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2011年
6月30日(木) 大阪日の丸条例
私は毎年元日に近所をぐるりと散歩する習慣があるが、住宅街を2時間歩いても、日の丸掲げている家は1軒か2軒 そんなもんである 誰も日の丸のことなんか思っちゃいない この2時間の散歩範囲には国家公務員もいるだろうし教育公務員もいるだろう 企業のトップもいよう 右や左の評論家もいよう とにかく殆どの人は、日の丸掲揚なんか気にしちゃいない
それがどうして学校現場の日の丸になると、皆が皆、目の色を変えるのだ 皆が皆、目の色を変える理由が、以前は…子どもの頃はよくわかった きつい意見を言う人、泣きそうになりながら気持ちを表す人、いろいろな人がいた そして次第に、日の丸というのは単なる国旗ではあるが、戦争体験と切り離して論じてはいけないものなんだという理解に、自然に達した
今は…皆が皆、目の色を変える理由がよくわからない まして「公務員だから論」にはついていけない 公務員がきまりや命令を守るのは当然という言い方だ 公務員にしろ非公務員にしろ、「○○なんだから」という言い方には、「内心」とか「良心」を理解しようとする配慮が感じられない 男なんだから、女なんだから…、この言い方はイヤな人が多いんじゃないかな
6月22日(水) 路心余裕
おっと危ない! 今日も横断歩道で車と人が… 赤信号を無視して横断歩道を突っ切ろうとした車が、私の前を歩く老人とあわやという所だった 青信号になった横断歩道を老人と私が渡りかけたが、そこへ乗用車がかなりの勢いで走り込み、急ブレーキをかけたのだった ほかの車は皆止まっていた 飛び込みかけたその乗用車だけが白線を大きく越えて、目立った
こういう場面で事故を起こした運転者が必ずといってよいほど口にするのは「大丈夫だと思った」という言葉だ 私は車の免許を持っていないので車側の交通法規はあまり知らないのだが、「大丈夫だと思った」という言葉は奇怪ではないだろうか 運転者(あんた)が思うか思わないかが基準じゃァない 信号が赤になったら、思ったり思わなかったりせずに即停車だろう
運転者の皆さんは、正確な判断ができるほど立派な訓練を受けてきた人ばかりとは限らない また教習所だって、どこも皆優れた運転技術を教え込んでいるとは限らない ピンからキリまである運転者の技術差は、どこかで整理統一しなくてはならない 運転技術や個々の判断力には絶対に頼らない回路が必要だ 「赤になったら即停車」を墨守するのはスマートだよ
6月9日(木) 炉心溶融
やった?といえば、やらないという やらない?といえば、やったという こどもでしょうか いいえ東電 冗談じゃぁありませんぜ若旦那 えれぇことが起こってたんじゃぁありませんか ただちに健康にはとか何とか言ってる間に、炉心溶融ってぇのが始まってたそうで いかにも怖い語面だねぇ、炉心溶融 よくできた言葉だと思うよ メルトダウンじゃよくわからん
建屋爆発の時点で大量の放射性物質が拡散してたことが、今になってわかったってぇのも怖いねぇ 何も知らない国民は、ただちに健康には云々と言われるもんで、一抹の不安を抱きながらもすっかりだまされたっぷり浴びたって寸法だ それよりなにより若旦那 線量計の設置場所がマチマチだったこともわかってびっくりだ そもそも線量計が足りないってのがヘンだ
今更遅いけど、原発の周りにそれこそ同心円状に設置しておくべきだったよな ちょうどホレ、国土地理院が地図作る際に使う三角点とか水準点みたいな感じで、原発作ったらそれぐらいやっとけってんだ でもその管轄が文部科学省ってぇのが少し不思議だ若旦那 科学技術関係だからでしょうが… 海外からの寄贈線量計は厚生労働省に集められたんでしょ?
6月5日(月) バカヤロー国会
国会を国会議事堂で開かねばならない規則があるのなら仕方がないが、そういう規則がないなら、いっそのことしばらくの間は岩手宮城福島各県で持ち回り開催をしてはどうか 被災地の体育施設などに議事ができるスペースを設ければ簡単だろう 青空国会だって一向に構わない 何か問題があるのだろうか 泊まる所も議員食堂もないから不可能だとは言わせない
10万人もの人たちが避難生活をしており、まもなく3ヶ月になる 3ヶ月の仮設生活がどういうものか、国会議員すべてが3ヶ月間体験したらいい ここ数日の議員たちの無礼な態度、被災者に対して無礼な態度は何だ ホテルマンだか秘書官だかに恭しく礼をされ車のドアを開けてもらい、いかにも慌しげに大理石の玄関に入っていく ふざけるのもいい加減にしてほしい
国会なんかどこでも開けるんじゃないのか 被災3県で開くのがいやならしょうがないが、いやじゃないなら開いたらどうだ 安全が保てない? 当たり前だ 大津波大震災原発大事故被災地なんだからとても危険だ でも地元の人は大人も子どもも皆そこに住んでる そういう人たちが見える場所で国会を開け このままだとホントの意味でバカヤロー国会だ
5月29日(日) スタバ亭四迷
台風2号が近づく中、朝方から少し遠出の用向きに出た 駅コンビニで缶コーヒー「ルーツ」を買い、電車に乗った 幸い帰りがけにも雨はそれほど降っておらず、この分なら慌てて帰らなくてもと、目に留まった「スターバックス・コーヒー」に入った ドトールやベックスなど他のセルフ型コーヒー店はわりあいに近くにあるので時々入るが、スタバはたぶん初めてだ
それはとりもなおさず私の住まいや行動範囲が、スタバの徹底したマーケット・リサーチに無縁の所にある証拠になろう^^; 後から知ったのだが、スタバの方法は「スタバに行こう」と思いたくなる店作りなどしていなくて、とにかく立地を最高にすることだけだそうだ 付近を通るとスタバの看板 吸い込まれるように入店してしまう立地位置のみが生命線だという話である
つまりコーヒーの味など二の次らしい 合点がいった 今日私は初めてスタバのコーヒーを飲んだが、味に疎い私ですら、飲んだ瞬間「ウグェ!…まずい」と思った これほどまずいコーヒーを売る店がなぜ評判を呼ぶのが不思議だ 調べたら上記のことがわかったのである なお、帰りの電車の中で缶コーヒー「ルーツ」の残りで口の中をゆすいだのは言うまでもない
5月28日(土) 原発の友
もう20年以上、週刊誌を読んでない 床屋や喫茶店でパラパラめくることはあるが、その程度だ それから駅売りの夕刊紙(フジ、ゲンダイなど)も、殆ど読まなくなった ある時ふと思ったのだ こういう文(文体)を読んでると気持ちが粗雑になりそうだと… 練られていない文章、雑駁な論 文だの文体だのを言うほど文章に詳しくはないが、心が荒んでいくのを感じた
ところが先日ひょんなことから「サンデー毎日」を手にして、原発関連の記事をざっと読んで驚いた なんてよくわかるのだ! あぁそういうことだったのか… 新聞がいくら懇切丁寧な解説を載せても、それがどれほど素人にわかるように書かれていても、はっきり言って殆ど理解できなかった 書いてあることはわかっても、それが危険なのかどうか、新聞はぼかしていた
依然として「サンデー毎日」の文は粗い 読んでいてザラッとするいやな感触がある しかし記事自体の突っ込み度は高いことが、読んでいてわかった 新聞が全く書かないこと、触れないことをちゃんと指摘している 「サンデー毎日」がどうのということではなく、週刊誌の役割がそういうものだということに、やっと気がついた 原発に関しては、新聞は隔靴掻痒状態だ
5月22日(日) 足腰鍛錬の友
駅ホームの昇降はほぼ必ず階段を使う エスカレーターなどはまず使わない そこに100人エスカレーターを使う人がいて、私ひとりが隣の階段を上がるというシーンも数知れずあった 意地ややせ我慢ではなく、使える足腰はちゃんと使いたいのだ そういう気持ちでいてもどんどん足腰がへらへらになってくる今日この頃 最近その加速度が増して、危機感を持っている
というわけで足腰鍛錬運動柔軟運動を今日は1時間半やった 普段は30分ぐらいでお茶を濁すのが常だが、今日の決意は固かった やる以上は音楽だ バックに流す曲目で長続き度がかなり違うのだ まずクリスタ・ルードヴィヒ(メゾ・ソプラノ)によるマーラー「亡き子をしのぶ歌」 長続きの始まりだった もともとルードヴィヒが好きで、不思議なCDも持っている
本来は男声独唱用の「冬の旅」(シューベルト)を、メゾ・ソプラノで歌った逸品というか、変品である 鍛錬2曲目はモーツアルト「ピアノ協奏曲23番」 3曲目はハンガリーの作曲家コダーイの「ハーリヤーノシュ」で、滅多に聴かないが随所に使われるツィンバロンという楽器がおもしろい 私も拙作「パンを届けに」で使ったが、そのことは全然知られていない^^;
5月2日(月) 蔵書大処分2
本がまだ押入れの奥深くにもあることを思い出し、今日も蔵書大処分を続けた そもそもこんなに量が多いとは思わなかった 10年ほど前に一度処分を決めたことがあり、紐で縛って資源ゴミとして出した気になっていた 実は押入れの中に入れてしまったのだ 後でやろうとでも思ったか 見えない所に置くのは、本の場合は避けるべきだな 結果として何もしない
今日もわずかな数だが手元に残し置く本を選んだ 「星を継ぐもの」(J.P.ホーガン) SF小説の大傑作だ SFに傑作はたくさんあるが、これは人類の来し方を考えさせて別格 骨格の立派な堂々とした作品だ 司馬遼太郎「空海の風景」 司馬にもおもしろいものは数多くあるが、二百年後に古典として読み継がれているのは「空海の風景」だけのような気がする
手放すことにしたもののうち、神田辺りの古書店ならまァ買ってくれそうなのは「新潮日本古典集成」のいくつかだ バラで買ったのであまり歓迎はされないだろうが、邪険にもされまい 「平家物語」「方丈記・発心集」「芭蕉文集」だけは残して、あとは処分することにした おっと、「更科日記」も残しておこう いや、いかんいかん! 蔵書大処分に情けは禁物じゃ
5月1日(日) 蔵書大処分
段ボール10箱分ほどの古本を整理した 所蔵本の90%になるだろう とにかく身軽になりたい いつかまた読もうと取っておいたのが30年40年経っても手付かずだ あと何年生きられるかわからないが、段ボール10箱分も本を読む日々が待っているとは思えない 我ながらほとほと愛想が尽き、自分に有無を言わさず処分することにした ごく一部を残して…
残したもので最古の本は「バンのみやげ話」(石森延男) 人生で唯一、何度も何度も読んだ本だ 60年代の世界状況の中で小学生向きに書かれた稀有なお話 もう読まない気がするが捨てられない 北杜夫「楡家の人々」も残した こんなおもしろい物語は初めてだった いまだにこれを超えるものに出会っていない これももう読まないだろうが捨てられない
残したのは物語ばかりではない 「稲作以前」(佐々木高明)という本 人生で唯一、始めから終わりまで鉛筆で線を引きながら読んだもの 今では定説となっている縄文時代の稲作説を早くから唱えていた本だ 興奮した私の目からうろこが何枚も落ちた 到底捨てられない ほかには「夜と霧」「赤毛のアン」… どう見ても並べるのがヘンな取り合わせだが…
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