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 嵯峨恵子の暗幕日記    


嵯峨恵子の暗幕日記1999年7月−12月( vol.14)へ



  詩人の予兆 〜『ロルカ、暗殺の丘』を見て〜 2000.3.9 嵯峨恵子

 フェデリコ・ガルシア・ロルカといえば二十世紀スペインを代表する詩人、劇作家である。そして、何といっても暗殺された悲劇の詩人である。

 ロルカの死は今もって謎に包まれているが、それをミステリ−仕立ての映画として制作したのが『ロルカ暗殺の丘』(マルコス・スリナガ監督)である。

 この予告を早くから見る機会を得たが、えっ?英語版と知って、かなりがっかりした。ロルカが英語で話すなんてちょっと違うのではないか。しかし、あのロルカの死に絡む物語である。見てみることにした。結果、思ったよりはずっとよかった。

 ロルカ役のアンディ・ガルシア(キュ−バ出身のアメリカ人)が少年のような純粋さと人懐っこさ、お茶目な人物像を出していて、ロルカという人もこういう人だったのではないかと思わせる魅力がある。有名な「イグナシオ・サンチェス・メヒ−アスを悼む歌」が映画の中で何度も繰り返し朗読される。ガルシアもロルカとして劇的な朗読(無論、英語で)をするが、これはロルカの死の象徴として現れ、映画の中身とあっていて違和感がない。

 物語は少年時代にロルカに憧れたリカルドが大人になって、ロルカの死の真相に迫るという筋である。実際、一九六五年、フランコ独裁政権下でアイルランド人の学者イアン・ギブソンがロルカの調査を行い、後に伝記「ロルカ」として出版した。この映画もギブソンの本をもとに脚色されている。

 リカルドは直接ロルカを殺した犯人を探そうと危険な目に合うのだが、関係者の証言を得るたびに話がずれてくる。同じ場面にいた人たちの証言が全く違うことになる。ロルカの印象そのものも百八十度違うのだ。この辺は印象的で何が真実なのかという点を考えさせるものがある。「藪の中」ではないが、真実というのも受け取る側の見方、こうあってほしいとか、こうなのではないかという感情移入もあって異なってくる。
 リカルドは直接の犯人を最後に知る。それはとんでもない真実だった。誰もがロルカを殺したかった訳ではないけれども、止めることができず、むしろ結果的には加担してしまった多くの人びと。フランコ政権下でスペインに留まった人びとと海外に亡命した人びとの葛藤。この映画はロルカを暗殺に協力させられた父の世代の謝罪とそれを知った息子の世代の許しがテ−マなのかもしれない。

 ロルカが何故暗殺されたかは依然謎である。同性愛者だったこと、リベラルな思想とファシズム批判が危険を招いたとも言われる。危険な時期にわざわざグラナダへ何故帰ってきたのか。ロルカの友人ダリは彼の死に良心の呵責を感じ続け、ネル−ダもロルカは死の前兆に襲われていたと解釈する。ロルカの不幸な死はまた死後の名声に拍車をかける結果となった。

 しかし、ロルカ自身は言っている。「芸術家、とりわけ詩人は、いつもアナキストであり、聴いているのは自分の内部から上がる声、つまり、あらゆる予兆を伴った死の声、愛の声、そして芸術の声という、三つの強い声だけなのです」彼に政治、権力の声はついに届かなかった。最後まで詩人として死んだ。その場所がビスナ−ルの丘のオリ−ブの木のそばであろうとなかろうと。

*『ロルカ、暗殺の丘
        監督、制作、脚本:マルコス・スリナガ、
        出演:アンディ・ガルシア、イ−サン・モライス、ジャンカルロ・ジャンニ−ニ他。
        配給:GAGA、(株)ギャガ・コミュニケ−ションズ
        一九九七年、スペイン・アメリカ映画

高階杞一個人詩誌「ガーネット」vol.30 2000.4.15発行に掲載


嵯峨恵子(さがけいこ) mailVEX02742@nifty.ne.jp
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