vol.4(関富士子の詩)
本を造る人
関富士子
1
綴じ糸を掛ける
細い不断のひもが
指の腹にくいこんで
紙背から攣れる
かたくなな撚りをほぐし
なかぐちまで引き絞る
にせのページがあらわれる
一脚のチェス盤のますめに
あらゆる人事は起こるので
書きものは冬の仕事だ
告白する文字はかすれ
その求愛は散乱し
tを打ち損じたまま
束ねないと消えてしまうのに
擦り傷めくペンの痕跡
恋情はすぐにこと切れる
かがり糸を無くしてばらばら
端書をかきあつめて
春めいた川べりに積むと
あかるい炎が触れて
燃えるページをめくりにくる
2
やや反りかえる
軽くひらかない
すぐ閉じない
背きあった肩の
かすかな歪み
矩形の線から
ななめにはみ出す
喩がもつれたか
たわいないゆるみか
糸の掛け違いの
いまいましい負荷が
本の全体にかかる
表紙の新しい摺りに
sと空捺ししたときの
火傷がずきずきする
焼き鏝を冷まして
くぼみをなぞった
ヨロコビの記憶があるのに
扉は手ひどくきしんだ
たたずむ者をこばむ
あきらかな失敗だ
目打ちを合わせたあと
胸襟をひらかなかった
見返しの糊付けをはがし
堅牢なカバーをはずす
私の非に出会うとき
3
つなぐ
空き家へ
彼女はいない
もうもどらないと
人に言伝てていた
会いたい
丸背まで触れたい
扉に鍵はない
いつも窓はあいていて
今もだれかが
どこかで
…かさり…
ページをさぐる音
来ていいのよわたしと
まじわるのよ
留守の書斎を
こっそりひらく
光が散らかって
顔料がこぼれ
リネンの切れはし
ポプリンの花ぎれ地
乱雑なままの机に
空っぽの赤い函
夜ごと彼女が言葉と寝た
奥の簡素なベッドで
仕上げられたばかり
山羊革の日記に
古びたmを見つける
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