ことばの遊園地〜詩、MIDI、言葉遊び
Top page  詩の1 詩の2 詩の3 句帳 音楽照葉樹林 アンダン亭から だじゃる丸 いいぞ、ハイドン 映画『道』のこと
リンク集 掲示板

アンダン亭から アンダン亭トップ アンダン亭・過去の記録

12月21日(木) ケータイ俳句

私のような怠け者にはちょうどいい  今日も朝8時、ケータイに俳句が一句届いた  一日一句なのがラクである  俳人・黛まどかが、子どもたちのために最近始めたまぐまぐメールマガジン  今朝は山口誓子の「海に出て木枯帰るところなし」とその簡単な解説が載っていた  エッ…この句は特攻機を暗喩してたのか  そんな比喩折り込まなくても、とてもいい句なのに


偶然だろうが、今朝の朝日朝刊にも誓子の「学問のさびしさに堪え炭をつぐ」が載っていた  これも名高い  この句をいつ何処で知ったか…  たぶん仕事で使ってる国語教材に掲載されていたんだろう  私にとって、作品とともに名前を覚えた最初の俳人が山口誓子である  高校時代の教科書に「夏の河赤き鉄鎖のはし浸る」が載っていて、こんな俳句があるのかと驚いた


驚いて俳句に眼を開かれたかというと、これが全然…  家では、父の書棚に並ぶ「山口誓子全集(?)」「何の誰兵衛全句集」などというモノを手に取ったことがない  今でも、俳句はこそこそ作っている  俳句を思いつくと、携帯メールで自分宛に送信するのだ  今までの殆どの句がケータイ句だ  本と紙に埋もれていた父の姿を見てるから、その反動かも知れない^^;

12月17日(日) 教育基本法

スリム  現行教育基本法が大勢の支持を得ているのは、それがとてもスリムで簡潔だからだ  全部で11条しかない  恐らく法律の中で最も簡潔で美しい法律ではないだろうか  先日成立した新教育基本法は、あれこれ盛り込み過ぎて、メタボリック症候群に似ただぶだぶ感を否めない  読んでいてすっと頭に入らないのは、歳のせいばかりとは言い切れないだろう


合獣「ぬえ」  改正推進者は、現行教育基本法が占領政策の一環として作られたと強調する  そういう経緯のある法律を否定したいならば条文を作り直すべきなのに、多くの条文は字面(じづら)では現行法を踏襲している  その上で古い体制への回帰を付け足しのように、しかし巧妙に主体を入れ替えて記述しているから、猿狸蛇虎の合獣「ぬえ」に似た、いやな感じを与える


ティッシュ王子  新聞やTVには、与党野党の駆け引きばかりが載っていて、市民運動がどうなってるかは全然わからなかった  ネットで初めてわかる程度では、広範な運動とは言えない  口幅ったいことを言うようだが、運動の仕方が時代に合わないのではないか  ティッシュ配りなんか、いいと思うけど  私は、貰ったティッシュは大抵しげしげ見る方だから(^0^)

12月11日(月) 断念のあとに2

時々刻々に不自由な自分に直面せざるを得ない障害児の日常には、酷さ(むごさ)と幸いを覚えると言ったら叱られるか…  障害児の心やその変化にとくに詳しいわけではないから、推測の域を出ないが…  自分が他の人とはどうやら違うようだと気づいた時や、他の人と同じようには動けない、生活できない、という事実を日々つきつけられるのは、若ければ若いほど残酷だ


しかし同時に、見ないふりをしたくても不可能なほどにあらわな障害があることは、他の誰よりも早く、厳密に、自分の限界と向き合うことになる  若い人には可能性があるという言葉の明るい嘘と薄っぺらさに、日々の不自由さの事実を通し直面しなくてはならない  可能性はないのだ  自分には多くの可能性が既にないことを、障害児は他の誰よりも早く厳しく、理解する


そして誰よりも丁寧に納得し呑み込むに違いないのだ、自分が他の人の力を借りなくては生きていけない存在であることを  昨日(10日)書いた「断念」とはこの意味である  自分本位を噛み切るというか、自力と訣別するというか、他人の力頼みで生きるしかないと決めるのは、考えてみれば凄いことである  いじめなど生まれる余地のない世界へのヒントが、ここにある

12月10日(日) 断念のあとに

グレた障害児、あるいはいじめに走る視覚聴覚肢体不自由の中高生は存在するだろうか  ある程度の統計を示し得るほどに、その方面の研究を続けている研究者はいるだろうか  政府などが行う各種調査に、素行不良障害児のデータは入っているんだろうか  一般に論議されないのは、仮に素行不良障害児がいたとしても数が少なく、問題にならないということだろうか


通常は、素行不良児の問題ではその子を取り巻く環境がひとつのポイントになるのは確かだ  それに重きを置くか否かは別にして、避けて通れるポイントではない  ところが障害児の場合、取り巻く環境どころか、自分自身が「不全」なのだ  思い通りにならない自分に苛立つことは健常児の比ではない  「むしゃくしゃして」物凄いワルになって然るべきではなかろうか


障害児に「善」を見るのは勝手な思い込みで、実際には「もしも障害がなかったら他人を痛めてやまない」邪悪心の持ち主もいると思う  では事実として、他人を痛めたい心を抑え得るのは何故か  ここで思いやりとか周囲の愛情とかを持ち出さないことが肝心だ  私の考えでは、障害児自身が何年もの葛藤の末に、歯ぎしりしつつ限界を受け入れ自分を断念するからなのだ

12月7日(火) 今売れる詩人

出席停止言わなかったな教育再生会議  しかし発表された提言を見てみると、別段どうということもない内容じゃないか  その証拠にもう誰も何も言わない…  それより年内にカタをつけたいことが前々からあって、私は久し振りに松戸駅頭へ降り立ったのだ  行く先は市立図書館  しばらく歩いてちょっと驚いた  ごみごみした街の感じがほんの少しだがきれいになってる


しかし市立図書館斜め前のNTT支店は閉鎖されていて、ああそういえばずっと以前に通知が来た気がする  大きなアンテナがあるから施設としては稼動しているのだろうけど、人がいないのはやはり寂しい  図書館へは黒田三郎という詩人の、ただ一篇の詩を探しに来たのだ  書架を調べてもなし、検索機を使ってもなし  詩集は思潮社の薄い現代詩文庫しかないようだ


ネットでは黒田三郎は根強い人気があり新しい読者も得ているらしいのに、詩集は殆ど入手不可  詩集は売れないとはよく聞く言葉だが…それは商売の切り口が下手なだけではないのか  クラシック界「のだめ」効果を見よ  アルバイトパート派遣失業フリーター…わけがわからない迷走労働市場の昨今、働くことの喜びや痛みを綴った黒田三郎の詩集を出せばきっと売れる

11月28日(火)教室のグレーゾーン

え   …と思った  いじめた子は出席停止  教育再生会議が伝家の宝刀を使えと言う  いじめた子が誰なのか、本当にわかるケースは少ないだろうに…  目立つ数人の加害者を出席停止にすれば済むほどには、いじめは単純ではない  ひとりの被害者に対し、グレーゾーンに属する多数の子どもがいるのだ  濃淡はあっても、クラスの殆どが関わるいじめだってある


グレーゾーンにいる者を指して、「あいつだってやってた」「あいつはどうなんだ」「知らんふりしてたあいつは」という加害者たちの勝手な言い分を、果たして抑えることができるだろうか  いじめる者はワラをもつかむのだ  自分たちだけではないという反攻に出ることは必定  その反攻を抑え得る学校ならいいが、抑えられない学校も多いだろう  後者が普通かも知れない


教室には磁界がある  教室にいる者は、力をもつ子どもが出す磁力線と無縁には存在できないものだ  従うか否かは別として、力をもつ子どもの存在と言動には誰もが注意を払う  ある子が「自分はいじめには加わっていない」と言い、また事実その通りだとしよう  加わっていないとしても、それは健全なことか  教室の磁界の中でその子はどういう方向を向いているのだ

11月23日(木) 八っつあん熊さん

個性という言葉を、私はあまり好きではない  決して使わないというほどでもないし、時々はたしかに使っているけれど、こと「教育や子どもに関する話」の中では、日常でもネット上でもまず使わない  個性という言葉には、話を封殺したり人をケムに巻くようなところがあると思う  黄門様の印籠のようなこの言葉に出会うと、もう少し別の言い方がないものかと考えたりする


同じように子どもがいて、同じように忙しい大人がいて、同じように悪い奴らがいた江戸時代、個性などという言葉に振り回されずに、子どもは十分に生きていたのだ  幕末から明治初期に来日した西洋人が口を揃えて褒め称えたのは、日本という風土の高潔さだったという  子どもを慈しみ心から大切にする上に、街道沿いの町々村々はよく清掃されて清潔だったらしい


最近「そうじ力」という人間改造法が流行ってるようだが、あれこれ言わずに毎日やればいいだけだ  でも、そうじブームは今後も続いてほしい  これでまた一歩、江戸時代に近づく(笑)  教育基本法書き直しに反対する人の多くは戦前への回帰を危惧しており、私もそれは同じなのだが、じゃあどうするかというと、私の場合は最小限の規範で十分な江戸回帰である(^0^)

11月17日(金) いじめ

そいつはたしかに少し弱かった  身体も小さく頭の回転も普通よりは遅いと、ボクにもわかった  それでそいつに目をつけて追いかけ回したんだ  どういうきっかけがあったのかは、いくら記憶を辿っても思い出せない  でも、実際何かのきっかけがあったんだろう  運動会が終わり秋も深まる時期、ボクはそいつを追い詰めては逃がし、追い詰めては逃がしを繰り返した


休み時間になるとそいつを探した  そいつはたいていひとりでいて、ボクが近づくと逃げ出すようになったんだ  別に暴力をはたらいたわけではない  ボクは平和主義者だ  乱暴はきらいだ  だから、そいつが何故逃げるようになったのか、そこが思い出せない  やはり実際には何かきっかけがあったんだろう  とにかく、そいつがいやがって逃げるのがおもしろかった


ニヤニヤ笑いをして近づき、何をしたかというと、特に何もしなかった  そんなことが2週間ほど続いた後、そいつは遂に先生に言いつけたんだ  たぶんその幼稚園始まって以来最大級の叱責を受け、ボクは真人間になった  ボク5歳  以来2度といじめ情動など湧かなくなった  ぼんやりしてたそいつは十数年後、悩めるボクに「おめえ、だいじょぶか」と声をかけてくれた

11月12日(日) 無理矢理な姿

たいして得にならない知識というものがいくつか存在する  例えば私は、コロナロイデ線虫について語ることができるが、それが何かの役に立つことは決してないだろう  コロナロイデ線虫は、ご存知の方もいるとは思うが、土の中にいる体長1mmほどの虫である  普通「土中の虫」というと、横に長いミミズのようなものをイメージするが、こいつは土中で立っているのだ


つまり土の中で、地面に対して垂直になって生きているそうだ  1mm程度だから可能なのだろう  ミミズ大のものが土の中で垂直に生きるのは、なかなかに苦しいと思う  では何故、コロナロイデ線虫は縦になって生きるのか  しかも彼らは、1匹や2匹で其処にいるのではない  数十匹から数百匹が、ちょうど霜柱のように並んで、地面の下で上を向いて生きているらしい


ここ十年ほどの研究で少しずつ生態がわかってきたようだが、研究者そのものが少なく、私も新聞の科学欄か何かでたまたま一度読んだだけである  「縦になって生きている」というその無理矢理な姿が何となくユーモラスであり、印象に残っている  さて、この虫が横に移動したいときは、縦のまま動くのだろうか…  設定に少し無理があるな、この話にはm(_ _)m

11月10日(金)ほぼ週刊アンダン亭2

週刊誌月刊誌、子供向け大人向けを問わず、私は雑誌が好きだ  前回(7日)書いたことと食い違うようだが…  高校生の頃は学校の勉強とは別に、編集関連の通信教育を受講していたくらい、雑誌が好きだった  しかしある時気がついてしまった  読み方が真面目過ぎることに…  買ったら隅々まで味わい尽くすのだった  週刊誌を、ひと月かけて読んでいた(爆)


雑誌の何がいいかといえば、無論その雑然さだ  記事や広告の奥に、えもいわれぬ世界が広がる予感を抱かせる  載っている記事や広告の精度は問題ではないのだ
このHP自体も雑誌のようなつくりだ  やはりこういう体裁が好きなのだ  「ことば」を標榜しながら音楽も絵もゲームもあり、プリントまで付録でついてくる(笑)  これが私だ  雑然だ


週刊誌など、ひと月かけて読む代物じゃあない  わかり切ったことである  サラッと読んで終わり  そういう世界の身軽さをわかった上で、20年ほど前、そういう世界(文体)とは遠く離れることにしたのだ  例えば、週刊誌で評判のコラムは、週刊誌の中にあってこそ光るコラムだ  単行本化されることはよくあるが、立ち読んでみておもしろいものに出会った記憶があまりない

11月7日(火) ほぼ週刊アンダン亭

久し振りに週刊誌を買った  前回買ったのは14年前だ(爆)  入院中の亡父を見舞いに2冊買ったが、その時も前回買ってから5、6年経過していた  それより以前、勤めている時はしょっちゅう買っていたし、「夕刊フジ」「日刊ゲンダイ」なども電車の中でよく拾った^^;  だが次第に、週刊誌記事の文体が、それを読む私をスカスカにする気がしてきて、買うのをやめた


心に与える影響についてゲームやTVばかりが取り上げられるが、私は週刊誌の文体の方が影響が深刻なのではないかと思っている  子どもが読むわけではないから、もちろん大人の脳への影響だ  がさつな類推に満ちた断定と煽り  派手な見出しと一致しない小さな記事に何度騙されたことか(笑)  メディアの中で週刊誌の役割が決して小さくないことはわかるが…


ゴシップタイプのマスメディアについて最初に危機感を持った人は、19世紀デンマークの哲人キルケゴールである  この人自身、今でいう「メディアによる晒し者被害」に遭い続け、その反撃として世界で最初にマスメディア批判を展開した(らしい)  実存主義のはしりの人でもあり、私は若い頃この人に多大な影響を受けたかったが、書いてあることがわからなかった(^^;

11月4日(土) 未履修レポート提出

きちんと履修してきた人は、未履修者救済策に対して「ずるい」「損した気分だ」などと言ってはいけない  きちんと履修してきた自分や学校の姿勢に誇りを持っていれば、他人の処遇と比較して不満を吐くなど、そもそも発想としてあり得ないのではないだろうか  命を賭けた武蔵と小次郎ですら、「長い刀はずるい」「櫓(ろ)かよ…俺の方が損じゃん」などとは言わなかったよ


教科書はどうなっていたんだろう  私はこれがいちばん疑問である  教科書販売店では、販売実績を逐一報告しているはずである  個々の高校名は不明でも、一帯の全生徒数と教科書販売数に矛盾があるかないか、役所のどこかの部署が調べてはいなかったのだろうか  それとも高校の教科書販売は、小中学校の教科書ほど厳密なチェックはしないものなのだろうか


国際感覚を培うという理由なら、世界史ではなく地理を必修にした方がいいように思う  地理はすべての教科を含んでおり、地理を学んでいて歴史に触れないことはないからだ  それに我々日本人にとって、歴史を重点に学んだ方がいい地域と、地理を重点に学んだ方がいい地域という区別は、確実に存在する  何もかも順を追ってすべてを、というのは上策ではない


Top page  詩の1 詩の2 詩の3 句帳 音楽照葉樹林 アンダン亭から だじゃる丸 いいぞ、ハイドン 映画『道』のこと
リンク集 掲示板