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蒸し暑さの中で俺は眉を上下させていた。同じリズムで足が交互に伸びてい |
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た。俺の眼球のまわりには、薄い膜がくっついていてどうしてもとれない。か |
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ろうじて俺は歩いている。線路沿いであるにもかかわらず、異様に静けさが残 |
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っている道なのだ。電車が走り過ぎていく。レールの継ぎ目のスタッカート。 |
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頭の中で俺は、電車の窓にへばりつうている女の顔をを想いうかべる。 |
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そうだ、朝だ。 |
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<想いだしてきた。俺は幼少の頃、姉とよく遊んだのだ。姉は俺に女を要求 |
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した。俺は女になった。女になることは俺は好きだった。俺は女であるはずの |
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俺の恥部を見た。そこには俺がいた。> |
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道の奥は円錐ドーム。両脇に紫陽花が無数に咲く。一枚の花弁が俺を執拗に |
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見ている。道はゆるやかな登り坂。数メートル行くと左に大きくカーブしてい |
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る。その先には身障者児童のための学園が建っている。今日も出会うのだろう |
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か。学生帽をまぶかにかぶり、まっ白なシャツを着、車イスに乗る少年。そし |
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てうら若い少年の母。少年の眼の中にはいつも怒りがある、母の眼の中には欲 |
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情が映っている。 |
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俺は実のところ眼がほしいのだ。 |
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<姉は俺にあやとりを教えてくれた。少しずつ紐は指をしめつけながらから |
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められていった。俺の指はゆっくりと半円形を描きながら動いていった。指は |
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うねうねと恥じている。姉の指が俺の指を割って入ってくる。その時俺はどこ |
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までも屈強に近かった。> |
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水滴がしみついてぬれた紫陽花。視野はいつまでも白い。車イスに乗る少年 |
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とそれを押す母が近づいてくる。眉の律動。足の鼓動。ああ何ということだ。 |
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少年もその母も、眼にまっ白な包帯をしているではないか。 |
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俺は一瞬立ち止まる。草いきれ。 |
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<探偵ごっこをするときは、いつも俺は悪漢だ。姉は俺を人さらいやギャン |
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グにしたてあげた。うす汚れたハンカチで、俺は両手を縛られ、二度と悪さを |
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しないようにと逮捕されたのだ。なぜ俺は、ハンカチを歯でひきちぎり、遠く |
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へ逃れようとしたのか。縛られたままの方が、どれほど楽であったかしれやし |
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ないのに。> |
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目ざめと眠りのくり返しの中で、俺は生活してきた。それは性欲のように際 |
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限がなかった。唾液が薄く糸を引く。脇の下や首すじには冷たい汗がある。ネ |
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クタイが湿っていて嘘のように重たいのだ。 |
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「坂を登りきれば」 |
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「坂を登りきれば」 |
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脳裏に言葉が付着する。やりきれないやわらかさ。蒸し暑さの中で俺は眉を |
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上下させていた。水蒸気の中に陽はさしはじめていて、もう、すでに就業時間 |
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まであと五分と迫っていた。 |