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2月26日(月) 昼下がりの東京電車
多少混み合っている昼の電車だった 十代半ばの女の子数人が乗り込んできた のべつ幕なしに喋り合う中に、ひときわ感じの悪い声があった 喉を全開して怒鳴るように喋る いちいちの発声に力が入り過ぎ、耳が疲れてしまう むやみに大きい声で、電車内を圧するかのように喋るのだ 乗客の乗り降りにつれ、座っている私の真ん前に移動してきたからたまんない
万事休すと観念したその時、向かいの座席が数席空いた 女の子たちはおめき叫ぶような笑い声と共に、空いた席に皆座ったのだ 彼女たちと隣合わせになった、五十がらみの婦人こそ気の毒であった その人はずっと本を読んでいたのだが、彼女たちが座った途端、口を歪めうんざりした表情で本をバッグに仕舞い込んだ ところがしばらくして思いも寄らぬ異変が起きた
ある駅でかなりの人が降り、そしてあまり乗ってこなかった つまり車内が急激にすいてきたのである すると女の子たちが、中でもアノ子が、俄(にわ)かにトーンを落として喋るようになった 驚いたのなんの、「ふ、普通に喋ってる…」 のべつ幕なしも声の聞き苦しさも相変わらずだが… 女の子たちは乗客の大半を蹴散らした後、静かにお喋りを楽しむのであった
2月23日(金) 男の敵は男性だった
ときおり目にし耳にもするニュースだ
「6日夜、○市△町の路上で男性が鋭利な刃物で刺されて、死亡しました 事件当時、血の着いたナイフを持って現場から走り去る男が目撃されています 警察では、この男の行方を追うと共に、死亡した男性の身元確認を急いでいます」
容疑者とされる男は男性と呼ばれず、被害者の男性は決して男と呼ばれない 事件事故の報道では、「男」は容疑者を表す表現であり、「男性」は被害者を表す表現である(女、女性も同様だ) 報道では、「性」という接尾語が丁寧さや人格畏敬を表しているのだ 私の知り得る全てのメディアがそうだから、そういう取り決めがあるのかも知れない 珍しい用語実例だ
上の例を逆にしたらどうなるか 「警察では、この男性の行方を追うと共に、死亡した男の身元確認を急いでいます」 死亡した男は、さぞや悪いことしていたんだろうと、申し訳ないけど納得できる また、走り去った男性に対しては、よくよく深い事情があった上での犯行なのだなあと、同情を禁じ得ない メディアにおける性の扱いが、私の中で見えない差別を生むようだ
2月11日(日)たどり着かない窓口3
違う 9日(金)もまた、そのようなことを書くつもりではなかった いったいいつになったら、書こうと思うことが書けるのだ これではまるで、いつまでもたどり着けない物語、「城(カフカ・著)」ではないか 読んでないけど… 学生の頃から読もう読もうとして、店頭で何度文庫本を手にしたことか その都度その厚さにはね返される、そういう物語だ …違うっ
私が利用するプロバイダ、interQが「お問合せ窓口格付け」第1位、調査対象プロバイダ中唯一の「三ツ星」を獲得したのである 普段私たちが経験する「たらい回し度」「お待たせ度」など、窓口をめぐる諸問題の調査だ interQはダントツで優秀な電話窓口という評価なのである 実は、私が7年前にinterQにした決め手が、その「窓口応対」に好感を持ったからだった
当時はホームページを作ることに全く関心がなく、それどころかネットを見て回ることにもあまり関心はなかったので、ひと月3時間300円コースのことをあれこれ尋ねたのである 大変に感じが良く手際のいい応対だったのを覚えている のちに花盛りとなったプロバイダ比較などの雑誌記事で、interQが常に百位前後なのが、不思議でならなかった
2月9日(金) たどり着かない窓口2
そうではない、昨日(8日)はそのようなことを書くつもりではなかった 「窓口」は案外厄介な存在であるわけだが、実は「窓口」という言葉が既に厄介である 「口」という言葉で私たちが理解するのは、通用口、改札口、差込み口など、「口」の名にふさわしく何かが通り抜ける場所である 「口」はモノが入り、抜けていく場所なのだ ところが「窓口」は行き止まりである
映画館に窓口から入った人はあまりいないだろう 入口は「窓口」の横にある さらに、入口すらない窓口として郵便局が挙げられる 郵便局の窓口で用を済ませた人が、その後何処へ入ればいいのか悩むのは、このせいだ さて、「窓口」が厄介なのは「口」だけではない 「窓」だ 普通、「窓」の向こうには、明るさや未知の世界への憧れが垣間見えるものだ
だが映画館の「窓口」の向こうに見えるのは、壁にぶら下がった上着やポスター、食べかけの菓子パン、何かの書類、電球、夏は扇風機、冬は小さいストーブだ 「窓」の向こうに見える世界が、先ほど出てきた私の部屋と同じではかなわない 「窓」からは青空や雲が見えたり、あるいはショーウインドという「窓」の向こうには夢の世界が広がっていなくてはならないのだ
2月8日(木) たどり着かない窓口
個々の人間にとって、窓口というものは案外厄介な存在である ときには、一生を左右するほどの意味をもつことすらある 昔はしばしば、「高田馬場」「ここ、高田馬場ですよ」という切符窓口での我を忘れたやりとりがあったという 多くが自動化され、そんな光景はほぼ消滅したが、絶滅はしていない 最近もこんな光景を見かけた 「高崎」「ここ、宝くじ売場ですよ」
この人の主要な趣きは電車の切符を買うことだったのだろう 定期券やSuicaを使わない様子からは、この日、何か特別な用向きで高崎へ行こうとしていたことがうかがえる 間違え方から推して、高崎にある「よく当たる宝くじ売場」を目指していたとみるのが妥当だ この人には、「ソウルまで午前の便で1枚」「ここ、キオスクですよ」という経験もあるに違いない
間違える対象が宝くじ売場やキオスクだと、まだ救われる面もある しかし航空会社の窓口でそんなことが起こると、事は重大だ 「連番ので十枚」「お客様、レバノンへの直行便は当社は扱っておりません あちらのB社窓口へお回り下さい」 この人が、指示された通りレバノン行きの切符を手にし、首都ベイルートの美しい青空を堪能したであろうことは想像に難くない
2月6日(月) 給食の光と影
私が体験した「給食のよいところ」は、嫌いなものが食べられるようになったことだ 一般に子どもが嫌うといわれる人参ピーマンなどは何でもなかったが、「白いモノ系」が駄目だった 脱脂粉乳はもちろん、ホワイトシチューなども駄目 私にとって脱脂粉乳は、まずいから駄目なのではなくて、白いから駄目だったのだ ところが、小学5年か6年の頃、変化が生まれた
ある日、ガバリと食べたのだ 「なんだ、おいしいじゃん」 さあ、それからは今まで損してた気分になったのか、ホワイトシチューが出ると、人の1.5倍は食べた 脱脂粉乳も人よりたくさん飲んだ 何故食べられるようになったのか、わからない わかるのは、これが弁当持参だったらずっと食べられないままだったろうということだ 残す食べ物は入れないだろうから
給食に、そういう利点があるのは十分わかる しかし最近の給食費未納問題で私が驚き、こんなことなら給食などなくした方がいいとまで感じたのは、未納のことではない 月々の給食費を教師が集めている学校が未だに少なくないということだ これは学校教師のすることではない 学校教師に、させることではない 給食費の徴収は、役場の仕事ではないだろうか
2月1日(木) 昭和30年代浮上せず
とおちゃんには、かあちゃんがよく似合う。
「夫婦楽百景(多財納・著)」の中の一文だ 嘘です、私が作りました^^;作ったはずです… はずですと言うのは、こんなにいい文句、既に他の誰かが作っていてもおかしくはないからだ 昭和30年代ブームといわれるが、その時代を懐かしむ根幹は、上の一文が表していると思う
しかしどんなにブームになっても、ブームの仕掛人たちが触れようとせず、決して浮上しない事柄もある 「画報戦記」「丸」などの、戦争懐古雑誌の人気が高かったことだ 小学生の私にも何とか読めたから、十代の青少年向けだったと思う 戦記や戦闘機、軍艦などの情報が満載で、大変おもしろかった記憶がある 果たして、子供の心を蝕む結果になったであろうか
あの雑誌群は、戦時用に収束・結実した(してしまった)、日本の高い技術力への憧憬だったと、私は思う 無惨な敗戦から十数年 子供たちに自慢できるものが、まだあまりない状況 昔こんなに凄いモノを作っていた時代があったと、それは切実な思いをこめた雑誌だったのだろう 実際、自動車や新幹線を嚆矢とした技術力の復活以後は、あまり読まれなくなったようだ
1月26日(金) 3人の御前
私が読んでいる「平家物語」は、新潮日本古典集成というシリーズの中のものである このシリーズは読みやすいことで知られている 岩波本等に見られる「古典文学特有の、とっつきにくいオーラ」はない 頭注や傍注に優れた編集能力を見せているのだ その頭注に、歴史や言葉への意外なヒントが載っていたりするのも楽しい 例えば「何々御前」という言葉である
常盤御前(源義朝の妻、即ち頼朝義経の母)、巴御前(義仲の妻)、静御前(義経の恋人)、この「御前」という呼称が、盲目の旅芸人である「瞽女(ごぜ)」に通じるものであるという頭注があった 義朝も義仲も義経も、最後は合戦に敗れた非業の武将であり、常盤や巴や静は、彼らの菩提を弔いつつ彼らに関する語り部としての後半生を生きたというのだ
特に巴は武芸の達人で、夫と共に合戦に臨むことも度々であった 戦場のキャリアウーマンである 多くの敵を殺めたために、後世(ごせ)を願う菩提心もひとしおであったろう
3人の御前は出自が定かではなく、少なくとも当時の貴顕の姫君ではない 歴史上、常盤・巴・静は確かに実在したけれども、その名を継いだ語り部としての御前が幾人も存在したらしい
1月25日(木) 義仲のニヒリズム
「平家物語」を読んでいると、伊豆に配流された頼朝に対し、都の平氏が大変警戒感を持っていたことがわかる 折に触れて「兵衛佐(ひょうえのすけ)云々」という文言が登場するのだ (兵衛佐とは源頼朝のこと) 隠然たる力を持つ後白河法皇と対等に渡り合う、超一流の政治家としての役回りを、「平家物語」は頼朝に与えている 実際に頼朝はそうであった 義経はどうか
義経の活躍までは読んでいないから推測だが、たぶん「平家」中最大の花形として扱われると思う しかし政治力とは無縁で、後白河法皇の政略に乗せられてしまう武人としての役回りを、「平家」は与えるのではないか 今回私が最も興味を持ったのは、木曾義仲の役回りである 義仲の物言いの無神経さや下人たちの無秩序無統制、ニヒリズムは、どこから来るのか
当時、都と地方の経済力がどういう関係にあったのか、よくは知らない 都は人が多い分、流通も盛んで、かつ綺麗な姫君も多かったであろう^^; しかし生活は「地方よりも」豊かであったかどうか 一皮剥けば「なんてことない」都の実態に、木曾の軍団がむなしさを覚えてしまったのかも知れない だから敢えて後白河法皇の挑発に乗る、損な役回りを演じもしたのだ
1月24日(水) 木曾義仲の言葉
ずいぶん前になるが「言語明瞭意味不明」と揶揄される首相がいた 最近では小泉前首相の物言いが、物事を一面で切り捨て過ぎて中身が乏しかった 政治家にとって物の言い方は大事である 政治家の言葉は、民主主義だから大事というよりも、そもそも政治家だから大事なんだといえるだろう 「平家物語」に、その恐るべき例が載っているので驚いた 木曾義仲だ
義仲は、横暴な振舞いで都人の反感を買い、運命が暗転していったといわれる でも町なかで実際に横暴な振舞いをするのは雑色と呼ばれる下人たちである 義仲自身は、相手の気持ちを逆なでする無思慮な物言いで、都人の非難を買ったようだ 「平家」には、義仲悪語録が3話もあるから、言葉の面で都人にとっての為政者像からはほど遠かったのであろう
居住地の通称から「猫間中納言」と呼ばれる公卿を猫殿とからかった話 鼓の名手ゆえに「鼓判官」と呼ばれる武将を「皆に打たれ張り倒されるから鼓か」とからかった話 さらに、当時の天皇が幼児だったことから、「自分が主上(天皇)になるには童にならねば」と言い放ち、「法皇になるには頭を丸めねば」と言い放つ 宰相の言とは到底思えない惑乱ぶりなのだ
1月15日(月) 「平家」中間報告
声を出して「平家物語」を読んでいることは前にも書いた(昨年9月18日) ようやく舞台が廻って、平家都落ちの辺りまで読み進んできた ページ数から推すと、全巻のたぶん半分ぐらいの所だろう 読みながら、当時の情報伝播の偏りにちょっと興味をもった 例えば伊豆に流されていた源頼朝の挙兵についてだ 挙兵の記事はあるものの、意外に簡略なのである
頼朝が石橋山での挙兵に失敗して敗走中、当時は平家方であった梶原景時という武将に助けられる有名な逸話がある しかし「平家物語」では全く触れられていない まだ読んでいないもっと後の方で、挿話として語られるのかも知れないが… また、義経の動向についても、今のところ記載がない 梶原景時も義経も、源平合戦ドラマには欠かせないキャラクターだ
彼らに比べて案外詳しく書かれているのが、木曾義仲である やはり都に近いか、直接関係の深い地域の合戦情報が優先されているのだろう もうひとつ不思議なのは、たくさん出てくる「手紙」などの文書だ これらの文書をどうやって入手、または少なくとも閲覧し得たのだろう 手紙を出したり貰ったりした際、スグに複数枚書写する習慣があったように思えてならない
1月14日(日) ある作文
1度読んでみたいと願っている、子どもの作文がある しかしそれはたぶん叶わないだろう 何故なら現在60歳代か70歳代の人の、小学生の頃の作文だから タイトルは「辞書を読む」 これも、私の記憶に間違いがなければの話である もっとも、作文コンクールで最高賞を取ったという作文だから、図書館等然るべき所を調べればわかるかも知れないが…
読書感想文の宿題が出た その子の家は大変貧しくて、家には読書感想文を書けるような本がなかったらしい ただ一冊、どういうわけか国語辞典があった その子はそれを読んで、ひとつひとつの言葉について思うところ感じるところを書き、それを感想文として提出したそうである それが思いもかけず先生方の目にとまり、全国規模のコンクールへ出したという話だ
恐らく、戦後間もない頃の話であろう こういう作文があることを知ったのは、二十歳前後の頃で、たしか教育関連の本で読んだ 私がこの作文に興味を抱くのは、その来歴に作為とか功名心が全くないことだ 仕方なく提出された作文が、教師たちの度肝を抜き、あまつさえ日本一になった 痛快ではないか 半世紀以上経った今でも、恐らく読む値打ちはあるだろう
1月12日(金) 無理するスリム
このHPのファイルを1枚、また1枚と検討の上削除し、スリム化を図ってる間に、それに呼応するかのように世間ではもうひとつの、より真剣なスリム化が話題になっていた…ことを、後から知った スーパーの納豆売場が、どうも寂しいではないか 正月明けだから品薄なのだろうと思っていたら、痩せる食品として俄かに納豆が注目されているという
それを聞いた時、あの人この人と納豆好きの知人が数名脳裏に浮かんだ どの人も決して痩せているわけではないので、不思議だ 年相応に普通、といえる程度に、丸い^^ それで、ふと思ったことがある 今回の納豆ブームの元はTV番組のようだが、私はそれを見ていない 当然、納豆を「食べる」ことばかり考えていた 食べるわけではないのかも…
例えば「納豆を身体中に塗りたくる」という方法はどうだろう 全身ねばねば、ねちゃねちゃぬるぬるだ あとは塩を適宜振りかけるだけ ナメクジと同じだ 身体中から水分が出てきて、たぶん痩せる 全身に使うには5パックは要るだろうから、店頭から納豆が忽然と消えるのも道理である 使った後の納豆はどうするんだ 家族で…いや、言うまいぞ
1月11日(木) 膨張するHP宇宙
2001年ハルに開設して以来膨らみ続けたこのサイトを一刀両断、シンプルな構成にした
かつてPCに「秀丸エディタ」を入れた理由は、必要だったからではなく単なる見栄であった^^; ある本に「秀丸とWinLPrtのアイコンが並んでると、「おぬし、なかなかやるな」と言われるかも」と書いてあったのだ(爆) 「秀丸」も半年ぐらいは、メモ書き程度にしか使えなかった
転機は「ファイル操作の隠し技(学研)」という本に出会ったこと テキストエディタの本当の魅力を理解することができるようになった メモ帳でもホームページができると知り、ホントにメモ帳でできたから、びっくりした(たしか始めは、「あ」と書いた^^) そこから「秀丸」を使い怒涛の勢いでHPづくりを始めたが、あまりにも多岐肥大雑多になり過ぎたので、整理しました
現存ページの中で開設時の面影を残す^^;のは、「いいぞ、ハイドン」のみになった 文の改行の仕方がほかと違う 400字詰原稿用紙丸写しだ 背景も制作時のまま 作り直そうと思わないでもないが、このレイアウトには「地表に現れた古層」といった趣きがあり、今回はそのまま残すことにした 読んでくれる人に、安心感のようなものを感じて貰える気がするのだ
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