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vol.13

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生きているときはいつも

               関 富士子

  
夜更けに男が帰ってきて
どしんばたんしながらベッドに入る
ひどく酔っていて
力いっぱい抱きしめられる
イッショニ死ノウ
イッショニ死ノウヨ
苦しくて声も出せない
気が遠くなる
いつかこうして死ぬのだ
からだをぐったりさせて
息をすっかり吐いて
そのときを待っている
悪のかぎりを尽くして
男に幸福に殺される
そのときを待っていると
男の腕から力が抜けて
もう眠っている
  
潮風の吹くキッチンで
あたりを泡だらけにして
ぬぐってもぬぐっても
夕方には油に汚れている
死はまだやってこないらしい
今夜も生き延びて
つないだ手をそっとほどいて
男の腕から離れていく
ひとりにならなければ
生きられない
眠るまでのどれだけの時間か
胸の中に分け入って
涼しい流れの音がきこえるまで
待たなければならない
そこではたったひとりでいながら
すべての生き物と交わっている
悪のかぎりを尽くして
このうえなく幸福である
  
なぜだかどうしてもわからない
ひとりにならなければ
生きられない
そのことを裏切りと思う
でもずいぶん前から男は知っている
わたしの腿のあいだに指を
差し入れたまま
ひとりで眠っている
手探りでほおに触れると
男の窪んだまぶたには
涙がいっぱいたまっている
なぜこんなに求めながら
どうしようもなくひとりなのだろう
いつかイッショニ死ヌ
男に幸福に殺されるのだ
そうしたらほんとうに
いっしょになれるだろうか
生きているときはいつも
ひとりだったわたしたち
「gui」no.58 nov.1999より
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迷い人

                 関 富士子

  
―迷い人が発生しました
防災カーの拡声器が響く
交差点の騒音でよく聞こえない
―髪は短く……
 白いポロシャツに紺のズボン
 灰色のゴムゾウリをはいています
 お心当たりの方は……
わたしが探している男にちがいない
背中には過酷な労働でできた瘤がある
まばらに生えた白い鬚に
汗の塩がこびりついている
きっと今はそんな様子のはず
―くり返し迷い人のお知らせです
 今日11時50分ごろ
 ミハラ陸橋の下で姿が見えなくなりました
 身長160センチぐらい
 85歳のおじいさんです
 名前は……
  
  
そのとき交差点の赤信号の向こうに
男の姿を見つけた
少しかがんだ肩のあたり
膝の抜けた作業ズボン
黄ばんだシャツ
すり切れたゴムゾウリを引きずって
猛スピードのバイクに掠られた
思わず息をのむが
よろけてようやく立ち止まった
今角を曲がろうとしている
あれはわたしのたいせつな男
女神川の川原で見えなくなってからずっと
流れを泳ぎに泳いで
わたしのあらゆる時間をめぐっていた
  
  
わたしたちは七歳だった
ふるさとの石ころだらけの川原で
かがんで小魚たちを見ていた
水は踝に巻き付いてはほどけた
尻のあたりはびしょぬれだが構わない
いつもしまいには裸になってしまう
あまり熱心に水の中をのぞいているので
わたしはそっとそばの岩の後ろに隠れた
静かな短い時間のあと
男ははっとして立ち上がった
あたりを見回し驚愕の目をみひらいて
その瞳はみるみる涙でうるんだが
わたしは岩の陰から出ていかなかった
後ろに川の音が高まるのを聞きながら
いつまでも見つめていた
時間が洪水のようにわたしたちを押し流した
  
  
防災カーの拡声器がビルの壁にこだまする
―迷い人が発生しました
 ちぢれた赤い髪に赤いスカート
 赤い口紅をつけたおばあさんを探しています
 目は赤くただれています
 左の肩に薄い刺青のあとがあります
男がわたしを探している
今はあの角を曲がったところを歩いている
交差点のこちら側で後ろ姿を見た
わたしのたいせつな男
よろよろしているから遠くには行かない
今度こそ岩陰から出ていかなければ
信号が青になるまでのあいだに
バッグからちびた口紅を取り出す
震える指でくちびるのあたりをなぞって
むき出しの肩の薔薇にも紅をさす
曲がり角は車の流れにさえぎられ
かすんで見えない
うるんだ目をなんどもこすってみる
「rain tree」no.13 1999.9.25 より
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小花模様のサンドレス

             関 富士子

  
蒸し暑いので袖なしの小花模様の
ばあちゃんのサンドレスみたいなのを着たら
肩も腕もすうすうして気持ちがいい
胸の下で紐を結んで白い日傘をさして下駄をかたかた
裏の菜園にきゅうりを採りにいったら
支え棒の陰に白い日傘が動いていて
がざごそしゃがんでいる人がいる
誰かと思ったらばあちゃんが
小花模様のサンドレスのお尻をからげて
おしっこをしていたのだった
わたしはびっくりして背を向けた
  
  
あれはどうもうちのばあちゃんみたい
20年前に死んだけど
よく畑でおしっこをしていたし
汲み取り便所は黒くて深くて臭い穴から
蛆がのたくって出てくるので恐ろしい
でも畑は涼しい風が吹いて土におしっこが
しみていくのがおもしろくて
わたしもよくおしっこをした
ばあちゃんはもう何年も惚けていて
夜中に家を脱け出してよその家の庭の蛇口を開けて
頭から水を浴びてずぶぬれになっていたり
(暑いと言っていた)
山道を越えてすたすた歩いていたり
(かあちゃんに会いたいと言っていた)
国道の真ん中に寝そべっていたり
(死にたいと言っていた)
家じゅうにおしっこのにおいがしみていて
子供を7人も産むとお尻の筋肉がのびてしまうらしい
きっとわたしもあんなふうに惚けるのだ
しまいにはサンドレスの裾もからげず
しゃがみもしないで立ったまま
だらだら垂れるのだ
小花模様が風にひるがえって
ばあちゃんは気持ちよさそうだった
  
  
もういいかなと思って後ろを向いたら
そこには誰もいなくて
夏の夕方の風がさやさや
きゅうりの毛深い葉っぱを揺らしていた
  「イリプス」創刊号 1999.10より
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<詩>セント・オーガスティン(水島英己)<詩>迷い人(関富士子)へ
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