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10月31日(水) ニッポンの歌
何年も前だが、ソプラノの鮫島有美子に関する記事を読んだ その中で鮫島が、「自分は日本人なので日本語の歌を歌いたいのだが、日本にはいい歌曲があまりない」とこぼしたところ、夫であるヘルムート・ドイチュ氏から「日本には素晴らしい子どもの歌がたくさんあるじゃないか」と言われて目が覚めたというようなくだりがあった 鮫島版「浜辺の歌」の始まりである
日本の子どもの歌は、世界から見ると「特殊な分野」ではないだろうか 文部省唱歌もそうでない歌も、結構出来がいいものが多い 時代を超えた普遍性をもつのだ 本格歌曲狙いで作られた鑑賞用のものよりも、子どもの歌として作られた学校用・家庭用のものの方がずっと出来がよく、いい歌が多いからおもしろい 本格歌曲で知られているのは何曲あるだろう…
ところで日本の子どもの歌を、鮫島をはじめプロ歌手が西洋音楽の歌唱法で競って歌うのはどうかと思う オペラなどでも言われることだが、何を言ってるのかよくわからないことが多いのだ 子どもの歌は子どもが歌うべきでしょう それも訓練された合唱団ではなく、普通の子どもたちの声で… NHKなどで流れる綺麗な歌唱は、あまり私の好みではない
10月30日(火) 国立新美術館2
「アムステルダムの孤児院の少女」は大変評判がいいようだ フェルメール作「牛乳を注ぐ女」目当てで国立新美術館に行った人の多くが、会場の最後の方にある「孤児院の少女」に魅せられたと思う 私もそうだった 「牛乳を注ぐ女」が、画集や映像から予想させられていた大きさよりずっと小さく、少々落胆しつつ巡回を続けてやや疲れた所に、「孤児院の少女」である
「孤児院の少女」の前に立ち、本展で初めてすがすがしさを覚えた 展覧会の主題が「風俗画」だから、庶民や貴族の日常を描いた作品ばかりであり、例えば台所仕事をする女、洗濯をする女などの画題が中心なのだ 別の意味でのすがすがしさ・潔さはあるかも知れないが、立ち居振舞い自体が垢にまみれていないすがすがしさを求めるのは無理というものである
「孤児院の少女」の主人公はすっと立って小さな書物を読んでいる 真横を向いているから可愛いいのか綺麗なのか、全くわからない^^; 私が惹かれたのはその服装の色合いである 黒・赤・白の単純にして大胆な組み合わせ 説明板によると、孤児院の制服らしい 掃除の途中で書物が目に止まり夢中で読み出した… 日常のそんな風情が、フェルメールに通じる
10月29日(月) 国立新美術館
そこを中庭と呼んでいいのかどうかはわからない 何しろ3階にある空中庭園みたいな場所なのだ 広いテラスと言った方がいいかも知れない 紙コップ珈琲片手に巨大なガラス窓から外を眺めていたら、そのテラスを小雀がチョッチョッと歩き回っているではないか こんな所になんで雀が…と思ったが、テーブルからこぼれ落ちた食べ物のカスをついばんでいたのだった
国立新美術館は月曜も開いているのでありがたい 本欄6月に書いた「フェルメール」関連の絵画展に、ようやく足を運ぶことができた 年に一度は美術展か映画館に行くのを楽しみにしているのだが、金がある時は暇がなく、暇がある時は金がなく、とかくこの世は生きにくい しかしフェルメールとあれば「たとえ異土の乞食(かたえ)となるとても」会場近くまでは足を運ばん
フェルメール展はいつも一品料理だ フェルメール作品のただ1作を目玉に、あとは企画の勝負である 今回の企画は「オランダ風俗画」 フェルメールが選んだ画題が当時の流行画題であったことを、今回はっきりと知ることができた そして私は、フェルメールから250年ほど後、1900年前後に描かれた「アムステルダムの孤児院の少女」という絵にとても惹かれた
10月28日(日) リフレッシュ
今日は気持ちのいい秋晴れであった この日に予定していたことと、想定外のことに明け暮れた一日であった まず床屋に行った これは予定通り その床屋は、AさんがやってくれるかBさんがやってくれるかで、微妙に心地よさが違うのだが、今日は運よくAさんであった これで幸先(さいさき)のいいスタートを切る…はずだった
頭が軽くなりすっかり心地よくなって、前から一度は受けようと思ってた「整体」を受ける気になり、最寄りの整体院で初めて「整体」というものを受けた かなり痛いものだと聞いていたが、ゆっくりやってくれるのでそれほど苦痛は覚えなかった 財布は苦痛だ(^^; 整体で心地よさが倍加したところで止めておけばよかったのだが、その後想定外の出費が待っていた…
整体院を出て近くの喫茶店でコーヒーを飲んでる時、胸のポケットに入れてあった眼鏡を何気なく取り出したら、眼鏡が…壊れてた フレームのネジが折れたのかどうか、完全に分解していた 整体院ではちゃんとカゴに入れたのだが… 慌てて近くの眼鏡屋に行った この際ついでに、合わなくなっていた別の眼鏡も替えることにした 更に財布は悲鳴を上げた
10月27日(土) 曲名について
今月アップした2曲のタイトル(曲名)は、これまでの私のタイトルのつけ方と違う面があるのでちょっと説明 「風が沢子を美しくした」…例えば西欧ルネサンス期からバロック期あたりの俗謡ならいざ知らず、今の世にこのタイトルはあまりにも純朴な文学青年風に過ぎる 実はこのタイトル、四畳半暮らしの学生時代、一大決心をして書き始めた長編小説につけたものである
長編小説とはいっても、結局原稿用紙5、6枚で諦めた^^; 小説などまともに読んだことのない者に、書けるはずもなかった でもその時のタイトルはかなり気に入ってしまったので、いつか何かに使おうと考えていた 使うのに35年ほどかかった(爆) 今回のギター独奏曲の雰囲気が「風が沢子を美しくした」というタイトルにちょうどいいという感じをもったのである
もうひとつ、「Landing light」というタイトルは、「沢子」とは逆 私にとって全く新しいつけ方になった これまで、英語仏語などをそのままの綴りでタイトルにすることはなかった 日本語のタイトルに結構こだわってきたし、これからもそうするつもりだが、この曲にちょうど合う日本語が見つからず、一度だけ人格変容(笑)して外来語そのままで表記することにした
9月19日(水) ケータイ恐喝
嘘をついたら一万円 ちょっと高過ぎないか なぜ一万円なのだ 嘘をついたら50円 高校生の遊びならせいぜいその程度だろう そもそも、高校生にもなってなぜ「嘘をついたら」なのだ 正直に生きよということなのか 逮捕された少年たちは倫理社会が好きだったのか 少年たち相互にも、同じような「取り決め」があったのか なぜその辺が報道されないのだ
「〜したら10円」というのなら、私にもひとつ思い出がある 小学生の頃、隣の席に座った古畑クンが勝手に決めて、来る日も来る日も私に向かって「あ、10円だぞ」「もう80円貯まってるんだぞ」などと言い続けたのだ たぶん「机の領域を越えたら」というような条件だったと思う 初動措置を誤り、対応をいい加減に済ませた私は、後でそのしつこさに辟易することになった
当然ながらホントにお金を払ったことはなく、古畑クンも実際に要求したわけではない 私が驚いたのはそのしつこさであった ある種の人間には、常道を外れたしつこさがあると知った そこには巨大な壁のようなものがあり、あぁこいつには言葉が通じないところがあるんだと、気づいたときは嵐の中である たしか太宰治が似たような体験を短い小説に書いてたな
9月13日(木) 忘れ得ぬ英文2
またやってしまった 先日書いた2文、Nobody loves me. と、What's the matter with you? が、知らずして安倍首相の辞意表明を予見していたとは… たんに記憶に残る2つの英文を、来し方を顧みつつ行く末の励みにと書いただけなのだが、私の思いをはるかに越えて、政局の激動を暗示していたのだった^^; 何も知らなかったから予言ではないが
Nobody loves me. 支持率低迷と参院選大敗による党内孤立 What's the matter with you? 通常ではあり得ない局面での退陣 参院選大敗直後には想定していなかった健康面の問題が、外遊を機に隠しようもなく表面化してきたということだろう 手をつないで夫の脈を測るほど健康を気遣ってきた昭恵夫人が、泣いて「もうやめてくれ」と言ったのだと思う
しかしいちばん想像できるのは、外遊中に党内でクーデターが起きていたということだ 帰国したら四面楚歌だったのだ 今回、どのメディアにもコメントや動静で名前の出ない有力者が幾人かいる シナリオは彼らが書いたのではないだろうか 参院選大敗後に辞任すべきところを、「この外遊まで」と区切りをつけてわがままをさせた 案外真相かも知れない
9月10日(月) 忘れ得ぬ英文
なぜそれだけを覚えているのか、興味あるフレーズを2つ 大昔に習った中学英語教科書に載っていた、とっておきの(?)2フレーズだ ひとつは「Nobody loves me.」というもの 他のひとつは「What's the matter with you?」というもの 前者はアメリカの少年更正施設「少年の町」創始者フラナガン神父を題材にした話 後者は怪談「むじな」の一節だ
ほかの文は全く覚えていないから、この2文はよほど自分に引き寄せて考えさせる内容をもつということなのだろう Nobody loves me.は、少年の町で暮らすようになった「元不良少年」が、過去を振り返って語った言葉だ 私は不良少年では全然なかったけれど、このひとことが表す何かが心に刺さったのかも知れない 当時私は、誰にも心を開かなくなっていったから
What's the matter with you? の方は日常よく使われるから覚えていても不思議ではないが、私は日常生活に英語は全く使わないし使ったこともない これを覚えていること自体、やはり何か深いワケがありそうだ 「おまえ、どうしたんだ」と誰かに言ってほしかったのだろうと、今は推測できる それほどに、14、5歳の頃は周囲に脅え将来に脅えていた
9月9日(日) 成り行き主義の人々
破壊保険庁職員や市町村職員が年金保険料を着服していたというが、彼らにしてみれば「発覚する危険度の低い、いい金づる」だったのだろう なにしろひとりひとり毎月毎年一定の金額が、減ることなく必ず入ってくるのだ しかも税金のように、国会の目が光っているわけではない 税金のように、納税額を基準にしてほかの何かが決められるという多重チェックもない
税務署職員は「金勘定のプロ」としての訓練を受けるだろう 以前私の所に税務調査にやってきた職員が、出納簿を開いて数秒のうちに「どこも計算がピタリですね」と言ったので驚いたことがある ホントに暗算してたのかどうかわからないが、それ以後「税務署にはかなわない」と思い、ますます正直申告に精を出す結果になったのだから、あの職員はプロであった^^;
破壊保険庁職員や保険料を扱う市町村職員に、「金勘定のプロ」としての訓練が果たして行われていたのだろうか 名簿入力や着服犯追跡調査を面倒がるなど、これまで明らかになった仕事ぶりから察すると、私たちはたいへんな素人集団に年金保険料を納め続けていたことがわかる 「あとは明日やろう」…明日の成り行きに任せる発想こそ、素人の素人たる所以である
9月2日(日) どすこい診断書
朝青龍が横綱の仕事をサボったのはいけないことだが、彼が何故サボれたのかをもう少し考えれば、横綱としての資質の問題ではないことに気がつく さらに、大相撲の伝統や横綱のあるべき姿をきちんと伝えられなかったからと、高砂親方を今更非難するのも変だ この猛暑の中、TVカメラの前で無駄な往復を繰り返した大ちゃん(高砂親方)こそ気の毒ではないか
問題は診断書にあるのだ 昔から、負けが込んでくると診断書を出して休場する大関や横綱が後を絶たなかった どう考えても奇妙な病名や怪我の名前が、診断書をもとに発表されてきた 診断書に頼らず最後まで取り組みを続け、結果として不名誉な「負け越し横綱」の烙印も厭わなかった横綱は、近年では大乃国と三代目若乃花だけである 彼らは立派であった
安易に診断書を求める大関・横綱と、嘘に近い診断書を出す医師と、長い間それを認め続けてきた…というより推奨してきた相撲協会 「嘘に近い診断書」は、もはや相撲界の伝統のひとつ、習わしのひとつといえるだろう 権利意識の強い外国人力士が、診断書の意味や使い方を「休暇届け」のように捉えてしまうのは、無理もないことではないだろうか
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