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vol.17
「布村浩一」執筆者紹介

布村浩一の詩

tubu夜のはじまる街tubuラブ・レターtubuホテル・クレセントtubuドミニク・サンダ「初恋」tubutubu船の上tubu横浜tubu崖の町

     

夜のはじまる街

 
夜のはじまる街
秋の中ごろ
気温は20度
ぼくは喫茶レイン・ツリーの二階で
モカを飲んでいる
四角形のエアコンは停まって
窓を二ヶ所開けてある
  
明かりがきれいだと思う
ビルの明かりが海のようだ
レイン・ツリーの向こうの大通りにそって
三つ並んでいる建物のすべての窓に明かりがついている
「ながめる」
といった姿勢でみている
  
時がとまったような時間は
やっと終わったのだ
なめらかなビルとビルのあいだの空
街の動いている時間にそってぼくの気分も
夜に向かう
ビルの明かりが消えたとき ぼくも暗くなって
屋上の冷却塔の水しぶきの止まるとき
ぼくもすべてをあきらめるだろう
つまり眠りにつく
つまり一日は終わる
  
同じように悩んで
同じように苦しむ
ふとんの中で
夢の中で
一つになって
ぼくは他人と同じ
ぼくは他人と変わらない
渦の中の泡のようなものになって
巻き込まれ 
落下し
浮きあがる
夢の中で 眠りの中で
うめき声の 
朝に向かう
渦の中で


布村浩一個人詩誌「出来事通信」10号より 1999年12月発行
<詩>「夜のはじまる街」縦組み横スクロール表示へ
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 ラブ・レター



何度でもだして
何度でも振られる
またいつか こんなことをやるにちがいない
ぼくの出したラブ・レターは
渋谷のたばこと塩の博物館の上
上空のあたりで
バラバラに粉々に
砂のようにパラパラと
震えて
なくなってしまった
  
まるで令嬢のように思った
立てばひまわり
歩く姿は百合の花
においがプーンとやってきて
ぼくはガクンと酔った
キリン淡麗〈生〉より芳しく
バドワイザーよりも軽やかに
モルツ麦芽1〇〇パーセントでもこんなふうにならない
ぼくはラブ・レターを出したのだ
  
ゴールデン・ウィークで人たちは動きはじめ
ニュースをみれば飛行機に乗ったり 
新幹線に乗ったり
ぼくは六畳の部屋で揺れに揺れ
ニューヨークのドル相場よりも乱高下して
下がったと思えば上がり
上がったと思えば下がる 恋のわずらいはイカのなま食よりも微(び)な味わいで
つまずかないところでつまずいて
わけがわからない
ぼくはラブ・レターを出したのだ
  
解剖をまつヒキガエルのような
刑をまつ囚人のような
答案用紙をまつ制服の生徒のような
そんな気持ちで食べるチキンの揚げ物は
塩が足りない
もっとパリッと
もっと焼け
ぼくはラブ・レターを出したのだ


出来事通信8号より 1999年8月発行
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 ホテル・クレセント        



海岸で身体を洗う男の姿が悲しかったな
ぼくにもあんなことがあったような気がする
これからあるような気がする
もう一度観るつもりだったが
東西ビデオレンタルに返してしまった
もう一度観るつもりだったが
さっき返した
  
ホテル・クレセントのきみの部屋の扉をたたき続けた
きみの部屋の扉は少しも開かない ぼくは
あきらめた あきらめたが
さっきメモを置いてきてしまった
今度は女のどの辺りに届くだろう
  
塩のにおいのする部屋できみのことを三日間考えたんだ
ぼくを苦しめた愛の出会いや別れを思い出したが ぼくは耐えて
きみに長い手紙を書き続け 夜が明けるのを待った
正しさと正しさの関係はもういやだ
からだとからだの関係がいい
  
7時の夜の空はぼくには寒すぎて
ぼくは西の方の生まれの人間なんだと思う
何でビルとビルのあいだの残留塩素の臭う町に
住むことになったのかわからない
  
出発した西からの飛行船は
港の近くの夕方の鉄棒の上に不時着して
もう仕事は終わった
ぼくには さか上がりや
大車輪しかやることがないんだ
空と地のあいだでくるくると
回ることしかできない
同じ場所で
  
マラウィ喫茶店の2階
ここだけ煙草の吸える部屋で
明かりの強いテーブルの反射
夜景を見ながらしゃべり続ける客たち
エアコンは停まって
午前0時の会話が 
ゆっくりとゆっくりと
落ちていくのを
待っている
町が死に始めて 会話が完璧な闇になって息をひそめたら
立ち上がって
少しだけは開けていなければならない
窓から
少しの隙間から
動き始める前の
遠い駅を見る


「出来事通信」7号 1999年6月発行
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ドミニク・サンダ「初恋」




 
阿佐ヶ谷に住んでいた頃 渋谷の映画館で「初恋」をくり返し観た 何日
も通った 阿佐ヶ谷の白菊荘というアパートに住んでいた 階段を上がる
と「暗い部屋」がある
「初恋」は西独とアメリカの合作映画で1970年に撮られた 「FIR
ST LOVE」という英語のタイトルが画面の最初に出る
  
  少年が歩いてくる丘の枯れた木と木のあいだ 鳥が飛ぶ 煙突が見え
  る カメラが近づくと捨てられた帽子や鏡 彫刻だ 影の中ジナイー
  ダがいる 扉を開けた影の中 アレキサンダーと呼ばれる少年
  
75年から80年まで阿佐ヶ谷に暮らした 何もなかったといえる 一人で暮
らし続けた 町に馴染めなかった 町の中でたった一人だった 駅からほ
そい道をくねってたどりつくアパート 13号室に暮らしていた
  
  ジナイーダ 影の中にいる だんだん光が強くなる 大きな物語がな
  がれている 高い窓 高い天井 古いタイプライターを打つジナイー
  ダの母親 タイプライターのVIADの文字が並ぶ 森のたどってい
  ける深い葉
  
緊張はまだ続いていた どこにもたどりつかない緊張 窓のしたを見ると
一本の道があって 向こう側に煙草屋があった かつらを被った年寄りが
店番をしている 夜中になるとその道路で言い争う声が聞こえてきたりし
た そのたんびにぼくは布団の中で身体を固くする
  
  円いテーブルの光沢 石の壁の家の堅さ 家の中の窓の宙吊り
  石の階段を下りていくジナイーダ 背中がみえなくなる 廃家のジナ
  イーダ 古い壊れた家具をみている 廃家のそば葉のない木が立って
  いる ジナイーダとアレキサンダーが顔を近づける 地に触ろうとす
  る力 金色の髪のジナイーダ 白い飾りの付いた服を着ているジナイ
  ーダ 灰色の透きとおる瞳
  
行きつけの店は駅の向こう側にある喫茶店 ジャズがかかっていた 薄暗
い店でそこで本を読んでいた 仕事からの帰り 仕事と部屋のあいだのク
ッションとしてその店を使っていた
  
  トランプを持つジナイーダの指 ジナイーダの周りの五人の男 音楽
  は弦で 匂いは壁からながれる
  白夜 アレキサンダーの父親が歩いてくる 光りの真ん中に木の枝が
  映り アレキサンダーの父親の顔が映る 鳥の肢体 ジナイーダの身
  体から出てくる力 光と木の巨大な影 飛びまどう鳥
  
何も起こらなかった 75年から80年の間なにも起こらなかった 友だちと
は切れていた 誰とも会わなかった 空白のような5年間だがたどるべく
してたどった道だった ぼくはひとりで暮らしたかった ひとりで生活し
ていこうと思った 友だち達のあるグループは政治活動を続けた ちがう
グループは福島の山の中に農業コミューンを造りにいった ぼくはひとり
でやりたかった
  
  ジナイーダの弟がやってくる 玩具のような軍帽と軍服
  草はらの中の光り 風が吹いてる アレキサンダーとジナイーダの弟
  がブランコに乗る 木からまだらの光りが漏れる
  画面が大きくなる アレキサンダーとジナイーダ アレキサンダーが
  墓石に額をこすりつけている
 「なぜ?」
  ジナイーダがアレキサンダーに触れている 髪に指をいれて動かして
  いる 呟いている さわりつづける
  「あなた何を知ったの」
  
いつも駅の方向に歩いて行った 歩き出すと駅に向かう 中心があるよう
に思っているんだ 中華飯店 大衆食堂 テーブルが三つの喫茶店 二階
建ての洋服屋 コーヒー専門店 塀と塀の間の道を通りぬけると電車の通
る音が聞こえる 駅前の交差点がみえる 近づいてみるといつも人が少な
いと思った いつも人が少なかった
  
  アレキサンダーが近づいてくる ゆっくりと歩いてくる ジナイーダ
  の母親が椅子に座っている ジナイーダの母親が聞く
 「お別れってどういう意味?」
 「モスクワに帰るんです」
  アレキサンダーがジナイーダに手をひかれる ジナイーダの部屋には
  いってくる 薄いカーテン 薄いカーテンを通ると光りが違ってくる
   ジナイーダの首を隠している服 ジナイーダの目を隠している光り
   ジナイーダの顔がうつむく ジナイーダの顔が乱れる アレキサン
  ダーを強く抱き締める ジナイーダの肩にアレキサンダーが顔を押し
  つける
  
パール街にはいる 阿佐ヶ谷で一番大きな商店街 人通りが一番多い こ
の通りの喫茶店には入ったことがない 突き抜けるまで歩く パチンコ屋
がある 本屋がある 食器を売る店 クリーニング屋 パン屋
車の走る大通りに出る もう行くところはない 車道に沿って歩く 人や
ながれていた空気が消える 草がみすぼらしく生えている 違うところを
歩いている
  
  広場でアレキサンダーはかつての知り合いである 同じようにジナイ
  ーダの周りにいた男と会う 広場の人ごみのなか声が天井に反響して
  いる ジナイーダはホテル・コンチネンタルにいる ジナイーダはモ
  スクワに来ている
  少年は男と別れて広場を出ていく その背中を遠くからカメラが映し
  ている
  二週間後少年がホテル・コンチネンタルに訪ねて行く
  ジナイーダはいない
  ジナイーダに会うことはできない
  
阿佐ヶ谷に住んで五年目にぼくは歩けなくなって入院する 歩く度に右足
に劇痛が走る 二年間もほっておいたあげくだった 椎間板ヘルニアと診
断された 手術をすると医師が言う 金もこういう場合の気持ちの準備も
なかった 病室の中で白い乾いたシーツと触れながら手術を待った ぼく
は自然に決めていた 手術のあと人ごとのような顔をして腰の痛みやから
だから意識を切り離して通り過ぎた
  
ジナイーダ 森の中を歩いている ゆっくり ゆっくり 長い髪とやわら
かい足 木の枝が大きく映る 映画が止まる
そのあと阿佐ヶ谷から引っ越した



「アルケ・カムィ・ネ」4号より 発行1997年8月
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 音




大工の音はトントントン
大工の音は続いている
大工の音は頭にくる
ここいら一帯が耳にきている
  
東京に来て音に悩まされなかったことはないね
静かにずうーっと静かに考えこむもぐりこむ部屋なんてなかった
大工の昼は頭を打つ
大工の音はドンドンドン
  
大工の音でここいら一帯が腫れあがって
ピンクの花と長方の窓が片足だ
音のないところに行きたいなー
音のないところで
ぼくの倒れた鏡をゆっくりのぞきこめたらなー
音のないところで
空気を吸って
庭のあお空をながめられたらなー
  
大工の音はトントントン
ぼくの指はツーツーツー
ぼくの指はツーツーツーで
窓をにらみかえしても
大工の音は入ってくる
大工は平気だ
トントントンは平気だ
トントントンはどうでもいい
トントントンはやってくる
トントントンはやってくるんだ



詩誌「アルケ カムィ ネ」3号より 1996年8月発行
<詩>音(布村浩一)縦組み縦スクロール表示のみ へ
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 船 の 上




船から落としたもの
海の底で貝のかたち
船から落としたもの
石のようにころがっている
船から落としたもの
手を海に透かすと手が流れていく
かたいもの やわらかいもの
動くもの じっとしているもの
船から落としたものは十以上ある
振り返れなかった
  
世界がやさしい晴れ間で ぼくはどこを歩いても
誰にもぶつかることはなかった
近寄ってきた人の顔をじっとみ 流れているものを感じとろうとした
眉 鼻 唇 しわ どこにも血が流れている
  
船から落とすもの 振りかえるといつも崖があって
ぼくはまったく何も持っていないか
持っているものはすべて崖の上のものかだった
だから考えはじめると指がひろがってしまい
落とした
  
崖からはなれた
はなれる方向にだけ風はある
はなれる方向にだけ風はあって
はなれる方向にだけ身体は浮いた
  
あたたかい母の血の上に落ち
あたたかい父の血の上に落ち
あたたかい家の血の上に落ち
あたたかい兄妹の血の上に落ちた
  
血をぬぐった 残った
船の方向にころがりつづけて
船の上で呼び声がする
忘れることを
身体だけが覚えていて
水に手を入れるしぐさ



「ジライヤ」20号より 1996年2月発行
<詩>船の上(布村浩一)縦組み縦スクロール表示のみ へ
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横 浜

 


                    
 結局ぼくは孤独ということなんだ。どんなことでもやるだろう。駅にも
海にも出かけるだろう。かつての体験がよみがえるかどうかはわからない
が。自動車の免許を更新にいったときぼくはあきらかにぼくの顔が変貌し
ていることに気づいた。ぼくの顔は変わってしまった。ぼくは37なのだ。
とかの強さも変わろうとしている。その断念のプロセスさえもこだわ
りつづけることができなくなっている。ぼくは公民館の地下で煙草を吸う。
目の前を絵がさえぎる。ぼくはさえぎられたまま煙草を吸う。ぼくはどこ
までも煙草を吸う。ぼくは意志にも変貌しないが、日常にも帰らない。ぼ
くは煙草をそんなふうに吸う。
 Mという女性があらわれてからぼくの生活は変わった。彼女は嵐なのだ。
ぼくの生活の中心に彼女がいるようだ。ぼくはMが欲しい。ぼくは一日中
電話の前にすわっていた。しかしぼくは全開しないのだ。生の断念がぼく
の体にしみをつくっている。顔にも、肩にも、目の中にも。彼女はそれが
気にいらないのだろうか。彼女はぼくのぎこちなさの中に何を見たのだろ
う。M ぼくはいろんなところを歩いてきたのだ。いろんなところへ行っ
た。いろんな浜で海に還える前の画を見た。いろんなところで立ちどまり、
眼の中の声をけした。そうしてぼくはここへやってきた。さえぎられた公
民館の地下へ。煙草を吸う。消す。煙草を吸う。消す。
 M ぼくは煙草を吸うんだ。
 結局部屋に帰って彼女からの電話を待つだろう。ぼくには他にすること
がないから。コーヒーを飲んで、畳に寝っころがり、指をかざす。ぼくは
感覚を殺すことで生きてきた。その鈍痛のようなものがぼくの指先にある。
あのMの指先の冷たさと、このぼくの指とどんな関係があるのだろう。ぼ
くはこの指でMの指を温めた。Mは感謝した。氷点下の指と鈍痛の指と、
ぼくたちは横浜の喫茶店で一日中すわっていた。彼女の帰る時間の来るま
で。
   
 Mから電話はくるんだろうか。ぼくの中心を目の前にみつめる。この衝
動はどこからくるんだろう。この欲求は。ぼくは自分の中をみつめるより
も、窓の外をみつめてしまう。ぼくはそんなふうに生きている。ぼくの中
心は窓の外にあるんだ。空はうすい水だ。今日も晴れてる。視線だけが生
きている。ぼくの体温を知ろうとすると、電話が鳴るのだ。


詩集「ぼくのお城」昧爽社 より 発行1995年7月15日
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崖の町




ぼくが崖っぷちに立っていると叫んでいるのに
突き落とした女がいた
彼女をなんと呼べばいいのだろう
ぼくはずいぶん町を歩いたんだ
あの昼のとき
ぼくはずいぶん歩いたんだ
風と騒音と何も書かれていない標識があった
ぼくはぼくのいる場所を求めて
喫茶店を何軒か
空いている席のある喫茶店を何軒かたずねた
ぼくはずいぶん歩いたんだ
ぼくのいる場所を求めて
ぼくのための空いている席はありますかって
ぼくの声は
しかし
発声されていない
ぼくはずいぶん歩いたんだ
ぼくのための空いている場所はありますかって
ぼくはただ
ぼくの身体はただ
一つの目であっただけだ
                   「布村浩一詩集」より 発行1990年8月


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