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vol.20

愚かしくもおかしくて素敵な日々


中上哲夫詩抄 (全7篇)のうち

         ……書くことはもういちど生きることのようだった。
         そしてもういちど生きなければ、生きたことになら
         ないのではないかと思った。
         辻征夫「ぼくたちの(俎板のような)拳銃」

『詩学』2000年4月号より転載

1 人生でもっとも退くつな日
2 ぼくはそういうふうにはできていないんだ
3 ホモセクシャルな男の部屋に泊まったことがある
4 十九歳にもなってどうしてこどもが産まれるのか知らなかった
5 こんな新入社員だったのさ
6 兄という存在
7 浅草・神谷バー ――追悼・辻征夫


人生でもっとも退くつな日


  
一月一日にキャバレーに行ったことがあった
生まれて初めてだったのだが。
エルヴィス・プレスリーをまねた
リーゼント・スタイル
ぴかぴかの靴
新品ダスターコートの襟を
ちょっとハンフリー・ボガードみたいにおし立てて
町へ出たんだ
なにというあてもなく
なにしろ
ガールフレンドもなく
友だちもみなどこか遠くの故郷へ帰っていってしまって
(どうせ熊の出る雪深い山奥さ)
なんだかジグソーパズルの最後の一片が見つからないような気分だった
だから正月はきらいだ
と思った
期末試験の霧が黒雲となって前方の空にかかっているのが見えたが
元日の朝に経済原論の教科書をひらく奴なんていないさ
迷路のような暗い管くだっていくと
しけた光を反射するミラーボール
の下に長い顔の女たちが棒足をくんで欠伸をしたり剣玉をしたりしていた
話のボールもちっとも弾まなくて
いまだ頬ダンスの術も知らず
テーブルの上のタンブラーのビールの気泡見つめながら
かびくさい空気をすったり吐いたりした
ボードレールも朔太郎鳶もいない都会の雑踏を徒渉して
家へ帰った
リビングルームの四角い箱に足をつっこんで正月の喧騒番組をぼんやりながめた
老人のように。
どんな一年になるかだれにもわからなかったし
成人式に出る気もなかった


<詩>「人生でもっとも退くつな日」縦組み横スクロール表示へ縦組み縦スクロール表示
tubu<詩>ぼくはそういうふうにはできていないんだ(中上哲夫)
<詩>挨拶詩1(中上哲夫)
<詩>地上の人に告げて(関富士子)



 

ぼくはそういうふうにはできていないんだ


アメリカ行きがきまったとき
心配症の友人が教えてくれたのは
I am not built up like that.
(ぼくはそういうふうにはできていないんだ)
同性愛者にいい寄られたとき役に立つと思うよ。
だれも信じないかもしれないけど
びっくりするよな美少年時代があって
(うんと昔の話さ)
映画館の暗闇で初めて同性から手をにぎられたときの困惑は
いまだに言葉が見つからない
夜の町を歩いていると
中年男からいんとうな声をかけられ
共同浴場の脱衣場では同性の熱い欲情光線を浴びせられ
ぎゅうぎゅう詰めの缶詰のなかではしっぽをさわられ
最終電車のあとのタクシー乗場では列の前の男からあからさまに
誘われ
場末のバーのかしいだカウンターにつかまっていると……
もういいだろう
そんなことがつづくと
だんだん悲しくなってきて
もう夢遊病者みたいになって、さ、
女の子たちともちゃんとつき合えなくなってしまって
友人から教えてもらった言葉は
けっきょく一度も使うことなく
アメリカから帰ってきたとき思ったんだけど
くちのなかでもぐもぐ単語をかんだり
ぱっと駆け出したりしないで
断乎いってやればよかった
ぶーわー
ぼくはそういうふうにはできていないんだ、と。


<詩>愚かしくもおかしくて素敵な日々1・2(中上哲夫詩抄)縦組み横スクロール表示へ縦組み縦スクロール表示
tubu<詩>ホモセクシャルな男の部屋に泊まったことがある(中上哲夫)
<詩>人生で最も退くつな日(中上哲夫)



 

ホモセクシャルな男の部屋に泊まったことがある


なんでそんなことになったのかというと
最後の電車が行ってしまったあと
桜木町駅の構内で友だちと煙草をふかしていたら
中年男が話しかけてきたんだ
寝る所がないのなら
泊めてやってもいいよ
無口な男のあとからしけたアパートメントの悲鳴をあげる階段をのぼっていくと
男の部屋があった
友だちはただちに懸壅垂をふるわせ始めたので
ぼくもふとんにもぐり込んだ
そのまま朝になればよかったのだが
どうもへんなのだ
お尻のへんがもぞもぞして
男が背後から抱きついていたんだ
蛙のように。
五百円あげるから
と男はいった
五百円きざみに値をつり上げていって
三千円までいった
男は哀願しつづけた
断ると
こん度は恫喝した
この寒空にふとんの上で寝れるのは
だれのお陰だ
ぼくは初めて部屋を見まわした
ピンクのカーテンにピンクのランプシェード
壁一面を占拠した巨大な鏡台
レム睡眠の友を起こすと
帰るぞといった
鏡台の上のホープを二箱ジーンズの尻ポケットに押しこむと
(ちょうど煙草がきれていたのさ)
男の部屋を出た
そして寒風夜明けの国道を鉄道線路に沿って
歩いていったんだ
高島町まで。
一番電車がやってきたのだ


<詩>愚かしくもおかしくて素敵な日々3・4(中上哲夫詩抄)縦組み横スクロール表示へ縦組み縦スクロール表示
tubu<詩>十九歳にもなってどうしてこどもが産まれるのか知らなかった(中上哲夫)
<詩>ぼくはそういうふうにはできていないんだ(中上哲夫)



 

十九歳にもなってどうしてこどもが産まれるのか知らなかった


だれも信じてくれないんだけど
十九歳にもなってどうしてこどもが産まれるのか知らなかったんだ
男と女が一緒に暮らしていると
なんとなく妊娠して
こどもが産まれるものだと思っていたんだ
(ほんとだってば!)
高校生のとき
教室の級友たちのマスターベーションの話を耳にしても
マスタードの一種かと思った
そのころのぼくは下腹部の影にひそかに悩んでいたんだけど。
大学に入っていちばん驚いたのは
資本家というときかならず<吸血鬼的>という形容詞をつけるマルクス経済学の教授のことではなく
クラスメートたちの性の話だった
もう女と同棲している奴もいて
まずしい性体験を誇示した
売春禁止法が施行される前の時代で
入学試験の会場へ遊郭から行った奴がいて
それで受かったのさ
クラスメートたちの猥褻話を聞いていると眩暈がし
性行為のほんとうの意味を知ったときには
マグニチュード8の地震に直撃されて
へなへなとすわり込んでしまった
余震がようやく治まってから
結婚し
こどもが産まれた
やっと
どうすればこどもが産まれるか身をもって知ったというわけさ


<詩>愚かしくもおかしくて素敵な日々3・4(中上哲夫詩抄)縦組み横スクロール表示へ縦組み縦スクロール表示
tubu<詩>こんな新入社員だったのさ(中上哲夫)
<詩>ホモセクシャルな男の部屋に泊まったことがある(中上哲夫)



 

こんな新入社員だったのさ


大学の門を出て入ったのは
従業員八名の零細出版社
社屋の二階が社長の家屋で
二人のふとった娘がいつも社内をうろついていた
(まったくうるさいがきどもだ!)
新米編集者の担当は校正と原稿取りで
満足に仕事も覚えないうちに
労使の対決に巻き込まれてしまった
前近代的な労働条件を改善すべく
労働組合をつくろうというのだ
計画は秘密裏に進められていたのだが
たちまち露見してしまった
間もなく判明したところでは
社長の甥営業社員がスパイで
ぼくらの言動は筒鳥の筒抜け
社長側の激しい巻返しと
嫌がらせが始まって
歯ブラシの毛がぬけるように社員がやめていって
残った社員はインターナショナルを歌って対抗したけれどぼくらの
敗北は決定的だった
組合運動のプロがいなかったことが致命傷で
気がつくと
もうぼくの居場所はどこにもなかった
忘年会が最後の決戦の場で
社長は最初からぼくらを針の先でちくちくつつきつづけたので
休火山もついに噴火して
やにわにビール壜の首をつかむと
ぼくはぴかびかの禿頭に泡立つ液体をどっどっどっとそそいだのだ
元気だなあ!
なんていっていたでぶも本気で怒り出し
忘年会は終わり
ぼくの寿命も尽きた
校正記号とひとを簡単に信じるなという教訓を胸に
その会社をやめた


<詩>愚かしくもおかしくて素敵な日々5・6(中上哲夫詩抄)縦組み横スクロール表示へ縦組み縦スクロール表示
tubu<詩>兄という存在 (中上哲夫)
<詩>十九歳にもなってどうしてこどもが産まれるのか知らなかった(中上哲夫)



 

兄という存在


兄というのは
背が高く
ハンサムで
大学のバスケットボールの花形プレーヤーで
いつも大勢のガールフレンドに囲まれていて
試合を見にいくと
シュートのたびに女の子たちから歓声の渦がわき起こった
そりゃあ格好よかったさ
学校もちがって
(兄は渋谷で
ぼくは国分寺)
どこにでもついていくというわけにはいかなかったが
カクテルの名前
ネクタイの結び方
質屋の利用の仕方
女の子たちとの口のきき方
渋谷や新宿のバーや喫茶店など
いろんなことを教えてくれた
「MEN'S CLUB」も毎月見せてくれた
そこまではよかったんだ
だんだん金遣いが荒くなって
ぼくのものまで質屋にもっていくようになって
ぼくの腕時計も流してしまった
三軒となりの質屋まで
背広をハンガーに吊したまま持っていくので
お袋はいつもこぼしていた
こんなことしているとろくなことにならないよ
お袋のわるい予言は的中し
ガールフレンドの一人の女子大生の自殺未遂事件があって
バスケも大学もやめてしまって
兄が家を出ることに決まったときは
ブラボーと叫んだものさ
遠くの港町で地道にはたらいているという噂を一度耳にしたこともあったが
生きているにしろ生きていないにしろ
兄という存在は指にささった棘みたいなものだ


<詩>愚かしくもおかしくて素敵な日々5・6(中上哲夫詩抄)縦組み横スクロール表示へ縦組み縦スクロール表示
<詩>浅草・神谷バー ――追悼・辻征夫(中上哲夫)
<詩>こんな新入社員だったのさ(中上哲夫)へ



 

浅草・神谷バー ――追悼・辻征夫


         どんな国際ニューズよりも
         天気予報が気がかりだった
            鮎川信夫「競馬場にて」
  
  
三十歳で定職がないというのは
すこし悲しかった
朝ごとに
窓の外の天気を見つめて
馬場状態を予想した
そうして浅草に出かけるのだが
雷門の前のからんとした神谷バー
の窓辺の椅子に吟遊詩人がぼんやりすわっていて
その日のレースの予想をはじめるのだった
ビールの泡をのみながら。
もうもうと埃舞う場外馬券売り場まで
二匹のぼうふらのようにふらふらと
そして
窓口の前ではいつもパスカルのように苦悩した
ビールと電車賃と配当率の黄金分割がむつかしいのだ
ふたたび神谷バーの窓際の席でホップ酒をのみつづけるのだが
おどろおどろしい名前の褐色の飲料が
食堂を流れくだることはめったになかった
感電するといけないから。
ひと気のない午後の酒場の泡立ち飲料は
実をいうと
苦艾のように苦かったのだ
(いまごろみんなはたらいているんだろうなあ!)
若いんだからはたらかないとだめよ
そうしてみんな一人前になるんだから
酒場のおねえさんからやさしくいわれてみても
半人前の者たちは口をつぐむしかなかった
鶫のように。
予想はてんで当たらなかったし
未来はレースのようには読めなかったのだ


<詩>7 浅草・神谷バー ――追悼・辻征夫(中上哲夫詩抄)縦組み横スクロール表示へ縦組み縦スクロール表示
tubu<詩を読む>短い詩のおもしろさとつまらなさ(A・R・アモンズ詩集『本当に短い詩』を読む)(中上哲夫)へ
<詩>兄という存在 (中上哲夫)
<詩>地上の人に告げて(関富士子)へ
rain tree indexもくじback number20 もくじvol.20back number vol.1- もくじBackNumber最新号もくじ最新号ふろく執筆者別もくじ詩人たちWhat's New閑月忙日rain tree から世界へリンク関富士子の詩集・エッセイなど詩集など