<詩>虹を飲む日(田村奈津子詩集『虹を飲む日』より)へvol.22
田村奈津子詩集
『地図からこぼれた庭』 全編(横組みのみ) 1995年あざみ書房刊より | |
ヒルデガルトの庭から
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| ビンゲンのヒルデガルトの末裔たち
| 12世紀から20世紀に転生し
| トウキョウの庭につどってきた
| ヒルデガルトの幻視の記録
| 1994年 狂った夏によみがえった
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| ビンゲンのヒルデガルト
| 聖女と魔女のはざまに生きた修道女
| ラテン語も知らないまま
| 霊媒のからだで
| 神の声を書き残した
| 病弱で無知な彼女から
| 石の力 魚の秘密
| 花の知恵 緑の魔術を
| 時を越えて 授かりたいなら
| 夜明けに 薔薇の葉を集めてのせ
| 濁った眼を 冷やしてみるといい
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| ビンゲンのヒルデガルトの末裔たち
| 世紀末の約束をたくさん破ったあとで
| マヤ暦でリズムを取り戻し
| 時間がないという
| ホピ族の伝言と
| ワタリガラスの羽根を
| 受信して
| 彼女の庭から
| 西に向って旅立っていった
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| ビンゲンのヒルデガルトの末裔たち
| 瞳を閉じて 月と和解する
| からだを揺すり始めると
| 乳白色の川が 巨きな空間に
| どんどん流れ込んでいく
| その水路を抜けた魂は
| 遠い泉を往復する
| ダレモガソコカラヤッテキテ
| ソコヘカエッテイク
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| 無言の通信手段を教えてくれたのは
| あなただったはずだ
| 決して一人では 学べない
| 大胆に脳を開放し合う
| ただ それだけのこと
| むかしむかし
| わたしたちはその方法で生きていた
| その神話の通路を閉じると
| 細胞にこぶができてしまう
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| ビンゲンのヒルデガルトの末裔たち
| 水晶で光をおろし
| 星界の音を受胎する
| からだが熱い からだが重い
| たくさんのエネルギーが歌い始めたら
| 今宵 夢路に流してあげよう
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| 20世紀のあなたは 素敵だったが
| 一人で 働きすぎた
| あなたは まだ帰ってはいけない どこへも
| 病いが渡り廊下を発掘したそのあとで
| もう少しわたしと ここに
| この地球に残らなくてはいけない
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| ビンゲンのヒルデガルトの末裔なら
| からだの空に
| 雲がかかる
| その地方に
| 雨を降らし
| 虹を立てて
| 一緒にいないときでさえ
| 音楽のように
| 風になって
| あなたのそばに届くだろう
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注釈
ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(1098~1179)
独特な聖書解釈だけ出なく、医学・動物学・植物学・宝石学・音楽・建築・料理術など多岐にわたって自動筆記を行ったドイツの女性幻視者。
『スキヴィアス(神の道を知れ)』という書に、受胎したヴィジョンの記録を残した。−−『ビンゲンのヒルデガルトの世界』(種村季弘著青土社)より
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<詩>笛を吹く人(田村奈津子)
笛を吹く人
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| 溶けていくのは
| 骨だけじゃない
| 国の脳がどろどろなんだ
| 細い指を
| たて笛になじませて
| 一刻も早く楽器にならないと
| わたしたちは
| 道を見失ってしまうだろう
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| 静かな闇との交流が
| まぶたの銀幕に広がる
| 曇り空をわけて
| 見たこともない景色が
| 立ち上がってくる
| 吸い込まれて 吸い込まれて
| 朝露の光る庭
| セピア色の記憶が流れ込む
| あれは 誰?
| 黒い森から
| 駆けてきたのは
| 石畳の町で暮らしていた
| かつてのあなたとわたしだった
| 1995年
| 腐食していくトウキョウなら
| 時間がはじけるそのまえに
| 風に乗って
| からだの外に出てみようよ
| 宇宙の庭には
| ほら たくさんの音の友達が
| 気ままに散歩している
| 世界は思わぬ方へ転んでいくけど
| 音楽は再会を助けてくれる
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| かじかんだ指で
| たて笛を操り
| ハーメルンの街を抜け出した
| 子どもたちのように
| 消えてみよう 消えていこう
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| まなざしで
| 風景の謎を解いて
| 縁日を踊りあかせば
| 脊髄の中を
| 月光が巡って行く
| 宇宙船のからだが
| 軽くなって
| 時空を越える
| 綱渡りが始まる
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<詩>朝から冬が見える(田村奈津子)
<詩>ヒルデガルトの庭から(田村奈津子)
朝から冬が見える
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| つやのいいベンジャミンの葉が ひろがっていて
| 品のいいリトグラフが 自己紹介の部屋でした
| しゅんしゅんと お湯が沸いて
| しんしんと 冷え込む前世紀末でした
| うつろなからだで
| モニターをみつめ
| 羽根のはえた言葉で
| 虹をかけようとしたら
| 環境のような
| 「ナルホド・・・」が
| 木霊してきました
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| (「ナルホド」のニホン語訳は、何でしたっけ?)
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| 精一杯 思い出そうと
| 空白のプールを バタ足でかきまぜたのに
| 10年後の日だまりさえ 全く見えなかったのです
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| もう何万年も 知っている人の隣で
| 百年は 眠ってきたから
| 9歳のきみの中で
| 今日 目覚めたこと
| ただ 伝えたくって
| 「ワタシタチは つながっているのよ」
| と恋文をうたったのに
| 携帯電話のような
| 「ナルホド・・・」で
| 部屋は虚無に飲み込まれていきました
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| (「ナルホド」の人間語訳を、教えて下さい)
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| そうつぶやいた瞬間に
| 「ナルホド」につづく 沈黙の穴に
| すいこまれてしまったのです
| それは
| 未来に遡る
| たて穴式住居でした
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| 「落ちることを学んだら、
| おまえは落ちることはないだろう。
| 上もなければ下もない。」
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| 終わりの言葉を 闇の中でひろいました
| 洞窟の壁画には
| なつかしい20世紀の父さんと母さん
| 足もとの石ころとさえ
| 話してみなくてはいけません
| 眠ってもかまいませんが
| 黙ったら 魂をぬかれてしまうのです
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| 乾いた太鼓をたよりに
| 滝を探しあてると
| 遠いまなざしをした
| ヘンリー・ムアの家族が
| 三日月とストーンヘンジの間で
| ゆらゆら 揺れていました
| そのとき ふたたび
| 時間を食べさせなかったから
| 痩せてしまった言葉たち
| 夏の小川に 流れはじめました
| 「ナルホド・・・」の あなた訳と
| 「ナルホド・・・」の わたし訳は
| どのくらい 交わりますか?
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| トウキョウの 授乳の時間には
| 赤い雨が降り
| 5mのおんなの 授乳の時間には
| イルカの声が降り積もる
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| 子どもたちよ あした
| あした カプセルを割って 旅立ちなさい
| 母さんは 風景に埋もれた父さんと
| 話しはじめないと
| もうすぐ 記憶が消されてしまうから・・・
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| 朝から冬が来てる こんな日には
| 燃料が切れるそのまえに
| 言葉に火を灯すのです
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<詩>魔女の息子(田村奈津子)
<詩>笛を吹く人(田村奈津子)
魔女の息子
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| 自白することなんて何もありゃしないよ
| あの女に呪いをかけたなんて
| とんでもない
| 嘘だと思うなら
| 星狂いの息子に聞いとくれ
| 隣の住人を病気にして
| 得することがあると本気で思うのかい?
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| あたしはただ
| 虚弱な息子に月食を見せて
| 精霊を呼び出すまじないを
| 教えてやっただけさ
| あんたたちは
| 月と交わることなんて
| 忘れちまったんだろうね
| 新月はからだで感じるものさ
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| 耳を澄ますのさ 耳を
| 大事なことはみんな
| 精霊が囁いていくよ
| あたしの言うことが
| 魔女の証拠だっていうんなら
| あんたたちに
| 宇宙のことは
| 何もわかりゃしないよ
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| あたしを焙ろうってのかい
| 魔女狩りだって
| 笑わせるんじゃないよ
| あたしが息子に
| 暗闇の住人たちのことを
| 教えてやらなかったら
| あの子は夢で
| 月まで行かなかっただろうよ
| 惑星の軌道なんて
| 発見しなかっただろうよ
| アポロだって
| 月面着陸できなかっただろうよ
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| わけのわからない計算にあけくれる
| 偏屈な息子を
| 誰か呼んどくれ
| 山羊の皮に入ったあの薬も
| 持ってくるように言っとくれ
| 魔術だって?
| 精霊と話しただけじゃないか
| きっとあんたたち
| いつか困る日がくるよ
| 押さえ付けて見殺したものがあふれだす
| 1000年世紀末がやってくるはずさ
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| 息子が今に迎えに来てくれるさ
| いくらなんでも
| 呪文で月を空から下ろしてくれた母親を
| 見殺しにはできないだろうよ
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| 20世紀のお客さん
| SFの『月旅行物語』を
| ジュール・ヴェルヌより先に
| 書いたのは
| あたしの息子
| ヨハネス・ケプラーさ
| そう 17世紀の天文学者は
| 魔女の息子だったのさ
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| 太陽 月 火星 水星 木星 金星 土星
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| 日曜日 月曜日 火曜日 水曜日 木曜日 金曜日 土曜日
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| ゾンターク モンターク ディーンスターク ミットヴォッホ
| ドナスターク フライターク ザムスターク
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| ヒビキ アイ ナガラ ワクセイ ガ マワリ
| シラナイ アイ ダニ ワタシ ガ イキル
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ヨハネス・ケプラー(1571〜1630)
ドイツの占星術師・天文学者。惑星運動の三法則をを発見した。彼の思想の中には近代的な思考形式と、宇宙の調和の完全性に対する強い宗教的確信とが同居していた。遺作に"Somnium"―――『ケプラーの夢』(講談社学術文庫)と題する月旅行物語(空想科学小説)がある。
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<詩>縄文から届く夢(田村奈津子)
<詩>朝から冬が見える(田村奈津子)
縄文から届く夢
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| ジョウモンノ ユメ モリヲハシル
| シャーマンノ ネムリ ヒドケイヲハカル
| 鳥のさえずりが聞こえる
| くるみを拾う人が見える
| 黒曜石のナイフが光る
| 原始人などではなかった
| 宇宙船と小舟を行きかった魂とは
| 再び ここで
| この場所で出会うだろう
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| 石を枕に眠る
| シャーマンと
| 遮光器土偶になった
| グレートマザー
| 瞳を閉じて未来を占う
| 闇に 耳で触れ
| 夢に 石で触れる
| 揺れる魂は 土から甦る
| 外側もなく内側もない
| ただ宇宙そのものである
| 女神がひとり
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| オヤスミナサイ コンバンハ
| 光の旋律を持つ人のため
| 眠りの広場へ
| 月の雫に乗って
| 浅く深く 落ちていく
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| オヤスミナサイ コンバンハ
| 光のリズムを待つ人のため
| 目覚めた夢へ
| 縄を伝わって
| 時空を 越えていく
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| オヤスミナサイ コンバンハ
| 昼間 栗の林で出会った人
| 今夜 無意識で泳ぎましょう
| 鏡の岩に登りましょう
| 心を反射させましょう
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| オヤスミナサイ コンバンハ
| 縄で編んだ ネットワーク
| 同時多発
| 転送される星星の願い
| 眠くなった庭に 植林される
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| ジョウモンノ ユメ モリヲハシル
| シャーマンノ ネムリ ヒドケイヲハカル
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| アトランティスの末裔が残した
| ストーンサークルをつないで
| 菱形網目に
| 走るネットワーク
| 日が昇る日が沈む
| 闇をつらぬき
| 夢は生きる
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| 富士山から三輪山へ
| 三輪山から熊野大社へ
| 熊野大社から出雲へ
| 明日の言葉が転送される
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| 夢が飛ぶ
| 石が光る
| 夢が気づく
| 世界が変わる
| 夢が騒ぐ
| 世界が舞う
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| 1995年7月21日
| 惑星が動いて
| 何かが壊れた
| 失われた意識が目覚めて
| 光通信が再開された
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<詩>地図からこぼれた庭(田村奈津子)
<詩>魔女の息子(田村奈津子)
地図からこぼれた庭
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| ケプラー通り37番地の階段を
| 地下室に向かってゆっくりと
| 深い呼吸で 下りていく
| 灯油の匂い ワインの瓶 乾燥パセリ
| 山羊座が目印のソリで
| 中世の夜を滑る
| 新月が 次元をすり替えたら
| 大理石の廊下を ぺたぺた
| 水色のサンダルで 抜けていく
| 時計は右回り からだは左回り
| なんだか(意識が遠くなる・・・
| (指先が痺れてる・・・
| (身体と何かが分かれてく・・・
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| そこは 袋小路ではなかった
| 風がめくった扉から
| ヒマワリの種が眠る
| 渦巻きの庭にでると
| わたしは 男の子だった
| いや ガブリエルに口づけされて
| わたしには 人間の色がない
| 着慣れた皮膚を脱いだ
| 中間の魂だった
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| 人間の言葉はメロディーみたいだ
| あなたの立場は
| 五線紙に移したほうがよくわかる
| あなたのリズムを感じてるよ
| 指先だけが過去を信じてるんだ
| ほら いま電流が走った
| 音に向かって
| 開かれた脳天から
| 魂が飛びだしていく
| 長い間 捜索していた人
| アナタトハ 音楽ニナリタカッタ
| そんな時代が 水甕の中 目を覚まして
| 退屈だった世の中がおもしろくなってきた
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| コペルニクスの伝言と戦っていた
| 数学教師ヨハネス・ケプラーに
| 1595年7月19日午前11時27分
| 声から天の使いが降りてきた
| 教室で目まいを感じた夏の朝
| 彼の頭蓋の中庭で
| 水星 金星 地球 火星 木星 土星
| 響き合って歌いはじめた
| 電波望遠鏡で聴けるようになる
| 400年もその昔
| 誰もが知っていて誰もが信じていなかった
| 宇宙の胎内音楽を
| 自家製コンサートのように楽しんでいた
| ケプラーは憂鬱だったが
| 決して孤独ではなかった
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| 手のひらにのる
| 水の惑星
| 秘めてきたヴィジョンを聴かせてください
| 擦り切れた地図帳は役に立ちそうもない
| 共振する魂たちが
| 転換の時を始祖鳥の瞳で見下ろしている
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| あらゆるスキャンダルをまとって
| 死んだ人の魂が
| 道しるべだ
| わたしたちは 今 あなたに導かれて
| 地図からこぼれた庭へ
| 向かう途中だ
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| 羅針盤がわりに
| コインを投げる
| 直感を燃やしなさい
| 雨蛙の声に熱い孤独が溶けていく
| 狂気を飲み込んだ微笑みが
| 静かに香っている
| からだが 透きとおる午後
| 再会と瞑想を 繰り返し
| 私は わたしたちへ向かう
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| ヒビキ アイ ナガラ ワクセイ ガ マワリ
| シラナイ アイ ダニ ワタシ ガ イキル
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あとがき(田村奈津子)
<詩>縄文から届く夢(田村奈津子)
詩集『地図からこぼれた庭』
あとがき
7年くらい前のことだったと思う。
生きているうちに、見ておきたいものをメモしておこうと考えたことがあった。ノートの隅に、「鯨・ストーンヘンジ・寝仏」と書き留めた。そして、そのまますっかり忘れてしまっていた。
ある日気がつくと、三回続けて見た鯨の夢を記録するように、詩を書き始めていた。詩を夢中で書いていたら、失業した。「失業しました。」と手紙を出したら、親切な人が突然ロンドンに遊びにくるように誘ってくれた。
そしてまた気がつくと、ハーフムーンストリートにあるホテルを出発し、一人でソールズベリー行きの列車に乗っていた。迷いに迷って、泣きそうになりながらたどりついたのはストーンヘンジの丘だった。
東京に戻ってから発見した件のメモを見て地図のように、あらかじめやってくる言葉たちに、改めて敬意を表したい気持ちになった。
暗号のような出来事と言葉をつないで、詩を書いて生きているうちに、人々も謎のように私の日常に巡ってくる。死んでしまった人も、生きている人も、偶然を装ってやってきては、様々な宇宙の姿を見せてくれる。彼らと出会える庭が好きだ。西荻窪の小さなテラスの植物を、箱庭のように動かしながら、星座に似た出会いを瞑想する。
『ペンダット』の池本依久子さん、黒木利佳さん、城戸依子さん、中村祥士さんと一緒に目撃した宇宙の雫を忘れないように詩集という庭に記録した。
1995年9月5日 田村奈津子
著者紹介・作品一覧(たむらなつこ)
<詩>(田村奈津子追悼)神月の出雲へ(関富士子)へ
<詩>地図からこぼれた庭(田村奈津子)へ
<詩>音の梯子(関富士子)へ(縦組み横スクロール表示)
vol.22