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vol.9

<詩を読む>


  受苦の魂  須永紀子詩集「わたしにできること」より「ガーゴイル」を読む 


関 富士子



gargoyle  夏にパリに出かけたときのこと。ノートルダム寺院の見物を終え、正面から左手に回り、裏の庭園に続く通りに入った。寺院のアーチ型の窓の上、屋根に近い高いところに、異様なものがたくさん突き出していた。はじめは握りこぶしを伸ばした太い人間の腕のようにも見えたが、それよりずっと大きい。

 さまざまな獣の上半身をかたどった石像が、壁に垂直に張り出しているのだ。ライオンやヒョウやイヌなどが、口を大きく開いて叫ぶように空中に身をのり出している。なかには、僧服を被った坊さんもいて、なぜだか悲しげに喉を反らしている。

 それらは寺院の通りに面した壁にずらりと並んでいて、真下は歩道だったから、わたしは彼らが今しも音を立てて崩れ落ちて来るのではないかとひやひやしながら、口をあんぐり仰向いて歩いたのだった。

 それが「ガーゴイル」だった。中世ヨーロッパ建築に見られる雨水の落とし口だそうで、しばしばグロテスクな鳥獣の形に作られているという。







ガーゴイル
  
    須永紀子  
  
空にはいつも裂け目があって
妄想や実体のない恐怖がちらちらみえた
そこにあのひとの姿があらわれ
わたしを見下ろしたとき
ただの一瞥ではない
強いものを感じ
このひとのために生きてもいいと思った
一度だけ、全身で誰かを愛したかったのだ
あのひとが邪悪な光になって
わたしを満たしにきた夜
交わっても生まれるのは悪意と虚偽と
未来のないものばかりで
「罪がこんなに明快な形になるのはすごいことだ」
あのひとの感嘆。
「重たい女なんだよ。おまえなんか、おまえなんかに」
あのひとの憎しみ。
それよりも大きなものがわたしのなかに
あふれますように。
強い力で思った。
  
アパートは狭くて
窓の下は小学校の校庭
あのひとはいつもいらいらしていて
こどもを眺めてはその未来を憎んだ
「戦ってこい」と命令するので
出かけていって
言われたとおりに服を脱ぎはじめる
裸になるのは何でもない
でも傷痕を見られるのは嫌だった
新しいものなら美しくもあるが
それはわたしを恥じ入らせる
失敗のようなものだったから
こどもたちが小魚みたいに群がってくる
ボタンをはずしたままわたしは立ちつくす
あのひとはどなる
「戦え、戦え」
わたしはあのひとが立つ窓に向かって
歩きながら両手を広げる
シャツが体から離れ
白い炎になって立ちのぼる
憎しみよりも大きなものが
あふれますように
  
あのひとの怒りが体を突き刺す
こんなにも強い力で思われているのなら
かまわない、かまわない、とてもうれしい
傷痕から青い血が流れ出す
体内には邪悪な妄想がうごめいていて
その裂け目から
あのひとはわたしを見ている


 この詩で、男はガーゴイルのように、空の裂け目から現れて女をたちまち邪悪な光で満たす。不可抗力のような一瞥のあと、男は女を虜にする。

 この神話的な始まりにもかかわらず、そのあとの男女の争いぶりにはリアリティがある。野心と現実があまりに相容れないとき、男は憎しみを女にぶつける。ふたりは暮らしのなかの救いのなさに打ちのめされるのだ。

 女は男の命令に従って戦わなければならない。それは戦うというより人々の前で晒し者になることらしい。女は恥辱でいっぱいになりながらすべてを受け入れる。そのとき、女のなかに不思議な力が湧きあがる。彼女は祈る。
「憎しみよりも大きなものが/あふれますように」

 映画「奇跡の海」を思い出す。主人公の女は、全身麻痺になった夫を救うために、神の御告げを信じて夫の言葉に従い、町の男たちにつぎつぎに身を任せる。そのあげく、女はひどい暴力を受けて殺され、夫は奇跡的な回復を遂げる。

 「白い炎になって立ちのぼる」ものとは、「憎しみよりも大きなもの」、愛と呼ばれるものだろうか。「ガーゴイル」は、このような自己犠牲の愛を描いているのだろうか。いやいや、そうは思わない。「強い力で思われているのなら」それが「怒り」でも「憎しみ」でもかまわないというのだ。そんな力は苦しみしか生み出さないだろうに、彼女はそれを受け入れるのである。

 愛しすぎてはいけない、とわたしは彼女にささやきたくなる。しかし、作者にはわかっている。受苦の魂こそが「青い血」を流す「ガーゴイル」。自分を無にして男を受け入れるように見えながら、ぎゃくにそのすべてを飲み込んで、体内に「邪悪な妄想」を身ごもるのだ。「憎しみよりも大きなもの」とは愛であろうが、それは男を破滅させるまがまがしい愛なのかもしれない。受苦の魂の恐るべき力。崇高なまでにグロテスクなけものが、男の頭の上で口を開けている。

 須永紀子の詩には、何かにはやってせきこみがちに話す少女の言葉を聞いているようなスピード感がある。また一方では、囚われた精神が身体をかろうじて動かしているようなぎこちなさがある。情景がクリアーになる前に思考が進むからか、行の運びはひんぱんにつまづく。しかし、転ぶことを恐れず頭を上げてずっと前方を見て書き進める。そのうちに、現実世界についての悲痛なまでの認識と、それをなんとか乗り越えて生きようとする力強い身体が浮かび上がる。詩人が失うことなくもちつづけて、今たしかに自分のものとしていると思えるのがこの文体の力である。
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  路上の詩人 中上哲夫 


               関富士子



 いつも忘年会は一つか二つしかないのだが、今年も一つだけ。年に何回か飲んだり釣りをしたりしている連中の集まりである。場所はいつも町田だからちょっと遠いけれど、苦にもせずに行くのはただその仲間のうちの詩人中上哲夫が大好きだからである。

 中上哲夫はわたしが20代のころ、日本の路上派としてさっそうと登場し、白石かずこや諏訪優、天野茂典たちと頻繁にPoetry Readingを行い、「糞(シット)糞(シット)糞(シット)」と叫んでいた詩人だ。アメリカのビート詩人ギンズバーグやケルアックの紹介、翻訳など、精力的に活動するスターだった。

 とはいうものの、そのころ詩を書き始めたばかりだったわたしは、自作詩朗読どころか人の朗読を聴きに行く勇気もない内気な女の子だったから、その状況についてはあまり詳しくない。20年後に有働薫さんの紹介で、その中上哲夫と知り合うとは夢にも思わなかった。朗読もそのとき初めて聴いたのだが、つかえながらぼそぼそと読んでいてあまりの下手さに呆れたのである。

  ……
 片瀬西浜、膝、南東、オフショア
 稲村ケ崎、肩、南、オフショア
 いまでも目をつむると、深夜ひとりでラジオのサーフィン情報に
陶然と耳を傾けている男の後姿が浮かんでくる。抑揚のない、アナ
ウンサーのモノトーンな調子とともに。しかし、不思議なことに、
その当時の妻と娘の顔が思い出せないのだ。わたしが深夜放送を聞
きながら孜々として翻訳に励んでいたとき、彼女たちは別の部屋で
いったいなにをしていたのだろう。……

中上哲夫詩集『水と木と家族と』1996年ふらんす堂刊から「ビッグ・ウエンズデー」

 わたしは彼のことを、年上の女をパトロンにして悠々と詩を書き散らす永遠の青年というようなイメージを抱いていたが、実際の中上哲夫は、団地に住みサラリーマンとして妻子と親を養っている普通の五十男だった。詩人は華やかで自由に生きているように見えても、実生活はまったく地道である。翻訳は帰宅して夜の数時間をあてるらしいが、ブコウスキーのようにある程度売れる作品でもあまりお金にならず、報われないことが多い。詩人としても初期の路上派時代からいわゆる詩壇からも外れたまま、散文詩に転じたころから沈潜した年月が続いていたようだ。

  リチャード・ブローティガンを思い出す詩篇

  バスタブ・ポエット


  
  上の方が湯で下の方が水というのは
  なんともいえない気持だね
  ぼくは生前のブローティガンの居心地のわるさについて考えた
  だけどそれはほんの一瞬で
  湯がわいてきて
  下の水と上の湯がひとつにまざってしまうと
  ブローティガンのことは
  すっかり忘れてしまった
    中上哲夫詩集『スウェーデン美人の金髪が緑色になる理由』1991年書肆山田刊より

 知り合ったときはちょうどとぼけた長いタイトルの詩集を7年ぶりに出したばかりで、新しい活動期に入っていたころだと思う。闊達で風通しのよい、軽味も苦みもあるよい詩集だ。ブローティガンはたしか、80年代半ばに銃で自分の頭を撃って死んでしまったアメリカの詩人。

 呑み仲間としての彼は、駄洒落ばかりを連発して人を閉口させる気さくな人で、自信なげでナイーブな少年のようなところもあって、けっして偉ぶらずみんなに好かれている。賞を立て続けにとっている金井雄二も八木幹夫も、はじめは彼に才能を見出されたのである。彼らと飲んだ晩は、別れ際にわたしと若い金井雄二は、合い言葉のようにこう言い合う。
「さあ、これから帰って詩を書こう!」
 これは前記の詩集に辻征夫が書いた栞にある言葉で、若いころの中上哲夫が遊び疲れた帰り道によく言っていた得意の冗談だそうだ。

 ところが知り合って数年後に、彼はリストラにあってコピーライターの職を失った。それが原因か鬱病の長い長いトンネルに入ってしまって、人とも会わず詩も書かず大好きな釣りもせず、の時期が続いて、彼の駄洒落をこよなく愛する者たちにとっても辛い数年だった。エッセイや詩で建築現場の交通整理や、道端でコンビニの弁当を食べながら眺める蟻のことが読めるようになったのは最近のこと。彼に言わせると「ケルアックの『路上』の翻訳なんかしていたら路上労働者になってしまった。でもまだ路上生活者にはなっていない」というところ。

  Fisherman's Story

  5


  ダブリンの郊外に
  ジョイス川というのがあって
  そこでつりをしたひとの話では
  小さな川なのに
  複雑な流れをしていて
  フライの落とし所がむずかしかった
  という
  
  まるで意識の流れだな
中上哲夫詩集『スウェーデン美人の金髪が緑色になる理由』より

 その鬱病はこのところようやくトンネルから脱け出したかと見えるほど回復したようだ。彼は釣りの詩をたくさん書いているが、わたしがたまにいっしょに釣りをするようになったのはここ2年ほど。相模川の支流の小さい川で鮒を釣っている。とてもよく釣れる川で、みんな50、60と釣るが、わたしは2時間で2匹ほど。飽きるとひとりで上流を歩いて、川べりにしゃがんで鳥を見るのである。

 昨夜の忘年会で、彼は興味深いことを話していた。つい最近、詩を書いている最中に、被っている皮がすぽっと抜けるような、今までにない体験をした、これまで書いた詩は全部捨てる、これからまったく新しい詩を書くのだ、と言うのである。

 彼はあまり大言壮語を吐く人ではないから、それを聞いてとても嬉しかった。彼が翻訳しているブコウスキーだって、五十歳で郵便局員をやめて猛然と詩や小説を書き始めたのである。同席していた小池昌代さんが「それって鬱から躁に変わったんじゃないですか」というので笑えたが、わたしは彼の変身を見たい。ちなみにわたしはというと、女ブコウスキーになりたいのである。

 さて、そんな折も折、彼の最愛の妻が初めての詩集を出版したのである。その詩集『チボット村のチボさん』の跋文を夫である中上哲夫が書いている。
 この詩集でわたしがもっとも感動したのはこの跋文である。

詩人の誕生  中上哲夫

……それが始まりだった。
 それから、毎朝、起きると、こんなのができちゃったといって妻は原稿用紙を持って台所から現れ、寝ぼけ眼のわたしに向かって湯気の立つような生まれたての詩を読んだのだ。……

 佐野のりこは年齢的には成熟しているが、ビギナーという点では若いといえると思う。たぶん、それは生命現象のごときものであって、書くというよりも生まれるという感じがするのだが。……

 突然佐野のりこが書き出し、半年間書きつづけた詩篇には疲弊した現代詩には見られない生命の輝きのごときものがあると思う。そして、それこそがこの詩集の手柄だと思うのだ。……

佐野のりこ詩集『チボット村のチボさん』の跋文より


 内輪の人間をほめてどうするとからかう声もあるだろう。もちろん彼の跋文と、詩集の評価とはまったく別の次元のものだ。しかし、とわたしは思う。ふつう自分の奥さんのことをこんなふうに称えることができるだろうか。かつて家庭内に創作するものが二人以上いるとどちらかがつぶされた。高村智恵子はそのために気がふれた。

 そんな大袈裟なことではないけれど、詩人どうしのカップルというのはけっこう多い。それだけ甘い世界なのかもしれないが、書けなくて苦しんでいるそばでいともやすやすと書いてしまわれて、長く詩人をやってきた人が穏やかでいられるはずがない。中上哲夫の奥さんもすてきだなと思うけれど、彼女をこのように語ることができる中上哲夫はなんていい男だろうと思うのである。もっとも彼は彼女の詩を生命現象のようなものと言っている。佐野のりこには彼を詩人として本気で嫉妬させるような詩を書いてほしいのである。


中上哲夫詩集『水と木と家族と』1996年ふらんす堂刊2500 円
ご注文は
Welcome to FURANSU-DO tel.03-3326-9061/fax.03-3326-6919 )
中上哲夫詩集『スウェーデン美人の金髪が緑色になる理由』1991年書肆山田刊2200円
 ご注文は書肆山田
佐野のりこ詩集『チボット村のチボさん』1000円山猫倶楽部刊
中上哲夫さんの詩がたくさん読めますPOETICA IPSENON+Club LARAヘジャンプ
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