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8月31日(水) 合掌の家
玄関扉の真上に雀一家が巣を作るのも、もう7、8年来のことだ ありふれた雀といえども、よく見ればかわいいものである わざわざ我が家を選んでくれるのだから、アッシジの聖者を真似て私も彼らの姿や声を楽しみ、時々は「オイ、コラ」などと説教しておった ところが、去年起きた異変が今年も起こった
成長したひなが、巣から出られないまま死んでしまうのだ 巣は、電気のメーターボックスの中にあって、おととしまでは親もひなもいつの間にか巣立っていた 今年は、首を出して息絶えているひなを見つけた この恰好で、何とか出ようと必死にもがいていたのか…
首を掴んで出してやろうとしたが、ひなの身体が何かに引っ掛かって殆ど動かない これではひなが自力で出るのは無理だったろう メーターボックス自体を開けていいものかどうかわからず、電力会社に連絡したらすぐ来てくれた 身体が大きくなっても大抵は出られるが、たまたまコードなどに引っ掛かってしまったのだろうとの話であった 2年続けて合掌の家(--、)
8月30日(火) 余録の愉しみ
古い録音・録画テープを視聴していて、前後や合間に偶然挿入されたCMやニュース断片が、本編よりもおもしろくて釘付けになることが少なくない
そういう経験をするたびに、機材調わざることもまた愉しからずや…と、つくづく思う
自在に切り貼りして余計な部分をカットする、音や映像の編集機材を持っていないから、録ったらそのままの状態で、十年二十年と保存されることになる 長い間に熟成発酵^^;して、やがて人知の及ばぬ絶妙の味わいを醸し出すわけである もしも自分の意図するように編集できて、不要(と思われる)部分をカットしていたら、愉しみは半減だろう
大事だと思っていることの周辺部分、やり過ごしている部分、できればカットしたい部分に、時が経てば大きな味わいが出てくるものがある ウーム(*・゛・) これは、毎日の過し方へのヒントになりそうだ… 自分の意思の届かぬところに、届かぬからこそ残るものがある…
8月23日(火) わからない言葉3
小学生の頃、好きな女の子がいて、そういう子を何と言うのかわからない 散々考えた挙げ句、「愛人」という言葉を造語した(爆) しばらく使ってた(爆c爆)
「愛」は知っていても「恋」は知らず、仮に「恋人」と書いてあったら「へんじん」と読んだであろうほどの、バラバラな知識
「愛人」が既にある言葉で、しかもコドモ界の人には縁のない言葉であることは、後で知った それ以来私は、「愛」という言葉を封印したのである この言葉は危険だ、うかつに使ってはならないと、子供ながらに感じた
さらに宗教や哲学の本を読むようになると、「愛」そのものの定義に人類が二千年以上悩み続け、それを巡って死闘すらあったことがわかり、極めて厳しい言葉なのだと、封印のひもをますますきつく締め直すこととなった
もう封印を解いてもいい頃かと思うが、ひもの解き方がわからなくなっている〜(/・o・。)/
8月22日(月) わからない言葉2
「愛」という言葉は、生活言語としては成り立ちにくい それなのに、「愛」に対する感覚(センス)が広く共有されているかのごとく、おとな界では普通に用いられている 「お母さん、お子さんをうんと愛してあげて下さい」のように どうしろと言ってるのだ…
せめて、「うんとかわいがる、うんとなでてあげる」と言ってほしいものだ
「愛」は言葉の意味するところが広過ぎて、聞く側はそれをTPOに合わせて^^;翻訳しなくてはならない 「愛」「愛す(る)」は、個別の生活現場における心の様を示すものとしては、どうしても馴染まず、使いにくいのだ
もしかしたら江戸期以前の日本では、「愛」とか「愛す」1語で使われる用例は、生活上でも文芸でもそれほど多くはなかったのではないか 日本人には、愛着、相愛、郷土愛のような熟語や、愛くるしい、愛らしいなどの複合語の方がわかりいい 少なくとも私はそうだ(^_^)゛
8月21日(日) わからない言葉
(1)かわいがりいつくしむこと(ふむ、これは慈悲とか慈愛だな) (2)恋(えっ、ホント?!) (3)価値を認めて大切に思うこと(ウーム、敬愛、愛惜か)
これらは、手元の辞典で「愛」の項目にある説明だ
「愛」という言葉には、よくわからないままでも付き合いを強いる世俗パワーがある 最近は子供でも普通に使う言葉だが、私は語の意味がどうしても身にならず、使わないことにしている 当サイトは言葉中心であるにも拘わらず、「愛」が単独で使われている場所はない(はずだ^^;
(2)恋と同義なのは特に不可解である 恋は恋でしょうo(〃^▽^〃)o♪ 連動する心性かも知れないが、少なくとも同義ではあるまい
(1)かわいがりいつくしむことを「愛」というのか… 慈悲の方がいいな 私にはストンとくる
8月20日(土) MP3を手直し中
ここ数日、自作曲のMP3を作り直している 2005年に作ったものは、一応すべて直してアップした これまでは、音が正面から出てくるだけのモノラルだった 音の広がらせ方が少し呑み込めたので、順次改良している
それをステレオと言っていいかどうか、わからない 例えば、右でチェロが鳴り、左でフルートが鳴るということではないからだ 左右同じ音が鳴っているけれど、わずかに時間のズレを生じさせているので、立体感が得られるという仕組みらしい
考えてみれば、実際の演奏会でも楽器の音が左右別々に聴こえてくることはない それでも厳密に測定すれば、位置による音のズレはあるはずだ ステレオの本義は「左右から聴こえること」ではなく、「音のわずかなズレを、耳を通して脳が再構成すること」かも知れない
やっと音の広がりをつけられるようになったので、そんな理屈を思いついた(^。^;;
8月19日(金) 凍りついた出来事
(1)冷蔵庫の冷凍室内にある引き出しが開かなくなった
そこにあるアイスクリームが取り出せないので焦った;-ロ-)!! 何かを買うと付いてくる保冷剤を、やわやわのまま製氷室に入れたら、それが凍って引っ掛かったらしい
(2)日航ウェイズ機で部品破損事故が起こった 機体整備の海外委託が問題であるかのように言われているが、その国から飛んでくる飛行機に特に多く破損事故があるという統計でもあるのか 単に、日航(ウェイズ)内部の品質管理と連係・士気の問題である
冷蔵庫問題は、電器屋さんも「長いことやってるけど、こういう事故は初めてだ」と言いながら、わずかな隙間からへアドライアーの熱風を送り、保冷剤を柔らかくして解決した
日航の問題(日航に限らないけれど)は、いまどき海外委託でレベルが下がるなんてまずあり得ない 現状認識が遅れている 近年、アジア諸国の技術力レベルアップは凄いのだよ!
8月5日(金) 広島のいしぶみ
いちどきに十万前後の人が死に、何十万もの無念が渦巻いた土地 それが広島だ 18歳の私は、学生として広島の地にお世話になる以上、仁義を切らねばと感じていた 任侠の徒が門口で仁義を切るように… そうしないと、この地での暮らしが半端なものになる気がした
平和公園の「過ちは繰返しませぬから」の石碑 その場所に初めて立った時、「過ち」とはっきり書いてあることに好感を抱いたが、同時に、たしかにかすかな違和感を覚えた記憶がある
ただ、それが論争を呼んだ碑文であること─主語が誰(何)であるか、過ちとは何かなど、その文言に拘泥する人々が少なからずいること─は、ずっと後になって知った
今なら私もはっきり言える 「省略されてる所を糾(ただ)したりこだわったりするのは、何もかも明快に書けば納得されると思い込むのと同じくらい、意味のないことである」と
ひとりひとりの死を見つめれば、主義や理屈はかなりむなしい
7月29日(金) にこにこ演奏会
先日、ドイツ・ユンゲ管弦楽団の演奏会へ行く機会を得た といっても私には初耳の演奏団体である 名指揮者アルブレヒトの指揮なのに入場料3000円! 私なりの上限^^; に合っていたので、会場まで1時間半の行程をものともせず、友人と出かけた
ステージに近い席で、ドイツのユンゲ(若者)の顔がよく見えた 全員ほぼ十代 第1バイオリンの最後列でひとつの楽譜を見てる2人の子は、どちらも美少女といってよかった
その2人が、音楽の佳境に入るたびに、演奏しながら顔を見合わせてにこにこ笑うのである
「アタシの方がうまいでしょ」と言ってる気がしたが、友人の見解は「うまくいったわね」であった
ほかにも、にこにこしながら弾いているユンゲが結構いた 第2ハープの子は、ボッチチェリーの絵から抜け出たような美少女だったが、出番が少なくてよそ見ばかりしていた(^0^)
いちばんよそ見をしてたのは私であった(爆)
7月25日(月) 女王の教室
ドラマ「女王の教室」の阿久津先生は数々の問題発言を迷いなく言う あの中のひとつぐらいは言う人も多いだろう 私たちがうすうす思っていたり見て見ぬふりをしている今の教育の矛盾点を、阿久津先生は過激に!まとめて!次々に!衝いてくる
教育ドラマには珍しく、阿久津先生ひとりが大悪役になるというわかりやすさ まるで阿久津先生さえいなければクラスは矛盾対立なく平穏なのにとまで思わせる仕掛けである もちろんそんなことはない 教育問題をひとりの人間やひとつの原因に帰(き)してしまうなら、それこそが全体主義の考え方に近いものだ
ただ…第4話(23日)は突然つまらなくなった^^; 何だか、「いじめ」をテーマにしたありきたりのドラマになってしまった憾がある 阿久津先生という、およそあり得ない人物を登場させたからには、それに見合ったスケールの大きい話を期待していたのだが…
7月20日(水) 存在と治癒
海外旅行のガイドブックなどで、写真からとても懐かしい感じを受けることがある その多くは南国なのだが、そこへ行ったわけではないし、昔の日本に風情が似ているわけでもない 懐かしい感じといっても、見たことがある感じ(既視感)とはちょっと違う…
南の島の市場などで人が行きかっている写真が、とくに懐かしい感じを抱かせる
きっと、私はそこで生きたかったのだ(^^; そこで生まれ育っていれば、世界の見方が今とは全く違うだろうし、柔らかくて広々とした心が自然に身についたに違いない…それは幻想で、生きやすく思えるその地にも、その地ならではの苦界があるとわかってはいるが…
単なる現実逃避だ そう自分を戒めてきたが、最近はそうでもない気がしている パプアニューギニアに、もうひとり自分がいてほしいのだ(^0^) いや、本当にいるのではないだろうか そう思うと、何だか救われるものがある 決して出会うことのない、ひとりのふたりだ
7月15日(金) 石綿吹き付け
私はいわゆる「物持ちのいい」方の人間である 34年前のプラスチック製卓上食器入れを、今でも家庭医薬品入れに使っている(爆) 24年前の百円シャープペンシルは現役だし(爆)、23年前の腕時計は今でも堂々と時を刻んでいる(爆)
しかし古い物に執着し、壊れるまで使うというのも考え物だと、最近つくづく思う 27年前に買って今でも立派な現役であるドライヤーに、アスベスト(石綿)が使われているかも知れないのだ 念のために虫眼鏡で調べてみたら、なるほど断熱材の辺りがモコモコしてる^^;
これが本当にアスベストを含んだ断熱材なら、コイツを27年間、頭に吹き付けてきたのか(爆) 笑い事ではないが、笑うしかあるまい
石綿なんて、昭和30年代の小学校の理科で、「石綿金網」として毎度使ってたぞ 綿あめごっことか言って、舐めちゃったかも知れん…ヽ(。・o・ヽ)
7月8日(金) 反省の反対なのだ
学校の先生が指導にいちばん苦労するのは、もしかしたら作文ではないだろうか 作文指導は、大変な時間とエネルギー、根気を要するからだ おそらく、少数のきわめて優れた先生にしか対応できない 大多数のごく普通の先生が、ごく普通に教えられないようなことは、やめた方がいい 作文教育なんか、ない方がいいと思う
文章を書くのは大切な勉強である それをなくせと言うのではない 原稿用紙を埋めさせる「課題作文」「感想文」「反省文」と呼ばれる作文が、有害かつ無用の長物なのだ
とくに「反省文」は、書くほどに腕が上がる^^; 反省してる自分になりすます術(すべ)を教えてるようなものだ
受験対策として練習する「文章術」の方が、むしろ正直だ ある程度のなりすましであることを、本人も教える側も、試験官すらも承知しているのだから 合格したい一心で、読ませる文章を書く 最初からこれ(単なる文章術)でいけばいいのではなかろうか
7月6日(水) 汗顔の至り恥の上塗り
アンダン亭6月7日(火)記事はたいへんな知識不足であった 勤労の義務のみが憲法に明記されていると思い込んでいたが、勤労の権利が義務よりも先に明記されていることに、今日たまたま気づいた 人生におけるミスとズレには慣れてはいるが、ムチも加わったか^^;
まがりなりにも仕事があること、仕事ができる身体であることに、感謝と喜びをまず感じるべきなのに、そしてそういう時期もたしかにあったのに、何ということだ マンネリ気分に陥っているとしか思えない なぜなら仕事柄、憲法には時々目を通すのだ…
マンネリとは、同じことの繰り返しを意味するものではない マンネリとはまず第1に、自分に対して気持ちが動かなくなることを意味するのだ 次いで仕事がうまく回転しない理由を、自分の外にあるものに見つけ始める 自戒しよう… マンネリになるほど生きてはいない!
7月1日(金) 家電量販店問題
先日、修理品を抱えて家電のコジマに行った 前夜の予報では「明日は雲が広がるため、気温は28度ぐらいでしょう、ニコニコ」だったが、予想通り外れて、なんと「36度」であった 雲はたしかに広がっていたので、蒸し風呂状態であったよニコニコ!
コジマでは、壊れた状態を説明しようと努めた しかし店内に流れる音楽があまりにうるさくて、対応してくれた店員の言葉もよく聞き取れない始末 こちらの説明も大雑把にならざるを得なかった 家電量販店の店内がやたらにうるさいことは、ヤマダもサトーも同じだし、今に始まったことではないから、きっと店側に何かメリットがあるに違いない
でも、例えば「静音設計」の家電品の音が、聞こうにも聞けない それに、「環境にやさしい」エコ・マーク品と、「中高齢者にはきつい」騒音は同居できるのか
また、店頭店内に流れるのがCD再生音楽なら、著作権料の問題が生じる 秋葉原や新宿などを歩くと、その量はJASRACの締め付けに遭っている音楽喫茶の比ではないのだが…。
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