ことばの遊園地〜詩、MIDI、言葉遊び
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8月30日(水) 青空の方法

「青空の方法」(宮沢章夫・朝日文庫刊)は大変おもしろい  夜遅く、笑いを抑え切れずに苦しんだ挙げ句ゲッヘッヘ、ムッヘッヘと奇笑を止められなくなった  満員の通勤電車だったら大変である  人込みの中から何処からともなく忍び笑いが…  次の駅で引きずり降ろされるのがオチだ  「青空の方法」は新聞連載コラム集なので、ひとつの文章は短くて読みやすい


例えば「人生いろいろである」というフレーズに関する章  大上段に振りかぶった物言いの後にこの言葉を使うと、事態が急転、終結してしまうのである  「製紙最王手の王子製紙は29日、同5位の北越製紙との経営統合を断念する意向を正式に表明した  人生いろいろである」これは今日の新聞に付け足したものだが、「青空の方法」では次の例文がある


「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった  人生いろいろである」…ホラ、終わってしまったじゃないか(笑)  Yahoo!ニュースからこんなのはどうだ  「WBA世界ライトフライ級王者の亀田興毅(19=協栄)が10月18日、東京・有明コロシアムで初防衛戦に臨むことが29日、明らかになった  人生いろいろである」  やはり、話は終わりを告げてしまうようだ

8月23日(水) 自分がコワい2

ふと脳裡に浮かんだことにまつわる事象が、しばらくして現実のものとなる…  このようなことは、枚挙に暇(いとま)がない  例えば、友人の骨折りと手筈(てはず)で、オーケストラ演奏会を堪能した帰路のことだ  「初めて生(なま)のオーケストラを聴いたのは学生の頃で、たしか岩城宏之指揮のN響だったな…」などとひとりで回想しつつ、夜空を眺めて帰ったものだ


その数日後、岩城宏之が亡くなった  (この人はピアノも何も弾けずに、打楽器1本で音楽界に斬り込んだ異端児である  ピアノはおろか打楽器もできない私に勇気を奮い起こさせてくれる数少ないひとりであった)
ふと脳裡に浮かんだ人が死ぬ…  これはいやだ  こんなのはたまたまだ!…と思いたい


それに私の場合は、予知でも予感でもなく、まして予告などではさらさらない  なぜなら、「たんにその人が脈絡なくふと脳裡に浮かぶ」に過ぎないからだ  数時間後、数日後、これこれのことが起こる、という意識を伴って浮かぶ訳ではないので、予知予感予告になど全然なってない  もっとも、全くのでたらめでもないだろう  五感で感じるものがすべてだとは、私は思わない

8月21日(月) 自分がコワい

お盆休みで実家に帰っていたときのことだ  夜のTV番組に、見覚えのある人が出ている  しばらく考えてから、「これ、今田耕司か?」と弟に確かめたら、「そうだ」との返事  だから何だと言われればそれまでだが…  実はその日の朝、起き掛けに「あの今田耕司というタレントはどうしてるんだろう」と、脈絡もなくふと頭に浮かんでいたのであった


あっと言う間にお盆休みも明けて、松戸に戻り仕事を再開した頃の、やはり朝  今田耕司の兄貴分に当たるダウンタウンの浜ちゃん、近頃あまり見ないけどどうしてるんだろうとふと脳裡に浮かんだ  するとその日の夜、たまたま見たTV番組で司会をやっているではないか  今田のときも浜ちゃんのときも、番組表や予告編をあらかじめどこかで見ていることはない…


恐ろしや、極めつけは「決勝戦引き分け再試合」である  過日(5月28日)本欄に、1969(昭和44)年の青森・三沢高校の快進撃に触れた  あの話の後、三沢高校は決勝まで進み、愛媛・松山商業との間で引き分け再試合という名勝負を成し遂げたのである…  ふと脳裡に浮かんだことが、無意味な予知であったりする  私は今夏決勝を予知していたのだろうか…

8月4日(金) サギと亀

な、…なんだこいつは…、話が違うじゃないか  おい亀、どうしたしっかりしろ  お前が負けたらオレがヤバいんだよ  ちょっと叩いたくらいでダウンするかよ、フツー  まだ1ラウンドだぜぇ  少しは根性あるって聞いてたけどなぁ  オレがダウンしないでどうするんだよ  おお、立ったか亀、それでいい  それにしても、いきなりオレがリードかよ…  参ったな


どうやら10ラウンドまでもってくれたな、亀  ここまでもたすのにオレがどれほど苦心したかわかっちょるのかぁ?  日本中が見てるんだからな、目立たぬように怪しまれぬように、ギンギラギンにさりげなく、え?古い?  あれいい歌じゃん、マッチの歌でいちばんいいね  痛ェッ、余計なこと考えてたら1発くらっちまったぜ  残りのラウンド、少し覚悟しといてね


おいおい、しがみつくなってば亀、みっともないぞ  倒れた方がラクだぜ  また立てばいいんだから  サプライズだよサプライズ  え?2度もダウンするのはまずいって?  いちおう計算はできるんだな  亀、勝利インタビューを受けてる自分をイメージしてみろ!  格好いい自分をイメージするんじゃ!  あと少しだ、粘れ亀、キューピーちゃんありがとね

8月3日(木) ラストシーン

ラストシーンがすべてを決める  ラストシーンだけが名編ということもある  何十年も前に読んだものなのに、ラストシーンが(ラストシーンだけが)忘れられないマンガがいくつかある  戦記マンガの「紫電改のタカ」では、主人公が特攻出撃するシーンと、それを知らない母親と恋人が主人公の好物を持って飛行場最寄り駅に到着するシーンとが交錯して、泣けるのだった


「火の鳥」未来編で、半ロボットのロビタが「神よ、ロビタを救いたまえ」と地に臥すラストシーンも、泣ける  どうしても忘れられないシーンである  「紫電改」も「ロビタ」も、ストーリーの殆どは忘れてしまった  でもこのふたつのラストシーンは、私にとって何か大切なものが含まれているシーンなのだろう、わりあい鮮明に覚えているのだ


亀田興毅である  試合直後、コーナーの椅子に腰掛けて、恐らくは自ら負けを覚悟したであろう亀田である  昨日の対ランダエタ戦での、拳闘史上最も醜悪なラストシーン、彼のタレントぶりで何とかならなかったものか  「みんな、ありがとう  でもこのベルトは、今日は貰えない」と言って、チャンピオンベルト受け取り拒否に及んだなら、凄い奴だということになったろうに…

7月26日(水) 悪文書き

中学生が読まねばならない論説文は、たいていは勉強のため仕方なく読むものである  つまり教科書に載ってるから読むか、問題集に載ってるから読むかの、どちらかだ  ところがそれら論説文が、大人が読んでもわかりにくい文章になってることが少なくない  自分の考えを人に伝える文章を書くのに、なぜあんなにわかりにくくできるのかとすら思う


構成がなってない  話が前後に飛ぶ  ずっと前のことを指して「それ」と言ったりする  「しかし」など逆接の接続詞が多くて、頭の切り替えが大変である(反対の反対や、賛成の反対なのだ…わからん)  あるテーマについて例を挙げて話している最中に、別のテーマの話題になってたりする  例自体がよくわからない  段落に分けても、段落ごとの要旨がまとめにくい


勉強を教えていれば、時には私自身が答えを間違えることはある(ここだけの話だ^^;  とくにうろたえるのが論説文である  殆どの論説文はわかりにくい悪文である、というのが私の結論だ  ただしこれは、書いた人の責任ではなくて、そんな悪文を選んだ編者の責任だろう  あるいは、そんな悪文を理解することが、能力の高さの証しだと思い込んでる人々の…

7月24日(月) こえ

ママがせなかをおしたの  きっとあたまからおちていったのね、あたし  そらをとびながら、川の中でさかなが光るのがみえたわ  それがサクラマスだったかどうかはわからない  あたしはあそこへ行くのかなと思った  おねがいがあります、かみさま  ママをしからないでください  ママはいっしょうけんめいでした  あたしはもっと、ママのおてつだいがしたかったです


パパがボクのあしをもった  さかさにぶらさげて、ゆかのうえにぶった  バタンバタンって、あたまをなんどもゆかのうえにぶった  ボクは死にながら、パパのかおをみた  パパのかおはあかくなって、あせをかいていた  パパはこうやってお仕事してるんだって、わかった  ボクはすぐにいきがなくなったけど、パパはそのあともボクをけったりした


きいろいタオルであたしをつつんだあと、ママがかみぶくろをもってきたの  ああ、あたしはこの中にはいるんだってわかりました  すこしなきたかったけど、あたしはがまんしたよ  あたしとママはくるまにのって、しらないちゅうしゃじょうにいきました  ママはいちばんおくのかどのところにあたしをおいて、ちいさいこえでごめんねといいました  あたしはひとりになりました

7月20日(木) ●●について

やまだに「ドレレ」と旋律をつけると「山田」であり、「ドレド」だと「山だ」なのだ  「レドド」は、「ヤマ」という愛称の人を指すだろう  「あれは?…ヤマだ!」
「ドレレやドレドのパターン」を●●のように表すことにする


携帯電話用語の「ショップ」について、「ショップ」を連発するビックカメラの人に聞いたことがある  その人はこういう風に言うのだった  「それはショップじゃなければできないですね」  連発される「ショップ」は、何度聞いても●●であった  もう1度言わせて確かめようと、わざとつまらぬ質問をしても、返ってくるショップは●●なのだ


いつのまにか●●というイントネーション(抑揚)の「ショップ」が日本を席捲しつつあった  携帯電話用語としては、既に●●は全国制覇を遂げたのではないだろうか
かつて「チーム」に似た現象が起きたとき、若者の言語感覚と結びつける解説者が結構いたが、私は違うと思う  例えば「キャップ」だ  老若問わず●●が多いのではなかろうか

7月15日(土) ガラガラコンサート

台車付き旅行かばん(キャリーケース)を、空港内で引っ張って歩くのは悪くない光景だ  海外へ行くぞという気合のようなものが伝わってきて、見ている私の気持ちまでピーンと引き締まってくる  見ているといってもTVニュースやドラマだが…  ところで同じモノが、さびれかけた商店街のはしからはしまで、最寄りの駅やバス停めざして通るとき、いったい何が起きるだろう


ガラガラガラガラガラガラガラガラガラ、ガタッ…ガラガラガラガラガラガラガラガラ  さびれている上に舗装が行き届いてることが、この小さな不幸をもたらすとは誰が予測し得ただろう  何しろガラガラなのだ  日本の隅々に舗装を行き渡らせることは、人々の悲願ではあった  それが不況に喘ぐ地元を尻目に、ガラガラ音も高らかに海外へ向かう光景を生み出したとは…


こんにち、人通りの少ない通りでは、ガラガラガラガラが浮いてるのは事実だ  2人連れで色違いのキャリーケースを引いていたら、二重奏だ  さて、そんなガラガラガラガラの傍らを、前後に幼児を乗せたスーパー帰りのママチャリが通り過ぎる  こちらの気合も相当なものだ  重い荷物を抱えているのは同じだが、スーパーママは何事もないかのように静かに過ぎていく

7月13日(木) プロとは何か

プロとアマの違いを言う言い方はいろいろあるだろうが、私が好きなのは吉本隆明による定義だ  (吉本は、今では「ばななの父」と言った方が通りがいいかも知れない)  明日の朝までに原稿用紙50枚書かねばならぬ状況に追い込まれて、とにもかくにも書き上げてしまうのがプロだ  正確ではないかも知れないが、これが吉本の定義だ  学生の頃、友人に教わった


なるほど、完成度の高い詩作を日に1篇のペースで自分に課し、異常とも思えるレベルとボリュームでそれを成し遂げた、若き伝説の人らしい言い方である  この人は未完・未熟な者に対して心根の優しい人だから、上記の定義を述べる際にも、「出来不出来は問わない」というようなひとことを付け足していたように記憶している  出来は悪くても完全に仕上げるのがプロだ


そこそこ仕上げて「あとは明日やろう」…これはアマチュアだ  いやたとえ普段はプロであっても、「あとは明日やろう」と思う時点でアマチュアになっていると言うべきだろう  そしてアマにはほぼ必ず、あとは明日やることに決めたについての事情があり都合があり言い訳がつく  ぎりぎりの瀬戸際にいるわけではないからだ  逃げ道があるのがアマだ、とも言えるだろう

7月3日(月) 暑苦しい想像

その人の行いにちょっと疑義を抱くものの、「それは悪いことだ」と断罪する決め手に欠け、なおかつ世間にはその行いに理解を示すムキも少なくなく、それゆえ歯ぎしり地団駄踏むのも何だか時代遅れのようで気恥ずかしい…  そういう状況に直面することが、最近多くなったように思う  そんな時は、状況を増幅すると是非善悪が案外よくわかる  下に例を2つ挙げる


電車内で女性が化粧する姿には、たしかに賛否あるようだ  ただどちらの考えも、前提が一車両1人か2人の化粧だ  それでは困る(爆)  まわりの女性が一斉に化粧を始めるという光景はどうだ  山の手線のような横掛け座席で、50人ほどの女性が急にいそいそパタパタと…  いや、男性だっていい  理屈ではなく数量で考えるべき問題というのは、たしかに存在する


福井日銀総裁のインサイダー疑惑は、問題があるようでそうでもないようで、素人にはわからない  福井氏やよき理解者が言う通りなのかも知れない  しかし、仮に日銀最高幹部10人が同じような「うっかり儲けちゃいました」をやってたら、そして実は日銀マン3000人がやってたら(無論仮の話だ)と想像すれば、それが恐ろしいほどの背任行為だと、スグわかるではないか


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