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2012年
12月22日(土) 怪球Xあらわる
修理のため東京タワー最上部の支柱を外したら、中から野球のボール(軟球)が出てきたという なぜここにこんなモノがと、考えられる理由が新聞に載っていた 建材置き場で遊んでいた子供がボールを入れたという説 だが草野球で使うのは、たいていは今でいうソフトボールの小さいものだったはず 「三丁目の夕日」当時、子供が軟球を気軽に使うことはなかった
軟球を使うのは中学校の野球部が多く、あとは町なかの少年が勝手に結成した野球チームだが、これは数が少ない 子供が支柱に入れたというのは、当時の軟球事情から考えると可能性としては小さい気がする ではなぜ軟球が支柱に入り込み、55年間も東京のてっぺんに居続けたのか 初めからそういう設計だったというしかあるまい もちろん極秘設計である
軟球は始め地上に接した支柱の中にあったに違いない よじりよじり登っていくように、極秘設計されていたのである そして実際、よじり登っていった 日本が高度経済成長を進めるのと歩を一にして、支柱の内側で身を削られながら登っていった てっぺんでボロボロになった軟球の姿こそ、日本を立て直したお父さんのココロだァ 小沢昭一の声が聞こえてくる…
12月6日(木) 中村勘三郎の死
小学生の頃、少年雑誌のグラビアか何かで、歌舞伎という芝居での活躍が期待されている子供の写真を見たことがある いくらか華奢で生意気そうで、私と同年くらいの年恰好 ○○な勘九郎くんという風な見出しか説明がついていた それ以来、勘九郎だの勘九郎くんだのという言い方は折りに触れて耳にし、遠い世界ながらあぁあの写真の子かと思い出すのであった
勘九郎時代が長かったせいか、勘三郎襲名後も、あの顔で思い浮かべるのは勘九郎という名である 私が歌舞伎実演を見たのは1度だけ、それも貰ったチケットで何もわからずという歌舞伎知らず ただ、老後の楽しみになるかもと90年代にTV放映されたものをたくさん録画した その中に勘九郎時代の「文七元結」があった気がする エネルギー溢れる役者であった
私のような無関心層をもいつの間にか知らず知らず歌舞伎を見る気にさせてきたのは、中村勘三郎の情熱と努力があったからだと思う いろいろと間口を広げた役者さんである その間口のどこかで、無関心な私が掬い取られたのかも知れぬ 芸人の死はいつも何がしか自分の過去を思い出させ、いくらかの感慨を起こさせるが、勘三郎の死ほど口惜しく思ったことはない
11月3日(日) 文化の日
これはそも何なのか、知らないのが私だけだったらどうしよう、というようなモノや言葉を、最近とくに見聞きするようになった 数年前からスーパーマーケットなどで妙に大袈裟に売り出され始めた「恵方巻」 関西発祥のようだが、私はその言葉を知らずにいた 実物を見たとき、なんだ只の巻き寿司ではないかと思った それは案外正しい 実際、只の巻き寿司であった
Jack-O'-Lanternという表記に初めて出会ったのは、だいぶ前の英語教科書だ インターネットも普及していない時代だから、どうやって調べたのだろう、覚えてもいない とにかくハロウィンという行事で使われる言葉だとわかった 子供がお菓子を貰ってまわるお祭りのようだが、目つきの悪いヘンなカボチャお化けの印象のせいか、日本で流行るとは思えなかった
それがいまやハロウィンなくしてはニッポンの10月は終わらないほどだ 目つきの悪いヘンなカボチャお化けと思うのはどうやら私だけのようだ 子供が楽しい気持ちになるのならそれは何でも構わない ただ私は、あの目つきの悪いヘンなカボチャお化けを今のところ歓迎する気にはならない もうちょっと丸っぽく柔らかく温かいキャラクターの方が好ましいではないか
10月23日(火) 彼ら
死者1万5854人、行方不明3155人 合わせて1万9000人もの犠牲者だ 津波で家屋家財道具すべて失くした 原発大事故で国土の主要部分に人が住めなくなった 散り散りになった家族や村、町 いったい幾人の涙をTVは映し出したろうか 怒りに満ちて、それでも皆耐えていたのは本当だ その忍耐秩序に世界が瞠目した 3.11は日本の分岐点になった
だが彼らにその発想はなかった 彼らには3.11以前の地図しかなく、彼らが世界に向けて発信したのは「これが日本の官僚だ」という不変のメッセージであった 彼らは正しい方法で法律を仕上げた たとえその一角に巧妙な文言を紛れ込ませていたとしても、民主主義の手続きに従ってきちんとやってのけた ナチスが台頭してきた手法を、彼らは学んだに違いない
犠牲者の弔いをきちんとはできていない家族がまだたくさんいる 原発避難地域では震災時の後始末もできていない 移転、事業再建 まだ緒についてすらいない所が多い 政治がダメでも日本は官僚が優秀だからと、長い間言われてきた だが復興予算の使途問題で、彼らは被災地の焦苦に殆ど無関心であることを世界に公言したのだ 予算は国の顔である
10月18日(木) 犯行声明小さな瑕疵
犯行声明にはたいていちょっとしたミスがある その辺から犯人を絞れるかも知れない たとえば今回の声明では、冒頭に「現在報道されている大阪・三重の遠隔操作ウイルス事件について、私が犯人です。」とある 意味は通じるものの、この一行は文章が少し変な感じがする 別案→「現在報道されている大阪・三重の遠隔操作ウイルス事件ですが、犯人は私です。」
「現在報道されている大阪・三重の遠隔操作ウイルス事件の犯人は私です。」でもよい 私がを強調したければ「現在報道されている大阪・三重の遠隔操作ウイルス事件について。私が犯人です。」と、句点を入れるといいだろう 原文を元にするとそんなところか ほかにもっとよい書きようはあるだろうが… 犯行声明にはその人の精神年齢(=文体)が出るものだ
今から17年前、神戸児童殺傷事件の犯行声明文が出たとき、知性の高さや読書傾向の深さなどが読み取れるといって、3、40代の犯人像が言われた 私はその文章の一箇所に奇妙な幼さを見つけて、もっと年齢が低いのではないかと思った 作文指導をする国語の先生なら、子どもはよくそういう書き方をするとわかる部分だ ホントに中学生だとは思わなかったが
9月18日(火) 華寇襲来
人工衛星開発もこの日のためだったか… 中国は前々回・前回の轍を踏まぬように周到な準備をしてきたに違いない 前々回というのは文永の役(1274年)、前回というのは弘安の役(1281年)である 気象情報に最大の注意を払い、2度あることが3度ないように… 最大級台風16号が去るのを待ち、1000隻の大漁船団で日本に押し寄せてきた 華寇襲来だ
いざ鎌倉といきたいところだが、なんてことだ、民主党も自民党も代表選総裁選で党自体がバラバラではないか ここを狙ったかァ 中国の計算高さしたたかさよ たとえ野田総理が何か声明なり指示なり出しても近いうちに下野するのだ しかもその間隙を縫ってオスプレイの安全宣言が出る始末 今回の日中日韓変事の背後にアメリカの作為誘導を疑うことは可能だ
中国各地の破壊押し込み略奪、その狼藉ぶりと非情さ、無関係なものへの見境ない仕打ちを見ると、かつて残留孤児といわれる人たちを長年世話してくれた中国人と同じ人々なのかと、その落差に愕然としてしまう 少し前に雲南省で大地震があった 80人ほどが亡くなり20万人が避難生活をしているようだ 中国の人々はこの人たちのことを忘れているのか まさかね
9月11日(火) 製品の自主回収のお詫びとお知らせ
平素は弊社製品に格別のご愛顧を賜り、厚く御礼申し上げます。この度、弊社が販売いたしました下記製品の一部におきまして、賞味期限および製造所固有記号が印字されていない製品があることが判明いたしました。製品の安全性に問題はございませんが、賞味期限および製造所固有記号の印字がない製品を対象として、自主回収させていただきます。
お客様ならびにお取引先様には、多大なるご迷惑をおかけいたしますこと、謹んでお詫び申し上げます。つきましては、誠にお手数ではございますが、回収対象製品の詳細を以下にご案内させていただきますので、お手元の製品をご確認のうえ、下記送付先まで料金着払いにてお送りくださいますようお願い申し上げます。後日、製品代金をご返金させていただきます。
今後はより一層品質管理を徹底し、再発防止に努める所存でございますので、何卒ご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。記【回収対象製品】以下6品の中で、外袋(または外箱)に賞味期限および製造所固有記号の印字がない製品が対象となります。
(中の個袋には、賞味期限・製造所固有記号の印字はございません) とっとと商品名を出してほしいものです
6月30日(土) 虚偽記載2
今月は自分の頭ではよくわからないことばかり書いてきたが、その理由はほかでもない、こういうことに弱い自分の頭を訓練するためである でも最後にいちばんわからないことが待っていた 興味がなくて理解できないから後回し後回し先送り先送りしてきた問題、検察庁の虚偽記載事件である 発端の小沢資金問題ですら藪の中状態なのに、この累積するわからなさよ!
私に理解できるのは、国民から選ばれる検察審査会に検察庁がウソを交えた捜査報告書を提出していたということの恐ろしさぐらいだ 交えたというのは、ホントも入っているだろうから ウソホント混じりの報告書に基いて検察審査会をだました つまりは国民をだました 当初は不起訴にせざるを得なかった事件を起訴相当に仕立て上げたわけで、昔の軍部も真っ青だ
昨日TBSラジオの「Dig」を聞いていたら、小川前法相が出ていた 多くの場合政治家が出演すると番組がつまらなくなるが、昨日はおもしろかった 前法相は本気で指揮権を発動しようとしていたという その理由が明快だ 検察庁を監視牽制できる仕組みが、恐ろしいことに実は存在しない 法相に与えられた指揮権は国民の代表として使うつもりだったと言っていた
6月28日(木) 虚偽記載
20年ほど前、学歴詐称で辞職したタレント議員がいたが、辞めるほどのことではないだろうと、私などは考えていた 学歴ゆえに票を入れた人がいるのなら、その方が問題だ ところで、前回の衆院選マニフェストに「増税しない」と記載した民主党が消費税を上げようとしている 学歴程度で辞職した人がいるんだから、マニフェスト虚偽記載は民主党議員総辞職に値する
民主党の本部には、今でもあの時のマニフェストが置いてあるのだろうか そこに行けば誰でも手に取って眺めたり持ち帰ったりできるように置いてあるのだろうか あの頃のポスターが貼ってあったりするのだろうか ダルマは置いてあるのか 当時は野党ゆえに、実態をよく知らなかったと言い訳することが多いが、そういうのはマニフェスト(政策工程表)といえるのか
それにしても、歴史は繰り返すというのをこの目で見た思いがする 日本史理解のツボのひとつは、裏に真の実力者、歴史を動かすモノがいるという点だ 前回選挙で自民党が負けたというのも、実はわざと負けたのではないかと疑ってしまう 消費増税だけを民主党にやらせようとして… 消費増税は自民党がやりたくてもできなかった政策である 勝者は誰なのか
6月13日(水) 仮説福島第一再稼動
大飯原発再稼動がどれほど無茶な話かは、逆のことを思い浮かべればよくわかる 関西の人には申し訳ないが、昨年大地震が起きたのが福井県周辺で、被害を受けて破壊され、放射性物質を拡散させたのが大飯原発だったと仮定してみる 日本海側には「大」津波は発生しないという話だから、破壊の原因は揺れであった 各地の原発は順次定期検査で止まっていった
そしてまず再稼動するのが福島第一だとしてみる 関係者は、大飯原発大事故(仮)の教訓を生かして万全の態勢で再稼動すると言うだろう だが大飯原発を直撃(仮)した以上の地震がきても大丈夫か 否である そこではM9クラスの複合大地震や大津波は、相変わらず全然想定されないはずだ 何故なら、そういうものが起き得ると考える地震学者はいなかったから
福島第一再稼動(仮)の圧力は高まり、合意とやらが形成されていくに違いない その時も「夏場の電力需給が逼迫して首都圏大停電が起きる可能性が高い」と脅かされる そして粛々と再稼動へと動いていく M9と大津波を想定しない補強策のみで… 現実の福島大事故でわかったのは、想定外の事態に対処し切れない原発自体が不可ということなのだ
6月8日(金) 東電OL事件
日本国憲法下で裁判が行われるようになって65年 数知れぬ無期懲役判決や決して少なくはない死刑判決が確定してきたはずだが、それらが本当にそれで間違いなかったのかどうか、きわめて怪しくなってきた 恐ろしさに愕然としたのは私だけではないと思う 私の愕然は単に検察庁とか法律とかに「無知」だっただけだが… 検察は法に忠実であると疑わなかった
警察の取調べを吟味し、法にのっとって起訴不起訴を決める 「忠実に」という形容句など必要ないほどに、そこには「証拠」と「法律」しかないものと思い込んでいた ところが、裁判では検察が入手した証拠のうち、起訴に不利になるものは隠したままでもよかったのだということを、初めて知った 証拠を隠してもいいとはびっくりだ それは証拠隠滅OKということだな
「東電OL事件」裁判に幾つもの不審な点があることは以前から聞いてはいたが、被告に有利に働く証拠が隠されていたという その証拠が始めから提示されていたら、必ず無罪になったはずだというではないか 過去65年、同じような事例が実は相当数あるのではないかと疑われても仕方あるまい 面倒だからもういいよと、被疑者が諦めてしまった事例が、きっとある
4月22日(日) トキかえる
トキのひな誕生の知らせはまず携帯に飛び込んできた ニュースサイトからの臨時報だ 一瞬我が目を疑ったが、えも言われぬ喜びも湧いてきた 鳥が特別好きということはないものの、トキは別格 朱鷺色と呼ばれるあの身体で縄文の空を何百羽も飛んでいたかと思うとワクワクする 縄文どころか、評判の悪い大河ドラマ「平清盛」時代の都にも飛翔していたはずだ
「平清盛」は画面の汚さがいろいろ言われているが、ふと空を見上げればトキが何羽も飛んでいる光景なんかがあれば、ずいぶん印象も変わるだろう CGで構わないからやってくれるとありがたい 時代考証に基いて画面を汚くしているというようなコメントを見たことがあるが、トキが一羽も飛んでいないことからしても、声を大にして言うほどの時代考証ではない気もする
昨日だったか、トキの卵を他の鳥が温めていたというニュースもあった あれと同じ卵からかえったのかどうかは分からないが、もし同じ卵だったら人間より鳥たちの方が賢いということになる 鳥どうしの日中協力 このヒナを中国製と呼んであまり喜ばない人もいるかも知れないが、私は喜ぶ ただし日本のトキが滅びていった頃と自然環境が同じだったらたまらないな
4月15日(日) よくわからないこと
地産地消、千葉では千産千消と書くが、その方向で物事を進めていくのはよいことだ 電力も例外ではない 千葉で使う電力は千葉で作ればいいのだ 少なくとも家庭で使う電力ぐらいは地元産にしたい そうすれば危険な原発は要らないのではなかろうか 暑くてたまらない沖縄は、現に1県1電力会社だ 原発もない それで電力不足になったとはあまり聞かない
AIJ問題 一千億単位での巨額の損失という表現はよく聞くが、巨額の消失という表現を見聞きするのは今回のAIJが初めてではないか 普通の経済事件ではないのだろう 普通は誰かが得しているから損失なのだ AIJでは、誰かがうまいこと儲けたりだましたりの結果、お金がなくなったのではない まごまごしてるうちにお金の価値がなくなったということかな?
北朝鮮ミサイルの顛末にどうも妙な感じがつきまとう ちゃんと打ち上げる意思など始めからなかったのではないか 最高会議が2つ続けて開かれたようだが、金正恩関連の話ばかりで、肝心のミサイル開発の責任者が降格したとか処分されたという話は出てこない 2回続けての失敗、しかも今回は祝賀の意味が大きいはずなのに… 異例続きの寛容さは何だろう
3月26日(月) さざれ石の2
「君が代」唱和に、何故いい印象がないのだろうか 「君が代」唱和といえば、押し殺したような声、ズルズルと地を這う呻きのような声、仕方なく歌っているような抑揚のない声で歌うのが常で、それが「君が代」歌唱法の基本だ 子供の頃からの唱和機会で、「君が代」とはこうして歌うもの、こうして歌う以外に歌い方はないものと思い込んできたというのが正直なところだ
ところが甲子園唱法のおかげで、「君が代」の旋律の良さを初めて理解した もっともあれを、その場にいる全員で歌ったらやはりズルズル呻きの無抑揚となろう 「君が代」は、ソロで歌うのがいいということだ つまりそういう歌なのだ いい旋律といっても、始めから終わりまで同じ長さの音符が続く特殊旋律だ 上手い人だけが歌いこなせる難曲なのだ そこで提案
卒業式も入学式も、ソロでやる 上手い人を招くわけである プロでなくてもいい 音大声楽科を出る人は毎年たくさんいる これなら、主役の生徒そっちのけで管理職が職員ひとりひとりの口元を凝視するなどという特高みたいな行為をしなくても済む 誰も緊張しなくて済む 卒業式はとにかく平和に、穏便にやってくれ もうごめんだよ、毎年毎年くだらない騒ぎは
3月23日(金) さざれ石の
選抜高校野球で毎年こういうことが行われていたとは、うかつにも知らなかった 高校生による「君が代」独唱である 今年の開会式をTVで見ていたら、ひとりの女子高校生が演台に楚々と近寄っていった 何事かと思ったら、独唱が始まったのだ びっくりした 「君が代」がこんなにいい歌だったとは… のびのある美しい声で歌うと、暗いイメージなんか全然ない
調べてみたら、YouTubeには2007年の映像が残っているから、もう5年ほどは行われているわけだ 空に吸い込まれていくような朗々たる声 これを聴いて心を動かされない人がいるだろうか 私たちは「君が代」の正しい歌唱を今まで本当に体験してきているのだろうか 歌うにしろ聴くにしろ、何かいい加減にというか、心を込めて歌うことを拒んできたのは確かだ
その事情はもちろんわかってはいるつもりだったが… 高校生の朗唱を聴いた今となっては、少なくとも「君が代」がいい歌であることを否定できない 私が歌い(むしろ歌わされ)、聴かされてきたのは、実は「汚い君が代」だったのではないか 式典やスポーツなどで唱和される君が代 学校で歌わされる君が代 大相撲の君が代 どれも、決していい印象はないのだ
3月5日(月) 財源確保の奇手
消費税増税がいよいよ本当になりつつある 打出の小槌みたいな魔法の消費税、1度手をつけたら際限なく上がることは明白だ 財源確保にはもっといい方法がある 選挙税だ 以前本欄で、投票した人としない人に何らかの差をつければ投票率が上がるのではないかと書いたことがあるが、それは投票率向上のための案だった これを税化すれば大きな財源になる
最近の衆議院議員投票率は60%前後だから、仮に有権者数を1億人とすると約4千万人が棄権していることになる 選挙税は、投票しなかった人にかける税で、1人10円としても4億円、100円なら40億円 しかし10円や100円ではさしたる行動変化は生まれないから、1人1万円だ 4千億円の財源が生まれるわけだ 地方選も含め、実際には選挙は幾つもある
この方法のいい所は、制度内部に改革の芽を宿していることだ お金を払うのがいやな人は投票に行く 低収入だったりアルバイトで食いつないでいる学生などは、当然現状を変えたい思いがあるだろうから、変革を訴える候補者への投票につながるわけだ 棄権しても構わない気分の時は税が増え、変革したい気分の時は投票によって政治が変わる 迷案だ^^;
2月29日(水) 電電わからない
固定電話と携帯電話のどちらが通信状況のイメージを描きやすいかというと、不思議だが携帯の方である 電波が飛ぶ ただそれだけで相手とつながるイメージがもてる ところが固定電話はそうはいかない 建物から出ている電話線を伝わって電柱に届き、そこから別の電話線を伝わって… 問題はここだ 近隣の電話線を束にしているのに、何故混線しないかだ
東京都が中部電力から電気を買いたがっているニュースを聞いて、あぁ、そういえば電気は電話に輪をかけてわからないなと思った 中部電力からどうやって買うのだろう 山梨群馬などを通る専用線を引くのだろうか たぶんそうではない 今ある線を使うのだ とすると東京電力電気と中部電力電気の区別をどこでつけるんだろう 効き目が強い方が東電か?
そもそも「この電気は都庁専用」と決めて流すことができるのだろうか 例えば…今回はダメになったようだが、仮に中部電力から電気が来たとして、都庁の近くのうどん屋が都庁のおこぼれ電気を使えるんだろうか そういうことではあるまい 単に契約を結ぶだけなのだろう 中部電力の電気を東京電力が買い、それを都庁が買うことになる…のかな? わからない
2011年
12月13日(火) TPPポイント2
TPPがどれほど恐ろしい代物か、農林水産分野への影響を見ているだけではわからないことを知った むしろサービス業への影響が大きい 例えば医療 健康保険制度の大改変があり得るという TPPに参加すると、「保険の利く医療」が大幅に縮小され、保険適用外の医療が増える懸念があるらしい (過度の?)健康保険適用は、民間保険会社の損害になるからだ
TPPの立場では、ある企業が他国での活動で利益を損ねるということは、そこに関税障壁があるということだ TPPでは加盟国間の関税障壁は特例を除いて一切認められないらしく、国民皆保険制度が米国保険会社の槍玉にあがるのは目に見えている 現実に、TPPでの合意ではないが、米国の要求でオーストラリアの薬価切り上げが行われている 米国の強圧である
私のアバウトな理解によると、TPPに参加すると次のようなシーンが頻繁に起きる 同一レベルの商品の場合、日本製が100円、米製が150円だと、米製は売れない そこで米国は、米製品が売れないのは違法だとして、日本製を150円まで値上げするよう裁判所に提訴する 日本のメーカーは嬉々として値上げする 経済界がTPPに賛成なのはこれがあるからかな?
11月15日(火) TPPポイント
テレビなどでTPPについて語る人々は、まるで何年も前からそのことを知っていたかのように実によくTPPを語れるなぁと感心する 正直なところ国民の大多数はそういうわけにはいかず、きょろきょろおろおろするばかりというのが現状だろう 去年の今頃、菅元首相が降って湧いたように言い始めたが、その前までは専門家のほかは誰も知らないシロモノだった
TPP理解のポイントは関税自主権の放棄だ おろおろする国民のひとりである私(^^; としては、強大な米企業や農林酪農関係勢力が日本総攻撃を仕掛けていると、単純に思う 例えば小売業大手のウォルマート、アメリカ大豆協会などだ これらの事業体は既に米政府に要望だの圧力だのをかけているという 関税ゼロの世界が日本にとってホントにいいのだろうか
安い品物が買えるからといって、あるいは輸出が促進されるからといって、関税ゼロを歓迎はできない 日本は林業分野で既に苦い経験をした 昭和20年代、住宅需要が著しく高まり、国内供給量だけでは木材が足りない時期があったらしい やむを得ず関税ゼロにして外材を大量に輸入したのが、林業を衰退させた主因だ 森林の荒廃は国土と海洋の荒廃を招いた
11月7日(月) 礼ちゃんのこと
この子の名前は何て読むのかな? 沖九風くん 緑輝さん △□一くん 月夢杏ちゃん 男くん(オトコくんではない) 火星ちゃん 姫凛さん 皇帝さま 愛々さん 礼ちゃん 総和どの …携帯サイトを見ていたらこんな名前が並んでいて、キラキラネームと呼ぶという(「週刊ポスト」からの転載らしい) DQNネームがバージョンアップして、今度はキラキラか
この子たちが同じ学校でひとつのクラスに集まったら素晴らしい まず出席名簿だ 上から下までズラリとキラキラだ 担任はフルネームで名前を呼ぶ機会が多いだろうが、全部覚えるのは無理かも知れない それより問題なのは友達どうしだ 果たして互いに名前を呼び合えるだろうか 面倒なので苗字だけで呼ぶことになるかも知れない 今もそれは多いようだが
当て字とも言えないこういう漢字の読ませ方は、既に平成万葉仮名とも呼ばれている 社会機能としての名前にはふさわしいものではないが、漢字の使わせ方としてはなかなかおもしろいと思う 冒頭の名前は順に「おるざ・さふぁいあ・みよいち・るのあ・あだむ・まあず・ぷりん・しいざあ・なでぃあ・ぺこ・しぐま」であった 絶句しつつ by野田礼(のだぺこ)
9月28日(水) 高台移転
大震災の津波映像などを見て、もどかしい思いをもった点がいくつかある ひとつは、津波警報の最中に、海に平行に移動する車列だ 新しい町づくりでは、海に平行な通りのそこかしこに、内陸へ逃げる道を作らないといけないだろう もしかしたら既にあり、単に警報やアナウンスが届いていなかっただけかもしれないが 何故内陸側へターンしないのか、もどかしかった
また、小高い山や丘などが映像から見えた所が多い そういう小高い場所への登り道がたくさんあれば、たとえ海の近くであっても、もっとラクに避難できる人もいたように思う 新しい町づくりでは、たとえ海の近くにいたとしても、小高い場所へスグ駆け上れるようにすべきだ 近くに山があるのに、1年生でも登れる道がなかった大川小学校の無念を繰り返さないためにも
新しい町づくりが「高台移転」を中心にすすめられているみたいだが、どこの町でもできるという方法ではない それよりも、スグに逃げられる場所を確保した上で、海の近くで生活した方が、町の再生は速いんじゃなかろうか 山や丘がない場所でも、遠くの高台へ移転するよりも、現地に少し高い避難ビルを何棟も建てた方がいい 要は避難場所と複数の経路だ
9月18日(日) 東電書式 p.60
東京電力が作成し発送した賠償請求のための書式は60ページほどになるという またその説明書に至っては160ページにもなるという さらには3か月ごとに同様の書類を更新提出しなければならないらしい しかも領収書添付が必要なのだ 多くの非難・疑問がネットに噴出しているが、最大の疑問は、支払う側の東電がなぜ賠償請求書式を作るのかという点だ
事故発生源の東電が賠償請求書式を作る 法律で定められたことなのだろうか 東電は加害者なのだ 損害賠償に関して中立の第三者機関はないのか なぜ東電は当然のように賠償請求書式を用意したのか(涼しい顔をしてと言いたいほどだ) 裁判になる前に決着をつけたいということかも知れないが… この書式に従わない請求は、却下されるのだろうか
却下されるのであれば、東電の書式のみが唯一の書式とみなされる法律上の根拠がちゃんとあるのだろうか また、東電に申請するというからには、東電が裁定するのだろう 地域独占で、扱う商品が電力 いまや空気や水と同列だ その立場からあらゆる分野に圧力をかけるのが容易な東電の裁定は公正たり得るのか こういう構図は普通はあり得ない気がする
9月10日(土) 失言のレベル
経済産業大臣が辞任 原子力発電を推進してきた経産省のトップにしては、あまりにも軽率な「死の町」発言 そしてあろうことか「放射能つけちゃうぞ」発言 日本中がいや世界中が、怯えながら注視する福島第一原発を始め、全国に57基ある原発の建設推進の中心が経産省なのだから、立場上そんな発言をしてはいけなかった 「死の町」という言い方はないだろう
この言い方は「感想」である 感想を得るために視察に赴いたわけではないのだから、感想など言う必要はなかった 其処に壊れた原発があるから住民がいなくなったのである 当たり前だが 大臣はそのことの意味が、あまり理解できていなかったのかも知れない 日本の領土の一角に、居住不可能な地域ができたのだ 山紫水明と謳われた日本の、豊かな一角に
「放射能つけちゃうぞ」発言は、半年ほど前、つまり原発大事故で大騒ぎをしているさなか、遠くへ転校する子供たちがいちばん悩んだであろう「放射能を持ってくるな」という発言と同類同レベルである 福島ナンバーの車が嫌がらせを受けた、決して少なくはない事件と同類 まだ何も仕事をしていない野田新内閣 前の2内閣同様早くも内部崩壊、先が思いやられる
8月27日(土) 国会の復興
俳優の中村敦夫が参議院議員に初当選して初登院する時のコメントは今でもよく覚えている 「がれきの山に入っていく気分だ 晴れがましさなどない」 今調べたらそれは1998年のことであった その頃政界で何があったのか全く覚えていないが、私はこのコメントが大変気に入っていた 今日「民主党」(←もはやカッコつきだ)代表選が始まったので、ふと思い出した
あれから13年経つが、国会は果たして復興したか いつもいつも、国会自体が自分自身の問題を抱えていた気がする 前にも書いたが、ねじれ国会は憲法上十分想定できる事態であり、ねじれ状態が物事を停滞させているわけではない ねじれがない頃の国会がまともだったかというと、「がれきの山」だったのだ 停滞の原因は数の万能感に囚われている点にある
ただ、今回の「民主党」代表選でひとつだけいいところを挙げると、候補者が作り笑顔をあまりしない点だ 「民主党」に限らず自民党もそうだが、党首選になるとやたらにニコニコし始めるのが常で、だから私はTVを消すことが多かった 今回の5人の候補者は、「さすがに今ニコニコしてたらマズい感」はあるのだろう 不必要なモノをそぎ落とす 国会復興の一歩だ
6月30日(木) 大阪日の丸条例
私は毎年元日に近所をぐるりと散歩する習慣があるが、住宅街を2時間歩いても、日の丸掲げている家は1軒か2軒 そんなもんである 誰も日の丸のことなんか思っちゃいない この2時間の散歩範囲には国家公務員もいるだろうし教育公務員もいるだろう 企業のトップもいよう 右や左の評論家もいよう とにかく殆どの人は、日の丸掲揚なんか気にしちゃいない
それがどうして学校現場の日の丸になると、皆が皆、目の色を変えるのだ 皆が皆、目の色を変える理由が、以前は…子どもの頃はよくわかった きつい意見を言う人、泣きそうになりながら気持ちを表す人、いろいろな人がいた そして次第に、日の丸というのは単なる国旗ではあるが、戦争体験と切り離して論じてはいけないものなんだという理解に、自然に達した
今は…皆が皆、目の色を変える理由がよくわからない まして「公務員だから論」にはついていけない 公務員がきまりや命令を守るのは当然という言い方だ 公務員にしろ非公務員にしろ、「○○なんだから」という言い方には、「内心」とか「良心」を理解しようとする配慮が感じられない 男なんだから、女なんだから…、この言い方はイヤな人が多いんじゃないかな
6月22日(水) 路心余裕
おっと危ない! 今日も横断歩道で車と人が… 赤信号を無視して横断歩道を突っ切ろうとした車が、私の前を歩く老人とあわやという所だった 青信号になった横断歩道を老人と私が渡りかけたが、そこへ乗用車がかなりの勢いで走り込み、急ブレーキをかけたのだった ほかの車は皆止まっていた 飛び込みかけたその乗用車だけが白線を大きく越えて、目立った
こういう場面で事故を起こした運転者が必ずといってよいほど口にするのは「大丈夫だと思った」という言葉だ 私は車の免許を持っていないので車側の交通法規はあまり知らないのだが、「大丈夫だと思った」という言葉は奇怪ではないだろうか 運転者(あんた)が思うか思わないかが基準じゃァない 信号が赤になったら、思ったり思わなかったりせずに即停車だろう
運転者の皆さんは、正確な判断ができるほど立派な訓練を受けてきた人ばかりとは限らない また教習所だって、どこも皆優れた運転技術を教え込んでいるとは限らない ピンからキリまである運転者の技術差は、どこかで整理統一しなくてはならない 運転技術や個々の判断力には絶対に頼らない回路が必要だ 「赤になったら即停車」を墨守するのはスマートだよ
6月9日(木) 炉心溶融
やった?といえば、やらないという やらない?といえば、やったという こどもでしょうか いいえ東電 冗談じゃぁありませんぜ若旦那 えれぇことが起こってたんじゃぁありませんか ただちに健康にはとか何とか言ってる間に、炉心溶融ってぇのが始まってたそうで いかにも怖い語面だねぇ、炉心溶融 よくできた言葉だと思うよ メルトダウンじゃよくわからん
建屋爆発の時点で大量の放射性物質が拡散してたことが、今になってわかったってぇのも怖いねぇ 何も知らない国民は、ただちに健康には云々と言われるもんで、一抹の不安を抱きながらもすっかりだまされたっぷり浴びたって寸法だ それよりなにより若旦那 線量計の設置場所がマチマチだったこともわかってびっくりだ そもそも線量計が足りないってのがヘンだ
今更遅いけど、原発の周りにそれこそ同心円状に設置しておくべきだったよな ちょうどホレ、国土地理院が地図作る際に使う三角点とか水準点みたいな感じで、原発作ったらそれぐらいやっとけってんだ でもその管轄が文部科学省ってぇのが少し不思議だ若旦那 科学技術関係だからでしょうが… 海外からの寄贈線量計は厚生労働省に集められたんでしょ?
6月5日(月) バカヤロー国会
国会を国会議事堂で開かねばならない規則があるのなら仕方がないが、そういう規則がないなら、いっそのことしばらくの間は岩手宮城福島各県で持ち回り開催をしてはどうか 被災地の体育施設などに議事ができるスペースを設ければ簡単だろう 青空国会だって一向に構わない 何か問題があるのだろうか 泊まる所も議員食堂もないから不可能だとは言わせない
10万人もの人たちが避難生活をしており、まもなく3ヶ月になる 3ヶ月の仮設生活がどういうものか、国会議員すべてが3ヶ月間体験したらいい ここ数日の議員たちの無礼な態度、被災者に対して無礼な態度は何だ ホテルマンだか秘書官だかに恭しく礼をされ車のドアを開けてもらい、いかにも慌しげに大理石の玄関に入っていく ふざけるのもいい加減にしてほしい
国会なんかどこでも開けるんじゃないのか 被災3県で開くのがいやならしょうがないが、いやじゃないなら開いたらどうだ 安全が保てない? 当たり前だ 大津波大震災原発大事故被災地なんだからとても危険だ でも地元の人は大人も子どもも皆そこに住んでる そういう人たちが見える場所で国会を開け このままだとホントの意味でバカヤロー国会だ
5月28日(土) 原発の友
もう20年以上、週刊誌を読んでない 床屋や喫茶店でパラパラめくることはあるが、その程度だ それから駅売りの夕刊紙(フジ、ゲンダイなど)も、殆ど読まなくなった ある時ふと思ったのだ こういう文(文体)を読んでると気持ちが粗雑になりそうだと… 練られていない文章、雑駁な論 文だの文体だのを言うほど文章に詳しくはないが、心が荒んでいくのを感じた
ところが先日ひょんなことから「サンデー毎日」を手にして、原発関連の記事をざっと読んで驚いた なんてよくわかるのだ! あぁそういうことだったのか… 新聞がいくら懇切丁寧な解説を載せても、それがどれほど素人にわかるように書かれていても、はっきり言って殆ど理解できなかった 書いてあることはわかっても、それが危険なのかどうか、新聞はぼかしていた
依然として「サンデー毎日」の文は粗い 読んでいてザラッとするいやな感触がある しかし記事自体の突っ込み度は高いことが、読んでいてわかった 新聞が全く書かないこと、触れないことをちゃんと指摘している 「サンデー毎日」がどうのということではなく、週刊誌の役割がそういうものだということに、やっと気がついた 原発に関しては、新聞は隔靴掻痒状態だ
4月16日(土) おいしいコーヒーの後で
そのコーヒーチェーン店は前からよく行っていた 大震災後のある日、いつものようにいつものコーヒーを注文した いつものコーヒーといっても単なるブレンド たまたま計画停電の前か後で、いつものコーヒー器械が使えないからと、特注コーヒー用器械でいつものコーヒーをいつもの値段で入れてくれた でもそれは店のサービスだったようで、違う味がした 旨かった
う〜む、商売が上手い それ以降、またあのコーヒーが飲みたくてたまらない もういつものコーヒーではダメになった 今日はなかなかの好天、散歩のついでにそこへ寄り、少し高いけどいつものじゃないコーヒーを飲んだ やはり旨い 帰りにスーパーへ立ち寄った 数分後に大きく揺れた 大きい店で地震に遭うのは初めてだ ぶら下がりモノが激しく揺れた
キャーと叫ぶ人もいたが、私の目の前にいたご婦人は鷹揚だった あらこれ地震なのねと言ってカートに手を掛け泰然としていた 私の顔を見てそう言ったので、ええ地震ですよホラあんなにと、言いながら私はアレが落ちてきたら外へ逃げ出そうとか考えていた 収まった後、携帯の速報で茨城震度5強と知った 最近の揺れは以前と違う 何か鋭く荒々しいのが特徴だ
4月15日(金) 想定内だから解説できる
3月11日の大津波大地震が想定外だったとか、原発破損が想定外だったとか、想定外という言い方が大手を振ってまかり通っている だが地震発生当日から、専門家は今回の大地震のしくみを解説していたし、大きな余震の確率を70%とか10%などと発表してきた しくみや確率を言える出来事が、なぜ想定外の出来事なのだろう 想定外とは、説明不能に陥ることだ
説明不能に陥らないのは、データ自体がまぁ出揃っていたということだ 専門家がそのデータを読み誤っていたということではないだろうか またはデータを結びつける構築力というか想像力のようなものに欠けていた あるいは見て見ぬふりをしてきたか 恐ろしい結末を予想させるデータが、わずかだがある わずかだから目をそむけてきたとしたらそれこそ恐ろしい
フランスの文学者サルトルに、「実存主義入門」というきわめて薄い本がある 私が読了できた只1冊^^; 中の数行が、若かった私の目を見開かせてくれた 「事実から目をそらす態度」に関する数行だ 夫婦生活で十分に感じていながら感じていないふりをする女性の逸話 「必要があって、感じている事実から目をそらす態度をとる」という、示唆に富んだ話であった
4月2日(土) 3.11原発大事故
4月、晴れがましい季節 入学式を待つ子 入社式に臨む若者 新天地へ赴任した大人 桜の季節とともにあるこうした年中行事は、直接の関わりを持たない私にも、例年明るい気分をもたらしてくれる でも今年ばかりは、当事者も私も悲壮でやや暗い面持ちで迎えるしかない 大地震があり、大津波があり、原発大事故があって、まだ何も収束してはいないのだ
水や土壌が放射能に汚染されるとよく言われるが、実際の危なさはどうなのかが曖昧でわかりにくい 基準値の何千倍 「だから大変な事態なのか」と思うと、「ただちに健康に害を及ぼす心配はない」という 何倍になったら大変な事態なのかを先に言ってもらいたい たいていのことは耐えられよう 何しろ普段は食品添加物だらけのモノ食べて平気だったんだぞ
食生活を顧みれば、慌てて水を買いに走ることもない 余程の添加物ギラギラでないならば、まぁ食べていたではないか ラーメンなんか添加物だらけで、旨い旨いと食べていた 話は変わるが、政府は「東日本大震災」を正式名と決めたらしい 私はこれには異を唱えたい 原発隠しはいけません 少し長いが「東日本大津波大震災と原発大事故」がふさわしい
3月28日(月) 3.11千葉の春
東北の被害があまりにも甚大なため報道されることは少ないが、今回の地震では千葉県にも大きな被害が出た 太平洋沿岸では津波で十数人の犠牲者が出た 桁違いではあるが、行方不明者と合わせると東北3県以外では茨城に次いで多い また東京湾側では激しい液状化現象が起きた どちらも復旧には時間がかかりそうだ 内陸でも地域によっては被害が大きい
道路が波打ったり段差ができたり、ビルの外壁が崩落したり家屋の外壁に亀裂が入るなどしている 家の中は滅茶苦茶だった 仮に今回の地震が関東を中心とした地震で、東北では被害がなかったとしたら、マスコミは連日千葉の被災を報じていただろう 浦安にある東京ディズニーランドは今も休園したままだ 学校は春休み 勉強から解放された子どもや学生の多くが楽しみにするのは、家族や仲間うちでTDLへ行くことだが、今年はその楽しみもなくなった
そんながっかりは、東北被災地の激甚壊滅状態に比べたら贅沢言うにもほどがあるというものだが、巨大事業体ディズニーランドの休園は、やがて県の財政にも響いてくることだろう TDL周辺の店舗も閉店している 桜の声も殆ど聞かない とても寒い 去年も寒かったが、今年はそれ以上の寒さが続く 例年この時期は、真っ盛りの桜を見に行けるかどうか、日時のやりくりにやきもきするが、今年ばかりはそんな気にもならない 節電でいろんな店が薄暗い
3月24日(木) 3.11計画停電
首都圏では計画停電が行われていて、はじめのうちはずいぶん気を張って用心した 翌日の予定がどうなっているかを確かめる これも当初は、夜遅くなってネットを見ないとわからなかった ネットをやらないお年寄りなどは困り果てていたと思う 今は地元TV局がその日の停電予定を終日流しているので助かる 被災地のことを思えばたいていのことは耐えられる
だが計画停電については、腑に落ちないことも多い たとえば、病院は停電するのにTV局は停電しないということ TVでは、震災前に録画しておいたと思われるバラエティー番組なんかが放送されているのだ 停電しないTV局から垂れ流されるバラエティー番組と、まともな医療ができない停電中の病院や復旧作業中断の工事現場 これはどうにもバランスが悪い
TV番組の中で節電を呼びかける場面を何度も見た しかしTV自ら「TVは消しましょう」と言っているのを聞いたことがない 夏の盛りには、クーラーと高校野球中継で電力が大量消費されることを、かつて何度も聞いた TVは電力食いなのだ 安藤優子キャスターは「今すぐTVを消しましょう」とは決して言わない TVが自らを消すことができないなら、私が消そう
3月22日(火) 3.11虫の知らせ?2
地震のそこはかとない予感だったのかなと、今思えることがもうひとつある 「このポイント、使わなくちゃ」 以前ポイントカードを作った店のレシートで、ポイント数を確かめてそう思った ポイントは使うことなく貯まる一方であった そして地震の少し前にすべて使ったのだ その店は地震で閉店してしまった 建物に異変が起きて、店舗として使えなくなったらしい
こんなことばかり書くと、被災された人からお叱りを受けそうだ 何をのんきなと… だが私にできることなど殆どないのだ 何もしないことこそ、せめて私にできるいちばんのこと 何もしない 買いに走らないということだ 米やパンが消えたときは少し慌てたが、被災地に回すのなら我慢しなくちゃいけない 我が家に食べる物が全然ないわけではないのだから
今までの生活をそのまま維持しようとするから、不安になるのだ 被災地でない所では、今までの7割の生活ができればOKだ 1回のご飯の量を少し減らすとか、明かりの照度を1段階下げるとか… 話は変わるが、7割どころか1割以下になったものもある 迷惑メールの数だ 太平洋の海底ケーブル4本が損傷した影響だろう アメリカ経由ということがはっきりした
3月21日(月) 3.11虫の知らせ?
地震の少し前の私の行動には、いつもと違うものがあった 長い間放っておいた自分のgooブログに、久し振りに入ってみたのだ 「何も書かなくて済ませたいブログ」というタイトル PC不調や災害などの緊急時に、携帯から連絡が取れるように開設しておいた その存在を忘れていたので今回役に立つことはなかったが、いったい何故ログインする気になったのだろう
もうひとつ 地震の4、5日前には、PHSのウイルコムに災害時伝言板があるのかどうか、確かめたりしていた ドコモやau 、Yahoo! などの災害板は時折見聞きするが、私が利用しているウイルコムにそういう仕組みがあるのかどうか、急に心配になってきたのだ ウイルコムも一応対応していることはわかった 問題は何故私がそんな気になったのかということである
これが虫の知らせというものだろうか 話は変わるが、母がよく「関東大震災の年はとても暑かった 秋に入っても暑さがいつまでも続いた」と言っていた だから猛暑の夏には母は「いやだねぇ」と、何処かで起こるかも知れない地震をとても心配していた そして昨夏は、稀な猛暑であった あの暑さは、そして今冬の大雪と低温は、今回の大震災と無関係なのだろうか
3月20日(日) 3.11募金強奪
まだ大勢の行方不明者がいて皆が悲しむ毎日だというのに、とんでもないヤツが松戸に現れた そヤツは、若者たちが集めた災害募金を、因縁つけて奪い去ったのだ 「誰に断って商売してるんだ」と言ったらしく、始めはその言葉通りその筋の人がショバ代を要求したのだと思った しかしいくらなんでも日本大変のときに、若者からショバ代要求するその筋の人はおるまい
昔とはだいぶ様変わりしたとはいえ、その筋団というのは全国規模のネットワークを持っているのだから、今回の被災地への関心は決して低くはないはずだ ひょっとしたら誰よりも早く裏支援に駆けつけたその筋団だっていたかも知れない そんなひとびとがショバ代稼ぎなどするだろうか この犯罪は、その筋団のフリをした、しょーもないスカタンの仕業に違いない
全く恥ずかしい 松戸のその筋団はおのれの名誉にかけて、組織を挙げてこのスカタン野郎をあぶり出すべきだろう 取られたのは1万円 松戸の名を1万円で地に堕とす気か ガソリンや灯油を抜き取るなどの犯罪が被災地で起きたり、買い漁りが首都圏で起きたり、少し恥ずかしい出来事はあるけれど、松戸の募金強奪事件は別格である ひとでなしとはこのことだ
3月19日(土) 3.11大地震
地震発生時、私はたまたま都内にいたため、千葉県松戸市の自宅付近がどれほど揺れたかを知らない 震度を知ることはできても、揺れの体感とはだいぶ違うだろう 都内では帰宅困難者に開放された施設で一夜を明かした 小さいテレビを遠くから見て、千葉県市原市でコンビナート火災が起きているのを知った 東北の地震でなぜ市原が…事態が呑み込めなかった
お笑い芸人サンドウィッチマンの発言がきっかけかどうかはわからないが、その発言の日を境にテレビ報道が変わってきたように思う それまでの数日は、どの局も烈震映像と津波映像の繰り返しで、被災者の安否といういちばん肝心なことがたしかに抜けていた TVカメラがあと数センチ右を映していれば、知人の顔が映り無事が確認できたというケースもあっただろう
セ・リーグ公式戦29日開催が決定したようだ 当初の25日と大差ない セ・リーグはローカルな都市野球団に堕したといっていい 現実感覚を欠いている 私は地震の夜、長蛇の列に混じってバスを2時間待ったが、目の前に煌々と明かりがともるパチンコ店があった あぁ、世界が隔絶している、という感じをもった こちらと向こうがつながっている感じがしなかった
2月26日(土) かわいそうなパンダ
パンダが来た 成田に来た 上野に来た 今回連れてこられた2頭ほど歓迎されないパンダは、かつていなかった 尖閣諸島問題でこじれた日中関係の改善にという思惑が日本にも中国にもあるのだろうが、恫喝する中国の仮面の使者たるパンダを、もう素直に「可愛い」と喜べない ’70年代の中国ではないのだ 西太平洋の制海権を主張する、コワい中国なのだ
それにもうひとつ、パンダ費用ももはや看過できない 日本も、’70年代の日本ではないのだ レンタル料が10年で8億円、万が一「病気以外で死亡」した場合は3500億円というから、東京都下に住む人々の殆どは、パンダ以下ということになる たくさんの怒りがパンダに向くことは、今回ばかりは仕方ない 国策としてのパンダビジネス 中国人民は知っているのか
パンダ1頭の食費も1日1万5千円かかるとのこと 安い物ばかり食べている私のような大人なら、15人分だ 相当な数の人間を救える金額ではないか 保育園を充実できるではないか 介護施設職員の待遇を大幅に改善できて、いい人材を集められるではないか ヘンである 今回のパンダ、どう見ても中国に無理矢理レンタルさせられているとしか思えない
2月6日(日) 3Dメガネ
新聞に妙に写りの悪い写真が載っていた よく見たら3Dと書いてある あぁ、と去年の暮れに販売店がポストに入れていった3Dメガネを思い出した 昔の小学生雑誌の付録のような代物だが、それはあくまでも外見である 響きの良いコンサートホールとして評判の浜離宮ホールを持つ朝日新聞社が作成配布したものだ 写りの良い3Dメガネを期待していいだろう
写真は沖縄のカンヒザクラだったが、3Dメガネをつけると、うーむなるほど… 決して飛び出て見えるというほどのことはなかった この見え方を飛び出て見えるというのなら、むしろ飛び出なくて結構 普通の写真の方がはるかに勝っているようだ 3D効果があまり感じられないのは、質のよくない新聞写真だからか 映画やTVはもう少しマシかも知れない
私がいちばん期待するのは、山岳風景の3D映像と、サッカーなどでボールがこちらに向かってくる場面の3D映像だ とくにボールが飛んでくる場面には興味がある 危ないと思って身体を傾けてしまいそうだから そういう感覚に陥るのなら、新しい錯覚玩具としておもしろそうだ ただ、子供には危険だな 3D慣れして、本物のボールをよけないようになりかねない
2010年
11月10日(水) 尖閣ビデオ2
尖閣問題でよくわからないことがひとつある 中国人船長の釈放を決めたのは那覇地検であり、政府は関与していないと自ら言明している その一方でビデオの公開非公開は政府が決めている ここのところが私にはわからないのだ 刑事事件の証拠物件についてなぜ政府が口出しできるのだろうか 船長は刑事事件の容疑者として逮捕・釈放されたに過ぎない
領海侵犯として厳重に抗議することもなく、また国家の(つまり国民の)財産である巡視船に危害を加えたり侮辱したりの行為に厳罰を与えるでもなく、かえってビデオを流出させた日本人(たぶん)をやっきになって探し回るのは、上手くは言えないが変な感じがするのだ 尖閣問題をたんなる刑事事件として扱う限り、そもそも政府は口出しすることはできない
証拠物件であるビデオの公開非公開を政府が決めるのなら、この問題は始めから政府の管理下にあったわけであり、那覇地検の一存で船長釈放が決められたという話は大嘘ということになる 大嘘でもいいのだ 始めから政府が乗り出す外交問題として扱っていれば、「公務員の守秘義務違反」などという、この場合にはケチな問題に収斂されることもなかったろう
11月1日(月) 尖閣ビデオ
尖閣諸島沖の一件、中国漁船の動きを捉えたビデオが国会議員に公開され、それを見た議員の話をメディアが伝えている だいたいこんな風だ ≪漁船は途中でエンジンをさらに一段あげ、「ピューッと突っ込んできた」。漁船の船首がほぼ直角に、「よなくに」の左舷後方に衝突。…「ゴーン」という鈍い金属音が響く。「ぶつかってきたというよりは、押しつけてきた。…」
…「挑発的な動きをみせています。あっ、本船に当ててきました」。撮影していた海上保安官のナレーションが入る…≫(以上asahi.comより引用) 何というもどかしさだ 漁船の違法行為が明らかならば、ビデオは即座に公開されるべきであった 中国政府がどう見るかではなく、世界がどう見るかが重要なのだから 「百聞不如一見」は中国の言葉じゃなかったか
深夜の大使呼び出し、東アジアサミットでの首脳会談キャンセル&チョットだけよ会談など、一見高飛車無礼に見える中国の振る舞いだが、よほど余裕のない状況が国内に渦巻いていることを大宣伝してしまった 中国内陸部の人たちは尖閣諸島がどこにあるか知るはずもなく、また利害に直接関係しないはずだ そこで反日デモが多く起こるのなら、それは何か不自然だ
10月23日(土) ついていかない2
仮にiPadなどの電子書籍が主流となったら、紙の書籍は次第に目につかなくなっていくだろう 半々になり6対4になり8対2になっていく そうなる日はまだ遠い先のことだとは思うが、いつかは来るかも知れない 新聞なんかは真っ先に電子版が主流になるに違いない そんな時代の子どもたちは、一体どうやって「親父の本棚」を探検すればいいのだ
若い頃から読んだり積んだりしてきた本が雑多に並んでる「親父の本棚」 書斎などという大層なものはなくていい 本棚に並ぶ難しそうだったり意味不明だったりする背表紙のタイトル そこにある本を手に取るとか取らぬとか、読むか読まぬかは問題ではなく、そういう本があることを擦り込まれる経験が大事なのだ 昔から言うように、子は親の本の背中を見て育つ
iPad親父にそれができるだろうか ホレ、見ろとでも言ってiPadを渡さない限り、子は親のiPadに触れることはできまい なにしろ高価な代物なのだ 壊されたら大変だから、滅多なことでは子どもに背表紙を見せることなどしないだろう しかも中には、見られたら都合の悪いモノも混ざっているかも知れぬ(笑) 親は親でiPad 子は子でiPad 本棚文化の断絶だ
10月16日(土) ついていかない
iPhone は電話機だったな、タッチパネル方式の… iPod はプレーヤーなんだよな、イヤホン型の… iPad は電子書籍を読むためのもの、これもタッチパネルが評判を呼んだな… う〜む、iPad には触ってみたい気はするけど、使う気は全然起こらないのが自分でも不思議だ それだけ年を取ったということか そもそも電子書籍自体にあまり興味が沸かない
電子書籍とホームページ、どう違うのかよくわからないのが現状だ 別の言い方をすれば、電子書籍というモノについていけないということだ 地デジ…これもとくに希望したわけではないのに、完全地デジ化までとうとうあと1年を切ってしまった 地デジはいいことずくめのように宣伝されているが、実況中継の場合、アナログよりも少し遅れて実況される欠点があるという
地デジもわからないが、その前の段階、BSだのCSだのも未だに呑み込めない BSハイビジョンなんて言われても「…」だ 受信してなかったから理解が達しないのだろうが… ついていけないものだらけだ 最近、我ながら衰えを感じる最たる場面がある ラジオ・TVやオーディオ機器、それにPCなどの背面コードの接続し直しである 明日やろう…が続いている
9月4日(土) 平成22年狐狸合戦
党内選挙になると候補者が皆ごきげんな顔になる スマイリー小沢 ギランギラー菅 急ぎ善人の顔つきを取り戻さんとかや つい1、2週間前までの、暗く険しいアノ顔はどこへ捨てた スマイリー小沢なんか報道陣に対してけんもほろろ、ろくすっぽ国民の前に姿も見せてなかったじゃないか あぁ、昔懐かし自民党総裁選、竹下宮沢やはり異様にニコニコしてた
選挙になるとTV・新聞つまらなくなる でもテレビ東京には期待しています あの無理笑顔は何のために・誰に向けて造られるのか もしも党員党友ではなく国民に向けての無理笑顔なら、それは完全に逆効果だった…そんな検証番組を放送してほしいものです それができるのは、欲の塊人間を、ユーモアとペーソスで味付けするのに長けたテレビ東京ぐらいです
それにしても党内選挙になるといろいろな顔が出てくるものだ 中でもピンカポーン鳩山の出現にはちょっと驚いた 顧みすれば、ピンカポーン鳩山&スマイリー小沢のダブル辞任の時点で、既にこんにちのシナリオができていたような気もする 6月の代表選挙 あまり聞いたこともないツンガリエ樽床が出馬しての意外な善戦も、何か変だった 今、代表選が暑苦しい
7月31日(土) サトウ出版
その電話があったのは5月6日だ 「サトウシュッパン」という会社名を名乗る男からだ その会社名を「佐藤出版」として認識するのは、とりあえずは正しいであろう 男はこんな内容のことを言った 「夏期講習のテキスト見本を送りたい ついては代表者の名前を教えてほしい」 ときは5月6日、まだ少し早いことは早いが、電話の奥で終始ざわつきが聞こえる
シーンとしていれば疑ったかも知れないが、事業所みたいなざわつきがあったので、二言三言言葉を交わした後、「それでは送って下さい 名前は云々です」と伝えた とんでもない騙りだと気づいたのは、電話を切ったホンの少しあと 「あ、うっかりした、向こうの電話番号を聞かなかった」と、早速調べたら非通知であった やられた 未だに見本を送ってこない
こちらの不用意な対応はあったものの、せめてサトウシュッパンの実在を確かめたくてネットで調べたが、塾関連の「佐藤出版」「サトウ出版」「サトー出版」は見つからなかった 塾関連でよくある騙りは、(私自身はやったことはないけれど)保護者を装ってライバル塾の動向を探る電話をするというものだ しかしライバルもなにも、うちはミジンコみたいな塾だからなぁ^^;
6月15日(火) はやぶさシュート
あぁ、地球だ ぼくは帰ってきたんだ 7年ぶりに地球に戻ったんだ ぼくはただの機械だけれど、どこをどう調べてもらってもいい、ぼくの身体には地球遺伝子が組み込まれているよ ぐんぐん迫ってくる青い地球を見れば、鉄と油とチタンのぼくにも懐かしい気持ちが湧いてくるってもんだ ぼろぼろになってしまったけれど、どうやらぼくは生きて地球に帰れそうだ
でも参ったな これから最後の大仕事が待っている 息も絶え絶え帰ってきたぼくが、なんとオーストラリア大陸の砂漠の1点めがけて、カプセルシュートを蹴り出すんだ あまり期待してもらっても困るよ ちょっとしたことでスグ姿勢制御が乱れるからね 指令電波でゴトッなんて新しい装置が動き出すこと自体が冒険なんだから あぁ、地球 きれいだなぁ さて
じゃあ、そろそろカプセルをシュートするよ うまくいったら拍手してね ゴーーーーーーォルって叫んでね はやぶさシュートって名付けてよ この7年間、いいことなかったぼくだけれど、ひとつぐらいはほめられたいよ あぁ、ぼくは綺麗に燃え尽きることができるだろうか 「よだかの星」みたいに、長い長い尾を曳いて、泣きながら空に果てることができるだろうか
5月1日(土) ハヤブサのように
シャトルに乗り込んだ山崎直子宇宙飛行士の活躍や、ご家族の話題で賑わいを見せる宇宙報道 その蔭で殆ど見捨てられたかのように人知れず孤独の旅を続けているのが、小惑星探査機ハヤブサである いや、決して見捨てられてなどいない トラブル続きで再起不能かと思われたこの国産探査機の旅路と帰還を、ハラハラ萌えながら^^;見守る人は多い
主なトラブルだけでも「姿勢制御装置の故障や化学エンジンの燃料漏れによる全損、姿勢の乱れ、電池切れ、通信途絶、イオンエンジンの停止(以上ウキペディアより)」といった有り様で、まさに出来の悪いドラ息子だ 小惑星イトカワに辿り着くのも奇跡なら、帰ってくるのはもっと奇跡だ ホントに帰ってきたなら、タロージローのカラフト犬以来の生還といっていいだろう
生還と書いた 瀕死のトラブルを続発しながらも、残る機能を振り絞って生まれ故郷地球を目指しているハヤブサは、もはやいつくしむべき生き物なのだ アメリカやロシアのような大計画ではなく、糸川英夫博士にちなんだ小惑星イトカワにちょっとタッチして戻ってくるというのも、なかなかの味わいである 帰還は今年の6月、オーストラリアに落下(着地?)するそうだ
3月31日(水) 敗者の弁、三題噺
時効になった事件について「でもやっぱりアイツらが怪しい」と、警視庁が発表した こんなことをしていいのだろうか 特定の一個人が名指しされており、その周辺の人々を十分に類推できる発表内容である これは人権問題ではないだろうか 証拠ではなく情報や噂をもとに事件を組み立てる手法は、戦前の特高警察に近い気がする 何だか情けない時代になった
ところで先日、敗れはしたが亀田興毅のステージマナーがずいぶん向上しているのに驚いた 父親から離れることで荒波をもろに受ける それで大人になったのだろう …と思ったのも束の間、判定に不満をもった父親が立会人や審判に暴言を吐いて脅したというではないか こんなことをしていいのか 父親には不服を申し立てる権利は何ひとつないはずなのだ
少し古い出来事だが、春の高校野球で「21世紀枠チームに敗れた」ことを末代の恥とコメントした監督にもびっくりだ 私自身、21世紀枠とは何が基準なのかよく知らなかったが、一定の実力を持っているチームが選ばれていることは、過去の実績が証明している 以上三題、敗北を潔く認められない人々のびっくり言動と共に、ニッポンの3月は暮れていくのであった
3月5日(金) ケネディスタンプ
先日所用のため東京・四ツ谷駅で降りた時のこと 横断歩道の向こう側に驚くべき店舗を見つけた 店の名前は「ケネディスタンプ」 えっ?!…と思った 子供の頃の一時期、切手を集めていたことがある 当時の少年たちの知識源である少年マガジンやサンデーには、いくつもの切手商の広告が載っており、「ケネディスタンプ」はその中のひとつだった
ほかの切手商の広告とは雰囲気が少し違っていて、何となく新しい感じのする広告だったような記憶がある さきほどネット上で確かめたら、当時のままの子供キャラクターが使われていた 今こういう絵柄の子供を描く人はいないだろう かなりのこだわりがあるようだ^^; あれから幾星霜、この妙な名前の切手商が東京のど真ん中に堂々健在だったとは驚きだ
ふと思い立ち、「不二スタンプ」というのを検索したら、あった 通信販売で最初に切手を買ったのがこの店だ 小学5年の私が、郵便局で定額小為替というものを買って送った わずか100円分だったが、昔の子供雑誌には社会勉強を促す要素が色濃くあった 「不二スタンプ」から届いた切手や、おまけでついてきた粗末なストックブック(切手入れ)は、今でもとってある
1月27日(水) 事務機器冬の乱
プリンタ・コピー機・Fax電話機のFax機能などが軒並みダウンしつつある このうちプリンタは昨年末新規購入せざるを得なかった プリンタはこれで3台目だ キャノン・キャノンと使ってきたが今回はエプソンにした キャノンのプリンタが遂に私のPCで使えなくなったからだ Win98、これが私のメインPCである キャノンのサイトを見ると、対応ドライバは存在しない
ところがエプソンのサイトでは、Windows7対応の製品でも98対応のドライバを用意してあるものもある ドライバに関しては「キャノンめ、やればできるのにやらないだけじゃないか」とやや恨めしく思った 純正インクではなく安いインクを使い続けていた私も迂闊(うかつ)ではあったが… クリーニングをしても駄目で、修理するより買った方が安いという結論になり買った
コピー機も汚れが付くようになり、説明書に従い清掃を試みても全く改善されないようになった インクタンクの一部に初めからインクがこびり付いていたのが気にはなっていたが、長い間問題は起きなかった 近いうちにメーカーに診てもらうしかないだろう ただこのコピー機はネットで買った安売り商品なので、まともに対応してくれるかどうか、ちょっと心配ではある
1月23日(土) 東海道新幹線
東海道新幹線の500系という車両が姿を消すらしい 500系といわれても特に鉄道ファンではない私にはよくわからないが、写真を見ると先頭車両の鼻先が異様に長いあの車両のようだ デビュー当時異様と思ったその姿 今見てもやはり異様で、何となくなじめない まして最近のカモノハシスタイルの不自然な感じ… 人間っぽいともいえるけれど…
「のぞみ」は500系だと思うが、結局500系の「のぞみ」には乗らずじまいになりそうだ そもそも新幹線には10年以上乗ってない 最後に乗ったのは団子鼻スタイルだった それも新型の団子鼻で、新型なりになじめない面があった 外見ではなく、車内前面にある電光掲示板である 目を開けるとどうしても読んでしまう わずらわしかった
旅行の始まりにおける2時間ほどの乗車中、目を開ければ電光ニュースの字面を追わなければならない 苦行であった 今思えば、10年以上新幹線から離れる理由のひとつがこれだったかも知れない やはり新幹線は仕事での往来に適した乗り物であり、旅行にはあまり適さないのではないか その時以来、私の旅の規模は小さくなり、鉄道は各駅停車だけになった
2008年
5月26日(月) 自転車置き場考
駅周辺やスーパーなどの自転車置き場の形態には、大別して2つある 金属の大枠が囲んであるだけのものと、枠内の1台ごとに車輪入れがあって下段上段の順に並んでいるものの2通りである 広いスペースをもつ場所では前者が使われ、狭い場所では後者が使われているようだ 総じて後者は使いにくく、壊れていることも少なくない
前輪を挿入する所が、設置後ひと月も経たぬうちにめくれて緩んでくることなど、ザラである 狭い場所へ無理矢理自転車を詰め込むから、買い物から戻ってみると私の自転車が両隣の自転車に羽交い締めにされていて、全く動かせないこともある そういう状態から我が自転車を救い出す時に、新品のズボンが破れたことすらある 元も子もないとはこのことだ
仮に、1台ごとに車輪入れのあるものがすいているときでも、別の悲劇が待っている 車輪入れが緩んでいるせいで、右または左へゆらゆら倒れそうになるのだ 羽交い締めしてくれる自転車が左右に1台ずつ必要なわけである いや何を言っているのだ、それは困る 羽交い締めはイヤだ ズボン破りもイヤだ あぁ、自転車置き場はストレスが溜まる
5月9日(月) 過剰冷房問題
4月から5月にかけて、毎年のように繰り返されるたたかいがある 今年もまた、4月末のある日、気温が20度を少し越えて、あぁ気持ちがいいなぁ、やっと体が軽くなったなぁと、いい心持ちで歩き、その後電車に乗ったら、冷房が入っていた 困る 非常に大変very困る 外と内でガツンと温度差が大きいことが気持ちいいのは真夏だけだ
しかも気持ちいいのは一瞬で、それすら実は身体によくないから、私は真夏でも冷房の風や扇風機の風の直撃を避けている 電車やバスでは、20度を越えたら冷房を入れるようなマニュアルがあるのかも知れないが、初夏は薫風を楽しむ季節である 昔は冷房などなかったが、4月5月は窓を開ければ済んだから、今のやり方より遥かにクリーンだった
この場合、昔の方がよかったというのは、懐古趣味ではない 口を開けばエコロジー、車内ポスターにエコの文字が躍る当の車内が4月に冷房とは、一体どういうエコなのだ ものを考えなくてよいシステムというのは、煩わしくなくていいが、人を苦しめることも少なくない その点で真っ先に思い浮かぶのは、鉄道やバスなど公共交通機関の、この過剰冷房問題である
3月9日(日) 老人と杖
その老人は65歳から70歳ほどに見えた 年齢のわりには体躯がかなり大きい 電車の長椅子の端にやや斜めに座り足を広げていた 挑むように辺りを睥睨している 車内は混み合うというほどではないが、吊り革につかまる人やドア付近の取っ手につかまる人などがたくさんいた 少し離れた所に座っていた私は、老人が杖を持っていることに気がついた
正確には、持っていたのではない 股の付け根あたりに置いて、そのまま手を放していたのだ その結果、杖の先端が通路の真ん中まで届いて、床に落ちていた つまり老人の股の辺りから杖が伸び、通路を半分塞いでいたのだ まるで「ここまでが俺の領分」とでも言うように… 乗り降りする人は老人の杖を避けたりちょっとまたいだりしながら、そこを過ぎるので
あった
危ないとは思ったが、離れていたこともあり私は黙っていた どういう人生を送ってきたら、こうまで周囲に対し無感覚になれるのだろうと、そっちの方に関心が向かってしまった 私にとっても他人事ではないのだ、こういう老人の存在は… いま、ふと思ったのだが、老人は単に誰かの足を引っ掛けようとしていただけかも(。・o・。)ノ
3月29日(土) 月番制度
江戸幕府の仕組みのうち、おかしな制度だと思う反面、かなり面白い制度ともいえるのは、町奉行の月番制度だ TVドラマ「大岡越前」など時代劇で得た知識に過ぎないが、江戸の町なかの治安には南町奉行所と北町奉行所が月ごとに交代で当たるのだ 担当外の月も仕事はしているんだろうが、担当外の月に起こった事件は、翌月に月番となっても原則として担当しない
協力はするが口ははさまないのである 警視庁が2つもあるような制度をどうして作ったのか不思議だ ただ、250年も続いたのだから、制度上何か優れたものがあったに違いない 一方、平成ニッポンの国会を眺めてみると、衆参ふたつあっても、南町北町ほどには意味をもたないことは明らかである 長い間、参議院は「第2衆議院」などと揶揄されてきた
ところが昨夏の参議院選挙で野党が多数を占め、少なくとも勢力関係においては「第2衆議院」じゃなくなると、今度は「ねじれ国会」と言われ始めた 法案がなかなか成立しなくなり、そのことでいろいろ言われるようになった ねじれちゃいけないなら、初めからねじれない1院制にすべきだった 今更1つにできないだろうから、いっそ月番制度を採用したらどうか
1月7日(月) 敗北宣言
人混みの中、とりわけ駅のホームや階段などを歩いていて、「自分は何故こんなに気を遣いながら歩くんだろう」と思うことが、最近は多くなった 前を行く人とのタイミングが何だか合わない あるいは向こうから来る人が何だか、そう、ホントにわずかだが何だか、斜めに歩いているので、このままだと数秒後にぶつかりそうな気がする
そういう人はたいてい携帯電話を見つめていて、その見つめ具合が並外れている 彼らとぶつからないように歩調や向きを変えるのは、私の役目だ 手に携帯電話を持っている彼らの脇を通る時は気をつけなければならない 私の身体が彼らの肘をかすめる 肘に当たって彼らが携帯を落としたりしないように用心して通り過ぎるのは、私の日々の務めだ
私は彼らに気を遣い、彼らが歩きやすくなるように環境を整えてやっている 無料で(笑) いつの間にか私は通行整理ボランティアになっていたのだ 私のスグ前をゆらりゆらりと歩いている人 私は軽くぶつかりながらも、気をつけて追い抜いていく 一方彼らは、私に気を遣うことなく堂々平然と我が道を歩んでいる 明らかにこの場合、気を遣う私が負けている^^;
2007年
11月4日(日) ズルズル歩く人々
本欄で前にも書いたことがあるが、路上や駅などで旅行用スーツケースを引き摺って歩いたり、スーパーなどで大型カートを後ろ手に引いて歩くのは、その近くを通り過ぎる者にとって大変危ないと思う 場所によっては脅威だ スーツケースは、人込みの中を歩く時は身体に引き寄せて垂直に持って歩くものではないだろうか またカートは、前向きに押して歩くものだ
乳母車…じゃなかった、ベビーカーを、後ろ手に引き摺って歩く人はいないだろう それはいろいろ理由があるだろうが、要するに「後ろには目が届きにくく、何が起きるかわからない」からというのが大きな理由に違いない 以前、旅行会社か航空会社のCMで、客室乗務員がスーツケースを後ろ手に引き摺って颯爽(さっそう)と歩くシーンを見たことがある
颯爽と感じたうちはよかったが、実際に自分が車輪につっかかったりするなど、何度か危ない目に遭うと、颯爽なんてとんでもない 実に無神経で、他人への配慮に欠けた、格好悪いシーンであったと思うのだ CMを演じてたモデルにダマされた気がする^^; 車輪につっかかる私が間抜けなのはわかっているが、世の中には間抜けの方が多いものだ
9月19日(水) ケータイ恐喝
嘘をついたら一万円 ちょっと高過ぎないか なぜ一万円なのだ 嘘をついたら50円 高校生の遊びならせいぜいその程度だろう そもそも、高校生にもなってなぜ「嘘をついたら」なのだ 正直に生きよということなのか 逮捕された少年たちは倫理社会が好きだったのか 少年たち相互にも、同じような「取り決め」があったのか なぜその辺が報道されないのだ
「〜したら10円」というのなら、私にもひとつ思い出がある 小学生の頃、隣の席に座った古畑クンが勝手に決めて、来る日も来る日も私に向かって「あ、10円だぞ」「もう80円貯まってるんだぞ」などと言い続けたのだ たぶん「机の領域を越えたら」というような条件だったと思う 初動措置を誤り、対応をいい加減に済ませた私は、後でそのしつこさに辟易することになった
当然ながらホントにお金を払ったことはなく、古畑クンも実際に要求したわけではない 私が驚いたのはそのしつこさであった ある種の人間には、常道を外れたしつこさがあると知った そこには巨大な壁のようなものがあり、あぁこいつには言葉が通じないところがあるんだと、気づいたときは嵐の中である たしか太宰治が似たような体験を短い小説に書いてたな
9月9日(日) 成り行き主義の人々
破壊保険庁職員や市町村職員が年金保険料を着服していたというが、彼らにしてみれば「発覚する危険度の低い、いい金づる」だったのだろう なにしろひとりひとり毎月毎年一定の金額が、減ることなく必ず入ってくるのだ しかも税金のように、国会の目が光っているわけではない 税金のように、納税額を基準にしてほかの何かが決められるという多重チェックもない
税務署職員は「金勘定のプロ」としての訓練を受けるだろう 以前私の所に税務調査にやってきた職員が、出納簿を開いて数秒のうちに「どこも計算がピタリですね」と言ったので驚いたことがある ホントに暗算してたのかどうかわからないが、それ以後「税務署にはかなわない」と思い、ますます正直申告に精を出す結果になったのだから、あの職員はプロであった^^;
破壊保険庁職員や保険料を扱う市町村職員に、「金勘定のプロ」としての訓練が果たして行われていたのだろうか 名簿入力や着服犯追跡調査を面倒がるなど、これまで明らかになった仕事ぶりから察すると、私たちはたいへんな素人集団に年金保険料を納め続けていたことがわかる 「あとは明日やろう」…明日の成り行きに任せる発想こそ、素人の素人たる所以である
6月10日(日) 乗るに乗れないバス
その日はかなり暑かった とあるバス停には私を含め7人ほどが並んでいた やってきたバスに乗り込もうとしたら、乗車口が開かない 見ると、部活動の試合帰りとおぼしき女子中学生が数人、運転席脇の降車口から降りてきた その後にまた数人が、今度は両替をしているようだった 遅い 暑い 普段ここから乗るときには、サッと乗れたのに、まあ仕方ないか
それが甘かった 先の数人が降りると次の集団が座席から立ち上がるのが見えて、なんだァ、まだいたのか、ということが繰り返された 次から次に、いったい何人乗ってるのかわからない あとからあとから立ち上がるのが、ガラス窓越しに見えた ときに両替をし、やたらに時間を食う 驚いたことに、彼女たちはひとりひとり運賃を支払っていたのだ
普通は引率教師かキャプテンが一括して支払うとか、あるいはバス共通カードでまとめて支払うとか、何か策があるだろう、こういう場合 このチームは状況判断ができずバラバラで、かなり弱いとみた(笑) 生徒は全部で30人はいたようだ 結局10分ほど、炎天下の開かない扉の前で待たされた 引率教師がいたはずだが、♪誰が生徒か先生か、わからなかった^^;
5月17日(木) ヒカルの電話
昔、といっても八、九年前、固定電話機を買い換えたとき、どうしても欲しいと思っていた機能が存在しないことに愕然とした 着信時に光で知らせる機能だ 今では当たり前になったこの便利な機能が、当時私が買える価格内で調べた限り、どこにもなかったのである 店員に尋ねたら、何を言ってるのだこの客は、というような顔をされた
なぜ光る機能が必要だったかというと、ヘッドホンで音楽を聴いている最中に、着信がわかるようにしたかったから それまでに1、2度、そういう状況で電話に出損なったことがあった 趣味と仕事の両立という観点から、着信お知らせ光線^^;は、ぜひ必要なのだった 今では着信に限らず、多くの操作に光合図が利用されている 見たか、時代の読めぬ店員め(^0^)
言うまでもないことだが、この機能の充実・発展は、ヘッドホン愛好家の声が大きくなったからではなく、聴覚障害者や彼らをサポートする人々の努力のおかげだろう あるいは、騒音に悩まされる地域の人々の声もあったに違いないし、自らの騒音で呼び出し音が聞きにくい工場内電話の改善策として考え出された面もあったろう ただ、…ちょっと光り過ぎてないか、この頃…
3月13日(火) よくある質問
国会中継だ 質問者が立ち上がった
「美しい国日本を標榜しておられる総理のことですから、当然念頭にはおありかと思いますが、日本が美しくあるためには、わたくしは、日本がニッポンなのかニホンなのかJapanなのか、イッポンにまとめるべきだと思うものであります 名前の乱れは心の乱れではありますまいか
21世紀に入りまして、インターネットで世界が結ばれるといえば聞こえはいいですが、総理、あなたのお祖父さんの時代はもちろんのこと、お父上の時代にすら考えられなかった事態、やふーやぐーぐるといった米国発の検索技術に、我々は日々、ある意味で翻弄されているといっても過言ではないんですよ 情報検索やその蓄積までも米国の傘の下にいるわけです
総理、総理は初の戦後生まれ首相であり、先端技術への理解もあるお方と推察致します その上で、総理ご自身はWeb0.02というものをご存知かどうか、お聞きしたい」
質問は最後のひと言だけである 時間稼ぎでしかない御託の数々 しかも終始焦点が何だかわからない 「何とか甘言水」を飲み続けているとこうなるのか 以上、滑稽中継でした
2月26日(月) 昼下がりの東京電車
多少混み合っている昼の電車だった 十代半ばの女の子数人が乗り込んできた のべつ幕なしに喋り合う中に、ひときわ感じの悪い声があった 喉を全開して怒鳴るように喋る いちいちの発声に力が入り過ぎ、耳が疲れてしまう むやみに大きい声で、電車内を圧するかのように喋るのだ 乗客の乗り降りにつれ、座っている私の真ん前に移動してきたからたまんない
万事休すと観念したその時、向かいの座席が数席空いた 女の子たちはおめき叫ぶような笑い声と共に、空いた席に皆座ったのだ 彼女たちと隣合わせになった、五十がらみの婦人こそ気の毒であった その人はずっと本を読んでいたのだが、彼女たちが座った途端、口を歪めうんざりした表情で本をバッグに仕舞い込んだ ところがしばらくして思いも寄らぬ異変が起きた
ある駅でかなりの人が降り、そしてあまり乗ってこなかった つまり車内が急激にすいてきたのである すると女の子たちが、中でもアノ子が、俄(にわ)かにトーンを落として喋るようになった 驚いたのなんの、「ふ、普通に喋ってる…」 のべつ幕なしも声の聞き苦しさも相変わらずだが… 女の子たちは乗客の大半を蹴散らした後、静かにお喋りを楽しむのであった
2月11日(日)たどり着かない窓口3
違う 9日(金)もまた、そのようなことを書くつもりではなかった いったいいつになったら、書こうと思うことが書けるのだ これではまるで、いつまでもたどり着けない物語、「城(カフカ・著)」ではないか 読んでないけど… 学生の頃から読もう読もうとして、店頭で何度文庫本を手にしたことか その都度その厚さにはね返される、そういう物語だ …違うっ
私が利用するプロバイダ、interQが「お問合せ窓口格付け」第1位、調査対象プロバイダ中唯一の「三ツ星」を獲得したのである 普段私たちが経験する「たらい回し度」「お待たせ度」など、窓口をめぐる諸問題の調査だ interQはダントツで優秀な電話窓口という評価なのである 実は、私が7年前にinterQにした決め手が、その「窓口応対」に好感を持ったからだった
当時はホームページを作ることに全く関心がなく、それどころかネットを見て回ることにもあまり関心はなかったので、ひと月3時間300円コースのことをあれこれ尋ねたのである 大変に感じが良く手際のいい応対だったのを覚えている のちに花盛りとなったプロバイダ比較などの雑誌記事で、interQが常に百位前後なのが、不思議でならなかった
2月9日(金) たどり着かない窓口2
そうではない、昨日(8日)はそのようなことを書くつもりではなかった 「窓口」は案外厄介な存在であるわけだが、実は「窓口」という言葉が既に厄介である 「口」という言葉で私たちが理解するのは、通用口、改札口、差込み口など、「口」の名にふさわしく何かが通り抜ける場所である 「口」はモノが入り、抜けていく場所なのだ ところが「窓口」は行き止まりである
映画館に窓口から入った人はあまりいないだろう 入口は「窓口」の横にある さらに、入口すらない窓口として郵便局が挙げられる 郵便局の窓口で用を済ませた人が、その後何処へ入ればいいのか悩むのは、このせいだ さて、「窓口」が厄介なのは「口」だけではない 「窓」だ 普通、「窓」の向こうには、明るさや未知の世界への憧れが垣間見えるものだ
だが映画館の「窓口」の向こうに見えるのは、壁にぶら下がった上着やポスター、食べかけの菓子パン、何かの書類、電球、夏は扇風機、冬は小さいストーブだ 「窓」の向こうに見える世界が、先ほど出てきた私の部屋と同じではかなわない 「窓」からは青空や雲が見えたり、あるいはショーウインドという「窓」の向こうには夢の世界が広がっていなくてはならないのだ
2月8日(木) たどり着かない窓口
個々の人間にとって、窓口というものは案外厄介な存在である ときには、一生を左右するほどの意味をもつことすらある 昔はしばしば、「高田馬場」「ここ、高田馬場ですよ」という切符窓口での我を忘れたやりとりがあったという 多くが自動化され、そんな光景はほぼ消滅したが、絶滅はしていない 最近もこんな光景を見かけた 「高崎」「ここ、宝くじ売場ですよ」
この人の主要な趣きは電車の切符を買うことだったのだろう 定期券やSuicaを使わない様子からは、この日、何か特別な用向きで高崎へ行こうとしていたことがうかがえる 間違え方から推して、高崎にある「よく当たる宝くじ売場」を目指していたとみるのが妥当だ この人には、「ソウルまで午前の便で1枚」「ここ、キオスクですよ」という経験もあるに違いない
間違える対象が宝くじ売場やキオスクだと、まだ救われる面もある しかし航空会社の窓口でそんなことが起こると、事は重大だ 「連番ので十枚」「お客様、レバノンへの直行便は当社は扱っておりません あちらのB社窓口へお回り下さい」 この人が、指示された通りレバノン行きの切符を手にし、首都ベイルートの美しい青空を堪能したであろうことは想像に難くない
2月1日(木) 昭和30年代浮上せず
とおちゃんには、かあちゃんがよく似合う。
「夫婦楽百景(多財納・著)」の中の一文だ 嘘です、私が作りました^^;作ったはずです… はずですと言うのは、こんなにいい文句、既に他の誰かが作っていてもおかしくはないからだ 昭和30年代ブームといわれるが、その時代を懐かしむ根幹は、上の一文が表していると思う
しかしどんなにブームになっても、ブームの仕掛人たちが触れようとせず、決して浮上しない事柄もある 「画報戦記」「丸」などの、戦争懐古雑誌の人気が高かったことだ 小学生の私にも何とか読めたから、十代の青少年向けだったと思う 戦記や戦闘機、軍艦などの情報が満載で、大変おもしろかった記憶がある 果たして、子供の心を蝕む結果になったであろうか
あの雑誌群は、戦時用に収束・結実した(してしまった)、日本の高い技術力への憧憬だったと、私は思う 無惨な敗戦から十数年 子供たちに自慢できるものが、まだあまりない状況 昔こんなに凄いモノを作っていた時代があったと、それは切実な思いをこめた雑誌だったのだろう 実際、自動車や新幹線を嚆矢とした技術力の復活以後は、あまり読まれなくなったようだ
1月12日(金) 無理するスリム
このHPのファイルを1枚、また1枚と検討の上削除し、スリム化を図ってる間に、それに呼応するかのように世間ではもうひとつの、より真剣なスリム化が話題になっていた…ことを、後から知った スーパーの納豆売場が、どうも寂しいではないか 正月明けだから品薄なのだろうと思っていたら、痩せる食品として俄かに納豆が注目されているという
それを聞いた時、あの人この人と納豆好きの知人が数名脳裏に浮かんだ どの人も決して痩せているわけではないので、不思議だ 年相応に普通、といえる程度に、丸い^^ それで、ふと思ったことがある 今回の納豆ブームの元はTV番組のようだが、私はそれを見ていない 当然、納豆を「食べる」ことばかり考えていた 食べるわけではないのかも…
例えば「納豆を身体中に塗りたくる」という方法はどうだろう 全身ねばねば、ねちゃねちゃぬるぬるだ あとは塩を適宜振りかけるだけ ナメクジと同じだ 身体中から水分が出てきて、たぶん痩せる 全身に使うには5パックは要るだろうから、店頭から納豆が忽然と消えるのも道理である 使った後の納豆はどうするんだ 家族で…いや、言うまいぞ
2006年
9月25日(月) また、秋空の下で
叩けばスグ倒れるような園児の列に、車が突っ込んだ 多くの運転者には想像できないだろうが、「どんな場所でも運転者の技術とモラルを信頼する」という前提が、歩行者にはあるのだ 暗黙の信頼によって私たち歩行者は道を歩いている それなのに、何かを勘違いしてるような車に、最近はよく出くわす 歩行者は運転者に対し、道路権限を譲り過ぎたのかも知れない
私たちはまず、どこでも横断できる権利を「横断歩道」によって譲った そして、いつでも横断できる権利を「信号機」によって譲った 次に、「歩道橋」によって、横断できる権利そのものを放棄した 歩道橋を造ったことが、すべての勘違いの始まりだったろう 「人間をとりあえず上に上げて、と…」 その後、「とりあえず上に上げて」の「とりあえず」が、消えた
歩行者はさまざまな権限を運転者に譲ってきたが、譲られた側にその認識は殆どないだろう 道は本来歩くためのものだなどと、今更言うつもりはない(以前言ったけど…本年3/21) 運転者はせめて、「偉くもないのに道の大半を占拠してゴメン」ぐらいの気持ちを持てないか 現状では、運転者は大名行列の殿様であり、歩行者は道を譲って土下座してるのも同然だ
9月15日(金) ニッポンの裏技
靖国神社による「特定の御霊の分祀はできない」説明は、13日(水)とは別の言い方をすれば、<取りつく島がない典型>とも言える 一度神として祭られた御霊は二度と分離できないという教説が本当なら、宗教教理としては未熟であり不全でしかない気がする しかしホントに神道千八百年の歴史に御霊分離の前例がないのか、甚だ疑問である
PCやネットが普及した今、本居宣長が生きていたらこう言ったに違いない 「コピペせよ」
靖国の論理を打ち破るには、靖国の論理に入り込んで内側から突き破るしかないということだ つまり、「第2靖国神社」を造り、新たな御神体に一柱ずつ合祀の儀式を行うのである その際、一部の「特定の御霊」や、そもそも祭られることを拒否したい御霊は、省くところがミソだ
こうして「第2靖国神社」への御霊(祭神)移行が完了したら、現在の靖国神社は廃神手続きに入ればいい 資金や時間が必要な大仕事だが、いつまでも不経済な論争を続けるよりずっとましであろう 分祀の可否にこだわると何も変わらない いまやコピペの時代である^^; ファイル選択の切り替えやPCデータ移行をした人なら、たぶん納得できる方法だろう(^0^)
9月14日(木) 本居宣長の理由3
本居宣長は、国学者の中では神道をそれほど意識していない方ではなかったろうか たんに古代日本の神を対象に、「からごころ(中国文化)」以前の日本の姿を明らかにしていきたかっただけのように思う だから自分の行動には無頓着で、「からごころ」どころか南蛮渡来であるはずの煙草文化を、平気で受け容れていたわけだ
宣長の後継者を自認した平田篤胤は、自分個人の在り様(よう)と思想との乖離・ねじれを、意識して推し進めたらしい 江戸後期の知識人層が獲得し得たキリスト教を含む諸宗教の知識から、利用できるところを都合よくピックアップして、日本古来の神道の補完としたそうである 平田国学が尊皇攘夷運動の推進力となったのも、この「おでんの大鍋」効果に違いない(^0^)
ここ数日ネットで調べるうちに、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤等の古代日本思想に深く踏み込めば、たしかにそこは、おおかた潔く清らかな世界なのだとは想像がついてきた だからこそ尚更、その世界への憧憬を胸中に抱えているであろうロマンチックな人々と、あの街頭宣伝ビラの汚い表現やいわゆる街宣車の乱雑な街頭行動とが、どうしても結びつかないのだ
9月13日(水) 本居宣長の理由2
いわゆる「靖国・分祀問題」における神社側の発言は、<正しいかも知れないことを言われても全然納得できない典型>といえるだろう 「しかじかの理由で特定の御霊の分祀はできない」と、いかにも当たり前のように言われても困るのだ 特定の御霊の分祀を提案する人を「無知」呼ばわりする学者もいる こんにち神道の教義は、知らなくて当たり前だと思う
私は全然といっていいほど、知らない むしろ仏教やキリスト教の方が、知識としては多いくらいだ 最近は中東情勢報道でイスラム教の教義なども以前よりはわかるようになった それに比べて神道知識の貧弱さは何としたことか 神道にもいろいろな宗派があるだろうから一概には言えないとは思うが、おもに「個人」を相手にしてきた他の宗教とは大きな差がついている
本居宣長にとって、自分という個人は問題ではなかった 「からごころを清く離れよ」をモットーにした宣長が、古い日本には存在しないヘビースモーカーだったことからも、それは理解できる…そこからしか、私は理解できない^^; 実存し生活する個人と、もう存在しない「古き、清き、よき日本」の乖離・ねじれは、その後平田篤胤を通して近代日本へとヾ(^o^;)o ォィォィ
9月9日(土) 本居宣長の理由
本居宣長(もとおりのりなが)についてちょっと調べてみた 検索で上位にきた「松岡正剛の千夜千冊」というブログに行ってみた 物凄いブログである 凄いことでは「きっこのブログ」五千字だらだらもたしかに凄いが、「千夜千冊」は「きっこ」に一歩もひけを取らない 何しろ「千夜千冊」、千冊の本への書評である 実際にはとうに千冊を越えている しかも「大長文」だ
宣長は「しごくまつすぐに、はかなく、つたなく、しどけなきもの」こそが人間の本質だと考えたらしい なかなかいいではないか(^0^) 老国学者・賀茂真淵から「からごころを清く離れよ」というメッセージを受けたことが転機になった 漢語漢文による思考を離れれば、よき日本の姿を学べると悟ったそうだ (真淵は「まごころ」「まこと」「ますらをぶり」を提唱した先駆者)
宣長を調べるとか、宣長の考えに思いを向けるなんて、今回が初めてだ^^; 何故そんなことをしたかというと… 例えば繁華街の電柱などに貼ってある日章旗ビラだ 「やまと」とか「やまと心」といったものを探求したのが本居宣長 この人を尊崇しているはずの人々が書くものに、相手(敵)を罵倒する汚い言語表現が少なくないのを、かねがね不思議に思っていたからだ
7月24日(月) こえ
ママがせなかをおしたの きっとあたまからおちていったのね、あたし そらをとびながら、川の中でさかなが光るのがみえたわ それがサクラマスだったかどうかはわからない あたしはあそこへ行くのかなと思った おねがいがあります、かみさま ママをしからないでください ママはいっしょうけんめいでした あたしはもっと、ママのおてつだいがしたかったです
パパがボクのあしをもった さかさにぶらさげて、ゆかのうえにぶった バタンバタンって、あたまをなんどもゆかのうえにぶった ボクは死にながら、パパのかおをみた パパのかおはあかくなって、あせをかいていた パパはこうやってお仕事してるんだって、わかった ボクはすぐにいきがなくなったけど、パパはそのあともボクをけったりした
きいろいタオルであたしをつつんだあと、ママがかみぶくろをもってきたの ああ、あたしはこの中にはいるんだってわかりました すこしなきたかったけど、あたしはがまんしたよ あたしとママはくるまにのって、しらないちゅうしゃじょうにいきました ママはいちばんおくのかどのところにあたしをおいて、ちいさいこえでごめんねといいました あたしはひとりになりました
7月15日(土) ガラガラコンサート
台車付き旅行かばん(キャリーケース)を、空港内で引っ張って歩くのは悪くない光景だ 海外へ行くぞという気合のようなものが伝わってきて、見ている私の気持ちまでピーンと引き締まってくる 見ているといってもTVニュースやドラマだが… ところで同じモノが、さびれかけた商店街のはしからはしまで、最寄りの駅やバス停めざして通るとき、いったい何が起きるだろう
ガラガラガラガラガラガラガラガラガラ、ガタッ…ガラガラガラガラガラガラガラガラ さびれている上に舗装が行き届いてることが、この小さな不幸をもたらすとは誰が予測し得ただろう 何しろガラガラなのだ 日本の隅々に舗装を行き渡らせることは、人々の悲願ではあった それが不況に喘ぐ地元を尻目に、ガラガラ音も高らかに海外へ向かう光景を生み出したとは…
こんにち、人通りの少ない通りでは、ガラガラガラガラが浮いてるのは事実だ 2人連れで色違いのキャリーケースを引いていたら、二重奏だ さて、そんなガラガラガラガラの傍らを、前後に幼児を乗せたスーパー帰りのママチャリが通り過ぎる こちらの気合も相当なものだ 重い荷物を抱えているのは同じだが、スーパーママは何事もないかのように静かに過ぎていく
7月3日(月) 暑苦しい想像
その人の行いにちょっと疑義を抱くものの、「それは悪いことだ」と断罪する決め手に欠け、なおかつ世間にはその行いに理解を示すムキも少なくなく、それゆえ歯ぎしり地団駄踏むのも何だか時代遅れのようで気恥ずかしい… そういう状況に直面することが、最近多くなったように思う そんな時は、状況を増幅すると是非善悪が案外よくわかる 下に例を2つ挙げる
電車内で女性が化粧する姿には、たしかに賛否あるようだ ただどちらの考えも、前提が一車両1人か2人の化粧だ それでは困る(爆) まわりの女性が一斉に化粧を始めるという光景はどうだ 山の手線のような横掛け座席で、50人ほどの女性が急にいそいそパタパタと… いや、男性だっていい 理屈ではなく数量で考えるべき問題というのは、たしかに存在する
福井日銀総裁のインサイダー疑惑は、問題があるようでそうでもないようで、素人にはわからない 福井氏やよき理解者が言う通りなのかも知れない しかし、仮に日銀最高幹部10人が同じような「うっかり儲けちゃいました」をやってたら、そして実は日銀マン3000人がやってたら(無論仮の話だ)と想像すれば、それが恐ろしいほどの背任行為だと、スグわかるではないか
5月30日(火) 社保庁事件と顔問題
年金違法免除事件が、わからない 問題の根源は制度にあるのだが、それはひとまず置いておく 私がわからないのは、「被害者はどんな顔をすればいいのか」という点である 払いたくても払えない人の多くは、既に免除申請しているだろうから、今回申請したことにされちゃった人は、初めから払う気のない人が結構多いはずだ ここに、「顔問題」の深刻さがある
玄関のチャイムが鳴ったので出てみると、役所の人が済まなそうに立っている 「この度はご迷惑を云々」と、不始末の口上を並べるわけだが、その時、当の保険料未納者は、どう反応したらいいのか 「許せません!」と詰問するだろうか それはあんまりだろう なにしろ、払っていないのだ 払ってる人よりは明らかに分が悪い 未納者はどんな顔をしたらいいのか
もう少し柔らかい口調で、「2度とこんなことがないようにして下さいよ」などと言うのだろうか それもあり得ない 万が一にも「わかりました、肝に銘じます」と言って役所の人が帰るような事態が生じたら、状況が尚更ねじれてしまう いったいその役所の人は何をしに来たのだ 相手が今後も払う気のないことを承認しに来ただけになってしまうではないか
2月25日(土) 30代の変
少し前から気になり始めたこと 今本当にアブナイのは若者たちではなく、30歳から36、7歳ぐらいの人々ではないか 自ら墓穴をホリエモンは言うに及ばず、メール問題を取り上げた国会議員、インサイダー取引の日本経済新聞社員、どの人も皆その歳だ
3つ目の、日本経済新聞社員によるインサイダー取引事件は、本来昨日(24日)の大ニュースなのに、「荒川金メダル」のお蔭で扱いが小さくなってしまった そして同じ日鹿児島空港で、30歳代の人の身勝手な行動で飛行機出発が1時間遅れる事件も起きた 離陸時だからという乗務員の注意にもかかわらず、ずっと携帯メールを打ち続けていたということだ
どれもそれぞれに事情や原因は違うだろうが、上記の各人に共通しているのは、「何となく、事態を軽くみている」という土壌があるように思えることだ メール問題の議員だけは、隠れ潜む巨悪を追及したかったあまりの勇み足ではあったろうが、軽くみていることには変わりない あの程度のメールが、「動かぬ」証拠として成立すると、本気で考えていたのだろうか
2月14日(火) 若者たち
小学生に株取り引きをさせるのは、たとえ模擬であってもよくない──電車で隣にすわった学生らしい数人が、そんな話を交わしていた 車内でしばしば遭遇する、場違いに声高な言い合い──オレのアタシの話を聞けタイプ──ではなく、その場の若者誰もが車内にふさわしい声で意見のやり取りをしていた それで私も隣で傍聴していた…というより謹んで拝聴していた
働くということがどういうことかを知る前の段階で、儲けた損したという目で見る株の手法を身につけさせるのはよくない その若者たちは、そういう考えで一致していたようだ 株価予想が的中し大儲けでもしたら、将来いったいどんな仕事に満足できるのか どうしてもやらせるのなら、「株で成功する体験」ではなく「株で失敗する体験」の方がずっといい、とも話していた
もっと聞いていたかったが、若者たちは途中駅で降りていった 以上は数日前のこと 若者が電車の中で<時事問題を><静かに>議論している姿など、一生に一度お目にかかるかどうかだ 大変ありがたく、その日はそのあとずっと気分が爽やかだった そうしたら今日の新聞で齋藤孝・明大教授が「若者浴」なる健康法を書いているではないか なるほどと思った
1月17日(火) in→
とある駅でSuicaの機械を故障させた 私がだ(爆)、いや爆ではない、謝りますm(。._.)m Suicaに入金しようとして、判断を誤り逆向きに挿入してしまったのだ 後ろに並んでた数人に相済まぬ旨伝えて散って頂いた 「判断を誤り」と書いたが、入金の際「こっちを前向きにして入れるんだったっけ…な」と、いつもそういう風に判断しながら挿入している
理由は、「in→」という表示が小さ過ぎてよく見えないからだ Suicaの場合は持つ側に大きなギザギザがあるから、慣れれば大丈夫なのだが、ちょうど明日慣れるところであった^^;
Suicaだけではない 先日録音に使った音楽用MDも、「in→」の表示が無闇に小さくて、眼鏡を替えて確かめなければならなかった
大切な情報なのに表示が小さくなる傾向──そういう現象に最初に気がついたのは、もうひと昔前、たまたまJR新宿駅に降り立ったときである ホーム階段の昇降口などに上からぶら下がっている案内板の文字が一新され、とても小さくて読みにくくなっていた
利用する者の立場に立てば、表示を小さくするなどという発想は出てこないと思うのだが…
2005年
11月6日(日) な人々
街角系 歩き煙草な人々 いまどき歩き煙草をする人がいること自体、私にはちょっと信じ難い 時代の空気が届かぬ所にいるか その周囲には洋上の孤島のような雰囲気がある
電車系 車中で背負ったままのリュックな人々 持ち方が悪く階段やエスカレータで人の目を突きかねない後ろ傘な人々 (この2つは以前にも書いた)
交通系 何かに追われているように赤信号を無視して横断歩道を越えていくクルマな人々 「納期に間に合うかどうかぎりぎりなんだよっ、悪いけど…」こんな言葉を聞いたことがある 納期は死守しても信号は守らないか 守るモノを勘違いするなよ
歩き煙草な人々には、若干の気の毒さを感じる 長い間ある程度は黙認されていた行為が、急に白い目で見られるようになったのだから 習慣を変えるのはそうたやすいことではないと、百歩譲って思う でも人なかで火はいけませんや、若旦那
以上、かく言う私も、きっと何らかの迷惑行為をしているだろうなと自戒しつつ
10月27日(木) リボーンバンド
ホワイトバンドとピンクリボンにヒントを得て、リボーンバンドっていうのを考えた これを書店やCD店に置いてもらい、遺骨収集資金を広く浅く募るわけである リボーンは「もう一度生き直す」というほどの意味で、骨(ボーン)にかけている なかなかいい!^^
それにしても、ホワイトバンドは二重に拙速であった
説明不足という1つ目の拙速に批判が高まった時、2つ目の拙速を犯したように思う 朝日新聞一面連載で、唐突にホワイトバンドの由来や人脈などが縷々紹介されたのである イヤな言い方を許して貰うと、然るべき人脈を通じて朝日に泣きついたように読めてしまった
もうひとつ 広告代理店から素案を得た段階で、「この表現では誤解を招く」と思う人がひとりもいなかったのか もしそうなら、残念ながらスタッフ一同の考えが独善であったように感じる 自分たちのやり方がそのまま広く伝わるという思い込み
何も知らないのに、いろいろ書いてしまった… 謝ります そしてリボーン!
10月26日(水) 生産性ゼロ×2
生産性がないとか、生産性が低いなどということが、日本ではまるで悪いことのように言われる場合が結構多い ところが一方で、お金に結びつかないこと、むしろ生産性がマイナスなことを、毎日毎日平然とやっている人もまた結構多い …ので困る、というか、頼もしい(^0^)
例えば考古学者である 人類が3百万年前に生まれたか5百万年前に生まれたかが分かっても、それが現在の私たちの生活で何かの足しになることはない それなのに、こういう考古学者に対して理解を示し、見返りなしで幾らかの援助をしている企業もあると聞く (かつてのピラミッド調査には「財宝狙い」の面もあったろうが、今はもうそんな時代ではない)
利益を生まない事業に対して資金を拠出するのは、利益を生む事業で成功を収めた者の義務ではないだろうか 寄付や慈善事業ではなく、将来への投資ではもちろんない それらの発想を抜け出したような資金供与に、いい名前が思いつかないが… 「ネーミング」は大切だ ホワイトバンド、ピンクリボン、etc… 最近の流行はカラー名プラスαか…
10月25日(火) 生産性ゼロ
22日(土)に書いた遺骨収集は、生産性のない仕事である 遺族や周辺の人々に、一応の安堵をもたらす程度である しかし、生産性があるという理由でのみ、私たちは生きているわけではない むしろ、生活の中で生産性のない部分の占める割合は案外高いはずだ
それは利益を上げない世界であり、効率を優先しない世界である むしろ損であり、甚だしくマイペースの世界なのだ 早い話、インターネット上の殆どのサイトがこれに該当するだろう 当サイトも含めて、生産性ゼロのHPがどれほどあることか(;^。^A
ただし生産性ゼロの世界は、人知の及ばぬ所で意義深さが存する(…かも知れない^^
未収集の遺骨、すなわち棄骨がまだあるという事実 60年経った現在、もはや政府の責任云々を言っている時期ではない 8百億円もの融資ができるほどに余裕のある銀行や企業がやるしか道はない 生産性はゼロ、でも精神面での信用は一気にあがる やり遂げたら、当該地域で長く語り伝えられることになるだろう
10月22日(土) 外地の遺骨収集
楽天TBS報道の中で、8百億円という金額を目にした 8百億円っていくらだ?!w(。・o・。)w それだけの金を融資できるのなら、銀行や大手企業にぜひやってもらいたいことがある それは、南の島々や大陸に散逸する遺骨の収集という事業である 太平洋戦争で命を落とし、そのまま帰還できなかった同胞の骨拾い
政府による遺骨収集は、打ち切りの方向へ進んでいるという 予算も3千万円ほどしかつかない この国の指導者たちは、口を開けば「英霊」だの「御霊(みたま)」だのと得意のように言うけれど、町や村のあんちゃんおじちゃんが無惨な死を遂げ、その姿のまま野ざらし60年 おお、それが「英霊」か
現在、大手企業の経営者層は、かろうじて戦中戦後を知る最後の世代であろう 一肌脱ぐほどの人はいないのだろうか いくら利益を上げたって、立派そうなことを並べた本を何冊出版したって、南の島や大陸に骨がたくさん転がっていることに変わりはないのだ
9月17日(土) もっと日陰を!
耐え難きもの、真夏のバス(公共バス)に日よけなきこと
いくら冷房が効いていても、陽射しに照射されると実に耐え難い お年寄りが陽射し側の席を避けて、わざわざ反対側のつり革手すりにつかまって揺られていることもある
それに、紫外線の害は心配ないのだろうか あの大きな窓ガラスはUVカットなのか?
町なかを走るバスは、ひとりが乗っている距離がそれほど長いわけではない だから日よけはいらないだろうという発想か 「セコい」というのは、そういう発想を指すのだろう
それともどこかにボタンがあって、押せば日よけがするすると御簾(みす)のように下りてくるのだろうか…
バスは、近年とみに進化を遂げた社会資材のひとつだ 低床・ノンステップ・アイドリングストップ・座り心地・わかりやすい料金箱・同路線共通券などなど、バス事業単体ではそれほど儲からないはずなのに、よく工夫していると思う それなのに、たかが日よけを付けられないのだろうか
私は、民意を問いたい^^; 日よけを付けるのに反対する人はいないと思うのだが…
9月11日(日) 衆院選外伝
民主主義の根幹は何か 「それ」がなければ到底民主主義とは言えないもの それは「投票の秘密」であろう 「誰に投票したか」はもちろんのこと、そもそも「投票行動をしたかしないか」さえ、本来ほかの人に知られるべきものではないのだ 私はこのことを、父から教わった
「誰に入れた?」って聞かれたら、たとえ親子や夫婦であっても、答える必要はない 答えちゃいけない いや、そういうことは、聞いちゃいけないんだ 内緒のままでいいんだ
選挙が近づくと、父はよく家族の前でそんなことをしゃべった 「内緒にする」というのは、子供だった私にもわかりやすく、大賛成であった いろいろ内緒事が多かったから^^;
で、今日の衆院選での私の「投票の秘密」をひとつだけ 国民審査用紙を、比例区の箱に入れてしまいました… 実は私の前の人も間違えそうになり、「コレコレの紙はこちらへ」と注意されていた 間違えやすいんだなと私は肝に銘じたが、気がついたら間違えていた(爆)
さい銭箱にさい銭を投げ入れようとして財布を投げ入れた八っぁん熊さんだぁ( p_q)
8月5日(金) 広島のいしぶみ
いちどきに十万前後の人が死に、何十万もの無念が渦巻いた土地 それが広島だ 18歳の私は、学生として広島の地にお世話になる以上、仁義を切らねばと感じていた 任侠の徒が門口で仁義を切るように… そうしないと、この地での暮らしが半端なものになる気がした
平和公園の「過ちは繰返しませぬから」の石碑 その場所に初めて立った時、「過ち」とはっきり書いてあることに好感を抱いたが、同時に、たしかにかすかな違和感を覚えた記憶がある
ただ、それが論争を呼んだ碑文であること─主語が誰(何)であるか、過ちとは何かなど、その文言に拘泥する人々が少なからずいること─は、ずっと後になって知った
今なら私もはっきり言える 「省略されてる所を糾(ただ)したりこだわったりするのは、何もかも明快に書けば納得されると思い込むのと同じくらい、意味のないことである」と
ひとりひとりの死を見つめれば、主義や理屈はかなりむなしい
7月15日(金) 石綿吹き付け
私はいわゆる「物持ちのいい」方の人間である 34年前のプラスチック製卓上食器入れを、今でも家庭医薬品入れに使っている(爆) 24年前の百円シャープペンシルは現役だし(爆)、23年前の腕時計は今でも堂々と時を刻んでいる(爆)
しかし古い物に執着し、壊れるまで使うというのも考え物だと、最近つくづく思う 27年前に買って今でも立派な現役であるドライヤーに、アスベスト(石綿)が使われているかも知れないのだ 念のために虫眼鏡で調べてみたら、なるほど断熱材の辺りがモコモコしてる^^;
これが本当にアスベストを含んだ断熱材なら、コイツを27年間、頭に吹き付けてきたのか(爆) 笑い事ではないが、笑うしかあるまい
石綿なんて、昭和30年代の小学校の理科で、「石綿金網」として毎度使ってたぞ 綿あめごっことか言って、舐めちゃったかも知れん…ヽ(。・o・ヽ)
7月6日(水) 汗顔の至り恥の上塗り
アンダン亭6月7日(火)記事はたいへんな知識不足であった 勤労の義務のみが憲法に明記されていると思い込んでいたが、勤労の権利が義務よりも先に明記されていることに、今日たまたま気づいた 人生におけるミスとズレには慣れてはいるが、ムチも加わったか^^;
まがりなりにも仕事があること、仕事ができる身体であることに、感謝と喜びをまず感じるべきなのに、そしてそういう時期もたしかにあったのに、何ということだ マンネリ気分に陥っているとしか思えない なぜなら仕事柄、憲法には時々目を通すのだ…
マンネリとは、同じことの繰り返しを意味するものではない マンネリとはまず第1に、自分に対して気持ちが動かなくなることを意味するのだ 次いで仕事がうまく回転しない理由を、自分の外にあるものに見つけ始める 自戒しよう… マンネリになるほど生きてはいない!
7月1日(金) 家電量販店問題
先日、修理品を抱えて家電のコジマに行った 前夜の予報では「明日は雲が広がるため、気温は28度ぐらいでしょう、ニコニコ」だったが、予想通り外れて、なんと「36度」であった 雲はたしかに広がっていたので、蒸し風呂状態であったよニコニコ!
コジマでは、壊れた状態を説明しようと努めた しかし店内に流れる音楽があまりにうるさくて、対応してくれた店員の言葉もよく聞き取れない始末 こちらの説明も大雑把にならざるを得なかった 家電量販店の店内がやたらにうるさいことは、ヤマダもサトーも同じだし、今に始まったことではないから、きっと店側に何かメリットがあるに違いない
でも、例えば「静音設計」の家電品の音が、聞こうにも聞けない それに、「環境にやさしい」エコ・マーク品と、「中高齢者にはきつい」騒音は同居できるのか
また、店頭店内に流れるのがCD再生音楽なら、著作権料の問題が生じる 秋葉原や新宿などを歩くと、その量はJASRACの締め付けに遭っている音楽喫茶の比ではないのだが…。
6月23日(木) 無言館慰霊碑
赤いペンキを流しかけられた戦没画学生慰霊碑「記憶のパレット」 長野県にある無言館は、実際あまり語らない美術館のようだ ネットで探しても、パンフレットの写しはもちろん、そこから転写した絵すら1枚もなかった パンフレット類を置いてないのかも知れない
被害に遭った慰霊碑について、「できるだけ早く元の姿に戻したい」との館長さんのコメントが伝えられている 私は逆を願う この無惨な慰霊碑はそのままにして、隣にもうひとつ、ひとまわり小さい同じ形の慰霊碑を建てた方がいい
仮に犯人が捕まったなら、「赤ペンキ石と暮らすべし」という裁きを願いたい(^^) 引っ越しのたびに例の赤ペンキ石を抱えて移るのだ これが大岡裁きというものである
戦争にまつわる展示施設は、あまり声高でない方がいい だから、この無言館の静かなあり方は、たぶん間違ってはいないのだ でも純度が高過ぎると、人に反論の余地を与えない「絶対善」と化す もしかしたら、その辺りが反発を招くきっかけになったのかとも思う
5月14日(土) 次世代が意欲を挫く
デジタル家電メーカーや量販店の収益下降傾向が言われて久しい 売り上げがパッとしない理由のひとつは、私が買わないからだ (^0^)
新しいPCやオーディオ機器など、生活の足しにはならないモノで妖しい魅力を放つモノは少なくないのだが、どうしても買えない 「次世代」という言葉にひっかかるのである
たとえ現時点での最新型を買ったとしても、新聞や雑誌などでは常に「次世代」が喧伝されている 現時点での最新型を買うことが得なのか損なのか、素人には判断が難しい 今使ってるモノでさえ、「店頭でよくわかって購入した」とは言い難いのである^^;
「次世代はこうだ」という言い方の流布は、開かれた情報の時代であることと関連するだろうし、しのぎを削る各メーカーの思惑もあるのだとは思う
しかしブラボーでべら棒な貧乏だと、「次世代」品が出る時は「現世代」品が格安になるだろうと作戦を練り、結局気分が失せて何も買わなかったりする人もけっこう多いのだ σ(^^ゞ
5月6日(金) 23歳の運転士
福知山線大事故の運転士が23歳という若さであること それが、いろいろなことを考えさせてしまう
社会の中で「遅れを取る・一歩先んじる」といったことに非常に敏感な年頃である プラス評価であれマイナス評価であれ、同じ10点が、「実際には1万点のうちの10点」なのに「百点のうちの10点」のように感じられる年頃なのだ
もうひとつ、後からわかったことだが、この運転士は仲間から見捨てられていた 乗客として乗っていた運転士2人には、とりあえず「運転士は無事か」と先頭車両に駈け寄る程度の身内意識もなかった… そのことが、とても可哀想だ
1両目の在り処がなかなか公表されなかったことに、私は今でも不審の思いを捨て切れない 凄惨な現場で何かが工作されたと思っているわけではない しかし現場ではない何処かで、1両目の在り処の公表を巡って、いろいろと思案されていたかも知れないと、少しは思う
5月2日(月) 判断ミス頻発
アンダン亭の新しいページを作るにあたり、4月に書いたものをざっと振り返っていて、愕然とした 4月は、大きな鉄道事故が2つあったのだが、最初のは既に時の彼方であった 忘れていた 4月4日、東武伊勢崎線竹ノ塚駅付近での踏切事故である
このほかにも、航空パイロットの管制指令無視や、管制官自身の誘導ミスなどもあった
これらすべてが、機械や計器の誤作動ではなく、それをあやつる人間の判断に関係しているのだ
そういう所では、ミスが起こりやすいことを前提に、二重三重の防止策を用意しておくことが大切なはずである
しかし…人間の行動の中で、自分で自分のミスをチェックすることがいちばん難しいな バツつけられて返ってきた答案の見直し、私も殆どやった記憶がないし^^;
4月30日(土) 仮想現実メモ
若者やインターネット、あるいはゲームや犯罪を語るキーワードに、「仮想現実」「バーチャル」というものがある マイナス面を言いたい時に使われることが多い
例えば「仮想現実と実際の世界との境界が曖昧になって…」というように しかし、曖昧になる程度の境界なら、始めから境界などではなかったのだろう
境界が曖昧になるという言い方を認めるならば、2つの現実は境界で接しているわけである つまり、行き来が可能なのである あるいは、オーバーラップして存在しているとも言える
そもそも、実際の現実の底辺は、仮想現実である 文字通り「仮に想ふ」現実 例えばナイフ 危ない使い方をして指を切る場面を思い描く 血が流れる これはイメージトレーニングである イメージトレーニングの上手い下手が、現実を決めることになるのだ スポーツでよく使われるが、あらゆる現実現場の根幹は、仮想現実である
でも日本の現実は奇怪だ 仮想現実を否定しがちな層の、少なからぬ人が、根性・根気・やる気などという仮想現実をフル活用して他人にハッパをかけるんだから
4月26日(水) 福知山線事故
マンションに巻きついて潰れている車両が、先頭車両ではなく実は2両目だということは、昨25日夕方に初めて伝えられた JR西日本関係者に、あの電車が何両連結かを語れる人はいなかったのだろうか 1両目がどこにあるか(つまり運転士の所在)を正確につかむことは、事故の経過を把握するための最重要課題ではないだろうか あるいは、私の見聞きしたTVやラジオが、たまたま東京発の頼りない情報をもとにしたものであったせいか 関西地区の報道では当初からあれは2両目だと報じられていたのだろうか
それから、事故原因を語るときに、運転士を運転士としてのみ見る方法に、私は違和感を覚える すべてが、職務上の判断ミスとして語られ過ぎていると思う たんに、繊細でか弱い23歳の若者として見てあげられないのだろうか 裃(かみしも)を着せ過ぎる
以前から数度の訓告を受けていたそうで、「今度訓告を受けたら…」という社内圧力、そのプレッシャーが大きかったのではないか 第1のプレッシャーはそういうプレッシャーであって、ダイヤの遅れを取り戻す職務上のプレッシャーは2番目3番目であった気がする
4月11日(月) カロリーマン金太郎
自販機などでの飲食について常々疑問に思っていることがある 例えば百二十円で缶入りジュースを買ったとする 大人も1缶子どもも1缶飲むことになるが、これは正しい道なのか
子どもが足りているのなら大人は足りてない 大人が足りているのなら子どもには多過ぎる 水分量やカロリーを考えれば、そのように見るのが自然だろう 健康知識がひとりひとりに必要な時代なのに、自販機飲料の年齢別摂取量については、いささか無頓着に過ぎやしないか
また、夏場の冷たい飲み物1缶は、小さな子どもには明らかに多過ぎる
小さな子どもには、普通は「金太郎─◇─」をさせこそすれ、冷たいものは極力遠ざけたものである いや、遠ざけられて地団駄踏んでたものである^^;
4月4日(月) 踏切操作の人間工学
東武伊勢崎線竹ノ塚駅付近で起きた踏切事故 電車接近を知らせるパネルの様子をTVで見たときに、これ、わかりにくくなってる、と直感した
接近する電車が左右から2本ずつ、計4本表示されること自体、間違いを誘発しやすい 方向など無関係に、接近警報ランプは1つでいいのではなかろうか 目の前のただ1つの接近警報ランプ それが点灯したら遮断機を下ろす いちばん明快で、間違えようがない
事柄のすべてを忠実に再現する必要はないのだ 大切なポイントをきちんと押さえれば十分である この場合は、右から1本来るか左から2本来るかが大切なのではなく、電車接近を知ることが大切なのだ
また、遮断機を上げるためには解除ボタンを押すらしいが…
何と言ったらいいか…、「パネルを見る」「遮断機を下ろす」「解除ボタンを押す」の一連の操作に、とてもぎこちない動きを強要される配置に見えた
3月13日(日) 投票控除
知事選挙があったので指定投票場である小学校へ出かけた 帰り道、学校坂道を下りながら考えた 智に働けば角が立つ、情に棹させば…いや、そうじゃなくて^^;
千葉は、山も投票率も低いことで全国に名を馳せている いちばん高い山でも408m、前回01年の知事選投票率は36.8% 90年以降5回の衆議院選挙では47都道府県中最下位から43位までを行ったり来たりしている 某プロ球団を笑ってるヒマはないのだ
坂道を下りながら考えたのは、2日前にやっと済ませた確定申告のこと 選挙権を行使した者には、税金を負けてくれてもいいんじゃないか、ということである (^0^) 投票した者としない者との間に、納税上で利益不利益の格差をつけてほしい 1回ごととか年度ごとでは、選挙の有無で地域によってそれこそ悪格差が生じるから、ポイント制にするといい
「ポイントカードはお持ちですか?」投票所のおじさんが、マニュアル通りにこんな台詞を言う日を楽しみに待とう
3月11日(金) 心配なのは赤ん坊!
また電車内のこと 滅多に電車に乗らないせいか、乗るたびに「いかがなものか」な人が目につく ほとんどの「いかがなものか」な人は、「まぁしょうがねえか」で済むような話なのだが、時々、それでは済まない「いかがなものか」な人に出くわす
それは赤ちゃんを抱えた親である(母親とは限らない 父親の場合もある) 座席を譲ろうとすると、たいていは「大丈夫ですから」と言って断ってくるから、「あんたを心配してるんじゃない、その赤ん坊が心配なんだよおっ」と一喝してやりたい(したことはない^^;
万が一、急ブレーキをかけられたら、たぶんそれらの親は赤ん坊もろとも車内をパチンコ玉みたいに転がっていくだろう その万が一に対する心の備えが、全然なってない
赤ちゃんを抱えている時ぐらい、まわりに遠慮なく甘えてほしいものだ 私はできる限り協力を惜しまないよ なんといっても、その子には私の老後がかかってるんだから(^0^)
若いお母さん方お父さん方は、近くの人に遠慮なく甘えなされ
1月29日(土) 不殺を誇るべからず
アウシュビッツ収容所解放60周年とのことで、ここ数日ニュース等でその建物を見聞きする 私にも、あながち無関係なことではないので、ちょっと書いておきたい
第2次大戦中に設けられたナチスの各収容所の凄まじい姿を私が知ったのは、「夜と霧(フランクル著)」という本からである 大学3年の時だったか、たまたま同級生の引越しの手伝いをしていて、その本に出会った 新居に並べられた書棚を眺めていて、「何だコレ?」と手に取ったのが私の人生の転回点になった まさに、出会ったというにふさわしい偶然と必然の綾
私もまたナチスと同じことをするかも知れないということ 逆に、もしかしたら、より弱い人の代わりに、先に死ぬことを選ぶかも知れないということ いえいえ、誰かを身代わりに立てて、自分はうまいこと生き延びようとするかも知れないということ 時・機会・立場・成り行きで、そのどれもが私にはあり得るのだ
それに思い至ってからというもの、ずいぶん謙虚になりました^^;
1月14日(金) 新銀河鉄道の夜
自動改札で私の前の若者が怒鳴り、機械を蹴っ飛ばしていた 無理もない 前の人がミスをしたためにしばらく機械が作動せず、人の流れも気分の流れも停滞したからである
しかしその若者が蹴っ飛ばすとフタが開いたからおもしろかった(^_^;)\(・。・。) ォィォィ
何百何千という人波の中だから怒鳴ったり蹴っ飛ばしたりできるのだろう 駅構内にいるのが前の人・若者・私の3人だけだったら、その若者はおのずと穏やかに対処したに違いない
たった3人 もしもそれが人類最後の3人で、もうほかに誰もいなくて(スミマセン^^;何かの都合で改札を通らなければならない3人だったら…若者はいちばん静かで寡黙であろう
仮に「新銀河鉄道の夜」が書かれたら、こんな風に怒鳴ったり蹴ったりする若者も、怒鳴ったり蹴ったりする死者として美しく描かれることになるのだ
2004年
12月25日(土) ルミナとミレナ
その近くに住んでいたり仕事で寄れる道ならば、1度は現場へ行き、その法悦パワーを味わいたいと思う しかし同時に、こんなことやっていいのかとも思う 神戸ルミナリエ、東京ミレナリオなどの大電飾だ
あそこまでやったらたしかに圧巻 たんに綺麗というだけでなく、その光体験は心に何がしかの変容をすら迫ると思う しかし、帰宅して我が家を見れば切れかかった蛍光灯…いや、そうではなくて (^^;ゞ
率直に言って、あそこまでやることないだろう、と思う あの豪奢さは、小さくつましい心持ちを冒涜(ぼうとく)している気がするのだ 小さくつましい毎日だからこそ、祝祭があることはわかる しかし、モノには限度がある 視覚に訴える豪奢さに惹かれない者はないだけに、かえって罪深い
…でも1度は近くで見てみたいなあ (^0^)
マツケンサンバとエビ様…引きずり出しで産婆の勝ち
「気合だあっ」と長嶋ジャパン…肩すかしで長嶋ジャパンの勝ち
上越新幹線と羽田新ターミナル…揺さぶりをかけられた拍子にまわしが外れて新幹線の負け
小泉首相とクマ出没…丸投げで首相の勝ち
振り込め詐欺と日歯連事件…引き落としの後、とったりで技のデパート振り込め詐欺の勝ち
スポーツ界の愛と亜衣と藍…べそ払いから「サ〜ッ」の掛け投げ連続技で永遠に愛の勝ち
ヨン様と欠陥車…隠し技タイヤ落としで欠陥車の勝ち
最年少芥川賞と「世界の中心で愛を叫ぶ」…背中蹴りとばしで最年少芥川賞の勝ち
相次ぐ台風と地震雷火事おやじ…家事おやじの新規参入で未曾有の混乱、勝負つかず
負け犬と勝ち犬…「只今のショ〜ブについてご説明致します 写真判定の結果…」
12月9日(木) 背後霊が喝ッ
エスカレータで、階段で、電車・バス車内で いったいその人は何を考えているのか…情けないです
その人の後ろに私はいる 私の顔の前にせり出されるリュック・サック、ナップ・ザックの類い
その人が振り返る 私はリュックに殴られる
その人が立ち止まる 私のアゴはリュックに激突する
「自分の体躯と同じ幅ほどの膨満物を背中に宿していること」及び「2人分の空間を、意識しない背後で振り回していること」で、その後ろで苦痛に喘ぐ者がいるのだ わかっているのか
リュック占有空間は、リュック持ちの権利か? いや、マジにそうなの?
関係機関には、「ダメ、ゼッタイ」のリュック版を、ぜひ作ってもらいたいです
11月1日(月) 鎮魂、若き日への
イラクで惨殺された香田さんの来歴を知れば知るほど、他人事とは思えなくなってくる
その歩みは何か不安定で、突拍子もなく、迷いつつ確かめるように道を探していたように感じる
判断の誤り、一方向しか見えない視野の狭さ、そこに行けば何かつかめるという思い込み
これらは、「もう若者とは言えない人たち」が、かつて一度ならず通った道ではないか
私も含め「もう若者とは言えない人たち」が今生きているのは、たんに運が良かったからに過ぎないのだと、つくづく思う
香田さんを責めてはいけない 彼は、まるで私たちだ
その行動の甘さや曖昧さも含めて、「何ということだ」と嘆きながらも、この若者のいくばくかの部分に自分を重ねることで、鎮魂としたい
10月7日(木) 電線と景観
電線を地中に埋設すると、街の景観がすっきりするという論があるが、どうも疑わしい
日本では、都市の無計画さに対して、電線が一定の幾何学区分美を与えているように思う 縦に横に斜めに抑制し、揃え、まとめる
日本の都市景観から電線をなくしたら、無計画に造られ続けたみっともない建造物が、抑制する力をなくしてむき出しになるだけだ
よく引き合いに出されるヨーロッパの国々は、電気のない時代から既に都市景観計画のようなものがあって、その上で、後から登場した電線の「埋設化」を進めている事情がある
思いが詰まり詩文が生まれ(そうな気がす)るのは、どちらかというと電線の錯綜した街の方で、その安っぽい景観を私は好きだ
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