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vol.8
 gui20周年フェスタ Poetry Reading 

樋口 俊実

(樋口俊実)guiには参加してまだ一年足らずなんで、今日guiのメンバーの皆さんにあえるのはとても嬉しかったんですけれども、朗読ということにはかなり抵抗がありました。
声に出すだけで自分の書いたものが意味っていうか、文字の運びが正確に伝わるんだろうかとか、あるいはあがらずにうまく読めるだろうかとか、なんといっても聴いている皆さんが退屈しないだろうかとか、そういう心配を抱えたまま今日のお昼前から新宿の街をうろうろしていたんですけれども、ちょうどお昼時になりましてお蕎麦やさんに入ったんですよ。そうしましたら、週刊誌などに混じって「麺類時評」という名前の薄い月刊誌が置いてあったんです。
どうもその麺類時評というのは饂飩とかスパゲッティとか製麺業者さんとお店の経営者向けの専門紙らしいんですけれども、ぱらぱらっと見てましたらね、なんか意味はわかんないんですけどおかしなというか興味深い文章が載ってました。
ちょうど蕎麦屋の隣がコンビニだったもんですから、そこでコピーをとって持ってまいりました。今日は自分の作品の代わりにですね、その文章を読みたいと思います。タイトルはですね、「麺、その不可能性の現在」。




麺、その不可能性の現在

  
丼の中に一定量の汁とともに湛えられた一杯の饂飩を前にして、始源へと遡ろうとする黄金色に
透きとおった思考を湯気の中に立ち上げる時、日々の感情の不用意な細部がにわかに明らかにな
る、その眩暈にも似た感覚の中で、私たちは有り得べき予告も無しに製麺的現場の未生の闇に立
ち会うのだ。


  
しかし、その時、ひとかたまりの小麦粉や蕎麦粉が一定の水分と凝着し、麺として現前するとい
う前提を置き去りにしてしまうなら、それを、どのような意志が遮りあるいは遮らないのかとい
う問題は閉ざされたまま、麺と私たちは共に未完の生を生きざるを得ない。充分に捏ねられてい
ない麺には、だまが出来てしまう。塩分の足りない麺は、神に罰せられる前に酒気を帯びたお客
さんに罰せられるだろう。太すぎる麺は忌まわしいパスタと混同され、ラザニアやカネロニとい
った不名誉な名前で呼ばれることに耐えなければならない。だが、細すぎる麺はまた、素麺や冷
麦との差異を問われ、その存在の根拠を危うくするのだ。隘路に踏み迷うことを恐れず、不誠実
な製麺業者からの安価な仕入れという誘惑を振り切らなければ、真に新しい麺など有り得ないだ
ろう。


  
誰が、どのような批評の高みに立つ者が、店主の不在を襲う大量の出前の注文を咎めうるのか。
およそすべての出汁は、宿命的に魚と海草、茸から取られなければならない。店舗が単に駅前の
広場に面しているだけで、海岸線からも山並みからも遠く隔てられている時、その不可能性ゆえ
に店は繁盛し、やがて二号店が隣の駅前に出来るであろう。


  
任意のお品書きを目の前にして、そこにおかめや鍋焼き、味噌煮込みの不在を指摘することが、
麺類の進化にささやかにでも役立つなどという考え方は、一見進歩的であり論理的でもあるが故
に、そのような言説に不用意に加担してはならない。おかめや鍋焼きによらず、すべての品は、
本来的に季節メニューであり、しかるべき値段で原材料が提供され、また購入されれば、再びお
品書きに現れるのだ。


  
竹輪麩といい、鳴門巻といい、やがて練り物という名前に総称されるだけでなく、蒲鉾、竹輪と
いう大掛かりな仕組みの中に吸収される細部が、未だ封建遺制としてではなく生き残っているこ
とは瞠目に値する。だが、それらが独立した食品であることを言うのを止め、鳴門巻が蒲鉾の暗
喩であるというのは、明らかな錯誤にすぎない。それはいってみれば、カタストロフよりもむし
ろ感覚の持続を求める動きだと断じて差し支えないだろう。


  
このように語る時、私たちはまた、重大な岐路に差しかかってもいるのだ。もとより、それは蕎
麦か饂飩かという体裁をとってはいるものの、本来的には、それら二つの麺に認められるどのよ
うな差異としてでもなく、むしろ一般には同一性の中の悲劇として提示される。にしん蕎麦があ
るならば、にしん饂飩が出来ないはずはなく、かやく饂飩の存在が、既にかやく蕎麦の存在を暗
示している等という議論はわかりやすく、もっともらしい。それは議論としての体裁だけは整え
ているが、体裁が整っているということが既に党派的な思考の入口であり、そのような五百円以
下の軽食に、党派の思考が入り込む余地はないという言説は、既にして党派的なのである。


  
麺類の未来を誠実に考える時、野暮を承知でつけ加えるならば、このような問いがなされねばな
らないだろう。鴨南蛮は出前された、しかし、鴨南蛮は完結したのだろうか。



(樋口俊実)ちょっとうけましたね。ぜんぜんうけなかったらどうしようと思って・・・。ほっとしました。今のもまあわたしの戯文なんですけど、ほんとにわたしの書いたやつを読ませていただきます。




出家と諸注意

庭で焚き火をしていてふと見あげた
冬の夕暮れの美しさに発心し
どこまでも西へ出かけようとするなら
氷砂糖
蟹の缶詰
乾パンと花粉症の薬
凍りついた道に撒くための岩塩などを荷物に詰めて
(鏡だとか鍵といった抽象的なものは避けて)
その他足りないものがあれば
すべて自分で買いにいき
ついでに骨董屋か
もよりの博物館で
二百年乃至三百年前の古地図を買い求め(複製品も可)
洪水の前に墓地だった場所を確かめたら
心にどんな雑念も浮かべずに仏壇の
鉦を三つまで鳴らし
気象通報の
風向きと波の高さに充分な注意を払い
とりわけかまいたちには気をつけて
(心配なら傷薬も持って)
無闇に芝生の闇に踏み込まないことを肝に命じ
市役所でもらえる所定の様式の
必要な項目に残らず記入して
それぞれにひらがなでルビを振り
金魚に餌を与えてから
うち代表と目される一匹に丁寧にさようならを告げ
近在のすべての
飼い犬の迷子札を確認して縄を解き放ち
噛みつかれもせず
まだ疲れ果ててもいなければ
戸締りを確認のうえ
(焚き火も消して)
自由に出発してかまわない




(樋口俊実)時間は大丈夫ですか。じゃあもう一個だけ。すいません。




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井上典子「モミの木を洗いましょう」「だらだら坂」D.W.ライト 三つの詩"gui20周年フェスタ"もくじ
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