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(ヤリタミサコ)執筆者紹介へ
詩っていろんなことができるんだよ
1999.11.25 ヤリタ ミサコ
−「詩を奏でる」 1999年11月11日(木)世田谷砧区民会館
この夜は、大勢の小学生の紳士・淑女たちが、詩を楽しみに来ていた。「犬と遊ぼう」という詩(香川紘子さん作)を藤富保男さんがゆったりと声に出しはじめ、スライドでお茶目な犬たち(ブランコに乗ったり、眠い犬だったり、丸まっている犬たちだったり・・・)が映し出されると、最前列では、スライド出演の犬くんたちに直接話しかけるやら、手を伸ばして頭をなでようとするやら、で、なかなかにぎやかな騒ぎになっていた。ヴィオラ(小林節子さん)とピアノ(神武夏子さん)も、おしゃべりに加わって、音を鳴らしている。詩のことばたちは、自在に自由に動き回り、犬と子どもたちと一緒に駆け回っているようだった。
次は、スライドに象のババール(イラスト:藤富保男)。ババールがゆりかごに入っているところでは、実際にゆらゆらとスライドが揺れるし(操作:川辺元さん)、バルーンで空高く登っていくシーンでは、スライドの絵が、天井に登って行く。ピアノ(神武夏子さん)は表情豊かな音を響かせ、ババールの喜び・悲しみ・楽しさなどを音で伝えてくれる。ババールの母さん象が死んじゃうところでは、胸がぎゅうっと切なくなるし、デパートへ行ってカッコイイ洋服を着てドライブするところなんて、とっても有頂天になってしまう。
また、このイラストがスゴイ。ババールがお風呂にはいっているところ、とか、数学の勉強をしているところ、とか、食事をしているところ、とかが、人間でも象でもなくて、ババールとして、まったく自然に描かれている。手も足も顔も、ネクタイも車の運転も、すぐそこにいるように、動いているのだ。森から出てきて、人間のおばさんと一緒に生活している場面、いとこのふたりの象たち、コルネリウスの老賢人ぶりや、セレストとの結婚、森の仲間たちの大お祝い会など、人間と象と、想像と現実と、静止と動きと、藤富さんとババールと、境界をなくして飛び跳ねていくイラストなのだ。ディズニー映画よりも雄弁である、と断言できる。もちろん、藤富さんの語りが象さんのテンポにぴったり、ということもあるが、小学生も60代もみな、一緒にババールの仲間になって同じ世界に生活した30分であった。
休憩をはさんで、プーランクの「3つの小品」、神武さんのピアノの演奏。不思議な和音だったり、ノリのイイテンポだったり、マイナーな旋律だったり、短いが複雑な味わいの曲だった。ベートーベンやモーツァルトとは違う、身近な感じの音たちだった。
最後に藤富さんによる詩の話。「むかで。全部の足に靴を履きたい」(山田孝さんの詩)や、「太陽の光が当たると、空気中のほこりが見える。だから、光は汚い」といった、視点を変えることで詩の発見がある、という話だった。「山で湖を見て、美しい」と思うのは普通の連想である。そうではなく、思わぬ連想ができる人が詩人である。ジュール・ルナールは「自分のことを考えないときには、つまり何も考えていない」といった屁理屈を書いたそうだが、これもホンモノノ詩人である。
個人的な感想では、ほんとアキレルが「暑い・寒いの、うれしい悲しいの、当たり前の連想を恥ずかしげもなく、よっく書いたうえに、詩集までつくっちゃうよなあ」と、ナルシスムに浸りきった、自己陶酔のための詩集というのにお目にかかることがある。これは資源の無駄どころか、詩のためには害悪でしかない。皆様、詩と自己陶酔とは、本来はまったく無縁のモノです。ごしごしと消しゴムで消したくなるような詩は、思い切って無視 しましょう。(筆者ヤリタは、ある高齢者の朗読会でそんな詩を聞かされて、逃げられなくて、ゴーモンだったのですっ。怒り心頭・ウラミこつずい!)
最後はヴィジュアル詩の紹介があった。新国誠一の「土」という字が無数に連なっている詩では、一字だけ、「墓」が入っていて、あたかも土の十が十字架のように、土の_が十字架の突き立っている墓の地面のように見えていた。また梶野九陽さんの作品は、タテヨコナナメだけの線で、一見モンドリアンの絵のようだ。が、よ〜く見ると「上下」という字、なのです。吉沢庄次さんの「複眼」という作品も、「目」という字がぐるっと丸く組み合わせられて、なーるほど。エメット・ウィリアムスの「sweet heart」はパズルみたいで、コトバの意味がわからなくたって、なーんとなく、甘い感じはわかる。
詩とは、反逆的で、思わぬ連想を呼ぶものだ、と再確認した次第。詩は、オトでもあるし、イミでもあるし、絵でもあるんだね。小学生もババールも詩を持っているんだ。
モダニズムの風が渦巻いた!!!
1999.11.4 ヤリタ ミサコ
−10月30日(土)ポエトリーリーディングin 小松−
小松駅から町並みを抜けて真っ暗な川を渡り、一体何処に着くのやら、と不安に思うような海沿いに、市民センターがあった。金沢の詩人たちの顔や、東京からの顔見知りも何人か。ステージにはグランドピアノ。新宿PIT INNとは違う姿勢でスタンバイしている。
司会は奥成達さん。いつものように軽妙な語り口。四角い顔の藤富保男さんは、四角いスライドに西脇順三郎を映しながら、モダニズムの話でリーディングに向けて伏線を張っていく。あの有名な「(覆された宝石)」で始まる「天気」を引用して、「何人」を何と発音するか、「誰か」を何と発音するか、と問いかけた。知ってるようで知らない、日本語のオトと西脇詩の関係を、サラッと問題提起。シシリアのパイプの話だって、煙に巻くようにタバコのパイプと角笛のパイプをかけて、やっぱり、音の話になっていく。
ジョン・ソルト・西松布咏
西脇とくれば、次は北園克衛。西松布咏さんとジョン・ソルトさんによる「BLUE」縦組み横スクロール表示
(Click here! 詩テキストがあります。
)。そこに、渋谷毅さんのピアノと石渡明廣さんのギターが噛んでくればカッコいい!!に決まってる。私は何と言っても、小唄の節にのった「ジャコメッティの〜」という音が好きだ。痩せてねじれた禁欲的な金属の塊が、重力や質量から開放されて浮遊するようだ。
それに、ソルトさんのBとLの音がとってもセクシーだ。唇と舌の動きの、BとLである。三味線の糸は、水の音を鳴らし海の音になっていく。
長谷川きよし・吉行和子
さて、後半最初は、お待ちかねの長谷川きよしさん。柔らかい刷毛で撫でられるような声。耳と胸にじんわり浸透してくる。ラテン系のギターの音は、どこからか、秋の寂しさを秘めた空気を運んでくる。中也の「わが喫煙」という詩に長谷川さんが曲を付けた唄は、コミカルな軽さと自分を突き放した孤独が、混じり合っている。吉行和子さんは、サスガ女優の実力であった。長谷川さんの唄とギターとあわせながら、「楽園幻想」という吉行さんが詩を書いた絵本(絵は堀文子さん)からの朗読では、一人称で語る時の眼の光が、ビカリと光る。書かれたコトバの朗読ではない。吉行和子は、コトバたちによって構成された世界に正しく存在していた。10月30日の小松ではない、その作り上げられたどこか他の世界から、私たちに語りかけた。
書かれたコトバたち自身も黙ってはいない。モダニズムの真骨頂、萩原恭次郎「死刑宣告」や清水俊彦「直立猿人」がスライドで映され、そのコトバたちと、渋谷さんと石渡さんのピアノとギターがセッションしていく。ミンガスなんてコトバは、映像になっていても、ジャズメンを渋くスイングさせる。稲垣足穂だって、藤富保男と流星を出会いがしらに衝突させてしまうんだぞ。一千一秒のコトバのカケラが、ピアノとギターの弦を不思議にかき鳴らしていった。
新国誠一のコンクリートポエトリィも、確かに雄弁だ。見ただけでくすぐったくなる「触る」、言語の意味をこえて視覚で認識できる「幻」「辻」。ヴィジュアルな詩ってのは、すごいな、あ〜。←´∞`→ とこんな感じかな。「雨」の、、、、、が、西松さんの三味線に降ってきて、唄とセッションした、と思うと、次はキリギリスになって飛び跳ねた。
再び、吉行さんと長谷川さん。「港町」という唄と語りで、完全に吉行さんは港の女。波止場の匂いが満ちてくる。なんの舞台装置もないステージが、色めく。
ソルトさんのニホンゴとエイゴの詩たち
(Click here! 詩テキストがあります)は、ポップでクールなつむじ風を巻き起こす。(田口哲也さんの訳が、とても風通しがイイ)。アフォリズムのような俳句のような、一筆書きのコトバによるスケッチは、わかるようでわからない、わからないようでわかる、オトと意味の境界を、自在にすり抜けてくるくる回っている。ちょっと目には静かな空気みたいでしょ。風が止まっているようだが、いやいやどうして。本当は台風の目のように、風が渦を巻いているのだよ。聞き手は、日常から引き剥がされ、ソルティなビートに同調していくしかない。意味の重力から開放されて、空中に浮かんでいるような感覚。∽@§√↑↓と。トドメは「僕たちの愛はヤマイダレ〜」。聴衆は、おかしみとかなしみとのあいだに宙吊りにされて、笑うしかなくなった。
最後に、渋谷さんと石渡さんの演奏でコトバたちの風は静められ、日本海の夜空に散らばって行った。。
MODERN.1999 いまよみがえるモダニズムの詩人たち 日時 1999年10月30日(土) 会場 石川県小松市民センター 開場 pm6:00 開演 pm6:30 料金 (全席自由)/前売り 一般 3000円 学生1000円 当日 一般 3500円 学生1500円 出演 POETRY READING 藤富保男(詩人) 吉行和子(女優) JOHN SOLT(詩人) MUSIC 渋谷毅(PIANO) 川端民生(BASS) 長谷川きよし(GUITAR.VOCAL) 西松布咏(三味線) 主催 ポエトリー・リーディングin小松実行委員会 後援 小松市教育委員会 協賛 ANA 問い合わせ先 MUSIC LAB.PROJECT TEL&FAX 0761-47-1765 チケット取り扱い場所 小松大和 ジャスコ新小松店 アルプラザ平和堂小松店、香林坊大和 香林坊109 名鉄丸腰 その他各有名プレイガイド |
「北村太郎の会」感想記 1999.11.4 桐田真輔
10月30日(土)横浜桜木町へ。横浜美術館でセザンヌ展を見て、その足で隣接するランドマークプラザに入り、5階の港の見える喫茶店でコーヒーを飲みサンドイッチを食べて、同じ階の本屋を物色。それからおもむろにランドマークタワー内のセミナールームで行われる「北村太郎の会」の講演会場に向かったのだが、その時点で、持参してきたはずの案内状を紛失していることに気が付いてあせった。いいかげんなので、複数あるうちのどのエレベーターに乗って何階で降りればよいのだったか覚えていないのだ。警備の人に聞くが要領を得ないで、最初NHKのいろんなセミナー(手芸教室など)の入っている階を教えて貰って、迷う。ランドマークタワー内部はどの階も四角い回廊になっていて、企業の入っている人気がない階など、まるでウィザードリーの迷宮みたいだ。たまに出会う警備員がモンスターに見えてくる(最近やりすぎ)。と、前置きが長くなったが、開演30分前に無事3時からの「北村太郎の会」会場にたどりつけた。宮野一世さんに入り口で挨拶。
司会は正津勉さんで、講演がふたつ。ひとつめは瀬尾育生さんの『北村太郎の詩と詩論』。北村太郎には戦後間もない頃に書かれた数編の凝縮度の高い評論文があるが、その後長い間沈黙してしまう。その沈黙の意味を、それらの批評文をテキストに探るという内容。いわゆる「戦時中、詩の空白はあったか」という、詩人の戦争責任論に直接関連する当時の論議に焦点が当てられているのだが、北村氏が外的な(歴史的)時間という捉え方に対して、内面的な持続性ということに重点をおいたところに、ひとつの可能性を見る。ベルグソンの影響ということが言われていたが、確かにこの世代にとってその哲学者の影響は甚大な気がする。北村以外、その種の(持続性を核とするような意味の)批評はないというようなことをおっしゃっていたように思うが、吉本隆明の「固有時」という概念も遠く響きあっているのではないだろうか、とはその場の思いつき。すこし違う文脈で、戦後詩という呼称が、戦争詩という呼称に対比して「無垢」という価値付与をされたうえで使用されはじめたという指摘など新鮮だったが、こういう内容はやはり活字でじっくり読みたい(私がこうして書いているのもかなり聞き書きで不正確なので、どうかそのつもりで)。どういう形でか判らないが、瀬尾さんは、きっとどこかに書かれることと思う。
コーヒーとクッキーつきの休憩をはさんで、ふたつめは清水哲男さんの『北村太郎、その人と詩』という講演。こちらは、若い頃に北村太郎の詩に出会ってその格好のよさに惹かれた、詩の中にでてくる「コートのえりをたてて」というのを読んで自分も高校時代真似をしていた、などというも楽しい出だしから始まった。私も鮎川信夫についてだが、若い頃似たような記憶(葉書をだして喫っている煙草の銘柄を教えてもらったことがあって、それはセブンスターで高校生の私もさっそく真似をした)があるので、思わずにんまりしてしまった。以下、草野球チーム「ポエムズ」に一度だけ北村太郎が真っ赤な朝日新聞社のユニホームで参加した時の思い出など、あれこれ。
清水さん自身は最近俳句のほうに関心がむいていて、現代詩はみんな似たような感じであんまりというようなことをおっしゃっていた。また瀬尾さんも現代詩の批評について、世代論的な枠組みの中に収まってしまう批評の繰り返しの不毛さのようなことをおっしゃっていた。北村太郎の詩業や、彼の戦後間もない頃の批評文に潜在していた可能性を継ぐものへの期待をこめて、という文脈で、と受け取ってよい発言だったと思う。
そのあとで、北村太郎の府立三商時代の友人という方(同級だった田村隆一とは小学校時代からのおなじみという)の学生時代の思い出話、北村太郎の弟さんの松村武雄氏の挨拶があって、講演会は無事閉会した。ランドマークタワーの13階からは見晴らしがよくて、停泊中の練習船日本丸や桜木町の駅、小高い外人墓地などのある丘まで遙かに見渡せる。建物に囲繞されているが港方面もすこし。トビがすーっと気持ちよさそうにとんでいたのが印象的だった。来年もまたあるかもしれないし、あれば同じところでということを正津さんがおっしゃっていたので、機会があれば景色もぜひ。
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