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vol.12
<詩>駅はカテドラル(光と夜のあいだで)(河津聖恵)           執筆者紹介

 河津聖恵の詩 2 

tubu秒までつげるひとの夢のような声が帰都夏の終わり1夏の終わり8夏の終わり9ゾーン

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Front(光と夜のあいだで)



  
光が消えてゆく。昼はもの陰にさえ回り込み、壁やガラスに薄く貼りついてい
た光が消えてゆく。石壁。木札。柱。くず箱。まるで名詞という名詞から形容
詞が消えてゆくように、ものはその本来の眠たげな色と質感をあらわに、ただ
白っぽく夜へと首をさしだしてゆく。〈みる〉ことだけが、なんの感情もなく
のこされてゆく。裸体のように、みよ。世界というそらみみはささやく。みよ。
みつづけよ。だがものはみずからを指示する指をなくし、ほどけだす。樹木。
鐘塔。雲。舗道。盲目の凹凸。雨がふったか、たまり水の鈍色はひとつひとつ
光の不在を映しだす。市場のキャベツの葉脈や、果実の傷や、ベンチにひるが
える黄色い新聞紙の黒いアルファベットのOが、わたしの水晶体に水滴のよう
についてはおおきくなり、またちいさくなる。一日はまた、わたしに細部をふ
きつけて、消えてしまおうとするらしい。
  
  
太陽はどのように沈んでいったか。ここでだれもかたれはしない。あれはふい
に消滅したのか。夢の核のようにとろける舌で、だれもなにもかたれはしない。
しゅーしゅーとフィラメントの緯線の切れかけるおと。往かなくてはならない
のだろうか。次の駅に、どこか光の方角からくろぐろと頽落してあらわれたコ
ンクリートに、到着する。わたしではなく、わたしの〈みる〉ことが到着する。
光はとおのき、色と質感があふれだしてくる。
  
  
〈みる〉というのは、行為ではなく現象なのだ。わたしにとってもっとも本質
的な気象なのだ。わたしはあわあわしい裸体。夜へむかう雲。または灰の欲望。
なにものこしたくなどない。くずれてみよう。もっとくずれてみよう。雲は灰
色から葡萄色にふかまり、なにものでもあるたましいの、ツノがつんつん稲妻
する。捨ておいてほしい、といつも願ってきたことを思い出す。棘皮のいきも
のであったことを思い出す。口いっぱいの沈黙にたえ、海鼠のように日という
日をやりすごしてきた。土星のような難題を濃くして、海鼠だけがしっている
答えを濃くして。その裂けた口がいま、わたしの気道とともに唱和する。〈光
ハ夜ニフレウルカ〉〈夜ハ光ニフレウルカ〉ちいさな痛みとなって繰り返され
る言葉は、どこの国のものでもなく、あるいはどこの国のものでもあり、海鼠
の吐き出す泡となって浮上してゆく。翻訳不能。計測不能。応答不能。ひとと
いうものの奥底で海鼠はちいさな問いの泡でわたしたちをくるしめる。からだ
のなかでたましいがおおきくなるとき。からだのようにおおきくなるとき。
  
  
光はない、だが夜ではない車窓のガラスに、浮かび上がる不透明で曖昧な輪染
み。まるでそこここで萎んだ太陽のような、ひとびとの息の痕跡。顔をガラス
に近づけいつも静かな光を帯びた目で外を眺めている、ガラスの反射に表情を
遮られたため過去のように遠いひとびとの、あるいは〈だれも〉といういきも
のの、〈みる〉ことの痕跡。駅名。旧某。蔦の茂み。廃車のヘッドライト。 
猫。どこの言葉ともつかない名詞を眺めるようにして、ひとびとはこれらのも
のにひととき陶酔し、やがて夜に、沈黙の国に、いやもしかしたら光の国には
こばれていったのだろう。のこされているのは色と質感もあらわに、それぞれ
の封印をひらいてしまったものたち。ひらかれてしまった名であるものたち。
光を失った白い空気のなかで、みずから発光するようにあかあかと点在するヒ
ナゲシたちは、なにものかの噛み痕なのか。車体のしいしいアルミくさい摩擦
音がわずかに低まると、一面麦畑がひろがりだした。背を仄かにひからせてう
ねる穂波。すでに光をはなたず粘くまとわりつかせる澱のような緑。いつまで
もつづく、だれのためのドキュメンタリーなのか。ここはどこで、わたしはだ
れなのか。小麦が実るのはいつだったろうか。
  
  
夏、と反芻する。ガラスに雨滴が付着しそのままながれるように、また夏、と
反芻する。ここはどこなのだろう。光はない、だが夜ではない、時にさえ名の
つかない白い空気にみたされた土地。胸をつかれる空虚に、おおきくなってゆ
くわたしの息、わたしの視野。
          (1999.4.14「アルケ カムイ ネ」5号)


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秒までつげるひとの夢のような声が

  
日が、止まる。
あるいは空き瓶の湾曲部にひろがってゆくふしぎな反映のように
日は、ほどけてゆく。
ふたたび出会えるものはなく あるいは
裏で、細部で、すべてが少しずつ
同じようになつかしいものとして
ひそかな端でまざりあいはじめている。
(間隔、疎隔、に浸透する 失敗した古いモノクロ写真の、霧)
  
なににもまとわりつかない この一月の光
空から降りる雪片もひとつひとつ灰になる 光
それは、記憶のなかにしずかにふくまれてゆくかすかな眠りだ。
(だれの眠りなのか)
私のなかの そのなかの なかのゼリー状の
なにともいいえないものはふるえている。
この
雪が雪でしかない、
空が空でしかない、
かけがえのない停止の一瞬一瞬
いつか、思い出すことができるだろうか
樹木と空、地上の鳥のような私、私の意識の水面の鈍色
ふたたびゼリーのようにうちふるえ
やがてそのなかに火のようなものさえ、点じて
  
電線は
空の、なににもみられていない深さに沈められている。
ふいにすべてを忘れ、
ふいに日付を思い出してゆく。
この冷気と私をつなぐふたしかな記号、あるいは
私のものでも世界のものでもない「流れ」に映り込む、うすい数字の影
(それは、傷)
(けれどだれの痛みなのか)
みあげる肌も
空からひとつひとつ灰になって降りる雪片も
世界の終わりのそのときのように(いつもそのときのように)
同時なものとして
白い光に日付けられる。
けれど、光は私たちをみはしない。
(光に、視線はない)
コンビニのガラスにしずしずと蓮根のように沈んでゆく
無力な手のようなもの、とおざかる車の音のようなもの
もはやうごかしうるものはない、この静寂のとき
ケータイが、存在する各所で鳴りはじめる。
さまざまな人の声で、この日付がかたられはじめる。
(それだけが、かたりうるものだったか)
雪が雪でしかない、
空が空でしかない、
かけがえのない一瞬一瞬
とめどなく日付を語るその、この雪のような孤独
秒までつげるひとの夢のような声 が
ゼリーに こまやかな気泡のように、
          (「pfui!」14号・1999.2.28)


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Front(光と夜のあいだで)






帰都

  
首都に近づいていることを
私はいつも「光」によってしらされる。
誰によってもみられていない そのことによって
別な時空に浸されているように思える あの
マンションの共用通路の蛍光灯
道という道につらなる水銀灯
高架を高速で通過するガラスの中の私は
「みる者」ではなく
むしろ「光」によって「みられる者」。
だから、「光」はますます増えてゆく。
ひとかげがちらちらうごくビルの大窓
ふいにあらわれた国道にとどこおる赤い尾灯群
(そういえば、そろそろ首都のひとびとも
それぞれの生まれた場所へ還ってゆく頃だ)
「光」があらわれるたび地上では「闇」が濃くなる。
マグリットの絵のように下方だけの夜
空はまだうすはないろ
太陽はなく、けれど星の光はしらないとおい色だ。
  
  
幾億もの夢みる脳細胞の比喩のようなこれらの「光」
のなかで
いま本当に夢みている者が、いるだろう。
これらのなかのひとつの小さな「光」のなかで
鎮痛剤の苦い拡がりによって
すべての痛みから解かれ
赤子のようにふたしかな夢をみている者が、いるだろう。
休暇のたび首都に近づき
夢のような「光」にみられる そのたびに
これこそは今このときの「かれ」の夢ではないかと思う。
あるいはそう思うことで癒されてゆく。
(私も高速な「光」として夢みられていれば、よい)
やがて、都心が荘厳な記憶のようにあらわれる。
誰のものでもない不思議な文字と記号が
まるで永遠のように点滅している。
このすべての「光」を夢みている者のもとへ、私は


               (「読売新聞」1999年1月19日夕刊)


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秒までつげるひとの夢のような声が





  詩集『夏の終わり』 ふらんす堂刊(1998.8.20)より  

御注文はふらんす堂へWelcome to FURANSU-DO




夏の終わり1

  
駅名。
どんな夢のいいまちがいなのだろう。
もとめるほど水めいて読みとれなくなる名前
(でも、すべての言葉はつねにそうだったではないか)
(もとめるほど意味は水になり)
(疲れた広ごりにつながり)
  
もはやいない者を噛もうと
顎をひらく汽笛
(pfui、pfui、)
長い鎖骨の列車で私だけの国境に近づいてゆく。
きっと瘢痕のような涯
奇妙に明るい土が永遠に掘り返された場所へ。
そして軌道にそって茴香が揺れる。
もうそこしかない、と白い光に定められ
歴史のようにいつまでも無彩に。
車輪、という誰のものでもない欲望
その純粋な高なりをききとどけて
遠く麦の穂はさかだつ。
  
木札のうえでみずからを消し去りがてに
また駅の名はいいまちがい
器官や粒子、あの忘れられた価値さえ呼び起こされる。
旧某。
木札。
錆。腐食。物質。
ざらざらと浮き上がる光、光なのか木肌なのかわからない光
水滴はよじれ、まるで駅の名のただなかからこぼれるように。
こんなふうに傷を負わせた言葉があった。
それは傷を負わせたことによりもはや言葉ではなく
駅名のように人だった。
肩を押さえている。目を伏せている。みずからに折れこんでいる。
蔦の葉が繁茂し
0だけが見えて、
ここはどこなのか
(あなたは誰だったのか)
  
こんなに肌寒くとも
夏、ということはひどくたしかだ。
無意識の野蛮な冷光が
一瞬夢の中の緑を閃かせ、
夏、というかえがたい私の姿を
(麦の髪と警告灯の目とばらまかれた野薔薇の乳首を)
ブリュンヒルデのように浮かびあげるのだった。
(詩集『夏の終わり』1998.8.20)           


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秒までつげるひとの夢のような声が



夏の終わり8

  
海底、あるいは
ここは瞼の下にみちている水の世界。
長い魚のように、底をすべる列車。
砂には明るい光の斑(ふ)が揺れ
ガラスの外は玉(ぎょく)のようにうつくしい。
車体が水を擾すたび
暗い叢林はつややかな髪をあちこちでほどき
微細な雲母のような芥と
火の粉のような小魚たちを吐き出してゆく。
あるいは水のなかの白い花たちが
ゆっくりと身をくずしてゆく。
それらの花弁は誰にも読まれない頁のように
あらわにめくれ
  
瞼の下深く、眠れない私は置き忘れられていた。
(本当に眠ることなどできない)
(この水が干上がるまで)
ガラス張りの車室に
もはや身体は画然とせず、あたたかな重い湯のようになり
もしかしたら尿意なのかもしれず
赤ん坊のままかもしれず
ガラスには
おびただしい息の輪と小さな指紋、
(こんなところで私の歴史は柔らかく繁吹(しぶ)いていた)
この、あらかじめ無効となっている
夢の水。
上から柔らかな微細な光が
すべての力を解きほぐしながらふってきて
意味も言葉もそのままではいられず
私も私のままでは甘やかに不安で、
  
これは本当に私の瞼の下だろうか
別の地上のいきものの、であるとしても
  
かつての感情も記憶もなく
ふいに「ひと」とならぶ。
細部のない抽象的な存在、だがなまなましい屍とわかる。
誰であったか思い出そうとする端で
とめどもなく忘却していることをしらされる。
振動のまにまに
木偶のように肩と肩がふれ
そのたびに「ふたり」はなつかしい生薑(しょうが)いろにいろづく。
長い間ともに暮らしたものか
夢のなかで抱き合って衰滅したものか
それとも、この世界に自然に生じた存在なのか
(ならば、私の狂気によってできているはず、)
ふいにかれは青磁いろの目をひらく。
そこに映像のないテレヴィジョンの虚無が光る。
からみかける私たちの指は
しきりにとおい放電をはじめる。
海のいきものが純粋な危機をしらせあうように。
  
やがて、この水のなかにも駅がやってくる。
沈降した古代の碑石のようなホーム。
(信じているから)
(夢のなかでは信じることしかできないのだから)
そして花綵(はなづな)でえがかれてくる名前
水泡(みなわ)の真珠がまつわる、華麗な病のような名前
十馬、蜜底、金癩
燃えることもできず
水にゆだねられ
世界の擾乱をまっている言葉たち。
ここも、やがては劇しく消えてゆくのだろう。
そのいっとき言葉と意味は恍惚のなかでかさなり
初めてなにかが叫ばれるだろう。
出湯のようにみちあふれる日、
光のように迸る日、
(詩集『夏の終わり』1998.8.20


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夏の終わり1



夏の終わり9

  
わたしは眠っている。
身体を振動にあずけて眠っているが
ガラスを伝い落ちる水滴を感知する。
雨は夜のガラスの上で吃り
柔らかいかぎざぎをつくり
すべての色をあつめ
一つ一つが美しい曲線の終わり
一つ一つがわたしを渇かせる終わり
それを見ている。
眠っているはずの目が見ている。
夢のなかへ「見ること」はつづいてゆく。
「見ること」がすべてで
(いつだって、すべてで)
夢とうつつのはざまでそれは濃縮し
わたしのなかを玉虫の光が流れ
その光の流れのなかへ駅の名が
葡萄坂
白粉宮
花蜜湖
のような梵字が溶けてゆく。
夢のなかから(夢のなかからさえ)
駅の名がうしなわれてゆく。
乳房がちぢまり、うしなわれるような空虚へ
わたしは呑み込まれてゆく。
  
  
洋琴台
華瓶塚
斑雪峡
駅の名は溶け
光の溶岩になっては
わたしの夢のただなかを流れてゆく。
(ガラスの水滴が
工事現場をよぎり
いっせいに蜜柑いろにひかりだす)
わたしはどこにいるのか
ガラスに頬をつけ、水滴を感知しているのに
網膜は夢の白い闇へひろがってゆく。
「見る」ことが露出し
「在る」ことがほどけて
のようにまた無名の家群の灯に擦過されてゆく。
  
  
駅の名をよぶのだ
駅の名のようによばれるのだ
行方はいまだそのような深みにあり
喉のように暗い。
駅ごとに非常灯のように燃えている文字。
それはわたしを
誘導しようとしている。
わたしの光の流れを
どこかへと、どこへでもと

(詩集『夏の終わり』1998.8.20)


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ゾーン

  
名前を思い出せるだろうか。住所をまだ書けるのか。言葉にせずに(言葉にし
ないうちに)ふいに思う。雨上がりの滴の光。照り返しのぬめりにつきうごか
された。どこからも遠い、月面の切れ端のようなホーム。脳が闇にぼんやり暈
をかける。はずない、てはならない。指で書いて、ゆきづまり、安堵する。
(そうだ、過去は逆光の写真の中に写り込んで終わった。人も事物も葡萄いろ
に腐った)取り囲む空気が厚く、吐く息はわずか。ビューティーサロン銀星、
肉のマスイヤ。赤と青の記号が粘性に浮き立つ夜。夜の文字は瞼をもたない。
眠らない。なにものをも表すことをまぬかれる。あるいは、記号が表すものは、
夜にはみな死んでゆく。コンクリートは蝋引きになる。濃い灰白色の光が無人
駅をつつむ。永遠に、と夢想させる緑のベンチ。その座面に手書きの文字。白
系露西亜人どの。つづけて解読不能の文章。観光ホテルの問題、労働条件の是
正、が、告ぐ、政府、・・・野郎。鏡がある。暗い鏡。映されると、サーサー
雑音がする。受像不良。こんなに遠くまで来てしまった。あるいは禁じられて
いたほど近くに来てしまった。もはやなにも起こらない、閉端状の。
  
  
ガラスの塔にはおおぜいがいた。遠くから見ると、みな同じ動作を繰り返し、
時は経過しないようだった。そこが未来なのか過去なのかわからないまま、私
は働いた。仕事は一瞬一瞬死ぬこと。帳簿の見開きにはひどく雑草が生え、小
石が転がった。物品は記号から逃げ、ますます実体不明、走行中のトラックの
荷は啓示のようにほどけ、大陸製の衣服が野にちらばり、金属を帯び始め、放
電して燃えた。玩具部品、と英語で書かれたものも、港湾倉庫で三十個ぶんの
青い目をひらき、闇に生き始めたことにひどく怯え、叫びだした。おまえのせ
いだ、おまえのせいだ。だが上司さえ私を責めはしない。上司は前頭部がひど
く老いて、まるで神のようだったから。後頭部が赤ん坊のままの彼には、決ま
った時間に出す湯呑みを間違えることのほうが重大だ。首を振り、椅子を一回
転させ、プラスチック製の器を床に叩きつけた。何千年も聞いてきた、その空
虚な音。同僚といえば相変わらず手と顔だけの存在。その分顔が肉体化し、今
日も識別できなかった。日々肉いろに流れてゆく、そのありえない肉体の匂い。
フローラル系、フルーツ系。影の匂い。性別も年齢もわかぬ手の影のうす紫の
匂い。だれか、死者まで混ぜて、社会は不思議な麻酔だった。
  
  
列車が減速し、探照灯が赤く、果てが古い。夜の空虚がいやましてゆく。滴の
光が燃え始める。赤錆びた同じ駅が、無数の種子としてちらばっている。駅の
ためにつくられる町も、生まれる人間も。湿りににじむ灯火も、群がる灯取虫
も。夜の中心は色のない草。古い写真の深度で、コンクリートの亀裂に生えた
常緑草。なにもかも、こんなに惜しみなく死を剥き出しにして、謀るところが
ない。そうだ、過去は逆光の写真に写り込んで終わった。太陽は消えた。一瞬
の太陽の記憶のような名前を思い出す。それは何も語らない。発声器官が収縮
する。住所は誰も読まない詩になった。巧妙なアナグラムとなって、星が撒か
れる。この世に日付だけを透明に彫りつけて、列車のように去っていった奇妙
な死。私に原色の廃棄物のように残された大量の時を思う。ひかる軌道が赤く
反映する。警告灯の長い一鼓動。懐かしい距離のように長いそのひといきの、
横断面。いない。いない、という強烈。水銀灯がのび、灰白色が灰青色になり、
もっといない。釘を打たれ、釘の影を彫って、木肌にざわざわ消えてゆく。駅
という駅の柱が、私を呼ぶ。聞こえない木製の声。ここに永遠にいる私。いな
いものにはなれない私。そのことの意味が、永遠に混線する。混濁する。サー
サー、ひとがたに溢れ、おまえはゾーン、おまえはゾーン。脳の中のその蝋引
きの空気。くるおしい雑音にあふれて生きて、黙って、そこにいろ。夜は白い
ひとがたをのこして、なんの象徴でもない夢の物質、おまえをのこして、さら
に空虚をいやましてゆく。
         (「アルケ カムイ ネ」4号・1997.8.30)


「ゾーン」縦組み横スクロールへ縦組み縦スクロールへ
tubu舟旅/また寄りますね 地球さん(駿河昌樹の詩3)「夏の終わり9」へ夏の終わり8夏の終わり1
rain tree homeもくじ執筆者別もくじ詩人たち最新号もくじ最新号back number vol.1- もくじBackNumberback number12 もくじvol.12ふろくWhat's New閑月忙日rain tree から世界へリンク関富士子の詩集・エッセイなど詩集など