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vol.19

木村恭子の詩 2

非常口絵本ジャングルジム



非常口


とりあえずは 何も持たないで
とにかく 飛び出さなくては と思った
  
緑色のペンキで
塗りかえられたばかりの
低い戸口から
一人で
  
急いでいたので
珍しい鳥料理のいくつかと
遅い午後の陽射しに影を落として
揺れている樹々の病歴を
その時忘れた
  
後ろから 誰かに
呼ばれたような気がして
止まってから ふと
  
一刻をあらそって
出て行く者を送り出すドア
としてではなく
いつか やがて
時間を失った深い森へと通じる入り口
として
戸口がある事に気づいた
  
今少しこの場所から動かない              

広島県詩集1998版第二十二集より

<詩>「非常口」縦組み横スクロール表示縦組み縦スクロール表示
tubu<詩>絵本(木村恭子)
<詩>春の帽子の作り方(木村恭子)




 

絵本

 郊外の私鉄無人駅のベンチに、腰をかけている。夕刻のラッシュにはまだ遠
い、午後のこの時間帯に、電車に乗り込む客を見たことがない。足元に汚れた
乗車券が散らばっている。ホームの広告板は分譲マンションのポスターが、
横に並べて幾枚も貼ってある。
 読みかけの絵本を取り出す為に、カバンに手を入れると、たくさんの砂粒の
ようなものに触れた。軽やかに冷たく、指にひっかかる鋭利な粒もある。カバ
ンの中を覗くと、砂粒に思えたものは、絵本の中の活字だった。冬の弱い日差
しが一条届いて、雲母のように輝いている。あわてて本を引っ張り出すと、ま
だ残って絵本に張り付いていた活字が、頁の間からサラサラこぼれ落ちてしま
った。カバンをゆっくり左右にふると、湾の中に波がよせてくるような音がす
る。背後で懐かしい誰かが笑っている気配もした。 
    
 今朝の通勤電車の中で私が読んだのは、主人公の少女が学校から帰ってみる
と、自分の家が忽然と消えていたというところまでだった。少女の父はバイオ
リン弾きで、家には優しい母と兄がいた。この絵本をどこかで一度読んだ事が
ある、と思った。それをどうしても思い出さなくてはならないような気がして、
本を閉じカバンに入れた。その時だったのだろう。活字が次々に剥がれだした
のは。
 今はどの頁も絵だけが残っている。銅版画のように、濃く細いタッチで、最
後の頁では痩せた少女が一人後ろ向きに立っている。影が長く長くのびて、家
々の屋根が揃って右に傾いている。以前に読んだ時、この頁では少女が父親と
手をつなぎ、片方の手で小犬を抱き、こちらを向いて笑っていたのに。
 ああ、矢張り女の子は家に帰りたくなかったのだな。本当は。・・・・そう
思った。
    
 待っていた電車がやって来た。身づくろいをしてノロノロ立ち上がる私に、
「どうぞ、お急ぎ下さい。」と少し怒ったような顔をして車掌が言った。
 昇降口に立った時、ついと風がたち、誰かとすれ違ったような気がした。
 振り返ると、さっき迄私が座っていたベンチの傍に小さな女の子が立ってい
た。

詩集「楽譜」より1991年12月25日発行

<詩>「絵本」縦組み横スクロール表示縦組み縦スクロール表示
tubu<詩>ジャングルジム(木村恭子)
<詩>非常口(木村恭子)


ジャングルジム


 
千の扉と窓と部屋を持つ家屋
薄明かりの中で
コトリと錠がはずされると
黙っている扉から扉へ
その次の扉からその又向こうの扉へ
いきものたちが
さざめきながらよこぎっていく
  
せんせい 
パパは きのう うみにおちたの
それでね
さきちゃんとママは
あたらしいパパのおうちに
ひっこしました
さきちゃんは あしたから
でんしゃにのって
たくじしょにいきます
  
壁を持てなかった家の
風の屋根にかかる
垂直な階段
  
あのね せんせい
きのう 
ママがさきちゃんをたたきました
さきちゃん なかなかったよ
えらいでしょう
  
夜になるまで
頂きの たった一つの
屋根裏部屋にかくれていた子供は
象と鳥を連れて
鉄パイプを伝って
地下室まで すべり落ちる
鍵をかけると
くちゃくちゃによじれた毛布を
グリンピースを拾うような指で伸ばし
初めて少し目をとじる



詩集「楽譜」より1991年12月25日発行
<詩>「ジャングルジム」縦組み横スクロール表示縦組み縦スクロール表示
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tubu<詩を読む>田中宏輔詩集『The Wasteless Land.』を読む(桐田真輔)へ
<詩>絵本(木村恭子)<詩>河の風景(関富士子)
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