ことばの遊園地〜詩、MIDI、言葉遊び
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2月26日(日) サクラサクシズカ

それでも地球は回る、とつぶやいたのはガリレオ  たしかに荒川静香選手、よく回ってた^^  大輪の花を咲かせるという言葉は、今回の荒川選手にこそふさわしい  しかし…、私はつぶやきたいのだ  浅田が出ていなかったぞ、と  荒川選手が2連敗中の浅田真央選手である


浅田選手が出場しないことで、トリノのフィギュアが格落ちしたことは事実  それに追い打ちをかけるように、五輪直前になってアメリカのミシェル・クワン選手の欠場が決まり、この時点で私のトリノは終わった(爆)  クワンはもうメダルを取れないだろうけれど、あの格調高いしとやかな滑りを、せめてもう1度見たいと思い続けてきた  そう思うのは私だけではないだろう


それにしても、曲折を経たのちの金メダルには値打ちがある  天才と言われた荒川選手だが、大学入学以降その名を聞くことはあまりなくなった  身が入らないとかスランプだとか、何かで読んだ記憶がある  長い長い低迷、このまま消えるのかとの印象があったから、2年前の世界選手権優勝は、今回の金メダルよりもびっくりした  知らなかった、粘ってたんだなあ、と^^

2月25日(土) 30代の変

少し前から気になり始めたこと  今本当にアブナイのは若者たちではなく、30歳から36、7歳ぐらいの人々ではないか  自ら墓穴をホリエモンは言うに及ばず、メール問題を取り上げた国会議員、インサイダー取引の日本経済新聞社員、どの人も皆その歳だ


3つ目の、日本経済新聞社員によるインサイダー取引事件は、本来昨日(24日)の大ニュースなのに、「荒川金メダル」のお蔭で扱いが小さくなってしまった  そして同じ日鹿児島空港で、30歳代の人の身勝手な行動で飛行機出発が1時間遅れる事件も起きた  離陸時だからという乗務員の注意にもかかわらず、ずっと携帯メールを打ち続けていたということだ


どれもそれぞれに事情や原因は違うだろうが、上記の各人に共通しているのは、「何となく、事態を軽くみている」という土壌があるように思えることだ  メール問題の議員だけは、隠れ潜む巨悪を追及したかったあまりの勇み足ではあったろうが、軽くみていることには変わりない  あの程度のメールが、「動かぬ」証拠として成立すると、本気で考えていたのだろうか

2月14日(火) 若者たち

小学生に株取り引きをさせるのは、たとえ模擬であってもよくない──電車で隣にすわった学生らしい数人が、そんな話を交わしていた  車内でしばしば遭遇する、場違いに声高な言い合い──オレのアタシの話を聞けタイプ──ではなく、その場の若者誰もが車内にふさわしい声で意見のやり取りをしていた  それで私も隣で傍聴していた…というより謹んで拝聴していた


働くということがどういうことかを知る前の段階で、儲けた損したという目で見る株の手法を身につけさせるのはよくない  その若者たちは、そういう考えで一致していたようだ  株価予想が的中し大儲けでもしたら、将来いったいどんな仕事に満足できるのか  どうしてもやらせるのなら、「株で成功する体験」ではなく「株で失敗する体験」の方がずっといい、とも話していた


もっと聞いていたかったが、若者たちは途中駅で降りていった  以上は数日前のこと  若者が電車の中で<時事問題を><静かに>議論している姿など、一生に一度お目にかかるかどうかだ  大変ありがたく、その日はそのあとずっと気分が爽やかだった  そうしたら今日の新聞で齋藤孝・明大教授が「若者浴」なる健康法を書いているではないか  なるほどと思った

2月8日(水) いかがな食パンか

食パン売場で特売100円食パンをカゴに入れようとしたら、「89円」というのが目に飛び込んできた  Pasco食パンが89円  6枚8枚切り食パンが並んでるど真ん中に、そのプレートはたしかにある  間違いなく、これは89円だ  スーパーの値段プレートが、少しずれた場所の品物を指していることはしばしば、わざとみたいにあり、過去に何度も煮え湯を飲まされた^^;


しかし今ここにあるこの89円プレートは、どう見てもPasco6枚8枚切り食パンを指しているとしか思えない  思えないだけである…  Suicaの所にも書いたが(1/17)、小さな字は見ない主義なので、大雑把な判断でコトを進めていくと、結局今日のようなことになる


スーパーで普通の食パンが89円というのはいかにも安過ぎると、一抹の不安を抱えながらレシートを見ると、案の定「ショクパン 157」と印字してあった(爆)  わかってます、私が悪いんです  よく見えないなら人に聞けばよかっただけ  たぶん3枚入りが89円だったんだろう
庶民というものは^^;、わずか68円の差で小さくはないショックを受けるものである

2月6日(月) ヘンデル

スポーツ大会などの優勝杯授与の時に流れる音楽、あるいは「ハーレルヤッ、ハーレルヤッ、ハレルッヤ、ハレルッヤ」で知られるオラトリオのような壮大な音楽、そしてイギリス王室のために書かれた華やかな音楽  ヘンデルの曲でよく知られているのは、どちらかと言うと派手なものが多い  そしてそれらが、作曲家ヘンデルの成熟した作品であることはたしかだろう


しかしヘンデルの真骨頂は、穏やかに淡々と曲が進む独特の雰囲気にあるのだ  聴く者を圧倒する類いの音楽は、彼にとっては余録のようなものではないかという気がする
淡々と進む静かな雰囲気…  それは初期から中期のカンタータや歌劇に多く見られる  図書館で借りた数種のCDだけを頼りに判断しているので、見当違いの可能性は否めないけれど


ヘンデルの良さを何と表現したらいいかわからず、今ネットであちこち探していたら、「簡素」「清潔」と評してあった  Oh!これだったよ  初めて「ヘンデルっていいなあ」とわかったときに、自分もこの言葉を思い浮かべた記憶がある  そう、小難しくないのだ、ヘンデルは  「何事もなく明るく澄んでいる」と言ったらいいか…

2月5日(日) メンデルスゾーン

たまたまつけたFMラジオから流れるその演奏に、耳をそばだてた  メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」の、第2楽章  「これは誰の指揮だ…」そう思ったが、新聞に指揮者までは書いてないし、当時はネットも普及しておらず、最後まで聴いて演奏者のアナウンスを待つしかなかった  千秋真一ではなく(笑)、リッカルド・シャイー若き日の録音とのことだった


メンデルスゾーンの作風は端正過ぎて破綻がなく、ちょっと物足りない…  シャイーの素晴らしい演奏を聴くまでは、そう思っていた  物足りないと思う人は少なくないようで、バイオリン協奏曲すら最近はあまり演奏されなくなっているようだ  若くして亡くなりはしたが、金銭に不自由ない上に健全な人生を送った人で、そういう安定感が現代と合わないのかも知れない


しかし、時代遅れの作曲家として忘れられていたバッハのマタイ受難曲を、復活演奏して定着させたのはメンデルスゾーンである  また、畏友シューマンが発見したシューベルトの交響曲第8番(ハ長調)の楽譜をもとに、作曲者本人がついに聴くことのなかったこの名曲を初演し、交響曲作家としてのシューベルトの地位を高めたのもメンデルスゾーンなのである

1月24日(火) シューマン

ドイツ人シューマンと岩手県人宮沢賢治が、心性や境涯に多くの類似点をもつのは不思議だ
・創作を支えた女性の存在(妻クララ、妹トシ)  ・固有名をつけた架空世界をもつ(ダヴィッド同盟、イーハトーヴ)  ・人生最初の目標で挫折(ピアニスト、宗教家)  ・気が多い^^;(作曲家兼雑誌主宰者兼指揮者兼愛妻家、教師兼文学者兼農業指導者兼法華経伝道者)


・小品や小品集に名作が多い  ・大作は苦手と批判され続けたが、近年は大作の評価も高い  ・駄作も多いが、駄作にすら意味がある、そういう駄作を書いた  ・他人の才能を発掘する力をもつ  ・親の仕事の影響が大きい(出版業、質屋)  ・子どもが好きで、子どもが楽しめる作品が多い  ・作品の語り口は地味で、とつとつとした所があり、筆運びは一見不器用


・シューマンは文学の造詣が深く、文学にヒントを得た音楽が少なくない  一方、賢治は音楽への関心が高く、作品に音楽の要素を見出すことは容易である  2人は文学と音楽の境界を越えて感情の行き来ができる、そういう作品を残した  ・頑張り過ぎて、無念の死を迎えた
最後に→ ・その作品世界に1度はまったら、欠点も美点と化し、礼賛者になるのだ(^0^)

1月21日(土) シューベルト

クラシック音楽の世界で「高名だけれど不運な作曲家」といえば、筆頭はハイドンだろう  いい曲を沢山書いたのに、モーツアルトとベートーベンの全時代を生きたため、張り出し横綱の扱いである^^;  大相撲柏鵬時代の佐田の山、プロ野球長嶋・王全盛期の野村に似ている


一方、日本における紹介のされ方で「不運な作曲家」になってしまった人もいる  シューベルトである  教科書などには必ずといっていいほど「歌曲の王」と書いてあるし、試験問題にも「歌曲の王と呼ばれた人は?」などと出るわけだから、「歌曲王シューベルト」と覚えないわけにはいかないのだ  たしかに歌曲の王には違いない


しかしシューベルトは、交響曲を8つも書き、弦楽四重奏曲を15も書き、ピアノソナタを21も書いた「器楽の大作曲家」でもある   シューベルトはベートーベンの死の翌年に亡くなったが、「ベートーベンの墓の隣に埋葬してほしい」と言ったほど、自分の音楽スタイルに自信をもっていた人なのだ  恐ろしいほどの自信だ  例えば、ジョン・レノンの隣にって言えますか?^^;

1月17日(火) in→

とある駅でSuicaの機械を故障させた  私がだ(爆)、いや爆ではない、謝りますm(。._.)m  Suicaに入金しようとして、判断を誤り逆向きに挿入してしまったのだ  後ろに並んでた数人に相済まぬ旨伝えて散って頂いた  「判断を誤り」と書いたが、入金の際「こっちを前向きにして入れるんだったっけ…な」と、いつもそういう風に判断しながら挿入している


理由は、「in→」という表示が小さ過ぎてよく見えないからだ  Suicaの場合は持つ側に大きなギザギザがあるから、慣れれば大丈夫なのだが、ちょうど明日慣れるところであった^^;
Suicaだけではない  先日録音に使った音楽用MDも、「in→」の表示が無闇に小さくて、眼鏡を替えて確かめなければならなかった


大切な情報なのに表示が小さくなる傾向──そういう現象に最初に気がついたのは、もうひと昔前、たまたまJR新宿駅に降り立ったときである  ホーム階段の昇降口などに上からぶら下がっている案内板の文字が一新され、とても小さくて読みにくくなっていた
利用する者の立場に立てば、表示を小さくするなどという発想は出てこないと思うのだが…

1月10日(火) 野洲高校のサッカー

「あれ?!…」と思った  昨日のことである  たまたまつけたTVで高校サッカー決勝を放送していたのだが、なんと「このサッカー、おもしろい」と感じたのだ  サッカーには全く興味が持てず、Jリーグはまともに見たことがない  せいぜいボールを競り合って取る場面1、2分を見て、すぐチャンネルを回すのが常だった


ところが昨日の決勝戦は違った  何だか、おもしろい  愉快なくらいにボールで遊んでる感じがしたのだ  それが野洲(やす)高校の選手だった  興味がないほどだから何がどう違うのか、もちろんわからない  しかし、これまでの高校サッカーやJリーグとは明らかに印象が違っていた  途中でTVを消すのが残念無念だった(塾の子がやって来る時間が迫っていた^^;


そうしたら夜になって、たまたまつけた千葉のCATVで録画放送をやっていて(^0^)、決勝点は素晴らしく美しいロングパスから始まったことを知った
なんと野洲の監督は、高校生に向かって「お客さんが見ておもしろいと思うサッカーをやれ」と言い続けてきたそうだ  本当におもしろかった  サッカーへの興味の扉が開けた気がするよ

1月9日(月) 博士の愛した数式3

映画化された「博士の…」はまだ見ていないが、小説と比べていちばん異なるのは、たぶん義姉の存在感ではないかと想像する  小説では、義姉は影のような存在から次第に存在感を高めていく経過を辿る  一方、映画ではたしか浅丘ルリ子が演じており、初めからインパクトが強いに違いない


ところで、この小説の最大の妙味は、博士と義姉との関係ではなく、eπi+1=0 なる数式が博士と義姉とにもつ意味でもない  いや、本当はそこを想像させたい小説なのかも知れないが…  私が妙味と思うのは、子供に注ぐ博士の情愛の深さである  登場する子供は「ルート」しかいないから、情愛の対象はルートだけだが、ほかに子供が出てくれば同じように接したに違いない


子供に対する博士の情愛は「無条件」である  博士にとって子供は、まず「何をおいても守るべき存在」であり、「ほめながら方向をつけてあげる存在」であり、過ちをも「選択できる道のひとつであった」と「勇気づけ道筋をつけてあげるべき存在」なのだ  つまり、何ひとつ否定しない  子供の人生では、たとえ0を掛けて一切が0になっても、そこに1を足せばいいのである

1月8日(日) 博士の愛した数式2

80分間しか記憶が保てないという設定は、大変に微妙なさじ加減だろう  60分では短か過ぎ、120分ではたいていの日常事が完了してしまう  この80分設定について、小説の進行の中で整合性が疑われる場面もなくはないが、細かい理屈で辻褄合わせをしないままなのは、かえってよかった  この小説にとって大事な整合性は、数式だけなのだ


数式や素数が頻繁に登場する  それについて述べる博士の言は、そういった内容が殆ど理解できない語り手である「私」や、同じく理解できない読者である私が心打たれるほどに、一途な思いに溢れている  語り手の「私」は、それが現世とやりとりする際に博士が交換できる唯一の名刺なのだと早くに悟るのだ  大投手江夏でさえも、博士は数で語っている


この小説のいちばんの見所は、江夏を巡る博士と「私」、「私」の息子(愛称ルート)の三者三様の熱いエピソードだろう  有名なノンフィクション「江夏の21球」など、現役時代すでに多く語られてきた江夏も、不祥事以後は球界人としてまともに語られることは殆どなかったのではないか  この小説で、江夏は完全復帰を果たしたといえるかも知れない

1月5日(木) 博士の愛した数式

これほど内容が予期できない小説も珍しい  単行本発売時に文庫本化を願い待ち望んでいたほど、この小説が気になっており、期待もしていた  その上、「第1回」本屋大賞を受けたとあって、更に期待は膨らんだ  「第1回」本屋大賞は、最初しか受けられない栄誉である(笑)
正月三が日で、「博士の愛した数式(小川洋子・作)」読了^^



この小説のいちばんの美点は、作中の誰もが、誰に対しても、また何に対しても、悪口を言わないことであろう  不平不満をこぼす場面は結構あるが、人でも物でも、悪く言ったり悪意をもって接したりということは、全くない  これひとつだけでも、架空のおとぎ話としての「博士の…」を読んだ値打ちはあろうというものだ


職業意識の強さということも、特筆できる美点だ  語り手である「私」は、家政婦として偶然接するだけなのに、本来の字義通りに「家政」を全うしていく  必要にして十分に、全うしていく
これはまた、老人介護の物語でもある  取り繕いようのない、どうしようもない場面も少なくないのだが、「私」の職業意識の強さが全編を清潔で清冽な感じに仕上げている


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