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 2022年5月の独想録


 5月25日 戦争に反対する勇気
 まずはご報告から。
 今月のイデア ライフ アカデミーの授業は瞑想教室で、「死と向き合う」というテーマで行いました。死と向き合うとき、私たちは生と向き合い、人生が充実してくるのです。人はいつか死にます。いつ死ぬかわかりません。ですから、いつ死んでもいいように、準備をしておくことが大切です。そうすることによって、結果的に人生が充実したものになるでしょう。ぜひダイジェスト版をご覧ください。
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 では、本題に移ります。
 ロシアとウクライナの戦争は、長期化の様相を示してきました。皆様ご存知のように、この2カ国の戦争の結果によって、将来、中国による台湾侵攻が起きるかどうか、大きな判断材料になるということです。言い換えれば、「力による現状変更」、要するに武力によって他国をのっとるということがゆるされるような世界になりかねないということです。そうしたら、日本も危なくなるでしょう。その意味で、このロシアとウクライナの戦争は「対岸の火事」ではなく、世界の命運がかかっていると言っていいと思います。

 なので、今後もまだしばらく緊張の毎日が続くと思うと気が滅入り、この大きな問題が解決するまでは、このブログも本来のテーマについて書く集中力がどうしてもそがれてしまうのです。万が一にも日本が戦争になったら、悟りだとか解脱などとは言っていられません。いつの時代もそうですが、宗教的な修行に専念するには、何よりも前提として、国が平和でなければ無理なのです。

 宗教といえば、プーチンと仲のいいロシアのギリシア正教の最高指導者が、今回のウクライナ侵略を支持していると聞いて、あきれてしまいました。うわさによれば、彼はプーチンの配慮によって豊かな財産を築いており、高級腕時計をしているとのことです。これが、「清貧」を美徳とするキリスト教徒のすることでしょうか。
 しかしその一方で、今回の戦争に反対の声をあげている地方の聖職者も少数ながらいるようで、その勇気に感服すると同時に、真の聖職者もまだいるのだと少し希望がもてました。しかし、ほとんどの人は、おそらく内心では反対なのでしょうが、表だっては反対の声をあげずに、だんまりを決め込んでいるようです。無理もありません。プーチンに逆らったら、追放されるならまだいい方で、監禁されたり拷問されたり殺されたりするかもしれないからです。今、その反対の声をあげた聖職者が無事であることを祈るばかりです。

 もし私だったら、拷問や殺されるのはイヤですが、追放くらいなら、反対の声をあげると思います。別に聖職者の職を奪われても、どんな仕事でもして生計を立てればいいのです。それよりも、これまで培ってきた正義と愛という信仰が、単なる偽物にすぎなかったということになるよりは、ずっとマシだと思います。それは、今までの聖職者としての人生の否定を意味します。
 非常に高い境地に達した真の聖職者なら、死ぬことさえ怖れないでしょう。死ぬ恐怖よりも、正義や愛、真理、そして、イエス・キリストへの愛の方がはるかに強いからです。
 こんな真の聖職者たちが大勢いて、いっせいに声を上げたならば、戦争もなくなると思うのですが、現実は残念ながらそうではなさそうです。

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