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FLEX-J Webmasterと源氏系譜 現在の天皇家とも血のつながりがある清和天皇子孫の源氏、とりわけ中心的な大存在というべき渋谷源氏山は日本の高度な武家・貴族クラスの頂点に君臨している東京山の手カルチャーおよび山の手型経済の総本山である。そして「渋谷」の源氏(系脈としての源氏形脈は戦前・戦後を通じて源氏を返上したことはなく、家系としての源氏にも「征夷大将軍」「日本国王」に連なる血筋としてのステータスが輝いている)が、旧帝国陸軍のキャラクターを平家だとすれば、旧帝国海軍のキャラクターは源氏にあたる。ただし、海路における国際感覚には精通していたため、旧陸軍省が根拠のないムード論でまことしやかに語る「陸軍型神国論調」とは若干異なる、独自の認識を示しながら、客観的なデータに照らして第二次世界大戦における対米戦争には戦勝できる可能性が極めて低いと開戦前から予言してもいた、きわめて近代的な実力型の国際オピニオンリーダーにあたる。旧陸軍省の立場は、基本的には戦略におけるかなりを旧海軍省に丸投げするだけのきわめてだらしのないもので、しかも旧陸軍省の「景気判断」には根拠らしい根拠がまるで見られなかったといっても過言ではなかったし、紳士らしいキャラクターとも認められず、きわめて下品な輩揃いだったとしか思われなかった(という話)。アメリカの空母機動部隊に匹敵する重空母や史上最大の巨大さを誇った「大和」「武蔵」の二隻の戦艦をもってしても、ABCDラインによって補給路を断たれていた状況にあっては、先刻旧海軍省が予見していた事態が合理的な結果として訪れたのにほかならない。真の紳士主義による科学的な戦略家のほとんどは海にいて、地上の警察や軍隊は陸軍省が握っていたのだから、北朝鮮が大嫌いな源氏も、国内の朝鮮人大虐殺を組織したこともなく、当時の荒川沿いあたりでの民間自警団に朝鮮人処刑を許可していたのは陸軍モラルである。当時の天皇陛下の最大のお召しシップとはまさしく旧帝国海軍の空母や戦艦だったのである。源氏の派閥としても知られた旧海軍の持つ優れた感覚は、後の東急グループによる渋谷城下町経営や山の手趣味に根ざしたリゾート開発に長けながら、渋谷から始まる東急ラインや伊豆、そして国内マーケティングを大切に育んできた。東急を最大のライバルとしながらも東急に並行する戦略を採った西武は、模範を先進的な欧米リゾートに求めながら、「取引相手としての品性はあまりよろしくない」とのある筋からの評価は得ながらも、堅実な巨富の一般還元路線を徹底して、池袋や所沢、苗場を拠点とするマーケットで生き残ってきたのだといっても過言ではあるまい。東急型マーケティングには現在までのところ破綻はなく、電通における広告展開力の量的な凄さと銀座式の「結構甘いマーケティング」展望(=但し野村総研並みとは見なされている)に対して、かなり理詰めの展開を採ることでも知られている…
紋章
渋谷源氏山系譜
メジャー雑誌『POPEYE』による渋谷源氏山紹介
渋谷に程近い世田谷に移動した渋谷源氏本家の住まい・相続後(渋谷源氏として戸籍の移動はなし)
禁中並公家諸法度制定 [1][2] 江戸時代は文化的な叙任職にあたる天皇や公家が、「日本国王」征夷大将軍や幕府官僚の下に置かれ、被支配者として統治された年間にあたる。徳川家の細君が天皇家に対してあくまでも目上として立ち続けたエピソードがあるように、平和を基調とした時代の幕府体制以後の日本では、天皇に一切の権力は存在せず、名誉と系譜、建国者としての地位が評価されていたのに過ぎない。事情は明治政権においても全く変わらず、権力社会の動向に沿った明治天皇が京都から召し出される形でわが国権威の形骸を担ったのに過ぎないのだ。実家の母親は、あくまでも天皇家に対しては徳川家を含む清和源氏ファミリーの一員として誇りある旧幕府官僚家の立場を保っている(←美智子皇后に対しては「美智子さん」としか呼ばない)としての態度を保っているが、熱心な皇室ファンだった旧四国武家の流れを汲み北海道移住者名家育ちの母親は、皇室信奉からの御利益は一切得られなかった状況(憲法は尊重されるべきだが、皇室を信奉していいことは皆無に等しい)において、人生の上では艱難辛苦の連続だったのみならず、薄幸のままにガン死した(父親はちなみに幕府官僚の末裔には見えないながらも"FLEX-J Webmasterの父親"らしくいたって健康であってタフである)ため、神道としての皇室への崇拝には何らのメリットもないと判断される。禁中並公家諸法度制定を幕府や太政官が廃止したという話も聞かれず、ダグラス・マッカーサー改革は天皇家を「陸軍方薩長体制の傀儡」から「名誉ある国民統合の平和的シンボル」へと引き上げながら、実質改正不能の現行憲法による人類間の例外なき法的立場の平等を誓わせる形で、また華族制度の一切を廃止するに至った。傍系になってから以後の帝の本流ながらも明治天皇と昭和天皇、そして中大兄皇子は尊敬できると考えつつ、清和源氏の中でも最も源氏に精通していると思われる源氏本流の若きプリンス(="Prince"には名家後継者の語意がある)FLEX-J Webmasterは、「自民党でいうところ右派寄り」の無党派層の立場にあって、徳川家の譲位により空座となっている「征夷大将軍」の実質的ポストが国民世界の最も強大な国家指導者にあると判断、自らは「征夷大将軍」よりは「副将軍」に近いひとりの源氏かつ自分なりに一般的な日本国民の一員に過ぎないと考えながらも、現世に於いては強靭なけん引役的な「日本国王」が必要な存在なことだけは間違いがないと思うのである。尚、幕府統制の手法の見事な再現(日本国民による天皇権威支配の構造化)をよりよく実演してくれたダグラス・マッカーサーGHQ将軍は、かつての敵であって現在は友人であると判断しなければなるまい…。そして気づくべきは、現行の日本国憲法が「禁中並公家諸法度」にして「武家諸法度」の体裁を見事に"無意識レプリカ化"(=シンクロニシティというべきだろう)しているのは、ダグラス・マッカーサーがアメリカ合衆国大統領職への就任をかつてはかなり熱心に志望しつつ、"源氏メソッド"をしっかりと学習したからにほかならないのかもしれない……(笑)

藤原一族 中大兄皇子と組んだ国内改革の相棒だった中臣鎌足が藤原家の始祖。平安貴族にして中世ニッポンの政界を牛耳った一族が、天皇家から授かった苗字。清和源氏の后にいた藤原出身女子は清和源氏における原初の母方(清和源氏における天皇家に肉迫する大先祖)にあたり、今日にまで連なる清和源氏の偉大な歴史の源流を司っているが、純粋な藤原家は平家にも並ぶ破滅的な滅亡傾向により世の中の表舞台から消えていった。但し、現代の藤原家の生き残りたちの多くは、ゴージャスながらも大衆指向を深めており、男子は他人にはとても大盤振る舞いをしたがるが内向きには自滅傾向の強い「大御所(ゴナー)」、女子は大立者(スター)を目指そうとするDNAを持っているのかもしれない。清和源氏とパートナーシップを深めることで、節制の利いていながら十二分に満足のできるクレバーな繁栄が約束される…。尚、東北の鎮守府将軍を務めていた奥州藤原一族は、京の藤原一族とは全くの同姓他血脈ながら、安倍一族の血を引いているために平安貴族の流れの上にいることは間違いがない…
藤原不比等 [1][2] 天皇の関白・摂政職に就くことが多かった藤原家の流れ。「藤原ブランド」の政界大御所権力が絶大だった時代、奢り過ぎたために四人もいた男子後継者のすべてを原因不明の奇病によって失った、世の愚かな父親の代名詞……
県犬養橘宿禰三千代 [1][2] あがたのいぬかいのたちばなのすくねみちよ わが国の女帝的な大立者は藤原家の女子が歴史的に務めてきた。それはまさしくグレートマザーの碑石が歴史上に残されているのに等しいが、すべてを丸く納めるには藤原の流れを持つ女子はあえて謙虚な姿勢で物事にあたるべきである…
藤原鎌足 [1][2][3] 千葉県と秋田県に由緒を残しているのが意外な平安時代初期を築いた藤原家初代の大御所クラス。歴史マニアにもファンが多い粋な人物像が語られているが、平安時代における藤原家は(藤原道長を除けば)貴族というよりは武将イメージが強いあたりは元祖のDNAとは恐ろしきものである…




キャデラックCTS 近年製、それも最新型のキャデラック・シリーズの世界戦略車。キャデラックに関しては、ボディスケールも極めて大きいのに、それに加えて更に室内スペースを格段に広く取れるFFレイアウトを採用することにより、実に広大でラグジュアリーそれゆえに快適な車内空間を得ていた車種として知られてきている。が、CTSは、ブランドこそキャデラックながら、世界中のオーナー・ドライバーを意識して世界的なセダン・トレンドを大胆に取り入れる容で、実にスポーティなFRのシャシーレイアウトに、トヨタ・クラウンほどの大きさの車体、3リッター前後の日欧で流行中の高性能マルチバルヴ式DOHCエンジンを持つ、かつてないEクラスサイズのセレブ仕様スポーツ・サルーンとして、なんとポルシェやNSXの熟成に使用されたGTカー向けのテスト・コース、ドイツのニュルブルクリンクにて熟成テストを行なっているというのだ
キャデラック・コンコース・エグゼクティブ [1][2][3] FFレイアウトを採る広大であまりにも豪華な内外装を誇る、アメリカの走る豪邸のようなイメージの、1990年代式らしい、超高級セダン車種。とりわけ、海外輸出仕様車に設定されている「エグゼクティヴ」グレードは、かつてない豪華さおよび(アメ車の場合は出来・不出来の差が激しいのが問題点ながらも)最高の走行性能・快適性を誇る、キャデラック史上最高水準の正統派ラクジュアリー・VIPセダンとして、(オーナー・ドライバー指向の高く意外にも売れていた90年代中旬型キャデラック・セビルとは対照的に)お雇い運転者にドライブを任せながら、リアシートでくつろぐのも気分最高な、VIPハイヤー対応の車種としても素晴らしいの一語に尽きるようである
クリスマスに欲しいのは? 東京カップル・アンケート2003 [MSNのカップル・アンケート][FLEX-J Webmaster作のクリスマス物語] クリスマス・プレゼントを巡る東京カップル検証が、MSNによって行なわれていて、興味深い。直感的なデータ物やカタログ・ショッピングのような画像中心のオンライン誌面づくりに強いのがインターネット媒体の特徴であり、オンライン・マガジン誌面編集業務上でのセオリーにもなっているが、通信メディアの強味をよりよく生かしていて魅力的でロマンティックな特集に仕上がっている。課題は、いかにPC上でのそれとして、携帯上の情報サイトに対して、PCならではの特徴を生かして、より魅力的なコンテンツであることができるか。が、何よりも、仕事を忘れた視点で直感的に眺めても楽しいコーナーであることが大切で、今回は(だいぶFLEX-J Webmasterだのmoonだの午後の情報テレビ番組『ジャスト』だのに強く影響されている様相が見られて、尚一層グッズ・センスがカップル達自身の感性によって洗練されている衝撃の(!!)実態が示されている)カップル達の生のインタビューによる肉声が、企画全体を率先して作ってくれているのは、参加型のコンテンツとしてはきわめて理想的で、素朴に(FLEX-J Webmasterもガールフレンドと交際している時には変わらない状況になっていたりするのだが)カップル全般のことが一般的にわかって面白かった。FLEX-J Webmasterの手になるクリスマス・ストーリーは過去の作品の焼き直しだが、女性を巡る設定により鑑賞に耐え得るシチュエーションがあらためて与えられているなど、1990年代中旬以降を巡るクリスマス・ムードのハイクラスOL篇を懐かしく辿ることができて、なつかしい
トヨタ・クラウン コンセプト2003 [1][2][3] 1999年のフルモデルチェンジ以来は、好調のセルシオの陰にあって、地味な立場に置かれているニッポン的高級サルーンの伝統ネーム「クラウン」が、かつてないフルモデルチェンジのきざしを見せている。スポーツカー並の前置きDOHC6気筒FRシャーシの使用は、シャーシのみならずエンジンも直列6気筒からよりコンパクトなV6へと新設計され、エクステリアもどことなくホンダのFF高級サルーンのレジェンドを思わせる、若い世代の移動からデートに至るまでのニーズをも満たし得る若々しく精悍でスポーティなそれになっている。単純な話、クラウンは、スポーツカー並の性能を誇る若い世代向けの快適でラグジュアリーなFRサルーン、マークUのコンセプトを、年配および国内VIP向けに車体重量を増やすことで豪華仕様にしながら排気量を上げている車種のイメージが或る訳であり、上級車種のクラウン・マジェスタにはアメリカ車並にV8を搭載しているなどの独特の進化を遂げてきている。そしてヤングが日常それを利用する(→イメージ的には正規ディーラー系の中古車を練習車を兼ねる用途で若者が購入しているようなパターン)のにもなかなか絵になる上に、欧米のライバル車種に(性能では以前から負けてはいなかったが)デザイン・センスや若さでも負けなくなったいまどきの上質セダンを、気の置けない二十代後半のカップル2組(既婚および婚約中の未婚同士の組み合わせのような感じ)で一台のクラウンに乗り、男性チームは前に、女性チームはドレスアップしてリアシートにゆったりと座り、ヴィジュアルでもハイセンス化している近年の"地元系ホテル結婚式場""貸切フレンチ・レストラン会場"などで繰り広げられる同窓パーティやら、友人の結婚式やらにドレッシーでセクシー、なおかつお茶目に、リラックスしながらいさんで出かけていくような図式(ホンダ・レジェンドや片落ち90年代中期型メルセデスベンツSクラスあたりでも絵にはなるが、若干アメリカのヤンエグめかして斜に構えている印象[ニッポンでそれをやると元不良ヤンキー系の立ち直り組風]になってしまうのに加えて、複雑で昔の「金妻」的な不倫ドラマにスポンサードしていたホンダのセンス・カラーからも、また、中古のメルセデスを使うとすれば斜に構えすぎているいや〜な二十代後半組カップル達の印象で、いかにも名古屋系のトヨタ好みの、勿論グループ恋愛の中には嘘っぽい面があるにしても、嘘でも熱血な、純愛友情ベースのカップル・ムードに青山一丁目的なるX線をかけられてしまって、無残なまでに冷ややかなそれになってしまう恐れ有り)を描き起こすとすれば、たぶん実に幸せな、大宮ソニックシティ界隈あたりでのなごやかな首都圏ベッドタウン都市風景が映し出されることであろう。そして、いまどきの結婚事情が晩婚化していることからすれば、まだまだ若々しい30代前半から半ば位の、一通りを経験していながらも、それでいて初心なグループ交際型カップル達の間でのウェディング・シーンを描くのにも、晴れやかで初々しいイメージが似合うのにスポーティであってださくない、最新型クラウンを小道具に持ってくるのはなかなか良案のようにも思われてならなかったりする
京都ホテルオークラ & からすま京都ホテル [からすま][オークラ] 京都府京都市中京区のデラックス・ラグジュアリー・ホテル「京都ホテルオークラ」の経営母体は、京都の老舗観光ホテルの一角を擁する「京都ホテルグループ」。一泊8,800円から用意されるシングルルームなどは若い社会人、一人旅好きの若い女性の節約旅、学生旅行にも手軽な「からすま京都ホテル」に対して、ゴージャスでコンテンポラリーな、ガラス貼りの独立シャワー・ブースなどデザイン・ホテル装備を持つエグゼクティヴ・フロアの内容を誇れる「京都ホテルオークラ」はある意味、京都におけるシティホテルに於けるラグジュアリー化の可能性を模索しているかのようでもある
ウェスティン都ホテル京都 京都府京都市東山区の現地資本電鉄系老舗デラックス・ホテルの都ホテルが、ウェスティン・チェーンの一角に収まり、よりプレステージ感を強めている。どことなく東京の「キャピトル東急ホテル」の関西版を見る思いのする、重厚な従来的ツーリストホテルの京都版の究極的イメージ
筑波サーキット [公式サイト][究極の一方通行路"サーキット"の正しい走り方][素人レーシングスクール][マニアが書いた風の劇画的読み物] サーキット・ライセンスを持たない入門者から全日本F3選手権シリーズ、GPバイクによるレースまでが繰り広げられている近場のサーキット・コース。田中康夫にはLA風と紹介されたつくば市の近郊にあって、茨城県南部に於ける、どちらかと言えばフランス、ル・マンのサルテ・サーキット一帯風の風光明媚さにも恵まれている
ニッサン・プレサージュ [1][2][ユーザーの声] レンタカーで京都を観光する場合に、グループ旅行の場合には借りたいタイプの日産版の「オデッセイ」クラスSUV。が、しかも、SUVもリリースすれば言いと言うものでもなく、紙媒体を眺めても、ウェブサイトを眺めても、このクルマの長所と欠点双方に関する指摘が共に目立っていることから、ファミリーおよびグループ・ユースのSUV車種にしてはかなり個性が強いことが予想される。両側スライドドアを持つ3列シート車ながら、それゆえに剛性が不足していたり、スライドドア車なのにセンターピラーがあったりする格好の悪さ、ティアナと共有されているシャシーのピッチ(揺れ)に関する減点イメージなどをカヴァーしながら、サイズ的な余裕から来るゆったり感のある実用性の高さや一クラス上のパワー・ユニットの搭載など、ライバルのホンダ・オデッセイを強く意識してのパッケージングは、ファミリーSUVユーザーからの尚いっそうの注目を集めている
ボルボC70クーペ & カブリオレ [クーペおよび諸元表][カブリオレ試乗レポート] 雑誌で言えば『BRIO』あたりのコアな読者で、しかもあそこに示されているようなコマーシャルなライフ・スタイルを地で演じてしまっている向きが、ステディ連れで現れるのに使えばいかにもはまリそうな新感覚クーペおよびカブリオレ・モデル。現在のところC70についてデザイナーに関する資料は見つからないのだが、やぼったいボルボのイメージを、通常のボルボ相場で払拭、コンテンポラリーなニーズに対応し得るヤング・セレブなカップルを、いかにも京都好みなテイストに見せかけてくれる(ライバルを意識してか、いかにも空気抵抗係数が考慮されていそうな)流面型の若好きな保守主義と、クーペそしてオープンらしい開放感、和風情趣にも対応するアヴァンギャルドなのにエレガンスなエクステリア、そして見慣れた国産サルーンとの間での温度差の無いコクピット・イメージとで、紅葉に映える最新ファッションに於けるベスト・カップルにもなり得る筈
JAGUAR XJ220 & XJR15 [1][2][3][4][5] 京都をドライブするのみならず、東京都内をドライブする上でも、これ以上のチョイスは見つかりにくい、GTスポーツ・クーペとしての最高の選択を、米フォード傘下にある英国の伝統「ジャガー」が提示している。すなわち、ジャガー・ブランドによる、V6DOHCとしては究極のピュア・スポーツカーは、スペックの上ではレーシングカーに迫るモンスター・マシンであり、尚且つフェラーリとは対照的な、徹底的にこの上ないラグジュアリー・クーペサルーンとしての快適さの究極を見事に造形、フェラーリF40の出現に沸く当時のエンスージアストにかつてない衝撃を与えている。我が国にもホンダNSXが、このカテゴリには存在しているが、NSXがあくまでもポルシェ911クラスをライバル化し続けているのに対して、ジャガーの場合は、徹底的にモンスター・マシン(それも徹底的に実用車感覚で扱える)であることにこだわり続けているあたりは、GTカーをめぐる国際的な思想、価値観のティピカルな相違、歴史の奥行き、豊かさを感じさせるエピソードなのだと言えそうである
KLMの客室内ペット持ち込みサービス 主に欧州から欧州への域内フライトでの適用条項としてながら、KLMオランダ航空ではケージ内に収まる大きさのペット(犬猫限定)を客室内に手荷物品として持ち込むことが可能に。日本発着の国際線では動物検疫等があまりにも長期間を要し、コストもかかるため、現実的な話にまではなっておらず(ただし、国際線で海外からペットを連れ帰る話などは時折見聞きされるものだったりする)、まだ日本の国内線キャリアの中にKLM並の客室ペット連れサービスを実施しているエアラインも存在していない(犬・猫を含めて、この国で小さなペットに限り客室搭乗許可を受けられやすいのは観光用セスナの遊覧飛行であろう)が、ペットが人間に限りなく近い距離感で重要な存在になりつつある現在、エアラインに求められるサービスのひとつなのではある
福岡タワー 某会員誌を眺めていたら紹介されていた近未来感覚溢れる高層タワー。博多湾、背振山を始めとして、福岡のウォーターフロントを中心にして眺望できる。眺めの良さはゴージャスなイメージであって、サイトを眺めているだけで実に素晴らしく、アジアとの交易玄関口としての国際性の豊かさ、都市工学的なコンテンポラリー空間デザインの妙に加えて、以前は豪華客船スーパースター・トーラスが就航していた美しい海に沿って弧を描きながら走るドライブ・ルートなど、なんとなくイオン・グループおよびBMWジャパンの本社が建つJR海浜幕張駅周辺「幕張新都心」周辺ビューに良く似ている眺めを楽しめる。ハイアット系のホテルが頑張っている主要国内線ディスティネーション「福岡」の博多自体も「食(グルメ)」を中心にして楽しい(→それもディープで人間臭い博多の真髄に接近する程に楽しいようだ。ただし、タクシー・ドライバーはいろいろなことを知っているようでいて、何人かの有名タレントを乗せたことがある程度で、行きつけの雀荘はあっても、遊び場も満足に知らないし、結局人間や物事をよく知らない人が多くて、孤独な運び屋に過ぎないことは、先日辞めたタクシー会社の元ベテラン・ドライバーで教官級の人間に話を聞きだしてみても、世間的な仕事上での身だしなみ、礼儀作法程度では彼らのほうが遥かに先輩だが、物事の考え方が驚く程にインスタントで、人を見抜く目が無かったり、肝心のことを彼らが何も知らないのは寂しい限りである。が、実は、そういうことを求められるのではなしに、どちらかといえばそういうことにできるだけ干渉せずに見ないようにするのが、むしろ東京のタクシー・ドライバーらしいことにFLEX-J Webmasterは気づかされた。福岡でのタクシー事情はわからないが、東京では、いまや半数に迫る勢いで大学・専門卒の新人ドライバーも現れているとの客観データもあるようだ)し、ジェットフォイルで対岸の韓国リゾート都市プサンまで日帰り可能な手軽なインターナショナル・コースを辿っても面白いに違いない
アメリカ小売業企業情報 日本小売業協会がまとめているディクショナリ的ページ。アメリカの巨大マーケット・ブランドの各々に関する基本的なアウトラインを提示しているコーナーは、これからの我が国の消費流通業界の新機軸を見据えていく上でも有用であり、常に頭に入れておくべき参考資料的な基本データでありうる。たとえば、アメリカ最大手であり世界有数の大型スーパーマーケット・チェーンである「ウォルマート」の場合には、世界有数のコンピュータ・データサーバーに、世界最大の小売消費データベースを整備、世界各国の全店舗におけるPOS顛末に於ける物流データを、取引のあるさまざまな世界的商品メーカー、巨大企業との間でデータ共有化することで、生産および在庫調整から顧客ニーズを見据えた新商品開発に至るまでの全般を統括しながら、イントラネット、エクストラネットを通じて分刻みでの管理、分析を行なっていくことが可能な、アメリカ国防総省級の規模でのメガ・ネットワークを構築していることは、ネットワーク業界の中ではきわめて有名。アメリカの場合、ひとつ言えることは、グローバル・ネットワーキングによる世界的なITシステム上でのデータ解析的なる流通、経営が行なわれるようになっても、むしろ担当者は(伝説のキャット・マリンコープ兵員macさん♀の優しいスマイルにも通じるイメージの)生き生きとして優しい人間らしい眼差しで、リアルタイムに生きている人々の動きを眺めながらヒューマンなマーケティング活動を繰り広げ続けている点。それに対して、国内がいまひとつなのは、すなわちそれだけ、最先端経営ノウハウの先進国アメリカのそれに較べて、ニッポンのそれが昔ながらの街角にあって廃れそうな個人商店レベルのそれを抜け出していなかったり、マクドナルドの学生アルバイトによるショップ・スタッフにはできるあまりにも基本的なスマイル戦略すらできていない、情熱の希薄なスタッフ達による誤った自動化POS対応を漫然と続けていたりするような駄目なIT化の巣窟になっていたり、旧来的な「日本橋的丁稚奉公方式」の時代遅れな組織構造にがんじがらめになっていたり、ハード、ソフト両面に於いてあまりにも洗練、成熟化されていないことを示しているのにほかならない
小岩井農場まきば園のSLホテル 岩手県に位置する、国内最高峰の銘柄バター、チーズ、乳製品の産地である小岩井農場は、ビジターが自由に見学を楽しめるリゾート・ライクなプレイスとして知られている。農場の「まきば園」では、体験乗馬からグルメまで、様々なアトラクションがあなたをを待っている筈。極め付きは、本物のSLおよびブルートレイン用車輌を使用しての「SLホテル」。客車の寝台および個室コンパートメントを利用することもあって、一泊一万円に満たない手軽な宿泊料金なので、日帰りのつもりででかけて思わず一泊したくなった時にはいいかもしれない
野辺山SLランド 八ヶ岳山麓や野辺山高原など、信州には時間を忘れられる美しい大自然が魅力のリフレッシュメント・プレイスがたくさん存在している。中でも本当に夢のような軽便鉄道の実物SLが走るテーマパークが、野辺山高原にあるSLランド。昔、台湾でシュガートレインを牽引していたかわいいSLが第二の働き場として実走しているとのこと。来シーズンのオープンは2004年4月とのこと
たんぱらスキーパーク(玉原東急リゾート) 東京からも高速道路ですぐの沼田市にある、ファミリー向けのスキー&スノーボード・パークで、初級から中級向けのゲレンデを完備。親しみやすさや手軽さから、大学生・高校生のグループ・デートなどにも使えそう
狭山スキー場(プリンス・ホテルズ & リゾーツ)2003-2004年シーズンの営業を開始 東京から最も近いスキー・ゲレンデは、埼玉県狭山丘陵の一角に存在するおなじみのスキー・ドーム「狭山スキー場」。ウインター・シーズンにもなると、所沢周辺界隈では、「ボウリング」「スキー・スケート」「映画館めぐり」がメジャーなお遊び。そして、スキーもスケートも西埼玉ではインドアでのお楽しみということになる。近隣には米軍基地も点在しているためか、きわめてアメリカ・ナイズされるカタチで、周辺でのリゾート・レジャー環境が洗練されているのが特徴である
駆動タイプ別ドライヴィング・ポイントと「100万円で楽しめる後輪駆動GTカー選び」 [タイプ別][100万円以下で買える後輪駆動中古スポーツカーカタログ] いまどきのクルマは、ごく一部のマニアックを除けば、パーキングタワーのある大型スーパーやディスカウントストア、トイザラス、テーマパークへ行ったり、或いはクルマで通える職場へ通勤したりするための「生活上必要な走る道具」に過ぎないのかも知れない。あまりにも生活用の実用品に過ぎないクルマが多くなった為か、カーナビだのオートエアコンだのカーMDだの自動縦列駐車センサーだのをこそ誇っているような、「ジャパネットたかた」で売られている家電のようなクルマが、一頃に較べるとかなり増えている。だからなのか、フェラーリだのポルシェだのに象徴されるようなGTカーだったり、ハードな荒地を難なく走り抜けられるタフな走破性能を秘めた本格的なクロカンSUVタイプ(パジェロだとかジープチェロキーだとか)が、心なしか以前よりも元気が無いようにも思われてしまったりする。ニューZが日本国内デビュー後に好調なセールスを続けているとの話が伝わってくる中で、高価なGTカーの新車なんかを割高なローンを組んでまでとても買ってはいられないような先行き不透明な時代(→薄給、減給やリストラなどの心配からローンを組める状態にいない人が相当に増えてきているのは、西暦2003年に於けるマンションの売れ行き鈍化などの現象にも示されている)にあっても、勿論収入の面での心配が当面皆無なカーマニアもまた一方で相当数見られたりするのはこの国の経済全体にとっても心強い限りだが、一方でいままで新車に乗っていたユーザーが中古車に注目を向け始めていたりするなどの現象も見られるらしく、巷ではクルマ選びのセンスを競うかのような小粋な中古輸入車やマニアックな国産車に乗る一般主婦層も出現していたりするなどの事態(?)も発生していたりする程。が、やっぱりクルマの面白さはスポーツカー、それも高級GTを含む本格派の後輪駆動モデルにこそあり、しかもそれをできるだけ安価に楽しもうという企画ページが、オンライン版の「カーセンサー」上に出現
一昔前ならニッサン・シルビア(1988年5月〜1993年9月) & 180SXそしていまどきはアウディA4 [シルビア][180SX][アウディA4] 1980年代後半にデビューしたシルビア・クーペは、ドライブ好きな大学生カップルのデートカー向きなパッケージングによって、デビュー直後から爆発的な反響を呼んだ。新車の300ZX以上かアウディ、せめて新型V6パジェロ以上のクルマを持っている彼氏と付き合いたい、などと、よこしまながらも楽しい特集を組んだ女性誌などは一斉に盛り上がっていた中で、実際にはそこまで新車価格の上で高級じゃないクルマで本当はデートしていたカップルにあっては、最もデートカーに向いているとされる2千ccクラス・カテゴリにあって王者の貫禄を示していたホンダ・プレリュードをついに凌いで、決定版の座を掴んだのである。かくのごとくミーハー層に大ウケして、何代目かのオールナイターズ(オールナイトフジなる深夜枠のバラエティ情報番組のボックス席に陣取っていた素人女子大生集団)のメンバー組が、ニッサン・シルビアを運転しながら温泉宿を巡っていた姿には、あまりの絵柄のハマり方に本格的にそそられるものを感じさせられたりしていた(一方、西暦2003年度現在の渋谷界隈を行くいまどきの女子大生もしくはスッチーコンビと思しき女のコ2人組の中に、しばしば程度の良い90年代後期型のアウディを運転しているタイプが発見されるようになった。それらはクアトロだったりワゴンタイプのA4アバントだったりしている一方で、モデルタイプのコがタクシーでかなりセレブに近い、ファッショナヴルな気分を醸し出しながら、渋谷西武前あたりを移動している姿が以前よりも見かけられるようになっていた)。が、しかし、ニッサン・シルビアが、ただ単にミーハーにカタログ受けしていただけでは、ニッポンのマーケットでは実際の販売台数には結び付かない。売れるクルマがある時には、そこに必ずポルシェやメルセデスを凌ぐ豪華なパッケージングだのコストパフォーマンスの高さ、シャシー、エンジンの妙、電動横開きスライドドア採用などの実用性、税金面で有利などの合理的な理由のようなものがある。ニッサン・シルビアの実際のユーザーは、デートにも勿論興味はある感じながらも、FFレイアウトを採用していたプレリュードを推す派にはない「本格派FRスポーツ」へのこだわりがかなり強く見られていたのであって、現在に於けるインテグラだのインプレッサだのに熱心に乗っているような、走り屋ユーザーがかなり見られたあたりに、リトラクタブル・ヘッドライト版の180SX(外見を昔のセリカXXに似せているFRスポーツ。ただし、エンジンはツインカムながらも4気筒)ともども、バランスの良いツインカムの4気筒高性能エンジンを搭載したお洒落でお買い得なFRスポーツクーペ、の評価があったからこそ、走り屋を中心にトヨタ・カローラ並の見かけ台数を販売できるだけの商材たることができた訳である
コンバーチブルやホット・チューンのクーペで走りたい、旬のアメリカン・ラグジュアリークーペ [マーキュリー・マローダー出現][コルベット全モデル][コルベット記録][フォードマスタング・コンバーチブル][サンダーバード・コンバーチブル復活][USアコードクーペの女性オーナー記][ダッチバイパー菅生GTカー][近未来型FFスポーツの傑作フォード・プローブGT] 今回は、アメリカ西海岸世界一面に広がる底抜けに青い空の色が似合うようなラージスケールでラグジュアリーなスポーツ・クーペに、コンバーチブルの旬を探ってみた。1990年代にも一度、このような形でアメリカン・ラグジュアリー・コンバーチブルだのクーペだのが流行った時期があり、当時の最もホットなモデルは「フォードマスタング・コンバーチブル」であり、NGカーが1970年代的レトロ・イメージに傾きすぎていてイモっぽかった当時の「新型シボレー・カマロ」であったことはあらためて記すまでも無い話。勿論、アメリカ車だったら何でもいいという訳ではなく、[フォードマスタング・コンバーチブル]の場合にはなんとなくそこに系列傘下のマツダのエンジン技術が生きていそうな安心感があったり、ワイキキだのハリウッドだのが大好きでブルーコンタクトあたりを入れていたようなニッポンの女のコの妹分でも、グアムのレンタカー受付で初めて借りるアメリカ車にマスタング・コンバーチブルを選んでも運転しやすくてノープロブレムっぽいこなれた雰囲気が、ファーイーストなニッポンのオートモビル・マーケットでは高く評価されたのでもある。印象的なロングノーズを持ちハイファッションな典型的アメリカンFRスーパーカーであるコルベットの場合も、新車に手を出すには高価なクルマであり、こなれた価格の中古車に手を出すと最初のうちマシントラブルによる修理回数が度重なるイメージがあるために(西海岸で知られている謎の某ビルボード女性タレント以外の)女性オーナーの姿にはまだ一度も接したことが無いのだが、スーパーカーもオートマ仕様だったら女のコでも簡単に運転できることから、どうせだったらコルベットにも一度は手を伸ばして欲しい気がする。USアコード・クーペは、ホンダ・オブ・アメリカが独自に開発して発売したれっきとしたアメリカン・クーペであり、左ハンドルのアキュラNSXを頂点として、現地での人気が高い車種。プローブGTは、フォードがマスタング以上に開発コストを投入して生み出したいかにも近未来のニーズを睨んだ本格的なFFスポーツであり、三菱系のアメリカ系自動車メーカーが開発した4WDスポーツのエクリプスと共に、未来的な可能性を秘めている戦略車種であり、FLEX-J Webmasterが在籍していた当時のセントポール(立教大学)の男子学生の間での評価が高かった車種(実際に学生オーナーも結構いたらしい)でもある
個人投資家向けアイドル・ファンド 売り出し中の女性アイドルをビジネス商材としての投機対象に見立てて投資する種類のファンド。最初、割合堅めの法人投資家の一部(大掛かりな機関投資家筋としてこぞって投機するような対象ではないことは確か)が真面目な顔をして投資するのだろうかなどと思いきや、アキバの裏通り的なトピックとしてこれほどまでにユニークな商材はかつてなかったからなのか、出資者の大半は一般小口の熱烈なアイドル・マニアたちであり、FLEX-J Webmaster世代の中堅サラリーマンが投資家向けのイベントに駆けつけている姿がテレビで取材されていた。趣味的、道楽的な楽しみの場合は、基本的にコアに来るものは偏愛にも似た情熱だったりこだわりだったりマニアック歴から来る直感のようなものでの判断が優れていたりすることから、大の大人には分りにくい世界に相違ない。ただ、昔のバブル時の(新車よりも高いダフ屋的なマーケットが存在していた為の)再販プレミア価格に呼応しての、市場を無視した相場釣り上げが横行していたスーパーカー投機ブームの頃とは違って、健全な経済ルールの上に成り立っている点は、きわめて健全である
カリフォルニア・マニアックには東京ディズニーリゾートよりもユニバーサル・スタジオ・ジャパン [TDL][USJ] TDLとUSJの間には、双方共にアメリカ系資本のテーマパークだったりするものの、実際には、ほとんど隔絶的なまでに大きな断絶や違いが存在している。見較べてみれば一目瞭然なのだが、大きな違いとは、すなわち時代や世代の感覚に関する全てが、両者の間では明らかに異なっていることは、誰もが納得する筈、ではある。TDLの場合は、ミッキーマウス夫妻が戦前生まれの初期的なアメリカン・アニメーションのキャラクターであり、戦前生まれっぽく何かと教条的であり、堅物なイメージがする父権主義的であっていまとなっては時代錯誤的なるキャラクターなのだったりする。が、コミック・キャラクターの場合には、時代に合わせたイメージの若返りを図ることもそれなりには可能なので、ショー・イベントではミッキーマウスがビート・ミュージックのダンス・ステップを踏んでみせたりすることがあったりするなどの試みも持たれていて、少なくとも戦前世代的な、子供を遊ばせる親を化身化させたような保護者的イメージが、戦前生まれ的ミッキーから、団塊の世代以降の戦後生まれ世代のミッキーへと大幅に世代感覚を若返らせるための試みが好んで行なわれるようになってきているようでもある。戦後生まれ世代と、戦前生まれ世代との根本的な違いを強いて挙げれば、それは根本的に「暴力への考え方」であるだろう。ミッキーマウスの出てくるディズニー・アニメも、基本的には暴力を強く嫌う傾向は見られるのだが、が、ミッキーマウスに微かに見られるある種の「能力」であれ「権力」であれ「指導力」であれ、英米語に於けるパワーの語への、小さなネズミのキャラクターらしいある種の傾倒的なる要素だったり、力に鼓舞されて集まってくる人間達の動員力のようなものを、ミッキーの近くにいる気侭ないまどき的な自由主義者のドナルド・ダックが陽気かつ無邪気に、それでいて力に対しては客観的な立場で皮肉にせせら笑っている図式が、ディズニー世界に於ける象徴的な図になっている。秩序や伝統、集団性を重んじる戦前的旧世代に於いては、ミッキーとドナルドではミッキーを良い子に見せようとするスポットライトが彼ららしいモラルの内には存在している。彼らは実際、権力的であり、お仕着せ的であったり、酷い場合には旧日本軍的なオイコラ式ですらあったりする。東京ディズニーリゾートもまさにひとつの大国的なる国家の自己陶酔的ヴィジョンを映し出すところがあったりして、アメリカ帝国の旧時代的なモラルを再生産するある種の社会教育現場のようになっている。が、かくのごとくの東京ディズニーリゾートの長所は、FLEX-J Webmasterが行けば、少なくとも一人の独立して自立した大人(人生に好調な時或いはスランプの時期の別を問わずに)のビジターとして、心行くまでリゾート感覚での、FLEX-J Webmasterらしいオフを満喫できるようなセッティングやホスピタリティも万全に整えていてくれるであろうし、過不足無く心が満たされる、充実したテーマパークとしての顔を見せてくれるだろうし、それが、世界中のディズニー・テーマパークの中でもきわめて芸術的なまでに完璧であるということであるだろう。不快さは無いが、そこではミッキーはディズニーランドの国王役として立派に歴然と君臨していて、仲間達を引き連れながら、或る意味アメリカ大統領的なる指導力にも通じる、アメリカを代表する旧世代のアイコンらしい父性の片鱗をのぞかせたりもしていて、そこは立派な1940〜50年代的なるアメリカ的なる世界の投影としての偶像たちによる帝国なのである。それに対して、一方のUSJのテーマパーク世界を一貫しているのは、進んだ現代アメリカ文明世界に於ける多少しょぼくても幸福なドライブスルー時代的なる日常の中での、「ジョーズ」のようなちょっとしたデンジャラスや、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に於ける、父親および母親的なる世代は圧倒的にダサいとの絶対的価値観から眺めた場合の世代間対話のような機軸、「インディ・ジョーンズ」のような、米軍もナチスも関係ない、パロディ化されたダンディズムをシニカルなコメディの持ち味にしてみせるしたたかなる個人主義の権化のような、いかにも戦後世代が描き起こしたロールプレイングゲーム然としたスペクタクル・アドベンチャーだったり、「アメリカン・グラフィティ」のように旧世代のモラルとは決別したアメリカン・ニューエイジのヤング達(といってもバック・トゥ・ザ・フューチャーの父母世代にはバッティングするものの)による、因習的ですらあるような保守的で権威的な社会的呪縛から軽やかに抜け出した、戦後世代の皮切りを飾る、クルマやダンス・ステップ、ファッションが、自由度の高い戦後世代的意味を持つ若者的ムーヴメントを映し出した世界観など、ほかにも「E.T.」などを含めても、基本的には軍隊調のオイコラ式に象徴される父権制的暴力主義への徹底的な否定と決別、そして戦後世代特有の徹底的に自由な筋金入りの個人主義が、あらゆる場面で、一貫されている意味合いに於いて、東京ディズニーリゾートはアメリカのテーマパークでありながらも限りなくファシズム独裁に近いカリスマ的父権制のモラルに満ち満ちていて、場合によってはミッキーマウスが音頭取りをすれば一気にそこで戦争すら起こってしまいかねない、きわめて一元的な独裁制を匂わせる、きわめて戦前臭くて時代がかった、恐いリアリティを感じさせられるのに対して、間違いなくUSJはどちらかと言えば戦争や軍隊が嫌いな、反ベトナム世代以降のヤングそれもハイスクールからカレッジにかけての考え方に一致するところの少なくない、アメリカ的なるポストモダンが息づいている陽気な巣窟としての活気に満ち満ちている世界である。戦争も軍隊も大嫌いな典型的な戦後的ドライブスルー世代のFLEX-J Webmasterにとっては、東京ディズニーリゾートはいわば祖父宅への訪問を思わせるレトロでノスタルジック、古典的なアメリカン・レジャーを楽しむための世界に過ぎず、どちらかと言えばUSJの持つ、ディスコ世代以降型の持つ徹底的な1980年代的ヤング世界の持つ、戦争も軍隊も嫌いで、社会が昔のように個人に対する過剰な束縛力を持つことにも個人の自由を侵害されることへの強い抵抗感を、陽気にユーモアであしらいながらも断固たるブーイングを持って好んでアピールするなど、前時代に依存しない1980年代的な明るく自由でフレンドリーであって尚且つ湿度を感じさせないいまどき世代感覚にこそ、ナチュラルな一致を覚えることができることも確かなのであり、山田詠美も近隣に住んでいるアメリカ空軍横田基地界隈で青春時代を過ごしただけに、アメリカ的な社会支配主義的な旧世代感覚を、アメリカ的な個人性重視の新人類感覚をもっていかにして賢明に覆していくか、1980年代世代の良さを失わずに過ごしていくかが、いわば人生のライフ・テーマのようにすらなっていることに、あらためて気づかされていたりする
アキュラNSX左ハンドル仕様とLAのフリーウェイ [アキュラNSX公式ホームページ][ホンダに於けるアキュラ・ブランドの現在][LA御機嫌フォト日記] 「アキュラ」は、ホンダがアメリカで高級車クラスのラインナップを販売する際のプレステージ・ブランド。そして、当然の事ながら「アキュラNSX」は左ハンドル仕様のV6スーパースポーツとして米国では発売されていて、それがLAのヌケの良い青い空と真っ直ぐに続く幅広のドライブウェイの元でいかにスティミュラスな存在であるか、は、想像に難くない
ニューヨークのインターピッド航空宇宙博物館に、あの世紀の旅客機がやってくる [展示物の空母][あの機体の実機搬入のニュース] アメリカ海軍の航空母艦を展示していることで知られる、ニューヨーク市内マンハッタン島の片隅ハドソン・リバー近くの博物館。FLEX-J Webmasterも世界一周航空券の旅の際にお立ち寄りのスポットは、軍用機に軍艦が展示の中心だけに、好みが分かれるところなのだろうが、思いのほか淡々とした風情が映画・ドラマの舞台のような空母の甲板上に立ちながらニューヨーク市街の摩天楼を背景に記念写真を撮るなどして、カップルでも楽しめる。そして長らく、ニューヨーク市郊外のJFK空港は、(日本の羽田および成田にはついぞ就航したことのない)超音速定期便の飛来メッカであった。ここに、あの、世紀の最速旅客機が展示されるとのニュース速報が流れたことも、それゆえに驚くには値しない
マセラティの最新イタリアン・クーペ [1][2] 伝統的なイタリアン・ロングノーズのGTクーペは、時折日本車のデザインも担当しているジウジアーロの手による、あまりにも滑らかな流線型の曲線美に満たされたボディラインを、V8搭載390馬力パワーが奏でるイタリアン・エグゾーストの官能で満たしている。親会社フェラーリのF1テクノロジーからフィードバックされたセミ・オートマ・システム「カンビオコルサ」を搭載する、最新鋭であって至高にして尚且つ究極のプラウド・オブ・ザ・マセラティなのである。一台1195万円の車体が、初年度は日本国内でも100台はけるとのこと
インターネットに見る、いまどきの女性アイドルおよび卵たち [MSN][スポニチ][ZAK2] プロとして各種媒体の上での「仕事」(勿論、業務をしながら対価としてのギャラを頂く上での生業のこと)をしていく上で、新人の売り出しには(ミスコン、レースクィーン、女子大生、グラビアモデルなどの集中コーナーを組んでいる場合が少なくない)インターネット媒体(FLEX-J Webmasterの場合には、東京・西五反田に編集室が存在していた商業オンラインマガジンのエディター歴があり、ネット媒体の舞台裏の話にも通じている)のトピックに顔を出したり雑誌での水着グラビア、売れてくるに従って写真集を発売したりして肉感的なる商材としてサポーターの間でのコレクター・ニーズに沿ってそれを満たしながらのアプローチ、次第に一般大衆全般への浸透力を持つに従ってテレビのバラエティ番組などでの顔出しだの人によってはミュージカルに出たりドラマ・映画に出たり、或いはテレビ・メジャーの波にいまひとつ乗り切れなくても根強いサポーター人気の高い女性アイドルの場合にはVシネマに集中的に出演したり、あるいは現役女子大生として天気予報コーナーに出たりしながら着実なCM系、コラム系のタレントを目指したりするなど、硬軟とりまぜて様々なタイプの女性アイドルの存在に概して爽やかなテレビ番組などのコーナー越しに接していると、どこかで(→このコーナーしか考えられないが)FLEX-J Webmasterのぞんざいで言いたい放題な存在感を知ってあまりの30代くささに嫌っているらしいコの場合であれ、女性アイドル達の元気できびきびとした活躍ぶりに接すれば、体力消耗の激すぎて流石のキューピーコーワゴールドですらいまひとつ効かないような体調の時にも結構やる気が戻ってきたりして、全然出会ったり、仕事であれ何であれ、(デートはむろん)実際に身近でお話しするチャンスすら得られないようなストイックな視聴者感覚的な"お馴染みさん"に過ぎない筈の彼女達がそれなりに重要人物化していたりする場合が結構あったりする。FLEX-J Webmaster的にはいたって真面目で或る意味、兄的、父親的、時々先輩や身近な友人的な気持ちにさせられたりしながら、実にプラトニックに応援していたりして(FLEX-J Webmasterである自分から眺めて、男性感覚的に、テレビの中にいるだけの女性タレントさんとは基本的にHな関係は成り立たないことから、たとえば学校の同級生の女の子と知り合って、表向き的な友人っぽい関係に並行して、微妙な、腰のうねりだったり悩殺的な吐息のようなセクシーな感性の一致をみたりして、H関係の有無とはケース・バイ・ケースとしても、それぞれに男として女としていつのまにか自然に向き合うようにカップル化してしまうようなパターンは基本的にはあり得ないし、接点を持ち得ない一視聴者レベルでは到底不可能である。直に接することのできるアイドル的な女性、あるいは一般的に言って結婚を前提にするような出会いのできる相手にミーツするためには、直に会えるファンクションやメリットをふんだんに用意してくれるさまざまなチャンネルやテーブルを探して、そこに生アクセスしなければならない)、真面目に人間味やキャラクターの面になにげに共感させられたりしている場面に気づくのは、案外に楽しいことなのだったりもする。もっとも、偶然、自分の友人或いは彼女に、芸能界で活躍する女性タレントがいても、仕事として人前に立つことをしている以外の面では、熱烈なサポーターに見られやすいミーハー的態度からは程遠い、なにげな普段づきあい以外の何かをすることも考えにくい(銀座での高級クラブホステス歴のある元同級のコと食事をしながら何気に街を歩いていたような時にも、西新宿の高層オフィスビルの上にある和風創作料理っぽいモダン小料理屋のカウンター席みたいなところで[挨拶替わりに"とりあえず、させてくれ"は時折挟みつつも]"兄的"にさしで世間話をしたり、カフェでお茶するような感じで、気さくで平凡な時間の過ごし方をしていた)ことから、相手が変わっても、会う場所が相手の好みや関係のあり方によって違ってくることはあっても、基本的には何につけても会話(相手が変わってもトークが弾むような話になるとは限らない。が、互いに不器用っぽいパターンでもそれが楽しい場合も少なくない)ベースだし、単なる友達でも、お茶するだけの関係でも、体の関係を持つにしても、楽しみは好きになれる相手を見つけて、どんな場合にも真面目に真剣なコミュニケーションをしようとすることだったり、自分の気持ちを大切にすることだったりすることには、いささかも変わりがないことだけは、いうまでもなさそうだ
復古的人気FRスーパースポーツクーペ「フェラーリ456M」および日本が誇る最速スポーツ「ニッサン・スカイラインGT‐R」[456M][GT-R][CELICA XX] 偉大なる小型実用イタリア車メーカー、フィアットの資本傘下に収まったイタリア生粋の良血GT伝説の雄、フェラーリが放った、あえてオーソドックスなFRレイアウトによる近作のひとつ。フロントボンネットの内部にエンジンを置いて、後輪を駆動させる方式は、日本車(→国産車なる言い方も好きだが、どことなく変に緩い感じがあって、輸入車を前にしたした時に引き締まっていない語感はいかんせんヨロシクナイ)のGTカーにも少なくないことから、中古で手頃なプライスのスポーツカーが欲しい向きには、「フェラーリ456M」にコンセプトが似ているスポーツカーは、FLEX-J Webmasterが学生当時に転がしていたトヨタ・セリカXXツインカム24バルヴは古すぎるにしても、Zだのスープラだのセブン(RX‐7のこと)だの、案外にまだ探せば見つけ出せるコンセプトのタイプなのだったりする。スポーツカーにはFRのほかに、エンジンをクルマの中心、すなわち運転席のすぐ後ろに置くミッドシップ・タイプ(ホンダNSXおよびトヨタMR2、ホンダ・ビート等)があったり、一般的な大衆車に見られるエンジン前置きの前輪駆動(FF)タイプのもの(1980年代後期型以降のトヨタ・セリカ4気筒タイプ(味なフェンダーミラー仕様)を始めとして、ホンダ・プレリュード等)、エンジン前置きで四輪駆動のもの(ニッサン・スカイラインGT‐Rおよび三菱GTOなど)が、スポーツカーの世界にも各種存在していたりもするのだが、最も素直にクルマらしくてナチュラルな運転特性を示すのは何といってもFRであることから、交換はアルミ程度ですっきりと乗っているパターンが目立つ多摩ナンバー圏のGTモデルのみならず、マズイ走り屋仕様車の目立つ足立、横浜ナンバー圏あたりにも、近年は公認パーツによる適法チューンを中心にして様々にいじられたGTカーが色々と見られて面白かったりしている。近年、巨大リフォーム展示場ペンタくんで知られるペイントハウスの足立支店[昔は塗装ブームでドル箱だったらしき話も聴かれる。ちなみにペイントハウス支店内の月間業務収益の成績で上から二人目までは、悪質営業には関係のない、超人的なトークおよび身振り手振りの努力により、だいたい手取り月収百万円前後を貰っていたスゴイ人達なのでもある。が、ずっと長期続けて好成績の人は少ないためか、幹部コースに入って現場から離れたりすることで、今度は支店単位での業務収益性を厳しく問われる一方で、容赦ない支店閉鎖策が断行されていることもあって、現場であれ幹部であれ、いつでもコンスタントに安定収入を得られる業界とは言えなくなって来ている。それ以前から、波のある業界の先がわからない感触から、贅沢に走る人は少なく、クルマ好きでも質素な中古車ベースに若干アルミやサスでいじったり、せいぜいが安いキャバクラで軽く飲んで憂さ晴らしをする感じの、地道でコツコツ型の真面目な人が少なくなかったあたりは、ハデに金遣い粗いイメージからは程遠い、昔ながらのしみじみした味は残しながらも近代化もされている御宅巡回商売らしさである。本当に道楽に走ったり駄洒落のような人生にはまったり女房を泣かせたりするタイプは先日までお世話になった某社のタクシーの一種養成教官にことさらよく聞かれたプロフィールであり、いまどきの現役タクシードライバーが限りなくサラリーマン化してきている中で、味わいや奥行きはあるのだが、人としては人生に落伍しているような人物が教官として新入りを権威的かつ、どちらかと言えばヘンに取り済ませていて落伍者の一種であることを自分から得意満面に話して聞かせるながらも教官としては運転の仕方から生き方に及ぶまでについて、普通の一般ドライバーだのレーシング・ドライバーだの世界では上手なほうの技量があっても、「お前の運転はなっていない。何から何までが駄目だ」的な感情的、偏見的、否定的で説教調のパターンもあれば、機嫌が悪いと八つ当たりだのどつきだのばっかりの憎まれ口タイプ、極めていい加減でアバウトな教習指導に終始していたよくわからないタイプまでもがいたりして、一般の公認自動車教習所では死に絶えたような脅迫的な駄目教官タイプが、一部の下町気質の根強い一種保持者を乗務員に養成する社内教習センターでは見られていたのには、正直言って閉口させられた始末]だの土浦支店だのが閉鎖された話までもが聞かれる意味で、景気回復、雇用促進の国民的テーマを前にして、プライムミニスター小泉氏の身勝手で無軌道な政権延命話のおかげで、ベンチャー市場にも、需要の抑制の余波が如実に現れたりするなどの影響が現れていたりすることからも、GTカーやダッヂなどの巨大バンを中心としたスゴいドレスカーの世界にしてもいつまで我々の眼の前を走っていられるかまでは全く分らない時代にある
タイミングベルトの交換 [1][2][Vベルトもチェック] 自動車の総走行距離が六万キロメートルを過ぎたあたりから交換を心がけながら、遅くとも十万キロメートルに達するまでにはすべての自動車で交換する必要がある駆動系の重要消耗パーツ。交換費用総額は大体3万円前後だが、うっかり未交換のままに走行中のベルト切れでJAF出動、ベルト欠損時のバルブ破損などで車自体が使いモノにならなくなるなどのトラブル例も、高い順位ランキングに於いて報告されているとのこと。また、Vベルトはエアコンやバッテリーなどの電装系を動かす駆動ベルトで、こちらについても併せて交換しておくのがベスト
イラク「戦後」復興関連ニュース・ボード [共同][日経] 戦時よりも緊迫感が深まる一方の「戦後」イラク情勢。フセイン元イラク大統領もビン・ラディン師も生存を伝える音声メッセージを発表するのみで、協力者に匿われる形で、転々と所在を移動させている模様。バグダッドに駐屯中の西側兵力には、民族ゲリラなるよもやの「難敵」が出現、戦時下以上に悲惨なニュースがとめどなく再生産されては、茶の間のテレビに映し出されている状況。反米ならぬ反ブッシュを掲げるアラブ人民族ゲリラは、イスラム教特有の救国思想や勇者意識から、好んで自爆テロに身を投じようとしたり、武装ゲリラのクラスでもロケット弾程度は当たり前のように保有、ますます挑発の度合いは深まる一方なのだったりもする。異なる文明や宗教の境界線(ボーダー)をめぐっての争いを前にして、日本国内では「それでも自衛隊を派遣するべきか」が議論のテーマになっていたが、先日、イラク戦後処理を前にした、オランダ軍の前線基地を視察していた自衛隊は、自己防衛以前に友情深いオランダ軍から"護衛"されながらの見学日程をこなしているとの報があり、依然として「地下鉄サリン事件の事後処理」以上の実任務には就いたことのない、重兵器のデモンストレーター集団に過ぎない、幸福な状況に浴している(ただし、現在のニッポンの国内が本当に幸せな社会なのかについては、何をしても昔のような醍醐味を得られにくい上に、物事の正しさの基準にしてもリアルタイムに於けるそれは極めて曖昧な、仏教学的な乱世の最中に置かれており、まったくもって判断し難い)。そして、現在のような、何かにつけて曖昧であって未来展望的にも先細りイメージの漂う時代には、カオス(混沌を背景にした得てして傍若無人な乱世の空気)がはびこりやすくなったりもしやすくなる。そうして「首相偏差値」50の内閣総理大臣、プライムミニスター小泉氏には、(担当番組の「視聴率」をカネで買おうとする程までは堕落していないにしても)毒にも薬にもならない安穏な政界保身を続けるためにのみ最善の努力を尽くすポーズがこのところ見え透いていて、前々から当コーナーでも危惧されている"やる気ナッシング"な状態もいよいよ最高潮に達しているあり方ばかりが判然としている体たらくぶりが物語っている国内的状況には、いまや衰退した経済大国の名残さえも感じ取ることができない有様であり、イラクよりもそちらのほうが深刻であって緊急的な問題であるようにも思われてならない。終戦時のニッポンの敗戦時とは明らかに状況の異なるイラクの終戦処理では、戦時体制化のかつての日本国内のような形では国内権力によって虐げられていた訳ではなかったフセイン体制下にいた好戦的民衆によって、貧しき混沌の中でのアナーキーな外国兵員殺害テロゲームでも楽しんでいるかのようないまどきイラク的なゲリラ状況的無秩序が、アフガニスタンとは異なるイラクでは横行しているのであり、が、それらのゲリラ圧力によってもイラクがフセイン体制に戻るのでもなければ、実際にはできるだけ早期の暫定的なイラク再独立を推進しようとしている筈の欧米側に於ける、ビジネス・ライクな戦後処理作業が中断される訳でもない。マインド・コントロールされた急進派のイラク民衆には、欧米語的な植民地統治趣味的な海外政策、とりわけブッシュ流儀によるそれがイラク国土を優越的に統治している占領状態への民族的アレルギーが、城東サイド的僻み根性の根深い、東京の下町気質(→圧倒的に他エリアよりも虐げられたり貧困地帯でありつづけているような下町出身コンプレックス意識に、日本橋・銀座的、或いは浅草から門前仲町あたりにかけての庶民エリート気質が渦巻く落語家社会的な、庶民社会の徒弟制度的伝統社会をリードしてきている奇妙な優越感とが入り混じって、きわめて独特で異質な世界を構築していて、東京ウエストの西側市民感覚で肥沃さの中で安穏としてきている人達に較べて、世の中を生きる上での経験値や訓練量では勝っている面も見い出せる一方で、生粋の落語家諸氏にブルジョワ・タイプがほとんどいないように、求められる努力に対して見た目上で得られるものが極めて少ないことから、落語家としては足りなくてもタレント・プロモート戦術的には長けていた某門下のような人達が鶯谷一帯を王国化して君臨していたりする"実態"にも、下町出身コンプレックス意識は色濃く投影されている。下町程に、感情的なフラストレーション蓄積地帯は国内でほかに八丈島辺りを除けば類を見ず、イラク民衆との違いは、それが「それなりに豊かな時代にあって、国家レベルでの戦争の勝ち負けに関係なく、好戦的に増長する、調子に乗った民衆世界での歪んだ英雄指向」か「戦争に負けたら圧倒的な勝ち組に媚びるものの[このコーナーを担当しているFLEX-J Webmasterのような本来は山の手や武蔵野側の人間で、たまたま現在は東関東エリアに住んでいて、城東側で就職することも何度か見られたような人間の場合、「足立ナンバーなのに背伸びしているベンツやBMWからセルシオのような高級車、或いはスポーツカーに"馬鹿っぽくてスゴイ"以上のエリート的価値を認めない」空気を肯定している人達だけに、本来的には下町エリアに横並び扱いされることを内心では快く思っていないものの、世の中にはむしろ下町的な、人懐っこくしもてに出ればそれが御用聞き型ビジネスのように莫大な利益になるような種類の、頭が良く腰の低い勝ち組人生を送っている向きが大勢いることから、下町側からの"本気でこっちの徒弟につけば美味しいゾ"的な甘い誘い文句や好待遇には安易に乗ってしまいやすい愚かさをも、至らなさの分だけ内包していたりして、事情をよく知っていたりもする"分"に於いて冷静に眺めてみても]、横を見回しての僻み妬み足の引っ張り合い的な内戦状態は当たり前の下町メンタリティ」かのアメリカから伝来したテレビショー・ビジネスは、伝統的に訓練されている人達よりも即興的な視聴者コンセンサスに訴求する能力にカネのなる木を認めようとする、今様である種のシニカルに救済的な逆転シンデレラ・チャンスを用意していた訳なのである)にも共通して、他所のエリア文化やしきたりが自分達の上を行くことは断じて許さない、の感情の切片の一点での、曖昧な行動論理による、無軌道な自爆テロ的現象が、形を変えながら、対欧米シフトでの「急進派」的戦争に負けた(早朝のJR常磐快速線の車窓から眺められる南千住駅前の眺めのような街並みの)バグダッドでも、下町出身コンプレックスに駆られた連中の問題行動が「日常生活」の中でも顕著な下町エリアをも抱え込んだ東京でも、根本はたぶん然程変わりのない、「寄って立つものとしての急進的民族武力思想(欧米と肩を並べての工業的産業化の歴史などが皆無な為、敗戦にもビジネス・メリットがあることが、イラク人ゲリラには分らない)」もしくは「日本株式会社に於けるカネの権威性(カネだけが、実はバブル以前的な終身雇用、低失業社会に於ける国内秩序の原動力だった)」の解体劇における瓦礫、廃虚化した都市を前にしてのカオスを前にした混乱劇が、風が吹いて荒れた平原の草木が騒ぐかのように瞬間的で場当たり的なそれとして時代の一瞬に寄生しては繁茂しながらはびこっているように見せかけているだけ、に相違ないのである。イラク終戦処理も一過性の国際政治的な雑事に過ぎず、それ自体に何らかの国際的なる意義があるのかと言えば、現状をよっぽど巧みに現地で事態収拾可能な辣腕な指揮官でも現れない限りは、むしろイラク国内から曖昧な形での駐屯を続ける欧米の現地部隊をすべて一時撤収させる方が無難かもしれないほどの無法地帯的状況なのであり、イラクを欧米合同で意固地になって何とかしようとするよりは、むしろ終戦と言うよりは停戦の軍事的態勢を崩さず、混乱が収拾されるまでイラクに介入しないで事態沈静化まであえて離れたところからの注視を続けるべきではないのか、とまで、思わせてやまない上に、最初から戦争すること自体に何らの前向きで積極的な意義すら感じさせなかった、遠い国の都市(まち)での治安騒動の話、なのではある
イタリア・ワイン「キャンティ2002」そして「強力わかもと」と「カネボウの高麗人参」 本日、西暦2003年11月23日(日曜日)は、体調を整えつつ、数年に一度の悲惨な風邪の療養を兼ね、湖を走る観光用高速艇から戻ってきた昨日からの流れで、家の中でリゾート・レジャーっぽい気分を満喫。が、夕刻になり、風邪の回復具合もいまひとつであることが気になり、近隣のマツモトキヨシへ。ロートの漢方っぽい風邪薬に、コルゲン・トローチが切れたことから気分を変えてヴィックスのドロップ、胃弱なので消化成長促進剤であってSF映画『ブレードランナー』上でも紹介された強力わかもと、そして根本的な健康強化を図り、昔、子供時代にも服用していたことのある高麗人参エキスを購入。高麗人参エキスは、カネボウが韓国から輸入して販売しているスプーンタイプの顆粒であり、一瓶五千円以上する高価なもの。昔、徳川政権でも、朝鮮通信使などとのつながりから超高価な滋養強壮剤の王様である高麗人参を将軍家御用達として採用していた程。子供の頃に虚弱体質だったFLEX-J Webmasterは、体質を改善する為に、「(生粋のそれにのみ付けられる証明シールで示される)大韓民国専売庁オフィシャルマーク付」の高麗人参の中でもずば抜けて高価な、流動シロップタイプの濃縮エキスを、出入りの置き薬屋さんから購入していた。子供には苦すぎる朝鮮半島特産の生薬だけに、濃厚エキスのシロップを湯煎で溶かし込んだものを、「シュガーカット」のようなボトル入りのハチミツに混ぜ込んで、かき混ぜながら、甘いテイストにして飲んでみたところ、健康上の問題が一気に解決する程の、驚異の健康増進パワーを発揮したことが、記憶に残っている。健康上の問題を抱えている方および体が資本の向きに、生薬としての高麗人参はお薦めできうる
廃虚都市化する「土浦」の中心街 1990年代初頭に端を発したバブルの崩壊後の日本経済の低迷は、とりわけ通勤圏の地方都市圏にあって、相次ぐ大型店舗の閉鎖などによる、中心街の廃虚化を呈するに至っている。茨城県土浦市は、地理的、環境的、文化的に見て、八王子にきわめて酷似しているベッドタウンの地方都市であり、以前は駅前に西友の大規模店舗があったり、つくば万博の前年に土浦東武ホテルが進出(が、既に閉鎖)するなどの賑わいを呈していたのだが、現在は都心でもめったに見られない程の、土浦駅前のインターチェンジから国道6号線までを信号なしにショートカットする「高架道」からのコンテンポラリーな眺めはゴーストタウンっぽい近未来SF的凄みを増しながらも、「イトーヨーカドー」以外には大型店らしいものも見られず、ホテルにしても(昨日、2003.11.22にはキャット・マリンコープの新米兵員としてマイペースに活躍中のお子チャマロシアンことsoraさんおよびチンチラくんことファラ(オ)くんのコンビで、またもやFLEX-J Webmaster引率により京成マリーナのホワイトアイリス号に乗船)霞ヶ浦エリアに地元系資本のものを残す程度に留まっている。また、茨城県における一方の核であるところのつくば市は、数年後の「秋葉原〜つくば間」を結ぶ高速鉄道の開通を前に、つくば西武などのデパートに家電量販店にスーパーが相乗りするような形態の小売業態も活気付いており、ドライブ観光スポットである筑波山の山懐にあって、ほかでは見られない近代的なカリフォルニア的なる未来型都市風景が、千葉・茨城エリアの燦燦と照らすような太陽光線に照らし出されている様子は、あまりにも対照的なのでもある
ハイヤー会社が運行する「成田空港リムジン・ライナー」 都区内のタクシーの世界では、「大日本帝国(大和・日交・帝都・国際)」の四大ブランドが依然として有名どころ。そして、タクシーの一種であるハイヤー事業の分野から出現の、乗合ワゴンハイヤー「リムジンライナー」が、ドア・トゥ・ドアによって運行されている。タクシー会社の直営教習センターでの二種免許受験教習を受けていたFLEX-J Webmasterは、この時期に生憎体調を崩してしまい、一旦会社から籍を外す形で、自主練習かつ自主受験、自主取得をすることになってしまったのだが、「十分に体調を整えて、二種免許が取れ次第、また当社の教習センターに戻ってくるように」との話も聴かれているのは、先のことは本当に分からないが、不幸中の幸いのような話。そして、タクシー・ハイヤー運行オペレーター会社による旅客輸送サービスとして、ハイヤー・ビジネスの延長としてこういった乗合サービスの提案は、ハイヤーとリムジンバス(或いは東急のデマンドバス)と電車(スカイライナー柄なあたりからして、相当意識している)のいいところ取りのようで、普通二種免許で営業運転できる最大8人乗りの小気味良さおよび、一人でタクシーやハイヤーを借り切るのに較べての割安感、オペレーターにとっては一般ハイヤーであろうと乗合ワゴンハイヤーであろうと運行コストには違いがない面も手伝って、知っていて損はない、知る人ゾ知る成田空港アクセスにも違いない
VWトゥアレグとポルシェ・カイエン・ターボは、エンジン特性および持ち味の異なる姉妹車 [1][2][3][4] 現行レガシィに搭載されているチタン・ターボ、最新版ジャガーが採用、ホンダNSX並のアルミ・モノコックボディ、新型トヨタ・プリウスの、快速電車のように速いハイブリッド技術などなど、意外にもマニアックな目玉技術が、国産メーカーから世界に提唱的に送り出されるのに呼応する形で、アメリカ市場を介しての結果として伝統主義的なる欧州ブランド車種にもそれらの技術がフィードバックされる形になってきているのが、1990年代以降に於ける、世界的なモーター・ジャーナリスト界のトピックになってきているのも、或る意味、自動車の本場に追いつき追い越せをスローガンに掲げてきている筈の、ニッポン自動車業界を巡る話題。以前にここでも紹介されているトヨタ・ラウムのヒット理由なども、基本的に超生活実用品主義を推し進めることにためらいを感じなくなった、この国のニュー・ファミリー事情に支えられてのことであり、「イメージ」では既に飯は食っていけないまでに、自動車のカタログもシビアであって現実的なニーズへの対応を余儀なくされている訳である
横開き式後部スライドドアが大人気、トヨタ・ラウム [誌上レポート][ユーザー投稿] ミレニアム以降のトヨタ車は、カローラのようなスタンダード・クラスの小型ポピュラー・セダンが人気低迷を続ける中、SUVと高級セダンが人気を博しているのは御存知の通り。トヨタのラウムは、ホンダでいうところのフィット、マツダで言うところのデミオ(日本フォードのフェスティバミニワゴンもこのカテゴリ)のような枠に属しながらも、後部座席には横開きスライドドアを採用して何とも実用性の高い、生活用のツールとして便利なクルマに仕上がっていて、目玉商品化している。某自動車雑誌のコラムだかに、ニッポンのタクシーにもこういう感覚の車種をあてがって欲しい、の声もあったような気がする程に、街中での乗降に於いて、他のクルマを眺めれば、より大きなワンボックスワゴンだの3ナンバーSUVの一部が採用しているのに過ぎない、横開きスライドドアのユーティリティ度はきわめて高いことは、ラウムを使ったことはないがワンボックス車を使った経験が結構あるFLEX-J Webmasterに於いても、想像に難くない。しかも排気量クラスでは1,500ccクラスであって、購入するにしても走るにしても軽自動車に近いコストで気軽に使うことのできる車種でのことだから、ユーザーの合理化指向は、旧来のセダン的常識からは既に自由なところにいて、画期的で理にかなっているものを日々、探し求めていることが納得される
ただでさえベースカーも速いのに究極チューニングを施された、アウディS4 空気抵抗係数やキャビン居住性が航空機並の「アウトバーン完全対応」流線型セダンおよびワゴンとして、速くて乗り心地かっちりと快適なことが良く知られている、ドイツ製ファミリーセダン・ブランド「アウディ」。1980年代に、何故か女子大生および周辺ボーイフレンド軍団達の間で大人気。が、インテリア造形などは平凡の極みのような印象であり、当時の彼らが現在に於いてアウディの主要オーナー層を形成している訳でもなく、ディスコ・ブームなどにとりわけマッチしていた訳でもない。グルーミーでコンテンポラリーなデート空間としてであれば、むしろ国産のソアラやセリカのようなラグジュアリー・クーペの方がよっぽどディスコ・ビート的ではあった。当時的なアウディ80などは、いわばトヨタ・コロナだのニッサン・ブルーバードだのの直接のライバルであり、日本国内でライセンス生産されていたフォルクスワーゲン・サンタナあたりとは資本系列内にあっていわば姉妹車の関係にあったのだが、旧山手通りや目黒通り、井の頭通り界隈のトーキョー的プチリッチな開業医子弟的医大生ムードおよび慶應・青学・成城趣味的ムードが受けてか、"大学教授を親に持つイタリア系クォーター言うよりはデュッセルドルフ系小市民プレーボーイ・イメージ"の漂っていた、実はディスコ嫌いのペログリ好きな田中康夫的イメージに後押しされながら、アウディ80なる車種は、六本木・溜池〜白金界隈にあって、市民的感覚から見るとなんとなく退廃的で倦怠的な、それでいてトヨタ・クラウンにも共通するオジサン的いたれりつくせりの余裕イメージに於いて、田中康夫をしてもオーナーになる上での"抵抗"を持っていたらしきメルセデスは勿論、BMW3シリーズの持つ「足立・練馬・春日部ナンバー」感覚的バタ臭さをかもし出していた並行輸入車イメージをあえて牽制する上で、ことさら強い理性そして正しい大人の遊び人ヤング・エグゼクティヴ・イメージを、トーキョーに於けるしなやかな遊び人達の「走る免罪符」的ニュアンスをも巧みに醸し出しながら(→そうはいっても、当時的にも現在でも、新車のアウディを評価するユーザーはマニアックであって飛行機のような乗り物に凝り性であって、異性に対しては優柔不断の浮気者の遊び人もしくはオタッキーである比率が、限りなく高い)、カタカナ語の小気味よさを生活リズムにしながらトーキョーを闊歩していたようなイメージである。Sシリーズは、アウディの中でもとりわけプレスティージ・カーとして名高い、ハイレスポンスなチューンド・シリーズであり、たとえばV8の5バルヴ・パワーユニットなどは、バブル時代のトーキョー的遊び人達が駆っていた足にも見られなかった、知る人ゾ知るパッケージングを誇る、まさにスポーティな高級輸入車のランクに属するのみならず、アウディ自体のハイテクで実用的な足としての上出来さやVW系ブランドとしての大衆的な市民感覚にプレスティージ・チューニングカーの力強さが加味されるのだから、「凄い内容の普通の市民的セダン」に乗りたい向きには魅力的には違いない。横文字的センスや流通経路、ブランドの違いだけで、性能的、パッケージング内容的にはほとんど等価の関係にあった「アウディ80」と「トヨタ・コロナ」の間にはあまりにも過度なイメージ・ギャップ化現象が、いわば東京の当時的な保守的ディスコ好き新人類大学生達の間で"発明"されてしまった訳なのである。が、アウディなるブランドは所詮、一部の熱狂的アウディ・マニアの感情を度外視するなら、東京にあってはあえてBMWだの国産系ラグジュアリーだのを避けたい向きの為のバイパス的な代替輸入ブランドでしかなく、それが証拠に、中古車市場でのアウディ人気は、かつてのアウディ神話が嘘のように寒々としたものであって、東京の当時のユーザーはけっして普遍的で高度な意識に支えられた市民的生活感覚だの技術的関心だのに惹き付けられていたような、世界的なハイスタイル消費に関して物見高い人達だったワケではなく(モノとしてのアウディを信奉するようなトーキョー的なるカーマニアは、いわば現在の国内ではスバルのレガシィB4およびツーリングワゴンを熱心にサポートしているようながちがちの理数系的なエンスーだったりする)、単なるミーハーで高価そうで珍しいモノ好きだったのに過ぎない。現に、アウディもまた5年落ち程の中古車体価格で80クラスが五十万円を大幅に割るような、単なる実用的ツールに過ぎないことが判明してきてしまったがために、別に特別にアウディにこだわっている訳ではなさそうなデート・カップルがアウディを含めた高程度の中古外車に乗っている率が割合に高い、週末の甲州街道だの駒澤通り(ただし、平日のデイタイムに空き時間を満喫している大学生カップルあたりがアウディに乗っている率は皆無に等しい)だのの眺めを除けば、いまやシンボリックなデート・カーの文化は、メルセデスの一人勝ち現象を示すかのようなスチュワーデス風の連れと平日に走っている組を除けば、トーキョー都内からはほとんど見られなくなってしまったことは、確かなようである
2003ボージョレヌーヴォー解禁 [ボージョレ公式サイト][五大フランス・シャトーのワイン・セレクション] 今年2003年度、フランスは恐ろしい猛暑に襲われた異常気象の一年であった。が、ボージョレを含むワイン栽培にとってだけは、暑い夏を経て、例年になく美味しいワインづくりのチャンス。茨城県南部にある日本発のワインシャトー、牛久シャトー(シャトー・カミヤ)を割合に近くに臨みながら、ル・マンのサルテ・サーキットのようなチバラギ県道(いばらきは本来濁らない読みをするが、ギを濁らせる方が一般的)を気侭に走らせながら暮らしているFLEX-J Webmasterに於いても、一応は恒例のボージョレーに舌鼓を打ってみるべく、まずは千葉県我孫子市内の東急ストア布佐店へ行ってみたものの、完売御礼状態。そこで、クルマを茨城県側のスーパー・マーケットへ走らせてみると、いつもの「ジョルジュ・デュブッフ・ボージョレ・ヴィラージュヌーボー」の2003版もしっかりと在庫が存在していて、ほかにも、750ml一本が980円の格安フランス・ヌーヴォー・ワイン「コンテス」を発見。半値ワインであろうと、今年のフランス産であって葡萄の品質だの製法だのが値段程には違う筈がない、と踏んだFLEX-J Webmaster的に、しばらく思い迷ってから、実際に「コンテス」を購入
ジャガーXJ6 [1984年式][1996年式][誌上レポート][ニッサン・セドリックのVIPセダングレード] ハードトップ風のスポーティさを、純然たるトラディショナル・フルサイズセダンの車体に醸し出している"イギリス的シーマ"の位置付けにあるのは、ご存知ジャガー(ジャグワー)のXJ6(姉妹車種にダイムラー・ダブルシックスなるグレードがある)であろう。このクルマ、実は、以前にFLEX-J Webmasterが勤務していた、インターネットのほかに紙媒体を取り扱っていたミニ・カンパニー級の編集デザイン事務所の辣腕女性社長が、日本橋(茅場町)への通勤に使っていたものとして有名であり、他にもあちこちで新旧取り混ぜてのジャガーを見かけたことから、当時の界隈では大流行していたトレンド・カーだったのである。そして、FLEX-J Webmasterも、土曜日休日出勤のスタッフ・チームが社長に引き連れられる形で、東京ビッグサイトだかで行なわれたブックフェアへの出席の際に、社長直々に運転のXJ6に乗せられて会場へ。そして、会場でのイヴェントの帰り道、確か青山あたりで行なわれていた、また別のイベントへ出席するために、箱崎あたりの、営団半蔵門線の駅近くで独身女性のデザイン部長とともに、ファッショナヴルで上質な白いコノリー・レザー張りの社長車後部座席を降りて、地下ホームへと潜るような生活をしていたのである。ジャガーなる車は、映画『バブルと寝た女たち』にも青年実業家が操る車として登場していたりしただけあって、所有者が直々に運転するタイプのパーソナルカーの上限にも位置しているだけあってオーナー・ドライバーをとりわけリッチに、そして後部座席に乗る人々をスタイリッシュに、ハイスタイルに見せてくれる車らしく、東京の東にあっても西にあるハイファッション・アヴェニューにも負けていないヴィジュアルに於いて、社長所有車の後席を降りる若くてそれなりにファッショナヴルな服装の社員ペア二人組(→実際にFLEX-J Webmasterにしても当時は高島屋での人気定番パリ・ブランドのピエール・カルダンのスーツを着るなど、クリエイティヴ業界らしい業界コードに沿うための努力に励んでいた)を見つけた、ファッション化が進んでいる箱崎から大川端にかけての界隈を歩く、モデル風、モデル風、スッチー風のしなやかな美女たちからの、ある種の独特で好奇な眼差しや羨望を全身に受けるシーンに置かれてしまい、たぶんそういうスティミュラスな注目や脚光を浴びることに痺れだの恍惚だのを感じることを好む種類の人種には、なんともたまらない体験を、ジャガーXJ6なるUKが誇る世界的ラグジュアリー・セダンは保証してくれることであるだろう。勿論それが、イタリアのランチャ・テーマあたりでも良いのだが、ランチャではイメージ的にニューファミリーのファミリーセダンっぽさが強く前面に出過ぎのスタイリングの為、モデル風の女のコがテーマに乗降する実際のシーンは、あまりにも家族的過ぎるイメージになってしまい、コンテンポラリーやエキゾティズムからは程遠い、ある種の銀座臭さ、すなわちバタ臭い遊び人臭さが濃厚に出すぎたマイナス印象を周囲に植え付けてしまうことになりかねない。ただし、家構えが現在でも大きくて尚且つサラブレッド的に良血な人々を訪ねるような「ニッポンのセレブ御宅訪問」あたりに登場する御家族風の人々の場合には、むしろランチャ・テーマのような、イタリア版のセドリックVIPセダン風の、大きなドアがついたファミリー・セダンを採用することは、一味違う個性的なセンスに、アットホームな人間的な温もりを周囲にしっかりと印象付けられることから、むしろお薦めであり、タレントとしては勿論、セリーヌ・ディオンのプロデュースを手掛けたヴァイオリニストの夫人でもある高田万由子嬢のようなイメージの才媛っぽいお嬢様風のコが、実家にあって後部座席に座っているようなイメージなのでもある。逆に、ジャガーの場合は、ファミリー・セダンとしてはいささかきついイメージである一方で、クーペやジープタイプにうんざりさせられている独身エグゼクティヴあたりが乗るのにいかにもマッチする野性的で硬質な印象を持っていることから、若い女性の場合は、むしろ、ステディっぽい男性が運転するXJ6のサイド・シートに割合に涼しめのスマイルを浮かべながら端正な面持ちで乗るほうが、トーキョーでのモーター・ライフ的には、なんぼか風情がある、というものかもしれない
セルフうどん[追跡トレンド事情][はなまるうどん] うどん玉の小をチョイスで、かけ一杯100円から食べられる安さとスピードが売りの「セルフうどん」。従来から存在する、駅売りの立ち食いうどんを、どちらかと言えば女の子でも入りやすい雰囲気により徹底的にスピード化、効率化したそれは、四国の香川が既に以前から一大メッカであったとのこと。東京圏では、学生、フリーター、サラリーマン、OLに至るまでに人気で、渋谷・原宿にも既に進出して爆発的にヒットしている
県道千葉竜ヶ崎線は首都圏随一の「ル・マン〜サルテ・サーキット」風市街地コース [千葉および船橋〜印西・千葉ニュータウンまで][印西から"ニッポンのル・マン"竜ヶ崎市内まで] 茨城県竜ヶ崎近くの分譲住宅地周辺は、人もクルマもあまりいなくて、住宅街内の道路が教習所っぽいレイアウトだったりするなど、民間の自動車練習所(一発試験予備校型の非公認教習コース)顔負けの格好の走行練習コース。おまけに、千葉県我孫子市の布佐から「県道千葉竜ヶ崎線」を経由して、一旦牛久市内まで行き、国道6号線に出たり、或いはレイクサイド(国内第二位の湖「霞ヶ浦」が存在)を経てから、国道6号線へ出て、あらためて竜ヶ崎ニュータウン方面への一般国道インターチェンジのループを昇り、以前にはテレビの大家族スペシャルに出演していた女の子が働いていた「牛丼のすき屋」を横目に、布佐方面へ、あらためて県道千葉竜ヶ崎線を走りながら、モスバーガーや山田うどんの竜ヶ崎店を抜けて、六十キロ道路が五十キロ道路に変わる幅員減少ゾーンを経て、「利根フレッシュタウン前道路のスイッチターン絶好ポイント」「茨城県利根町役場裏の擬似的な障害物回避コース」また取手方面へ出ての、「高級スーパー成城石井」あたりでのショッピング & 駅前混雑地点通行練習、また、千葉県柏駅南口前の広くていびつな形をした変形横断歩道があって、人の飛び出しや運転が乱暴なタクシー・バスもいる巨大なロータリーでの安全走行練習など、やろうと思えば北総エリアでも独学でも可能な、普通二種の一発試験向け練習。横断したがっている人に道を譲って安全に横断してもらうのにもタイミングや事前予測が必要だったりするなど、一種の卒研の厳しさに加えて、(FLEX-J Webmasterは割に得意としている)鋭角狭路コースおよび方向変換、そして路上でのスイッチターン(他の交通の流れを妨げない安全で速やかな切り返しターンの成功が重要課題)もしくはUターン、そして停止可能場所での指定停止、正しい一方通行路の通行方法など、かなりテクニカルでこなれた走りを要求してくるのが、普通二種免許の実技試験である。(障害になる車輌がいなくなった場面にスタートさせる種目だが、突然それらが現れても成功させられるべく安全性に加えてきびきびとした運転操作も求められる)円滑な切り返しターンなどは、ユーノス・ロードスターのようなライトウェイトなスポーツカーを走らせるのが好きな、女のコのドライバーあたりがスマートに決めてくれるとかなりカッコイイ、スポーツ走行テクニック技なのでもある。以前は、筑波サーキットや矢田部のテストコースなど、クルマに関しては本当にニッポンのル・マンじみたエリアの代表格であったが、かつての茨城県のお株は、ツインリンクもてぎのオープンでも賑わう栃木県へとシフトしようとしているかのようでもあるのは、F3だのツーリングカーだのバイクだのシビック・カローラ・クラスの草レースだのが好きな北総エリアのモータースポーツ好きにとっては、何とも寂しい話、なのでもある。ちなみに、東京の府中試験場では、時折、普通二種の路上検定に於いて、調布飛行場前の道路で切り返しターン種目をさせていたりして、話だけ聴く分には実に洒落た試験コースながらも、タイミングをうかつに見計らい損なえば試験代およそ七千円がパーになってしまうことから、受験生は誰もが必死にそれにあたっていたりして、難所として知られている
ヤマハ・プリメインアンプAX‐396 [396][L-550 & L-530][8・32] 二階で寝しなに聴いていたオーディオ・ステレオ装置のアンプ(日本マランツの製品)が製造後すでに長きを経てトーン・バランスが完全に壊れたことから、急遽購入させられる羽目になった代替機。ミニ・コンポよりも少しだけマニアックに音を楽しむことにこだわっているFLEX-J Webmasterとしての条件は、アナログ・レコードプレーヤーを接続できること。ヤマハの音は、楽器メーカーが造っているオーディオ装置だけあって、ヤマハ製生楽器の質感を再生音にかもし出されたり(→が、欠点もあり、ストラディバリだのスタインウェイだのを使用してのレコーディングでもヤマハ味にされてしまう)、新宿厚生年金会館大ホールだのNHKホールでの各種ジャンルの生演奏から、スクール・ブラスバンドの手作りサマー・コンサートまでに共通した、生の人間が醸し出す生きているハーモニーが躍っているあのムードを存分に味わわせてくれること。しかも、誰でもが一度は手にしているリコーダーやヴァイオリンやチェロ、ピアノ、ギターやドラムスなどの最もポピュラーな製造メーカーなので、音は上品ながらもけっして高級に聞かせようとはせず、こなれた音を出してくれる感じが、日常的であって国民的で、なかなかよろしいのである。ハードオフに置かれていた新古品(新品で一年間有効のメーカー保証書に販売店スタンプも付く)を、二十年前のラックスマンの高級仕様プリメインアンプL‐530(昔、父親が買ってきたものをFLEX-J Webmasterが譲り受けて聴いていたことがある。程度は良好で、細かなメインテナンスを定期的に受けるマニアックな覚悟があるユーザーにはお薦めできる、ホーム・ユースのトランジスタ物としては、当時に於ける、クルマの世界でのランチャ・テーマ8・32のオーナー・レベルにぴったり匹敵する音の上質品。ふくよかであって醍醐味豊かで豊穣な、オペラがさまになるイタリアン・テイストな音色が魅力的)も置かれていたのだが、メインテナンス・フリーの有用性と、いまどきのオーディオは割合にリーズナヴルな品物でも音が良くなっていることに鑑みて、ヤマハのスタンダード・クラスの品物(クルマのイメージで言えば、奇しくもトヨタ・クラウン・コンフォートを使用したタクシーのリアシートに乗せられているような印象。ビニールシートに白いビニール・カバーがかけられている感じの気軽なそれながらも一応はクラウン・シリーズだったりする感じ)を購入してしまったのである。さて、FLEX-J Webmasterが狙っているタクシー免許はあった方がより望ましいことから「オートマ・タクシー免許」の一発受験を試験場での一発試験(一発試験の筈が、既に3回も不合格。二回目、三回目は、運転操作自体は粗もすっかりと抜けていて良くなっていたものの、道路工事現場で交通誘導をしているオジサンの立ち位置に気付けなかった為に、停止位置判断を誤って試験官ブレーキでアウト、注意・観察力不足、前ばかり、或いは後方確認のし過ぎで前確認が疎かになっているなどの自己中心的な運転意識を指摘されるに至る。一発試験での一応の限界とされているオートマ・タクシー限定試験狙いなので、受かったとしてもMT車タクシーの乗務員募集には応じられないハンデが残る)で狙っている
ロッキード・三菱F104"スターファイター"超音速ジェット戦闘機 警備の自衛隊員が立つ府中自衛隊のゲートすぐ奥には、常設展示の形で、歩行者、自転車・バイク、或いはクルマからでもすぐに見れる、一昔前の人気ジェット戦闘機F104が置かれている。既に三十年以上も前の飛行機だが、超音速飛行が可能(ただし国内上空では超音速フライトは空の世界の"スピード違反"なのであって、禁止されている)だったり、ロケットを思わせるスリリングな流線型のスタイリングは、むしろ今後の、空の世界以外での空力メカニズムを開発する上で、F104の曲線ディテールを是非とも塗しこんで行って欲しい気がする程の造形美を誇り、近隣住民のみならず、三多摩エリアへのドライブの際にはドルニエ旅客機が伊豆諸島へと旅客輸送をしている府中飛行場見物とも合わせて、一見の価値がある
平和島競艇場 [平和島競艇オフィシャル][モーターボート専門誌WEB][マニアのサイト][BIG FUN 平和島] 関東地方の地方公営ギャンブルの一大メッカであり、かつてのモーターボート連合会の巨額ドル箱財源でもある「平和島競艇場」は、現在もエキサイトを続けている。公営ギャンブルの世界は、中央競馬(=JRA。府中や中山、新潟、函館、京都、小倉あたりの競馬場で直に見る観戦よりも、近隣屋台の名物フード「すいとん」(片栗粉を丸めて浮かべたなかなかテイスティな鶏がらスープ)が人気の、巨大な、後楽園場外馬券売り場が有名で、元を取り戻すだけで精一杯だった苦い記憶だけが現在も残る。中央競馬よりも地方競馬が好きなタイプの馬券師は、カネの貸し借りには応じられないが、少なくとも人間的に信用できる男ではある)が女性や学生(本当は学生が馬券の世界に手を出してはいけません)を中心にしての素人人気の高さを誇っているのに対して、「今日のレースガイド」の世界は、依然として男気の世界(ただし、ボート乗りには女性選手も急増中)。江戸川も多摩川もいいけれど、国内随一のレース・ステージはやっぱり平和島なのである。強力なスピードボートによる猛スピードでの水上大バトルは、ミーハーに寄り過ぎていて応援側はお客さんに過ぎない意味でさほどでもない非ギャンブル系のスピードスポーツを遥かに凌駕して、激戦に参加するための舟券を買わなくても十分に痛快な世界。依然としてバクチには暗いイメージが強いが、実際の賭け事師の世界は暗い人間がほとんど勝てないようにできているものである。舟券で当てて、帰りには近隣の平和島クアハウス(現在はドンキホーテおよびシネマ・コンプレックスなどが入居している巨大なレジャーセンター「BIG FUN」の一角に、古くから存在している天然温泉)で気持ち良く東京の温泉を楽しんで気分良く帰るのが、城南の男達の晴れ姿であることは、今も昔も然程変わりがない
トラスコ・リムジン メルセデス・ベンツを主にベース車輌にして、主に中東の王族・大富豪向けに防弾ガラス入りの超豪華ストレッチ・リムジンを制作している「トラスコ」。バブル当時の560をストレッチにした古い車輌を愛車にしているマニアックなコレクター氏のページからも、ディテールを掴むことができる。運転好き、乗り物・メカ好きとしては、後ろに乗るよりは、どんな案配なのか試しに運転したいなどと思ってしまうのでありました
ボルボ780 [オーナー修理レポート][諸元データ] これは、中古車体価格に関係なく、パーツ代ほかのランニングコストの問題から、基本的にユースド購入すらFLEX-J Webmasterに於いては不可能圏にある、やぼったいボルボらしからぬ(?)、まるでイタリアのマセラティのような、どことなく白金台系の、大人向けの超高級クーペ。元々は、一台一千万円をオーバーしていたものが価格改定によって8百万円台程度にプライスオフされることになった車種であり、スーパーカーや超高級車をデザインさせれば超一流のカロッツェリア「ベルトーネ」が手掛けたもの。いまや現在の中古相場は五十万円程度なので教習所卒者の見栄ッ張り練習用には使えなくもない代物であり、ボルボでもこれならお洒落指向の女のコにはモテそうな印象はなくもない。ボルボ乗りの世界でもマニアにしか分らない、ベルトーネを出してくるだけあって割合にハンドリングにこだわっていそうなプロフィールやいつものボルボよりもずっとクラス上の高級感などは、少なくともスウェーデン自動車業界の真髄を示してはいそう
通勤快速NSX 〜 国産最強スポーツクーペのオートマ車で通勤する方法 [NSX][GT‐R平成元年前後型クーペ] AT車のギアの設計者感覚的な"正しい"使い方を教えてくれる教習所は、まだほとんど存在していないのが実際。何故か。「トルコン式AT車のギアは、通常走行時にはD(ドライブ)レンジに入れる」の決定的フレーズが、あらゆるオートマティック車の使用説明書には記されているからであり、オートマ免許でもそう教えられるからである。だいいち、「いちいちオートマなのにギアを切り替えながら使うのはだるいし面倒くさい、アメリカで開発された装置なんだから、なるべく楽で経済的な運転をするのが良いに決まっている」の発想が出てしまうからであり、それゆえに「オートマティック車限定免許は楽に取れる」の発想が、日本国内的にも通念化される形で、限定免許制度自体が成り立っていることは否めません。オートマ車のDレンジでは、アクセル・ワークの時に、どちらかと言えば軽くて抑え気味なアクセル・ペダルの踏み方をしないことには、オーバースピードになりやすく、足の裏でアクセル越しにエンジンのミッション・フィールや、瞬間的な時速10キロメートルから5キロメートルの範囲内でのオーバー時から、だいたいペダルから踏み込み足を離すに近い感覚に於いて制限速度に戻す上で100メートル程度かかることもあるエンジンブレーキ減速距離にしても、5速マニュアル車では30メートルもあればすぐにぐぐっと、かなり積極的に安心して戻って行ってくれる。が、FLEX-J Webmaster所有のフォード・フェスティバ・ミニワゴン(→マツダ・デミオとの共同開発車。アメリカン・ブランド向け供給らしい、或る意味「レディボーデンのホームサイズ・アイスクリーム」っぽい、大味でパワフル感のある千葉っぽい乗り味が魅力。端正でミセス感覚っぽい小気味良さのあるマツダ・ブランドの車の女性っぽさとはまるで違うフィーリング)の場合、Dレンジ安定走行での速度を一定化、安定化させるペダル・コントロールの場面でも、結構簡単に合ってくれる上に、エンジンブレーキの効きもまあまあで、実用上はそれで問題がなく、トルク不足を感じさせることもない上に、たとえば「2速レンジでのODカット時(MT車での2速に相当。エンジンブレーキのかかり方もMT車並)」から「2速レンジでのODオン時(MT車の3〜4速程度に相当)」それから「DレンジのODカット時(MT車の4速での中高速域に相当。エンジンブレーキは2速ОDオン時よりもやや効く感じ)」そして速度5〜60キロ以上では通常通りに「DレンジのODオン時(5速MTの5速域に相当。それだけエンジンブレーキも効かない。2千CCクラスではアクセルペダルの踏み込み方での調節がシビアになる場合が少なくない)」へとシフトアップしていく、一応、MT普通車免許も持っているFLEX-J Webmaster式の「セミ・オートマ走法」をパーフェクト・リアルスポーツ走法を駆使などすれば、Sクラスに負けないパワフル感で、環八でも夜の東名でも危な気なく流れをリードできる上に挙動も安定させられるようなドライブを満喫できる。エンジン・ブレーキが欲しい時には、前述の逆の流れで、シフトダウンしていけば良いのである。勿論、通常はDレンジで経済的に乗るように作られているだけに、MT車乗りでは許容されるエンジンブレーキ依存ができないだけに、AT車のコントロールはどちらかと言えばむしろ神経質で、本気でDレンジだけで超真面目に超安全運転を励行して乗ると、とてつもなくシビアで疲労困憊して疲れてしまう結果になりやすい上に、ギア操作の楽しみもなくてスポーツ感にはかけることから、一般人のパーソナルな乗用車ドライブで、少しスポーツ走行にこだわってみたい向きには、根本的に2速レンジ積極利用、そしてかつてのF1「ウィリアムズ・ルノー」のような、なるべくこまめなセミ・オートマ走法を楽しむ(2速レンジは根本的に「スポーツ走行向き、もしくはワインディング向き」として開発されていて、下り坂でのエンジンブレーキ用にのみ用意されている訳でもない)ことが、本格スポーツクーペを優雅に、エレガントに、なおかつダイナミックかつ安全に、スポーティに乗りこなすための方法であるような気がしてならない。そして、FLEX-J Webmaster方式を採用すると楽しいのは、パワー不足の感の否めない小型AT車のみならず、勿論、中古車で言うところの「300ZX」および「NSX」「スカイラインGTS‐t」のような車種であろうし、最も昨今のそれであれば「新型"ポルシェ・ボクスター似"フェアレディZのオープン仕様(国産車でもここまでユーロに尚且つ美しくエクステリアを処理できるのか、の昨今的見本のようである)」あたりかもしれない。そういった車種を、ただ単にDレンジだけでイージー・ドライブさせているだけでは、国内自主規制枠いっぱいの「280馬力級」リアル・スポーツらしいダイナミック感が感じられないままに、スポーツカーの筈なのにラグジュアリー乗りを楽しんだだけ、の結果に終わってしまうことは間違いがない。元々、車も道路も、4〜5速マニュアル車を前提にして作られているので、ストレスなく、尚且つ面白く公道を走るのであれば、限りなくAT車の乗り方を、MT車のギア比やエンジン・ブレーキのフィールに似せる形で走るほうが良く、安全運転上でも、どちらかと言えば2速レンジのエンジンブレーキやトルクを生かしていくほうが、パワーのない小型車ユーザーにも快適でゆとりのある運転が生まれてくるのに違いない。アメリカ車の場合は、大排気量車でこそ、AT車の良さは生きてくるし、マツダがOEM生産している小型車の「フェスティバ・ミニワゴン」にしてみても、どちらかと言えば誰にでも乗り易い形にはなっているものの、一般的なセダンなどで、行楽の帰り道などで、Dレンジでのとろいブレーキングにも疲れてしまっている時には、2速レンジのエンジンブレーキが何とも安全でありがたく思われてくるのはうけあいであり、安全な休日運転を心がける上では、極太巻きのハンドルカバーを巻いて車体の挙動のコントロールを安定させたり、セミ・オートマ走法を駆使したりすることが、むしろ安全運転にはつながることを、ここでは実験的に伝えてみたい気がしている。NSXは、完全アルミボディの軽量スーパースポーツとして、ポルシェ911に匹敵する実力を持つクーペであり、独特の技術による専用の製造ラインまでが巨額の設備投資をもって建設された結果として、ホンダを「マクラーレン・ホンダ全盛時代」当時のF1から引退させるに至った車種である。現在は新車が八百万円台後半のものが、いまや中古ではこなれた価格で放出されるに至っているとのことだが、どちらかと言えばユーノス・ロードスターのようなミッドウェイト(1600ccのスポーツクーペやSUV車種が根強い人気の時代)のほうが好きなFLEX-J Webmaster的にも、車を買い換えるつもりや目途は目下のところ立たない昨今、案外にパーソナルではフェスティバミニワゴンを気に入っていたりもすることから、とりあえず現在は、昔の過激で迫り出したり流れの先に出ることを狙っていたような「セミ・オートマ」なスポーツ・ドライヴィング走法(ハワイのレーシングスクールではルノーのスペックレーサーを一応は運転をしていたりしていた歴もFLEX-J Webmasterには、一応、あったりする)よりは、交通法規に限りなく準じた安全運転を良い意味で"癖"(だらだら運転の時にこそ安全運転癖が出るくらいが目標)にしながら、そこに機敏さを加味していくことを年頭に置きながら、スポーツ・ドライヴィングよりはセーフティ・ドライブを、が、年末締めくくりでのFLEX-J Webmaster的な練習テーマにしていたりする昨今なのでもある。勿論、現在は公認の普通二種の教習所までもが各地に出現していることから、本気で「普通車プロ・ドライブ・ライセンス」および「国内サーキット・ライセンス」を狙っている向きは、スクール関係を利用するのもお薦めには違いない
安全運転のポイント あらためて最初から本気で取り組むと結構難しい、車による安全運転を実現するための知識。とりわけ、疲労運転について取り上げているコーナーでは、「目がしょぼしょぼとしている時は運転にとっても危険信号」などの項目チェックおよび、長時間ドライブでは休憩時間の取り過ぎも逆に良くないことを示していたりするなど、ためになる。運転技術の方は、たぶん、欲を失ったり、だらだら運転に慣れきってしまったりすると、成長しなくなってしまうものなので、安全運転のみならず運転自体の技量向上を、様々な角度から実現していったりすることが好ましい。一方、生活に追われるなどして、何かのくだらない日頃の悩みにとりつかれていて考え事が多くなったりすれば運転も疲労気味になりやすくなる(良い意味で能動的、自主的に、悩みやしがらみに絡めとられたりせず、自己責任によるきびきびと小気味良いリラックス運転を実現したいもの)。交通ルールは、趣味も仕事もなく、すべてのドライバーに共通しているものなので、楽しくなければドライブじゃない、の考え方で、一種免許の技能検定とも内容的にちっとも変わらない標識の見落とし、錯誤(パニック)などの状態に陥らないように、余裕のあるゆとりのセーフティ・ドライブに徹して、大吉
首都圏近郊の新旧ディーゼル気動車路線の旅 [関東鉄道竜ヶ崎線][関東鉄道常総線][東武鉄道熊谷線][筑波鉄道の1][筑波鉄道の2][小湊鉄道の1][小湊鉄道の2] 電車路線網が発達している首都圏エリア。都区内にも「都電荒川線」「東急世田谷線」「江ノ電」のような、時を越えて再評価されている小さな路面電車があったり、JR青梅・五日市線のような自然いっぱいのローカル線、千葉県の船橋〜柏〜埼玉県の春日部〜さいたま市大宮(何とか規定卒業できた普通二輪教習を受けていた時に、試験合格をした足で、柏から大宮まで、劇場映画版『あぶない刑事』を見に行ったことが思い出される。ちなみに、当時の免許証は水戸の免許センターに於いて行ない、行きには「白い常磐線」にて"小旅行"体験。現在の小型二輪スクーター[ちなみに、FLEX-J Webmasterのスズキ250カタナにはキックペダルがなく、セル・モーターも死に易かったため、レジャー・ツーリングはともかくとして、朝早く、夜遅い電車通勤時の駅までの足には向かず、自宅庭に放置されている。が、以前住んでいたど田舎にあるのにどこか斜めに構えていて浮き上がっているニュータウンの傍にあった家の、スタンド従業員の家の若僧だかが乗っていた「ヤマハ・ドラッグスター・クラシック」は、秋、冬の早朝には極寒の"超ローカル線電車"JR成田線および利根川エリアにあっても、セル始動なのにほぼ一発エンジン・スタートされていたあたり、バイクにも当たり外れがあるようである。ちなみに、二種実技および地理試験に合格出来次第、仕事の支障にならない範囲で、大型二輪教習にも通いたい気分でいる]は当時疲れない程度[法規にもあるように、運転時の限度を越えての肉体疲労は禁物]に必死になって取得の免許で運転されている)を結ぶ東武野田線のような、国道十六号線ルートに並走するのどかなローカル・ベッドタウンの足があったり、或いは葛飾・柴又の足として知られる京成電車も意外な首都圏エリアの良かれ悪しかれ人情味のある下町ローカル線として人気が高かったりするなど、探し出せば(テレビずれしていない、鉄道好き、レジャー旅行好きな青少年らしい)ローカル線の旅を見つけ出すことは可能。が、電車とは異なる、ディーゼル・エンジン駆動による架線の無い「レールバス」の走るローカル線も、首都圏にはいくつか見られる。以前はJR八高線および相模線など、首都圏の西エリアにもたくさんのローカル気動車が走っていたのだが、現在は電車が走っている区間が少なくない。一方、首都圏の東の果て、ほとんど東北地方に近い房総の田舎から茨城県にかけては、現在も現役のディーゼル気動車が走行していて、通勤通学それから行楽の乗客を輸送中。余談はさておき、疲れた時に心和む、首都圏ローカル線路線および車輌をここではチェックしてみよう
Hanako WEST Cafe.com ハナコ・ウエストは、文字通り、ハナコの関西版。どちらかと言えば銀座系OL向けのタウン情報誌だが、世の男性にも広く読まれている定番誌。オンライン版では、うら若きエディター嬢が、先日パシフィコ横浜にて開催されたボサノヴァの始祖、ジョアン・ジルベルトの初来日コンサートを取材しているコラムが不意に目に飛び込んできたり、メール・マガジン上では「今、神戸では復古調ディスコが熱い」などの、それぞれにいかにも、清和源氏世界に於ける系譜上の名家に生まれ育ったFLEX-J Webmasterおよびニャンコ空軍が率いる当サイト『サイバー・ガール』の趣味的先行路線にもジャスト・フィットしているあたりも、トレンドなる都市生活者世界的な奇怪現象に於ける恐さに相違あるまい。ウエスト版ながらも、何故かエディターズ・トークに首都圏が頻繁に登場するのは、ふと思い出せば、言うまでも無く、天下のマガジンハウス本社が、東銀座の歌舞伎座の程近くにあり、だいたいは東京で作られていることを意味しているのもまた然り
グリーンプラザ新宿(西武新宿駅前)のメンズ・カプセルホテル露天風呂からは、西新宿の夜景が眩い(オフィシャル写真付) インターネット割引で一泊3千5百円前後のホテルが、各地に存在していて、男性のみが宿泊可のものもあれば、エステやサウナ付きの施設の中で女性も利用できるものもある。それはすなわち、カプセルホテル、であろう。六本木ヒルズに存在する在京テレビ・キー局の社内にもカプセル仮眠室が存在していて、泊り込みの際に社員の方々が利用するとの話が紹介されていたこともある種類のもので、小さなテレビ・ラジオ・照明・空調付きのカプセルベッド一つの一泊シングル利用料金がすなわち前述の価格になるわけである。FLEX-J Webmasterは先日、『じゃらん』割引も可能な有名カプセルホテルに泊まったのだが、フロントの入口のところでシューズ・下駄類を脱がなければならないの指示に気づけず、フロントに嫌な目で見られたりしていた。歌舞伎町にあるからといって、勿論世界的に超有名な風俗街等には勿論行かず(仕事での利用の為)、せいぜいコンビニに髭剃りなどの買い出しに行った程度である。それというのも、タクシー免許実技受験のため、なのであるが、人生やタクシー・ハイヤー免許受験対策教習に未消化な課題(要するに、本人に必要な経験が足りず、余裕が出ない状態)が山積されていたために、ほとんど完成に近くかなりの改善はされているのだが、「Dレンジ限定使用による路上走行でのアクセル・ワークにムラがある(速度は修正されるのだが不自然さが残っている)」「寄せの時に左側ミラーの確認が疎かになりがち」「路上での方向転換(変換)の時に後ろのバンパーが歩道との境目にある植物をこすっていた」「発進の時にギアがバックのままだったりするなどのそそっかしい操作ミス」などの連続で、タクシー・ハイヤー免許一発免許の実技試験には続けて滑ってしまったりしている始末で、会社にも、教官にも、自分自身にも、自主トレにつきあってくれる自分ちのニャンコ同乗者達にも申し訳が無くて、自分を笑いながらも実はあまりにも悲しいのである。カプセルホテルの個別カプセルは、大型の旅客カーフェリーに搭載している船体が増えてきているものともほぼ同等のそれであり、休息したり眠ったり、ノートやテキスト類を開いての勉強をしたり、クルマのカタログを開いたりするなどしてモチベーションを高めたりする上では案外に有益であり、昼間数時間だけの仮眠利用も可能なサービスなどが用意されていたりして、単純に泊まりたい時の使い道は結構広いが、次の受験の時にはたぶん使わない場所なのでもある(→試験前日には気をいれてようやく一旦は完成していたことが、ホテル・フロントの下手な対応が、迂闊にフロントでの客であるこちらの粗相を後々まで引きずらせるような形でこちらの気持ちの状態が崩して、翌日の当方のメンタルなテンポやペースに大きく響いてしまった為。それを引きずらせたマツダ・カペラ試験車輌も、普段のコンフォートの練習では考えられないことを試験者本人のうちに誘発させる傾向を持つなど、所詮は新宿のカプセルホテルのバイトのフロント・レベルとの間で気心が一致しあっている程度のそれに過ぎない、のかもしれない)。そして、教習車のみならず、自宅の車をもっと乗りこなしなさい、の教習教官の指導はすべてにわたって適確であることは、実際に自宅カーに乗ってみて、課題走行操作や競技的な技量では問題は無くても、スランプの時などのそそっかしい初歩的うっかりミスも実際に自宅カーの運転中にも見られること(前進の時のバックギア入れ間違いミスや確認洩れなど)でもあり、気を抜いた時にこそ、どれだけ正確で完成された一連の動作がこなせて、しかもそれが全体として完成されているか、が、試験の時に体調が不調だったりあがったりした時にも無意識に表れてしまいやすいことが発見されたりしている。(二種免許は或る意味、FLEX-J Webmasterには趣味的取得の世界ながらも、タクシーでの営業体験も、少なくとも会社が根本的に要求する期間である二年以上程度にしばらくは本腰を入れてやってみたいし、タクシーでの営業経験は絶対に他の業種に転職する上でも間違いなく役には立つことからも一生懸命に取り組んでいる)教習でのまとまりができても、試験場のカペラはどちらかと言えばファミリーカーに近いために、変なところで被験者を普段モードにさせてしまいやすいことを、記してみたとしても、これまでの試験落ち以上のカペラの罰(ばち)が当たるとはとても思われないのでも、ある。勿論、試験中に焦らず、緊張せず、最も良くできた教習仕上がり時程度に十分に力を発揮できるように気を込められれば、一番それがいいのでもあるが…
シュウェップス・グレープフルーツスカッシュをコカコーラがコンビニで発売開始 いまどきの世界の王室(皇室)は、国々のセレブの世界の頂点に位置付けられる雲の上の存在である一方、庶民の世界に属する物事から積極的に良いものを率先して採り入れられることをしてらっしゃる場面が少なくない。近頃、首都圏のコンビニで発売が開始されたソフトドリンクのひとつ「英シュウェップス」ブランドは、イギリス王室御用達の飲物としても知られている
東京国際映画祭2003が、渋谷のフェスティバル会場に100メートルの赤の絨毯を敷かれながら開幕 国内の今最もトレンディな女優さん達が長大な赤い絨毯の上を闊歩している姿がテレビ上で紹介され、いつになく印象的に妖艶さを醸し出していた。女優さんの話とは関係ないが、いつもはジーパン履きの、一応は女、な、ステディとかであれ、何らかの場面で本気に女モードできれいで妖艶な一面を発揮してくれたりすれば、単なる性別不問状態での友達関係的な付き合いとは異なる意味合いでの、相手の魅力を再発見できたりして、それはそれで何気に結構嬉しい。本気で好きな女とのセックスで身体が合わなかったりすれば、人格面や精神的なパートナーの面とは別に、見た目でのセクシーさやインサートによる相性レベルの話に留まらない二人のエロスの総合面を開発しあったり、高めあっていったりする以外には、たぶん、(気持ちでの好き嫌いは別にして)少なくともステディとしての関係を続けていくこと自体は間違いなく不可能である筈である。映画への勉強不足もあるのか、恋愛ロマンやエロスを描いたような快作のみならず一般的なスペクタクル・アクション巨編系映画、刑事モノなどに昨今ではなかなかお目にかかっていないFLEX-J Webmasterとして、(受かっても独身バイト並の生活しか保障されないらしい不景気下でのタクシー免許の受験にかかりっきりながらも)古巣でもある渋谷界隈のインターナショナル・イヴェントには注目しないでは、いられない
銚子・犬吠崎での絵になるシーサイド・ドライヴィング、そしてNRTへ…… 初代として専用設計でしかも城南系およご神奈川方面の遊び人医歯大生センスだったことから、彼女とのデートにはBMWの7シリーズだのメルセデスベンツのCEあたりに乗っていそうな遊び慣れたリッチな遊び人大学生が、自宅近くの交差点の曲がり角に建つタバコ屋にまで洋モクだのキャスター・マイルドだのを買いに行くイメージによる"遊び人達の軽自動車代わり"として重宝された3ドアハッチバックが、最初のフォード・フェスティバであった。きびきびとしていてコンパクトで、尚且つお洒落でハイセンスな、日本製米国車離れした感覚は、彼等をして、大衆車には興味ないがフェスティバだけは許す、のコメントを吐き出させるパッケージング。そしてのちにそれは、マツダ・デミオとの共同開発形式を採る、5ドアの小型車なのにマツダ設計らしくラグジュアリーな、ミニミニ・ステーションワゴン「フォード・フェスティバ・ミニワゴン」へと進化、現在はニャンコ空軍の移動車輌として、ブラウンタビー子猫♀macさんのセンスを参考にしながら、採用されるに至る。今回、フォード・フェスティバ・ミニワゴンは、千葉県銚子市の犬吠崎周辺から成田(NRT)へと至るルートを、なかなか絵になるリゾート・ドライヴィングに於いて、西暦2003年の11月3連休の最終日を過ごしている。フォト・レポートがクリップした風景が、あまりにもレトロ・スタンダードな千葉のシーサイド・リゾートをして、北フランスのノルマンディ地方ぶりをしっかりと証言していて何とも粋。ただし、海の色や、犬吠崎京成ホテルでの粋な銚子漁港産シーフードでのもてなしなど、macさんとの最初の漁村ウォークの時のほうが、遥かに高級感が感じられる程に、煌いていたことを、ここに改めて記しておきたい
マツダ・カペラ最終型およびトヨタ・プログレ [カペラ最終型][プログレ] マツダ・カペラは、トヨタ・コンフォート、ニッサン・クルーとも並んで、東京・府中試験場に於ける、普通二種免許の"一発実技試験"の際に使用される試験車輌。とりわけ、昔から車名がドイツのカー・オブ・ザ・イヤーの連続受賞の代名詞(→ニッポンの環八界隈ではいまだにアウディが大人気だが、すなわち、本家アウディが取り損ねてきた大賞を、日本版アウディA4のカペラが連続受賞しているのも、首都圏在住者的感覚からすれば、きわめて"奇妙"なオハナシ、なのではあるが、技術的ハードウェアとして地味ながらも実に優れた商品なのは、本国よりもドイツの国内でこそ真面目に知られている)にもなっているDOHC‐V6搭載のマツダ・カペラ最終型は、スッチーやエグゼクティヴOLにすら薦めたくなる、シルキーでインテリア面でもヨーロピアン・マニアックな女性指向を満たしてハイセンスな、いかにもなマツダ本社圏のファッション・マニアが憧れていそうな世界を映し出した、極上の都市的な中型ラグジュアリー・セダン(本物のアウディのほうは、かちっとした印象のする、どちらかといえば男性の国際線エアライン・パイロットのイメージをさせているインテリアなのは、田中康夫以外が運転するアウディがいまひとつオタッキーでマザコンなイメージが強くて女性同伴率が低いことからも窺い知ることができる。ただし、アウディもカペラも、女性が気軽にタウン・ライディングする限りでは、メルセデス・ベンツのEクラスよりもすっきりとしていて(Aクラスを除く)、アルファロメオよりも情熱感は希薄かもしれないものの、知的でシンプル、プレーンだがかっちりとしていて若干メカ・マニアックな夫や恋人の愛情に恵まれていそうな印象はある)。一時期、「トヨタ・カリーナED」などのハードトップ・ボディが大流行した裏ですっかりと影を薄めていたセダンボディだが、バブルの崩壊劇とともに「レガシィB4」「プリメーラ」「アルテッツァ」「セルシオ」などのセダンが大ブレイクしているのは、SUVの陰ながらも、確かに見られている現象、なのだったりする。そして、クラウン・セダンの亜流のようなトヨタ・プログレも、少なくない退職金を得てリッチながらも控えめな暮らしぶりな定年組の高齢夫婦層のみならず、様々なシーンで目撃することが少しずつ増加している車種。国産高級セダンはデパートのパーキング・ビルが実によく似合う上に、右ハンドル輸入車が全盛を迎えている現在ではかえって好ましいこだわりのチェイスのようにも映ることからも、使いこなし方次第では、都市生活者的ライフ・スタイルの強くて魅力的な味方でもあり得る意味およびクルマに不慣れな人の"練習車的マイカー"としても、なかなか良い味を出してくれることであろう。ただし、本当の都市生活者のカップルは、概して徒歩デートをしているケースが少なくなく、「クルマがあれば美味しい想いができる」の昔的思い込みは、点から点へとクルマで縫うように移動する方式のデートが、ホテル・デートやマンション・デート、焼肉デートなどのまったり志向の時代には必ずしも流行ってはいないことからも、とりわけカップル共通の趣味がドライブだったりする場合を除けば、運転技術次第では逆効果なデート・パターンになってしまうことも危惧されなくはない。それはさておき、今日日曜日には、お子ちゃまロシアンことsoraさんと東京・調布空港ドライブ・デートを愉しみ、路上試験コースのあちこちを自分のクルマで走りながら検証するようにしてだらだらと走っていた。停車の練習など、基本的なコース的注意事項の確認に留まるドライブながらも、停車していいスポットを瞬時に探し出したり、クルマの往来を気にしながら転回およびスムーズな基本動作の練習をしてみたりすることは、既に自家用の一種免許取得済の身にも結構歯ごたえがあって大変な作業なのではあるものの、お子ちゃまロシアンは新島・神津島行きのドイツ製ドルニエDo228型機の離陸シーンを空港脇のフェンス越しおよびターミナルビルのガラス越しに眺めながら大興奮、ほとんど伊豆大島行きのジェットフォイルに東京・日の出桟橋発着の水上バス船上から遭遇した時のように情熱的に見送っていたのであった。また、環八では、1980年代後期型のメルセデス・ベンツ300CE(クーペタイプ)の前列席を占めていた女のコ二人組がなかなか雰囲気があって好ましく思われたり、2速レンジで流れをリードしながら走ってみた羽田空港外周道路が、ほとんどF1のシケインのようなGPコース風なうねりおよびストレートの連続であることにあらためて気づかされたりするなど、ほとんどサーキット・ライセンスの世界をも思わせる過酷さで知られる二種免許教習の練習生にとってまさに実りの多い一日であったことだけは、全くもって間違いがない
トヨタ博物館 トヨタが提供している自動車博物館。先日のF1日本GPでも善戦していた"護送船団方式"の日本勢の中にあって、(東京モーターショーではフルモデルチェンジ版NSXにも思えるプロトタイプを展示しては、新型燃料技術の紹介と共に世の話題を集めている)ホンダよりもノウハウの少ない筈のトヨタにもまた、相当に素晴らしい走りっぷりを示している場面がしばしば見られ、モータースポーツや「スープラ」のようなクーペ・スポーツモデルが好きな若いトヨタ・ユーザーにも大いに夢のあるミュージアムであることは、間違いなさそうではある
いよいよニャンコ空軍のdolaさん(ロシアンブルーの将軍クラス。♀)も到着の、週末の離宮(再訪篇) 以前にもFLEX-J Webmasterによる訪問記によって紹介されている群馬県に移築された英国スコットランド地方の本物のお城「大理石村ロックハート城」。ここにいよいよ、ニャンコ空軍が誇るトップ・エリートdolaさんが、FLEX-J Webmasterに引き連れられて到着。ロシアンブルーの故国イギリスがいっぱいの世界に感動続きのdolaさんとともに、あらためてFLEX-J Webmasterが足取りを刻んでいる(写真は前回とあんまり変わり映えのしないものが少なくないが、この種のレポートでは前回の西池袋の自由学園明日館を訪問、撮影したよりも、遥かにファッショナヴルかつ詩的に撮影するのが、お城のヴィジュアル面の素晴らしさおよび質感の高さとは無関係に、難しい被写体なのではある。お立ち台あたりをクローズアップしたりするなどのディテール面を追いかけるのは、現在はまだお子ちゃまロシアンのsoraさんあたりと出かける時あたりから、じっくりと試していきたいが、FLEX-J Webmaster手元の大きな解像度の大画面では、さすがに素晴らしいデジカメ的フォトクリップになっているのがわかる)
行田アイネ 国道17号線(中仙道)の熊谷バイパス沿いに建ち、屋上にそびえる自由の女神像が印象的なのは、なんとも見事なリゾート・ラブホテル。ラブホのチェーンとしては所沢辺りでは以前から有名なブランドだが、露天風呂が用意されたなんともデラックスなホテル設備は、バイパスの高架道路の上から眺めてもとりわけ雰囲気があって、なんとなく誘い出した彼女と、行きは関越道で出かけたロックハート城からの帰途にでもドライブ休憩を口実に立ち寄るのに最適なロケーション
岩槻WATER HOTEL Mw かつてなかったブリリアントなイメージを醸し出しては、従来のラブホテルのイメージを払拭した、ポスト"ブティックホテル"のミレニアム版は岩槻の「ウォーター・ホテル」。「パークハイアット東京」のようなシティホテルが全盛を極める中で、シティホテルに劣らないステータス感は、ポスト「エル・アンド・エル」時代の呼び声にしっかりと呼応した力作
フォーションの缶入り紅茶ドリンクとウィルキンソン・ジンジャーエール 缶入りの紅茶が美味しくないことを悲しんでいたり先入観の塊になっている向きには、眼から鱗の、テイスティな缶入り紅茶革命は、仏蘭西の高級食材ブランド「フォーション」の缶入り紅茶シリーズ(アサヒ飲料から発売中)である。現在はアサヒが取り扱い中の、神戸・芦屋産の炭酸鉱泉を日本滞在中のウィルキンソン氏が発見したことから誕生したウィルキンソン・ジンジャーエールとも並んで、ハイセンスにソフトドリンクを口にするなら、リアルタイムでは「英シュウェップスのトニックウォーター(日本ではコカコーラが高級食材店など限られた店舗でのみ販売)」とも並び、日頃から愛飲していたい
AT車ドライヴィング・テクニック速成上達の秘伝 [トルクコンバーター][キックダウン] AT車は、完全にMT車とは加・減速およびギア選択テンポ、トルク特性の異なる、別種の自動車である。言ってみれば、原付スクーターにもついているスロットル関係についての自動クラッチが高性能化、高級化したものであり、原理的には、スクーターを上手に運転できるだけの「安全確認および車輌感覚の研磨」「加・減速スロットル調整」「ブレーキング」「法規運転」ができれば、基本的なAT車の操作は誰にでも可能であり、四輪車の車輌感覚さえつかんでさえいれば、運転関係に吃驚することもないはずではある。が、MT車は動かせるのに、AT車を運転させてしまうとNGになってしまうパターンの人に関しては、まずもって、新車の取扱説明書をよく読んで、オートマティック・トランスミッションの仕組みを頭に入れるほかに、運転上達の術は存在しない。まず、AT車に特有のトル・コンは、トルク・コンバーターの略であって、クラッチと加速補助の役割を果たしているため、AT車のクラッチをキックダウンしない程度に強く踏むと、思っている以上の弾みのついた加速がなされてしまい、スピード超過気味になり、尚且つアクセル(スロットル)・コントロールも難しくなる。必要に対して、MT車のそれよりはやや踏み込み過ぎない控えめ程度のアクセル・ワークがAT車のアクセルおよびDレンジ捌きにも優しい、スムーズで円滑な加速を生んでくれる。キックダウンとは、AT車のアクセル・ぺダルを一気に踏むとギアが一段下がって加速力を向上してくれる働きだが、Dレンジ感覚のままで踏み込んでしまうと、MT車の2速ベタ足踏み込みの状態になり、大変危険でもある。フォン、と軽くアクセルを一踏みしてからシャットオフ(AT車のアクセルから踏み込み足を放すこと)にしていれば、速度はトルク・コンバーターのおかげで足をペダルにのせている程度で踏まなくても一定の速度を維持しようとしくれる。時速40キロのままにアクセルペダルを踏まないでいると、100メートル程で減速しだして自動的に1速ギアにシフトチェンジして、AT車とて、トルコン式ATのクリープ現象を度外視すれば、停止する時にもそれなりにエンジンブレーキはかかる仕組みになっているのだが、Dレンジの場合には、MT車の5速シフトを入れている状態程度のそれしか効かない。ここに、MT車からAT車にスイッチした時の、ドライバー内の混乱状態の原因が生み出されることになる。MT車からAT車にチェンジする人の場合には、それゆえ、最初のうちはATレバーの2速レンジ(ATギア換算における3速、すなわち、MT車の3速と4速の中間くらいのギア域)に入れっぱなしにして運転しながら、MT車の3速ギア並に強いエンジンブレーキをのびのびと使用したり、力強いスポーツ感覚を満喫できる加速と減速の余裕あるパワー・フィールに車を委ねながら、気持ち的にも加速力的にもゆとりのあるきびきびとした上手な運転が可能になってくる上に、スポーツカーのAT車モデルでは1速から2速を手でチェンジしながら、高速道路ではDレンジを、O/D のON OFF(ボタンを押すたびにギアが変更されたり、最速域のギアを不使用にしたりできるスグレモノ)とも絡めながら、のびのびと愉しんでみたりしながら、快適で疲れ知らずの運転を、流れをリードし続けながら愉しむことが可能にもなってくるのである
上野動物園の「おさるの電車」 現在は、惜しくも、電車進行役のおさる引退のみならず路線も廃止されてしまったのが、上野動物園の「おさるの電車」。実際にはおさるが運転していた訳じゃない(それは、そうでしょう)との話ながら、運転席に座るおさるに人気が集まり、常時満員の人気アトラクションだったようである。が、それだったら、ニャンコ空軍のdolaさんはFLEX-J Webmasterとともに普通二輪小型スクーターで一緒にたまに巷を走っていたりして、キャット・マリンコープのmacさんは霞ヶ浦の遊覧船に乗るのが好きだったし、たぶん、日光猿軍団あたりが手掛ければ、ボタンを押せば走り出すような簡単な仕組みのミニ電車だったら実際に無難に走り出しそうな気さえしてしまうから、侮れない。サーカス団の熊がオートバイを器用に運転していたりするのを見れば、動物が乗り物を運転すればかなり真面目に取り組むのではないか、とも思われなくもないし、それに較べれば原付バイクあたりは実にお手軽な乗り物なのでもある。上野動物園での乗り物のナビゲーター役に従事していたさるは、動物愛護団体からの「電車の営業は、さるを虐待している」との声により、任務から引退することを余儀なくされたが、本当に電車の運転席に置かれる立場をさる自身が不快に思っていたかは、実際のさるの態度や感情に接してみなければ分らない。少なくともさるが、どちらかといえば上野動物園モノレールをも運行している東京都交通局並の活躍を果たしていたことは確か(さるながらも鉄道員[ぽっぽや])なのではあり、給与が銀行振込(もしくは現金支給)か現物支給かの違いだけで、たぶんさるはプライドを持ってちびっこは勿論大人にも大人気のアトラクション電車のナビゲーター役を果たしていたのではあるまいか、との乗り物マニア的推論までもが成り立たないでもない
東京モーターショー2003 in 幕張メッセ [1][2] 往年のキャット・マリンコープおよびニャンコ空軍チームの活躍地のひとつとしても知られる都市型保養地マクハリ・オーシャンフロント・リゾートの広大な一角を占めるのが、1980年代に爆発的な話題を呼んだコンベンション・センター、幕張メッセである。今年はこの地で、例年話題を呼んでいる世界的な一大自動車イベント「東京モーターショー2003」が繰り広げられている。エコロジー時代の本格到来に向けた燃料技術の進化を焦点にした展示が行なわれていたり、各社の今後のトレンドを占うコンセプトカー、間もなく市場投入の未発売車種の数々を始めとして、あで姿が眩しい各社自慢の美人コンパニオン嬢の活躍ぶりなどなど、これからの景気や環境問題をも予言させ得る材料を秘める、国内に於いて今年最後にして最大のモーター・イヴェントに足を運んでみるのは、いかがか?
名品でたどるヨーロピアン・ファッション 〜 文化学園服装博物館 表参道にFENDIブティックがオープンするなど、ますますもってハイ・ファッション・ブティック密集密度が高まっている東京都渋谷区の一角で開催されている欧州のセレブスタイル・ファッションをめぐる展覧会。近頃、雑誌『船の旅』の誌上でハイ・ファッション・ブランドとモードを巡って、とりわけヴァレンティノに関する特集が組まれたり、豪華客船の船上パーティでのドレス・コードが話題になったりしていて、以前はお台場系の空気を漂わせつつ日本市場向け宣伝活動を行なっていた「スター・クルーズ社」のような、プーケット島クルーズの大衆的なメガシップ級豪華客船が話題になっていたが、昨今は「シルバー・シャドー」のような、全室スィート・キャビンの最高級プレミアム系豪華客船が話題の中心になりつつあり、処女航海の日迫る、有名なクィーン・エリザベス2世号に続いて英キュナードが放つ21世紀最大級の、世界最大15万トン級メガシップ豪華客船「クィーン・メリーU」の出帆を前にして、世界のクルーズ・マニア達の気分は相当に浮き足立っているようでもある。日本国内の豪華客船には、まだ全室スィートキャビン・クラスのものは存在せず、セレブらしいセレブな世界も、国内では限られた人々を巡る珠玉やブリリアンスでしかありえなくなってしまっている次第(いまだに、この国では「バブル」と「セレブ」のイメージが重複しやすいこともあって、1990年代の初め頃[すなわち、時給契約制スッチー制度導入以前]までは当たり前だった年収一千万円超の生活が、JALスッチーの世界でも夢の物語になりつつある程に、ポストバブルの長期化が確定化しているプライムミニスター小泉氏の政権時代下では、いまやほんの一握りの人気開業医あたりを除いて、"ワイフが高級ブランド・ファッションに浸っているのが好きなものだから、プラチナ・カードを自由に使わせている"ようなタイプの向きは、この国ではほとんど滅亡状態に近いのに違いない。が、国家最高クラスの人々に於いても所詮はアッパーミドルの粋を出ないこの国の事情とはうって変わって、ヨーロピアン・セレブの絢爛豪華なライフ・スタイル文化の伝統や奥の深さは、表面的で世間体や体裁に縛られた浮ついたゴージャス感にのみ偏った表層に限られたものではなく、誰もが名を知っている偉大な芸術家を育成してきたような文化のパトロンとしての一面があったり、世界に冠たる都市国家を形成したり、政治や経済、時代や文化のトレンドの隅々に至るまでを、ノーブレス・オブリージュの意識と共に主導してきている経緯があったりすることは、言うまでもないことである。中近世からディオールに至るまでのヨーロッパの歴史的な服飾展に接することには、それぞれの年代に於けるサロンのエッセンスに生で触れることでもあって、たとえば静岡県清水市の清水みなとで営業港内遊覧クルーズに動員されているかつての地中海の大富豪クルーザー(現在は「オーシャン・プリンセス」の名に於いて就航中)および豪華客船ヨット「ステラポラリス」号(「フローティングレストラン・スカンジナビア」として営業中)に実際に乗船してみたり、ライトおよびル・コルビジェのような偉大なるミッド・センチュリー期のコンテンポラリー造形を画期的な形で手掛けてきた作家達によるインテリア・アイテムに「カッシーナ・インターデコール」のようなインテリア・ブティックで接してみたり、様々な欧米作家によるセレブ層およびアッパーミドルの華やかさそして喜びと哀しみとを描いているような文学作品を愛読してみたり、ヴェネツィア史のようなものに接したりする営為とも、実は人生を愉しむ観点からは同列上に位置している(田中康夫が口癖にしていた"等価"の概念提示は、いささか舌足らずな感が否めないながらも、ヨーロピアン・ライクな物の見方から何らかのパッションを掴んで有頂天になっていた無邪気な子供のようなイメージには、豊かな時代に育った世代の屈託のない元気さ、したたかさが感じられてはいた)年中行事の一つであり、ワインの嗜みのような、何気ない、普段的で日常的な愉しみにも相当する。「客船クルーズ」「ファッション」「グルメ」「車および交通(車はどちらかと言えばブルジョワ趣味であって、本当の庶民性が凝縮している世界は鉄道マニアがよく知っているようにも思われる)」「リゾート」「カルチャー」「スポーツ」などの世界に定番ブームを持つことは、それゆえ、やり過ごしてしまえば悔恨だらけで終わってしまう誰しもの短い人生(ライフ・ターム)の中にあって、(そうはいっても無理をして海外の超のつくようなセレブ並を目指す必要なんてどこにもないような気もしてしまうが)充足感や洒脱な感覚、知性を、それらの人間の営為にも直結した分野に注いでいくことには、カルチャー・ブーム時代に「カルチャー・スクール」に足繁く通っていたような向きには改めて言うまでもなく、永遠にも似た意義深さが認められることだけは間違いのないことであり、いつ出かけてみてもハイ・ファッション・メゾンのショー・ウィンドー・ディスプレーがスティミュラスな点にも、そういった永劫的な人生の輝き、充実、幸福に関するエッセンスの全てにつながるファクターが、同時代最先端の背景や人間意識、そしてそれらを軽妙かつ紳士淑女らしく心優しく、理知的に、戯画化してしまおうとする欧米人特有の伝統的精神の反映とともに、見て取ることができたりして、東京都内にいても、新大橋通りをたらたらと週末族なパーソナル・カーで走っているだけでは分らない、世界リアルタイム的なる時間という名の砂の粒のきらめきが、表参道および南ロシアン山(=東京都港区青山一帯)ウォークをすることによっても、確かに掴めてくることは、間違いがない。勿論それは、銀座界隈でも同様に味わえることではあろうけれども、そこには、アッパーミドル層による肥沃だが賢さも兼ね備えてのこの国的なる(案外に爽やかな笑顔や謙虚さに満たされている)マダム消費を巡る昔ながらの並木通り消費はもとより、街自体がバブルの温床になっていた時代が痛々しいトラウマを多くのニッポン人の間に刻み付けてしまったような、言ってみればトルーマン・カポーティの小説『ティファニーで朝食を』に視点を提供する役回りの作家が、ニューヨークにしか見当たらないような超のつく大富豪を相手に世の中を渡り歩く高級娼婦ホリー・ゴライトリー(=ヘンリー・マンシーニの音楽が珠玉な映画版ではオードリー・ヘップバーンが演じていた)の人の好い世間知らずぶりや女性にしばしば見られがちなパラサイト感覚(="パトロン"に恵まれすぎていて金銭的に困っていないため、生活感覚や意識が常人の域から大きくはみ出している。女性にとって「恋はビジネス」なのである)のようなものによって、いわば祖父の世代が華麗に、懐かしく耳にしていたような映画「男と女」のテーマ、とりわけパーシー・フェイス・オーケストラ演奏版がはまりこんでくるような、お金はあるが文化のないところに特有の、あまりにも成金趣味的であって過度なゴージャス消費の強い志向的傾向(ライトのチェアよりは、純金製の王座の間の椅子を好むようなそれ)が、依然として街往く人々の心の渇き感の中に、しばしば顕著に感じられたりもして、成る程、東京イーストにあって最も東京イーストの典型パターンもまた普遍、であることを感じさせてやまない世界が、中央通りおよび並木通りあたりには強く感じさせるものがあり、元からのそれぞれのライフ・スタイルや美学へのこだわりが強い持主達が集まりやすい新宿・渋谷一帯あたりとは全く対照的な華やぎや、それらを巡る幻想を追いかける女達が追いかけ続ける図式が出来上がっているのであろう。そうして、銀座の中央通りを最もパリ・コレ或いは仏蘭西版ヴォーグ・グラビアっぽいハイ・ファッションで着飾って歩いている、痩身なモデル系の、誰もが振り返るような超の付く美女が歩いているとしたら、それが以前にここにも登場している"moon"なのであって(ただし、コレクションのモデルに較べれば明らかに身体の鍛え方やフィニッシングに費やされた時間やお金の絶対量が不足していて、見慣れてくると埼玉から上京してくる元銀座クラブホステスの素顔までもがそこに浮かび上がっていることが納得されてしまう)、いまや埼京線は新宿・渋谷・お台場直通運転を実施しているのにもかかわらず、やっぱり銀座、な人たちや、エコノミー・クラスに乗ってきたサラリーマン男性乗客から貰った名刺はくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に棄てるとの噂までもがまことしやかに囁かれていたりする系統の客室乗務員な向きの一部が、精神的に吸い寄せられてしまうメンタリティの土壌もまた、銀座界隈では、或いは永遠、なのかもしれない
ドラ・テクの初・中級篇 [1][2] インターネット上の情報は文字媒体だけに、概して(良かれ悪しかれ)理性的、尚且つ(意外にも!)きわめて正しい精度の情報が記されているものであり、ドラ・テクのマニア解説サイトのそれを読むと、吃驚するほどに正しくて、意外な(「スーパー・ドラテクの初歩は、実は教習所走りに集約されている」などのコメントが見られたり………)。そして、書店にはル・マンの常連レーサーでもある"ドリキン土屋圭一"のような面々が無数のドライヴィング・テクニック本を記していたりするのが、居並んでいたりする。教習所を卒業してしまうと、何故か、基本から外れてルーズで斜に構えているようなヤンキー運転(→その昔、この国では、神奈川・千葉・埼玉・茨城に大挙して見られた暴走族っぽい若者達を"ヤンキー"と呼んだ。勿論、元巨人の松井が活躍しているニューヨーク・ヤンキースは関係ないが、暴走族の多くは頭を不自然な金髪に染めていたことから"ヤンキー"と呼ばれるようになったのに違いない[不確か])に偏りたがるのが、一般人までを含めての日本列島上での顕著な現象だったりする一面も見られなくはない。わざとヘタ目にしながらどことなくヤンキーっぽい運転態度および集団走行的な「流れ」で道路上の最高速度を束になって無理矢理に引き上げたりしているのは、まっとうな堅気に見せながらのニッポン人的な裏ヤンキー気質のあらわれ(→昔、ビートたけしのギャグに"赤信号みんなで渡れば恐くない"があり、馬鹿ウケしていたが、ちなみにヤンキーの本場、ニューヨークでは、横断歩道が赤信号でも安全確認で大丈夫な場合には赤信号無視をして渡り出すビジネスマン群集心理が存在するが、ニッポンでは赤信号で信号を渡り出す人はめったにいない例である)のようにも思われてしまう。「スピードはコーナー手前の直線で十分に減速をして、コーナーの入口では既にアクセルペダルに足を乗せていること」は、教習所は勿論、F1でも第一コーナーバトルの場などで常に見られているブレーキング競争だったりして、すなわち教習所走法のそれは、無駄のない、コーナーでも最小回転半径で回れて動作をすばやくできるなどの合理主義があって、それがレース現場での合理主義にも結び付いていたりするのでもある。減速がいい加減で交差点を曲がりながらのブレーキなども、ヤンキー乗りではありがちだが、非常に危険である。そして、案外に教習所走りの初心に戻った運転を励行することは、休日のパーソナル・カー・ドライブでは難しく、交差点でのいい加減な右左折や車間距離の詰めすぎ、歩行者や他車の動きを見ていないなど、ヘンなヤンキー走りの癖がなかなか抜けていってくれずに困ってしまったりするのが、実は本人はいけているつもりでもいけていない、崩れすぎたドライブ上での"ヤンキー"達に見られがちな動作であり、それでは速く安全に走れず、事故につながる原因にも直結しやすい。交差点では、むしろそれなりに手前で左右・後方の安全確認をしつつ、巻き込み事故につながりやすいバイクの交差点での側面進入をお断りしながら道側端に寄ってのブレーキングで赤信号停止もしくは青でも十分に減速・徐行して、交差点角の縁石から30センチ以内の距離感を保ちながら、事前に横断歩道に人の姿があれば停止して積極的に譲り、また、いなければスローイン・ファストアウトの要領で間髪を置かずにきびきびと円滑に加速していくのが正解であり、ルーズで大回りな曲がり方によるタイムロスを防ぎ、所要時間的にも円滑な運行が可能になる。路上もコースもサーキットも、実は要領は対して変わりがなく、アクセル・コントロールの励行およびフット・ブレーキ依存の習慣を直したり、歩行者、他車、障害物の視認・すばやく適確な判断および適切な試験場指導的な対処運転を一層加味する程度で、対応していける内容にはなっている。教習所のコース内では短い直線の前後コーナーでポンピングブレーキによる減速が頻繁に行われるためか、一般道に出てもついつい(とりわけAT車の場合に)フットブレーキに過度に依存しすぎの運転傾向が見られやすかったりするなどの、素人ドライブの弊害が出やすいのは問題ではあるだろう。マニュアル車のスポーツモデルではエンジンブレーキが非常によく効く(しかもエンブレ時の高性能スポーツ・パワーユニットの音の聴感も実に素晴らしい)ことから、むしろエンジンブレーキ依存が起こりやすいものだが、AT車はそれに較べれば遥かにエンジンブレーキの効きが微妙すぎていまいちなため、MTスポーツタイプ車歴があればある程、ATではフットブレーキを踏みやすくなるケースが少なくない。実際は、前車やコース路面の状況をよく判断してスピードをアクセル・コントロールで僅かに抑え加減に踏んだり放したりしながら、(勿論踏むにしても微妙にやんわり加減で踏まなければガクガクなブレーキングになってしまう)フットブレーキは停止の場合の手段として温存させておくのが正解なのである。ここで言っていることを一瞬の気の緩みもなく励行できれば、路上での試験(検定)関係は間違いなくパスできる筈、なのだが…
ラディソン・ホテル成田エアポートおよびグループ [成田エアポート][ラディソン・チェーンの世界展望][ラディソン・ニューデリー][ラディソン・セブンシーズ・クルーズ][ラディソン都ホテル東京でのウェディング] 成田空港周辺の道路でドライブ練習をしていたりすると、なんとなく空港警備の警察隊に"左翼ゲリラ疑惑"をかぶせられているような気がしてしまって、妙にやる気になれてしまうのが何とも面白い気分。昨日は、お子ちゃまロシアンのsoraさんを航空科学博物館に連れ立って入館させようとしたところ、チケット売りのオバサンの眼に携帯ケージに入っている姿がとまってしまい、これまでのような"黙認"をされなくなってしまった(それまではオバサンがアバウトに対応していたためこちらの持ち物などをよくチェックしていなかった)。性格的にはどちらかといえばヤンキーっぽく日頃から喧しく暴れているお転婆なお子ちゃまロシアンは、西伊豆のフローティングレストラン・スカンジナビアのみならず、航空科学博物館からもつまみ出されてしまうに至ったのである。FLEX-J Webmasterは、"エールのコンコルド"のラスト・フライト記念にもぴったりなDVDやJALのボールペン等(→実際に使用するため)をたまたま発見して衝動買いしつつ、博物館周辺の道路では車をいかにも練習向きのコースを勝手に見つけて何度も周回するインディ方式で走らせ続け(一周1キロ程度のコースを二十周回くらいしていた)、"レッスン走行はしすぎるのもよくない"とのくだりが試験場で貰った手引きに出ていたため(たぶん、気を入れた走行練習では、人間の集中力は2時間と持たない)、だんだんと良い案配になった頃には帰途に就いた。帰り道、ラディソンホテル成田エアポートの白ナンバー送迎バスおよびノースウェストのクールで空軍ムードのトラックを何台も目撃、ラディソンと言えば、白金台のラディソン都ホテル東京もチェーンに参加しているような、四つ星〜五つ星クラスの世界的なデラックス・ホテル・チェーン。「成田エアポート」では、カップル二人分宿泊料金が一万二千円前後から泊まれる(しかもデラックスホテル級)一泊プランがあるなど、インターナショナル・エアポート・エリアの楽しさ(航空科学博物館の最上階展望塔からの眺めに参照しても、いかにもな千葉の田舎の空港[ほとんどセスナ飛行場の佇まい]のそれの筈なのに、そこが我が国の国益を担っているのは、なんとも面白いが、デートには向いている)を含めて、都心ばかりが首都圏のデート系シティホテル・メッカじゃないことを、成田エリアは実に端的にすっきりと物語っているのでもある
おかず横丁 揚げ立てコロッケを買うにも、一度はここへ行ってみることをお薦めしたいのが、東京都台東区鳥越のおかず横丁。デパ地下もビックリの良質なおかず類に限らず、色々な珍しい店が軒を連ねている
青松寺の醍醐 東京都港区芝、青松寺の隣に位置する、純和風精進料理の店。肉類を一切使用しない、和食による高級山菜料理は、クチコミで端正な日本の味を求める食通のみならず、ベリタリアン(菜食主義者)を含む外国人観光客にも大好評とのこと
市ヶ谷の周辺 [散策記][電柱地名ラリー][いまどきの電子印刷事情] 有名な自衛隊の都心型駐屯地のほか、歴史的で風情の或る建物が印象に残り、また大手出版社の雑誌、書籍などを手掛ける大日本印刷、いくつのも大学で知られる街、市ヶ谷。ここにある「大日本印刷」(田中康夫の作品の中で、ファッション・グラビア誌のモデル達が往来している風景がスティミュラスに描かれている)があまりにも大手で華やかで有名なためか、準大手クラスの中堅印刷会社がひしめく知られざる印刷業者メッカの一つ、東京都中央区新川(兜町界隈の近く)の周辺あたりの風情に接するにあまりにも痛々しさを覚える程だが、大日本印刷の前には「お札と切手の博物館」なる無料の展示施設もあったりして、じっくりと探訪してみたいスポットのひとつ。ちなみに、現在の印刷会社の内部は、一言で言えばそれ自体が巨大なディジタル・パプリッシング・システムを完結していて、概してデスクトップ・コンピュータの端末の上でレイアウトされた原稿を(新聞や雑誌媒体の場合は、専用ソフトや専用マシンがあてがわれていて、ほとんどのライターとの受け渡しもバイナリ・ファイル附き電子メールやディスク・データを介してであり、フォト・データやテキストを流し込むだけですぐに印刷所との間での即時通信が可能な方式になっているが、中小の印刷会社が引き受けるような一般印刷物の大半については、大半はMacのDTP編集ソフトウェア上で作業がなされている)、即座に印刷所側との発信ののち、印刷工場では、写真植字の工程を経て、緻密で巨大なディジタル・カラー・プリンターのようなシステムからのプリントアウトがなされる。ディジタルに無関係っぽくて意識すらさせない新聞媒体ですら、いまや完全にコンピュータ化された行程を辿っているのであり、こうした印刷会社の中にはしっかりとインターネットおよびCD‐ROMの担当セクションも含まれていて、企業によるオフィシャル・ホームページ等の受発注が、直接依頼もしくはコンペ方式によって行なわれていたりするのである。FLEX-J Webmasterの場合は、(コネで思わぬ法人幹部および他社担当者、チームに会ったり、共同企画的な仕事までをも一緒にすることがあった)東京都中央区日本橋界隈の会議所とのつながりが非常に密接な印刷会社の専属的な、DTPおよびインターネット画面の編集プロダクション会社にもいたりしていたなど、指折りの国内大企業クライアントからのオフィシャル・サイトの仕事の数々を含めて、長らくインターネット・サイトの企画・構成・編集をいくつかの会社で担当(ま、仕事は真面目にやっていた程度の話にも過ぎない)。また以前、東京都品川区西五反田に位置していた全く別の会社のオンライン・マガジンの編集部にいた時などには、取材から企画・構成・懸賞の抽選およびスポンサーおよび読者との渉外などを一挙に担当するような仕事(いわゆるWEBディレクターおよびプロデューサー業務)を行なってきたいたりする。インターネット業界での仕事に関しては、立教大学在学中からスタートさせている。現在は、ほとんど転職に近い形で、全く畑の違う分野に転身しているだけに、懐かしい。が、FLEX-J Webmasterが仕事の話をすることはこの場でも珍しいことであり、立教大学の未公認キャンパス・オンライン・サークルを標榜しつつも個人サイトの方向での運営継続が図られている「FLEX-J Online」および、思い起こしてみると自分が由緒あるお侍様の名門の出であり文芸書籍系出版社(ただし中小企業)の元社長の息子であることに自分自身のある種の特異な個性やアッパー・ミドル臭さに改めて気づいたことから"セレブ・ブーム"を思いつき、この「CyberGIRL」にて世間に先んじての個人企画を実現するなど、キャラの濃いセント・ポール系20代〜30代ライフ・スタイルの1990年代以降版を、田中康夫よりはどちらかと言えば幾分音羽系に近い感覚に於いて、ごく僅かなリピーターの間で強烈に印象付けてしまった"都市生活者的な遊び人"っぽいイメージが定着するに至っている次第
タッくんのホームページ 〜 社団法人東京乗用旅客自動車協会 世界のタクシーに関する話題等のほか、業務全般に関する案内が掲載されている。話題の「タクシー近代化センター」に並び、プロのタクシー・ドライバーが頭の上がらないであろう団体の一つ。まだ右も左も分らない入門者レベルながら、首都圏のタクシー程、乗ったクルマに応じて違う乗り物になっている移動手段(公共交通機関)は、きわめて珍しいような気がする。こういう、耳ざといタイプでも、よくありがちなパターンとして、現場で役に立たないままに、たとえば二種免許実技に敗退続きでお手上げになってしまうようなことがありうる世界だけに、ただ単に社会科見学で終わってしまうことがあるとすればマニアックな性格の男子学生にいがちなタイプとしての悔しさや無念さで一杯になってしまうであろう、FLEX-J Webmasterなのだったりもする。が、世界の大都市の中でも、いまどきの東京のタクシーの中には、本当に素晴らしいホスピタリティ(=接客精神)を持っているところが、少なくない。色々な仕事をしてきているので、タクシーには何気に乗せられる側だったことが度々あるし、電車・飛行機・バスなどの移動手段は勿論、エリアスポット・マニアな世界に若干かじりついたことがあったりもしたせいで、他の商業的なエリアスポット・マニア諸氏が列記しているような「おかず横丁」から「日本銀行の貨幣博物館(→以前の仕事絡みでの見学研修)」「超人気のホテル・レストラン」「豊島園の練馬天然温泉」まで、色々な場所を見て歩いていたりするせいか、レア・スポットへの移動には、まずは単独によりバスやタクシーで駆けつけてしまうタイプなのだったりする。が、意外にも最も感動したタクシーに関するストーリーは、二種免許の研修に入ってからの、所属先企業のタクシーに関するものであって、以前に紹介した大塚駅前の「ホテル・ベルクラシック」の門前で、超一流クラスのホテルではベル・ボーイがエントランスに待機していて、タクシーの後ろのドア・オープン直後からすかさずリレー・タイミングで行なう歓迎の出迎えの儀式的な接客の数々に遜色のないそれらを、(所属先法人の先輩であり上級に属する)タクシー・ドライバーが、しかもハンディキャップをお持ちのお客様と介添え人様のお世話を、一流なサービス業ぶりで、ニュートラルな(→公平で冷静、尚且つお客様に欠かさずに心ある適切な対応を採り続けていた)在京の大手クラスらしい業務態度に於いて淡々とこなしていた姿に、マニュアルや社内スローガンのままに普通のことには違いないが、普通のことを普通以上の注意力をもって過不足なく淡々と実施することはなんとも難しいなのが、スローガンをまだまだ訳もわからずに読まされているだけで営業所単位の世界をまだ全然知らないレベルの練習生の身に、むしろいたく納得されて仕事振りに感動。が、ハンディキャップがある方のお立場はハンディキャップを持たない方のお立場とも変わりのないものだけに、それを「美談」でかたずけてしまっては、むしろ先輩社員のあえて冷静に、介護資格の或るプロがやっているような介護バスや並のホテルマン以上に達成されていた接客クオリティを用意して完璧にこなす実作業を、誰も見ていないところで黙々と続けていた流れがかえって世の中の反感を買ったり、偽善っぽくなってしまったり、気持ち悪く取られたり、ムリヤリに模範実例を捏造しているような感覚で受け取られかねない(報告書には、勿論、そういう個人的な接客経験を積み重ねることによってランクを上げていくシステムまでは存在していないのに違いない)ことから、すなわち、タクシー業界の多数派グループは明らかに素のレベルでの善人の集まりなのであって、サービスはスタッフ一人一人のサービスにかける精神性の上にこそ成り立っていることが納得されたりして、感慨深かった。そして、それを手柄話にしたりするような種類の美学やメンタリティの持主のいない点も、業界の良さに違いない。制服一式は三越製なのだが、三越製の制服を着る接客スタッフは、タクシー・ドライバーじゃなくても、むしろ腰が低く、謙虚で、威張ったところがなく、稲穂のように熟する程に自然に頭を垂れるようになってこそ本物、の、まるで(話に聞く)三越の接客研修での努力目標のような状況へと、黙っていても追い込まれていくようにもなっているようである。サービスは丁寧で完璧でも、どこかに大衆に対して(モテるためのウリな態度とかとは異なるパターンでの)ツンとしたところのあるようなサービス業の場合には、たとえば畏れ多くもパーク・ハイアット東京のようにそれがたとえば西新宿のムードを盛り上げていてそこに惹かれる客筋を熱心に呼び寄せてブーム化しているような場合を除けば、本業のハードウェア面での出来の極端に悪い場合にも増して、だいたいが淘汰されてしまったり不況風に負けてしまったりしているのは言うまでもないことである。接客サービスを、有名百貨店の顧客担当(お客様のお宅へ直接顔出しをしている担当者)およびホテルマン(とりわけ直に接客サービスを行なっている現場の担当者や職人気質だけに凝り固まっていないチーフ[もしくは役職が与えられている場合にはエグゼクティヴ]・ディレクター・クラス以上)に並ぶべきサービス業を標榜しつつ実際のサービス面でもそれ相応の企業であることを当然としているような、意識の高い法人タクシー・ハイヤー会社(資格関係が整ったところで、たぶん、タクシーとハイヤーを半々くらいにやっていくべき将来の個人目標を視野に入れていけるところまで、本当は持っていきたい)が存在していて、それが、実はあまり深く考えて入社した訳でもない現在の研修先(まずは二種免許の学科のみならず実技にも合格して地理試験もパスしながら、配属が確定したところで教習センター内での一人前扱いを受けられる)だったことに驚いていると共に、東京のタクシーの中には、客待ちの中にたくさん見かける感じの、年配の出稼ぎ系のオジサン風で朴訥とした高齢ドライバーの姿がよく見受けられるところでは、たとえば「ストリングス・ホテル東京にお願いします」で、「そんなしゃれた名前のホテルは聞いたことないよ。でも、品川にここ数ヶ月で新しく出来た大きな建物はあれだけだから、あそこだな(つまり、他のホテルだったらたいてい全て、良くお客を乗せて走っている、と言う自信の裏返し)」の勘だけで、一発でお客を連れ出しては初乗り運賃の範囲内で無駄な走りもなく、が、横文字や若者感覚にはなかなかついていけずに困っている風に「(一緒に徐行スピードで探すように走りながら、すかさず豪華ホテルのエントランスにしか見えないそれを目ざとく発見して)あ、ここだな。ここで、いいのかい?」式に横付けしてしまうような、憎めない感じの小口戸別訪問営業風のオジサン感覚(→しかし、いい加減なようでいていい加減じゃなく少なくとも一生懸命になってくれて、ひょっとしたらドライバーが照れていてホテル名を知らない振りしていただけかもしれない印象をも漂わせていて、スマイルと強い説得力があった)の、凄い人情系の直感営業力に至るまで、相当に感じ入るところだらけの、(ラブホテル送迎もあまりにもスマートにこなす)東京のタクシー体験は、しかし、地理マニアが少なくない意味でも人情でも法人力の強さおよびサービス業としての洗練ぶりなどを考えると、アメリカのイエロー・キャブのようでありながらも実は超がつく地理マニアしか営業を認められないロンドンの黒塗りタクシーの世界をイメージさせたりもして、しかも概して善意の集まりのような世界だけに、どちらかといえば寡黙に安全走行をこなそうとしながら、遊びに来る観光客には興味津々そうな(決まり文句の話し掛けなのだが、素で観光客の動向に素朴な興味を持っていることを感じさせる人が少なくない)北海道のタクシーや、住宅地のファミリー・ムード満点な客層にムード的にマッチする形で密着した千葉ローカルのタクシーをすっきりと大都市圏っぽく無難に派手目にした感じでの、いかにも在京大手の法人タクシーらしい爽やかな営業イメージには、いまどきの有名大卒さえもを少なからず応募させるだけのものがあるのも、いたって当然なのである。FLEX-J Webmasterは、たとえば情状に駆られて嘘をついたりするような番付だけはつけられない性格で自分でも困っていたりするのだが、いまどきの東京のタクシーがかなりまともな世界になってきていることにしても、個々に実際に乗ってみて実際に体験できることである(→ただし、実際に奇妙で困ったタクシー・ドライバーに遭遇することがあったとしても、FLEX-J Webmaster的には、一切の補償、代金補填等には応じかねます)
実験的ステーキ & ハンバーグ・レストラン「ステファングリル」 三軒茶屋および下北沢にオープンしたての実験的ステーキ & ハンバーグ・レストラン「ステファングリル」の話題を掲載しているのみならず、各地のモスバーガー店舗を渡り歩く旅を続けているマニアックなファンによる個人取材サイト。アメリカに「マクドナルド」の熱狂的コレクターがいるらしき話題を、FLEX-J Webmasterはだいぶ以前に、アトランタのインターナショナル・ニュース画像(=CNN)で見たような記憶があるが、モス・バーガーは東京・板橋発の脱サラ・ベンチャーの草分け的存在であり、モスの創業者である櫻田氏は、FLEX-J Webmasterの父親にとっては大学時代の同窓生なのらしい。たまにニャンコ空軍を連れたFLEX-J Webmasterが運転する人・猫員輸送車輌も、竜ヶ崎および千葉県北総エリアのモス・バーガーを利用することがあるほか、東京・西五反田のコンテンツ系ネット・ベンチャーに勤務していた当時のFLEX-J Webmasterとしても、駅前の店舗で軽い朝食やカフェ代わりの利用をしていたことも
「クラウン・コンフォート」 [1][2][3] 一般ユーザー向けに用意されているクラウン・セダンを基準に、燃料をLPGガスに変更したり、内装を営業用化したりしているタクシー専用車輌には「コンフォート」の名がつけられている。セルシオが、外車の右ハンドル主流化時代を前にして、メルセデス・ベンツに競り勝つ形で空前のヒットを続けているトヨタだが、かつて「いつかはクラウン」の宣伝コピーが国民的に浸透していくプロセスを経験している我が国日本にあって、勿論、依然として「クラウン」も、いかにも日本的な高級車のスタンダードの座を手放してはいない。クラウン・シリーズでは8気筒シリーズの「マジェスタ」が人気を集める中で、タクシーのみならずVIPなハイヤー(→ただし、いまどきのハイヤーの目玉車種は、セルシオもしくはセンチュリーであるのだが)としても転用できる6気筒タイプのクラウン・コンフォートは、車種的にはベーシック・タイプだけに、若干サスペンションの設定が曖昧で微かな突き上げ感があったりするなどして問題有の声も聴かれる中で、ニッポンのタクシーの居住性の改善には大きく寄与している車種に違いない。ガソリン車のクラウン・セダンに関しては、車のデザインには頓着しないが、居住空間が広くてシックながらも、質が高く贅沢で快適な黒塗り系セダンへの日常ニーズを感じている向きには、きわめて快適な車種に相違ない。ちなみに、現在のところ、二種免許(営業用旅客自動車運転免許)を公認の教習所に於いて実地免除によって取得する方法もあるにはあるがまだまだ一般的とは言えず、取得に向けては、予備校のような方式の練習教習所があり、いわゆる警察の運転免許試験場での学科および実技の一発試験を受けなければならないのだが(つまり、二種の一発試験に合格しさえすれば、誰でも二種免許ホルダーになることはできる)、府中の試験車輌に、このクラウン・コンフォートおよびカペラが採用されているらしい。ちなみに、FLEX-J Webmasterは、只今、いまどきの風邪(熱が出たり、咳が出たり、お腹がやられたりするものの、食中毒とは違うらしい)にかかってしまい、体調的にはいまいちな状態だが、とりあえず二種免許の実技試験に関しては、ダメモト(二回で受かればかなり筋が良いとの話なので、一回目は場慣れするためにあるようなもの)で初回を受けておかなければならないような気がしているため、早いところ本調子に戻していかなければならず、(逆に、西柏だの柏南だので取得した大型四輪や普通二輪の時とは異なり、マイペースでだらだらとやっていても目的意識や集中力、リズム感が磨かれてこないような気もするので)焦りを感じている次第。「気象予報士」と「二種免許」は良く似た資格との話もあり、似てはいるのかもしれないが、気象予報士試験を受けるための受験勉強はしたことがないため、FLEX-J Webmasterには何とも言えない世界
定番的洋食メニューの王様コロッケを巡る考察 [コロちゃんのコロッケ][ホテル・インターコンチネンタル東京ベイ][神谷バーのMENUページ][日比谷松本楼の1階 Grill Room][たいめいけん][ホリディイン東武成田] 東急ストア布佐店が存在する北総エリアの片隅にあって、成田にも近いベッドタウン、千葉県我孫子市布佐。そこに存在する、千葉県ローカルらしきホームセンター「タカヨシ」の一角に、「コロちゃんコロッケ」なるスタンド・ショップを発見。フランチャイズ方式による展開で、チェーン全体では好評な成果を挙げているらしい。大衆的な洋食の中でコロッケが結構好きなFLEX-J Webmasterに於いても、(ショップの宣伝じゃなく)一個50円の定番「コロちゃんコロッケ」二個を自腹で購入してみた。早速、それをニャンコ教習所の休日運転教官のチンチラくんおよびお子チャマロシアンのsoraさんを連れて、自宅にお持ち帰り。マグロの握り寿司パックを食べる合間に口にしてみたところ、"昔懐かしい味"が嘘じゃない、なんとなくスパイシーなペッパー風味の味。が、いかにもな「マネーの虎」タイプのベンチャーをここで紹介しても然程の意味はない。たぶん、庶民派のなつかし系コロッケを美味しくレトロに揚げる店だったら、たぶん、もっとずっと生活に密着していそうな庶民のほうがずっとそれをよく知っている筈、なのでもあるからだ。そこで、ここでは、現在、もしくは過去に於いて、コロッケを美味しく提供していた、あまりにも有名な本格店のいくつかをクリップしてみた。「ホテルインターコンチネンタル東京ベイ」の、北イタリア料理中心のダイニング・バー「アトーレ東京ベイ」では、過去にランチ・コース(\1600)で「モッツァレラチーズを詰めたライスコロッケ」を提供していたことがあり、印象に残る味になっている。また、神谷バーは、茨城県牛久市内に広大な葡萄の生産から醸造、ボトリングまでを一貫する完全自足型のワイン・シャトーの主が、浅草に創業した大衆的な本格的洋食屋であり、カニコロッケが名物。また、大衆向けのグリルと高級フレンチの二本立てによる味を提供する日比谷松本楼(→年に一度「10円カレー」を振る舞うことでマスコミでも広く知られている)では、洋食の永遠的定番コロッケの味のみならず、夏目漱石および高村光太郎が愛した味を再現する特別メニューを目下提供中。また、すっきりと斜に構えているイメージの貴兄には、東京・日本橋の一角に位置する有名店たいめいけんのコロッケも薦められる味。さて、十月の日曜日のニャンコ空軍移動車は、FLEX-J Webmasterの営業用普通自動車免許取得に向けた実技練習を兼ねて、サンセットからトワイライトにかけての、成田空港方面をドライブ。行きの「成田ビューホテル(→有名な浅草ビューホテルの姉妹ホテル)」がサンセットに映える風景および、航空科学博物館の周囲をぐるりと走る道で折り返す道すがら、インターナショナル・エアポートを漆黒のベールの中に包み込む夜の、どことなく黒いストッキングのナイロン生地を思わせるかのような艶やかな大気の中に、何故か、独特のムードを放ちながらイルミネーションを浮かび上がられていた「ホリディイン東武成田(→世界的に空港および有名リゾート地では外人に有名な定番ホテル・チェーンのホリディインは、他には東京駅近くの八丁堀にも存在)」のシルエットが、むやみに、あまりにもみだりに、印象的な楼閣のように映し出されたりするなど、何とも言えない独特な空気感を、成田空港周辺は依然として放ちつづけていて、印象的に思われたりしていた。尚、ホリディイン東武成田には、正午から夜の20時までの時間帯に客室を使用できるデイ・ユース・プランがお一人様4000円(ただし二名様から)で利用できるなど、若さ溢れる成田空港界隈のニーズを満たし得るマーケティングが展開されていたりするのも、楽しい。勿論、離発着機見物の貸切展望ラウンジとして利用してみるのも面白いアイディアでは、あろう
国際自動車株式会社 本来はハイヤーに使用される筈の車種を投入した「ハイグレード・タクシー」の稼動を開始(→台数はあまりにも少ないが、料金は通常)した、良かれ悪しかれ、都区内最大手の旅客自動車輸送企業で、待遇も大企業クラスとのこと。午前二時を過ぎると都内であまり見かけなくなるタクシーは最大手クラスだが、「チェッカー」や「東京無線」なら走っていても、成る程、国際のタクシーを明け方近くに見かけることはほとんど稀である。それだけに、スチュワーデスやモデル、芸能人などのミーハー筋を輸送する率も格段に高いこともまた、間違いはなさそうではあり、福利厚生が充実していてボーナスが年に3回支給されるパターンが大半なタクシー(ハイヤーの場合ボーナスは年二回のところが多く、小口消費から離れている世界なので、大企業のひとつの部署のような、大御所セクション的高級イメージがあり、実際、元ビジネスマンの転職組がハイヤーを希望するパターンは少なくないようだ。FLEX-J Webmasterの場合は、店舗レジの経験もなく、暗算が苦手なのでハイヤーを希望していたりする)の東京のタクシーの、どちらかと言えば西半分エリアでの営業が似合うイメージがある。二種免許教習所で、国際のタクシー練習車を目撃。ドライバーの絶対平均年齢が若く、埼玉県の某教習所ではホスト並のジャニーズ系イケメン三人組が養成を受けていたことからも、納得。最大手であり、業界のイメージ・リーダー的な存在であって、どちらかと言えば法人やカード会社が発給するタクシー・チケットおよびクレジットカードを取り扱う営業が盛んで、現金の取扱量が少なくなっている業界で、いまや半分は大卒者、そして難関校卒業者も珍しくはないとの話が、FLEX-J Webmasterのいる教習所でも囁かれている時代。単なる旅客輸送オペレーター業じゃない、サービス業であることを生身で要求されるタクシー業界に於いて、ほかではともかくとして、バラエティ豊富なサービス品目を持っていたり、制服が垢抜けしていることでは国際が一歩リードしている感を受ける。それだけに、「国際が儲かるんだったらうちだって儲かる」の空気を、準大手の自社教習所あたりでも感じることができるのは、タクシーが会社別よりは全体で動いているためであるようだ(ただし、無線配車関係で若干の違いが生まれてくることはあるのかもしれないが、「国際」経験者の移籍も見られる社内ではたいして問題視されていない)。ブランドを選んでタクシーに乗る人はどちらかと言えば少数派だが、若手のきびきびとした、女のコが乗ればまるで走るホストクラブ系ドライブ感覚をも味わえそうな面々までもが目撃されたKMの走りも悪くはない(三十代を迎えるあたりから他社に移る人も少なからず見られるとの話もあり、実際に国際から移ってきた若いながらも経験豊富な中堅のドライバーの話は興味深い)のだが、どちらかと言えば、都区内のタクシー(→多摩のタクシー、伊豆諸島のタクシー、千葉のタクシー、北海道のタクシーなど、地方毎に乗り心地も全く異なるのは面白い)に関して言うなら、「国際」以外の会社に於ける、穏やかなタイプのベテランの方が、どちらかと言えばシックで乗り心地の良いサービスを提供しているのは御承知の通り。品川区の大崎に、一般向けの一種免許取得教習所を開設していることでも知られる。ブランド・メゾンやシティホテルなど、あらゆるショップおよびスポット系ビジネスを含めた店舗スタッフ型ビジネスの中で、タクシー程にコンテンポラリーなイメージの強い業種は、航空会社あたりを除けば、意外にも少ない。大都市の中で移動しながら、割合快適にフィットネスでもしているような感覚の商売(ただし、旅客を輸送するだけに訓練も厳しい一方で、営業面での内実もまたシビア、らしい)だけに、ある種の趣味的な充実感は間違いなく得られる筈で、若干、お客のほうからやってきてくれるペイントハウス型の歩合制営業ビジネスの一面は強いものの、営業面での要領の良い人だったら、男女に関係なく、案外に悪くない公私共の生活が待っていることは、たぶん間違いのないことではあろう
EMB135小型ジェット旅客機および少人数路線向けプロペラ機バンデランテ [1][2] バンデランテは、以前、J‐AIRがジェットストリームだのCRJだのが就航させる以前の広島西飛行場(旧広島空港)に於いて、朝日航空が旅客便ダイヤに投入していた、国内ではかなりレアながら、一応与圧キャビンが与えられていたらしい噂の、コミューター旅客機。ネーミングがあまりにも昔の飛行機っぽいが、実際にはいまも世界中で現用されているコミューター路線向けエア・フリートである。現在は日本航空グループのJ‐AIRが大型ビジネスジェットのCRJの旅客機仕様を投入しているために、JAL国内線の発券所で手軽にチケットを購入できるようにもなっているあたり、東京・調布飛行場旅客ターミナルビル発着のドルニエ機に関しても、事前に大手エアラインのダイヤ上でフライトを確認したり、チケットを取れたりすれば、もっと気軽に、ジェットフォイル並の利用が可能になってくるように思われてしまう。尚、成田でも国内線ターミナル発着便に於いては、中日本エアライン(=NAL。名古屋資本で全日空系列のコミューター・エアライン)のフォッカー50および前述のJ‐AIRがCRJを運行していたりするなど、意外なローカル線用機材をチェックすることが可能
ホテル・メトロポリタン 池袋西口の、フランク・ロイド・ライト設計による自由学園明日館にも程近い、目玉的デラックス・シティホテル(→夏季限定営業の屋外プールこそ、池袋系のホテルではレアな存在であり、あの界隈では贅沢なお楽しみながらも、いかんせん会員制のジム等はない。ゆえに並級)。誰もが東武ホテルのチェーンだと信じ込んでいる節もみられるのだが、実際にはJR東日本系列のチェーン・ホテルのフラッグシップ・クラスの一つであり、トレンド・ライターであって海外視察のファーストクラス席上で大胆な行革を説いて歩いている長野県知事現職の田中康夫は、JR東日本グループをして"走る不動産屋"のニックネームで批判的に呼称している。室内プールが欲しい向きには練馬の一角にある西武鉄道系による「豊島園庭の湯」のバーデ・プールでも利用してもらうとして、ホテル・メトロポリタンといい、東京ステーションホテルといい、そこは現在に於いても変わらずに不倫メッカではありつづけている。東京ステーション・ホテルあたりは特に、人目を気にしている風の制服姿の事務系OLが、外へのおつかいのふりをして、制服のままに、オジサン上司もしくは取引先で知り合った相手との待ち合わせ場所であろう、デイタイム利用な時間帯のホテル内部へと吸い込まれていく赤裸々な姿が、FLEX-J Webmasterおよびニャンコ・ネイビーによって目撃されていたりする世界(ちなみに出張風俗には、まだ、制服姿のOLを派遣するサービスまでは確認されていない)、なのであったりする。ちなみに、西新宿では、本格的リクルート・スーツ姿の女子大生タイプが、フロントに寄らずにヒルトン東京のエレベーターに乗り込む姿が目撃されているが、リクルート・スーツ姿の女子大生タイプを送り込んでくる出張風俗に至っても、風俗情報誌等の上ではいまだ確認されていない
八重洲富士屋ホテル 池袋の有名な路線バス運行会社の系列が運営するホテル。実際の有用度に照らして図ってみても、東京駅エリアの一角にあり、ダブルルームの色調も良く、ホノルルのモアナ・サーフライダーホテルの物件オーナー(つまり、シェラトンのフランチャイズ)なのでもありリゾートホテル銘柄としては国内随一のランクにあるだけに、それが八重洲に還元されればこうなる、の表れ
ホテルプレジデント青山 青山一丁目の、ホンダ・ショウルームのすぐ裏手にある閑静なホテル。青山にあるホテルは「ウラク青山」を除けば数が限られるが、探せば見つかるものではある
第二航路海底トンネル [1][2] 臨海トンネルと一対になって羽田城南島から青海・台場を含む東東京のウォーターフロント側を結ぶ海のバイパス・ルートは、いよいよ羽田・城南島および青海・台場間が開通。横浜から川崎、そして羽田へ、神奈川県側から廻っていっても、羽田からは一気にヴィーナス・フォート前を抜けて、真っ直ぐ進行すればお台場海浜公園や球体展望室がある大坂万博風センス(→丹下健三氏の設計作品)のテレビ局に出る、台場の交差点へと出られるので、そこから千葉方面へは、一般道側を通ってもきわめて行きやすいルートが完成
明治通りぐるり調査 [主要交差点リスト][心霊スポット][ラーメン情報][江戸城(皇居)の外堀と八重洲][幻の環状3号線][山手通り散歩][とってもおしゃれな旧山手通り][ロケ・スポット][山手通り、目黒のラーメン屋情報] 普通自動車二種免許を取得して、タクシーなりハイヤーなりの営業運転に入る前に、トーキョーで営業するためには基本的に東京で免許を取って、タクシー団体による東京の地理試験を受けるのが定石との話は、営業免許教習所の教官および交通マニアックな面々があれこれ話してくれたりして、興味深いものでもある。都区内一般道路には、南北に走る幹線ルートがあり、東西に伸びる幹線ルートがあるのみならず、たとえば中原街道のような城南の一角だけを走っている道路があれば、いくつもの環状道路が走っていて、それらが都市工学的な意味合いに於いてもきっと、我々が普段考えている以上に、案外に有機的かつ合理的すなわちシステマティックの極地にあって構成されているようである。渋滞が多発しやすい点においてはドライバー人口爆発が、世界の主要都市が共通して抱える問題として、予測を大幅に上回って発生しているのであって、基本的には、都市としての東京は、江戸開府以来、街道や宿場の配置もよくよく考えられている上に、水運も盛んだったりしていたりなど、日本橋のたとえば横山町のような街ではないけれども、繊維産業の発展にも併せて、交通の発展に関しては或る意味きわめて、シルクロードのヨーロッパ側終点のヴェネツィア、フィレンツェ、ローマをも思わせる、実に長靴のかたちのイタリアの道路史にも酷似した、東洋版のイタリアっぽい一面を強く持っているのでもある。そして、そうした歴史ある日本それも大首都トーキョーの道路事情に於いて(が、古い歴史都市であるがゆえに、道路拡張および新路線の建設計画は非常に困難を極めているのも事実なのだが)、環状道路と東西南北を走る一本道との交差点が重要なポイントとして、東京に於ける道の流れを有機的にリードしていく上で、重視され、求められてくるとの話。実際の東京の環状道路は、内堀通りに外堀通り、三つ目通り+外苑東通りに外苑西通り、明治通りに山手通り、環七に環八など。そこに、縦横方向からの幾重もの道路が交差してくるのであり、具体的なスポットへのルートに於ける通行帯の走り方以前に、東京の道路交通の基礎としての、主要道路のあらまし、とりわけ環状線と縦横の主要路線を覚えながら、ルートごとに一通り走ってみたり、少なくともインターネットで概略を検索してみたりすることには、営業運転車以外でも、日々のスクーター・ランや車でのショッピングや移動、はたまたドライブ・デートに至るまでに於いて、大いに有用な知識になってくることには違いない筈なのではある
神戸屋レストラン 世の中には半端な廉価提供イメージ故に大衆に親しまれているファミレスは数多い。が、こちらは、東京ウエスト、しかも成城や浜田山など、ハイ・スタイル系女子大生やモデル、スッチー人気が高そうなお洒落な一帯にのみ店舗展開している、プレミアム・イメージのする高級ファミレス。何でまたファミレスなのか、しかも何故、ハイ・スタイル系の女性グループなどのカフェ・ダイニングと化しているのか、に関しては、電鉄本社よりは関連のタクシー会社の方がエリア別のタウンおよび顧客情報に精通しているにも似た、ベーカリー神戸屋が持つ、エリア・スタディに優れたイメージ展開および顧客戦略が、ベーカリーの世界からレストランの世界へと地道に結び付いていることを示してやまないものではあろう。実際の店舗を眺めてみれば一目で判然とするが、前述のような女性リピーターが日常の食事を優雅な感覚でとっていて、何ともさまになる、顧客プライド重視の方向性が、厳然と明確に打ち出されていて、しかも常識的なプライス(が、一食にファミレスで2、3千円かけることは、西伊豆のフローティング・レストラン・スカンジナビア或いはそごうの廻る屋上にあるような「ホテル・オークラのレストラン」のブッフェ或いはコースが、予算的にそれくらいの枠内に収まってしまうことから考えれば、それでも実に贅沢な時間には違いなく、仮にイタリアン・コーヒー一杯に軽いデザート、もしくはプレート系統のランチ一皿程度のやわな女性客であったにしても、神戸屋のブランド・イメージに鑑みても、そこに於いては十二分にプレミアムで贅沢感の或る大人な時間が提供されなければならない。予算的な制約はそこにあるにしても、「半端なことは最初からやらない方がまし」派は、とりわけ大人年齢の人々、それも東京ウエストおよびサウス・ウエスト方面の美しき努力家気質の女性達には、数多いのである)に納まった、何とも大人向きの憩いの場所に、2種免許路上練習車の教習生の目には、映り込んでくるのであった
練馬に出現したバーデプール+サウナおよび天然露天温泉の普通の人のための豪華施設を、独身生活を謳歌しているFLEX-J Webmasterが体験 [FLEX-J Webmasterコラム][オフィシャル・サイト] 豊島園庭の湯は、練馬にありながらもどこかスカンジナビア諸国的生活感覚がいつの間にか市民感覚(一般大衆)に還元され、ちゃっかりと豪華施設が普通の人々にあてがわれている、西武鉄道=プリンスホテル系列の"本格的大人路線"のプロトタイプ。下手をすれば単なる「健康ランド」になってしまうところを上手にセンス処理することで、第一級のトレンディ・スポットに仕上げることに成功している。西洋式リゾートスパの練馬版(練馬にしては日本庭園を囲む天然温泉だし、プールやサウナなどの設備も第一級の大人の観賞にも耐え得る豪華さ)は、蓄積疲労がとれる数少ない都市生活型スポットであり、たとえば羽田発着のスッチーなど、勤務時間が不規則で体を使う仕事に就いている向きにはきわめてお薦め。国際線配属でも月に何度かは国内線勤務が課されるらしきJALのスッチーあたりが普通の顔をして行ってしまったりするのは、クールであっていまどき的にコンテンポラリーなセンスというものである。FLEX-J Webmasterは、実は、サンシャインシティ・プリンスホテルの特別割引セットプランのおまけとして、入場券二枚を手にしていて、うち一枚を使ってきた訳であるが、思えば、サンシャインシティ・プリンスホテルの客室を訪ねてきた若妻兼元ANAスッチー嬢に、マキシム・ド・パリのチョコレートや花束に併せて、このチケットの残り一枚を提供しても良かったような気もするが、(月刊エアラインにもフライト・ルポが掲載されていた頃ならいざ知らず)既にスッチーを辞めた後に一枚だけ貰っても、あんまり意味のないチケットに違いない、と思い直しつつ、カップル向けに良くできたスポットなのだから、行きたければ表の世界で夫あたりと行ってきて欲しい、などと、少しスネ気味な老婆心が沸いてしまうのも、あまりにも悲しい話、なのには違いない
カーデッキを搭載した豪華客船、太平洋フェリーいしかりによる西暦2004年お正月沖縄クルーズ 様々な客筋が楽しみにしている初夢クルーズツアー・イベントとして既に有名な名鉄グループ(→全日空の株主グループの一翼を担っている中京圏財界の中核)の一角をなす優良旅客海運オペレーター会社、太平洋フェリーによるお正月目玉企画。お子様連れのファミリーや地味な格好のシップ・マニアック達の姿が気にならなければ、クルマやバイクごと乗船できる優良な入門クルーズとしても、またこのサイト上の企画としてFLEX-J Webmasterのほかにニャンコ・ネイビーのdolaさんも乗船している「太平洋フェリーいしかり仙台〜名古屋スィート・キャビン・クルージング & タラサ志摩全日空リゾート体験フォト日記」のコーナーでも紹介されている、あまりにも豪華客船な船内(陸上のホテルで言えば「横浜グランド・インターコンチネンタルホテル」級の内装を、世界最高級の豪華客船クリスタル・ハーモニーを手掛けた、三菱重工が、発注元の仕様要求に沿ってあてがった自信作)は、ポピュラリティを拒まず、が、紛れて旅慣れたカップルなアッパーミドル級以上が参加してみても思わず楽しい筈
2003F1世界選手権日本GP [フジテレビ公式サイト][観戦方法など] 世界最高のモーター・レースの"華"モナコGPでも知られるフォーミュラ・ワンのワールド・シリーズ戦。今回の日本ラウンドでは日本人ドライバーが復帰、世界チャンピオンやコンストラクター・ポイントを巡る争い、来シーズンに向けてのシート争いのみならず、鈴鹿スペシャル仕様のエンジンを持ち込むことが予想されるホンダおよびトヨタに於ける国産パワー・ユニット間でのシリアスであってコーポレーテッドなバトルにも熱い注目が集まる
フローティング・レストラン・スカンジナビアのメイン・ダイニングでは、お子ちゃまロシアンは船外につまみ出される羽目に… & 清水みなとに浮かぶジョンソン・アンド・ジョンソン財閥御曹司のプライベート・ヨット [清水みなと][soraも乗り込んだ北欧豪華客船][スカンジナビアはバイク野郎も注目のスポット] キャット・マリンコープのmac親分は伝説的なブラウンタビーであった。今回はお子ちゃまロシアンおよびチンチラくんなる子分達が、午後イチの清水みなとに集結。駅前に西友の建つ静岡県清水市だが、方向性としては「お台場のヴィーナスフォート」界隈および東京都中央区日本橋界隈もぶち上げる"ルネッサンス路線"を指向する港祭りを開催中していた清水みなとに於いては、ジョンソン・アンド・ジョンソン財閥御曹司のプライベート・ヨット歴のある豪華ヨットには気軽に公認乗船しながら、かつてのmacさんの子分として、立派に駿河湾の海およびウォーターフロント一帯での視察任務を果たす。そして御馴染み、フローティング・レストラン・スカンジナビアでは、いよいよメイン・ダイニングルームでの生バンド入りのディナー・コースバイキングに舌鼓み。プリンスホテル系列なので、首都圏からのデート・カップルの姿も見られ、普段は本格的コース料理も食べさせる、夢のような北欧製豪華客船を再利用した、海に浮かぶレストランであるのだが、潜入任務に不向きな、自己アピール型の性格の主である"お子ちゃまロシアン"soraは、自己顕示欲的な雄叫びを発したところをメイン・ダイニングルームの給仕職にとっつかまって、船外につまみ出される屈辱を味わわされるトホホな羽目に……
elite MODEL LOOK 2003 国内 & 世界大会 [オフィシャル・サイト][沖縄ブロック代表の横顔] 世界有数の名門モデル事務所"elite"が主催するファッションモデル希望者によるコンテスト。今年度の国内大会は既に終了(TBS系列の『ジャスト』でも紹介されていた)しており、世界大会がまさに今月すなわち10月上旬にシンガポールにて実施される、とのこと。モデルに関しては、少なくとも"elite級"のそれがなければ、プロのファッションモデルとしてはいまひとつ評価されにくい、との厳しい状況も。FLEX-J Webmasterの周りにいたモデル級の女達にしても、基本的に条件に見合っていた女性達なのではあるものの、先日FLEX-J Webmasterが成田空港関連展示施設「航空科学博物館」での国際線キャビン・アテンダント撮影会では、モデル歴の有無はともかくとして、基本的にモデル級が集められていたこともまた、まったく間違いががない。それにしても、モデルだのスッチーだののような女性に於いて、スッチーに関して言うなら、たとえば結婚、たとえば会社設立、たとえばキャピタル東急ホテルのレストラン・フロアでのフロア・アテンダント(→国際線スッチー歴のある女性しか就けない職種)への転職、勿論、エアライン勤務を続行するチョイスおよびスチュワーデス予備校講師およびソムリエ、タレントなどへの転身など、様々な「それから」に関する選択肢が用意されているようにも思われる。が、CA業務遂行に必要な体力が続かなかったり外資系などでは場合によってはリストラまでされるなどして、それからは流浪の人生を送っているような向きも少なくないとの話までも耳に入ってきたりしている始末ではあり、とりわけ長い目で将来を考えてみて、なんとなく不安が残る向きの方に関しては、(しゃれ、冗談の類いじゃなくて)たとえばFLEX-J Webmasterが、細々ではあれ、少なくとも自力で生きていけるように営業用旅客自動車運転免許の取得を目指しているようなことに関しては、たとえば特に限られた一握りの女性達からは若干群れを異にしているような元スッチー嬢に関しても、会社に入らなくても教習所などでも取得・練習できることからも、公共交通機関および旅行にも関連する「資格」の一つとして、案外に使える話なのではないか、などとも思われてしまったりしていたりする。また、たとえば叩き上げのような"青年実業家"な向きにしても、だいたい成功する企業が立ち上がるまでに2、3社の経営に失敗していたりする貴兄も珍しくなかったりすることからも、暗記物を覚えられたり、体が動くうちに(少なくともそれがあれば生きては行けるであろう、黄色やオレンジ色の"企業タクシー"のうちはタクシーチケットや法人筋に支えられての(一般的な結婚程度はできるらしいとの話はあるにはあるが)小童クラスの手取りでも、個人タクシー級にもなれば定年なしで月収50万円以上級は当たり前の)使える資格としての2種免許を取得しておくことをお薦めしておきたい気がする
銀座ダイアナ 女の子モノのシューズに於ける、いまどきの定番。しかも、有名女子大生だのスッチーだの良家子女だのの間で、意外な程に履かれていることは、御存知の通り。それ以前には寧ろ、銀座並木通り系統が好きなごく一部のブランド・マニアックで年齢層の高いミセスのお履物のイメージが強かった「フェラガモのシューズ」に附いては、だから、1990年代の若い女のコが履くには、かなり突飛な、マニアックなチョイスだったのかもしれない。だからといって、何てこともない話。そういえば、近頃、コンビニあたりからも「スイス・エミーのヨーグルト」のようなアッパーミドル・クラス・イメージのそれらが並ぶことがめっきりと少なくなり、いかにもマス・プロダクツな定番系だらけの様相を呈するようになっているのは、売れるものだけに集中して在庫調整を進めるなどの収益力向上を図っているにしても、選択肢の幅が狭くなることは、我々西側の市民層にとってはある意味敗北ではないか、の思いにも駆られなくもない。さて、本日(2003/10/09)は、FLEX-J Webmasterが、きわめて低い合格率で知られる普通2種免許(旅客営業用普通自動車免許)の学科試験に合格した日だったりする。今日、体調不良ながらも"3度目の正直"での受験にして、もしも今度こそペーパーテストに合格したら、今日に関してだけは病み上がりで心細く、会社を休んでいる日における受験の随伴者であるところのニャンコ空軍のdolaさんを、先日の京成スカイライナーに乗車させて成田空港第一ターミナルの見学デッキに連れて行くことをなんとなくニャンコ語で約束したところ、無事合格したため、試験終了後の足で、京成上野駅から改めて成田空港特急スカイライナーの出発進行の時を迎えるに至る。そして、帰途に於いて、明らかに京成線の一般通勤特急の利用組が多い成田空港駅(第一ターミナル駅)で、なんとなくスッチーのスケジュール表のようなものを開いて眺めていた女のコが肩から提げていた紙袋が、『銀座ダイアナ』だったと言う訳。だいぶ以前にホテルで会ったハイクラス家事手伝い令嬢の女のコも、やっぱり履いていたために、今回着目された次第。京成スカイライナーに関しては、リクライニング・シートを寝かせながら足の置き場をセットしてゆったりと乗っている限りは、京急線共々の世界標準軌の採用で知られる京成線の線路の上で、元々庶民の足として知られてきた京成電車(青緑電車が走っていた頃の京成電車は懐かしい)だけに若干線路の下でナマズが揺れているような車内でも、料金が安い割には快適空間があてがわれていて、苦心している印象はもたれた(ちなみに、世界標準軌の電車でもっとも乗り心地の上で快適なのは、イギリスのユーロスターもしくは日本の新幹線であり、TGVは次点クラス。速いのに快適な点は、さすが)。アッパーミドル層における消費動向自体は、企業業績の回復が勝ち組に於いては顕著に見られたり、スモール・ラグジュアリー・ホテルが流行ったりもしている現状は見られながらも、一方では賃金カットやリストラが行なわれたり、スッチーも大半は時給制だったりするような、全体としての盛り上がりには欠ける、こんな、良かれ悪しかれ"プライムミニスター小泉"な時代にも、国際空港「成田」の展望デッキから眺められる夜景は、あまりにも珠玉なのでもある。成田空港駅を降りたら、運転免許証を提示して「見学者」である旨を口にすれば、特になんということもなく空港ビル内に立ち入ることは(今月の12日を避ければ)可能。シートに座ってくつろげるような無料のラウンジ・スペースにしても(少ないながらも)確保されていたり、レストランやショップ類があったり、朝から陣取れば世界中からの飛来機に接することもできる。スッチーになりたければ、スチュワーデス予備校(民間の専門学校)に通い、NHKの英語講座のテキストを猛勉強して、若干世界や国内の情勢について語れるくらいに詳しくなったり、美容やフィニッシングにも気を配り、姿勢や表情を良くして普段から過ごしていれば、いつのまにやら新人スッチーとして巣立っていける日も遠くはない筈だが、いかんせん、いまどきのスッチーは、仕事に於ける遣り甲斐はともかくとして、収入的にはかなり苦しいこともあり、京成線の通勤型電車に乗っているコがかなりいる、の話もまた、事実の様相をいっそう濃くし続けているかのよう、なのでもある
ザ・ギンザ [1][2] 資生堂が経営するブティック。本店は勿論、東京都中央区銀座にある。伊勢丹新宿本店にも匹敵して、ファッション性が極めて高いスポットだが、国産コスメティック・メーカーの系列なので気取りは無く、以前はあの田中康夫の姿を眺めることがしばしば出来たほか、素のスッチーやモデルの姿に出逢うことができる確率も低くはない
トヨタ・クルーガー 昔流行った「ハイラックス・サーフ」を、マークUグレードの腰高SUVにしたような、いかにもトヨタ・ブランド的味つけによる、いまどきの車種。1990年代のそれらとは違う、基本的にはヨーロピアン・ブランドによるSUVに対抗することを意識してか、「マークU」というよりはSUV版の「ウィンダム」なイメージ。なんとなくくつろげそうにないイメージのアッパーミドル系ハードトップの「ウィンダム」よりは、圧倒的に垢抜けしていてこなれている「マークU」の方が、現在でもサルーン系な、大人っぽいラグジュアリー風快適デートには向いているように気がするので、クルマは必ずしも出せばいいというものでもないようにも思われなくもないが、必ずしも嫌いなコンセプトのそれとは言えず、相手(♀。基本的に恋人もしくは配偶者)さえOKを出せば、チョイスとしては問題はなさそうにも思われたりするが、立教大学(セントポール)に於ける1990年代前半型までの"年式"の女子には、根本的にせめてランドローバー、もしくはチェロキーのようなインポート系によるそれでなければ、相手にはされにくい気がする。が、通常、(歩く時の"足取りパターン"に関して「スタコラサッサ(JAL系っぽい足取り)」「シッポ巻いてお家に帰りたい(ANA)」「今日は女性自身の発売日だったっけ(JAS)」などのそれらで知られているような)実際のスッチー達がデートするような普通の堅気の若手中堅サラリーマン(→勿論、一昔前だった田中康夫と熱心に付き合っていたようなタイプにスッチーのイメージが凝縮されていたような頃もあったりはしたが、近頃はPGの二字が記されないため、あの界隈がどういうことになっているのかについてはの詳細に附いては不明)は、となれば、むしろこういう、地味目ながらも「トヨタっぽい快適装備」に埋め尽くされたようなクルマ、もしくはヤマハのオートバイにタンデムしながらかっ飛んでいくような、粋で適当にボーイッシュでスポーティ、きびきびと合理的な普段着リアル的パターンが、案外にインなのかもしれない、ような気にはさせられなくもない
日本の自動車評論家達による試乗記シリーズ 「レガシィ6」「アウディA3」などの最新人気車種に関する、国内の自動車評論家達による誌上記をネット上で読める企画
JR成田エクスプレスと、成田空港発着の総武快速・横須賀線 本籍が東京都文京区湯島にある大名の孫娘であり、広尾の聖心女子大学を卒業、美智子皇后の学習指南役のような仕事で宮中にお呼ばれしていたこともあり、『11PM』だかのアイルランド紹介特集にも出演、横浜、逗子、そして船橋に住む場所があったアイルランド語(ゲール語)言語学者の祖母は、外国の言語学会に頻繁に出席するため、まだ国鉄の成田駅発着のシャトルバスで空港との間を往復していた頃から、成田発着の総武快速・横須賀線を利用していた人である。そう、ナリタ発着の総武快速・横須賀線は、「津田沼・船橋」「横浜」「逗子」のすべてに停車、また都心の勤務先である大学キャンパス(日本大学藝術学部でも一般教養の英語を教えていたことがある)に向かう時には、品川もしくは東京で乗り換えれば良いことから、東京駅までだったら割合に移動時間も短くスムーズな総武快速・横須賀線の電車は非常に有用であったようだ。通勤型電車による快速運転は、専用特急型車輌の運行電車に較べれば、おのぼりさんニーズを満たすものには乏しいかもしれないが、生活に密着している意味からも、空港アクセスとしてもむしろコンテンポラリーでハイ・センスなニーズに供されるべきそれ、なのかもしれない。しかも祖母は日本橋三越や大丸東京店(オリジナルだかの、小さなガラス棚つきであり、いい感じでビジネス家具っぽくもあり、尚且つセレブの書庫向けとしてのセンスも良かった組立式書架ラックを随分と祖母は大丸東京店に配送して貰っていた時の様子を孫のFLEX-J Webmasterも、よく覚えている)で買物をする人だったことから、少なくとも祖母のような、高齢者でありながらも元気で意欲的でアクティヴな都市生活を送っていた戦後初期・中期型コンテンポラリー・ライフの体現者には好適な路線だったことには違いがなさそうである。FLEX-J Webmasterは、割合にペットのような動物の飼育に興味があったため、上野動物園がセルフ・メジャーなスポット(→ただし、何故かいまもって実物のジャイアントパンダを一度も見たことがない)だったり、割合に親会社の京成電鉄に対しては独自色を採りたがったり色々なコメントを漏らしているような印象の新京成電鉄の沿線住人(→というよりは、祖母の船橋の家に、両親が同居[一部、親側でも家の購入費用を分担との話]していた)ことから、京成系の電車にはまだ青い電車が走っていた頃からある種独特な親しみを感じていたこともあり、京成スカイライナーの苦闘物語にはずっと応援的な立場を採っていたことも、今思い出しても然程昔の話には思われない程、記憶ははっきりとしていたりもして、ゆえに、停車駅数は増える京成線の通勤型特急、或いは京急や都営浅草線との三社乗り入れ運転によるエアポート快特にも、総武快速・横須賀線に匹敵する利便性を感じさせられている次第、なのでもある。お金だけはスッチーよりもずっと稼いでいる、大宮に実家がある銀座系クラブホステス(→本人を"厳しく取り調べた結果"として判明した話だが、それ以前からしばしば同伴デートっぽい現場には遭遇させられているので薄々感づいていた)の場合には、大宮行の成田エクスプレス(NEX)ダイヤを調べつつ、躊躇いも無くJR側の電車を選んでいたようにも思われる
マクドナルドのホットアップルパイとマックのおもちゃ [1][2] マクドナルドのマイナー人気メニュー"ホットアップルパイ"は、マクドナルドの単品デザートではありながらも、評価できる質感の高い、シックながらもパリパリと意外な程ジューシーなテイストであり、いかにも一流ファストフード世界ブランドの礎石マクドナルドらしいペーパーカップ入りのコーヒーやアイスティーに併せて、おやつとして口にしてみるのは、ほかのマック愛好者達の群れに対して、或る程度のアッパー・ミドル基準を満たし得る、実のあるお洒落で楽しい時間になる筈。また、マックのおもちゃに関しては、昔からおもちゃといわず紙ワッペンシールなどの記念品をマクドナルドはいろいろと用意していて、とりわけ子供が好む種類の景品、或いは販売用グッズには熱心な企業であり、おもちゃに関しても、意外にも趣味の良いハイセンス優等生的センスの片鱗を感じさせるものはある
京成スカイライナーは、最もリーズナヴルな成田空港ラグジュアリー特急 首都圏では珍しい、世界標準軌による座席指定制本格的特急電車。成田空港から日本橋、品川方面経由で羽田空港まで直通する「エアポート快特」などの通勤特急との違いは、言うまでもなく運行にあたってラグジュアリー仕様の特急専用車輌を投入、停車駅もJR山手線と接続する「日暮里」と「京成成田」のほかには、都区内側発着地点の「京成上野」のほか、成田空港の二つのターミナル直結地下駅にしか停車しない、また、羽田空港方面行きには投入されていないなどの特徴的な点。世界標準軌を採用している特急だが、京成線の場合には、たとえば関西方面の近鉄特急などとは異なり、言われなければ気づかないと思われるので記せば、車輌開発の経験不足からか乗り心地重視とは言えず、或る意味大柄なお尻を振っていたり足回りのバネが洗練されていなかったりの良かれ悪しかれダックテールな感覚があったり、空調や振動対策がいまいちだったりするので、風邪を引いていなくても頭や首筋に違和感が残ったりするような一面が見られること。いまどきの民営公共交通機関に於ける陸路の雄、私鉄会社の場合は、概して組合ベースが力を持っていて、経営者も入れ替わりの激しいサラリーマンだったりするため、サービスへの批評には寛容だったりするので、率直な意見を示しやすいのはいいのだが、たぶん、スカイライナー型車輌に関しては、利用者の声の反応がいまいちどころか無声状態のままにきてしまっていたりするためなのであろう。むしろ、乗り心地に関しては、通勤型の方がましな位だが、時間がかかったり、停車駅がいくつもあったり、リピーターならいざ知らず、晴れがましい気分でフルムーン気分での海外旅行に出発する組や、スカイライナーのリピーター利用者として知られ、あの田中康夫との長きに渡る交際で知られたJALのベテランスッチー嬢のような私生活傾向の或るような向きには、如かしてスカイライナーのような、賑やかで庶民的な下町世界(上野も、ヤングの街として独特の活気を示している街であり、案外に若者の姿も見かけられる。丸井がメッカな状態は現在も変わっていない)の地下ホームから発着するような、それゆえにいっそうスノッブな印象の持たれる座席指定で割安感(→割安感のためか犠牲にされている点も少なくない)もあるラグジュアリー特急は、むしろ好ましい、少しだけ余裕を知る大人のリーズナヴル・チョイスとしては、まあまあなイメージがあるのも確かなのではあり、先日は学科試験対策の勉強時間確保の為に乗車して車内学習に励んだりしていたのだが、空港ターミナルに降り立ってからの気分は、ラグジュアリー特急クラスだけに、すこぶる宜しい。近鉄特急あたりを取材して、より日本的な快適性を深めて欲しいものである。尚、日本の新幹線と言わず、仏蘭西超特急のTGV(→空調は然程悪くないが、意外にも乗り心地に関しては快適感に若干乏しく、車窓風景も退屈気味)にも、スカイライナーに共通する、乗っていて、時間がたつほどにうんざりさせられるような倦怠感が見られたりするのは、成田方面の広大な田園地帯やパリを思わせる古い東京の下町の雑居ビル街感覚が、奇妙に一致しているからにほかならず、歴史的にもほとんど共通する、まだまだ若いエクスプレスであることまでもが共通しているからであろう
東京の空の下、どちらかと言えばヨーロッパ主要都市圏の近代的再開発ブロック側のような、タワーホテル・ビューを愉しむ午後 眺望抜群なセカンド・ライン・シティホテルで知られるサンシャインシティ・プリンスホテルからの眺めを再録、しかもメガピクセル画像のスケールにて、新宿・渋谷・六本木側を一望。双眼鏡必携ビューは、勿論、サンシャイン60展望台からもしっかりと眺められる
東京湾フェリーにチンチラくんとお子チャマロシアンが乗船。愛のハーバー・リゾート横浜では、Hなコンテンポラリー純愛こそが、カッコイイ FLEX-J Webmasterと、"伝説のブラウンタビー"macさんの子分的存在、チンチラ・ゴールデンのファラちゃまとお子チャマロシアンのsoraちゃまのチーム・コンビが、秋の東京湾フェリーに乗船。通常、キャット・マリンコープおよびニャンコ・ネイビーでは、東京湾フェリー浦賀水道視察クルーズを年間の初任務として元旦に実施しているのだが、今回は機動モノ、とりわけ船好きのお子チャマロシアンやチンチラくんが大騒ぎしすぎていたため、秋口の1セットが追加的に組まれる形に。日曜日午後の横浜山下公園前および中華街一帯では、いつまで続くかわからないお試しステディ交際中のような若い男女組が、様々なヨコハマ的純愛風景を映し出していて、印象的。交際する男女がステディであることを最高の価値に見なす、東京から最も近いハーバーリゾート都市に於ける、現実と幻影の境目に於ける曖昧な輪郭線を見極めようとする、FLEX-J Webmasterによるカメラワークが、今回は結構光っているのであった
サンペルグリノ [1][2][3] サンぺルグリーニョの呼称で、三浦半島の米軍の廃虚的飛行場跡地探訪や海岸線巡りデート・ピクニックに持参すべし、と、『田中康夫のステディデート案内』にも紹介されていた、イタリアでは"ウリベート"と並んで一般的な、スパークリング・ミネラルウォーター。炭酸の泡が出るミネラルウォーターは、よく冷やして飲むと、爽快感を味わうことができて、喉越しも良く、頭痛薬や胃薬を飲むときにも気分を明るくしてくれる。以前はカゴメが輸入していたものが、現在はネスレ日本が代理店になり、サンペルグリノの呼び名で再び本格輸入され始めている。武蔵小金井駅前の長崎屋の地階にある東急ストアにて取り扱っているアイテムとして、本日既にFLEX-J Webmasterはそれを試験場への持参に於いて愛飲
横須賀プリンスホテル 横須賀は、古くは日本海海戦の際の戦艦三笠が近代戦に於けるほとんど唯一の勝ち組的モニュメントとして保存されているような軍港の街。現在は、国道16号線沿いにゲートがあるアメリカ海軍横須賀基地が中心になって、日本国内的アメカジそしてクラブの巣窟、ドブ板通りが走る、アメリカナイズされた、三浦半島の一角に位置する京急線沿線の街である。三浦半島のリゾートホテルといえば、思い出されるのは以前にも紹介しているホテル音羽の森そして観音崎京急ホテルだったりするのだが、横須賀の軍港を見下ろすタワーホテルのハーバービューに恵まれれば、たとえばアメリカ本国以外には横須賀にしか母港がないアメリカ海軍戦略空母が入港の際など、きわめて特異ながらも異国ムードたっぷりな、ある種わたせせいぞう氏のイラストレーテッドな淡いストーリーのロケーションをも彷彿とさせながらもある種報道的なシーンをじっくりと見物することも可能。戦争には反対でも、アメリカ軍人の多くは戦時下にあっても個人的発言としてブッシュ政権の姿勢に疑問を表すことを忘れない人々(→米軍ではある程度、兵員が最高司令官の政策に口を挟むことが認められているシビリアン・コントロール状態にあるようだ)なのには、戦争の悲惨さを思うにつれ、複雑な感情を抱かざるを得ないのも確か。以前に、立教大学の先輩、徳光氏が、ほかのキャスト陣と共に番組でこのホテルを訪れていたが、夜景も良い
セルリアンタワー東急ホテルに於けるレストランおよびラウンジは数、種類共にバラエティ豊か 渋谷246沿いにあるセルリアンタワー東急ホテルは、名実共に、パン・パシフィック・ホテルのバンクーバー辺りの海外拠点にも匹敵する、ハイグレードなラグジュアリー・ホテル。横浜での舟遊び(豪華客船ぱしふぃっくびいなすおよびにっぽん丸での船上ランチ・ディナーおよびクルーズ説明会だの市民NPO帆船クルーズ海星号だのマリーン・シャトルのファーストクラス船室クルージングだのから、東急東横線を経由して山手線ルートで戻ろうとしつつ、途中序に表参道でも歩いていこう、とのニャンコ・ネイビーのdolaさん的発想で行ってみるような時が、過去にあった)の帰りに、なんとなく東急線を降りると足が自然に向いてしまう大人っぽいスポットである。ここには「40階タワーズ・レストラン」「40階タワーズ・バー」「料亭」「日本料理店」「チャイニーズ・レストラン」「イタリアン・レストラン」「ダイニング・カフェ」「ジャズ・クラブ"ジェージーブラッド・サウンド・オブ・トーキョー"」「ガーデン・ラウンジ」など、パーク・ハイアット東京を大いに上回るバラエティぶりを誇るものがあり、ほかにも能楽堂があったり、プール付のジムは当然として、ハイセンスなセレクト・ショップ、エステティック・サロン、シガーショップ、美容室、ティースケア・サロン、それから特筆すべきこととしてキッズ・ルームなども設けられていたりする、本格的なUKコンテンポラリー・ハイ・ライフ系統スポットの基準に見事に合致するパッケージングが実現されている。東急ホテル系列には良かれ悪しかれ源氏物語に通じる王朝センスのテーマ性を色濃く感じさせられるが、キャピトル東急ホテルを永田町だけに若干スキャンダラスなイメージもある、赤坂側からは山の頂きのハイクラス宮殿(日本庭園に面して、ニューヨーク・グリル級の予算を要求されるレストラン・フロアのハイ・センスに接する限りでは、国民側の生活にこれだけのものが存在するのか、の、よい意味での意外性および驚きにも接することができるが、何よりも処理が自然なので、嫌な意味でのハイ・クラス・マニアのような上滑りな心理状態からも自然に離れながら、穏やかな気持ちで、通常の三食は勿論、デートや会食にも臨むことができるのは嬉しい)の印象だとすれば、セルリアンタワー東急ホテルの世界は、文字通りのホテル版トランプタワーなのであり、限りなくアッパー・レジデンス・スタイルに共鳴する、いまどきのハイ・スタイル・ライフ・イメージの塔であり、たとえばヨーロッパの王族がニューヨークに所有するレジデンスに於ける、コンテンポラリー寄りでの彼らにおける普段の姿を端的に示している。勿論、実際の欧州のロイヤル・ファミリーが、パークハイアット東京とセルリアンタワー東急ホテルのどちらのセンスをより好むかは、まったくもってわからないところでもあるが、地上のQM2(→イギリスに於いて間もなく就航する、史上最大の豪華客船であり、有名なQE2にとっての後輩僚船)としての仕上がりぶりでは、どちらでミッドナイト・クルーズしてみても遜色のない(→ただし、さすがに米系だけあって、パーク・ハイアットの方が、勿論プリンセス・クルーズのような生粋の英国系ラグジュアリー客船には近い。東急のそれは、良かれ悪しかれ、いにしえのキャピトル東急ホテルをそのままタワー・ホテルにしてしまった印象であることを否めず、故プリンセス・ダイアナ・フリークな印象はあっても、どちらかと言えば古風でトラディショナルな鎌倉文化的なコンテンポラリーなのであって、リゾートというよりはヨーロッパ本国で欧州の王族が積極的な社交を繰り広げる会場の印象であり、かつてうちにいたお洒落な人気者猫、キャット・マリンコープのmacさんが求めているようなきめの細かなインターナショナルなハイ・ファッション性はともかくとして、ゴージャスな洒脱感に関しては、パーク・ハイアット東京の方が若干リードしている印象もあり、"地上の豪華客船"である豪華ホテルに関しては重厚長大なもののほうがより高い評価を受けやすい、の公理が、そこでも成り立ってくるようだ)、しかもブランド力のある東急ホテルのフラッグシップ・クラスの一つだけに、そこに宿泊することはまったく何らの妥協イメージやマイナス評価を感じさせない、実質パーク・ハイアット東京と同等クラスか、よりハイ・ベクトルゆえにコアで近づきにくい印象のある渋谷源氏山および品川五山、そして"ロシアン山"(青山)〜表参道或いは六本木ヒルズが賑わう渋谷のお隣港区・世田谷区・目黒区・大田区を囲む城南エリア(千代田区に関しては、キャピトル東急ホテルが、より源氏物語的王朝文化の今日的様式イメージでのサービスを展開)を、それを好む横浜や千葉(にしても、千葉や船橋のコは、多分、セルリアンタワーよりもパークを好む筈)、松戸・柏・取手、埼玉、東東京、或いはパーク・ハイアット東京にイメージが収斂されやすい新宿通勤圏の東京ウエスト方面に住まう高級ホテル・マニアックへの訴求力にもあふれた、外国のそれじゃなしに東京に於ける、格別に宣伝をしなくてもファンの多い東急的なる洒脱(→とりわけ、キャピトル東急ホテルの地下パーキングではとりわけ横浜ナンバーの高級輸入車が目立っていたが、ほかにも足立ナンバーのクルマまでがあって、乗り入れ電車を含めた東急線が走る沿線に於ける熱心な東急ファンがそれらの方面にこそ多いことが示されている)を求めている向きに於いては、(大昔には、東急に吸収されていたこともある)かつて目に見える形でのタイアップが見られていた小田急がいまなお招聘しているようにも見えるパーク・ハイアット東京じゃなくて、むしろ東急グループがイメージする(単なるハイ・ファッション・ミーハーとは異なる)高尚な文化的タワー・ホテル拠点が実現しているとされるセルリアンタワー東急ホテルのほうがむしろ城南プレミアムなイメージとしては高いようにも思われてならない。それが証拠に、少なくとも、ホテル内のレストランについてはキャピトル東急ホテルの館内にあるそれがパーク・ハイアット東京マニアックに高く評価されているのに加えて、ホテルの館内に能楽堂を併設する設備については、セルリアンタワー東急ホテル以外にはあまり見聞きしたことがないことも、また、確かなのではある。それから、東急ホテルの場合には、室内インテリアに若干西武系列のプリンスホテルを思わせるレイアウトがあっても、それは、実際に眺めるとしっかりと東急のそれとして完全に消化されている一卵性他人のような存在であり、プリンスホテルでは具合が宜しくない向きでもしっかりとすべてが高い極みに於いてクリアできる、城南的なる大人の起承転結がしっかりと描き出されている意味でも、東急色を愛する向きには一度足を運んでみる価値を感じさせる、忘れられがちなラグジュアリー・ホテルタワーであることには、まったく間違いがない
赤坂トゥーランドットの料理長に訊く まだキャピトル東急ホテルがヒルトンホテルだった頃から経験を積み、キャピトルを経て、立川のリーセントパークホテルを経て横浜のパン・パシフィックホテルへ、そして現職、の経歴の主である料理長へのインタビュー・ページ。中華とは何か、を端的に紹介。女性の中にはまだ、中華って男っぽすぎて苦手の印象を持っている向きがあるかもしれない。そんな向きには、まずもって柏そごうの"回る展望階"にあって、ホテル・オークラが経営する中華の、ティータイム時の、点心にさっぱり系の美味なる麺がついた、点心セット(一千五百円くらい)あたりから再びオーダーしてみることをお薦め。食材を集中的に下ごしらえするセンターを介する方式でプライス・オフに成功しているホテル・オークラ系の支店レストランだけあって、リーズナヴルながらも、内容は高級だし一流ホテルの味、しかも女性向きの分量のハイ・ファッション・イメージは、さすがにデパートの中にあるホテル・レストランだけのことはある。昔は現在よりもゴージャス感が強かったそごうだが、現在眺めても見るべき価値はかなりある印象。近隣の高島屋とセットで、実際の日常生活をブラッシュ・アップしていくための流通基地として活用するのが、ベッドタウン・デパートの正しい使い方。デパート常連のおしゃべりな年配主婦達の中に混じって、実は若い買い物客タイプ女性向きのお洒落な回るレストランで、なんとなくセレブっぽい味の体験をしてみれば、きっと、中華に対する見方も変わってくる筈
トーキョー随一の高級ラブホテル・リゾート地帯は、渋谷 [@カップルズホテルぴあ][渋谷ホテル旅館組合] かつては大坂上に国内DCブランドのビギが経営していたラブホテル「1983」が存在していたりする山の手城南側メッカ、渋谷。ここの利用筋は、圧倒的に学生などのヤング・カップルそしてホテトル系ユーザーのような様相ながら、昔は大人のカップルが109前で待ち合わせていたものである。OLの多い新宿・歌舞伎町および大塚、それから鶯谷あたりは、ホテトル嬢にしても専業の人よりは昼間はOLだったりする人が少なくないところとの情報有。大学生は、医歯学系のアッパーミドル以上級でも日頃シティホテルを使える向きは意外にも少なく(研修医期間を過ぎない間は、それほど本業で得られる実入りはきわめて少ない)、クルマはハイクラス・インポートカーをあてがわれていた1980年代に於ける彼等にしても、Hは短大生や女子大のコをドライブ中にラブホに連れ込んでラブ・アフェアなる事に及ぶケースが、若くしてシティホテル派のコよりは多数派を占めていた筈である。シティホテルがある面純愛の証のようであったのは、立教大学のような、ある意味、現実的なカネや打算が絡まない相手とは純愛であってもセックスしない背徳体質に溺れ過ぎる1980年代〜1994年的傾向の顕著な持ち主として、遊ぶにもお金がらみをどちらかと言えば嗜好しながら、女性が早くからみだりにOL意識化してしまいがちなミッション系の四年制大学女子の体質が、結婚願望が強すぎ、社会人との交際率の高さを誇っていたことにも見られていたからなのかもしれず、彼女たちの会話の中でも、シティホテルで開催される結婚式などのイベント関係への出席だのデートだのの経験は、遥かに高い位置付けに置かれていたことは、確かであり、FLEX-J Webmaster的には、学内女子からの眼差しには強いOL意識的なる視姦感覚こそ感じたり、或いは異様に内気で潔癖な場合(→処女性を"売り"に、結婚市場に於ける高値での"身売り"を潜在的、或いは自覚的に意図しているケースが大半)をも含めて、学内の女子が本気で学内の男子学生を本気の結婚パートナー候補のような形での異性に見なしていた実例をほとんど見たことが無く、彼女達にはすなわち青田買い能力が無きに等しく、完成品のような大人の男性にしか身体を開かない向きが大半であり、すなわち、"お金が絡む男とは寝る"高級ホテトル嬢体質の最たる本能的側面が、見え隠れしていた。そして、それにしては、彼女達にはそれぞれに於ける恋愛マーケティング能力に乏しい一面が見られ、いわゆるエグゼクティヴだの高額所得者だのと結び付こうとする意欲が希薄であり、英語力を生かして来日外人エグゼクティヴのようなジェントルマンへの触手を伸ばそうにもほとんどの場合沈没してしまったり、卒業後の出逢いやお見合い話にも然程には恵まれず、それゆえに婚期を逃していたり、親には内緒で卒業後に本当に高級ホテトル嬢だの銀座系クラブホステスだのの道へはまっていく女達までもが実際に目撃されていたりする。それゆえ、FLEX-J Webmasterは、FLEX-J Webmaster向きのデート市場の中を感覚的に、丹念に探し出しながら、自らをあらためてはめ込んでいく作業が求められ、学内にも数人確かめられたFLEX-J Webmasterとの交際希望女子とのカップリングが、学内に於けるカップル・ペア成就困難な空気の中で押し流されるような形になりながら、意外にも昔からのくだりで外では現役スチュワーデスやOL、ほかの学校の女子大生との交際がいくつか見られたりしていた。FLEX-J Webmasterにも似て大学時代にはモテなかったプロのデート達人、田中康夫のケースにも比類されるが如く、な有様ではあったのだが、勿論、学内の男子学生側にも問題がなかったなどと思ってはいない。少なくとも当時のリツジョに対しては、君のことが好きだから、一緒にラブホへ行きたい、などと言い出せば、剣もほろろな冷たい対応が帰ってくるような増長ぶりは、彼女達に於いては実に顕著であったような気がするか、或いは(Hなどしてしまったら口の軽いイメージの男の子達だからいやおうなく学内の噂に出るに決まっているかのような先入観があるためか)ラブホには、少なくとも大学関係者には知られずにこっそりとしたプライベートとして行きたいなどと願っているような、外への憧れの強いコが少なくなかったりしていたのは、人間を縁組する互助会機能がかの学内ではまったく機能していなかったことを示しているのにほかならない。色々と美味しくおごってくれたりする社会人などの彼氏とはラブホテルへ行く間柄の女子の場合にも、シティホテルだの大人とのセックス経験への傾倒ぶりは強く、それゆえに彼氏の目の届かない場所では登録制アルバイトとしての出張嬢を内緒でしていたりするケースも見られなくは無かった模様。逆にいうと、変な話だが、「デリバリー・へルス」が営業しているエリアのラブホテルは、基本的にはお一人様でも利用できる仕組みになっている訳でもあり、通常のビジネスホテルの代替および時間貸しによる手軽な"秘密"のパーティ・ルームとしても、Hビデオのビデオ上映やカラオケ、広いバスルームに豪華な洗面台なども揃ったルームでの一時は、いまどきのデリヘル嬢(デリバリー・ヘルスは基本的に挿入抜きのHなマッサージ・サービス業。高級VIPクラブの場合には、デリヘルとは一線を画する、いわゆる高級ホテトルのカテゴリに分類され、共に無店舗型風俗業として警察署への届け出を義務付けられている)を呼ぶ呼ばないは別として、ある意味、興味深い世界かもしれない。ちなみに「渋谷ホテル旅館組合」は、渋谷界隈のラブホテル・和風連れ込み宿のギルドであって、シティホテルは加盟していない組織
ポストMacブーム時代に於ける、アキハバラを巡るキーワード [アソビットシティ][あの伊勢丹の発祥の地][怪しい歩行者天国][中央通の蒲鉾屋][超高級高層マンション建設中] 「秋葉原」をめぐるトピックとして、マックに始まるウィンドウとアイコンによるクリック制御によるパーソナル・ユースのハイスタイル・コンピュータが出現してから、インターネット・ブームを経て、ウィンドウズのヴァージョン・アップ・ブームに至るまでの一連の流れが、この街に、とりわけ女性層にまで浸透するポピュラーないまどき的認知をもたらすきっかけになったことは、記憶にも新しい。が、現在のアキバの最も力のある"目玉"は、アイドルおたく系統などの形で位置付けられるような、写真集にゲーム、動画モノなどの各種の媒体類。女性アイドルの"売り出し"の上では、一般テレビ視聴車層(若者・オジサン・およびテレビ好き女性層)人気のほかに、(時々、厄介なタイプの似非ファン的ストーカータイプなども出現しやすい事実については当のアイドル系おたくの間でもきっと否定しようがないのだろうが、趣味系のお楽しみ本だったら何でも揃っていて、秋葉原店もオープンして既に久しい、神田神保町の名物"書泉ブックマート"あたりへ行ってみたり、イベントをウォッチングしたりして、コミケ・フリークのような子達を眺めても、女の子達でもあっけらかんとしていたり、アイドル番組の司会者風だったりして、いわゆる昔のネクラっぽい子達が発していたようなある種の異様さのようなものは微塵も無く、悪印象は全く受けなかった)根強い支持母体然とした購買層をなしている秋葉原おたく青少年層間に於ける人気が初期・中期にはモノを言う現象については、リアルタイムに於ける1990年代のインターネット・ブームに於けるアイドル事情に接する限りに於いては、確かな話。JRの常磐快速線の発着ターミナル上野はそれ自体が美術館メッカ(日本に於けるル・コルビジェ唯一の建築作品が、東京国立西洋美術館とのこと)だったり、フロントおよび客室係のパートタイマーのささやかな収入源でもあるところのラブ・ホテル群が林立する、大塚とも並ぶ穏やか系デリヘル・メッカの鶯谷、そして世界のデジタル・バザール秋葉原と、確かに、いかにもな東京名物であるマニアックな機能性タウンが、そこかしこに点在しているのも確かには違いない。そんな、秋葉原のアイドルおたく少年達に薦められるのが、実は場末のイメクラのような場所。ヘルスになるといきなり大人の世界になってしまうのだが、場末のイメクラは、明らかに秋葉原系アイドルおたく青少年達の、最初のおたくエロ系関所に相応しいスポット。FLEX-J Webmasterのような独身オジサンな年齢層になってくると、有料に於けるそれを利用するにしても"大人のお付き合い"が保証されていないサービスに"コール"しようとは思わないが、アイドル・オタク系の場合には、むしろいっそう若いアイドル系の女の子達による、挿入なしのヘルス・プレスをこそむしろ好む傾向があることは、場末のイメクラあたりに行ってみるほどに納得されてくる。国内最高峰渋谷のイメクラでは、イメクラ嬢といえどもテクニックに於いて洗練された超一流を求められるが、場末の街のイメクラやヘルスになるにしたがって、テクニックは杜撰に、実はまだ処女だったりするコまでもが混じっていたりするであろう、ペニスを受け入れたヴァギナの受難で繊細な粘膜的内璧感覚がわかっていなかったりして、変に高飛車な女性マイナー・アイドル系の手荒なチ○ポ捌きが横行していて、女子高生ブレザー系スカートのひだをまさぐっていくうちにたどり着くヒップの肌の温度も低くて、客の前では崇拝の対象であろうとしているような意識傾向を有するアイドル崩れ系にめぐり合うことが出来る。が、そんな高飛車なアイドル崩れ系ギャルと遭遇すれば、クンニリングスに精神を集中させながら珠玉にして端正な舌技やリップ・テクニック、指先を滑らせてしまいながら、女の子の身体を痙攣させてしまったりするようなそれに技巧を凝らさざるを得ない。風俗界のアキハバラ"歌舞伎町"のイメクラやヘルスは、いまはわからないが、昔は仮に抜群の美貌を誇る本物の新宿、それも京王線、小田急線沿線在住OL系の女性がいたとしても、テクニックは割合にこなれていなかったりしたもので、渋谷の一流主義的王座は昔からのものであった。が、アイドルおたく青少年の場合には、アイドルとおっかけ親衛隊の幹部がデキるケースがたまに見られやすいような話は訊かれても、概して女性アイドルと大人の挿入を伴うセックスをしたいとまでは思っていないケースが多く、テクニックにも多くを期待していない筈では、あるまいか。ルックスや身体つきが女性アイドルのリアルな典型を満たしていて、昔の美少女アイドルっぽく少し高飛車だったりすれば、昔の美少女アイドル・フェチの感覚がいまもって息づいている世界的に稀有なる電脳系都市空間たるアキバ界隈の感覚には、むしろそれがすんなりと好まれ、ヘタクソなところがアイドルっぽい、などの逆説的好評価をもって受け止められやすいに違いない。ヘタクソ同士のセックスは、だから、たぶん、快楽というよりは、イメージ・プレイに近かったり、"寝る関係"に於けるある種の錯覚に満ち満ちたステータス性に共に酔っていたりする、未熟な二人の間での、純愛を巡る共同幻想として成立している若すぎる関係であるのに違いなく、ある程度の年齢に達して、年齢の高い男性の師匠筋あたりとの性的関係を持つなどの成熟化を果たしていく段階に入ると、大人になるための女性の通過儀礼としてそれは正しかったり、欲望を満たすことができたりなどしても、少なくとも大人らしい大人になる直前の段階にいるような、『機動戦士ガンダム』の主人公の戦闘メカ・パイロットの精神発達段階にあるようなおたく青少年達(→おたく青少年期にはたぶん、おたく青少年的日常を過ごしていることが、人生の僚友であるところのニャンコ空軍の機動モノ好きに付き合わされる形で飛行機や船の見物に出かけたりしているFLEX-J Webmasterの眼から眺めても、何よりも楽しい時代の筈、に違いあるまい)には、むしろ女性アイドルのセックス・テクニックがあまりにも卓越していたりすれば女性アイドルおたく青少年からすればそれは違和感である筈であり、ある意味、イメージや演技を売りにしているメディア出演ビジネスに従事する女性のレベルは、セックス経験に乏しくち○ぼを握らせてもむしろ粗野であるようなレヴェルでもなければ、それはある面での"裏切り"に近い背信行為にも思われてしまう筈で、おとなしい性格のフリークであってもおのずと彼女の周りからは離れていってしまうことは目に見えていたりもする。そして、インターネット・コンテンツの世界を含めて、いまどきのメディア・ビジネスが、大きく人生の中に於ける、割合に刺激的な側面を、アダルト商品にあたらないそれらに於いてもそれなりには扱っていなかなければ、むしろそれぞれの前提からして偽善的になりすぎてしまったりして、アニメや女性アイドルが好きで素朴な性格の新聞配達員タイプや高校を出たか出ていないか位の自衛官の青少年、マイナーなコミケ系専門学校生のみならず、ごくごく普通の一般層にも受け入れられない程に、いまやエロティックであることは、特別なことではなくなってしまっている。そして、女性アイドル好きのおたく青少年達に至っては、成熟した女子大生年齢以上のタレントやモデルにはまた違ったファン層があり、それは概して「女性アイドルおたく青少年」の感覚からは程遠い、充足した有名大学および有名企業のヤング・エグゼクティヴ的なる感覚が指名するような世界にもなっていたり、ヘアヌード写真集を実際に購入するような壮年および中年層以上の普通のサラリーマンのような人達のスティミュラスな"視姦"(→眼と眼で、お互いにセクシーな眼差しを向けたり、それぞれの身体や着衣などを観賞、或いはセックスをイメージし合ったりするような、イメージ上での官能プレイ。眼と眼による行為だけで、女の子が濡れてしまったり、息遣いが熱く荒くなったりすることもある。視姦が起こりやすいスポットは、概してキャンパス内や職場内などでお互いを異性として内心意識しあっているような交友関係は勿論、本当に性的な魅力を蓄えているような大人の欲望感覚を持った男と女がいる場所だったらどこでだろうと、即プレイ開始、なのは、言うまでもない。視姦はある意味芸術的な感性に官能が絡み合った大人っぽいコミュニケーションの一方法であり、ヘア・ヌード写真集などは視姦されることを前提にして構図やコンセプトが企画段階から話し合われている筈である)的ニーズを担っているのであると言える。いずれにしても、そこに介在しているのは"ヴィジュアル"すなわちデジタル化された劇場型社会に於けるセクシー系イベントおよび電波やディスクを含む媒体なのであって、それらに連動することによっても、DVDレコーダーのようなハード商品の、おたく青少年型消費に於ける売り上げ増なども起こったりもしてくるなど、いまや最も生から遠い電脳歌舞伎町の様相を、東京の景色としても特徴的であってアニメ系マニアからすればたぶん他人的な光に映るであろう電飾の片隅にあって、大人たちによる商魂にもまみえながら、どちらかと言えばアンダーグラウンドやマイナーに根付くようにしながら成り立ちながら、全体からすれば一部のリピーター群像に過ぎない者たちの上に、それはしっかりと醸し出されているのだった
金曜日の夜、小高い丘の頂上にある高原のリゾート・ペンション風ラブホテルで、人妻との密会 流通経済大学のラグビー部は、大学スポーツの世界では有名らしい。成田空港にもクルマやJR成田線電車で行けば近いくらいだから、まさに首都圏郊外ながらもヴィジュアル的には僻地の山岳キャンパスとして有名な、竜ヶ崎キャンパスのグラウンドに於いて、彼らが夜間照明の中で練習を続けている姿を横目に、FLEX-J Webmasterはクルマをさらに山奥に進ませていった。そこで、FLEX-J Webmasterは、いかにもな竜ヶ崎系若妻タイプの、小気味良いホワイトジーンズパンツ姿の、キュート系の女と落ち合うことになっている。竜ヶ崎一帯には一般の日本人のほかに、フィリピンや韓国から訪れて日本人と結婚しているような若い主婦も少なくなく、今回の彼女も、前回のキャピトル東急ホテル篇に続く二人目の、来日韓国人女性であり、しかも愛らしい一方でヌードにするとあまりにも美しい裸身がコケティッシュな若妻。前回には高級ホテルでソウル・ベースの国際線スッチーによるインターナショナルな往来生活に於けるSEXの相手役をした話をすると、女としての対抗意識を剥き出しにする一場面も。FLEX-J Webmasterと過ごす贅沢感のある大人のセックスの技巧や時間に、若妻は甘い喘ぎと共に、前向きに奔放な意欲を示しながら、逢瀬の時間を前に、いまやリッパなデジタル先進国であるところの韓国からの和み系で職場の人気OLタイプの若妻は、何の束縛もない自由な時間の中で、存分に盛り上がっていった
バスジェルをいたって自然に使ってみる [1][2][3] バスジェルとは、「ボディソープ」と「バブルバス」を兼用する液体ソープで、微かに端正な匂いのする香料などを含んでいたりして、癒し効果をもしっかりと促してくれます。ゴージャス系のラグジュアリー・ホテルしかもインターナショナル・ステータスのそれらには、だいたいバス・ジェルは用意されているもので、美しい肌を持った、モデルのようで端正な独特の芦屋訛りを話す美女とのバスタイムに於いても、良好な効果を発揮していた
アニック・グダールの女性向フレグランス [1][2] アニック・グダールは、高級ホテルのアメニティでも有名な、ボディケア・アイテムの仏ブランド。首都圏では、FLEX-J Webmasterもオリエンタル・エスニックの超令嬢の、年上でベテラン系、姉タイプの、一目見れば誰もが息を飲むような凄い美女(ソウル・ベース、明洞在住)とのステイを愉しんだ経験を持つ、キャピトル東急ホテルのエグゼクティヴ・フロアの各ルームに置かれていることでも、通に知られている
ANAファースト・クラスに於ける、シートのお加減 月刊誌『噂の真相』に於いて、現在の長野県知事にして『なんとなくクリスタル』『ファディッシュ考現学』など、いうなれば泉麻人のコラム路線を先鋭化、ブティック感覚化させながら、ジウジアーロ・デザインのような形に変換させたようなトレンド若者小説および連載トレンド・コラムのライターでもあるところの、田中康夫氏が連載を持つ「長野県知事ドキュメント」(→本題の東京ペログリ日記は、かつての田中康夫が付き合っているスチュワーデスや女子大生とのデート内容やHが行なわれた時間帯などを克明に紹介するために元々は組まれていた連載日記であることを、今日に於いても"意味"している)にて、いまやサラリーマン皇族として人気の高かった高円宮さまの未亡人である妃殿下嬢との海外デートにまで馳せ参じるまでになっている若手タレント知事に於ける"感想"として「現在のANAのファーストクラスは、直接のライバルは勿論のこと、世界最高峰ブリティッシュ・エアウェイズのそれをも抜いて、いまやナンバーワンである」として、海外視察の公務日程で使用している話が紹介されている。が、田中サンが本気で地方自治に於ける行政行革を旗印に選挙戦を闘ってきたのであれば、知事もしくは補佐クラスはFではなしにCを使うべきであって、幹部を含めた一般職員は正規価格によるエコノミーを使うべきなのは、いうまでもないことのようにも思われてならない。長野県には多額の国からの補助金が投入されていることもあり、悪い癖は可能な限り早期に改められるべきである
ANA主催「一般参加によるCA体験ツアー」案内 読んで字の如く。勿論飛行機による移動も含みながら、東京や大阪ではANAホテルに宿泊しながらの本格体験ツアーが用意され、制服姿による写真なども撮影予定とのこと
直島コンテンポラリー・アート・ミュージアム かつての福武書店ことベネッセがコアなリゾートを統括的に運営する国内のアイランド・リゾート直島。コンテンポラリー・アート・ミュージアムは、文化事業としての直島のまさに"顔"なのだが、勿論島には純和風の素晴らしい風情および和風工芸にも接することができる。ANAのCAが提供するコンテンツ「ANA Latte」の直近のエディションでも紹介されている
R&B大塚駅北口 秋葉原・新宿・有明・横浜のカジュアル・シティホテルとして知られる藤田観光資本のワシントンホテルによるリーズナブルなリーズナヴル・ホテル・ブランド。ほかに、上野広小路、東日本橋、新横浜駅前それから主要地方都市にも展開。一泊六千円台ながらもしっかりとしているシングルルームに限っての提供、サービス料不要ながらも、焼き立てパンのモーニング・サービスを実施するなど、ビジネス・ホテル・ユーザーは勿論のこと、イン・クラスのユーザーにも受け入れられそうな、身近で日常指向の洒脱を感じることができる。ちなみに、"東京に於ける大塚駅周辺"とは住所的には東京都豊島区東池袋二丁目の界隈をさしている。微かにいい意味での裏町の感じも風情に溶け出しながら漂い続けている、魅力的な街である。坂道があって、愛くるしいセーラー服姿の女子高生達の姿も、豊島ケ丘などがあるせいか、多く見かけられ、尚且つラブホ・デートのメッカであって、路面電車もヨーロッパ並の雰囲気を出しながら、都電の停留所のある街らしからぬ、ラテン・ヨーロッパ的なる風情を、R&Bおよび正統派のホテル結婚式場型シティホテルのベル・クラシックのお膝元に於いて、醸し出している。五反田並のOL・若妻系風俗業メッカながらも、実際に歩いてみると24時間営業の書店やエーエムピーエムがあったり、区役所の東部出張所があったり警察署があったりする一帯にしても街並みがロマンティックだし、なんとなく人のノリもいい感じで安全、清潔で洒落たマンション林立地帯で、すぐ近くにサンシャインシティが見える程で池袋の中心街には歩いて行ける近さゆえに、女性人気がきわめて高いのも魅力。女性の大半は、むしろ風俗業界の主役もまた女性であるだけに概して風俗業やラブホテルの存在には寛容であり、女性が栄えている雰囲気の、少しだけ大人っぽい隠微なところの感じられる、品川北部に於ける五反田にも似た街の存在に於いて、それぞれなりに日常感覚の中でときめいていくことに女のロマンを感じているような面が、女性に於ける学歴、階層、カテゴリの違い、夜のセールスに出された場合に於ける「五万円台」「二万五千円台」「場末クラス」のランクの差をも越えて、共通してそれぞれの中に存在していることが、昔、土曜日のお昼頃に放映されていた突撃体験女性レポーター物番組の草分け『女の60分』の世界をも思わせる、この街で擦れ違う様々な女達の表情、しぐさの中に、見て取ることが可能なのだったりする
東急のリアルタイム海外戦略"パン・パシフィック・ホテルズ・アンド・リゾーツ" [英語版集約サイト][パンコール][バンクーバー][サンフランシスコ][ハワイ][クアラルンプール国際空港][横浜] 東急ホテルズの海外戦略"パン・パシフィック・ホテルズ・アンド・リゾート"は、ファイブスター級ラグジュアリー・ホテル・チェーンの代名詞として、マニアック達の間では広く知られているインターナショナル・ブランド。ホテル別に、ディテールを緻密に伝えている館内紹介の画像を眺めてみると、海外の大人っぽいそれに較べて極端なまでに1990年代を風靡していた人気番組"料理の鉄人"の技にこだわっているレストラン・フロアがデートに好まれているパン・パシフィック・ホテル横浜のスィート・ルームやメイン・パーティ・ルームにしても、実にラグジュアリーであってアメリカ好みに流麗で優雅なヨーロピアン・スタイルであって洒脱を極めていることが納得されてくる。そしてそれが、東急の真骨頂なのであって、246渋谷にそびえ建つ"いまどきのバビロンの塔"セルリアンタワー東急ホテルおよび、違いがわかる贅沢でハイ・クラスの、とりわけ大人層に人気の高い永田町のキャピトル東急ホテル、和の侘び寂びをコンテンポラリーな解釈にて存分に伝えきってくれていそうな京都東急ホテルなどにシンボライズされている、あまりにも電鉄系離れしているようでいながらも実に忠実に東急方式のライフ・デザイン路線の空気やポリシー、ロマンを伝える、いつもの東急のルックスの裏にあって、しっかりとインターナショナルであってしかも"超"一流の、見慣れない東急の顔を、海外のあまりにも風光明媚な大都市型リゾートおよび離島リゾートの中に、見ていくことが可能なのだったりする
しまねイン青山 島根県が南ロシアン山(東京都港区南青山)に保有しているホテル。セゾンの会員制ホテル"ウラク青山"とはだいぶ異なる世界ながら、コンセプトにある種の共通点が感じられなくもない。建物は南ロシアン山在住セレブの個人豪邸を思わせる立派なもののようであり、客室も個人邸宅の客間にしてはまあまあなクラスだが、レストランのディナーにハンバーグ・ステーキが出てきたりする感覚。運営代行・サポートは東急が担当。ビジネスホテルよりもやや上で、一般的な東急インよりも幾分大衆的
青葉台フォーラム 知る人ゾ知る、横浜市の山側、田園都市線の主要郊外駅の一角にある東急のプチ・ホテル。ディナーはコースで八千円程度、相模湾産の魚介類にシシリー・ワインをレコメンドしている感覚であり、ウェディングも受け付けるし、シェフ自家製のパンを販売していたり、東急インを思わせるスタンダード客室のほかに設けられている、こちらは高級シティホテル級のデラックス客室の内容にはラグジュアリー感が漂っている
ランキンランキン 東急が運営する"渋谷・新宿・自由が丘に展開するranKing ranQueenショップと連動、CDを含む話題の売れ筋商品ランキング、新商品を真っ先にご紹介"のマーケティング・データ・サイト
高級住宅地のセレブな主婦売春の世界を活写……カトリーヌ・ドヌーブ主演映画『昼顔』 [1][2] 昼間は貞淑な主婦、夜には奔放な娼婦(→売春をする女性のこと。ただし、国内では、専業でやっているプロもいれば、昼間はOLや主婦、学生をしているセミプロとしてアルバイト感覚でヘルスやソープ、ホテトルで仕事をしているような女子大生、或いは企業活動からは離れたところで援助交際を営んでいる愛人業女性的なるアマもいたりしています)に変貌する美しい人妻の、奔放な性欲(→女性の性欲は、スポーツとしてのセックス自体への、ディスコ中毒にも似た"渇望症状"を鎮めるためのそれは勿論のこと、愛欲の肉体面を満たすのみならず、心の距離を埋めるためのセンサー的行為としての意味合いがとりわけ強く、独占的で自分で確信を持てる本命的恋愛状態が確約されれば、ラストのドヌーブのようなチョイスも、何ら犠牲の伴わないそれとして大いにありうる。勿論、心のパートナーと身体のパートナーとを完全に切り替えながら、パートタイムで異性交際している女性も少なくない。女性は、最終的には、自分が本当に好きな相手にある意味独占的に関係収斂されていくことを望みながら、相手探しやストレス解消のためには捌け口としての行為やビジネスへの参加行為を含めて、手段を選ばない奔放さを併せ持つ挑発的な自己中心型の種族なのでもある)に関する物語。実際、男と女の相性に関しては、身体を重ねてみなければわからないことは、少なくないのも事実ではある。このような上品で耽美的な官能文学の系譜は、日本には芦屋だの日本橋だのに根ざしている谷崎潤一郎の作品あたりについても紐解くことが可能だったりもする訳だが、いわゆる高級売春の世界に加えて、凶暴な異常ストーカーに変貌していく客(FLEX-J Webmasterには、不幸にも基本的には身体の結びつきの中で心のありかも確認しあうような観察的な面しかないこともあって、エッチだの同伴だの以外でまでしつこく追いかけたり束縛したりすることには「意味」を感じられない。それはさておき、先日、FLEX-J Webmasterが都区内からの帰りにJR成田線を降りて90cc自動二輪スクーターを駐輪場から出そうとしていると、ストリングスホテル東京の窓から品川駅側の全景を一緒に眺めていた芦屋訛りの美人モデルが、明らかに住人には見えない、浮いた高級ファッションの服装やモデル風の面持ちで、吸い寄せられるようにこのコーナーでも話に出ている東急ストアへと初秋のデジャヴのように吸い寄せられていく姿を目撃。だが、長い間住んでいて、彼女の姿を見かけたのは後にも先にも一回限り、なのである)から、ドヌーブが扮する主婦の、表の世界での夫が狙撃されて肢体不自由な状態に陥ってしまう状況にあって、性的な機能の問題を度外視しつつ、夫の傍での、死者のような静かな暮らしに身を捧げることを決意するドヌーブ演じる主婦は、本当の愛の重みやリアリティをそこで確認できたのであって、彼女にとっては「表が表」であり、己れの「表の顔」が何たるかを知るために高級主婦売春の世界に首を突っ込むに至ったりしていた訳である。世の中には「裏が実は裏のようでむしろ表」の女性も、勿論いたりする訳で、裏でしか異性と知り合う機会のない女性が、両想いの状態に於いてリピーターに恵まれることがあるとすれば、たぶんそれは彼女にとっては一生忘れ得ぬ相手である可能性も否定できない筈。客との関係にうるさくて厳しい、原則として挿入禁止型風俗でもある、アダルト界に於けるヅカ世界的なるヘルスやイメクラ、デリヘルに対して、大人になりきっている女性達が闊歩していて、割合にアバウトで人の出入りの激しいウォーター・ビジネス(水商売)だの、吉原系のハイクラス・ソープ或いはVIP出張クラブのような、「大人のお付き合い」の曖昧なフレーズに於いてプレイ内容やお断り事項の全てが女性本人に任されている、非管理売春型の、高級売春などの世界では、よっぽどの常連客と表で結ばれたり、大物によって専属的に囲われるケースが生じてきたりなどもあったりして、"ホステスと客の関係"がホステス側にとって本気の恋愛だったりしていたようなケースもけっして珍しくはない話、には違いない。貴女にとっての本当の自分自身そして愛とは何か、を考える上で、自ら実際に売春に身を投じなくても機微や条理には精通できてしまう、女性が思い浮かべる美しくて詩情豊かな"淫夢"に満ち溢れた、女性の本音の生き方に於ける"傑作"のひとつ、が、『昼顔』なのは、間違いのないことのようである
"不幸"が"幸福"へと変わる貴重なスーペリア・ホテル 〜 キャピトル東急ホテルでのインターナショナルなワンナイト・デート篇 実は、煮詰まったFLEX-J Webmasterが、気晴らしに眺めていたホテル・サイト。たまたまキーボードの上にニャンコ空軍のdolaさんがジャンプして乗ってしまったために、翌日分のエグゼクティヴ・ルーム一室に予約が入ってしまう事故が発生。全く、予定リストに無かった従来型スーペリア・シティホテルへの宿泊だが、泊まらずの前日キャンセルで数千円、当日だったら80%を取られてしまうことになるため、やむなく足代わりの移動車輌にてキャピトル東急ホテルへと急ぐ。ニャンコ空軍は揃って休暇中で、家でのんびりとくつろいでいる。常磐道柏インターから、首都高速の加平、ハープ橋を渡り、荒川の河口から湾岸線。台場の辺りで降りて、有明近くのガソリン・スタンドにて給油。レインボーブリッジの一般道側を渡り、浜松町から日比谷、皇居近くを抜けて、永田町へ。いつになくルーム・サービスによる和食コース・ディナーに、(魚料理主体ながらも)南フランス産の赤ワインをボトルで一本オーダー。この日のホテル・デートのお相手は、この夜放映されていた、TBS『オールスター感謝祭』も会って眺めればビックリの、どことなくハイセンスな"超"の附く美女。日本語学習中の留学生であるところの彼女は、しきりに、"オールスター感謝祭"を眺めながら、有名人の顔や職業カテゴリ、日本の国内トレンドを覚えようとしているような、どことなく隣国国際線エアラインのCA風が丸出し、の、英語が堪能な、姉のような令嬢、なのであり、二人ともに満足そうなえびす顔にて、相性バッチリでHにも成功。韓国ソウルのハイクラス・エリアに在住、そして明らかに高学歴系統であり、噂に聞くトレンディライター田中康夫(現・長野県知事)のガールフレンドであったS嬢に遊んでもらっているような感覚が楽しかった。帰りがけに、彼女に於いても量はあまり飲まないけれども、FLEX-J Webmasterと一緒に二人分のグラスで軽くテイスティングの遊びをするようにしながら口をつけていた南フランス産ワインの残りほとんど一瓶すべてを贈呈(最初、自分で持ち帰って飲もうと思っていたものなのだが、口につけてみて結構いい反応だったので、急遽、贈呈することに決定)。勿論、ホテルが実感グレードに於いて、電鉄系離れして実に凄い代物であることは、あえて記すまでもない話、でもある
キャピトル東急ホテルのガーデン・プール直通エレベーター 永田町きってのスーペリア・ホテルは、渋谷246側にスモール・ラグジュアリー・ホテルでありすべての電鉄系ホテルにとっても星のような存在でもあるような「セルリアンタワー東急ホテル」が完成するまでは、東急ブランドを象徴する存在であった、感じの話は置いておきつつ、真夏に於けるこのホテルのリゾート性能の高さに触れるとすれば、ホテル・オークラ東京あたりとも並ぶ、いわゆる首都圏に於ける「シェラトン・モアナ・サーフライダー」タイプのホテルであることを、中庭のプールに水着・軽装で降りるためにプール直通エレベーターが設けられているあたりにも見い出すことができることについても、触れておく必要があるのかもしれない。但し、日本のホテルでのガーデン・プールは短い夏季のみの営業であり、ほとんどのホテルではガーデン・プールのみの御利用もOKであることから、国会議事堂ビューが楽しい永田町一帯にワイキキ・オーシャンフロント性能を見いだそうとすることは難しいのかもしれない。都内および幕張あたりの一流シティホテルでの、アスレチック・クラブの室内プールに関しては年中無休であることが多いのだが、こちらは宿泊者もしくは会員権ホルダー各位以外は利用不可。シティ・ホテルは、国内でもホノルル・オーシャンフロント系のハネムーン気分で遊びたいカップルには向いているプレイスであるが、勿論、様々な興味深い大人の世界が展開されていたりすることでも様々に知られている。東京都千代田区にあるためか、思いのほかしっとりとしていて、イメージ的には現在も高い快適性を提供している、「ホテル・パシフィック東京」「ラディソン都ホテル東京」とも並ぶ電鉄系世界の中の第一級ホテル、の印象で、こういう場所ではむしろ、将来をイメージしながらの受験勉強あたりをこそしてみたい世界なのでもある
ロテル・ド・ロテル 札幌のあまりにも小さな本格的シティホテル。インテリア感覚等では、典型的な女性路線を採リ、四角四面のビルを建ててしまうスタイルでホテル・イン・クラスに甘んじるよりは、デザイナーズ系のいまどきモダンなホテル・ビルに於いてミニマムにすることでプチ・ホテルの座を射止めることを選んでいる印象。ゆえに、プライスは大幅に割安、キャンセル料も無料。札幌にあって良心的な高稼働率薄利多売路線は、系統の異なるホテルならともかく、純然たるシティホテルでは珍しい。メディア上での評価も好ましい様子。それはそうと、北海道の例の地震に於いては、北海道航路の旅客フェリー、超豪華大型クラスでは「太平洋フェリーいしかり」あたりも、沖合に留められる形で影響を受けていたとの報が伝わってきており、この場にて実に恐縮ではありながら、北海道震災被害関係者の方々へ謹んでお見舞い申し上げます
高輪京急ホテル、そしてワンランク上のファミレス、或いは"ワンランク上"の勘違い女 品川の京浜急行系シティホテルには、以前から紹介のコンコルドを就航させていたことでも知られるエールフランス系列のフランチャイズであり、台場エリアのグランパシフィックとも姉妹関係にあるメリディアン・ブランドの有名なホテル、ホテル・パシフィック東京が存在しているが、高輪にはもう一軒、京浜急行系列のシティホテルが存在している。旅行代理店系が紹介するシティホテル・パックのカタログでも意外に知られている存在。料金設定はワシントンホテル級であって、館内レストランには24時間営業のロイヤルホストも入っている気軽さだが、ほかにステーキ・レストランがあったり、高級羽毛布団の標準採用、ミネラル・ウォーター無料サービスや120チャンネルの音楽有線放送の提供など、ホテルとしてのセンスは悪くない上に、デラックス仕様の客室も用意されている。シングル一泊が一万円で止まれるクラスのシティホテルなので、Hに特化されすぎたラブホテルを宿泊で利用するのだったらきちっとしたホテルのほうが好きなカップル、および、ホテル・マニアックだのビジネス出張族にはありがたい存在。ちなみに、語学力が堪能で、セント・ポール(立教大学)クラスを卒業している諸君で、現在、なんとなく仕事に恵まれていないような気がする諸君に耳寄りな話としては、シティホテルのホテルマン募集がオンライン上でも随時かけられていて、東京都心の超一流どころは難関ながら、随時人材を求めている中堅どころおよび、成田を始めとしたベッドタウン・エリアのホテルに於いては、様々な人種が交錯するクールな裏側を垣間見られたりして、面白い世界かも知れない。普通はホテルマン養成系の学校を出なければ採用されにくい世界なので、受かればラッキーな世界。そして、男性側に於いては言いにくいことながらも、あまりにも恵まれすぎた、プライドの高い境遇にある女性の場合には、ステータスが高い=自分はHでもエリート、などと身勝手な勘違いをしているケースがありがちで、とりわけ「テクニックよりはルックスや制服、表の顔が受けているのであって、実はいまいちうまくないのに、自分は何々テクが巧い(→嘘のお世辞を、テクニックは二の次派が見られやすいカサノヴァタイプの男性から盛んに言われ続けてきたお姫様タイプの女性なのだろう)」と思い込んでいたり、客よりも自分の方がランクが上、をあからさまに高飛車系の表情(某航空会社の国内線スッチーだったことのある人にはとりわけ多い上に、一人や二人の問題じゃあないのダ…)に出していたり、特定銘柄の高級ホテルを要求してきたり(→が、日本の高級ホテルでの宿泊程度は頑張れば誰でも行ける筈なので可能な範囲でなら対応してあげたい気くらいは、しないでもない)、奇妙な羞恥心を持っていたりテクニックを出し惜しみしていたり、インタビュアーしながらテクニックを形作っている訳でもない筈の女性に於いて「○○○は激しくしごくもの」の誤解があるらしくて乱暴だったり、風俗嬢の場合に限らずお金や他のものが目当ての交際に於いては余計にありがちなそれとして言い訳が激しかったりなど、そういう女性、もしくは場末営業のヘルス嬢に限って男性をイカセることには長けていない事例が顕著なので、注意が必要。ただし、フィニッシュはセルフ式、で良いのであれば、某場末のベッドタウン系イメクラの遅番で一人だけ普通の髪の色をしていたイメクラ嬢は、ブレザーの女子高生服を着せてもいかにもな"ANA国内線"の典型であり、FLEX-J Webmasterが実地に"指導"するまでは○○○を非常に粗末かつがさつに扱う特攻隊方式によるサービスをするタイプであり、年齢もさばを読んでいる風ではあれ、人並みだがとりたてて特記事項も無いフェラ・テクに対して、ハンド・サービスは悲惨なレベルで、ニャンコ空軍のdolaさんを勝手に担ぎ上げて自分勝手に和みながら抱っこしつつ"猫とはディープキスするけれども客とはしない"などを公言したり、「私のフェラチオやテクは巧い」が出たり、男をそそらずになぎ倒すオーラを放ちながら「私の得意は痴漢プレイじゃなくて痴女プレイだからお客さんはみんなそれを頼むの」と苦しい言い訳をしたりするなど、あまりにも悲惨極まりないにもかかわらず、プロポーションは中肉中背系のピチピチしている感じ、セックスの相手よりは本物の電車の痴漢犯にあちこちを触られていそうな、ある意味哀れ極まりない肉感的なセクシー体型、胸は量感があるつりがね型で、乳首の色艶も若い大人の女のそれ、下半身もいくぶん小太りっぽく、スカートをたくし上げながら下着を脱がせる際には、下着がその都度腿の弾んだ肉に食い込みながら、独特の形の良い量感のある尻や三角形の茂みに適度な質感を伴う空気にのせながら風情を醸し出していた感じ。指が入らなかったので丹念な太腿並びに性器周辺の舌技をもって"施術"していくと、最初の頃には典型的なやらせの嘘声をあげていた彼女が、真に迫ったような緊迫した息を呑み、時折、背中の筋をピクンピクンを一流品の弦楽器のストリングのように敏感に痙攣させたり、自分から"クリトリスを舐めて"と具体的に要求してくる(→彼女自身はさんざんにデリケート系のソフト感覚での施術を受けているはずなのにも係らず、ノーマル・プレイでのテクニックなのに団鬼六系への渇望が入っているような、下手なSM初心者のノリでやってしまって平然としているのは、女性ならでは、の、自己中心的な性格)など、傲慢な精神的オナニー唯一主義体質の彼女が、昔いた女のように、彼女側としては何度となくいけていたような雰囲気が伝わってきていた。店を出る時には、好き嫌いに関しては無感情であるにしても、明らかに見る目が違ってきているのもわかるものの、巧い・下手よりも、感性や相性の問題に左右されやすいだけに、テクニックに溺れずに良かれ悪しかれ女には正直者が多いので、駄目な時には駄目でも、"芝居"なき、恥ずかしい痴態をも大らかに予期せず晒してくれるのは、むしろ傲慢で自己中心系タイプの女であることがわかってもくる。が、FLEX-J Webmasterとしては、全日空系スッチーとのHには早くも飽きていることもまた、確かなのではあるが、Hステイ客もまた、斡旋業のみならずホテル、タクシーなどのサービス業にとっての大切なお客様、なのでもある
ホテル・ベルクラシック東京 都会の中の、大塚駅前ローカルなホテル結婚式場。ジムのようなものは無いようだが、客室はシティホテル級を満たすしっとり感を漂わせている模様。セミダブルベッドを使用のシングル客室があてがわれるビジネス・プランは一泊一万円を割り込むプライスで紹介されていたり、カップル・プランや同窓会・新年会、癒しのレディース・プランなども用意されている。庶民的でのびのびな大塚の街にあって、このホテル前だけはある種の大塚セレブな感覚が漂う、隠れ家的な存在の空間を印象付けている
二十世紀最初で最後の超音速旅客機、コンコルドのさよならフライト週間のチケットは即日完売 コンコルドは、関西国際空港の開港日に記念フライトで飛来したことでも知られる、音の速さの2倍以上の、最新鋭ジェット戦闘機並の速度性能(→ちなみに、一般のジャンボは音速の0.75倍程度の速さ)を持ち、あまりに流麗なエクステリアがヨーロピアン・テキスタイル・モダンのシンボルでもあった、傑作旅客機であり、あまりにも豪快すぎるエンジン・サウンドゆえに、また、日本人受けしない、ファーストクラスおよびビジネスクラス向けのキャビンしか持たないプレミアム・タイプのキャビン・コンセプトにより、日本のエアラインに於いては導入が見送られた伝説の機体なのでもある。エールフランスでは既に役目を終えているコンコルドだが、間もなくブリティッシュ・エアウェイズでも引退の日を迎えようとしている。コンコルドに於ける謎を様々な角度から検証する報道サイトに於けるニュース・コラムを紹介
スペースワールド 日本初の、NASAをイメージさせる、本格的な宇宙モノのテーマパークが、福岡に至極近い、北九州にある。アトラクションが豊富で、絶叫体験には事欠かない。国内線的なる旅での探訪としては、この前後で、福岡の、地下2千メートルから湧き出る三百坪の庭園露天温泉風呂で知られる「薬院しろやま乃湯」でくつろいだり、また、ファミリーだのカップル連れには、九州の浅草花やしきを思わせる「かしいかえん」あたりをお薦めできるかもしれない
湯の児スペイン村 甘夏の産地にて、ワイン・地ビール・ジャム・ジュースなどを生産販売している福田農場がスペイン風のテーマパークに。 スペイン風レストランやフラメンコなど、九州にあって地中海性気候区を感じさせてくれる爽やかなコンセプトのプレイス
有田ポーセリンパーク 有名な佐賀藩鍋島家のお膝元、ヨーロッパの王侯貴族を魅了した有田焼の産地に出現の、壮麗なるドイツ・バロック様式によるツヴィンガー宮殿は、ヨーロッパに於ける宮殿を忠実に再現。幕藩時代〜明治期にかけての古伊万里などを展示・公開もしている
阿蘇ファームランド 阿蘇火山温泉があったり、様々な産直系グルメが堪能できるなど、大自然の広大な敷地で一日中楽しめる
アクアビート 大分県別府市の、いわば九州で営業を続けている、横浜に今は無きワイルドブルーヨコハマ・タイプのテーマパーク。九州には有名なシーガイアのオーシャンドームが存在するが、大分ステイでも季節外れの人工的なインドア・ビーチ・リゾート体験を満喫できる。宇宙大国アメリカでは本気で考えられていたとも伝えられる"スペース・コロニー"(あまりにも巨大な人工の筒型宇宙ステーションが"宇宙植民地"になりながら、農産物だの工業製品だのを含めて、すべてを自給可能にしている施設。『機動戦士ガンダム』の最初のシリーズにも登場して、宇宙植民地「ジオン公国」の一つが、地球に対して独立戦争を開始する筋書きは、本格SFファンをも当初は唸らせるものがあった)の内部にも、満を持して本格的なビーチ・リゾートがオープン、をイメージさせる筈…
ゴールドパーク串木野 現在も採掘が続けられている三井串木野の金山が、一般客向けにテーマパークとして営業を行なっている"インディ・ジョーンズ"を地で行く驚きのアドベンチャー・プレイ ス。鹿児島で、周りにも自慢できる、一風変わった体験をしてみたい向きには、お薦めのプレイス、かもしれない
鷹島モンゴル村 九州に、モンゴル遊牧民文化を再現しているアウトドア系テーマパーク。アウトドア、の一語には留まらない、本格的なそれは、遥かなる中央アジアを一気に九州にて身近にしてくれる楽しさがありそう
スチュワーデス・スナップス2003 人物のポートレイトを撮影することがほとんどなかったFLEX-J Webmasterに於いても、この日、西暦2003年9月23日に限ってはしっかりと、望遠ズームレンズ附き一眼レフカメラによる人物スナップすなわちスチュワーデス達のそれを、いつもは割に閑散としている航空科学博物館に於いて特集的に撮影し続けていた。人気テレビドラマ『やまとなでしこ』の世界は実在するか、の素朴にして永遠のそれとも思われる基本的なるスチュワーデスの上昇志向に関する問いかけ(実際は人それぞれだが)についてはともかくとして、デジタル・カメラやビデオ・カメラの使用が禁じられた撮影会だけに、一眼レフカメラにカラー・ネガ・フィルムの、いたって一般的な銀塩系機材を使うのも、思えば、以前に"クルージング・プリンス"特集を組み、豪華客船だの帆船だのクルーザーだのに精鋭ニャンコ軍団と共に乗り込んでいた当時以来。撮影したフィルムは45分スピード現像プリントのショップへと預けられ、待ち時間には柏そごうの展望レストランに於ける、"名門"ホテル・オークラが経営する中華レストランでの点心と中華麺、そしてデザートのコースに、シャーベット(→いずれもなかなかにして美味しくて、しかも価格も良心的なのは嬉しい話)を口にしていたFLEX-J Webmaster。銀塩写真方式にも係らず、現像とプリントは当日中に回収できたため、このコーナーのアップも、9月23日中の深夜(日付的には既に24日)には行なわれている訳で、人は本当にやる気になれば何でもやれる(→新聞社あたりでは当たり前のスピード現像だが、一般のホームページでそこまでやっているところは依然として数少ない)、のかもしれない。愛しのスッチーの皆様方も、本当にお疲れ様、であります
鈴丹(SUZUTAN)は、かしこい ミドルティーンから女子大生年齢にかけての若い女性アパレル量販を展開しているショップ網。良かれ悪しかれ標準的なカレッジ・スタイルの定番の印象で、女子大生を含めて、普通に女のコ達が着ている服の感覚。女のコカジュアル界のユニクロ的世界のはしりであり、知名度は高く、それだけに開き直って着たきり雀になってしまうことができる
葛西のとうきゅうボウル 「イトーヨーカドー」にしてはなかなかリッパな、エスパ我孫子店級の建物の中にある、1970年代以前を良く知る世代にとっては実に本格派のボウリング・リクリエーション施設。環七で葛西臨海公園に向かう途中にある。昨日、今日は、書類を揃えたりする形での日程をこなしているため、合間にスポット見物などが織り交ぜられたりして、実に日中ずっとコンパクトなパーソナル・カーを運転している一日であった。朝方はFLEX-J Webmasterが世界一周航空券旅行の発着地点+ジャパン・ラウンドの起点に選んだピュア・インターナショナル・エアポートのナリタ(NRT)で、アリタリアやルフトハンザなどの"空飛ぶホエールたち"をひとしきりウォッチング。それから、クルマは一路、船橋方面へと向かい、パレットタウンのパーキングへ。なんとなく愛嬌たっぷりで表情を含め感情表現の面で芸達者なショー・タレント風、性格があまりにも良くてチャーミングな印象で、macさんよりもファッション・モデルに近い、どことなく鋭い顔の造作を持ち、元気で結構大柄、スタイル抜群なブラウンタビーが先日、98000円にて発見されたので、ニャンコ空軍のdolaさんおよびチンチラくん(お子ちゃまロシアンsoraさんは以前に行っているので一回お休み)と共に再び逢いに行ったところ、既に売れてしまったとの話。間に週末を挟んでいるので、カップル連れもしくは若い世帯(マライア・キャリーも訪れている程なのでもあり、割合、客筋やセールス内容には恵まれている筈なので、楽観)にでも売れたのだとすれば、無事な幸せを祈りたい気がした。それから、一旦レインボーブリッジの一般道側を渡り、三田のヤナセ・ショウルームが片隅で経営しているガソリンスタンドにて給油すると、今度はおもむろに晴海国際客船ターミナルへ。以前にFLEX-J Webmasterも乗っている豪華客船ふじ丸が、間近に。商船三井客船のレギュラー・クルーズ・フリートとしてのラインから退役して、関連会社にてチャーター客船への組替えを行なわれている「わが国初の本格的クルーズ専用豪華客船」。法人チャーターによる研修プランも盛況だが、旅行会社主催によるツアー・チャーターの方が目立っているあたりは、独特のゴージャスなる眺望が楽しめる舳先側オープンデッキもあって、シンプルでシックながらも豪華ヨット感覚も満喫できる歳月を経てこなれたデッキプランを含め、きわめて人気の高い名客船らしい点。そこから、喉が渇き、尚且つドライブスルーどころか、駐車場のある吉野家だの自販機ドライブインのようなものも見つからないままに、たどり着いた場所が、葛西のイトーヨーカドーだったのである。無料の立体駐車場をスロープを周回しながら四階へ。パーキングタワーを登る途中に見える、葛西の町工場街の一大パノラマそれから隙間を埋めるように林立している高層タワーマンションの姿のコントラストが、あまりにも絶景であって、海外SF映画然としていて、素晴らしく、一軒の価値有り。不況が伝えられる昨今だが、重層的なる国内産業の底辺を支えている町工場の様子を眺めている限りでは、まだまだ人口パワーや、他のエリアには見られない稀有なる現象として児童数の激増が見られる一帯に於ける生産、消費力がそこに投影されながらの風景だけに、まるでFLEX-J Webmasterが子供の頃にはまだ若干ながら首都圏から主要ローカル線への貨物列車、或いは母方が大農場を経営している美しき大地、北海道あたりの旅客列車などにはたまに見られていたような気がするSLの全盛時代フォトでも見ているようで、何とも迫ってくるものがある。とうきゅうボウルも納まる「イトーヨーカドー」のパーキングを降りて、ニャンコ空軍を同行させながら、エレベーター・ホールで「ミニッツメイド100%オレンジジュース」を購入して、喉の渇きを癒すと、エレベーターで一階へ。入口あたりを歩いている女子大生、OL風の女のコ達には、いたって知的そうなスノッブでスタイリッシュ・イメージの学校・職場にもいそうな感じのコも高い割合で含まれていて、一般の女子大生が平服として着ている通学着の場合、高校までが制服だったりしているケースが多く、また海外ブランドは勿論、ヴィーナス・フォートで売っている国内DCであっても、靴やバッグを含めて上から下まで揃えれば十万円近くはすることからも、基本的に堅実に女子大生をやろうとすれば、被服費をイトーヨーカドーで売っている平服で、食費を食料品売場利用の自炊で抑えながら、地道にやっている姿がしのばれる訳なのだったりする。もっとおしゃれなコの場合には、渋谷および原宿方面の、デザインっぽいけれど若い女のコでも買えるような服を着ていたりなど、概して、巷で見かけるブランド率は、結構な名前の女子大あたりへ行ってみても、実際には何てことのないものなのでもあり、『JJ』の世界が、実際にいたとしてもほんの一握りの、いわゆるお嬢様系か、ウォータービジネス系か、のいずれかの系譜を辿るものであって、ほとんどは借り物だったりするなど、根拠無きイメージに過ぎないものである。とうきゅうボウルの存在だけが或る種の光るものを感じさせている、実直生活指向の葛西のイトーヨーカドー店内一階のマクドナルドにて、FLEX-J Webmasterは「フィレオフィッシュ・セット」+「チキンマックナゲット」をLLでオーダーして、ピクニック気分の車内でおにぎり替わりに口にするためにテイクアウト。FLEX-J Webmasterはマックフライポテトを摘みながら、クルマを発進させ、葛西臨海公園だの東京ディズニー・リゾートだのを横目に見ながら、習志野市の自衛隊駐屯地の裏側にあるロイヤル・ホームセンターのペット館をチェック。可愛い顔立ちのスコティッシュ・フォールドやチンチラ・シルバーの子猫はいたものの、決め手には欠け、本館で消耗品類を購入するに至る。ホームセンター近くのマツモトキヨシでカロリーメイト・フローツ味ブロックだの頭痛薬だの栄養ドリンク剤だのを購入したり、激安100%愛媛オレンジジュースをワゴンセールで売っていた食品スーパーに立ち寄った後、自宅へと戻る道筋を辿る。Hなしでドライブ続きの一日ではあったものの、まともで健康な独身男性なのであって、Hする日程になっても、Hレスな一日であっても、それは基本的にはFLEX-J Webmasterだけではない、旬の男性であれば誰にとってもなにげない生活上でのサイド・ストーリーの一コマずつにも過ぎない。そして、以前はソフトSM入門のようなH体験を記してもニコニコしていたのに現在では稀に当て馬役の彼氏を連れてくることがあったり、あまりにも無表情になっている印象のY・M嬢に関しては、数日前、湾岸一般道側で見かけた、本八幡駅行きの路線バスに乗っていた外資系スッチーY・M嬢ソックリ(以前よりも、当たり前のこととしてFLEX-J Webmasterよろしくライヴなサイド・ストーリー・ライクなH込みの異性関係を必需としていたり、プラトニック派っぽい恋愛を必要としていたりする場合など、ケースはさまざまであれ、以前よりも本音のそれぞれをリラックスしながらアピールしに現れるようになった、ほとんどは学校時代の知人・友人・元恋人だったりする過去の知り合い嬢のそれぞれを、FLEX-J Webmasterは好感をもって受け止めている)なコは、一体何故、あの時間帯にあんな臨港地帯の路線バスなんぞに乗っていたのであろう、なんて考えてしまうに至り、我孫子・鎌ヶ谷経由よりも近いルートなのでしばしば通行している国道296号線を走る時にも、ついつい、Y・M嬢の姿を探してしまったのだが、だからといって、追いかけている訳のではなく、なんとはなしに気にかかっているような感じ、なのではある…
九月のそぼ降る雨のNRT、ランウェイ・エンド百景(お子ちゃまロシアンsoraさん篇) 再編されたニャンコ空軍の一行でお出かけのNRT日曜日午後のランウェイ・エンド。九月の雨が降りつづける中、展望塔の上から、ダッシュ400を中心としたシーンを追い続けてみた…。クルマ走行中の路上で、スッチー或いは元スッチーとの"対面"多数
お子ちゃまロシアン♀のsoraちゃまと巡る、トーキョーの山側と海側 西暦2003年9月19日は、お子ちゃまロシアンことsoraちゃまが初めて、FLEX-J Webmasterが操る自動二輪スクーター・ランによって、東京都心をクルージングした記念すべき日、なのである。千葉県を南下して、船橋から湾岸一般道側を疾風と共に走り抜け、お台場海浜公園前からレインボーブリッジの一般道側(ゆりかもめが並走しているコースでお馴染み)から、三田のヤナセ・ディーラーが経営するガソリン・スタンドで給油、そして麻布から六本木ヒルズ方面へ、そして渋谷へ抜けて、渋谷区役所にて戸籍抄本を受け取ると、昼食を軽く済ませて、一路、渋谷百件店(しぶやひゃっけんだな)へ行き、高級車に乗った歯学大生(都区内のブランド私大生であったFLEX-J Webmasterでもあり、感覚的にはさほど変わらないか、歯大生が弟分っぽい若輩者に思われるか、の、どちらかを無意識裏にとっていたりする)の感覚にて探訪。そしてしばし、タータンチェックのミニスカート系の"ブレザー女子高生"がサービスしてくれることで知られる『ナイタイ・マガジン』紹介によるイメクラに入り、しばし待たされた後、プレイ開始。制服の上から乳房を揉みしだいたり、或いはスカートの中に手を忍び込ませたりしながら、小振りな微乳の先端をさすり続けるようにしながらの愛撫をひたすら続けて、最初は演技丸出しだったブレザー女子高生の声が段々と甘い鼻息を秘めた本気の声に変わり、69のパターンでオーラル・セックスをじっくりと愉しみ、一本だけでさえなかなか入らなかった指の腹で人差し指トムを開始すると、腰がピクリと感応して、昔大流行のラテン系ユーロ・スローダンス"ランバダ"を思わせるリズムへと急変化、最後は"なんちゃって女子高生"系アダルト・ギャル嬢自慢の見事すぎる素股の技で無事に射精して、フィニッシュの瞬間を迎えるに至ったのであった。何不自由のない家族四人で暮らしているとの話をしていた若い風俗嬢は、単品の技はどれも凄いのだが、大人の男が得意とするHに於ける上から下への流れをあてがうことが難しい程に、身体がぎこちないのは、テクニック・プレイのアラカルト・ブティックとして、挿入抜きのマニアックな技を女性側から提供する店にいるギャルだからなのであって、一般的なるセックス全般を提供するホテトル嬢あたりとはまったくもって異なる性の世界に暮らしているコであることが納得されてしまった。そして、プレイの時間が余ったことで交わしたトークでは、女の子の声や表情に暗さや生活の陰は無く、実に割り切った、東急東横線の沿線在住の可能性すら否定できない、一般的世帯に於いて父母に手塩にかけて育てられつつも、自らのチョイスとして性的に発展的なる体験趣味的アルバイトを選んでいることまでもがわかる(→話し方に不幸な生い立ちのないコに附いては、聞いていればそれとわかる)。長野県知事になってからの田中康夫もそうだが、大人の男性の場合には、何かをすることでそれぞれの分野の人達に会うようなことをしていないと、仕事馬鹿なる事態に陥ってしまい、それっきり没頭のきわめて不健康で視野狭小なる状態に陥ってしまいやすい。メールやテレクラ、パーティ、それからホテトルやヘルスなどの様々な形で、色々な女性達になるべく数多く会うようにしているのも、人に会う努力を続けないことには、マン・ツー・マンで女性との交渉を含めてのコミュニケーションを取る機会すら、オジサンな世代になってくると段々と乏しくなってしまうからである。このように作成している個人HPは根本的には自分自身のURLメモ代わりに作っているのに過ぎないが、それでも、HPを見てきわめて好意的に、尚且つ恋愛的にファンになってくれているコや、才能のような部分を高く評価してくれるファンのコと円満に対面できた時には、双方向性によるコミュニケーションの成立を見ている訳であって、嬉しいことのひとつ、なのでもある。渋谷を出ると、バイクはあらためてベイエリアの日の出桟橋へと行き、パレットタウン行の水上バスにsoraちゃまと乗船。ヴィーナス・フォートの館内をチェックして楽しんだり、来日メジャー・タレントも駆けつけるペットシティへと行き、販売ペットの顔ぶれをチェックするも、しっかりとはしていても相場よりは若干高めの高級店だけあって、とてもimacさんの補充要員としてさらに一名を迎えるにも、運営予算的に手が出にくいのであった。帰りは、ゆりかもめで日の出駅へと戻り、水上バスターミナルに停めていた小型自動二輪スクーターでの帰路につく
渋谷百軒店および円山町では、"隠密行動"に徹することである [1][2][3] 渋谷百軒店(しぶやひゅゃっけんだな)および円山町界隈は、クラブ・エイジアがあることでも知られている一角。109を二等辺三角形の頂点だとすれば、長さの等しい日本の辺のそれぞれ真ん中を、渋谷百軒店の名で知られる「線」で結んでみると、そこには多数のシックな飲食店、少しだけ大人っぽい高級サカサクラゲ(和風H旅館のこと)にラブホテルがある一角は円山町の呼び名で知られ、それから、所々に目立つのが、センター街に並んで際立つ(『ナイタイ・マガジン』などで風俗嬢が"フードル"なるカテゴリのアイドルとして紹介されている割引券付の雑誌に掲載されているような)ファッション・ヘルスの有名店、とりわけタータンチェックのミニスカート系のブレザー女子高生("ニセ女子高生[→なんちゃって女子高生]"が板についているような子達)を思う存分にペッティングそして69堪能できてしまう感覚の、イメクラの先駆けが、たぶん渋谷の東急東横線系ハイ・ファッション風俗としてブレイクして、周辺へと一気に広まっていった。昼間、ここを自動二輪スクーターでとろとろと走るのは、実にステイミュラスな体験なのであり、不倫アベック、高級シティホテルに呼ばれることの少ない地味な容貌のマイナー・ホテトル嬢と初老の同伴客、昼間からお盛んな足取りでHなホテルを物色しているヤングの男女連れ、ポン引き風の男達に、東映の映画さながらの黒塗りの強面なる超高級車の往来、などなど、昼間、この界隈にクルマをひっそりと停めて、連れの女のコとくつろぎながら、他のカップル達や様々な人間達の姿に接することには、独特の刺激感があるかもしれない。しゃれたニューヨーク系の恋愛映画に出てきそうなスリリングなデートになりそうなシチュエーションである。人間観察の後に、営業中のラブホテルにチェックインするのも自由だし、どこかレストランやイベント・スペース、ブティック・モール、或いは「パ」「ス」「セ」のような、いつものスモール・ラグジュアリー・ホテルにチェックインするのも自由。それが、東京を謳歌することなのであり、人生を満喫することなのである
東京オペラシティを着こなす初秋 株式会社が経営するビルではありながら、オペラや新劇を集中的に上演している「新国立劇場」をはじめとして、「オペラシティ・コンサートホール」「アートギャラリー」「屋上階から新宿パークタワーや副都心が眺められるトラットリア・ベラビスタ・サバティーニ」「意外なほど充実しているショッピング・モール」などのファシリティに恵まれた、もうひとつの西新宿の文化のコア・スポット。パークハイアット東京の陰に隠れぎみのトラットリアは、以前からの有名店として、この界隈の人々の間ではよく知られている
フレンチ・フュージョン料理の「THE DINING」および本格高級中国料理の「CHINA SHADOW」を、レストラン単体に於いて楽しむ [THE DINING][CHINA SHADOW][ザ・クラブ・グランデ][ザ・マンハッタンのベラルーサ][万平ホテルメインダイニング][フローティング・レストラン・スカンジナビア] 南フランスの2つ星レストラン「ロアジス」で部門シェフを務めた野口治久シェフが、ミシュラン名店の味に、様々なインターナショナル・テイストを加味することによって提供されるフレンチ・フュージョン料理の「ザ・ダイニング」の味は、実際にFLEX-J Webmaster自身も賞味。何故だか、東池袋でホテル・デートにより交接もされた"関係"にあり、現在は主婦の元スッチー嬢の、若干スノッブな面がありながらも、陽気で屈託が無く、プレイを進めていくうちにすっかりと意気投合しながらも、次には初めからいきなり挿入しちゃうみたいなプレイを満喫しよう、の、いいかげんな"約束"にも嬉しそうな笑顔を示していた、見た目に較べてずっと大人で、端正なところもある、彼女にそっくりな味わいが楽しまれて、絶品(→こんなコーナーで、こんな男性間での源氏物語風トークなのにも、問題はあるのかもしれない)。「チャイナ・シャドウ」に関しては、香港のグランド・ハイアット内「ワン・ハーバー・ロード」などを経て、広東料理にほかの地方のフレーバーも加味しながらの伝統的中国料理を提供している國田隆氏を総料理長に迎えての味なのだという(『BRIO』より)。ストリングス・ホテル東京に関しても、パーク・ハイアット東京に於けるそれのように、ホテルとしての宿泊利用のみならず、純然たるダイニング・スポットとしての利用価値がきわめて高いことが納得される。ほか、いくつかの興味深いダイニングに附いて、URLを紹介
「エルアンドエル」と「大宮ぎょうざ」 ローカル企業の中には、意外にも規模の大きな多角経営を展開しているところがある。埼玉の「太平」なるグループもそうで、「大宮ぎょうざ」「自動車教習所」「ゴルフセンター」「パチンコ店」「リゾート・ラブホテルのエルアンドエル」に跨る、実に多彩な分野に跨っている。網羅しながら並べてみる形にすれば、或る意味に於いて成る程、なのだが、「大宮ぎょうざ」に加えて、田中康夫も『東京ステディ・デート案内』の中で紹介していた、ほとんど米軍基地の中のリゾート施設のような「エルアンドエル」だけを並べてみれば、なんのこっちゃ、みたいな感じがしてしまう
いまどきのキャピトル東急ホテルに於ける位置付け 西埼玉系の赤坂プリンスホテルに対して、ごく近隣に於ける、国会議事堂前にそびえるキャピトル東急ホテルは、共に電鉄系として、それぞれのスタンスや価値観、美意識、客筋に於けるマーケティングを駆使してきている。東急系としては最新鋭のセルリアンタワー東急ホテルに於けるデザイン・ホテル系のルーム・インテリアに較べる限りでは、スタンダード・タイプの高級ホテルの印象。が、それ以前に、どことなく、ライバルの"赤プリ"のそれにきわめて酷似している、アメリカン・スタイルによるラグジュアリーの良い意味での前世代を思わせるベッドおよび長椅子などのレイアウトを眺めるに附け、一昔前のこの国のシティホテルのレヴェルが示されているような想いにもさせられる。西武系と東急系の絡みにしてみても、路線的に競合している訳でもないのに、何故か互いにライバル心を剥き出しにしていた戦前の話なども聞かれていたことも、オーナー経営者時代の懐かしいエピソードのようでもある。このホテルに於ける、パレ・ロワイヤル永田町風の感覚は、あの種の世界に強い眩惑力を感じる向きに、とりわけお薦めのホテルである。『ペログリ日記』に於けるホテル・デートの待ち合わせ場所(が、キャピトルの客室が件のPGに供されることはなく、パークハイアット東京もしくは帝国ホテルが限定的に使用されていた様子)としてしばしば登場していた、いくつかのレストランやラウンジは、ホテルの中にあるそれとしては異例なことに田中康夫評価が高い。が、ミレニアム以後には、スタンダード・シティホテルのレストランが巻き返しを図り始めた時期でもあり、たとえば、ヒルトン東京の中にあるフレンチなどは、実は、聞けば食通の間に於ける評判がすこぶる良好なことでも知られていたりもしている、との話も有。ただし、インテリアに関しては、聞けば電鉄系は電鉄系でも、関西は近鉄系の「ラディソン都ホテル東京」の方が、プライスはスタンダード・シティホテル級(キャピトル東急ホテルとは横並びの存在)なのに、白金台にあって、ここ最近、一気にデザイナー交代により、大幅アップグレード・リニューアルを果たしたとのことで、ルーム・インテリアにもラグジュアリー・ホテル級のものがあり、一流に仕上がっているとの話も聞かれていたりはするので、そろそろこの世代のホテルは、"赤プリ"も含めて、より付加価値を加味する形で、インテリアにこだわっていく発想が必要かもしれない。田中康夫のみならず、ホテル評論の世界では、概して女性客に於ける使いやすさや心配りの充実やセンス、コミュニケーション能力の度合いに応じて、ホテルのランクが上から順に付けられている現実もあることは知られていて、キャピトル東急ホテルは、1980年代から1990年代初頭に於いては、女性人気でも悪くないイメージで一目置かれていたが、いかんせん、それでも評価的には電鉄系にしてはまあまあ、の域で留まっていて、それゆえに、公共交通機関ながら空の世界を往くキャビン・アテンダント系の女性に、"赤プリ"だの"キャピトル東急ホテル"だのは、全日空ホテルに共通する感覚で温度差が少なく、尚且つ、表・裏を含めてのプライベート用途での利用でも、本社のチェックおよび内通関係の手が及ばない利点があり、重宝されていた。それにしても、これまでの電鉄系のイメージとして、鉄道マニア上がりの愛すべき男達が鋼鉄の電車を走らせている世界、の感覚がホテルにも一貫していたために、概して東京のホテルには男社会のイメージが強く、帝国ホテルのような専業系や、ホテル西洋銀座のような流通系の持つ女性顧客に柔軟対応しうるナレッジが、一応の建築家がデザインしていたりなどそれなりに洒落てもいて、政界やメディア界での地位の高いモテ系のイメージがする"赤プリ"および"キャピトル"の、しかし、男性的企業感覚の中には、概して見かけることはできにくいのは確かではあり、在京の電鉄系に於ける弱みなのでもある。女性人気の高い品川系コンテンポラリー・インテリア感覚によるエアライン・ホテルの"ストリングスホテル東京"(全日空系)の秘密は、徹底的に女性指向の強い、ドラマティックであって端正な造作や女性感覚的な配慮などが、帝国ホテルあたりから国内的にも認識が持たれ始めたセオリーについてしっかりと学ばれている印象があり、吹き抜けの下、フロントの正面に存在するレストランも、パーク・ハイアット東京内の「ジランドール」に相当するものを持ち合わせており(ただし、ニューヨーク・グリルに相応する展望レストランがないのは寂しい)、電鉄系であってフランス系エアライン系でもあるために評価が高い近隣のホテル・パシフィック東京とも良い勝負を演じていて、親しみやすいスモール・ラグジュアリー・ホテルに於ける好ましい一面が感じられてはいたが、いかんせん、風紀委員会体質の強いことでも知られる全日空系のホテルには、ある種の阻害的なる一面が強く感じられ、いかなる関係に於けるシーンであれ、ホテルとしては昔から"国内線エアラインに於ける副業感覚"の域を出ずに、ある種のこなれていない一面が感じられ、某宗教の新聞を取っている信者が多いとの噂もあるエアライン的社内感覚に於ける、青年趣味的な潔癖主義のようなものが客に向けても投影、要求されやすいのか、とりわけ、エロティックなデートとの噛み合わせが宜しくないような気がしてしまう。全日空は、国内線の世界に於いてはとりわけ優れたエアラインの代表格だが、大人のドラマ性に関する理解にはまだまだ乏しい、お子ちゃま感覚ホテルなのであって、高層建築に於ける高級な豪邸系デザイン・コンドミニアムとしてのインフラはできているものの、そこにいて、ホテルとしての"深み"もっと云えば"妙味"のようなものは全然感じられてこないことを、記さざる得ないことは、甚だ残念なのでもある
パレロワイヤル [パリ世界史の舞台][永田町超高級マンション] 朝のテレビ番組を視ていたら、"永田町のパレロワイヤル"なる、以前から時折耳にする超高級マンション名が出されていました。政治家に於いては"事務所"として使用されているケースが多い港区界隈の超高級マンションに於いて、政治家の転居に関する話題なのですが、政治家と言えば、かつては「党利党略」と「私利私欲」が二大原則であるものと暗黙のうちにみなされていて、しばしば、政治家が超高級クラスのマンションや高級インポート車をあてがっている類いの愛人スキャンダルでも、週刊誌上のスペースが割かれていたりもしてきました。好不況には関係なく、収支規模の大きな立場にいる人物の周辺には、絶えず、何らかのスキャンダルだの甘い蜜の匂いだのが漂っていたりするものであり、或る意味に於いて、国を動かし得る権力(個人単位での権力が国を動かすような考え方は、無党派層ブーム以降の日本の国内ではすっかり過去のものになってはいますが、バブルが始まるきっかけになったり、市場自由化が進んだりするのも良かれ悪しかれ政治、それも特定の政治家さんの判断や思惑がきっかけになっていることは、少なくない)をも握っている人物の周りだけに、様々なものが現実的に巡ってきやすい構造に附いては、現在でもまだ若干聞かれるところではあります。以前に於いては、日本の政治家は、国や国民のためではなく、政治家自身のプライベートに関係する利権構造にのみ固執しなから利益誘導を行なっているような云われ方をしていた時代もありましたが、平成、それもバブル崩壊以後にはすっかり、そうしたイメージもトーンダウンして、"ナイスミドル"世代の、若い保守改革派イメージのそれが定着の様相を呈しているのは御承知の通り。大川端のリバーシティ21もまた、地上げ利権絡みによるバブルの舞台ではありましたが、それに較べれば、"政治家自身は手を汚さない"の庶民世界でのキャッチフレーズを地で感じられるような永田町世界というのも、或る意味ではFLEX-J Webmasterに於けるホテル・デートのそれにも似た、実際はアルバイト感覚によるプロの愛人嬢達の匂いすら漂わせる、割合に誰からも肯定される範囲内での"プチ金権"を思わせるものがあって、政(まつりごと)の世界に近いことから、叙勲の等級にも優先的に最高ランクが配分されたり、キャリア組国家公務員の官舎にしても格安賃貸料に於いてそれこそパレロワイヤル級のものが国からあてがわれていたりするなどしてただでさえ"旨味"のある世界にあっても、昭和元禄的なる"談合""贈収賄"の匂い(→FLEX-J Webmasterは基本的に第三者なのであって、自分自身に直接関係のない話に附いては知っていても関知しない、ことなかれ主義を絵に描いたような、何様でもない、放任主義的なる人類ながら)が薄らいでくるだけで、昭和元禄には無く子も黙っていた自民党までもが、近くには田中康夫(今の長野県知事に於ける、政治的というよりは全面的なマネージメント等を担当していそうな)事務所も納まる、大きな保守系野党第一党が経営する居酒屋の感覚へと収斂されてきている印象までもがもたれたりするようになるなんて、昭和元禄の頃には全く考えられないこと、なのでもあった。終戦に始まり、昭和元禄の時代から平成にかけての戦後期は、わが国の政治に於いて、まさにフランスに於けるパレ・ロワイヤルにもイメージ的には重なってきそうな激動の時代だったことが、つくづく納得されてくる次第でもある…
心と身体を扱うデート・ビジネスのひとつ、某出張ホスト・クラブ利用者の体験談から拾ってみる ホテル・デートが流行っているが、ホテルでのデートをビジネスにしているのは女性で、男性はお客の立場……のイメージは、出張ホスト・クラブのサイトに於ける「デート・サンプル(体験談)」のページを眺めていると、いともたやすく払拭されてしまうのかも、しれない。自分がいる世界とは全く異なる同伴ビジネスを手掛けている男達、のイメージは、男性のFLEX-J Webmasterの目にもあまりにもショッキングなものであり、目が醒めるような印象すら持たれる。逢っていることを絶対に秘密にしてくれるプロの男達とのデートを対価を支払って手に入れる女達には、或る意味、少女の頃にお気に入りの男性アイドル・タレントに係っているような、ホットになれる何かが、楽しいのかもしれない。プラトニックにも官能的にも楽しませてくれる世界は、絶対に安全なスリルや興奮を求めている女性達にとってはきわめてニーズに見合い、女性本位に計算もされ尽くしている世界であることは、間違いが無い筈である。CyberGIRLサイトおよび制作者であって出張ホスト業界とは何らの関係もないFLEX-J Webmasterとして、こうした男性による出張ホスト同伴を薦めるものでは決してなく、女性各位には自制心をもって、しっかりとした判断に於いて、客観的に過ごされることを願うものであることを記しておきたい。逆にいえば、セックスを前提にした女性を派遣している高級エスコートクラブが提供しているような世界も、女性側は業務の中で、お金を提供してくれるパターンのある種の逆ホスト達を相手にしているような場合も結構あるらしく、サービス側とお客の関係の中で、好きなタイプの客もいたりするようである。勿論、女性から然程受けがよろしくない、或いはもったいぶられている男性の場合にも、自分をそれほど好きではなさそうな女性を、対価を伴う"合意"の関係の上で、思う存分堪能してしまう種類の愉しみに、ある種のエロティックな欲求の昂ぶりを感じさせられてしまうケースも、勿論ないこともない筈であり、女性側でも不条理を楽しめる人しかプロは勤まらないことであろう。女性を、感じよくエスコートする所作、営為に於いて、プロとアマチュアの男性とではどれほどに、何が異なるものなのかは、FLEX-J Webmasterがいま、ここに記すよりも、実際に利用している女性の体験談を無責任に読んでみる方が、きっとずっと情感に浸透してくる側面があるのに違いない。そして、何を考えているのかわからない、形だけのプロとのデートでは満足できない向きも当然出てくることであろう一方で、相手役がいて、シーンがあって、ムードを満喫して、などの、映画キャスト体験的、或いは憧れの男性アイドルとのデート企画、のようなノリでのデート・イヴェントを思う存分体験してみたい気持ちの強い向きには、愛の有無など関係のない、本物の愛なんてめったにありえないし、結婚にしてみても、妥協の上でお金の絡む生活契約関係として存在しているのだから(出張ホストやクラブホステスに関しては表情からはわかりにくいかもしれないが、風俗系の場合には、それぞれのサービスを拒むことは無い。が、案外にはっきりと好き嫌いを表情、或いは行為中の雰囲気の中に、しっかりと表していたりするものであり、好ましいセックス・フレンド或いはお金は別にして気持ち込みのホテル愛人的存在としてのカレ、として認められるか、までは、全く確約されていない)、のはっきりとした割り切り方に於いて、東南アジアのリゾートにいる男のコ達を買う感覚で、むしろお金によって得られる種類の王様的なる快楽をそこから得て行きたい向きには、案外にお薦めの息抜き方法なのかもしれない。水商売や風俗を介した出逢いではあっても、気持ちとしていい感じに、ファン的に入り込んでいける感じの異性に巡り合えることには、男性でも喜びを感じることができるように、ホストを雇う女性の側に於いてそれが見られた時にも、自制心は求められるにしても、空虚さを忘れさせてくれる温かい体験が可能になる、のかもしれない……
「マックス・マーラ」&「ジバンシィ」……青山通りは、直営ブティック・メッカ [表参道"ルポ"ページ][ダイムラー・クライスラー公式HP] "ロシアン・ヒルズ・ストリート"こと青山通りは、十字架状に交差する表参道を中心として、青山学院の並びに登場している「マックス・マーラ」および、一丁目のホンダや外苑前のカッシーナから近いところに出現している「ジバンシィ」などなど、神宮の参道を離れても、まだまだ見所の少なくないエリア。恒に時代の流れの移ろいを感じ取りながら、呼吸し、変化しながら、繊細に、流麗に、輝き続けているハイ・ファッション、ハイ・スタイルを身近に感じること自体、愉しみの多いことである。マクドナルドにしても、国連大学の並びの店舗に至っては、実にインターナショナルなムードたっぷりで、洗練された印象を漂わせている程、なのである。こういうプレイスでは、寧ろ、近隣生活者の若いコであれば、Aクラスやスマート・クーペのような、ファッション性の高いコンパクトなパーソナル・ビークルを乗りこなすほうが、東京にも、ヨーロッパの旧市街のように狭い路地が各所に見られることからも、よりいっそう、実用主義に目覚めた在住者っぽいし、子女系のコが乗っていても「おぼっちゃま」「お嬢様」だったら小さなクルマでも許される(←1980年代後半的な、バブル便乗ギャル感覚表現; 「たとえ〜でも……〜の場合だったら格好がつく」の類義語)のでは、あるまいか。それに対して、日本車の"弱点"は、基本的に日常実用主義の権化なのであって、それに絡めてハイ・スタイル・ファッションや思想を語ることがきわめて困難な一面にある訳だが、逆に言えば「日常実用主義の権化」だからこそ、北米市場での日本車のシェアや評価の高さが見られることもまた、間違いがない。様々な国々からの移住者達の国、アメリカに於いても、一応のヨーロッパ系民族の末裔のような人達が、日本車にカリスマ評価を与えていたりする姿は、日本車メーカーが、北米市場向けには、高度な工業文化に於けるクラストマン・シップ溢れる工学的、藝術的、文明的言語を知的アプローチのために(それをことさらアピールするしないは別として)用意しているのに対して、国内市場向けには格別にそうしたものを用意していないことに由来している。ニューヨークのミドル・ハイグレード・チョイス級からアッパー・ミドル級、とりわけとりわけ、マンハッタンで働くビジネスマン層および"士のつく仕事"をしているクリエイティヴ層、そして「レクサス」「アキュラ」などのプレミアム・ブランド呼称をもって、現地的ベンチャー成功者のような向きを相手にしながら、彼ら、第一級イメージの強いアメリカ市民がニューヨークで乗って似合ったりモテたりする車、のイメージがベースになっている日本車に於いては、けっして、ハイ・ファッション、ハイ・スタイル傾向の強い、青山通り近隣在住者、もしくは東急東横線沿線の街および代々木、世田谷、品川山側エリア的なるイメージの人々が、より高度に文化的であろうとする用途に向けて、(何故かハイ・スタイル・エリア側で人気のある近年の日産車、および1990年代中頃までのマツダ車やホンダ車を除いては)何らのプロフィール言葉や創造的意図、エリア・カルチャーへの共鳴感覚も持っていないようにも思われてならないのだ。いまさら、初代および二代目ソアラの話をされても、な気持ちは、最新の国産車消費トレンドの波を前にすれば、多々起こりやすいのかもしれないが、逆にいえば、本当にきれいなままに乗っている当時のソアラだったら、現在それらのエリアで眺めてみてもしっかりと絵になってくれるような気さえしてしまう。あらためてトレンドの波が、「セレブ」すなわちラグジュアリー・セダン・タイプのリバイバル・ブームから、「パーソナル」すなわちホンダ・フィットのようなタイプのRVへの回帰現象が見られるようにもなっている昨今にあっても、スタイルはスタイルとして、定番化しながら存在し続けている。そして、楽しみや充足感に於ける等価意識が高まり、セレブじゃなくても、ハイ・スタイルじゃなくても、それなりのスポーティ感や若さに満たされたライフ・スタイル感覚があり、充足感が得られて、楽しければ、大人の男女が乗る「ホンダ・フィット」による(デートを含めた)移動やショッピングでも幸せなのだ式の価値観が、ダイムラー・クライスラー系統に於いてはAクラスに於いて示されているように、人々の間で満喫され始めていることに関しては、それが「不況」だとか「デフレ」だとかのマイナス指向によらない限りに於いては、きわめて良い傾向である可能性が高く、大人のヨーロッパ人のセレブが「フォルクスワーゲン・ゴルフ」や「Aクラス」をパーソナル・ユースに使用しているようなあり方において、一丁目で生まれた「ホンダ・フィット」が使用されているのだとすれば、それはきわめて好感度の高い、そしてハイ・スタイルでもあり得るパターンに於ける、国産車文化の一つの成熟の表れ、であるのかもしれない。セレブの紳士淑女が、パーソナル・ユースでゴルフを運転しながら、休養に出かける高級リゾート、或いはサロンのパーティが持たれる中心街に於ける高級ホテルの広間や個人所有のお城のようなハイクラス・セレモニー・ステージに乗り付けても、そこには高いステータス性があり、セレブである彼らの尊厳および伝統的スタイルにしても、僅かばかりも損なわれるものでもない。が、それを国産車で国内セレブが行なうといかなることになるであろうか、を考える時(実際には、帝国ホテルあたりを除き、地下パーキングの利用を求められる場合が大半のため、車種が何であれ、誰の目にも止まらないことから、高級車で正面車寄せに乗り附けるような日本の芸能界的なショウ的パーティに於けるそれを除いては、仮に正面から入るにしても、ハイヤーのみならず一般のタクシーの使用であっても何らのステータス的問題も、困難さも、起こらないのだが)、果たしてセレブに於けるオーナー・ドライバーが尊厳を保ちながら、たまたま近くに居合わせたバブル世代的感覚の持ち主たちの目に停まったとして、軽んじられるような目で見られたりしはしないか、などの疑問に対する楽観的確証に関しては、僅かばかりも得られない。車種がマークUであったり、セルシオであったり、ニュー・フェアレディZであったりしたとしても、だ。が、いまどきは、目に見えてセレブらしいセレブ的あり方をして過ごすよりは、フツウの無名の人っぽく、目立たず人の視線を刺激することもない、ラフな格好で、ラフな車に乗り、お忍びっぽくそういったスポットをも実用的に利用する"隠者"タイプの姿のほうが、テレビのセレブ特番のクルーがついてきているのとも違う、全くの普段の姿っぽいような、国内的感覚のほうが、よりいまどきっぽくもあるようにも確かに思われたりもしているし、海外にも類型的事情は見られる。実際に、おしのび姿が有名だった世界的セレブには、故プリンセス・ダイアナおよび王子達がいるし、男性セレブにもパーソナル・カー主義が確認されている人々は知られている。そして、国内に目を向けてみると、たとえば、昔モデル過ぎない中古のメルセデスやBMW、アウディなどの車種と、人気のワゴンやクロスカントリーなどのRVタイプの中古高値相場を較べてみれば、価格的には寧ろRVタイプのほうが高め、の実勢が見られるのも確かではあり、FLEX-J Webmasterにしても、たとえば現在の白い5ナンバーの使いやすいパーソナルRVカーのみならず軽乗用車、バイクを運転している時に、たとえばそれで帝国ホテルのパーキングに乗り付けてしまうことだって平気でできてしまうような、ある面で意表をつくのが好きな、高級車にこだわらないカー・マニアックな一面もあったりもあり、別段何かを我慢して小さ目のパーソナル・カーに甘んじている意識も皆無なのだったりする。ただし、ある種のパーソナル・カー・ブームに関しては、ある面、意識がバブルの頃から変わっていない人達からの嘲笑的な感覚で、大人なのにお金が無くてデフレ時代の車に乗っているのか、或いは、大人なのに男らしく立派に見えない、パシリみたいで尊敬できない、などなどの点で、稀にではあれ、いや〜な眼差しに晒されたりすることも考えられなくはない。そして、日本国内には、なかなか、無言の説得力をもって、大人の尊厳を保ちながら実用的に動いてくれる種類のパーソナル・カーが少ないのも、事実なのではある。が、何故か、見栄えのするカップルやグループで乗っている時には、どんな車であっても、ある種のステータス感やそれなりの優越感をたたえようとはするものらしく、FLEX-J Webmasterにとっては日用品的なる位置付けのコンパクトでパーソナルな愛車にしてみても、カップルとして乗っている分には、むしろ下手なマークU系あたりよりもずっとハイ・スタイルな、欧米ブランドによるOEM生産車らしいファッション性を醸し出してはくれそうなのでもあり、それくらいに、なんとなくデートに使われている車に於いて、それがしっかりと人々のステータスをより魅力的に見せられるようなものは、そうそうバリエーション的にも数多くないようにも思われてしまう。環境問題や先端技術、或いは実用性に照らして本格ハイブリッド・カー、プリウスにパーソナルに乗っているような(→ただし、格別な意識によらずにそういった人前での行為に及ぶ人々に関しては、それをパフォーマンスと呼ぶ慣わしが、この国にはあるようだが)エグゼクティヴ級以上だって、数的にはけっして少なくはないようにも思われる。問題は、それぞれのパーソナル・カーが、日常の現実主義的なる現実世界の土俵の上に置かれて、それぞれのオーナー・ドライバー達の生活上のスタイルやファッション、ステータス、尊厳にも連なるクオリティ感、はたまた単純なれども本人自身に於ける生き甲斐や意欲、意義、楽しさの感覚を、スポイルしないでポジティヴに運んでいったり、演出したりできるのか、の一点にこそあるのだから…
八ヶ岳のホテル・リゾート・タウン「リゾナーレ」 "晩ごはんのお買物前の時間帯"に放送されている、元国内線スッチーを含めて若い女の子レポーターが大挙出てくる情報番組で紹介されていた小淵沢のハイセンス・ホテル・リゾート。どれくらいハイセンスなのかに附いては、マリオ・ベリー二をアーティスティック部門の総合プロデューサーに迎え、客室のインテリアがすべてカッシーナで統一されていたりするするような、高級コンテンポラリー系デザイン・ホテル、のライン。明るいイメージのホテル・スタッフ、スケールの大きな八ヶ岳の高原の自然との共生、ハイ・スタイルなのに気取りの無い、ナチュラルな時間。どれをとっても魅力的なコンセプトを描き出している、ホテルの形をしたアート作品に於いて、デートおよびファミリー・ライフを楽しめるのみならず、二人部屋を二名料金で取る以外の形での、純然たるシングル・プランも用意されていて、"一人になりたい時"にも使えるように(??)シングルでの純粋な息抜きや保養にもしっかりと供される仕組みになっているのも、カップル・ベースであることの少なくない高原系のリゾート・ホテルの中では、案外にユニークかもしれない。が、確かに、いまどきのリゾートはマニアックなニーズが高いこともあり、たとえば有名な日本一の豪華フェリー「太平洋フェリーいしかり」に於けるホテル・キャビン側のスィート・ルームに女性シングル旅のマニアックな客筋が一人で泊まったりすることも珍しくない時代、なのである。FLEX-J Webmasterがニャンコ・ネイビーのdolaさん共々「ホテル・キャビン側のスィート・ルーム」に乗船した際にも、そういえば純粋に客船だの飛行機だののようにメカっぽいものが好きそうな割合に若い女性客筋が、シングルの気配で、船の現在位置表示板の前で飽きることなく眺めている姿があった。どことなく、東京ウエストに於ける私服制の進学系都立高校に於ける、うっかり留年後に加わったクラスにいた、結構ストイック系なのにどことなくセクシーなフェロモンを感じさせる女子の一人にあまりにも酷似していたのが印象的なのではあり、以前に立ち読みで眺めていて発見した、彼女が出演のかなりきわどいヌード・ショットのイメージが湧きあがる以前の状態として、クラスの女子に対しては不器用だった高校在学当時の二人に戻されてしまったようなストイック感覚に引きずり戻された感じになり、お茶にすら誘い出せなかった体たらくが悔やまれる結果に。プラトニックでも本当に異性感情で求め合いながらの密会デートの感触はあり、それが不倫であれば怒り出す人もいそうなくらいの逢瀬、であったような気もしてしまう。ヌードになったりアダルトビデオに出たりする女のコの場合には、特定の視聴者像(大抵は煮え切らない関係に置かれている意中のカレ)に向けての、擁するに(「テレフォン・セックス」のような意味合いでの)「ビデオ・セックス」だったりする場合が少なくない。「お金」が目的だったり、「若いうちに記念を残しておく」目的だったりするだけのそれにはない、特定の誰かに対する訴求的なボディ・パフォーマンスのフェロモンが漂っていたりするので、それとわかるのだが、あれがもしも自分に向けられた訴求的なセックス・パフォーマンスだったのだとすれば、たぶん、それによって既に相当に、そちらの感性でもしっかりと結ばれている関係であることにはなってくるのに違いない。リゾートの世界では、高級ホテル・リゾートも良いが、究極のリゾート体験は豪華仕様の客船に滞在しながら、目的のリゾート附近に接岸するような、太平洋フェリーの例で記せば、年末年始小笠原諸島クルーズのようなホテル・シップ滞在を含めてのそれに究極の真骨頂があるようにも思われることもあり、とりわけ大人の男女関係に於ける舞台として文芸的に表れてくる時には、リゾート・ホテルにはとりわけ表情豊かで官能的な、人間らしい大人の本質面が際立って写しこまれていくものでもあり、お互いにエロティックな関係への指向性やイメージを共有している関係での、インテリア感覚が極めて「リゾナーレ」のそれにも似ている豪華フェリー船上での再会には、発展的で具体的な展開こそはない、セックスの関係になりながら心身共に絡み合うことに臆病(セックスの世界で全てをやり遂げたような上級者の女性の中にも、セックスは快楽云々以前に激しすぎて男も女もバカみたいになってしまう世界だし、欲望が絡むから嫉妬心も激しくなってしまったりして色々な目にあったりもしているから、肉体関係のあるデート関係って好きじゃない、みたいな呟きを語る女性も、セックスは気持ちいいけれど嫌い派のカテゴリを生み出していたりして、臆病に似ている面があるような気がしないでもない)な、煌いていた頃の輝きが高校時代のストイックな多感さの中にあった感じの女子との、小さな、そして(FLEX-J Webmaster的には好ましくないとの認識に於ける、成長阻害的な一面も確認される種類の)爽やかさ、プラトニック=ストイック型意識のもたらす、せつない純愛パターンが、そこに、再び、束の間、生身のそれぞれの身に、あの頃の恋が、リバイバル上映されたような気分には、違いなかった
松任谷由実(荒井由実)の世代ヒット曲「中央フリーウェイ」、そしてmac一族との別れを可能な限り無駄にしないためのニャンコ空軍達それぞれの心の旅のスタート 東京ウエスト、もしくは千葉県側ベイエリアで育った人間は、"ユーミン"のラヴ・ソングスには、いつだって強く影響を受けているし、懐かしくなってしまう。「中央フリーウェイ」を始めとするナンバーの感覚は、文章術的にはオートバイとアメ車、そしてソリッドな青春群像で知られる片岡義男氏のハワイ帰国子女草分け的早稲田小説および、後期からは野坂昭如氏および大島渚氏世代のオジサン文化人世代的な漢文調バンカラ言語の影響を受け、また1980年代にテレビ界の情報系バラエティ番組の中で最も華やかには違いなかった初期の『Oh! エルくらぶ』のメイン司会をしていた田中康夫長野県知事の場合、感性では「松任谷由実」の東京スタイル感覚と「井上陽水」のニヒリズムの、よくできたコピー、良心的パロディ的存在として、現在でも文庫本化されて発売されている「なんとなくクリスタル」の読者間に於いて広く知られている。が、この選択的リンク・コメント・コーナーを記しているFLEX-J Webmasterの場合は、「なんとなくクリスタル」に出会う前から、英文学・アイルランド文学・ゲール語研究者の草分けの一人として知られている祖母が、FLEX-J Webmasterが物心つく以前からしばしば羽田から世界各国で開かれる研究者向けのイベントや大学での講義などで忙しく飛び廻り、また、地方の豪農の娘として育った母方の親戚が東京ウエストに好んで暮らしていたために、ユーミンのヒット曲とは意外にも無関係に、FLEX-J Webmasterには「中央フリーウェイ」も「羽田を含めての東京スティミュラス・スポットの数々」も「肥沃なハイセンス消費」も、ロイヤル・ファミリーを含むセレブな人々に関するサロン話も、至極身近で見聞きされて、楽しかった。FLEX-J Webmasterk 場合には、出生地であるところの東京都世田谷区から千葉県船橋市(現在の営団東西線直通東葉高速線の「飯山満駅」附近)、それから「アメリカ空軍横田基地」に程近い、東京都西多摩郡に暮らしながら、最寄の駅前に紀ノ国屋スーパーがある私服制の進学系都立高校の全日制(留年歴あり、だが、昼間のコース卒である)に通い、当時、一応の高級原チャリMBXに跨りながらの、ツーリング少年として、放課後の時間には専ら都心で過ごしていたり、マスコミ・ライター養成の専門学校に通ったり、契約社員として大企業で働いたり、一度挫折を味わわされながらも一念発起して大学受験予備校に通い直して、セントポール(立教大学文学部英米文学科)に合格して割合に長い時間在籍していたり、学生アルバイト資金を元手にアメリカ空軍基地近隣の駐車場附きマンションで生活を始めたりするなどしながらの時間を過ごしていた。東京ウエストの場合、実際上の国際線ターミナルがあまりに遠くへと移転してしまったことで、格安化されるようになったなどとは言われながらも、海外が漠然と抽象化、千葉そごうおよび幕張ホテル・デイストリクト的ゴージャス趣味化されたイメージに変貌されてしまったことによる文化的ダメージは少なからず見られ、多摩川を河口に行けばそこは世界への玄関口だったり、アメリカ軍の高級将校達の文化が賑わっていた時代の、良かれ悪しかれ「一ドル=360円時代」感覚に於ける心優しく華やいでいた時代の洗練は、今や昔話の片隅でごくまれに物語られるに過ぎない風物詩へと成り下がってしまってすらいて、敷居の高さに対して、現在ではとても清貧なイメージすらもたれている、ローカル地方自治メッカ(→東京ウエスト人口に地方政治への高い関心が渦巻いているのは昔からの伝統ではあるが)へと変遷。勿論、文教都市圏としての古株であり、きわめてストイックな一面と共にある意味、千葉系ベイエリアにはない、ハイブラウ然として斜に構えているパーク・ハイアット東京的横顔がちらつくような、オリジナルの東京ウエスト的大人主義的、"都内の軽井沢"的スノッブ生活地帯としての真骨頂も見られている。知的キュートでありながらもどことなく瀟洒なおしゃれ日本猫♀として知られたcologneさんは、本格バブル化時代の数年前に生まれて、典型的な東京ウエスト生まれの性格を秘めながら後に飼い主である妹の仕事の都合で東京イーストにお引越し後も、文化的な感覚やプライドの高さでは、伝説的ブラウンタビー♀のmacさんをも唸らせる、お嬢様度の高い子であり、東京湾フェリーだの、フローティング・レストラン・スカンジナビアだの、霞ヶ浦の観光クルーザーにも乗船できて上機嫌、満25歳近い長寿まで生きることができた。剥き出しなる東京イーストに対して、東京ウエストは、いわば、シャイであるが故に、紳士・淑女的なる子女的スーツなどに身を包んでは、大人びたサロン系の場所に顔を出したり、学校で真面目に勉強したり、大人っぽい気分で学習的にフィールド・ワークを続けたりするヤング群像が立て続けに現れていたような、とても引っ込み思案系ハイブラウな、新聞を例に挙げれば"朝日新聞"系の側面が強い一帯で、そういった中にあって"読売新聞"を評価するようなタイプにはどちらかと言えば米軍基地の存在に対しては隣人的であって親善的、そして東京イーストの浅草・新橋・銀座・日本橋方面の旦那衆っぽい男性的文化への傾倒を強く示したり、食通の道に走ったり、より生々しい形での女遊びに狂ったり(女好きなのは朝日新聞系読者タイプだが、朝日新聞の読者には文化人やクリエイターが少なくないせいか、高級なプチ変態がたくさんいたりすることが、広く知られてきている。性格的にはいたって謙虚で、付き合う分には安心できて、根からの悪者は少ないものの、女性に対してはエスコートはスマートでマニアックながらも少しだけクールだったり、どこか不感症的でありながらも手広く異性に手を伸ばすようなタイプが少なくない)するような、合理的な快楽主義的現世利益主義者が見られ、東大を含む上位クラスの有名大卒、アートや文学、学術全般などの感性的分野を含めて、インテリやアーティストの世界に強い朝日新聞読者タイプに対して、権力的だったり大御所的だったり永田町的であったり銀座的であったりジャイアンツっぽかったりするような、良かれ悪しかれ「金権がすべて」のイメージが、読売新聞読者には強く確認されているのは、先刻御承知の通りであろう。どちらが良いという訳ではないが、朝日新聞はどちらかと言えば、現在ではどちらかといえば反動を模索している様子ながらも、アメリカに関してだけは消化不良気味の、革新系イメージが長らく強かった新聞であり、どことなく左翼に影響されているような、ハイブラウな人たちの総本山のようなメディア母胎には違いなく、割に頭の良い上位大学系の体育会系的なる体質が強いものの、近年は、急速に保守化を深めている筑紫哲哉氏の古巣的「朝日」に対して、元・東大左翼のナベツネ氏を始めとする隠れ左翼的体質が如実化してきて、オピニオン的には木村太郎氏のそれに近い「読売」のジャイアンツ的大御所体質に於ける、実は「朝日」系読者のほうが(革新系体質を持っているので草の根庶民感覚に進んで近づいていく傾向を持ちながらも)平均所得水準に関しては高そうなイメージの浸透に於ける、バブル崩壊以後の(ただし、新聞自体は以前よりも数段合理的になり、ニュース・ソースをめぐるアンテナに於けるピックアップ能力も鋭くなり、賢い新聞になってきている)各新聞それぞれのスタンスの置き方に関して、最も苦しい試行錯誤を続けているのが「朝日」であって、最も現実的な頭を使いながら立体的な紙面づくりの工夫を続けているのが「読売」、の図式が、定説化してきている。ただし、インテリの中には、依然として"朝日新聞の書くことしか信用しない"人達も少なくなく、ニューヨーク・タイムズっぽく、豊かなのにハングリーな面が強い「朝日」に対して、資本主義国家版"人民日報"っぽい、永田町インサイダー的ギルド型の「読売」は、ニュース・メディアが目指すべきであるとの理想をもたれている"体制に丸めこまれない独自のスタンスに於ける批評的本質報道"の面では、東京ウエストの世界では、リーク媒体としての妙味ではともかく、大政翼賛会的であった時代への反省にも則ってか、高尚であって文化的なる人々の間ではいまひとつプロパガンダ的であって信用されにくい構造下に置かれていることだけは、現在でも否めないようであり、東京ウエスト族に於いては、どちらかと言えば下町びいきなのに消費地帯的に肥沃であって、利権に恵まれやすい、クラブホステスおよびローカル商人利権主義的なる銀座文化への、が、バブルには昔から割合に批判的な新宿デパート民族的スタンスに於けるエリア感情が作用しているのは確かであり、実際はジャイアンツ・ファンには知的な顔ぶれが少なくはないのだが、スポーツにばかりかまけていて、ビジネス・ニュースやトレンドには優れていても、アメリカおよび自民党ベッタリ的な"玉虫色媒体"であり続けているだけに、市民メディアとしての「読売」のイメージの弱さにも、マイナス・イメージはもたれている。ちなみに、東京ウエスト方面に少なくないアメリカ軍人の中にも、軍人ながらも個人としてはニューヨーク・タイムズ寄り、な人達は少なくなく、権力は恐いものであって、市民の理知に於いて、議会民主主義的なるルールを最大限生かしながら、聡明なる市民に於いて管制[シビリアン・コントロール]されるべし、の、軍人世帯に於けるアメリカ市民意識が、とりわけ東京ウエストの日本側に作用するかたちで、米軍基地黙認的な「朝日」型世論の巣としての、東京ウエストが構築されていることがわかってくる。しかも、山の手側、武蔵野側は昔から、下町よりもランク自体は上に見なされてきた、文化的敷居の高い、白樺派的環境、すなわち瀟洒なおしゃれ日本猫♀として知られたcologneさん系のキャラクターのメッカであっただけに、すなわち、根拠なく若僧の分際で高いところから話をしていたような田中康夫的パーソナリティだったり、あるいは呉服屋名家の娘として、より大衆へのこなれた心性を、田中康夫が発揮している嘘っぽいそれとは大分異なるものとして、が、やっぱり東京ウエストの地勢感覚に根ざしながら発表し続けているユーミンだったりするような、ある種の啓蒙主義的感覚を持った、気位の高い人間達の産地に相応しい。そして、東京ウエストにはかなり似ていながらも、農民根性的なメンタリティに於いて米軍に対しては「土地返せ要求」を続けていたり、プラトニック省略な"赤プリ"マニアック的セックス大好き族の感性を持つ、西埼玉人からの熱い支持をも集めながら、彼らはデート快楽主義者達の教祖としてあがめたてられるに至ったのである。西埼玉系の場合は、より身近なインパクトを持ったエロスに惹かれるため、田中康夫のテーゼが「促成栽培」的過ぎたり、「嘘」っぽかったり、「実はたいした話は何一つとしてしていない」現実があったり、「やれればそれでいい」的であったりしても、それが西埼玉人口に於ける、メッカの渋谷道玄坂が大好きなラブホテル&風俗マニアック的県民益には適っているために、特に不満は無い訳であり、東京ウエストではしばしば耳にしていた田中康夫式の愛無き"パフォーマンス唯一主義"への批判のようなものも全く聞かれない。西埼玉人的な感覚に於いて、バブルのようなものは実は苦手ではあれ、おいしさや買収、贅沢ムードには諸手を挙げて飲まれやすい「読売」読者的弱点も顕著である。欲望的な他人の体験談についてはそれを見聞きすることを楽しみながらも、本人としては一応は生々しさや無分別を否定しようとしたがる傾向も強い、クラスの高い家で育てられた知的ブラウンタビー的なる東京ウエストの革新趣味的ハイブラウぶりに対して、より肥沃な農村的地勢に恵まれている西埼玉人の間では、快楽的欲求に対しては大らかな態度に於いて率直に正直であることが何よりも美徳とされるため、グルメ・マニアな埼玉ナンバーが都心のグルメ・レストランのパーキングの常連化していたり、ブランド大好きが生まれつきの気質だったり、西武電車的"赤プリ"マニアックな若者文化が育ったり、陸サーファーや高級車ドライブ・マニア昂じた所沢ナンバー圏の人々がモータリゼーションの極みのようなレジャー・リゾート文化の積極的マニアックへと駆られたり、成田は遠いのに海外旅行マニアック化してみたり、楽しみの謳歌のための風俗ギャル・バイトいわゆる"アルバイシュン"を続ける女子大生・OLの群生地帯だったり、などの、特異な肥沃ぶりが、見て取れるのは、西武や西友の店内がいかに西埼玉的に出来上がっているかに着目してみても納得されることであるが、客筋には少なからず、風俗・水商売によって潤っている女性達のマネーが投下されていることにも今一度着目してみる必要があるであろう。そして、西埼玉系レジャー風俗マニアックのロジックを検証してみると、そこには「客よりも風俗嬢の方がある種のポジションが高くみなされる、ある種のアイドル崇拝傾向」が見られることも見て取れる。そして、ただただ気位が高いだけの他所の風俗嬢に対して、西埼玉系の風俗嬢の場合、全てに関して積極参加的であって、面白い趣向のプレイを素直に歓び、裏バイト世界に独特な種類のコンテンポラリー空気をも爽やかに満喫しながら、人生の快楽を謳歌できる、狭山茶のような非米作系の作物栽培地のブランド産地の形で知られてきたエリアに於ける、充足的な快楽主義者のメッカ伝来の行動意識が作用していたりする訳なのであり、どことなく南九州の女性のオープン・マインドにも酷似していたりする。小奇麗でセックスレスがちに漫然とするような死せる退屈よりも、人生を満喫できる生きた裏的エロス(西埼玉の女子大生・OL・人妻が「エロ」な話を大胆に口にしてもけっして違和感や暗さ、不快感、或いは下卑たところが無く、概しておおらかであって贅沢なまでに豊穣なのである)をこそ、西埼玉では選択されるのが是なのであって、お客の立場よりも、風俗に従事することによりながら高額収入を得ながらフロイト生理学的なる肉体的欲求の解消にも積極的な、昔からの西埼玉娘タイプが、経済収益性の高い柔軟な金の鳳凰的存在として珍重されるのは、至って当然の発想なのであって、それゆえ、風俗業界の仕掛け人、経営者のような存在にも、金の鳳凰に群がる西埼玉的男性論理が顕著に眺められることとなり、風俗業界で合法的なる裏所得を得ている女子大生およびコギャル、スッチー、OL、人妻のような女性達からの営業代理店的マージンを得ようとするような人達およびそれと知らずに彼らからの影響を強く受けている一般的西埼玉系OLおよび主婦、そしてそういった段階の裏的所得を得るようになって初めて手が伸びるようなレベルの高額商品をも取り揃えている合理主義的な某電鉄系百貨店の肥沃であって表と裏を良く知り尽くしている流通感性へと、西埼玉独自の意識による流通感覚が発達していく。西埼玉系の感性は、フラッグシップ的なる"赤プリ"のみならず、"ホテル・ニューオータニ東京"を初めとした他銘にも盛んにアプローチをしていく面も見られ、それゆえの、西埼玉に於ける独特なる「セゾン・カード」のOLステータスも見られるのでもあろう。西埼玉と東京ウエストは、然るに、隣接していながらも快楽に関する意識やスタンスの取り方が微妙に異なる姉妹的なるエリアなのでもあり、両者に接する時、FLEX-J Webmasterには、キャット・マリンコープのmac一族(macさんとimacさんの二名は、共通するペット・ショップにて発見された、最初からある程度、特徴的に胃腸が弱いブラウンタビーの近い筋であって、血のつながりのある一族とみなすことができる)が思い出されてしまう。mac一族の場合には、出身地は東埼玉の春日部ながらも、国道16号線によって、大宮を経て西埼玉へも然程遠くない地勢の影響を受けている。そして、快楽肯定的な存在であり、春にもなると独特の妙なる歌唱による唄を歌う、西埼玉系でリゾート大好きなマイルドながらもワガママ親分肌のmacさん♀に対して、imacさん♀は、macさんにも流れるmac一族のDNAを確実に受け継ぎながらも、どちらかといえば東京ウエスト系の、知的でやや内気な正真正銘の深層のお嬢様の性格で、美少女的であって、すっきりとしていて性格も頭も良かった一方で、FLEX-J Webmasterが思っていた以上に虚弱体質で、最初からきわめて食が細く、か弱く、過度の食欲不振や胃腸の弱さに悩まされていた。そして、同期のチンチラくん(最初は♀だと思われていた♂)のそばにいた時には、盛んにチンチラくんを母親のように慕いながら、盛んに授乳を求めたりするような子猫でありながらも、愛情にだけはあまり恵まれずに育っていたようで、拒食および栄養状態不良による体温低下に伴う衰弱死が危惧された、生と死の間にあって、つきっきりで過ごしていたFLEX-J Webmasterのストイックな掌による愛撫のフレーズ的振幅に対して、imacさんからの"返答"的フレーズ(→人のみならず猫も知的生命体であるために、脳の認識的なコミュニケーション領域は活動を続けているものと思われ、意識、無意識を問わず猫でも人間の言語を理解しながら、心的なコミュニケーションを図っている印象を受ける)は、ずっと傍にいて看病しているFLEX-J Webmasterを、肉親的に、そして時折ボーイフレンド的に、臨機応変に、柔軟に位置付けながら、アメリカ女性的に絶えず優しい愛情を確認するかのようなメッセージ的問いかけであったことが思い出される。"彼女"自身に於ける健康面や細かな悲運に於ける不遇を悲しむよりは、愛された経験はまだまだ少ない状態で、ペット・ショップから一般家庭に引き取られて間もない、そして、優しい飼主によって愛されたいと期待を膨らませながら心底願っていたであろう、知的寄巣生物としての基本的でせつないプラトニックな愛情欲求が、とりわけ深層の令嬢タイプの端正なるキャラクターであって、あのmacさんとのいくつもの共通点をも持ちながらも、なかなか見知らぬ人に心を許せずにいて、神経質で、薄幸な印象が強かったところが、出逢った一日だけ先輩のチンチラくんによる、相性バッチリで寛容な、どことなく保護者的な態度に安堵を表情を見せたりして楽しそうでありながらも、てっきり毎日順調に、初めのうちは食こそ細いながらも一応はキャットフードを食べていたために食べ続けているものと安心していたところの、拒食症的な栄養失調に於ける、昏睡状態を伴う容態の急変。いきつけの、他の面はともかくとして、猫好きは確からしく、治療に関しては信用できそうな某動物病院へと移送すると、「何日も食事を取っていない痩せ細り方だし、何故もっと早く気づいて連れてきてやれなかったのかね。もっと発見が早ければ、まだもう少しは、何とかなったかもしれないのに」の、叱責に近い診断。自分で食事が取れないような拒食症の場合には、寄生虫が原因の場合が結構見られて、原因を排除すれば、健康を回復できる場合もあり得るんだぞ、などなど、ブラウンタビーの子猫として純粋に愛らしいimacさんに於ける末期的な昏睡状態に接しながら、獣医の素朴な良心性を示していた。猫は知的生命体であるため、人間語には主として意外なまでに高度に精通していて、声出しでのおしゃべりは苦手でも、様々な形で人間に人間語のメッセージを伝えようとしているところがあり、感情も反応も人間のそれとたいして変わらないだけでなく、あまりにも強いある種の霊感的超能力のようなものをも、猫達は当たり前のように持っている。それだけに、キャット・マリンコープおよびニャンコ空軍達と過ごすことは、ほとんど着ぐるみ姿の人類の友達だのガールフレンドと過ごすのとも変わらないこともあって、人類は長らくに渡り、犬や猫を他の動物よりも格上のライフ・パートナーの一端に見なしながらの互恵的な関係を築いてきたのに違いなく、愛玩動物の飼養に関しては、愛護義務違反者に厳罰を処すような立派な刑法が、この国に於いても、近年になって一応は成立している程でもある。一旦は自宅へ連れ戻ることになり、翌朝までの経過如何によって今後の対策を決める手筈を、(獣医としては確かで、動物なら大事にするポリシーぽくも、何かにつけて儲け主義的で、おまけに"河原"出の)獣医は提案してきて、貴重なmacさんを移送用バッグに関する素朴な知識不足によって失ったショックがしばらく続いていたFLEX-J Webmasterも、今度ばかりは獣医による、一応は良心的な"脅迫商法"的な診断を聞かされながら、あまりにも虚弱体質で体力も無かった子にしても、今回ばかりは獣医の言うような寄生虫の可能性を初期に探れなかったことには、ブラウンタビーに関してだけは、立ち直れない程の、二重のショックに苛まれていたが、それは本当に自分自身にとってやむを得ない苦痛であり、問題はimacの健康状態にあってことだけは、間違いがなかった。ニャンコ空軍のdolaさんの真新しいホット・カーペットを季節外れに"南ロシアン山タワー"の1階巣箱から引っ張り出して、模様がエルメスのフールトゥに似ているブラウンタビーのimacさんにあてがいながら、ひたすら、体温の下降が続くimacさんをイイコイイコし続けるしかなかったFLEX-J Webmaster。mac一族だけあって、macさんに酷似している愛らしいところのある、が、若干上品で性格的にもすっきりとしている聡明な顔や、macの妹のような無垢な性格には、素直に愛情を抱かずにはいられない。macさんを、千葉の片隅で落花生の農場だの梨畑だのを経営しているような闊達だがあくどいところもある年配のオバサン系生産者、或いは素潜りを生業にしているような人情派の海辺のオバサンだの、だいぶ先輩世代の古株のリツジョを思わせるキャラクターだのだとすれば、imacは一転して、macとはことごとく対照的なのにやっぱりmacに似ている共通性を持っていた、超高級住宅街に育った内気で体の弱い深窓のお嬢様タイプで、ウェストコーストっぽいところのあったmacが生まれ変わって前世の設定を全てあべこべにしてやり直している感じもある、いわゆる典型的な「朝日」読者タイプのイーストコースト風、であった。欲望や業の深いmacに対して、imacはあまりにも分別のある出来過ぎの優等生タイプないい子で、macとは対照的に猫のトイレの使い方も完璧だった子である。それなのに、愛情確認に関しては、あまりにもこれまでに於いて恵まれたことの無かった世界の子のような、切羽詰ったところが際立って哀しみ色に映りこんでくるような、そして子猫らしく、すべてがストイックで極限的なまでに美しいのであるが、西埼玉のHOYA工場(併設されたクリスタル・ガラス製品の直売りアウトレット・マーケットの存在でも知られる)から出荷されるガラス製品の数々を眺めるような、ある種の儚さが、むしろニャンコ空軍のdolaさんに結構はっきりと見て取れる、おおらかなどら猫ぶりを示して、いい意味で逞しい、厚かましさ、狡猾さ、合理的な割り切りの良さを示してくれるわかりやすい猫のほうが、むしろ、どこまでも健康であり、人間の表と裏を知り尽くした上で、年中仲良く、一緒にポーカーでもしているようなイギリス人的友達感覚を発揮してくれる和める性格の方が、時には誰にでもあるような性格の悪さをも示しながらも一緒にいる人間をどこまでも安心させてくれる、猫の面白さの真髄に接しているようで、少なくともほっとできるネコマタぶり【macさんは、dola的ネコマタぶりを、少しだけ片岡義男っぽい千葉〜東京ベイエリアの湾岸的空気に漬け込まれながら、体系的にはすらりとしてキュートな美形、そして大御所的な、意外な豪快さや気持ちの大きさ、そしてどことなくしっかり者であり、それだけにケチなところもありながらも、独特の愛嬌や寂しがり屋っぽさに起因するオゴリ飯好きな配分者的性格の優しさを加味したような、パークハイアット東京的な感覚の主なのであり、それに対するヒルトン東京は、macに対応してdolaが用意しているような、ある意味完全性の高い、シンガポール趣味に於いても一流の汎用シティホテル的趣き】とは対照的に、imacの場合には、すべてが精緻に、なおかつ繊細に、そして純粋に作られすぎた、また、納得できる愛情深さや優しさが確認されない限りはなかなか心を許すことのできない一面が強くて、しかもずっと、あまりにも小さくふわふわとした心許無い肉体に宿った魂が、ただ一人で宇宙空間的孤独に耐えながら、最期の最期になるまで、信頼できる愛情の主の到来を待ち続けているかのような、ペットショップから到着してまだ日数の浅い、素朴な愛情の"夢"を見る、小さくて幼い子猫なのであり、礼儀正しすぎる、飼主や関係者をけっして自分からは困らせない性格の、性格の良い猫なのでもあった。それだけに、彼女の死を前にすると、不条理の一語がただ浮かび上がり、悲しすぎて、やりきれない。最後の最後まで、imacからは、つきっきりでそばにいてくれる人間への問いかけめいたものが、頭や全身を少しでも身体を温める意味もあって撫でる掌を通して感じ取られ続け、素に戻った"返し"で、「きみが他にはいない、優しくて、かけがえのない存在だから」の応答を示すと、"ようやく、本当に愛してもらうことができた…"、の、はかなくも、あまりにも無垢な喜びと安堵と温暖さに満たされての言語的なる振幅信号がimacの感情の内側からあまりにも繊細に、そして柔和に、天使の言葉のように示されながら、imacの全身に幸福感が広がっていくような張り詰めていた気持ちの緩和感が走っていくのが、不幸の中にあっても価値ある幸せ感覚にも似て、imacに於ける永遠の心になっていくそれのようでありながら、あまりにもコンテンポラリーな空気に於いて、FLEX-J Webmasterの妹の部屋を借りながら、茶系軍団としてのキャット・マリンコープの"宿舎"になっているような空間の一角を、あまりにも悲しく虚無的だった空間の壁が、束の間と言う名の無限に於いて解体されるようにしながら、本来の、が、ずっとポーカーフェイスの下に隠され続けてきた、imacさんの素直で暖かな素の心の表情が蘇生してくる明るい心臓や呼吸の振幅の内に、歓びの波のようなそれになって膨らむようにして、FLEX-J Webmasterまでをも、ブラウンタビーだけが持つ優しさの中に温かく包み込んで、優しく満たしてくれるような、明るくて豊かな聡明さを持つ、美しい心の色になっていったのであった。最期まで千葉市内の一見で訪れた先の獣医の「これなら回復する筈。食事も水も、食べるようなら食べさせても問題ない」の言葉が聞かれる頃には、意識や視力を取り戻して、動物病院でmac搬送用に貰ったダンボールの中にあって、車輌で自宅への移送中、眼の前に置かれたキャットフードを元気に口にするようにまでなったり、自力で立ち上がろうと懸命に頑張ったり、血の混じらないウンチまでをもしっかりと出せるようになっていたmacさんは、自宅で水シャワーを浴びてすっかりと容貌や毛並みの元気さを取り戻しつつリフレッシュしながらも、次第にまた血便を出すようになり、容態も悪化、うなされたようになりながらも、やる気を失わなかった、エネルギッシュ的で前向きなOL的エネルギーの塊のようだったmacさんの持つそれとは異なるのにmacさんを彷彿とさせる、笑顔がキュートで明るく敬礼のポーズでもしてしそうな愛嬌で誰からも親しまれたブラウンタビーのmacさんが、続けて更にほかでもないmac一族の中から、今度は江戸時代の子供の身の上に得てして見られていたような虚弱死によって失われてしまった状況への遭遇は、imacがようやく幸せを実感できた形になってからほんの一時間程度してからのことなのであり、macさんの時のように、状態が思わしく健康回復の方向に向かいそうな空気の中で、ほんの一瞬、FLEX-J Webmasterが最小限の雑事をこなしたり、束の間の仮眠を取ったりしている間に於いて、ブラウンタビーの小さな正真正銘の愛猫までもが、すっと安堵して眠っていくようにしながら、安らかにこの世を去っていった亡骸には、無念以外のいかなる文字も浮かばなかった。あまりにもimacらしくすっきりとしてかっこよくてコンテンポラリーで優等生な、それでいて一時間程前にようやく発揮できた本来の彼女らしい、内なる魂の輝きや心の脱皮後の、はかなく切ない彼女に生まれ変わってからの飛躍的なイメージを、今度は追慕しなければならなくなってしまった無念を前にして、FLEX-J Webmasterは、ごく短いながらもしっかりとライフ・タームとしての寿命をまっとうした一名のブラウンタビー猫に対する、悲しくなり過ぎない形での、コンテンポラリーであって自然体でもあるような、普通で何気なく、屈託無くふとした時に彼女を思い出せるようなあり方での今生に於ける彼女との別れ、そして別れ方の美学を、何とか自分の中に定着させようとして、本当にいつも通りな、より自分らしい何気なさの時間の中へと健やかなる自分を戻してやることで、猫としてはかなりの御長寿な、25年近い寿命を生ききったcologneさんに準じた、軽やかな送り出し方をしてやりたかったような気がしていたのであり、し続けるしかないような気がしている。が、彼女がimacさんとして、cologneさんや、imacさんの血筋の猫に違いないmacさんのいる世界へ行って、十分に可愛がられながら育てられているか、或いはお子ちゃま気分の抜けないmacさんによって当惑されているのか、については、誰がいかなる手段によろうとも、絶対に確かめられようのないことには違いないものに思われるのであり、それなのに、imacさんがあの世ではしっかりと食事もとどこおりなくできているだろうか、などとついつい心配してしまったりなどしたりもして、いつのまにか、人生を生きてきた年数を重ねるに従って、確実に、FLEX-J Webmasterの心の中には、良かれ悪しかれ、忘れられようの無い、数々の表情豊かで個性たっぷりな時に悲しいエピソード持ちながらも性格的に憎めないような猫たちがひょっこりと住み着いてきていることが、何とはなしに実感されるようになった。ニャンコ空軍やキャット・マリンコープの猫の誰もが、妹にとってのcologneさんに象徴されるような、より良き親友であって友人の長寿猫として長らく活躍して欲しい、との思いを固めていた時期に、あまりにも悲しい、不確実的な偶発による運命の残酷さや悲しさによって、かけがえのない二名が失われてしまったのにも係らず、それでも世の中は、何事も無かったかのようなルーティンな日々を、ただただいつものように展開しようとして、こちらも、現状に於ける日本国内の失速気味のモチベーションの低さにも似た軋みを放っているのにも過ぎない。そしていたって健康体であるところのFLEX-J Webmasterに於いては、自らに於いて祝福すべき程に、元気であり続けているし、人生に於ける万人に通じる三大欲求を含めての、物事への意欲だのやる気にしてみても衰えるところを全く知らないことが、嬉しくもある一方で、それ自体として欲望の悲しみを痛感させてもくるような、それでもまだ物質的には十分に豊かな時代の中に於ける、心のそれにも似た肉体的な渇きや空腹を健全に受感されられる欲望的な集約点こそは、この世に於ける、FLEX-J Webmasterおよびそれよりも年上の年齢層に於ける感覚の導火線、なのでもあり、ユーミンによる、明るい青春供養のような曲調の、原色の甘やかなキャンディバーの居並ぶ色彩感をも思わせるヒット・ナンバーの数々への、人間の中で最もヴィヴィッドで生々しくも芸術的な装いや所作までもを駆使しながらの、東京ウエスト長期在住歴者的なる、奇妙なまでに一致的なシンパシーの共鳴点であって、感性の一致点でもあることに、このところ、しばしば心の奥底の"何か"がはっとさせられるような蘇生的な気分を覚えさせられるに至っているのでもある…
ポスト「東京ばな奈」の本命格は、「青山・チーズケーキ倶楽部」でキマり、か 祭日明け翌朝のおめざとして羽田空港ビッグバードで調達された、ささやかなる茶菓
巨大軍用空港から大空港・羽田へ、そして川崎FTへ。アメリカン・イメージの、コンテンポラリー・フィールドを存分に駆け巡るような、ニャンコ空軍お子ちゃま軍団の本格的初任務 国道16号線の北総エリアから埼玉方面を経て「アメリカ空軍横田基地」→「中央道八王子インター」→「首都高羽田ランプ」→「羽田空港ビッグバード」→「川崎FT」→「浮島・空港中央」→「渋谷ランプ」→「セルリアンタワー・国連大学・カッシーナ・ホンダ」→「赤坂・永田町」→「銀座・日本橋」→「松戸・柏」の順路を、ニャンコ空軍のおこちゃま軍団こと、soraさん(おこちゃまロシアン♀)とFarrahさん(チンチラくん♂)そしてエリート大先輩dolaさん(ロシアンブルー将軍♀)による、空港と港の視察任務風景をフォトレポートで伝えている(※尚、猫の写真の掲載は、今回行なわれていないものの、実際にニャンコ空軍総員による現地視察任務は、元気に実施されました)
勃起のメカニズムと"中折れ"対策 ファッキングを主体とする若いイメージのピチピチ関係は、男性器が勃起して、女性器の湿地帯が一定の潤みを伴った場合に於いて、初めて行為可能になってくることは、記すまでも無い、基本事項なのでもあります。男性器は、基本的に良かれ悪しかれ感性の一致するエロスのイメージを五感が捕捉して、エロティックな訴求がなされる形で、官能的な感覚が好ましく刺激された段階に於いて(ただし、性的なイメージとは異なる日常の刺激に、条件反射的に反応しただけで勃起する場合もあり得る)、勃起現象となって起こってくるものである。世の中には、せっかくの本命の女性とのせックスはあまりうまく行かず、遊びの関係の女性とは気持ちの良いセックスができてしまう場合も少なく無かったりするのも、男性の愛と勃起とが、必ずしも連動関係にないことを表していたりもする。つまり、男はエロティックな要素には乏しい美女を愛することもある一方で、エロティックであって尚且つ波長の一致する官能的な女性、とりわけ女体から発散される、男性を"やる気"にさせる種類のフェロモンとの結びつきに於いて、勃起するかしないかを無意識的にも決定している面があるのである。そして、藝術派やオジサン的テクニック・プレイ派と、若さ剥き出しで稚拙ながらも男女共にワガママでタッチなどでの繊細さに欠け過ぎていたりして絶倫な体力一辺倒派とのミスマッチのような、ギャップが激しすぎる形などで、身体的な感性の一致が見られなかったり(相性が合わずによくなかったパターン)、女性側がセンスも無いのにやたらに愛撫好きで男性の勃起したものを乱暴に痛々しく弄りまくるので萎えてしまったり(あまりにも激安系のヘルスでは聞かれがちなエピソード)などによる性向の失敗も聞かれがちであり、興が冷めて射精できなかったような体験は、男性には得てしてよくある話には違いない。基本的な原因や思い当たる節が無いのに勃起しない場合はインポテンツ、そして勃起はするので、とりあえず"テイク・オフ"することはできるものの、遅漏とは異なる意味で射精までの高揚感のある官能的なる欲求の琴線を得られ抜けずに、達することが出来ない、つまりソフト・ランディングできずにパニック飛行状態になってしまう場合、前述の原因がなければ、「中折れ」の呼び方で説明される症状が疑われてくるようである。具体的に記せば、近い例では、「サンシャインシティ・プリンスホテル」の回での、赤プリでは業界のプロデューサーに抱かれている元ANAスッチーとのケースでは、FLEX-J Webmasterが置かれていた状況は「遅漏」すなわち、彼女のスケジュールの問題で時間の融通が利かないシーンでの、マーマレード・プレイだの、たっぷりの指ファックを間に挟んでの、残り時間が足りない中での余裕の無いファッキングだったため、時間的に行ききれなかったことがあり、男ペニスにもっと活力ある射精コントロール能力を発揮させるためには、直前一時間半程度前までに本格的な分量や栄養内容の食事を済ませておく(偏食のある向きはサプリメントやカロリーメイトでの補給も効果有)必要があったのであり、どちらかと言えば、「ザ・ストリングスホテル東京」のような場所は、寧ろ、「サンシャインシティ・プリンスホテル」で逢った若い元スッチー不倫妻(フリーターと言うよりは専業主婦系若妻に限りなく近い)のようなコを連れて行きたかったような気すらしないでもない。そして、芦屋訛りの一流大学卒モデルの超ハイクラス美女の場合には、むしろゆったりできそうなホテル・パシフィック東京だのキャピトル東急ホテルだのラディソン都ホテル東京あたりの割合にシュリンクせずに使えるダブルからスィートに至る、もしくは、ヒルトン東京、ホテル・ニューオータニ東京、パーク・ハイアット東京、帝国ホテル、人によっては赤プリのような、もっともっと大江戸味のする、東京テイストな迎賓館タイプをイメージさせるこなれたホテルを選んだほうが、寧ろ、エロティックな心と身体の琴線に於いて東京なるものに染まっていく芦屋訛りモデル嬢の成長と成熟の軌跡を映し出しながらの、洒脱な文学性の極みをもより良好に体感的に得られた可能性が高い(お嬢様セックスのある面"独り善がり"なプレイ傾向癖に、食前H的に燃料切れで、翻弄されているようでは話にならない。おかげでFLEX-J Webmasterは、本当に久しぶりに、一応の知人でありリツジョOGであって外資系スッチーのY・M嬢から漂っていた、控えめながらもそこはかとなくエロティックなフェロモンをけっしてFLEX-J Webmasterの前では否定しようとしない姿を無意識に脳裏に映し出すようにしながら、タイムリミットを前にして芦屋娘が立ち去った後、自分自身によって行為のラストへの昂ぶりを盛り上げながらのクライマックス、そして射精の時を迎えなければならなくなった顛末へと追いやられたのであった。生の女性とのピチピチに於いても締めくくりが得られなかった場合には、自分自身による刺激で勃起して射精できるかを確認することもまた、大切なセルフ・コントロール、なのではある…)。ザ・ストリングスホテル東京は、洒脱でモダンな、厳密にいえば、セルリアンタワー東急ホテルだのパーク・ハイアット東京だのとも異なる、かつてなかったブリティッシュ・コンテンポラリー的コンセプトの、"洒脱"一辺倒のデザイン系ホテルなのだが、逆に言うと、そこでは二人ともにあまりにも"上滑り"になってしまって、たぶん、普段の生活ロケーションの持つ従来的イメージの環境とは異なりすぎているために、まずもっと会話も上調子過ぎて、ホテルの客室やビューにばかり気が吸い取られてしまって、歯車が噛み合っていなかったために、女のコが「時間内での贅沢環境が醸し出す独特のムードを消費すること」にしか気が回らず、彼女自身は勿論、FLEX-J Webmasterやニャンコ空軍のdolaさんまでもが、単なる客と言う名目のインテリア的オブジェでしかなくて、人間的な潤いをそこに全く感じ取れずにいたことが、まずもって性愛的な潤みを身体のみならず心の中からも吸い上げてしまう結果になってしまい、"奇妙な緊張関係"がそこに生まれてしまい、彼女による愛技にしても巻きが入っているかのように気持ちが急かされ過ぎていたために、(近頃では最初からスキン装着をしてしまって行為に入るプロ的なコが急増しているのか、スキンなしでの生フェラ、しかもシャワーの時にもあえて互いに手早く済ませるような、ドア to 即セックスに限りなく近い感性に於いて、FLEX-J Webmasterの亀頭の裏に細かく付いていた小さな何かの屑までをも、嫌がらずに嬉々として舌先で丹念に舐め取ってくれた献身ぶりには、心打たれるものがあった)巧みな生フェラおよび乳首攻め(女性が男性の乳首を舌で攻めるのだが、巧みであった)など、好色な令嬢らしい、高尚なところのある卓越した感性、芸術性、テクニカル共に高得点のウルトラ・プレイの数々を持ってしても、真新しい客室から何かを急かされるような形での好ましくないリズム感を受け取ってしまったらしく、FLEX-J Webmasterが自身のお腹の激しい食膳の空腹を、物珍しいデザイン系ホテルの内装を前に忘れてしまっていたことまでもが相乗効果となって、究極の極みへの螺旋階段がおぼろげに浮かんではきてもそれを登っていくための、フライトで言えば、デイスティネーションに於いてアプローチのラジオを受けながらの目的地の空港大滑走路へのソフト・ランディングに至るまでの燃料が給油されていなかったようなシチュエーションに於ける、行為の中盤以降、全体的に粗の目立ったそれになってしまい、何よりも乗り気で来てくれた芦屋令嬢には大変申し訳の無い結果になったことを、つくづくお詫びしない訳にはいかないのであった。FLEX-J Webmasterの場合には、壮年期に於ける性的能力の枯渇による「中折れ」なのではなく、すなわち激安系ヘルスでの、女性側での性的感性に"乱雑な手付き"があったり手馴れていないプレイ(ただし、既に使えなくなっている超高齢老人に於ける、が、若い娘しゃぶりが大好きな諸氏に於ける、挿入なしのお触りおよびクンニ欲求のような気持ちで、最初からヘルスへは女性の肢体を弄びに出かけているので、"射精産業"なる表現とは裏腹に、必ずしも射精を目的とはしていないので、それはそれで良い)だったり、或いはセックス環境に馴染めなかったり、そして最大の失点でもある、食前空腹時に於ける体力レス状態に於けるプレイでの持続力以前の燃料切れだのによるそれが、懸案とはなってはいるFLEX-J Webmasterながらも、良くない場合には勃起を維持できないのは誰であってものことでもあり、そこをパスしてもいくつのもハードルを事前に頭に入れながら柔軟にクリアできている状態でなければ、空回りしている行為から得られる快楽の総量は思いのほか乏しくなってしまいやすくなるのであり、中高年的なる原因無き不意の「中折れ」自体には、まだまだ具体的には遭遇していないのではある…
渋谷、青学前の国連大学(国際連合大学) [大学][大学出版局] 少しだけ人間語をお話することができていた伝説的アメリカン・ショートヘアー・ブラウンタビー♀のmacさんによって「アオ」とニックネーム附けされながら、義理ながらも実の母親のように慕われていたのは、何を隠そう、ニャンコ空軍の"ロシアンブルー将軍"dolaさんである。「アオ」と言えば、忘れてはならないのが、ファッション & インテリア聖地の中心的拠点、"ロシアン山"(東京都港区南青山)界隈ではあろう。"ロシアン山"の有名キャンパスであり、ブーム発信地の一つとしても、中堅校ながらも1990年以前に大活躍していたのは、いうまでもなく"青(アオ)学"である。そして、"青学"に隣接して、ブックセンターの並び、住所上では東京都渋谷区神宮前に置かれ、存在するのが、あの、ニューヨークに本部がある世界的合議機関の国際連合の許に設置された、選ばれた第一線の学者が研究活動を行うために繰り広げられた、国際連合大学なのであって、六本木の国際文化会館とも並ぶ、日本国内に於いて日本離れした、既にそこが世界的なるアカデミック・フィールドの最前線を成す、稀有なプレイスだったりしている。日本社会は、たとえば国内では充足しきれない学生の雇用、活躍の口を、一般層の汎用ビジネスの活性化へと向けるのみならず、広く海外の求人市場へと"頭脳輸出"することに積極的であっても良いようにも思われるのだが、逆に世界から日本に優れた頭脳が柔軟に往来するようでもなければならないことは、当たり前の話であることだろう。が、それにしても、FLEX-J Webmaster的には、既にアメリカおよびオセアニアも、ヨーロッパも、中国も、日本も、その他アジア諸国も、或いは第三世界の良かれ悪しかれな問題点を内包しているような国々も含めて、旧東側云々以前に、旧西側であるところの我々に於いてをや、既に、従来的で保守的な枠の中にのみ閉じこもるような真似をしたりしながら、ある種のディジタルの波を前にしての臆病さに囚われたりするのではなしに、様々な国々に於いてそれぞれの努力や発想に於いて成功を遂げているような小さなトピックにも着眼しながら、あえて可能な限りの理想主義者的な観点から、これまでの伝統の長所および歴史には畏敬の念を払いつつ、時に温故知新な先人の知識にも学びつつも、全くもって画期的なる、いいところ総チョイスのような若いユニットを持つ、高度な経済感覚を身に着けつつも、文化的であって青年的なる国家の再創造(リ・クリエイト)を、アメリカ大陸やアジアの旧欧米租界地帯以外の、たとえば日本のような島国に於いて、実現できれば、の一念を、前々から抱き続けている。が、この国に於ける構造改革は、ただ単にいわゆる風通しの悪い既得権益………旧式化しすぎた突出した利権構造へのメスを入れることにのみ終始していて成せる業、では、ありえない。そして、現実的にはマッカーサー的超越的権力の存在しない現在の日本国家にあっては、仮にほんの僅かに幕張新都心のような首都圏の中の"異国(ホンコン・シンガポール・アメリカ)様式"の"地方"都市に於いて、僅かばかりの前向きな希望の光明を見出そうとしても、それはきわめて難しくなっている、東京都側に於ける大都市再開発トレンドでの"純文学化"の現象が映し出されてしまっている姿は、あたりにも痛々しく、尚且つ残念な限り、なのでもある。勿論、「六本木ヒルズ」のような稀有なる現実主義的な成功例も存在はしていても、汐留だの品川だの台場を眺めるにつけても、東京都心側には、ネイティヴな意味合いに於ける国際空港が存在していないため、海外との接点を考える上で、東京都内に於けるそれは、あくまでも、国際空港隣接ゾーンの"経済的・アート的発想"からはあまりにも遠い、"埼玉"的趣味もしくは"土着的ローカル趣味としての東京都民に於ける純文学への回帰意識"の現われでしかなくなっている、多くの副都心に於ける開発の失敗が、完全オープンを前にしながら既にコンテンポラリー・ライクなインテリジェント・ゴーストタウン化しているかのような、コラボレーションの一語が完全に抜け落ちている、東京都らしい旧来利権主義的発想が見え隠れしているかのようで、接地感の脆弱な空中都市に於ける、空虚な実体的プロトタイプとしての稜線すらも映りこむこともなく、実戦的ビジネス・センターとしての鬼気迫る迫力のようなものにしても、何ら感じ取れない、悲しむべきいまどきの首都の地盤沈下現象だけが際立っているイメージが強い。インフラやシステム、厳然とした都市空間がいくら宛がわれていたとしても、社会だのサロンだのマーケットが今一つ活性化できてこないのだとすれば、いわば、それは、まずもって国家が正常に機能しておらず、人々にとってのましな居場所を確保することさえもままならない、今日的なる状況が、あまりにも初期的な意識改革に遅れた、そして国の首長として経済改革、海外からの資本・産業誘致のような面までをも含めた、プロジェクト的なる政策を立案・牽引できなかったり、官僚機構もまた、旧態依然とした既得権益構造を前にして、全てが後手に行なわれている実態が、この国の構造変更を困難にしてしまっているように思われてならない。東京の古さの問題は、首都の問題でもあり、それゆえ、国家全体の問題へと直結している。対する幕張新都心だの成田だのを擁する千葉県をことさらに画期的であって合理的なる自治体、国内的都市国家であるなどとはまったくもって認めることまではできないにしても、少なくとも千葉は、東京よりもいち早く、良かれ悪しかれの女性知事を生み出した県、には違いないのも、また確か、なのではある。東京の姉妹都市なのであって、国連ビルのあるニューヨーク市には、三つの国際空港があり、うち一つの「ニューアーク空港」は、ニューヨーク州のお隣、ニュージャージー州に存在している空港であるのだが、それにしてもニューヨークでは、空の玄関口は根本的に、一応のニューヨークの市内の片隅の海側に設けられてはいる。おそらくは、東京に於いても、たとえば大阪のような近場の国内大都市路線およびニューヨーク線のような経済的な優先順位の高い空路に関しては、優先的に羽田を開放すべきなのであって、羽田と成田は互恵的なる国内の経済繁栄に向けて、路線を再分配すべきなのではあるまいか、のように、FLEX-J Webmasterには思われてしまってならない。東京には、関空接続による国際線コードシェア便が便宜上航空ダイヤには掲載されていても、意識の中から「国際空港」が失われてしまっていて、それは目下、インターナショナルなローカル県民益の地場産業的なる恩恵に良かれ悪しかれ浴しながらの、ある種の「人質作戦」のような形で隣接県側によって巻き上げられながら、国の手によって、一つの首都の中から喪失してしまった、まことに惜しまれる限りの、究極的なるルネッサンス的なる都市再生装置の最も大きな利権、なのであった。勿論、不況の風が吹いているのは、千葉の一般的で最大多数的なる県民の大半の身の上においてもや、ではある筈であるが、それによって千葉の県内マーケットに、空港オープン前では今ひとつ考えられなかった(ただし、それでも千葉県民の意識は若く、前向きではあった)、はかり知れない経済効果が押し寄せていることも、間違いがない。ただし、成田の国際線の最もコンテンポラリーな国際幹線的路線を、あらためて羽田に移管せよ、などと言えば、再び旧運輸省行政と癒着的なまでに、苦労をも国から丸投げされながら"協業"してきた千葉県側の怒りの導火線が炸裂することもまた、全く間違いがないであろう。「県」の単位で考えることは基本的に県民益にしかず、国家的なる経済復興に千葉県として一方的に身を削ることで、過度に純文学的になり過ぎている都庁前感覚に与することは、プライドにかけても不可能な相談、のようでもある。そして、国は何故か、千葉県にだけは頭が上がらない様子。が、驚異の大発展を遂げた幕張新都心を眺めながら、千葉県なる存在の理不尽さ、不条理性について考察してみること自体には、実際には何らの意味も無い。求められていることは、きわめて簡潔に、具体的なる首都であって東洋最大の経済都市に於ける動脈硬化現象における具体的なる対処なのであり、流通の流れが不調な時には、どこかに目に見えて阻害要因が存在しているものである。そして、それがすなわち千葉県に於ける「成田」であることは、成田空港自体に関する賛否ではけっして特定の学生側だの地権者側、また、国側にも偏ることなく、日本の航空行政を案ずる単なるマニアックな第三者の一人として、今後も見守っていきたい気がしている一方で、経済感覚的には、明らかに東京都および神奈川県、埼玉県、茨城県に対して、千葉県は国際空港利権に於いて儲け過ぎているし、肥え太り過ぎているようにも思われてならない。もう少し、千葉県は本来的に首都圏全体に於ける共存共栄のために託されている筈のパートナー利権の一部を、羽田あたりに、あらためて返還するだけの太っ腹ぶりを示して欲しいような気がするのだ
極楽フィジーの豪華クルージング & スーペリア級ホテル・リゾートの多彩 [ミスティーク・プリンセス号1][プリンセス号2][プリンセス号3][マナ・アイランド・リゾート][シェラトン・フィジー・リゾート][ザ・シャングリラズ・フィジアンとワーウィック][ジャン・ミッシェル・クストー・リゾート] NRTからは「エア・パシフィック」なるオペレーターが直行便を就航させている太平洋上のデラックス・リゾート"フィジー"。ダイビングのメッカとして世界的に有名な島々でもあり、それだけに、ラグーンの美しさでは群を抜いている。「旅サラダ」でお先に紹介歴のある、絵に描いたような超豪華クルーザーで航くあまりにも贅沢なクルージングは、まさに究極の海の体験。また、さまざまな硬軟取り混ぜてのデラックス・リゾートの充実ぶりにも目を見張るものがあり、観光ズレしている超メジャー・リゾートを避けて、この島に明るい文明逃避を目的に飛んで行くリゾート・ステイヤー達の姿は至って爽やかであって清々しいものがあるようである
@カップルズホテルぴあ、および土浦駅前最新鋭ラブ・ホテル、そして"過激系"カップルHの現場レポート [Hぴあ][最新鋭H][H体験レポート] ラブホから高級シティホテルまで、デートに最適なホテル最新情報のみを満載している情報ポータル・サイト。加平インター出口附近、および、相模湖畔に佇む女性プロデュースによる実に有り難き館から、そして、なんとキャット・マリンコープのリゾート艇発着スポットからも近い、土浦駅すぐ前にこのところ出現したてのリゾート感満点な最新アミューズメント・ホテルは勿論、フォーシーズンズホテル椿山荘、日航ウインズ成田、ホテルグランパシフィックメリィディアンなどなど、プール施設充実のデラックス系シティホテルに至るまでを鋭意紹介している。ラブホの面白いところは、たとえば、街に於ける感覚的な触覚に於いては御機嫌クラスに思われるインターチェンジ附近のようなスポットおよび駅前スポット、マイナー湖のほとり、米軍基地の傍など、大資本の高級シティホテルが絶対に進出しそうもない、が、日常生活の中では感度の高まるスポットに於いて、カップル・ニーズによって回転率を高めながら、激安でいたってローカルなリゾート・ホテル業を、薄利多売で、しかもホテルからの眺めはしっかりとホテル・ビューっぽい感覚で、日常の延長感覚だったり、プライベート・ルーム感覚で、気侭に楽しませてくれる点にこそある
アリマックスホテル渋谷、そして松涛 [ホテル][松涛] 国内最高級クラスの超高級住宅街・松涛の一角に、ほんの一昔前に出現の、完全なブリティッシュ・コンセプトを持つ、高級小規模シティホテル。全室がセミ・スィート級ながら、宿泊料金では2万円台半ば平均の設定は、類例的なるコンセプトを持つ幕張のザ・マンハッタンの"素泊まりの表価格"よりも良心的なのでもある。名前は前々から聞いていたが、テレビ東京系の『アド街ック天国』が紹介するまでは、そこが高級シティホテルであることまでは判らず、凡庸なホテル・インのようなものと決め付けていた失礼に関してはこの場で丁重にお詫びしておきたい。高級英国トラッド・インテリアの館内バーやレストランも、来訪経験者の評価が高い模様。ただし、内装のトラッド趣味の高さに対して、エクステリアに関しては、どちらかと言えばデザイナーズ・エクステリア風の、コンテンポラリー感覚溢れるそれなのも、30代過ぎのヤング・シニア世代好みのそれであって、感覚を刺激するものがある。そして、神戸に於ける芦屋に相当し、五島財閥系によるフロンティア計画であるところの田園調布界隈と共に、東京都内きっての最高級住宅街である松涛・富ヶ谷エリアは、九州・佐賀藩の江戸屋敷があった場所でもあり、尚且つ、徳川幕府側近であり大名クラスの清和源氏旗本であった源氏本家すなわちFLEX-J Webmasterの御先祖さまの屋敷や土地があったりした歴史上に於ける最後の源氏山ディストリクトなのでもある。それにしても何故、渋谷の松涛の一角に昔、広い茶畑が存在していたのか、の疑問に関しては、旧佐賀藩主であり、国内有数の西洋技術によるハイテク研究の後見人としても知られる鍋島さんが、藩士(藩に就職していた武士)に於ける、明治維新後の雇用対策として、幕府直轄地の払い下げを受けて、プランテーション・ビジネスとしての茶畑を開業したのが経緯とのこと。なんとも素晴らしい名君に於ける、美談に相違ない。それ以降、近代初期において、松涛の旧鍋島藩茶畑が誉れ高き高級住宅ディストリクトになるプロセスに於いて、有名な高級身分制分譲が行なわれ、セレブだけが住まう超高級住宅街のイメージ・メイキングが成功を収めていく経緯に連なっていく
三井ブランドのシティホテル群 [札幌][京都][][ららぽーと] 世界超一流のリゾートホテル・メッカ、香港から満を持してマンダリン・オリエンタルを東京・日本橋に誘致する運びになった三井グループ系列。浮かぶ世界一周リゾート・ホテルであるところの豪華客船「にっぽん丸」「ふじ丸」に関しては定評の高い三井ブランドも、ホテル事業に関しては、大都市型デラックス・シティホテル(=「東京全日空ホテル」級)の格式を満たしている「札幌グランドホテル」「三条烏丸ホテル京都」を除けば、ベッドタウンの百貨店街が軒を連ねるようなターミナルの駅至近に、終電乗り過ごし客、或いは出張客、または面接会場向けなどのニーズに対応するホテル・イン(一応は「サンシャインシティ・プリンスホテル」級シティホテルの格式を持つ。何らかの形で客船内部に於けるホテル施設が範になっている意味では、「スカンジナビア」が基準になっているプリンスホテル系列に似ているが、三井系の柏の客室の方が若干、モダンなインテリアに仕上がっている様子)を擁するに過ぎない。が、ホテル・サンガーデンららぽーとは、宿泊したことまではないが、フロントが意外にも強気の高飛車系(ただし、態度に於ける格式的には寧ろ安いそれ)で、何が彼女たちをそこまで"強気"にさせるのだろう、レストランはバイキング専門ながらも、一応は「三条烏丸ホテル京都」に似せた感じの、ある種の高級情趣に近いものを醸し出している館内のロビー風景が要因なのか、などと考えていくうちに、実はそこが、千葉県内では、旅行代理店が仲介する感じのカップル格安宿泊プランなどからの斡旋などによって、日本最大級のショッピングセンター「東京ベイららぽーと」の地の利だの、「ららぽーとの湯」に隣接しているなどのアミューズメント性の高さなどによって、意外にも人気カジュアル・シティホテルの座を掴んでいるらしいことが後に判明してくる。船橋には京葉道路沿いの老舗有名ラブホテルが、それまでのそれらにはなかったハイセンスなイメージを放ちながら、遠く横浜界隈からも動員してきたりしているさまにも、いまどきの週末カップル・メッカであるところのマクハリにも連なる、1980年代の"田中康夫的"ブティック・ホテル風ラブホの一大ブーム(が、ステディとのクリスマス・ステイに限っては舞浜もしくは赤坂のシティホテルで、が、本命の証でもあり、定番なのではあった)を経て、ベイエリアの高級リゾート・ホテルに結実するに至る、コンテンポラリー・リゾート感覚の先駆け感覚を思わせるものがある。勿論、ザ・マンハッタンあたりは、イタリア趣味をしているだけあってカップルズ・ホテル指向が高いリゾート・ホテルではあっても、仲良し女の子ペアでお泊りしても華麗で垢抜けした、それでいて軽やかな高級ホテル感覚を納得させられるインフラや総合職っぽい印象で格上感の女性スタッフの顔ぶれは揃えられていたりするし、逆にイタリア・ラテンっぽさにあてつけられる印象は無く、女性にとっても涼しげに思われる気のする、どことなくフランスっぽい印象のホテル・ニューオータニ幕張あたりにもなれば歴然たる総合型高級インターナショナル・ツーリストホテルの貫禄をレストラン面でもある程度満たしながら誇るものなのでもあり、ザ・マンハッタンのエクステリアを含めて、多数存在する幕張系シティホテルの中でもなんとなく二軒だけが連れ立って、どことなくホノルルのような空気を放っているうちの一軒、「カップル客は堂々と内をシティホテル的ラブホテルとして使い給え」のようなニュアンスの発言をテレビ上で示していた堤義明氏率いる幕張プリンスホテルにしてみても、幕張新都心やNRTを背景にしてのビジネス・センターとしてのインフラは確保しながら、屋外プールの利用価値もまあまあ高めな形で、ラブホ族からステップアップしたようないまどきのホテル・デートにも、純然たるインターナショナル・ツーリスト客筋にも対応の、クルマで少し飛ばせば楽しめる都会派リゾート、の体裁は、ザウス無き現在にあって、むしろ盛り上がっている感は、否めない
JALの「ビーフコンソメ」そして「うどんですかい」[コンソメ][うどん] JALすなわち日航ブランドのインスタント食品には、一般の市販のそれらとは異なる、空の世界で楽しむ味の醍醐味のようなものを、開発スタッフが必死に持たせようと苦心しつつ、気圧などの異なる機内ギャレーでの調理に適したオリジナル・スナック食品としての実用性とを兼ね備えさせようとするような、エアラインでありながら、カップ麺のような簡易な食品の商品開発にも真面目に懸ける情熱のようなものをホットに感じさせる面があって、独特のユーモアが感じられて、いい。つい先程、東急ストア布佐店に於いて、サッカー・ナショナル・チームだか何だかが"オフィシャル"しているイタリア産の炭酸入ミネラル・ウォーター「ウリベート」だの、(西暦2003年に於ける日中30度オーバーの嫌〜な9月残暑がまだまだ続いてはいる折ではあるものの)秋になり、とりわけ、晩秋あたりに夜食として口にすると美味しい、一流クラスの老舗『札幌グランドホテル』ブランドのオニオン・スープ(ちなみに、以前は東京ベイららぽーとそごうにて『帝国ホテル』のオニオン・スープを調達していた)などを購入、あわせて、JALの「ビーフ・コンソメ」をも、アメリカン・エキスプレス・カード(が、FLEX-J Webmasterとして、年会費のディスカウントを狙い、セゾン機能が附いている"代物")使用にて購入してみたのである。そして、お子ちゃまロシアン(♀)のsora連れでのクルマでの帰途、"柏・我孫子界隈に於ける格安裏スカイライナー"ことJR成田線(→なんでこんなローカル線の電車で、エスカレーター附きの成田駅ホーム経由での一度の乗り換えが必要とはいえ、国際空港まで手軽に行けるのか、実に不思議になってくる電車。電車利用ではエアポートのターミナル・ビル内の各種の御利用が容易に可能のメリットもある)での踏切を過ぎると、そこにはベッドタウンな街にしては参加者が本気の表情を浮かべている祭りの山車に遭遇。いかんせん、山車曳きをしていたヤングのチームにしても、男女共に、まるでお子ちゃまロシアンのsoraさんが人間化して牽引しているようで、まだまだお子ちゃまっぽくて全然セクシーなお色気のような訴求力の面では乏しいものがあった。千葉という場所は県としてもまだまだ若く、駆け出しに近いものの、国際空港のくじ引きにあたって、外国資本やマクハリ移転組の企業などからの投資にも恵まれながら、国や東京都を前にしても怯むことなく高圧的なタメ口だのお子ちゃまっぽいワガママだのを云い、「千葉にあるのに新東京国際空港の名称は屈辱的である」を言い分に、女性知事の行政をして「成田国際空港への名称変更要求」「羽田空港国際線の再開反対」などの圧力を平然と国土交通省あたりにぶつけていたりするのも、いわば独特の若い県民意識だの魅力的なインターナショナル利権を前にしての、自治体としての若さの現れなのではあろう。なにぶん、良かれ悪しかれ、アメリカのみならず長靴型の房総半島を地勢に敬意を表してのザ・マンハッタンのような本格イタリアン・スタイルの、或いは犬吠埼京成ホテルに見られるような本格的ノルマンディ・スタイルの、それぞれリゾート・ホテルがあったりして、ところによっては車と車によるナンパが見られたりするなどの、今が十代のようなホットな場所である。そして、大人になってもけっして1994年以前の贅沢趣味系のキャンパス的価値観スタイルを追わないかもしれない彼らをして曳き綱を握りしめての山車に於ける、青春の焔を存分に燃焼させながらの日焼けした若者達の肌のみずみずしさは、前向きで十分にエネルギッシュな希望のようなものを感じさせてくれて、実に好感が持たれる一瞬に接した思いがする。いつもの道の上を、どことなく大型遊覧船を思わせるような山車がゆっくりと、風に舞うように実にゆるやかに動き続けていくさまには、前回、キャット・マリンコープのmacさんと共に成田山の祭りで眺めた時のそれに於いて確認された風情にはない、未熟ながらも確実に逞しく希望を信じ続けている若者達に於ける心の鼓舞のようなものが垣間見えていた。ある意味のジャニーズ的なる若々しさや威勢の良さ、良かれ悪しかれシャイネス過ぎる反動のようなストイックさのようなそれしかない、昔から一本調子だった千葉県ローカルの祭りの深奥にも、しっかりと魂が宿っていることは、心地良く山車の通過待ちをしていた、小さなパーソナル・カーのステアリングを握っていたFLEX-J Webmasterおよび、大きな物珍しい移動体を眺めてはどちらかと言えば千葉系ヤング・キャラのノリで喜んでいたお子ちゃまロシアンのsoraさんには、快く感じられたのである
カロリーメイト・バランスチェック このところのFLEX-J Webmasterが、時折口にしている本格的ランチ省略時のバランス栄養食『カロリーメイト』は、「<フルーツ味>の固形版」なのだったりしている。食欲がないわけではないのだが、生来から偏食傾向が強いこともあり、時間がない時や、慌しい気分の時には、むしろ積極的に摂り入れたい気分にもさせられている。が、勿論、ホテル・デートなどでのHの行為前に於いては、ゆったりとした気分でコースを食べるくらいの余裕は、必須なのではある。一日一日の食事の内容から栄養のバランスをチェックしてくれる「チェック・シート」コーナーがあり、楽しみながら、カロリー・体重などのバランス・コントロールに活かせる仕掛けは有用
アメリカの高級百貨店サックス・フィフス・アヴェニューの東京上陸決定 [1][2][3] 西暦2005年度をメドにトーキョー出店を予定しているNYの高級百貨店サックス・フィフス・アヴェニューに関するトピック集。アメリカの高級百貨店では、既にバーニーズ・ニューヨークの支店が日本国内に展開しており、女性誌『ドマーニ』あたりをチェックしていると、バーニーズ・ニューヨークの日本上陸および展開をサポートしている日本側の女性プロジェクト・リーダー的女性がクローズアップされた顔写真と共に紹介されていたりして、意外にも海外との通商的なる接点にしてみても、感覚的にもより身近に、一般世界に開かれていることを納得されられたりもしていたこともまた、記憶には新しい。また、サックス・フィフス・アヴェニューは、ハリウッドの超人気女優ウィノナ・ライダー嬢に盗癖があったとかのかどで訴訟を起こされたような、華やかだが、一方では人間世界の悲しみをも映し出しているような事件の「舞台」としても注目されるような、日本国内にあっては「伊勢丹新宿本店」のような存在。ただし、伊勢丹新宿本店だのインペリアル・プラザだのの場合には、ブティック・ブースは小分けされていて、それぞれに商材に精通しているマヌカン嬢が配置されていたりするために、魚ドロ常習の半ノラ猫だったら笑い話で済まされるようなネコババ関係のトラブルに関しても、絶対にありえない仕組みにはできあがっている。もってのほかの犯罪であるところの窃盗よりも、セックスでストレスを発散するほうが、幸せな人間による選択、ではあるようだ。意外な程に物欲自体よりも性欲こそが強いFLEX-J Webmasterに於いては、都区内やマクハリ・オーシャンフロント辺りでの一流系でのホテル・デートにあって、見目麗しき妙齢の女性達を、行為に及びつつ、"賞味"、"堪能"していても、頭の中にはふと、昔、付き合った、或いは付き合いたかった、若しくは両想いだったり、強力に惹かれ合っていたような本命的存在であるところの異性達の姿や、表の時間帯には、実際に抱いている相手達に良く似た社会的立場(とりわけスッチーやモデルなど職制上に於けるそれ。或いは顔見知りですらあるかもしれない)に置かれている彼女達が、不意に想い描かれたりして、可能な限り、恋愛とセックスとの間に於ける"温度差"を詰めるための、努力をし続けている感だけは、FLEX-J Webmaster自身に於いても、まったくもって拭いきれない。もっとも、初見の女性(基本的に一流クラスのお嬢様、もしくはスッチー系)とのいきなりの本番的行為をホテルで楽しむ設定の妙を、グルメ指向で楽しむスティミュラス感覚にも勿論、激しさを喚起する面は多分に確認される、のではあろう…
大阪水上バス・アクアライナー FLEX-J Webmasterは、いわば女子にはかなりモテる系の、エロなタイプである。それは、ニャンコ空軍およびキャット・マリンコープ達と出逢う以前からの話、なのであって、様々な男性の好みを持っているのであろう初対面の女性達にも、高い確率で欲求を訴求している実感はある。が、モテる男が必ずしもクルーズ好きであるのかまでは何とも言えない。が、女性には少なからずクルーズ好きは確認されるのは確かであり、(本当はなかなか昔から忘れられずにいる、本命若しくは本命相当の、ほとんどが両想いながらもプラトニックなキャンパス・ラヴで終わってしまっているようなリツジョ達もしくはリツジョ相当のコ達と、欲求が昂ぶっても、不条理若しくは運命によって、勿論まともなステディ関係に於いて、大人の肉感的デートを申し込みたくても、[ドラマっぽく突然の電話でも入れたりしながら、激しく惹きつけられながら、次第に奔放な密会に駆り立てられていく二人然とした"金妻"系の設定は、現実の中では、なかなか飛びつくにも勇気が出ないことに、それぞれがジレンマを感じているような時代、のようである。片想いだの、激しく想い合っているのに身体の距離を詰めるチャンスに恵まれないだのの、類種の、なんとも悲しいお悩み話は、密会相手の一人にいた、(きっと会えると思えばまだ会えそうな)イギリス帰国子女でインポート高級下着マニアックな、極上なプロポーションが自慢の、外資系スッチーあたりからも聞かれていたりしていて、商いの場合であっても届け出制のVIPコース・チョイスとして黙認的解禁の域に来ている、アポイント的なるホテル・デートの世界もまた、が、やっぱり、なんとなく、それはそれで、女性の側としても束の間であったとしても夢中になれる異性との出逢いのチャンスとして、存分に楽しみながらの、恋はビジネス、のよう、なのではある…]欲望は高い割に実体温は低めっぽい彼女達との間での話の接点の持ち方からして難しい距離に引き離されてしまっている現状から、身体の欲求不満解消をセパレートに満たしていくべく行なわれている種類の)ホテル・デートのパートナー達にも逢わせてみたいお子ちゃまロシアンのsoraさん(♀)にしても、FLEX-J Webmasterの手許にある様々なアイテムの中で、子猫用の玩具以外では、豪華客船および「太平洋フェリー」関連の雑誌・パンフレットに強い関心を示している点に附いても、実に興味深い。本当に世の中は、生身の男女に於いては、本命関係ほどに結ばれにくく、妥協的な関係程に出来ちゃった婚などの事態に陥りやすい、奇妙であって悲しむべき状況の連綿でありえないそれ、なのかもしれない……
帝国ホテル大阪 ブランドとしての「帝国ホテル」に関して耳にする時、首都圏の感覚では東京・日比谷は思い浮かぶものの、大阪に附いては、ほとんどイメージの外に置かれている場合が少なくない。東京・日比谷も近年ではきわめて親しみやすいイメージに再編する形に於いて(心なしか、以前は絢爛、デラックスなイメージがあったフロント前のロビーが、随分と親しみやす内装インテリアへとリニューアルされてしまっていたかのような印象がもたれたのは、気のせいか?)、従来よりも幅広い客層に対応しつつある感が持たれる。1990年代には、『ペログリ日記』の田中康夫のみならず、当時のネット・バブル、およびインターネット予約効果によっても以前にも増して客層を広げてきている東京・日比谷の、燦然と輝く昭和元禄的な旧来的格式に依存していた空気は、大阪ではかなり以前から希薄であった。快活で、親しみやすく、こなれたイメージは、消費流通基地としての大阪の、むしろ日本史的にも伝統的な、自由でおおらかなる大阪商人に於ける、"関西のヴェネツィア"らしい風情を、最もモダンなウォーター・フロントの水面(みなも)の輝きに於いて、コンテンポラリーな最先端インテリジェント・ビル街に息づきながら、穏やかに映し出しているそれ、なのであろう。(実は、都市国家に於ける"首都"としての大阪市が、横浜市よりも規模自体では小さかったのが意外な)大阪府なる行政区もまた、そういえば「お笑い文化人風の"無理強い趣味"的で極悪なるセクハラ知事」の後には「しっかり者っぽい女性知事」の代へと、ワールドカップだの阪神タイガースだのの騒ぎの渦中にあってよりいっそうボルテージを高めながらの、顔役的イメージ・キャラクターの更新を円満に遂げているのであった。大阪ディヴィジョンにも勿論、かつてはインペリアル・プラザの呼び名で知られた最先端ブランド・メゾン・モール、帝国ホテルプラザは存在していたり、公共交通機関としてはあまり認められていない大阪水上バス・アクアライナーの発着場にも隣接していたりして、ホテル・デートのスポットとしても何とも利用価値の高さを認められる、国内老舗系の忘れたくない一大拠点なのでもある
ホテル日航関西空港 エアポート・ホテルといえば、世界的にはホリディ・インが有名(関空にも成田にも実際に建っている)なイメージ・リーダーのためか、従来的には一般的スタンダード・ホテル(三ツ星クラス相当)の域を上向きに抜け出るようなタイプのそれに出逢えるケースは、かつての成田インターナショナル・ホテル相当のヒルトン成田あたりを除けば、極めて稀(レア)な存在、なのではある。が、関西系のエアポート・ホテルとして、きわめて評価が高いのが、空港島にあって、かつての東京国際空港(既に相当に昔の話だが)を思わせる、国際線と国内線とが等間隔に発着していくインターナショナル・ジェットライナー眺望と、海側の眺めとを同時に愉しめる、ホテル日航の関西空港拠点。イタリア人の建築家が設計した海上の国際空港の魅力を、存分に引き出すべく力を入れてみた感じが伝わってくるあたりは、空港に強い思い入れを抱いているエアライン系だけのことはあるようではある
全日空ゲートタワーホテル大阪 こちらは、関西国際空港島の対岸に位置して、西日本位置の高さを誇る、地上56階建ての超高層エアポート・ホテルである。眺望の良さに関しては、予想される限りでは抜群の域の可能性は高い。また、ホテル日航関西空港の洋食レストランがブッフェ形式なのに対して、フランス料理のレストラン「スターゲート256」を一応揃えているあたりも、レストラン環境に関してはホテル内に依存することを余儀なくされやすいエアポート・ホテルに於いて、大人には受け入れられやすいことであろう
人類文明によるレジャー中の科学文明的ボタンのかけ違いによる悲運の事故死によって急逝したmacさんが遺していた人類への問いかけ 〜 不条理によって陰を落とされる実存主義 VS 最先端コンテンポラリー思想としての構造主義の間 [1][2][3] 小柄なアメリカンショートヘア・ブラウンタビー♀でキャット・マリンコープの中堅的存在であったmacさんは、いまや伝説的なる存在である。FLEX-J Webmasterにはどこまでも心やさしく穏やかでアットホームな一面を持ち、圧倒的な体格上やスタミナ上での強者であるところの北欧・ロシア系イギリス品種のdolaさんにはおとなしく接しつつも根強いライバル意識を抱いていたmacさんは、他のスポットはともかくとして、霞ヶ浦の高速遊覧船はmac専用VIPボートだと思い込んでいた。どことなく自民党の野中氏に顔立ちが似ている一方で、後輩のニャンコ空軍やキャット・マリンコープ達は、年長組な自分の到着を出迎えるための準備をしているものだと思い込み、"アタシのために色々と有難う"が口癖の、性格的にはマリー・アントワネット系の、お洒落な長老日本猫cologneさん♀に対しては、外見も似ているために年齢や序列関係が良くわかっていなかったmacさんとして、オツムの足りなめなお子ちゃまっぽい、安易な心理的プレッシャー攻撃を繰り広げたりしていたが、年長のcologneさんは、孫のような、体格的にも小さな猫の性格的な不出来には少し困ったような顔をしながらも、元気印な子孫を眺めるような祖母的なる顔でただただ見守っていた感じはあった。アメリカン・ショートヘアの論理は、単純明快、パワー・ポリティックスの一語にある。そしてアメリカン・ショートヘアは、強くてやさしくてデリケートな愛情を常に必要としているのだ。プラスティック製のペット・ケースで車およびスクーターなどで移動をした直後には、快適な感覚にうっとりしている感じで、ケースの扉を開けても「出たくない、すぐまた車で出かけよう」の強い態度を取ろうとし続けるのが恒。macさんはmacさんとして、印象的な善い猫の面と、どうしようもなく困った悪的なまでにけちな性格の一面も持ち合わせていたのである(※勿論、猫はナワバリの主張を激しく行なうことのある生き物としての習性を持つ。が、dolaさんはややヒスっぽい一面は持ちながらも概して穏やかで、やってくる猫を歓迎したり、強い好奇心で相手のキャラクターをじっくり観察したりしつつアレコレと考えてやっているような善い猫の典型のような存在)。macさんの場合は、トイレの癖が中途半端で"てきと〜"なままに治らず、それゆえ、ロマンティックでルネッサンス的な感性を持ち合わせている一面で"親分"のニックネームまでもが附けられるに至ったmacさんの移送用には、手軽で簡便な粗相の後始末のしやすい素材によるバッグが求められていた。dolaさんおよびmacさんは、共にルイ・ヴィトンおよびハンティングワールドの大型ボストンでは、車移動を含む、日帰り程度の長時間移動を難無くこなしていたこともあり、FLEX-J Webmasterにはバッグの特定の素材が時に生き物にとって命にかかわる問題になることが認識されなかったのである。それゆえ、それはいわば業務上過失致死および保護者監督責任に於ける遺棄致死にも相当しない、航空機・スペースシャトル事故からF1などの様々な世界で起こりがちな、未知の原因領域での、双方にとって機悲劇的な死亡事故の発生になるまで、問題の発生の可能性すらもが認識されなかったのである。或いは法律学を世界的に得意としてきたジューイッシュ(イスラエル人や欧米に多くいるユダヤ人系のこと)、或いはイギリス・アメリカに共通するアングロサクソン的なる法律学的責任意識に於いて、それはあまりにも悲劇的な事故なのであり、最大限度の哀悼の意をもって亡き霊に原因の究明をもって事故の防止を誓うものだが、だからといってF1選手権(若しくはスペースシャトル計画)自体が否定されるべきではなく、(悪意も過失もなかったケースに於いては)特定の誰かに責任や罪があるというものではない、ということにもなってくる。そして、そうした当たり前の割り切り方に徹する上では、それはそれとして悼まれたり供養がなされたりすべきものなのであって、キャット・マリンコープとして冒険好きであって、車などでの移動好きで、船や飛行機も好きで(が、どちらかと言えば船、それもスピードの出るボート若しくはロマンティックな豪華客船や大きな客船が好きだった)、dolaさんのことは同僚として好きだったけれども、猫としての実力では上を行くライバルとしていつも恐かったので、少しだけ苦手だった気持ちでいたmacさんの記憶は永遠に、心ある者の中で大切にされ続けるのであり、科学文明的なる悲痛さの教訓からも様々に心ある学習が真摯になされる必要があろう。が、macさんは家猫の世界に於ける一応のエリート外国種として、人類が生み出した文明の中に依存する寄巣動物らしい"陽気で爽やかな友達的存在"であり続けながら、文明的なレジャーや飼育環境への高度な適応力を示しながらも、macさんにとっては或る意味保護者的存在であって手足でもあったFLEX-J Webmasterを含めた人類の大半に、エアコンの効いた常温下に於いても特定の粗悪な素材のバッグの中では過度に高温状態に陥り生き物が衰弱してしまうことへの認識がなく、ひいては文明生活下に潜む危険な事故として、アメリカ的なる快適であって合理的なる文明生活におけるフローの中に、確実に、macさんの命を無残に奪い去ろうとするものが周囲に気づかれることもなく潜んでいて、ある時それが残酷すぎる刺客になってしまうプロセスが、そこでは気づかれないままに発生してしまったのである。それは、実存主義の主要キーワードのひとつである不条理が、もっとも悲痛な、ヒロシマ・ナガサキ被爆並の過酷な状況下に於ける事態の一つとなって、今一度、文明社会に於いて何事につけても明白な思考を、差異の体系に於いて認識していこうとする、コンテンポラリーであって構造主義的なる、原因と責任者の究明に長けてはいて、文明的なる不条理の責任が文明自身の構造的欠陥であって、尚且つ誰しもが誰かの犠牲からのフィードバックとして得られた教訓や改善に関するナレッジの上に成り立っていることを啓蒙されることもほとんどないまま、飛行機や車に乗ったり、冬季には石油ファンヒーターを使用したり(以前はしばしば石油ファンヒーターに設計上の欠陥が見つかり、時折死亡者を出していた)、戦争によって開発された技術の平和利用に安堵していたりするのである。そして、macさんにとっては、それが"彼女"の生命の安否にも係るほどの危険なバッグであり、旅であったことをFLEX-J Webmasterに向けてまともな形で気づかせようともしなかった地球、自然、文明、生物社会の構造的全体を通してみて、そこにmacさんが置かれた身近なデンジャーを防止するための装置もなければ、危機的認識すらもなかった意味では、macさんの死は残酷な科学文明によって半ば運命付けられていたのであろう。macにおける危機的状況発生そして事後のプロセスにあって、無自覚なままに、装置としての文明社会から、イレギュラーなトラブルの危機を告げられることもなく、ただ単にいつも通りにオペレーターをさせられていたのに過ぎなかったFLEX-J Webmasterに関して、取ってつけたように後からニャンコ空軍およびキャット・マリンコープ計画への卑怯なる感情的或いは便乗野郎的批判やバッシングを開始するような輩について語る価値すらない者たちにおけるあれでしかない。macさんのケースに関しては、徹底的なまでに、macさんにとって最も身近で唯一の人類代表であるFLEX-J Webmasterと、寄巣に関してノンバーバルな生物間契約を結んでいたものと思しきmacさんとの間の問題であって、物事や状況を機敏に判断しながら自己理解する能力では人間よりもずっと優れているmacさんとして、存命中の末期に於いて既にそれが悪意ある犯罪の類いなどではなく、飼主もいつものノリで買ってきたばかりのバッグを使用していて、何とか一旦は一命を取り留める段階でも無二の存在であるmacさん奇蹟の復活を信じ続けながら、目を離したら勝手に安楽死でもさせそうな薄情そうなしゃべり方をしてやまない千葉市内の(いかにも藪医者っぽい)某院の獣医師にせっついて最善の救命方法を実行させようとしたり、獣医師に言われたとおりに自宅に戻って、水シャワーで毛並みも柄もお洒落でグッドなmacさんの身体を洗うようにして冷ましながら、激励しながらもいつもの楽天的な係り方を崩さないようにしつつも、が、結果としては最期のスキンシップになってしまう時間を過ごすに至る。しかしそれは、なんとなくmacさんが生前から欲しがっていたようにも思われる"彼女にとっての娘分"imacさんの、初期的な体調不足のための拒食的自然死の哀しみがあらためて追い討ちをかけるようにして、imacさんと仲の良かったパツキン系のファラさん(のちに♂と判明)および、喧嘩っぽい態度だったものの互角のライバルとして強く意識していた様子のお子チャマロシアンのsoraさん、そしてimacさん事態までもが厳しいのにもかかわらず貸し出されていたペット用ヒーターを回収することにのみ必死になり、フーッ!フーッ!と虐めにも似たプレッシャーを与える行動にまで出るような、案外に愚かなところのある満3歳過ぎのdolaさん(が、親友だったmacさんが亡くなった時にはかつてなく寂しそうな唸り声を墓前で上げていた程に本気で悲しんでいたのもdolaさんだったので、品種的な対立抗争がそこで"勃発"している訳ではないあたりは、昔は身内間で権利の座を巡って殺し合いまでしていた某超名門エリート武家一族よりはナンボかましのよう、なのではある。西武百貨店や横浜そごうでのショッピングや横浜山手や鎌倉あたりでの散策が似合う系の中堅ヤングミセスのキャラクターなのだが…)の、macさんとの実際の血縁上でのつながりも考えられる春日部同一店購入のブラウンタビー仔猫への、或る意味イギリス人にはありがちな酷薄的態度には若干残念なものを飼養主として感じさせられたりもしたが、悲しみを前にしてしまった時には構造主義は意外な程の、文明自身に於ける自明的なる内部的解説コンテキストに過ぎない構造主義言説の意外なまでの感覚的盲点、そして、悲劇に言い換えられるそれとしての不条理の徹底的なまでの根絶および実存主義的なる諦観の意識、そしてそれは、システムを代弁するような種類の単にコンテンポラリー一辺倒なコンテキストとは異なるそれとして、また、生き物本位の感覚や心、欲望、矛盾、そして社会との連接時における問題の認識を基軸にした、すべてを根本欲求であり根源的営為であるところの性欲、肉体の健康面に性の意識が様々に変化しながら人間を支配しているとする、セックス至上主義的観点をもって生き物の生存活動の心理的意味を説明しようとするフロイト学派とも対立的な、近代的なヨーロッパ・ラテン系社会的なる、たぶんに近代的矛盾に晒されている人間達の心のあり方の感受性、関係性を、文学的、社会学的に重視する、近代主義的なる心の哲学(ただし、実存主義はけっしてストイシズムやプラトニック・ラブに大きく傾倒するものとも異なり、愛と性の自由に関して、たぶん初めて、常識人的なる保守的であって伝統的なる側としての、修道女的なる禁欲的な人間達の間のモラルの内側でも正当化しうる、行動する近代市民に於いて適用範囲の広い、基礎的な概念となりながら、最先端にあって加速を続けるコンテンポラリーな思想を、スティミュラスに、お手にとって確かめながら、穴があく程じっくりと眺めながら、客観的に考察を深めながらカルチャー・ショックを受けている只中にあるように思われてならない)の存在感や再認識を、あらためて、フランスでの熱射病死者続出の異常事態をも前にしながら、FLEX-J Webmasterおよびニャンコ空軍のdola、そして文明生活に何の疑問も感じることなくあまりにも出鱈目な罵詈雑言を言いように吹きまくっているだけのマカロニ野郎みたいな連中に顕著過ぎる、いまどきらしい無責任で愚か者的な傾向、海を隔ててフランスの保健衛生関係の責任者達の、無警告的で安穏として対応にも後手後手な態度などを含めて、ありとあらゆる人間達が、あらためて、それぞれの心の中での、責任逃れおよび盲点、或いは怠慢としてのいたらなさ、人類および寄巣動物に於ける生命維持装置としての科学文明の構造的欠陥への監視義務および責任のありかについて、あの時のmacさん事故の関係者のみならず、突きつけられているような気がしてならないのだ
超絶的なる旅のドキュメンタリー《世界一周航空券の旅》 NRT発着の一筆書き国際線周遊チケットを用いても八十日間以上を費やすインターネット・ブーム時代初期に於ける、世界一周航空券(ビジネスクラス指定)の旅の記録。"世界一周航空券"なる商材は、現在もいくつかの国内外のエアライン提携方式によって発売されているもの。単なる豪華ホテル宿泊を超える海外自由旅行ならではのホテル・チョイスを、の思いから、ホノルルでのシェラトン・モアナ・サーフライダー・ホテルのみならず、女性創業者による創業以来のサーフサイドに於ける歴史を誇るアストンのワイキキ・サークル・ホテルにも泊まってみたり、ミュージカルも見るには見たが寧ろメトロポリタン・オペラや五番街での感性的、感覚的ショッピングのほうが楽しかったニューヨークでは世界的文豪やアーティスト達が今も昔も滞在している元高級アパートメントであったホテル・チェルシーに連泊してみたり、ザ・ビートルズの近代的ロック遺跡および博物館、そしてコベント・ガーデンでのミュージカルをチェックして歩いたロンドンでは自由旅行者のメッカであって日本からの若い女子大生風宿泊者も少なくないホームステイ感覚のベッド・アンド・ブレックファストに宿を取ってみたり、パリではパリ北駅前の、日本でいえば"メルキュール・ホテル成田風"の地味目なスタンダード・ホテル(それでもパリらしい、日本の建物にはない系のユーロなエクステリアで不快感までは覚えない。意外にも経費節約を狙う名士達のメッカ)から大小さまざまな美術館巡りへと出歩き、ローマでは《ローマの休日》を探訪すべく、ローマのホテルにしては大規模な古い建物の内装を近代化して三ツ星ホテルに更新したような、宿泊客に世界各国からの女のコの割合が高い、JCBカードが使える系のホテルを利用、香港では空港のホテル・インフォメーションに薦められる形で窓の外にネイザン・ロードのエキゾティックな眺めが楽しめることで知られる、どことなく東京全日空ホテル風の「マジェスティック・ホテル」に投宿するなど、アラカルト系の海外旅行では絶対に使用しないようなレア系やマイナー系を中心に、クラスにこだわらずにマニアックなチョイスを行なった実体験記録をチェックする感覚でも、楽しめる
"ふり向けば、そこにはパツキン猫がいる"……ゴールデン・ルーキー、ファラさんの快適生活2003 キャット・マリンコープ・ジュニアとして着任の"パツキン猫"ファラさんは、つい最近、性別が男性であることが判明。お子ちゃまロシアンのsoraちゃま♀とは同期のよしみで意外にも仲良し。soraちゃまが高級食しか口にしない性格なのに影響されて、自分までもが食生活のポリシーを一瞬にして変えてしまうような性格。ブロンド娘のファラだと思われていたのがファラオくんになったとしても、お茶目ぶりに変わりはなく、ゴキゲンにして快適な毎日を、日々過ごしている。既にスクーター・ランおよび霞ヶ浦・京成マリーナの高速遊覧クルーザー乗船は体験済み
フォーシーズンズ・ミラノ [1][2] 14世紀の修道院を大幅に改装することで'93年にオープンの、ミラノきっての最高級ホテルの一つであって、今や代名詞のような存在。エ・デ・ミランにVIP仕様のプリンチペ・ディ・サヴォイアのような老舗の超豪華ホテルがひしめき合う中で、チェーン・ホテルが健闘しているあたりは、コンテンポラリー・モダン・デザイン部門での世界的傑作的雛型「パーク・ハイアット東京」がパリにもコンセプトを移植されていたりするのにも呼応するかのように、どちらかといえばオーソドックス系のデザイン・ホテルをもってチェーン・ホテルに於ける世界的復活劇の大序章(グランド・プロローグ)を飾った、エポック・メイキング的存在のひとつ
グランド・ホテル・ヴィラ・コーラ [1][2] TDRとNRTの恩恵もあって、神奈川県とは対照的な位置付けにある千葉県に於ける、いわばイタリアン・ルネッサンス並の商業的なる繁栄のシンボルであって、外国人宿泊客も少なくない、マクハリ・リゾートの高級ホテル「ザ・マンハッタン」に似ている、イタリア・フィレンツェの貴族の館を改装の老舗級5ツ星ホテル。日本の天皇ご夫妻を含む世界中のVIPが宿泊しているイタリアの豪華ホテルがこのくらいのクラスを誇っているのは至って当たり前だが、京都の老舗旅館とも帝国ホテルとも異なる、マクハリの「ザ・マンハッタン」が、あのクラスを誇っているのは、あまりにも異例の事態、なのである
ヒルトン小樽 マイカル小樽および百貨店、レジャー施設、マリン・リゾート関連施設の大規模開発に対応してオープンの、レンガ造りの運河の街に於ける待望の外資系デラックス・ホテルとして、まだまだ札幌圏に近いエリアでもレアな存在。オーシャン・ビューの客室も選ぶことができて、魚介類を始めとする味覚にも恵まれて、冬季には札幌圏の近くに於いてウィンター・スポーツを満喫するための拠点としても有効に使えそう
「ザ・ペニンシュラ東京(日比谷)」「マンダリン・オリエンタル東京(日本橋)」順次オープンの予定… [P1][P2][P3][MO1][MO2] 例えば、この国で最も空に近いレストランの存在で知られるロイヤルパーク・ホテル横浜および最もゴージャスなスーペリア・クラス客室を持つバブル最盛期の仕様で知られる幕張のザ・マンハッタンなど、建築インフラ面に於けるゴージャスさでは群を抜いている三菱ブランドのホテル・グループ(三菱地所の手になる)が、いよいよ外資系ブランドとの提携によって日比谷に誘致するザ・ペニンシュラ東京、そして、"国内版のヴェネツィア"を自称して憚らない東京・日本橋の室町に、ホテル事業では大きく他社に差をつけられていた三井不動産が誘致するマンダリン・オリエンタル東京など、今後オープンするホテルには"前評判"高きそれらが、少なくない。既にオープンして成功しているとされる例には、丸の内のフォー・シーズンズが挙げられるが、世界的なホテル・ブランドを前にしても怯むことなくサービスの質で勝負すべく健闘している定番であって、世界最上質の究極サービス体制が敷かれていることでも全世界的に評価の高い帝国ホテルおよび"一般開放"されてから既に久しいホテル西洋銀座などの既存の競合ホテルとの間にいかなる差別化を図り、売りを用意できて、顧客の中でのプライオリティを確立できるのか、が、勝負になってくるであろう。東京の西半分側では、「パーク・ハイアット東京」「ザ・ストリングスホテル東京」「セルリアンタワー東急ホテル」あたりは、似ているようでいて巧みに異なる特徴を醸し出しながら、そこに「品川プリンスホテル・エグゼクティヴタワー」「さくらタワー」「赤坂プリンスホテル」「キャピトル東急ホテル」「グランパシフィックメリディアン東京」「ヒルトン東京」などの既に老舗の域にあるホテルに、ディズニー系ホテル、そして国内人気ナンバーワンの「ヒルトン東京ベイ」、それから横浜系のホテルが絡み合うようにして、都市生活者、それもアッパークラス・ビジネスマン層やいまどきヤンエグ系、有望若手ビジネスマン層、そして自由業者なる人々の間に於けるホテル浪漫をかきたてている感じがある。FLEX-J Webmasterが実際に接してみて意外だったのは、女性の自由業者、ハイファッション族に於けるホテル・ニューオータニ幕張のドライブ & ステイ先としての手近な本格リゾート評価の高さであり、それは、一昔前に、1980年代をリードしていたトレンディ・ライター田中康夫氏に於ける「成田インターナショナル・ホテル」(現在に於ける位置附けではヒルトン成田あたりに相当)のような存在として、パンフレットにはザ・マンハッタンにも負けていないが客室の内装は癖のないスタンダード指向の"大理石バスルーム"設備附き客室が紹介されているレディース・プランのニーズが高いことを裏付けている感もあった。都心をリゾートに見なしながらシティホテルに宿泊する発想だけではフォーアップしきれない別荘感覚に近い本格的ホテル・リゾート(客室に関しては最もゴージャスであって大人の官能が宿っているの評価も聞かれるザ・マンハッタン[極めてヨーロピアンな椅子に座りながらのロビー・チェックインの対応は理性的で限りなく一流な大人の対応なのだが、喫煙or禁煙かの問いが訊かれなかったりする面もあって、イタリアのホテルにも似て割にアバウトさも目立つ]には)に於ける「マクハリ・オーシャンフロント」が静かなるブームにもなっている一方で、オーソドックスでも完成度の高いそれを期待していることが少なくない女性ニーズの中では、館内のレストラン環境、プール附きスポーツクラブ、大理石系の質感、ホテル・ブランドとしての評価の高さ、ちょっとしたショップの存在など、総合点の高さが、インフラ面やパッケージングの遊び心に於ける国内的なる究極の一つとして示されている(千葉県内に於いてはパーク・ハイアット級のブランド・イメージがあり、週末には地下パーキングが満車になっていることも少なくない)ザ・マンハッタンを凌いで、女性の中では群を抜いているのは確かであり、ディズニー系リゾート・ブーム全盛時代を象徴する舞浜リゾートのヒルトン東京ベイおよび成田方面を含めても、実質的な総合点に於いて、ホテル・ニューオータニ幕張は、千葉県内に於けるあらゆるリゾート系ホテルの頂点のコアを占める、インポート・カーのオーナータイプに於ける穏やかなる満たされた大人にとっての、海が見える煌きの週末のタワー型宮殿、なのかもしれない。重厚感一辺倒の都心のホテルでは得られない、軽やかでスポーティな風がハマる感覚は、幕張系ホテルのメジャー系のいくつかにに於いて特徴的に存在している資質でもあり、骨を休めるというよりはどちらかと言えばアグレッシヴな気分を高めながら、鋭気を養うには他のあらゆるスポットよりもうってつけの、挑発的な"反癒し系"ホテル、のイメージである。それは、横浜に於けるホテルのほとんどが指向している境地、すなわち、リフレッシュメント・スポットとしての癒し効果の妙からは程遠い世界、であるかもしれない。幕張系とは全く対照的なホテル・リゾート・エリアであり首都圏リゾート都市としての老舗であり、実は大阪をも上回る国内第二位の巨大都市でもある"横浜"に於ける、グランドインターコンチネンタルホテルは、幕張系のそれに対して、奇を衒ったところのない素直なインフラながらも、上質なリゾート性能の高さから言って、イギリス風のホテル・ニューグランドやイタリア風のザ・ホテル・ヨコハマを含めても、まだまだ小童な印象の強い幕張系に対して、首都圏では群を抜いてナンバーワン・クラスに含まれる妙味を合わせ含んでいるようにも思われる。1980年代のトレンディ・ライター田中康夫は、横浜を何かと神戸の街と比較しながら、神戸にはあるエリア・カルチャーに於いて、とりわけ大学教育や就職に関して完全自給型の都市である神戸に関して、横浜には職場も自前主義的な教育環境もないことを嘆きながら、都市としての完成度、自立度の低さを嘆いていたのだが、職住一体型の自給型都市とはすなわち一つの都市国家の成立を意味する筈、なのであるのだが、いずれにしても慶應の男の子とくっついてしまうパターンで帰結してしまいやすい、政治および首都機能にまつわる人脈的利権の発達しすぎた地勢に於いて、横浜人のほとんどは東京の人脈にむしろ積極的に関与していく選択にこそ、田中康夫自身をして深く関わる経緯をたどった首都機能的であってサロン的なる中央の世界に於ける相関図のようなものに、横浜人として好んで絡めとられていくことは、間違いなく、積極的にアメリカ主導型の西側経済社会に於けるコバンザメであり続けている標準的なるニッポン人らしい、総合商社マン型の意図的なる選択なのであり、強すぎる仮想都市国家としての東京に対して、港はあるもののメッカとしてそこにあって都市国家的に自立しようのない第二番目の地位に置かれた横浜圏は、貿易港の賑わいの中で豊かさを身に附けたアッパー・ミドル・ライクな大動脈である東急東横線および田園都市線、京浜東北・根岸線および東海道線、東海道新幹線など、徹底的に渋谷ターミナル機軸にあって、東京都、とりわけ城南型生活経済圏のためのベッドタウンであろうとし、セカンドオフィスであろうとする選択を長いこと自主的に続けてきている訳なのである。が、近年では、横浜に置かれていたセカンドオフィスや、貴重な存在としての横浜に本社機能を持つ企業の、都心再開発ビル街、とりわけ、品川・新橋(汐留)・六本木への流出が相次いでいる事態を迎えていることは、いまや記すまでもない経緯なのでもあり、横浜には、横浜メリットが希薄な分、コアとしての東京へのオフィス回帰現象を食い止めるだけの歯止めもまた利きにくいことに関しても、言わずもがな、なのではあろう。それにしても、ホテル・リゾート地帯としての横浜に関して、一体全体、何がどのようにして良いのか、魅力なのか、といえば、そこには、普段の日常生活に含まれる側の、帝国ホテルやパーク・ハイアット東京では瑣末にすら思われてしまいかねないものに秘められた良質感、日常の中の小さな幸せに関するものを、パシフィコ横浜の上層階を占める横浜グランドインターコンチネンタルホテルは、空気感に於いてもけっしてスポイルメントすることがなく、宿泊者個々のこれまでの選択や感性、来し方が、そこにいると、良い意味で認められ、受け入れられ、肯定される感じがあるのだ。勿論、横浜は、市民レヴェルでは大人の達観の発達した街には違いなく、これから、自己的に補ったり調整しなければならないような過不足に関してもなんとなく寛容に、現状に於けるこれまでを十分に評価しつつ、同時に謙虚なる諦観と共に適切な反省材料にもそれぞれ自身に巧みに目を向けさせながら、それぞれ自身としてしっかりと自律的に対処、学習、経験していきたくなるような健全で良い意味で上質なモチベーションを補給してくれるようなところがあり、よくよく調べてみると、それは、横浜に根ざしてノーブレス・オブリージュを体現していた資本家一族、旧三菱財閥総帥の岩崎家の家風にも通じる感慨であることにも、気づくことができる筈、である。それは、悪戯に感覚的に鋭角であったり小洒落ているだけの場合が少なくない他のホテルでは味わえない、それでいてどこよりもリアルな大人の面持ちを持ち合わせている感覚が、サービスの良し悪しとは関係なく、あの流麗なパシフィコ横浜の、デザイン造形的であって、ランドマーク・タワーよりも横浜のランドマークにも思われる、ハーバーリゾート建築物の中には感じ取れて、たとえば「崎陽軒のシュウマイ」「横浜中華街で食べる点心」「ミレニアムを過ぎても羽田に居残っていた中華航空国際線定期便で飛ぶホノルルや台湾リゾート」「過度に大衆趣味的なるテーマパークのイメージがアメリカでは持たれている東京ディズニー・リゾートでのトワイライト・アワー」「今は無きワイルドブルー・ヨコハマでの、セット臭さへの賛否両論が飛び交いながらも、意外にもデラックスで大学生感覚的には割に贅沢感もあって満喫できる週末イメージ」「ルーティンにまたしても再スタートする次なる大学でのウィークデーの学習およびバイト漬けの日々」「いまでは取り戻せそうもない過去に報われなかった学生時代の恋愛のゆくえ」「首都高速横羽線および都心方面への、車だらけの渋滞の数珠繋ぎ列」のように、いずれのすべてもが、一見何気な過ぎる印象で退屈だったり倦怠的なイメージが漂っている、微かにマイナー・イメージをも内包しているような、フツーの人々のフツーの小さなお楽しみや生活のワンシーンでありながらも、そこにたとえばインターコンチネンタルの香港ブランチのある種の予感的なる輝き感をオーバーラップさせるようにしながら、ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルでのバリー・ホワイト系リゾート・マニアック風の館内イメージを、或る意味普遍的なるフィルターとして間に挟みこむことによって、全てが充足した、デラックスでリッチでブリリアントな夢のある毎日へと、初々しく蘇生してくるような、稀有なる付加価値的ホテル性能が、そこには感じ取れて、なるほど、それはそれとして、ホテルにあってしかるべき、忘れられたリフレッシュ機能であるようにも感じられて、そういう一流もあっていい、との認識を思い抱くに至った次第、なのだったりする。それらは、"パークビューが美しいことは昔から有名だった"ニューオータニ東京および幕張ブランチ、帝国ホテル、ヒルトン東京あたりにも若干、存在していながらも、パーク・ハイアット東京には感じられたことのない、徹底的な大衆的生活、日常的生活へのポジティヴ・シンキングの現れとしての良心的肯定指向であり、オーソドックス・タイプの良質系ホテルの特徴なのでもある。そこへきて、ザ・ペニンシュラ・クラスの東京進出にあたっては、東京に単なるビジネス・ターミナル機能以外での、本格的なる世界的都市型リゾート性能だったり、より深く味わい深い、藝術的なる都市としての魅力の片鱗が垣間見えてきたり、倉庫型であって世界のディスカウント・センター的な、いわゆる秋葉原的イメージも映りこんでくるようなマーケットとして側面を含めて、万事に於いて成熟、発達を遂げない限りに於いては、単なる箱物の息を抜け出ることのない、虚ろなる未来型都市スタイルの良く出来た文明的廃墟の創造にほかならないのではあるまいか、との思いが脳裏をよぎる。それにきわめて似ている経緯に置かれているのは、他でもない、ザ・ペニンシュラの本拠地でもある旧英国租界の面影が今に息づく幽玄なる摩天楼都市"香港"以上に、近年のロンドンおよび、ニューヨークのような世界の姉妹都市的にしてアングロサクソン的なる他都市の数々、なのではあるまいか。オリジナリティ、独自性、特異性、アイデンティティ、ヴィジョン、フィロソフィ、アプローチ、の、全てに関して、いまやそこでなければ何も始まらないことまでもが無くなっている、あらゆる都市が横浜化してしまいかねない時代。いわばマクドナルド店舗網だったりインターネットがデスクトップの上での一切のオーダーや抽象的であって文化的、政治的なる仕事の全てを可能にさえして、すべての現実の都市以上に仮想都市がコンテンポラリー世界都市文明に於ける中枢を占めているような、仮想が現実化している時代、の、只中に、世界中のあらゆる先進国家の都市生活者が容赦なく放り込まれているリアルタイムは、いつのまにか普通の顔をして、旧来的なる、ペーパー伝票至上主義時代を、荘厳ですらある地下要塞施設でもあるところの、あまりにも巨大な、文明社会的最重要戦略拠点であるコンピュータ・データセンターなる民間データ通信基地を介して、大きく覆してしまっているのであって、それは、住基ネットへの参加云々以前の"前提"として、厳然たる人類世界に於ける文化人類学的なる科学的消費生活文明社会に於ける足跡としてのデータ集積ステーションであって、ディジタル世界に於ける人類個々の単位に於ける一種のへその緒のような存在にすらなってしまいながら、国家的政策であったり企業経済であったり個人生活であったり、の、あり方の根本にも係る重大な戦略の要所なのでもあり、都心に集約されている人的フローには大きく矛盾するように、ネット・ワーキングを基準に考えるとすれば、何もそこが大都市の中心地である必要はなく、ワン・トゥ・ワン・ベースなるインターネット上での小口流通が、マニアックであって究極的に都市的なる消費トレンド・アイテムの多くを市販ベースで流通させていることからすれば、銀座・渋谷・新宿・池袋・横浜に於けるような最先端百貨店群、或いは幕張および町田、八景島、御殿場に見られるようなアウトレット・ファクトリー・モール、或いは丸の内の路面店ブティック街および日比谷や赤坂のホテル・モールなどなどの内でも、実店舗が必要な商材を扱っているのは高度なカスタマイズを必要とする服飾製品くらいのものであって、他は、地方の名産品であれ、都区内の有名超一流店の生菓子のようなものであれ、即時の入手を必要としない限りは、ほとんどが一泊を置けば遠方でも入手が可能なアイテムだったりするのである…。……それはそうと、本日のFLEX-J Webmaster的一日に関して記せば、プラスティック・ケージに入ったニャンコ空軍のお子チャマロシアンことsoraさんと小型自動二輪スクーターで風を巻いてお出かけ。柏高島屋の「マキシム・ド・パリ」洋菓子コーナーでこの夏の初めに口にして気に入ったフルーツ・シャーベットの詰め合わせを購入、ヘアカット、コンビニでル・コルドンブルーのクランチ・ヨーグルト購入、サントリーのニューヨーク風コーヒー飲料「SORA」なる製品を発見するも、お子チャマロシアンとは直接的に何の関係もなし、割合にFLEX-J Webmasterの現住まいに近い地方国道の道端では、テレビ番組でお馴染みの女性キャスターと思しき顔に遭遇したり、将来的なる仕事に関する電話などがあったりしながらの、ごくごく普段と何ら変わりのない日常を過ごすに至る
成田全日空ホテルでのバイキング料理、成田空港の全日空整備センターにてダッシュ400との対面、東京ディズニー・リゾート上空ジェット・ヘリ・クルージング…… "お子チャマロシアン"のsoraさんのみならず、動物病院での健康診断の結果、実は♂猫であったことが判明した"パツキン猫"のファラさん共々、フレッシュマン歓迎イベントとして企画され、実際にはFLEX-J Webmasterおよびニャンコ空軍のdolaさんが参加してきたはとバス主催による全日空機体整備場見学バスツアーの模様を、フォト・レポート形式で紹介
幕張から台場、そして竹芝発着ハーバー・クルージングへ、ニャンコ・ネイビーのdolaさん初乗船 以前にキャット・マリンコープのmacさん(不条理的要因による予期できなかった文明事故により、既に鬼籍入りの、平成の最高傑作な名"タビ"――。)が乗船体験している東京港ハーバー・クルーズのヴァンテアン号にロシアンブルー将軍のdolaさんが初乗船。そして埋立地に於ける、本格的都市生活者の保養向け離島リゾート"お台場海浜公園"に関して、先日の東京湾納涼船の回に於いてはなぞりきれなかった輪郭線が、今回は、追悼クルージング企画だけに、恋と人生を巡る螺旋の琴線となって、美しく浮かび上がっている
ルイ・ヴィトン六本木ヒルズけやき坂ブティック、オープン [1][2] 満を持してけやき坂にオープンのLVブティックは、トーキョーの最も華やかなインターナショナル繁華街、六本木界隈に、久々に出現の、エポック・メイキングなトピックス。ヴィトンに関しては、代々木の源氏山にも程近い、表参道店が国内最大規模店舗として依然として台風の眼たる存在には違いないが、けやき坂の店舗に附いては、感性が集まりやすい六本木の地勢に於いて、よりアンテナ型拠点としての、最先端のトーキョーそしてワールド・トレンドに近い交接的なる一点としての意味合いを深めていくことが直感されている。誰でも持っていて、誰にも理解できるステータスとして、価値の基準にも相応しいヴィトンの場合、おそらくは"すべての存在は元素そして質量に如かず"の意味合いのように国内最高峰の統率者的エリート武家階級頂点に置かれている清和源氏渋谷本流系脈の最も若きプリンスFLEX-J Webmasterには感じ取れるところに於ける、或る意味ではあまりにも牧歌的な国立学園通り感覚を表しているのに過ぎない、稚拙な意味合いに於ける「等価性理論」が、田中康夫の口からしばしば発せられる際に於ける、「ヴィトンも岩波新書も吉野家も皆、等価である」のレトリックに於いても知られてはいる。ただし、元素に還元されての等価性理論は、あまりにも世の中の人々を堕落させたり慢心させたりしてしまう愚に陥りやすい一面があり、1980年代〜2000年にかけての価値観の中で、緩みに緩んで生きてきただらしのない、そして努力を続けて現在に至っているような人々を悪戯に僻んでいるだけのような、或いは漫然と零細なる家業にのみ先進しながら、資格もないうちから他人に公然と威圧的に尊敬を求めているような、救いようのない、落ちた者たちと、それから、学生、マニアックから職業プロフェッショナルにまで至るような、学習・研究、自己鍛錬などの努力や実績を積み重ねながら、器を広げ、実力を深めているような、本当の資格のある者達、すなわち第一人者だけが持つ洗練さや付加価値、哲学、寛容で基本的には分け隔てのない還元的なる者としての人類思想に至るまでのそれらとでは、基本的に置かれている立場が異なっていたり、努力に応じた配分を手にしていたりすることもまた至極当たり前、なのであって、「等価性理論」を口にする田中康夫であっても田中式ホテル・ランキングを採点していたり、FLEX-J Webmasterに於いても「決してヒルトン成田のフォワグラ丼と吉野家の牛丼は等価ではありえない」の価値認識を持っていたりもするのではある。ただし、FLEX-J Webmasterに於ける個人的なるホテル・ランキング尺度では、空間としての調和や品性、快適さに於ける総合点では、明らかに、ザ・ストリングスホテル東京の「モデレートDXダブル」よりも、ザ・マンハッタンの「ラグジュアリー・ダブル」は勝り(そこに現れた女性に対する評価とは勿論全く関係がない。根本的には一定水準に達している女性間に不等号をつけることはあまりにも矛盾する営為なのであり、無理があるからである。総合点で誰かが誰かにポイントで見劣りする場合には、おそらく、努力によって獲得し得る成熟の現れとしての魅力に於いて、何らかの意味での自己鍛錬が足りないから、であることだけは間違いのないことであるように判断される)、後者の「ラグジュアリー・ダブル」と、ヒルトン東京の「タワー・スィート・スタンダード」とでは、クラスもロケーションもプライスも異なるにも係らず、パッケージの工夫に於ける努力が功を奏しているのか、甲乙つけがたく、両者共に極めて充足した大人の時間を味わわせてくれる客室パッケージングを有しているような気がする。そして、ヒルトン東京とザ・マンハッタンの双方で、FLEX-J Webmasterは、或る意味、至高の極上クラスの、概して円満に、幸せに展開するに至った、最高のセックスに於ける、お嬢様クラス篇および小麦色系のヤング美容エステティシャン篇に於けるオルガスムスのそれぞれを、最高の極みとしての射精と共に迎えるに至っている。一方、東京全日空ホテルでブロンド欧米娘と奔放に求め合ったり、ザ・ストリングスホテル東京で芦屋の程よい色香を含む訛りを発する超お嬢様美人モデル嬢との耽美的なる逢瀬のエロティックにしてあまりにもフェティッシュであるだけに外国官能映画的なるセックス(勿論、挿入による腰の律動的"ピチピチ"運動を如何なく含むものとして)に於いては、逆性感ボーイ的なる、あたかもバブルの昔に、昭和元禄一般的なるエロス満開的なる寛容的世界にあって(決して尊大ではなかった)年上の上場企業OLおよびキャビンアテンダント嬢との間に、或る面、兎に角も徹底的に尽くすことによって尽くされていた時のような当時を思い出させるだけ思い出させながらも、ベッドの上での精神構造的女性上位主義者ぶりには辟易とさせられ、しかもそういう相手との交接の時に限って食事を摂り忘れていたりしてベスト・コンディションに於けるスタミナを得られなかったりなどの、無念にも似た記憶が、何らかのメタファーの如く、或る意味教条的に、そしてクリトリス派的なる(ただし、金髪娘も芦屋令嬢も、FLEX-J Webmasterが達しなかったことにある種の怒りにも似た理不尽さを強く訴えていて、このうえなく悔しがっていたこともまた、確か、なのではある)に於ける、絵になる官能的愛撫の美学が上に立つ、シーン主体のそれらが、ジンクス化、シリーズ化してしまっていたりすることもまた、嘘偽りのないエピソードには相違ない。そんな折、「高級ホテルは勿体無いからラブホが好き」を終始公言しながらもザ・マンハッタンの、いかにもクリスタル・ハーモニーから横浜ロイヤルパークホテル・ニッコー、新・丸ビルにも通じていて、バブリー仕様にも似た伝統的な大理石ふんだん使いのラグジュアリー客室には喜びつつ、ルイ・ヴィトンのバッグに、着メロにディズニー・ナンバーが鳴る携帯を愛用していた都内中堅女子大学在学の1990年代後期以降型の現役女子大生にも見える、美容営業職兼エステティシャン嬢とは、少なくともルイ・ヴィトンに附いては、シンパシーの接点としてのキーワードや感覚を、FLEX-J Webmasterのみならずニャンコ空軍のdolaさんまでもが、共有していた訳なのでも、ある。エステティシャン嬢には、かつてFLEX-J Webmasterと文通の関係にあった大学のクラスの女のコS・S嬢が着ていたような、ソフト系で短めの、女子大生リセエンヌ風とも言えるプリーツスカート・スーツを用意して、それに黒のレースのTバック・ショーツを着けさせ、リップスティックを塗らせてのプレイに及び、風俗の言い方をあえて用いればゴム本番に至りながらの、極めて良好なる極みに達することができたことは、語る上に於いても至極当然なるワンナイト・ベッドストーリー・メイキングに於ける帰結であることは、あらためて記すまでもない。世の中には、一流大学を卒業してもマイナー職種に就けばランクが下がるように勘違いしている向きがいたりして、彼ら彼女たちの意識の貧しさには辟易とさせられてしまうのだが、たとえば、卒業等の後の勤務先が、ファストフード店の社員系店長であったり、タクシー乗務員であったり、クラブの雇われママであったり、一介の地方公務員だったり信用組合の職員などであったり、大手であってもリース信販系の企業であったり、時給制スチュワーデスであったり、運送業であったり、場合によっては高級売春コンパニオン等であったとしても、それぞれに一流大学卒らしい、教養的環境での学習的日々、或いはキャンパス体験にも通じた尊敬されるべき一流の大人の気風を伝える彼ら彼女達として、それぞれの第一線で誇り高く堂々たる、不調和とは無縁の自然の一流的風格ぶりで頑張りながら、それぞれの業務の顔であって欲しい、などとも願いながら、FLEX-J Webmasterは、日々に於ける、様々なシーンを目撃させられつつ、表の日常と(たいして表とは違わない)裏の日常、都市と郊外、リゾートなどのそれぞれの世界を、社会学および文化人類学に於けるフィールドワークとして、先日も、成田全日空ホテルでバイキング料理ランチを食べ、成田空港の全日空整備工場で国際線仕様のダッシュ400を目撃して、浦安ヘリポートでは東京ディズニー・リゾートの真上をジェット・ヘリにて観光遊覧フライトする内容の、はとバスの一日ツアーにニャンコ空軍のdolaさん共々参加していたりもするのだが、丹念なる愛情的眼差しに於ける観察者的に、草の根学者的なあり方に於いて、日々を往来し続けているのである…
ミラノ・スカラ座イメージの壮大なる吹き抜けの空間を囲む、ストリングスホテル東京の夜、芦屋訛りの若いモデル美女、水路の上を歩くガラスの橋を越えて…… お子チャマロシアンのsoraちゃまに於ける、記念すべきニャンコ空軍入隊関連イベントながらも、ちゃっかりと、実際にFLEX-J Webmasterに同行したのが御馴染みロシアンブルー将軍のdolaさんなのは、何時ものこと。品川系ホテルの新機軸として、とりわけ女性および男性向けのライフスタイル雑誌『BRIO』に於いて大人気を集めているのが、ザ・ストリングスホテル東京であり、FLEX-J Webmasterがdolaさんが滞在した客室からの眺めを一目見るなり、一流大卒、芦屋系、そしてスリムでありながらも胸とおしりの量感では十分な超美人のグラビア系っぽいモデル嬢も思わず陶然…
アメリカン・ショートヘアの新大陸的黄金ヒストリー 最初は、移住者がヨーロッパからアメリカへと連れて行った普通の家庭猫だったものが、独立品種の基準を満たすべく品種改良され、ショートヘアの呼び名を与えられたのが、アメリカン・ショートへアの歴史の始まり。今日では人気ナンバーワン品種に数え上げられている品種なのでもある。FLEX-J Webmasterの許にも、キャット・マリンコープのアメリカン・ショートヘア兵員のmacさんがいて、健康に若干不安があるとはいえ、やさしく大切に育まれて、およそ三年間の、"彼女"として思う存分の時間を過ごして成長。これまでに出逢った中で、最もやさしい性格の、聡明ながらも甘ったれな、O型の女の子っぽい性格の猫であった。FLEX-J Webmasterとの予期せぬ"最期"の旅でも、素材的に、結果論として猫キャリー代わりとしては危険な不適物であることが判明したそれの中で、それに気づかれるのが遅れる形で、一度、絶命寸前の意識不明に陥りながらも、点滴の効果もあり、"これなら治りそうだ"の獣医師の太鼓判が出る程にまで、一端は超回復。マクハリ・リゾートの豪華デザイン・ホテル、ザ・マンハッタンでのステイは次週、回復してから、との判断に於いて、キャット・マリンコープに戻る車中でも元気なところを見せていた。が、立ち上がろうとしたり、コンビニで紙皿と共に調達したキャット・フードに口をつけたりするなど、元気ぶりが一時的に戻ったものの、点滴の栄養が切れ始める頃合になって、再び眠るような状態に(が、既に分量的には最大限の点滴投入済)。それから数時間後、macさん自身が自分で食事を取れたり身動きが取れたりする体力を失った段階で、次第に再び生死の境に置かれ、還らぬ姿になってしまうに至る。が、macさんの場合には、あの旅でのバッグに、手入れに便利だが素材としてはバッグ内のアイテムのコンディション維持にとっても粗悪なアイテム(ブランド品の中にも、変わらない素材の危険なそれがまま発見されることがある。そして、macさんが身をもって教えてくれたこととして、基本的にペット用キャリー、若しくはヴィトンやハンティングの大型なボストン系はペットにやさしいバッグとして、直射日光を避ける限りは全く問題がなく、一見すると表面コーティング若しくはレザー製ながらも、バッグ内での急激な温度上昇は起こらない性能の高さを誇るそれを投入する限りは大丈夫であり、前述のバッグでの移動が大丈夫だったが為に致命的なる判断ミスを起こしてしまった"それ以外の新素材系バッグ"によって致命的な危機に遭遇したmacさんの例から、厳重に判断して、ここでは、ペット用キャリー以外の使用は薦められない)さえ安易に使用しなければ、"彼女"としてかなり長きに渡ってキャット・マリンコープのアメリカン・ショートヘア兵員として長生きすることが可能なのには違いないように判断されている。が、macさんの場合は、まだ短いにしても三年は生き長らえることができて、神なき無慈悲な時代にあって、念願の大型フェリーにこそまだ乗れていなかったものの、フローティング・レストラン・スカンジナビアの、ステラ・ポラリス号およびそこから発着する連絡船、それからオーシャン・プリンセス号およびレディ・クリスタル号を含む首都圏〜駿河湾リゾートの遊覧船のほぼ全船を体験、成田空港上空フライトを楽しむセスナ借り切りの遊覧飛行にも客席に乗機して空の上からの眺めを満喫、食事利用がほとんどながらも、人間の中にも行ったことのない向きは少なくないような一流クラスのホテルおよび高級スポットにも出入りしていたり、大好きなスクーターやクルマにも、長生きした他所のお宅の猫よりもいっぱい乗れていたので、別れ自体は寂しくても、この世への未練自体はほとんどなくこの世を去っていったような気さえさせられている。御存知の通り、macさんのルックス的なアイコンとしての力はもとより、タレント性や無言の組織力は、人を通じて願いをかなえようとしたり、アメリカンショートヘアらしいやさしさの供給の目的に於いては空前絶後の能力であったことは、チャッカリな母親代わりとしてmacさんが行きにくいスポットに代役として顔を出してきたしっかり者の母親及びミセス・パーソナリティのロシアンブルー将軍(♀)dolaさんのそれをも凌いで、まったくもっていうまでもない。それは、アメリカン・ショートヘアの持つ固有の情感が、文字通りの、アメリカの心の風土の根底にあるから、なのである。macさんにもライバル感情はあり、時に気を荒立てるそぶりを見せることもあったものの、全体として眺めれば概しておだやかでやさしくて何よりも飼主のことを愛情的に励ましてくれるだけの気配り能力を持っていた唯一の愛情主義的な感覚を持つ猫だっただけに(dolaさんは逆に、チャッカリと色々と受け取ることしか考えていないような一面のある、1980年代型のスノッブな女性のような面があり、コンテンポラリーな存在ではあれ、或る面ではクラブ・ホステスにも似た存在)、愛情の交流を猫との間で何十年も持っていきたい向きには薦められる、或る意味で肉親や愛情深い恋人のような品種である。何かにつけて、macさんに関する想い出は長く、FLEX-J Webmasterの中で暖められ、やさしくて大きな存在感のイメージを結んでいくことのは間違いがない。そして、けっして犬・猫の飼育者の立場的にはけっして衛生的とはいえない鳥の飼育センターがアルバイト的に販売している低価格のアメリカン・ショートヘアとして、長寿とは言えないがそれでも存命年月及び存命中の各種経験量および質の高さではそれなりには生きていたmacさんに代わる、アメリカン・ショートヘアのCyberGIRLに於ける第二世代を買い求めてはみたが、ペット屋の話では、体調はやっぱり不調らしくて、下痢が治らない状態のそれを、現状販売で値切って四万円にて購入。命名もimacさんにキマリで、が、最初のうちはそれなりだった体調が、今度はけっして外出や気候、環境の問題もない、生後数が月なのにdolaさんに並ぶ堂々の体格で、性格にも余裕があって顔にも愛嬌があってユニークなチンチラ・ゴールデン♀はいたって健康に成長を続けていて、macさんも元気だった室内にあって、imacさんはまれに食事に口をつける程度で、次第に食が細くなり、最期には眼の前に置かれた離乳食すらも受け付けられなくなり、病院で診療を受ける段階では、見た目は健康そうなのに、習志野に近い千葉市の外れの動物病院で点滴を受けて回復をした時のmacさん程の体力もないらしき診断を受ける状況に。時間外に食い込みながらも診療をしてくれた獣医師の指導を受けながらの保温などの甲斐もなく、以前に耳にしたことのある、自力で食事が出来なくなったり起き上がろうとする力も出なくなったら猫の余命は長くない、の話の状態に。最期までimacさんの看病を続けていたFLEX-J Webmasterは、imacさんの内気でスノッブながらも、FLEX-J Webmasterがニャンコ空軍以前にimacに愛情を感じて購入したことがなんとなく納得したような反応の後には、最後の最後になってやさしいオープン・マインドを示し始めた姿に思わず涙。そして、imacさんが、愛情には飢えていなかったmacさんやそれ以外の得難いキャラクターのニャンコな面々たちとは異なり、最も愛情に飢えていて、やさしい愛情を必要としていた孤独な子であったことが判明した時には、思わず感極まる。ただし、ペットも、人間も、愛情や人情は必須のコミュニケーションに於ける心の養分であり、スノッブに陥りがちな己の態度の傾向を努めて避けながら、なるべく素直な愛情や要求の表現をしていくべきであったほうが幸せになれたり、健康を手に入れて、幸せになれたり、夢が適いやすかったりすることもいうまでもなく、肉体的健康の面でセックスが必須であるように、心の健康を維持したり増進したりするためには、愛情的体験を積み重ねることが、たとえば動物の不慮の死をも伴うケースもあり得るにしてもそれ以上に友達他としての各種のペットなどの広い意味で友人との交流や、意中の相手への片想いを含めた恋人への気持ちの持ち方、そして自分を大切にしたり愛したりしながらポジティヴ・シンキングを確立することは、お金やビジネスの話以前に人生のメンタル・トレーニングの話として有用なナポレオン・ヒルだのマーフィーだののいまどきアメリカ資本主義的できわめて精神論的な書籍(すべてを目に見えるマテリアル至上主義として考える方が気楽だし健康でいられるとのある種の信念を持っているような、一昔前で言うところのクリスタル族のような物質至上主義者達が、得てして忌み嫌いがちなアメリカ的精神分析、心理カウンセリングに、ビジネスの成功者パターンを結びつけたような内容)は、それによって所得の増加実現やいわゆるビバリーヒルズ的なる成功が収められる云々までは定かじゃないにせよ、セックスとブランドだけでは生きられない、身体も心も持つ、生身の人間、生身の生物にとって、プラス指向のポジティヴ・シンキングをセルフ・コントロールしながら、自分について、ある種プロテスタント的に謙虚に受け止め、柔軟に自己を運んでいくことは、カトリックでは教会への依存率の高い分野ながらも、自律的人間であるためには、多くをセルフ・コントロールを経て自分自身に少しでも責任を持っていけるような、前向きな心の姿勢を思い出させてくれる意味では、書棚に納めておく程度の価値はある内容には思われる。しかし、だからといって、現実論の軸の上での飼養経験もない人間から彼是言われるのは勿論論外であって資格無き言動にも過ぎないにせよ、が、続けて二名のアメリカン・ショートヘアを相次いで喪失しているFLEX-J Webmasterにあっては、飼養者に於ける心のショックで混乱している状況に於いて、さらに第三世代のアメリカン・ショートヘアに関しては、たぶん誰よりも傍に於いておきたいし愛情を感じている人間ではある自負はあっても、気持ちが落ち着くまではあらためて飼う自信が持てないのも確かである。スタイル、プロポーションがモデル風なのに掌が野球のグローブに似ているアメリカンショートヘアのブラウンタビーの♀は、男性にはやさしい恋人のような存在であり、女性が♂を飼う場合には、どことなく男性アイドルと一緒に暮らしているようなやさしい状態が得られる可能性は低くないし、クールなタイプがやってきたとしても何かの良いきっかけで打ち解けられれば欠かせないパートナー的存在として、身内の中での重要メンバーに思われてもくるのに違いない。また、そうした人生経験、とりわけペットに関してだったら、沢山のペットに身近に接しながら、時には予測的な姿勢で最小限度にトラブルや悲劇を食い止めて欲しいものの、まれにはそうした不慮の悲劇との遭遇もまた心ある人の力だけでは避けられない場合も見られるそれらの事態をも乗り越えていくプロセスを経ない限りは、ペットを通じて彼らの命の尊さと、ペット達に於ける、ある意味で人間に対する寄巣、パラサイトへのニーズと、人間側の生活を共にする友達的ペットを求めるニーズを理解しながら、それらを結ぶ形での、ある種の「出逢いビジネス」としてのペット・ビジネスに於いて、諦観ある身としての自然体で、プロらしいプロの立場で接することもまた出来にくいのではあるまいか、とも思われるのである
千葉県最高級のロイヤルパーク・ホテル系列デザイン・ホテル「ザ・マンハッタン」の窓からは、かつてなき壮絶な「日本離れしたワールド・クラスの絶景」が広がっていた。キャット・マリンコープの伝説の猫、macさんに捧げられるフォト・レポート "日本のロングビーチ"マクハリ・オーシャンフロント・ディストリクトは、が、千葉県千葉市美浜区的には"幕プリのそれを含む海浜プール以外では泳げないものの、老若男女を問わない《和製ホノルル》"になる予定、であった筈ながら、いまやアメリカ大陸都市的インテリジェント・ビジネス新都心へと大変貌を遂げている。ビジネス街なのに、首都圏有数の週末好きするリゾート・タウンなのであって、ドライヴ・メッカ。女性県知事・堂本女史の手中には、既に一つの国が握られているようなもの、なのかもしれない………。気が大きくて寛容で本来はけちくさくもなく情感的なる包容力があり、頭も良いが、気性や負けん気が激しく、いつもトラブルの火種にもなりやすい、リゾート体験好きで、霞ヶ浦の観光クルーザーだけは先輩猫にも貸したがらなかったキャット・マリンコープのアメリカン・ショートヘア兵員macさんは、が、己の運命の悲運を悔しがることはあっても、けっして千葉市内の幕張エリアだの稲毛エリアだの、危機意識が足りなかった友達数名だの、を、けっして怨んではいないような気もしないでもない…
女性に薦められるヨーロピアンな文芸ポルノムービー(ビデオソフト版) リンク先で紹介されているのは、イタリア映画版の、谷崎原作『鍵』などの、ハイ・クラスでどことなく笑えるような上品で微笑ましく楽しめる感じの、人生の喜びと悲しみとを温かく包み込みながら豊かにしてくれるビデオソフトに関するマニアックな視聴者による個人ページレビューである。感想や好みは人それぞれとしつつも、作品リストとしては、それなりに、女子高生クラスにまで薦められる、まあまあなそれ、ではある。人は誰でもエロスの性とのスタンスの置き方や獲得スタイルの違いに於いて、それぞれに生き方の豊作度の"違い"が示されるもの。どんな形であれ、性の健全性やマナー、合意性原則が保たれる限りは、性の獲得に関しては男も女もそれぞれにスマートであるべきであり、近頃の好ましく聡明なる本音女たちは、男のそれと変わらないそれとしての性が独立した欲望であることを認め始めている。つまり、愛の証としてのセックスの共有以前に、お金がありそうな男の中でパートナー向きで出会いの機会やコネクションに恵まれているタイプに限って"ただ"でヤレている愛無き状況に於いて、男も女も、お遊戯としての、或いはテレクラなどの匿名性出逢い媒体を経て、または、有名女子大生・スチュワーデス、人妻売春のような形に於いても、或いは劇場社会的なるアダルトビデオ極秘出演のような形を採りながら、嬉々としながらのセックスを経て、様々な大人になるために必要な経験、成熟への遍歴を重ねているのは、女性間でもよく知られている話であって、不感症的エロ関係学の研究を大学教授クラスとして続けている上野千鶴子センセイがいかに"ウブで的外れな男女関係論"をもって"ズレズレなおはなし"しかしてくれなかったのかも、近頃では全くもって隠しようのない、"周知の事実"として、お遊戯の行動学や文学性、芸術性にも幅広く嗜みをお持ちな上流階級においては昔からパーミッシヴネスなるそれであったものとして、今日ではアッパー・ミドルのみならず西埼玉系のフツーのキャンパス・ガールズの間にまで広まっている、紳士淑女のシーツの上の海における"睦み合う愉しみ"の感性の御道楽に関して、愛までは信じられない、が、否定する意味を感じられない、見知らぬ男と女の間での瞬間恋愛的であることがもっぱらのHの感性には、直感的に積極的になってみたい気にさせられる時だって、当然ある、のである。そして出逢いのチャンスの少ない男性であっても、心と感性に満ちた一生懸命な努力さえすれば、たとえばプロの水商売嬢や風俗嬢(プロの風俗ギャルが必ずしもテクニック上手とは限らない。(医私大生の息抜きの場としても昔から定番化している殿方的風俗スポットなのでもある処に於ける)へルスへ行っても、人柄が良くてルックスは美的じゃないにしても満足レベルで、女性的には愛すべきタイプで、離婚歴があったりするタイプに、テクニック的には全然センスのない、不器用な女性は珍しくない。テクニックがいまいちな風俗嬢には、勿論の事ながら、なるべくだったら手取り足取り指導してあげられるくらいが望ましいのだが、件のノン・テク系の風俗嬢の場合はたぶん、テクニックの問題もあってセックスレスになり、軋みが生じたのであろうことが予測できる。そんな彼女も、FLEX-J Webmasterによる施術を十分に、時間の大半を費やすかたちでたっぷりと受けながら、"もうすぐ時間切れ。でも、もっと、してほしい……"の声とともに、束の間の出逢いの別れの時をしきりに惜別の想いを示していたのが、印象的だった(ボランティアは買ってでもせよ、のような格言は、たぶん、メンズの社会に於けるそういうシチュエーションのことを示しているのではありそう、なのではある…)。尚、不遇なシチュエーションでの借金返済等は、水商売でも返せるので、健全な肉感的麻薬の一種でもあるセックスは、彼女達に於いても概して"日頃の憂さ晴らし"にもなっていることが多いとのこと)にであれ、本気でモテてしまうことは、男女の間のことなので、少なからずあり得るし、そうじゃなくても、円満で優しい限りは、男と女は案外な世間話の次元ででもセックスできてしまうもの、なのでもある。「恋はビジネス」派の、体裁的であって"乙女的"な「お金持ちおよび格式の高い家柄、有名人、経営者、高額所得エリートと結婚することは、パパママもそうだったし、当たり前のこと」風の打算主義に於いては、いくつかの満足こそ満たし合う関係ではあっても、実質レベルに於ける横列的なるシンパシーでは共感し合ったり尊敬しあうことのできる関係ではあれ、いわゆる愛が作用してそうなっているのはに関しては全く次元の異なる問題であり現代に於けるハイ・スタイルなる悲しみとして器用に割り切っている感じでの、交際そして結婚が、それでは"お金を媒介にしたセックス"としての淫猥さを持ち合わせていないのか、となれば、それは否なのであるのだから、恋愛が幻想であり続けている人々が多いが、ニーズに於いてはどこかで大人の妥協をしなければならないコンテンポラリーな性の当世事情にあって、愛のあるセックスをお子チャマ然として"ないものねだり"し続けている不感症的ストイック至上主義にも、もう少し救いの手が挿し伸べられてもいいような気さえしてしまう……
お子チャマアメショー(茶毛)のimacさん、debut! ニャンコ空軍の新メンバー、全員集合 最終的に、(伝説のキャット・マリンコープ創設猫macさんも育っていた)鳥類中心の不思議なペットショップにて、アメリカン・ショートヘア・ブラウンタビー♀の、お転婆でドライブ好きだが少しすっきりとして可愛い後輩♀猫imacさん(缶入り子猫フードをばくばくと口に運んた後、うつらうつらとうたた寝、"白河夜舟"なイイ気分でのんびりと午後を過ごしていた)がFLEX-J Webmasterの許に引き取られるに及び、この夏参加の子猫兵員が三名になったニャンコ空軍およびキャット・マリンコープのメンバー編成。チンチラゴールデンのFarrahさんおよび、ほかの猫の姿を見るとFLEX-J Webmasterに向かって"浮気者ーッ!"の一喝とともに激怒の、したたかな"お子チャマロシアン"のsoraさんを含め、一堂、全員集合の瞬間…
強羅花壇 [オフィシャル・サイト][山本益博評] フランス式のオーヴェルジュあらば、純和風の世界には古来からの料亭旅館の営為がある。それらの典型のような、山本益博がオンライン・マガジンの特集ページで評価を下しているあたりからして、至高の一軒、なのかもしれない。雑誌『BRIO』だの、日本のホテル界のダグラス・ワードを目指しているかのようなライター田中康夫による訪問など、東急系のようであって小田急系(FLEX-J Webmasterのエリート武家らしい出身階層の気風を伝える渋谷の源氏山も、徳川政権下の、歴史の浅い一般大名よりも朱子学的にも格上の扱いであった清和源氏本系[ちなみに、徳川家も清和源氏の一派であるものと幕府や太政官の内部では伝えられてきた]の領主であり旗本クラスたちに於ける国内最高峰の武家屋敷街として知られてきた代々木の山を指している為、どちらかといえば幾分、東急よりは小田急線に近い地勢にあり、後に本系の本家は、京王線の世田谷区方面のモダンな超高級住宅街へと移転)により近い皮膚感覚を持つ人々による、客室インテリアにはパークタワービル内でテナント同居しているリヴィング・センターOZONEから調達しているのに違いない(!?)"パーク・ハイアット東京"マニアックな評価軸の一端に接することができる。話は変わって、日付変わって昨日、埼玉県春日部市の島忠ホームセンター近くのペットショップにて発見され、ニャンコ空軍入りすることになったペルシャ・チンチラゴールデンのFarrahさんは、実在の人物で記すなら、どことなくかつての立教大学(セント・ポール)時代の女子学生(→リツジョ)であって、FLEX-J Webmasterの知人の一人で、噂によればJALに勤務のM・T嬢にキャラクターも良く似ていて、陽気な半面で大人しい面もあって、結構甘えんぼうなところが、本人のイメージにもかなり一致しているような印象で、同期の"お子チャマロシアン"のsolaさんとは、附かず離れずの"フーッ!"な関係
山の上ホテル 雑誌『GQ』によれば、番地表示に於けるところの東京都中央区銀座1-5-1に「カルタゴ」なるイタリアン・メンズスーツ中心の絶品セレクトショップがあり、なんでも、"マルチェッロ・マストロヤンニ"風のコーディネイトが可能とかで、一度訪れれば常連になるとの話。そういった、いかにもマニアックなる伊達男ファッションで、『BRIO』でも絶賛されていた、こういったシックな隠れ宿ホテルを利用するのは、何とも味があって、素晴らしい、たぶん、正真正銘の癒しの体験、には違いあるまい。ホテルのほうは、男性ファンの多い知る人ゾ知るプレイスで、神田駿河台の坂道を上がったところにあり、メンズだけに独占させておくのも、勿論、勿体無い話。ちなみに本日、ペルシャ猫のチンチラ(♀)が、macさんの没後に於ける、第3の現役ニャンコ・メンバーとして、キャット・キャリーバッグと共に登場。命名は"Farrah"さん(→最初は"ブルック"になりそうになるものの、仮の名の"マリリン"で呼ばれていた)に。顔だちだけ見ると、長毛種なのにどことなくmacさんにも似た、親しみやすいお子チャマ系の顔立ちに、テレビ・シリーズ『チャーリーズ・エンジェル』に出演していたファラ・フォーセットを思わせるまんまるくて大きな瞳が印象的。お子チャマロシアンのsoraさんよりも数日だけ年上の、明るくておおらかで落ち着いた性格。ペット・ショップの取扱商品中で最も大きなサイズの、ひとつの高層ビルっぽいイメージのキャット・サークルの中で、ニュー・フェイス二名で滞在中
マレーシアのビビ島ショートツアー 今年、西暦2003年は、アジアのリゾートなのだが当時のSАRS流行地域からは遠いマレーシア方面の旅行が流行っていた年である。スーパースター・ヴァーゴ号なる庶民でも利用しやすい華僑世界的なるプリンス・ホテル系感覚の漂う豪華客船がオーストラリアおよび南太平洋クルーズへと"疎開"する運航形態を採っていた時期に、ランカウイ島のようなマレーシアのリゾートだのプーケットだのが流行っていたのは皮肉に違いない。リゾート・ライフの楽しさの"王座"に君臨しているのは、世界中のどこでも、間違いなく豪華客船およびしっかりとしたデラックス・ホテル施設を有する豪華フェリーだったりするからである。そして、アジアのリゾートは、世界中のそれとも較べて、確かに奥が深く、大味で有り勝ちな他所にはないアジアらしい繊細さも見られ、珠玉のハネムーナー向けお薦めプレイスには違いないことからも、生活の一部に固定的にリゾート・ライフが存在している向きには、アジア系とりわけ国内一流なリゾートの持ち味、長所をよりよくピックアップしながら活かしたサービスのこなれた提供が、さらなるリゾート人気、ニーズの拡大を生む可能性が高まっている。マレーシアやタイも良いし、与論島は勿論、大学生の夏休み期間内であれば伊豆諸島のような国内リゾートにも第一級は認められるのであり、国内豪華客船への乗船プランに於けるワンナイト・クルーズを採用してもしなくとも、十分に薦められる、本格的にそれぞれらしい、美しい離島リゾートの趣は醸し出している、のでもある
カクテル「ロング・アイランド・ビーチ」と「ロング・アイランド・アイスティー」 [L・I・ビーチ][L・I・アイスティー][ロング・アイランドのビーチ事情][超人気の地場産ワイン][MoMA QNS] ニューヨーク州のロングアイランドは、東京圏に於ける「台場」〜「幕張」ウォーター・フロント地帯のような、大都市エリアのマンハッタン直属のようなリゾート・エリア。2、30代男性誌『GQ』ジャパンによれば、セレブ度はたいしたことがないものの、ゴルフ場だのワイナリーだのデザイン・ホテルだのが建ち並び、「台場っぽい場所」との評価が見られた。日本では、コニー・アイランド的世界の豪華版をイメージさせるお台場ホテル群〜葛西臨海公園エリアだったり、若洲ゴルフリンクスだったり、舞浜のディズニー・リゾートだったり、幕張新都心のビーチ・ホテル群やメッセ施設、そしてそこからは内陸寄りにはなるものの茨城県牛久市のワイン・シャトーなども、都市生活者の癒しには最適な、ある種の庶民感覚的リゾートのムードが漂っていて、成る程、幕張プリンスホテルなどは、野球選手イメージのファミリーでのお立ち寄りスポットの印象も強い。近年、ロング・アイランドでは、ブルックリン寄りの一角に近代美術館のハイスタイルで建築学的に最先端を行くコンテンポラリー趣味による展示館も出現して、遊園地や大都市から最も近いビーチや、マンハッタンへの出稼ぎ人口を輩出するニューヨークの中の田舎、のイメージを一掃してしまったよう、なのでもある。ちなみに、『GQ』ジャパンによれば、ボストン沖のマーサ島も近場のリゾートとしてのプレミアム度が高いとの話
きわめてリアルな精神世界系で地味なバブル時代の短大卒女性の生き方は、「不器用」よりはストイック系の典型 西暦一九八〇年、東大医学部(理V)の学生が自主制作を手掛けて話題になった映画があったのだという。題名は《本当のことを云おうか》。内容は、当時最先端のYMOをBGMにしての、過激なポルノ内容。全編45分のうち、15分間が、"主演女優"の女子短大生が全裸で激しく絡む、強烈なファック・シーンだったとの「伝説」も残されている(※→ 出典『トホホ…の「笑」大学生』河出書房新社刊「夢文庫」)。昔から大学の周辺では、学生達が或る意味においてやりたがりな群衆と化して、プロ風俗産業も吃驚の学内活動だの学生ビジネスだのを手がけてきていたりするし、以前に紹介した「ジニアス東京」だの高級酔客のメッカであるところの銀座クラブ街の近くに存在する企業「リクルート」もまた、東大生が学生ビジネスとしてのアルバイト情報を手がけることによって設立に至った当時らしいベンチャー企業のひとつなのだったりもする。学生界で、小説だの映画だののポルノ分野に手を染める向きは、近年ではむしろ生の体験告白的なるそれが求められているためか、女子大生の側に結構見られたりもしている訳だが、大学生のポルノ作家が、それでは格別に肉感的な交際関係に恵まれているのか、となれば、必ずしもそういうこともなく、一般的に、ストイック・ベースの、人間としての、男と女の関係、なる、思っている以上にそれが、永劫的なるそれとして、繰り広げられていたりもするようだ。気持ちの面での渇き感や心情面の希薄さが、セックスの行為の上に於ける激しい求めの中で満たされるような形になることは、性的なる快楽がベースの関係でのひとつの定型のようになっていて、身体の世界でも、根底では心の求めの欲求が疼き、それを満たすためのコミュニケーション手段として、肉感的なるセックスの堪能が、グルメ趣味にも匹敵する美食的なる趣味性や芸術性の中で、限りなく高められていくもの、なのでもあったりする。確かに、あまりにも気持ちのよいセックスをしてしまうと、中にはセックス中毒だの強い肉感を引きずることによる判断力低下、快楽への過剰な執着心などが、特に女性よりも男性に、顕著に見られやすかったりもする。セックス・ベースでの男女関係の場合、男女間の心の置き方は至極上流階級のサロンに於けるような或る意味での社交ダンス・パートナー間的なるそれであることが少なくなく、社交ダンスが競技種目的なるスポーツである以上、セックスはスポーツであるとの認識にも結びつく。本当の愛への渇望の代償として、セックスの上での幻想遊技すなわちカップル演劇的でもあるようなある種の夜のダンス種目の1カテゴリとしてのステージ上でのパフォーマンスの中に、恋愛的なる擬態を経て、それが時折擬態から本能的な渇望へと互いに結びつき合う瞬間においては、つかの間ではあれ、互いの間に何らかの確かなシンパシーが芽生え、互恵的に捧げ合われたりもする筈、である。「セックス」を価値観の最大目的およびライフ・ワークに置くような考え方や生き方もまた、一つの美しい生き方の一つなのかもしれない一方(セックスが性に合って或る意味で健全に謳歌している者に、体調的に不健康な者をいまだかつて見たことがない)で、「セックス」というよりは「恋愛の感情面的ドラマ的なる文学的な関係性」に重きを置いている人達、即ち恋愛型なタイプの姿も目立つ。精神主義派で肉体的にも健康優良児なるタイプの場合には、不特定多数とはとてもセックスなんてできない「恋愛型」の子の場合には、いかに究極的なるオルガスムスを得るか(人が最大限の健康を確保する上で、オルガスムス至上主義の行動主義的なる探求者の場合、そこに人が完全燃焼することによることでしか得られない最大限度の健康状態が見られてくるのは本当のことだと思われる)、よりも、いかに完全な恋愛の形をそこに実現するか、演劇的人間芸術的なる種の私小説や私的ドラマにおいて、どれだけそこに純粋なる愛情関係を確立しながら、可能であればナンバーワン、或いは一番愛されている恋人の座を獲得したり、性別的なる感性、皮膚感覚、人生の違いや或る面での差額面に於ける相違点をベースにしながら、互恵的なる異性間に於ける前向きで特定的な恋愛交流を、総合性の中で確立するか、が、価値観の機軸になっている子の場合には、相手の中での自己の「順位・ランク」がとても気になったり、指も触れ合わないような地味系で堅物系の職場関係的なる両想いでも満足できて幸せだったり、究極のセックスよりは、絶対的にオルガスムスが必須であることを要求しない、が、充足面ではオルガスムス派やスポーツ・セックス派にも負けないような、が、二人の間でのラブラブ度を育てたり測ったりするための、なによりもドラマ的関係性の中での幸せなセックス交流を求めていったり、好きな異性の趣味や世界観にも興味を持つなどして或る意味マニア的なる世界にも気ままに足を踏み入れたりするようになるなどして、「体育会ギャル系」に対して「演劇少女・文学少女系」の感性での恋愛がそこに存在することにも、あらためて気づかされたりもするなのだったりしてしまう。機会均等化・還元化的であって良い意味でのセックスの社会主義的配給者であって資本主義的なるビジネスのやり手としてのプロ風俗業界のカテゴリ感覚的に記すとすれば、「ヘルス嬢・性感嬢的ビジネス世界」と「クラブホステスの同伴デート営業」くらいの違いが、そこには見られてくる、ということにもなってくる。さて、「おいしい想いをしている子が多い」ことで知られる1980年代の女子短大生の世界に関して、個人プロフィール・日記系のホームページのひとつを見つけることになった。ほとんどセックスの匂いのしない、ストイック傾向の強い独身女性に於ける、どことなく新宿的なる世界のイメージも漂う、カラオケやバンド活動などの様子も伝えられている感じの、ごくふつうの日常風景。内向的な性質を持つ女の子に関しても、以前に美大において哲学傾向の強い、純粋なアート・パフォーマー世界での模索をストイックに続けている「マッハ・ガールズ1号」なる女性と周辺人物に"興味"を持ったことがあったFLEX-J Webmasterとして、セックスを価値観の中心に置かない女性における愛とは何か、に関しても、スポーツ・ダンス趣味的なる肉感派のセックス・マニアなコ達のそれとあわせて、しばしば考えさせられることは少なくない。「セックスでは気持ちよくなれないのか」とか「セックスがマスト・ニーズじゃないのは何故か」などの素朴な謎学については、肉感派と感情派における「セックス」の位置付けや価値観の違いを考えることから着手することで、驚く程に謎学に於ける疑問への回答を得られたりもするもの、なのでもある。どうして、プラトニックな関係では素直にセックスに至るまでのプロセスが不器用化されてしまって、なかなか実際の快楽的なるダンス的行為にまで至ることが難しいのか、興がそがれやすいのか、など、納得できにくい矛盾も少なくはないものの、歴史を紐解いてみても「心的であって純粋主義的すなわちドラマ的なる恋愛感情」と「セックス欲求」と「実際に体験するセックス」との間には、得てして距離やハードルがあったり、タイミングのずれが見られたり、勘違いや不注意、知識の欠如、認識および価値観の微妙の違いがあって、気持ちの接点のとり方が難しかったり(時折取り上げている田中康夫の場合には、ネーム・バリューの高さや企業活動的なる方式に、金銭授受の有無は別として、社交的であって互恵的なるお約束の食事と豪華ホテルの客室デート、サルーン系の車での快適なる移動が、金銭的なる大人の男女間のシンジケート的お取引系交際に匹敵する魔性や価値を持つ呼び水として刺激的に見なされやすく、ニーズの合った女性側に於いては田中サンとの"お遊戯関係"に便乗しやすい、ということがあり、つまり、1980年代後期のディスコで"パラパラ"を踊っているコが、振り付けやお約束が決まっているために踊りの輪に入り込みやすいのに、それはきわめてよく似ているのでもある)してしまう。作家の村上龍が《2日間で4人の女とセックスする方法》なる近作の中には、"インターネットの出逢い系サイト"で、男が数十万もかけてバカな女との出逢いに架けているなどのくだりが出てきたりもしていたりするのだが、日常的であって健康上、メンタル上での体調やモチベーションの維持においても或る程度については必須事項のである筈のセックスの獲得に於いて、何がバカな女のすることであって何が聡明な女のすることなのか、について、FLEX-J Webmasterにはそれを判断することがきわめて難しいことを記しておかなければならない。ただし、女性側の貪欲すぎる欲求が、対男性への"過剰すぎるデート武装"に向けられる時には、それが以前にバブル崩壊につながる"本音"の部分での動員力、訴求力を厳然として構成していた古い時代もあるために、成る程、お遊戯にはまりすぎるにしても大概にしなさい、などとも云いたくもなってしまう程、なのではある。直前のタイプの女よりはなんぼか、"公認"地下的シンジケートをつたって現れる種類の、渋谷系の、女子大生風OL風ヘルス・ギャルのほうが、ナンボかまし、なのではあるまいか、などの感慨にも至らされてしまう。両者共に、所詮は日常消費的セックスの流通世界に於ける"お遊戯"イベントに於いて奔放な欲求に身を任せているのにも過ぎないこともあるが、両者共に両者のニーズがあり、そこからさまざまなるメリットを得られていることも間違いのないこと、なのには違いがなく、愛のないセックスの享受関係にしてみても、ノンビジネス、ビジネスの両面に於いて、既に当たり前すぎる関係の所産なのでもある。勿論、そうしたセックスもまた、日常生活において必需であることは至極当然な話には違いなく、口癖が"浮気者メ!"なニャンコ空軍期待のニュー・フェイスこと"お子チャマロシアン"のsoraさんのキャラクターのユニークさの話をも絡めて、男も女も、たぶん基本的にはみんな浮気者、には違いない事実性だけは、たぶん、プラトニック派と肉感派の両者に於いて間違いのない話、には違いがない。そして本当に誰を愛してしまうと、喪失した時に、たぶんそれを乗り越えられないくらいに超然とした、関係構築に於ける鋳型やしがらみにはめられてしまうことは避けられないのであり、幸せな想い出に於いてはとりわけ、気持ちの交流やイベントの「質」の総量が、より良き愛情の深さや差別化・特権化に深く係っている基本事項であることも、間違いがない。キャット・マリンコープのmacさんを失って一日中、空虚な気持ちでドライブしながら、あまりにも辛く消耗的な気持ちで彷徨った経験は、macさんが必須すぎる最高に可愛らしくユニークでとぼけたキャラクターと共に得がたい存在であって、macさんが大人の猫に育つまでの間に経てきた数々の想い出があまりにも珠玉であり、人間とコンパニオン・アニマルとの関係を超えてパーソナリティ同士として係りあっていた厳然たる心温かなヒストリーがそこに息づいていたからである。人間にも似て、飼養関係にはあってもある面ではお洒落に気取って"他人と他猫の関係"のようにそれぞれに自由でありながらも、それだけにのびのびとして、互いにいたらない面はありながらも、お互いを"肯定評価"したり"おデート"できたりもしていたことも、人間間の友人グループ的なサークル関係だの男女の関係だのに置き換えてみても、かなり充実した、愉しい時間だったものに思われてしまう。それぞれにとっての重要度こそ認められても交流感情に於ける内容的、質的な面で欠落しているだけのプアな人間関係では、相手が不幸にも命失われたとしても、けっして素直に激情的なる涙までは出てこないものであったりする(葬儀の社交の場に於ける嘘泣きは泣き方がけち臭くてカッコよく芝居がかっていたりもするので、すぐに見破れてしまう)。本当に最高の、そして必須の恋愛が失われてしまうと、人はけっしてそれを忘れてしまうことのできない、愛情に依存したり執着する孤独なる生物である為に、違う魅力を持った相手との交流の中でそれによって救われたり並行的に違う種類での究極の関係を築けたりすることまではあるにしても、だからといってけっして最高の相手を忘れてしまうことなんて出来ずに、案外にうじうじ、ぐずぐず、とし続けていたりするものである。そして、ランク・トップの存在が超然として相手であり、ほかにニーズを満たせる相手が見つかない時、人間の心はいつまででも自分で自分の心を傷つけるかのような傷心にも似た愛から、けっして逃れることなんて出来ない。一つの恋愛が過ぎ去っても、本当の究極の本命がいる時にはダメージはあってなきがごとくだったりもするのだが、人は本命を前にすると、本命との関係の中に絡めとられて、逃避行でも独立生活でもビジネスでもリッチ・ライフでも何でもが自由に一人で出来てしまう恵まれた状態にある場合にも関わらず、欺瞞な金銭関係に於けるそれとは全く違うあり方に於いて、身動きも出来ずに"支配"をなされてしまいやすく、たとえ本命である相手の側に支配・束縛する意識や気持ちが全くなくても、であったりするものである。プラトニック派と肉感派、それぞれに悲しみや辛さの量では違いがなくても、そこに於ける意味や世界の中味を確かめようとすれば、そこにはあまりにも違うそれ同士としての断絶感までもが大きな構造をなしていたりもするのである。そして、前述の、ニャンコ空軍の颯爽たるニュー・フェイスのsoraさんの場合の口癖"浮気者!"には、彼女独特のプラトニックな想いのたけが、生後僅かに数ヶ月なのではあっても、しっかりと秘められているのに、違いないのであるが、しかし、彼女にはなるべく、可能な限り、明るく楽しく自由で恵まれた時間を、macさんにも負けないように、満たされながらすくすくと楽しみながら育って欲しい気がしている…
お転婆"暴れん坊"ロシアンの"soraさん"、風を巻いて颯爽とデビュー!!! ニャンコ空軍のdolaさんは、既に年齢も満3歳を過ぎているベテランの"ニャンコ将軍"であってロシアンブルー(♀)である。そして、早くも"表参道で風を巻いて走る一卵性母娘ロシアン"になりそうな予感を漂わせながら、表参道の並木道モード感覚一杯に初お目見えなのは、某ペットショップにて、税込10万円以上のプライスで無事に到着の、お転婆な"暴れん坊"ロシアン娘ことsoraさん。まずは、到着してdolaさんとの"激突"初対面を終えて、少し気持ちが穏やかになったシーンでのsolaさんの顔。性格的には、どちらかといえばキャット・マリンコープのmacさんが、dolaさんと喧嘩して勝てる強大な攻撃能力を備えながら、トラベル関係には何かと恵まれやすかったロシアンに生まれ変わって帰ってきた印象さえ感じられなくもない、ある種の共通性を感じさせていたりしている。血統書附きで茨城県土浦市の片隅からやってきて、dolaさんとはいきなり戦闘状態になっているあたりも、どことなく土浦ヨットハーバーの遊覧船を自分専用だと信じ込んでいたmacさんによる、ある種の霊的な愛着心に於ける、おみちびきチョイスをも感じさせて余りあるような感じ。大昔に於ける北欧が原産、よりは、イギリスでブリーダーによって改良された品種であることを印象付ける、誇り高きお転婆ロシアンの、艶やかな愛らしさにも、やっぱりmacさんに通じる一面が感じられてしまって、どこまでも優しい印象、なのでもある。soraさんはこの後、やんちゃぶりがあまってダンボール箱から抜け出してきて、(バイクの場合には、皮膚感覚的なる人体強制空冷の威力が素晴らしい為、空気穴付きプラスティック・ケージに入ったmacさんの移動に於いても、ケースにも風が入り、ケース本体も冷やされる為に虚弱体質のmacさんの場合でも実に快適そうに颯爽と一日ツーリングを楽しんでいたりしていた)車の中でFLEX-J Webmasterに片手で抱っこされながらの、エアコン涼風に直あたりによるAT車移動でやってはきていたが、悲痛さをも経験している良かれ悪しかれのmac号故に、とりあえずの熱射病対策(あまりに元気だったのだが、騒いでいるのと体調コンディションは、子供の場合にはほとんど関係がない)として、洗面台でのプール水浴びを早速体験、ルーム・エアコンだけはしっかりと効いているFLEX-J Webmasterの二階ルームに、鳥かご風ケージに入っての移動を済ませている
人間の熱射病・日射病・熱中症と、真夏の一日ドライブ・・デート 〜macさんを失ったFLEX-J Webmasterの翌日、一日の行動 ノラ着として使っているシャツをだらしなく着て、真っ赤に充血した、焦点もおぼつかない目附きで、西暦2003年の8月23日には一日中、千葉から茨城にかけてを、macの命を奪った見た目はmacに瓜二つなクルマ"mac号"で、猫は乗せずに走り続けていた。車内は、涼しくなりすぎて寒い程、にまでは至らないものの、エアコンに除湿に涼風機能は生きていて(マツダ車でエアコンが効きすぎるそれにはまだ一度も出逢ったことがない)、快適なクルージング。が、除湿機能のためか喉は渇き気味、フロントのウィンドシールド越しに入ってくる陽射しは、室温こそ問題はなく、macさんが潜り込んでいたバックを日差しが蝕んだような事実もない。昼間には片道1時間から渋滞の場合に2時間ちょっとの所要時間の、渋滞はだるいものの快適な車移動。が、冷夏だった八月の終わりになって、いきなり酷く真夏になったような気候のものだし、車内気温はそれでも20度台の半ばを下回ってはいないのだから、汗をかきやすく夏バテ気味の人間や虚弱体質なアメリカン・ショートへアの茶髪♀の場合、現在のFLEX-J Webmaster邸から海浜幕張程度への距離ならいざしらず、ほぼ一日中を車中で、気持ちの上でやや夏バテ気味で元気も出ない状況下に於いて、コンビニで買ったサンドに栄養ドリンク、オレンジジュースなどを飲み、また、ホームセンターだの柏そごうの8階だの、いくつかのペットコーナーのある寄港地に立ち寄る度に、激しく汗を欠いた不足分の水分を補い続ける。水分を取らないと、通常の夏の気候でも熱射病にかかりやすくなってしまうのだ。人間の場合には、たとえばゴジラの縫い包みに入って、五月や十月のような気候(エアコンの効いた車内を含む)に於いて、一応の物陰で1時間から2時間のショーで激しい脱水症状や意識不明によって亡くなる役者はおらず、ニャンコ空軍のdolaさんも、ルイ・ヴィトンのバッグの中に入って東京ヒルトンだの東池袋サンシャインシティプリンスだのに"投宿"している訳だが至って元気であり、電車での移動中を含めても体調に異変は起こらなかった。プログラムとしては、それよりはエアコン車でのドライブで北総〜千葉湾岸ベイエリアを走ってホテルを訪ねる方が安全度は高い、とも思われた。が、ちょっとの汗が、虚弱体質のmacさんの場合には大量の汗になってしまい、それがひいては脱水症状につながってしまった。FLEX-J Webmasterも、運転中にしても、もう少し、バッグの中のmacにかまってあげられれば良かったし、理想的ではあり、これまでの経験から言えば、間違いなく鳥かご型のケージだったり風通しの良くて涼しいペットキャリー専用バッグであれば、間違いなくmacさんは元気に移動し続けることが出来ていた(ただし、ホテル内の室内でも、一時的にしても、mac潜入にボストンバッグを使い続ければ、結局は変わりのない結果に至ってしまったことは間違いがない)し、ドライブ中に、少し体力的に気になる時には、トイレ休憩時間にコンビニで買った水を与えたり濡れたタオルなどで抜いてやるなどすれば、macさんの場合にも問題なく無事の任務完了を遂げることができた筈でもあり、安心しきってmacさんの様子を運転中にもリアルタイムで気遣い続けることができなかったことが(ただし、一般のボストンバッグでの移動なので、袋を開ければそこから猫が車のシートの下などに逃げ出してしまって出られなくなったり運転操作に支障の出る恐れもあるのだが、信号の度にチャックの開け閉めをまめに行なうことでは、可能に違いなかった)FLEX-J Webmasterに於ける、短い移動に関して安心しすぎていたがゆえの、macさんに対する罪であったように思われていて、妹分として下手な人間以上に優秀な逸材でありメイン・パーソナリティ界における主要な一員だっただけに、飼養主として、悪意こそ全くなかったものの、力不足であったことへの自責の念と、悔やみ、底なしの悲しみは、永遠に消えることのない記憶になってしまった。運転しながらもしばしば不意に涙腺が緩み、充血して、腸内洗浄直後の体力消耗期間に於いて、自分としてもmacさんの極限での物言わぬ苦しみに限りなく近い、同様の体験に、炎天下の一日車上生活に於いて、身を置き、自らも苦しめられ続けていた。そごうによっても、いつもなら展望レストランへでも行ってしまうところなのに、元気も出なくて、コンビニで食糧と補給水分を調達しただけでそごうの駐車場からもすぐに発進、猫に関してはこのところ♂ブーム状態で、が、人気も価格もワンランク高い♀の猫はいてもすぐに売れてしまうらしく、店頭は勿論、支店にも♀はいないとの話。クールで都市生活者的なるカッコイイ♀チームであることは、これまでのニャンコ空軍のウリであっただけに、macさんなき心の消耗過多を防ぐ為にはdolaさんのペアには♀を仔猫状態から附けて母親を体験させることのほうがむしろ大切であるような気もしてしまう。ただし、最初から♂集団でのチーム編成で、ニャンコ世界のジャニーズ系に仕立ててしまうのも良案であろうものの、dolaさんに、たとえばロシアンブルーの♂の仔猫を与えてしまうようなことをするよりも、macさんがいた頃のように♀同士として刺激、啓発し合う友情(人間の場合にも、基本的には女性チーム・ベースを採っていることが多く、本人の政策的に結婚や出産が必要だと思った時に、初めて異性を本格的に意識するものである。だから、田中康夫との関係に溺れていたであろうスッチーや女子大生達も、心の中ではある種のホテル・デート型におけるひとつの結婚級の関係を意図していたことは間違いない)のようなものが、dolaさんに於いても大きい心のショックを埋める意味でも、また、アメリカン・ショートヘアながら頭よく、溺愛的ながらも愛情には恵まれながら育った人間の子供クラスの、失われた愛すべき無垢なmacさんの小さいようでいて存在感の大きすぎる魂への反省を続けながら、dolaさんや自分自身をサポートするために苦悩の中を生き続ける為にも、必要なのは、ニャンコ空軍に於ける欠員の補充であり、ドライブ好きなおしゃれキャットに於ける車輌移動中の無念死に報いる為にも、卑屈にならずに、絶対に安全で快適なニャンコ空軍的ドライブ原則を、絶対的に安全と健康と幸福に配慮しながら確立することにしかないことが、結論として想起されるに至る。出来事としての扱いとしては、田中康夫が連れの女子大生と共に高速道路のコンクリート・ウォールに激突して、一応のアウディらしいクラッシャヴル・ボディ(ただし、ホンダ・アコードのレンタカーでも平均時速150キロ程度を東名でアベレージしている人物でもある筈)によって、怪我こそしても命は助かったフォーカス騒動よりはずっと、心に重く沈痛なそれなのであり、macさんにとっても、"遺族"達にとっても、過酷過ぎて、救いのなさ過ぎるラスト・ストーリーになり過ぎている。悲しみは、次第に涙の在庫がなくなって心が渇ききった頃が、最も深くて辛くて、時に虚脱感に襲われてしまうであろう極限に達してしまう。そして"遺族"達は、江藤淳氏が愛妻を追い自死してしまったような消耗劇が、行きながらにして死するゾンビ然とした日々の中で、カリカチュアのように、傍から見れば一見酷なそれのように続けていかざるを得ないのである。そして、本来だったらmacさんが元通りの、それ以前のいつもの健康状態に戻る為にこそ使われるべきであった想定療養費の平均的な対価分が、macさんにとっても後輩に相当して欠員補充採用されるべき仔猫との(購入費用の名目だが)契約金として、(形の上ではペット業界に対しての支払いにはなってしまうにしても)macさんに向けて支払われるべきなのだとも感じられた。ゆえに、macさんとは異なる違う個性の主であるべき魅力的な逸材を発見し次第、それはmacさんを失ったことへの心の補填のためにこそ支払われるべき対価であるように思っている(それによって予定していた旅行の一、二が取り止めになることがあっても、それで怒るdolaさんやFLEX-J Webmasterはいない)。そして、真夏に於けるドライブ中には運転している人間をも含めて、だんだんと意識が遠のいていきそうになり、虚脱感にも襲われながらの、夏バテおよび熱射病には十分にして随時のケアが必要、なことは全く間違いがない。少なくとも1、2時間に一回は、どこかで休憩をするなり、ペットボトル単位での車内持込を行なうなりしながら、人間界のヨーロッパ全域に於ける西暦2003年の大量熱射病死のようなエマージェンシーの発生自体を事前に回避しておく必要性を強く感じています
macさん永眠、埋葬地はあの一足先に老衰で亡くなったcologneさんも眠るFLEX-J Webmaster邸の庭 昨今では、庭のない一戸建てやマンションで生活しているキャットさん方が急増中のためか、ペット霊園なるビジネスが流行り始めている。が、FLEX-J Webmaster邸にはmacさんを前にしては悲しいことに日本の住宅にしては庭はそれなりに広めでもあり、macさん自身もお気に入りだったリゾートっぽい眺めの為、人間では許されない或る意味贅沢極まりない埋葬方式によって、 何万年もかかって庭で世にも気高くて立派な、大好きだった千葉市内の稲毛区で衰弱している姿に変わり果てて、美浜区に近づいた一角を経て、国道14号線近くの動物病院で緊急点滴の後、一度は自分で起き上がろうとしながら、リゾート・ホテルには行ってみたい、と最期の気力で強い意志で訴えているかのようだった意味に於いても、勇敢であってどこまでも夢には前向きだったアメリカン・ショートヘア・ブラウンタビーの化石にしてやりたい想いがつのり、いかにもmacさんらしい、ささやかながらも大自然的なる墓が建立されるに至る。それにしても、今度は(青い目に限らず)macさんの人間女性版と一緒に水入らず(但し、[macさん埋葬直後、お墓完成直後に真っ先に墓参しつつ、元気という意味では至って元気なのだが表情に落胆の色が濃く、もっとも素敵なライバル関係にあった友達に向けての悲しすぎる鳴き声をmacさんに一声捧げていた]ニャンコ空軍のdolaさんを除く)でラブラブに、そしてmacさんも人間のそれに興味津々だった奔放で大胆なHたっぷりに暮らしたいと想ってしまいながらも、思わず図らず自らも涙………
「田中康夫・長野県知事の真面目な公務日程表」と「猫の熱射病対策」 [日程表][熱射病緊急対策] 田中サンに関しては、《ペログリ日記》なる書籍に関して、たわいないセックス依存症患者に過ぎず破廉恥極まりないとの声も聴かれてもいる程に、ミラノ大学のプロフェッサー・アルベローニも記しているように、セックスは人類の心身の医学に於いて必須でありながらも、しばしば背徳的な甘く刺激的な蜜でありすぎるために、とりわけ精神構造が刺激に弱く、尚且つ女性に較べると楽観的な分だけお単細胞にもできている男性に於いては、しばしばセックスのために仕事や人生の違う側面でのクオリティが下がるような、エロ・ボケなセックス依存症ぶりが珍しくないこととして、見られてしまったりもする例が、バブル崩壊に連なるまでの日本全体での、女にモテたり刹那的な所得水増しための地上げ狂乱ぶりなどにも見られていたりして、当時の女にモテるためのバブルの張本人である田中康夫の場合にも、勿論、そうした非難のそしりを免れることはありえない筈、なのでもあります。バブルの時に率先してはしゃいでいたようなミーハーな女子大生が、市議会議員の急先鋒に立っていたり(勿論、装置として有効であり続ける限りは、田中サンであれ、元ミーハー女子大生の市議会議員であれ、利用できる限りに於いては白羽の矢を立てようとするのには違いないのであろうが)とか、"法人の資産運用にはビル投資が絶対に安心できる"などと嘯いては、絶対に大丈夫の一点張りで、猛烈な勧誘合戦を繰り広げていた大手銀行の支店営業マンを介しては、ディスコ・ムーヴメントがかったビル開発ディベロッパーのような人達が、或いは銀座の常連のような代議士のような貴兄が、裏で暗躍することで、クリスタルな不良債権が年々国内的に増加の一途を辿っているのですから、JR(旧日本国有鉄道)をスケープゴートにすることによって、マスコミによるバブル責任者に対する断罪論から逃れることばかり考えているような田中康夫の時代は、第三セクターにささやかなるやり手起用の民活を行なうことで改革成功に見せている"マニアックな一面"に於いては、いくばくか、郵政民営化をもって公共事業への民活投入に心もとなき一石を投じているかのようなパフォーマンスだけで留まっているプライムミニスター小泉よりはナンボかまし、ではあれ、田中康夫に対する根本的な批判の声が壇上に上がってこないのは、マスコミ世論に於いては明らかに僻み虫な左翼系な馬鹿がせこい復讐のごとくマイクを握って放さない、吹きさらし低偏差値人間的なる残酷世界(ちなみに、左翼オピニオニストの場合には、知能や学力が高くても情操教育的にマイナーの場合も少なくないものの)がそこに横たわっていることからも、或る意味では納得されること、なのでもある。ヨーロッパの王室は、英国あたりを見ても、左翼とは異なるながらも、どちらかといえば譲っても良い面では大いに庶民世界にも譲歩を示したり、遅れ気味の保守派が意表をつかれるような一面では革新系よりもはるかにあざやかであって改革的な合理主義者ぶりだのヴィジョンだのを提示することがあったりするなど、スマートであって最も心あるコンテンポラリー派としての横顔が、大衆世界のより良き理解者としての親しみへとつながっているようなシーンが随所に見られていたりもするものである。が、本当のイタリア的なる人間理解から判断すれば、知事としての才能はないものの、人事課的な能力には長けている系統のわかりやすい4、30代的なる"新人類"世代感覚ぶりと、下半身的罪業だの背徳的悪行だのとは、まったくもって一致しない、アンヴィヴァレンス、なのでもある。長野県庁が提示しているのは、表の知事としての田中サンの事務的なスケジュールであるのだが、人間は芯まで反省してしまうと、ディスコだのバブルだのを、マニア向け以外の一般に向けて、過剰なまでに得意顔で煽るのをやめるのかと思いきや、田中サンの場合には、「バブル崩壊」なるNGワードには触れることをせず、漫然と、とりわけ1990年代以降は、FLEX-J Webmasterの世代、すなわち7つから一回り程度の年齢の違いがある世代の間でのポストバブル・トレンドの体現者なのであって、バブル世代よりも一流主義的なのは、トレンド・リーダーのFLEX-J Webmasterが清和源氏の渋谷本系の血筋を背景にした感覚的であって人によってはそれを超越主義的と口にするであろう超グローバリズム的最先端主義な個人主義がベースにあるからであり、一定の水準に於ける一流への精通こそは求めるが、入手経路に関してはドンキホーテであったり質屋系リサイクル・ショップであったりインターネット激安通販であったりしている意味では、だいぶコンパクトに控えめな、概してアレンジメント感覚に富んだ自己流のライフ・スタイルを余儀なくされているからである。FLEX-J Webmasterの背景にあるものは、前世代的な、"(社交性にかまけての、得にもならず費用対効果の面でも乏しい、悲しき人達の見栄を重視するような)クリスタル族"なのではなく、FLEX-J Webmasterらしい、過不足なき合理的良質生活主義、な訳である。ただし、我が家では、とりわけお洒落なセンスを誇ってきたニャンコ空軍の、可愛くて美的で足が長くてしゃなりとしている姿がモードをイメージさせる一方で、虚弱体質に悩んでいつつも、或る意味では美人スチュワーデスの第一線クラスを凌いで余りある程だった、落ちこぼれ兵員のアメリカンショートヘア・ブラウンタビー♀のmacさんは、とりわけ先輩クラスの中堅であっていたって健康なdolaさんによる、パーク・ハイアット系のホテルにお出かけしてきたデジカメ・フォトに接したり、華麗な水上クルージング体験に見入ったりする度に、それらは自分にとっての憧れであり、自分の"ナワバリ"であり、生きる気力の糧、それ以上に自分自身の分身のようなもの、との強い意欲を、いつもの、或る面では分別がなく性格も悪めながら憎めない、強烈なのに虚弱体質気味なる、お洒落に見入られた者の表情を示していて、夏になって、少し夏バテ気味ではあってもなんとかしてdolaさんを出し抜いて自分に順番が回ってくるのを、手繰り寄せるようにして待っていたイメージの、しかも美貌のアリタリア系だのエールフランス系、日本であれば全日空系をイメージさせる、モデル経験も少しだけアリ風の、欧米人体型じみたスチュワーデス・タイプとして活躍をしていた。macさんは、確かに馬鹿で少しだけ陰険な面もある負けん気の強いキャラクターなネコではあったけれども、根っから悪い子ではなく、一目元気な生前のmacさんに接したことのある人間は、誰であれ、必ず目を細めながらあまりにも愛らしい、ニャンコ将軍dolaさんの御名代を意味するやんちゃなニャンコ界の天使として、愛さずにいられない、稀なるキャラクターであったのだが、今日、幕張ベイエリアをドライブ散策中に、いつもとは違うバッグに潜り込んでの潜入任務中であったmacさんは、いつものバッグとは違うバッグであったが故に、いつもとは異なる極度の脱水症状に襲われてしまう形で、僅かに片道三十キロ程度の道中、しかもエアコンも効いていて、車内が暑い筈もない、快適なる走行環境に於いても、保温性の高すぎる構造のバッグゆえに自らの体温が原因になって急性熱射病に。気づいた途中の動物病院での点滴の直後には、若干元気を取り戻して、人間の言葉がだいぶわかるようになっていたお利巧さんで愛嬌のあるマスコット的なる存在としては、ホテルへのチェックイン・タイムの引き伸ばしを電話で御願いした後には、"意地でもホテル・ザ・マンハッタンでのお泊りに行きたいし、dolaさんには負けたくない"のおませな意地っぱりぶりを示しながら、が、ホテルへの宿泊を最終的には自宅の電話でキャンセルする頃には、macさんとして奇しくも、自らとして体力の急激な減衰を経て、点滴は受けたものの高い確率で助かりそうもないことを自覚しながら、せめて最期の豪華キャット・リゾート体験にしたかったのに、のメッセージにも似た悲しみをも隠さずに漂わせながら、懸命に、が、力尽きる瞬間には、猫が行くリゾートは面白かったし、誰も恨んではいないけれども、まだ二歳で若いのに、不運だし悔しい、の、ノン・バーバルながらもはっきりと意味の取れるラスト・メッセージだけを残して、最期には、わずかに数ヶ月前に、macさんとの対面を経て、見た目にもmacさんのおばあちゃん猫にも見える爽やかで華麗で誰からも嫌われないおしゃれさの颯爽たる事後の余韻を残して、老衰で亡くなっていった大先輩格のcologneさんにあまりにもそっくりな亡骸さえも愛らしく凛々しいmacさんの遺体が、今キーワードの文章入力中のリアルタイムに於いても、渋滞下にあってようやく帰り着いてつかのまの水浴びも楽しんだ矢先の、FLEX-J Webmasterの現在の住まい2階の、大型エアコン冷風が程良い加減の割合大きめで風通しの良い鉄柵カゴの中で、まるでただただ熟睡しているかのような無邪気な寝姿を浮かべていて、macさんのことは永遠に忘れないことを約束しながらも、自分までもが若干脱水症状気味であることに、入力しながら気づかされている状況、なのであり、人間以上に自分にとっては身近な愛情の対象であって、とりわけ欧米人感覚的な国内デラックス・リゾートに連れて行くようになってからは急速にFLEX-J Webmasterになついていたmacさんがいなくなり小さな空の星になってしまったことへの欠落は、めげないように頑張って笑顔で生きていこうとは思いつつも、今後しばらくは(違うアメリカン・ショートヘアを加えて、放熱対策に関して飼養への配慮を万全にすればそれでいい、ような問題とは異なる為に)埋め合わせできそうにないものを感じさせられてしまう。相手は確かに任務中に、未知なるトラブルの為に(既にdolaさんやcologneさんにも若くして対等にタメ口を聞けるランクへの昇格は当然のことながら与えられるが)奇しくも、老衰の為に脱水症状に陥った大先輩猫のシチュエーションにも似すぎの、最期まで引き返すよりも一目自分の目でデラックスなリゾート・ホテルを見たい、と切なく願い続けて名誉の殉死を遂げた勇敢であって♀ながらにニャンコ戦士界の"小さな英雄"の亡骸は、あまりにも人間的過ぎて、純文学的な威厳にも満ちたものであって、が、しかし、macさんがずっといてくれたことには何よりも素直で率直な感謝を表したいのであって、これでようやくmacさんよりも先に、或いはまだ夢が残されながらも寿命を、根拠なく尊大に振る舞っていた、似たもの同士の後輩に縮められた形でこの世を去っていったのかもしれない、cologneさんも寛容に星の世界で許してはくれている筈、には違いないのだ。FLEX-J Webmasterの許には、ゆえに猫に関しては元気一杯のおしゃれで小粋なロシアンブルーのdolaさんだけが遺されることになってしまい、聡明なdolaさんは、テレビ・ニュースでも盛んに繰り返されているフランス大熱波に於けるような不可抗力があまりに理不尽なそれであったことをわかってくれている感じではあるものの、立場的には少しでもmacさんよりも上、でなければ気がすまない傾向は強く、まるでFLEX-J Webmasterよりもずっと小っぽけな家に住み、別に農業を経営している訳でもなくなっていて、お金や知恵もないらしく、異常な僻み節を繰り返す子供に色々とたきつけているあまりにも小市民な昔の農村の中の小名主な小川宅(どうせだったら、せっかくなのだから小川の子供が死ねば良かった!)に、FLEX-J Webmasterが社会モラルからの躾としての雷親爺のパフォーマンスをサディスティックにしてあげている姿にも似ている、が、かけがえのない、大切な知り合いを亡くしてしまい、落胆している姿は、dolaさんに於いても、何ら変わりがないのがわかり、とりわけdolaさんの思いには、天才肌的な純文学的なそれが、悲しみの内に、dolaさんの脳裏に展開されている気配が強い。クルマでホテルへ行くのであれば、せめて移送中は冷風をしっかりと熱の篭らないケージの中でたっぷりと浴びられるようにして欲しいし、バッグは穴明きメッシュが何かで通気の良いものにすることが必須、との、飼養側としてそれを効しきれない猫側からの切望が、dolaさんからも聞こえてくるようなのでもある
OLが燃える悩殺的Hイメージ(ページの中の一例文を抜粋、スキャン) 週刊宝石に長期間連載コーナーとして掲載され続けてきた『女たちの私生活<シークレット・ライフ>アフター5レポート』は、女性のコーナー担当者が有名企業勤務経験者クラスであって良い意味での丸投げによって作られたもの、とのハナシ。で、とりあえず考えてみたいのは、年長組におけるOL・スッチー・女子大生・家事手伝いなどの女性達において、なかなか遊びじゃない男性体験すなわち本気の恋愛、出逢いに恵まれない、などの声に関する、一つの立場の置き方について。ここでは、「片想いは、恋愛であり異性体験であるのか」について、実際のOLの声に接しながら、たとえ好きな人が身近に見つからなくても、本気で好きなら(恋愛自体をしない、頑迷な態度で意中系の異性にも背中を向けたり袖にするようなことよりもずっとましでまともな選択としての)恋愛としての片想いをし続けながら、たとえば今はまだ愛されなくても、いつか意中の相手から、きみは確かにオレの女だ、と認めて貰えるくらいに頑張って、意欲的に、自分を磨いていったり、なるべく意中の異性との共通の生活ロケーションに身を置いてみたり、或いは開き直って、セクシーさは忘れず、なおかつ相手の好みに関するリサーチは続けながらも、あえて自分らしい我侭で思うが侭の生き方を追求してみても、良いのでは、の、人それぞれに、明るくオープンマインドで積極的な片想い(ただし、人の中には、どことなくいい意味でセクシーだが内気系で地味系、或いは今ひとつ垢抜けしていない系イメージの異性が好きなタイプもいたりするので、何よりもリサーチ活動が一番難しいことは、言うまでもない)を、次なる、しっかりと生身同士の関係として、付録に情熱的なセックスも附いてくるような出逢いが見つかるまでの間、むしろしっかりとはまってみれば良いのではないか、などと、FLEX-J Webmasterとして、思われなくもない…
(潜入フォト・レポート)クリニックに於ける腸内洗浄の施術室風景、女子高生達は、1980年代後半に大ブームになったタータンチェックの制服ミニスカートの細やかなプリーツを風にそよがせながら明るく歩いている。帰りがけには東急ストア布佐店にてドクター・アドバイスに基づき、ダノンのヨーグルトおよびウリベートをまとめ買い。買ったばかりのプラダのシューズも公開 『サタデー・ナイト・フィーヴァー』上演中なる歌舞伎町コマ劇場前、ドンキホーテ傍に於ける海外セレブ級健康法「腸内洗浄」の施術クリニック、そして新大久保近くエスニック・タウンのデラックス・ホテル「ホテル海王」方面から横道に反れての、(医科大および歯科大、そして有名クラスの大学生でも後腐れなく少しハイセンス指向であって斜に構えているような軽い気持ちの遊び慣れているタイプに常連が多い風俗カテゴリであるところの)ファッションヘルスへ突然入場しては中学時代に大好きだった女子の顔、そして身体つきだけは外資系スッチーY・M嬢に、どことなく似ている、それほど美人じゃないものの可愛い感じでルックス・性格共に良好な、きれいな埼玉風標準語トークの、気が合って舌を絡めあってのキスそして乳首攻めとクンニリングスとを繰り返しつつ、指によるGスポット探究、玉舐めと素股、フェラチオ、69と、ヘルス嬢の女子的肢体をいとおしく愛撫しながら、(近頃はナースにも出張ホストを呼んではホテルでの色っぽい性の履け口にしているとの話も効かれる時代にあって)丹念に女体探究マニアックなる陶酔の時を堪能していた午後、"性の施術室"のテレビには株式番組が映っていて、水槽に映し出されるようにして泳ぐグッピーのようにも想われた、なんとなくFLEX-J Webmasterとニャンコ空軍のdolaさんとが、歩きに歩いた健康的なるお散歩における、印象的なシーンを、デジ・カメは、実に明るく、そして丹念に、カード・メディアへと記録し続けていったのであった……
ロングアイランドの風、高級保養地イースト・ハンプトン在住の人々の微笑みは、マーサ・スチュアートと並ぶ、米カリスマ主婦界における対極… [イナ・ガーデンとは][イースト・ハンプトンの"優しい"風] プロテスタント化された"自己啓発本ブーム"型資本主義世界には殊更有り勝ちな、アメリカ的過ぎるが故に欧州的な国々では不快感をもって受け入れられることも少なくないメンタリティである"勲章的所得グレード主義"に於ける転落劇を招いてしまった(いかにもな貴族趣味を逆に排除する形で、気取らず、笑顔で、自分らしく、爽やかに、快活に、大衆のに中にあってとりわけアメリカ的に好ましく、が、カネには汚い…)、アメリカ随一の権威的保守層のカリスマ主婦「マーサ・スチュアート」とは好対照な、ニューヨーク州ロングアイランドの高級避暑地のライフ・スタイル・カルチャーおよび根底にあるとされる人々の心豊かさ。在住の彼らも口にする、手軽だが愛情溢れる、東海岸風の気取らない家庭の味を紹介する、ベストセラーとなった料理本シリーズ『ベアフット・コンテサ(裸足の伯爵夫人)』の著者イナ・ガーテン。MSNによるレポートでは、しっかり、そこでも或る面で昔の"ジェリー藤尾"ファミリー以来の、テレビ型に押しなべられて、ルーム・ユニットとしては大分に広めなのだが、人々の住まう世界の広さとしてはあまりにも狭く、小さな枠雛型にサロン世界を思わせて"今用"劇場社会的な、生の周辺人物の来客を交えての、交歓風景や歳時記が垣間見えるのが人気の秘密、なのだという、ニューヨーク版の、いわゆる田園調布・成城・シロガネーゼ系だのチバリーヒルズだの逗子系だのに相当しそうな、ライフ・スタイル・カルチャー。そしてそれを支えているのは、テレビ・コミュニティ的だが食べるに困る訳でもなくそれなりには快適であって幸せなのかもしれないが常に様々な世相的波風に関する、消費景気、株価だの投信相場、教育問題、家庭問題からセックスやドラッグの問題、子供の非行化、割り切りきれない夫婦間での微妙な擦れ違いや愛憎、社会事件やテロ、本当は好ましくないと思ってはいるが世論操作されたアメリカ社会の中では公然と反戦やブッシュ・ブーイングを口に出来ないでいる、或いは正義の選択とはいえないが明らかにアメリカ的中流への利益配分者としてのムードがあるから、の理念なき、何かを犠牲にしている自己の内的ジレンマ(正義、というフレーズが力を持つのは、とりわけ庶民の末端からミドルにかけての人々に於いて、のこと。勿論、サイレント・マジョリティとしての貫禄ならたっぷりと存在している、変にセコい、アメリカ的権力者気分の安い意識の面々も、カリカチュア然として、不良品のミッキーやドナルドのように世間の末端で毒を吐いていたりして、実に哀れ極まりないヒステリー症候群の人たち、だったりしていたりする。イラクだの沖縄だのの米軍の最前線に送り込まれるような種類の連中にも顕著なレベル)から、果てはキャリアアップを含むそれぞれの身の振り方に関する問題、心身のコンディションの問題など、情報量だけでも夥しいミドル向け情報の流入に揺れ動きながらも、中流層に於いて、真摯に、陰惨な世間的現実に於ける落差や憂さにいいかげん辟易とさせられている、アメリカ中流層から上のマジョリティ大衆の憧れや共感。それらをいかにも素直に、巧みに生み出しながら、本当は世田谷区の高級住宅街にあって、案外にありえない形での、日本的良心的庶民スタイルの典型を演じつづけているサザエさんファミリーのそれのような、ある種の、作為なきプライベート感覚を巧みに"自己演出"しながらの動態展示、サービス精神一杯にテレビ向けにオープンにすることによる、アメリカ的劇場国家型ミドル・カルチャー共同幻想型のある種の"家庭向け擬似的宗教"の現前化を生んでいる、湘南感覚的なるアメリカ(いかにもな職人層的ショートパンツ行楽客が渦巻くアメリカに於けるディズニー・テーマパーク的世界は、それゆえに、実際にマーサ・スチュアートをアメリカからインポートしている量販スーパー・ブランドの提案的なる生活思想的素地にも関係の深い、披露山公園から眺めると壮大なパノラマとなって展開されるような経済的上層クラスの序の口程度を含むアッパー・ミドル層の日本版を織りなしている湘南的構造そのものな"逗子"的世界観からすると、ランク的には庶民の典型のような存在、なのでもある)。社会に於ける認識一体化、同時に嫌味なき向上心的個性化のための素地的イメージの再生産が、ミドルに於ける願望的消費主義への、あくまでも好ましく、テレビ自体的なリアリティ演出に長けた、上昇感覚的生活要素のレシピの提供が、それゆえ、現在でも、アメリカのミドル、とりわけ「中のなかの中、それよりほんのちょっぴり"上"」以上の一般大衆の間では旺盛に求められているのであり、日本にあっても音羽系の"子会社"的なるソレを始めとする、各種のカフェ好きヤング・ミセス向けの生活提案系アッパー・ミドル的風景観賞雑誌、或いはそれのテレビ版、若しくは情報の先鋭化には長けているインターネット世界に於けるこのコーナー、みたいなものには、それなりに根強いインパクト効果、ライフ・スタイル・リーダー的なる一面性が、見え隠れしてくるが、全体を一手に相手にすることは有り得ないクラス・マガジンの世界にあっても、全米に於けるコアな消費層は『ベアフット・コンテサ(裸足の伯爵夫人)』の総売上部数程度。そしてそれが、アメリカをきってのスーパー・ブランドになるためには、マーサ・スチュアートのような強大な営業戦略と膨大な広告展開、圧倒的な巨大資本およびメディアとの業務提携、そして事業収支に於ける透明性を厳然として確立すること、にあることは言うまでもないのだが……
パーク・ホテル東京 ありそうでなかった、フランス・パリのインテリア・デザイナーズ・チームによる、本格的な欧州スタイルによるコンテンポラリーでプチなハイ・スタイル系の都市的拠点のコンセプトにより、日本で初の「デザイン・ホテルズ」チェーンにも加盟の、汐留系の新感覚派インテリア・タワーホテル。アメリカ系のエロティック・ゴージャス一辺倒のそれに較べると、こちらは、シック系であってさりげない高級感が基準の、フランスにありがちな、新感覚派インターナショナル・ホテルの系統。が、従来、フランスやイタリアのホテル、といえば、鍵は全然オートロックじゃなくいかさまな素人鍵師でもかけられてしまいそうな程に旧式で、電算処理関係のインフラ整備も遅れ気味で、セキュリティは全然考えられないか、若しくは有名無実な代物として何か置いたままにしてあれば、大金や貴重品であれ勝手にチップと判断して持っていってしまったり、現地のユダヤ系イタリア人顔の典型として鷲鼻の知らない男が、何故か日本人がホテルにチェックインする際に一緒についてきてしまう形で、日本人がルームを留守にしている間に知人の顔をして入り込んで持ち物を持っていってしまう主にアジア系外国人相手の"友達詐欺師"にありがちな形で、ホテルのフロントと結託して取り分を山分けしていたりするような、最悪のイメージが漂っていた世界。アングロサクソン系らしいアメリカン・コンチネンタル・スタイルによるシティホテルでの、オートロック完備、クレジットカードも大丈夫、コンシェルジュのプレミアム対応は必要十分以上で、ホテルでのトラブルにも厳重注意で臨む体制が整っている条件に於ける、厳重な顧客管理、個別サービスおよびセキュリティ至上主義が、フランス資本のホテルに整ってきたのは、案外に古い話じゃなく、たとえばエールフランス系によるメリディアンあたりが採り入れ始めてからのこと。その分、良い意味での、伝統系超一流ホテルに於ける、フロントやコンシェルジュ、クローク、ベッド係などとの、19世紀的で心温まるエトランゼな交流が、昔気質な筈のそういったホテルでも見られなくなり、逆に現地老舗系の超一流ホテル程に、システマティックでアメリカン・スタイル・ツーリストホテル以上にそれっぽい機械時代的応対が幅を利かせ始めているとの指摘は、実態に於いても確かに事実。フランス系資本のコンテンポラリーなインテリア・ホテルながらも、日本国内では勿論、むしろ安心できて、人情的である代わりに、快活なスマイルと共に小気味良いプレミアム・サービスを展開してくれるフォーマットが用意されるであろうことは、まったくもって間違いのないであろう話で、「ストリングスホテル東京」「ロイヤルパーク汐留タワー」に続き、西暦2003年度の9月1日オープン予定
御殿場ファクトリーアウトレット 六本木ヒルズに於けるけやき坂通り界隈のオープン待望論が囁かれている昨今にあって、六本木けやき坂のみならず、表参道と銀座における"ロデオ・ドライブ"な路面店メッカ、そして帝国ホテルプラザ(旧インペリアルプラザ)内のモール、および西武百貨店や伊勢丹新宿本店あたりよりもヴィヴィッドに、サルバトーレ・フェラガモだの流行りのイヴ・サンローランだのアルマーニだのゼニアだのア・テストーニだのブルーノ・マリだのグッチだのハンティングワールドだのドルチェ・アンド・ガッバーナだのポール・スミスだのウェッジウッドだのが展開している、西暦2003年夏季の「御殿場」。ショップ・リスト一覧にて最新の出店状況が紹介されている
イタリー・スタイル(ITALY STYLE)とブルーノ・マリ [オンライン・モール][ブルーノ・マリについて] イタリアが誇る高級ブランド・ファッション・グッズをイタリアから発送の現地価格で提供するオンライン・ショッピング・モール。女性にとっては("イタリア版の渡辺淳一系"とも目される世界的現代文学界の巨匠モラヴィアの作品『金曜日の別荘』の世界をも思わせる)ヴェルサーチ、グッチからブルーノ・マリに至るまでのバッグ類、男性に於いてはゼニアあたりのネクタイやプラダのシューズ類あたりが、それぞれに出色の最新アイテムだけに、興をそそるのではあるまいか、と、思われる
(フォト・レポート) 忘れられかけた西池袋の重要文化財は、なんと現存の、あの、フランク・ロイド・ライト建築作品! FLEX-J Webmasterとニャンコ空軍のdolaさんによる、あまりにも素敵な時間をめぐるフォト探訪記。「自由学園明日館」で考える、明日の自分の姿。夢と希望と人生のかけがえのなさ、はかなさが、自由闊達で心豊かな空間の中で、健康きわまりないポジティヴ・シンキングぶりに於いて想起されるのであった…
FIERA−SuitShop 名古屋発、全国に向けて楽天ネット通販による頒布を行なっている最高級クラス・スーツの、衝撃的なる激安販売店。あの、Ermenegildo.Zegna(エルメネジルドゼニア)の服地を採用、ミラノ、ナポリなどの生産地的特色にも徹底的に気を配ったイタリアン・スーツ・マニアックな仕立てがなされるとの表記があり、現時点よりは秋冬モノが登場する頃にあらためてチェックを入れてみたい気がする。近年では、巷の量販スーツ専門チェーンでも、ヴェルサーチのヘビー・ユーザーであるところの田中康夫現長野県知事の言葉を借りれば(特定のブランドや生産地、生産方式、稀有的であって特定の職人的プレミアムへの偏執狂的なる愛着等によらない限りは)第一級ブティックに於けるそれとの間での「等価」性のきわめて高い仕様に於いて、スーツのみならず、ドレスシャツにネクタイ、アウター、シューズだのベルトだのから、カジュアルに至るまでの、トータルを翌日配送、というのは、メンズ・スーツを通販で買うことへのある種の抵抗感を、大幅に緩和しているようには思われる。微調整は在住地の洋服リフォーム店関係でしてもらっても、十分にお得な買物、の可能性を感じさせてはいる
(フォト・レポート) 東池袋サンシャインシティ - 営団有楽町線 - 真夜中、ちょっぴりクール目な熱帯夜系ディストリクト・有楽町 - かぐわしき女性美を惜しげもなく放ち続けるdancing statue達の、西暦2003年・夏 サンシャインシティ・プリンスホテルから、東池袋から乗車の営団線で有楽町の"リバイバル系ディスコ"ジニアス東京に向かったFLEX-J Webmasterによる、ときめきのシーン・スナップ集。(リツジョらしいリツジョの一バリエーションでもあった女子大生重役嬢および、東京都板橋区在住歴の長い、バブル時代からの銀座高級クラブホステス嬢、そしてセントポールから何とかして城南系ディスコへの大学デビューを図るべく"悪戦苦闘"していた山梨出身の最上級系ルックスリツジョ美女S・A嬢へ、あらためての愛をこめて……)
「BBCインターナショナル」「CNN」風、国産24時間日本語ニュース専門局が、報道を巡るジレンマに打ち克つためには、「王様の裸を暴露した正直者の子供の役」に、無人カメラ映像然としてなりきるほかにない [NNNニュース24][JNNニュースバード][CNN.co.jp][BBC日本語版] 米軍による占領政策は、父親世代の価値観が永久的に解体、混迷を続ける不条理におちていったギブ・ミー・チョコレートの時代を経て、ベトナム戦の敗北、沖縄の変換前後から、自我の葛藤に疲弊し、米国自身の内的なる心の苦悩に敗北するように、破綻している。が、戦争の敵・味方や、現時点に於ける対アラブ民族主義に対する、或いは報道統制推進者的なるホワイトハウスの方針からすれば、少なくともイラク占領軍とは、("イラク解放"から既に"西側的再独立"の段階に達しつつある)一般民衆側においては、かつでの沖縄でもそうであったように、直接対話には相応しくない相手なのであって、つねに戦乱直後の一帯で見え隠れするロシア的なる闇市成金的既得権益側、新興階級側を介さない、客観的なるイラク人民の信頼に値する、学生および労働団体、ボランティア団体などの現場の代表組織に対して、自衛隊云々以前に心ある西側市民的なる、こちら側の民間ボランティアからも、政治および宗教、民族主義を介さない、人道支援アプローチが行なわれていく必要がありそうである。そして、日本政府とは、根本的に第一義として、(経済・政治・防衛的なるプライオリティ利権が横たわるが故もあるが)政治的利権主義者としての面子集団であることには、官とも何ら代わるところのないが、基本的に近代以降の国内社会は、伝統的に、思想的、構造的には何ら近世とも変わるところのない「武」の思想によって根幹から統御され続けてきているのであり、それ以前に虎視眈々と利権主義者としての「国益」に関する皮算用が、とりわけバブル崩壊なる国民的劇場国家に於ける暗転の後には、よりシビアに費用対効果面のα値を連立方程式の中で求めていくやり方に絞り込まれてきている。かつてのGHQ方式による西側製新国家ヴィジョンそしてシステムが、大統領府に於いて人格的、倫理的、教養的な面での安いマフィア主義が究極の粋にまで浸透、愛のなき、相互不信の、現在の、米国内利権に関する唯一主義的なるアメリカ大陸発信からの"内向的"世界指向がなそうとしていることは、戦前の、愛情を忘れてはいなかった、祖父世代的なる、古き良き男権制的権威主義の頃とは異なる、常軌を逸したエゴイズムや無意味性の塊のような残酷なる凌ぎ合いばかりが余儀なくされがちな、父親世代的なる、精神的には粗野であって敗北者的なる、いたらない男達による、(或る意味、デザイナーズ者を含めたアメリカン・ジーンズよりも、達観的にクールなのにウェットで、特有的なる人間味があって、理性的な、フランス系だの、安いユニクロ系だののそれを履いて動き回りたくなるような、インフラだの生存システムだのの面では高度に満たされていて、安定的な)ネバダ、若しくはオーランド界隈的なる"荒野"に於けるある種のいたらなさを伴った無法感覚的なる時代性には、アメリカの地位ですら脅かされかねないことへの潜在的恐怖に駆られた、それゆえに、アメリカとしてもあまりにも長くは植民地にしておくことが許されないことからも、意義こそないがシオニスト達の手前で海外治安出動的には見えて、意味ならある"いまどき日本国家らしい狂騒曲的なる国家的パフォーマンス"としての自衛隊イラク派遣でさえもが、政治的には良かれ悪しかれアメリカ政治との密接的なるシンクロナイザーとしての"共同安保型利権"に浴し続ける、永田町論理の(それによってアメリカ側から得られるであろう、実際上に於けるマージン率が具体的に"いかほど"なのかまでは皆目判らない有様)独善的なる海外派兵劇なのであって、いわばこの国の安保とは、北に関する人権上、防衛上での懸案に関して、最大限の理解者的なる姿勢を崩さないアメリカ政界オピニオン筋からも、いわば逆人質にとられる形での、いまだ北に多数横たわっているとみなされる人質としての拉致被害者達との絡み(ただし、現在に於いて、北朝鮮の指導部は、拉致被害者のうちの北朝鮮国内残存者達を外交政策上の"人質"として活用する策に関しては根本的に破綻している)の一方で、アメリカ唯一主義に駆られた米国のシオニスト政界からも言いように絡め取られ続けている、きわめて自立性には乏しい(が、"自律性"がないとまでは嘘としても言えない、超大国権力依存なパラサイト的打算主義者然とした、したたかなる政官界のお利巧すぎる利権主義者的なる姿勢ぶりには舌を巻かざるを得ないものの)、そした場当たり的でプライムミニスター小泉的なる"やる気ナッシング"式の巻かれ主義には、むしろ、きわめて正統的であって、日本古来的なる、改革どころの騒ぎではない、厳然たる古典回帰的なる、が、戦後第一世代育ち的で、態度一貫ではあれ、不条理のベールの下でしたたかに動き回る灰色鼠的であって、混沌とし続けながらヴィジョンのなく推し進めていきながら、昭和元禄時代のアウトラインを適当かついい加減になぞる程度までで留まり続ける半端な復古的保守主義者ぶりまでも認めざるを得ないものの、いまやそれにしても、悪い方での"予感"どおりに、いまや醜悪なる腐臭を放つまでの凋落ぶり、なのであって、機構改革にしてもより抜本的に、首相を民間人若しくは生え抜きの民間経験者の中から選ぶくらいの大手術をしない限り、アメリカはもとより、この国の政治、国家機構全体の歪み、債権漬け、カード地獄的なる状態を、根源的に巣食っていくことまでは、まずもって不可能なのであるのに相違ない。パフォーマンスのみが発達し続ける、が、疲弊感ばかりが痛々しく、永田町界隈からも漂い始めているのみの、施策競争なき立ち回り競争の下にあっては、政治家すらもてめえの個人的利益にかこつけるようにして生きる様を隠さない、個人的なる生活防衛の人の域にまで、過酷に叩き落されているかのようにすら見えてしまう。永田町での政治にロマンが感じられなくなったのは、けっして冷戦体制崩壊だのバブル崩壊だののせいではなく、良かれ悪しかれこの国の政界に、日本的(戦後昭和元禄的とも言うが)なる日本の戦後主義的なるグローバリズム指向や海外ブランドとの健全競争のモチベーションを喪失し、国内バブルを容認、高度経済成長時代に蓄えてきた"遺産"の食い荒らしが容認され始めて、国内政治までもが単なる二世議員的なるおぽっちゃん式の道楽息子レベルに成り下がったことが災いしている。が、高度経済成長時代以来の蟻さん型を崩さないままに、いまも純国産系の超優良世界資本であり続けているトヨタのような企業が今日、単なる収益装置の域を出ず、従業員も学生バイトばかり、店舗オーナー以上の経営者にしか正当なる利益をもたらさないセブンイレブン=マクドナルド的フランチャイズ方式による米国式スタイルとは明らかに異なる、共同利益創出ヴィジョンそのものであって、尚且つ超合理的、特許的経営・生産手法スタイルとしての、高度に洗練された従来型大企業方式として再評価されている「トヨタ・カンバン方式」の旗手として再評価されている背景にも、必ずしも欧米型の経営合理化再建のメソッドが正しくなかったこれまでのプロセスにおける反省が、日本型再建を実現した高度経済成長時代に於ける日本企業の自らによって考案、改善、進化、洗練させる、戦後初期的な自主運営方式への内的な回帰の流れに結びついていることは、言うまでもない。それは、いわばイラクに於ける過激民族主義とも、イスラム原理主義とも異なるそれとしての、イラクに於ける文民的なる自律精神が、まさに、中野の「まんだらけ」(国内随一のコミック専門店。中野界隈で巨大チェーンと化している)につい先日イラクからのバイヤーが訪れたとの報が示すような、平和であって自主的なるイラク国内のマーケット・リーダー達の姿にこそ、イラクなる国家のあるべきこれからのあり方が指し示されているような思いがするあたりにも、なんとはなしに似ているようにも思われてしまうのである。力学を語る上で感情的になることは失格を意味する。が、国家、社会、経済と、治安・防衛を含めて、それは人格的であって人間的な近代市民主義的なる統治を最大の前提としている筈、なのでもある。そして、この国もまた、あらためて経済産業分野に於けるこれからの或るべき姿を、より一層、社会資本は共同利益として共に創出されるべきであるとの達観にしっかりと根ざしながらの、国家再建を図っていかなければならないようにも、思われるのだが……
最新版/現用FLEX-J Webmaster愛用・高級ネクタイ定番図鑑2003 ネクタイに関しては、スーツ・ファッションが半ば義務的に求められる種類のプレイスの数々が、世の中には数多く存在する為、FLEX-J Webmasterに於いても、ブランド、生産地および生地のクオリティ・柄等を含めて、それなりにこだわっている。論より証拠、個々のアイテムに関しては、実物の画像にてチェックしてもらうとして、昔からの知り合いの銀座高級クラブホステス嬢のチョイスによる贈り物2本も公開
いまやイタリアン・スーツデザイナー界大御所クラスの中の堅実な関脇クラス、アントニオ・フスコのデザイン・スーツは、OL受けまでもが最強クラス 日本では早くから大手百貨店並の紳士服売場内容を誇る中堅量販チェーンの《AOKI》が取り扱ってきた、アントニオ・フスコのデザイナーズ・スーツは、共同企画によるショップ・オリジナル商材、なのでもあり、現在でも教養系の情報番組に於いてメイン・キャスターたちが衣装として供給を受けていたりするだけの代物。実際にかつて、それを着て全盛時代に、名前もおぼろげなOL人気系ディスコの数々に出没、トイレの出入り口で目が合った途端にそういえば微かな゛からも不自然な激突の仕方をされたり、スーツにカクテルを誤って零されたりして、それが知り合うきっかけにもなっていた当時を、FLEX-J Webmasterもまた、身をもって体験した世代、なのでもある。何しろ、地方局界きっての("男勝り"な)超美人アナE嬢とも、大学在学中に、彼女のほうからの声かけをしてもらうことができた御蔭で知り合うことができたようなもの、なのでもあり、スーツのお陰なのかはともかくとして、貴重な時代に、本格大御所デザイナーズのフェンディに続いて採用されたフスコが、かなりの目を惹いていたことだけは、案外にも確かな話、なのでもあり、ヴェルサーチには或る面で実にかなわないのだとしても、昔の、生煮えに終わった話についてまで含めて大感謝、なのだったりもするのではある
FLEX-J Webmasterが模索し続ける、男と女の、或るべき愛の形について ローマ市内でFLEX-J Webmaster自らが撮影したシーン・スナップを背景にしながら、検証的に考察してきた、愛とセックス、結婚と売春、優しさと魔性的なるもの、セックス・パートナーとプラトニック・ラブ至上主義的なるリツジョ達に関する、最新の見解、のようなものを、自らのアンテナと感覚に於いて、あらゆる想いを込めながら、現状に於ける"途中経過"について語っている、FLEX-J Webmaster一流の、"愛の伝道師"のニック・ネームにも相応しき、珠玉のメッセージ・コラムの世界
月刊『エアライン』 イカロス出版がかつての『スチュワーデス・マガジン』(現在は『エア・ステージ』に改題)と共に発行してきている民間ジェット旅客機に関する話題を網羅した専門誌。各々の就航路線やキャビン・アテンダントの活躍シーン、エア・クルーの集合写真や機材の詳細など、見所は少なくない。それはともかくとして、1990年代後半の某社国内線のフライト・アテンダントの中に、なんと、先日のサンシャインシティ・プリンスホテルでのホテル・デートにFLEX-J Webmasterとの初Hに臨みにやってきた人妻兼パートタイム勤労者である筈の、女性の姿を発見。ちなみに、彼女が人妻であることは、視聴者参加型のテレビのワンシーンで、彼女が尚も赤プリでの奔放なデイタイム不倫感覚に於ける大胆でミーハーなお遊び的仮面舞踏会に興じているあたりは本人の口から、そして何と(!)誰もが羨む大手航空会社でのスッチー歴までもがあることは、手許にあってしばらくは開いていなかった数年前の雑誌から、本当に始めて教えられているのでもある。それはまさに、いい意味での虫の知らせによる"リーク"を受ける形で、好意的に教えられたような気分だ。職場だの家庭生活だのに於ける、なんとはなしに女性が思いっきり大胆に、本能に忠実に生きていくことへの制動装置の強すぎるような日常感覚だったり不満だったりがそこはかとなく散りばめられすぎているであろうことは確かなようで、そうしたある種の環境的な自己阻害的要素の濃度が高くなりすぎたが故の、趣味と実益を兼ねての、ストレス解消型の罪無き大人の裏の顔遊戯を満喫しているとの理解を、既に裏の配偶者の一人のような、が、まったく関係の形に於ける予断は許されない立場のFLEX-J Webmasterとしては示しておきたいものでもある。以前から、身の回りでは色々なことが起こっていることからも、FLEX-J Webmaster自身は、世間が狭いことにも全く驚きを感じなくなってしまっているのだが、スッチーに見えない風貌ゆえの意外性が今回は感じられ、セックス・パートナーとしてもパートタイムを当然のこととして余儀なくされている形態ながらも、なかなか楽しい感じにもなってきているのだったりする。如かして、"需要"と"供給"というのは本当、実際には相互需要、相互供給の形に収斂させられるかのような、高度に互恵性の円満で明るい空気の中にあって、合致しやすいものなのでもあるようでもあるのだが、元スッチーを全くイメージさせない、こなれていてノリのいい庶民派的な、たとえばFLEX-J Webmasterに於いては実際に結ばれる可能性は限りなくゼロに等しいにも係らず依然として第一級の本命の一人であって外資系スッチーに転身したY・M嬢あたりだったら、正直言って"わたしが勝っている"と無意識のうちに優越感を感じてしまいそうな、陽気でどことなくイタリア感覚的ながらもスッチーとしては見た目的には"らしくない"雰囲気で、ローカルの庶民感覚的な量販スーパー「イトーヨーカドー」あたりでも埋もれてしまいそうな見た目とは裏腹に、成る程、彼女は永年にわたる客室だの夫だのへの奉仕の連続で、逆に本人的な内心に於いては貴族的な奉仕、それも根本的に強い愛情、愛着、優しさを発揮されるようにして受けていくことをこそ強く切望していた。健康なる魂が宿るがゆえに健康なる肉体の切望に、奔放な形で素直に獲得していく強かさの塊。初めのうちは少しつんとした態度で、ホテルにもレア系ホテルに面白がりながらも内装にはやや不満そう、それなりに庶民的な笑顔も醸し出せる一方で、とっても若いいまどきのフリーター嬢のそれも、成る程、作っている若さなんかじゃなくて、本当の彼女自身の若さなのであって、言われてみれば成る程の、スッチーに見られがちな変に昔世代のOL的に気位も高いスノビッシュな一面、そして大胆指向で醍醐味には尻込みしない"明るい食らいつき感覚"の発露は続き、プレイの途中から打ち解けていった感じ。が、マーマレード・プレイの提案をきかされると、表情にある種そういうのを期待していた感じの、"チャンス到来"の喜びが、如実に現れていて、何とも好感をもってのあらためての評価をここにこうして記したくなるような、なんとも素朴にしてモラヴィア的な(が、設定的には、レイモン・ジャンの『ふたり、ローマで』にも相通じていたりして)、なんとも人間主義的で貴族的な、意外な実像に関する実にセクシーな衣擦れイメージのする輪郭線が、肉体的なる邂逅の体験談的エピソードの上に健やかに"トッピング"されながらの、イタリアンな劇的官能ドラマのあるべき再構成が、FLEX-J Webmasterに於いても、見事にここになされた感じを受ける
『吉野家』よりも『松屋』、『松屋』よりも『すき屋』、は、あまりにも個人的でマニアック指向なチョイス過ぎるだろうか……? いまさっき、ハード系のバイク・ウェア姿のローカル局元アナE嬢風美女(おそらく血液型O型の女と思われる。O型の女は、心根は案外に女らしくてシャイなのだが、コケティッシュな女性的アイテムを色香を漂わせながら着こなすことには抵抗感があるらしく、趣味や感性がどことなく男性指向で、ハードでワイルドなものに強く惹かれて、自分自身でも体現してしまう傾向が強いのだ。勿論、夜になってから突然振ってきたための雨宿りがてらのようでもあったが)が、丼を手に持ってかっこんでいた吉野家は、パーク・ハイアットや帝国ホテルに連泊し、スッチーだの一流女子大生だのをセックス・パートナーに持つ田中康夫が贔屓にしているのみならず、アメリカ空軍横田基地近く、新青梅街道沿いの瑞穂店だかには、高校在学中以後、しばしばFLEX-J Webmasterもまた、MBX50なる大きな本格的オートバイタイプでエンジンが2ストロークのゼロハンのために普通免許および原付免許でも乗れるバイクで足繁く利用していた記憶が残る、ライダーのメッカなのでもある。そして、何とも東京ウエスト人類、とりわけ、何故か美大生だのファッションおよびトレンドのマニアック、そしてSFマニアなどの琴線にフィットしてくる、ある意味でリッチ・テイストな、上質なコットン・セーターが似合う西多摩の風景の中で、築地生まれの味が何とも小粋にはまったのであるが、現在は倒産劇以前にも増して良心的に、西武百貨店だのクレディ・セゾンだので知られる、セゾン資本のチェーン店舗としての営業を続けている。が、FLEX-J Webmaster自身が知る限りに於いては、立教通りにもある吉野家は、意外にも立大生からのポジティヴ・シンキングな評価を得られずにいて、田中サンではないものの、朝定食を何とはなしに食べていることのあったFLEX-J Webmasterとしても、確かに、ヒルトン成田の展望ラウンジで出されるフォワグラ丼にはかなわなくても、もう少し牛丼チェーンが見直されても良いのではあるまいか、の忸怩たる思いはあった。が、池袋の駅前ピープル、そして池袋界隈在住の下宿立大生達の反応には、もう少し違うものもあった。というのも、大人っぽい どことなくビターなテイスト感が独特な吉野家よりも、松屋のほうが牛が肉厚だし少しだけ舌平目に近い柔らかな感じがあったうまい、というのである。そこでFLEX-J Webmasterは早速、松屋に急行して食べ較べ。味付けの違いも大きいのだろうが、マクドナルドのバーガー類を吉野家だとすると、松屋の味には若干、(セントポール[立教大学]一年生の時のクラス随一の美女の一人が何気なく店内清掃などを手早くこなしながら働いていたが、彼女側がクラスメートバレを恐れたか何かで、気まずい雰囲気になったことから、気軽に話し掛けられない空気になってしまった痛恨の想い出も、池袋の地下街だかの店舗に現在も残る)ロッテリアの海老バーガーあたりをファストフード世代のある種の嗜好性とエマージェンシー感覚とが入り混じった二十歳代半ば以降の感性で食べている時のような、まろやかな舌触りが感じられた。そして、(美味さの序列としてではないが)松屋よりもさらに一回り、すき屋の牛丼のほうが口当たりが良く味もこなれていて、微かに肉にも質感を認められる点が、どことなくモス・バーガー系のイメージを漂わせてもいたりするようだ。すき屋と言えば、先日ニャンコ空軍入り後初の実地フライト任務になったアメリカン・ショートヘア兵員のmacさんが発着した龍ヶ崎セスナ飛行場からもさほど車だと遠くない県道沿いの店舗に、テレビ特番で話題になった大家族兄弟姉妹の一人が働いているとの話も聞かれたりもするものの、ごく稀にだがFLEX-J Webmasterが訪れる時には、概してそれらしき店員を目撃することはできず、何とはなしに県道を往来する車の流れに目を向けていることが少なくなかったりする。会社更生法適用ながらも、牛丼好きの間では話題になっているなか卯の場合は、以前に勤務していたインターネットのコンテンツ請負制作会社のうちの一つの近くにあり、従来の丼モノ系統の店よりも若干の高級感をかもし出している、いわばサラリーマン・チューンに仕上がっているテイスト感が、量こそ少な目ながらも、魅力には違いなかった。好みの問題だが、FLEX-J Webmaster的には、松屋の味が軽めで食べやすい気がしているが、吉野家のバランスの取れた大人系の味もまた、とりわけ秋口、一人でバイクに乗りながら新青梅街道沿いを走っているのが適度に寂しく思えたりする感傷的な季節にもなると(→秋口には国道16号線ルートを通って、いまもってバイクでアメリカ空軍横田基地方面へと走ることがあるのだが、今年、西暦2003年度の米軍基地一般開放日である横田基地フレンドシップ祭には気が付くと行きそびれている自分を発見させられたりしつつ、かつてのJAL提供FM音楽番組がオリジナル・アルバムをドイツのコンテンポラリー派の管弦楽コンポーザーに依頼して完成した『ミッドナイト・クルーズ』LPを、CDに落として、クルマの中でまったりと聴きながら、夜の国道16号線千葉県エリアを気侭に、ニャンコ空軍を引き連れながら走らせている)、確かに吉野家の牛丼の味が恋しくなることもないではないのは、確かなこと、なのでもある…
赤坂プリンスホテル 東京プリンスホテル、高輪および新高輪プリンスホテル、箱根プリンスホテルに並ぶ、近江商人発祥で、近代以後からは西埼玉から伊豆、軽井沢、苗場方面にかけて広くリゾート開発の地盤を張っている「電鉄系資本」に於ける、都心のフラッグシップ・ホテル。自称スッチー嬢によるパーク・ハイアット東京で良く人に逢うことが多い、との発言の後に、あるフリーター嬢(→パート・タイムによる勤務に入っているのは確かながらも、夫のある身の人妻との話が、あれから判明)によれば、赤坂プリンスホテルには少なからぬマスコミ関係者がおそらくは私費で宿泊していて、半ばマスコミ系プロデューサー世界では夜における"ステイタス"化、しばしばホテル密会の場にそこが指定される旨の話が、ごく最近になって聞かれたりもしている。西新宿の新・東京都庁舎ビルを設計した世界的建築家、丹下健三氏設計によるエクステリアは、全室がコーナー側、の特徴を誇る。「パーク・ハイアット」タイプのそれが現れる以前のアーベインなリゾート・ホテルの代表格として、良かれ悪しかれ、ミーハー気分に駆られた190年代の女子大生ブームに於ける「憧れのデート・ホテル」の代表格ではあった。1980年代は本当に何でもアリ、の時代で、バブルを評価することは出来ないものの、バブルを利用する形では、誰がもが秩序無きエコノミカルなる下克上を企てることが出来たり、(現在でも程度の悪くないユースドは一般大衆でも手の届く価格帯にはある)ロールスロイスだのフェラーリのハイエンド・モデルだのに乗った男達が珍しくない存在として存在していたりした。モテる存在としてのディスコ・オーナーが聖心女子大学の名だたる女のコ達の夜の教育係だったとのエピソードなども、『ペログリ日記』という名の書物には記されている。そうした面々が羽振り良いところを示す程に女の子達は鼻高々に、ちやほやとしたものであり、まったくもって、夜の経済界が、ある種のコンプレックスを跳ね返すためなのか、必要以上に羽振り良さそうにしながら、自制心や女のコへの懇切丁寧な最小限度の良識的る教育能力もないままにセックスに溺れていくことへの恐さを、あらためて思い知らされてしまう。が、聖心女子大学は、数的には外進者が多いのはセント・ポールとも変わらない一面であり、S女子大学だからといって、必ずしもディスコ・オーナーだったりミーハー裏社会の実際の現場に多彩な交遊録を持つようなトレンド・ライターじゃなければモテないのか、となれば、そんなことはないし、何かのきっかけで知り合った若い女のコがたまたまS女子大学のコ[一般の普通のコで、いわゆる皮膚感覚主義的経験主義式のHなシークレット系の副業をしているのとも違うものの、ハンドル・ネーム的な、奇妙な出逢い方をしているので、学生証の名前の箇所を指で隠されたような関係であった。勿論、彼女はFLEX-J Webmasterのハンドルネームでこのコーナーなどを気侭に手がけている人物が、昔、渋谷源氏山に伝説を持つ格式高い家柄に於ける最も若い直系の男性であることなどは、一切、知らずに、セント・ポールからインターネット業界へ進んだことをアウトラインとして一、二度聞かされている程度]だったりして、それなりに彼女の要求基準に応えてあげることさえできれば、個人的に連絡関係を持つこともさほど難しい問題でもなくなつている感じは受けた(ただし、FLEX-J Webmasterが知り合ったことのあるコは横のつながりに乏しく、仮に大学生同士としてアルバイト先で知り合うだとか、表で名刺を交換するようにして知り合った関係じゃあなく、たとえば形の上で彼女と終わった時に、"有難う"の代わりに彼女のそばにいつもいる友人の女のコへと"友達の輪"していくようなコネクションまでは持っていなかったりするらしく、有名人や巷のちょっとした人などに群がるミーハーな人々に於けるそれのようなものや、FLEX-J Webmaster的にそれに関わることがあったとしても、けっして悪いつながりのままにしてしまわない自信はあり、むろん極秘事項は御互いの為に厳守する形で行なわれるような、ある種の夜のビジネス・コネクションのようなものとも違う、そういう種類の横のつながりは、学内の友達間で顔が売れているコを除くと、リツジョでも常時密接な連絡体制でチーム編成しているような横のつながりが、一年生の時のクラス内部か、せいぜいがサークルの内側、或いはゼミ学生の間だけ、の寂しい現実がある。ちなみに、付属校エスカレーター系の超有名女子大の女子学生には、現在のところ、思い出せる限りに於いて、残念ながら知り合いはいない)。それにしても、何故、FLEX-J Webmasterが、トレンド・ライターの田中康夫について、割に少なくないスペースを割いて、特集的な取り上げ方をするのか、となれば、それは田中サンが「いまどきの光源氏」を自ら、或いは周辺人物の言葉(周辺人物というのは、しかし、概して康夫チャン語を留守電テープ式に語り伝えているのに過ぎない人物が大半)として、公に標榜しているからである。「光源氏」なる人物は、清和源氏に所縁の深い、藤原家に於けるメセナ的なる文化事業として、藤原道長がお抱えの紫式部の筆をもって、風流にしてとりもなおさず高尚な、日本の貴族文学に於ける大河恋愛小説の雛型のひとつとしての最高傑作を目指した、文学として記されたルネッサンスにも通じる人間的なる芸術作品である。そして、光源氏のモデルとされている人物には、清和源氏の最初の母方である藤原道長および、当時実在していた清和源氏の殿方関係、そして女性関係など、清和源氏に所縁の深い人物達の心の琴線が、事細やかに、精緻に、完成度も高く記されている。そして、田中サンは、本当の源氏とは何の関係のないままに、パーソナリティに於いては、しかし、イタリアン・クォーターの血筋からくるそれを、日本的なる清和源氏に於ける(ただし、鎌倉時代以降は見苦しいお家騒動が続いたりしていた、色香の感覚にも乏しい、幕府将軍家の一門でもあるため、FLEX-J Webmasterのような平安タイプの清和源氏、しかも本系の男性は、むしろ極めて稀有な存在なのでもある)平安型フォーマットに即して、忠実にコピーして一定のライター的なる成功を納めてきた人物である。そしてたぶん、トレンド・ライター田中康夫が単なるトレンド・ライターとは異なる独特のモテ方をしているのも、(康夫チャン本人が、学生時代にはたいしてモテなかったと口にしているように)イタリア系の血筋と言うよりは、現在で言えば"キャピトル東急ホテル"辺りのムードの、昔ながらのスタンダード・フロアがベースの古風なシティ・ホテルとしては田中サンから異例の高い評価が示されている"源氏趣味"的側面にも裏打ちされながら、一貫して渋谷発祥の源氏山お膝元路線を現在に伝えている感覚があったからこその、現在にまで至っている訳であることは、あらためて記すまでもないこと、なのだったりする。実際、田中サンにしてみても、井の頭線で渋谷へ一本で行ける地の利を生かしながら、何かと東急系が目に附く長野県の松本市へ学生時代に移ったり、東急的文化圏の南の外れ(東急線自体は走っていない)白金台に一端腰を降ろしてモータリゼーションに目覚め、後に本物の渋谷源氏山に育ち、当時をライヴで知っている世代の最後の本家当主である(FLEX-J Webmasterにおける祖父の兄である)大伯父が余生を過ごした東京都世田谷区に移住するに至っている(昔からの源氏山を知っている人々は、FLEX-J Webmasterの系譜が清和源氏の渋谷本系であることを驚く程に知っていたりすることが、実際に一、二例、確認されています)など、田中サン自身が、いまどきの光源氏を語っている程に、源氏文化を近代のパトロンとして最も愛していた東急グループ創業者の趣味、そして常に最大のライバルとして東急グループを"後追い"してきた堤家の創業初代的感性に、田中サンはすっかりとマッチしてしまった一人、なのだともいえるのでしょう。そして、FLEX-J Webmasterは、ロイヤル・ファミリーの系譜で唯一の武家将軍系譜を持つ、本物の清和源氏渋谷本系の、現時点での唯一の若きプリンスすなわち本物の光源氏の直系の子孫(→ただし、普段、清和源氏的なる自覚を持って意図的に清和源氏的に生きようとはしておらず、リアルな日常の生活に直面させられながら、が、気がつくといにしえの、王朝時代の清和源氏らしい源氏パターンを、知らず知らずのうちに自ら体現してしまっていることが、少なくないタイプ)として、大学デビューのヤング・ノヴェル作家として、最初は単に西武百貨店池袋本店そして伊勢丹新宿本店趣味だったそれが、後々、次第に深く源氏的世界に傾倒することで、アッパー・ミドル以上のクラスへの親和性を図ることで、『ペログリ日記』(セックスの内容詳細がPGの二文字で記されている、二冊目のソレ)を経て、現在の長野県知事の当選ドラマにまで結びついていることは、根本的に言うまでもない。ただし、FLEX-J Webmasterと田中サンとの大きな違いは、FLEX-J Webmasterはけっして、周囲に対して"バブル的なるもの"をよしとはしていない一点にこそ、最も顕著に表れているのであって、武家は根本的に政権や職務上の地位なり一族の血筋を安泰に伝えることを第一に考えるために、金銭的な乱脈を不正と見做しつつ忌み嫌う気質が強い。世の中に於いても、金持ちがカネを使わないのは大いに困りものながらも、バブルになったり、金持ちが個人破産するのはもっと困る、のである。が、"田中康夫"なる「プライベート・ブランド」は基本的には、バブル、もしくは城南系でマニアックなある種の特徴的なきれいどころの空気を背景にしなければトレンド・ライターとしては生きてはいけない種類の人間を基軸にしたそれであり、『昔みたい』や『ぼくたちの時代』『ファディッシュな時代』のような、1980年代バブル当時の世界(テレビ・トークでは"バブル"なる語句を口にする田中康夫も、文章の上では致命傷になりかねない自覚があるためか、"バブル"なるカタカナ三文字を記すことはほとんど稀有なのだったりする)への"誰にも負けない事情通的なる強み"を発揮することが、基本的に言うなら、まずもって限りなく不可能に近いパフォーマンスなのであり、かといって、まだバブルの兆しまでは見られなかった1980年代の前半、現在の田中サンの感覚で、『なんとなくクリスタル』の世界をあの感覚で再発掘するようなことをしてみても、おそらくはうまくいかないし、田中康夫ファンも満足しないことでもあるだろう。『全日空は病んでいる』は、いかにも現場のスッチー(ちなみに、"スッチー"は田中サンによる造語である)の本人達に密着している航空マニア系の若手コラムニスト(→が、コラムニスト界に於いては、フリー・トークではしょうもない性格の泉麻人の方が、文芸テクニック的にはナンボか巧い。"個人名プロダクション"としての零細的なるミニ企業規模としての面でも、ほぼ肉迫しているようである)らしく、マニアックなエアライン知識を披露していたようでもあり、値段もそうだが、(昔、田中サン自身が批判していたJALのサービス路線よろしくの)徹底顧客主義にも似ている、(サービスが歪まない限りに於いて)乗客への還元的で良心的なサービス本位での、料金引き下げなどによって何かを犠牲にしたり歪めたりすることのない、そして"原点"に立ち返っての国内線重視路線で行くべし、との、何ら田中康夫の名前を知らない、一般の航空マニアあたりも口にしている感じの、素朴だが理にはかなっている。が、ただし、全日空は過去に、田中康夫をもいかんなく含むしょうもない航空マニア達によって、何度となく"悲惨"な目に遭わされてきた経緯を有する点も明らかではあるためか、確かに徹底的に、良かれ悪しかれ供給側至上主義的なる「株式会社」であろうとしている印象を与えていることも、何度となく、誰ともなく、全日空の利用客筋の間からは聞かれていた話、なのではある。ちなみに、[田中サンもシカトされると逆ギレする気質を、下手に構われるよりは寧ろ静かに、黙って見守っていて欲しいと願ってしまうFLEX-J Webmasterとは対照的な国公立大学卒および政財界の人物特有のそれとしてしばしばあまりにも赤裸々な文体の中で"発露"させてもいるようなのだが]シカトされたがために逆ギレしてしまった一橋大学卒のハイジャック犯人が、立教大学卒のダッシュ400型機長を殺害した悲痛な事件に関して、方法論はともかくとして運航の安全のために万全を尽くしている機長に対して「実はお前が悪い」発言については、本当に口を慎んで欲しかったこともまた、事実である。ただし、警察や自衛隊も守ってはくれない空の上での安全に関して、皆の為に、まずは自分の身を守り運航を継続し続けることに全力を尽くして欲しかったのと合わせて、何故飛行機の機内には客室乗務員はいても武闘訓練を受けた屈強な保安警備員がいないのか、と、FLEX-J WebmasterはFLEX-J Webmasterで、つねづね訝しく思っていることもまた、確かなのではある。そして、田中サン附きの(エアー・ニッポンを含む)全日空組のオネエサマ方に関しては、機内誌の中で時折キャビン・アテンダントによって紹介されるような、国内線担当らしい、日本各地の名所、お薦めスポット紹介のようなコーナーを担当できるだけの勉強が出来ているのかなど(ステイ先ではいつも単独行動で福岡のホテルあたりで蜜月していたりするスケジュールに"照合"してみても、ワインに詳しい点はともかくとして、旅行業界に憧れての情報的なサービスに通じている感じの"記述"が、フランス滞在のワインセラーめぐりのくだりを除いては皆目見られないのは、確かである)、甚だ疑問な点も見られることはともかくとしても、スッチーはスッチーで、サービス産業についてはホテルやレストラン、百貨店巡りなどで精通しているとはいえ、より本格的な旅のスペシャリストを目指して猛烈に勉強を続けてもらったり、たとえば保母や学校教員、或いは公務員のような公的でヒューマンな人間的サービスの観点から、なるべく早期に人間型アンドロイドの立場から脱皮して欲しい気がしてしまう、FLEX-J Webmaster、なのでもある…
イネス・ヴァレンティニッシュ(Ines Valentinitsch) [Ines Valentinitsch][Antonio Fusco][アントニオ・フスコの女性アパレル][ア・テストーニならでは系のシューズ] 2003秋冬からミラノで活躍のオーストリア国籍の女性デザイナー、イネス・ヴァレンティニッシュ(Ines Valentinitsch)が、ヨーロッパ最先端ブランドの一つ、アイグナー(インペリアル・プラザ[現帝国ホテルプラザ]にも本格ブティック出店)のデザイナーとして起用された。イタリアでは一流ブランドとして知られていて、日本ではメンズ・スーツ量販チェーンの「AOKI」とのコラボレーションで知られるデザイナーズ・ブランド「アントニオ・フスコ」(Antonio Fusco)でも活躍。「アイグナー」はその昔から製品の一つ一つを手作業で創り出す超一級品として知られているが、日本では知る人ゾ知る"インペリアル・プラザ"クラス。銀座に出店している「ア・テストーニ」(a.testoniのa.は、創業者でイタリアきっての靴職人の一人の名前をイニシャル化したもの)のシューズ(紳士靴がインターネット上でも一足12万円以上するのもイタリア・ボローニャでの手作業の粋ゆえ)も、知る人ゾ知る極上品だったりして、マイナーの一流を掘り下げると、見慣れないアイテムだが一目で超高級品とわかり、ほかでは得られない品物に巡り逢えたり、極上ながらもディスカウント幅の大きなアイテム、たとえばア・テストーニが発売している、豪華なゴールドのローラー式の超高級仕様ガス・ライター(FLEX-J Webmasterは昨日、リサイクル・ショップにて遭遇し即決。見た目に、見慣れてしまったデュポン製[昔の夜の銀座マニアックなゴージャスな酔客筋が見栄を競うためのアイテムと化していたらしい。ちなみにFLEX-J Webmasterはシルバーのローラー・タイプ新品購入を一個持っている]のそれにも匹敵しながらも、デザインにイタリアっぽい個性や流麗感があり、高級ライター独特のずしりとくる重量感や厚み、廉価版に走りやすいジバンシーやイヴ・サンローランのライターあたりとは異なる、至極極上で超高級感漂うファッショナヴル・ブランド感覚を満喫できたのだが、点火機構の故障が判明、デジカメだのスキャニングだのをする"心の余裕"すら持てぬまま、返品するに至る)のようなアイテムにも御対面できたりする。その昔、FLEX-J Webmasterは、香港だか並行輸入ブティック(現在でいうところのセレクト・ショップ)で作ったフェンディのダブルのメンズ・スーツ(超高級仕立てながらも、プライス的には元々割安販売だったのを更にブライス・オフで五万円台を若干オーバーする程度の一着価格で仕立てた記憶がある)を着ていたりして、年上の女性にナンパ系OKのディスコで何とはなしに巧みに話し掛けてもらう感じで知り合い、いい関係に。イタリアン・ブランドのスーツは、ダーク系の遊び人ワイシャツもしくはセクシー系を気取って開襟タイプのシャツでキメつつ、ホストよりもカッコイイ、のノリノリな評価までも頂戴して、彼女が入浴中に黙って社員証を見たら超一流総合商社に、(当時は、名簿図書館などは知らなかったし、良かれ悪しかれ遊びベースだった為に年上の女性の実生活にまで首を突っ込むつもりもなく、連絡先が掴める材料はなく、何期の誰かの名前すらも今では覚えていない程なのだが)エアラインの客室乗務員が含まれていて、ほかにも電車内での偶然の出逢いで、品川系の世界的なエレクトロニクス・メーカーS社のOLもいたりして、不思議に、成り行き上によってはかなりまともな展開も期待できた出逢いには恵まれていた。そして、二、三人の女性の間を、FLEX-J Webmasterは。当時金銭的にはいまひとつ裕福とは言えなかった若い時代ながらも駆け巡っていた。ダーク系できわめて黒服に近いイケイケ系のイタリアンなスーツに、即効インスタントなメッシュ系のヘアカラー、そして現在では笑ってしまってあらためて購入する気力が起こらないカラー・コンタクトレンズなどで決めていたのであった(^?^;;;)。コンサバで管理職イメージの強い、正統派系高島屋取扱ブランド「ピエール・カルダン」にしばらくはまっていた時代を経て、現在では全く考えることすら難しいことである。そして、たぶん、ブランド・スーツがうけていた訳ではない証拠として、かつての知り合いのOL達がもっとも熱くなり、盛り上がった時期に於いて、ディスコ最盛期当時のFLEX-J Webmasterが、追加のスーツとして量販店で購入した「アントニオ・フスコ」を採り入れていたことを上げられるような気がする。名実共に世界的な超一流の座にいる「ジョルジオ・アルマーニ」「フェレ」のようなブランドがあるとすると、コレクション・ブランドとしては匹敵するものがある一流クラスとはされても若干若手でワンランク低く見られがちな新進デザイナーあたりのものには、たとえば初期の「ヴェルサーチ」のような、若いが才能はあるデザイナーは、それに負けず、リアルタイムの大御所デザイナーズのデザインよりも確実にハイセンスな努力賞もののそれを出してこようと頑張るものであり、評価はそうした地道な努力の中で培う以外には方法がない。そして、世の中に、意外にも総合点ランクの高いOLや女子アナなどと付き合えるような、若干二級なイメージの専門学校卒系男性(コント師のウッチャンのようなタイプ)がいたりする理由には、元々のウッチャン・タイプが偏差値的には高めの進学高あたりにいたりするなどして、知的ベースに於いて高得点系で無理目に思える女のコ達との間で互いに意識し会うような恋愛関係の下地のようなものがある感じの男女共学で、身の振り方ではいたって要領の良い女のコ達が推薦入学などであれよあれよと言う間に高みに達してしまうのに対して、お笑い芸やポピュラー・ミュージックのような「道」「ライフワーク」にはまってしまったりして、頭は多分悪くはなく鋭い一面やセンスはあるのだが要領の良い大学進学はかなわず、(調理・服飾系あたり、あるいはダブル・スクール系だったらかなりのスクールが一流だったりもするものの)専門学校へと流れていってしまう。大学受験シーズンに於けるそれぞれの選択に対して、高校時代の心構え以外では偏差値的な学力も変わらないクラスの女子大学に進んでいる女のコからすれば、たとえば専門学校卒で自分の事務所の船出を切っているような公認会計士だったら、並の一流大学卒よりもずっと所得ランクでは"高額所得者"並であることを知っていたりもするのだが、頭の良い大学の一流系女子大生で、おまけに教養もある女のコの場合には、一般教養的なセンスや知識レベルに乏しい、専門教科だけを高卒直後から実務テクニック習得的にばかりやってきたような準短大卒相当の男のコ達が、一流の大人の男性には見えてこないし、異性的な琴線をそそられる一面が少ないようだ。彼女達の場合には、普通に暮らせる限りは、話や人格クラスの合わない、だいぶ頭が悪くエロ話以外は合わず人柄もけっして良いとは言えず女癖も悪い[ただし、女にだけは弱い]が専門技術成金的な側面を持つ高額所得者だの屋の附く開業成金と所帯生活をしながら暮らすよりは、ローカルの信金だの市町村役場だの正社員タクシー・ドライバーなどで収入にはさほど困らず活き活きと高卒組にも混じって働いている場合も見られる割り切った一流大学卒業生組で話の合うコと暮らす方を希望する場合が少なくない。教養の高い大人の女性程、成金的な高望みよりは教養的なクオリティや段階にこだわる(ただし、頭も良くて学歴もある相手のパターンに於ける、が、成金的なお金も持っている、のタイプに関しては、割合に高学歴タイプでスノッブなコ、そして四年制大学卒業組ながらもどことなく昔のミーハー短大卒っぽいムードを持っているコが、大挙して流れて行きやすい)上に、考え方のベースがDINKSにあり続けていたりするので、女性の方が職場に於ける階層の高い夫婦やステディ関係が、欧米ではちっとも珍しくはないし、日本でもアンテナを張っていれば、コント師のウッチャンのみならず、結構身近にも見られたりする筈、なのではある。そして、女性は意外にも男性を、「スーツのブランド云々」以前に「ファッションでは見ていない」ことが、実際の夫婦やステディな人達を見ているとわかってくる。が、しかし、センスの良い女性とセンスの悪い男性の組では、明らかにセンスの良い側がセンスの悪い側を徹底的に強化指導している場面に遭遇でき、逆に、男性の側がセンスの良い場合には、センス的には普通の女性側は、いやおうなく男性側の持つセンスから絶大なる影響を受けたり、或いはトレンド・ライター界のベテラン田中康夫の周りにいる女性のように、男性側が持っているファッション思考言語の受け売りを嬉しそうに語り出しては(というよりも、本人的思考がまだ出来上がっていないためか、パロディ文じみてしまう一卵性他人双子感覚だが、明らかに当時によく似た他人がいて他人の感覚で当時を想い出しながらなぞって記しているとわかるFLEX-J Webmasterによる"1980年代語り"どころの騒ぎじゃあなくて、田中康夫の言語的感覚的クローン人間のような女性ハーレムが、そこにはいやおうなく生み出されてくる訳である)、あんまり文芸界での格ははっきり記せば高くはないし、トレンド・キーワードの量や内部事情通ぶりはとももかくとして、文章的なレベルもいまいちな、もののスッチーの間では少しだけ知られていて話の種にもなる人気トレンド・ライター(現在は若手コラムニストのキャリア眺めの中堅クラスの位置付けにいるようで、ブランドで言えばトラサルディ位の段階。ご本人はヴァレンティノ・ガラヴァーニ級になろうと頑張っているのに違いあるまい)であり、パーク・ハイアットと帝国ホテル、ウェスティンホテル大阪を定宿にし、全日空国内線とJAL国際線とを贔屓にしてきたような、シティホテルとレストランとエアラインのヘビーユーザー系マニアなので、いやおうなくセンスの一致を見ながらも田中サンよりも実は勉強不足ぎみな「女子大生」と「スッチー」からは依然としてモテる状況までもが、必然的に生まれてもくるのであらふ。女が、人生を通じて、特定の誰かから何かを学び取って、相手の色にすっかり染まりたいと願う時には、単なるエロチックな御利益信仰に過ぎない男性社会的なパクリ精神とは異なり、かなりきわどく際立った、そして相手との感覚的な見做し結婚状態に相当する程の、強い一体感や、時間の共有、身体とともに心の存在の近接を願っているものであり、それは、相手が個人として居住している一貫した"国家"に於いて、相手を"元首"に見立てながら、自分として特定の相手の下に於いて、忠実なる、そして健康で円満で愛情に満ちた側近的なる国民になろうとしているかのようでもある。それが、センスの悪い(若しくは、まさに不意打ちのように、未知の感性をインプリントされ、しかも免疫のなかったような)女性の側が、あまりにも自分としてのファンダメンタルでベーシックな一面での根強いコンプレックスや心の貧しさを伴うものであるとすると、相手のペースに引きずられるだけの奴隷的な存在になってしまいやすい。そして、奴隷的なる段階の女性を、巧みかつ本能的にマインド・コントロール操作する方法を、田中康夫タイプの男は実によく知っているのであって、たとえば一流航空会社客室乗務員、ハイソな家柄の令嬢、一流企業幹部OLなどで、尚且つ遊び、ブランド、異性、恋愛などへの免疫的経験に乏しく、割合に権威的なシステムや傲慢な男性的論理にさえも束縛されることに快感を感じていなければ楚々としては続けてはいられないような業務に携わっていたりして、まして、第一線でエリート系の女性にはどちらかと言えばMで男性依存心の強いタイプが少なくなく、心を許した異性から、適当には議論しているようでありながらも、頭から指示されたりいいように、しばしば激しく好き勝手に、なおかつ時々ルーズに、補佐役的に扱われることを好んだり、傍から見ると極めてレベルが低く愚かに見えてしまうようなイベント[康夫チャンの場合には、ホテルのフロア通路を連れ歩いて他人のアノ声を聞いて回ったり、飛田新地に女をしばしば連れて行って赤線の何たるかを赤裸々に見せたり、男女が御互いの排尿シーンを見せ合ったりする迄に"仲の良い"仮性SM系裏アベックがセルフ撮影写真附きで登場する『ニャン2倶楽部』のような雑誌を眺め合ったりするのが好きなのらしい。確かに女のコの中には、子供の頃に両親に排尿の世話をされたことに愛情を感じていた子供の頃の甘えんぼうで童心が喚起される面があるらしく、ホテルの洋式トイレでの女のコ自身の排尿シーンを父親や兄のような想いで、キスして励ましながらしっかりとやさしく見守ってあげたり、愛娘に対するような父親や兄のような育児欲求的なる保護本能をかきたてられたりして、彼女に代わって、喜んで、彼女の、排尿後の女の子らしい尿道の周りをペーパーで拭ってあげたりすると喜ぶコが見られたりもしていた]に連れ回されたりすることを好んでしまったりする感覚も見られる程に、感覚には引きずられてしまいやすいものだったりもする。そして、人間に於いては、むしろ、そういう、人それぞれに独特の、が、相手を故意に傷つけたりするようなものとは違う、それぞれなりの生々しかったり赤裸々だったり不思議だったりする一面があるものなのであり、しかもそれがいたって普通の、男と女に於ける愛欲の姿のようにも思われてしまったりする面があったりして、いかに心のある愛情の確認、交換ができるか、が、セックスを共有しながら、コミュニケーションとして、二人の間の共通の大人のエロティックな趣味として、より豊かに、人格面をあわせて、向上的に、堪能していけるか、そして、セックス以外の面においても知的だったりハイセンスに、良かれ悪しかれセックス的な関係であれるのかが、たぶん、旬の男と女の関係に於ける、決め手のようにも思われているのであったりする。そして、たぶん、(まれに重複しているケースもあるのかもしれないが)基本的に「田中康夫のハーレム女たち」と「このようなホームページに接したりしてFLEX-J Webmasterに惹かれているネット・ハーレム女たち(→以前、ネット・ハーレムにいる風を口走りながらも、後はそういうことを引き出しのファイルにでもしまうようにして、普通に、FLEX-J Webmasterとのセックスを、嬉しそうに共有していた、超有名女子大在学中の女子大生を含む女のコを含め、一人、二人、持ったことがある)」は基本的に微妙に感性のチャンネルの異なる女達であって、田中サンには田中サン用の女がいて、FLEX-J WebmasterにはFLEX-J Webmaster用の女がいる、ということなのに、まずもって違いなさそうである
羽田でデート 〜 立教大学入学前に少しだけ通っていた雑誌編集技術やプロフェッショナル・ライターを養成する専門学校で知り合った中肉中背で色白なセクシー美少女、東京国際空港の送迎デッキのベンチの上、そして営団千代田線の"大型スーパーのようにこなれた伊勢丹のある駅"松戸附近走行中の車内… [羽田送迎デッキ][羽田〜伊豆大島線B737][営団千代田線および常磐快速線の車輌写真] 羽田送迎デッキにて飛行機見物の、教室からお持ち帰りデート歴ありのFLEX-J Webmaster。初デートなのに、ジャンボ機がスポットインしている送迎デッキの長椅子の上で、躊躇いなく、女子高上がりの、セクシーすぎる女っぽいうなじから背筋、腰、微妙におしりの上の方、そして膝からやや下の丈の薄でのスカートに覆われて溌剌とした太腿の上へと、ずっと指をセクシーに、往復させるようにして、さすったり這わせたりするような前戯系愛撫テクニックを慣れた手つきで続けていたFLEX-J Webmaster。二人の間には、言葉もいらなくなる程の熱気が立ち込め、相手の女のコの体全体を高潮させ、彼女の内なる青葉の若芽を存分に萌え上がらせるようにして、FLEX-J Webmaster自身に於ける"弓なり"も、施術の間中には"カウパー濡れ"させながらの最大クラスの膨張率。女の子は逃げ出したり怒ったりする訳でもなく、受け入れ続けて、愉しくモノレールでお互いに帰宅。が、当日のムードでプチでも美味しいグルメスポットからラブホへの一貫した流れを辿らず、まさに安易に"安心"してしまって後日伸ばしにしたために、新入学シーズン特有の"遊び"目的で誘いに応じた色白系で中肉中背のピチピチした女の子は、肉感的戯れに対する彼女自身の罪悪感という名の振り子の振幅が激しくなり、以後は"誘い"に応じなくなり、健康なる恋の肉感を求めるFLEX-J Webmasterからの"眼差し"にも微かな罪悪感で眼をうつむき加減に、眼差しもくれなくなってしまった彼女(ちなみに、若い女の子が年上好きなのは、遊ぶのにはそれなりにお金がかかる為なのは、今更、言うまでもない)。が、のちにバッタリと電車の中で向かい合わせに再会してみると、少しエロティックな大人っぽい視線の問いかけを拒むでもなく、あれは恋だったし、とっても気持ち良かった(色々な男性の中でも本当は一番。でも、あの頃は中味がまだ少女だったから、身体は反応しても、Hな男の人を受け入れられなかった)、と、なんとはなしに認められる感じで、再会を素直に受け止めている感じで少しだけ独特の陶酔感を大人らしくおおっぴらに漂わせている、どことなくリッチ系アッパーミドルな人妻風(FLEX-J Webmasterが紹介した系統の特徴的なスポットのあちこちで、ボルボの新型ステーションワゴンにしばしば連れの男性と乗った姿で頻繁に見かけていることから、きっとこのページを見ている筈)になっていて、以後の話のつかみどころを与えない、マテリアル・ガール人妻篇を思わせるものがあった。営団千代田線の松戸あたりでの車内での話で、つい最近のエピソード…。リツジョOGで"アシャンティ"に似ている可愛い感じの外資系スッチーY・M嬢(FLEX-J Webmasterが一番愛しているクラスの女のコのうちの、一人)の姿にはしばしば遭遇しているここしばらくなのだが、ライターズ・スクール時代のコは、銀座の最高級クラブホステス経験者の"moon"(→彼女当人のネット上でのハンドル・ネーム)や、時折、FLEX-J Webmaster在住ゾーン界隈でのドライブ中の姿を見かける京都美人のK・Y以外とは、本当に久しぶり、なのではある…
神戸・元町から旧居留地、中華街を歩く [元町タウン・エッセイ][旧居留地][関帝廟] 神戸の表玄関であり、そごうなどの大型百貨店や地下街の存在でも知られる三宮。神戸沖合の"離島"リゾートへの交通システムの発着ターミナルとしても知られている。が、そこはあまりにもシステマティックで神戸コンテンポラリー感覚一色の、いわばシステムとしての都市の機軸、中枢を担っている精密なディジタル・メカニズムの匂いが強い一帯。もちろん、すっきりとしていて、しかも独特ののびやかさや安らぎ感が、神戸ならではの、横浜よりは香港やミラノに似ている商業感覚的なるラクシャリー感にも満ちて、ポートライナーで"離島"を(ところどころ立ち寄りながら)一周でもしてみれば、きわめて自由で伸びやかな、他では得られない充足感が得られることもまた、間違いがないものの。が、独特のヒューマニズムが人間感覚的なムードの中に溢れる、昔からの神戸と言えば、そう、駅としては三宮から一つ隣の、元町界隈。首都圏界隈においては昔の「GINZAファミリア」の元々の本店が元町に現存していることでも知られているかもしれない。文明開化以来、初めて開かれた国際的な港湾都市として、洋風文化導入の、つねに最先端に置かれてきた。名物の洋菓子、昔ながらの仕立て屋さんを含むファッション、エキゾティックな外国人達の姿。政治や経済の中心地、東京の利益基盤に限りなく吸収されてしまいやすい、首都圏ベッドタウンとしては或る意味、東京都世田谷区的に"平凡"な横浜あたりの事情とはうって変わって、都市名としての"神戸"は、ヴィンテージ感覚溢れるジャポネスクが今尚息づく"京都"に匹敵して対照的な、国内コンテンポラリー世界の一大都市ブランドとして、極めて文化的でハイ・スタイル主義で独立心の強い街であることは、あの震災よりもずっと前からの話であることも、今更言うまでもなさそうである
(フォト・レポート)14時チェックイン、東池袋サンセットのサンシャインシティ・プリンスホテル(セミダブル・ルーム)のデー・タイムは、不意打ちの"喘ぎ"に甘く満ち満ちて…… 西暦2003年8月7日の14時。初対面の色白美形フリーター嬢とのホテル・デートに備えて、東池袋サンシャインシティ・プリンスホテル入りするFLEX-J Webmasterの姿が、そこにはあった。「六本木ヒルズ」のグランドハイアット東京だの、「新宿パークタワー」のパークハイアット東京だの、横浜の「ロイヤルパークホテル」だの、千葉市美浜区の「幕張プリンス」が、ホテル・デート組の間で流行っていたりして、タワー・ホテルの時代、といった印象を受ける昨今。そして、本格的タワーホテルの元祖的存在の一つに、確かに東京都豊島区東池袋のサンシャイン・シティ・プリンスホテルが含まれていることもまた、間違いはない。立教大学の学生には男女共にお金のないコが多くて、仮に仲良くなってセックスを楽しむ仲になるにも、たいていは郊外のラブホで、ということになる。円満系で健やか系、そして少しだけお子チャマ系感覚の、それゆえしばしば"キャンパス・ライフに刺激がない"と学生モデルのようなスティミュラスなタイプのコがぼやいたりしているような学内環境では、サークルの合宿先で隙を見て先輩と寝た、みたいな話も、あまり耳にしたことがない。セント・ポールのキャンパス内には大人っぽく聡明でしっかり者な美人女子大生だったら確かに数知れず存在しているものの、学内でも"観賞用""クラブ・ホステスタイプの補佐役"と見なされている程で、男女学生間の接点は限りなく希薄であり、FLEX-J Webmasterの知り合いにも、学内交際の場合には、概して爽やか系の、だいぶおとなしめで、互い間にほのかな恋心が作用し合いつつも、Hレスな体育会系関係だったり、バイト先で知り合った短大・専門学生だのOLだの会社員だのとの交際話や、水商売・風俗系での裏バイトでの男女交際が盛んだのといった話は、しばしば耳にしていたりはしていたのだが、学内カップル、学内結婚で結ばれることは、よっぽど地道に、長期的に、しかも好意的に、お互いが友人関係をしていくパターンでしか、なかなかにして考えにくいのだったりする。おそらく、あの日のT嬢(航空会社入社)は、おそらくFLEX-J Webmasterが気持ちを偽らず、飾らず、けっしてHだけを目的とはしていないポリシーを守りつづける限りに於いて間違いなく"お持ち帰り"を許していたことが確率50パーセント程で推察されたりはするものの、あの頃のFLEX-J Webmasterは現在よりも友情と愛と性のスマートなバランス配合が苦手なものだったりしたから、「H狙い」じみたスムーズ過ぎるお手続きを踏むことに抵抗があって、学内基本パターンとしてのストイックな恋愛姿勢の方を貫くことしかできずに、それでいて悶々とした辛い疼きの気分を今の今まで味わわされ続けている次第。当時だったら、正直な話、仮にお持ち帰り的に二人になったとして、気持ちが盛り上がってとしても、サンシャインシティ・プリンスホテルの二人用のルームまでは"即決"では確保できなかった(ラブホなら可能ではあったが、気持ち的にはニュー・オータニに連れて行きたかった)から、フリーター嬢との夕方、まだ日が高い時間帯のピチピチHに、何気に池袋東口のタワー・シティホテルを予約している自分に気づいた時、ミッション系大学に於ける或る意味でのアングロサクソン・プロテスタント的なるストイシズムに秘められた漠然とした残酷さのようなものにも係る、健康であって至極エロティックな克服劇のようなデー・タイムの甘いイベントに、かつての立教大学の男子学生は、正直、心踊り、胸も高まるのを覚えていた。ちなみに、フォト・スナップの出来栄えは、池袋フリークにとっては、たぶん、必見クラスの画像になっているものと思われる…
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