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"rain tree" vol.12
<雨の木の下で 12>
 歌仙ってなあに? その7(1999.8.2)  天女・解酲子・芥子 
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芥子から解酲子へ  1999.7.10

夏ですね。わたしも雨の中の散歩が好きです。このごろはデジカメを持って花の写真を撮りながら歩きます。先日、ちょうど「赤まんま」の花を見つけましたのでお二人にプレゼント。わたしもよくこの花をぽろぽろ、おままごとをしましたっけ。

連句も中盤にさしかかってきましたね。楽しませていただいています。そういえば「歌仙心得」に、恋の句は「通常花の座の前には詠まないものとされる」とありましたね。人情の句といわれると恋のことしか思いつかないわたしって?

句はできてしまえばあっというまで、こんな気楽でいいかしらと思うほどですが、毎日がせわしいとそこへ思いをいたすひとときを作り出すのがあんがい難しいものです。いただいて2、3日はすぐ経ってしまってごめんなさい。ちょっと立ち止まって、そっと座に連なる時間が貴重に思われます。

月の座は「月」を必ず詠み込むということですね。かなかなが鳴く夕暮れに月がのぼりそうな気配。「月のまぶたを渡る笹ぶね」というのはどうでしょう。    1999.7.10  芥子



解酲子から芥子へ 1999.7.14

前略 お写真と付け句、ありがとうございました。よんどころない俗世の用事にかまけて、お返事が遅くなりました。なかなか毎日が風雅、というわけにもまいりません。

御作についていえば、非常に濃やかな味わいを感じます。月のまぶた、というのもミステリアスで、詩をやっている、それも女の人だということが一発で分かってしまうような句の姿ですね。運びのバランス上、次句の天女さんには少し現実に戻ってもらいます。そのあとの芥子さんには春季をお願いしたい。ちょっと季が輻輳しますが(このクソ暑い夏に秋春と忙しい)、連句をやるときいつもこのあたりはこういう巡り合わせになってしまうので、勘弁してください。それではよろしく。匆々 99.7.14  解酲子
芥子さま



解酲子から天女へ 1999.7.14

前略 芥子さんの御作をいただいてから天女さんへ申し送るのが遅れてしまいました。ちょっと野暮用に振り回されていたものですから。すでに、御写真とともに芥子さんの句と解説は送られているとは思いますが、いかにも女性らしい付け句ですね。余計な言挙げは不要ですが、天女さんの次の句では今までの流れを少し現実に引き戻していただきたいというのが、私のお願いです。先に春季と申しましたがあれは間違いで、次句の季は雑ということでよろしくお願いします。それでは。。匆々 99.7.14  解酲子
天女さま



天女から解酲子へ  99.7.26

ご多忙な日々と存じます。夏休み前のあの喧燥を、いまでは懐かしくさえある私です。
さて、
夢の世はやがてかなかな鳴き出して
月のまぶたを渡る笹ぶね
帰去来の友が秘蔵の軸くれて
 天女

芥子さんの前句に蘇東坡などの文人の宴遊図を思いうかべました。そこで、月ほど遠くへ舟で帰ってゆく友人が秘蔵の文人画を記念にくれた・・・という意味に。前、前々句の面影をまだひきずっているような気がしますけれど、次句の芥子さんにお願いして現代にひきもどしていただければ幸いです。  天女  99.7.26
解酲子さま   



解酲子から芥子へ  99.7.29

   前略 お待たせしました。天女さんの付け句がきましたので申し送ります。付け筋と付け句は別紙のとおりです。この場合、天女さんの季は雑です。私としては、詩があり、お話もあるとてもいい、というか好みのツケなのですが、ここのところの運びに特徴的な夢見がちな気分からまだ醒めていないようです。そこのところの破壊を少しお願いできたら、と存じます。季はまたまた雑が望ましいのですが春季でもけっこうです。  99.7.29  解酲子
     芥子さま



芥子から解酲子へ  99.8.2

盛夏の候 夏休みはいかがお過ごしでしょうか。
「秘蔵の軸」ってどんないいものかしら、とテレビの鑑定団を思い浮かべたりして。
さて、そろそろ郷愁の夢から醒めろというご注文ですね。高価な「軸」はわたしの身の回りではあまり見ませんけれど、インターネットの情報はパソコンの画面から下へ下へとつながって現代の絵巻き物のようです。終わったと思ったらそこから違うページにつながっていてたこあし配線のようにきりがないのであきれてしまいます。この歌仙はインターネットでリアルタイムに見られるようになっていますが、お二人は近寄らない方が賢明なようですよ。

というわけで、「夜更けのメールをながながと巻く」となりましたがいかがでしょう。  1999.8.2   芥子





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歌仙ってなあに? その6(1999.7.8)  天女・解酲子・芥子



解酲子から芥子へ 6.27

前略 資料(そもそもは新宿の灯をまぶしがり)にあるとおりの付け筋ですが、宇多田ヒカルに新宿の女とはあまりにオジサンぽい駄洒落のようで内心忸怩たるものがあります。せっかくのさわやかな恋歌を申し訳ありません。

 思えば若年の頃、小野好恵氏や先達詩人に連れられて徘徊した新宿の街のネオンがやけに甘酸っぱく、妖しく見えていたものでした。というような中年男の感慨を嗅ぎ取ってやってください。

 ところで天女さんへの手紙にある遣句(やりく)とは、次の人間に運びを手渡すためだけに作られたようなしいて内容のない句のことで、こういう句を挟むことも運びをスムーズならしめるために連句では必要なこととされています。

 ちなみに、お渡しした歌仙心得にもあるとおり、普通最初の花の座の前には恋の句は詠まないものとされています。ご当人が意識されていなくても、その語を入れれば自動的に恋の句になってしまうという言葉というのがあるものです。恋歌はもちろんですが、娘や女房、夫・婿などもそのうちに入ります。あたかも花の座以前に出現してしまいましたが、あまりきついシバリではないので、まあ今回はよしとしましょう。芭蕉連句でもそのあたりあまりやかましいことは言っていないようです。

少し休んで次の芥子さんの番は月の定座で面目を施すところです。では。  匆々 99.6.27  解酲子
芥子さま



解酲子から天女へ 6.27

前略 アヴェ・マリアの句には(もう届いているかと思いますが)芥子さんが宇多田ヒカルをツケましたが、そのヒカルの縁の藤圭子・新宿の女というわけで、わが若年の頃に初めて見た新宿のネオンのきらめきをツケました。ヒカルにまぶしいという、まあ、駄洒落に類する遣句と思ってください。

 前二句が歌・歌と女性できているので、それを男の側からいわせたら、という狙いもちょっとあります。少し恋がらみですが、どう転じられるかは天女さんの判断にお任せします。ちなみに次句の天女さんは秋でお願いします。  匆々 99.6.27  解酲子
天女さま



天女から解酲子へ 7.2

 この季節、繁った木々が雨にぬれているのが好きで、けっこう出歩いています。
 田舎育ちの私は、小さい頃モスグリーンのゴム長と濃い緑色の傘で母とよく散歩をしました。赤や黄色などは好まないヘンな子供だったそうです。幼児体験をいまだひきずっているヘンな私です。

 さて、
   そもそもは新宿の灯をまぶしがり    解
   母をさなくて赤まんま摘む       天女
 子供のころ、人並みにおままごとをずいぶんやりました。赤のまんまを摘んでは「お赤飯が炊けましたヨー」なんて。もちろん私はオカアサン。それにしても新宿=母は貧困な発想ですよね。  99.7.2 天女





解酲子から天女へ 7.4

前略 付句いただきました。非常に素直なツケですね。赤まんまという懐かしい音のひびきに愚句はかなかなで応じてみました。おままごとに夢中になっているあいだに、ふとゆうぐれが近づいていることに気づいた(気づいてみれば人生のゆうぐれであった)という、少し苦いツケとはなりました。次の天女さんは春季へ、その次の天女さんの番では花の座で面目を施してください。それでは。匆々 99.7.4  解酲子
天女さま



解酲子から芥子へ 7.4

前略 お待たせしました。拙句にたいする天女さんの付句は別紙のとおり、付け筋も資料のとおりです。拙句の付け筋は、さして説明もいらないかとは思いますが、子供の頃、夢中で遊んでいたらいつか蜩が鳴き始めるゆうぐれになっていたことにはっと気づいた--とともに人生のゆうぐれもそこにダブルイメージとして差し挟みました。赤まんまにはかなかなと、同じ語勢を選んだのは少し意識したところです。

ちなみにこのふたつ、季語としてはともに初秋です。それでは月の定座、よろしくご作句ください。  匆々 99.7.4  解酲子
芥子さま





歌仙ってなあに? その5(1999.6.24)  天女・解酲子・芥子



天女から解酲子へ 6.14

前略

 ひきとめて市松の袖もげかかり      芥

 さてうらめしき殿中の声         解

1 回廊にショパン流れて異人館      天

2 願ひごと秘めつつうたふアヴェ・マリア 天
           (歌) *とちらが良いでしょうか?

1・2とも前二句の和風を軽めな洋風に変えただけのことです。おもかげとしては殿中の胴間声を異人館のピアノに、仇討の決意を教会で歌うソプラノに託して、というところでしょうか。さらに市松さん、即ち美少女の面影もちらついて。

この二句、ピアニストである宗匠夫人のイメージがヒントであることは申し上げるまでもありません。では。 1999.6.14 天女
宗匠様。



解酲子から天女へ 6.16

前略 付句拝受、アヴェ・マリアの句、なかなか感心いたしました。うらめしきに秘めつつがひびきあい、むしろその個人的な怨恨を超えた高みのようなところで「アヴェ・マリア」の祈りの歌声が流れているような気さえいたします。つまり、前句のうらめしきをここですぐれた意味が「解放」していると思うのです。

アヴェ・マリアは確かグノーにもあったと思いますが、一般的にはシューベルトのそれが有名ですね。あの声楽曲は私にはソプラノではなく、なぜかくぐもったようなメゾ・ソプラノの声質に聞こえてしかたないのですが、そのような私見を容れるにしても、この句の女声はひとつの憂いをもって初折裏冒頭の三句わたりを引き締めていると考えます。ここのところはやはり、歌という漢字ではなく、うったふ(訴ふ)という語源を思わせる平仮名のうたふ、がよろしいのではないでしょうか。

ちなみに、愚妻はピアノを演奏するという意味ではピアニストといえなくもありませんが、そのナリワイはピアノ講師です。 天女さんの次の番は、十中八九、秋季になると思います。それではよろしく。匆々  99.6.16  解酲子
天女さま



解酲子から芥子へ 6.16

前略 天女さんの付句が届きましたので、別紙のようにお知らせいたします。付け筋と評は資料のごとくです。
さて、ここで芥子さんにあれこれ言うところではありませんが、初裏二句目の愚句のあたりから場が少しウエットになってきていますので、注文をつけるとすればちょっとdryにやっていただきたい。洋風和風はここでの主題ではありませんが、いままでの経験でみなさんよくやるのは、こういう運びで邪宗門とか伴天連とかイッてしまう例があるので、老婆心ながらそれは避けた方がよろしいかと存じます。
さきの手紙ではああ言いましたが、ここはぜひもう一句、雑の句でお願いしたいところです。少し苦労なさるかもしれませんが、このあたりで丹精しておくとあとがぐっと楽になります。それでは。匆々   99.6.16 解酲子
芥子さま



芥子から解酲子へ 6.24

今年は雨が少ないと思っていたら、今大粒の雨が降っています。しっとりとメゾソプラノのアヴェ・マリアを聴きたいですね。でも今CDを毎日聴いて夢中になっているのはかの宇多田ヒカルちゃん。今最高の歌姫です。あの美しい声、16歳とは思えないたっぷりした情感、小室ファミリーもかたなしの才能です。うちの娘の友達みたいなノリのおしゃべり。すっきりすべすべのお肌。テレビで見ましたか。しかも藤圭子の娘、ときてはわたしはもうぞっこん。(宇多田ヒカルの恋歌めいて)   99.6.24 芥子
解酲子さま



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<雨の木の下で>支倉隆子と阿賀猥のアジト発見! 岡姫堂潜入ルポ(関富士子)へ
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