rain tree homeもくじ執筆者別もくじ詩人たち最新号もくじ最新号back number vol.1- もくじBackNumberback number13 もくじvol.13ふろくWhat's New閑月忙日rain tree から世界へリンク関富士子の詩集・エッセイなど詩集など
<詩>小花模様のサンドレス(関富士子)へ
vol.13

行末が揃わないときは、プロポーショナルフォントを等幅フォント
(ウィンドウズならMS明朝かMSゴチック)にしてご覧ください。
tubu泳ぐ人友だちコルクスクリューサークルとユーカリなど雲と死と(水島英己)へ
執筆者紹介

 水島英己の詩 



セント・オーガスティン

  
八月七日、土曜日
スペイン統治時代の古い家並みと要塞が残っている
セント・オーガスティンへ行った
サンタ・マリアという名の
海に突き出た桟橋の上に建てられたレストランで
マルガリータを飲んだ
  
  
すべてのテーブルが海に面している
ガラス窓の下の桟に細工がしてあって開けることができる
そこを開けて客たちは魚のためのパンを下に見える海に投げる
大きなキャットフィッシュがしぶきをあげて群がる
湾内をめぐる飾り立てた蒸気船
  
  
そこを出て
ライオンの石像がある橋まで歩く
陽光と暑熱のために
石像を直視することができない
観光客を乗せた
何台もの無蓋の小さな車両を連結したバスが通過するのを待って
道をわたる
  
  
あてもなく歩いて
公園らしき所に出た
幹まわりの巨大な樹木
手を広げたように枝が伸び
空中に無数のみどりの葉が飛んでいる
遮られた空の白
しかし不思議なのは
リースのように白い長い髭を幾本ともなく
その樹木が垂らしていることだ
  
  
その樹の下のベンチに
野球帽をかぶった中年の男が座っていた
「なんとこの樹をあなたは呼びますか?」
歯の欠けた彼の口から
シともサともつかぬ(もちろんぼくにとって)
語頭の単語が発せられた
二回ほど彼は発声したが
しまいには頭をふった
「ありがとう」と答えて
その樹を写真に撮ったが
彼は身体をそむけてレンズから逃れた
  
  
インフォメーションでもらった
広告だらけのうすいガイドブック
「この町はアメリカ大陸でヨーロッパ人に占領されたもっとも古い植民地であ
る、それはピルグリムたちがプリマスロックに第一歩をしるすよりも半世紀も
前のことだった。スペインの探検家ペドロ・メネンデスは一五六五年にこの地
に上陸した。…われわれはこの地に最初から居住していたネイティヴ・アメリ
カンの存在を認めたうえで(ヨーロッパ人の)ということを強調する。この岸
辺に住んでいたティムカン・インディアンたちは自分たちの目の前でメネンデ
スが上陸するのを見ることになったのだ。」
  
  
その存在をはるか後世のガイドブックで
わざわざ認められた人たち
ティムカン・インディアンたちは
この地を
なんと呼んでいたのだろうか?
「教会の外にはどのような救済もない」と説いた
ヒッポの聖者アウグスチヌスの名を
ヨーロッパ人、メネンデスが与える
遙か前
咲き誇る花の
土地
白いリースの髭を垂らした
樹木の
土地を
  
  
ずらりと軒をつらねた
アンティークショップ
三十年前フッサに住んでいたの
夫がコマンダーだった
なつかしいわ フッサの駅が
アメリカンスクールに行く娘を送り迎えしたの
エッ、ホントウ、フッサから来た?
胸元もあらわな黒いドレスを着た
年齢不詳(実際は年月に充分恵まれた)の女主人は喋る
フロリダ州はこの期間タックスフリーなの
ねじ式の装飾腕時計を二十五ドルで買わされる
  
  
征服者
探検家
海賊
植民地
駐留
先住民
黄熱病
略奪
殺戮
割譲
回心
  
  
この時計が
古くて新しい時を刻みはじめる
それよりも重要なことはない
ぼくは時と握手する
セント・オーガスティンが顔をそむける
その違和のなかを歩くしかない
純潔や克己心から
常にすでに遠く離れたままでいい
蒸し暑い
白亜の街の
名も知らぬ樹木の白い髭根にも
さわる

「すてむ」15 掲載予定


「セント・オーガスティン」縦組み縦スクロール表示のみへ縦組み縦スクロール表示へ
<詩>小花模様のサンドレス(関富士子)へ



泳ぐ人

  
午後のプールで泳ぐ
天窓を漏れてきた陽が
プールの底のスクリーンでゆるやかなダンスを踊る
光りが青色の水のなかできらめく
強く蹴って
できるだけ体を伸ばして
どこまでも浮いて行く
水が体の隅々をからかって
別れてゆく
言いたいことがあったのに言えなかった
手が水面に出て
乱暴におまえをつかむ
今度は
一つの意志が試される
溺れたくないなら
水を打たなくてはならない
底できらめく光り
遠い物語
「昨日、夕日のなごりなくさし入りて…」
  
  
O先生は三十分ほど旧制高校の思い出話に興じた後、「夕顔」の巻の講読を進めた。
夕日のなごりなくさし入りてはべりしに、文書くとてゐてはべりし人の顔こそいとよ
くはべりしか。もの思へるけはひして、ある人々も忍びてうち泣くさまなどなむ、し
るく見えはべる。
「けはひ」の「け」は煙の「け」、ごはんをたく時にでるもやもやとしたけむり、
「はひ」は「這ひ」。「気色」とは違います。こっちは漢語系統。はっきりしている
の。だから「もの思へる」「けはひ」で、「もの思へる」「けしき」とは言えない。
人がものを思っているかどうかなど第三者が断定できるものではない。「気色」とい
う異文がある?別本系統は決めすぎなの、いいときもあるが、ここは「けはひ」を取
りましょう。
  
  
隣のコースの男は
クロールで休みなく何往復も泳いでいる
水は彼の体に
離れては
近づく
この男が
「ものを思って」いないなんて
だれが言えるのか
「ものを思って」いるなんて
だれが言えるのか
あの天窓から漏れる夕日について
その光りの
ゆらめく棒について
どう思うか
訊いてみたい
  
  
ついでにこれがわかりますか、とO先生は言う。「もの思へる」の「もの」は何か?
これはね、ぼくの考えでいけば、定め、宿命なの。
…思うときはいつもどうしようもないそんなものを思っていたのか、とぼくはあらた
めてびっくりした。あのハイデガーvol.13も絶対に仰天するにちがいない。
  
  
それぞれの「もの思へる」「けはひ」が
この水のような定めに浮いている?
意志あるもののように
おまえに触れてくる水の「けはひ」
「物語」の「もの」も宿命と同じ意味なのだろうか?
「もの思へる」
「夕顔」の花に
白露の光りが
きらめく
ものがたり
  
 
左手を伸ばしたとき
右の方に顔をあげて息を吸う
右手が水の上に出、右耳を通過するとき
水中に深く息を吐く
なごりなくプールの底にさし入る
夕日
ゆらぐ棒
銀鱗を翻して逃げる魚に
深く息を吐く
いつまでも深く息を吐いていたい
  
  
「秋にもなりぬ。人やりならず心づくしに思し乱るることどもありて…」
秋にもなりぬ、というのはそれ一つではないということ、秋という限定をぼかした。
人やりならずは、人が何かをさせたのではなく、自分からということ。心づくしはろ
うそくが燃え尽きるように自分の力を使い果たしてしまう、自分の力が尽きてしまう
こと。悪いけれど、ぼくの力も尽きてしまったので、今日はここまでで勘弁して下さ
い、とO先生は講義を閉めた。
  
  
泳ぐ人は
自分から
溺れることを
心のどこかで
求めているのに違いない

      ("rain tree" no.13 1999.9.25掲載)       


「泳ぐ人」縦組み縦スクロール表示のみへ
<詩>セント・オーガスティンへ



友だち

  
午後5時過ぎ
サティのジムノペディが鳴っている喫茶店で
軽いことが重いと主張するその曲の
深みに浅くとらわれて
ひさしぶりに泣いてみたくなった
ペダルを踏み破る生から
雨にぬれたズボンの裾を気にしている
どの時計も確かな時を刻むのをやめた
「癒されたいの?それとも…」
綿のように音がぼくのまわりを旋回し
「あの輝きのときをともに生きた唯一の友に」
最後の手紙の最後の行でそう呼びかけて
きみは新しい恋に夢中になっている
  
  
友だちは
緑の若葉をくわえて
The truth is Out There真実は彼方に、と
帰って行った
亡霊のように明るく
「きみの内面はないと手紙に書いたけれど自由もない反抗もない
付け加えるべき理由もない」もない
ぼくの貧しい耳に反響を残して
ついに日本語を練習せずにヒューストンに帰った
友よ
  
  
ハイウェイの入り口に隣接した
料亭で
築山から聞こえてくる
ぬるぬるした琴の音
最小の単位に分節され
少しずつ遅れて出される料理という文化
ささやかなことはこんなにも意味にみちている、と
微笑を交わし合う
幾多の別れを前にして
交わされる酒杯の馬鹿
決然として立つ
明日は萎びた葱だ
  
  
キーウエストで
シルバースタインが死んだ
きみがくれた「屋根裏の灯り」
HOW MANY, HOW MUCHという詩があって
その最後は
こんなふうに終わっている
How much love inside a friend ?
Depends how much you give’em.
どれだけきみに与えたのか
きみにもぼくにも妻がいたから
ぼくらは性交までにはいかなかった
ハウマッチラヴインサイド 友よ
もどかしくもどく二人だけの闇がどこまでも
ひろがっていて
キーウエストの光り
貝殻たちの饗宴を夢見て
  
  
しかし
こころの歌にも飽きた
「世界は?」と
言わなければならないとしたら
知り合ってから二十年来突っ立ったままの川沿いの欅の
しめった肌に耳を近づけ
あるいは憂鬱に寝そべる猫に
光りと音
殺戮と愛についての
かれらの意見をしずかに語らせよう
垣根のネズミ、垣根の蔓草の生死
(ヘッジファンドの馬鹿)
  
  
レストランで母が父との別れ話を子供だったぼくらにひそひそとささやいたとき、大
声で喋っている狂った女がいて、ぼくらやすべての人の視線が迷惑そうにその女に向
けられたが、母はそれを制した。とても苦しそうな表情で、あの人は狂ってなんかい
ない、狂っているのは私だ、と言った。食事を済ませた。その女の席の側を通ってレ
ジに行かなければならない。急に静かな声で、その女が母に言った。「ビー、あなた
の苦しみはよくわかる。」生まれて初めて会ったにもかかわらず、その女は母の名前
と母の苦しみを知っていた。
  
  
最後にルバイヤットの一節を、
「友ら去りにしこの部屋に、今夏花の
新よそほひや、楽しみてさざめく我ら、
われらとて土の臥所の下びにしづみ
おのが身を臥所とすらめ、誰がために」
そしてこう思う
われらは夏花であって
「生きている亡父」ではないと
友よ

       「GENIUS」3掲載予定        


「友だち」縦組み縦スクロール表示のみへ縦組み縦スクロール表示へ
<詩>泳ぐ人(水島英己)へ



コルクスクリュー

  
ショーンと
午後の十分間ぐらい話した
そんな十分間ぐらいの男は日本人にもいる
せいぜい十八秒で耐えられなくなる
金もたまったし、もう掛け持ちはやめてここだけ
株式欄が好きで
ミュウチャルファウンドがどうのこうのって
尋ねられたことがあったが
そんなもの知るはずがない
―いやぼくは一度も行ったことはない
 夏のテキサスなんて考えただけでうんざりする
―きみは日本で必死に稼いでいたわけだ
 英語好きのサラリーマンを鴨にして
―カナダに帰っていましたよ。日本語のほうもだからサッパリ
 ところでテキサスだけ?
―ニューヨークにも行ったよ
―ぼくは典型的なニューヨーク恐怖症で行ったことはありません
―きみはカナダ人だろう。カナダ人が怖がってどうするんだ
―国籍には関係ないでしょう
―カナダ人にはアメリカがわからないんだろう
―日本人にはわかるのですか
        *
テキサスをメキシコ湾に向かって南下してゆく
コーパスクリスティという港街がある
キリストの身体という意味だ
海で溺れると優しく手招きしているのが見える
そこから車で二、三時間も飛ばす、本当に飛ぶんだ
一面のコットン畑におまえはのみこまれて
やがてリビエラ!という名の
荒れ果てたビーチに到着する
リビエラ・テキサス
釣り客のための生餌や飲み物を売っている一軒の小さな店がある
クリオという名のおばあさんが
プリーチャーという名の老犬と暮らしている
居間を兼ねた食堂の壁面に
びっしりと隙間なく家族の写真が貼ってあった
亡くなった夫
嫁いで別れてまた嫁いで今はエルドラドで幸せに暮らしている娘
三人の息子たち、どこかのロースクールを出て弁護士になった優秀な孫
風が強くて
すべての樹木は陸側に折れ曲がっている
クリオの腰も曲がり
リューマチを病んでいるせいか足はこぶだらけだ
プリーチャーvol.13も引き逃げされて曲がった足を引きずっている
牧師という名の大きな白い犬
一人と一匹が黙って
暗いメキシコ湾を眺めている
いまにも壊れそうな背の低い桟橋が沖合いで海流に洗われている
曲った腰
砕かれた足
とてつもなく広大で空虚なものが
一人と一匹を呑みこんでいる
―人間の心の欲求はコルクの栓抜きのように曲がっている
 生まれてこないのが一番いいこと
イギリスからアメリカに移った皺だらけの顔をした詩人の一節が
ねじれた心に点滅する
旅人のかたわらにも従順に脈打つプリーチャーの背中
ライムの実をクリオが腰を伸ばしてもいでくれる
おまえが思っている悲劇的なんて
この果実のすっぱさ以上でも以下でもないのだ
コルクの栓抜きのように湾曲した心で
立ち向かっている
砕かれた足で立っている
陽がながい時をかけて静かに沈み始める
暗い海が燃え上がるのをいつまでも見ていた
        **
―テキサス人ってもっと陽気だと思っていました
―さっぱりわからなかったが
 陽気にしゃべっていたさ
あなたの感情が全体をみょうにゆがめているんだ
そう感じたのだから仕方がないじゃないか
そこで十分間が経過し
会話をやめて立ち上がったとき
このカナダ人の白い顔がプリーチャーのそれと重なり
彼もどこかを砕かれているのだとわかった
***
クリオの手紙
「孫のような日本の友人へ
老齢のため私もプリーチャーvol.13も耳が遠いのはあなたも知っていましたね。
あの古いピックアップで息子のところへ出かけようとしてエンジンをかけました。
かすかなエンジン音。アクセルを踏みこむと同時に、にぶい衝撃を感じました。
いつも注意していたのに、今日に限って車の下を見なかったのです。気持ち良く
寝そべっているプリーチャーを私が轢き殺したのです…」
手紙の文字が
ゆがんでいる

    (「すてむ」12号より)       


「コルクスクリュー」縦組み縦スクロール表示のみへ
<詩>友だち(水島英己)へ



サークルやユーカリなど

  
サークルやユーカリの木の奇蹟に付いて
書いてみたい
それから
大きなワゴン車の前を横切っていった
かわいい子供のことも
書いてみたい
戦争を生き延びて
奥多摩の玉川屋で
みそ田楽を肴に
酒を酌み交わしている八十近い男たちのことも
  
  
「六人の宇宙飛行士の英雄たちと一人のアメリカの伝説」を乗せた船
伝説と呼ばれた老人はインタビューに答えて
一度目の宇宙飛行のときの言葉を繰り返す
「陳腐な言い草だが、ゼロGそして気分は良好です」
「この窓から見える地球の輝き。神の存在を否定することはできません」
  
  
ビーは言う
悪魔として人は生まれ
努力して神に接近するのだ
「テキサスの牧場でカウガールのような生活をしていたとき‥」
ぼくには彼女の発音がとらえられない
カウガールがカーゴに聞こえ
草原の露を踏んでしぼりたての牛乳を運ぶ少女の姿を思う
「朝、大きなサークルがいくつも牧場に出来ていた」
弟のケニースを起こしてそこに行くともうなかったの
次は高校生のとき
入院している母の看病をしていたとき
深夜、病院の窓から見えるユーカリの樹の枝々が
クリスマスツリーのように輝いていた、いやツリーそのものだった
「息をのんでじっと見ていたわ」
  
  
ぼくたちの乗った車の前に大きなワゴン車が走っていた
信号で止まった
その前をとても小さな男の子が
背筋を伸ばして横切っていくのが見えた
「なんてかわいいんだろう」
ぼくたちのだれもがそう口に出した
それはとても自然だった
  
玉川屋で
天ぷら蕎麦を食べた
ビーとぼくは冷酒も頼んで飲んだ
ビーの息子のトロイとバネッサ夫婦は
彼らの生まれたばかりの娘マドリンの世話をしながら食べた
隣の座席に山帰りの三人の老人たちがいて
ぼくらに強く興味を持ったように時々視線を向ける
関西弁の一人がついにぼくに尋ねた
「お酒よう飲みますね、その外人さん」
ビーは酒豪なのだとぼくは答えた
ヘー、テキサスから孫の顔を見に来たのですか?
それにしても若くて美しい、おばあさんには見えませんね、
そこんとこよう通訳してんか、ハハハ、
アメリカと戦ったんですよ、
こうしてテキサスの女性と話ができるとは‥
ビーは、あなたたちもお若いと答えた
その中の一番年配の男が
アメリカのなんとかという薬を飲んでいるからだと答え、
ビーに知っているかと尋ねた、その薬を飲むと
肌がつやつやするから是非ためせと言う
しまいに
その男たちはぼくらをいれて記念写真をとった
  
  
「ママ、ヒデミにそんな話をそんな速さで話してもわからないよ」
ビーはぼくに向かって奇蹟のことを熱中して話し出した
ユーカリの樹の輝き
サークルの突然の出現
彼女の眼も暗い車内で異様に輝いたが
狂信的な隣のおばさんという感じはしなかった
いやではなかった
ビーの考えを理解したかった
マドリンが泣いた
孫をあやしながらビーが静かに笑った
  
  
ぼくは
意味もなく
ジョン・グレンの話を二連目に書いたが
神を信じたり、その存在を確証したりするのなら
やはり陳腐な言い草だが
悪魔として
「この重力の底でおしひしがれている。それでも気分は良好だ」と
言ってから
歩き出すしかない
その歩みが
奇蹟に出会うことはないにしても

                  「アルケ カムイ ネ」 5号より        


「サークルやユーカリなど」縦組み縦スクロール表示のみへ縦組み縦スクロール表示へ
<詩>コルクスクリュー(水島英己)へ



雲と死と

  
「テロリストは
道端に落ちていた吸い殻を拾っては吸った
彼は終わってしまった人間だ」
  
  
いつ終わってしまったのか?
まだ何も始まってはいないのではないか?
改札口を出た
晴れた冬の空に大きな雲がいくつか浮かんでいる
  
  
「存在しなければならないということは
死ななければならないということだ」と
哲学者は語る
「雲」を「眺めやる」
それ以上でも以下でもなく
かすかな光りに射しこまれて
  
  
見たことのない視線を放つ
乱射したことのない銃を放つ
雲がくずれる
なつかしさと未知の両方のおののきに包まれて
  
  
「始まりに」に密告され
「終わり」から追放される
この高層住宅
きみの高原
冷たく固い銃身のように暮らし続ける
錆びるまで暮らし続ける
  
  
われわれは
みな
きみの人質だ
「終わってしまった人間」の

                  「pfui!」 5号より        


「雲と死と」縦組み縦スクロール表示へ
<詩>サークルとユーカリなど(水島英己)へ
tubu<雨の木の下で>掲示板というものについていろいろ考えた(関富士子)
<詩>生きているときはいつも(関富士子)へ
rain tree homeもくじ執筆者別もくじ詩人たち最新号もくじ最新号back number vol.1- もくじBackNumberback number13 もくじvol.13ふろくWhat's New閑月忙日rain tree から世界へリンク関富士子の詩集・エッセイなど詩集など