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2002.3.25. Mon. お前こそ真の三國無双よ!――PS2入手。
 先日、ようやくPS2を入手することができました。
 それもSyu君の部屋にあった故障品を引き取り、修理に出したもので、費用は\15,750。新品の約50%OFFで入手することができました。もっとも、初期ロットの製品というのが味噌ではありますが(笑)。
 で。
 もっかのところはまっているソフトはというと、真っ先にあげられるのが「真・三國無双2」。Syu君からの借り物です。一応、自分でも「Gran Turismo3 A-spec」と「Xenosaga Episode-1」「DOA2 HARD CORE」を購入したのですが、なかなかどうして。「真・三國無双2」にはまってしまいました……熱いです、このゲーム(笑)。

 せっかくDVDを見られるのだから、と、DVDも購入しました。
 鬼束ちひろさんのライブDVDである「CRADLE ON MY NOISE」。半ばこれを見たいがためにPS2を修理に出したようなものなのですが――まだ、未見です(←駄目)。

 それにしても。
 PSを購入したときもそうだったのですが、グラフィックのリアルさにただただ驚くばかり。
 それまでSFCのグラフィックしか知らなかった私が「FINAL FANTASY [」のムービーを見たときにもカルチャーショックを受けたのですが、正直言ってそれ以上のショックがありましたね。ここまで忠実に、そして滑らかに再現できるとは……本当に驚くばかりです。もちろん、「CGっぽさ」があるのは否めませんが、ゲームだったらむしろそっちのほうがいいかもしれません。もちろん、実写レベルにまで再現できるのであれば、それはそれですごいなぁ……と思うのですが……そんなハードで「BIO HAZARD」はできないですね、多分。何より、ホラー系のゲームや映画は苦手です……。





 近況です。
 スタッフの中では、すでに「梅雨空幻燈」のラストに向けての準備が進みつつあります。
 本編はようやく中盤に差し掛かったような気がしないでもありませんが、それ以降については、着々とプロットが作成されつつあります(今回は1作目同様、ノープロットで書いてきています)。
 あと、これはまだ、あくまで計画にしかすぎないんですが……「梅雨空幻燈」の後は、ストーリーを分岐させようと思っています。執筆陣は、氷河&Syu君と、丹波君&光秀君。この組み合わせから、どういう分岐になるか……というのは、ある程度想像できますよね?

 さて。
 氷河本人としては、「ネタはあるんだけどなぁ……」という状態が久しく続いています。
 「A Day in the Girl's life」や「ダイチノメグミ」「キヨシコノヨル」の最終章、「桜の森暗夜奇譚 Prelude」など、いくつかの構想を抱えている状態です。
 あとは、どういうふうに書き出すか――それ一本だなぁ、と思っています。

 それにしても。
 自分でいうのも何なのですが、ここ最近、高校卒業以来久しく失っていた「感受性」が戻ってきたのかなぁ、という気がします。
 その原因はいろいろ考えられますが、おそらく、その中でも最も大きいのは鬼束ちひろさんの歌に出会ったことなのではないかな、と思っています。
 
 うん。
 普通に歌を聞く分には「ホントにすごいひとだなぁ」と思うんですが、一歩引いて、「モノを書く人」という視点にたつと、なんだかものすごく悔しいんですよね(苦笑)。
 音楽と活字。
 その手段は違いますが、ともに自分を表現するという立場は同じだと思っています。
 その「同じ立場」から見たら、ホントに、本当に悔しい。
 その悔しさがあるから、「もっと精進しなきゃ」とも思いますし、何より、いい刺激になっています。


 近況は、そんなところです。
2002.3.4. Mon. Prologue of our Dreams.――F1開幕
 遂に今年もF―1が開幕しました。
 今シーズンは新たにTOYOTAの参入や3年ぶり7人目の日本人フルシーズンドライバー佐藤琢磨の参戦など、日本人としては実に興味をそそられるシーズンになりました。さすがにTOYOTAの参戦と日本人ドライバーの登場にはマスコミも黙っていなかったらしく、決勝当日はレースが生中継されていましたね(もちろん、開催地がオーストラリアのメルボルンだということも大きいですが)。


 まずはレースの感想から。

 これぞレースです。

 開幕戦というのは往々にしてトラブルが出るものなんですが、今年は一味違いましたね。
 オープニングラップの第1コーナーで実に出走した車の半数近くが巻き込まれる多重クラッシュ!
 これは早速赤旗で中断するのかしらん?(ドライバーの生死に関わるような大事故やレースの進行に著しく支障をきたすような事故が起こった場合はレースが中断されます。このレース中断のサインが赤旗なのです。この場合、レースは2ヒート制になり、中断前のタイムと再開後のタイムを合計して順位が出されます)と思ったのですが、意外なことにペースカー(事故でコース内に車が立ち往生したときなどに、車列の先頭に入って速度を制限する車です。ペースカーによって先導されている場合は周回数はカウントされますが、前の車を追い抜くことはできません)が入っただけで中断はされませんでしたね。赤旗中断になると最終的な順位がわかりにくいうえに観客にも不満が出るのでなるべくなら避けたい事態です。去年までなら間違いなくレースが中断されていたであろう大事故にもかかわらず、ペースカーの導入だけで済んだことに、今年の「F-1は一味違うぜ」という主催者側の意気込みを感じました。

 で。
 肝心のレースの中身なのですが、こちらも一味違いました。
 首位争い、二位争いなどの熾烈なデッドヒート! これぞレースですよ。ピット作戦如何で順位がひっくり返るようなレースは見ていてあまりおもしろいものではないです。やはり、レースならコース上でしのぎを削ってもらいたいものです。今回はその息をもつかせぬ攻防が見れただけで大満足。久しぶりにエキサイティングなF−1を堪能させていただきました。


 さて。
 冒頭でも述べたとおり、今年のF−1は久しぶりに「日本のマスコミが注目しているシーズン」だなぁ、と実感しました。
 今年もF-1のTV中継(地上波)はフジテレビが行っているのですが、その中継に東京青山のホンダ本社の特設スタジオからの映像を入れたり、「応援団」として芸能人が出演するなど、ここ数年のF−1中継にはないフィーバーぶりを見せたと思います。

 フィーバーするのはいいことです。
 それだけ人々が注目してくれますから、一躍F-1がメジャーになれる可能性があるということですよね。
 でも、そのフィーバーぶりにちょっと違和感を覚えたのも事実です。
 日本人ドライバーが参戦すれば、フィーバーする。人々が注目する。
 それはそれでいいことなんでしょうが、逆に、それだからこそ日本でモータースポーツがメジャーになりきれない原因を作っているのではないのかなぁ、と思うんです。

 確かに、レースで一番注目されるのはドライバーです。
 でも、ドライバーだけがレースをやっているわけじゃないですよね?
 ピットレーンで迅速に、そして正確にピット作業を行うことに命をかけているといっても過言ではないピットスタッフ。
 車の調整のためには徹夜も珍しくない、メカニックスタッフ。
 そして、いかにしてレースを勝つか、その戦略を練るスタッフ。

 それぞれに、レースで闘っているわけなんです。
 そして、日本人にはそういった「裏方」で活躍されてきた方々が非常に多いんです。

 たとえば、第1期ホンダのチームスタッフ。
 中島悟氏が日本人として始めて、フルシーズンドライバーとして参戦した1987年をさかのぼること20年余り前、当時はまだ一バイクメーカーに過ぎなかったホンダは自動車レース最高峰のF−1に殴り込みをかけ、見事勝利をもぎ取って見せました。

 たとえば、第2期ホンダのエンジンスタッフとマクラーレンのチームスタッフ。
 第1期とは違い、エンジンの供給という形でF−1に復帰したホンダは「世界最強のエンジン」を目指し、遂にはアイルトン・セナとアラン・プロストを擁するマクラーレンとのジョイントで16戦15勝という驚異的な数字を打ち立てました。

 たとえば、タイヤ供給を独占していたグッドイヤーに「タイヤ戦争」を仕掛け、果敢に戦い、そして勝利をもぎっとていったブリヂストンのスタッフ。

 他にも、F−1の「心臓部」で活躍されている日本人スタッフはたくさんいらっしゃいます。


 結局のところ、日本ではまだモータースポーツが「文化」としては根付いていないような気がします。
 そしてそれは、人々の間にに広く深く根付き、愛されている野球とは質の異なるスポーツだ、ということができると思うのです。
 今年のフィーバーが来年も続いているとは、とても思えません。
 それどころか、今シーズンが終わる前にフィーバーは去ってしまうのではないか? と危惧しています。
 特設スタジオにて出演していた中島悟氏が何か戸惑ったような表情でコメントされていたのは、図らずともそれを象徴していたのではないでしょうか。


 それが単なる思い過ごしに過ぎないことを、切に願います。
 そして、日本のマスコミや自動車業界が一過性のものではなく、継続的にF−1を、モータースポーツを応援していけるような環境を作っていくことを願いたいものです。