I. Those who seek me diligently find me.
1-01 四月は、もっとも官能的な月だ。
1-02 若さを気負い誇る女たちは、我先にと
1-03 美しい手足を剥き出しにする。
1-04 春の日のまだ肌寒い時節に。
1-05 冬には、厚い外套に身を包み
1-06 時には、マフラーで首もとまで隠す。
1-07 こころの中にまで戒厳令を布いて。
1-08 バス・ターミナルに直結した地下鉄の駅で降りると
1-09 夏が水の入ったバケツをぶちまけた。
1-10 ぼくたちは、待合室で雨宿りしながら 1-11 自動販売機で缶コーヒーを買って
1-12 一時間ほど話をした。
1-13 「わたくし、あなたが思っていらっしゃるような女じゃありませんのよ。
1-14 こんなこと、ほんとうに、はじめてですのよ。」
1-15 どことなく似ていらっしゃいますわ、お父さまに。
1-16 幼いころに亡くなったのですけれど、よく憶えておりますのよ。
1-17 いつ、書斎に入っても、いつ、お仕事の邪魔をしても
1-18 スミュルナ、スミュルナ、わたしの可愛い娘よ
1-19 と、おっしゃって、膝の上に抱いて、接吻してくださったわ。
1-20 聖書には、お詳しくて? 創世記・第十九章のお話は、ご存じかしら?
1-21 たいてい、いつも、夜遅くまで起きていて、手紙を書いたり、本を読んだりしています。
2-01 この立ちこめる霧は、何だ。
2-02 この視界をさえぎる濃い霧の中で、いったい、如何(なる代物に出交(すというのか。
2-03 人生の半ばを過ぎて、この暗い森の中に踏み迷い、
2-04 岩また岩の険阻(な山道を、喘(ぎにあえぎなが彷徨(い歩くおまえ。
2-05 いま、おまえは、凄まじい咽喉(の渇きに苛(まれている。
2-06 だが、耳を澄ませば、聞こえるはずだ。
2-07 深い泉のさざめきが。
2-08 どんなに干からびた岩の下にも、水がある。
2-09 さあ、おまえの持つ杖で、その岩の端先(を打つがよい。
2-10 (すると、その岩の裂け目から、泉が迸(り出る。)
2-11 これで、おまえの咽喉(の渇きは癒され
2-12 顔の前の濃い霧も、ひと吹きで消え失せる。
2-13 もはや視界をさえぎるものは、何もない。
2-14 こんどは、その岩の割れ目に、杖を突き立ててみよ。
2-15 かの輝けるゆたかなる宝、
2-16 糸のごと、狭間(に筋(ひきて、
2-17 ただ奇(しき知恵の魔杖にのみ、
2-18 己が迷路を解きあかすなり。
2-19 『一年前、あなたの写真を、近くの古書店で、手に
2-20 入れました。写真の裏には、電話番号が書かれてあり
2-21 ぼくは、あなたに、何度も電話をかけました。』
2-22 ――でも、それは、ずいぶんと昔のことなのですよ。
2-23 わたしが、自分の写真を、本の間に挾挟んでおいたのは。
2-24 いま、わたしが何歳であるか、それは申しませんが
2-25 あなたから、お電話をいただいたときには、もう
2-26 お誘いを受けられるような年齢(ではなかったのです。
2-27 ことわりもせず、電話番号を変えて、ごめんなさいね――襟懐(。
2-28 見出でし泉の奇(しさよ。
2-29 この男も、詩人の端くれらしく
2-30 つまらぬことを気に病んで
2-31 眠れぬ一夜を過ごすことがある。
2-32 そんなときには、よく聖書占いをする。
2-33 右手に聖書を持って、左手でめくるのだ。
2-34 岩から出た蜜によって、あなたを飽(かせるであろう。
2-35 (前にも一度、これを指さしたことがある。)
2-36 そういえば、ジイドの『地の糧』の中に
2-37 「蜜房は岩の中にある。」という言葉があった。
2-38 アンフィダという場所から、そう遠くないところに
2-39 灰色と薔薇色の大きな岩があって、その岩の中に
2-40 蜜蜂の巣があり、夏になると、暑さのせいで
2-41 蜜房が破裂し、蜂蜜が岩にそって
2-42 流れ落ちる、というのだ。
2-43 動物の死骸や、樹幹の洞の中にも
2-44 蜜蜂は巣をつくることがある。
2-45 詩のモチーフを得るために、この詩人は
2-46 しばしば聖書占いと同じやり方で辞書を開く。
2-47 William Burke というのに出会ったのも、それで
2-48 詩人の William Blake と名前(が同じ
2-49 この人物は、自分が殺した死体を売っていたという。
3-01 無防備都市(。
3-02 夏の夕間暮れ、月の女神の手に、水は落ち
3-03 水はみな、手のひらに弾かれて、ほどけた真珠の玉さながら、飛び散らばる。
3-04 アルテミスの泉と名づけられた噴水のそばにある
3-05 細長いベンチの片端に腰かけながら
3-06 彼女は恋人を待っていた。
3-07 たいそう、映画の好きな恋人で
3-08 きょう、二人で観る約束をしていた映画も
3-09 彼のほうから、ぜひ、いっしょに観に行きたいと言い出したものであった。
3-10 彼女が坐っているベンチに
3-11 彼女と同じ年ごろのカップルが
3-12 腰を下ろして、いちゃつきはじめた。
3-13 男が一人、近寄ってくると、彼女の隣に腰かけてきて
3-14 「ミス・ドローテ」と、耳もとでささやいた。
3-15 『どうか、驚かないでください、といっても、無理かもしれませんね。
3-16 許してください。しかし、あなたのように、若くて美しい方なら
3-17 突然、このように、見知らぬ男から声をかけられることも
3-18 それほど、めずらしいことではないでしょう。
3-19 これまで、あなたほど、顔立ちの見事に整った、美しい女性には、お目にかかったことがありません。
3-20 ほんとうですよ。ところで、わたしがあなたに呼びかけた、ドローテという名前は
3-21 ある詩人の作品の中に出てくる、見目もよく、気立てもやさしい、若い娘の名前なのです。
3-22 ですから、そのように、眉間に皺を寄せて、わたしを見つめないでください。
3-23 あなたの美を損ねてしまいます。
3-24 わたしが、あなたの聖(らかな泉を汚すことは、けっしてありません。』
|