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 2013年12月の独想録


 12月24日 老いを受け入れる
 
毎年12月になると、「今年ももう終わりか」という気持ちになり、たいていの人は時間がたつのが早く感じられるのではないだろうか。
 子供の頃や若い頃は、時間が早くたつことに対してそれほど違和感は覚えないかもしれない。けれども、歳を経るにつれて「時間が早く過ぎていく」ということが、ある種の深刻さを増していくようになる。
 その理由のひとつは、自分がまたひとつ歳を取ってしまうことを意味するからではないかと思われる。それは30歳くらいから気になり始め、40歳になると大きな悩みとなり、50歳になると少しずつ諦めが入るようになり、60歳になると老いを受け入れようという気持ちが強くなる。
 なかには、50歳になっても60歳になってもアンチエイジングといって加齢と戦い続ける人もいる。若い人のマネをしてルックスも行動も若々しく振舞おうと努力する。
 そのような行動が、老いに対する恐怖を土台にしているのではなく、ただ健康で若々しくありたいという動機に基づいているのであれば、それはそれでけっこうなことではないかと思う。
 しかし、老いに対する恐怖に背中を押されての行為ならば、そこには「若くあること」よりも大切な「心の平安」が失われてしまうように思われる。
「心の平安」は、人生におけるもっとも大切なことのひとつではないだろうか。どんなに金や名声に恵まれても、心の平安がなければ、その人生は決して幸せとはいえないであろう。
 心の平安があれば、気持ちは自然と若々しくなっていく。肉体の老いを食い止めるには限界があるが、心の若さはその気ならいつまでも維持することができ、限界はない。そのためには、(肉体の)老いと戦うのではなく、心静かに受け入れることが大切ではないかと思う。
 しかし皮肉なことに、そうして老いを受け入れた人の方が、不自然に無理をして老いと戦っている人よりも、意外と若々しいように思われる。

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