ことばの遊園地〜詩、MIDI、言葉遊び
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2013年

1月14日(月) 寒い朝

関東南部が予想を超えた大雪になった  雪の多い北陸東北北海道からみれば何だと言われそうだが、関東南部は1cmでも雪が積もると恐慌をきたす  それは、雪への備えがほぼゼロだからである  関東南部で積雪対策をいちばんやっているのはたぶん交通関係だろうが、それでも運休が相次いだようだ  私自身は専ら子供が通る箇所の雪掻きだ  ちり取りで^^;


雪国で使うような雪掻き道具も売っていることは売っているが、多くても外階段周り2、3cmの雪だから、いつもちり取りで済ませている  これがなかなか使い勝手がいいのだ  ただ、明日の朝はかなり冷え込むというから、階段や道路での歩行には気をつけなくてはならない  寒い朝になるだろう  「寒い朝」…昭和37年に吉永小百合とマヒナスターズが出した名曲だ


名曲と言う人はあまりいないが、私は名曲だと思う  そして「寒い朝」を聴くといつも決まった情景が浮かぶ  サウンドのせいだろう  吉永小百合とか昭和37年とかに関係ない、決まった情景  小学4年生の教室である  窓がある  もはや顔も定かではない皆が三々五々何かをしている  私の場合小学4年生は懐かしく温かく、思春期直前、穏やかな最後の年頃だ

2012年

3月4日(日) 黒いオルフェ

これが音に聞こえたあの「黒いオルフェ」?  無知とは悲しいものである  何も知らずに映画「黒いオルフェ」を見始め、キョトンとしつつ見終えた  脚本が滅茶苦茶だと感じた  何というか、継ぎはぎを繰り返したような…  でもカンヌ映画祭ではグランプリ、米ではアカデミー賞外国語映画賞を獲った権威ある作品なのだ  私の理解できない良さがどこかにあるんだろう


それで調べ始めたら、ネット上でも毀誉褒貶感動失望様々なのを知った  あぁ、ギリシャ神話のオルフェウス物語を当時のブラジルに移植した設定なのか  無知も極まれりだ  何か妙なエピソードが随所にはめ込まれてるとは思ったが…  オルフェという名前から類推できるというもんだ  ではギリシャ神話を知ってればもっと楽しめたかというと、それもどうも言えそうにない


50年以上前の古い作品だが、音楽があまりにも有名なのでいつかは見たいと思い続けていた  たしかにオルフェの奏でるギターや歌は素敵だったし、カーニバルの音楽は聴く人を圧するものがある  美しいカットシーンや風景にも魅せられた  だが肝心のストーリーが、賞を獲るようなものとはとても思えない  カーニバル紹介やブラジル音楽紹介の功だったのだろう

1月22日(日) トゥランガリラ名盤

TV番組欄を眺めていたら、N響アワーで「トゥランガリラ交響曲」を放送することを知り、たしかこの作品のレコードを持っていたっけ…  随分長く聴いていないけど、ちょっと聴いてみる気になって探した  メシアンというフランスの現代作曲家による、途方もなく長くてつまらない音楽  そういう印象しかなくて、レコードを探すのにも手間がかかったほど、長く聴いてなかった


2枚組5000円  帯に書いてある定価にまず目がいった^^;  今、5000円でこういうモノを買う気は起こらないな  これを買った頃は勤め人だったから買う気になったんだろう  30代の小澤征爾がトロント響を振った名盤と言われている  買った当時はカップリング曲の「ノヴェンバー・ステップス(武満徹)」が目当てだった  今回改めてトゥランガリラを聴いて驚いた…


お、ちょっといいなと思ったのだ  いや、なかなかいい  私にコレがわかるとは想定外の事態だ  ただ、あまりに長くて途中で飽きるのは以前と同じ  気になったのは、このレコードのパワフルさに比しての小澤征爾の近況だ  先日も水戸室内管弦楽団の指揮を途中で降りたという  残念だが現役指揮はもう諦めて、後進指導に専念した方がいいのではと思うのだが…

2011年

10月30日(日) 小さな木の実

我が家では、「みんなのうた」はたぶんその初回から見ているのではないかと思う  なぜ見始めたかは定かではない  見ようと思って見たのではないだろう  でも私はスグにファンになった  「おお、牧場はみどり」「トロイカ」など、今となっては健康過ぎて困るような歌が毎日流れて、私には至福のひとときであった  ある新聞記事を目にし、そんなことを思い出した


昨日の新聞に「小さな木の実」の特集が載っていたのだ  もっとも、私にとって「みんなのうた」が至福のひとときであったのはほんの数年  十代も半ばになると「みんなのうた」どころではなくなり、遠ざかってしまった  「小さな木の実」が最初に流れたのは70年代初めだったらしいが、いちばん遠ざかっていた時期だ  そんな歌が評判になっていることすら知らなかった


原曲はビゼーの劇中歌らしいが、「小さな木の実」は既に元歌を超えた存在といえるだろう  ビゼー自身もこのメロディーにはさほどの自己評価を下してはいないようで、歌劇音楽の組曲版には組み入れられていない  以前原曲の楽譜を探し回って、そのことを知った  だからビゼーのメロディーに生命を吹き込んだのは、ひとえに日本語の歌詞と言って構わないだろう

4月7日(木) もうひとりのトラさん

先日久し振りに図書館へ行った  目的は広沢虎造の浪曲集を借りるだけ  パッと行ってパッと帰る  昔からどういうわけか、図書館玄関を入ると腹の具合がおかしくなる傾向がある  何か緊張するものがあるんだろう  それである時から、目的を決めて一発で済ませることにしている  最近はPCや携帯でも蔵書検索ができるので助かる  今回も調べてから向かった


図書館には広沢虎造のテープしかない  CDは置いていないのだ  テープを借りる人さえ稀なので、CDをそろえる必要がないのだろう  または図書館員に知識がないか  日本の伝統芸能として民謡までは思いつくだろうが、浪曲まで守備できる図書館員がいないということかも知れない  そういうわけで、松戸市立図書館検索で、「広沢虎造」を検索すると×が3つ付く


その3つは私が借りているなう^^;  ほかに誰も借りないとみえる  私も浪曲を聞くことはあまりないが、行き詰った時などにたまに聞く  義侠心、忠義、礼節、心意気、…  大津波大震災原発大事故の報道の中で、言い方は違ってもこういう心性を数々見聞きした  海外が驚嘆したのはこの心性だろう  だから恥ずかしい  首都圏での買い漁り、被災地での空き巣…

1月6日(木) おまけの功

70年代前半にインターネットが普及していたと仮定して、グリーグのピアノ協奏曲をダウンロードで購入していたら、シューマンとの幸運な出会いはなかっただろう  ずっと後になって「いらぬ知識」が増えてから聴き始めたに違いない  ピンポイントでそのものを手に入れるのは大変便利ではあるが、自分の行く手を狭めている面もあるのだ  「人生、B面に宝あり」である


B面というのはおまけであり、余白・回り道といってもいいだろう  何らかの理由によって、希望していたのとは違う道を行かざるを得ない場合は少なくない  しぶしぶ歩き出して、やがて思いも寄らぬ場所へ辿り着くことになる  思いも寄らぬ場所ではあるが、そこはより広大な見晴らしの利く場所であり、その道を選んだことにいささかの悔いも浮かんではこないだろう


回り道ができること、それだけの余裕があることは、若さの証拠である  逆に言えば、回り道ができなくなったら、あるいは周囲の人の回り道に付き合っていられなくなったら、「そろそろ」である(笑)  注文したランチセットがなかなか来ない…  いらいらしたお年寄りがアルバイト店員をどやしつける  よくある光景だが、「そろそろ」なのかも知れない

1月5日(水) シューマン讃

昨年はシューマン生誕200年ということで、いろいろな演奏会でシューマン作品が取り上げられ、ファンにとってはありがたい1年であった  私の記憶では、シューマンの管弦楽曲がこれほど演奏された年はない  シューマンの管弦楽曲は、ともすると欠点(?)と共に語られることが多かった  楽器の重なりが悪い、同じリズムをしつこく反復する、演奏しにくい等々…


私のシューマン初体験を書けば、それがそのままシューマンの管弦楽の素晴らしさを語ることになるはずだ  二十歳前後のこと  当時ピアノ協奏曲といえばチャイコフスキーかグリーグが抜きん出て有名だった  私はまずグリーグのレコードを買った  そのB面がシューマンのピアノ協奏曲だったのだ  シューマンなんて知らなかった  畳に寝転がってついでに聴いた


寝転がって聴いているうちに、私の身体がむずむずと火照ってきたのだ  細胞のひとつひとつが運動を始め、熱を帯びてきた  なんだこれはと起き上がり、耳を澄ませてちゃんと聴いた  興奮した  作曲者や楽曲の知識が入る以前に、直に音楽が私に入った、たいへんに得がたい体験であった  欠点(?)といわれることのすべてに、私の全身心が歓喜していたのである

2010年

9月23日(木) 楽しみ方いろいろ

先日クラシックの演奏会に行ったときのこと  隣に座った知らないおばさんがどうもうるさい  大きな音を立てるわけでもなく、大声で喋るわけでもないのだが、やたらに動くのだ  バッグからオペラグラスを出したり入れたりを繰り返す  私も時々「あぁ、オペラグラスがあったらなあ」と思うことはあるから、隣のおばさんのオペラグラスが欲しかった  ではない^^;


このおばさんはまた、リズムに合わせて身体をカクンカクンさせるのだ  静かにやっているつもりなのだろうが、座席はつながっているので、震度2の揺れが伝わる  そのうち、ある法則に気づいた  曲が静かな時はおばさんも静かなのだ  リズムも取らずオペラグラスも取り出さない  曲が激しくなるとオペラグラスをかざしつつ身体を揺らす  やがて曲は佳境に入った


私にとって不運だったのは、その曲がチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」だったことだ  第3楽章は管弦楽の大咆哮が続き、おばさん揺れっぱなしだ  最後の1音が終わるとおばさんはガタッと手を下ろした  なんとそのまま眠り込んだのである  続く第4楽章のゆるやかな音楽はおばさんのオペラグラスの対象ではなく、私はようやく悲しみの音楽に浸ることができた

5月25日(火) 百恵の名曲

YouTubeで山口百恵が「冬の色」を歌っているのに出くわした  この曲以降にも数ある作品の中から、投稿者がなぜこの曲を選んだのか  それは分からないが、コメントのいくつかを読んで少しは納得できた  「冬の色」には隠れたファンが少なくないみたいなのだ  初期のヒット作のひとつではあるが、歌詞も歌詞なら曲も曲、声を大にして「好きだ」とは言いにくい曲だ


私は「冬の色」が大好きであった  今でもそうだ  しかしこの曲は発表当時から「幼稚だ」「単純だ」「時代遅れだ」などと言うムキがあって、好きなものは好きなんだけど、これを好きだということは私が幼稚で単純で時代遅れということになりかねず、My トップシークレット^^;としてずっと黙ってきた  もういいだろう  「冬の色」は、幼くシンプルな名曲である


百恵自身は恐らくこの曲を好きではあるまい  その後の発言などをみると、こういう曲よりも、「プレイバックPart2」みたいな阿木・宇崎路線の方を好んでいるようだ  しかし…ここだけの話だが、阿木・宇崎路線の数々の楽曲はホントにいい曲なんだろうか  私には不満が残る  「ささやかな欲望」「いい日旅立ち」「冬の色」…この叙情3曲が、百恵の代表曲だと断じたい

1月20日(水) 再開の辞

チャイコフスキーの交響曲といえば「4・5・6番」  熟達していて、それぞれに熱い胸のうちを聴くことができる名曲である  しかし近頃私は「1・2・3番」が捨て難い作品だと思うようになった  クラシックを聴き始めた頃から「若書きで完成度が低いはずの1・2・3番のレコードが少なくない」ことに不思議な感じを持っていたが、ようやくその理由がわかってきた


あぁいかにもチャイコフスキーだといった意味での、後期3作品の芽が随所に聴かれるし、若いゆえの精一杯の雄叫びのようなものも聴かれる  細部に耳を澄ませると、実に繊細な魅力に溢れた作品なのだ  同じことはドボルザークにもいえる  「8・9番」が飛び抜けて有名で、あと「7番」がまぁ何とかサマになってる作品だと思い込んでいた


たまたま昨年ドボルザークの「1番」を聴く機会があり、「これ、いいじゃないか」と思った  ちょっとまとまりの悪い部分はあるものの、苦心惨憺、精一杯ドボルザークであらんとする意気込みを感じた  若い時代の作品に惹かれるということは、たんに私自身が若さに飢えているのかも知れぬ  …長い間休んでいたこのコーナー「アンダン亭から」、再開します(;^。^A

2008年

5月19日(月) 迷路のような名曲

ラフマニノフ「ビアノ協奏曲第3番」と、エルガー「チェロ協奏曲」  共通するのは、曲の出だしが比類ない名旋律で、曲全体もたしかに名曲なのだが、滅多に全体像が掴めないこと^^;  特に前者の冒頭第1主題は、しばしばドラマのBGMに使われるほどで、受けのいい素晴らしい旋律である  そこだけいつまでも聴いていたいと思うほどだ


だが冒頭の名旋律の後は、ビアノテクニックを極限まで押し進めたような、素人耳にはツボの掴めぬ延々たるフレーズが続く  終始集中して聴いていないと、華麗な迷路に入り込んだみたいで、よくわからない  聴き心地は悪くはないものの、とりとめがなく出口の見えない状況に陥るのだ  この曲を、本当に第1級の名曲だと認識できたのは、1、2回


さて逆に、エルガー「チェロ協奏曲」の方は、素人耳にはいくら何でも渋すぎる印象を与える  これも楽曲冒頭が独特の高貴さを放つ  そして、少なくとも第1楽章にはついていける  渋くてパッとしなくて、シューマンのもそうだけど、チェロ協奏曲はこうでなくちゃ!  だが第2楽章がどうもよく呑み込めず、これは一体どうなっているのだろうと、思う間もなくトンネルだ(笑)

3月28日(金)牧村三枝子・この1曲

静かで淡々とした「冬仕度」をおいてほかにあるまい  多少ヒットしたかも知れないが、あまり話題にはならなかった曲だ  とにかく自己主張のまるでない歌なのだ  ギターによる前奏間奏  たいていの演歌では、涙こぼれんばかりのパッセージを「これでも泣かないのかおまえ」と言いたげに聴かせるものだが、「冬仕度」のギターには全然それがない


こんなことでいいのかと思うほど、ギター・フレーズは単純だ  出だし、単音で3つの同高音を奏でてみせるだけである  ストリングスも同様に単純だ  この困った曲を、牧村三枝子は「これがヒットしたら困るわ」とでも言いたげに、できるだけ目立たぬように歌うのであった  作曲者は晩年の遠藤実  計算し尽したシンプルな演歌に、三十そこそこの私は聴き惚れた


単純と書いたが、これをカラオケで歌うのは相当難しい気がする  既に「演歌師」という持ち歌があり、自身その呼び名を背負っていた牧村三枝子だからこそ歌える  微妙で、上がり下がりの大きい旋律なのだ  それでいて静かに目立たぬように、喝采を浴びないように歌わなくてはいけない  自己主張のデパートであるカラオケでは、あまり受けない曲に違いない

3月27日(木)中島みゆき・この1曲

中島みゆきの歌には2つの系統(要素)がある  ひとつは失恋歌の系統、もうひとつは人生・世の中観想歌の系統だ  デビュー当時から、叶わぬ恋、失恋歌の名手として名を馳せる一方で、それとバランスをとるかのように、常に人生・世の中観想歌を発表してきた  ただ、いい歌はデビュー後の数年、70年代後半から80年代始めに集中している


もっとも、私が知らないだけで、その後もいい歌はあるのかも知れないが…  「人生・世の中観想歌」あるいは「まあゆっくり生きていきましょう歌」とでもいうべき特異な系統の歌で、よく知られているのは「時代」だろう  発表当時から賛否が多い歌で、私は賛と否の中間よりやや否に近い  決して悪い歌ではないと思うが、とりたてて感動を呼び興すものでもない気がするのだ


この系統の一番の名曲は、加藤登紀子が歌い本人も歌っている「この空をとべたら」に尽きるだろう  しかし私は敢えて別の「隠れた名品」を挙げたい  最初のアルバムに入っている「渚便り」だ  この簡素で清潔な世界もまた、中島みゆきなのだ  最初のアルバムを持っていなかった私は、「渚便り」ただ1曲のために、数年前わざわざCDを買ってしまいました^^ゞ

2007年

12月2日(日) ベートーベンの第3

先日、ベートーベンの第3交響曲「英雄」の実演を聴く機会に恵まれた  クラシックの数々の名曲の中で最も好きな曲のひとつだ  これを機に、以前このHPの別ページに掲載し、その後ページごと削除した小文を、加除修正して以下に再掲したい


…そもそもベートーヴェンの「英雄」から、果たして本当にヒロイックなイメージが浮かぶのか  全曲のどこに、英雄らしい姿、雄渾なメロディーがあるのか  息せき切ってあわてふためく第一楽章、嘆きの第二楽章、突っ掛けサンダルで飛び出したような第三楽章  わずかに第四楽章だけが、英雄の名にふさわしい風格をもつに過ぎない  それも変奏曲という理由でおのずと生まれた風格である


「第3」でベートーヴェンが意図したのは、たんに「人間合格」というほどの意味なのだろう  これほどに人間らしい複雑な味わいに満ちた曲を、私はほかに知らない  一点のスキもなく仕上げられ完璧を誇る「第5」以降の作品  そのどれよりも、ベートーヴェン自身が「おれは変ホ長調(第3)がいちばん好きだ」と晩年に語っている事実は、もっと注目されていいだろう

10月31日(水) ニッポンの歌

何年も前だが、ソプラノの鮫島有美子に関する記事を読んだ  その中で鮫島が、「自分は日本人なので日本語の歌を歌いたいのだが、日本にはいい歌曲があまりない」とこぼしたところ、夫であるヘルムート・ドイチュ氏から「日本には素晴らしい子どもの歌がたくさんあるじゃないか」と言われて目が覚めたというようなくだりがあった  鮫島版「浜辺の歌」の始まりである


日本の子どもの歌は、世界から見ると「特殊な分野」ではないだろうか  文部省唱歌もそうでない歌も、結構出来がいいものが多い  時代を超えた普遍性をもつのだ  本格歌曲狙いで作られた鑑賞用のものよりも、子どもの歌として作られた学校用・家庭用のものの方がずっと出来がよく、いい歌が多いからおもしろい  本格歌曲で知られているのは何曲あるだろう…


ところで日本の子どもの歌を、鮫島をはじめプロ歌手が西洋音楽の歌唱法で競って歌うのはどうかと思う  オペラなどでも言われることだが、何を言ってるのかよくわからないことが多いのだ  子どもの歌は子どもが歌うべきでしょう  それも訓練された合唱団ではなく、普通の子どもたちの声で…  NHKなどで流れる綺麗な歌唱は、あまり私の好みではない

10月27日(土) 曲名について

今月アップした2曲のタイトル(曲名)は、これまでの私のタイトルのつけ方と違う面があるのでちょっと説明  「風が沢子を美しくした」…例えば西欧ルネサンス期からバロック期あたりの俗謡ならいざ知らず、今の世にこのタイトルはあまりにも純朴な文学青年風に過ぎる  実はこのタイトル、四畳半暮らしの学生時代、一大決心をして書き始めた長編小説につけたものである


長編小説とはいっても、結局原稿用紙5、6枚で諦めた^^;  小説などまともに読んだことのない者に、書けるはずもなかった  でもその時のタイトルはかなり気に入ってしまったので、いつか何かに使おうと考えていた  使うのに35年ほどかかった(爆)  今回のギター独奏曲の雰囲気が「風が沢子を美しくした」というタイトルにちょうどいいという感じをもったのである


もうひとつ、「Landing light」というタイトルは、「沢子」とは逆  私にとって全く新しいつけ方になった  これまで、英語仏語などをそのままの綴りでタイトルにすることはなかった  日本語のタイトルに結構こだわってきたし、これからもそうするつもりだが、この曲にちょうど合う日本語が見つからず、一度だけ人格変容(笑)して外来語そのままで表記することにした

6月25日(月) 舟木一夫・この1曲

舟木一夫といっても、今の若者にとっては、ちょうど私が「東海林太郎」と聞いて思い浮かべるイメージと近似するだろう  有名なので名前ぐらいは知っている、親や祖父母の世代が懐メロ番組を見るから古い映像も少しは見ている、そして何よりもあまりに生真面目な歌いっぷり…  舟木一夫は私より0.5世代つまり4、5年上の人である、いちおう言っておきたい^^;


舟木一夫の歌は、普段はとても歌えない  大の大人が歌うには純朴過ぎて、いささか気恥ずかしいのだ  でも私はとても好きだ  他の古い歌手(の歌)もそうだが、古いけれど好きな歌を、昔懐かしい歌・懐メロ・若い頃の思い出の歌として歌ったり聴いたりする感覚は、私には全然ない  好きな歌はすべて、今の私と共にある、現在進行中の歌なのだ


つまりいつかは作ってみたいのだ、そういう曲を…  舟木一夫・この1曲は「高原のお嬢さん」である  私はこの曲の編曲に大変惹かれている  ヒット当時どういう評価がされたのかは知らないが、「高原のお嬢さん」の編曲はあらん限りの技術を駆使した名編曲と言っていいと思う  まだ編曲のレベルが今ほど高くはなく、編曲という作業自体が低く見られていた頃のことだ

6月22日(金)本田路津子・この1曲

本田路津子(るつこ)といっても、今の若者でその名を知る人はいないだろう  ただ、「風がはこぶもの」が音楽教科書に掲載された時期があり、歌った経験のある人はいるかも知れない  本田路津子はTVに出なかった  「TV向きの顔じゃないから」と本人が語っていたのを、雑誌記事で読んだ記憶がある  TV向きの顔じゃないというのは、どうも少しホントのようだ…


それは冗談  実際には、路津子という名前が示す通り、両親からクリスチャンとして育てられたため、欲望世界の窓口であるTVを避けていたのではないかと思う  (路津子という名は、聖書の「ルツ記」から採ったもの)  現在は教会シンガーとして活躍していると聞いたことがある  本田路津子の「この1曲」、それは「誰もいない海」である


越路吹雪をはじめ、実に多くの人が歌った名曲だが、トワ・エ・モア版が最も親しまれたことは記憶に新しい(^_^;)\(^。^。) オイオイ37年前だぞ  居並ぶ名唱のうち、最も抒情味豊かに歌唱を展開しているのは本田路津子だ  ダントツといっていい  歌の上手い人はほかにもいるだろうけれど、この曲でみせる本田路津子の歌い方は、聴いた後に濁りを残さない名品である

6月19日(火) 森山良子・この1曲

森山良子といっても、今の若者は全然ピンとこないことだろう  数年前「さとうきび畑」がヒットしたとはいえ、せいぜい「歌の上手いおばさん」に過ぎない存在だと思う  しかし、実は「歌の上手い少女」だったのだ  何を歌わせても「こんなに上手く歌う人は見たことがない」と言われた  オリジナル曲ではなくカバー曲で名を上げていった歌手であった


オリジナル曲を含めた全楽曲の中で、森山良子の白眉といえば「遠くへ行きたい」だ  '69年に買った全曲集アルバムに入っていたから、デビュー数年のうちに録音したものだろう  洋楽のカバーなど、他にも当時の日本のレベルを遥かに超えた、特筆できる歌はいくつもあるが、「遠くへ行きたい」での抒情性溢れる絶品の歌唱は、今に至るまで誰も越える人がいない


森山良子の「遠くへ行きたい」を聴いてしまったために、私はホントに遠くへ行きたがる、一所不住のフラフラ者になりました  人の人生の向きを定めた意味でも、恐ろしい歌唱力です  そして同時に、私の作る音楽も「遠くへ行きたい」方向、即ちあくまでも抒情性を前面に出すわかりやすい方向、歌謡曲と唱歌を合わせたような方向を向くようになったと、自分で考えています

4月22日(日) マタイ受難曲

バッハの「マタイ受難曲」は演奏が2時間半に及び、日常生活の中で気軽に聴く気持ちにはなかなかなれないが、まぎれもなく西洋音楽の最高峰である  聖書の中のイエスの死を中心とした物語を音楽にしたもので、キリスト教の教義云々以前に、音楽として素直に感動できる  これが長い間「過去の音楽」として埋もれていたのだから、西洋人の感性は不可解である


3部に分かれ、それぞれに幾つもの名曲を擁する「マタイ受難曲」  中でも第2部第10曲「憐れみたまえ、わが神よ」は、ひときわ傑出したアリアである  バイオリンの切々たる独奏がきわめて訴求力に満ち、それとオーバーラップして、アルトが世にも美しく悲しい旋律を歌うのだ  主人公はペテロ  民衆に責め寄られ、イエスの弟子であることを否定した、あのペテロである


怖くなって立場を偽る…  誰でも1度や2度は経験があるであろうこの迷いと悔いに、バッハは地球の裏側の人にもたしかに届く音楽を与えてくれた  孤立と激しい慙愧を通って、ペテロは真にイエスの弟子となったのだろう  もっと単独で歌われてもいい曲だが、バイオリン独奏部があまりにも繊細で難しいために、リサイタルなどで滅多に歌われることのないのが残念だ

4月15日(日) 武満徹の引出し2

まただ…;・ロ・)!!  昨日、武満徹のことをこのHP上で初めて書いたら、今朝の朝日新聞書評欄に、武満に関する数々の証言を本にまとめた大原哲夫氏へのインタビューが載っていた  まただ…と言ったのは、以前にも書いた(2006年8月21・23日)、私の身に起こる奇妙な感覚のことだ  ふと脳裡に浮かんだある事が、しばらく後に現実の中に姿を見せる…


武満の逸話に戻ろう  雑誌対談で、40歳前後の武満がこう告白していた  「今でも作曲にとりかかる前には、ピアノでこの曲(「マタイ受難曲」の中の有名なコラール)を弾く  これを弾かないと作曲に入れない」  雑誌が手元にないので正確ではないが、そんな内容のことを言って、対談相手を仰天させた  現代音楽の旗手が、作曲の前にバッハを弾く  驚きであった


10年以上前、NHK教育で武満の追悼番組を放送した際、オープニングに流れたのはたしか「マタイ受難曲」であった  ネット上の百科事典「Wikipedia」武満徹の項目には、「(武満の死を伝える)NHK…の無教養ぶり」と記載されている  飛び込んでくるニュースだから仕方ない面はあるだろう  追悼番組を制作したNHK教育は、武満の引出しをよく取材していたと思う

4月14日(土) 武満徹の引出し

現代音楽といえば武満徹だ  この作曲家を知ったのは中学生の頃で、読み方がわからず「ぶまんてつ」と呼んでいた  大河ドラマ「源義経」の主題曲が、高い評価を受けていた  私の中できちんと「たけみつとおる」となるのは、だいぶ経ってから、二十歳前後の頃である  背伸びして、現代音楽のレコードを買った  良いような、つまらないような、そういう印象をもった


私が武満で好きなのは、音楽よりも、様々な逸話である  例えば、国内の作曲賞を獲得し、副賞として米国留学した折りのこと  行った先の学校で、「希望する音楽家に師事する機会を与える」と言われ、即座に「デューク・エリントン」と答えた話  ジャズの巨人だが、娯楽音楽だ  教授陣が呆れ果て理由を問うと、「あの不思議なサウンドの秘密を知りたい」と、これも即答


後年の「タケミツ・サウンド」と言われる清潔で柔らかな音色を思えば、その根が作曲初期からあったとわかるエピソードである  また、次の話も好きだ  別の音楽家と2人、汽車で長旅をした  あまりにも暇なので、知ってる歌を交替で歌うことにしたら、武満の口からとどまることなく日本の流行歌が出てきて、しまいには独演会になったそうだ  引出しの多い音楽家なのだ

4月8日(日) 叫ぶ男

咳ひとつするのさえはばかられるクラシックの演奏会  そういうあり方もいかがなものかと思う今日この頃ではあるが、まことに遺憾に思う「お呼びでない光景」に直面したのは、2ヶ月ほど前のある演奏会であった  小さく静かになっていく管弦楽の音の中からピアノの音が鮮やかに立ち昇った時、初老の男性が「くだらん!」と大声を発したのだ  なんということだ


その曲は、現代音楽と呼ぶジャンルの曲であった  私を含め恐らく多くの聴衆が、苦手意識を覚えるジャンルだ  ただ、調性を採り入れていて、現代音楽にしては聴きやすい方であった  無調→調性→無調→調性…を繰り返しつつ無調のまま盛り上がり、最後に調性をもったメロディをピアノが奏で始めるという構成  音楽を多く聴いてきた人なら途中で予想がつく展開なのだ


携帯を切れアラームを切れと言われて始まった演奏の、静かなる最高潮  誰もが聴き入るか眠るかの中、その人は何故叫ぶに至ったのか  無名の指揮者に国内ローカル楽団という組み合わせが、安易な叫びをほとばしらせたのか  同じ曲を、オザワの指揮でベルリンフィルが演奏しても、その人は「くだらん!」と叫ぶに至るか  いろいろ考えさせられる出来事であった

2006年

10月13日(金) 合コンの愉しみ

合コン即ち合唱コンクールである^^;  ここでいう合唱コンクールは、NHK教育などが休日に長時間放映するアレだ  アレは、小学校の部は別として、中高校生の部になると、かなり退屈なものを感じる  アレを始めから終わりまで隅々まで聴いて堪能できるのは、自身も合唱をやっている人か、または合唱連盟など関係者だけではないだろうか


小学校の部は別として、と書いた  小学校の部の歌は、わかりやすいからである  ちゃんと調性を持ってるし、1番2番といった歌謡形式を明確に持ってるものが結構あるので、親しみやすい  中高校生の部、とくに高校生の部は、もはや合唱のための合唱だ  上手いなあと思うこともあるが、楽しめるものは少ない  1、2校聴いて、もう沢山という感じがする


TV放映する以上、日頃合唱に無縁の者にも楽しめる工夫をしてほしい  そこで、提案がある  中高校生の部出場の皆さんに、選考対象曲後の余興でいいから、「うさぎ追いし(ふるさと)」や「秋の夕日に(もみじ)」などを歌ってもらえないだろうか  よく知られた単純な曲で、力をみせてほしい  料理と同じだ  凝りに凝ったコテコテの料理の後はお茶漬けでっせ(^0^)

10月3日(火)さあ太陽を呼んでこい

その歌の作詞者名を見て驚いた  作詞・石原慎太郎とある  昭和38、9年頃の歌だから、十分にあり得る話だが…  活気に満ちた格好いいメロディだけが耳に残り、正確な歌詞や曲名を思い出せないまま幾星霜が過ぎた  検索の手がかりは3つ  NHK「みんなのうた」で流れたということ、歌詞の一部に「この世に夜はいらないぜ〜」があること、そしてメロディであった


最近やっと「さあ太陽を呼んでこい」という歌だとわかった  作曲・山本直純は予想の範囲だが、作詞が石原慎太郎とは意外である  もっとも、いまや「さあオリンピックを呼んでこい」と陣頭に立つ人だから、首尾一貫してるといえばしてる  聖火は太陽光から採取するのだから…  出世作「太陽の季節」で障子を貫いた時から、貫く場所をはき違える傾向はあるけど(爆)


それにしても「さあ太陽を呼んでこい」は結構有名な歌だったんだなあ、迂闊だったよ  朝会で歌うのを強制されたとか、ネットにいろいろ書いてある  私は、朝会で歌いたかった(^0^)

6月26日(月) モーツアルト2

モーツアルト2006 in Japan  …といっても、生誕250年イベントのお先棒を担ごうというわけではない  モーツアルトが今の人なら、きっとこんなだったろうというお話だ
モーツアルト  別名、歌舞伎町の王子さま  飲み屋に入れば女の子が何人も寄ってくる  テーブルに置いた五線紙に時々ペンを走らせては、「ママ〜、薬飲みたいから水割り頂戴っ」


コマ劇前では、若者が好き勝手にバンド演奏だ  ドイツもこいつもシュートを…じゃなくて音をはずしてばかり  中でもいちばん弱そうなFWバンド「いい子Japan」に、モーツアルトは目をつけた  「ボクにやらせろ、ちょっと貸せ」  ギター抱えて歌い出したのはラップである  「♪こんな夜更けに何やってるの、ママがおうちでお待ちかね、おまいらとっとと帰りゃんせ♪」


ビルの一室のベッドに、モーツアルトは横たわってる  甲斐甲斐しく病人の世話をするのは、妻のコンスタンツェだ  「ボク、ダメみたいだね」「そうね」  コンスタンツェの頭の中は、早くも第2の人生設計で一杯だ  だってまだ28だもん、女盛りはこれからよ  「ねえ、コンスタンツェ  ボク、やり残したことがあるんだよ」「なあに」「プリクラさ  1度お前と写りたかったなあ」

6月23日(金) ベートーベン2

「少しはベートーベンのミミにもなってみろ」と、彼の耳疾が乗り移ったかの如き1週間だった
楽聖ベートーベンを暴れん坊と書いた翌日から、急に耳が痛くなった^^;  原因がよくわからぬ上に痛みはいや増すばかり  月曜から3日続けて近くの病院に通ったが「何だか治りが遅過ぎる」と不気味なことを言われ、紹介状を持って専門病院へ回される事態となった


結局、長く「お抱え病やまい」になってる外耳炎がややひどくなった程度らしく、一息ついている
私の耳は、高校生の頃に下手な医者に掻き回されて以来、ずっと「戦場」であった  いわゆる「医原性」疾患である  当時、何ヶ月通っても治らないその医者に通い続けたのは、綺麗で可愛い看護婦さんがいたからだった  高校生のいちばん弱いとこである(爆)


前回は書き落としたが、ベートーベンが最も暴れん坊ぶりを発揮しているのは、後期の弦楽四重奏曲群ではないだろうか  そう何度も聴いたわけではないが、何度聴いてもわからない(爆)  音楽の作り方が全く自在で、これほど型にはまらない作品はほかにないだろう  何かで読んだのだが、水墨画に近似している面があるみたいだ

6月16日(金) ベートーベン

暴れん坊ベートーベン  音楽作法の常識やマナーをものともせずに、ベートーベンはひた走る  交響曲第7番第2楽章は驚くべき旋律で始まる  以前私が読んだ、音大生向け旋律学の本には、「同音を続けるのは3つが限度で、それ以上は退屈になる」と書いてあった  しかしこの楽章の主要旋律は、何と12個の連続同音から成り、最後は変容して連続16個にもなる


太鼓の4連打で始まるバイオリン協奏曲、緩徐楽章で始まる「月光ソナタ」、ピアノのフライングで始まるピアノ協奏曲第4番、声楽付き交響曲第9番、どれもこれも当時の音楽批評家たちの神経を逆なでするものだったに違いない  第九初演時の一般聴衆の喝采はよく知られているが、批評家たちの中には、今聴いた音楽で何が起こったか、よくわからない者もいたはずだ


若い頃のベートーベンは、自分の作る音楽に何かが足りないという自覚があった  25歳を過ぎてなお、対位法を学び直すために個人授業を受けている  既に即興ピアニストとして不動の名声を得ていた時期だ  1度社会に出たけど、スキル・アップのため駅前留学^^;する今の若者と同じである  この悪戦苦闘が、後に12個の連続同音として結実することになるのだ

6月15日(木) モーツアルト

おしゃべりモーツアルト  喋るように音楽を書いたとされるモーツアルトにとって、協奏曲は最も愉快に作曲できたジャンルだろう  実際、モーツアルトの作品群中、協奏曲はひときわ優れている  オーケストラとソロ楽器とのやりとりが、おしゃべり体質によく合っているのだ  ああ言えばこう言う、掛け合い漫才みたいなものだ  しかも編成が簡素で、聴きやすい


「夜明けのモーツアルト」という言葉があるように、モーツアルトは朝聴くのがいちばんいい  ピアノ協奏曲なら尚更いい  27番なんか、天上で静かに鳴り響く夜明けの空気のささやきだ  ピアノ協奏曲としては最後となった27番  本当にこれが、お金のやりくりで悩み続けたモーツアルトの作品かと思うほど、穏やかで澄みきっている  それを目覚まし代わりに聴くのだ


眠っても取れない疲労感は、軽やかなピアノ・ソロとともに半減、その日の午前11時ぐらいまでは、世の中への適合感を保てる  お金がらみの情報やあの人がこの人がといった噂話に、身も心もベトベトになるお昼どき  携帯プレーヤーに仕込んでおいたクラリネット協奏曲を聴けば、ひれかつ定食でいくつもりが、素うどんで十分という気になる  モーツアルトはいい

3月28日(火) 上岡のブラームス

凄い指揮者がいた  上岡敏之という指揮者  活躍の場が主にドイツであるためか、よほど詳しい人でないと、その名を知らないのではないだろうか  先日その実演に接するまで、私も全く知らなかった  読売日本交響楽団でモーツアルト第36番とブラームス第1番の交響曲を指揮したのだが、とりわけブラームスには驚嘆した


どちらかというとブラームス自身は、リズムがずれていったり「もたる」中で音楽が形成されていくのが好みだったようで、聴く者に必ずしも明快明晰な印象を与えない  指揮者は──名指揮者といわれる人はもちろん──作曲者のそういう所を理解して、そして多くの名演が生まれた  私もレコードやCD、ラジオなどで、たくさん聴いてきた  ブラームスが大好きだから^^


しかし上岡の演奏は、今まで聴いたどの演奏とも違っていた  ブラームスの第1番で、音響とリズムがあんなに生気溢れる演奏を聴いたのは初めてであった  一緒に行った友人たちも口々に「素晴らしかった」と言い、何よりも演奏終了後の万雷の拍手が本物だった  昔「朝比奈のブルックナー」という言い方があったが、「上岡のブラームス」!  伝説の誕生である

3月14日(火) 春宵一咳

指揮者が現れる  今までチラホラ聞こえていた咳が、にわかに場内に広がる  中には公然とくしゃみをする者も出る始末だ  それらに無関心に指揮棒が上がる  有無を言わさぬ指揮者の権威  ようやく訪れた静寂の中から、音が立ち上がる  そこへまた咳だ  群発咳
このように、演奏会に咳は避けられないが、その一方で次のような、納得しかねる事実はどうだ


「オーケストラの人は咳をしない」
オケだけではない  ソリストもそうだ  小菅優が咳込みながらピアノを弾くだろうか  戸田弥生がシベリウスを弾くとき、咳を我慢しているようには見えなかった  パバロッティもノーマンも、明らかに咳とは無縁である  咳をしないのだ、音楽家は


音大では、咳止め法を履修するのだろうか  それともアレか、咳をしない人が音楽家になり、咳がちな人は小説家になるのか  友人を介して、オケ筋の人に訊(き)いたら、「とても緊張してるから咳が出ないだけ」という答えが返ってきた  なるほどたしかに、一心にやる状況で人は咳をしない  執刀中の外科医に咳込まれるのはイヤだ  「緊張説」を信じるほかあるまい

2月6日(月) ヘンデル

スポーツ大会などの優勝杯授与の時に流れる音楽、あるいは「ハーレルヤッ、ハーレルヤッ、ハレルッヤ、ハレルッヤ」で知られるオラトリオのような壮大な音楽、そしてイギリス王室のために書かれた華やかな音楽  ヘンデルの曲でよく知られているのは、どちらかと言うと派手なものが多い  そしてそれらが、作曲家ヘンデルの成熟した作品であることはたしかだろう


しかしヘンデルの真骨頂は、穏やかに淡々と曲が進む独特の雰囲気にあるのだ  聴く者を圧倒する類いの音楽は、彼にとっては余録のようなものではないかという気がする
淡々と進む静かな雰囲気…  それは初期から中期のカンタータや歌劇に多く見られる  図書館で借りた数種のCDだけを頼りに判断しているので、見当違いの可能性は否めないけれど


ヘンデルの良さを何と表現したらいいかわからず、今ネットであちこち探していたら、「簡素」「清潔」と評してあった  Oh!これだったよ  初めて「ヘンデルっていいなあ」とわかったときに、自分もこの言葉を思い浮かべた記憶がある  そう、小難しくないのだ、ヘンデルは  「何事もなく明るく澄んでいる」と言ったらいいか…

2月5日(日) メンデルスゾーン

たまたまつけたFMラジオから流れるその演奏に、耳をそばだてた  メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」の、第2楽章  「これは誰の指揮だ…」そう思ったが、新聞に指揮者までは書いてないし、当時はネットも普及しておらず、最後まで聴いて演奏者のアナウンスを待つしかなかった  千秋真一ではなく(笑)、リッカルド・シャイー若き日の録音とのことだった


メンデルスゾーンの作風は端正過ぎて破綻がなく、ちょっと物足りない…  シャイーの素晴らしい演奏を聴くまでは、そう思っていた  物足りないと思う人は少なくないようで、バイオリン協奏曲すら最近はあまり演奏されなくなっているようだ  若くして亡くなりはしたが、金銭に不自由ない上に健全な人生を送った人で、そういう安定感が現代と合わないのかも知れない


しかし、時代遅れの作曲家として忘れられていたバッハのマタイ受難曲を、復活演奏して定着させたのはメンデルスゾーンである  また、畏友シューマンが発見したシューベルトの交響曲第8番(ハ長調)の楽譜をもとに、作曲者本人がついに聴くことのなかったこの名曲を初演し、交響曲作家としてのシューベルトの地位を高めたのもメンデルスゾーンなのである

1月24日(火) シューマン

ドイツ人シューマンと岩手県人宮沢賢治が、心性や境涯に多くの類似点をもつのは不思議だ
・創作を支えた女性の存在(妻クララ、妹トシ)  ・固有名をつけた架空世界をもつ(ダヴィッド同盟、イーハトーヴ)  ・人生最初の目標で挫折(ピアニスト、宗教家)  ・気が多い^^;(作曲家兼雑誌主宰者兼指揮者兼愛妻家、教師兼文学者兼農業指導者兼法華経伝道者)


・小品や小品集に名作が多い  ・大作は苦手と批判され続けたが、近年は大作の評価も高い  ・駄作も多いが、駄作にすら意味がある、そういう駄作を書いた  ・他人の才能を発掘する力をもつ  ・親の仕事の影響が大きい(出版業、質屋)  ・子どもが好きで、子どもが楽しめる作品が多い  ・作品の語り口は地味で、とつとつとした所があり、筆運びは一見不器用


・シューマンは文学の造詣が深く、文学にヒントを得た音楽が少なくない  一方、賢治は音楽への関心が高く、作品に音楽の要素を見出すことは容易である  2人は文学と音楽の境界を越えて感情の行き来ができる、そういう作品を残した  ・頑張り過ぎて、無念の死を迎えた
最後に→ ・その作品世界に1度はまったら、欠点も美点と化し、礼賛者になるのだ(^0^)

1月21日(土) シューベルト

クラシック音楽の世界で「高名だけれど不運な作曲家」といえば、筆頭はハイドンだろう  いい曲を沢山書いたのに、モーツアルトとベートーベンの全時代を生きたため、張り出し横綱の扱いである^^;  大相撲柏鵬時代の佐田の山、プロ野球長嶋・王全盛期の野村に似ている


一方、日本における紹介のされ方で「不運な作曲家」になってしまった人もいる  シューベルトである  教科書などには必ずといっていいほど「歌曲の王」と書いてあるし、試験問題にも「歌曲の王と呼ばれた人は?」などと出るわけだから、「歌曲王シューベルト」と覚えないわけにはいかないのだ  たしかに歌曲の王には違いない


しかしシューベルトは、交響曲を8つも書き、弦楽四重奏曲を15も書き、ピアノソナタを21も書いた「器楽の大作曲家」でもある   シューベルトはベートーベンの死の翌年に亡くなったが、「ベートーベンの墓の隣に埋葬してほしい」と言ったほど、自分の音楽スタイルに自信をもっていた人なのだ  恐ろしいほどの自信だ  例えば、ジョン・レノンの隣にって言えますか?^^;

2005年

8月20日(土) MP3を手直し中

ここ数日、自作曲のMP3を作り直している  2005年に作ったものは、一応すべて直してアップした  これまでは、音が正面から出てくるだけのモノラルだった  音の広がらせ方が少し呑み込めたので、順次改良している


それをステレオと言っていいかどうか、わからない  例えば、右でチェロが鳴り、左でフルートが鳴るということではないからだ  左右同じ音が鳴っているけれど、わずかに時間のズレを生じさせているので、立体感が得られるという仕組みらしい


考えてみれば、実際の演奏会でも楽器の音が左右別々に聴こえてくることはない  それでも厳密に測定すれば、位置による音のズレはあるはずだ  ステレオの本義は「左右から聴こえること」ではなく、「音のわずかなズレを、耳を通して脳が再構成すること」かも知れない
やっと音の広がりをつけられるようになったので、そんな理屈を思いついた(^。^;;

7月29日(金) にこにこ演奏会

先日、ドイツ・ユンゲ管弦楽団の演奏会へ行く機会を得た  といっても私には初耳の演奏団体である  名指揮者アルブレヒトの指揮なのに入場料3000円!  私なりの上限^^; に合っていたので、会場まで1時間半の行程をものともせず、友人と出かけた


ステージに近い席で、ドイツのユンゲ(若者)の顔がよく見えた  全員ほぼ十代  第1バイオリンの最後列でひとつの楽譜を見てる2人の子は、どちらも美少女といってよかった
その2人が、音楽の佳境に入るたびに、演奏しながら顔を見合わせてにこにこ笑うのである


「アタシの方がうまいでしょ」と言ってる気がしたが、友人の見解は「うまくいったわね」であった
ほかにも、にこにこしながら弾いているユンゲが結構いた  第2ハープの子は、ボッチチェリーの絵から抜け出たような美少女だったが、出番が少なくてよそ見ばかりしていた(^0^)
いちばんよそ見をしてたのは私であった(爆)

6月5日(日) 名曲に異議あり!

一般には「超」がつく名曲といわれるもので、私にはピンと来ないものが3つある  「川の流れのように(美空ひばり)」「昴(谷村新司)」「恋人よ(五輪真弓)」(^_^;)\(・。・。) オイオイ
「川の…」にはかなり、「昴」「恋人よ」には若干の、異を唱えたい  言った途端に、四方八方から石つぶてが飛んできそうだけれど^^;  それぞれに、名曲とするにはやや過不足がある


「昴」は曲の良さゆえに、「恋人よ」は五輪の歌唱力ゆえに、こちらの気分や体調次第では、あぁとてもいい曲だなぁと、しみじみ思える時もある  でも…
「昴」は、曲の良さに比し歌詞の内容が大仰(おおぎょう)過ぎる憾がある  「恋人よ」は、歌詞の内容に比し曲が大仰過ぎる憾がある


一方、「川の流れのように」は、ひばり後半生の曲に特有の「大仰に上すべりした感慨歌」の集大成のようだ  ひばりさん、ごめんなさい!  ボカァあんたの歌、好きだヨ  滅多に行かないカラオケで、行くと必ず、あんたの「あの丘越えて」歌ってるんだから!

4月1日(金) 名川中校歌のこと

「音楽照葉樹林」に、名川中学校校歌を掲載した  この春、青森に統合新設された中学だそうだ  何故私がそのMIDI吹奏楽版を手がけたかについて、少し説明します


この話を持ちかけてくれたのは、ネットで親しくなった彩女さんである(リンク集・「私のHP」)  今年始めであった  私は他人の作品を編曲した経験がなく、まるで自信はなかったが…
ただ、向こう(町教委)にもまだちゃんとしたピアノ伴奏譜がないらしく、好きなようにやって構わないとのこと  結局それが、救いになった^^
ネットでメロディ譜を拝見し、子どもたちが歌っているMP3を聴いた  校歌には珍しい、静かな抒情を湛えたメロディだと思った  これならできるかも^^ と感じた


作ってるうちにアレもやりたいコレも取り入れようと、すっかり楽しくなった
とりあえず非公式な形ではあるが、関係する方々に吹奏楽の1バージョンを提供できたことが、とても嬉しい  生徒たちがホントに吹いてくれたらもっと嬉しい (T▽T)

3月27日(日) 2人のリヒャルト

よく知らない・わからない音楽は、生演奏を聴くに限る!  そういう体験を立て続けに2回味わった  チケットが手に入ったからと、古い友人が2回とも誘ってくれたのだ  大感謝である^^


1回目は全プログラムがR・シュトラウスの管弦楽曲  「ツァラトゥストラ」だけはかろうじて知っていたが、それさえもあまり熱心に聴いたことがなかった
しかし当日の全プログラム、よく知らなかったから、耳に入る音すべてが新鮮!  金管の豊饒な響きとリズムに完全に圧倒された


2回目は、R・ワグナーの「神々の黄昏」演奏会形式  R・ワグナーは、いくつかの格好いい曲は別として、音楽があまりにも長過ぎ、ずっと食わず嫌いのままなのだ
眠っちゃうかもと心配したが^^;、やはり実演に接してこそ楽しめる音楽であった  難攻不落の砦に見えたR・ワグナーの音楽だが、生演奏に触れたことで、長大だけれどいいと思った

2月7日(月) 3000円の音楽会

以前、掲示板で「この頃はプロの演奏会に行かなくなった云々」と書いたが、少し補足
行かないと決めているわけではなく、料金と時間の問題なのだ  3000円程度までなら行こうと思う  でも仕事の時間帯が夕方から夜であるため、全然行かれないのである


で、何故3000円かというと、「ちょいと1、2時間の飲み食い」が、高くてもそのくらい止まりだから(笑)  耳であれ胃袋であれ、消えていくモノにそれ以上は出せません


私が最後に聴いたプロ演奏家は、初来日の時のチェリビダッケ  録音を嫌い、レコード(当時)音源は殆ど存在せず、幻の名指揮者と言われていた  いざ実演を聴いてみて、いささかがっかりした  多くの人がそうではなかったろうか
その演奏はとても普通であった^^;  そうならそうと始めから言ってくれればそのつもりで聴けたものを、音楽ジャーナリズムが過剰な期待をさせたのだ  残念!
それ以来、あまり多くを期待しないで済む3000円以下若しくは無料の演奏会が好みです

2004年

12月17日(金) 今年買った只1枚

暮れに1枚ぐらい買っても贅沢にはならないだろうと、CD店に出かけた  何枚もリストアップまでしていたのだが、買ったのはたまたまそこに並んでいた想定外の1枚となった


メリー・ホプキンのベスト・アルバム  '68年から'69年頃に全世界で大ヒットし、洋楽にとんと疎い私まで一聴して飛びついた名曲「悲しき天使」
しかし今回私が聴きたかったのは、それ以降の歌である  決してヒット連発屋とはいえなかった彼女の、本当の魅力に私が気がついたのはここ数年である  三十年も経って(;^。^A


いくらか不安定な音程で、か細くやや物憂く歌うその声は、バック演奏が簡素なほどよく映える  最近の歌い手では、ノラ・ジョーンズがわりあいに近いように思うが、どうだろうか
買ったCDの中に「ケ・セラ・セラ」があり、これがとてもよかった  スタンダード・ナンバーを、細く末永く歌い続ける道を選んでもよかったと思うけどなぁ…

11月17日(水) 音楽著作権2

小さな音楽喫茶やライブを聴かせる店の廃業が、止まらないという  著作権使用料の取り立てがきつくなってきたらしい  過去にさかのぼって数百万円の督促があるそうだ
JASRAC(日本音楽著作権協会)のこのやり方は、どう見ても間違っている
それぞれが少しずつ得と損をして、それぞれが生き残っていく道は考えられないのだろうか


小説「断片的〜」にも書いたが、私はサテン楽派である(^。^)ゞ  大量のクラシック楽曲をまるで音浴のように聴いたのは、広島の「ムシカ」という喫茶店  CTCレーベルのジャズ・フュージョンからジャズに目覚めたのは、横浜の「ちぐさ」という喫茶店


こんにち、そういう店の存在意義がなくなっているというのなら、話はわかる  しかし、「いらっしゃいませ」「お決まりですか」のファストフード店よりも存在意義がないとは思えない

11月15日(月) 音楽著作権

記憶が正しければ、の条件つきだが、モダンジャズ興隆のきっかけのひとつに、著作権問題があったらしい  そんなことを何かで読んだ覚えがある


1940年代半ば、楽譜の版権を持つ出版社などが、だんだんと自由な使用を認めなくなった  お金のない若いジャズメンは、既成の旋律を使うのを諦めて、その譜面のコード進行だけを頼りに、即興で短いセッションをするようになった
これが、ビバップの始まりであり、快速即興性に富んだモダンジャズを生み出したという
モダンジャズの隆盛とともに、「既得権益ひとり取り」にこだわった版元が衰退したのは言うまでもない


著作権問題を考えるとき、この皮肉な逆転劇をいつも思い出す

11月14日(日) 2小節のドラマ

「MIDIお題拝借」に曲を投稿するようになって、間もなく1年になる
制作にはいつも苦労していて、そのためほかの楽曲には手が回らず、この1年で仕上げたのは「MIDIお題」投稿曲のみという有り様だ…
とくに今回(29期)は、今までになく苦労している


過去4回で最も難しかったのは「26期」のお題であった  あの時は、お題自体が既に明確な性格を持っていて、その雰囲気から離れられない難しさだった(「坂のある水彩画」)
今回は逆である  何か意味を持つことを拒むような、音楽になるのを拒むような2小節動機
やむを得ず、9月以降作ってきたものを一時中断した  発想を変えようと、昔の作曲ノートを引っ張り出す  29期お題が使えそうなものを見つけ、新規に作り始めているところだ

10月11日(火) 或る指揮者

雨に降り込められた連休に、所蔵するレコードの中で唯一「全集」と名のつく箱を取り出した
シューリヒトという指揮者による「ベートーベン交響曲全集」
殆どがモノラルなのに、一部ステレオ録音も入ってるおかしな全集だ


久し振りに8番を聴いてみて、「あ、シューリヒトがわかるようになった…」とスグに思った
シューリヒトは、今風の言葉で言えば「あっさり系」の演奏をする
よく聴いていないと、「ナンダ、もう終わったの?」と肩透かしを食った気分にもなるのだ
今回は、軽やかな風のように綾なすその音楽が、雨音を背景に何故かよく呑み込めた


まず8番・4番を聴き、次いで2番を聴くつもりだったが、力尽きた (^^ゞ もう若い頃のように、一気聴きはできなくなった

9月30日(木) あまりに自然

そのグレン・グールドを、私はわからない(^。^)ゞ
なぜならば、グールドの弾くバッハはあまりにも自然過ぎて…ひと言で言えば「当たり前」の演奏にしか聴こえない
しかし、そのように弾くピアニストは、グールドのほかにいないのである

9月28日(火) 草枕

ピアノ弾きグレン・グールドが「草枕」(夏目漱石)を大事にしていたと知ったとき
そして「草枕」だけを好んでいたと知ったとき
やはりそうか…と、自分の感覚(^^;に少しは自信がついたものだ
漱石作品の中で、百年後にも読まれているのは「草枕」だけの気がする
漱石の作品は、「草枕」のほかは、私には全然おもしろくないし、何がいいのかわからない
グールドという最強の砦ができたから、多少の乱暴狼藉言葉も言えるようになった(^0^)


もっとも、「他人がいいって言うものは、たいてい、いい(9月24日)」…座右の銘との矛盾が早くも (。。;

9月24日(金) 座右の銘

ある時突然すべてが了解できるということが、音楽では稀れにある
例えばマーラーの長大な作品群
2、3時間はかかりそうな持ち帰り仕事があって、
そのBGMに仕方なく選んだのが交響曲「復活」であったのも
何か因縁めいておもしろい
どこかの旋律の絡みにふと耳を止めて そのまましばらく仕事の手も止まってしまった
よくわからなかったものが
予告なくいきなり全開した最初の経験 20年も前のこと


以来、「他人がいいって言うものは、たいてい、いい」は座右の銘


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