
vol.24
宗清友宏詩集『縁速』(2001年あざみ書房刊)より
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空無の手
音界の村
その銀河の淵を渡り始める時
時代の道行き
シリウスよ 僕はここにいる
空無の手
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そっと うすい絹が流れ
| やがて 少しずつ分子崩壊をおこし
| 風にも 温度のない霧にもならず
| 短い間 様々な曲線を描いて
| その質量のない無数の点が消えてゆく
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| そこに古びた空気入れがあるとして
| それを押す人も
| 対象としてのタイヤも見あたらず
| しばらくの間そのままであるとして
| たとえ錆がついていようと
| 内部の その底に残された
| かすかな隙間は
| 正しい待機のうちにある
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| 私たちの場所
| 手のひらには何もなく
| 私たちの言葉が手のひらに残ることもなく
| それはただひとひらの雪のように
| 消えてゆくばかりのものだとしても
| その空無の手を快く振って
| 歩いてゆくことや
| 君に挨拶することは出来る
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| うすいものの流れるその中に
| いやに街だけが原色の輝きに
| 満ちていようとも
| 私たちは そこを
| すり抜けてゆくことが出来る
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| 必要のない私たちの存在
| 陽にかざした私たちの手の
| 透けるように
| うすいものであったとしても
| そのかすかな隙間から
| 見えてくる
| ひとつの景色がある
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<詩>音界の村(宗清友宏)へ
<詩>カタカナ純情小曲集 T(宗清友宏)へ
音界の村
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静かに湧きたつ
| 目の中の光
| その流れゆく粒をひととき感じ
| ゆるやかにその縁に移りながら
| 私はいつか眠りに落ちる
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| ............ ............ ............ ............ ............
| ............ ............ ............ ............ ............
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| やがてどこからか音の粒が
| 小さな波の輪とともに鳴り始め
| 私の生まれる前からの音が
| かすかに残された物たちの音とともに
| 小さな交響域を
| あるいは軽やかな不協音を奏でている
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| 音界の村
| 朱色めくベールが全体にかかっていても
| その鼓動の中にわれわれの始まりがあり
| その始まりの音は
| 音の思いに満ちている
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| そこに聞こえる 風の音の始まり
| そこに聞こえる 水の音の始まり
| 私は心地よい眠りの中
| その始まりの音の淵へ
| 身を丸めながら
| スッと入ってゆく
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| そこに見える 風の音の始まり
| そこに見える 水の音の始まり
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<詩>その銀河の淵を渡り始める時(宗清友宏)
<詩>空無の手(宗清友宏)
その銀河の淵を渡り始める時
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高いジャンプ台からプールに飛び込もうとして
| そのまま空中に止まっている人よ
| そこから何が見えるか
| 逆さまになった光景と
| 重力を超えているような錯覚か
| じわじわとそこからプールの水に向かって
| 落ち始めんとする人よ
| プールの水はその時
| あなたを迎えんとする存在の海か
| あんなやわらかいものがあるだろうか
| あんな自由自在に変化するものがあるだろうか
| そこから少しずつ落ち始めんとする人よ
| あなたの地は足もとに天として広がり
| あなたの天は水として頭上に広がり
| そして固い固い風景の爆弾もその天に広がり
| 急速にあなたに呼びかけてくる
| なおもその空中にあって止まり続けている人よ
| あなたの目は風の速度を感じ
| あなたの鼻は激しい気流を感じ
| あなたの耳は赤い音を確かに聞いている
| 足の先には残された人間の営みが震え
| 手の先にはかってなかったものの在りかが流れ
| あなたの波打ち始めた皮膚には
| 時間の帯がゆっくりと流れ
| そして〈あなた〉は
| その一瞬の落下の埒外の
| かわいた水の流れる銀河の淵を
| 今 渡り始めている
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<詩>時代の道行き(宗清友宏)
<詩>音界の村(宗清友宏)
時代の道行き
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一本一本の髪の毛の先に
| 小さな小さな灯がともり
| フワフワと揺れている
| 原始ー光ファイバーの時が訪れ
| 物語がそこを流れてゆき
| そこから空へ流れてゆき
| その下の揺れるカラダと呼応する
| 光る逆髪の 逆さクラゲの
| ユラユラ揺れる時代の道行き
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| その道行く道の
| やわらかな土の下に
| 樹木たちの隠して見せない
| 無数の根の
| さらにさらに細かい白い繊毛の
| 深い場所での静かな増殖
| その上方に威厳をもって緑を開き
| 空気の海の中
| 大地とともにユサユサ、ユサユサ
| 律儀に回る
| 豊かな梢も星の中
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| 二足歩行の逆髪の
| 光を宿すクラゲたち
| ユラユラ漂い樹木を巡りて
| 星の中の梢を見上げ
| そこから漂い流れて来る
| どこかの星雲の幽かな水滴を
| ポッポッポッと瞳に受けて
| やわらかな土の上を
| やがてホッホ、ホッホと言祝ぎながら
| 両手を上下にかざしてゆく
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| 大地にまかれた星くずの
| 上をソロソロ渡りながら
| 長い物語を紡ぎ始めた逆髪の
| 光を宿すクラゲたちが
| キロキロ、キロキロ呼び交わし
| 捧げた掌に金のリキュール一滴、二滴
| ホッホ、ホッホと言祝ぎながら
| 揺れる夜空の楽しげな
| 何処へ向かうか
| 時代の道行き
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<詩>シリウスよ 僕はここにいる
(宗清友宏)
<詩>その銀河の淵を渡り始める時(宗清友宏)
シリウスよ 僕はここにいる
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ある古びた車が後方の闇の中からゆっくり現れ
| 前照灯も点けず
| 室内灯のみを明るくつけたその車内には
| 笑いさざめくような四、五人の老人たちの姿が見え
| そして音もなく傍らを通りすぎ
| また前方の闇の中にスーと消えてゆく
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| 「今どの時代を走っているのでしたっけ?」
| 「確か、アフターと言われた、あの時代」
| 「時間は?」
| 「午後十一時五十分」
| 「まだまだ夜は続きますな」
| 「はい」
| 「それでは、もう一杯リキュールを」
| 「はいはい、もう一杯」
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| その古びた車の通りすぎた後
| 少しして 二つの丸い前照灯らしい光が
| 追いかけるように飛んでゆく
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| 深夜の郊外の寂しい道
| 仕事を終えて帰りながら
| 見上げる冬の星座の煌めきは
| あれから何年たったろうと思わせる
| あのにぎやかな冬の星座の下
| 暗い凍える海を仲間たちと眺めながら
| 私たちはそこでひとつの時代を終えたのだった
| カチカチと硬い音をたてるアスファルトの道に
| ボンヤリとその時の映像がよぎる
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| 何処から来たのでもない
| 何処へ行くのでもない
| そこにあるままの時の中で
| すでにひとつは過去と呼ばれ
| ひとつは未来と名づけられ
| その二つの時を傍らに
| 何かがゆっくりと移動してゆく
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| 仕事先でのつまらぬ一言を思い出し
| 白い息をフォーと吐き出し
| 南天に明るく輝くシリウスを見上げる
| そうしてゆっくり歩きながら
| 暗い郊外の道を帰ってゆく
| しばらくすると前方から
| また さっきの前照灯らしい二つの光が
| スーとこちらにやってきて
| 傍らを通りすぎ 後ろへ消えてゆく
| 少しして またあの古びた車が
| バックのままの状態でやってきて
| スーと傍らを後ろへと移動してゆく
| 室内灯のみ やはり明るく照り
| 中に乗っていた老人たちのさざめく姿もそのままに
| スーと後ろへ消えてゆく
|
| 「今どの時代を走っているのでしたっけ?」
| 「確か、(アフター)と言われた、あの時代」
| 「時間は?」
| 「午前零時十分」
| 「まだまだ朝は遠いですな」
| 「はい」
| 「それでは、もう一杯リキュールを」
| 「はいはい、もう一杯」
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| ふと振り返り
| その車が闇の中に消えて行くのを見ながら
| また夜空を見上げる
| 「シリウスよ 僕はここにいる」
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<詩を読む>春詩を読む喜び(関富士子)
<詩>時代の道行き(宗清友宏)
<詩>橋の下の家族(関富士子)へ

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