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vol.15

<雨の木の下で>

もっと詩を! 第一回ポエケット

1999.12.23  関富士子

やりました。1999年12月12日、東京は江戸東京博物館における第一回ポエケット。わたしは例によっておおいに楽しみましたが、皆様いかがでしたでしょうか。ともかく女3人集まれば、できないことはなにもないのだと、あらためてその行動力に敬意を表したい。

「ぐるうぷふみ」は友人のヤリタミサコさん経由で毎号読んでいるが、川江一二三さん、亀山明美さん、渡辺みえこさんなど、意識の高い独立心旺盛な女ばかりの小さな詩誌である。どこの組織にも属さず、こつこつと詩や翻訳や評論を書き続けてきた人たちだ。詩人団体の後押しもなく、スポンサーもなく、偉い詩人の知り合いもない。世間一般のご挨拶も根回しも男たちほど学習していない。でも、そんな彼女たちだからこそ、ポエケットの第一回は開けたのだ、とわたしは思う。

この催しに参加した人々は、おたがいに詩誌単位の付き合いがあるわけでもなく、地域のしがらみがあったわけでもない。でもそれぞれが彼女たちの趣旨に賛同して、一人一人声を掛け合って集まったのである。わたしもその一人である。計画にも準備にも加わらなかった一出展者だが、ネットでできるだけ応援した。

特にうれしかったのは、大阪の詩マーケットの方々の参加である。寺西さんを始め、有井泉さんやまつおかずひろさんがかけつけてくれた。わたしとしては、これまでのちょっとぎくしゃくした気持ちが一気に氷解するうれしさだった。今度はぜひ大阪の詩マーケットで詩を売りたい。大阪ってどんな街だろう。きっとすてきなところにちがいない。女はわたしのように気が強く、男は情が深そうだ。そこで詩マーケットの第一歩を寺西さんは始め、そして今回のポエケットにつながったのだ。

わたしは朗読会などにはよく出かけるが、たいてい受け付けに出演者の詩誌や詩集が並んでいて、すぐ買えるようになっている。しかし買う人ははっきり言ってほとんどいない。みなさん詩を読むよりも詩人のパフォーマンスを見たいのである。おもしろい朗読会にはそれなりにお客が来ているのだ。そんなわけで、正直いって始まる前は、交流と即売だけでは間が持たないだろう、みんなすぐ飽きて帰ってしまうのではないか、ある程度パフォーマンスが中心になるのはしかたがないと思っていた。

ところが、終わったあとでネット上のいろいろな意見を聞いてみると、だいたい一致しているのは、来場者同士の交流時間が少なかったこと。もっと交流したかった、ゆっくり詩集を見て買いたかったという声がなんと多いことか。6時間に及ぶ集まりだから、朗読に何時間も拘束されるのはやはり辛いものがある。それにしても、この声の多さはどういうことだろう。

たしかに朗読会では詩人の朗読を聞かされるばかりで、さしで詩のことを話す時間はほとんどない。わたし自身がインターネットに詩のサイトを持ってようやく感じ始めたことだが、案外たくさんの人が、詩を介した人と人との交流を求めているのではないか。少なくとも、ネット関係で来場した方々にその気持ちが強いようだ。お客の中には、ネットを介した付き合いのオフ会に近い感じで来場した人たちが多いのかもしれない。

ネットに無関係の方々はどうだったのだろう。ネットほどすばやく聞こえてこないから今のところなんともいえないが、詩誌の同人会の延長のような気分のところもあったかもしれない。詩人たちに向けてひとつ我が詩誌を宣伝しようという人など。詩人たちは詩は売れないことを身にしみて知っているから、本気で売るつもりはなかったかもしれない。たまに会う同人たちとちょっとしたおしゃべりやお付き合いという人もいただろう。

わたしが直接聞いたところでは、出展者の一人は朗読会はまったく苦手で、朗読を聴かされるのは苦痛以外のなにものでもない、後半は外に逃げてましたと言っていた人がいる。それから友人の一人は夕方用事の帰りに寄ってくれたのだが、扉が締まっていて中が暗いのでなんだか入りにくくて、帰ってしまったのと言っていた。こんなお客が何人かいたのではないだろうか。

交流と即売を掲げた催しだからこそ、普通の集会とは明らかに客層も変わり、来場者の目的も変わっている。さまざまな立場の人がさまざまな目的を持って集まってくるのだ。すべての人にある程度満足してもらうには、さらにいろいろな試行錯誤が必要なのだろう。

具体的にはどうしたらいいのだろう。
ある程度広い会場だから、照明はおとさないで、会場の一角で朗読やビデオをやっていて、面白ければ集まる、つまらなければばらける、というストリート風はどうだろう。朗読する人や聞きたい人は気が散るからちょっと仕切りがあったほうがいいかもしれない。まあ、朗読に自信のない詩人にとってはかなり勇気の要る状況ではある。ビデオは正面に映すのなら、照明を落とさなければ見にくいだろうから、あれもできればモニターを運び込んで、会場の一角でビデオもやっている、見たい人は見る、というスタンスはどうか。朗読を聞きながら自由におしゃべりしたり、本を手に取ったり、買い物したりということなら、気楽に何時間でもいられる。企画や構成、進行などにはほかにもまだまだ改善点がある。個別のいろいろな意見が参考になるだろう。

司会進行のヤリタさんはよくがんばったと思う。朗読もリズムがあって、朗読向きの詩としてよく考えられていた。(新作「ナガサワシノブは刻印する」のテキストあります。)それにしても6時間以上、2次会も含めて長い時間ごくろうさまでした。わたしは以前、同人誌の朗読会の司会をしたことがあるが、たいへん消耗して終わったあとはそれに関するものは見るのも聞くのもいやという状態だった。自分の朗読にも嫌気が差して、いつもせっかく青木栄瞳さんが誘ってくれるのに、いまだに、読むのは勘弁してと断っているありさまである。ヤリタさんはリーディングは場数を踏んでいるからそんなことはないだろうが、先日会ったときに「燃えつき症候群になったみたいで・・・」と言っていた。どうかゆっくり回復してください。元気を取り戻したころにこの感想ページを読めばいいのです。

青木栄瞳さんはそんなリーディングをコンスタントに続けているだけあって、朗読の合間の語りに客を楽しませる方法をにくいほど心得ている。朗読になると読みが力強く変化して聞いていて快感がある。ビデオでは甲田四郎さんがますます好きになった。まっとうな生活者の目と詩そのものが一致して、批評として成立している作品は稀ではないだろうか。ただ詩誌を紹介するだけの詩人のごあいさつにすぎないものや、つまらないおじさんの愚痴を並べただけの詩と称するものを聞かされるのはこりごりだ。それから楽器を演奏しながらのストリートミュージック系の朗読もプロっぽくて楽しめたのだが、あとになって見ると、その内容がまったく印象に残っていない。これはなぜだろう。音楽入りの朗読にもそれがあてはまることがある。

近藤直子さんの「わたしをまっとうして」はリコーダーの演奏と交互なので覚えているし、どなたかが「ナウシカ」と評していたように魅力的な声だったが、それでもやはり長すぎた。客は飽きてしまうのである。朗読は瞬間芸ぐらいに思っていたほうがいいかもしれない。

わたし個人のことを言うと、今回を一部60円で販売して、8700円ぐらいの売上があった。うち3000円は詩集2冊の分。毎日ポエケットがあればどんなにいいだろう。買ってくださった方の半分は顔を知らない若い人たちである。彼らがちょっと遠慮がちに、粗末なA3判を折りたたんだを手に取る姿が今でも目に浮かぶ。30年詩を書いてきて、ようやく読者に目の前で出会ったのだ。こんな喜びがあろうか。詩を売って生活するほんとうの詩人の人生を生きたい。あちこちの街角で詩が売られている情景、通りすがりの人たちが、百円玉を取り出して、詩を買い求め、公園のベンチや電車の中でちょっとひらいで読んでいる姿、そんな社会を夢見てなぜいけないか。さあ、これから街へ出かけて詩を売ってこよう!

しかし、喜んでいるばかりでいいのだろうか。何か自分に反省する点はないか。ポエケットの企画や準備を主催者にすっかり任せて、自分は当日のんびりと詩誌を持って出かけただけだった。ネットや詩誌に案内を載せて宣伝したつもりだが、詩関係には知れても、詩を読み書きしない人々へ伝えることは怠った。参加料2000円は20グループとして、はじめの参加呼びかけの案内状の郵送料でとんでいるだろう。主催者はかなりの出費だったのではないか。もっと出展者独自のアイデアを工夫して、自分のブースをアピールする方法はなかったか。

 来場してくださった方々にお願いして、たくさんのアドバイスを書いていただいた。みんなが詩を愛している。その熱い思いが聞こえてくる。どんな厳しい批判も、ポエケットの開催そのものを否定したものではないことがうれしい。みなさん、ありがとうございます。次のページをごらんください。


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