ことばの遊園地〜詩、MIDI、言葉遊び
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8月26日(木) とこそいひけれ

古文を習った人ならまず忘れない唯一の魔法の言葉  それが「係り結びの法則」だ  どういう法則かは忘れても、この名前は記憶に残っているに違いない  私の場合は高校で大量の古文を習い、その殆どをノートに書写させられ、すべてについて品詞分解を命じられて本文の脇に書き込み、ようやく何とか「連体形」だの「已然形」だのを見分けられるようになった


その長い道の先にようやく、古文特有のきまりとして「係り結びの法則」があったのだ  例えば文末に「けり」という助動詞を使う場合、「ぞ・なむ・や・か」のアトなら連体形「ける」になり、「こそ」のアトなら已然形「けれ」になる  相当難しいものであった  なにしろ「けり」の「連体形」「已然形」を覚えていなくてはならないからだ  そしてもちろん文末は「けり」だけではない


この困難極まる「係り結びの法則」を今は中学生段階で教わることになっている  多くの国民は知らないに違いない  もし知っていたら、各地で反乱が起きるはず  係り結びの乱^^;  実は私、中学生に「係り結びの法則」を教えられないで困っている  試験にはよく出るから少しは触れるが、少しだ  已然形もへったくれもない中学生に、どうやって教えればいいのだ

8月20日(金) 朝日にあたる家

≪総務省消防庁がまとめた全国の熱中症による死者は5月31日から8月15日までで132人。昨年の7〜9月の16人を大きく上回り、このうち東京都の死者数は1人となっている  一方、東京都監察医務院によると、東京23区内で熱中症で亡くなったと確認された死者は、梅雨明けから8月18日までの約1ヵ月で111人と、過去最高を更新した


消防庁の統計は、搬送後の初診で医師が死亡と判断した場合に限られる  搬送前に亡くなった人や、搬送数時間後に熱中症による死と判断された人は含まれていない  いわば氷山の一角だ≫  以上は今朝の朝日新聞東京版1面の文章だ  この文章を一読して、これを書いた記者が何を伝えたいのかが、スグにつかめる人はあまりいないであろう


総務省消防庁と東京都監察医務院の統計数値に大きな差があることを伝えたいのなら、2行目の「昨年の7〜9月の16人を大きく上回り」は全く不要である  この部分があるために比較対象が増え、文意を把握しにくくしているのだ  ≪総務省消防庁がまとめた全国の熱中症による死者は5月31日から8月15日までで132人。このうち東京都の死者数は1人となっている  一方、東京都監察医務院によると、…≫  どうだ朝日、わかりやすいだろう(^○^)

8月18日(水) 最高気温

うわぁっ、なんという暑さだ…今から17、8年前のその日の暑さは、どういうわけだかよく覚えている  6月の始めであった  特別に何かがあったから覚えているのではなく、その気温を勘でズバリ当てることができたから、覚えているのかも知れない  近所のお店で立ち話をしていて、「暑いですね、これ33度はありますよ」と、もちろん経験からそう言ってみたに過ぎない


あとでそれが正確な数値だったと知った  それまでに経験した暑さは、いくら暑くても30度から31度がせいぜいである  32度は滅多にない  でも31度の次だから何となく暑さは想像できるのだ  しかし33度は殆ど経験したことがなかった気がする  そして17、8年前のその日の暑さは度外れて暑く、31度のスグ次ではたぶんないだろうと予想したのだ


このような経験や常識が活かせる時代はとうに終わったようだ  最近は35度だの36度がざらになってしまった  天気予報などで発表されるのは観測地点の気温だから、私たちの多くは実際にはもっと高い気温の中で生活しているに違いない  荒々しいというか、粗雑なというか、日本の気象現象の表れ方が情緒を失い、とげとげしく極端になりつつある

8月1日(日) 白鵬の連勝記録

白鵬が47連勝を記録したところで名古屋場所は終わった  47連勝というこの数字はかなりまずい  次の秋場所前半に千代の富士の53連勝を抜く可能性が高い  抜いたら、双葉山の69連勝もはっきり視界に入ってくる  双葉山の69連勝には神聖不可侵めいたところがあり、アメリカ野球におけるベーブ・ルースの年間本塁打60本みたいな、一種の無形文化財といえる


’61年にマリスという選手が61本の新記録を打ち立てたが、こんにち彼を「マリスという選手」と書かなければならないほど全米の反感を買い、生涯冷遇され続けたそうである  私は子供だったので知らなかったが、ベーブ・ルースとの試合数の違いから、マリスの記録は当時公式には認められなかった  そういうことが白鵬の身にも起きやしないかと、少し危惧している


私自身、69連勝は破ってほしくない気持ちがある  しかし強いのなら破られるのも仕方がない  年場所数が違うとか、周りに強い力士がいなくてラクだとか、そういう問題ではないのだ  69回続けて勝ったか勝たなかったかだけの話である  そうは言っても、できれば来場所初日にコロッと負けてほしい^^;  困難な名古屋場所で、白鵬は本当によくやったと思うけど…

7月31日(土) サトウ出版

その電話があったのは5月6日だ  「サトウシュッパン」という会社名を名乗る男からだ  その会社名を「佐藤出版」として認識するのは、とりあえずは正しいであろう  男はこんな内容のことを言った  「夏期講習のテキスト見本を送りたい  ついては代表者の名前を教えてほしい」  ときは5月6日、まだ少し早いことは早いが、電話の奥で終始ざわつきが聞こえる


シーンとしていれば疑ったかも知れないが、事業所みたいなざわつきがあったので、二言三言言葉を交わした後、「それでは送って下さい  名前は云々です」と伝えた  とんでもない騙りだと気づいたのは、電話を切ったホンの少しあと  「あ、うっかりした、向こうの電話番号を聞かなかった」と、早速調べたら非通知であった  やられた  未だに見本を送ってこない


こちらの不用意な対応はあったものの、せめてサトウシュッパンの実在を確かめたくてネットで調べたが、塾関連の「佐藤出版」「サトウ出版」「サトー出版」は見つからなかった  塾関連でよくある騙りは、(私自身はやったことはないけれど)保護者を装ってライバル塾の動向を探る電話をするというものだ  しかしライバルもなにも、うちはミジンコみたいな塾だからなぁ^^;

7月22日(木) 街道をゆくぞ

熟年登山とか高齢登山などと言われて、登山が大きな流行になって久しい  私も山に登りたい気持ちは結構ある  だが今までの経験から、自分にはとても無理だと、登山本体は諦めている  20代の頃に何度かやった、ちびっ子たちを連れての低山登りでさえも、最後は這うようになる  また、高齢者のお供をしての単なる神社の参道登りも、高齢者に負ける有り様だ


体力がないのに加え、身体が硬くて動きに無理と無駄を生じ、更に消耗してしまうのだ  日頃の訓練によって克服できる面もあろうが、その「日頃の」って奴ができないのだ(-o-)  私はむしろ「街道歩き」をしたいと思う  東海道とか通称「鯖街道」など、歩いてみたいものである  これならウォーキング方法さえ身につければまず大丈夫  登山ほどの体力は要らないだろう


こんなことを書くのも、新聞広告で近畿日本ツーリストがそういうツアーを募集しているのを知って、ちょっと待てと思ったから  ツアーでは、現地までは鉄道やバスは使うみたいだから、私の思い描いているのとはだいぶ違うのだ  私の「街道歩き」構想は完全徒歩である  年を取ると赤ん坊に返ると言われるが、それじゃダメだ  年を取ったら江戸時代に戻らなきゃ^^

7月15日(木) 名僧対決2

昔のお坊さんは複数の寺で修行した  高野山で学んだ僧侶がその後比叡山で学んだり、比叡山僧が高野山で学んだ  留学である  だから比叡山出身の僧侶といっても、始めから終わりまで比叡山で修行を積んだ人は、むしろまれであったろう  しかしながら、平安鎌倉室町時代を通じて、誰もがその名を知るお坊さんはたいてい最終学歴・主要学歴が比叡山である


そしてそれらのお坊さんの唱える教えは、およそ密教とは遠いところにあるように思う  私の大雑把な考えはこうだ  密教は、密教グッズ一式がある特定の場所へ行かなければ、仏様に相まみえることができない  しかし比叡山から輩出した教えは、お坊さん自ら人々の中に入っていき、わかりやすく簡略であることが肝心なのだ  密教との最大の違いはこの点だろう


空海は各地に伝説を残したほど人々に親しまれているはずだが、そのわりには私の中で印象が薄い  後に続く人が困るほどに完璧な、密教という完全無欠の大ヒットを飛ばした一発屋  それに対して最澄は、最澄一代では終わりにならなかった  ヒットはしなかったが、日本の歴史にじんわり効いてきた  いろんなお坊さんが出るので、受験生にはかなり迷惑だが^^;

7月10日(土) 名僧対決

ライバルといってもいろいろあるが、名僧対決というのはどうだろう  歴史に残るライバル名僧としては、最澄と空海がおもしろい  2人は同じ時期の遣唐使として唐に渡った  ひと口に遣唐使といっても、2人の選ばれ方には違いがあったらしい  最澄は公式の学問僧として選任され、空海は今でいう「公募」に応募して受かったというタイプだったようだ


最澄は短期派遣型であり、半年ぐらいで帰国した  空海は民間人だったせいか、何年も滞在できて心行くまで研究に没頭できた  この差が、帰国後の2人の明暗を分けた  空海が持ち返った密教哲理は完璧であり、先に帰国して密教を広めていた最澄を圧倒してしまったのだ  空海の完全に対して最澄の不全未熟は明らかであった  権力者は空海に群がることとなった


だがここから先が歴史の妙味  実は最澄の後継者から歴史に残る高僧が輩出した  何故か  不全未熟のまま持ち返った教義を前に、最澄は悩み抜き、他の僧たちと議論を重ねざるを得なかった  穴ボコだらけの理論  不完全ゆえに議論の余地が残り、結果として比叡山延暦寺では「考える僧」「行動する僧」を生んできたのだ  ただ…、人気はやはり空海が高いかな^^


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