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12月29日(水) ロッカーを支える人
イラクで人質になった香田さんの殺害シーンが、ロック・コンサートの大スクリーンに映し出されたという
人間として持つべき資質を欠いて、それでも一芸に秀でる人は古来たくさんいる 今回のロックバンドの面々も、きっとそうなのだろう
人間性に欠落ある人間を、それでも大切に思いその才能を認め支えていくのは、周りの人たちである 今回のケースは、周りの人たちに責任がある 芸能活動での単独・独断行動など、100%あり得ないからだ
映写についての時間や間合いなど、事前の打ち合わせは何度も行なったはずだ 幾つものグループが出演するコンサートだったから、削ったり削られたりの調整はなおさら厳しかったのではないか
つまり、事前に映写用ビデオを見ている人が、何人もいたはずなのだが…
12月25日(土) ルミナとミレナ
その近くに住んでいたり仕事で寄れる道ならば、1度は現場へ行き、その法悦パワーを味わいたいと思う しかし同時に、こんなことやっていいのかとも思う 神戸ルミナリエ、東京ミレナリオなどの大電飾だ
あそこまでやったらたしかに圧巻 たんに綺麗というだけでなく、その光体験は心に何がしかの変容をすら迫ると思う しかし、帰宅して我が家を見れば切れかかった蛍光灯…いや、そうではなくて (^^;ゞ
率直に言って、あそこまでやることないだろう、と思う あの豪奢さは、小さくつましい心持ちを冒涜(ぼうとく)している気がするのだ 小さくつましい毎日だからこそ、祝祭があることはわかる しかし、モノには限度がある 視覚に訴える豪奢さに惹かれない者はないだけに、かえって罪深い
…でも1度は近くで見てみたいなあ (^0^)
マツケンサンバとエビ様…引きずり出しで産婆の勝ち
「気合だあっ」と長嶋ジャパン…肩すかしで長嶋ジャパンの勝ち
上越新幹線と羽田新ターミナル…揺さぶりをかけられた拍子にまわしが外れて新幹線の負け
小泉首相とクマ出没…丸投げで首相の勝ち
振り込め詐欺と日歯連事件…引き落としの後、とったりで技のデパート振り込め詐欺の勝ち
スポーツ界の愛と亜衣と藍…べそ払いから「サ〜ッ」の掛け投げ連続技で永遠に愛の勝ち
ヨン様と欠陥車…隠し技タイヤ落としで欠陥車の勝ち
最年少芥川賞と「世界の中心で愛を叫ぶ」…背中蹴りとばしで最年少芥川賞の勝ち
相次ぐ台風と地震雷火事おやじ…家事おやじの新規参入で未曾有の混乱、勝負つかず
負け犬と勝ち犬…「只今のショ〜ブについてご説明致します 写真判定の結果…」
12月21日(火) 冬至・長い夜に
ネット上で詩を探す 私が「詩」と思いひれ伏して頭を垂れているものとはまるで異質の詩に、よく出くわす
それは、恋愛詩というジャンルに入ることが多い(それ以外のこともあるが…)
恋愛詩自体が異質というわけではない 恋愛詩こそは奈良平安以来の詩の王道だから
私が異質な感じを抱く詩は、失恋を詠んでも得恋を詠んでも、既に世界を失っている感じがする詩だ ブラックホールの逆で、すべてのものをはじき出すホワイトホール 自分または自分たちに、対峙し屹立する世界が存在しない だからか、つるつるした印象を残すのだ
のどごしはいい しかし私には「突っ込み所」がない (^。^;; ので困るのだ
「お前の詩を詩と呼ぶのはいかがなものか」と言われたら、返す言葉はないが。。。ρ(。-、)
12月17日(金) 今年買った只1枚
暮れに1枚ぐらい買っても贅沢にはならないだろうと、CD店に出かけた 何枚もリストアップまでしていたのだが、買ったのはたまたまそこに並んでいた想定外の1枚となった
メリー・ホプキンのベスト・アルバム '68年から'69年頃に全世界で大ヒットし、洋楽にとんと疎い私まで一聴して飛びついた名曲「悲しき天使」
しかし今回私が聴きたかったのは、それ以降の歌である 決してヒット連発屋とはいえなかった彼女の、本当の魅力に私が気がついたのはここ数年である 三十年も経って(;^。^A
いくらか不安定な音程で、か細くやや物憂く歌うその声は、バック演奏が簡素なほどよく映える 最近の歌い手では、ノラ・ジョーンズがわりあいに近いように思うが、どうだろうか
買ったCDの中に「ケ・セラ・セラ」があり、これがとてもよかった スタンダード・ナンバーを、細く末永く歌い続ける道を選んでもよかったと思うけどなぁ…
12月9日(木) 背後霊が喝ッ
エスカレータで、階段で、電車・バス車内で いったいその人は何を考えているのか…情けないです
その人の後ろに私はいる 私の顔の前にせり出されるリュック・サック、ナップ・ザックの類い
その人が振り返る 私はリュックに殴られる
その人が立ち止まる 私のアゴはリュックに激突する
「自分の体躯と同じ幅ほどの膨満物を背中に宿していること」及び「2人分の空間を、意識しない背後で振り回していること」で、その後ろで苦痛に喘ぐ者がいるのだ わかっているのか
リュック占有空間は、リュック持ちの権利か? いや、マジにそうなの?
関係機関には、「ダメ、ゼッタイ」のリュック版を、ぜひ作ってもらいたいです
12月3日(金) たかが大賞
先日発表された、今年の流行語大賞というのがチョー変である
真の大賞は「たかが」ではないだろうか 「たかが選手」の「たかが」である
理由1 関係者や興味のある人のみならず、広く社会に衝撃と波紋を与えた
理由2 「選手」の部分にほかの言葉をあてて、バリエーションが楽しめる
つまり、コミュニケーションの道具として適している
理由3 頂点に立つ人が言ったから、庶民の反骨感情を永遠に刺激し続ける
理由4 来年も再来年も使える上に決して古びない
理由5 古い考え方と新しい考え方が交錯した、「時代の屈折点」にふさわしい
理由6 「tAkAgA」と、音韻上明るくて言い易い
当分は「たかが」だけで通用するだろう 紅白出場辞退?!「たかが」 (^^ゞ
11月28日(日) 初冬の色
黄や赤に変色した葉っぱの、多くはもう路上に落ちている裏通り 落ち葉をカサカサカサと鳴らしながら、後ろから車が追い抜いていった
巻き上がった風と落ち葉と埃が、私の身体に当たる このときの幸福感は、例えば春の桜吹雪を浴びたときの酔いしれる至福感とは、全く違うものだ
この幸福感の材料は、車によって巻き起こった不規則な風であり、巻き上げられて埃とともに身体に当たった切れ切れの落ち葉であり、青く乾いた空である
喧騒と排気ガスが育てたような枝々が、異様に美しく静かなあの世を垣間見せてくれた
点々と木々の並ぶ無計画で無神経な街なか 明るい日を受けてはいるが、既に空気は否応なく冷たい
11月26日(金) 詩の無題
詩に題名がない(つけられない)理由は、「プロフィール」に書いたことのほかにも、思い当たるフシがある
父が俳句をやっていて、「誰某が、こんなヘンなのを作った」「誰某にはこんな愉快な句がある」などと、生前よく家族の前で朗詠していた
そして、当然それらに題名はないのである 空中でパッと放たれる短い詩篇
10歳のときも20歳のときも俳句に何の興味も示さない拍子抜けっ子に、父が折りに触れ見せてくれたのは、説明不要・題名無用の世界であった
以前は、詩に題名がないことの理由を、もっと理屈っぽく考えていた せっかく詩を読んでもらうのに、なぜ作り手自ら概念の囲みを設けてしまうのだ、などと…
最近は、単純に「それが自分の生理なのだ」と思っている
11月19日(金) いま、会いに…
「アイル・ゴー・トゥー・シー・ユー・スーン」…話題の邦画タイトルの勝手英訳
やはり気合が喪失しそうだ これでは、いま、見にゆく気がしない (^。^;;
洋画タイトルがソノマンマカタカナ化現象を始めて久しい
内容を手短に、見事なタイトルに表現する労力を放棄して、宣伝文句・キャッチコピーの方をひたすら大仰にする 洋画の日本上映で、今行われているのは、そういうことである
ベースボールを野球と呼んで広めた正岡子規と周辺の人々は、その楽しみの本質が「蒼天下の野趣にある」とみたのだろう 「ベース」にこだわらない訳語ができたのは、当人たちがベースボールに夢中で、机上の訳語には無縁だったからだ
冒頭の邦画、本当に海外上演されるときは「Soon」とかになるだろな (^。^)ゞ
11月17日(水) 音楽著作権2
小さな音楽喫茶やライブを聴かせる店の廃業が、止まらないという 著作権使用料の取り立てがきつくなってきたらしい 過去にさかのぼって数百万円の督促があるそうだ
JASRAC(日本音楽著作権協会)のこのやり方は、どう見ても間違っている
それぞれが少しずつ得と損をして、それぞれが生き残っていく道は考えられないのだろうか
小説「断片的〜」にも書いたが、私はサテン楽派である(^。^)ゞ 大量のクラシック楽曲をまるで音浴のように聴いたのは、広島の「ムシカ」という喫茶店 CTCレーベルのジャズ・フュージョンからジャズに目覚めたのは、横浜の「ちぐさ」という喫茶店
こんにち、そういう店の存在意義がなくなっているというのなら、話はわかる しかし、「いらっしゃいませ」「お決まりですか」のファストフード店よりも存在意義がないとは思えない
11月15日(月) 音楽著作権
記憶が正しければ、の条件つきだが、モダンジャズ興隆のきっかけのひとつに、著作権問題があったらしい そんなことを何かで読んだ覚えがある
1940年代半ば、楽譜の版権を持つ出版社などが、だんだんと自由な使用を認めなくなった お金のない若いジャズメンは、既成の旋律を使うのを諦めて、その譜面のコード進行だけを頼りに、即興で短いセッションをするようになった
これが、ビバップの始まりであり、快速即興性に富んだモダンジャズを生み出したという
モダンジャズの隆盛とともに、「既得権益ひとり取り」にこだわった版元が衰退したのは言うまでもない
著作権問題を考えるとき、この皮肉な逆転劇をいつも思い出す
11月14日(日) 2小節のドラマ
「MIDIお題拝借」に曲を投稿するようになって、間もなく1年になる
制作にはいつも苦労していて、そのためほかの楽曲には手が回らず、この1年で仕上げたのは「MIDIお題」投稿曲のみという有り様だ…
とくに今回(29期)は、今までになく苦労している
過去4回で最も難しかったのは「26期」のお題であった あの時は、お題自体が既に明確な性格を持っていて、その雰囲気から離れられない難しさだった(「坂のある水彩画」)
今回は逆である 何か意味を持つことを拒むような、音楽になるのを拒むような2小節動機
やむを得ず、9月以降作ってきたものを一時中断した 発想を変えようと、昔の作曲ノートを引っ張り出す 29期お題が使えそうなものを見つけ、新規に作り始めているところだ
11月9日(火) 古い奴ほど…2
「女は土俵に上がらせない」という考えはやめてもらいたい タダの意地と化している
永谷園のお茶漬け袋がグルグル回る土俵が、それほどに神聖か
伊勢神宮に戦勝祈願をした大海人皇子(天武天皇)は、勝利後に我が子大来皇女を斎宮(さいくう)として置いたという その後数百年は女官集団が神事を司る習わしになったという
戦いと女性が、不可分だった時代もあるのだ
いつの時代の何を根拠に、女性を土俵に上がらせないのだろうか… 私の根拠は7世紀である(^^; いや、笑い事ではない 中東では紀元前のことが昨日のように語られている
11月7日(日) 青空シール
「いつもそばにいるよ」「pure heart」「きみに会えてよかった」「涙を虹に変える」「all for your smile」「いつかきっと」…
これは歌詞の一部や題名ではなく、塾の子どもたちに総スカンを食ったシールである
青空の絵を背景に、これらの言葉が小さく印刷されている、明るい感じのシール
「イヤだァイヤだァ」「とんでもねえ!」「こんなのいらネ!」…その気持ち、私にも少しはわかるのだが、「だって君たちがいつも歌ってる歌によくあるセリフだぜ」とも思う
歌詞としては受け入れても、それがノートにペタンと貼ってある状況には、激しく抵抗する
とても健全な反応だと思った
思ったが、何か釈然としない感じもする おもしろい落差だ (^^;
11月6日(土) 古い奴ほど…
大相撲は体質が古いとよく言われるが、実は大変に進取の気風がある
完全部屋別総当り制(昭40)、勝負判定にビデオ採用(昭44)、公傷制度制定(昭47)、ハワイ巡業ソビエト公演中国公演などなど
中でも、力士としては平幕どまりだった武蔵川理事長抜擢(昭47)は、特筆すべきであろう 現役時代の地位がすべてを決める世界で、この人はその経理手腕を見込まれて理事長に推され、力士の給料制や定年制の導入など、相撲経営の近代化を進めていった
スポーツとはいえ神事に由来する伝統芸能なので、古い体質が残るのは仕方がない
自分の体質の古さに常に危機感を抱いているかどうかだけだ
11月1日(月) 鎮魂、若き日への
イラクで惨殺された香田さんの来歴を知れば知るほど、他人事とは思えなくなってくる
その歩みは何か不安定で、突拍子もなく、迷いつつ確かめるように道を探していたように感じる
判断の誤り、一方向しか見えない視野の狭さ、そこに行けば何かつかめるという思い込み
これらは、「もう若者とは言えない人たち」が、かつて一度ならず通った道ではないか
私も含め「もう若者とは言えない人たち」が今生きているのは、たんに運が良かったからに過ぎないのだと、つくづく思う
香田さんを責めてはいけない 彼は、まるで私たちだ
その行動の甘さや曖昧さも含めて、「何ということだ」と嘆きながらも、この若者のいくばくかの部分に自分を重ねることで、鎮魂としたい
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