
vol.26
照らす台地
燃やす人
晩年の野良衣
照らす台地
| 地図は起伏を奪われたので
| 欲深なダイバーに淵の水位を示さず
| 蛆虫ほどにも道はのたくらず
| 上り坂の半ばでリンゴを転がさない
| 用水が貯水池に注ぐあたり
| 打ち傷のような灰色の湿地に
| ニレの葉のおもてを裏返さない
| アトラスの白地図にかがんで
| 思いつめた指は破線をなぞる
| いくつかの熱泉じるしに立ち止まって
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| たしかこのへんだったね
| くぐもった記憶の声
| 磁針がひどくぶれたので
| 余熱がまだあるはずだ
| うつむいて田じるし果樹じるしを横切り
| だだっぴろい工場群の矩形に阻まれる
| いつだったかここではないどこか
| 沈思の湖を巡って
| 半島の尾っぽにひどく打たれた
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| 迷子になっちゃったみたい
| 干潟がガラスのビルに垂直に映り
| 流布の言葉を壁に吊るしている
| のたれ死ぬ飛び地の犬たち
| 指はさまよい疲れて
| 目路を分ける起伏をようやく望む
| 等高線が急速にせばまってから
| 葛の葉型に広がるところ
| 水域を見わたすテラスにのぼって
| ボーダーの断崖に指はたたずむ
| 裸眼を光に刺されて
| シリカの卓状台地は輝く
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紙版"rain tree"no.26掲載2003.6.16
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<詩>燃やす人(関富士子)
<詩>6月に生まれて(関富士子)へ
燃やす人
| ついさっきまで何もなかった
| この空き地に立ち止まり川向こうの
| トラクターの黄色いボディが
| 日に反射するのを見てから
| 土手を歩いて川辺を巡りこの空き地に戻ってきた
| 三十分も経っていない
| なのに
| そこに火が燃えていて
| ベッドが焼けている
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| 横倒しに焦げた四角い鉄枠に
| 両端が槍のように尖った背もたれ
| 四本の鉄製の脚
| マットレスは見当たらない
| すでに背板や座板は焼け落ちて
| 灰の塊のあちこちから炎が上がる
| 顔を近づけると熱気に煽られる
| 黒い地面の油の臭い
| 空き地の向こうに農家らしい家屋がある
| 濃い影のなかに静まりかえって
| だれも出てくる気配がない
|
| ベッドに火をつけた人のことを思う
| たぶん若くはないが屈強な男で
| ベッドを担いできてここにずしんと投げ下ろした
| 一度戻ってポリタンクを持ち出し
| ぽちゃぽちゃと油を撒いた
| 三十分のあいだに燃え上がって鎮まる怒り
| いや彼はもっと冷静だったろうか
| マッチはいつもポケットにある
| ゆっくりと煙草を吸ったあと
| 燃えさしを投げ入れたかもしれない
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| それから
| このベッドに寝ていた人のことを思う
| たぶん男の妻か母親で
| 長く病んで亡くなったのだ
| 彼女を火葬場で焼くときその炎も見ただろう
| しかしなぜベッドを焼かなければならないのか
| G.G.は太りに太って死んだ母親を家ごと焼いたが*
| 火はいつまでもくすぶっているのに
| 家からはだれも出てこない
| 窓の奥でこちらを見つめる目
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| わたしは自分のおかしな考えに頭を振りながら歩きだす
| 川を離れて農家の脇道へ曲がる
| そこは畑だが
| 耕されもせずに雑草が茂っている
| 緑に半分埋もれて
| 錆びた金属の物体がある
| それはスチールのダイニンク・チェアだ
| クッションは焼け骨格だけが転がっている
| 見わたすと畑のあちこちに
| 赤茶色の鉄の残骸が捨てられている
| 蔓草を象ったベンチの背もたれと脚の部分
| 歪んだアルミの窓枠
| 元は金塗りらしいテーブルワゴン
| 洗濯機の穴の空いたドラムとそれを回すファン
| 何だかわからない
| 骨組みだけのたくさんの奇妙な物体
| それらは耕されない畑の向こうまで続いている
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*映画「ギルバート・グレイプ」ラッセ・ハルストレム監督1993年アメリカ
紙版"rain tree"no.26掲載2003.6.16
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<詩>晩年の野良衣(関富士子)へ
<詩>照らす台地(関富士子)へ
晩年の野良衣
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| 春に生れたあなたの
| 細長い晩年が始まった
| 季節の暖気に喉が湿って
| 目覚めると花の香りがする
| アロエのお茶をすすりながら
| 臨終までのいくばくかの
| 晩年を得た人に
| いつの間にか花が咲く
| 生れた日時を刻んでいる
| おとろえた腹に手のひらを当て
| 少し腫れた脾臓のあたり
| からだの中心を温めると
| ナノハナ色の灯がともって
| 遠い風景が近づいてくる
| 花盛る開墾地の斜面から
| かすみ立つ溜め池のほとりまで
| 地に響く群れの足音
| 羽うち交わす鳥たちの音楽
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| ――サトイモの芽は吹いたか
| カラシナの種は蒔いたか
| 木小屋から籾を持っておいで
| 病む人の床から聞こえる
| なまけたわたしをなじっている
| ベッドから身をのりだして
| 先天の贈り物
| あなたの野はじゅうぶん湿った
| ――誰もいないのか
| もう畑に出なければ
| なにもかも遅れてしまう
| 洗い晒しの手拭いを首に
| 馴染んだ野良衣の紐を結ぶ
| ゲートルをていねいに巻き
| 縁の曲がった麦藁帽子
| ぶあつなゴム底の直足袋を引きずって
| 野良に出ようとする人は野の
| 愉楽にわれを忘れている
| 水の音に導かれて
| 後ろ姿はさらに薄れる
| *わたしは音楽になっていて
| もう誰なのか
| わからない
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| 安らいで眠る人のまぶたの襞が
| ひろげられ暗幕のように
| 窓辺に揺れている
| 身体がおとろえると周りから
| 蒸気になって昇っていく物質がある
| 夜の空を覆う巨大なまぶたは
| 明け方の大気圏にひらいて
| 乾燥帯と緑地帯を見はるかす
| もう自分さえわからない
| 眠りながら身震いする人よ
| 野原の音楽が誘うので
| あなたの骨はじゅうぶん乾いた
| 明るい背中に透けている
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*田村奈津子詩集『楽園』(あざみ書房2002年刊)から「音連れ」より引用 『詩学』2003年5月号掲載
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<詩>ヤマユリ(連作「植物地誌」関富士子)へ
<詩>燃やす人(関富士子)へ

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