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vol.12

今、わたしはなにかを忘れてゆく(河津聖恵)駅はカテドラル(河津聖恵)
執筆者紹介

 河津聖恵の詩 1 



羽毛のような雪のような雨が

  
今日、鳥に出会わなかった
鳴き声も、飛ぶ姿も、地面でなにかをついばむ姿も
どうしたのだろう  
鳥は今日、世界にいたのだろうか
この雨だからね、と鳩のくぐもるような声で
わたしのなかのあなたが応える。
鳥たちはどこかで雨をよけて、嘴を背中にさむそうにつっこんだり
くらがりのなかでからだをふくらませたりしているんだろう
それはどんなくらがりなの
この世界には雨をよけるためにどんなあやういはしっこがあるの
  
  
わたしのなかのあなたとわたしが
鳥のあたたかな胸のようにすりあわせている心のなかのひくい声
ここにいないひととつくったくらがりが
耳と喉の奥にひろがってゆくようにと目を閉じる。
イメージが終わったのか
かなたから不定のふかさがはじまるのか
紅茶のカップの金縁のかがやきとルビーの水面におちる電灯の丸い輪の反映が
一秒に千も万もくりかえされる
鳥の黒い目のようなくらがりが。
昨日、夢にみたのだった。
輪郭はさだかでなく
いきもののいきづく体表だけがほの白く浮かんでいた。
あなただとわかった。
唾液や体液のあらわれるところにすでに洞をみつけ
なにものでもないもののうずくまりかたで羽毛をちらしていた。
  
  
なにが終わったのかわからなくなるほんとうの終わり
日々に奇妙な重みがかかってゆく。
たとえば喉と耳、その奥からつながる無数の電線と庇あたり
ことばになる寸前の吐息のように、羽毛のような雪のような雨が
紗となってかかっているのだ。
水粒子がかかりはじめるはしは
思い出されも忘れられもしない世界の破線の前線
そしてまたくらがりが生まれ
くらがりによばれ鳥たちはからだをふくらませる。
その汚れた翼
閉ざされない黒い目とそこにうつしだされるおおいなる空白
窓ぎわのデコラティヴのように放心して
なにをかんがえているのか
   
  
この雨だからね、と鳩のくぐもる声で応えるわたしのなかのあなた
鳥たちもみなそんなつぶやきに近い沈黙にみたされているだろう。
いまかれらはひとよりも黒い目をしているから
ひとよりも白い空をみているから
梅雨前線が北上する。
わたしたちの鳥をめざして
無数の電線と庇にこがれて
雲はすこしずつパールグレーの水粒子をはなってはつながってゆく。
早廻しでみれば水蒸気の移動こそ惨劇
わたしたちの夢の、そのまた夢のなかで
     (「pfui!」16号 1999.7.20)

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今、わたしはなにかを忘れてゆく

  
なにを考えていたのだろう
今、わたしはなにかを忘れてゆく。
そして忘れてゆくことも、忘れてゆくだろう。
5月27日午後4時55分32秒
記憶がかすかに藻のようにうごき、だが色づかないままに沈む。
曇り空には羽毛のように白くこまかなものがただよっている。
いま、鳥たちが電線から旅だったのか
わたしは鳥のむれをみていただろうか
それはどんな色をして、飛び立つことでどんなふうに空をかえたか
光をなくしたガラスに樹木の影がすでにほどかれているのがわかる。
曇り空 電線 トランス 繁り葉
それらにふれたこともないことに気づく。
けれどふれたこともないそうした端から天気はかわっている。
光のニュアンスがかわってくる。
そしてわたしはなにかを忘れたことに気づく。
忘れたことも忘れてゆくことに
  
これはほんとうに鳥の羽毛だろうか
飛ぶことにかかわったなにかであるにちがいないが
手にとろうとすれば、風圧でふいと逸れてしまう。
ひとつひとつに思いがけない意志があるのか
わたしはいくどもそれをくりかえす。
忘れたことも忘れてゆきながら、そしてそのことに気づきながら
みえないひとの襟をなおすように指をのべている。
わたしはなにを考えていたのだろう。
鳥について? 
光と影について?
なぜ意味もなく時計をみてしまったかについて?
とらえられないとても未完成な
けれど決定的にわたしのものでありだからこそやわらかでくずれやすいものがある。
鳩のくぐもるような声で、かんがえていたことが
  
  
(I feel so good, It's automatic)
コンビニの隙間から歌姫はそううたいつづけている。
藻のように揺れるサビの部分だけをみなしっているだろう。
なにもかもオートマチックである、と歌姫はいっているのか
きこえてくるたびに、なにかを忘れてゆくようだ。
そして忘れてゆくことも、忘れてゆくようだ。
信号の青はあおよりもあおく
くちなしの白はしろよりもしろく
不動の世界はそのままオートマチックに色と質感をふかめてゆき
鳥の声はきこえない。
デモ言葉ヲ失ッタ瞬間ガ一番幸セ、
ついいっしょにくちずさんでしまう黒髪黄肌のセイレーン
飛び去ったものはあの歌声のなかに消えたのかもしれない
  
  
羽毛はほの光り、空気はくらくなる。
空はなにかがどこかへいってしまったパールグレーの画面
そこにうっすらと忘却の軌跡があり
飛び去ったものの匂いがのこっている。
数分前の胸のやわらかさと鼓動のはやさ
思い出しもしないのに忘れることのないものの消滅がまた曇り空をのこし
電線とトランスと繁り葉を濃くしている。
忘れてゆくことも忘れてゆくことの果て、を想う。


宇多田ヒカル「Automatic」より引用  (紙版「rain tree」no.12 1999.7.25掲載)
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駅はカテドラル─光と夜のあいだで

  
駅はカテドラル。見上げると、高い穹隆状の天井は意味のわからない恩寵のよ
うにアナウンスのこだまを返してくる。十分遅れ、とかろうじてききとれた末
尾も、ここまでおりてくるうちに、十個のセイウンという響きにゆるんでしま
うのだ。遅れと星雲はこの国でとても発音が似ているから。星雲、星雲とこだ
ましつづけ、やがて本当に意味はわからなくなる。列車はくるだろうか。居並
んでいる数十本のホームにときおり白いためいきをはいている機関車は、いつ
出発するのか。問いかけるようにわたしはまた、見上げてしまう。丸天井の中
心はまったき夜。十年前も、今も、闇のまま。わたしは背もたれのない鉄製の
ベンチに座っている。十年前も今も「ここ」としかいえないつめたさとかたさ
に座り、頬杖をつき見上げている。丸天井の中心にわだかまる闇は降りるにつ
れて少しずつ薄らぎ、アナウンスのくるったこだまが消えかけるところで、よ
うやく煌めきをおびはじめる埃。飛び交う鳩の翼。そこに射しこむのは、ホー
ムから三階ほどの高さにある回廊にある大きな横長の薔薇窓からの光。窓には
格子があり、そこに駅の名なのかなにかの商標か、アルファベットの書かれた
大きなプレートがかけられている。だが逆光で夢のなかの大切な文字のように
読みとれない。回廊に行けば読めるのだが、それは十年前もいまも端が閉ざさ
れていてここからは行けないままだ。ひとびとは一体どのようにして辿り着く
のか。そしてなぜそこをせわしげに行き交っているのか。薔薇窓から射すとい
うよりはきだされる白い光のなかでちらちらと光っているあの小さな姿。ブロ
ンドも、帽子も、スカートも、ステッキも、抱えられた花束も乳母車の幌も、
ただちらちらとわたしを誘うようにうごめいている。あの光に照らされたい、
と思う。まるで蟻のようにためらいもなく行き交うひとびとの一人になって。
あのひとたちのそれぞれにはきっと、二十年前のわたしが絵皿に描いた影絵の
蔓草のからんだ門が、あのふかいふかい門があるだろう。そして門をひらけば
空気の奥から子供の頃のくちなしがいっせいに匂うだろう。わたしもそのひと
りに。いいえあの光に照らされたひとびとはすでにひとではなく、アナウンス
のたえずこだまする、そしてそのたびごとに丸天井の闇の高くなるこの駅カテ
ドラルの一部なのだ。わたしは駅カテドラルには属しえない堕天使だから。
  
  
駅はカテドラル。十年前もそう思っていたことを思い出す。わたしは祈りにき
たのかもしれない。ここを通過するでも、ここから出発するでも、ここに到着
するでもなく、祈るために駅にやってきた。十年前も見上げながらそう思って
いた。たぶんおなじ言葉で。きっとおなじ心のなかの低い声で。肱を腿につけ
頬杖をつき指をいつのまにか組んで、夜の中心を見上げていると、またわたし
のなかから十年前のわたしがよみがえってくる。ふしぎな火花を浴びたように、
またからだのよるべない輪郭を思い出してゆく。いつまでもわたしは堕天使。
乾いたこの国の空気のなかでばさばさに乾いた黒髪。みにくい黄色い手足。左
右不対称に歪んだ噛み合わせの悪い顔。小さな乳房。そのあいだの鼓動は不規
則だ。なににおびえてか、息をすうたびにはやくなり、はき出すたびに遅くな
る。なんという未完成ないきものなのか。どこかにあるカテドラルの入口から、
礼拝席にあたるホームへやってきてはわきを通り過ぎるこの国のひとびとは、
なんと完成されたいきものだろう。いいえそのように思えることが、異国とい
うことだ。青い目という目は前方をねめつけ、ここからみえない唯一の出口を
みているらしい。話しかけたくて見つめるわたしの目は、そのたびに了解不能
のアーモンドの形になってゆく。あやしいものじゃないんです。祈りにきたん
です。わたしにはここがカテドラルなんです。そう告げたくても、声に出せば
大きな虫の鳴き声になってしまう気がする。声を出せばあの夜のただなかから、
雷のようなこだまがわたしをほろぼしにくるかもしれない。けれどほろぼされ
るのはわたしだけではない。駅はカテドラル。それはわたしにとってだけでは
ない。この国に、あるいは駅の外の真空のような光の領域に入れない者すべて
にとって、ここは神聖でおごそかすぎるカテドラル。売店のホットドッグをみ
つめている、広告塔の陰の褐色の肌の子どもたち。ときおりどこからかあらわ
れホームでタンバリンを鳴らして踊る、年老いたジプシー。でも、でもと呟き
ながら酒瓶を片手に歩き回る緑の髪の男。かれらはふいにうごきまわり、ふい
に立ち止まり、席があけばベンチに座り、あるいは地べたで、気がつけばアナ
ウンスのこだまの返ってくる丸天井の夜を見上げている。空腹の堕天使たち。
ついに自分が幸福の国へ呼ばれたのではないかと、預言の大きなくらがりが降
りてきたのではないかと、そのたびに目を閉じ指を組んで顔を上げるのだ。
  
  
十分遅れ、それは十年遅れ、ではなかったか。もう今では十個の星雲、十個の
星雲としかきこえないけれど、十年前からわたしはここにいてこない列車を待
っているのではないか。しだいに高くなる丸天井の、しだいに深まる闇のなか
にたましいをすわれながら、肱を腿につけ頬杖をつく堕天使として。通り過ぎ
るひとびとの目には祈るすがたにはうつらなくても、いいえ指を組むすがた自
体うつらなくても、「ここ」としかいえないつめたくかたいベンチに座り、わ
たしはまたホームの底からアナウンスが星くずのようにすわれてゆく夜を見上
げている。
  


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