではマンダリン・オレンジ。中国原産だが、日本やヨーロッパに広く伝えられている)を思わせる果樹が広い太平洋を見下ろす山の上に所狭しと栽培されている。展望台があり、一帯を覆い尽くす果樹や花々に囲まれながら眺める、日本版地中海を思わせる太平洋は間違いなく素晴らしい。遠くカリフォルニアは、気候区分上でもよりはっきりとした地中海性気候区であり、実際に地中海っぽい作物やカリフォルニア・ワインの産地としても知られているが、日本の本州におけるモンスーン気候(地中海性気候にほぼ迫るそれだが、湿気が強く、四季の変化が激しい。が、太平洋側の海沿いは温暖であり、汐風の為か割合にさらりとした感じで、雪も見られないなど、日本の地中海ムードを高める天然の仕掛けが素晴らしい)でも、フランスへ持っていっても極上クラスの甲州ワインは勿論のこと、オレンジ各種やレモン、オリーブ、真珠なども採れるのであり、たとえば豪華客船のクルーズ・エリアとしてはきわめて相応しいことは間違いがない
Kisho Kurokawa Home Page フランスはパリの"Pacific Tower"を初めとして、大阪が誇る輝ける未来ビル「ソニー・タワー」の設計を担当した第一級の建築家のオフィシャル・サイト。身近な街のどこかで見たようなすごいビルが作品として豊富に紹介されていて楽しい。丹下健三を和製コルビジェとすれば、こちらはオートクチュール・デザイナーから建築に転身したピエール・カルダンの日本版かもしれない
月の砂漠〜千葉県御宿海岸 [1][2][3][4] 童謡「月の砂漠」の舞台になった海岸。成程、砂漠や砂丘とまではいかないが、それを思わせる砂浜は、ラクダによるシルク・ロード貿易商の長い旅程をイメージするのに相応しいかもしれない。実際にこの地の砂の上に降り立ったことまではないが、田中康夫がC調かつテキトーに、あのパターンのドライブ・コースのオススメお立ち寄りスポットとして紹介していたことがあった
佐原・小野川沿いの町並み 千葉県の北西部、我孫子が起点になる地方国道を銚子方面に向けて走っていくと、途中に現れる利根川沿いの街。江戸時代には水運業で栄え、当時の街並みがソックリ現在に保存されている地帯は、菖蒲の季節にもなると各地から観光客が訪れる。大阪港の天保山客船ターミナルからから鹿島神宮クルーズで訪れるショアエクスカーションの客筋が大挙訪れることでも、シップ・マニアの間では有名。テレビ東京系の旅番組では、ここと成田山参拝、そしてエアポート・ホテルでの展望ディナーの三点セットで締めくくっていた
世界的建築家「丹下健三」と都庁前駅にまつわる大きな都市の小さな叙事詩 [丹下健三作品リスト][1][2][3][4] 丹下健三氏は、世界のかなりメジャーな都市ユニット、オフィスビル、ホテルなどをアーティスティックに設計してきた、世界で最もコンテンポラリーな都市設計作家の一人である。国内で最も有名な作品である「東京新都庁舎ビル」は、まるでベルギー・ブリュッセル市内の国連施設群をも彷彿とさせる、あまりにも巨大な"東京藩"の「西新宿城」をイメージさせる。六本木ヒルズに人々が殺到している西暦2003年度にあっても、かつての新都庁舎ビル開業時の、展望台見物ラッシュには目を見張るものがあった。そしてアラビア数字の6の字路線として営業中の都営地下鉄の大江戸線の「都庁前駅」は、都区内の地下鉄ターミナル駅の中でも稀有な、一路線における乗換駅であり、都庁舎から、全方位に向けて放射線状に広がる主要スポットを、準環状線として結んでみせた路線であり、『太陽の季節』で知られる作家であり、俳優、石原裕次郎の兄であり、一橋大学閥が輩出した二期目の東京都知事でもある石原慎太郎をして「(都庁の御都合主義のような都庁前駅を前にして)何故、環状線にしなかったのか」と激怒させたことでも知られている。陸の孤島「光が丘」に初めて電車を走らせたのは意義深いが、「光が丘ニュータウン」のようなずさんな公共事業が平然と横行している公益事業全体において、所詮は"焼け石に水"に過ぎない。営団地下鉄半蔵門線の押上駅延伸(錦糸町に地下鉄が走っている)のほうが意義はあったと言えなくもない都営12号線の真骨頂は「両国」に地下鉄が開通して、やや歩かされるものの新宿や六本木へ一本で行けるようになったことであり、まさしく「大江戸線」の名に相応しい。東京都全体は、予算規模や機構において、それ自体がヨーロッパのベルギーよりも大きな独立行政区であって、東京都知事が並の国務大臣よりもきわだって大御所待遇を受けていることからもそれは納得されることである。公務員がやることなので、方法論的には社会主義的で全体主義的なそれの域において、中国政府のそれを彷彿とさせながら、たとえば「東京港フェリー・ターミナル」のような配分上での失敗を露呈したりすることは少なくない。「都電」も「ライオンバス」も「葛西臨海公園」も東京都の管理権の及ぶところだが、東京都立高校の一部の高校ではきわだって"やる気ナッシング"な教職員諸氏における、いいかげんな授業が日々繰り広げられていたりして、"生徒の不出来の原因はあくまでも生徒の側にある"の理不尽な一点張りを通していたりしたのは、果たして、遠い歴史上における逸話に過ぎないのであろうか。それはともかくとしても、「消費・流通部門」だけは運営していない東京都において、商業的な感覚には乏しいながらも、やる気になれば再建はできそうな都の財政問題に関しては、たとえば"所沢の電車とリゾートのオジサン"あたりに依頼してみれば、案外にいい経営プランが出てきそうな可能性はある。それにしても、公務員ってリストラだけはされない人たちらしいので、それが何よりうらやましい人たちは、全く少なくはないのであろう。"権力の亡者"石原慎太郎と原宿との噛み合わせだけは最悪のようではあれ、だ
東京都練馬区光が丘 光が丘のコンテンポラリーな生活都市住民たちが、スティミュラスな外国級エリア「光が丘」に関して、絶景のデジタル・ショットを提供している、オンライン上の投稿フォト・ギャラリーを発見。光が丘ニュータウンは、都区内のみならず、日本国内において、つくば研究学園都市に並んで、海外に向けてわが国を代表できるマンモス・ニュータウン都市の2大ブランド。東京には「品川」もあれば「渋谷・代々木・新宿」や「後楽園」もあり、東京イーストの「下町」には昔ながらの大江戸風情が、そして「多摩」には広大な質感の高い武蔵野の緑が残されていたりする訳だが、「豊島・練馬・板橋」エリアは、サンシャイン・シティや池袋駅を起点にして、独自の都市的世界や・エキゾティズムを構築していて、周辺が「東武」か「西武」いずれかのブランドによる市場寡占的な状況が見られ、とりわけ光が丘一帯では「セゾンカード王国」が印象づけられてしまい、堤一族の資本が築いた帝王学的な消費支配世界(ただし、団地ワールド全体のアーキテクチュアを築いたのは住都公団や都などの非営利公共法人だが)を味方にすることも可能ではあれ、練馬発のカルチャーをイメージさせられる時、そこは良かれ悪しかれ「西武王国」のイメージ(※但し、イトーヨーカドーやサミット・ストアが放つそれよりは、(現在は世界最大の米国スーパー・マーケット資本に大分吸収されている)「西友」のかつてのイメージや「無印良品」を最初に評価することができた肥沃な消費傾向とも上手く噛み合って、ファッション感覚上でもなんぼかマシな部類には違いない)とは無縁ではいられず、いやおうなく(ほぼ、一つだけの資本に寡占されることは、消費資本にはある意味、消費者なる母集団を、全体主義的仮想国家において国民化、すなわち選択肢なきマーケットにおける奴隷化された消費者を生み出してしまいかねない。ましてや西武ブランドの場合は同族支配型のコンツェルン形式を長らく採ってきたり、堤兄弟における、気企業経営を超えて、独自の文化やカード・ブランド型の流通網、沿線地権の寡占化により、社会主義国家経営にも似た首脳的な意識感覚の強さは、むしろ日本国の首脳人事にこそ向いていそうな彼らのちょっとした判断や意向によって西埼玉〜練馬〜板橋・池袋東口の広大な領域の動向までもが左右されてしまう危機さえはらんでいたことといっても、決して過言ではない程に)特定資本によって生活がトータル・コーディネイトされてしまう点以外では、悪くないエリアである。いよいよ都営地下鉄の大江戸線の「光ヶ丘駅」も開業して、六本木や新宿、ベイエリアへも直行できるように。が、駅前には数件の深夜営業のファミレス(「CASA」とか「サイゼリヤ」「ジョナサン["ジョナス"]」があったような気がする)やロードショーを上映する映画館はあっても、これといって居住エリアしか存在しない、国内最大の"リオ・デ・ジャネイロ住宅供給公社"系(単なるマンモス団地に留まらず、20世紀最大の計画都市のひとつブラジリアにも匹敵しそう)ニュータウンとして、緑と水と広場のスペースも十分に確保されながら、どこか日本離れしたムードの持つ、空につながるようなエキゾティズムを感じさせる壮大な「都市建築作品」のひとつであろう。バブル当時に大規模大規模された、かつてのアメリカ軍キャンプの駐屯地に関する典型的な"近代遺跡"でもあり、それだけに日本離れした素晴らしい設備もスティミュラスな"観光資源"として、大学生たちによる東京リゾ・ラバ・ドライブの東京北西部エリアきっての"名所"であり続けているのであろう
としまえん(豊島園) 今年、豊島園内にきわめて本格的な総合型の温泉施設が出現、天然温泉のほか、バーデ施設が完備されていて、バーデプールにイスラエルの死海風呂など、誰でも気軽に充実したスパ・リゾート施設を利用できるように。勿論、例年近隣の女子大生軍団が招かれるなどの華やかな話題に包まれるプール開きでも知られ、例年話題を呼んだあの謎のコマーシャル感覚をイメージさせるのアトラクティヴ感覚も生きていて、練馬区内の石神井公園と合わせて、学生カップルや友達連れにとってもごきげんなお楽しみスポットでありうるはず
営団「新線」 [1][2][3][4] 海外ブランドの白いポロシャツの襟を立てながら二輪スクーターで走ると何とも言えず(快楽的に)風を切る感覚までもが快適で爽快な"日本有数のヒート・アイランド"地帯である東京の(練馬の豊玉陸橋附近の方が有名)板橋ゾーンを走る環7沿いに突如出現した地下鉄駅がある西武有楽町線(バブル絶頂期からつい最近まで銀座の高級クラブでホステスをしていたロシア系クォーターでモデル体型の美人ガールフレンド"moon"が、環七沿いに近い板橋界隈の高層マンションで、感性が突出して優れた超ハイセンスで超マイナーの洋盤およびインポートのレア系天然入浴剤に凝るなどして、優雅に暮らしていた地帯)および東武東上線との相互乗り入れを行なっている営団地下鉄線区間のうち、小竹向原〜池袋間の別線(13号線計画の一部分が暫定開業したもの)に関して、暫定的に「新線」と呼んでいる。現在は有楽町線の複々線と勘違いされていそうな営業区間ながら、最終的には渋谷方面まで直通する路線が開通、(すでに東京都足立区の乗換ターミナル駅「北千住」界隈では"東武東横線"の感覚で親しまれている)東急東横線とも相互乗り入れを開始する予定。乗り換えには不便なので、始発に乗りたい向き以外の立教大学生からは敬遠されている模様
ミセス・ベッカムのオフィシャル・サイト 1990年代にはUKを代表する超人気女性アイドル・グループとして大人気だったスパイス・ガールズの一員として活躍、現在は世界的なサッカー・プレイヤー、デビッド・ベッカム選手(日本では"ベッカムさま"のニックネームで大人気)を側面からサポートする夫人として各方面に出演中のヴィクトリア・ベッカム嬢のオフィシャル・サイト。来日中には、日本中が大騒ぎになる若きセレブの一員として、多忙なスケジュールをこなしている人物。FLEX-J Webmasterの手許には《世界のCMフェスティバル》なる、世界的な名作コマーシャム・フィルム映画祭が繰り広げられ、DVD版があるのだが、そういえば日本には世界の大御所クラスが日本国内限定で出演している優れたコマーシャル作品が数多く存在、ベッカム夫妻もまた、広告学上でも新たなる時代のシンボリックな偶像として、依然として油田のようなコマーシャル媒体である「テレビ」が伝える成田空港風景の中で、いっそう光り輝いていた
明治通りの風景 オシャレ最先端を行く女のコのファッション・ルートは、昔から「竹下通り」じゃあなくて(言うまでもなく)「明治通り」であった。そこでショウ・ケースに並べられているプチな小物やファッション・アイテムのセンスはほかでは得られない超ハイセンスなもの揃いである。エリア的には超がつく高級住宅街であり、建ち並ぶビルも代々木スタイルのオシャレなそれであり、(そこが渋谷・源氏山として戦前最高ランクの大名・武家屋敷街へのエステートに続くゲートウェイであった昔ならともかくとして)現在ではFLEX-J Webmasterでも(暮らすのだとすれば賃貸のワンルーム・マンションあたりならいざ知らず)なかなか手が出せなくなってしまった程の居住およびハイ・ファッション・エリアになっている一帯。代々木の杜一帯には、たとえば明治神宮があり、やむごとなき"お召し列車"専用ホームが存在するなどの"インペリアル"な趣もある一方で、徹底的にコンテンポラリーな感覚に染まっていこうとする、時代の中でいつも最先端を行く前述のファッション・エリアおよび、海外のヤングよりも恵まれてさえいる若者文化がつねに息づいているのはこの一帯の最大の特徴である。女子大生が表参道と口にする場合は、JR原宿駅および営団千代田線の明治神宮前駅から表参道交差点、青山学院、国連大学近くを指す場合が多いが、「裏原宿」とも呼ばれる一本裏手のルートや、交差する明治通りづたいから外苑に近い東郷台あたりにかけては、件のユーミン御用達スポットであり、パリの老舗そっくりカフェの「オーバカナル」は勿論として、地階の「ウエスト」など、現在は表参道沿いのオープン・カフェやラフォーレを上がったところのカフェを愛好している感じの女子大生たちから見て一、二世代前の先輩、とりわけモデル関係やインターナショナル関係、アーティスト関係の人たちを中心として利用していたりした。表参道の表を観光ルートだとすれば、一方裏手および明治通りは、いわゆるアーベインな人たちの居住者的な感覚で一貫されているのだと言える。ただでさえ都区内の城南では、六本木から白金台、芝、高輪方面を走っていると、ビジネスマンや芸能人向けの各種診療所よりも、ペット・クリニックの建物の方が際立って豪華で贅沢、夜間救急診療対応、高級ペット愛好家たちの間での心和むサロンでもあったりする程のハイ・ファッション・ライフぶりだったりもするような生活の余裕に満ちている地帯なのであり、ポン女こと日本女子大学はともかくとしてもトン女こと東京女子大学には何人か知り合いがいたFLEX-J Webmasterから眺めて、有名女子大生を含むガールズやボーイズが自由に闊歩していることもまた、至極当然の帰結、なのでもある。世田谷のキャロットタワーの屋上でまったりしているバアイじゃないゾ
勝どきマリーナ 銀座から徒歩10分の距離にありながら、ウェイクボード教室やボートライセンス、クルーザー・パーティなどの企画を提供、実施しているスポット。クルーザーは勿論豪華なモーターボート・タイプだし、ウェイクボードはズブの素人のための体験プランを格安で実施、なんと東京港のど真ん中エリア、お台場近辺で、例年行なわれている世界大会ばりにいきなりスタートできる。雑誌で女のコが体験取材していて楽しそうであった
イタリアの"知る人ゾ知る"素敵なホテル集 [1][2] イタリアには、勿論世界ブランドのホテルもあるのだが、どちらかと言えば現地ローカル版のプチ・ホテルがオシャレで人気。だいたい★の数が3個から5個くらいの施設なので、即ち、それらは、れっきとしたシティ・ホテル扱いなのである。現地人の世界でのセレブやビジネス・エグゼクティヴ感覚で、そうしたホテルを気軽に使ってみるのは、かなり楽しい企てではある
ある日の日本女子大学での"女子大生トレンド" [ロレックスのコンビ][エールバック][VII XII XXX (セブントゥエルブサーティ)][エルメスのシンボル] ミレニアムの頃の某雑誌によって"聞き取り調査"されていた日本女子大学("ポン女")での、キャンパス娘たちの学内トレンド。当時は超ブランドの学生愛用者は珍しく、いてもせいぜいが「ヴィトン」か「プラダ」のオンパレード。が、しかし、都区内有名女子大学の筋金入りクラスであり、他大学との単位互換制度の導入によって、他大学の男子学生の姿もちらほらと見られるようになっていたスポットであり、カッコいいオトコのコが歩いていると、大変目立っていたらしいとの話も紹介されていたりしたが、内情は1980年代からまったくお変わりなく、ウェアこそ1980年代らしい女子大生感覚で、(それでも)新宿や神戸三宮でショッピング、そしてカジュアルには「ジューシー」を採り入れたりしつつ、放課後は目白・池袋、表参道、青山、六本木などで、買い物、飲み会、クラブ遊びではずんでしまったり、家庭教師や店員などのアルバイトをしつつ、ボーイフランド(彼氏)には有名大の学生、会社社長、医学生などのレギュラー・メンバーを迎えながら、普段は友人やママと一緒に過ごしていたりするパターンが、しっかりと保存され続けていた模様。「カルティエのサントマ」だけはネット上に見つからなかったが、年取ってからはめるのはダサい、ロレックスのコンビを含め(音羽系のメジャー誌ではまだ本格流行前の時期だけに、老舗の一流女子大学はかなり進んでいることがわかってくる)他のアイテムはほぼリンク上でも網羅することができた。ちなみに、当時の彼女達におけるナンバーワン・ドライブ・スポットは「お台場」。まだ当時から三年弱しか経っていないが、当時における「お台場」と、現在の東京都港区台場を較べてみると、両者の間には隔世の感が。雑誌ではお台場海浜公園を、ホテル日航東京あたりから眺めて、逆L字の頭の部分(つまり奥の奥)で、当時的なガールズ感覚のリゾートウェアに美人系のモデルが身を包みながらビーチの白い砂の上をすまして歩いていたり、レインボー・ブリッジが見える海の上をチャーター・クルーザー(モーターボート・タイプのもの)を借りて、後部デッキの上での明るい立ち姿のショットが掲載されていたりして、まさに時代感覚一色に染まっているのが、昔の雑誌を振り返ってみて面白かった
"日本のオリーブ・ヴィレッジ"小豆島のリゾート・エリア [観光ポータル][オリーブ公園][小豆島のオリーブ製品][生産者語る] 国内版の"地中海性リゾート"は、スペインのバレンシア地方の世界的名産品として有名なオレンジの国内産地があるか否か、で大分決まってくるものであり、たとえば静岡県はネーブル・オレンジの産地として有名である。そして、「真珠」が伊勢湾の美しい入り江、英虞湾が世界有数の養殖産地であるように、地中海・エーゲ海が原産地として知られる産物には「オリーブ」が存在する。前述のポール・モーリアおよびファッショナヴルな地中海性サウンド造りではカラヴェリによる"オリーブの首飾り"などは、国内では学校の音楽の時間に取り上げられたり、テーブル・マジック・ショーのBGMテーマとしてもしばしば使用されている程に御馴染み。オリーブの主要国内生産地ともなれば、そこは"小豆島"。日本の中の地中海性リゾート・エリアは、イタリア人の建築家が設計したターミナル・ビルのアーキテクチュアが現在(いま)も斬新な関西国際空港からアクセスするなどのバイアスを経るまでもなく、どこへ行ってもリゾートとしての気候に独特の清涼感があり、ヨーロッパ一流ブランドのフレグランスのように洗練されていて、ハズレというものがないからである
和歌の浦 [イメージ・フォト][木村屋][旅館から見える海][ビーチ・バー][ビーチ] 純和風高級旅館の「木村屋」が有名ないにしえ以来のヒストリカルなリゾート・エリア。和歌山市からも遠くない海岸エリアで、東照宮、紀三井寺、和歌山城などのスポットが知られるが、周辺にはビーチもかなりあり、しかも遠浅の白砂系だけに、真夏にはヤングにも人気、前述の「木村屋」がビーチ・バーなんぞをオープンしていたりするのである。和歌山マリーナ・シティも近く、ヨット・ハーバーのある地中海系テーマパークでのリゾートを満喫できる
ウェスティンホテル淡路 日韓共催のサッカー・ワールドカップにて、"ベッカムさま"率いるイングランド・チームが宿泊した関西の高級マリン・リゾート"淡路"における外資系リゾート・ホテル。ウェスティンホテルに関しては東京では恵比寿ガーデンプレイスにおけるタワーホテルがおなじみだが、渦潮見物なども楽しめるエリアだが、周辺には新五色浜県民サンビーチおよび慶野松原海水浴場、浦県民サンビーチなどのビーチ・スポットも豊富で、リゾートはきわめて高い
カヌチャベイ・ホテル&ヴィラズ 沖縄が誇る、近代的なコンドミニアム型のコテージ・ホテル・リゾートの代表格。ほかのリゾートとは明らかに違う、国内ではここだけにしかない種類のものであり、遠路はるばる沖縄までやってきた疲れさえもコバルトブルーの海が癒してくれるであろう。沖縄県は近年ITの一台国内拠点としても名前が挙げられる程に、米軍およびリゾートだけに依存する県内経済体質の改善を進める一方で、勿論主要産業であるリゾートについても、年々受け入れ側としての思想を進化させていて、グアムのみならずカリブ海リゾートにも肉迫する醍醐味をアピールできるようになってきたことは、豪華客船がクルーズ・ディスティネーションとして触手を伸ばしていることもあって、大変喜ばしい話であろう
ホテル日航アリビラ 沖縄における全国資本エアラインによるリゾート・ホテルに於いて、石垣島の全日空系と並んで、ここは代表例。以前、(善意の仕事とは言えども)"王様のブランチ"が「ホテル・ザ・ブセナテラス」にいつものギャル・レポーターと安いカメラ・アングルのクルーを安易に突入させる"暴挙"に及び、各界からの批判を受けていたこともまだ記憶には新しいが、それというのもこうしたエアライン系のリゾート・ホテルの再評価を忘れたミーハーさんを若輩ギャル軍団が気軽に演じてしまったからであろう。勿論、沖縄にきたこのクラスのホテル利用ならば、かなり恵まれているパック・プランではあるだろう。短大卒相当の事務系OLがパック・ツアーで到着できるホテル・リストの中では最上級ランクなのであることは間違いがなく、きわめて現実的であり、JALスチュワーデスがステイや社員割引で訪れる可能性だって低くはないことも、エアライナー・マニアにとっては魅力
ホテル川久 和歌山系リゾートがここだけは誇る、全室スィートルームの超豪華ホテル・リゾート。南紀白浜随一のスパ・リゾートでもある。名前が純和風温泉旅館風なのは、「白浜温泉」にロケーションを持つことからも、納得されるところであるが、和洋折衷の高度な結晶の一例として、また国内における稀有な女性指向の本格ホテル・リゾートとしても、きわめて稀少である
プライムリゾート賢島 会員制リゾート施設のひとつだが、宿泊や食事では一般のホテル営業を行なっている近鉄資本都ホテル系列のスペイン風リゾート・ホテル。英虞湾に面しているため、タラソ・リゾートよりは地中海様式のリゾートに泊まりたい向きには最適なチョイスのひとつ。ただし、純和風旅館ブームのさなかだけに、必ずしもベストなチョイスとまでは言えないかもしれない
英虞湾 [1][2][3][4] 三重県伊勢地方の志摩(近鉄特急の「鳥羽駅」下車)には、「ミキモト真珠島」なる真珠採りの実演ショーの見学スポットが存在するように、世界初の真珠養殖に成功したエリアとしても知られる。ポール・モーリアの演奏で知られる名曲"エーゲ海の真珠"はフランスの地中海エリアにおいて発表されたユーロ系のオールディーズだが、伊勢湾の小さな入り江であり、世界の真珠シェアのかなりの割合を生産している英虞湾は、「日本のエーゲ海」(ただし、タラサ志摩全日空ホテル&リゾートのタラソフロア、サンルームから眺めると、眺めはQE2からハワイ島に上陸して現地の最高級ホテル・リゾートから海や近隣の島影を眺めているかのような凄いポリネシア系の風景だったりもする)の名で知られる、独特のムードが魅力的な海域でもある。ヘリコプターからの空撮ビデオが捉えていたまっすぐ上の上空からの英虞湾を見て、あらためて衝撃を受けているFLEX-J Webmasterおよびニャンコ・ネイビーのロシアンブルー提督dolaさんも、あらためてまた遠くない将来に行ってみたい、日本国内における最上質クラスの海のリゾート・エリア。ちなみに、日本国内では(世界的にはタヒチ産が有名な)黒真珠の産地が沖縄にある点も、真珠マーケットではかなり知られている話である
MIKIMOTO [公式サイト][真珠島] 海外の現地語版《ヴォーグ》などにも盛んにイメージ広告展開を行なっている世界的な真珠のブランド。ミキモト真珠島で知られる世界的な養殖真珠技術の開発者が、東京・銀座に出店したブティックはいわばパール・アクセサリーののメッカ、なのである
ブラウンタビーはフェリー慰安旅行を夢見ている 猫は本当に船が好きなのか? の疑問は以前からしばしばここでの話題に登っているトピックである。海と地上との連接面を探るなど、独自の文化的な活動をも続けている英雄的な海の部隊キャット・マリンコープは、が、しかし、ニャンコ・ネイビーのdolaとは異なり、いまだ大型船での外洋クルーズの旅には出たことがない。キャット・マリンコープにとっての初の外洋クルーズ任務は実現するのかに関して、事態は全く流動的なのであって、この日のmacさんはお昼寝スケジュールの合間を縫い、FLEX-J Webmasterの小型二輪スクーターに便乗して訪れた東京港フェリーターミナルにて漠然と船体を眺めていたのに過ぎなかったりする。本当にキャット・マリンコープは外洋航路のフェリーに憧れているのかについては、一枚の写真が何よりも歴然と物語っているのであった…
《カルテル》のショップ 代官山〜世田谷系の"男系"インテリアの定番テクニックのひとつ、マンションの白壁(フォト・テクニックにおけるストロボ・バウンス撮影にうってつけの例のパターン)に広い面にフックを挿しこんで直接棚板を取り附けるビルト・イン・タイプの「曲線シェルフ」でも知られるカルテル。新宿パーク・タワー内で、インテリアとアーキテクチャーなど住まい全体を総合的にプロデュースしているコア・テナント「リビングセンターOZONE」の広い一角に、「カルテル」のショップがオープン。50年の歴史があり、カッシーナでも活躍する世界的なインテリア・建築作家とのコラボレーションによって美しいプロダクツが送り出され続けている
"犬を連れた業界人であふれる駒沢のオープンカフェ《パワリーキッチン》は形見さんの作品……(『POPEYE』)" [1][2][3] 有名雑誌POPEYEのライターが、雑誌上で、都内のハイ・ファッション・エリアの店舗デザインに大活躍中の若き巨匠に、畏れ多くもワンルーム・インテリア(但し、中目黒のかなり広めのワンルーム。親が買った築15年の古いマンションを、家賃を払いながら借りているとのこと)のチューンを頼んでいるコーナーがあった。プロの技によって、無印良品の壁一面クローゼットや間仕切りとしても使用されているカウンター対面式のキッチンの表面に東急ハンズでも売られているステンレスボードが貼り付けられ、バスルームにはタイルが貼られて、中目黒の眺望を眼下にできる展望窓さえあれば"豪華客船ぱしふぃっくびいなす"のスィート・ルーム並のそれになりそうな勢い、お馴染み、壁面収納タイプのブックシェルフは壁の内側にビルトインされて、しかもタテ横の仕切りの正面にもステンレスが貼り付けられていたりしてさらりとした独特の輝き感、と、凄い事態に。顛末については雑誌のバックナンバーをたどってもらうとして、ここではハイ・ファッション・エリアのカフェリスト(そういえばぱしふぃっくびいなすもオモ参や駒澤や自由が丘でお茶するカフェのようなリゾートぶりなのであった。真面目にハイファッション・イメージを感じられるカジュアル感覚の豪華客船は日本国内では珍しいジャンル。メガシップ「スター・プリンセス」のミドル・ウェイト版をイメージしてみると良い)や、目下トレンドの代官山系インテリア・アイテムをピックアップ
ガイ・リッチー監督作品『スウェプト・アウェイ』 昔、話題を巻き起こしたイタリア映画であり、「東京12チャンネル」(現在のテレビ東京)でもしばしば再放送されていた大人の恋愛映画『流されて』を、近年のアメリカ映画の感覚でリメイクした作品。マドンナが『流されて』のブルジョワ・マダムの役を演じるのは"女優のやりたがり根性"な感覚剥き出しであり、背徳路線を好みながらも一方ではクールで聡明な、アメリカン・スターらしくて面白い。奇妙な運命の悪戯によって、イタリアの漁師が、実業界の富豪マダムと無人島に漂着して、サバイバルを巡って、だんだんと(アホの日大卒や獨協大学が泣いて喜びそうな)アナクロな豪腕男と従う女の愛欲の図式が生まれ、結ばれていく、昔の急進派フェミニストたちに大受けしていたらしきストーリー・ボードはオリジナルの旧作と何ら変わらない。『流されて』の趣旨を一貫しているのは、イタリア人が好むミラノ感覚(イギリスやアメリカからコンテンポラリー感覚の原型を輸入している工業都市の文化だけあって、都市と自然、持てる者と持たざる者、理想と現実のような、薄っぺらな単純二元論が横行している世界)における理想主義、アレキサンダー大王のイメージを、ラテン文化圏の北限、フランス・パリのシャネルがかつてなく大々的に香水に仕立てていた程に始原的な、ラテン時代の帝王的な男と、(日本で言うなら"大奥"的な)自然なありかたの形として献身的に仕える愛情的な女のありかたへの回帰指向なのであって、そこにはフランスでは開眼された、かつてのアンシャン・レジームこだわりなく直感的に好きになった異性と個人主義的に自由な形で柔軟に結ばれるのが良いとの定番的なアヴァンギャルドの意識は乏しい。考えてもみ給え、日本でもそうだが、豪族や幕府、軍事政権、或いは占領軍が独裁的に強かった国では、幕府や国内政府による支配力が衰えれば、そこはいやおうなく海外資本による経済植民地の一角として、イタリアがアメリカ・イギリスに対してきわめて迎合的な姿勢を採っているような状況を否応なく生み出してくるものである。イタリアでの実勢における本当の首都はどこか、の地位に関しては、実は二極化されるかたちで、「バチカン」もしくは「ミラノ」の名を示す者は少なくない筈である。バチカンは全世界に10億人なる実数を誇るカトリックの総本山として、世界最大のマンパワー規模と世界最小の総面積とを有する、ローマ郊外に存在する独立国家なのだが、経済に於けるイタリアは長らくプロテスタント圏の2大国家が、ヨーロッパ全体に向けたビジネスの最大拠点にしてきた場所でもあり、頑迷なドイツとは対照的に、イタリア人ミーハーの広告ウォッチャー的な心情は、明らかなる"異国"であるアメリカやイギリスの感性へと流されている。プロテスタント系のビジネスマン至上主義国家に於いては、ビジネスマン社会が騎士タイプの英雄主義者に授ける"報償"として、ハイクラス・ステータスやそれに付随する名声のようなものが不純物のように貼りついてきて、それはあたかも功労者が現代的な貴族の称号「サー」の称号を授かる形でのそれを凌いで、少なくともロック世代以前までには明らかな経済的な階級がそこには存在していたのであり、それはたとえばアメリカもしくは英仏伊型の資本主義に強い影響を受けている現在の東京・城南系の国内セレブの世界でも、「城南」は「一般」よりもワンランク格上、の意識が浸透していたりして、たとえば芸能・スポーツの世界が内部での閉鎖的な社交世界を日々形作ろうとしていたり、政治家や財界人がエリートや家柄の良い人間だけを相手にしたコネクションを形成したりしようとする(※否、しかし、日本の戦後社会では世襲や相続がうまく行きにくい環境があるため、概して彼らの目論みはせいぜいが二、三代も続けばましな悪徳的な企てで終わってしまうし、戦前創業者世代のダイナミズムと、コンピュータ全盛下の相対化時代における市民主体社会での、脱利権主義的な市民的高等教育をそれなりに優秀に修了している感じの二代目、三代目の、知性および理性は否応なく相矛盾する宿命にある)ものでもあり、FLEX-J Webmasterとニャンコ空軍によるコンテンツ提供が思いのほか強い影響力を示してしまったらしいインターネット時代におけるセレブ・ブームの"内側"に含まれる、不完全な個人主義化社会において良かれ悪しかれフォーマット化されたありかたとしてのブチック(ブティック)・ビジネス創業者パターンにおける現代的であって階層主義的消費主義の実践者たちの世界で顕著な(戦前的な資本家および不動産バブル当時の単純な肥大型エグゼクティヴ路線とも異なる、擬似西洋貴族主義的な)ネオ・セレブ指向および芸能・スポーツ業界的なマーケットは、富によってしか安全性や独自性、快適さ、ハイクラス的な自意識の持ち方を認められにくい国(実際はそんなこともないのだが、現代社会が概してナロー・コミュニティ化する中で、ある種身近な人間たちが会員制サークル化することによって、それぞれの獲得した利権を高嶺の位置で保全しようとする組織内での運動にも似ている動きは、サラリーマン社会や学歴社会の内側にもそれぞれに存在しているものであり、それぞれのポジショニングは、所属している組織のランクや実力に応じている。ただし、1980年代には全盛だった慶應ブランドの履歴ステータス的な価値の暴落が口にされていたりするような世の中なので、つねにそれぞれは予断できないほどにリアルタイム・ランキング構造化されていることもまた間違いがない)において、個人主義的な個性主義を柔軟な根拠にしながら、尚もフランス方式による個人主義的な価値の絶対化認識は、、ミラノの国際経済学者の周辺では寓話のようにも聞かれている一方で、1970〜1980年代当時の日本国内では本来的にファンダメンタルであったような他に差をつけるための個人の生き方の創造や、新興アッパーミドル階級的なステータスの構築方法のメソッドについても、1990年代には全く当てにならなくなってしまったか、もしくは庶民の価値観との亀裂が絶対化したために憧憬を生まなくなったがために、逆に日本では「クリスタル族ブーム」的な人々が、あらたなるリーダーシップ発揮のステージを狙って市民主義的な地方自治体議会に進出したり、FLEX-J Webmasterがオンライン上で提唱したセレブ・ブームに乗るかたちでの極端に高級で尚且つマニアックなコレクターズ指向の強い最高級海外ブランドのアイテムに飛びついてみたり、かつてのバブル世代的な富裕幻想の主たちが悪戯に極大化したマツキヨ化指向(企業経営者には違いないが、ビジネスの内容が庶民世界の住人こそが手がけられる安定的で、アメリカでは1980年代以前から見られたドラッグストア型の廉価量販ビジネス分野一辺倒に偏るパターン)を示したりする一方で、99パーセントの普通の人(何らかの形で負けている人の人情パターン)と、僅かに1%いるかいないかの「勝ち組」との格差が、プロテスタント社会程ではないが顕著になってきている日本国内(「勝ち組ブーム」なるキーワードは確かに発見されるが、何らかの形で国内全体が敗退した1980年代当時の不動産バブルに直接の当事者的な係わりを持つ人間にそもそも「勝ち組」なんていないし、現在ではまともなビジネスをしている限りに於いては、そもそも、一部のレコード業界のメガ・セールス成功タレントや輸出されたスポーツ選手が国内相手にステータスを契約交渉時などにあえて示すケースを除けば、この国のアメリカン・ディスカウント主義ののマーケットにいて、大きく勝てるはずはない)でも、時々耳にされることがあったりするようだが、おそらくこの国では誰もが負け組であることには違いなく、ビジネス・セレブも(キタナイ系の表現になってしまうが)糞も、実際にはたいしてありはしないし、社長業にかまけてビジネス・セレブを社会全体でのエリート階級だと感じたり(企業の社内では勿論"最高司令官"には違いない)、猟師だとかサービス業の人間を見下しているような者には、たぶん、ろくな人間はいない。カトリックが合理化されながらもしっかりと息づいているフランスでは、万人は依然として一律に神の下に置かれた子羊のような存在に過ぎないが、プロテスタント主義が行き過ぎた資本主義の世界では、ブルジョワやスター・タレントは資本主義社会が輩出した"新大陸での貴族階級"であり、同時に名士としての社会的な義務をいやおうなく負わされる。日本では浮き足立ったような(よろめいた避暑地でのバカンスのような)話ばかりで、名士を意味する"セレブ"とされる人たちが、社会的な義務や高尚な理想に基づいて公正なパーソナリティの足かせをはめられることは皆無に等しく、イギリス貴族階級ではノーブレス・オブリージュの表現で知られる、ある種、特権階級による罪滅ぼし的な上質な社会正義の実践は、日本国内にあってはそれをあまりとやかくと問われる場面は少ない。ここでは善悪や理念のようなものは度外視しても、イギリスで言うところの(日本でいえば田中康夫氏のようにコンテンポラリーな妙味に通じていて女にはモテていた、芸術的な大人の背徳系純文学を記していた)ロレンスによる代表作『チャタレイ夫人の恋人』を、イタリア人好みの冒険的でラテンな舞台に置き換えてみたような映画『流されて』では、いわゆる高慢ちき系の、ノーブレス・オブリージュからは程遠い、下手なアメリカ人からコンパクトなブチック・ビジネスのメソッドをビジネス・スクールで叩き込まれたような女性経営者が現れ、イタリア地中海(たぶんアドリア海系)の猟師を頭から"ナメ"きっていて、知らない相手の筈なのに"命令的"に対処しようとする困ったチャンで一本調子な排他的ハイファッションに身を包んだ三流の女社長が、挑発されることに逆ギレしたイタリアの逞しい海の男の手によって荒々しく全身を揉みしだかれ、野性的に、奪われるようにしながら、いたって奔放に、赤裸々に、求められていく。そしてそこには島の自然産物だけで自給しながら、単なる男と単なる女だけになったカップルが、「ふたりだけの原始的な独立国」をつくり上げていく。最終的に、男と女は発見され、都市生活上での「女」とひなびた漁村での「男」へと戻されて、都市生活上での素の感性の自分に戻り、漁民とは結婚できないと思い至った女が都会のオフィスに帰っていくことで離別するラストを迎えるのだが、アングロサクソン的なニューヨーカーの東海岸感覚には断じて不可能にしか思われないラストの展開は、イギリス人やフランス人が描けば、おそらくは(決して理想主義とは違う現実的な所作として)オフには蜜月の逢瀬を続ける熱烈なオーバー・コードにおける自由なカップルとして異なった結末をもって描かれるはずであり、アメリカ南部でも『トゥー・ムーン』のようなかたちでの割り切った不倫として、いたく女の本音の欲求を全身で表現するかのように奔放かつ情熱的に描かれる種類のそれである。アメリカ人にも続けられた愛人関係が、ミラノずれした北部のイタリア人には続けられなかった点でも、イタリア人の精神的な自立性がきわめてアングロサクソン経済、それもニューヨーク系エリートの平凡レベルの通念によって支配されていることは"決定的"なのであり、いまのイタリアでは欲しい相手に欲しいと正直に率直な欲望的な心情をぶつけることさえもできない、きわめて文化的占領統治下的な、浅はかかつ安易に海外製の価値観が借りられてきたような、イタリアの経済的な劣等感やアメリカに対する地位意識が、如実に投影されている点で、それはシニカルなメタファーなのであって、歪んだパターンの上を歩かされている都市の価値観が必ずしも正しくない権威力をもって男と女の自然な営みや愛欲を阻害しようとする偏った都市生活者の価値観に関する疑問符附きの危機意識を投げかけている作品(そういう意味において、資本主義を客観化できていないままにコンテンポラリーを安易に突き進めると、必然的に男は「買春」のようにして女を抱き、女は資本主義を相手に「単体としてのセックスおよび愛人契約書」を売りつけるセールス・ウーマンであることを余儀なくするシステムがそこには否応なくそこに登場してくることにもなり、それゆえお金に追われてしまうと「勝ち組」にも恋愛を自由には出来ない[ただし、金銭によって手に入れられるものは少なくないが])とのアンヒヴァレンスが、そこには大きく浮き彫りになってくる。そして不倫の方が打算を排して純愛には近いような、現在のひとつの男女の関係の構図に、アングロサクソン的な意味合いでの男女関係を採用してみる中でも、はっきりと歴然たるラブ・アフェアの周囲にだけ漂う、うっすらとしながらも背徳的で異性を魅了しようとやっきになっているような独特の都市的な芳香が、隠しようもなくそこに漂い出してしまうのである。「理想」と「現実」の間に大きく厳然とした二元論方式での識別ラインを引こうとするやり方は、元来は間違いなく「勝利」と「敗北」の間に生まれた際の極大化の中で、概して負け組の側に生まれてきた意識であり、負け組は、しかし神の悪戯のような見かけ上の逆転劇に引き出されて、しばしば勝利者の派閥の中に過去的な記憶としての「敗北することへの潜在的な恐怖」を植えつけることがあり、勝利者の立場が、あたかも負け組の立場における選択肢を制限された状態のような形で、豊かでありつづける為の不自由な選択を得てして行なおうとする。ところが、エリートとエリートの掛け合いで貴族制を続けられるほどに"現代ニッポン"なる国は甘い社会ではなく、むしろ運勢の低迷期に於いて没落した貴族の生活を下支えする能力が、概して庶民的な営為に現実主義的な才覚や経験であったり、生活能力に長けた庶民出身の配偶者による実生活上での助力であったりするなどして、逆にエリート主義や貴族主義で凝り固めてしまうと、現実感覚に乏しく、大衆化時代にも柔軟に対処できず、緊急事態発生の際には共倒れや空中分解へと急接近しやすくなってしまう。逆に、庶民ベースのままに庶民感覚を失わない成功者の場合は、結果論的なエリートの範疇に数えられることはあろうが、何事につけ脱「貴族主義的エリート」型の叩き上げエリート主義者なのであって、現代の貴族社会の仲間入りをするにもサロンからは全くお呼びがかからないタイプのそれであろうし、黒字至上主義者につき貴族的な華美や贅沢を嫌い、配偶者も庶民的な派閥の中からかなりの確率(迎えようとする側は良くても、ハイファッション・イメージのライフ・スタイルを嫌っているところに、ハイ・ファッション・ライフをライフワークのように追求しているような「クリスタル族」指向の女が、急転直下、革命的に意識改革を行なった上で「カネも山は莫大に持ってはいるが自家用車は軽トラックだけ」の日本版の男らしい叩き上げの資産家の許に降嫁してくるとは期待することすら不可能だからである)で迎えるであろう。中堅企業経営者層をもいかんなく範疇に含められるアッパー・ミドル層以上においては、一般のビジネスマンや中流世帯の女子大生程度クラスとの恋愛や縁組を進める傾向が強いのは、概してサロンやギルドのようなクローズド・コミュニティが持つカルテル的で冠婚葬祭互助会じみた仕組みの中では、話を始めやすくシンパシーを覚えやすいからである。人間は本来、全く住む国や民族、思想、所得クラースの違う未知なる相手とも恋愛をすることはできるし、中には結婚を実現している人間もいるであろう。が、『流されて』のカップルが破綻した理由は、そこに支配主義的な暴力構造が介在していたからであり、都市は暴力を忌避する点では絶対的なコードを、都市生活者に課してやまない、生産主義的で母胎的な空間であり続けようとする。レイプまではされていなくても、生まれた瞬間から都市化されている精神構造のヒロインの中では、(セックスだけは愛情深い抱擁や和合の形としてもたれたにしても)一時的にでも暴力が、自身を支配するための手段として発動、行使された瞬間から、女は当事者の男を永久に許すことができなくなってしまうのだ。都市的に洗練された恋愛は、個々の女性本人が選び、獲得していく種類の平和な欲望の対象なので、すべてを女性に納得して貰う以外に方法がないのだ。勿論、たとえばこだわっていることに関して自分なりにわがままな一面を持っているくらいだったら、無難な範囲で女性も許容してくれるであろう。が、女性の許容は思っている程に得られるものではないし、訴求力や説得力の欠落した、或いは異性に出会い、獲得していくための要領に不得意な者についても、永久に女性との間での健やかで一般的なコラボレーションを形作っていくことは難しいであろう。女は永久に(独身男性の"浮気"を許す女はいるとしても)自分に向けられた男の暴力を尊敬したり行為自体を許したりすることはない。過去にそうした女性体験上での経験を有する諸君で、現在(いま)もって過去の経験から何ら学習が出来ていない諸君は、今一度、過去を振り返りながら、自己の愚について恥じ入り、反省してみることをお勧めする
ダイニング・サロン「グラン・シエクル」と船内新聞「ライトハウス」 [1][2] 大阪・天保山客船ターミナルを母港に持ち、世界一周クルーズやアジアおよび沖縄方面クルーズ、そして主に雄大な眺望を満喫できる伊豆諸島の新島および神津島あたりの沖合を廻ってくる東京湾ワンナイトクルーズなどで活躍中の、国内初のポピュラー・クルーズ客船(他の日本船のツアークルーズは料金設定も高級ランクになっていて、外国並の薄利多売感覚に乏しい)としても知られる、客船ぱしふぃっくびいなす(浮かぶ別荘のイメージを基調にしているのか、乗船時に「おかえりなさい」の声があって爽やかな印象)の船内ムードを伝えるのは、船内新聞「ライトハウス」。客船の同等船室よりも豪華な場合がほとんどの「スィートルーム」についても船内放送だけで済ませてしまう旅客カーフェリーとは異なり、ツアークルーズ客船には「船内新聞」が世界的な習慣として存在していて、船内の施設やイベント案内を中心に、快適な船内生活のための方法などのインフォーメーションが盛んに盛り込まれている。そして特筆すべきこととして、ぱしふぃっくびいなすにはスィート・ルーム級を使用する上等船客のために、上級船客だけが利用できる豪華なダイニング・サロンが用意されている。船内空間にはゆとりがあって、大きな船体が洋上をゆったりとダイナミックに移動することを除けば、リゾート・ホテル相当の鉄骨建築物状のそれになっていて、たとえば東京湾ワンナイトクルーズでは、高級感漂うリゾート・ムード満点な伊豆沖合の海上での船長主催パーティや豪華なエンターティナーによるショー、船内カジノ(ゲームとして行なわれ、勝つと賞品が貰える仕組み)などが開催され、船内バーなども営業しているのだが、日本船の世界では 驚く程に旅客カーフェリーがシップ・マニアにも親しまれていて、ホテル & クルージング・リゾートとして、パーキング・タワーまでをも一緒に移動させている雰囲気を持ち、とりわけ休暇シーズンの北海道および年末年始の小笠原諸島クルーズなどでは、冬季の午前出航ながらもトランク替わりのクルマで行けるために、ラッシュ時を避けての早朝発でもかなり快適な旅を楽しめたりするために、FLEX-J Webmaster的には、どちらかといえばフェリー利用の船旅の方をついつい推奨してしまいそうになる。本当の豪華客船っぽさを追求したい場合には、他船を薦めたくなってしまうFLEX-J Webmasterにおいても、すっと見学するだけで通り過ぎてしまったダイニング・サロンの感覚は、どちらかと言えばこの国では旅客カーフェリーの運航会社らしい設定感覚であり、QE2のクラス別レストランとはだいぶ意味合い自体が違うような気にさせられてしまうこともあり、勿体無く思われたりもするのだが、イギリスの客船評論家ダグラス・ワード氏の世界的な番付ランキングによれば、スィート客向けの特別レストランがあったり、(ぱしびぃ自体は決して豪華な客船とは異なるのだが)中型客船がメガシップよりも高級とされやすいヨーロッパ的な意識感覚に訴求する仕様、当時としては様々な気配りが設計感覚に見い出されたことをおそらくは評価して、全5つ星の満点に星が半分足りないだけの高いポイントを獲得しながら、世界中のクルーズ・マニアにアピールしているあたりは、さすがに大阪らしい感覚には違いない、の賛辞を送りたくなってしまう程、なのである。ただし、たとえば高齢者を連れた国内長距離旅行を楽しみたい場合には、豪華客船も高齢者にも安全な旅の行程を提供していることは間違いないのだが、旅客カーフェリーはとなれば、寄港地でのショア・エクスカーションのツアー・バス利用に相当する部分を、自家用のサロン・バスとしてもこなれているワンボックスに近いタイプのミニバンを利用して、ファミリーとしての移動を楽しむことができて、すなわちリゾート大陸のように広い北海道および交通の便の悪い各地を見て廻れる利点もあり、短い時間の国内の洋上での移動時にも、"高専卒の船長による奇妙な自慢話"や"なんとなく見せられるだけのキャラの濃いタレントによるライブ・ショー(ただ、FLEX-J Webmaster自身がチェックした結果としては、客船オペレーターが選ぶ船内ショーに招かれたタレントたちは、どの人も間違いなく場を退屈させることだけはないものを持っている印象だが、郷土芸能モノが演目になる時には、和モノの伝統文化がわからない向きが退屈がって席を立つことはしばしば見られることである)"などの忙しい船内日程で振り回されるよりは、展望風呂や食事、バー・タイムなどにゆとりを持てることからも、それほど純客船に対しても遜色のない旅なのも確かである。とりわけ日本的な家族旅行的なバカンスを充実させる意味では、運転者一名(二等利用)と乗用車一台で総額二万円程度で関東から北海道まで行けてしまう旅客カーフェリーによる航海には、少なくないアドウァンテージがあることも間違いがない。そこにカー・ナビがついていれば、だいたいのスポットへは「鬼に金棒」でたどり着けるはずである。勿論、中には海外文学の研究のために毎年何度となくイギリスやフランスに飛ぶだけで旅行は精一杯な向きもあるにはあるのかも知れないし、そうじゃなくても毎年のようにサガンの『悲しみよこんにちわ』やミッチェルの『風と共に去りぬ』、シェイクスピア作品におけるスコットランドやイタリアなど、自主的にテーマ文学作品を決めて、舞台になった作品の故郷めぐりの個人旅行に出かけていくことは間違いなく楽しいことに相違ない筈だが、学生時代とは違って、大人になるとなかなかそういうオリジナル企画の実現は難しくなり、たとえば読書をするために書籍は持参しつつ、国内のリゾート地や自宅近辺で過ごすことが少なくなくなってきてしまうのではあるまいか。休暇中に都区内の大型書店や図書館などへ通うなどのイベントでも十分にオフにおけるバカンス・リゾート気分は満喫できる。ぱしふぃっくびいなすのスィート・ルーム級以上の客室には展望バスルームがついていたりして、読書派がそこで時間を過ごすのなら絶好のロケーションなのかもしれないが、むしろたまっていた書籍類を一気に読破することを考えるのであれば、カーフェリーの特等室(シティホテルのデラックス・ツインルーム相当はあり、窓の外には外洋が眺められて気分は抜群なキャビン空間。エアーの料金で単純移動+ホテルルームでの洋上ステイが楽しめる)の方がむしろお薦めできそうな場所だったりして、初日のディナーは駅弁[高速道路のパーキング・エリアでも駅弁のようなものが売られていたりする]あたりを事前にお持ち込みすることで、マイナーな船内レストランでの定食バイキング(※結構味は悪くないこともあり、FLEX-J Webmaster的には悪くないチョイスのような気がしている)を利用しないでも済むし、船内放送やマリンシアターで上映されるビデオ映画を見て過ごすこともまた楽しい。勿論、内田康夫夫妻のお気持ちも、自己の船旅体験に於いても十分に理解されるため、ぱしふぃっくびいなすのスィートおよび豪華待遇のダイニング・サロンを使用するのは、旅行資金的に十分な余裕があり、船旅に多くを割いているクルーズ・ファンにとっては、この上もなく格別なステータス感の伴う、紳士淑女の営為であることもまた確かであるのに違いない。ただし、船旅の満足とは、某氏が記していたコラムにもあったように、貨物船に乗る旅でも楽しいことには間違いなく、たとえば室内がゆったりとした国内型のミニバンにでも乗って、北海道や九州、或いは四国、もしくは韓国(下関発着の関釜フェリーでは、日本のナンバーのついたクルマで韓国にドライブ上陸、上陸直後の釜山市内やソウル、或いは海辺の観光地を自分の運転で巡って旅することが可能)あたりへ、マイルドなアメリカン・リゾート・ミュージック(テレビCFに連動して首都圏で言えば小田急"成城"っぽい味つけのマーヴィン・ゲイが流行っているようだが、どちらかといえばFLEX-J Webmasterはマイルドに過ぎず若干スパイスの効いたバリー・ホワイト系[カヴァー・ヴァージョンを唄ったリサ・スタンスフィールドを含む]のサウンドの味つけがより好みでもあり、そこに坂本龍一とモレレンバウム夫妻によるボサノヴァも、近年購入したいくつかの流行りのアーティストによる、或いは自分で発掘してきたようなアーティストのアルバムなども交えながら、今までのように聴かれることもまた確かだったりする。都心エリアでは依然としてバカラック系は強い)でも流しなから、気軽に走っていくことができる楽しみだって、そこには十分以上に用意されているのであり、そこまでは無理でもたとえば富士山の五合目あたりを目指したり、富士スピードウェイにおけるF3000(F1マシンにエンジン回転数に制限を加えるリミッターを加えたりV8のエンジンを上限にしたようなフォーミュラ・カーのシリーズ戦。若手レーサーがF1に昇格するための登竜門としても国内外からの出走ドライバーが走っている)を観戦したり、海辺のリゾートや温泉で休養を取ったりなど、充足したリゾート・プランはいくらでも考えられようがあったりするのも確かで、大学で学んだフランス文化をたとえば日本国内に翻案したものを実践してみたい向きがあれば、それはたぶんいくらでも可能であり、フランス現地でのそれにも劣らない、十分に知的で有意義で、学生時代の日光や箱根でのドライブを思い出させてそれ以上な大人の旅の可能性もまた、間違いなく無限大であることもまた、まったくもって間違いのないこと、なのである
セント・ポール(西池袋の立教大学の英語名)池袋キャンパスへの道 別に都電通学まではしていないものの、何故か都電荒川線の駅からサンシャイン・シティ、池袋駅東口(西武口)、そして西池袋へと至る通学コースをFLEX-J Webmasterと共にウォーキングするコーナー。池袋の界隈は、基本的には絵になるスポットが限られる(おまけに自由学園のようなスポットを知っているコは数少ない)こともあり、"リツジョ"が周辺で遊び歩いていることはきわめて少ない。実際の誕生順はともかくとして、"セント・ポール女子大学"の異名を持つ文学部の女子学生たちの雰囲気は、偏差値や興味レベル、プライド、意識など、様々な面で高め推移のため、ハイブラウな世帯の長女っぽい感覚のコが極めて多いのも特徴。しかも、第二外国語を(習得が大変なのに)フランス語にしているコたちにもなれば、入学時にクラス制が採用されていることもあリ、"身内"意識がきわめて強く、センスが夏〜秋にかけてのパリ・モンマルトルやシャンゼリゼのオープン・カフェ界隈に飛んでいる向きがほとんど。英米文学科("エイベー")のゼミ授業でも、居心地的には予習優等生たちの文化的なサロンじみていて、きわめて華やかな女の園のイメージ。しかも少数派の男子学生の性格は概してまともながらも、プライド高めで抜け駆け禁状態(ハンパなことでは恋をしないコたちでもある)じみた女子学生グループの同性向け抑制意識が働いてか、概して話ができてもパフォーマンス的な上滑りなその場だけのトークに終始してしまう傾向がある。サークルや共学校などで男子学生慣れしていて、親しみやすく友達になれたり、なんとなく真面目な流れでお付き合いになってくるタイプのコもいるにはいるが、イギリスやフランス、アメリカ(が、圧倒的なヨーロッパ派に対して、アメリカは概して不人気)などの欧米の文化を高級に理解する楽しみなどのファッション感覚は三分の一程度に、しだいに真面目な語学マニア化してくるのが、文学部の女のコたちの個性であり、学内のサークル世界などでは、男女の別なく、"文学部の女子"と言えば、受験者募集における"大学最大のウリ"だけあって、ワンランク上の存在(経済学部の女のコあたりには"雲の上の存在"のように見ていた向きも見られた)の立場に置かれていることは確かで、勿論けっしてそこには誰かのためのハーレムと化しているわけでもない、女のコたちの女のコたちによる女のコのための女子学生グループが形成されているのであって、若干排他的なまでの敷居の高さを感じさせたり、ある種の重たさはあって、スノッブだが、ハンパな帰国子女グループとは異なり、物事の理解もしっかりしているインテリの卵っぽい普通のコが多く(ただし、恋愛を充実させられる程の暇まではないからか、好きな男のコをほかの女のコに先に持っていかれたか何かで、声を荒げていたタイプまでは目撃したことがあるが、恋愛問題で女のコの間で何らかの騒ぎが持ち上がることは少ない)、内部ではいろいろと助け合っている様子もあり、それはそれで良ければ良いのではないか、の世界。服装面でもほかの学部の女のコに較べるといきなり垢抜けて、カジュアルやリゾート・ファッション中心ながらも、少なくともモデル・クラス程度のオシャレぶり(意外にストイックでプラトニックな恋愛をしている女のコが多いようで、サークルの男子学生あたりとは気軽にドライブに行ったりまではしてもきれいな関係だったりする場合は少なくないらしく(経験者に関しては男子ルートから話が伝わってくる)、小物やメイク・アイテムには独特のセンスでこだわっているコは見られていた)であって、しかもそこは、すっきりとしたデキる女子学生たちの絢爛たるサロンであり、中には性格的に合わないのか、(裏のアルバイトに走ったり、文学部を出ても伝統的にハイクラス感覚での高級家事手伝いをしているようなお嬢サマ系が多め[ただし、本当にお金持ちの家のコは、話ほどにはいないムードだが、それでも安定的な実家のレベルに支えられながら、ゆったりとしている感じはある。BGMで言えば、フランス・イージーリスニングの今は亡き大巨匠フランク・プゥルセルの"なんて素敵な(C'Est Magnifique)"をバックにしているかのように華やかなこと極まりなく、したたかでしなやか、良かれ悪しかれうら若いのに大御所マダム並のずば抜けたステータス感覚の高さ、しかし短大上がりの持つそれのようなミーハー感覚や過激なまでのセレブ趣味は少ないためか、ここ以外では半官半民時代のJAL国際線スチュワーデス群像を思わせるような明るい声に満ちて、躍りはやるような、強烈なまでの御嬢サマ感覚は(実際、聖心女子大学を修了して、大学講師として英語のみならずアイルランドの民族語であるゲール語を中心とした語学研究活動に没頭、美智子皇后を東宮御所で指導した教授歴もあり、東京都文京区に元々はいた大名の孫娘で、のちに神奈川県横浜市や千葉県船橋市にも、離婚後、独力による住まいを持つに至った、FLEX-J Webmasterの祖母あたりも、強烈な御姫様感覚の持主であった)、ジーンズ姿が目立った他学部の女子に対して、大きなアドヴァンテージをつけていたのは確かである。そして平時、しっとりとした状態では、マンハッタン・トランスファーの"Walk in love"などは自然に似合うような、西池袋でも(大学合格などの)資格をもつ限られた人々しかいられないエリート感覚の強い世界を、程よくメロウに彩ってくれるものがあり、希望に満たされていた女のコたちの輪郭線をはっきりと映し出してくれる感じがあった。中にはメルセデス・ベンツのSクラス・オーナーのアッパー・ミドルも見られるとの話も聞かれたラグジュアリー系中流でハイブラウなご両親が手塩にかけている感覚]なだけに、ビジネス・ウーマン指向の強い自立派にもついていきにくいものがあるらしく他学部や他校を再受験する、などの形で)否定すべき問題にはないドライな選択として進路変更してしまうコもいるにはいるようだが、「文学部卒の女子学生は総合職にはあまり向かない。国際比較法学のコでもなかなか就職は大変なのに」などの世の中の声などは"何所吹く風"で、しっかりと大企業に就職しながら活躍するコも(東大、早稲田、慶應の女子で就職希望組が案外に長期的な就職からはあぶれたりしているコがいることからすればむしろ恵まれているはずなのだが)決して少なくはない。アルバイトや遠距離通学、そしてしばらく三田に通ってからの復学のために"エイベー感覚"の面では頭の筋肉が鈍化していたりかもしれないFLEX-J Webmasterの、授業の合間の5号館からのビュー(慶應の三田キャンパスとも並ぶレンガ造りの歴史的建築物である1号館や西池袋の自由学園方面を真上から一望できる)などを、このコーナーに掲載されたデジカメ・ショットから楽しんでみよう
医大生の船旅・ヨーロッパ編 実在の整形外科医の卵がヨーロッパ各地で体験するサイトシーイング・ウォーク。FLEX-J Webmasterが置き忘れてきたヨーロッパ編の旅がここにはある、といった感じだ。特徴的なのは、旅先で出逢った現地人の描写や、ヨットマンらしく船の上からの島影の描写が詳細なこと、移動にはほとんどヨーロッパの鉄道とフェリーを使用していることで、さぞ旅の道中、移動が風光明媚なシーンに恵まれたことであろう。おまけにヨーロッパで飛行機も(医者の卵が格安航空券を使ったかはともかくとして)エコノミークラスにしたりしながら、人情の旅に徹すると、そこにはまるで文学作品の世界のような登場人物たちが溢れ、贅沢な舞台が各地に劇場のように出現したりするのが、かの地の特徴には違いない。船好きらしい、情熱と感性を感じさせる旅の日記であり、性別や国籍、人種の別を問わず、船旅好きが何故一様にある種すっきりとしていて、キャラクタリスティックでバイタリティがあって前向きなのかは、船好きの自分にも良くわからないが、いずれにしても船に乗ると血流がよくなり、思考がクリアに、そして人格面では幅が出てくることは間違いがなく、船旅好きで暗い人をあまり見たことがないのも事実だ。整形外科医には感性がなければ始まらないし、整形顔は良かれ悪しかれ人為的な芸術作品の一種だ。流れがほとんどFLEX-J WEbmasterによる「世界一周航空券の旅」を思わせるそれになっているが、ヨーロッパ中のいたるところのフェリーの定期航路(ほとんどが国際フェリー)に詳しくなれるので、バッグパッカーおよびヨーロッパから北アフリカにかけての気楽な船旅を考えている向きには、参考になるはずである
トヨタF1チームとモントリオール市街地サーキット [1][2] カナダのフランス語圏ケベック州の世界的都市モントリオール。郊外のセントローレンス川に浮かぶノートルダム島の公園内道路。そこは、グランプリ・シーズンともなれば、世界中に中継されるワールド・イベントの舞台、トップグレード・フォーミュラの特設サーキットに早変わりするのだが、イギリス文化とフランス文化との境界線上にあるようなエリアでの、噛み合わせは悪いが丈夫に回る歯車の軋みのようなイベント・ムードは独特のもの。時期がダブるモナコ市街地サーキットでのレースは、アップダウンが激しく、連続するコーナーもタイトであり、しかも危険が伴う分だけ、平均スピード面でも大きく制約を受ける。が、市街地サーキットだが、フラットでコーナーも少なく穏やかな公園コースを走る「ジル・ヴィルヌーブ・特設サーキット」(ジル・ヴィルヌーブは栄光に包まれたフランス系カナダ人GPレーサーの名)は、フォーミュラを耐久マシンとして限界まで振り回すサーキットとして、マシンおよびレーサー、チーム体制、そして時の運の、すべてのランニング・ファクターの相乗効果こそが勝利の決め手なのである。そして日本のコンストラクター「トヨタ」がスペインGPに続いて西暦2003年度のこのコースに於いてポイントを獲得したことは、あのフランスが誇り続けてきた往年のF1世界チャンピアン、アラン・プロストも来年度から二年間の契約で"アンドロトロフィ・アイス・レーシング"のシリーズ戦でコクピットに収まる大ベストセラー車「トヨタ・カローラ」の耐久性の高さこそを物語っているかのようでもある。トヨタやホンダのような現在の日本のコンストラクターズは、最大の自動車市場である北米に向けたプロモーションに躍起で、インディ・シリーズなどのアメリカン・フォーミュラの世界には必勝態勢で臨む一方で、現在の国内市場ではミニバンやワゴンがセールスの主流を占めていることからも、現在のF1に社運を賭けることには大いに躊躇っているのが現状。しかし、それにしてもあの状況下での八位入賞はたいしたものであり、秋の日本GPに向けて、さらなる熟成が期待される
ルイ・マルの『5月のミル』 [1][2] フランスのブルジョワ層(大資産家クラスの企業経営者)の家庭劇。南フランスの田舎の家での葬祭のために集まってきた人々の束の間のバカンス風景や恋模様。舞台背景はしかし、学生運動やゼネストの機運が一気に高まった西暦1968年の「五月革命」の時期であり、資本家ゆえにゼネストの機運とは無縁ではいられない人々の心の中に、時代の足音は小さな波紋を映し出していく。ルイ・マルといえば、フランスのヌーヴェルバーグ期を代表する大監督の一人であり、作風は良かれ悪しかれアヴァンギャルドなもの。中には破綻を描くことが多々見られてきたルイ・マルの作品の中では、どちらかと言えば穏やかな、北欧のイングマル・ベルイマン監督系の時間が流れている本格的な家庭劇であり、男子学生相手には露骨なライバル意識や怠慢を隠そうともしないパフォーマンス好きでバカ系でまるで獨協大学か何かのように"ビンボー中流キャラのガキ根性丸出し"の見た目スマート系の三流、おまけに人間性以前の問題としてヘンな見栄っ張りで一介の男性としては未熟な、複数のエロ教員たちから大いに甘やかされているために、池袋キャンパスでの青春を自由かつ自在に闊歩している"リツジョ"(セントポールの女子学生。第二外国語および一般教養程度の話なので、必ずしもフランス文学科のコのみならず英米文学科でも、軽めのフレンチ・トークには十分についていける)たち、或いは西武百貨店池袋本店の地下のハイブラウな書店フロアにいかにも入り浸っていそうな男子学生らが好みそうな、淡々とした、それでいてフランス流の最も恵まれたバカンスに関する、「ジャルパック」的な観光体験じみた疑似体験にも過ぎないような、とりたてて意味自体はないような、ウィットに富んだひとときを、楽しく過ごすことができる映画
1968年の五月革命 [1][2][3][4][5] フランスで起こった政治的な大衆争議ウィークの一種で、前後して当時の世界の平和主義者だったり、アヴァンギャルドだったり、ファッション感覚で"フォーク・クルセイダーズ"だったりしたような人たちにとっては、ある意味戦後の若者っぽい"いい加減感覚"を追認さえしてくれるような、日常生活レベルにおける世界的な潮流の契機にもなったような感があるエポック・メイキングな出来事。実際には前後する話になってくるが、戦後型の、"普通の人主義"に大きく傾倒するようなネオ・ブルジョワ層の人たちや、由緒ある古い家柄なのにジャズやロックの楽器を持っていたりインテリアがカラーボックスだったり、サラリーマン世帯のはずなのに知識層的でブランド趣味だったりするようなネオ人類たちが現れ出したりもするきっかけを、一面では、実は、最も伝統的で頑迷な素地を秘めていたりする、革新と伝統の歴史大国フランスでの一連の騒動が、一気に広めていったことだけは間違いがない。FLEX-J Webmasterが生まれた年を前後していることもあり、世界的な近代史上の出来事として、実は伝統に拗ねながら甘えているような依存体質の強い革新系カルチャーの曖昧さ、いい加減さ、出鱈目には世代感覚においても辟易とさせられつつ、人々の意識が、若者的な世代の文化を含めて、先進国的に「自由」になり始めたことについてだけは、どちらかといえば保守の側の思想に寄っているFLEX-J Webmasterとしても、それを大いに歓ばねばならないように感じさせられるのである
香港上海銀行 成長著しい中国の上場企業株式を専門に投機を行なう投資信託商品「HSBCチャイナオープン」ファンドでも知られる外資系銀行。香港のセントラル(中環)のタワービルで知られている世界的な銀行ながら、本社はイギリスのロンドンにある。即ち、"オリエンタル・マンハッタン"香港の旧宗主国イギリスが誇る国際ビジネスの歴史における、アジア進出型の世界法人であって、メガシップ級の客船を運航するスター・クルーズ或いは英国スワイヤー・グループの資本系列下に長らく収まってきたキャセイ・パシフィック航空のような企業を、金融機関にしたような感覚である。このところのF1GPでのシリーズ・スポンサーとしても大看板を張り出している中心的な存在であり、FLEX-J Webmasterが1996年の香港、セントラルのシティコープ前で、或いはヴィクトリア・ピークからの眺望を前にしながら予見していた大型資産形成のための参加機会(ラスト・チャンス)が、いま、世界的に紹介されていることになるのかもしれない。ただし、アジアの株式市場なる世界は、しばしば外資系の危険な一部の投機筋によってマーケット自体がズタズタにされたりする危険性をも孕む。一時期には韓国のITが兜町あたりでも風の便り(FLEX-J Webmasterの直感を交えるものとして)として聴かれたりしていたが、日本国内ですら、ネット・バブルやリフォーム・バブル、BSデジタル・バブルが株式の世界では弾け続けている程で、悪戯なバブル銘柄には警戒する必要があることも確か。中国のような成長率を誇るマーケットを対象にした投信の場合は資産を一気に増やすチャンスでもあるのと同時に、容赦なき散財の可能性からは免れえず、元本の保証もないことを肝に銘ずる必要があるだろう
航空科学博物館は、ネコの世界ではニャンコ空軍の機体コレクションとして知られているのダ (総集編) [1][2][3] 千葉県・成田空港からは程近いところにある航空機の機体コレクション展示場は「航空科学博物館」である。東京都心から"適度"に遠いこともあって「インターナショナル・エアポート・リゾート」化が進んでいるナリタ・エリアの中で、国際線ジェット機の発着シーンに的を絞る上では空港送迎デッキよりも眺めの良い展望ロビーのある施設としてもよく知られる。クルマやバイクで乗りつけるのも楽しいが、電車で行くと成田空港内の見学は検問もイージー・スルーでいたって簡単(※クルマでターミナル・エリアのパーキングを利用する際には到着客の出迎えを装う必要がある)なので、空港と博物館の間のシャトル・バスを使っても良い。航空マニアとしても世界的に知られるブルネイ国王の機体コレクションには、豪華な大型プライベート・ジェット仕様の最新鋭機が含まれていて、実際に国王陛下の公務にも使用されているフリート群だけに、ナリタの片隅、航空科学博物館の"乗ってみると旅客機としての魅力に溢れている"YS試作一号機や、MU、ジェットヘリなどでは到底追いつかない上に、パリの航空宇宙博物館には内部見学可能な実物のコンコルドまでが展示されているのに、わが国には常設展示されているジェット旅客機は一機もない。が、展望台から午前中のヨーロッパ線、午後便に多いアメリカ線やアジア線そして国内線を中心に眺めていると、成る程、フライアヴルな機体に乗りたければ単純に路線のエアライナーに乗れば良いわけであり、いまどきの海外旅行は国内旅行よりも概してリーズナヴル。ただし、国内線が海外路線に負けていることはなく、とりわけ外国品種のネコにとっては、日本は稀有なリアル・オリエンタル・リゾートとして有益に過ごすべき素敵なプレイス。そういうわけで、故郷は恋しくても日本も楽しいアメリカ原産とイギリス原産のキャット軍団にとっては、たぶん、日本で飛ぶのだったらエアライナーよりもジェットヘリやセスナでの遊覧飛行のほうが楽しい(※そうでもなければ、アノ、横山師匠がありったけの私財を投入してライセンスを取得したり自家用機なんぞを購入される訳がない)ことは間違いがなく、そうでもなければフェリーやホテル、あるいはリゾートのベスト・シーイング・スポットあたりで十分にリラックスしながら、ゆったりとた気持ちで、海や山、湖、高原、離島、ヒストリック・スポットなどのエリアで過ごすのが良い、との結論に達しつつあるらしく、ジェット機は観賞用もしくは任務用との認識を、ニャンコ空軍は強く抱いている様子
スイソテル・ザ・スタンフォード [1][2][3][4][5] 日本国内では、西新宿の「パーク・ハイアット」、横浜の「ロイヤルパークホテル・ニッコー」そして名古屋の「マリオット」に似ているあまりにもアーバン・コンテンポラリーなタワーホテルは、国際的なビジネスセンター・リゾート都市シンガポールにおける、モダン・ホテル側を代表するラグジュアリーな施設や上等のサービス水準で知られる。格安海外パックでもこのホテルに泊まれるプランが存在していることさえも、今日では全く珍しいことではなくなった。しかし、海外旅行のトレンドが観光からリゾート指向に変貌してから既に長い西暦2003年のリアルタイムを過ごしていると、確かにこのような超高層ホテルの存在は、国内外に於いてしばしば、強く訴求されてはくる。現在はあのラッフルズ・ホテルの傘下に置かれているこのホテルが、現在の東京におけるあのようなスカイ・スクレーパー(六本木ヒルズもグランド・ハイアットも当然含まれるが、トップグレードは西新宿にある。なお、横浜ランドマークタワーの展望台「スカイ・ガーデン」のナイト・アワーは最も手軽なシンガポール系スポットには違いない)系ホテル・リゾートのブームを生んでいることはほぼ間違いなく、とりわけ盛夏の頃に、タワーホテルが恋しくなるのだとすれば、そこにはシンガポールで見た極上系リゾート高層都市の幻影が見え隠れしているのであろう
究極のマリンスポーツ地帯としても知られる世界屈指のタラソ・リゾート「サファガ」[1][2][3] 知る人ゾ知る、というよりも、まだほとんど国内には紹介されていない(※それなのに大阪港天保山客船ターミナル埠頭を母港とするデラックスな大衆的客船「ぱしふぃっくびいなす」による世界一周クルーズの寄港地リストの中には含まれている)、きわめて良質の、いわゆるマリン & タラソ・リゾートの世界的な最高ランクに位置する一帯。世界遺産に指定されている王家の谷などの大ピラミッド群で知られるエジプトにあって、近代的な施設で世界的に高い評価を受けている点も、時代の波を感じさせるものであり、興味深い
ロイヤルブルネイ航空と永遠のバンダルスリブガワン [1][2][3][4][5] ロイヤル・ブルネイ航空のブームは、基本的には航空マニアの世界から起こったものであり、割合に早くから紹介されていた存在である。エアライナーの内部には"想像を絶する程の豪華な仕掛け"も見られるなど、話題を振り撒いていたが、航空マニアの間での評価が高かった割には、関西国際空港開港時に就航した直行便は、利用率の低さから現在は撤退している。インドネシアの片隅におけるブルネイ王国の首都バンダルスリブガワン一帯のこの世における究極の極楽を思わせる豪華絢爛ぶりは、豊富な採掘量を誇る油田地帯の恩恵、即ちイスラムの神の愛の賜物であり、それゆえに日本の商社マンや石油バイヤーが駐在していたりする街としても広く知られていて、当然の事ながらリゾートとしての考えられ得る限りのインフラを誇っていることも確かであり、ブルネイの国王陛下は大型ジェット旅客機の保有コレクターとしても知られている人物としても、航空マニアの間での超VIPクラス
徳川将軍家展 江戸開府400年を記念するイベントとして開催される江戸幕府関連のヒストリックな展覧会。展覧会自体も岡崎や静岡から東京へと全国を移動してきているように、徳川家自体は岡崎に端を発しながら、戦国時代に勝利を収め、当時法王化されていた休眠的権威としての皇室および本来は幕府大将軍を名乗れる唯一の資格権限者である清和源氏からのいわゆる"許認可"を特別に得るかたちで、日本的な武家王朝「江戸幕府」を開き、国内統治の全権を掌握した。大江戸文化が花盛りとなり、武家は勿論のこと、商人や町人にも居心地が良く、思いのほか自由で奔放な空気を孕んだ時代だったとの話も時折聴かれたりする時代。幕末までの国内文化は、日本独自のそれであり、とりわけ武家時代の文化にはジャパン・オリジナルの根源が存在していることもまた間違いがない。現在でも江戸時代劇は庶民的な楽しみのひとつであり、大相撲や歌舞伎共々、若いファンの存在も案外に確認されている。今回の展覧会では「大奥」に関する文化資料もほとんど史上初めて展示されるとの話もあり、近世の日本史(国史)に関心を抱いている来場者にも興味深い「文化の視点」を提供するのに違いない
東京ベイエリアの2大競馬場 [1][2][3] 英国では貴族的なイベントとして盛り上がるダービー、そしてイギリス植民地当時の香港で満喫できた本格的な英国式競馬、また、アメリカでも競馬は賑やかな紳士淑女の社交としてケンタッキー・ダービーなどで盛り上がっている。日本で競馬と言えばまず思い浮かべられるのは東京(府中)や中山、函館、小倉、新潟などで開催される中央競馬ながら、首都圏では意外にローカル運営の公営競馬もまた人気。美しいライティングの中で繰り広げられるドリーミング・レースのナイター競馬("トゥインクル・レース")で有名な大井競馬場は、浜松町発着の羽田空港行き東京モノレールの車窓からも全景が眺められる競馬場として、ターフ全長1600メートルの芝コースを誇っている。つい最近まで国際線定期便が飛んでいたものの一旦廃止、関西国際空港で国際線にトランジットさせるための連絡便発着用および"空飛ぶ新幹線"そして国内リゾート向けのシティ・エア・ターミナルと化しながらも、今後あらためて近隣アジア線の海外定期便を復活させる機運があるらしい東京国際空港(羽田空港)の存在感と重なる「大井」の空気感は、港区〜品川側ベイエリアに特有のアンニュイでニヒル、そしてコンテンポラリーな大人のリゾート(但し、公営ギャンブルの場所である。遊びと割り切りながら、レースに負けた分を広く社会福祉に寄贈する気持ちがなければ、世間のただのオヤジと変わらなくなってしまう)らしい空気感を孕み、航空局や全日空(現在伊豆諸島線は子会社エアーニッポンに移管されている)および東亜国内航空時代JASのYS機、そしてB737やMD‐87だったら楽に発着できそうな、ペガサスたちの芝の滑走路の緑を、一層フレッシュに輝かせているのである。競馬場には指定席などのスタンド券が用意されているため、有料指定席券を購入すれば、実際に気分的な"ブリティッシュ・セレブ感覚"くらいは味わうことが可能(ただし、大井には独特のクールなムードがあり、英国競馬を持ち出さなくても、大井の空気を楽しんでいるだけで十分に楽しめる)。自動車レースにも類似のスタンド席が用意されていたりはするが、競馬もまたコンマ以下のタイムで凌ぎを削り続ける真剣勝負であることには違いなく、騎手はスポーツ選手であり、馬は血統を重視されるエリートであり、馬主は資産家であり、主催元は国の法人もしくは地方公共団体であり、レースの目的は主に国内振興および慈善事業のための公共の財源集め即ちチャリティである。また、例年、東京水辺ラインでは都心の水上バス・ターミナルから、港区〜品川側のベイ・フロントの一角に設けられた"現代のコロシアム"大井競馬場までの区間を、トゥインクル・レースに対応した完全事前予約制によるクルージング輸送を実施していたりもして、モノレールで行くよりも若干リゾート感覚の強い気分で、競馬場に上陸することができるかもしれない。また、千葉県側ウォーター・フロントの一角にも船橋競馬場があり、中山にはない、海辺の競馬場の空気感を味わうことができるであろう
レトロマンシュ語とヨーロッパの異言語文化地帯 [1][2][3][4] イタリア・フランス・スイス・オーストリア・ドイツの国境地帯には、政治上の国境線だけでは引けない独特な文化圏が存在している。ドイツなのにをイタリア語を話すエリアなどは当たり前で、民族や言語の分布が、欧州の大陸部が地続きなだけに、人工的な国境線によってはいないことを示しているのだ。そうした民族的な独自な文化世界の中に、太古のローマ人たちの使用言語の生き残りであるレトロマンシュ語の文化圏も存在しているのだという。絵本で有名なスイスの画家カリジェは、レトロマンシュ語圏の人として知られている一人。ヨーロッパの山々の奥には、様々な民族の人々のひっそりとした暮らしや歴史が息づいている。ヨーロッパのマイノリティ文化の学者や研究家たちは、アイルランド文学者として知られた祖母を持つFLEX-J Webmasterから眺めても、そういう意味において、海外文化を学ぶ者たちの中でも、最も幸福な人たちなのかもしれぬ
ウェスティン・ホテル東京 [ホテル][会員制フィットネス・クラブ][ホテル御用達ベッドマットレスをお分けします] 外資系ハイグレード・シティホテルの系列「スターウッド」に属し、より城南エリアの日常に密着した、使いやすいシティ・ホテル・リゾート(ビジネス・イベント会場或いはホテル結婚式場としてのイメージも強く、以前、FLEX-J Webmasterもここで開かれた有名女性誌『Hanako』の女性編集長をパネラーに交えてのトーク・ショーなどを観覧するビジネス・イベントに、当時は企業に勤める社内Webプロデューサーとして参加)。このホテルに附属するスパ施設は、豪華な屋外ジャグジー・バスなど1990年代以降における必要十分条件を大幅に満たすインフラを備えながらも、尚且つ年会費が入社二、三年クラスでも十分に利用可能なプランを含めた合理的なパッケージングを用意していて、勿論宿泊客は特別価格で利用できる。恵比寿の高層フロアから見渡す東京山の手側からの眺望は、レディスプランの一万円台からは信じられない贅沢なものだが、このクラスのスカイ・スクレーパー系に泊まることを思うと、よりコンテンポラリーな中心街系の眺めが好きなFLEX-J Webmasterとしては、窓から六本木を通る首都高速の高架道や東京らしい港区系のあまり高さのない1970〜1980年代型コンテンポラリーなビル街が見える東京全日空ホテル(隣接する六本木プリンスホテルも悪くはないが)あたりも選択肢には入ってきて、大いに迷うところではある
ホテル・ニュー・オータニ東京 [ジョン・ロバート・パワーズ・スクール][美術館][スパ][トゥール・ダルジャン][展望バー][名画のあるピアノ・バー][広重スィート][ブランド・ブティック・モール"サンローゼ"] 客室フロアは全体的にシンプルでシックなイメージ("プリンス・ホテル"っぽいなどと言えば怒られてしまいそう?)ながらも、それ以外のすべての施設が、国内最高峰を誇り続けている東京を代表するアーベインな都心型ホテル・リゾートのトップクラスの水準を保ち続けているのは立派であり、"首都圏トップクラスのホテル結婚式場"としても賑わっているのは、JRなどの首都圏電車の休日の乗客の中にこのホテルの袋に入った引き出物を提げた人々の姿が少なくないことからも納得されることであろう。(女のコに人気のヘップバーンの映画『麗しのサブリナ』にも登場するような)セレブの子女らしいあらゆる所作を指導する世界的な"花嫁修業学校"であるフィニッシング・スクールの存在や、トゥール・ダルジャン、またかつては紀尾井町モールの名でも知られていた国内外の高級ブランド直営店が軒を並べるモール"サンローゼ"の存在は、セレブ・カルチャーを伝えるデファクト的な存在(英文の横文字を日本語に置き換える適語がなかった頃から"セレブ"の呼称で紹介してきた)でもあるWebコンテンツ上ではかなり以前から紹介してきたものである。尚、当Webコンテンツ上では、より発音に近い「セレブレティ」が、のちの一般流行語「セレブリティ」の意味で使用され続けているのも、ひとつの国内トレンドの歴史を表しているのであるが、ニュー・オータニ東京が「マリオット・ホテルズ」のチェーン加盟ホテルであることは、つい最近になって初めて知ったことである
パーク・ハイアット東京 [オーバー・スリーププラン][オフィシャルアーティスト作品の販売] 館内のすべての施設がかつてなかったランク・グレードのラグジュアリー・プレミアムぶりを誇る、名実共に東京都区内で最も豪華なシティホテル・リゾート。バスルーム面積の広さや惜しげもなく使用されている大理石などの豪華なインテリア・デザインやレイアウト、客室面積に、最低でも4万円台からのホテル・プラン利用代金は惜しくない。せいぜいが新高輪や品川のプリンス・ホテルに毛が生えた程度の外資系シティ・ホテルの存在も珍しくない東京で、ここまでプレミアムなリゾート感覚が生かされた最高級ウォーター・デッキ・リゾートとしてのプール&スパ、新宿でもトップクラスの海抜を誇る展望階から東京中の風景、とりわけ西新宿の高層ビル街を間近に眺められる眺め(エレガントからは遠いが、ダイナミックな高層ビジネス・センター街の眺めを、女のコたちの多くが好む)などのパッケージは、ライバルのひとつ、"代々木マンハッタン"の全景を一望できるセルリアンタワー東急ホテルあたりにも共通するクラスのもの。国内資本も提携ホテルが大半を占めるため、外資系との区別がほとんどなくなっている時代、ニューヨークの最もクールな感覚をもって上陸してきたこのスーパー・シュープリーム・ホテルの存在意義は、けっして低くない。このホテルを基準にしていると、六本木のグランド・ハイアット東京あたりがきわめて使いやすくカジュアルなイメージに思われてくるのも楽しいが、ホスピタリティの面で帝国ホテルの上をいけているのかに関して、ホテル従業員のスタッフのサービスが町娘風で垢抜けしておらず、サービス応対レベルもマクドナルド並のマニュアルぶりだったりするなど柔軟なホスピタリティ感覚の面ではホノルルのモアナ・サーフライダーホテルのような世界的なベスト・ホテル・スポット級に照らしてみるとまだまだ及ばないクラスだったりするなど、若干の疑問が残るポイントがいくつか見られたりもするのも、外資系に共通する一面なのであり、外資系の最高級ホテルが必ずしもベストな選択肢とは限らないことを、このホテルの存在がメタファー(暗喩)として示しているのだとすれば、スノビッシュな一面がチャーミングですらある西新宿随一のホテル・パッケージにとってはきわめて残念なことである。ただし、勿論カリフォルニア・ワインをニューヨーカー感覚で満喫するなら「ニューヨーク・グリル」はベスト・スポットのひとつであり、豪華なホテルのインフラも、最も理想的な環境でアメリカ産のワインを楽しむために用意されたものなのだと解釈すれば、パーク・ハイアットに関する疑問がひとつ解けて、視界が急にクリアになったような感覚にリラックスしながら、十分に気分を安らげることができるはず
『奥様は魔女』("Bewitched") アメリカン・ドラマを長らく代表しているシチュエーション・コメディの大快作。広告代理店に勤務する少々気の弱い夫ダーリン・スティーヴンスの妻、サマンサは、可愛いのに大人っぽくてしっかり者の魔女。姑の魔女エンドラのイジメや日々小戸擦れる風変わりな魔法使いが巻き起こす大騒動にもめげず、C調な代理店社長ラリーからの無理難題な仕事も無難にこなし、人間と魔女のハーフだが魔法はバッチリと使える一人娘タバサにも恵まれる日々を過ごしている、との設定。時々再放送がされているため、個性的な吹き替えの人のキャラクターにも恵まれた作品を覚えている人は少なくないことであろう。セルソフトが割合に格安なコレクション・プライスで登場した時には、根強い人気に支えられたセールスを記録したなどの話も聴かれたりしていた。このドラマに映るアメリカ社会が、以後、長らくに渡って日本国内のアメリカ合衆国イメージの基礎を形作る程にもなり、本当はもっと原色系のコミュニティだったりもするアメリカが、なんとも秩序だったアングロ・アメリカっぽいそれのようにも思われていた時期においては、パンナムなどの海外エアラインの海外旅行イメージが東京・箱崎の首都高速の上(高速道路からよく見えるところに"世界からTOKYOへ、TOKYOから世界へ"のキャッチコピーが電光掲示板に光るパンナムの大きな電飾看板が設置されていた。のちにパンナムは一端倒産、パンナムが残した偉大なる太平洋路線の機材と権利をユナイテッドが買収した)あたりから広がって、また当時の蔵前国技館での大相撲千秋楽の際にはパンナムのコミカルなノリの日本支社長が紋付袴姿で優勝力士に地球儀のついたトロフィーを手渡していたなど、千葉エリアに暮らしてきたデパート消費者のモチベーションを高める力ともなり、銀座でのマクドナルド国内一号店や東京ディズニーランドのオープンなどの時代を彩り、何故かオーストラリアのオリビア・ニュートン・ジョンの"そよ風の誘惑"がハマる「アメリカン・ブーム」の原動力にもなっていた影にも、スティーヴンス夫妻と周辺人物たちのイメージが重なっていたことは言うまでもないことである
ファミリア銀座本店 [ファミリアHP][銀座の位置関係][・ビル] 70〜80年代にテレビの子供番組上でもコマーシャル・スポットを流していた有名店。神戸方面から東京へ展開を図り、東京が本店になっている。12歳程度のジュニア向けのショップブランド・ブティックとして、現在のラフォーレ原宿並の盛況を博していた。良質なラインの中には、可愛いスヌーピーやピーナッツのキャラクターズ・アイテムも含まれていたりして、夢の多い店内構成ぶりが楽しくて、銀座松坂屋の隣で地上1〜2、3階程度までを占めていたビルは、女のコのみならず、現在でも伊豆の虹の郷へお出かけするようなスピリットを忘れていない当時のボーイズにも好評。ただし、ジュニア年齢当時の記憶を懐かしむようにして、東京ウエストで過ごした中学校時代(※多摩エリアゆえに都心慣れはしていてもブティック文化には疎いコがかなり見られた)に、日本橋の「大スペース・シャトル展」日比谷の「モアイ像展」へと当時の仲間を引き連れていたついでに、銀座では「ファミリア銀座本店」にお立ち寄り。が、良くわけがわからないままに当時のFLEX-J Webmasterに連れられながら、おそらくは「原宿キディランド」のようなものをイメージしていた仲間たちは、何の感慨もないきょとんとした顔で「なんだ、子供の店じゃん。何でここにきたの?」と、全く理解に苦しそうに、居心地悪そうに店内をまたぞろ歩く、道に迷った修学旅行客風の男子中学生ムードが漂い、テキトーに店内を一巡しつつ「モアイ像展」への大移動を開始したのである。が、「ファミリア」ブランドの商品自体は、船橋西武は勿論、千葉県の船橋市よりも田舎の東京ウエストでも入手することができたブランドであり、以後、オジサン族の間で流行っていたピエール・カルダンのブームのヤング版のような、マリオ・ヴァレンティノの国内流行などに端を発しつつ、現在、ファミリア銀座本店が収まっている銀座ニューメルサビルの館内にも、パリの中堅コレクション・ブランド直営店舗や女性向けの隠れた良質美容スポットなどがみられ、現在もなお、銀座に典型的な、贅沢ヨーロッパ指向派やニューヨーク指向派の「国内中間所得層(いわゆる"中流のましな並"クラス)」向け(1970年代型コンテンポラリー・トラッド系マーケティングの原型が保存されている)ファッション・ビジネスは繰り広げられていたのである
ビアディーの里親探しネットワーク ピアディー(犬種)に特化されたボランティア系Webサイト。里親探しや生育援助を行なっていて、実にさまざまな場所で迷子犬が保護されたり、里親斡旋、生育支援活動がなされていることに気づかされ、実に感動的
首都圏の優良ビジネスホテルおよびホテル・イン [銀座][鎌倉大船][横浜桜木町][相模大野][幕張][溝ノ口][浦和][大宮1][大宮2][湘南平塚] 出張で使用されるビジネス・ホテルおよび、個人の観光旅行で使用されるホテル・インの世界に関しては、あまり本気で取り上げてきたことのなかったのだが、FLEX-J Webmasterが遅くまでの仕事で常磐線の終電を利用、支線の電車に乗れなくなってしまい、尚且つ家族とも連絡が取れず、歩いて帰ろうとすれば朝になってしまい仮眠も取れないような時に、会社の経費負担で、一度だけビジネスホテルに泊まったことがある。また、観光目的の個人旅行では、しばしば宿泊費を軽く浮かせたり、飛行機や新幹線、船などの早朝発に間に合わせる為に、安めだが内容的にはデラックスな、たとえば「ワシントンホテル・チェーン」などのホテル・インを使用する必要が、FLEX-J Webmasterのみならず、千葉県我孫子市の天王台駅前のホテル・マークワンアビコのように「おらが町イチバンのデラックスホテルがビジネスホテル」だったりする場合にも出てくる(実際、地方都市にはそこにビジネスホテル級のそれしかない場合がしばしばあるのだ)。それでも、カプセルホテルでのステイを余儀なくされることまでもが普通になっているいまどきのほとんどの(大卒者の中堅企業就職でも商用の旅では贅沢を言えない場面は多々存在する)サラリーマンの中では、ホテル・インのグレードを使えるのはそれなりに恵まれているとも言われる(有名大手商社クラスでは若手のヒラでも帝国ホテルが当たり前ではあれ、だ)。FLEX-J Webmasterの場合は、母校セント・ポール(立教大学)のOBあたりにカプセルホテルやビジネスホテルを家族経営している感じの人材がぽつりぽつりとみつかったり、いまどきサラリーマン系の利用者筋にも見られたりしていることもあり、「クリスタル族」的生活には基本的にこだわってはいないため、たとえば気軽なワンルーム別荘利用感覚で湘南で気楽な一泊レジャーを楽しみたい場合には、鎌倉プリンスの格安プランでもない限りは、躊躇なくローカルなビジネスホテルを使ってしまう。そして、東京や横浜、千葉、埼玉のビジネスホテルおよびホテル・インの場合、ホテル・ルームは根本的に「シティホテルの客室」というよりは「豪華版リゾート・マンションの一日ツインベッド付ワンルーム貸し」に限りなく近い感覚であり、経費がきつい時や、一人旅などでなるべく出費を避けたい時などには、良識的なサラリーマンであるほどに、躊躇なくこの種のホテル・ルームは使用すべきであるような気がする(※いまどきのホテル・インは、今回リストアップしたものを含めて、実際的には吃驚するほどに豪華なインテリアにも恵まれた、デラックスなそれであり、はとバスやJR、或いは地元商工会系の有力筋が経営する優良ホテルがほとんどである)。若いうちは無理をせずに旅をするならビジネスホテルやホテル・イン、或いはホテル結婚式場系、ローカルの観光ホテルを利用するのがベストであるような気がするが、今回収録したホテルには、BMW日本法人が公式利用しているホテル・フランクス級(新宿プリンスと同等クラス)が並んでいて、単にビジネス・ユーザーや一人旅だったら、シングル・ルームを6、7千円で利用できるような話に過ぎない。ただし、帝国ホテル級の超一流ホテルに宿泊することが趣味の人、会社から超一流ホテルをあてがわれている人は、あえてカジュアル・ホテルを採用する必要がそこにあるとは思えないことも確かである
長江・三峡クルーズ6日間 中国には世界的な大河が流れていて、上流においてもホテル・キャビン搭載の豪華客船に乗ることができるため、中国の国内外から、ヨーロッパの資本を含めて豪華客船リバーボート・ビジネスに参入している。古代文明が栄え、春秋戦国時代の合戦期において勝れた東洋思想の黎明、そして世界的な巨大帝国の成立と王朝の変遷、シルクロードの発展、日本と中国の関係など、ヒストリックな観点からこの旅を追いかけることもかなり興味深い経験なのであろう。波が荒れることもめったになく、船が快適なのは言うまでもないことで、そうしたたくさんの豪華客船が往来する中国の美しい大自然は、他の大陸、他の国には決して見られない、悠久の時を超えて豊かで肥沃、そして美しい長江流域の景観は、しかし、巨大ダムの建設を目前にして、かなりが水没することが予想されるため、行くなら今年、西暦2003年が最後のチャンスとも言われている。実際は、水没エリアが多々あっても、見所はまだまだ尽きないとの判断から、豪華客船自体の運航は今後も続けられるとの決定が、いくつかの船会社からは示されてはいるのだが、ベストな状態でのクルーズを楽しみたいのなら、今年は確かにラスト・チャンス。「脱ダム宣言」が囁かれている県とは対照的に、中国は大規模開発ブームのさなか、なのでもある
「イタリア3大都市ハイライト・世界遺産巡りの旅」 今年、西暦2003年度で最も流行している旅のプランが、こちらに示されているような、イタリア都市巡り〜地中海の旅のような、飛行機と陸路で移動するバスツアー・タイプのパック旅行。国内旅行よりも安くなっている海外旅行の相場を利用して、上手にプラン選びをしてみるのもお利巧さんな方法、なのである。しかもローマを除く各都市で世界遺産を中心に観光をするルート設定も当世風、となれば、バチェラー的快楽主義の謳歌に直走る独身貴族たちやリタイア組、女子大生など、行ける時期に来ている羨ましい年代の人達からの熱い視線が注がれていても、至って当然のお話。また、スイスの旅の出足も良好、との話
チグリス・ユーフラテス川 [1][2][3][4] チグリス・ユーフラテス川の渡し船を、旅人が紹介しているページ他、大学受験の世界史学習でも必須の、古代メソポタミア文明の足跡をたどる旅は、相当に面白いに違いない。古代文明以後は、長らくシルクロードにおける中継貿易拠点としても知られ、遠く中国とローマ帝国との間を、ラクダに乗った貿易商によるキャラバン隊が壮大な旅を続けていた。現在では、アメリカによる西暦2003年のイラク戦争での戦後処理のための自衛隊海外派兵における"ディスティネーション"、無法状態下におけるバグダッドへの旅行師団(国連軍による平和維持活動とは異なる、日米安保体制化における派兵になるため、様々な意見が聴かれました)は、差し詰め、戦争と平和の境界線をたどり死と生の意味を日本人に突きつける、バビロニアの熱砂の上を行きながら、アメリカ軍との友情関係を確かめるような、(国際政治・外交的なパフォーマンスとしての)かつてない戦車パレードによる日本からのキャラバン隊として、今後のニュース画面上にも登場してきそうな予感を漂わせるものであろう
80年代〜90年代初頭に女子大生とJALスチュワーデスの間で人気だったドライヴィング・スポット"いろは坂"〜展望台まで [1][2] 日光の中心から男体山の山懐にできた中禅寺湖までを結ぶ観光道路は、いろは坂の名で親しまれている
世界遺産の日光社寺群 [1][2][3] 国連機関のユネスコが認定する「世界遺産」に、日光の社寺群(寺社の数々。多くは徳川家や幕府にまつわり、奉っているもの)が選ばれた。関東近県の小学生の修学旅行のメッカであり、徳川リゾートの親しみやすくてデラックスな国際感覚は、FLEX-J Webmasterも千葉県船橋市の公立小学校在学当時以来、長らく親しんでいる。有名な華厳の滝は、中禅寺湖から流れ落ちる国内有数の滝であり、いわば日光とは徳川家においては、「清和源氏にとっての鎌倉」「平家一門にとっての熊野」そして勿論「天皇家にとっての伊勢志摩」に並ぶべきものとして、世界的にも広く知られる、それぞれに直系の総本山のうちでも、きわめて庶民派感覚が強く、尚且つ冬季にはスキー・リゾートも出現するなどデラックスな、独特の気軽さを併せ持つ、絶景のヒストリック・ネイチャーリゾートなのである。首都圏からは浅草発着の東武特急などで気軽にアクセスできるハイキング系リゾートながら、グレードは世界クラスなのは、実に日光らしいエピソードである
明智平ロープウェイ&パノラマレストハウス いろは坂の明智平から発着しているロープウェイや休憩スポットから眺める、中禅寺湖と男体山、そして華厳の滝とが、ひとつのパノラマの中にすっぽりと収まる風景明媚なスポット。日帰りも良いが、ここはじっくりと、一泊二日での保養を楽しみたいところ
戦場ヶ原 [1][2][3] 日光リゾート・エリアの中でも、群を抜いて美しい高原。トレッキングや写真を趣味にしている人の間での定番スポットだが、年間を通じて数多くの観光客が、気軽にここを散策している
前白根山[1][2] 日光白根山は標高2千5百メートルを超える山として、奥日光を代表するランドマーク。関東以北の最高峰としても知られる一方で初心者にも安全な登山ができやすく、、山頂から眺められる五色沼の美しさは必見
中禅寺湖畔を楽しむ [1][2][3][華厳の滝] 富士五湖や芦ノ湖、霞ヶ浦など関東を代表する眺めの良い湖はいくつか存在しているのだが、中禅寺湖は最も幅広い年齢層に親しまれている、周囲に見所の多い、行楽向きのスポット。男体山を背景に、丸くて豪華な鏡を置いたように光り輝く湖面は、本州の自然の特徴を最も端的に映し出してもいて、そこを訪れる国際的な顔ぶれの人々を大いに魅了している。日光は豪華客船によるショア・エクスカーション参加者にも薦められるエリアであり、ヨコタ・ツアーズの面々も米軍ナンバーのデラックス・バスで乗り付けていたりするなど、ロケーション的には全く申し分がない。とりわけ東関東からは上野発着のJR線および東武伊勢崎線、野田線などから気軽に出かけることができる意味からも、ナリタ側のJAL系スチュワーデスのパーソナリティをそこはかとなくイメージさせる国際感覚からしても、西の箱根に負けず劣らずの上質なレイクサイドなのには違いないであろう。が、そこを2003主要先進国サミットが開催されたエヴィアンに似ているなる声は、ほとんど耳にしたことがない
フェリーしらかば〜新日本海フェリー ジャグジーが搭載された2万トン級の旅客カーフェリー(ただし、カーデッキの容積とは無関係な計測方法によるらしく、船体自体としては太平洋側大洗ターミナル発着の商船三井フェリー船舶の方が巨大なのではないだろうか)は北海道航路ならではのスケール。客船の一種でラグジュアリーな豪華サロン空間を有する一方、定期航路の船だけに、姉妹船でカーデッキを持たないツアークルーズ専用の純客船ぱしふぃっくびいなすとは異なる、ダイヤ運航に基づく公共交通機関としての横顔こそが誇らしげである。北海道発着のフェリーとして、新潟に寄港して、敦賀に到着する。敦賀に何があるのだろうか、などと思ったところ、先日、「水島」なる本格的な白い砂だけでできたビーチリゾート島を発見。新潟で降りれば佐渡島へも渡ることができ、もちろん言うまでもなく北海道は北方系のリゾートとしては国内最高峰の実力を誇る大自然の宝庫。東京〜上越新幹線経由でこの会社のフェリーに乗りに行く人もいるなど、国内海域での本格的なリゾート・クルーズを提供する船舶への、旅人の評価も高い
5分間のドリーム・フライト IN 浦安ヘリポート 僅か5分間ながらも、間違いなく素晴らしい夢を見られるジェット・ヘリでの相乗りフライト体験の旅。機体全体がディズニーのアニメ映画キャラクター"ピーターパンと仲間たち"の絵柄で塗装されたヘリコプターは、この夏限定のスペシャル・イベント。コースは、浦安ヘリポートから舞い上がり、葛西海浜公園のなぎさを上空から眺めて再び戻るプラン。料金は相乗りプライスの大人一名3900円(小人は1000円割安)程で、空飛ぶディズニー夢のアトラクションとして、事前予約も不要とのこと
"100年の伝統"ロイヤルセランゴールのピューター [1][2] マレーシア王室御用達のピューターは超一流のハンドメイド製品群であり、さすがにロイヤルセランゴールならでは。ピューターとは錫合金アイテムのことであり、ゴールドやシルバーのアイテムに次ぐ地位を確立、いまや世界中のセレブに愛好されている人気ブランドである
はとバス主催の"大人の為のTOKYOナイト・ツアー" [ホストクラブ愛][Jメンズ・トーキョー][向島懐石料亭で芸者見物] 首都圏に住んでいようと、普段、単独ではなかなか立ち入りにくいスポットの数々にも強いのが、超有名ブランド「はとバス」のトーキョー観光ツアー。地方から上京してくる人が多いのかとなれば、話を聞けばさもありなん。こういう"スティミュラスなスポット"へのナイト・ツアーに興味を示すのは、いずれにしても東京での夜に興味津々の人たちなのは間違いがない。女性が内心では一度は行ってみたい本音系の三大プランは、「ホストクラブ体験をしてみる」「外国人男性ヌードダンサーの踊りを見物する」「高級料亭の芸者も上がるお座敷で懐石をいただく」などの、いわゆるいまどき大江戸系の贅沢なナイト・ライフ・プランであるらしい。たいていのことは、良心的な会計の範囲内で実現できる体験バスツアーは、時々、チェックしてみると面白いかもしれないが、くれぐれも羽目だけは外し過ぎないように
ジョン・F・ケネディを巡る「仮定法過去」の根拠と、イラク戦争の(禊と読むべき)"決着" [1][2][3] アメリカ人がイメージする「砂」のディテールとは、きわめて暴力主義的で根強い二流コンプレックスに駆られた"エデンの東"における、それである。世界に向けても超一流の、アメリカの歴史始まって以来、最も文化的な人民指導者であったジョン・F・ケネディは、初めて、アメリカ合衆国内に卓越したエリートによる"超一流"の政治ロジックやヒューマニズムが付随する文明ヴィジョン、そして類い稀な社交精神や人間らしさを持ち込んだ。"サラリーマン大統領"として組織に染まった灰色のコースを歩んだニクソンあたりとは全くの対照的な個性。華やかな話題には事欠かず、人類の壮大なロマンを月世界へと到達させることを本気でぶち上げた青年的で希望に沸き、活気に満ちていた世紀の、まさに先駆者のあり方である。が、アメリカの"永田町"ホワイトハウスは、ジョン・F・ケネディを明らかに忌み嫌った。それは、二流なるものが、世の中の一流に根本的に服属させられ、スポイルされる宿命を追うため、一流が光り輝くための偉業的事業への協力を基本的には拒もうとする無意識の二流的性質(コンプレックス)を負うからである。"新大陸のエデン"アメリカ合衆国のベーシックが二流主義者による二流指向であり、三流の資本主義的全体主義が、三流生活もまんざらではないさ、と肩をすかして見せながら、一流に限りなく近い二流の中の上位にあるものから、これはと思われるものを拾い集めて、スパークリングで陽気なエンターティメント精神に満ちたディスカウント型文化の中に叩き込もうとする。アメリカにはディスカウント文化とアメリカ市場とが矛盾を起こさないでいられる国民的なコンセンサス(資本主義的全体主義とでも呼称すべきマーケット心理)ががっちりとできていて、一方で高価なものは限りなく高価であることでアメリカ社会の中での独自の地位を保つことが可能にもなるのだ。そして、ジョン・F・ケネディの場合は、単なるヨーロッパからの輸入イメージの踏襲に過ぎない一流イメージをさらにアップテンポにして、しかもアメリカ独自のトップ・モダンとして現れたような、ジョン・F・ケネディの言葉が最も次元の高いアメリカの声として世界に理解されるような立場に、世紀の天才指導者のポジジョンは置かれていた。が、(実際の物語や映画の舞台がどこの町かについてまで覚えていない点は恐縮なのだが)中西部におけるネバダ砂漠のイメージがどことなく漂う『エデンの東』のストーリーも、一流に限りなく近い立場に置かれたエリート・コースに置かれた兄や厳格で一流びいきな"古き良きアメリカ世代"の父を前にして、次男坊であって明らかに三流コンプレックスの根強い(軍人イメージも強い一般的なアメリカ人の立場のスタンダードを、日本における都心や軽井沢、苗場のプリンスホテル系のスポットあたりでもよく見かけるような三流のガールフレンドと連れだって、代表している)主人公がコンプレックスや精神的な混乱に陥り、周囲に対する客観化にも失敗して、クールさを非情さと勘違いし続けながら、彼らに対する裏切りや報復劇を繰り広げるような、日本的な仏教文化にも通じる「業」の深いそれであった。たとえば、いまどきの日本における、現長野県知事の田中康夫氏は、決して一流とはいえない、が、厳格で一流の教育者だった親に育てられた二流の国公立大学卒OBである。が、最高執行官としてなら、政府クラスの"プライムミニスター小泉"氏よりはまだ、"ナンボかマシな適材"でもあるだろうし、保守的な地盤に固執して保身に回った長野県議会や県庁の支持を、当然の事ながら得られなかった東京的な新しい政治のトレンド最先端に関する聞いたような知識を"大胆に投入する手法"は、"長野県の有権者の情報センスが"ファディッシュ考現学"時代の田中康夫に対応していて、さほどバカじゃなかった"ことを露骨に示していて、秀逸なトピックであることには相違ない。が、田中康夫がやっていることは、長野県知事になってみても、依然としてせいぜいがモービル石油日本法人の人事担当若手重役程度のお仕事には過ぎないので、国内的にはナンボのものでもないとの評価もまた、依然として高く、若手のパフォーマンスの域を抜け出ていないとの謗りをも免れ得ない。が、本当の天才エリートであり、「ベスト&ブライテスト」の最先端を独創していたジョン・F・ケネディの場合には、某超一流大学において、さんざんに社会主義諸国におけるかの構造、政治的な力学の物理学的理論のエッセンスのすべてに関して、とうに精通していて、周囲の側近の恣意的でいいかげんな情報に踊らされることもなかった。ジョン・F・ケネディは、暗殺された訳ではないが、二流・三流側のアメリカの"闇の"ロジックや空気に触発された犯罪者予備軍的な狂人が、反ケネディ派に加担するような形での不快感の発散、すなわち、「エデンの東」における一流的なるものの排除劇に相当するものが、きわめて短絡的に、"狂人側のプライド"によって実行されてしまったこともまた、間違いがないのではあるまいか。当時のケネディ派のアメリカ人は、反ケネディの体たらくや政治腐敗には否応なく直面させられていたのであり、それを暗喩するメタファーのようにして「ケネディ暗殺説」を口々に囁き出したり、それを集中的に取材するようなジャーナリスト活動が長期的に続けられたりするうちに、アメリカ人は「アメリカが資本主義的全体主義に駆られた、見えざる恐怖主義が支配する政治帝国」であることに否応なく気づかされるようになっていった。ジャングルの深奥での狂気は、一転して砂の上へ、そして世界中のかなり遅れた政治的な後進国の地平の上へと、舞台を移し、依然として民主党のクリントンは周囲に群がる女の一人にうつつを抜かしていた割には女遊びがうまくない、ダーティなイメージを植え付けられたりしながら、一流のエンターティメント・メソッドの悪用によって、二流層の国民を動員する術に圧倒的な長けていた対抗勢力によって、ホワイトハウスから葬り去られていき、現在は講演で食べているような細々とした日々を送っているとのこと。一方で、コンプレックス大国アメリカにあっては、暴力的な正義イメージの悪用によって、気に入らない軍事独裁的な開発途上国のひとつをパフォーマンスとして闇から闇へと葬り去りながら、アメリカの"牧童頭"としての遺恨をいわれなき銃砲の乱射によって晴らしたのに過ぎないが、アラブ原理主義者対策としては一定の効果を挙げることができた(気が弱いためにテロ・パニック時にはとかくやりすぎてしまう性質の)ブッシュ・ジュニア政権としては、目下におけるアラブ対策の最終章を、"クリスタル・ハーモニー"のイメージがダブってくるような、カーター方式のコンセンサス路線への切り替えによる「先進国首脳会議よりもアラブ首脳対話」「シオニストにほかでは譲歩しても緩和外交的な国策としてパレスチナ正式国家建国に向けてのスタンバイ」を、方法論や派閥利害に固執しない徹底的な反テロ外交の急先鋒としての活動を、十分なパフォーマンスを交えながら行なっているあたりも、"アメリカ的な牧童頭"流の「無駄に近いエネルギーに駆られた積極策」が、「カオスに通じたインテリ的で有意義な消極策」を注意深く排除しながら、「有意義にアメリカ主義的で尚且つクレバーでかつてない世界的権限の掌握を実現できたホワイトハウス流トップモダン帝国主義外交」へと挿げ替える上では、きわめて賢明な、そしてダーティなやり方には違いがない。米国の軍事的政治戦略は、アメリカ語圏の経済マーケット全体にも大きく反映されることを、いたらないブッシュ・ジュニア氏でも十分に熟知はできている。「相手を知っている陣営」のやり方は相手を殺さないでもアメリカの思惑を伝えながら、経済的で文民的な手法によって協調させていこうとする方法、そしてしばしば有用な相手を殺してしまって対立軸を失ったりしてしまいやすい場合が頻発する「相手を知らない陣営」のそれは、圧倒的な軍事力を行使して、場合によっては敵対的な政権を壊滅してでも、暴力主義的な世界リーダーとしてのやり方で、表と闇の世界を一手に、アメリカ好み一辺倒に改造してしまうアメリカの軍事的世界戦略をバックにした勢力がいかにも理想とする、きわめてわかりやすくて莫大な数を占めるアメリカ国内の二、三流層を占める民主選挙社会の多数派には大きく訴求しやすいが、きわめて支配主義的なやり方である。"牧童頭"なる存在は、きわめてアメリカ新大陸の開拓者らしい、カオスの世界での権力構造や力学をボス格として掌握することに長けた、しかしマフィア社会とは大きく一線を画している、世界でも稀有な能力を有する人たちであり、しばしば西部劇における大牧場は悪の手からも狙われることがあった。自分のみは自分で守らなければ荒野では誰も守ってくれないため、話は自警団結成じみた展開に至り、悪党はしだいに牧場に狙いを定めることをしなくなり、家畜の飼育だけでは暇になってきた牧童頭は、政治の世界に首をつっこむようになり、アメリカらしいパワー・ポリティックスの基礎を形作る。ブッシュ家の家風が最終的には中流の牧場主に過ぎない点も、肥沃な政治的背景を誇り、独自のエリート主義的なサロンを形成しているような、概して温厚なほかのハーバード系の面々を尻目にして、しかし一応は本人もエール大学やハーバード大学での勉強は"(遊んではいたが)形式的には"してきた政治家であり、元々は農業地帯で農機具を売るセールスを片手間に手がけていたような人であってテキサスの大農場主でもある訳で、基本的には典型的なテキサスの大牧童における保守主義的な意識を最も濃縮された形で強く内包している種の気質の持主である。ブッシュ政権のやり方が"大牧場主"的で"田舎者がもっとも苦手とする都会的な先進国諸国首脳とのサロンを途中退座してもアラブ世界における、農協幹部のような油田国家の長たちとの会談"へと向かうようなパフォーマンスを示したのも、それがまさに「テキサス流」だからであり、テキサスにはおそらくもって実学としての大学以外の大学は存在せず、全世界から見た二流がテキサスの大農業地帯では一流の男の所作、しかも第二次世界大戦後の育ちなので、物事の理解に文学的な要素が乏しくまことにインスタントなのも、あの世代の感覚である。文化の世界に精通するヨーロッパの都会的な人たちとは言葉も通じなくて話ができないが、油田を握る親米的なアラブ人との間で農協的なカルテルじみて話をすることでなら誰にも負けず、やり方も(善悪に関する道理の問題は別として)大胆なのは、まさにテキサス一帯にも大規模な油田が点在する、砂の荒野だから、なのは全く間違いがない。教育的な見地に於けるブッシュ二代目政権のやり方がダーティではあれ、アメリカやアラブのような荒野では、パワー・ポリティックスの話はパワー・ポリティックスの次元に収斂されやすい。あの独裁者を根拠もでっち上げに倒したことが正しかったかは別として、それがカオスの世界での領袖としての権力の握り方なのは間違いがなく、アラブ世界において地下構造化していた反米テロリズムに対してブッシュが無駄にアレルギー反応を示して、ニューヨークでのビル爆破事件の最終的な決着を、それによって完膚なきまでの「アメリカ側完全勝利」の図式で幕を下ろそうとしていることだけは、確かだ。戦争は悲惨きわまりなく政治においては忌むべき最終的な選択だが、だからといって"悪の枢軸"を温存させるわけには行かない、との大統領の行動意識において、サダム・フセイン政権壊滅作戦は実行された。何よりも歴史にもとづすた民族の自主的な独立が尊ばれる連邦志向のヨーロッパ側からすれば、サダム・フセインはどちらかといえば好ましくない軍事政権の支配者だが、イラク国内は安定しており、内政干渉こそが悪である、との認識が高いのは当然であり、アメリカの"牧童頭"のやり方は、親米国のイギリスやスペインのような諸国を除き、西側社会においてはきわめて垢抜けしない、途上国の民衆や戦争が残す爪痕にも無関心な、暴力的な支配主義を平然と肯定してあまりある、シチリア発のそれよりもさらに酷い、先進国世界での最も田舎に根城を持つ、悪の大牧場主による最も悪辣な個人的な処世術なのであって、権力の亡者が繰り出す子供っぽい戦争パフォーマンス(というよりも、荒野では男達において、しばしば文化国家の聡明な大統領やビジネスマンが繰り出す営業戦略的な外交トークの代わりに、無粋で好戦的な男達の間では、銃撃戦に始まる戦争劇は、基本的にはパフォーマンス、それも一歩進めて対立的なノン・バーバル・コミュニケーションの機軸として、しばしば行使される種類のモノである)にも過ぎない。考えてみれば、国内で石油が採れる西側国家はほとんどがアメリカ側シンパの体裁(日本国内にも、ほんのごく僅かながら原油を採掘できる油田が存在する)で、軍隊を出動させたり、費用分担をしてきたりした。そしてプライムミニスター小泉の立場は、依然として米軍シンパにもフランス的な人道派にも媚を売るような、昔ながらの玉虫色の政治メソッドを踏襲している"ソレ"でしかなくて、いわば産油国世界の「勝ち組」の提灯持ちを無難かつ自発的に行ないながら、直接イラク問題には結びつかない、別の問題(ただし、世界情勢の中では如何なくはっきりと連接していることも確か)に対する牽制に役立てようとしているかのような一面が見られる。基本的に例の三流にもなれないでいる滅亡寸前の国とイラク戦争とは根本的に問題が違ってはいるようだが、直接的な対隣国軍事力を持たないわが国において、防衛戦略上における在日アメリカ軍の持つ意味は大きく、また、現在のリアルタイムのアラブには、自衛隊がイラクに米軍による治安維持の支援に派遣されることで巻き起こるアレルギーの類いは全く存在しないに等しい。GHQを通してマッカーサーが行なった最大の対日民主化政策(の名の下での親米構造化政策)としての「憲法第九条」の問題は、独自に軍事にかまけなくても経済に専念していられる長所、徴兵なき明るい青春群像が国内を闊歩していられる徹底した反軍事主義が、日本国内を依然として自分自身にのみかまけながら夢見て暮らしていける、現状の"ディズニーランド・マニアック"大国としての体裁を生み出し、同時に日本の政界や官僚機構を、軍事的な脅威論を伝家の宝刀にしつつ徹底的にホワイトハウス漬けにしていく、自国民として眺めて何とも素晴らしい島国ニッポンの戦後的な平安や、イラク戦争以後の株価の安定化(アメリカの株式市場は産業構造の破綻や企業不信の加速などを指摘されながらも現在のところ順調な推移を続けている。日本経済はアメリカ経済の小動きに反応するかのように強含みを思わせながら円高傾向に向かっていて、東証株価はイラク戦争開始前よりも若干跳ね上がり気味の、束の間のクルージング状態に入っている。ただし、勿論小幅な回復劇には過ぎず、トヨタやニッサン、マツダなどの復活の例はあっても抜本的な経済改革がなかなか進展していないために、日本国内の経済が株式相場の好転によって息を吹き返すことは考えられず、銀行破綻や不良債権の拡大、今後もリストラが進む上での雇用確保の問題、消費モチベーションの低水準での安定化、デフレ構造からの脱却がなかなか進まないなど、FLEX-J Webmasterがこのサイト上からスタートさせた「セレブ・ブーム」をもってしても余談を許さない状態にあることは、依然として確かである)のような現象をも派生させている。ジョン・F・ケネディは第二次世界大戦後の世界における最も傑出した政治ヒーローであり、ケネディに並べるエリート政治家はアメリカの中には依然として発見が難しい。そしてベトナム戦争にかまけていたのちのアメリカの政治家は明らかに西側経済におけるアメリカのアドヴァンテージを後退させたが、カーターやレーガン以降の合衆国大統領は概してオーバーヒートをしなくなったし、ややホット過ぎた"ブッシュ家の息子"にしても、進んだ世界の中での文化認識に於いては三流だが、アメリカ国内ではテキサス流の一流の豪腕政治を、いかにもインスタントかつ単純に、嬉々として繰り広げてみせただけであって、アメリカ経済自体を破綻させるまでには至っていない。こういう場合、マスコミの言論は様々に飛び交うのが当然だが、(どちらかといえば事なかれで温厚なインテリ層のそれまでをも含まれつつ)アメリカの世論の大半はそれを是とするか、或いは黙認することであろうし、アメリカ人としてアメリカが世界覇権の座を巡る攻防戦を巡って、(元々は後ろ向きにポスト冷戦の機軸を探りながら、対アラブ原理主義派が暴走していた次元での徹底的な軍事報復劇を繰り広げていたのに過ぎない彼らをして)いよいよアラビアン・ステージにおけるアメリカの指導力が確実なものになり、西側経済圏の中でのアングロサクソン語社会の武力的な貫禄が増していくことを歓ばない人間は、よっぽどのインテリ・エリートを除いては、きわめて少ないはずでもある。アメリカは根本的には「地上の帝国」であり、島国的な海の意識にも根ざしたイギリスの世論がテキサスの大平原に根拠を持つブッシュ体験へのアンチに傾いたり、フランスの文化がタヒチや日本を指向したようなクルージング感覚が根ざしながら「自前の羅針盤を重視する」ような感性には乏しく、一方で北アイルランドやスペインのようなところでは独自の国内的な政治事情において親米路線を採ろうとする。民族はそれぞれに独自の哲学或いは打算のようなものとけっして無縁ではいられず、それぞれの民族らしくあり続けようとする。平和がナショナリズムによって語られながら意思が決定されていくシステムの中では、従って今日にあってもけっして国連のようなグローバルな機関が本当の世界システムであることは難しく、多くの平凡な人間にとってはナショナリズムにかまけて遊んでいるほうがよっぽど面白い状態に陥り続けている。そして国連主導型の平和主義の裏側で、アラファトのように裏と表とが激しいパレスチナのアングラ指導者が勢力を伸ばしながら至福に浸っていたことも確かではあり、アメリカの政界がパレスチナを正式国家として公然化しながら発足段階から深く主導的に関わっていくプランを選択したとしても何らの不思議さもない、グローバリズムの体たらくや民族主義的な意識コードの世界的な巻き返しが、21世紀に入ってまだ間もない西暦2003年度においては、顕著化をいっそう深めている、といった印象であり、アメリカはアメリカ、ヨーロッパはヨーロッパとしてのスタンスの中での内向きな包括主義が、西側内に異なる連立的な派閥競争じみた"確執"の構造を、「ボーイング」と「エアバス」のセールス合戦の勢力図のような形においてもたらしながら、あらたな地平を模索し始めていることもまた、確かな印象として捉えられる、古いようでいながらもかつてなかった展開の新時代へと、21世紀の世界は大きく傾倒しつつあるかのようである
神津島の多幸湾 [多幸湾1][多幸湾2][神津島リゾート情報][飛鳥のクルーズ・プラン] 伊豆諸島なのに、イタリア地中海沖あるいはイギリスの高級な離島じみて、極上で贅沢な自然美に恵まれた島。西暦2003年度の『豪華客船飛鳥』による横浜花火大会船上見物+伊豆諸島上陸体験附きの二泊三日クルーズが、テンダー・ボート上陸のための寄港地に選んだ島だが、東京・調布空港発着のリゾート旅客フライト便および東京港・竹芝桟橋発着のジェットフォイルでも行くことは可能。極上な大自然がふんだんに残され、尚且つ都市圏からはかなり離れているために、海はどこまでも透明であって美しい。ビーチはどこへいっても甲乙つけがたいとの話も聞かれるが、有名な極上ビーチ・エリアは「多幸湾」の白い砂浜。真夏にはバスが頻繁に走るために、アクセスもしやすくなる
蓼科・白樺湖・霧ヶ峰ガイド 風光明媚なビーナス・ライン沿いの高原リゾート・エリアを紹介しているWebサイト。ペンションの本場だけあって、信州の高原リゾートらしいペンションが数多く紹介されているほか、高原の自然の写真が数多く掲載されていて、清涼感がある。日光や箱根も良いのだが、ビーナスラインもまた、たまにクルマを走らせてみたくなる良質のドラスヴィング・リゾートである
日光霧降高原 [1][2][3][4][5] 女子大生受けの良い"いろは坂"など、ドライブ・スポットも数知れず、世界遺産や優れた一流クラシック・ホテルも存在する大江戸の奥座敷エリア「日光」の中でも、赤薙山(標高2010メ ートル)の南東斜面に広がる1000メートルを超える高原地帯を中心として広がる一帯を霧降高原と呼んでいる。ドライヴでも電車+現地バスでも行きやすい高原の緑のメッカであり、紅葉も素晴らしく、ゴルフ・コースがあり、冬季にはスキー場もオープンする
川治温泉 会津にも程近い鬼怒川のほとりの有名温泉街のひとつだが、メジャーな大手観光ホテルが並ぶ「鬼怒川温泉」に較べて、こちらはひなびた感じが女性うけしている感じの、知る人ゾ知るスポット。鬼怒川一帯の温泉は疲労回復に抜群な効能を発揮するのか、企業の慰安旅行関係が少なくないのも特徴だが、こういうしっとりとした温泉街で、ゆったりと浴衣での週末を過ごすのも、風情なのである
Hooters Air [1][2] CNNなどのニュース・テレビにしばしば登場する珍トピックの数々、世界のコミカルで味な人たちがのんびりとしたイベントで大活躍していたりして、目尻が下がったり笑えたりする種の、バカに陽気なアメリカン・トピックのうちの最新情報として、先程紹介されていたものの中のひとつ。レストランチェーンのHootersの傘下の航空会社。辞書における意味のほかに、俗語における「女性のバスト」の意味がある複数形の"HOOTERS"は、アメリカでも最大級のレストラン&スポーツ・バーの名勝でもなのであり、そこでは、ピチピチなアメリカン・ギャル軍団(女子大生がf働いているとのこと)が、日本における"レース・クィーン"のようなコスチュームに身を包んでいて、そうした、中にはモデルとしても活躍しているギャルもいるような美人ウェイトレスたちが、キャビン・アテンダントのお手伝い役として、セクシィだがいやらしさのない人気のコスチューム姿のままで、店舗でのシフトからしばし離れて乗機、若々しく健康的なチア・リーダー風のお色気で乗客たちを"悩殺"するサービスが大好評なのだ。アメリカで国内線に乗る予定のある向きは、安さも抜群のこちらのエアラインなんていいかも?
白砂だけでできた島・水島でビーチ・リゾート [水島のアウトライン][オーミマリン][海水浴シーズン][魚の餌付けダイビング] オーミマリンが運航する観光船(クルーザータイプ)に乗船して到着するスポットのひとつ。本州リゾートとは思えない、水や浜辺ともにあまりにも透明度が高くて美しいマリン地帯。白砂ビーチ・アイランドのビューは、たぶん必見クラスのもの。昔に発見して衝撃を受けた「天橋立」そして「伊豆新島の羽伏浦」に次ぐ、「横須賀のモンキー島」とも並ぶ三番目クラスながらも、クールでスタイリッシュな本州ビーチ・ランクは、ちょっとした海外リゾート感覚のヴィジュアルに本州海岸の日本的な良さをミックスさせたような、滋味系なのにスウィートなパラダイス・スポット。真夏のシーズンには、メガシップのテンダー・ボートのような船から上陸する、客筋の多数派、すなわちおこさま連れやカップルを中心として、ビーチ・エリアを占領してしまうような、日本の海水浴場感覚ながらも異色のカリビアン・スタイル風のひとナツを過ごせてしまうのに違いない
琵琶湖 [][観光船] 国内最大の湖・琵琶湖。なんと今から遡って600万年前に形づくられ、バイカル湖、カスピ海に次ぐ世界で三番目に古い湖とのプロフィール・データまでもがある。琵琶湖には竹生島、多景島、沖の島、ほかに岩礁である「沖の白石」の計四つの島があり、それぞれに寺社などの観光資源を持ち、歴史的な国内観光リゾート地として、非常に優れた魅力を保っている。しばしば鳥人間が出没したり、水質の問題など、琵琶湖を取り巻く話題には人騒がせなものが多いのも特徴。近隣の彦根エリアは「二つの西武ブランド」で知られる堤一族の先祖として知られる販売ネットワーク力に長けた行商人層「近江商人」が活躍していた歴史的なエリアとしても知られ、大名庭園にもみるべきものがある彦根城および、国宝・三重の塔などに関しては先刻みのもんた氏のお昼の番組でも紹介されていた。大津港発着の「びわ湖の白い客船Bianca」は、一見して人目を引いた観光客船であり、デートにお薦め系だが、周辺には温泉地などが多いらしく、このコーナーをあたかもパクッているかのような感覚の後発テレビ旅番組『いい旅夢気分』系の旅の楽しみを随所に発掘できるかもしれない
世界最大の海上桟橋「京葉シーバース」と千葉港にある成田空港パイプライン基地 [1][2][3][4][5][6][7][8] 千葉港の沖合数キロのところに設置された、海の中の桟橋。20万トンタンカーの2隻が同時に接岸できる、世界最大規模の「京葉シーバース」こそがそれ。ここから、パイプラインを通った原油は、千葉港エリアの一角を占める石油精製工場へ、そしてそこから、製品化された石油類がタンクローリー等で運び出されたり、或いは隣接する成田空港専用燃料基地から、パイプラインを経て国際空港へと供給されているのだ。港の中を行く(以前に何度か、FLEX-J Webmasterとキャット・マリンコープも乗船した)観光船の説明は千葉港に関して詳細で、港の中でも1万トン級程度の小さなタンカーの姿は見られる。が、なんといっても世界最大のシーバースがある千葉港沖合数キロの地点には、全長三百メートル以上の、20万トン級マンモス・タンカーが接岸するだけに、凄いスポットには違いあるまい。そしてそこは、釣り舟にとっては絶好の太公望スポットらしく、外航オイル・タンカーを眺めながら釣り糸を垂れるというのも、何とも言えない気分であるのだろう。また、千葉港めぐり観光船なる小型遊覧船は、興味深い千葉港内の眺めや、遠浅の美しいビーチが広がる幕張リゾート沖合にまで到達するクルージングで、かなりお薦め度が高い
海上自衛隊下総航空基地「下総スカイフェスタ」 千葉県の柏の一角に、大型ジェット機も降りられる程の"大空港"があることはあまり知られていない。ただし、それはいわゆる"自衛隊基地"であり、自衛隊機および米軍機しか発着しない場所である。ここで開かれる基地祭は、基地に所属する自衛隊機を展示するイベントであり、誰でも気軽に基地内を散歩程度はできるチャンス。現地の模様を伝えるページを発見
伊予鉄道の「坊ちゃん列車」 四国を走る、SLが牽引する観光列車。夏目漱石の有名な小説『坊ちゃん』の主人公が乗車していた列車なので、ニックネームも"坊ちゃん列車"に。伊予鉄道の線路は一部路面区間を走るとの話もあり、即ちSL列車が道路上を走る凄いシーンが、実に成田空港オープン直前に、翼と胴体とをひとまず分解して京葉道路を走ったJAL国際線用の巨大ジェット機以来の驚きをもって観る者の眼の前に出現するのかもしれない
史上最大級、48万トンの原油タンカー「日精丸」(東京タンカー所属) [1][2][3][4] 西暦1975年にIHIの呉にて建造された、排水量48万トン・東京タワーの高さよりも船体がずっと長い全長378.35m・型幅62.00m・型深36.00mを誇ったあまりにも巨大な船。昨年、大阪天保山客船ターミナル埠頭に現れたメガシップ豪華客船「スター・プリンセス」が10万トン前半クラスの船体であれだけの大騒ぎになり、"ひとつの山、ひとつの都市を思わせる想像を絶するスケール"として話題になったことを振り返ると、「日精丸」はナント四倍の船体スケールを誇り、長さもほぼ「"飛鳥"や"ばるな"の2倍」だから、気の遠くなるような大きさである。確か、中東危機の際には、日精丸クラスの大きさのマンモス・タンカーが、何隻も沖合に原油を搭載したままに、浮かぶ洋上備蓄基地として長期間、沖合で停泊していたりしていて、ほかでは見られない景観がそこにはあったのだという。現在のオイル・タンカーは平均して25万トン・クラスのものが大半とのことだが、一度、観光船の上あたりから、肉眼によって48万トン・スケールの「日精丸」の実物を見物してみたかった気がしてしまう
日本国内の油田 [1][2][3][4] 油田とは、例えばバンダルスリブガワンなる都市では、油田ビジネスによる恩恵としての税金レスの医療費無償、ガソリン代が限りなく無料に近い、大都市がほかでは見られないまでにゴージャスぶりをきわめるなどの、地上の天国を現実のモノにしてしまうほどの力を持ち、ドゥバイを一大高級リゾートに変貌され、ヒューストンやニューヨークに莫大な富をもたらし、世界中のほとんどすべてのエリアを通じてモダニズムを浸透させる程の力である。日本国内の文明的な大繁栄もまた、メガシップが遠く及ばない、口にするにも想像を絶して巨大な「マンモス・タンカー」なる原油運搬船によって、アラブを中心とした産油国から運びこまれる原油の上に成り立っており、あらゆる力、あらゆるメカニズム、あらゆる暮らしが、多くが石油の占めるところによって営為たらしめているのである。日本国内では、差し詰め「天然温泉の発掘」が、多くの雇用を創出、台場や後楽園のみならず、本来なら過疎化するようなローカルな町エリアをも一大リゾート産業地帯に変えてしまう力を持っていて、油田の事情に極めて酷似している。が、それでは、日本国内では石油は採掘されないのであろうか。答えは"否"である。現在も採掘中の油田に関するレポートを初めとして、多くは昭和の初期まで、きわめて大規模な採掘活動がなされていた廃坑になった油田に至るまで、日本の油田に関しての情報をまとめたサイトを発見
鳥取の砂丘 砂漠、に関しては、中東アラブや北アフリカが有名。マネーが湧き出す泉である油田権益の所産としてのオイル・ダラーを背景にして、デュバイなどの様々な高級リゾートが各地に展開されているのは先刻御承知の通り。わが国日本の場合、油田は新潟にあるが、砂漠らしい砂漠は代表例が鳥取に存在する砂丘がそれ。観光用のラクダは勿論、自然にできた鳥取砂丘にはオアシスまでが湧き出していて、さながらアラブの高級砂漠リゾートを思わせるものがある。鳥取空港へは東京・羽田や大阪からなら直行便で行けて、温泉や日本海側独特の風土の良さを満喫するのもたぶん面白いのに違いない
鳩山会館 紙媒体マスコミのメッカとしても知られる東京都文京区音羽に存在、日本版ケネディ家として知られる政治家一族のヒストリーの集大成としてシンボリックにオープンされている資料館。"イギリス風の大きな洋館"は、戦前には鳩山一族の私邸だったスポット。ホームページには「テレビドラマのロケ地としての利用歓迎」の旨記されており、惜しくも取り壊されてしまった池田山の「旧正田邸」あたりとは対照的な、戦前の政治家群像を偲ばせる保存洋館の体裁を今に伝えている。簡単なカフェのようなものが欲しいところだが、あくまでも資料館のスタンスを崩さず、入場料は大人一名500円也
エアラインの旅の"極意" 世界一周航空券の旅を西暦1996年度に経験しているFLEX-J Webmasterによる旅の極意。ワールド・トラベラーに於ける、あるべき、正しいフライト感覚についてのコラムが記されている。おそらくはヨーロッパの(少なくともニューヨークのJFK)、国際空港においてFLEX-J Webmaster自身が撮影した搭乗待合室のシーンは、旅する者のスタンスを、適確に捉えているショットであるかのようにも思われる
ボンバルディエ・デハビランドカナダDHC−8 [1][2][小型旅客機だけでニッポン縦断] カナダ製のコミューター向け連絡機、即ち、キャパは少ないが重要性が高い都市間フライトおよび、主なる用途となっている離島へ飛ぶリゾート・フライト向けの機材。「YS‐11」「フォッカー100」「ジェットストリーム・スーパー31」「サーブ340B」「CRJ」「ドルニエDo228」とともに日本国内にも採用されており、至近の路線では東京羽田〜伊豆大島線にも投入されている。日本には圧倒的にポピュラー・クラスの人が多いためか、伊豆大島のような良質な素地を持つリゾート・アイランドに、パリ・モードのデコラティヴなファッション感覚でお出かけしているような地中海セレブ風の人はきわめて少ない。が、幾重にも巻いたエスニックなものや真珠、シルバーなどの首飾りにシルクや透けたレースなどの各種マテリアルのリゾート風ドレス(リゾート・ウェアにこそ正統派の場合は高級感が大切)、ミュール(リゾート・サンダルっぽいアイテムで可)、デザインサングラス、双眼鏡などのスタイルで西洋的なリゾート機から離島に降り立ち、世界三大火山の壮大な山頂あたりに素で立ち出でつつ、火口や原野をバックに100〜135ミリ程度のズーム・スケールのポートレイトに収まってしまう。イギリス人やフランス人、イーストコーストのセレブな女性達のようにすっと溶け込んでしまえるようなウェアのゴージャス感は、(コミックな話とは異なる大人の意味合いで)羽田発着の伊豆諸島線に737やエイトが投入される時代にこそフィット感が最高潮にくるスタイルのような気さえしてしまってならない。一方、船便のジェットフォイルはどちらかと言えば"バリー・ホワイト調"のアメリカン・リゾート感覚世界の移動手段(こちらもかなり快適)であり、ハワイ観光っぽい格好が最もサマになってしまうあたり、船便は本当に強い、などとも思われてしまう
東急ハーヴェスト・クラブ [クラブ][勝浦リゾート] 東京・日本橋にヘッド・オフィスがある、会員制リゾート・ホテル・システムの国内的老舗。類種の他社の方が近年では有名になってきている程だが、実際の物件売買が絡むこの市場のマーケティングはかなりシビアな世界らしく、中途半端な素地の(が、「東急ホテル・チェーン」とは組織が違うこともあるのだろうが、"東急ブランド"は「白馬」はともかくとして「勝浦」は会員制にしなければ回収できないエリアのように感じているのに違いない)リゾートには建たない種類の物件。日本国内で何故ここまでリゾートホテルへの訴求方法に厳しいものがあるのかについては、わかるようでよく考えてみるとわからない。利用会員チケットを持たないと宿泊できないあたりは、効率良く、この種のホテル・ビジネスの減価償却方法を示しているかのようでもある。テルム・マラン・パシフィーク(日々の肉体疲労や筋肉のコリがなかなか取れにくい諸君に関しては、タラソテラピーを一度試みてみ給え)の近くにも東急による会員制リゾート・ホテルは存在しており、ホテルはともかくとして、パター・ゴルフやテニス・コート、プールなどは一般人でも利用可能。が、管理コストや手間数の面からすれば、一軒家の別荘よりは、リゾート・ホテル形式にしてもらうほうが楽には違いなく、この種のリゾート・イメージがお好みの向きには良いかもしれない。リゾート・ホテルの場所を分譲するよりは、チェーン全体へのオーナー会員権を分譲する形で、すべての物件に関する包括的なオーナー会員権の小分けパック型商材を開発でもするほうが、衝動買いしてしまうリゾート・マニアの数と全体での伸びを示すような気がしないでもない。ちなみに平均分譲相場は一物件に附き5百万円台中頃であり、「軽井沢・万平」などの人気スポットは早期に完売済
バーニーズ・ニューヨーク日本支店 アメリカの有名高級ファッション百貨店の日本支店。新宿と(当サイトFLEX-J Webmasterおよびニャンコ空軍のロシアンブルー将軍dolaさんのコンビも御利用歴有の)横浜に店舗がある。こちらはどちらかと言えば「大人セレブ向けの高級ラフォーレ原宿」のような感覚の瀟洒なファッション・ビルであり、「セレクト・ショップ」の分類はきわめて的を得ている。有名もしくは世界的なマニアック・ブランドなど、丸井のラインナップから二流ブランドをすべて外して、インペリアル・プラザと伊勢丹新宿本店をジョイントさせた軽やかさの中で、高級品だけで揃えてみた感覚。横浜店の軒先には「あえて路駐」のインポート・カーが置かれていたりして、ムード的には悪くない。ここでスーツやドレスを買い求めてパーク・ハイアットへお出かけするなら、最良のチョイスであるだろう
「ヨーロッパのリゾート・フェリー航路案内」と「セレブレティ・クルーズ社の船舶」 [海外フェリー][豪華客船] 日本からの一般のデラックス・ツアーバス移動のスケジュール表の中で、一泊程度のクルーズが登場する時には、概してフェリーが使用される。そう、日本にも「さんふらわあ」「太平洋フェリー」「マリン・エキスプレス」などとして活躍中の、旅客カーフェリーのことである。ヨーロッパのそれは、しかし、日本のそれを凌いで限りなくツアークルーズ専用の純客船にそっくり、しかも中には船体スケールの上ではQE2に匹敵する巨大な旅客カーフェリーもいて、航路はいずれをとってもエキゾティックな素晴らしいコース。今回発見したサイトでは、ドーバー海峡〜バルト海航路のフェリーが中心ながら、勿論地中海やエーゲ海にもたくさんのデラックス・リゾート・フェリーが浮かんでいて、内装的には「太平洋フェリー」に「佐渡汽船フェリーに見られる種の椅子席エコノミー・キャビン」を加えてみたような感覚で、勿論、ホテル・ルーム・タイプの客室が並ぶ上等クラスのキャビンも用意されている。海外フェリーの御贔屓筋には意外に国際線の日本人キャビン・アテンダントあたりもいたりするらしく、ジャルパック御一行様のツアー・バスを始めとして、バラエティに富んだ各国からの客筋を、束の間のリゾート・クルージングへと連れ出していて、プールやジャグジーの施設面(日本のフェリーには実はタラソっぽい室温水ジャグジー・プールのようなものが、いくつかある大浴場のうちのひとつに欲しいところだが、一般的な展望大浴場がプールの代替になっている)も充実しており、ウッドデッキタイプのリゾート・オープンデッキ搭載版も海外フェリーでは珍しくないなど、楽しみの多い仕組みになっている。クルマやツアーバスを載せないツアークルーズ専用の豪華客船の場合には、パーティ中心、現地ホテルシップ・ステイ中心の、豪華なメガ・クルーザーとしての運航が行なわれていて、タキシードが義務付けられているパーティがあったり、上級キャビンには世界の(王侯貴族、或いはスターなどの)セレブがいたりするなどの、華やかで社交的な仕掛けが張り巡らされていたりする訳だが、フェリーの場合はもう少し「ジェット機時代の旅」ライクな、サイト・シーイングなファクターがことさら強いものとして、デラックスなキャビンをカジュアルに使える合理感覚が、移動主体でとてもパーティ・ドレスなんて着てはいられない忙しい人達を中心として、大ウケしているらしいのだ。フェリーであれ、真夏の地中海のオープン・デッキ上のリゾート・チェアで、冷たい飲み物を側に、寝そべりながらくつろげば、最高の海外リゾート体験や船旅が持つラグジュアリー感覚を満喫できることは間違いがない
若い女性が航く、関西発、ヨーロッパ一周豪華客船の旅の記録 京都から関空経由でウィーンそして登山電車をまずは楽しんでから、ベニスから地中海〜エーゲ海クルーズを満喫した若い女性の旅の写真日記。地中海クルーズを航く豪華客船「ミストラル」号の旅のアウトラインがしっかりと描かれていて、このコーナーで紹介するクルーズ記録の中でも、最もわかりやすいもののひとつになっている。こういう旅の感覚のお試し版に、まずはさらりと接してみたい場合には、客船に乗るよりも前に、竹芝桟橋発着の東京湾クルーズ観光船の「ヴァンテアン」号あたりに乗ってみると良い。乗ってみたら、船尾のカフェ・ラウンジに陣取りながら、鳥肌が立つほどに素晴らしい東京港からの出航シーンを体験してみよう。世間のハンパな内装センスの客船よりも遥かに上質な感性で、地中海クルーズの醍醐味を、東京湾上で実践しているように思われる。ちなみに、"トルク指向"で音も野太くて大きめ、振動も(気にならない程度だが)やや感じられる(※丁度、1970〜1980年代のアメリカン・コンテンポラリーソウル界のマエストロ、バリー・ホワイト御仁が、例の野太くもゴージャスでブリリアントなダミ声節を回しているような感覚を、羽田空港や大井埠頭にも程近い東京港の片隅で体験できるのは、当時からの戦後最盛期の東京の自由感覚を謳歌してきた向きには懐かしいソレ)高回転型エンジンが搭載されている類似のシンフォニー・モデルナ(こちらは竹芝から近い日の出桟橋の発着)の場合、サイド・ウォークやウッドデッキの装備などの点で豪華クルーザー相当だが、エンジンだけは、どちらかといえば旅客カーフェリーに乗っているようなイメージ
「ガラス張りの知事室」 [1][2][3] 世の中へのデビュー作として小説『なんとなくクリスタル』を東京・国立の一橋大学在学中に執筆後、どちらかといえばヤング・トレンド誌やエロ投稿写真誌での実践的ライターとしての活躍や、独自発行の「トレンド・ペーパー」および業務及びHスケジュール自己暴露本『ペログリ日記』など、日本エアシステムの大阪〜松本線のエリア感覚をイメージさせる活躍ぶりが目立つ、若者作家兼ライターの田中康夫氏が、長野県知事選に出馬する際に公約にしていたのが「ガラス張りの知事室」。実際に、長野県庁1階には"上野のジャイアント・パンダの飼育室"を思わせるまでにガラス張りの執務室が設置された。実際、一緒に並んだらどちらが本物のパンダ・エアフォースなのかわからなくなりそうな田中サン自身が、「私は長野県庁の客寄せパンダになります」を公言していただけに、最初の公約実現例としては上々であり、(作家業においてはともかくとしても)行革志向の知事としては、ディスカウント系大手旅行代理店の営業部長級の人材を第三セクター「しなの鉄道」のCEOに起用、一気に問題山積のローカル線を黒字化することに成功したあたりは、かつての東京商科大学の流れを伝える有名国公立上位中堅校(偏差値的には青学クラス)の老舗を出ているだけのことはある認識を発揮したかたちになっている様子。孤独でダーティな、カンヅメ部屋としてあてがわれた都心のホテルの客室を"根城"に、ミーハーであり尚且つハイブラウな志向や好奇心の強いスチュワーデスや裏コネの女子大生を夜な夜な誘い込んでいるイメージの強い田中康夫も、長野県出身の知事としてのそれは、それなりには誠実に見せている仕事ぶりの一応のヤリテに違いなく、氏としては、(真っ正直に受け止めるととりわけ女性の場合は"お食事+H"のワンセットに誘い出させてエロ奴隷にされてしまうパターンに陥るだろうけれども)ついに天職にめぐり合うことができたのかもしれない。ただし、総合点の判断としては、プラス・マイナスで見ると政策遂行実績全体では限りなくマイナス側に近いとの声もあり、メガ・システムとしての長野県におけるガバナー、すなわち最高行政官としての知事業務全般が、いつものような女うけ狙いのパフォーマンスで終わってしまう可能性は依然として高い。いつも執務室にいるわけではないのだろうが、長野県庁に行ってみると実際に仕事をしている氏の姿を(限りなくタレント見物に近い)見学ができてしまうようだが、なんとも赤裸々な点が、1980年代のキャンパス・トレンド族の"美味し過ぎる心の闇"の部分を手玉に取っていた氏らしいことだけは、何とも間違いのないことなのである
ツポレフ Tu−144超音速旅客機 [1][2] のちにアメリカがレストア(復元)及びディテール・チューンのための開発作業に参加(※ディテールのチューンで思い出したが、話変わって、大学受験を来年に控えている諸君は、いまいちど苦手分野の再確認をしてみる必要があるだろう。FLEX-J Webmasterの場合は、高校の頃に細かなことを怠ってしまい、のちに「分詞構文」を集中的に見直していった結果として、英文解釈の本文全体を一見しただけで、以前は漠然としていた文の構造を把握できる感じに、読解処理が一気にスピードアップ。併せて"英文法と書いてイディオムと読む"項目についても、待合室やラウンジのような場所を発見し次第、テキストを開いて、重点的に覚えていくようにしていった結果、偏差値は高いのに最終的には早稲田が関の山程度の都立高校の中で空回りしながらホンダMBX&4輪ドライブ・ライフを送っていたFLEX-J Webmasterの偏差値はみるみるうちに向上、38相当から70に迫る勢いにまで回復、立教大学文学部英米文学科への合格に至る)、「Tu-144LL」の型番で復活した超音速旅客機。パリ航空ショーでの衝撃的な墜落炎上事故ののち、海外向けには一切の運航が行なわれていないものの、鉄のカーテンに閉ざされた旧ソ連の裏側で"音速の郵便輸送専用機"として生き残り、世界で最も広大な国土面積を誇るロシアの国内を飛び回っていたとの話も聞かれる。アメリカが開発に参加した理由は、アメリカ航空宇宙局(NASA)が超音速運航による空飛ぶ実験室を確保するためであって、特に、まもなく全機が運航を停止する英仏共同開発機コンコルドの後継機にするような話とは異なる模様
白馬東急ホテル 上高地帝国ホテルとも並んで、長野県エリアではトップ・グレードの海外リゾート級ホテルとして知られている。東急系のホテルは、案外にカジュアル志向で居心地が良く、女性が穏やかな時を過ごせるイメージがある。シックな女性に人気の純和風の高級温泉旅館もいいが、日帰り利用も可能なこのタイプのホテルをシックに使いこなせれば、デート・ドライブの上級生入り(少なくとも東京六大学や有名ブランド女子大学クラスに相当だが、彼女たちのそれらにしてもよくよくみているとあまりこなれていなくて、とってつけたような感じをそこはかとなく感じさせる)には違いない。長野五輪ではペンションも大活躍したが、リゾート・ホテルも勿論大活躍だったことは、あらためて記すまでもない
MD‐90 DC‐9シリーズのジェット旅客機の中で、初めてスカイ・ミュージックやビデオ・プログラムに対応した、元々は長距離便向けだった巨大ジェット並の装備を搭載した最新鋭機。日本国内の重工業メーカーが、欧米名門メーカーとの共同開発プロジェクトとして、よってたかってパーツを組み立てている低騒音大出力型ターボファン・エンジン「V‐2500」を搭載、YS‐11やボーイング社下請けの時代を経て、ようやくエンジン分野でもかぎりなく日本製に近い製品が完成。元々は戦闘機メーカーだった倒産した「マクダネル・ダグラス社」が開発したオリジナルDC‐9の機体を、買収したボーイング社がこなれた形でチューン、かつてなき完成度の高さを誇るまでになった最新鋭機材MD‐90への搭載によって、ついに日本の空でのフライトが実現
フランス新幹線TGVのアウトライン [1][2][3] 東京オリンピックを目前に、東京〜新大阪区間での、当時としてはあまりにも画期的な超高速運転を開始した日本の新幹線。が、長らく更新してきた世界最高速鉄道のギネス記録が破られることに。フランス新幹線TGVの開通である。当初はパリからニースなどの地中海エリアの街へ向かう路線から営業を開始、のちに周辺各国への国際線TGVを運航することで、ヨーロッパにおける地位を不動のものにした。FLEX-J Webmasterが実際に乗ってみたところ、日本の新幹線よりも内外装共にスマートな印象で、こってりとした日本の新幹線の乗り味とは異なり、意外にも味気なくて、"乗っていて楽しい超特急"のイメージには乏しい(※但し、パリからロンドン行の「ユーロスター」を除く)ものの、パリからベルギー国境を過ぎてブリュッセル行きの乗換駅に至る区間の、なだらかで広々とした丘の眺めだけは、日本では北海道にしかないもので、印象的に思われたとのこと。が、快適でスピーディな移動手段である
アリエスカ・プリンスホテル [1][2] ワールドカップ・スキーの開催エリアとしても世界的に知られるアラスカの「アリエスカ・リゾート」に着目したプリンス・コクド(西武鉄道グループのリゾート開発会社。東京、赤塚、新高輪、箱根、苗場、軽井沢、幕張、横浜、ホノルルなどのプリンスホテルの元締め企業としても知られる)が、このリゾートに関する一切合財を買収して、現在のアリエスカ・プリンスホテルとスキー・リゾートを手に入れたもの。羽田発着のアラスカ・アンカレッジ行の国際プログラム・チャーター便を実質的に企画実現したのも、実は西武鉄道の話も
札幌オリンピック [1][2][3][4][5] 「ジャネット・リン」や「日ノ丸飛行隊」の活躍により大いに沸いた札幌での歴史的な真冬のページェント。本州のスキー・リゾートにはない上質なパウダー・スノーの雪質にも恵まれた札幌五輪の真駒内会場、大阪万博等を契機にして日本に上陸した「ケンタッキー・フライドチキン」などの海外モノもかなりあり、様々な意味で、国際親善の花が咲いた素晴らしい冬季オリンピックだったことが、当時のFLEX-J Webmasterの童心における記憶を参照しても思い出される
札幌市営地下鉄と札幌市電 [1][2][3] 札幌オリンピックを開業機会として誕生した画期的な地下鉄。地上走行区間では、立体高架線を透明なガラス・ドームで蔽いながら、電車はゴムタイヤ式を採用することで、のちのポートライナーやゆりかもめのような静粛性や乗り心地の良さを実現。FLEX-J Webmasterは北海道に実家を持つ母親に連れられて、雪降る真冬の真駒内駅から、きわめて日本の電車離れしていた当時の1000系車輌に乗車、市内方面へと向かったことがあった
長野"地下鉄"散歩 善光寺などのみどころが豊富な長野県長野市。市営地下鉄こそないが、東急新玉川線にも似たかたちで、2.3キロの地下営業区間を持つ長野電鉄が、市内を南北に結んでいるらしい。周囲に豊富なリゾート資源を有しながらも、地方都市としての地位は依然としてマイナーな長野市を散策する魅力を伝えているページを発見
"康夫ちゃん空港"(長野県営松本空港)Q&A 「何故国際線直行便が飛ばないのか」「何故東京や沖縄行きのフライトがないのか」など、長野県民からの素朴な疑問が寄せられている鬼気迫るコーナー。主要な路線は毎日一往復ずつの大阪線、札幌線、福岡線の、リゾート色だけはきわめて強いローカル空港でののどかなエアライン談義
モントリオールの地下街 [1][2] 《宇宙船地球号》なる番組で詳細に伝えていた、想像を絶する規模の地下都市が、カナダ・ケベック州最大の都市、モントリオールに存在している。あらゆるビルや教会に地下空間があり、そこはいわば日本にも存在するようなひとつひとつの地下街タイプのモール状になっていて、ひとつの地下街をモジュールとすると、それらのすべてが地下コンコースでジョイントしあい、メトロとも連接することで、モントリオール市内の都市エリアを移動する上で、一切地上に出なくても温度を保ちながら、快適に暮らしていける、どことなく宇宙ステーションを思わせる一大地下都市が完成していて、観光客の間でも有名になっている。ケベック州の田舎町や大自然を訪れるにしても、ショッピングやグルメ、空港は、モントリオールのものを使用するため、カナダ東海岸側を旅する人々は、一度はここを訪れることになるはず
函館市電 [1][2] 朝市、函館山の百万ドルの夜景、トラピスチヌ修道院、海鮮丼などの名物で知られ、異国情緒があふれる函館は、小樽に並ぶ港町。見所についてはラベンダー畑めぐり観光バスが走る富良野方面及びスキーツアーバスのターミナル都市・札幌のそれを上回り、とりわけ旅好きな女子大生に人気の「北海道版の神戸」(豪華客船の世界ではアラスカの「ジュノー」に似た絶景を誇る。ちなみに宮城県の仙台はアンカレッジに瓜二つっぽそう)のような街。そこを移動するには、市電はメジャーなアクセスである。一般の道路に敷かれたレールの上を走るのどかな電車に揺られて巡る函館は、風景、自然ともに異国情緒満点で、忘れられない旅になることはうけあい
世界の雪山とスキー・リゾート(カトマンズ、アラスカ、長野他) 世界の山岳系の絶景を満喫できるWebサイト。スキー・スノボ関係のマニアは必見。長野五輪前後に流行っていたエクストリーム系感覚あふれる収録フォト構成
MD‐87 〜 南紀白浜・山形・松本各空港のメイン・フリート [1][2] 本州の極上自然派リゾート空港へと就航しているジェット機材として有名な小型ジェット機。ジェット・ビジネス機にも似た形の美しさからも、プライベート・ジェット感覚で使うとゴージャスで楽しい感覚の旅になる。尚、この機体を含めて、DC‐9シリーズは、窓側でも後ろの方の、エンジン近くの席はきわめてファン・ノイズ音がうるさく、尚且つジェット・エンジンに眺めをさえぎられて、とても下界見物どころの騒ぎじゃないことでも有名。何から何までがジェット・ビジネス機仕様らしいことが納得される
山形空港 [1][2][3][4][5][6][7] 温泉とスキー場、そしてエコーラインや樹氷見物などの山の大自然で知られる蔵王リゾートへの表玄関。成田発着便も存在する仙台空港から蔵王にアクセスする方法もあるが、メジャーなルートは勿論、近年エアバス320およびボーイング767の全日空路線が廃止されながらも、日本エアシステムに運行権が委譲され、MD‐87が就航しているこちらに違いない。山形へのアクセスとなれば、有名なのは新幹線や高速バスだが、スキーにはどちらかといえば新幹線よりもジェットのほうが似合うことは、あらためて指摘するまでもない
蔵王温泉スキー場 [1][2][3] 蔵王はかなりマニアックなスキー・リゾートとして知られている。温泉の湯気が立ち込めているイメージも周辺の温泉地とのかみ合わせも良く、じっくりと腕を磨くこともでき、自然派のゲレンデをたっぷりとエンジョイできるロケーションは魅力との話。長野県の白馬一帯の、瀟洒な雰囲気とは対照的に、男性的にスキーを楽しむなら蔵王、なのらしい。電車や昼行のバスでも手軽に東京からアクセスできる草津あたりが、このスキー場にとっての最大のライバルになっている
長野県営松本空港〜白馬方面定期サロン・バス路線 松本電鉄が運航する定期サロン・バス路線が結ぶ、"康夫ちゃん空港"〜白馬間。パック・ツアーで行く北海道は何といっても豪華でデラックスながら、FLEX-J Webmasterも雪山を(都立高校在学時代に学校が保有する山荘にステイするプランで)滑ったことのある白馬の山の魅力もまた、日本選手団にかつてないメダル・ラッシュを呼んだ長野五輪が証明している。ヘリコプターからの上空ビューがヨーロッパ級の絶景ぶりで、ヘリ・スキーの搭乗者をご満悦にしているとの話も、国内ヘリ・クルージング絶景ビデオなどの資料からは判断される。軽井沢のホテルの裏に造られている人工スキー場も、姉妹リゾートの苗場にも似て、スイス風の眺めは良いのだが、何といっても国際スキー場での眺めは究極体験には違いない。そして、松本空港からの白馬シャトル・バスは存在していた。東京からも、高速バスであっという間の白馬エリアだが、ジェット機で長野に降り立つなにげない移動体験には、スキーヤー好みのダイナミックな跳躍感があって、いいんじゃないかと思う。夏は夏で、白馬や上高地にはフランスのプロヴァンス地方のようにラベンダーが咲き乱れる様子(ただし、北海道とは異なり、山の上に咲いている)をじっくりと堪能することができるだろう。スイス・ユングフラウ登山の予習体験としても気軽に利用できる、長野県のマウンテン・リゾートをあらためて満喫してみよう
ロッキード事件の主役「P3Cオライオン」体験搭乗会 戦後最大の疑獄事件として現役の内閣総理大臣までが逮捕されたのが、いくつかのアメリカの巨大航空機メーカーの幹部名や中堅総合商社の名前が繰り返し登場したりしていたロッキード事件である。「トライスター旅客機」「対潜哨戒機P3C」などの機体の売り込みに向けて、巨額のワイロが営業上での取引材料として飛び交っていたのである。かくなる機材のうち、専守防衛のために「"浮沈空母"日本列島」以外の空母を持たない海上自衛隊が、冷戦時代のソ連や北朝鮮動向を睨むために、実際に導入した最新機材が「P3C」なる、昔の国際線用プロペラ旅客機の名機を軍用に転換したボディを持つ、対潜哨戒機である。このP3Cに、実際にイベント搭乗した人による、意外なフォト・レポートを発見。昔の時事問題を知らない世代が乗っても、製品としてのロッキード社の機材はすこぶる評判が良く、楽しい空の散歩になったのに違いない
(ニュース解説)リージョナル・ジェット世界市場の展望 現在、純国産による(30〜60人乗り程の)マイクロ・ジェット旅客機の開発・製造計画が進められている。川崎重工業が過去、自衛隊用にスピードの遅いジェット輸送機を製造していたことはあっても、日本製の民間旅客機の製造は、実にYS‐11以後、初の展開である。しかし、今何故、小型ジェット旅客機なのか。一般的にはなかなかわかりにくい疑問を、ビジネス上の懸案として解説しているサイトを発見。日本国内でも、既に「成田〜仙台線」などにセレブ用の自家用ジェット機モデルを改造したリージョナル・ジェットを投入している実績もあり、コミューター・ニーズは世界的に広まりつつあるのである
信州唯一のジェット空港・長野県営松本空港 [フライト飛来機][空港祭][ちびっこジェット機機内見学会] 北アルプス山脈を間近に臨む信州の空の表玄関「県営松本空港」は、大阪線や札幌線が飛ぶリゾート空港として、よく知られている。都道府県が設置する第三種空港の中でも、ここはおそらく最も標高の高い、山の中の空港である。飛行機がありふれたとはいっても、陸の新幹線ともどもきわめて高速に、爆音を轟かせながらのダイナミックな運航がなされているジェット旅客機の離着陸時の迫力は、依然として日々の生活の中における身近な快感であり、子供のみならず大人でも、帰省などの際にジェット機を利用することを楽しみにしている向きは少なくないはずである。リゾート空港にはいくつかの成功例と、数知れない失敗例とがあり、しかも幹線スケールの路線にはジェット機を要求する声は大きく、リージョナル・ジェットがまださほど普及していない空路では(マイクロタイプのジェット機を入れても採算ベースに乗るかは定かとは言えない)、赤字路線もまたけっして珍しくない。あの県知事が設置責任者を務めてもいる長野県営松本空港(のように記しつついまや"康夫ちゃん空港"とも読む)には、本州随一のリゾートを背景にしている面からも興味深い研究材料であり、大阪から迫力のプライベート・スキーに行く向きには、(空港からゲレンデまでの直行バスがあるかはともかくとして)気分たっぷりの(長野五輪の際にも使用されたエアポートへの)ユニークなルートとしての利用を奨められなくもない
「氷川丸」や「ステラ・ポラリス」の豪華キャビン、移築された本物「ロックハート城」のスコットランド感覚、「牛久シャトー」のブルターニュ感覚……(総集編の1) [氷川丸の船内豪華キャビン][ステラ・ボラリス][ロックハート城][牛久シャトー][アメリカ空軍横田基地1][アメリカ空軍横田基地の2][ディズニー・リゾートライン] パスポートのいらない西洋型豪華体験ができるヒストリック・スポット。現役の海外豪華客船をしばしば凌駕する、想像以上の豪華客船ぶりを発揮しているのが、「氷川丸」および「ステラ・ポラリス」などの引退豪華客船の保存船。また、近年、インテリアが大幅に更新されたとの情報もある群馬・伊香保温泉近くの「ロック・ハート城」は本物のスコットランドの城を日本に移築した建築物であり、また、浅草随一の元祖的カフェ・ダイニング(ただし、味は一流クラスの庶民的な洋食屋)神谷バーが、茨城県つくば・霞ヶ浦リゾートの一角に建てた、日本初のフランス式一貫生産ワイン・シャトーである「牛久シャトー(現シャトー・カミヤ)」、そして日本の中のUSA「アメリカ空軍横田基地」「ディズニー・リゾートラインおよびディズニーリゾート外周道路のある街」など、FLEX-J Webmasterは、しばしばニャンコ空軍のドラネコ軍団らを引き連れながら、首都圏各地の身近なエキゾティック・スポットを訪れている。そして、それらの多くは、知的志向の強いデート好きなカップルやマニアックな人たちなどを招きながらも、一般的にはあまり知られていない、時の止まった過去の栄光のような世界だったり、政治的なスポットだったり、或いは外資系娯楽産業との接点を強固なものにしながらもきわめて異国であるはずの日本の日常に巧みに溶け込んでいるテーマパークだったりしているのだ。国内にあるスゴイ世界への見聞や実際的なお立ち入り歴を重ねると、この国に関する多くの視野が開けてくるのも、また確かなことではある
カナダ・ケベックシティ [1][2][3][4][5][6][7] ケベック・シティは、カナダの中のフランスとして、実際にフランス系住民がたくさん住んでいて、公用語にもフランス語が採用されているエリア。北米大陸唯一の城壁都市として、世界遺産にも登録されている。シャトー・フロントナック・ホテルをランドマークにしながら、賑わうタウンでは気ままに過ごせそう。ごく至近にはカナダ特有の寒色系の大自然も残されており、カナダを体験するにも、アメリカのニューヨークおよびボストンへと移動して賑やかな休日を楽しむなり、フリー・トラベル・プランで、シアトルやカナダ発着のメガシップによるカナダ・アラスカ方面のクルーズ終了後、飛行機でケベックに移動するプランなどを考えれば、旅の可能性は無限大
全仏オープンテニス 今年もセンター・コートに熱い技と力とがうなる季節が到来。真剣勝負にはつねに様々なドラマが用意されていたりして、予期せぬ番狂わせなどがあったりして、見始めてしまうと見逃せない。そういえば、FLEX-J Webmasterは、近頃、全くテニスをしていない。"ビギナー対決"みたいなレベルであり、全然何てこともないのだが、ある程度腕に自信がないと、テニスのプレイなる趣味がひとつ、ラインナップから外れていくようで、実につまらない。一方で、ベッドタウン・エリアへ行くと、各エリアにテニスコートが完備された市民スポーツ施設が充実していて、30代以上、40代〜50代を中心として、想像を越える程に市民テニスが盛り上がっていたりして、なにやら楽しそうだったりする。テニスコートからフランス革命が始まったように、テニス・コートは庶民にとっての社交場機能に優れたスポットであるようだ。勿論、それは何もベッドタウンの庶民層に限られる話じゃないことは、言うまでもない
ロレンシャン高原&モンテベロ [1][2][3][4][5] カナダの中のフランス、ケベック州の北部の「ロレンシャン高原」は、客船で言えば、(ニャンコ空軍内のボスの座をめぐる♀ネコ間対決の話とは異なるが)ブルガリ船上支店があるクラスのオール・スィート豪華客船「シルバー・シャドー」が区画クルーズを組むクラスの高級リゾート・エリア。自然的には北海道に酷似していて、限りなく美しい大自然は、まさに天からの授かり者のようでもある。紅葉や小高い山々、そして湖や川など、の大自然や、一転して街中に戻って楽しむフランス語圏でのステイなど、見どころは豊富な旅先にはなろう
セント・アンドリュースの「オールドコース・ホテル・ゴルフリゾート・アンド・スパ」 [1][2] 日本の企業資本がオーナーともいわれる、スコットランドの超一流ホテル・リゾートのひとつ。ゴルフ発祥の地であり、世界的なエリアだけに、周辺にはホテル・リゾートの一流どころが沢山あるが、人気のオールドコースに隣接していて施設面の充実が図られているのは魅力
東急文化村とドゥ・マゴ・パリとサマー・コンサート [パリ][オーチャード・ホール] 渋谷の1980年代の文化的機軸であり、民間企業運営の文化施設としてはトータル・パッケージとしての完成度の高さは評価すべきところであり、館内スポットのディテールの緻密さも依然として高いのが、東急文化村である。基本的には海外に意識を向けた清和源氏系名門武家セレブのお膝元の街としてのタウン近現代史を、固有のものとして有する渋谷エリアにおいて、鉄道のターミナルとして茶畑側を経済的に開墾した力量に於いて、いまもスポット的に名前は残している松涛も、元・茶畑地主層や東急グループの息のかかった生え抜きエリアこそが松涛、のイメージが強くなっている程。渋谷名物の坂道の上に、毎回趣向を凝らした人気スポット「オーチャード・ホール」での海外第一級オペラ・シアターの来日コンサート(桟敷席でもいいから見ておくのがよいイベント)や最新海外ミュージカルなどのイベントや、岩波ホール級の文芸寄りの作品群を配給し続ける"ル・シネマ"(フランスの不遇な女流芸術家の生涯を描いていたこけら落とし上映作品以来、たまにここで映画を見るのを愉しみにしている)や、歌舞伎までをも上演しているシアター・コクーン、現在パリ・オルセー美術館から来日中の、フランス印象派の巨匠ミレーの作品"落ち葉拾い"などをフィーチャーして公開中の"ザ・ミュージアム"など、週末の行きつけ定番スポットにするとオシャレにアートを楽しめる。堅苦しいカルチャーに若干抵抗が残る向きには、7月にアメリカ・イーストコーストからオーチャード・ホールにやってくるボストン・ポップスがお薦め。ボストン・ポップスは、以前長いこと日本人指揮者の小澤氏がタクトを振っていたボストン交響楽団が、アメリカのコンサート・オフ・シーズンに編成、独自に演奏活動を行なっている気軽なサマー・コンサート向けのポップス系オーケストラであり、ボストン市内では、この楽団が開く真夏のオープン・ステージでの野外コンサートが名物になっていたりして、楽しい。以前はウィーンでのデビュタント風にシュトラウスのワルツやバート・バカラックやヘンリー・マンシーニのナンバーやアクエリアスなど親しみやすい曲を振っていたアーサー・フィードラーの華やかな時代を経て、ジョン・ウィリアムズ作曲・指揮により、ガーシュインに始まり、オリジナル映画音楽向けスコアの「交響詩スター・ウォーズ」などを演奏、賑やかな話題に包まれていた。現在は指揮者が変わり、西暦2003年度には、世界でヒットしている最新のミュージカル・ナンバーや、海外の声楽家とともに名作オペラのアリアを中心に上演するプログラム構成を発表。海外の音楽界でのトレンドをいち早く音のハーモニーで伝えてくれる大使役を果たしてくれそうである
《東京空撮クルージング》と横浜スカイ・ガーデン [1][2] 日本の大自然を、東映などの名だたるプロダクションが、映画或いは《ジェットストリーム・ビデオ》級のハイエンド・コマーシャル・フィルム空撮したようなLV全盛時代風の感覚を、もっと日常的な小粋さに置き換えて収録している《東京空撮クルージング》。デイ・タイム篇では東京ヘリポートからの発着、トーキョー版平成ゴージャスな夜をイメージさせるナイト篇では、東京ヘリポートから出発して、ムード満点の浦安へリポートに戻るコースを辿る、エアー・クルージングDVD。「正午のスタジオ・アルタ上空」までもが映っている昼間の収録もいいのだが、何といっても夜間の収録が素晴らしく、「レインボーブリッジ」「浜崎橋周辺(豪華版の東京港レストラン・クルーズ船が発着しているあたり)のホテル・ビル」「西新宿」は絶品の世界。実際にジェット・ヘリを趣味的なクルージングとして楽しもうと考えている人の予習にも最適だし、「窓」としてのビデオ・モニター上に映る21世紀初頭のメトロポリタン・エアビューを真夏の夜にでも流しながら、《ランドマーク・タワー展望台》からの眺め(パシフィコや観光船さん橋、ベイブリッジの見えるリゾート側は絶景だが、桜木町側の雑踏に眺められる地面までの目測距離の高さは、ヘリコプターからのアイ・ポイントを彷彿とさせていて、混まない方角ながらもクール)のようなツイン・ターボ搭載イメージのコンテンポラリー感覚を満喫するのもアーベインな過ごし方には違いない。六本木ヒルズも良いが、地上高から言えば、ランドマーク・タワーからのビューは素晴らしい。尚、横浜ヘリ・クルーズは、みなとみらいヘリポート再開に付、現在アヴェイラヴル
尾瀬ヶ原の大自然 "来日サンネン"の人(※ニャンコ空軍が扮しているバアイ有)にまで本州随一の湿地帯の景色の良さがわかるかどうかはわからないが、本州の中で最もプロヴァンス地方に近いのは尾瀬や上高地、富良野のような高山植物のイメージが強い一帯なのは、確かだ
プラダ青山店オープン 都区内の2大ブランド・コアの山の手側"ロシアン山"(東京都港区青山〜渋谷区神宮前の青学や国連大学、表参道をカバーするハイ・ファッション・アヴェニュー)のエリアに於いて、あの「プラダ」が国内最大拠点をオープンさせた。庶民の間で近頃プラダの話は聞かなくなったが、マニアやセレブの間では人気は安定している。国内タレントを中心に集められているオープニング・セレモニーとしての業界パーティは、きわめて青山っぽい空気の中で、アンニュイな盛り上がりを見せている感じ(※テレビ取材VTR)があり、いかにもプラダ山の手側上陸の印象
渋谷区立松涛美術館 [1][2] 企画展がバラエティに富んでいることで知られる、建物が地中海(シルクロードやギリシャ・エジプト文明との対話によって生じた古代ローマ的な)様式の有名美術館。東洋美術の特別展が目立つ
日比谷松本楼本店 庶民には「上野精養軒」と並んで歴史ある洋食店感覚で知られる本格西洋レストラン。毎年9月25日になると10円カレーを提供する有名店。館内には、気軽に立ち寄れる"グリル"と、本格的フランス料理レストラン"ボア・ド・ブローニュ"があり、老舗の味を披露している。パリだとかヴェルサイユの輪郭をなぞったような雰囲気だが、おフランスのイメージが強い場所であることにも違いはない
将門首塚 関東で最も人気の高い武将、平家一門の長の一人、平将門に関する首塚。徳川家や太閤がいて、武家文化全体の領袖としての清和源氏がいて、豪族がいて、朝廷がいて、そして平家の伝説が眠る、日本の歴史(国史)の世界。不思議な伝説とともに、人はそこを将門首塚と呼ぶ
出光美術館 東洋の古美術を集めている美術館。出光佐三氏の個人コレクションを公開している。築地本願寺での参拝ウォークの次の地点として、丸の内の美術名所を訪れるのは粋。東洋美術のみならず、この夏いっぱいまで、ムンク作品を展示しているとのこと
日本平 [アウトライン][富士山][ホテル][動物園][ロープウェイ][ゴルフ・コース][夜景ドライブ] 富士山や清水市を一望できるホテルのほか、周辺の動物園には、ライオン、アムールトラ、チンパンジー、マサイキリン、レッサーパンダ、アジアゾウ、ホッキョクグマ、ワライカワセミなどがいて、「日本一眺めの良い観光地」として知られる超有名エリアを、賑やかに盛り上げてくれる。日本平ホテルは、先日、朝の生番組で当日だけのオープン・スタジオとして使用していた。富士山を眺められるロープウェイは眺め抜群に違いなく、日本では珍しい沼津の海上ロープウェイともども一度行ってみたい路線。欧米型リゾート・ホテルを好む客筋は、そこが女性向けの何らかの付加価値型サービスを実施していない場合は、ほとんどがキャビン・アテンダントもしくは男性客、或いはカップルであり、女性客はかなりの層が高級系を如何なく含めた純和風旅館に向かうらしい話が、とりわけ1990年代以後にはしばしば聞かれてきている。FLEX-J Webmasterの知り合いも、親類の結婚式などに呼ばれる時には気を使われてホテルのスィートをあてがってもらえるらしいのだが、母親などと一緒に出かける時には箱根や草津などで純和風旅館を使用することが多いのだという。確かに純和風旅館には、日本型の淑女の鏡のような存在であり、地元産業界ではセレブな一員として顔も名前も知れ渡っている存在としての女将がいて、女性の客室係の数も多く、きめこまやかなサービスも女性好みならば、都心ではシティホテル一辺倒の女性達も、ローカルでは純和風旅館に向かってしまうのに違いはない訳である。静岡県清水市の山、すなわち茶畑側の「日本平」近辺には、純和風旅館がきわめて少ないということがあり、ここではホテルに泊まりたいものであり、逆に静岡でも伊豆方面では純和風温泉旅館のメッカのような街が各地に存在している。そういえば静岡県清水市は、日本ではじめて英語学校ができた街で、清水の次郎長が明治維新後に設立した汽船会社も日本初の船会社であったとの話も聞かれ、昨年の春頃に清水港で"乗船"してみた客船ぱしふぃっくびいなすの、金髪女性パーサーの笑顔で満ち溢れていた船内ムードにはジャストフィットしていた記憶がある。そういえば、確かに男性的な意識による地中海ロマンが広がっている一方で、男性的な、いまひとつ味気のないショッピング・モールが、街のメイン・ストリートには見られたのも、根本的に男性本来の性質は、(それをよしと思った場合を除き)欧米の新興階級のような消費傾向に走ることが少なく、概してシックでシンプルなものであるためか、成る程、現在の"日本女性たちのバレス"ともいうべき純和風旅館の感覚は、清水市一帯には見いだすこと自体が難しい、(どことなく清和源氏の個性にも通じるが、女性に日常の主導権を握られやすい源氏の気質とは異なり、もう一味だけ、押し出しは強めながらもざっくばらんな男気が漂い、エスコート感覚の強い)独特の欧米取材型のバンカラ気質が、日本一の富士山が最も優雅なパノラマとして映る一帯に、大きく影を落としているのであった
ディーン&デルーカ 東京・丸の内の三菱信託銀行本店ビルにオープンしたて、アメリカから上陸した高級食材スーパー。丸の内店は日本第一号店
丸の内で楽しむ避暑地リゾート気分。この夏、旬の食材で味覚のハーモニー 東京・丸の内のリニューアル・スポット、丸ビルお薦めの各レストランが繰り広げる、室内楽のハーモニーのように爽やかなテイストを楽しむ食の饗宴
明石海峡大橋に近い高級リゾート島、淡路 サンセットラインと呼ばれる道を、播磨灘コースト沿いにクルマを走らせると、一軒の小さなリゾート・ホテル。オーシャン・ビューの眼下を眺めると、小豆島や家島群島の島影。ほんの少し丘を下れば、美しい砂の小さなビーチに出るという。阪神・淡路大震災の爪痕から見事に立ち直った、たくましくしたたかなエリアは、リゾートとしても、有馬温泉や南紀白浜と並んで、関西最高級クラスだという話、なのである
@kisyu 紀州の海水浴場ガイド [1][2][3] 南紀白浜空港の近くには、あまりにも素晴らしいビーチが相当数、存在している。関東ではお目にかかれない、独特な眺めのものもある。南紀白浜までは、フェリーの那智勝浦ターミナルからなら、特急電車に乗り換えて90分程度で到着できる。また、海は眺めるだけにして、日本一の滝や、平家一門の総本山が存在する「熊野」の森林に覆われた山岳自然風景を探検するのなら、「国内版メガシップ」みたいな大型豪華フェリーの旅客ターミナルから降りてすぐ、眼の前からすでに熊野は始まっている。ちなみに、南紀白浜まで行かなくとも、海水浴だったら那智海水浴場のビーチで楽しんでしまう方法もあり、ホエール・ウォッチングが夏いっぱいまで可能とくれば、成る程、そこはある種の"日本のシチリア"の感覚を満喫させてくれる、まさに「中上健次の世界」への旅におけるスタート地点でもあるのかもしれないが、FLEX-J Webmasterの身辺では全く関係のないことでもあり、興味はない。ちなみに、関西随一の高級ビーチ・リゾート南紀白浜では関西のセレブ、ハワイでは世界のセレブと知り合えるとの噂も聞かれたりもしたものの、勿論、宝くじが当たるよりも低い確率での、女性にとっての上昇志向サクセス・ストーリーなのにも違いない
フランスの客船リローデッド [神戸発マルセイユ行き客船乗船記][1][2] フランスがらみの客船は、過去にはキュナード・ライン・クラスのものが大西洋航路を結んでいたりした歴史があるものの、フランス自体はどちらかといえば軽空母のような海軍イメージおよび、コルシカ島行きをはじめとする地中海豪華フェリーのイメージが強い国。しかし、一時期は日本の川崎汽船が経営していたラディソン・セブンシーズ・クルーズ社及び、フランスで建造されている客船としてクリスタル・クルーズの第3船「クリスタル・セレニティ」などが存在していたりする。ラディソン・セブンシーズ・クルーズと言えば、オール・スィート設定の「セブンシーズ・マリナー」を初めとして、タヒチ・クルーズに就航中の、後部にプレジャーボートやダイバーの発着口を持っている"浮かぶマリン・リゾート基地"「ポール・ゴーギャン」などが存在、割合に飛行機・新幹線好きな国民で、純客船よりも(ノルマンディ上陸作戦の影響か)豪華仕様のリゾート・フェリーが頑張っていたりするなど、日本的な一面が強いところに出現した「セブンシーズ・ボイジャー」「セブンシーズ・マリナー」は、いかにもフランス版のクリスタル・クルーズを彷彿とさせるフリート群なのであろう
日本でおふらんす 〜ショップ情報〜 一風小粋なフランス・マニアックなサイトが提供している「日本国内でのおフランス体験可能ショップ集」。プランタン銀座店やグラン・パシフィック・メリディアンおよび日本的解釈によるホテル西洋銀座、いくつかあるフランス資本のタラソテラピー・リゾートのようなものから、国立駅前通りあたりにも深く関わってきた某資本が好むフランス色が最も濃い一帯、神宮外苑のけやき並木および表参道からパレ・フランス1Fのカフェ"オー・バカナル"への道、東急文化村通りなどの施設を楽しむようなライフ・スタイルの究極をいっているのは、おそらく国内ではレアな知識を持っている一般マニアよりもタレントのような気がしてしまうが、これまでにアメリカ感覚を基準にしてきた国内リゾートに、フランスやイタリアなど、地中海諸国系感覚などのハイ・センスな"伏兵モード"が現れ、たとえば千葉県の勝浦や三重県の伊勢志摩など、実際にフランス資本の公認スポットとして営業しているリゾート、或いは、最も身近なクルージング体験だったらシンフォニー・モデルナ号、熱心なフランス・マニアが千葉県の館山に建てたオーパ・ヴィラージュ、或いは北海道や石垣島の「クラブ・メッド」のようなリゾート村、F1鈴鹿グランプリ観戦を始めとして、ルイ・ヴィトンのみならず、様々なフランス的なイベントが日本国内に戻ってからも待っているのが、東京を始めとして、フランスびいきな日本の各地。しかし、本当にレアな知識を持っているのは、フランスの言葉がわかる人々の間でもきわめてフランス・マニアな人たちであり、彼らがインターネット上でも駆使するフランス・マニアックな豆知識には、興味深さがいっぱい。こういう人は、北米大陸へ観光に行くにしても、北海道みたいな気候を持ち、尚且つ純然たるフランス語圏のカナダ・ケベック州のような独特な言語圏エリアへの視察・研修を兼ねての留学へ行ってしまったりして、何とも言えない、ポジティヴ・シンキングで小粋で幸せな日々を過ごしていたりするのだから、たいしたものであろう。美術的におフランスを満喫したい人には、「ミレー展」は勿論として国立西洋美術館および渋谷区立松涛美術館あたりへ、アート・ウォークに出かけてみるのも楽しい。ちなみに、東京からのエアー(もしくはフェリー)でのバカンスなら山側なら北海道、海側なら南紀白浜、そして陸路をTGV感覚の新幹線でフレンチ・バカンス気分を満喫したい向きには、あの田中康夫・長野県知事も乗車している長野新幹線で軽井沢から上高地あたりを訪ねてみるのも、楽しい
フランス国内線の機材 エアバス・インダストリー製(日本で飛んでいるエアバスA320も素晴らしいリゾート便性能を持った最新の短距離ジェット機材)のみならず、往年の名ジェット機カラベルやハイテク・プロペラ機ATRシリーズなどのフランス国産機材、或いは737やDC9(MD80〜90)シリーズのようなアメリカ製の短距離機材、そしてフランス本国と海外県を結ぶジャンボ機など、バラエティに飛んだフランスの国内線
1954年(昭和29年)前後の航空事故リストにおける「機材」と「航空トレンド」 [事故機リスト][新潮社《太陽の季節》の時代背景][成功した短距離ジェット機カラベル][不発機のメルキュール][コンコルドの機内] 第二次世界大戦が終わったのが1945年(昭和20年)である。そして、日本にはダグラス・マッカーサーが厚木飛行場へと降機。それから昭和三十年代の中頃まで、「DC‐6」とか「ストラトクルーザー」「コンステレーション」などの四発プロペラ機が国際線や長距離路線に活躍していた時代が続き、そこからようやく「707」「DC‐8」「コンベア」などの長距離ナローボディ・ジェット、「737」「カラベル」「DC‐9」などの、主に短距離ローカル線用ジェット機に加えて、空港の小さな島などに向けた「F27」「YS‐11」などの近代的なターボ方式のプロペラ旅客機が就航する。(実は翌年、のちに戦後初・中期の世界のリゾート空港で大活躍することになるフランス製の短距離ジェット旅客機「カラベル」が初飛行を果たす)1954年に関しては、日本発着の国際線はまだ定期航路の豪華客船(氷川丸)を使う人がかなり見られた時代であり、一回の洋行(欧米諸国への海外旅行)のお金で小さな家なら建つとまで言われた時代でもあった。そんな時代に、南フランスでのバカンス・ムードやパリの文化や花の都の生活香が詰めあわせにされながら登場した《悲しみよこんにちわ》が全世界にセンセーショナルをもって紹介されたのだから(まだ大人の文化人が紳士淑女の時代らしく大人の世界での尊敬を集めていた時代)、いかに当時のフランスがすごい国だったかがわかるというものである。この頃以降、日本からは現在の「西武ブランド」堤一族の妹さんで、のちに西武百貨店の(チーフ・インポートブランドバイヤー・オフィサーともいうべき)服飾担当の取締役に就任、女流小説も執筆していた人物が、南フランスでバカンス客や世界の観光客を相手にカジノ船を経営しては経営危機に直面していたような話が聞かれたり、現東京都知事の石原慎太郎氏の芥川賞受賞デビュー小説《太陽の季節》がセンセーショナルな話題として一世を風靡していたような時代。現在よりも若者が、新たな時代のあり方を模索しながら、感覚派にしても論理的だった学生世代として、大人よりも大人っぽかった時代であるのだろう。当時は「ヤング・アダルト(青少年期)向け」なるジャンルがなく、子供から中学を過ぎれば、文化的にはいきなり大人の仲間入りをさせられていたのだから、それも当然なのかもしれない。ただし、エルビス・プレスリーのようなロカビリー・ロックンロールやモダン・ジャズ以降の若い感覚の音楽やダンス、ファッションも存在していなかった訳ではなく、当時の映画を見ると、若者がきわめて(よかれあしかれ)文学的で格調の高い、大人相手の話し方をしていることを、当時の記録映画などに見て取ることができる。1970年代以降、高校・大学生・若い社会人向けの「ヤング・アダルト市場」が出来、既成の文語調的な大人世界からは完全に遊離した「キャンパス型カルチャー」が、複数のブームやトレンドの流れ、何人かの若手作家、映画、大人が行かないダンス・ホールであるディスコなどのトレンド、渋谷区松涛(慶應の幼稚舎からの子女系エスカレーター文化)の感覚などの出現により、まるで古代から中世の世界的な都市のように、都市の外構に高いフェンスを張り巡らせたような時代に到り、また、有名大学卒業生の約束された地位を享受しながら夢のような安楽を享受しながら豊かに生きていけることを願うような、若いうちの苦労や努力を極端に嫌う(何でも極端はうまくいかない)当時の傾向にポイントを絞ったような国内企業環境が出現していたことにも端を発しているようなバブルの発生があり、楽な就職口を水増しするためかのような甘い認識のヤング企業が激増、現在の40代や1980〜1990年まで頃の大学を卒業・就職者は、概しておいしい人生を享受することに成功したが、彼らの多くは現在リストラ対象者リストのコアに位置しながら、淡々とした人生を過ごしているケースが目立つようになっている。ただし、(けっして子供文化とは異なる若い大人のそれとしての)若者文化と大人文化との間にあった仕切りは、1990年代以後、合理的に無駄な部分は取り払われ、ヤングはオジサン・オバサンっぽく、逆に大人がヤングの文化に急接近する形で乗り入れを開始するような時代にもなっていて、バブルの波には乗れなかったが当時のことはよく知っているFLEX-J Webmasterの世代は、大学を出ていても就職では厳しい苦労を強いられた世代として、OB・OGのツケをかぶせられるかのような愚かな時代の最前線を経験させられたのだが、意外にFLEX-J Webmasterの世代が当時のマネーに踊らされていただけのバブルに批判的な、本物志向の世代であり、良いものについては割賦でも高価な物を買うし、それ以外については大幅に予算を割愛する合理主義世代であることは、ようやく近頃理解され始めたのに過ぎない感じがある。90年代世代のヤングでも、単なるオジサン・オバサン準拠タイプは、隠すべき爪自体がなく、独自の展望を持たず、展開や創造性に欠如したハードウェア・タイプとして、低賃金労働者や駆け出しのヤング・タレントには向いていても、それ以外の分野には不向きな人たちとして、1990年代以降的な若年フレーター層を形成することを余儀なくされ、逆にビジネス商才を発揮するタイプは若くしてベンチャー経営者として成功するなどの実例として「時の人」になったりしている。バブル時代の負債は今尚重くのしかかってきていて、編集感覚が依然として不動産バブルを引きずっている遅れたヤング週刊誌などはいまや時の片隅で忘れられながら、現在の最も若い世代のコたちは、(時代を前にしても)シュリンクすることなく、ソリッドかつ繊細、そして多感に、平均的には一点豪華主義者タイプっぽかったり、ディズニーや清和源氏が日本国内に保存し続けた、デラックス志向で大人志向の(バブルの頃よりも薄利型なのにカタログ・リスト上では豪華に充実さえしている)リゾート・バカンス感覚、或いは諦めなかった者たちが生み出した新機軸としての前向きな優等生型経営ビジネスへのチャレンジなど、それこそ1954年のフランスのそれのような、いい意味での静かな活気を感じさせる時代にはなってきている。牌が少なくなり、一般勤労者タイプが報われにくい時代になってきている中で、エポック・メイキングなクルーズ・ビジネスの風雲児「ぱしふぃっくびいなす」が(良かれ悪しかれ)クルーズ分野を本格的に開拓したように、隙間産業の余地はまだありそうなマーケット現場におけるいい意味での心の余裕の感覚、意外にも1980年代よりも男女仲に仲間感覚もミックスして大幅に良くなっているイマドキ感覚のなごやかさ、人生全体へのモチベーションの回復、探しても見つかりにくい就職先に焦るよりも自分で古着屋を開店したり、極端な叩き上げ経験嫌い症のバブル世代が手をつけなかった業種・職種への進出をためらわないしたたかさなど、またフリーターの大量発生にしても雇用形態にこだわっていない合理意識に基づいての(ある意味余儀なくさせている部分はアンケートで多くのフリーターが「正社員になりたい」の回答を示しているような面にも反映されているが)熱心な就労とも取れるため、それはそれで前向きに受け止められる感覚であり、都区内での就労状況がセレブ・ブーム以降にはそれなりに改善されている傾向もあるのか、近頃は足の引っ張り合いや経済困難層におけるパニックがほとんど見られなくなり、「就職難」を語ることが時代遅れになりつつあることも、西暦2002〜2003年度の特徴的な傾向でもあるようだ。何らかの新産業あるいはリニューアル産業が、何らかの旧時代型産業からの流出者の受け皿になっていることが、ここでは考えられる。悲観することのない時代になってきたのであろうと考えられる
YS‐11動画〜南紀白浜空港 [ラストフライト式典][動画][東亜国内航空時代] 現在はMD‐87型ジェット旅客機が就航している羽田〜南紀線を、ほんの数年前まで飛んでいた日本エアシステムのYS機の姿を動画で見られるサイトを発見。《悲しみよこんにちわ》っぽいコートダジュール系白砂ビーチが待っているらしい南紀白浜は、羽田から飛べる本州最高ランクのビーチ・リゾートなのだが、かなり昔の物語だけに、当時はまだ多くの、ドラマティックで味のあるターボプロップ(ターボ式プロペラ・エンジン)旅客機が活躍していたものと推察される(フランス製短距離ジェット旅客機カラベルの就航状態については不明)ので、当時の欧州や日本での国内線バカンス便におけるレトロ・モダンな気分を楽しむには、YSのような機材はおあつらえ向きだったのに違いない。まだ日本エアシステムの社名が東亜国内航空だった時代の機体も紹介されている。ちなみに、日本人がフレンチ・バカンスを楽しむのであれば、(クラブ・メッドの石垣島カビラも良いが)南仏はもとより、ニュー・カレドニアはお薦めリゾートだとは、昔から言われている。タヒチよりも地中海に近いマリンブルーの海が、フランス海外県にも存在、東京・成田からは今もエール・フランス便で飛べる、最後のフレンチ・パシフィック・リゾートになってしまった。パリのフランス人にとって、海外県に行くことは、カリブ海へツアー・メインのエコノミー・ジェットで飛ぶよりも遥かに困難なことなのであり、もっぱら、北太平洋の島国・日本からのツアー来客がイチバンのお得意客、ということになる。そういえば《天国にいちばん近い島》なる読み物が、昔、日本の女子大生によって記されたが、こちらも、気分的にはだいぶ、F・サガン女史の影響下に置かれていた雰囲気を読み取ることができた
F・サガン著の青春小説《悲しみよこんにちわ》 [1][2][3] 帝国ホテルではゲーム・コーナーに入り浸っていたとの周辺リークも聞かれ、山田詠美にも強い影響を与えている、フランスの天才女流作家フランソワーズ・サガンの処女小説。確か、資産家の娘に生まれたF・サガン嬢のソルボンヌ入学前後の頃の作品で、少女にして小悪魔的、多感で感覚的、そして恵まれて育ったがゆえにファザコンべったりな主人公のキャラクター像が、夏、パリから向かった南フランスでのバカンス・エリアでの、資産家の娘に生まれるなどサガン自身に似ている設定のヒロイン自身、そして周囲の人物たちのキャラクターや心理、ヒロインの独身の父親の新しいパートナーが立派過ぎて小姑的な反発の感情(恋愛は、相手の家族がある場合には嫁入りのような確執に遭遇させられることがあるようだ)を抱かされるなどの葛藤、そして何よりも南フランス・コートダジュールでのバカンスの心地よい大人の気だるさを伝えていて、少女から大人に向かう女の子のための文学ながら、世界的に見ても珠玉の作品。グアム系のココナツ娘が主流の、1990年代以降の湘南ギャルズに対して、1980年代までの湘南、箱根、そして三浦半島、房総、伊豆にも、この手の色白な小悪魔系少女ヒロイン・タイプは、サガン作品の日本風翻案でデビューした女流作家・椎名桜子(椎名桜子を小悪魔とは思わないが、貸し別荘を借りてリゾートを北欧風に過ごす成城大学時代を綴ったエッセイ集は、成城学園タイプのはずなのに、どことなく、伊勢丹新宿本店族よりは池袋西武系を思わせていた)をはじめとして、かなり目立っていた。現在も、なんとなく丸の内風のOLタイプで純和風温泉マニア、或いは日本の国内クルーズを実施している豪華客船ぱしふぃっくびいなすなどのファンの中には、このタイプは時々見かけられる存在だったりする感じ。日本で南仏風、それもコートダジュール・イメージのバカンス海岸を探すとすれば、そこは間髪をおかず、南紀白浜(伊豆諸島の新島の夏はサーファー・イメージが強すぎる)であるような気がしてならないが、舞台を東伊豆の下田からフローティングレストラン・スカンジナビアの周辺、あるいは三浦半島のホテル音羽ノ森の周辺、或いは南房総館山や、羽田発の飛行機でジェット・フライトして少し高めのホテルに泊まる伊豆大島プランに移動させても、ストーリー設定的には成立するような気がする。が、遊び半分にストーリー舞台の"リアリティ"を追求するなら、いっそのこと南仏へ飛んでしまってもいいし、少なくとも貸し別荘を借りられるリゾート・ムードの強いビーチである必要もあるのかもしれない
川崎発〜那智勝浦行きのリゾート・クルーズ [フェリー][ビーチ][高速バス][大人の旅先・熊野] 神奈川県川崎発の豪華な旅客カーフェリー「マリン・エキスプレス」が、那智勝浦への途中寄港を開始している。那智勝浦は、南紀白浜の海側での呼称。日本版のメガシップを思わせる豪華な大型フェリーからリゾート・エリアに上陸するのはかなりカッコよい。伊豆初島、伊勢志摩(鳥羽)のように、近くにランドマークのように「エクシヴ」が存在する点が、リゾートとしてのポテンシャルの高さを示しているかのようでもあるが、勿論一般客向けのリゾート・ホテルや純和風旅館も存在、フランス人にとっての南仏感覚で過ごせる自然や施設が、かなり充実していることがわかる。豪華なリゾート・フェリーでパシフィック・コーストを洋上を豪華に移動するのも楽しいが、陸路をアメリカ人好みのツアー・バス感覚で移動できる、幅広な豪華モケット製3列シートによりフル・リクライニング度に優れた高速バス路線も用意されている。いつもは房総や伊豆になるところを、今年は北海道、志摩や南紀、或いは京都・大阪・沖縄方面へと繰り出してみるのは、きわめて好ましいバカンス大冒険であることだろう。八丈島に東尋坊そして南房総を足したような白砂のリゾート・ビーチが、待っている。勿論、カーデッキを持たない豪華客船もこのエリアには好んで訪れてきている人気エリアであり、ユネスコ世界遺産にも推薦(認定審査中)されている。関東では平将門が男のロマンをかきたてる武将として人気の平家一門史が眠る、熊野古道や山々、那智大社と滝、国の天然記念物に指定されている絶景、鬼ヶ城など、日本史のヒーローであった平家の文化に感じ入る探訪の旅もまた、お薦めできるプラン。案外にこういう硬派なヒストリカル・リゾートに、若い女性連れで出かけてしまうのは正解かもしれない。夫婦カップルでは、旦那は通常仕事が忙しくて、一緒に旅行に行く暇は少ない。女性同士での旅だったら、旅に同行する友達は一生ものである可能性が高く、知性の高い大卒組などは特に、こういう旅には惹かれるものがあるような気がしないでもない。不倫の口実に「女友達との旅行」を利用するヤング・ミセスは少なくない事情も十分に考えられる一方で、が、良い旅には、"深奥を掘り当てられるような陶酔に呼応しながら、弧を描くように波打つシワを白いシーツの上に浮かび上がらせるような種類の、もうひとつの地中海的クルージング・ストーリー"以外でも、一応しっかりと時々はお出かけしてみましょう
南紀白浜空港と、5月の海開き [エアポート][遊覧飛行][観光協会][オーシャンビューのホテル] 東京・羽田から一時間のフライトで到着できる、5月上旬海開きオープンのビーチ・リゾート「南紀白浜」の空港。日本エアシステムのMD87(※かつてのDC9ジェット・シリーズ)で飛ぶフライトの楽しさは、YS譲り。ヨーロッパを思わせるリゾート空港ムードの高さが魅力だが、移動コストが新幹線+名古屋からの定期豪華バスに較べても高くつくのはやや難点。ただし、JAS系のパック・ツアーで行けるステイ・プランも用意されているはずであり、城南でも所得の高い国内旅行好きに人気があるリゾート・フライトの妙味を体験するには、既に海水浴シーズンが始まっている今は、絶好のチャンス
アリゾナ・キッチン 浅草を代表する有名洋食店のひとつ。作家・永井荷風が足繁く通い続けた味が、97年に再オープン。名物の牛タンシチューのほか、カニクリームコロッケが1200円など、庶民的な洋食の一流店
東京ステーション・ホテルと館内英国調クラシック・バーの"カメリア" [ホテル][バー][客室] フォーシーズンズ・ホテル丸の内も快適には違いないが、単なるトラディショナルを超えて、本格的なヨーロッパ風・クラシック・ホテルの風格漂う、知る人ゾ知るマニアック・スポットは、赤煉瓦造りの東京駅舎内で長い歴史を持つ、こちら。ホテル客室は、大正・昭和と、日本の最も古きよき時代に旅人にとっての一流ホテルのひとつとして知られていただけあって、"海外のシャトー・ホテル"クラスのクラシカルな高級感を漂わせる。館内の、丸の内界隈を代表し続けているシックなバーは"カメリア"。終戦間もない昭和26年から営業している本格的な英国調のバーは、大正時代から開業している「東京ステーション・ホテル」内における大人の社交場スポットとして、通に人気。女性プランがお得に設定されていて、お薦め度は高め
築地本願寺 銀座からも近い営団日比谷線の築地駅徒歩一分の超有名寺。「浄土真宗本願寺派 本願寺築地別院」が正式名称だが、「築地本願寺」の呼称は寺院界ではブランド化していて、多彩な要人や有名タレントの冠婚葬祭が繰り広げられている。仏閣を一見すればわかる、「日本にいながらにしてインド・ガンダーラ旅行ができてしまう」意味で、まぎれもなくここは、仏教伝来ルートとしての昭和における終着地点「東京」におけるランドマークであり、すなわち、時を経て、東京がガンダーラ文明やシルクロードの一角に位置したことを示している。来日外国人は、しかし、観光ではなんとなく浅草寺に行ってしまうようなのだが、こちらの寺院の存在にも是非触れてもらって、リアルタイムでのオリエント・エクスフローラー・クルーズの楽しみを満喫して頂きたい気さえするのである
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