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 2016年4月の独想録


 4月7日 効率的に「自分の頭で考える」ためのヒントA
 何かを考えるということは、考えることによって何かを解決したいからであろう。この「解決したい」という欲求の次に私たちの頭が行うプロセスは、「どうすればいいか?」と考えることである。つまり、問題や課題を解決するための方法を考えようとする。人類をはじめ、ある程度高等な動物たちは、この「どうすればいいか?」という方法を考えることによって進歩してきたといえるだろう。
 しかしながら、私たちは意外なほど「どうすればいいのか?」と考えていない。たとえ考えてもすぐにやめてしまったりする。
 これは、国民性や伝統、これまでの生育環境などが原因と思われるが、問題や困難や不愉快な状況に遭遇すると「もうだめだ」とあきらめてしまい、我慢してそれを受け入れるという習性ができあがっているのだ。「困難に遭遇したら思考停止する」という、ある種のプログラムが脳にインプットされていると表現してもいいかもしれない。そのために私たちの大半は、不本意な境遇や運命に甘んじて生きてしまっている。
 そこで、自分の頭で考えるためには、解決すべき何らかの問題や困難や不愉快な出来事に遭遇したら、「では、どうすればいいか?」と考える習性を身につけることが重要になってくる。そうして粘り強く、解決のための方法を考えるのだ。
 このようにして「どうすればいいか?」とひたすら考え続けることにより、脳はフル回転するようになり、ついには問題解決のための方法を考え出してしまうものである。たとえ完全には解決できないとしても、現状より改善する方法くらいは考え出せてしまう。

 このことを、「あたりまえではないか」と思わないで欲しい。ためしに、注意深く自分の思考を観察してみて欲しい。そうすれば、問題や困難や不愉快な出来事に遭遇したとき、「では、どうすればいいか?」と真剣に考えることをせず、ほとんど無意識的にそれを我慢して受け入れていることが多いことに気づくはずである。その結果、いつまでもかわりばえしない生活、不本意な生活、不便な生活、不愉快な生活を続けることになってしまう。
 繰り返すが、その原因は「困難に遭遇したら思考停止する(考えるのをやめる」とプログラムされているからだ。それが習性となっているのである。
 そこで、こうした習性(プログラム)を書き換えなければならない。
 習性を変えるのは簡単ではない。意識的に粘り強く挑んでいく必要がある。そのために、次の言葉を、頭のなかで念仏のように常に唱えているとよい。
「では、いったいどうすればいいか?」
 そうすれば、何か解決すべき出来事や状況に遭遇したとき、反射的にこの言葉が浮かんでくる。そして、解決のための方法をひたすら考え抜いていくのだ。どんな小さな不愉快なことも見逃してはならない。不愉快なことは、ことごとく解決していく姿勢が大切だ。
「では、どうすればいいか? では、どうすればいいか? では、どうすればいいか?・・・」
 もちろん、すぐに解決策が見つかるとは限らない。しかしあきらめてはいけない。忍耐強く、考えて考えて考えて、考え抜くのだ。
 そうすると、さらに解決しなければならないことが見つかる場合も少なくない。そのため「やっぱり無理だ」と思ってしまうかもしれない。だが、それでも喰らいついていくのだ。「では、どうすればいいか?」と繰り返しながら。
 人生というものは、こうしてひたすら「では、どうすればいいか?」と、どこまでもどこまでも考え抜き、そして行動していった者が、ついには勝つのだと思う。才能だとか、恵まれた境遇といったものは、勝利を手にするにおいては二次的な要素にすぎない。なによりも忍耐強く自分の頭で考え、行動していった者が最後には勝つのだ。

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