rain tree homeもくじ執筆者別もくじ詩人たち最新号もくじ最新号back number vol.1- もくじBackNumberback number14 もくじvol.14ふろくWhat's New閑月忙日rain tree から世界へリンク関富士子の詩集・エッセイなど詩集など
vol.14

 嵯峨恵子の暗幕日記 1999.12-7

付記 「Hotel」36号(1999年11月1日発行)に「雨奇晴好」と題して7月ほぼ1ヵ月分の日記を掲載。「暗幕日記 7月」と重複する部分がある。「雨奇晴好」では日々の有り様を、「暗幕日記」では映画を楽しんでいただければと思う。


tubu2000年3月へ  1999年11月へ  10月へ  9月へ  8月へ  7月へ
  嵯峨恵子の暗幕日記 1999年12月
『ワイルド・ワイルド・ウエスト』『聖なる嘘つき その名はジェイコブ』『ファイト・クラブ』『ジャンヌ・ダルク』『風が吹くまま』『地雷を踏んだらサヨウナラ』

 十二月某日 錦糸町で急遽電車を下りる。『ワイルド・ワイルド・ウエスト』(B.ソネンフェルド監督)に飛び込みセ−フ。『MIB』の監督と主役が再び組んでのウェスタン。60年代のTVドラマのリメイクだが、味付けは90年代そのもの。主人公の連邦特別捜査も白人から黒人のウィル・スミスに変わっている。

ノリのいいスミスとアイデア・マンの相棒(ケビン・クライン)が悪の天才科学者(ケネス・ブラナ−)に挑む物語。グラマラスな美女、1869年代(?)の科学の粋を集めた発明品にアクションとサ−ビスのてんこ盛り。特にレトロな雰囲気の毒蜘蛛型戦車は必見。楽しんでいる間にテンポよく映画は終わる。娯楽映画の典型。タイトル・ロ−ルも洒落ている。

 有楽町に移動も『地雷を踏んだらサヨウナラ』に間に合わず。やむなく新宿に行く。   『聖なる嘘つき その名はジェイコブ』(P.カソヴィッツ監督)を見る。
この監督はマチュ−・カソヴィッツ(俳優・監督)の父である。マチュ−も脇で出演している。第二次世界大戦終了ま近、たまたま、ナチス司令官室のラジオからソビエト軍接近のニュ−スを聞いたジェイコブはゲット−の仲間から、ラジオを持っていると思われてしまう。ジェイコブのニュ−スは皆に生きる希望を与えるのだが、彼はそのため嘘をついてしまい、身に危険が迫ってくる。

ジェイコブ役のロビン・ウィリアムスが巻き込まれ型の善人を好演。彼が匿う少女は未来への希望であろう。極限下にあってユ−モアを忘れず、いや明日死ぬとわかっても人は冗談をいうものなのだ。最後に少女の目に映る風景を幻とさせない強さがこの映画にはある。「芝居は最後のセリフまで幕は降りない」


 十二月某日 錦糸町へ。ぎりぎりで滑り込み、『ファイト・クラブ』(D.フィンチャ−監督)を見る。
物質文明に浸りきった若者が暴力に癒しを求めた結果は。情報に去勢された男たちの意識が独創的な映像に投影されている。ブラッド・ピット、エドワ−ド・ノ−トン、ヘレナ・ボナム・カ−タ−の三主役たちが凌ぎを削る。幻想と現実の区別がつかなくなった男が最後に守ろうとしたものは、自暴自棄な女への愛だった。ミクロからマクロへと凄いスピ−ドで変化するCGのヒリヒリするようなセンスが今の感覚だろう。問題作に高年齢層はついていけないかもしれないが若い男たちは共感すると思う。しかし、あの種明かしは何か。おもしろいけれど、あそこまでハッキリ映像に映して、それはないでしょ。

 『ジャンヌ・ダルク』(L.ベッソン監督)は何度も映画化された物語をどこまで新解釈するかが腕の見せ所。ベッソンにかかると戦闘シ−ンはやはりスペクタクル。ジャンヌが少女の頃村は戦火に巻き込まれ、姉が刺殺、強姦されたという経験と、神の声を聞き戦場で戦いぬいた体験が彼女の人生感に影を落としている。主役のミラ・ジョヴォヴィッチはこれが代表作になるのでは。脇がいずれもうまくアクの強い役者で固めている。戦闘シ−ン、わずか1メ−トル足らずの位置で甲冑姿でカメラを廻し続けた映像の緊迫感は恐ろしいほど。これが心理対決シ−ンになると弱い。

ベッソンは人間の内面心理を描くのが苦手らしい。王たちに利用され、見放されて売られた少女は聖女か、狂人か。人殺しの罪におののくジャンヌは本当に納得して火刑の台に立ったのだろうか。


 十二月某日 渋谷へ。坂を登って先に『地雷を踏んだらサヨウナラ』の2回目の受付を済ませて、駅を横切り坂を登る。『風が吹くまま』(A.キアロスタミ監督)を見る。客の年齢層高し。老婆の葬儀(風習が特異らしい)を取材にきたTVのディレクタ−は何時まで経っても、老婆が亡くならないため村に足止めされる。内容が内容だけに本当の仕事が言えず、老婆の孫の少年に具合を聞き、老婆の家を窺う主人公がどこか滑稽でもある。

丘の上まで行かないと繋がらない携帯電話の相手、丘で穴を掘る男、TVのクル−達、老婆と皆姿も映らない。折り込まれるイランの詩の数々。少年やカフェの女主人、医師らの穿った言葉を説教臭いと取るか、否か。都会の人間のチマチマした生活の外をゆったりしたおおらかな時間が過ぎていく。

 再び、駅を突っ切り坂を上下して『地雷を踏んだらサヨウナラ』(五十嵐匠監督)を見る。五十嵐監督は『SAWADA』に続き、戦場カメラマンの生涯を描く。主人公一ノ瀬泰造にそっくりな浅野忠信(泰造が亡くなった日に浅野が生まれている)を得て無謀とも思える一直線人生をたどっていく。ポル・ポト支配のアンコ−ル・ワットの撮影に取りつかれたようになった泰造は、国外退去の身を偽って近づく。カンボジアやベトナムの泰造の友人達の運命も、前後して死を迎えた人が多い。浅野忠信のヤンチャな明るい青年ぶりが映画を支えている。荒っぽい編集と感じるところもあるが、目的のためにひた走る主人公の姿に同世代は憧れと共感を感じるのではないか。戦場には人間の欲望を満たしてくれる何かがあるという。泰造を突き動かしたのは本当のところ何だったのだろう。



 12月以降お薦め映画のライン・ナップは以下のとおり。



  『季節の中で』   『橋の上の娘』   『ワンダ−ランド駅で』   『ランダム・ハ−ツ』   『海の上のピアニスト』   『タ−ザン』   『ラスベガスをやっつけろ』   『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』   『シャンドライの恋』   『ANA+OTTO』   『ロルカ 暗殺の丘』   『ノイズ』   『シュリ』   『御法度』   『雨あがる』   『どら平太』

Name:嵯峨恵子
E-mail:さが けいこ (^_^)/''  


                      
  嵯峨恵子の暗幕日記 11月 
『シックス・センス』『梟の城』『母の眠り』『将軍の娘』『黒い家』『アナライズ・ミ−』『シュウシュウの季節』『ヘンリ−・フ−ル』『あつもの』エイミ−』『ゴ−スト・ドッグ』

暗幕日記 十一月 十一月某日 錦糸町へ。『シックス・センス』(M.ナイト・シャラマン監督)を見る。「シックス・センス」とは第六感の事。幽霊が見える少年と患者に自殺された小児精神科医の心の交流を描く。
ブル−ス・ウィルスをして「十一歳のヴェテラン」と言わしめた少年役のハ−レイ・ジョエル・オスメントが天性の演技を見せる。一方、B.ウィルスは精神科医には見えないが、心に傷を持つ中年男でナイ−ヴィな印象を与える。赤い色の効果的な使い方、仰瞰撮影の圧迫感と心理的恐怖をうまく相乗させている。不幸な死に方をした死者たちは助けを求めて無残な姿で少年の前に現れる。
ところで、「秘密の謎」は最後に登場するようだが、あれを観客はどのように解釈するのだろうか。

 『梟の城』(篠田正浩監督)は司馬遼太郎の小説の映画化。秀吉に陰りが差してきた時代、対照的な生き方をする伊賀忍者の物語。
禁欲的な重蔵を慕うふたりの女忍者、出世を願う五平と秀吉、徳川側の陰謀と甲賀忍者が入り交じっての大立ち回りである。CGもなかなかの見物で、アクションは元傭兵をアドバイザ−に起用してリアルな動きを追求している。
しかし、秀吉と重蔵の哲学的会話あたりになると浮くのである。娯楽なら娯楽に徹した方がよいのではないか。本当の自分探しを描くのなら、別の作り方があると思う。朝倉摂の衣裳、観世榮夫の能が美しい。


 十一月某日 日比谷へ。『母の眠り』(C.フランクリン監督)を見る。ガンに侵された母の介護をする事となった娘は両親の気づかなかった一面を発見する。母の介護を娘に押しつける父親は大学教授で小説家である。自分を知的に導いてくれた父は、不治の病の母の前では気弱な男でしかない。平凡だと不満を感じていた母の精神の強さと愛情が実は家族を支えていたと感じた時、キャリア志向の娘の価値観が大きく変わってくる。モルヒネ過剰投与のために死ぬ母の死因の謎。
アメリカでも介護、尊厳死の関心は同じなのだろうか。ウィリアム・ハ−トがインテリ男の脆さをさらせば、メリル・ストリ−プは平凡な主婦の生きる知恵を体現して説得力がある。

 有楽町へ移動。『将軍の娘』(S.ウエスト監督)も仕事のために家族を犠牲にしてきた男が登場する。基地内で女性大佐の全裸死体が発見される。捜査を依頼された軍犯罪捜査官は元恋人のレイプ専門調査官と捜査を開始するが、事件の背景には思わぬ過去の事件が隠されていた。軍隊の男社会の差別と嫉妬に傷つけられた有能な女性の心と体。彼女の屈折した上官を演じるジェ−ムズ・ウッズははまり役。ジョン・トラボルタもたたき上げのタフな捜査官を余裕で見せ、マドリ−ン・ストウは見かけより芯の強さを感じさせる。


 十一月某日 錦糸町へ。『黒い家』(森田芳光監督)を見る。日本ホラ−小説大賞受賞、貴志祐介原作の映画化。一言で言うと気分が悪くなる映画。前作『39』を更に不気味にさせた手腕は冴える。ポップで乾いた演出は色(黄色、緑、青)を基盤とした象徴的な仕掛けやずれた音使いなどに顕著に現れ、保険金殺人を企む不可解な夫婦を無表情に映し出す。それにしても理解に苦しむ殺人の日常的な事よ。それは映画でも現実でも同じなのだが。

 『アナライズ・ミ−』(H.ライミス監督)はパニック障害を起こしたマフィアのドンと 精神科医の交流。
ドンだってストレスが溜まれば病気になる。ひょんなことから見込まれた分析医はドンの主治医にされてしまう。マフィアのドンを余裕たっぷりにロバ−ト・デ・ニ−ロが演じれば、精神科医のビリ−・クリスタルが気弱なインテリでいなすあたりが見物であろう。今までのマフィア物に出演している役者が揃っていて、その辺の落ちも楽しめる。

 銀座へ移動。『シュウシュウの季節』(J.チェン監督)はあまりに気の毒な少女の物語。中国の文革末期、下放政策で都からチベットへ送られたシュウシュウは取り残され、家に戻れると騙され様々な男たちに凌辱されてしまう。唯一の味方ラオジンは去勢されたチベットの男である。シュウシュウと同じ運命をたどった少女たちは数知れないだろう。
悲劇の物語の風景は美しく品格がある。J.チェンは女優としても有名だが、第1作の作品から監督の才能を予感させる。


 十一月某日 焦り気味で六本木へ。三十分前に着くも会場してもらえず。『ヘンリ−・フ−ル』(H.ハ−トリ−監督)を見る。
小説家志望の浮浪者がゴミ収集人に詩才を見出し、ゴミ収集人はインタ−ネットを通して詩人として名声を得ていくが、発見者の男の方は詩人の姉を妊娠させてしまい家庭を持ち、平凡なゴミ収集人となる。売れない時はけなし、売れ出したとたん掌を返したように持 ち上げる編集者。近所の人びとのさり気ない友情。一行も出てこないノ−ベル賞物の詩。寓話化されたこの映画は芸術の評価、成功をテ−マにしたのではなく、男の友情の物語なのだということが最後にわかってくる。

 有楽町に急いで移動。『あつもの』(池端俊策監督)を見る。「あつもの」とは菊花の園芸品種で、多弁でマリ状に厚く咲く菊の事を差す。菊栽培に賭けるタイプの違う二人の老人に目的を失った女子大生がからむ。精神病の妻、援助交際、多額の借金、一家心中と周囲の背景も複雑なのにあっさりと見せる。
食えない老人役のヨシ笈田がどこか憎みきれない天才肌を演じ、緒方拳は秀才肌で受けにまわる。池端監督の祖父も菊狂いだったそう。花に見せられ、そのため家族をないがしろにしてしまった男たち。愛情をこめられ美しく咲く菊たち。人生の光と闇を静かに生きる人びとの姿がたくましい。


 十一月某日 銀座へ。『エイミ−』(N.タス監督)を見る。ロック・シンガ−の父が目前で感電死したエイミ−は、心を閉ざし耳も聞こえず、口もきけない状態になる。福祉局は彼女を施設に入れようとするが、母親は自力で治療しようと手を尽くす。やがて、エイミ−が歌だけには反応を示すことに周囲が気づく。
何といっても素晴らしいのはエイミ−役のアラ−ナ・ディ・ロ−マだろう。演技もうまいし歌も美声である。母親役のレイチェル・グリフィスは売れっ子。父親役に本物の人気ロック・シンガ−、ニック・バ−カ−を ふって、事件の起こるコンサ−ト・シ−ンも迫力あり。手堅い脚本はクセありの近所の住人たちの個性も書き分け、明るい結末まで安心して見られる。

 日比谷へ移動。『ゴ−スト・ドッグ』(J.ジャ−ムッシュ監督)は『葉隠』を愛読するストイックな黒人の殺し屋の物語。全編に『葉隠』がいくつか引用されて話が展開する。『羅生門』の本も登場。東洋の武士の精神世界に傾倒する主人公と客との連絡方法は、なぜか伝書鳩である。三バカ大将みたいなマフィアの親分たち。昔のマンガばかりがTV画面に写る。RZAのラップ音楽も洒落ている。滅びゆくタイプの男たちは現代の視点ではユ−モアがあり、スタイリッシュでもあるらしい。



                         
  嵯峨恵子の暗幕日記 10月 
『ノッティングヒルの恋人』『金融腐敗列島[呪縛]』『家族シネマ』『迷宮のレンブラント』『ポ−ラX』『HEART』『ブロ−クダウン・パレス』『M/OTHER』『グレイスランド』『I LOVE ペッカ−』『娼婦ベロニカ』

十月某日 夏の暑さが舞い戻る。有楽町へ。『ノッティングヒルの恋人』(R.ミッチェル監督)を見る。かの『ロ−マの休日』を思わせる作品。脚本が脇役に到るまでよく書き込まれていると思う。ジュリア・ロバ−ツが少女のような可憐さを残した女優を演じれば、ヒュ−・グラントは平凡な本屋の誠実さを表現。憧れのスタ−と恋をする普通の人の代表であるグラントは、ハンサムだけれど気の弱い男を嫌味なく演じて、美男路線からこちらに数年前より変更したのは正解と言えよう。本屋のル−ムメイト役のリズ・エヴァンスは脇役たちの中で最も奇人ぶりで強烈な印象を残す。しかし、ハッピ−エンドで終わったこのふたり、末永くうまくいくのかしら。

金融腐敗列島[呪縛]』(原田眞人監督)は銀行の腐敗告発と再建に賭ける中年四人組の物語。高杉良の原作といいサラリ−マン受けする内容。組織の権力にしがみつく呪縛組と再生のためにク−デタ−を起こして立ち向かう若手たちに総会屋がからみ、逮捕者、自殺者、襲われる者と多くの犠牲出しながら、クライマックスの株主総会へと雪崩れこむ。かなりのリアリズムで総会や銀行内部も迫力あり。でもね、突っ張りの外資系TVレポ−タ−とか、あんな事言ったらリストラされちゃうよとか、現役会社員としては甘いと感じるところもありました。


十月某日 やや涼しくなる。有楽町へ。『家族シネマ』(朴哲洙監督)を見る。原作は柳美里、それを読んではいないが、すさまじき家族の再会の物語。しかもそれを映画に撮るためにバラバラの家族が集められたところがミソである。借金地獄の暴力亭主、夫に愛想をつかし若い男と不倫中の妻、マザコン自閉症の息子、AV女優脱出をねらう次女、唯一まともに見えるOLの長女も芸術家とおかしな関係にある。これらの家族を集めて、ドキュメンタリ−映画のような劇映画を作ろうと、あつかましくも乗り込んでくる映画クル−。過激な演出を家族たちも監督もやっていくうちにおかしな方向へと映画は進んでしまうのだが。妻役の伊佐山ひろ子のパワ−と夫役の梁石日(『月はどっちに出ている』の原作者)のうまいんだか、へたなのかわからない夫婦喧嘩の応酬。美里の実妹である柳愛里が冷静でク−ルな長女に扮し、作者の分身を抑えた演技で見せている。


十月某日 日比谷へ。『迷宮のレンブラント』(J.バダム監督)を見る。レンブラントの本物が少ない事は最近の研究でわかってきている。この映画はその巨匠の贋作を描いた男が事件に巻き込まれる話。絵が金になる時代、それに群がる男たち。絵の値打ちはその署名にあるのか、それとも芸術の持つ本質的な美しさなのか。レンブラントの幻の父親像を描くうちに自分の父の顔を重ねてしまうところに主人公の苦悩がある。筋はまあこんなものかという気がしないでもないが、油絵を描くシ−ン、贋作作りが興味深く見られた。それにしても、イレ−ヌ・ジャコブはキェシロフスキ監督の時代以降、輝きを失ったように思われる。何にでも幸運な出会いというものはあるのだろう。

渋谷へ。『ポ−ラX』(L.カラックス監督)を見る。混んでいるかと心配するも楽勝で入れる。メルヴィルの小説『ピエ−ル』の映画化。ピエ−ルは城に美しい母と住み、若い婚約者がいる新進気鋭の覆面小説家である。 現状に飽き足らないピエ−ルの元に夢で見たと思われる姉と名乗る東欧の女が現れる。今までの生活を捨て、亡 命者の女と暮らし始めるピエ−ルは徐々に崩れていく。父親、あるいは父の世代の男が存在しない世界。姉のような母、妹のような婚約者、恋人のような姉という近親相姦関係がずらりと並ぶ。こういう状態は男にとって楽 な反面、うっとおしいのではないか。主人公は自ら望んで落ちぶれ、新しい小説は認められず、破滅するしかない のだが、なぜ故ここまでして堕ちていくのか、わからない。ギョ−ム・ドパルデュ−は力演。映像的には実験的 で美しい場面が多々ある。


十月某日 寒くなってきた。Hの家に寄ってから、渋谷へ。『HEART』(C.マクドネル監督)を見る。 思ったより空いている。ジミ−・マクガバンの脚本が秀逸。心臓移植を題材にして先の読めない展開の愛憎ドラ マに仕上げている。心臓は救えても心は救えるのか、臓器を与えた死者の家族はそれをどのように受けとめるの か。聖と狂気を兼ね備えて母親を演じるサスキア・リ−ヴスがみごと。その他の俳優たちもクセありで、イギリス映画の底力を感じさせる。ラストもあっといわせるもの。

日比谷へ。『ブロ−クダウン・パレス』(J.カプラン監督)を見る。高校卒業記念にタイの旅行に出掛けた二人の女の子たちが麻薬所持で投獄される物語。現地の悪い男に利用されたあげく、タイでは麻薬所持は重罪で三十三年の刑を判決されてしまう。アメリカ人の弁護士を見つけて戦うのだが。世界中に麻薬の密輸や所持で投獄されているアメリカ人は多いと聞く。若者の無知な行動だけではすまされない。国々の事情があり、これに政治的情勢がからみ、貧乏な人々は切り捨てられる傾向にある。窮地に追い込まれた時こそ、本性が現れるというが、投獄が長くなるにつれ、互いを疑い合うようになる主人公たちの葛藤。そして、勝ち得た友情が苦い結末に、かすかな希望を与えている。


十月某日 渋谷へ。『M/OTHER』(諏訪敦彦監督)を見る。主演の三浦友和、渡辺真起子との打ち合わせのもと、台本なしの男女のドラマ。離婚歴のある男と若い女の同棲生活に突然、男の息子が預けられる。その変化は女に過度の負担を強いる結果となる。母親が交通事故に会い、預けるところもなければ父親の方に預けられるのは無理もない。一方、経験のない苦労をさせられる仕事持ちの女にしてみれば、ストレスは溜まる一方である。日常の男女の相克をこれほど、隣の家庭を覗いているようなリアリズムで見せたのは新鮮。普通の男だからこそ女は憎むこともできず苦しみ、荒れ狂う。男の方はそれを理解できない。

新宿へ。『グレイスランド』(D.ウィンクラ−監督)を見る。エルヴィスは生きているという話があるそうだが、今もなお人々に愛されるキングをめぐる寓話。エルヴィスを名乗る男、ハ−ヴェル・カイテルはどこが似てるの?と言いたくなる位なのだが、最後には彼がエルヴィスの精神そのものなのだと納得させられるあたり、さすが。モンロ−のそっくりさんに扮するブリジット・フォンダの熱演も見物。「人生は空虚かもしれないが、やり直しはできる」と旅するエルヴィスは人々に生きる勇気を説き続ける。みんなの心になるほどエルヴィスは生きている。


十月某日 恵比寿へ。『I LOVE ペッカ−』(J.ウォーターズ監督)を見る。思ったほどの混雑なし。悪趣味な映画作りで知られるウォータ−ズの新作は、ボルチモアのカメラ青年が撮った写真から一躍有名になるお話。ウォタ−ズ自身の半自伝的要素が強いらしい。カメラ青年と恋人は普通に近いが、彼の家族、友人、町の人々はウォータ−ズ好みの悪趣味に近い奇人、変人ぞろい。NYで活躍するより、地元ボルチモアで家族や友人たちと仲良く暮らしながら、写真を写し続けることを選ぶペッカ−に、ウォータ−ズの故郷に対する愛情を感じる。趣味や趣向が少々変わっていても、家族や友人、恋人を思う気持ちは素朴で温かくいい人たちなんだよというメッセ−ジなのか。

日比谷へ移動。『娼婦ベロニカ』(M.ハ−スコビッツ監督)は16世紀のベネチアで詩人としての名を残したベロニカ・フランコの半生を描く。当時、女性は男性の所有物とみなされていたが、爛熟文化はその中で特異な存在、高級娼婦(花魁に近い?)を生み出した。美貌と性技、教養と礼儀作法を仕込まれた彼女たちは当時の政治、経済、宗教のトップたちの相手をつとめた。持参金がなく、低い家柄に生まれたベロニカは恋人と結婚もできず、一家を支えるために高級娼婦となる。詩才にも恵まれていたベロニカは実力者たちに寵愛され、恋人とも復縁するのだが、宗教裁判にかけられてしまう。権力と政治に翻弄される男たちに利用されながらも、己を貫くベロニカの姿は清々しい。母親役のジャクリ−ン・ビセットもまだまだ美しい。ベネチアの遠景は合成と思うが、お粗末。私もCGを見慣れてしまったから点数がどうしても辛くなる。


                         

  嵯峨恵子の暗幕日記 9月 
「葡萄酒色の人生 ロートレック」「エリザベス」「ヴァンドーム広場」「Hole」「マトリックス」「リトル・ヴォイス」、「オ−スチン・パワ−ズ・デラックス」「シンプル・プラン」「黄昏に瞳やさしく」「ウェイクアップ・ネッド」「パッショッン・フィッシュ」


 九月某日 渋谷へ、品川経由で。余裕とみたが、上映二十分前で『ヴァンドーム広場』は既に満席。
葡萄酒色の人生 ロートレック』(R.プランション監督)を見る。レジス・ロワイエは膝を折り曲げたまま演じたり、ロートレックの容姿に近づけるため、苦心しているのがわかる。恋人役のエルザ・ジルベルシュタインはここでもうまい。ドガ、ゴッホまで出てくる。終盤、監督が老役者役で登場したあたりから完全にだれる。二時間は長くて無駄と思う。

エリザベス』(S.カプール監督)は凄い混雑。立ち見した。
インド人の監督にオーストリア人の俳優、二人。思い切った登用が新しいエリザベス女王を誕生させた。冒頭が新教徒の火あぶりから始まり、宗教と武力の混乱した時代を感じさせる。ケイト・ブランシェットは前半の若々しさから白塗りのお化けみたいな女王を演じきってみごと。ジェフリー・ラッシュも本心はどこにあるのかわかりにくいが、やる時はさっさと反対勢力の粛清にかかる黒幕を好演。ファニー・アルダンとヴァンサン・カッセルのフランス勢の参加も豪華。
あの恐ろしい時代をエリザベスはよくくぐり抜け、国をまとめあげたと思う。心の支えはやはり恋人レスター伯だったのかなあと思いつつ。


 九月某日 朝から気合を入れて渋谷へ。今日は『ヴァンドーム広場』(N.ガルシア監督)に入れた。余裕と思っていたが、やはり開演前に定員満席となる。
アル中の元宝石ディーラーが夫の死後、新しく人生をやり直すまでの物語。アル中を克服する女主人公がカトリーヌ・ドヌーブで迫力と貫祿で若いエマヌュエル・セイエを圧倒してる。セイエは美人でスタイルもカッコイイんだけどねえ。ドヌーブの方が裏切られた元恋人(ジャック・デュトロン)からは未練たっぷりに迫られるし、セイエに振られた年下男(ジャン=ピエール・パクリ)からは追っ掛けられるというモテモテぶり。
過去を断ち切り、出直そうという女の後姿はたくましい。

Hole』(T.ミンリャン監督)はミュージカル風の明るい映画。
二千年にあと一週間と近づいた街はゴキブリ病が流行。集合住宅の上下に住んでいる男女は立ち退かず、暮らしている。雨は漏るわ、ゴミ袋は降ってくるわのすごい場所。ひょんな事から床に穴の開いた上下の部屋の住人たちは互いを意識するようになる。
途中に挿入されるグレース・チャンの歌に合わせたミュージカル仕立てのシーンは中国風のアレンジ。このチープさが楽しい。暗く重厚な映画を作り続けてきたミンリャン監督の地の部分を見た気がする。穴からさす光の中、一本の男の腕が女を軽々と引き上げていく。


 九月某日 有楽町で『マトリックス』(ウォシャウスキー兄弟)を見る。カンフー・アクションとSFという組み合わせ。
物語は日本のアニメにも似たのがあるかもしれない。これを実写でやるところがアメリカ。特にアクション・シーンのブレット・タイム撮影が美しい。弾の雨あられの中を主人公たちがスローモションで移動していくあたり。四ヵ月の特訓で締まったキアヌ・リーヴス、キャリー・アン・モスたちのしなやかな動きがバレエのようだ。SFアクション物の新しい流れが生まれそうな予感。

 日比谷に移動。『リトル・ヴォイス』(M.ハーマン監督)は内向的な女の子が実は物真似美声の持ち主だったという話。下世話な母親と三流のプロデューサー、鳩が友達の青年と脇を取り囲む人びとも個性的。
LV(ジェイン・ホロックス)が一晩だけのショーをするところまでは話は盛り上がるのだが、その後がしまらない。スターにならない話でももう少し何とかならないか。それと歌がうまいのはわかるのだが、有名歌手の物真似がどのくらい似ているのかは、私にはよくわからなかった。

 再び有楽町に戻って『オースティン・パワーズ・デラックス』(J.ローチ監督)を見る。
『SW』を蹴飛ばしてアメリカでは興行収益第一位に躍り出たおバカコメディー。英語のギャグはわからないが、思ったよりは下品ではない?60年代ファッションは明るくかわいいし、SWや007のパロディで笑わせてくれる。マイク・マイヤーズの三役にはびっくりさせられる。なかなかの才人。ゲストの俳優たちも楽しそうに出演している。


 九月某日 朝から薄曇り。少し蒸し暑い。新宿へ。
シンプル・プラン』(S.ライミ監督)は噂に違わず。人間の弱さ、脆さと欲へ走る愚かさを感じさせる。小さな町の平凡な男たちがある日、大金を発見してしまったら。誰にでもあるだろう心の隙を憎いほどついてくる物語。小さなひとつの嘘はやがて思わぬ人びとを巻き込んで恐ろしい結末へと転がり落ちていく。
ビリー・ボブ・ソーントンは役ごとにガラリと印象の変わる俳優。ここでは頭の弱い兄をあどけない眼差しで演じている。一方、ビル・パクストンもしっかり者の弟役で兄と友人、妻に振り回されるまじめな男を熱演。彼をそそのかすことになる妻にはブリジット・フォンダ。現代版マクベス夫人か。
ライミのカメラはいつもより奇をてらわず、押さえぎみ。それが内面の葛藤を表現するのに成功している。

 『黄昏に瞳やさしく』(F.アルキブジ監督)は90年のイタリア映画。『かぼちゃ大王』(92年)を先に見ていた私は彼女の作品を楽しみにしていたが。77年を舞台にしたこの映画はこの時代のイタリアの社会的な背景があるという。このあたりが判らないともうひとつ、理解できないところがある。老教授とその嫁の対立は単なる世代の対立ではなさそうなのだ。
マストロヤンニはうまいが、子役の少女が舌を巻くうまさ。アルキブジは本当に子供の使い方がうまいと思う。


 九月某日 台風一過。再び猛暑。京橋へ。『ウェイクアップ・ネッド』(K.ジョーンズ監督)を見る。
ネッドが当てた宝クジを当人死亡のため、老悪友コンビがネコババ作戦を開始、村全体を巻き込んでの大騒動に発展する。老悪友コンビをはじめ、アイルランドの小さな村の人びとの奇人変人ぶりも微笑ましい。ユーモアにあふれる物語はやがて、金のためというより、死者ネッドの魂の元に強い愛情で結ばれた人びとの絆へと集結していく。村の人びとの幸せを祈りたくなる映画。アイルランド音楽も素晴らしい。
初回から満席状態。劇場内では関係者の人には何から映画を知ったかの質問に答え、帰りはぴあの出口調査に協力。

 神保町へ移動。『パッショッン・フィッシュ』(J.セイルズ監督)を見る。
アメリカ、ルイジアナ州のケイジャン文化を背景に、交通事故で下半身不随なった女優と元麻薬中毒の看護婦の心の交流を描く。酒とTVづけの日々に浸る女優が看護婦や幼なじみの男友だちとの暮らしの中で、自分を取り戻していく。頼っていたはずの看護婦を自分の方が精神的に支えるようになる変化。途中で女優友だちが尋ねてきて延々と喋るシーンがあり、戸惑うあるが、主演たちの演技は自然でてらいがない。自然とケイジャン音楽のおおらかさに癒される人びとを眺めているうちにこちらもゆったりした気分となってくる。


                         

  嵯峨恵子の暗幕日記 8月 
「アイズ・ワイド・シャット」「スカートの翼ひろげて」「バッファロー'66」「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」「セレブリティ」「アムス→シベリア」「黒猫、白猫」


 八月某日 銀座で『アイズ・ワイド・シャット』(S.キューブリック監督)を見る。空いている。
セックス描写と衝撃作品の前宣伝がきつすぎるのではないか。元々写真家出身のこの監督の映像は恐ろしく美しい。品も悪くない。人間の欲望と妄想、嫉妬の果てが何をもたらすか、考えてほしいというところか。トム&ニコール夫婦も熱演している。性の館が出現するあたりから、物語の調子が変わってきてしまうのは、妄想と現実の違いなのだろうか。

 京橋で『スカートの翼ひろげて』(D.リーランド監督)を見る。
戦時下の農家へ派遣された女子奉仕団体の三人の女性の物語。銃後の守りというが、イギリスでこういう団体があったとは知らなかった。話は古いが、三人の個性とそれにからむ悲恋がいかにもという感じで泣かせる。思う相手とは結ばれず、どうでもよい相手とはすぐに関係を持ってしまう男の主人公は、どこにでもいる田舎の青年の気弱さを漂わせている。戦後、それぞれの家庭を持った女たちと男の再会が哀しい。人生は後戻りできない。


 八月某日 新宿へ。電車空いている。ピラビア展を見る。つまらない。絵ハガキ三枚買って十分で出る。渋谷へ。
ギリギリで『バッファロー’66』(V.ギャロ監督)に滑り込む。立見。通路に座る。お尻その他痛くなる。主演、脚本、音楽を兼ねるギャロのひとり舞台。主人公の性格の掘り下げが甘いが、画面の割り込みとポップなアイディアは楽しめる。

 『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』(G.リッチー監督)は並んで入るもまずまずの入り。イギリスの若手の元気を見せつけられる。悪い奴らのグループが入り乱れての金の奪い合い。脚本が練れていてユーモアもあり、広い世代に支持されそう。スティングの親父役にびっくりするが、なかなかの貫祿、まだまだ息子には負けない頑固親父を見せつける。バックに使っている音楽も生きがいい。


 八月某日 朝、直接恵比寿へ。品川からまわる。『セレブリティ』(W.アレン監督)を見る。思ったほど混んでない。
主人公をケネス・ブラナーがやっていて、喋り方などはアレンそっくりだが、情けなさのみが強く出て余裕がなし。アレンがやると情けない役でもかわいげと余裕が感じられるのは、自分が書いて演出しているだけではないだろう。今回も豪華俳優陣がチョイ出でも多数出演していて、アレンのクロウト人気を裏付けている。レオナルド・ディカプリオもわがままなアイドル役で、乱交?までやってくれるし、ウィノナ・ライダーは女優志望の生意気娘、メラニー・グリフィスは色情狂の女優である。
この映画のパンフレットが新聞紙型。大きいし書いてある内容は少ないしで持って帰るのに困った。懲りすぎでは?


 八月某日 渋谷へ品川まわりで行く。『アムス→シベリア』(R.ヤン・ウェストダイク監督)を見る。空いている。
筋はよくあるダメ男二人が一人の女にふりまわされる物語。カメラ・ワークがシロクロとカラーに変化するあたりが若々しい感覚。男二人の成長物語とも取れる。通にいわせると「アムステルダムには“ババァのズロース感”がなく、徹底的に明るく軽快なのだ」(湯山玲子)だそう。で、“ババァのズロース感”とは何かというと「実用かつ文学的に重い系」であるロンドン、パリあたりとなる。下品ではあるが、言い得て妙。

 日比谷に移動。『黒猫、白猫』(E.クストリツッア監督)を見る。こっちもやや空き気味。
明るい内容にびっくり。癖ありの登場人物達の濃い事。主人公の祖父と組織のドン役は全くの素人のジプシーだそう。全然言うことを聞いてくれなくて、頭にきたらしいが、この人達を敢えて使ったことでぐーんと味が出ている。すみずみまで監督の趣味を感じる。毎度、音楽の選択がすばらしく、民族音楽と今の音楽をミックスしたセンスのよさは抜群と思う。
館内で詩人M氏らしき人物を発見。たぶん、間違いないとは思うが、相手は私を知らないはずなので、声かけず。




  嵯峨恵子の暗幕日記 7月 
「ブルワーズ」「ゴールデン・ボーイ」「交渉人」「クンドゥン」「スターウォーズ エピソード1 ファントム・メナス」「マイ・ネーム・イズ・ジョー」「ラン・ローラ・ラン」「オープン・ユア・アイズ」「枕の上の葉」


 七月某日 日比谷で『ブルワース』(W.ビューティ監督)を見る。入りはガラガラ。
政治風刺の手厳しいコメディ。しかし、主人公の自殺志願の上院議員は本音をラップに乗せて言うが、肝心の政策については全く話さない。皮肉な終わり方だが、あれしかないだろう。六十二歳で政策、監督、共同脚本、主役をこなすビューティのヴァイタリティーと若いセンスは立派。ラップで踊り、ラップのファッションを着る。相手役はいつもながら美人で、今回はブラック・ビューティー。

 東銀座へ移動。『ゴールデン・ボーイ』(B.シンガー監督)を見る。ほどほどの入り。ナチ戦犯の将校を見つけた高校生が残虐性に目覚めてしまう物語は現代的。米の高校での乱射事件を連想させる。ナチの元将校、イアン・マッケランが徐々に狂気を復活させて演じれば、高校生、ブラッド・レンフロが悪に目覚めた頭のよさを発揮して、見応えあり。この少年は頭だけで人生を切り抜けていけると思い込んでいる。「心を支配された人間に深く沈殿する狂気は、時間の癒しを受けない」(有田芳生)

 七月某日 再び有楽町。『交渉人』(F.G.グレイ監督)を見る。
サミュエル・ジャクソンとケビン・スペイシーの演技対決。人質交渉人が人質を取って交渉人と交渉したらという話。実話が元だそう。警察の腐敗を描く映画はアメリカ映画ではめずらしくない。この映画も上司が組んでいたという結末は同じだけれども、その前にひとひねりあるので、わかっている結果でも最後の大バクチまで引っ張って見せる。IQ180の対決というキャッチ・フレーズが付いている。本当に頭を使った口先三寸?が凶悪犯人との戦いらしい。名うての人質交渉人が自宅では奥さんと交渉がうまくいかないというエピソードが初めに出てきて、交渉人の人柄を感じさせる。


 七月某日 恵比寿へ。『クンドゥン』(M.スコセッシ監督)を見る。
「クンドゥン」とはチベット語で「法王猊下」ダライ・ラマを指す。選ばれた者の苦しみと心の成長が描かれいて非常に人間的。「私を解放するのは私自身である」という発言に納得。実際のチベット人たちがこの映画のために世界中から集まってきている。三人のダライ・ラマ役のチベット人たちの眼差しの涼やかなこと。曼陀羅は作られた後、惜しげもなく壊されていく。ダライ・ラマの転生も多くの人びとに支えられて今に至るということか。

 渋谷へ移動。『スターウォーズ エピソード1 ファントム・メナス』(G.ルーカス監督)を見る。やっと座れる。
筋が稚拙という批判もあるが、冒険活劇なのだからこんなものだろう。凝りまくりの作り物の楽しさ味わえばよい。また,因縁の物語の続きや謎を想像するのもファンの楽しみか。まあ、大人の巨大オモチャ・ゲーム物語であるから、作った本人が一番楽しいだろう。しかし、あんなに可愛いアナキン少年が将来ダースベイダーというのも哀しいものがある。


 七月某日 有楽町へ。『マイ・ネーム・イズ・ジョー』(K.ローチ監督)を見る。
不器用な生き方しか出来ないジョーの男気。突き放すでなし、励ますでないローチの眼差し。山本周五郎の小説ではないが、いい人たちになぜかと思うくらいの不幸が重なる。気が抜けるくらい唐突に幕が下りるラストに一筋の希望を繋ぐのは見る側の願望だろうか。

 渋谷へ移動。『ラン・ローラ・ラン』(T.ティクヴァ監督)を見る。
新しいドイツの息吹。命の危機に瀕した恋人のために二十分で十万マルクを作って届けなければならない。時間差の変化をつけた三つの二十分をかけた物語がリプレイされる。まさにゲーム感覚。どの話でもローラはベルリンを疾走する。精悍な走りっぷり。ラップ音楽と映像がスピードとリズムを増幅、わずかな時間差が係わる人たちの運命までも変えてしまう。チョイ出の人びとのその後の人生の変化を十数秒でサラリと見せて、本筋にもどるあたりもスピード感たっぷり。


 七月某日 六本木へ行く。『オープン・ユア・アイズ』(A.アメナーバル監督)現実と夢の境がわからなくなる泥沼のような物語。二十七歳で長編二本目とは思えぬ堂々たる語り口。科学や医療の発達が人の生を操作する恐怖。美男の主人公が徹底的に追い詰められる。死ぬことすらできなくなった世界での終わることのない夢の繰り返し。悪夢はいつ終わるのか。目の前の出来事は現実なのか、夢なのか。ラストの目覚めの声も暗示的。

 神保町へ移動。『枕の上の葉』(G.ヌグロホ監督)ジャカルタのストリート・チルドレンと彼らから母のように慕われる女の物語。
主人公三人の少年は実際ストリート・チルドレンをやっていたそう。女主人公はこの映画のプロデューサーvol.14も務めるC.ハキムで貫祿をみせる。少年たちの生活は服装も含めてドキュメンタリーの感。少年たちは次々と不幸に襲われ、死んでいく。女主人公も遊び人の夫と暮らし、生活は楽ではない。が、この女性、少年たちからだけでなく青年からも慕われていて、どうしようもない夫と別れないのはお金だけのせいなのかと考えてしまったりする。
  

tubu<雨の木の下で>ホ−ム・ペ−ジ「rain tree」参加顛末記(嵯峨恵子)テキスト文書の作り方(関富士子)
今年の詩集から/澁澤孝輔「ロマネスク」を読む(嵯峨恵子)へ
rain tree homeもくじ執筆者別もくじ詩人たち最新号もくじ最新号back number vol.1- もくじBackNumberback number14 もくじvol.14ふろくWhat's New閑月忙日rain tree から世界へリンク関富士子の詩集・エッセイなど詩集など