ことばの遊園地〜詩、MIDI、言葉遊び
Top page  詩の1 詩の2 詩の3 句帳 音楽照葉樹林 アンダン亭から だじゃる丸 いいぞ、ハイドン 映画『道』のこと
リンク集 掲示板

アンダン亭から アンダン亭トップ アンダン亭・過去の記録

4月14日(月) は?2

助詞「が」と「は」の使い方の違いなら、私にもよくわかる  …というよりも、意識したことはないけれど使いこなしている  「私が行きます」は、「私」を特に言いたいのであり、「私は行きます」は、「行きます」を特に言いたいのだ  前回も書いたが、私が理解できないのはもっと素朴なこと  主語を作る助詞が、2つのカテゴリーに分類されていることの理不尽さだ


「が」「は」のほかにも、「私も」の「も」、「私すら」の「すら」、「私こそ」の「こそ」など、主語を作る助詞は数多い  そして「が」以外のものは皆、副助詞として分類されていて、「体言(名詞)にくっついて意味を添える」などと説明されることが多い  そうすると、格助詞である「が」は、主語を作るけれどもさしたる意味は添えないのか


「誰か行ってくれる者はいないのか」「私が行きましょう」  この場合、「私が」の「が」には、実に大いなる意味があろう  誰も行きたがらない所へ行く心意気が、強く感じられるではないか  日本語では、主語を作る助詞が何故ひとつのカテゴリーにまとめられないのだろうか  少なくとも「は」は、主語を作る場合は格助詞「が」と同類扱いでいいのではないだろうか

3月30日(日) は?

今日の朝日書評欄で、助詞「は」に関する本が紹介されていた  それを読みながら、つくづく思った  うまく言語化できない漠然とした疑問、ふに落ちない感覚、どっちつかずのままの迷いに満ちた態度、自分の中にあるそういう幾つもの弱みは、実はもっと自信をもっていい疑問・漠然感・迷いだったのではないかと…  私は助詞「は」が、どうしてもわからなかったのである


助詞「は」は、助詞「が」と同じように、主語を作る働きをもつ  しかし、「が」は格助詞で「は」は副助詞なのだ  いや、別に何助詞でもいいんだよ  いいんだけど、呼び方に一貫性がないではないか  特に英語を習っている中学生にシメシがつかない  英語では、例えば「I」は「私は、私が」と訳し、それを主格と呼ぶ  この「格」は、「格助詞」の「格」とは無関係なのか


国文法において、「私は」の「は」が副助詞に分類されるのはなぜなのか  以前、そういう思いに駆られたことがあった  しかし私が理解できたことはごく少なく、子どもたちにうまく説明できないままだった  今日の書評によると、助詞「は」は、本居宣長の時代から国文法上の大問題だったらしい  私がわからないでオロオロするのも当然であった(^○^)

3月29日(土) 月番制度

江戸幕府の仕組みのうち、おかしな制度だと思う反面、かなり面白い制度ともいえるのは、町奉行の月番制度だ  TVドラマ「大岡越前」など時代劇で得た知識に過ぎないが、江戸の町なかの治安には南町奉行所と北町奉行所が月ごとに交代で当たるのだ  担当外の月も仕事はしているんだろうが、担当外の月に起こった事件は、翌月に月番となっても原則として担当しない


協力はするが口ははさまないのである  警視庁が2つもあるような制度をどうして作ったのか不思議だ  ただ、250年も続いたのだから、制度上何か優れたものがあったに違いない  一方、平成ニッポンの国会を眺めてみると、衆参ふたつあっても、南町北町ほどには意味をもたないことは明らかである  長い間、参議院は「第2衆議院」などと揶揄されてきた


ところが昨夏の参議院選挙で野党が多数を占め、少なくとも勢力関係においては「第2衆議院」じゃなくなると、今度は「ねじれ国会」と言われ始めた  法案がなかなか成立しなくなり、そのことでいろいろ言われるようになった  ねじれちゃいけないなら、初めからねじれない1院制にすべきだった  今更1つにできないだろうから、いっそ月番制度を採用したらどうか

3月28日(金)牧村三枝子・この1曲

静かで淡々とした「冬仕度」をおいてほかにあるまい  多少ヒットしたかも知れないが、あまり話題にはならなかった曲だ  とにかく自己主張のまるでない歌なのだ  ギターによる前奏間奏  たいていの演歌では、涙こぼれんばかりのパッセージを「これでも泣かないのかおまえ」と言いたげに聴かせるものだが、「冬仕度」のギターには全然それがない


こんなことでいいのかと思うほど、ギター・フレーズは単純だ  出だし、単音で3つの同高音を奏でてみせるだけである  ストリングスも同様に単純だ  この困った曲を、牧村三枝子は「これがヒットしたら困るわ」とでも言いたげに、できるだけ目立たぬように歌うのであった  作曲者は晩年の遠藤実  計算し尽したシンプルな演歌に、三十そこそこの私は聴き惚れた


単純と書いたが、これをカラオケで歌うのは相当難しい気がする  既に「演歌師」という持ち歌があり、自身その呼び名を背負っていた牧村三枝子だからこそ歌える  微妙で、上がり下がりの大きい旋律なのだ  それでいて静かに目立たぬように、喝采を浴びないように歌わなくてはいけない  自己主張のデパートであるカラオケでは、あまり受けない曲に違いない

3月27日(木)中島みゆき・この1曲

中島みゆきの歌には2つの系統(要素)がある  ひとつは失恋歌の系統、もうひとつは人生・世の中観想歌の系統だ  デビュー当時から、叶わぬ恋、失恋歌の名手として名を馳せる一方で、それとバランスをとるかのように、常に人生・世の中観想歌を発表してきた  ただ、いい歌はデビュー後の数年、70年代後半から80年代始めに集中している


もっとも、私が知らないだけで、その後もいい歌はあるのかも知れないが…  「人生・世の中観想歌」あるいは「まあゆっくり生きていきましょう歌」とでもいうべき特異な系統の歌で、よく知られているのは「時代」だろう  発表当時から賛否が多い歌で、私は賛と否の中間よりやや否に近い  決して悪い歌ではないと思うが、とりたてて感動を呼び興すものでもない気がするのだ


この系統の一番の名曲は、加藤登紀子が歌い本人も歌っている「この空をとべたら」に尽きるだろう  しかし私は敢えて別の「隠れた名品」を挙げたい  最初のアルバムに入っている「渚便り」だ  この簡素で清潔な世界もまた、中島みゆきなのだ  最初のアルバムを持っていなかった私は、「渚便り」ただ1曲のために、数年前わざわざCDを買ってしまいました^^ゞ

3月23日(日) 幼年期の終わり

先日、SF作家A.C.クラークが亡くなった  いくつもの追悼記事に目を通したが、こんなに偉大な作家だとは知らなかった  迂濶だった  代表作である「幼年期の終わり」を読んだのは25、6年前  いろいろな作家のSFを次々と読んでいた時期だ  「幼年期の終わり」は話のスケールが大きくて、面白いとは思ったものの、後半は読むことに疲れた記憶がある


読み進むにつれて、だんだんと息苦しい感じ、堅苦しい感じが増幅してくる  そういう作品だった  何よりも、いつまでもいつまでも頭上に巨大な円盤が居座り続けるシチュエーションに、気が重くなるのだった  高度なレベルに達した宇宙人が、我々地球人類のレベルアップを図る物語なのだが、作品への世上の評価は知らず、その発想にちょっといやな感じをもった


そばにいつも偉い先生がいて評価を下される出来の悪い生徒  そんな気分がしてきて、たいへん疲れたのであった  その時はよくわからなかったが、A.C.クラークのもうひとつの代表作、映画「2001年宇宙の旅」に出てくる巨大石盤モノリスも、人類のレベルアップを促す役回りであった  そういえばこちらもよくわからない所のある、後味のスッキリしないSFだった

3月9日(日) 老人と杖

その老人は65歳から70歳ほどに見えた  年齢のわりには体躯がかなり大きい  電車の長椅子の端にやや斜めに座り足を広げていた  挑むように辺りを睥睨している  車内は混み合うというほどではないが、吊り革につかまる人やドア付近の取っ手につかまる人などがたくさんいた  少し離れた所に座っていた私は、老人が杖を持っていることに気がついた


正確には、持っていたのではない  股の付け根あたりに置いて、そのまま手を放していたのだ  その結果、杖の先端が通路の真ん中まで届いて、床に落ちていた  つまり老人の股の辺りから杖が伸び、通路を半分塞いでいたのだ  まるで「ここまでが俺の領分」とでも言うように…  乗り降りする人は老人の杖を避けたりちょっとまたいだりしながら、そこを過ぎるので あった


危ないとは思ったが、離れていたこともあり私は黙っていた  どういう人生を送ってきたら、こうまで周囲に対し無感覚になれるのだろうと、そっちの方に関心が向かってしまった  私にとっても他人事ではないのだ、こういう老人の存在は…  いま、ふと思ったのだが、老人は単に誰かの足を引っ掛けようとしていただけかも(。・o・。)ノ


Top page  詩の1 詩の2 詩の3 句帳 音楽照葉樹林 アンダン亭から だじゃる丸 いいぞ、ハイドン 映画『道』のこと
リンク集 掲示板