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2012年
12月22日(土) 怪球Xあらわる
修理のため東京タワー最上部の支柱を外したら、中から野球のボール(軟球)が出てきたという なぜここにこんなモノがと、考えられる理由が新聞に載っていた 建材置き場で遊んでいた子供がボールを入れたという説 だが草野球で使うのは、たいていは今でいうソフトボールの小さいものだったはず 「三丁目の夕日」当時、子供が軟球を気軽に使うことはなかった
軟球を使うのは中学校の野球部が多く、あとは町なかの少年が勝手に結成した野球チームだが、これは数が少ない 子供が支柱に入れたというのは、当時の軟球事情から考えると可能性としては小さい気がする ではなぜ軟球が支柱に入り込み、55年間も東京のてっぺんに居続けたのか 初めからそういう設計だったというしかあるまい もちろん極秘設計である
軟球は始め地上に接した支柱の中にあったに違いない よじりよじり登っていくように、極秘設計されていたのである そして実際、よじり登っていった 日本が高度経済成長を進めるのと歩を一にして、支柱の内側で身を削られながら登っていった てっぺんでボロボロになった軟球の姿こそ、日本を立て直したお父さんのココロだァ 小沢昭一の声が聞こえてくる…
12月6日(木) 中村勘三郎の死
小学生の頃、少年雑誌のグラビアか何かで、歌舞伎という芝居での活躍が期待されている子供の写真を見たことがある いくらか華奢で生意気そうで、私と同年くらいの年恰好 ○○な勘九郎くんという風な見出しか説明がついていた それ以来、勘九郎だの勘九郎くんだのという言い方は折りに触れて耳にし、遠い世界ながらあぁあの写真の子かと思い出すのであった
勘九郎時代が長かったせいか、勘三郎襲名後も、あの顔で思い浮かべるのは勘九郎という名である 私が歌舞伎実演を見たのは1度だけ、それも貰ったチケットで何もわからずという歌舞伎知らず ただ、老後の楽しみになるかもと90年代にTV放映されたものをたくさん録画した その中に勘九郎時代の「文七元結」があった気がする エネルギー溢れる役者であった
私のような無関心層をもいつの間にか知らず知らず歌舞伎を見る気にさせてきたのは、中村勘三郎の情熱と努力があったからだと思う いろいろと間口を広げた役者さんである その間口のどこかで、無関心な私が掬い取られたのかも知れぬ 芸人の死はいつも何がしか自分の過去を思い出させ、いくらかの感慨を起こさせるが、勘三郎の死ほど口惜しく思ったことはない
12月2日(日) 熊も八も忙しい
例年、12月1日になると私の活動が活発になる それはひとえに、この日が「終わりの始まり」だからであろう 終わりの始まりという表現は近年非常によく見聞きする言葉で、日本という国家の終わりの始まりとか、人類史の終わりの始まりのように使われる ただ、12月1日が終わりの始まりということに関しては、誰にも異論はないと思う 年末の始まりなのだから
で、なぜ私の活動が活発になるかというと、何をやったらいいか、何をやるべきか、とても明瞭に理解できるからである 11月まではそうはいかない 10月のカレンダーを破り捨てて11月が現れた時、あぁカレンダーが薄くなったなあという感慨に襲われはするが、それが直ちに何かの行動に移されることはまずない しかし12月のカレンダーが現れた時は、粛然とする
そして、まさに師走の名の通り、あれを済ませこれを済ませ、つまりはほぼ1年間やらずに済ませてきたいろんなことを、一気に片付け始めるという寸法だ そういえば、…という寸法だという表現を最近全く聞かない せいぜい落語や時代劇で、「…って寸法よォ」みたいに耳にする程度だ これはもう死語なんだろうか あぁ、そんな暇はない 今日はもう2日なんだから
11月25日(日) シュートめ、シュートめ
昨年はなでしこジャパンのおかげで、サッカーに少しはついていけるようになった 今年は、というよりも昨日は、サンフレッチェ広島の佐藤寿人という選手のおかげで、より一層サッカーについていけそうな気がした 広島が優勝間近ということもつい最近知ったほどで、佐藤寿人という名前も初めて耳にした そのくらいサッカーに興味がないのだが、そうでもなくなってきた
来たボールを1回だけ蹴ってゴールさせる 佐藤選手のやり方はただそれだけを目指しているそうだ 私などはそれが普通だと思うが、JリーグやW杯の試合を見ると、多くの場合日本の選手はゴール前になるとボールを足元にグルグル回して、何だかいろいろとやっている 私にはそれがよくわからず、そうこうしているうちに敵にボールを奪われてしまうのだ もどかしい
身長が低い上に、他の選手よりも優れた技術があるわけでもない佐藤選手が編み出したのが、シンプルな「一発ゴール」ということらしい ドリブルで相手をけん制するようなことはせず、来たボールをシュートするだけ 結果から見ると「たまたま運良くそこにいた」ということらしいが、佐藤選手はそれを完全否定している 失敗もあるようだが、潔くて気持ちいいサッカーだ
11月22日(木) 1円玉エレジー
負けた…と思った ついにこの日が来たかとこうべを垂れた パンを買いに行ってレジで支払いを始めた時のことだ 例えば574円ですという店員さんの声に、以前の私なら迷うことなくまず4円か74円を素早く出して、その後おもむろに(…というほどでもないか^^;1000円を出す つまり忙しい店員さんが釣り銭を出しやすいように、まず端数額を出すことが多かった
それは取りも直さず、我が家の1円玉を減らすことになる 1円玉には悪いが、1円玉ほど厄介なものはない 100個たまっても100円に過ぎない 100個たまって100円というのは律儀といえば律儀だが、場所を取るだけだ だからSuicaを使えない店に行く時は、たいてい1円玉を持っていく 5円玉がある時は5円玉プラス1円玉4個 これで端数はクリアできる
しかし今日の私は惨めだった たしかに9円が入っているのだが、小銭入れの中からそれを取り出せないのだ 1円玉と5円玉と10円玉と50円玉と100円玉が入っている豪勢な(笑)小銭入れなのだが、それぞれの区別がはっきりわからず、小銭入れをごちゃごちゃとかき回してしまった 視力の衰えもあろうが、おたおたするばかりであった 私の青春は終わった…
11月9日(金) 秋の既視感
そこにそういうマンション群があり、そういう街路が続いていることは知っていた 数年前に何かふと道を曲がりたくなって、ある街角を曲がった しばらく進むとそのマンション群の周辺に出たのだ 秋であった 街路樹の黄葉が綺麗だった 黄葉はある程度は予想できたものの、マンション群の壮暗なたたずまいには驚いた 冷たく高くしんとして、厳かですらあった
心奥に宿る懐かしい場所という感じがするのだった その街路がマンション群の表側を通っていたなら、そんな感覚には襲われなかったろう 布団や洗濯物が陽に当たっているだけの、普通の明るい日常風景に過ぎない しかしその場所はたまたま裏側で、通路や階段のある冷え冷えとした面を通りに向けているのだ 時刻は昼頃 静かで、心の安らぐ空間であった
それ以来、年に1度、秋も深まる頃にその辺りを訪れるようになった 駅からそんなに遠くもなく、何千もの人間が住んでいるはずなのに、巨大なコンクリート塊と黄葉と青空に囲まれた真昼の時空は異様に静謐だ ずっと昔から、その日その場所にいることが約束されていたような、甘く刺さる感覚 少し離れた所で背を向けて歩く小さなお婆さん まるでフェルメールの絵だ
11月3日(日) 文化の日
これはそも何なのか、知らないのが私だけだったらどうしよう、というようなモノや言葉を、最近とくに見聞きするようになった 数年前からスーパーマーケットなどで妙に大袈裟に売り出され始めた「恵方巻」 関西発祥のようだが、私はその言葉を知らずにいた 実物を見たとき、なんだ只の巻き寿司ではないかと思った それは案外正しい 実際、只の巻き寿司であった
Jack-O'-Lanternという表記に初めて出会ったのは、だいぶ前の英語教科書だ インターネットも普及していない時代だから、どうやって調べたのだろう、覚えてもいない とにかくハロウィンという行事で使われる言葉だとわかった 子供がお菓子を貰ってまわるお祭りのようだが、目つきの悪いヘンなカボチャお化けの印象のせいか、日本で流行るとは思えなかった
それがいまやハロウィンなくしてはニッポンの10月は終わらないほどだ 目つきの悪いヘンなカボチャお化けと思うのはどうやら私だけのようだ 子供が楽しい気持ちになるのならそれは何でも構わない ただ私は、あの目つきの悪いヘンなカボチャお化けを今のところ歓迎する気にはならない もうちょっと丸っぽく柔らかく温かいキャラクターの方が好ましいではないか
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