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10月29日(金) 母子三人生存説
三人生還という奇跡の救出劇の前に、視聴者は動かない岩石を延々と見続けた
中越地震土砂崩れ現場救出のTV中継に、私どもは完全に「してやられた」のかも知れない
どの局も「三人とも生存」を言い続ける一方、その情報発信者には全く触れないことに、かすかな違和感はあったのだが…
意図したかどうかはわからないが、対策本部発表の薄弱な根拠をもとに善意に近い情報操作が行なわれ、全報道機関が同じ方向へ走ったことは事実である
10月26日(火) 著作権以前に2
塾などで使う国語補助教材に、最近は所々白紙状態のものがある
全文掲載ではなく、部分掲載であるのがネックなのか、問題を加えて点数まで出す仕組みがネックなのか、よくはわからないが…
部分掲載であっても、そこから何かを得る子は何かを得るし、たとえ全文掲載でもそっぽ向く子はそっぽ向くというものである
名高い「更級日記」作者の少女時代を思えばわかる
その感性は、文学の主流では到底なかった東国で、物語の断片を手に入れては読みふけり、本物の源氏物語を夢見ることで育ったのだ
10月22日(金) 記号より名前
記憶に残る最初の台風は、第2室戸台風である 小学3年であった
翌日、学校に来られない友だちも多く、誰々さんちに水がこのくらいまで上がった、誰々さんちの豚が流されたなどと、子どもながらに緊迫した雰囲気は、今でもよく覚えている
それは、第2室戸台風という名前のおかげであろう
仮に、「昭和36年の台風18号」と呼ばれていたら、果たして濃密な記憶と結びついたかどうか…
最近、台風の被害レベルを表す際に、「平成△年の台風○○号以来」のような言い方をする
それがアノ台風であったか、コノ台風であったか、その当時の「時代の空気」みたいなものと共に瞬時によみがえらせることは到底できない
単なるデータとは違うのである 固有の名前をつけられないものなのだろうか
H2SO4 より硫酸でしょ (^^;
10月19日(火) 永遠の出口3
ふっと自分の十代を呼び起こされそうになるが、もはやそれも覚束ないほど遠くのこと
「永遠の出口」は、新聞書評に誘われてネットで衝動買いした(^^ゞ もしも店頭に買いに行ったら、立ち読み数分で終わったことだろう
「永遠の出口」のような作品は幾らでもある(気がする) 気がする、でいつもストップをかける自分がたしかにいる 読む機会は幾らでもある(気がする) 気がする、で先延ばしを続ける怠慢な自分がたしかにいる
「永遠の出口」は、(気がする)者とたたかい続ける、今風ジャンヌ・ダルクの話であった
10月17日(日) 著作権以前に
言葉や音は誰のものなのか。
昨年、「阪神優勝」が登録商標され、世間が青ざめ混乱を来たした事実
詩人・茨木のり子の次の一節は、その真反対を詠むが、しかし著作権を有す(「寸志」より)
アーチャンと母を呼んだのが 日本語発した最初だったらしいが
その時 仁義は切らなかった <これより日本語 使わせてもらいます>とは
(中略)
わたしの語彙がいま何千語なのか 何万語なのか計算できないほどなのに
どこからも所得税はかかってこない
(中略)
遺言書ばやりなのに
<我ガハナシ言葉譲渡ノ件>という 分配書を託して逝ったひともなかった
10月15日(金) 永遠の出口2
昨日から1章読み進んだだけだが、主人公は既にまっとうな中3を終えてしまったようだ
ちょっとがっかり (^_^;)\(^。^。) オイオイ
大きな家族旅行をして、ようやくここで父親と母親のことが詳しく語られることになる
姉の上手い画策で実現した家族大旅行が、実は家族ひとりひとりが「自分とは関わりのない所で」とんでもない問題に直面していたことを、主人公に思い知らせることとなった
「親が何だ、家族なんか…ペッ」と唾棄していた主人公が、家族の危機に大きくいちばんうろたえた(それでも、どこまでも「自分の危機」である所が、正直でおもしろいのだが)
家族旅行顛末記によって、「永遠の出口」はようやく小説世界へ入ったと言える
10月14日(木) 永遠の出口
去年買ってヌカ漬け状態だった「永遠の出口(森絵都・著)」を読み始めた
普通の(と誰もが・本人も思っていた)少女による、「小学生」「中学生」というレッテルへの、思う存分の甘えと脱「小」「中」レッテル。恐らくは事実に近い小説であろう
まだ半分ぐらいしか読んでいないが、郷愁の力は実に偉大である 少なくとも、リビングの戸棚に入ってた葡萄酒ビンが大爆発するまでは
ここからがたぶん本題で、「歯がボロボロになるから」シンナーだけはやらないけどほかはいろいろやる、手のつけられない少女に…この辺まで読んだ
少しずつ重ねられていく、外の世界への違和感、軋みのエピソード
果敢にワルい子路線を走るのか、途中で何かに上書き更新されるのか、後半が楽しみである
10月11日(火) 或る指揮者
雨に降り込められた連休に、所蔵するレコードの中で唯一「全集」と名のつく箱を取り出した
シューリヒトという指揮者による「ベートーベン交響曲全集」
殆どがモノラルなのに、一部ステレオ録音も入ってるおかしな全集だ
久し振りに8番を聴いてみて、「あ、シューリヒトがわかるようになった…」とスグに思った
シューリヒトは、今風の言葉で言えば「あっさり系」の演奏をする
よく聴いていないと、「ナンダ、もう終わったの?」と肩透かしを食った気分にもなるのだ
今回は、軽やかな風のように綾なすその音楽が、雨音を背景に何故かよく呑み込めた
まず8番・4番を聴き、次いで2番を聴くつもりだったが、力尽きた (^^ゞ もう若い頃のように、一気聴きはできなくなった
10月9日(土) 反体育会系
東京オリンピックを境に、子どもはまともな身体作りの機会を奪われ続けてきたと思う
オリンピック選手の卵作り。スポーツ界は、これを推進した。体育授業や、部活などの地域社会スポーツはいちばん利用され続けた
声のデカい体育会系指導者が、当たり前のように威張っていた
速いこと、強いことが「より高い価値」と見なされた 速くなく強くない私はホントにいやだった
子どもが9年間訓練して、卒業時に皆が身につけているべきものは、準備運動やストレッチのような「一生使える操身方法」のはずだ
10月7日(木) 電線と景観
電線を地中に埋設すると、街の景観がすっきりするという論があるが、どうも疑わしい
日本では、都市の無計画さに対して、電線が一定の幾何学区分美を与えているように思う 縦に横に斜めに抑制し、揃え、まとめる
日本の都市景観から電線をなくしたら、無計画に造られ続けたみっともない建造物が、抑制する力をなくしてむき出しになるだけだ
よく引き合いに出されるヨーロッパの国々は、電気のない時代から既に都市景観計画のようなものがあって、その上で、後から登場した電線の「埋設化」を進めている事情がある
思いが詰まり詩文が生まれ(そうな気がす)るのは、どちらかというと電線の錯綜した街の方で、その安っぽい景観を私は好きだ
10月6日(水) 雲の変容
空がたいへんに魅力のある1日だった
大きな入道雲が次々に現れ、ほかの薄黒い雲と混ざり、不規則に移動する
遠くに目をやると、確かに雨を含んでいる怪しい黒雲が、地平線一杯に広がっている
かと言って私のいる真上辺りが曇りというわけでもない。いちおう晴れている ただ、ひっきりなしに雲が現れては消え、移り、混ざる。変容がきわめて大きい
西洋絵画の背景には、絵そのもののテーマとは(たぶん)無関係に、このような動き回る空がよく描かれている。何かの象徴なのだろうか
しばしば起こる原発の事故で、TV映像が流す原発建造物の背景には、異様なまでに美しい青空が広がっていることが多い 凄惨な事故との断裂に、いつも息を呑む
10月3日(日) 中略の履歴
中日優勝監督落合には、「どこそこ球団で○○コーチ」という経歴がない なるほど、こういう人もいるのか…
選手引退後の落合は、解説者としてもどうも据わりが悪かった
もしも途中でコーチなどをやっていたら、他のスタッフや首脳との衝突を繰り返し、プロ球界では沈没していたかも知れない
途中を踏ませず、いきなりの監督
チャンスを平等に与える落合采配の妙が言われているが、一昨年秋の「落合でいけ」という中日球団の決断もまた、きわめて前向きで明るい感じがする
9月30日(木) あまりに自然
そのグレン・グールドを、私はわからない(^。^)ゞ
なぜならば、グールドの弾くバッハはあまりにも自然過ぎて…ひと言で言えば「当たり前」の演奏にしか聴こえない
しかし、そのように弾くピアニストは、グールドのほかにいないのである
9月28日(火) 草枕
ピアノ弾きグレン・グールドが「草枕」(夏目漱石)を大事にしていたと知ったとき
そして「草枕」だけを好んでいたと知ったとき
やはりそうか…と、自分の感覚(^^;に少しは自信がついたものだ
漱石作品の中で、百年後にも読まれているのは「草枕」だけの気がする
漱石の作品は、「草枕」のほかは、私には全然おもしろくないし、何がいいのかわからない
グールドという最強の砦ができたから、多少の乱暴狼藉言葉も言えるようになった(^0^)
もっとも、「他人がいいって言うものは、たいてい、いい(9月24日)」…座右の銘との矛盾が早くも (。。;
9月26日(日) この日アップ
「FM303」を新しく始める。おもに詩・音楽を軸に、あれこれを書いていくつもり
また、未完の花咲くページのいくつかを削除した
「だじゃる丸」についてひとこと
詩を書き始めて以来、その付録・余禄・落ち穂のように、いろんな言葉くずしが生まれた
ガチガチに硬直してる現実に対し、関節を外した言葉で少しは膝カックンできるようになったのも、だじゃる丸さまのお蔭
これからも大事に育てていく。でもちょっと整理しないとな (^^;
9月24日(金) 座右の銘
ある時突然すべてが了解できるということが、音楽では稀れにある
例えばマーラーの長大な作品群
2、3時間はかかりそうな持ち帰り仕事があって、
そのBGMに仕方なく選んだのが交響曲「復活」であったのも
何か因縁めいておもしろい
どこかの旋律の絡みにふと耳を止めて そのまましばらく仕事の手も止まってしまった
よくわからなかったものが
予告なくいきなり全開した最初の経験 20年も前のこと
以来、「他人がいいって言うものは、たいてい、いい」は座右の銘
9月23日(木) 長い長い吃音
必要なのはただ1行
自分を揺るぎないものにしてくれる魔法のような言葉
詩ではなく、箴言・アフォリズムの類い
しかし、身の丈に合う言葉なんて何処にもなく、私専用の言葉を自分で作り出すしかなかった
それもまた困難 まだ道半ばにも届いていない
詩が好きだから読み書きしているのではなく、
詩という窓を通して、見果てぬ1行を追いかけている
…などと少し格好よすぎるか 青臭過ぎるか
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