rain tree homeもくじ執筆者別もくじ詩人たち最新号もくじ最新号back number vol.1- もくじBackNumberback number15 もくじvol.15ふろくWhat's New閑月忙日rain tree から世界へリンク関富士子の詩集・エッセイなど詩集など
vol.15
歌仙を巻く へ
歌仙ってなあに? 11-8 へ 7-5 へ 4-1 へ
 歌仙ってなあに? 15  天女・解酲子・芥子

天女から解酲子へ  99.12.31


散るこころ花結びにて束ねけり
Aひかりのどけき大和くにはら   
B霞たなびく大和くにはら   
A「ひさかたのひかりのどけき春の日にしづごころなく花の散るらむ」のおもかげを前の花の句に見まして。 B万葉集に多くある霞の歌そのままに。

ともあれ、電話で申しましたように、"大和国原”という、あの大きな風景を入れこみたいと思いました。穏やかな都の春を、と。大晦日、なんとも記念すべき日の仕上がりとなりました。ABとも使い古された言葉ですが、本歌どりのつもりと解釈していただければ幸いです。 99.12.31 天女
解酲子さま



解酲子から芥子へ 1999.12.31

大晦日に挙句となりました。これは、芥子さんの前句のおもかげでもある「しづ心なく花の散るらむ」(紀友則)をふまえたもので、年の終わりにふさわしい、なおかつ迎春をも掠めた巻き上げになったと思います。それでは、よいお年を。 99.12.31 解酲子
芥子さま



解酲子から天女・芥子へへ 1999.12.31

前略。年内巻上げというのはシバリでもなんでもないのですが、何となくそういうふうに雰囲気が出来上がっていって、慌ただしい思いをさせてしまったことをお詫びします。

さて、満尾の三句わたりについて申しますと、まず、花の句、挙句とも本来つなげてゆくべき付け筋からはやや自由であるということが特徴ではないかと思いますが、人間の言葉である以上やはり澪のように筋はつづいておりまして、愚句を、芥子さんの花の句はやはり承けているわけです。西行のきさらぎに、散るこころというのがまず第一で、騒の字の産卵を花結びで結ぶというのが第二。その散るこころに着目したのが天女さんの挙句で、紀友則の、散るは散るでもひかりのどけきなかに散る花の光景で一巻満尾となっています。
全体に短歌仕立てのわたりといえますが、騒の散乱を花結びがいったん束ね、それを天女さんが大和国原の雄大な春景に和らげる、といった筋の展開ではないかと思います。

いうなればこの三句は、孤心に始まってそれを花がまとめ、やがてクニボメに終わるという、まるで大晦日の慌ただしさから元日の長閑さに至る時間の流れをそのままなぞるかのような動きを示しているとは思いませんか。一巻が巻き上がってみるとこんなもので、「恰好」になってしまうところが連句のよさでもあり、おそろしいところでもあります。いずれにせよ、梅の実から出発した一座はここで終了です。皆さんご苦労様、とともに至らぬサバキのことをお許しください。それでは。匆々 平成庚辰正月五日解酲子
芥子さま
天女さま



 歌仙ってなあに? 14  天女・解酲子・芥子

解酲子から天女へ 1999.12.2

前略 付け句拝受。名残の洒落、たしかにいただきました。展開が小さすぎるかとのことですが、運びの平仄からいえば何らおかしいところのない句で、というよりも、ここになされたちょっとした仕掛けが、私の目から見れば十分な「展開」になっています。さてここからは折しも厳寒に寄せるみぎりの春、めでたく年内に予祝となるとよいのですが。芥子さんに宛てた「いたずら」の解説を添えておきます。こんなところでよろしいでしょうか。では。99.12.2  解酲子


解酲子から芥子へ 1999.12.14

前略 まえにお知らせしたとおり、付け句が出来ましたのでお送りします(隣に託す籠のさわらび)。前句(瀬を渡り春めく空家訪ねけり)の埋火を彼我を隔てる瀬と見立て、渡ってみたら空家だった(春があった)。で、留守の置き土産の籠(空家)の中身(早蕨)を隣家に託した、と付け筋をいえばこうなります。早蕨を真っ先に思いついたのですが、それは春の水(瀬)の縁で、志貴王子「石激(ばし)る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」の連想がはたらいたからです。それと、晩冬の季の春隣という言葉も少し意識しました。

全体に早春の雰囲気ですが、御句の春めくは早春でも、愚句の早蕨の季はすでに仲春となっています。歌仙の年内成就は隣(連衆)に任せようではないか、といったところです。それでは。匆々 99.12.14 解酲子
芥子さま



天女から解酲子へ  99.12.15

先日は不思議な世界をかいま見ました。(詩誌、詩集の展示即売交流会ポエケットのこと 関注)みんなガンバッテいるなあ、という感じです。さて、宗匠の言われる通り、ああ万葉だなと私も思いました。さらに芥子さんの前句も、
「瀬を早み岩にせかるる滝川の
  われてもすえに逢うわむとぞ思ふ」崇徳院(詞華集)
そして「石激る・・・・」。なんとも一気に春ですね。
そこでちょっぴりトーンを落として、私は春の憂いというわけです。
ひとり来て夜のぶらんこ揺すりおり
「鞦韆」にすると字づらが重くなるでしょうか。
 瀬を渡り訪ねたかったけど留守だったので、採ったばかりのさわらびを隣に預けた。ああ、今日も逢えなかった・・・と、ちょっと現実的ですが、ぶらんこにのっているのはその人なのか、それとも”春”?
 すぐ先の花の座への序奏とみなしていたゞけると嬉しいです。99.12.15 天女
解酲子さま



解酲子から天女へ 1999.12.15

前略 ぶらんこのツケ、いただきました。ここは唐風に「鞦韆」とあてたほうが春の憂いの感じが出るのではないかと思います。ただ、名残六句は一巻の締めくくりですから、この運びは全体に祝言の位としたかったですね。名残裏六句はめでためでたでゆくのが古来の作法ではあるところです。

愚生のツケ(騒の文字こそきさらぎに書け)は「鞦韆」を揺するところに着目して、その動きを拡大し、揺すりあげたあげくに騒の字を得ました。これは騒の字面・字義ともうひとつ、憂悶述懐の詩体である騒の意味も持たせてあります(騒の嚆矢は楚の屈原「離騒」とされています)。前句の憂いをツケ伸ばしたものですが、騒の字面が独り歩きして、「鞦韆」を揺すっていた人物の孤影を書く行為が天空奔馬の文字となってダークな憂いを超えることを、じつのところは狙っているのですが、うまくいきましたやら、どうやら。

さらに口上をたたかせていただくなら、騒は草にもかよい、書かれた文字は草体のはずで、句の形としてはこれは命令形ではなく已然形のつもりです。なぜ如月に書くのかというと、次句花の定座の芥子さんへの挨拶で、例の「花の下にて春死なむ」の歌を意識しているから、というのはいわずもがなで、もうしあげるだけヤボでした。では揚句、めでたくシメてくださることを期待しております。匆々 平成己卯厳冬至解酲子
天女さま



解酲子から芥子へ 1999.12.21

前略 二句ツキましたので電話で申し上げましたようにお知らせします。付け筋は資料のとおりですが、季のことを言いますと、鞦韆は三春で、きさらぎは仲春です。けれど季重なりでもないかぎり、連句では花一語で春を体する言葉なので、(いわゆる「俳句」的には花は晩春)、季戻りを気にする必要はないでしょう。付け筋をあまり顧慮なさらずにここはぱっとした句をお願いしたいところです。では最後のツケである花づとめ、よろしくお願いします。匆々(ファックスにて失礼します。) 99.12.21 解酲子
芥子さま



 歌仙ってなあに? 13  天女・解酲子・芥子

芥子から解酲子へ  1999.11.20

解酲子さま。「芥子さんがこのままどこかへ行ってしまわないように、」なんて、うれしいお心づかいありがとうございます。無事帰ってまいりました。
筑波山の紅葉とうかがって、石川県は白山の林道の素晴らしい紅葉を思いました。金沢にお住まいの詩人、三井喬子さんに案内していただいたのですが、谷間に迫った山肌は紅、あるいは黄に色づいて緑も際立ち、もう二度と見ることはあるまいという凋落寸前の美。新古今の幽玄を思いました。いえ、新古今、ろくに知らないのですけれど・・・。

採集してきた葉っぱの種類を調べると、姥が滝の崖っぷちに黄色に色づいていたのはトウカエデ、ウリカエデ、ミツバカエデたちのようです。真っ赤に染まっていたのはイロハカエデ、ハナノキ、ウルシでしょう。サイカチやナナカマドの葉もあるようですがはっきりしません。

蛇谷川に下りる遊歩道には花穂のまばらなハナタデが群生していて、紫苑とともに秋の最後の花を楽しみました。 さて、晩秋の句ですね。また失敗しないように辞書で季語をさがすと、花蓼はなくて、茨の実がありました。これもあちこちで見かけました。すがれた茎に実だけついていて、素朴に色づいていました。「草の実」はイノコズチ、オナモミなどたくさん見つけました。

背に草の実をつけたまま下り」というのはいかがでしょうか。   99.11.20 芥子
解酲子さま



解酲子から芥子へ 1999.11.24

前略 付け句拝受いたしました。かくのごとくにはツキました(かたらへば月北国に露けくて)。付け筋の、かたらへば、については資料のとおりですが、白山に同行された三井喬子さん、詩誌「部分」主宰の方でしたね。金沢市鈴見台という所にお住いのようですが、愚句「露けき」にひびきあうような地名です。「だから都会の人は・・・」と嗤われそうですが。

ところで御句、晩秋の季語とて茨の実を探しあてられましたが、草の実となると、変なものでこれは三秋(兼三)の季語となります。しかし式目上、まったく問題はないので念のため。芥子さんの次の番からはいよいよ名残裏六句を残すのみとなります。出来うべくんば今年中に巻き上げとなるとよいのですが、一月に六句、やはり無理でしょうか。では。匆々 99.11.24 解酲子
芥子さま



解酲子から天女へ 1999.11.24

前略 芥子さん及び私の付け句が出来ましたのでお送りします。芥子さんのは山は山でも加賀の白山に行かれた折の実体験だそうで、山の紅葉は、それは見事なものだったとお手紙にありました。芥子さんは、金沢の女性詩人の案内で紅葉を楽しんだそうですが、愚句の、かたらへば、はそういう同行へのへの挨拶もあり、又、天女さんと芥子さん二人の紅葉自慢への挨拶もあります。北国とはむろん、愚生所在の横浜からは筑波も白山も北方に当たるからです。

なお、月と露で季語二つが一句のなかにあることがお気にかかるかもしれませんが、定座の場合、このような例は古歌仙には普通にあることのようですので、会えてこのまま月の句として提出させていただきました。天女さんの次の句は、ここ折端で秋を離れて雑、または季移りして冬句でも結構ですので、よろしくお願いします。匆々 99.11.24 解酲子
天女さま



天女から解酲子へ  99.11.30

前略 このあたり、なかなか楽しい運びになってきましたね。戸、思いつつちょっといたずらしてみたくなりました。それで、
かたらへば月北国に露けくて 解
名残の燗にかへす埋火   天
というわけで、説明は不要と思います。が、ちょっと展開が小さすぎるでしょうか。
いよいよ、名残折も裏に返して、年内には仕上がりそうですね。 では。 99.11.30 天女
解酲子さま



 歌仙ってなあに? 12  天女・解酲子・芥子

芥子から解酲子へ  1999.10.25

たいへん遅くなりました。 ヒバリの声に家持の歌、渋い展開で感じ入りました。「遠流」といえば佐渡あたりに島流しか、そんな暮しもいいかもしれないなどと思いつつ、あとがなかなか続かずに、昨日友人に鮒釣りに誘われて、秋の一日を楽しみました。
こちらは川の流れの方です。
わたしは遊び半分なので一匹も釣れなくてもいいのですが、ほかの人たちはいつも50、60も釣る人たちで、それが昨日はさっぱり釣れず、あげくのはてに大きなごみだらけのカニが引っかかってきて、大笑いをしました。
タイを釣るつもりがカニに釣られてる」99.10.30 芥子
解酲子さま

このあと解酲子から芥子に電話あり。「カニ」は季戻りになってしまうので再考してくださいとのこと。

芥子から解酲子へ  1999.10.30

今石川県の小松市にいます。さっき着いたばかり。美しい北陸の秋です。取り急ぎどうぞよろしく。
旅の荷のさすらふほどに軽くなり」99.10.30 芥子
解酲子さま



解酲子から芥子へ 1999.11.2

前略 付け句いただきました。愚生かくのごとくツケました「風の噂に帰るふるさと」。

小松といえば、そこからほど近い安宅の関のことをどうしても連想してしまいます。芥子さんの荷は、富樫をまえにして、弁慶や義経の背負っているそれに通うものと、思われてなりませんがそれは句の裏のこと。御句の印象は資料に述べたとおりです。この句、旅中の芥子さんの実感であると同時に、前句にははるかなものからする宥めのように寄り添っている。付け句としてたいへん優れたものです。芥子さんがこのままどこかへ行ってしまわないように、私はそこへ帰心をツケざるをえませんでした。

名残の奥に入って、ようやく一座は昂揚をむかえたようです。そして、どんな歌仙にもこういう運びがいちどは必ず訪れるのが不思議です。芥子さんの次の番は秋真っ只中、月の呼び出しとなります。それでは。匆々 99.11.2 解酲子
芥子さま



解酲子から天女へ 1999.11.2

前略 お待たせしました。芥子さんのが来ましたので、私の付け句と併せ、お送りいたします。
芥子さんからいただいたのは葉書で、北陸の小松から投函したとの言葉が添えられあって、旅中の人らしい情感に満ち、また前二句の流れにすっと乗った大変優れたツケであると思います。これに、ことさららしい付け筋の解説は無用かと存じます。

愚句は、この芥子さんの句の「自」を「他」に転じたものです。説明すれば、このさすらいの句は遠流の人に寄せる思いであると同時に、旅中のセンチメントにある芥子さん自身の実感でもあるのですが、私のはそれを、人聞きの噂の人物と見立てて、安寧を得てか失意のうちにか(それは天女さんのお見立てにまかせます)、故郷に帰った人間のあるかなきかのポートレートといたしました。風に前句のさすらいを通わせた心づもりです。

次の天女さんですが、秋を呼び出すか雑か、秋句か、というところですが、むしろここははっきりした秋の句であるほうがよいのではないかと考えます。流れからいって、折端あたりで秋を離れたいと思いますので。それでは、よろしくお願いいたします。匆々 99.11.2 解酲子
天女さま



天女から解酲子へ  99.11.10

風の噂に帰るふるさと
1 もてなしは紅葉目に染む筑波山
2 秋立や見れども飽かぬ筑波山
ということで”安寧”のほうにいたしました。筑波山は、子供の頃からずっと眺めて(もちろん何度も登っています)きましたが、しみじみと美しい形をしています。平野の中にポコッと男体、女体をそびえさせて、低からず高からず、山全体が、ご神体と言われるのも納得できる感じです。
 今の季節は、春から夏にかかっていた霞が吹き払われて、くっきりと近くにみえ、紅葉が上から下へ降りてくるのがよくわかります。身びいきが強く照れくさいのですが、自分の田舎はけっこう好きです。(住みたいとはも早、思いませんが。)

 ただ、特定の固有名詞(地名)をここで出すのはよいのでしょうか? ご指導ください! 99.11.10 天女
解酲子さま



解酲子から天女へ 1999.11.14

前略 付け句拝受。1のほうを採らせていただきます。なによりも、もてなしは、が連句の挨拶にかなっていていいですね。御句では安寧のほうにされたとのことですが、よしんば失意であっても十分に心に届くお作であると思いました。前句のあるかなきかのポートレートが目にもあやな紅葉でもてなされている、その転じが利いています。

ところで、固有名詞のことをご心配になっていらっしゃるようですが、表六句ではやや差し障るとはいえ、(これもそうきついシバリではないようですが、)それ以外ではいっこうに差し支え在りません。と、言うより地名は日本の詩歌の脊椎をなすといっても過言ではないほどで、過去の連句を見ても、運びの重要な一要素となっていることは枚挙にいとまがありません。
それに比べ、人名などの固有名詞は幾分避ける、というか、あいまいにする傾向があるようです。けれど、これとて厳密な約束事ではなく、愚見では当歌仙にもっと人名なども取り入れていいように感じています。要は人名が地名ほどに人々の間で神話・幻想化されているかどうかです。隣のマミちゃんを詠み込んで、それが人麻呂ほどの効果を呼び起こすものであれば(また、そこまで行かなくても志があれば、)、詠んでまったく構わないと存じます。ちなみに、隣のマミちゃんのような例として、芭蕉七部集阿羅野の歌仙発句に「落着に荷兮(かけい)の文や天津厂(かり) 其角」というのがあります。荷兮は芭蕉の弟子で、同じ芭蕉高弟のの宝井其角にとっては、やや弟分にあたるか、といったほどの名古屋人です。

ことほどさように、連句は、遊びのためのいくつかのルールのほかは、かなり自由なものであるということをお知り置きください。次の天女さんの番は名残表折端となります。では。匆々 99.11.14  解酲子
天女さま



解酲子から芥子へ 1999.11.14

前略 天女さんのツケが来ましたので申し送ります。さして説明の要らない付け筋は資料のとおりです。天女さんの句の秋の季語は紅葉であること、いうまでもありませんが、芥子さんがこれにツケるとき、少し気にしていただきたいのは紅葉が晩秋の季であるということです。これにツケるのは秋季でなくてはなりませんが、それは同じ晩秋か、でなければ兼三の秋(初秋・仲秋・晩秋を兼ねる秋)でやっていただきたく、これに初秋や仲秋をツケる類は季戻りといってあまり例を見ないようなのです。ただし、しゃれでもなんでもいいのですが、季戻りすることに何か積極的な意味があればこのかぎりではありません。この点、お含みおきのうえ、月前の秋句、よろしく御作句ください。では。匆々 99.11.14 解酲子
芥子さま



歌仙ってなあに? 11-8 へ 7-5 へ 4-1 へ
tubu歌仙を巻く へ<雨の木の下で>詩の催し盛りだくさん へ
rain tree homeもくじ執筆者別もくじ詩人たち最新号もくじ最新号back number vol.1- もくじBackNumberback number15 もくじvol.15ふろくWhat's New閑月忙日rain tree から世界へリンク関富士子の詩集・エッセイなど詩集など