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vol.27
<詩を読む>
 

詩のリアリティを求めて

 ―森原智子の詩「飲茶店『クレオール』考」を読む
(詩作品は『gui』no.52に掲載 1997年)
関富士子

  太陽のまだらな 夜明けの点滴が
  甘く 残されている
  小さな富士山はこの街にもあるが
  つねに美貌であるって辛いものがあるはず
  おおひとつらねの
  歴史の服を ぱんぱんとはらってたたむとき
  朝帰りの光線は ことさら すてき
  わたしはそれを低いところから見ている


 乾いてやや掠れた低い声。詩人森原智子が詩を読んでいる。抑揚もなく淡々と読む。言葉にユーモアと明るさがありながら、どこか悲哀をたたえている。5年前の東京青山のバー、ハウルでの一夜を忘れられない。彼女の詩を、物憂いジャズを聞くように聞いた。
 夜が明けようとする「歴史」をまとった「美貌」の都会の素顔、屹立するごみ箱や野良猫、飲茶店クレオールの中国袖のボーイ、裏通りのボロ洋車が、朝日にくまなく照らされる。そして「わたしはそれを低いところから見ている」。
 低いところとはいったいどこなのだろう。

  わたしのいのちが猫の中核のハンモックで
  粗粗しい方舟のごとく揉まれると
  中国袖の少年が凹凸のテーブルへ
  灰色粒子コーヒーを運んでくる
  (夜通し喇叭の先端に
  青い蝉がとりついていると細く訴えて)


 森原智子は、北園克衛にモダニズムの薫陶を受け、若くして詩集『マイダスの金杖』を出版した『VOU』生え抜きの詩人である。彼女が獲得した言葉は、日本のモダニズム詩のクールで洗練された、もっとも良質の部分を受け継いでいる。言葉と言葉、行と行の間に柔らかくたわんだような喩がかかって、不思議なエロティシズムに魅せられる。
 この詩は副題に〈悼む・寺門仁氏〉とある。時代に揉まれながら、同世代を生きた詩人との、豪奢だった「ながながし夜」の余韻。「青い蝉」はまだ彼らにとりついている。それはあるいは過ぎ去ったモダニズムという季節の蝉かもしれない。しかし、ここで詩人は過去を向いているのではない。「灰色粒子コーヒー」はさぞ苦いだろう。覚醒した頭で現実の朝の赤裸な街を見ている。

  大柳の葉はふり乱れ そこから
  ネグリジェの少女が前を開いたような
  新鮮な不幸の肌理がかすんで過ぎた


 無残で痛々しい「新鮮な不幸」が目の前を一瞬通る。急速にかすむように過ぎていく。「わたし」はそれを見逃さない。過去ではなく紛れもない現在の「肌理」をズーム・アップするまなざし。さりげない仕草だが、現代という時代の新しいまま腐るような酷たらしさが、仮借なく瞬時にえぐられるのだ。
 森原智子は、晩年を長く東京池袋で暮らした。大都会のマンションでの独り暮しを寂しいというのはたやすいが、彼女はこの街の情景や人間の現実を、いくつもの詩作品でさまざまに活写している。

  駅の地下道へ降りこめられた
  老ホームレスと一緒に
  古びたライターを貼り重ねたような
  方形の壁へ
  一本杖の荻をかつぐようによりかかった
「TVの話題」部分『gui』no.54 1998年)

  職安の門から、沢山のガランドウの男たちがみえない体の形に、ちぎったバンドエイドを貼ってあふれ出る。そのなかで眉のつながった若い男は、前途をゆずってばかりいてついに何もかも失って立ちつくしていた。
  あの陸橋の裏を見ろ。スプレの落書きを。
  (全世界を肯定せよ)ってあるぜ。
(「is」部分『gui』no.63 2001年)

 形骸化した喩に息を吹き込み、新しい詩のリアリティを獲得すること。それはたえずみずからの出自を問いつづけなければならないような苦しみを伴っただろう。

  赤面の男店員が口を動かす
  何か言っているが
  耳が聞こえない
  わたしは めめくらげの涙顔
  霊は寸法であらねばならず
  シュルレアリスムなどであってはならないよ
  と怒鳴る 

(「葱」部分『gui』no.62 2001年)

 さて、「飲茶店『クレオール』考」の最終連を読もう。

  (シンガポール迄 来ているタイフーン)
  店員たちが瞬間かたまった
  ラジオへの愛
  電源の ごく薄い枯れかた
  わたしはそれを低いところから感じている

 ラジオが台風情報を流している。西脇順三郎によれば、「タイフーンの吹いた翌朝」(「旅人かへらず」)は9月1日である。懐かしいラジオの声は掠れて遠ざかっていく。「わたしはそれを低いところから感じている」。秋が来たのを静かに受け入れているかのようだ。長い苦闘をへて、詩人は自分の書くべき方法を見定めたのだ。
 森原智子は、時代と人間に向き合い、モダニズムの方法を継承しながら。かぎりを尽くして、現代詩のリアリティを追求した。その困難な道を、たった独り毅然として、誇り高く歩いた詩人であった。

 森原智子 2003年1月6日病気のため逝去。享年69 
 文芸同人誌『gui』同人
 詩集『スロー・ダンス』1996年・『十一断片』1992年(ともに思潮社刊)ほか多数。

紙版"rain tree"no.27掲載2003.9.19
「飲茶店『クレオール』考」の全篇は、"rain tree"vol.6「gui詩gui詩」 Poetry Reading 森原智子で読めます。朗読も聞けます。写真もあります。
また、POETICA IPSENONのLibrary「イプセノン現代詩文庫」では、森原智子さんの詩集『十一断片』『露まんだら』収録作品の一部を読むことができます。

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