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vol.15
<詩>雨後、紫陽花(金井雄二)へ

 金井雄二詩集『動きはじめた小さな窓から』(1993年刊)拾遺集


tubu帰路の残像 扉が開いて閉じるまで 予感 ぼくはむしょうに好きになった



風の言葉

  
ぼくは何もいえない
言葉は
ひどくつらいものだから
  
今日一日ぶんの
仕事をしたあとの
ため息を吐くのが
精一杯
 
風はときおり
声をだす
それは
小さな子供がすすり泣くような
どこかふるえている
自然なまじりけのない
詩句
 
さて
精一杯ため息を吐いたあとは
それを万年筆につめこんで
なんとか言葉に
不意打ちをくらわしてやろう
 
風の言葉が
心のかたすみに
一瞬立ち止まったときのように
ぼくの風を
一篇のつたない詩に
送りこむのだ
 
ぼくのすべてをまるめこみ
“無風の場所”をめがけて――


              昭和59年7月


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帰路の残像

  
背の高い人だな
父と呼ぶにふさわしい
威風堂々とした風体をして
キリリとした光も持っているし
弾力のような笑顔もある
 
その横には
かわいい息子さん
まだ四、五才だろう
夕焼けが眼から反射して
父の威厳をひきついでいる
揺れる電車の中で
父親の指をしっかりつかんでいる
 
日曜日の勤め帰り
たそがれる車内に
何ごとにも動かされないような
父と息子の姿があった
 
僕は電車を降り
一人帰り道を急ぐ
 
「いいな」と思う
夕焼けに焼かれた眼
力のはいった握りこぶし
それは
僕の
帰路の残像
昼と夜との斜めの時間に
何の気なしに
ふわりと浮かびあがるもの
そしていともたやすく
スッと消えてしまうもの
それは決してわすれることのない幻影か?
 
かすかにふわりと浮かびあがる
そんな残像が
今日もひときわ鮮やかに
僕の指先に残っている―――


       昭和59年6月
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扉が開いて閉じるまで

  
その人は目のかわりに
白い杖をもって
電車の中に入ってこようとしていた
 
細く白い杖だけでは
とても人波の中に
体を浮かばせることなど
できはしないのに
 
僕はそんなふうに
思いながら
その人の行動を
見つめていた
 
案の定
白い杖は我先になだれこむ人たちのため
身動きがとれなくなった
しかしそれは
僕が無意識のうちに
これではいけない
と感ずることだった
まるでまっ赤に錆びたネジが
何かの拍子に
自然に回転するように
 
目を開いた人たちは
心の目をしっかりと閉じたまま
仲間という言葉も
助け合うという言葉も
やさしい女房のところにおいてきて
通勤ラッシュにそなえている
 
僕は腕をさし出した
男が女にうわ目使いでさし出す
その腕とは
根本的に違っていることは確かだ
僕の腕はその人の腕に触れ
ドアの片隅に案内してあげたのだが
「どうもありがとうございます」
とその人は言った
とてもはっきりした口調で
僕に言ってくれた
 
「いいえ」とこたえた僕は
急に頬が熱くなるのがわかった
小学生の頃
誰にでもできるようなことを
先生にほめられて
ひとりでひそかに赤面した時のように
その人の目をはなれた僕は
急に頬が熱くなったのがわかった


             昭和59年5月「浮遊」3号
 
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予 感

  
おおげさなようだが
風邪をひいて寝込んだ夜には
もうおれは死ぬんじゃないか
とそう思った
 
元気になった今では
うがいの習慣もどこへいったやら
多少の鼻水などが出てきても
平気のへいざである
 
先日「プルトニウムの恐怖」
という本を読んだ
原子番号九十四番の
地獄の雨のあのプルトニウムである
 
おおげさなようだが
そのうち地球は死ぬんじゃないかと思った


           昭和59年頃  未発表
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ぼくはむしょうに好きになった

  
たいそうやさしい詩人がおりました
ぼくはむしょうに
その人が好きになったのです
 
会ったこともない
話したこともない
だがぼくは
その人の詩を読みました
 
もうかなりのおじいちゃんだろうが
今でも詩を書き続け
そのやさしさは
海を越えているのです
 
ちっぽけな詩集の裏表紙には
黒ぶちのメガネをかけた
顔写真がのっていて
ほんの少し略歴が書いてあるのです
 “たたかう手と足をそなえた詩人”
 菅原克己・すがわらかつみ
ぼくはひっそりと咲く
花のような詩人を市川さんから教えてもらった
 
人から聞いた話しだが
むかし
詩を書いていた市川さんは
酒を飲んでは
よく暴れたという
 
ぼくは
やさしい詩人がむしょうに好きになった


         昭和58年11月「浮遊」2号   
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<詩>冬の庭師(関富士子)
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