ことばの遊園地〜詩、MIDI、言葉遊び
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2月27日(日) 迷惑メール

迷惑メールファンタジー その1「白身あります」
白身あります…この件名を理解するのに数秒  Amazon.comの魚屋さんか…とか


自身あります…でした  7年前の老眼鏡だからなあ^^;  「テニスの玉子さま」と読んでひんしゅくを買ったこともある  予備知識なしの状態では、テニスとくればタマでしょう…決して的外れな誤読ではないのだ(的外れでないことだけは自信あります)


自信あります…何でもない漢字を間違えたその焦りに親しみを覚えて、つい開けてしまった  あるURLをクリックせよとあったので、クリックしなかった  ああ、これがめくるめく禁断の幻想世界へつながってるんだなあ…ダメダメ!白身ありますを思い出せ!


それにしても、トップページのアドレスを偽装して1ヶ月以上過ぎたのに、いまでも正しいアドレスで迷惑メールが襲来する  自動収集ロボットで1度収集されたアドレスは、絶対に消えないのか  あるいは何者かが手作業でシコシコと数字の5を消しているのか φ(。。* )シコシコ
私としては後者であってほしい  ロマンがあるから ヾ(∇^〃)o(__)ノ彡_☆

2月25日(金) 録音方式受難史

オープンリールテープ録音から、カセットテープ録音へ切り替わりつつある時、私には切迫感がまるでなかった  オープンリールの方が音がいいから  結果は、カセットの圧勝  音質も改善に次ぐ改善で、カセットだから音が悪いとは言えなくなった


その苦い経験があって、新しい録音方式の登場にはかなり敏感になった  それでもMD登場時は、あまりの音の非道さに「これはおもちゃだ」とあきれ、またしても時流に取り残され^^; 気がついたらカセットテープがひと山二百円で売られていた  店員に「ナンデこんなに安いのか」と尋ねたほどの大間抜けでありました


MD登場よりかなり前、DigitalAudioTape(DAT)がとてもいいらしいと知り、ひそかに買いどきを狙っていたが、稼業傾き^^; それどころではなくなった  …と思ったら、既にDATは市場から駆逐され、放送局などでわずかに生き残っているらしい  いやはや…

2月20日(日) 聴覚の不思議

「不思議な電車音」の続き
自分の身体の音は、ほかのどの音よりも至近にあり、それも決して小さな音ではないだろう  呼吸音や心臓音血流音はその代表だが、ほかにも軋む音やうごめく音など、様々な音が体内を走っていると思う
でも、何故聞こえないのだろう (^^?)


これも恐らく、聞こえないように体内スイッチがセットされているのだと思う  自分の体内音は異物ではない  そのことが、胎児から幼児へのいずれかの時点で、きちんと仕組まれるのだ
私の記憶によると…大変覚束ない記憶ではあるが…幼児の頃は、自分の体内音がわりあいによく聞こえていた気がする  いや、たんに母親の胎内音を恋しがって、胎児時の記憶をテープやMDのように再生していたということかも知れないが…

2月17日(木) 不思議な電車音

ウォークマンのシャカシャカ音、ケータイの呼び出し音や話し声、各駅の発車合図音、電車内での車掌のアナウンス…そのどれよりも、電車の走行音は大きいし、絶え間ない  それなのに、「電車の音が大きい!」と車内で腹を立てる人はいない  何故だ (^^?)


たぶんだが、走行を続けるにつれ、走行音は各人の人体にとって異物ではなくなってくるのだ  音も振動も身体全体で受け止めざるを得ず、身体全体でなじんでいく  本当はきわめて危険な音であり振動なのだが、動物のもつ危機回避術のひとつなのだろう  カメレオンみたいに、自分を電車化するのだ  元祖電車男電車女である^^;


そのほかの車内でのさまざまな音は、耳という特定の感覚器官だけを、しかも唯一ふたのできない感覚器官だけを、ちょびちょび刺激する  出現の仕方が不規則で、刺激したりしなくなったりする  音側のその身勝手さに、私たちは苛立つのだろう  自分をシャカシャカ化、ケータイ化することができない苛立ちである

2月7日(月) 3000円の音楽会

以前、掲示板で「この頃はプロの演奏会に行かなくなった云々」と書いたが、少し補足
行かないと決めているわけではなく、料金と時間の問題なのだ  3000円程度までなら行こうと思う  でも仕事の時間帯が夕方から夜であるため、全然行かれないのである


で、何故3000円かというと、「ちょいと1、2時間の飲み食い」が、高くてもそのくらい止まりだから(笑)  耳であれ胃袋であれ、消えていくモノにそれ以上は出せません


私が最後に聴いたプロ演奏家は、初来日の時のチェリビダッケ  録音を嫌い、レコード(当時)音源は殆ど存在せず、幻の名指揮者と言われていた  いざ実演を聴いてみて、いささかがっかりした  多くの人がそうではなかったろうか
その演奏はとても普通であった^^;  そうならそうと始めから言ってくれればそのつもりで聴けたものを、音楽ジャーナリズムが過剰な期待をさせたのだ  残念!
それ以来、あまり多くを期待しないで済む3000円以下若しくは無料の演奏会が好みです

1月29日(土) 不殺を誇るべからず

アウシュビッツ収容所解放60周年とのことで、ここ数日ニュース等でその建物を見聞きする  私にも、あながち無関係なことではないので、ちょっと書いておきたい


第2次大戦中に設けられたナチスの各収容所の凄まじい姿を私が知ったのは、「夜と霧(フランクル著)」という本からである  大学3年の時だったか、たまたま同級生の引越しの手伝いをしていて、その本に出会った  新居に並べられた書棚を眺めていて、「何だコレ?」と手に取ったのが私の人生の転回点になった  まさに、出会ったというにふさわしい偶然と必然の綾


私もまたナチスと同じことをするかも知れないということ  逆に、もしかしたら、より弱い人の代わりに、先に死ぬことを選ぶかも知れないということ  いえいえ、誰かを身代わりに立てて、自分はうまいこと生き延びようとするかも知れないということ  時・機会・立場・成り行きで、そのどれもが私にはあり得るのだ
それに思い至ってからというもの、ずいぶん謙虚になりました^^;

1月26日(木) モーゼスおばあさん

昨日モーゼスおばあさんに会いに行った  渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムでの絵画展  出かけるときは雪が降っていて、冬の好きなおばあさんにふさわしかった
モーゼスおばあさんは、70歳を過ぎてから初めて絵筆をとったアメリカの素人絵描き  その絵の柔らかさは、画面一杯に広がる丘や牧場の、うねうねとした不規則さから来るのだと、今回改めて知った


帰宅して、おばあさんの絵の切抜きを探した  かなり以前、切抜いて保存した記憶があって、切抜き帳数冊をすべて探したが、なかった  保存したと思い込んでいただけかと、がっかりしたら、夜になって、仕事で使う重要過去ファイルフォルダの中にあるのが見つかった  そうだ、モーゼスおばあさんの絵を、塾のお守りにしよう^^;と、ここにはさんだのを思い出した


その切抜きに、こんな言葉があった  「彼女の絵と生涯は、国の根源が田舎に、辺境にあることを思い出させてくれた」…モーゼスが亡くなったときの、ケネディ大統領の言葉である

1月21日(金) テレビの手法

NHKがらみの話が続いたので、この際もうひとつ  スポーツニュースの取り扱いについて
冒頭画面で主な話題を数秒見せておきながら、その結果(要点の速報)に触れないことが多くなったのはいつ頃からだろう  それを見たい、でも忙しくてその時間まで待っていられない、ということがよくあるのだ


新聞は「大→中→小の見出し」「簡略記事→詳細記事」などの形を工夫して、忙しい人に便宜を図っている  短時間つまみ読みでもどちらが勝ったかの要点ぐらいは掬い取れるように、新聞各紙はしのぎを削っているのだ
同じマスコミでも、TVは忙しい人に対して無策である  スポーツニュース冒頭画面での要点速報は、TVならではのやり方がいくらでもあろうはずなのに…

1月20日(木) 再放送で一件落着

どうも子供のけんかだ
「言ったろ〜っ」「言ってないモン!」  ドキュメンタリー番組を巡る朝日新聞とNHKの応酬
番組再編成の経緯・手順からは、権力の突き押しがあったと見なすのが自然であろう


ただ、2人の政治家は番組への口出しを否定しているし、NHK自身も調査結果を「シロ」と公言しているのだから、国民はそれを、条件付きで丸呑みにしていいと思う
条件とは、当該ドキュメンタリーを本来の姿で再放送すること  完全無修正ノーカット (^^;  これに勝る解決策はない


圧力などかけ(てはい)ないと、政治家は言ってるのだ  圧力など受け(てはい)ないと、NHKは言っているのだ  あるべき姿で堂々と再放送できる絶好のチャンスだよ

1月16日(日) 2人の地味アナ

ようやく「所を得た」、2人のNHKアナウンサーについて、少し述べたい
1人は、最近「ラジオ深夜便」でブレイクしている須磨佳津江である  フリーになって長いようだが、あのひょうきんな目が災いしてTVではいまひとつ信頼性に欠ける憾があった
しかし深夜便での丁寧かつ落ち着いた語りは絶品である  おじさんが言うんだから間違いない d(。・-・。)  いや、若者たちが既にネット上で絶賛しているよ


もう1人は青木裕子という、もっと目立たない地味なアナウンサー
この人を初めて見たのは、初期の「関東甲信越小さな旅(現・小さな旅)」であった  何ということもなく、実にチマチマした印象を受けた  どういう訳だかずっと忘れることがなかった
その後、日曜夜の「ラジオ文芸館」で花開いたと言っていいだろう  この人の構成と語りによる「銀河鉄道の夜」は、数ある「銀鉄もの」の中でもとりわけ滋味に富む  再放送が少なくとも1回あり、同じもののCDが特別に制作されたほどである

1月14日(金) 新銀河鉄道の夜

自動改札で私の前の若者が怒鳴り、機械を蹴っ飛ばしていた  無理もない  前の人がミスをしたためにしばらく機械が作動せず、人の流れも気分の流れも停滞したからである
しかしその若者が蹴っ飛ばすとフタが開いたからおもしろかった(^_^;)\(・。・。) ォィォィ


何百何千という人波の中だから怒鳴ったり蹴っ飛ばしたりできるのだろう  駅構内にいるのが前の人・若者・私の3人だけだったら、その若者はおのずと穏やかに対処したに違いない
たった3人  もしもそれが人類最後の3人で、もうほかに誰もいなくて(スミマセン^^;何かの都合で改札を通らなければならない3人だったら…若者はいちばん静かで寡黙であろう


仮に「新銀河鉄道の夜」が書かれたら、こんな風に怒鳴ったり蹴ったりする若者も、怒鳴ったり蹴ったりする死者として美しく描かれることになるのだ

1月7日(金) おこげ丸

再び石垣りん
家計を助ける  ただそれだけのことから押し寄せるさまざまを、生涯歌い続けた稀有の詩人
世界の中心から最も遠い所を棲み家と決め、鍋の底のおこげを掻き出しているような詩人


その人物を知っているわけではないが、恐らく声を荒げることは決してなかったであろう
声を荒げるとき人は既に倣岸にシフトしているものだ  大きな声でものを言うのは、この詩人に最も似つかわしくない  台所や、便所や、布団の上や、その他もろもろ家の中で黙ってメモを走らせている姿が美しい


彼女がなくなったのは昨年12月26日午前5時35分  その4時間半後、世界の中心から最も遠い地域の無名の人々が、15万の鍋釜もろとも海に投げ出された

1月6日(木) 顔丸詩人

インド洋大津波で15万人もの犠牲者が出たが、私はたった1人の死さえも上手に書けないでいる
石垣りん  昨年暮れ、都内の病院でなくなった


彼女の詩を読み返したら、「黒田(三郎・詩人)さんの言うことはいつも正しい、その黒田さんが、おりんちゃんは下り坂だねと言うのだから、自分は実際にそうなのだろう」というのがあった  むやみに高ぶらないところが石垣りんらしいと、ちょっと嬉しくなった


ただしその根っこは、家・家庭・夫婦・結婚といったことに対する疑いであったように感じる
若き日の詩に、父や義母との同居を「いやだ、いやだ、この家はいやだ」と、少女のように激しく叩きつけるものがある  後年の穏やかさから入った者はちょっとびっくりするのだ


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