
vol.12
Poetry Reading
朗読が聴けます!
ヤリタミサコのポエトリィ・リーディング vol.18
『アメリカ現代詩101人集』出版記念・詩とジャズのコンサート vol.12
gui 20周年フェスタ vol.8
gui詩gui詩 vol.6
<雨の木の下で>
ここに掲載された詩作品や写真の無断転載は固くお断りします。
須永紀子さん、
四釜裕子さん、
桐田真輔さん、
河津聖恵さん、
小池昌代さんがコンサートの感想を書いてくださいました。コンサートにいらした方、詩集を読まれた方、どなたでも、rain treeにぜひ感想メールをお寄せくださいね。
『アメリカ現代詩101人集』出版記念・詩とジャズのコンサート
|
関 富士子(1999.7.1)
高橋睦郎
お知らせしていたアメリカ現代詩の朗読とジャズのコンサート、同人誌「gui」の奥成達のきもいりで、1999年6月29日、新宿ピットインで開かれた。
アメリカの詩人というとギンズバーグぐらいしか知らない無知なわたし。でも同人誌「gui」で、野坂政司の「アメリカン・ポエトリー・コラム」(これも最近『マルチカルチャー・ブルース-アメリカ大陸の今日の詩人たち-』として出版されました。ぜひ読んでください。ぽえとりくす叢書斜塔出版\1200ご注文は
野坂政司のホームページへ)で、アメリカ現代詩の多様性に富んだ最新のところを知るようになったのはありがたいことである。
ここ数年、やはり「gui」でD.W.ライトが「翻訳東西櫓」という連載を始めて、さらにアメリカの現代詩の豊かさに触れることができるようになった。彼がすべて自分の目で読んで選んだ作品ばかりである。それを沢崎順之助をはじめ、若手の森邦夫、江田孝臣が翻訳、それをさらにD.W.ライトを含めた4人で討議を繰り返して手直ししていったという。
詩の雑誌や小池昌代さんの個人詩誌「音響家族」にも少しずつ発表されてきたが、このたび『アメリカ現代詩101人集』(1999年6月20日思潮社刊。ご注文は書店か思潮社へ(TEL.03-3267-8153 FAX.8142) 4200円+税)として一冊の本になって出版された。こうしてまとめられたものを見ると圧巻である。編集者のライトさんのアメリカ詩を見渡す眼の確かさは信頼できる。装丁は小池昌代さんの手による。ライトさんはシャイな人で、ふだんは人前に出ることをとても嫌うけれど、この本にかける静かな意気込みを感じた。
さて、そのピットインでの朗読と演奏の様子を簡単に報告しよう。詩人たちの朗読もぜひ聴いてください。
小池昌代の朗読 ピアノ 渋谷毅 ベース 川端民生
「わたしが生きていたころ」朗読 小池昌代 02.45.7
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わたしが生きていたころ アリス・ノトリー
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生きていたころは | |
両肩もあらわに | |
薄い服を着ていた | |
白熱した太陽のぬくもりと | |
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黒い薄い服が | |
わたしを包むと | |
わたしは莢になれてうれしい | |
そよ風は | |
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健康な両足にあたり | |
薄く透けた布地は | |
しわくちゃになったり 膨らんだり | |
わたしの心は透きとおり | |
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マリオンの家と | |
ヘレナの家に向かって歩くと | |
スカートは涼しい空気で | |
膨らんだり しぼんだり (M) |
WHEN I WAS ALIVE
Alice Notley
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When I was alive | |
I wore a thin dress bare | |
shoulders the heat | |
of the white sun | |
| |
and my black thin | |
dress did envelop me | |
till I was a shell | |
gladly and breeze | |
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ruffled and filled | |
against good legs | |
the translucent fabric and my | |
heart transparent | |
| |
as I walk towards Marion's | |
and Helena's as my | |
skirt fills empties and fills with | |
cooling air |
|
ライトさんの簡単な挨拶のあと、さっそく小池昌代さんの朗読。
小池さんの朗読はすがすがしい声が魅力的で、この人は花があるなあと思う。
ところが残念なことに、うっかりして一枚しか撮らなかった写真を削除してしまってあっと思ったが後の祭り。すてきな永久保存版だったのに。期待していた皆様ごめんなさい。
朗読したのはアリス・ノトリーの詩。小池さんも言っていたことだが、「わたしが生きていたころ」というのはとても不思議なタイトルで、今は生きていない、もう死んでしまった魂が、生きていたころのなつかしいいとおしい身体のことを追憶しているような詩である。
小池さんは新しい詩集『もっとも官能的な部屋』(御注文は
書肆山田へ)が出版されたばかりなので、自作も読んでくれるかと期待していたのだけれど、小池ファンにはちょっと残念。
D.W.ライトの朗読 川端民生B
D.W.ライト
「太平洋にささげる祈り」朗読 D.W.ライト 03:02.9
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太平洋にささげる祈り
レスリー・マーモン・シルコー
|
砂岩だらけの南西部から、 | |
はるか | |
離れたこの海に、わたしは来た。 | |
創造神話のように大きな | |
青い動く水。 | |
| | | |
澄んだ | |
青い水を照らす黄白色の | |
日の光。 その日がめぐって行くのは、 | |
西は中国。 | |
そこでこの海それ自身が生まれた。 | |
砂浜を吹き抜ける雲は湿気を含んでいる。 | |
| | | |
濡れた砂にうずくまって、海に語りかけよ―― | |
お前が送ってくれたトルコ石を、 赤い珊瑚を、 わたしはお前に返す、 | |
大地の姉たる霊よ、と。 | |
ポケットの中には四つの丸石。 口にふくみ、味わうために | |
わたしはこの「海」を持ち帰る。 | |
三万年の昔 | |
インディアンは、巨大な海亀の背に運ばれて | |
この海を渡って来た。 | |
その日は波高く | |
偉大な海亀は、日が沈む灰色の海から ゆっくり | |
水をかき分けやってきた。 | |
祖父たる海亀は、砂の中で 四たび翻弄されると、 | |
太陽の中に泳いで | |
消え去った。 | |
| | | |
それで、 太古の | |
その昔から | |
(長老たちが言うには) | |
雨雲は西からやってくるのだ―― | |
海の贈り物として。 | |
| | | |
風に吹かれる緑の葉 | |
足を覆う濡れた土は | |
はるか中国からやってきた | |
雨のしずくを飲み干す。 (E)
|
|
ライトさんの朗読を見守るわたしは母になった気持ち。はらはらどきどきがんばって。でも彼は明治大学のれっきとした助教授なのだから、そんなに心配することはないのだった。彼のたどたどしい(流暢という声もあるが)日本語がわたしを母にさせるのか。とてもチャーミング。おかげで何を読んだのだったか全然覚えていない。ごめんなさい。
平田俊子の朗読 渋谷P 川端B 古沢良治郎DS
平田俊子
「聖ゴキ様」 ミュリエル・カイザー
「御器かぶり」 平田俊子
「御器かぶり」 朗読 平田俊子 03:27.8
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「日曜日を忘れたんなら--愛の物語」朗読 平田俊子 03:14.4
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日曜日を忘れたんなら--愛の物語
グェンドリン・ブルックス
|
――それで、あんたが水曜日と土曜日のぴかぴかのシーツを忘れたんなら、 | |
それで、なにより日曜日を忘れたんなら、 | |
ベッドで過ごした日曜日の半分を忘れたんなら、 | |
気だるい午後、居間のラジエーターにお尻をのっけて | |
どこへ行くとも知れぬ長い街路を | |
眺めおろして | |
「予定なし」、「仕事なし」、「なんだか幸せ」、 | |
「月曜が来なければ」の平凡ないつもの気分に包まれた | |
そんなわたしを忘れたんなら、 | |
あの、あんたがそれを忘れたんなら、 | |
だれかがドアのベルを鳴らしてあんたが毒づいたことやら、 | |
電話が鳴ってわたしの心臓が跳びはねたことやら、 | |
一日の最後に日曜日のディナーに行こうって、 | |
つまり、その、南西隅のインキ染みのテーブルのとこまで居間を横切って、 | |
日曜日のディナーに行って、それはいつもチキンヌードルか | |
チキンライス、 | |
それにサラダとライブレッドと紅茶と | |
チョコチップクッキーだったけど―― | |
あの、あんたがそれを忘れたんなら、 | |
戦争はあんたが引っ張られるまえに終わるだろうって | |
小さな勘が当たったのをあんたが忘れたんなら、 | |
で、最後に服を脱いで、明かりを消して、ベッドにもぐりこんで、 | |
週末のぴかぴかのシーツにちょっとの間 | |
からだを伸ばして、 | |
それからやさしく重なりあって―― | |
あんたがそんなこと全部、その、忘れたんなら | |
あんたは言っていいわ、 | |
わたしは信じていいわ、 | |
あんたはわたしをすっかり忘れてしまったんだって。 (S)
|
|
自作を含めて三作読んだが、それぞれ語り口調ががらりと変わる。ちょっとした一人芝居を見ているようだった。自作の「御器かぶり」でラクカラーチャラクカラーチャとくちずさむと、バックの渋谷毅のピアノがすかさずメロディを入れる。ほとんど練習もしていないのに、さすがジャズの人ってアドリブが上手。「日曜日を忘れたんなら」の、捨てられた女がつぶやくようなかぼそい悲しい声が胸に響きました。
江田孝臣・江田まりこの朗読 渋谷P 川端B 古沢DS 松本治TB
江田孝臣
江田まりこ
「ハリケーンのやっかいなところ」朗読 江田孝臣・江田まりこ 04:25.3
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ハリケーンのやっかいなところ
ヴィクター・ヘルナンデス・クルース
|
ひとりの百姓が空を見て | |
おれに言った―― | |
ハリケーンの厄介なのは、風でも | |
音でも、水でもねえ。 | |
いいか、厄介なのはなあ、 | |
大砲の弾みたいに町さ降ってくる | |
マンゴーや、アヴォガドや、 | |
緑のプランタンや、バナナの方さ。 | |
| | | |
爺さまは、飛んできた | |
バナナに当たって死んだ。 | |
と末代まで語り継がにゃあならんとしたら、 | |
おめえの子供や孫らは | |
どんな気持ちがすんべかな。 | |
| | | |
水さ溺れて死ぬのはよかんべよ。 | |
大風にでも拾われて | |
やまの丸岩に | |
叩きつけられればな。 | |
そりゃあ別に恥でもなかんべよ。 | |
でもなあ | |
マンゴーにどたま | |
かち割られたとか | |
プランタンが時速七十マイルで | |
面(つら)の真ん中さ当たったとなりゃ、 | |
こりゃ末代までの大恥じよ。 | |
| | | |
百姓は帽子を取った―― | |
怒れる風の神に | |
敬意を表したのだ。 | |
そして言った―― | |
音なんぞ気にするこたあねえ | |
水なんぞ気にするこたあねえ | |
風なんぞ気にするこたあねえ―― | |
外に出るときゃ | |
マンゴーとか、ああいう | |
きれいで甘いもんに | |
注意するこった。 (E)
|
|
江田まりこさんが原詩を、孝臣さんが翻訳を交互に少しずつ読んだ。まりこさんの元気いっぱいのなまりの強いアメリカ語に孝臣さんの田舎ことばを使った翻訳が続く。掛け合い漫才みたいな楽しさ。ただ1本のマイクを入れ替わって読むのはちょっと忙しくて窮屈な感じ。マイクを2本使って、ゆったり読んだ方が良かったか。
沢崎順之助の朗読 川端B
沢崎順之助
「カリフォルニア」朗読 沢崎順之助 04:43.5
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カリフォルニア ――アドリエンヌ・リッチのために
へイデン・カルース
|
充足とぎらついた貪欲と | |
無慈悲の荒野に | |
歳月を過ごしたあと | |
この革命思想の家に戻ってくるなんて | |
すばらしいことだ。サンタクルスの | |
Aさんのキッチンは | |
むかしウェストバーネットにあったキッチンと | |
ちっとも変わっていない。 | |
あちこちに面白い小さな飾り物があって | |
うまい食い物がたっぷりある。 | |
ストーブからテーブルへ、部屋の | |
一方から一方へ、なんと意見が飛びかったことだろう。二十年経って | |
サンタクルスでもその点は同じだ。トルストイが言ってるわ、 | |
詩の目的は読者に感情を | |
呼び醒ますこと、読者に | |
「感染させること」ですって。そうして変革を惹き起こすの、 | |
意識の変革ね、すると | |
世界の変革につながるかもしれない、それが | |
世界の変革につながるんだわ。 | |
変革を求めないひとにどうして詩が書ける? | |
| | | |
陽光が溢れ、スペイン語が聞こえるなか、長い年月のすえ | |
和解することになろうとは。Aさんはサンタクルスの町の | |
二年前の地震で一変してしまった地域や、 | |
そこを住民が再建して、改善したところなどを見せてくれた。 | |
こわかっただろう? それは、もちろんよ。移転する気はないのか? | |
ぜんぜん。ここでは、大地そのものが模範を示してくれている。 | |
海洋の波が渾身の力でたえまなく | |
ハーフムーン湾の陸地にぶつかって轟いていて、 | |
それが変転と勇気と永遠についての | |
人間の尺度となっているのだ | |
| | | |
丘陵のあいだを車で走った――レッドウッド、ユーカリ、 | |
こんもりとした樹林、この世界の美の | |
豊穣と分岐していく錯綜。そして話し合ったのは | |
すでに生まれているぼくたちの孫がぼくたちぐらいの年齢になるころ、 | |
なにが残っているだろうか、ということだった。 | |
気の狂った大統領が | |
ボタンを押したりしなくっても、 | |
どこにでも溢れている | |
充足した、ぎらついた人間が | |
このまま変革せずに生きていったら | |
世界の破滅だ。暗くなって | |
空港に到着すると | |
冷ややかな証明のもと | |
人間のエネルギーの巨大な容積が | |
ふたりの老人を包みこんだ。かれらは | |
傷ついた貧しいひとびとと、詩と、 | |
まだわずかに可能性の残っている世界をいとおしんで―― | |
つまり自分たちをいとおしんで――抱擁した。 (S)
|
|
ライトさんといっしょに、へイデン・カルースの詩の翻訳『雲と岩と混沌と』書肆山田刊 絶版)を出版している沢崎さん。やはりカルースには特別の思いがあるようすだ。「カリフォルニア」は二人の老いた詩人の再会の詩。沢崎さんは、最後の「抱擁した」のところを読むといつも感動すると話していたが、ほんとうに、堂々と読んでいたのに、最後の最後にじんと目頭を熱くしている。彼のことなんだか好きになりました。
高橋睦郎の朗読 「熊」 松風・峰・津上SAX 自作「落下」 オーケストラ全員

高橋睦郎
「熊」朗読 高橋睦郎 06.45.9
「熊」
ゴールウエイ・キネル
| | |
1 | |
冬の終わり | |
積雪の亀裂からたまたま | |
湯気がかすかに | |
昇っているのに気づく。 | |
かがみこんでそこに灰の色が滲んでいるのを確かめ | |
鼻を当てて | |
しつこいひんやりした | |
熊の臭いを嗅ぐ。 | |
| | | |
2 | | | |
狼の肋骨を一本 | |
両端を削ってとがらせ | |
弓なりにしならせ | |
脂身に押し込んで凍らせ | |
熊の道に置く | |
| | | |
脂身が消えたのを見て、 | |
熊の跡を追って動きだす。 | |
ぐるぐる円を描いてうろくつくうちに | |
地表についた最初のかすかな | |
どす黒い血痕に行きあたる。 | |
| | | |
それから走りだす。 | |
世界中さまよって | |
血痕を追う。 | |
えぐられてへこんだ休み場では | |
おれも足をとめて休む。 | |
緩い氷の面を | |
熊が腹這いになって突破した | |
這い跡を見れば おれも | |
熊狩りナイフを手に | |
腹這いになってからだを引きずる。 |
| | |
3 | | | |
三日目に飢える。 | |
夜になって、予感していた通り、 | |
血浸しの糞を見てかがみこみ | |
ためらってからつまみ上げ | |
口に押しこんで呑みくだす。 | |
立って | |
また走りつづける。 | |
| | | |
4 | | | |
七日目。 | |
熊の血だけでようやく生きのびていたおれは | |
前方遠くに仰向けの熊の死骸を見る。 | |
痩せ細った図体に湯気が立ち | |
密生した毛が風に波立つ。 | |
| | | |
近づいて | |
目幅の狭い、小さな眼を見つめる。 | |
狼狽した顔が | |
肩にのけぞり | |
鼻孔がひろがっている。たぶん | |
死の直前におれの臭いを | |
嗅ぎつけたのだろう。 | |
| | | |
熊の腿に | |
ざっくり大なたを入れて喰いかつ啜(すす)り | |
腹を縦裂きに開き | |
風を避けるために這い登って | |
もぐりこんで肉を閉じ | |
眠る。
|
| | |
5 | | | |
そして夢のなかで、おれは | |
凍土を | |
偏平足でのっしのっしと歩く。 | |
からだを内側から二箇所刺されて | |
血の痕跡を散らしていく。 | |
どっちによろめこうと、 | |
熊を超絶するどんな放物線を、 | |
どんな孤独の踊りを、 | |
重力につかまれたどんな跳躍をしようと、 | |
歩こうと、呻こうと、血が飛び散る。 | |
| | | |
6 | | | |
ついにある日よろめいて倒れる―― | |
この胃を下に倒れる | |
漏れ出る血を消化しようと | |
あの骨を砕いて消化しようと | |
力を尽して | |
頑張った胃だったが。いま | |
微風がおれのからだを吹き渡る。 | |
消化しにくい熊の血や | |
腐った胃のおぞましい吐瀉物、そして | |
例の不快な熊の臭いを吹き散らす。 | |
| | | |
痛む、垂れた舌のうえを | |
歌なのか悲鳴なのか吹き過ぎる。 | |
おれは立ち上がって踊らなければと思う。 | |
しかしじっと横たわっている。 | |
| | | |
7 | | | |
はっと目が覚めた気がする。きつね火が | |
ふたたび現れ、雁が | |
渡りの道を戻る。 | |
峡谷の残雪のしたではいま | |
母熊が横たわり、 | |
血にまみれた毛のかたまりと | |
しょぼついた目を舌で舐めて | |
整えてくれる。そしておれは | |
毛の生えた足裏の一歩を目の前に突きだす。 | |
つぎの一歩を唸りだす。 | |
つぎの一歩。 | |
つぎの一歩。 | |
こうしてその後の日々おれは | |
ほっつき歩きながら、思いまどう―― | |
いったいあれはなんだったんだろう、 | |
生きる支えとして呑みこんだあの粘着物は、あの臭い血の臭いは、あの詩は。 | | (S) |
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「落下」朗読 高橋睦郎05:40.09
朗読はrealPlayer5で聴くことができます。download
「熊」は重厚で物語があり、朗読としては難しいと思ったが、テディ・ベアみたいにお鬚が可愛い高橋睦郎さん、はっきりした発音でリズムがよくとても聴きやすかった。でもなんといってもそのあと読んだ20代に書いたという自作の詩がすごかった。ぐいぐいテンポを上げて迫ってくるジャズのオーケストラに負けじと絶叫していた。
「愛は落ちる愛は落ちる落ちる落ちる落ちる・・・」 だって。いいねえ。
(高橋さんの自作の詩、桐田真輔さんが調べてくださいました。桐田さんありがとう。)
高橋さんの朗読された自作詩は、詩集『眠りと犯しと落下と』(65年・草月アートセンター刊)のなかの、
「やぶがらしは落ちる」、「闇は闇へ 谷間は谷間へ」、「罪とは落ちること」、「愛はひき裂かれる」、「はしばみが落ちる」、「空がひらいている」からなる「3」の部分全体を通読されたもののようです(『現代詩文庫 高橋睦郎詩集』調べ(^_^;)) 桐田真輔
このあと休憩をはさんで、渋谷毅オーケストラの快感ジャズ演奏があったはずだけど、早いお帰りの須永さんと別れて、わたしたち7人(桐田真輔・国峰照子・河津聖恵・法橋太郎・森原智子・関・長尾高弘)は、ピットイン近くの桐田さんの古いなじみのバーでたっぷりおしゃべり。雨がどしゃ降りに変わっていたけれど、みなさんご無事でお帰りでしょうか。
須永紀子さん、
四釜裕子さん、
桐田真輔さん、
河津聖恵さん、
小池昌代さんがコンサートの感想を書いてくださいました。ありがとうございました。
「アメリカ現代詩101人集」出版記念・詩とジャズのコンサートのお知らせ
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日時 6月29日(火)7:00P.M.開場 7:30開演
会場 東京新宿ピットイン tel.03-3354-2024・5
会費 3000円(1ドリンク付き)
出演
高橋睦郎・平田俊子・小池昌代・沢崎順之助・森邦夫・江田孝臣・D・W・ライト
渋谷毅オーケストラ
同人誌guiのメンバーD・W・ライトさんが精魂込めて編集した「アメリカ現代詩101人集」が出版されました。それを記念して、アメリカ詩の朗読や、日本の現代詩人たちの朗読会が開かれます。小池昌代さんは新詩集「もっとも官能的な部屋」が書肆山田から出版されたばかり。(2500円+税 御注文は
書肆山田へ)渋谷毅オーケストラのジャズもたっぷり。ぜひおいでください。
「アメリカ現代詩101人集」1999年6月20日思潮社刊。ご注文は書店か思潮社へ(TEL.03-3267-8153 FAX.8142) 4200円+税
20世紀アメリカ詩の集大成 ビート・ジェネレーション、ニューヨーク派から言語派、エスニックの詩人まで、モダニズム以降の多士済々たるアメリカ詩のすべてを凝集。観念を廃し事物そのものを創造する口語フリーヴァースの奔流207編を収める決定的アンソロジー!(帯文より)
猟犬とウサギに関する小さな詩 Small Poem About the Hounds and the Hares
狩猟のあと酒宴がある
宴が終わりに近づき、舞踏も静まり、
若者たちがどこかへこっそり消えたあと、
ウサギの血に酔った猟犬たちが語りはじめる――
ウサギの毛皮がどんなに柔らかだったか、
ウサギの跳躍がどんなに優雅だったか、
怯えたやさしい眼がどんなに愛らしかったか。
(リーゼル・ミュラー Lisel Mueller)
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